メキシコ・ベリーズ・グァテマラ・ホンジュラス・エルサルバドル・コスタリカ・パナマ 31
タヒチ・パラオ・バヌアツ・パプアニューギニア・ニューカレドニア 31
全19件 (19件中 1-19件目)
1
チュニジアの首都、政治、経済、産業の中心地であるチュニスそのど真ん中にあるのが、世界遺産の旧市街メディナ官庁の集まるカスバ広場からメディナに入ります官庁ですからこの方向にしか写真は不可大きな建物は文化会館だとか郵便ポストは黄色黄色い扉とぴったりマッチカスバモスクのミナレットかなメディナの中は細い細い路地だらけ…グランドモスク(ジャーミアズィトーナ)のミナレットがいろんなところから見えて目印になってます近づいたグランドモスクのミナレットグランドモスクは「オリーブモスク」とも言われていますチュニジアで最も古いのはカイルアンのグランドモスクですが2番目がこのジャーミアズィトーナで9世紀半ばアグラブ朝時代に建設されたモスクです建造にあたり多くの石材がカルタゴの遺跡から切り出されたんですよね遠い目…ネコ天国のチュニジアですもんココにもしっかりいましたよまだシャッターが下りているところもありますが…シックな灯りがきれいなランプ屋があったりカラフルな絨毯屋さんがあったり色の洪水のような色彩のお皿を売っていた…スークでテンション上がらない女子はいないのではないかと*。ヾ(。>v
November 16, 2018
コメント(0)
チュニス郊外にあるローマ遺跡のブラレジア紀元前4世紀にブラの泉を中心に広がった街が起源でブラレジアと呼ばれるようになったのは紀元前2世紀のこと朝からどんよりとしていた空…とうとう降ってきました 雨 …しかもかなり本気で( ;∀;)ローマ以前はヌミディア王国の首都だったブラレジアヌミディア王国とは…チュニジア北西部からアルジェリアにかけてにあったベルベル系民族の国家でカルタゴの支配下だった国で強大な騎兵隊を持ち第2次ポエニ戦争時ハンニバル軍を勝利に導いたのも彼らの貢献が大きかったとかあら変顔…第2次ポエニ戦争のときにはカルタゴ側についていたヌミディアですが… その後国王マッシニッサが王位をめぐって国を追われもののローマ軍の援軍を得て復活っ!なのでローマの同盟国になりカルタゴの領土を侵略第3次ポエニ戦争のきっかけを作りカルタゴ滅亡に力を貸した国です…2世紀に造らた皇帝セプティミウス・セブェルスの妻の名前がつけられたユリア・メムニアのテルマエ結局その後ヌミディア王国はヌバ王の時代に反カエサル側について滅ぼされてしまいローマの属州となってしまったのですけどね…テルマエには柱が残っていますところどころモザイクも残っていて雨で光るモザイクはキレイ このころにはずぶ濡れ …半分ヤケクソになってきてます属州にはなったものの街は発展を続けハドリアヌス帝の時代に絶頂期を迎えますがビザンチン時代以降は没落 廃墟に… 栄枯盛衰いや~ 雨が似合う遺跡だわ( ´艸`)半月型のシアターには熊のモザイク …クマってアフリカにいたかしら?水たまり半端なく…ズボッてハマってしまい… 靴の中ビチョビチョそんなドシャな雨でも欧米からの観光客は傘もささずお元気な様子 …あっぱれだわローマ都市同様ココも上下水道が完備されていて…お二人用?のトイレ にもモザイク残ってます夏は涼しい地下で冬は暖かい階上で暮らしていた住民狩猟の家、漁業の家などが残っていてというか、恐らくそうだったというお仕事毎にモザイクが動物だったり、魚だったり…なんだけど、あまりにも動物がリアルでついついパチリ… 全部アップするのもどうかと思いましたが選べず どんっ上から覗く地下部分はすでに水瓶の如く一番有名?