全5件 (5件中 1-5件目)
1

さようならユメちゃん ユメちゃんが息をひきとろうとしていた正にその時、 孫のコトネから電話がありました。 なんという偶然。 その時ユメちゃんのこと告げると、 ことちゃん10分もするかしないかに 「ゆめちゃんとあそんでたのしかったね。 またこんどいきてきたらちかくにきてね。」 という文を添えて、 上のような絵を描いてファックスで送ってくれました。 5歳のことねもこんなに成長しました。昨日、ユメちゃんとのお別れを夫婦ふたりで静かにとりおこないました。 菜の花とまだ蕾硬い椿の花をいっぱい入れて市営の斎苑で火葬にしました とても、穏やかで静かなお別れです裸木の梢がレースを散りばめたように繊細に枝をからませて冬空の青にざわめき、天空に伸び、小鳥たちが、枝から枝へ飛交ってにぎやかにさえずっています ユメはこの天空に一筋のけむりとなり飛翔していきました。 骨はこの大地にかえり、今度は、椿の花となるでしょうか。さようならユメちゃん ペットの葬儀産業も盛ん、現代の人間のこころのゆがみを映し出したかのような葬儀のありよう。とても疑問に感じています。昨日、夫婦ふたりで簡素にお別れして今日はとても気分爽快。哀しみの深さは変わりませんが明日への生きる希望や勇気をユメからもらったようなさわやかさが胸に静かにみなぎってきます。
2010.01.24
コメント(0)

ユメちゃんの死 (これは、数年前に撮った写真ですが、今日のユメの姿も全くこの写真そのままです) いつも散歩の供であったパピヨンのユメ2010年1月22日の夜12年の命を閉じました まだ、今日のお昼にいつもの散歩コースを散歩したばかりですあっけなく、逝ってしまいました 1週間前まで、全く元気食欲も普通、散歩も大好き寒風のなかを私と2人で散歩していました 散歩で出会う人たちにもユメちゃんは元気だねぇ、年齢のわりには、若々しいねぇと言われていたばかりなのに。 毛並みも艶々ふさふさ愛くるしい眼もの静かな控えめなユメ 最期の最期まで控えめでものしずか この週、食欲が落ち、呼吸が急に荒くなったりした日があり、様子をみていたところ、この数日は持ち直し、このぶんなら大丈夫と思っていた矢先 今晩、急に食事しなくなり、呼吸あらくなり、しばらくしたら静かに逝ってしまいました こんなに命ってあっけないとは 幼い時、不幸だったユメちゃんいつも控えめで、他のひとの顔色を伺い生きていたでも、一徹な強い意志もあったユメちゃん毅然としたところも貫いたユメちゃん この冨士子婆を供として生きたユメ誰にも迷惑かけず、私たち夫婦に静かに見守られ最期を全うしました 1昨年、ユメは、背中に小さなコブのようなものが出来、医者にすぐ手術しなくては、悪性の癌の可能性があるから、といわれましたが、手術は拒否。その腫瘍のようなものは、その後、なにも変化せず(大きくもならず、化膿もせず、きれいなまま)、元気そのものでした。その後、健康診断で血液検査したときも、全ての検査値は良好でした。10年を経て、老いてきたので、静かにだんだん弱って,その先に、死があるのなら、それが一番よいと思って、その後は、最低必要な予防接種以外は医者に行かないようにしていました。ペットの医療のあり方に益々疑問を感じていたので。どんどん検査して、病気見つけて、薬やら食事療法やらと、人間の都合で犬をいじくり回しているようにしか私には思えない。犬の尊厳を無視した医療。ペット産業の金儲け主義。犬の生きざま、犬の習性を無視して、人間さまのおもちゃになっている。 ユメちゃんは、余りにも静かに、最期を迎えました。大往生しました。犬の生涯としては、これで良いのではないかと、わたしたち夫婦は納得しています。これは私たちの自己満足かもしれないが、ユメちゃんもそれを望んだと思っている。 私たち夫婦の老いもユメちゃんのように静かに、誰の迷惑もかけずにしかし、毅然とありたいと思います そうなれるよう残された命を大切に生きていきたい。
2010.01.22
