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(続き)殺人列島 自殺・親殺し・子殺し・その残忍性はひどいものである。 欲求不満列島 勉強・仕事などのプレッシャーがきつく、また、競争によりストレスが過剰となって一触即発の状況になり、社会不安を彷彿とさせる。 老人列島 老人人口が飛躍的に増大し老々介護の問題。医療・年金原資の減少。老人を支える基盤が危うくなっている。 地震列島 地震が起こり、その対策が十分なされていない不完全な状態の中で、追い討ちをかけるように次々と地震が起きる。 崩壊列島 財政破綻、人間破壊、大学・高校・地域・家庭の機能低下と崩壊への傾斜。 格差列島 負け組・勝ち組、好景気・不景気、地方と都市、東京一極集中。高収入の陰では極めて安い賃金で生活している者が多く、まさに、ワーキングプアーである。また、ネットカフェ難民をはじめとする、宿無難民も多い。(続く)
2007/05/31
最近のテレビを見ていると、年輩の方々の発する言葉に「日本の国はここまできてしまったのか」と世相や国を嘆き悲観視する人がいる。まさに、日本列島には残酷な事件が多く震撼させられる。 小学校のころ、学校で日本は神国だ皇国だと教えられ、豊葦原(とよあしはら)の瑞穂(みずほ)の国と称せられ美しい日本をイメージ化された。そして、先の太平洋戦争では大東亜共栄圏を掲げ、大日本帝国を誇示したが、国家滅亡の寸前で終戦を迎えた。戦後は見事に経済復興を為し遂げ、経済大国なるものを標榜し、それに浮かれて今日に到っている。 しかし、最近の日本列島は日本海波高しで、難破船か沈没寸前の状態である。日本列島はどうなのか。自分流に列挙していきたい。(続く)
2007/05/30
神が存在するとしたら、それは人間より更に悪人(悪い)であろう。人間の悪や差別・人殺しなどのことに対して、神は沈黙し傍観している。神は人間からうとまれ遠ざけられた存在になり、神通力が使えなくなったのだろう。従って、神は自分自身のサバイバルに必死であって人間に目を向ける余裕はない。
2007/05/29
炊事・洗濯・育児などの男女共有・共同がない限り本当の男女同権はあり得ないのではないかと思う。女性はこれらのことを社会的には女性の立場に立って思ったり、考えたり、言ったりしているが、案外無関心な人もおり、夫の前では、納得してかどうかわからないが、こなしている女性もかなりいるようだ。
2007/05/28
その人の人生における人権尊重の生き方を知ろうと思えば、個人の日常生活の、例えば家庭などの具体的な生活の場で、人権問題にどのように向き合っているか、これが大きな踏み絵である。人権尊重の態度がはっきりしている人は立派である。
2007/05/27
一般に人は「人権・人の命を大切にしよう」と言い、スローガン的には人権・人の命と聞こえはいいが、実際の生活ではスローガンと相反し人の心に傷をつけることや人の命を痛めつけている場合がある。被害者は心身ともに見えない傷がつき、あえぎながら人生を歩んでおり、生命や人権が大切にされていない。傷や痛みは生涯残るものである。人間や社会はこのことをオブラートに包んではいないだろうか。人権とは何だろう。人権とはスローガンではない。生きる権利を保障することである。
2007/05/26
人間の悪い行為は勿論、絶対に許すべきではないが、責任という面だけから見れば悪いことを行った人は大きな宿命(運命)を背負って生まれてきているし、悪い行為を行う社会的背景もあり素地もある。従って、本人や家族は勿論のことだが、人間や社会そのものにも多少の違いはあるが、いくらかでも責任を問うべきであろう。
2007/05/25