なアンフィトリテの家にはすばらしいモザイクが残されていますよくバルドーに持ってかれなかったなぁ2世紀のものというアフロディーテとトリトン大きなモザイクでロープで囲われていましたがバルドーに行かず、よくココに残してくださいました…地下にあって屋根が残っているため保存状態が良いのですね他にもビザンチン時代の金貨が見つかった宝物の家もありました上から覗くだけだけど…紫の花 きれいだわいや~ 濡れた濡れたの濡れネズミ状態飲み物どうします~ の問いかけに「赤とロゼっ!」(もちろん?ハーフボトルですが)と即答の女子二人だって寒くなっちゃったんだもん って答えになってないけど(ノ≧ڡ≦)MAGONは赤・白・ロゼと全部いただきましたがどれも飲みやすくてデイリーワインにぴったりランチはサラダとチキンのグリルワインのおかげですっかりほっこり温まりましたチュニス郊外の標高600mにあるドゥッガ遺跡チュニジアに数多いローマ遺跡ですが規模、保存状態とも最も良い遺跡の一つと言われていて1997年にアフリカを代表するローマ・ビザンチン複合遺跡として世界遺産に登録されていますオリジナルは168年にドゥッガの指導者の一族の一人マルクス・クアドルトゥスによって建てられた古代劇場現在のものは修復されています…丘の斜面を利用して造った19段の観覧席最後部は15mの高さがあり遺跡を見渡すポイントですが、はい、午後も雨模様は続いておりまして とほ「牧場」を意味するドゥッガもともとベルベル人が住んでいた土地ですがヌミディア人が住むようになり繁栄していきますが紀元前4世紀にはカルタゴからフェニキア人が入ってきて紀元前3世紀にはカルタゴの支配下に入りました第2次ポエニ戦争終戦後の紀元前202年に再びヌミディア国王マシニッサの支配下に戻りました古代ローマの都市の中心地フォルム(広場)と隣接するキャピトル(神殿)ユピテル(ジュピター)、ユノー(ジュノー)ミネルヴァの3神を祀る神殿はマルクス・アウレリウスとルキウス・ヴェルスの二人の皇帝に捧げられたものです(トップ写真)カルタゴの滅亡後紀元46年にはヌミディア王国もローマに敗れローマ帝国の領土となりました最盛期には少なくとも1万人もの人々が住んでいたとか…それも長くは続かず… 衰退していったのです地上から8mの高さの柱廊玄関を支えているのは6本のコリント式の円柱内部の3つの聖室の中央には当時6mに及ぶ巨大なジュピター像があったそうキャピトル横にある風の広場広場の北端には180~190年に建てられたマーキュリー神殿東には2世紀のアウグスタン・ピエティ神殿南側には市場面しているまさに街の中心地舗石に12種類の風の名前が彫られているのが名前の由来アフリカは風の名前の一つだったのね…オリーブの木々に囲まれた高い塔はチュニジアにあるローマ時代以前の建築物の中でわずかに残ったものの一つリピコ・ピュニック廟紀元前3世紀のヌミディアの指導者を記念したという碑文が残されていたそうです高さ21mの廟がローマ時代以降も残されてきましたが1842年、碑文が大英博物館へ持ち出される際に崩壊現在の姿は後にフランス政府によって再建されたものです向こうの方に見えるのはユノ・カエレスティス神殿紀元222年に女神たちを祀ったとされる神殿で5世紀のビザンチン時代にキリスト教会に変えられましたローマ時代のモザイク…公共トイレ でかっ( ´艸`)カクタスが似合う遺跡です…さてさて遺跡2か所は中々大変な行程でしたが…雨だったのもあるけれどねチュニスに戻ると ふぁあ~街だぁしかもめちゃくちゃエキゾチックな…アラブ風のレストランでディナーだったのだけれど豪邸を改築したレストランはゴージャスな、中…優雅にお食事のはずがアルコールの提供は無しとのこと飲むためのようなメニュでお水はキビシー続きはこちら 10. 世界遺産チュニスの旧市街メディナ ~ザグーアンの水道橋 ~帰国2018年10月:マグレブのチュニジア、地中海からサハラ砂漠への旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