コメント(1)
教師が人間として自立していることを 要求されるフィンランドこれは昨日の続きである。昨日はフィンランドの教育改革全体をみたが、今回はその教育改革の実践者、教師についてみてみたい。 教育改革の中核メンバーであった、当時の教育大臣ヘイノネンは、壊滅的な打撃を受けた経済状態から国を立て直すには、どうすべきかについて次のように語っている。「フィンランドは深刻な不況の真っ只中でした。失業率が大変高く、経済状態は非常に悪かったのです。財政支出を抑えなければなりませんでした。 わたしたちの問いは、どうすればこの不況から脱することが出来るかということでした。当時、決断したのは投資をするということで、争点はどこに投資すべきか。企業に投資したとしても、その企業はいずれ他国に出て行ってしまうかもしれない。しかし、人という資源に投資した場合、その人はそこにとどまる可能性が高いのです。 わたしは、不況から抜け出すには人という資源に投資するのが一番よい方法だと思いました。この戦略は成功しました。教育に投資したことで、研究開発も活発になり、情報通信という新たな産業が育ち、たくさんの雇用がうまれました。教育の力によって少しづつ不況から抜け出したのです。」 長い引用になったが、このように少ない税収をどこに集中して使うか、という発想のなかから始まった教育改革。そして、その教育を担当する教師のレベルをあげるために、多大なお金と情熱が注がれている。 大学院修士号取得が小中高の教師の必須条件であることは昨日も書いたが、更に教育の中味を徹底して現場に任せる。現場の学校や地域に任せて、それぞれが責任持って地域の子供たちを育てるという重い責任を教師たちは負わされた。国が関与する部分は最小限にとどめた。学校に誰を教師として雇うかという権限までも与えられた。あらゆる専門性をもったものが協働して、子供たちを教育し育てることが求められている。教科書さえどれを使うか個人の教師の裁量で決めることができる。使わなくともよい。その代わり、教材研究に教師がかける時間は並ではない。そして、その授業がお互いに評価うけたり指導をうけたりと、研究して高める活動は日常的にもとめられる。教師の高い能力、自立した人格がなければとてもやり遂げられない。しかもチームとしてたえず協働の作業が要求される。教師の人格も、社会でさまざまな体験を積んだ人が多く、子供たちにあの先生に学びたいという憧れや、自分の未来のモデルとして、教師から影響を受けている。教師を採用する権限を持っている学校は、今学校にどんな人材が必要か、現実に見合った要求から非常に柔軟に採用している。正規の教師になるためには、定められた教職養成の大学で単位をとらなければいけないが、それを保障する制度があり、いつでも思い立った時に勉強することができる。しかも学費は無料なのだから、働きつつも意欲があれば学べるのである。このような社会人として自立した、人間としてもそれなりに成熟した人たちが、教育をささえていることは素晴らしい。まさに子供たちに求められている人間像は、この教師たちのそれである。即ち、自分の足で立ち、問題を創造的に解決する能力を持った大人になることである。「学ぶ力」を身につけることが教育の目標であるフィンランドの教師たちは、教師自身がたえず「学ぶ力」を試され続けている。子どもがどう育っているか、何を身につけて成長しているか、日々その現実と厳しく向き合わざるを得ないのがフィンランドの教師たちであり、そこに教師としての魅力を感じている。やりがいを感じている。フィンランドの教師の賃金は特別高いわけではない。EUの中で、ごく平均的な額である。しかし、そこに集まってくる人々はとても優秀な魅力的な人々である。日本の教育、教師はどうか。 国が定めたカリキュラムどおりにやることが求められる。教科書も学校全員が同じ。しかもその教科書どおりを教えることが求められる。テストなどで、教科書のやり方を逸脱しておれば、答えが正解でも×となり減点される。