人生は何事も長い目でみると良否五十%ずつである。生についていうと長い一生でも一瞬であり、死にあうのも一瞬であるから長い生と死は半分ずつだ。その他、愛・憎・幸・不幸・苦・楽、共に五十%ずつだ。例えば、苦楽では苦が五十%、楽が五十%であり、苦が少ないと思う人はこれから五十%のところまで苦を味わうことになる。幸せと長く暮してきた人はこれから不幸な暮らしが待っている。逆に不幸と長く暮してきた人は、その分量だけこれから幸福な暮らしが待っていることになる。
2007/05/24
善なる行動であっても、悪なる行動であっても、その人にとってはそこを通らなければならない運命と背景と歴史がある。従って、その人にとっては人生の全行程の中で通らなければならない道の一つである。
2007/05/23
新任のほやほや教師。石橋であろうとなかろうとそんなことはどうでも良い。反省も後悔も感じずに前へ前へと進む。 そんな若いころ、山間に建つH中学校へ赴任した。2階の職員室へ行く階段はガタガタとゆれるほど、老朽化した建物である。ここが、30余名の生徒たちの学び舎である。 ここでの学校生活は勉強を教えるということよりも、放課後全員毎日外へ出てバレーボール・ソフトボールをやったというか、生徒たちと遊んだということだ。 時には生徒達の父親であり、時には兄という関係であったと自分では感じている。それでいて「先生」という言葉の響きが本当に教師として信頼されていると感じ取られた。 教師の助言や指導が生徒の心に入りやすく受け止められているようだった。こうなると教師としてもゆとりを持って生徒に温かく接することができた。 こんな状況の中で3年を過ごし、山の学校を出る日を迎えた。大きな包みを持ち学び舎を後にするが、何回も校舎を振り返った。二度と来ることはないだろうと思うと胸にこみ上げるものがあった。 そんな時、バスの停留所に生徒たちの声が聞こえ、その姿を見た。見送りの姿にうれしいようなさみしいような気持ちの中でバスに乗り込んだ。手を振っていた生徒たちはバスが動き出すとその何人かは涙を流し泣く者もいた。生徒には生徒の思いの見送りであり、思いであっただろう。只、私としては生徒たちの純真な心に胸を打たれ目頭が熱くなった。そして、バスは停留所を離れたが、バスが見えなくなるまで生徒たちは手を振ってくれた。この時、教師冥利に尽きる感動を覚えた。あの光景は45年も過ぎた今でも鮮明に蘇ってくる。
2007/05/22
悩みがあって次に大きな悩みの波が打ち寄せた場合、前の波は後の波に消され小さくなりそんなに感じなくなる。後で生じた悩みがなくなった時、前の悩みが頭を持ち上げ悩まなければならない時がある。波が次々と打ち寄せるごとに人間は強くなる。
2007/05/21
商売でも、仕事でも、勉強でも、地位でもまさった者が勝者であり負けた者が敗者である。勝者と敗者の関係は歴史で多く見るところであり、敗者は惨めであり勝者とは天と地ほどの差がある。人生を色々たぐって見ても尽きるところ経済闘争・欲望闘争であり、競争社会における競争は、戦争の側面を持っておりフェアなどといっておられないし、そこに平和や誠意などはありようがなく争いと力の対決の模式を感じやりきれない思いがする。
2007/05/20
人類の長い長い歴史は、闘争と戦争と殺りくの歴史であった。数えきれない多くの死者の血が地球を染めたし、家の床下の土は血の文化財が埋蔵されている所が多いだろうと思う。
2007/05/19
東大生は東大というネーム・バリューの獲得と同時に、多大の分け前(税金)の配分を在学中より間接的に受けることになる。そして、卒業と同時に一流会社・上級官庁へと就職し、生涯を通してかなり多くの分け前の調達を受ける。彼らの取り分が多いため、陰で嘆きコンプレックスを持つ者も多いし相対的に配分が少なくなるため苦しんでいる人もいる。
2007/05/18
歴史とは闘争の記録でもあり勝者は明暗の明にスポットが当てられるが、そのスポットは長くなくやがて落葉となり彼方へ沈む。
2007/05/17
