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ビッグバン・大競争時代、民間会社の営業は玄関を出ると情報戦の渦中をくぐり抜け戦いを迎え、戦いに向かわねばならずアグレッシブな気持ちを持ち続けなければならない。そこには、ストレスの蓄積と大量の心身のエネルギーが消耗される。
2007/01/31
人生・人間という別名とでもいうか、その名は「闘争」である。人の一生は戦いに始まって戦いに終わる。人間の社会は完全に強食・弱肉の競争社会である。昔の戦いの弓や刀に相当する今の武器は学力・精神力・金力・情報操作である。これらを上手に使うものが現代の競争に勝ち生き残れる。学校時代は学力という武器で高い学力の者が他を圧倒し排除していったが、社会に出れば精神力や金力・情報操作などの武器を使って他を排除し倒してしまう。そして、更なる欲望達成のための武器を練磨し強力なネットワークを確立する。人生に戦いを感じられなくなった時、人生は実質的に終わっている。
2007/01/30
人間はグレードがアップし、そういう境涯になればなるほど、そうでない日常の大切な部分がかすんでいき置き去りにされ目が届かない。その部分が実は家庭や子どもにとっては大切なところである。
2007/01/29
年をとってくると、色々な過去のことが思い出され、胸が締め付けられるような時がある。私は人間をきびしく眺め、人間を自分も含め無意識のうちに糾弾しているように思う。昨今の犯罪は残虐であり、その悪の深さを見ると人間に対する恐怖感を持つに至る。人間は人間の善なる行動には底は見えるが、悪の行動には底がなく、見えないぐらい深い。 幼少期も様々な人間の行動がインプットされている。それが遠い昔のことであっても鮮明によみがえってきて、苦しさを増幅させる時がある。最近の事件の残虐性と次に述べる子猫とを結びつけるのは無理であるが、私の気持ちの中では結びついてきてしまう。 おわんの一寸法師ではあるまいが、板切れに乗せられた子猫は川に流されていく。その状況は今もしっかり記憶されている。悲しい顔、運命に逆らえない恨みの顔をじっとこらえて流されていく。罪をかぶされ、死刑執行場へ送られる人を彷彿とさせる。 小学校へまだ行っていない私には何の考えも浮かんでこないで、ただ唖然とするだけで言葉も出なかった。流した子ども達には何の悲壮感もなさそうだった。殺さねばならない事情があり、これしか対処はないと判断し、多分子ども達は親の指示により実行したのだろう。 この子猫は絶体絶命であろう。しかも、50M先に堰があり、その流れの速さと水のうねりで子猫は板切れから放り出され死ぬだろうと子ども達は話していた。あの世に行ったら、この子猫を探し出し是非謝りたい。このことで胸につかえることが時々ある。あの日の子猫は悲しさを耐え忍んで覚悟ができているような感じだった。
2007/01/27
ファミリーは幸・不幸のキーとなるベースである。一杯のかけそばで微笑んで語り合うのがいいのか、ベールに包まれた豪邸で毎日毎日を栄耀栄華な生活をするのがいいのか。どちらか二者択一となればどちらを選んだらよいのだろうか、人生は長いから前者がいい。蔵の財より心の財ということになる。
2007/01/26
子どもとは親を供給先とする悩み製造機である。子どもは年齢的に一人前になっても、苦しみや悩み・愚痴などを直接・間接に親の家へ運んだり送ったりしてくるが、これは「長生きせよ」という子どもの親思いの証かも知れない。苦しみや悩み・愚痴などがある間は、親は死ねない。これらを運んだり送ったりしてくれる間が「花」である。しかし、こちらが老いても現金封筒は送ってこない。
2007/01/25
自分の子どもが多くいる場合、親としては一生苦しみや悩みが訪れてきて、その状態がずっと続くことになる。一人っ子となれば苦しみや悩みはその子一人で数は少ない。 しかし、子どもが多い場合は経験もあって要領よく子どもに対応しているが、一人となるとていねいになり深くもなり関りすぎるので、苦しみや悩みもそれに付随する。子どもが多い場合も少ない場合も親の苦しみ・悩みの度合い(分量)としては一緒である。
2007/01/24