まさに、物言わぬ教師が求められてきた。物言わぬ子ども像が理想であった。ただ、言われるとおりに暗記して回答する、正解率を競う。多く正解した人が点が良い、お利口な子として褒められる。少なくと地方の公立学校の多くはこのようである。私のところにも、学校とやり方を同じにして教えて欲しい言ってくる親さえいる。学校の方法が唯一であり、絶対なのだ。はみ出ることはイジメの対象なのである。 このような「お勉強」で育てられた大人たちは、もうすでに21世紀の変化についていけないで、路頭に迷っている。そのような親に育てられた若者たちもそうだ。 真に民主主義的な社会を作っていくためには、個人、個人の自立した活動が基礎になる。自主的に問題を解決しあう、協働の作業することなしにありえない。 そのような能力を育てることを抑圧しつづけてきたのが日本の戦後教育の歩みであった。経済が右上がりに成長し続けた社会では、このような人間が好都合であった。 しかし、このグローバル化した21世紀を生きていくためには、この人間像は克服されなければ生き延びれないところに来ているのが今ではないだろうか?その意味でも、小さな国・フィンランドのこの試みは色々な意味で示唆に富み学ぶところ多い。
2010.01.18
コメント(0)
学ぶ意欲を身に付けるフィンランドの学校教育 (1)フィンランド豊かさのメソツド(堀内都喜子著・集英社新書)(2)教育立国フィンランド流教師の育て方(増田ユリヤ著・岩波書店)(3)NHK未来への提言 オッリペッカ・ヘイノネン「学力世界一」がもたらすもの(オッリベッカ・ヘイノネン+佐藤学著・NHK出版)この3冊の本は、学習到達度調査(PISA)で世界一位に輝いたフィインランドは、どんな国で、今、何が起きているかを訪問して調査検証したものである。 (1)の本を著した堀内都喜子さんは、フィンランドの大学院生として暮らした時のフィインランドの豊かさの不思議をエッセイ風に綴っている。 (2)の本を著した増田ユリヤさんは、高校の教師という視点から、フィンランドのさまざまな学校を訪問し、フィンランドの教師たちと対話し、子供たちの授業や生活を見たり、聴いたりして、フィンランドの教師像に迫っている。 (3)はNHKのBS特集「未来への提言」のプロジェクトの企画によるものである。教育改革の中心メンバーであり、1994年から1999年にかけて教育大臣を務めたオッリペッカ・ヘイノネンと教育学者・佐藤学との対話である。フィンランドの教育改革の理念、哲学がどこにあるかを対談のなかで明らかにされていく。 フィンランドが教育を未来への投資と考えて、大胆な教育改革に乗り出したのは、1990年から2000年にかけてである。1989年のベルリンの壁の崩壊、1991年のソ連の崩壊。これらの崩壊は、それまでNATOに加盟せず「中立」掲げて、ソ連と東欧諸国との経済関係を拡大して繁栄していたフィンランドに、深刻な経済危機をもたらした。失業、不動産価格の暴落、貿易の衰退、銀行危機など、私たちも経験済みの経済の混乱である。フィインランドの経済活動は麻痺状態に陥った。1992年には失業率は20%を越えた。 この深刻な実態において、フィンランドの政府が行なった改革は、国家公務員の増加による失業者の救済であり、知識社会の到来を見通した教育改革の推進である。中でも当時29歳の若さで教育大臣に就任したヘイノネンは、国の未来を切り拓くには、教育に投資して新たな産業を興すしかないと大胆な教育改革を推し進めた。ヘイノネン氏は語っている「教育で大切なのは、機会の平等です。その基盤があって初めて世界の頂点に立てる高い水準の人材を育成することが出来ます。教育はいわば「投資」です。国の競争力に関る問題なのです。」と。そして、次々に打ち出した政策は、教育現場に大きな裁量権をもたせ、子供たちに教える内容や教え方を現場の教師が自由に決められるようにした。改革前は、教育省や国家教育委員会などが、国が中心となって教育の内容、教材の選択や指導内容、指導方法、授業の時間数など細かに定めていた。