人間は生まれて物心つくころより、競争社会に入れ込まれ競争をアジられ傷ついてきた。そして、「ふるい」にかけられズタズタにされてきた。この傷つきを他に転化しないと耐えられない状況になっている。転化はいろいろな形で行われるが反社会的な行動もその一つであろう。
2007/05/16
静寂で神秘の様相を呈する京都・嵯峨野の竹林の中にたたずむと、時折、風の一団がこの静寂の上をすさまじい勢いで通りすぎる。梢の竹と竹とが叩き合い争う激しい音は、角と角との突つき合う残酷な情景を思い出す。分け前のあさりあいで人間は見えない角と角とを突つき合わせ、より多くの分け前を得るため、より多くの人を排除し上へのし上がろうとしている。その人生のすさまじい競争の入り口が学校であり、そのことが教育の現場で見られる。勝者にとっては教育は有益であるが、敗者(従者)にとっては無常なものである。
2007/05/15
地球や自然(生物を含む)は、地球に現在の状況での人間の生存は認めず人間を最大の敵として人間の消滅を願っている。この願いは地球や自然が自らの力を行使しなくても、人間自身の行動からして人間の自滅によって達成される。これは、人間が地球や自然との対話を無視したその報いである。人間が消滅して最も喜ぶのは自然であるが、人間の中にも喜びを表す人がいるかも知れない。地球は人類が地球の土に同化することは認めそれを歓迎している。
2007/05/14
人間は誕生と共に一緒に不幸や苦しみ悩みが宿り、不幸や苦しみ悩みが始まる。誕生がなければこれらが宿ることはない。生命とは不幸や苦しみ悩みという細胞から成り立っていると言ってもいいかと思う。この細胞が死滅した時、生命は燃え尽きる。従って、細胞が活動している間は、生命は燃え尽きない。
2007/05/13
長い長い人生行路、出発の一点から始まって無数の点が続く。そして、最後の点によって人生は終了する。この一点一点に人生がこめられているが、無数の点は最後の一点に集約される。最後の一点の重みと意義は大きい。その一点は身近かなところで徘徊しているだろうが、未だ見えてこない。 見えてきたとしても、私は自分の人生を今の時点では了解していないし納得のいかないことが多いので終わりたくない。 それを多面体で一つ一つをみると人間の誕生・教育・競争・格差・差別・結婚・家族・就職・病気・老い・死などである。それぞれについても了解していないし、納得していない。従って、そういう状況の下で、人生の卒業証書を渡されても如何なものだろうか。このあいまいさ、ごまかしの中で人生を終了するならば、非常に惨めなことである。従って、最後の点を今踏むことはできない。逆に人生の様々な面について自分なりに了解し、まあまあの段階で納得がいくならば、人生に悔いることはないし、満足な状態であろう。そして、人生行路で心身共に汚れきったこの心身を本当に浄化してくれる古里の山と土に返れるならば、それは成仏の境涯に誘い込まれるものと信じていいだろうか。
2007/05/12
来世に生まれ変わるというのは、不幸や不満な者への慰めの言葉であり、そういう人への希望を持たす言葉で不幸や不満を偽りの希望にすり替える言葉である。「偽りの希望号」のたどり着くところは、諦めかより重い不幸や不満の場所である。最後まで騙されていくのが人生にとってよいのかも知れない。
2007/05/11
宗教を利用したり、宗教に利用されたりしてはいけない。昔からの宗祖はよいが、それにつながる信者・僧侶・宗教団体の中には、その宗教にパラサイトしブローカー的役割を果たしているような印象を受ける。
2007/05/10
宗教は信仰が深くなればなるほど、一般の世間の人との考え方・価値観・行動に距離が出てくるように思う。そして、自分の意思がなくなり風化されて、自己の自主性・主体性を空洞化する作用がある。これが空洞化すれば人間の依存性が高まり空洞化に拍車がかかる。空洞化されたところに自己の師として別のXが居住することになり、それが自分をリードする。いずれの宗教でも深く立ち入りのめり込むと、自分というものを見失い、自分が自分でない状態になるが、よい宗教を信仰することは、一生の糧となり生涯の支えになることも事実である。