November 15, 2018
コメント(2)
首都チュニスにほど近い丘の上にたたずむ街、シディブサイドチュニジアンブルーと真っ白な壁が映える美しい街並みはチュニジアで一番美しい街と言われるほど鉄鋲(モスマール)で飾られた青い扉もココで見るのが一番きれいに感じるかも模様は家によって違い、魔よけの意味もありますシディ・ブサイドの歴史は紀元前8世紀ごろカルタゴ文明の始まりまで遡りますシディ・ブサイドから程近いカルタゴにてフェニキア人が新しい文明を起こし発展していきましたローマ人がカルタゴに入植した後はシディ・ブサイドにもローマの街が築かれましたその後アラブ勢力がチュニジアの地に侵攻当初シディ・ブサイドは北東部海岸の防衛の地に適しており監視塔と灯台が造られたと言われていますところで、シディ・ブサイドの名前の由来ですが…伝説によると1270年フランス国王(聖ルイ9世王)が十字軍を率いてのチュニス攻撃中に没したのですが実は生きていてイスラム教徒に改宗、ブサイドと名前を変えベルベル人の娘と結婚し余生をこの地で暮らしやがて聖人(シディ)となったことが由来という説ちょっと信じられない(だから伝説?)実際は違うようで1231年に没したスーフィー教の導師聖者アブ・サイドが引退、シディ・ブサイドに移り住みここで埋葬されたのですが、彼の別名がブサイドであったためそのまま彼の名前がこの土地に残ったと言われていますどちらにしても、なぜ青と白の街になったのかは不明…青と白の街はギリシャのサントリーニ島のイア等にもありますがここは少しアラブテイストが入り複雑なニュアンス20世紀以降、景観保護の政令により無秩序な建物の建設が禁止され青と白に統一されることとなったらしいのですがこういった規制はシディ・ブサイドが世界で初だそう大人買いしたいくらい美しい色のお皿達 欲しいけどガマンガマンだらだらと上り坂のハビブ・タムール通り一番高いところにあるのカフェ・デ・ナットチュニジアの昔ながらのカフェで賑わっていましたカフェの右側の道をもう少し進みますブーゲンビリアのピンクやグリーンが南国の街に色を添えます街は決して大きくはないのでそろそろ端っこ丘の上から地中海が見下ろせます海を見ながらゆっくりできそうなカフェ・シディ・シャバーンへあら~混んでるかもと思ったのは勘違いただただ入り口で観光客が普通に写真撮影中(; ・`д・´)アルコールメニュは無しですヾ(。>﹏
November 14, 2018
コメント(2)
地中海に面するビーチリゾートのスースは「サヘルの真珠」と呼ばれる美しい街1988年に世界遺産に登録されている旧市街(メディナ)街の中心にあるファルハット・ハシェド広場にはらくだちゃん鎮座(ノ ´▽`*)ノ ⌒ 紀元前9世紀ごろカルタゴと同様、フェニキア人によって造られたハドルメントゥムが前身の街第三次ポエニ戦争でカルタゴはローマに滅ぼされましたがハドルメントゥムはローマと同盟を結んでいたため破壊されず700年の間比較的平和で大きな被害を免れてきましたあら、色とりどりのラクダちゃんその後も名前は変わり…東ローマ帝国の支配下時にはユスティニアノポリスに7世紀にはアラブ軍によってスーサへその後も12世紀にはノルマン人、スペインと支配が変わり18世紀にヴェネツィア共和国とフランスに征服されたときにフランス風にスースと改名もっとも街は解体されることなくアラブ風の典型的な海岸の城砦都市として残っていますラクダ色のらくださん…の先に見えるのはグランドモスクのミナレット 低っ!