ヘイノネンの改革で、自治体への大幅な権限委譲が行われた。次に、教師養成教育の質の向上である。その徹底ぶり、その本気さはすごいものがある。小中高の教師全てに大学院の修士号取得が義務付けられている。最低でも5年の年月が必要である。教育実習のプログラムも長時間に及び徹底して訓練される。教員養成大学への競争率も高く(10倍余)、最も優秀な学生が集まって来る。、学び研究する中味も妥協は許されず厳しい。しかも何よりもすごいのは、色々な社会体験や職業を体験している人が多く(その道の達人)、日本のように高校卒業して大学で教員免許をとったらすぐにでも教員になるというようなことは、ほぼあり得ない。人としてもとても魅力的な人々が教師になっている。おちこぼれを出さず、どの地域でも(都会でも極北の田舎でも)同じ質の教育を保障する。この機会均等と平等の実現の徹底はすざましいものがある。平等ということは、一人ひとりの能力にあった教育をあらゆる方法で追究することであり、その一人一人の力量の向上、自立が全体の協働した力も高めるという、日本では夢のような話なのである。この機会均等と平等の教育は、成績低位者の数が圧倒的に少なく、学力上位者の数が多いという特徴を示している。成績上位者の成績はエリート教育の卓越性を誇示しているドイツのギムナジウムの生徒よりも高いレベルを達成しているというから驚きである。この教育改革によって、フィインランドは生徒間格差が最も少ない国であると同時に、学力レベルの地域格差や学校間格差が最も少ない国へと変化している。更に、教育のなかに、ITを徹底して普及することも、改革の柱である。あらゆる教科が連動してITを駆使して教育する環境の整備。(どんな地域のどの学校でも)パソコンから得る情報を選り分け利用する知性や技術を学校教育のなかで、積極的に取り入れ取り組んでいる。(日本のように、ITの技術を教える教科として学校教育に取り入れているのでなく、ITを学びの「道具」として徹底的に活用できる能力、知性を育てる教育の実践をフィンランドは試みている) これらの教育改革を支える理念をヘイノネン氏は次のように述べている。「当時、すでに私たちは誰ひとり未来が予測できない、そんな時代にきていると実感していました。これまでの教育がそうであったように、特定の仕事や職業につくためにひとりひとりを教育する時代ではなくなっていたのです。「未来がわからない世界」、人々が一生の間に何度も仕事を変える必要がでてくるような、そんな時代です。 とりわけ、今日の世界では何もかも目まぐるしく変わり、周囲に膨大な量の情報が溢れています。変化に適応し生き抜くためには自分を自分で導いていかなければなりません。自分自身を知らなければなりませんし、自分の内面から新しいことを学ぼうというモチベーションが生まれなければなりません。 人々が自ら学ぶ力が必要なのです。新しい出来事に対処する能力、将来思わぬ問題が起きた時それを解決する能力が重要です。その能力をやしなうためには、学ぶ力を身につけなければなりません。他者と協力する力や他国とコミュニケーションをとる力も求められ、言葉の教育も重要です。こうしたテーマが真の焦点でした。」この改革の理念は、21世紀の世界に生きる子供たちを育てるに、すぐれて洞察力あるものである。人が人らしくグローバルに生きていく社会。そこで生きていくための「学び」の必要性を的確に表現している。生涯学び続ける「土台」をつくる教育。 このような教育改革は10年余りで、フィインランドを世界一の学力に導いた。IT産業で世界をリードする経済的な発達も成し遂げている。日本の教育は何処行くこのフィンランドの教育改革とは全く反対の教育改革をしてきたのが日本である。即ち、競争をさせないと子供たちの学力は落ちる。機会均等や平等はエリート教育には害である。平等は教育の質を落す。などという思想が横行している。全国学力テストの実施、その点数序列公表で学校を競わせて点数を上げさせる。