2007/05/09
(つづき)その後、中学生になると合掌・読経はいつの間にか立ち消えていった。ある日、お坊さんと会う機会があり、宗教について議論になったが、その中で、私は「宗教は阿片である」(正しくは宗教は民衆の阿片である。)と宗教批判をした。お坊さんにはこのことが分かっていたが、母には分かっていないように思われた。しかし、母はこの言葉がお坊さんには良い印象を与えていないと感じているようだった。 ここで宗教に対して何人かの小説家・政治家・歴史家・思想家などの考え・主張・批判・印象などを列挙する。 トルストイは「人類はいまだかつて宗教なしに生きてこなかったし、また生きていけない。」といっている。チェーホフは「たとえ信仰はもっていなくとも、祈るということはなんとなく気の休まるものである。」グラッドストーンは私からすべてを奪おうとしても、信仰を奪うことはできない。」カーライルは「宗教は不滅の星である。地上の夜が暗黒を加えるにつれ天上においてますますその光輝を増す。」と言っている。 しかし、上で述べた事柄はある宗派・宗門などに投げた言葉であろうが、なかなか含蓄のある言葉である。
2007/05/08
宗教とは一体何ぞやと問われても、答えはなかなかむつかしい。辞書によると「神仏または何らかの超越的絶対者を信仰して人間生活の究極的な意味を明らかにしようとして、なぐさめ・安心・幸福を得ようとすること。また、そのための教え。」とあるが、なるほどとうなずける点はある。 宗教と言っても様々な宗派・宗門があり、これを一つにまとめて論ずるのはむつかしい。私が今にして思えば、幼児の折、宗教と言う認識はそのころなかったが、村の方の法事の場で仏壇に手を合わすように母から言われたのが、宗教行為の第一歩である。以後、葬式があるごとに合掌したり、させられたりした。従って、お坊さんと会う機会も時々あった。 小学生の頃、母から彼岸の日・お盆・法事などの折、読経をするように言われ、忠実にそれを行った。このような行為は村の人から好感を持たれ、良い子のレッテルを貼られた。(つづく)
2007/05/07
世の中に男女という関係がなかったら、この世は単純で穏やかであり、平和であっただろうし平和であろうとふと思うが、それだけ異性関係はむつかしく悩むところが多い。
2007/05/06
大人の女性の年令を知りたい場合は、以前なら顔や髪型・服装・首筋から判断できたが、今はそれらではわからなくなった。中年以上の女性の年令はなくなったということだろう。
2007/05/05
辛いことや苦しいことを誰にも言わず、ずっと一人で生涯それを持ちこたえているのが、年老いた男の生活の一断面である。
2007/05/04
春の花の中にいる女子高校生、本当に輝いている。学生になり社会人になると、笑みは浮かべているが輝きはない。現実社会の排気ガスに覆われるからであろうか。
2007/05/03
学生食堂で女子学生の話しぶりを見ていると、屈託がなく明るくて希望があり清風一陣のごとく話が進み終わってしまう。それに比べて、一般の女性の話は愚痴や中傷や悪口が多く暗くていつまでもジメジメしている。こんな話はなるべく聞きたくないが、この話に真実(現実)がこもっており、学生の話は上すべりである。話し方や話の内容はその人の人生や生活を表している。
2007/05/02
一部の人の人生であるが、幸・不幸が平行した二本の道を、右へ行ったり左へ行ったりして歩んでいる。それは、極楽道・地獄道にもなっている。このどちらの道を歩んでいるのだろうか。中には男性(女性)が女性(男性)に手を貸して歩んでいるのもあり、女性(男性)のために地獄道を歩む男性(女性)もいる。
2007/05/01
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