もう昔というか、遠くになってしまった太平洋戦争(1941年昭和16年12月8日開戦~1945年8月15日終戦)。開戦は小学校低学年だったが、学校でのラジオ放送で知った。戦争の当初はアメリカの太平洋艦隊をハワイで、イギリスの東洋艦隊をマレー半島沖で撃破し、続くその他の戦いにも日本軍は勝利し、東南アジアの殆どの全域を制圧した。 ところが、戦局が悪化し、ミッドウェー海戦で日本軍が惨敗するが、これをきっかけに太平洋における日本の制海権・制空権は失われた。 以後、連戦・連敗を被るのだが、大本営は敗北の事実を隠し「大勝利」と国民に報告した。このことに関係あってか、小学校の講堂には、その日の戦況が紙に書いて貼り出された。戦況の発表ごとに、これに関心を持つ児童達は歓声をあげた。記憶も薄らいだが、発表は大本営が行った。その要点の中心は「敵国の軍艦○○隻を撃沈し、○○隻に損害を与えた。敵国の飛行機○○機を撃墜し、○○機に損害を与えた。我が方の損害は軽微なり」との形式で発表されたのを覚えている。 毎日毎日偽装発表をして、国民を騙し続けた。そして、戦意を向上させ、鼓舞するためアジリ、また、歓呼の声を高らかにし、旗振りをした。こうなると右・左の視界は全く見えなくなり陶酔し戦争・戦争へと流れが加速し直進した。大本営発表を絶対と思い信じ切ってプロパガンダに乗せられはめられた。ただ、幼い私にしても首をかしげる点はあった。それは敵の飛行機は全部でいくつあるのかという疑問があった。毎日毎日撃沈・撃墜だが、その数を計算すると相当な数だった。うそだとは思わなかったが、おかしいなと思った。 思うに何事も絶対というものはこの世ではあり得ない。また、100%信用というものもあり得ないのだ。この考えは今も持っているが、この時代の影響からだろうか。調子のいいこと程、何事でも足元に落とし穴があるものだ。動けない程はまったり、安易に乗せられてはいけない。
2007/01/23
今の子ども達は、社会が険悪化しているうえに大きなしんどい苦しい宿命の荷物を背負わなければならないのでかわいそうだ。このことを考えると子どもを生まなかった方がよかったのではないかと思う。また生まれてきた子どもには申し訳ないという気持ちもある。しかし、ここで大切なことは親や子どもも強くなることである。強くなるのは「強くなれ」の100回のかけ声よりも苦しい波を一回でも多くかぶるのが一番いい方法である。
2007/01/22
教育をよくしようと、制度をいじったり建物を造ったり人員を配置したりして、その場しのぎをしている。それでは根本的な対策・解決にはならない。根本的には人間を変えなければならない。 人間の心、子どもの心にメスを入れなければ、教育の改革は役に立たないし、金を使っても効果は薄い。心にメスを入れようと思うなら社会や社会機構にまでメスを入れなければならない。
2007/01/20
愛や恋愛によっては、火の粉が降りかかることがわかっていても、愛や恋愛という欲望の電車に乗り火の粉をくぐらなければならない。 愛や恋愛は自己の純粋・無知・陶酔という側面を右側に持ち、左側に不信・不安という側面を持つが、この中には死というセットも混じっている。
2007/01/19
恋愛とは騙したり騙されたりする男女関係のゲーム的なところもある。そこには駆け引きの手法も多い。男性は勿論だが、若い女性でも純真だと思われる女性でも、この面の駆け引きは今の時代たけており、商品取引みたいなところがある。
2007/01/18
人間、好きな人がいる時には、心身ともに活性化し意外な能力やエネルギーも出てくるものである。 脳細胞を始めとして細胞が活性化するのだろうし、顔にも輝きが出てくる。
2007/01/17
愛するとか愛されるというのは、本当で真実なことだろうか。これは偽装であるかも知れない。本音のところ、愛とは欲望の走る道路である。道路がなくても欲望は走れる。愛とは欲望のコピーであり、そんなに美しいものでもすばらしいものでもない。年頃の男性の女性にたいする愛情表現は性行為が手っ取り早くはっきりしているように思う。最近の女性もこの尺度でいるのだろうか。
2007/01/16