などなどである。そう言いつつ、一方では、大学では競争どころか、基礎学力中学レベルでも堂々と入学させ、卒業させている。(中学3年レベルに達していないものもいっぱい入学している)そんな大学が日本には半数ぐらいある。 今日本の子供たちには、益々、学力格差が大きくなっている。上位者と下位者にかたより、中間者が少ない。「勉強」は嫌い。試験のテストの点数のためやる勉強。学ぶことが楽しいと感じている子どもは極めて少ない。年齢が進むほど学ぶことが嫌いに成っていく。自らのなかに学ぶ意欲を作り出す学校とは程遠い。日本の国際学力到達度調査の成績は、2000年調査では数学的リテラシーは1位であったが、2006年は10位。総合読解力は2000年には8位だったが2006年には15位。科学的リテラシーは200年2位から2006年6位に。 この調査のために、似たような問題を練習させて、試験を受けさせようという動きすらある。滑稽というほかない。 日本も将来人口減は必至である。どんな社会を作っていくのか、のところで、私たちは、今、問われている。私は日本国憲法と改正前の「教育基本法」の実現できる人材の育成。その理念を21世紀に生きる子供たちが豊かに創造していく自立した人格をつくる教育をめざすことが日本の進む道ではないかと思っているが。
2010.01.17
コメント(0)
多様な人々の住む社会に進みつつある日本 朝日新聞が元旦から「日本前へ」という連載記事を掲載している。 1989年。昭和から平成にかわりバブル経済の崩壊が迫り、冷戦体制が終わる。そしてそれとともに経済を核としたグローバル化が加速、その辺りから20年間に日本社会は失速し始め、グローバル化は国民に新たな貧困層を生み出した。その大波に飲まれながら、益々貧困と格差があらわになってきたのが2009年であった。社会は閉塞感に覆われ、若い人は希望を見出せない苦しんでいる。 この新聞連載シリーズは、グローバル化の中で日本社会はどう変わろうとしているか。新しいセルフイマージを描き、前に進む感覚を取り戻す手がかかりをもとめて、日本の新しい社会の息ぶきを追っている。 昨年末、私たち夫婦は、名古屋大学経済学部のオープンセミナーにトヨタ自動車の財務部門のトップが招かれて講演したので聴きに行った。(動員されて半ばお付き合いで参加したのだが)しかし、この講演では、グローバル化とは何かということが、とても明快に説明された。 要するに、トヨタ自動車の場合、国内の販売台数は全販売台数の40数%に過ぎず、この数字は今後減少こそすれ、拡大することはあり得ない。だから、販路を海外、とりわけ中国、インドなどを中心とした発展途上国に求めなければ生き延びれない。グローバル化とは、全てを現地の人々に任せて生産、販売すること。経営のトップも現地から或いは世界の中から選び、日本人はあくまで補佐役になって、生産販売体制を現地に確立することである、と明言していた。工場はもちろんのこと下請け工場もすべて国外に移転する。国内は、自国で販売するものだけを生産する、というものである。(安いからといって逆輸入はしない。それがトヨタの理念とか)これは、トヨタだけのことではなく、日本の高度経済成長を担ってきた輸出産業は似たようなものであろう。 要するに大企業が生み出す利益は日本には還元されず、海外に滞留し溜め込まれる。税金も日本には落ちてこない。このような経済成長戦略が続けられる限り、日本の国民は職場を失い、低賃金のままである。 このような従来の閉塞的な社会構造に風穴をあけて輝きはじめた人々や企業を紹介しようというのが、この「日本前へ」という連載なのである。 さて、その連載7回目が「共生 移民抱く街ー混ざる文化 国の未来図」である。現在、日本に住む外国人は約220万人、20年で約2倍になった。(私の住む愛知県は外国人登録者数が東京都についで多く、この30年で4倍の22万2千人に増えた。住民の半数以上が外国人という町さえある。