メディナに入っていくとフェニキア人が街を造った紀元前9世紀ごろへ何千年の時を超えてタイムスリップしそう…高さ約8mの城壁(カスバ)に囲まれた街で目立つのは8世紀に建てられたメディナで最も古い建物高さ38mの見張り台であるリバトの塔アグラブ朝の時代に想いを馳せつつ中に入ると2階部分には銃眼がいくつもあり海からの侵攻に備える要塞だったんだなぁと後にイスラム教修道院として使用されていたため礼拝と防衛のふたつの機能を持っていたのですね一番高い塔に螺旋階段で上るとスース市街を一望できますっ! …足に来るけど( ;∀;)カスバに囲まれた旧市街と新市街の色が違いますねさらに向こうにはビルも建ってるっ _○/|_ その先には遠くに別のカスバも見えています(トップ写真)リバト横にはチュニジアで唯一ミナレットを持たないモスクグランドモスクとスース港 …逆光だ(;^_^Aリバトの塔からアザーンを流せるから良いかっこと?一応低い塔はあるんですが、ミナレットではないそうです迷路のようなメディナの路地さまざまなお店が雑多に並んでいますスパイスが売られているかと思えば…結婚式用のばらまきスイーツ屋さんから、ひょっこりはん?の隣は、お洋服屋さんだし… 忙し一服の清涼感を感じる蒼い扉にホッとし…甘い匂いを振りまくデーツ屋さんにまたまた逃げ出し …苦手( ´艸`)蒼い窓のアールをかくアイアン格子も素敵ここは完全にマルシェ、生鮮食料品市場入った途端、あ、魚市場!的なニホイサボテンの実カクタスは梨のようなイチジクのようなブドウのような味ですが種が存在感があってちょっと食べ難いですザクロも売ってますさらに進むとお魚売り場、臭いの根源はココね海老・イカ・タコも売っている …おいしそあ、たこさん逃げてる??・・・ととと、ネコちゃん乱入虎視眈々と狙っていたりして意外に逃げ足早く逃げ惑うエスカルゴをしゃしゃっと戻す売り子さん忙しそう…全然逃げないカメ?は食用??ファルハット・ハシェド広場に戻りスーラショッピングセンターでトイレを借りようと…あらぁ もじもじさん可愛いぃ(0゜・∀・)ホテルに向かいます!宿泊したホテルはビーチリゾートついさっきまで砂漠にいたことを忘る海の景色そう言えば2015年6月に海岸沿いのホテルでISISによる銃乱射事件が発生したんですよね大型ホテルで観光客もいっぱいスースでは観光客が減らなかったんですね活気があって賑やか…ビュッフェでしたが種類が豊富でチョイスが大変折角だからゆっくりしてワインもいっとくぜぃ前菜の種類だけでも十分なくらいいわしのマリネやチーズ、ムースが美味!エビちゃんもその場で焼いてくれて大満足部屋もココが一番きれいだったなぁ~久しぶりにゆっくりとホテルライフ満喫プール越しに昇ってくる朝日思わず拝んじゃう… (*´-`*)ゞ 朝食もすばらしい品揃え特に飲むというより食べる感覚のメロンのフレッシュジュース お代わり!まだ誰もいないだろうと思ったビーチに出てみると…すでにタオルで場所取りしているビーチチェアに太陽大好き西欧人がワラワラ~と 早っインディアン・ブランケットと日日草がきれいIberostar Diar El AndalousPort El Kantaoui 4089, Tunisia続きはこちら 8. チュニジアンブルーと真っ白な壁のシディ・ブサイド ~世界遺産のカルタゴ遺跡2018年10月:マグレブのチュニジア、地中海からサハラ砂漠への旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
November 13, 2018
コメント(0)
クサールギレンを後に今度は北上砂漠を抜けると荒地が広がっています道路は比較的整備されていてスイスイ~ポツポツと家が建っている村が見えてきましたトズールからずっとお世話になった4WDのドライバーさんにもココでお別れダンディなおじ様&笑顔爽やかな青年達さんきゅ。