「愛する恋する」と言っても、その成立の窓口になるのは最初はフィーリングが大きく影響する。フィーリングがよいと何だか全体がよいと錯覚してしまう。そこに男女の大きな落とし穴がある。 気立てとかの心の面に目が向くのは、一定年数を要する。従って、これらは異性への窓口にはなれない。
2007/01/15
勝ち犬・負け犬。勝ち組・負け組と簡単にいっても、吟味すれば色々考察できるが、余りむつかしく考えないで、自分流に気楽に考えた。 さて、秀吉はどうだったか。戦いは連戦連勝であった。しかし、死を目前にした彼にどっと押し寄せる不安、その上、豊臣家の行く末を心配し死ぬに死ねなかっただろう。戦いには勝ったが、人生には負けたといってよく、誰に負けたかといえば、家康であろう。 人間についていうと、人生に勝利しながら進んでいても、人の死は苦しみであり、苦しみながら死んでいくので、人生に勝者はなく人間は皆敗者といってよいだろう。しかし、人生に悟りを開き、それを生涯全うすれば、それは相手なしの勝者である。 勝者・敗者の判定項目は学校の成績・受験戦争・大学進学・富・金・結婚の成功・失敗・就職・地位などがあり、健康・家族は応援者である。 自分が勝者だとしても、自分の子どもが敗者の憂き目にさらされておれば、親はそれを共有するだろうから、この場合親は勝者とはいえない。 孫が勝者であれば祖父母や親が敗者であっても、この三代は勝者といえる。 従って、勝者・幸福は孫の双肩にかかっている。だから、祖父母は口には余りださないが、心の中では孫を叱咤激励し目をかけることになる。この問題は親・子ども・孫という三代の長い目で見る必要がある。孫の後のひ孫のことは、祖父母の守備範囲でなく、視界にはひ孫は映っていない。
2007/01/13
人間が長く生きることは本当にほめるべきことなのか。ほめるべきことではないというか、どうなんだろう。長く生きることは欲望の多くをむさぼったことになるし、社会に迷惑をかけたこともあったと思う。そういう中で、人のため、社会のため、自己を投げ打ってこれらに貢献した人はすばらしい人で尊敬に値する。 最近の世相を伺うと犯罪が多発しているが、我々は犯罪報道になれ、犯罪に鈍感になってしまい、困ったことである。そこには、社会不安がただよっている。とりわけ、凶悪・悲惨な事件・自爆テロなど誠にこわい世の中となり、余りのひどさに人間とは何んだろうと世をはかなみ、人間不信に陥入る。そして、生きる意欲がそう失し、生きづらく住みづらくなってきた。時には、被害妄想に陥入りそうな時もある。 しかし、こんな状況の中でも、子どもや孫・兄弟、周りの親しい人のそれぞれが自分なりに一生懸命に生きている姿を見ると、自分もこの人たちに負けないでがんばり生きようという強い気持ちが湧いてくる。人間、元気よく生きる生きないは周りの人が重要な役割を果たしているように思う。周りの人の影響が大きいと思う。
2007/01/12
勉強したり進学したり就職したりするのは、国家・社会のためにと思っている人はいるのだろうか。 すべて、自分のためであり立身出世・栄光・欲望の充足のためである。 昔は「お国のため」とよく聞かされた言葉である。
2007/01/11
何か大きな問題があって友達にといっても本当に頼れるものではない。友達は友達で自分の生活でいっぱいである。老いた親に向けるわけにもいかない。ましてや、他人様というわけにもいかない。頼られた人が対応するには相当の慈悲の心とエネルギーを要する。色々考え行っても落ち着くところは自分である。自分が考え悩み行動し、突破することだ。
2007/01/10
子どもの問題行動の中には、教育や心理学では対応し切れないものもあって、これらは人間や家庭・学校・社会そのものを変えなければ駄目であり、それをそのままにしておいて教育や心理学で一時しのぎをしても、真の対応や根本的な解決にはならない。
2007/01/09
人間とは欲望のかたまりの物体であり、その物体に付随して思考などの精神的な活動もある。物心両面の欲望の欲求は両者それぞれが補完しあっている。
2007/01/08