愛知の場合は移住ブラジル人が全国最多で7万3千人。)この連載は東京オオクボの街の変遷を追っている。 新宿区のある区立小学校は児童の3割が外国籍、籍のどちらかが外国籍とあわせると約7割にのぼるという。 このように外国人が多いのは、勿論上で述べてきたような、経済成長戦略のなかで、研修生という名目で第1次産業や製造の労働者として、入国を大幅に緩和してきた結果である。結果として、安い使い捨て労働力としての役割を彼らの多くが担わされている。彼らは生きた人間であるのだから、食べ生活し子どもが出来るなど、ごく当たり前の人としての暮らしがあるはずなのに、その人々の人権は、法的に整備されないままである。以前からそこに住む住民とのトラブルや敵対・対立など日常茶飯である。子どもの教育などは全く制度的に保障されていず、日本の従来の学校のなかに組み込まれ、そこで教育を受けている。グローバル化の名のもとに、使い捨ての労働力として、取り込まれた外国人。その子供たち。このまま進めば、低学歴のまま、就職もできず、社会の底辺に淀む移民の子どもたちがどんどん増えていく。無職者となって犯罪の温床になり、社会のお荷物となっていく。多様性を社会のなかに引き入れ、解け合って、社会を豊かにしていくと責任が日本にはあるのではないか。少子化で人口減少が必至の今、他民族、多文化を国内に入れて、統合することは大切なことではないか。共に生きて、統合した社会を展望することが、豊かな日本をつくることでも避けて通れない道ではないか。これこそがグローバル化ということでないか。 実は私の塾にも、母親が外国籍の中学生がいる。 今まで私が出合った事のない低学力の子どもである。 最初、わたしは、その子がつまづいている所までさかのぼって、勉強をやり直せば普通のところまでは学力を向上させることが出来ると思い、あれこれ試みた。 しかし、そんなに甘くはなかった。この子は一応、日本籍ではあるが、育てたのは外国籍の母親であり、今も母子でくらしている。幼い時からの言葉の蓄積が普通ではなく、小学中学年ぐらいの勉強に必要な日本語しか身についていないし、生活習慣も出来ていない。(日常の日本語は不自由していないように見えるが、それだけでは、勉強するに必要な日本語ではない。)四苦八苦して教えてあげようともがいているが、賽の河原。お手上げ状態。私、個人の力ではどうすることもできない。限界を感じている。無力を感じている。中学側も日本人の生徒と全く同じ授業を与えているので、何もわからぬまま3年間が過ぎようとしている。本人は、何とか道を切り拓かねばという気持ちはあるが、このままだと多分閉ざされたままと思う。制度的に救済し、教育を受ける場を与えて、そこでこの子どもにあった教育内容を行なわないと、社会で生きる事は出来ない。このままでは、進学もできないし、就職もできない。定員割れで辛うじて進学できたとしても、又同じ繰り返しとなるだけ。このままでは、無職になるしかない。このような社会から疎外された子どもたちが、生きるための能力をつけることも出来ず、どんどん社会にたまることがまさに今、起きようとしている。移民の子供たちにたいする教育の在り方を研究開発する必要がある。組織的に教育を定着させる必要がある。クラスの半数以上が何らの形で外国籍であるのに、相も変らぬ暗記主義の点数主義の教育の教室に座らせておいて教育効果があるとは思えない。朝日新聞の連載記事7回めの外国籍の人々の急激な増加が日本社会に何を引き起こしているか。日本に求められているグローバル化とは何かという記事は、迫られる新たな開国という課題を投げかけている。このわたしの実体験からも、これは切実な問題なのである。日本人、ひとりひとりが、狭い地域のなかに閉じこもり、身内で固まっている限り、この今日本が直面している困難を突破できないばかりか、ある日、突然日本人は世界からはるか取り残されて、滅びようとしているのを知るのでないか。
2010.01.10
コメント(2)
全5件 (5件中 1-5件目)
1