昔の田舎での生活は農業をしながら、学校・役場・農協・郵便局などにつとめるか、巡査・医者・僧侶・看護師などに従事する生活パターンが幸せというか、気楽というか、生活が安定する状態で一番よいパターンであったと思われる。 近隣に大きな都市があれば、そこで働くのも、生活の安定につながった。ところが、多くの人が大学へ行きだし、また、田舎では思う仕事がないので都会へ若者が出ていって、田舎は活気を失い、生活の困難さも手伝って過疎になってしまった。 しかし、中には都会へ無理矢理に行かざるを得ない人々もいた。そんな中、都会での生活がなじめず、田舎へ帰ってしまった人もいた。 都会の労働・生活はきびしいものがあった。給料の少ない労働者もおり、また、多くの人の住居費の重みはきつく、ローン返済が一生かかるということになり、何のための労働かと言われればローンのため、将にローン地獄と言っていい程、生計で住居費の占める割合は大きなものがあった。 できることなら、生まれ故郷で働き、子育てをし平和で「かけそば」をみんなでわけて生活するのが一番よく幸せであろう。 定年退職後は、故郷へ帰り年金をもらいながら生活するのが一番よいのだが、長い間の竜宮城行きで、地にはっていた根も抜けており、しかも、文化の肌合いがいまいち合わない感じである。 故郷になじむためのエネルギーを噴出するのは無理であり、エネルギーを使い切ってしまっている。望郷の思いはあっても、いざとなると都落ちに二の足を踏む。 その内、故郷と縁を切らざるを得ない日々も近づきつつある。
2007/01/07
人間の欲望は際限がないし常に人間はそのために行動している。動物は一定の期間静かにしているが、人間の欲望はすさまじくて恐ろしく、そのむさぼりには休みがない。欲望は諸悪の根源でもある。その際限は神でさえ予測がつかない。人間の欲望がこんなにひどいものであることを神が初めからわかっていたら、多分神は人間の出現や存在を許さなかっただろう。
2007/01/06
二~三才の子育てはベタベタした関係であり、この年代が親・子の最高の関係で親孝行をしてくれ幸せをかみしめる時でもある。 しかし、これから先色々な人生の落とし穴があろうとは、子どもの顔を覗きながら誰一人として思ってはいないだろう。
2007/01/05
新年早々、波の立つのはさけたいですが、何か腹の底から声が出ないです。「美しい日本」「正月」となると私には「富士山」が出てきます。遠景のきれいな富士は最高でしょう。しかし、近景の富士の足元はゴミ捨て山です。 遠景のきれいな美しい日本、そんな日本と明日の生活に困窮する近景の日本とは次元が全然違います。 遠景も近景も美しい日本になりたいものですが、足元をよくみることが大切であると思います。
2007/01/04
「新年あけましておめでとうございます」と申したいですが、世の中、悲惨な事件が続発しており、本音のところでめでたい気分になれません。 そんな中、早々に繰り広げられる箱根駅伝は勇気と活力を運んできてくれます。 何のためにあのロードに青春の情熱を燃やすのだろうか。高校時代に駅伝の山路を走った日のことが重ね合わせて思い出されます。 走っている彼等を見ると、自分自身にへばりつこうとする老い・悲観・苦しみ・マイナス思考などを吹き飛ばし、新年の視界を明るくしてくれます。
2007/01/03
地球を救うのは、人類の滅亡が最も有効な方法であるかもしれない。このままいけば、地球は破壊され人類は滅亡し共倒れになる。人類が有効な手を打てば地球の再生は可能となり、そこには地球のやさいまなざしを見ることができる。
2007/01/02
人間は遊びや趣味などのために多くの動物を殺し植物を切り取ってきた。人類の長い生活の中ではその数は多すぎて推定することもできない。そして、地球は人間と生物の共有の物なのに、人間はこれについて人間中心に振る舞ってきた。地球を蘇らせ動植物を保護するために人間は地球や動植物から大バッシングを受け地球から去らなければならない。もし、これをしないなら地球に疫病の大流行・大飢饉・大自然の破壊・空気の大汚染が広がって、地球から人間は追い出されることになろう。今や、地球が滅ぶか人類が滅ぶかの岐路に直面している。
2007/01/01
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