(*˘︶˘*).:*♡甘くて香りの良いアーモンドミントティで一息古くから先住民のベルベル人が住んでいたマトマタ12~13世紀に侵攻してきたアラブ人から身を守るため地面に巨大な穴を掘り、居住用の穴を掘って生活する洞窟住宅が建てられたと言われています地下の住居は乾燥地帯の急激な気候変化や強い日差しを避けるのに都合がよく冬も温度が下がらず保温性に優れていたんだそうです一見ココに家があるなんて思えないです…側面の上まで登ってみてもただただ荒野が見えるだけ…でもね、大きな穴を覗くと OMG~穴は深さ7~8mもあり中庭になっている模様この辺りは石灰岩で掘りやすかったとは言え… すごっではでは下に降りて入り口へ魔よけのお魚がかわゆしサボテンが似合うこと似合うこと…中庭に入ったところに …住人もっともココは住んでいるというより博物館って感じですが、絵になる風景ナツメヤシの幹は強くて柱として利用されています側面にいくつもの穴が掘られていてそれぞれの穴は個室として利用されています横穴でそれぞれの穴が連結されているところもあるそう迷路みたいこの穴はベッドルームお魚もファティマの手も魔よけ実際のファティマの手は手の平の真ん中に目がついたデザインですが…なぜファティマなのかなぁ~ とググってみたらイスラム教の開祖ムハンマドの娘の一人の名前がファティマだったからだとか… 答えになってるのかどうかココはリビングルームかな民族衣装の貸し出しもしていました よこんな趣のある洞窟の家々ですが1969年に大洪水が起きマトマタは水没チュニジア政府は15km北に新しく街を建設しほとんどの住民は移住、生活拠点を地上に移しています以後新しい街を新マトマタ、以前からある古い街は旧マトマタと称されていますランチにやってきたのはそんな洞窟住居を利用したホテルのレストランちょこっと覗いてみたお部屋は…かなり殺風景ですね~(´^`;)このホテルはスター・ウォーズのロケ地の一つ第1作目に登場する惑星タトゥイーンのルーク・スカイウォーカーの家のロケ地なった場所ま、それで有名なのだけどスター・ウォーズファンの聖地 らしいルークの故郷、ラース家の地下部映画ではショット・エル・ジェリドにある地上玄関口部と一緒に合成されているそうですゲームソフト、コール オブ デューティ2でも北アフリカ戦線のシナリオの中で登場する らしい現在スター・ウォーズ・バーという名前になっているホテルのバーには1976年のロケ風景の写真が貼ってありましたようやくレストランへ…ランチメニュはチュニジア料理のブリック東京でも食べたことあるけれど揚げ餃子のようなもの… で中にたまごが入っていて、半熟とろ~り のはずだったのに、カチンコチンの完熟ただの揚げたまごになってたヾ(。>﹏
November 12, 2018
コメント(0)
トズールからは4WDに分乗してサハラ砂漠を目指します砂漠と言えども道路は整備されていて舗装された道路を一直線┏( ^o^)┛見えてきたのは …湖?!?!?!サハラ砂漠北部最大にして面積は約7,000平方kmのジェリド塩湖・・・の広さって東西に最大200km、南北は最大80km!塩湖という名はついていますが水で満たされることはほとんどないとのこと塩類の集積した白い平原がどこまでも続いています海に流れ出る流路も、注ぎ込む恒久的な河川も無くいくつかのワジ(雨季の一時的な豪雨のときのみに水が流れる季節河川=涸れ川)によって雨季に水が流れ込むだけだそうです概ね整備されている砂漠の道路でしたがやはりかなりの個所で工事中の場所もあり砂漠の街クサールギレンに到着したときにはすでに夕陽鑑賞には急がねばっ!な時刻早速らくだ君 お世話になりますっ!ひゃっほ~ 気持っちいい~~って言いたいけれど、なかなかどっこいケッコ大変ラクダ君が立ち上がるときに最初ガッて前に倒れ込むからぐへっ ってなるし捕まるところがかなり前の方にあるので片手で捕まりながらカメラ操作が難しいのよ…しかも後ろのラクダ君がちょっかい出してくるし(@_@;)砂漠と言えばサラサラの砂丘… って勝手なイメージ持ってましたが色々な砂漠に行ってみて意外にさらさら砂丘は少ないのかと…ゴツゴツ岩石が飛び出していたりブッシュがぼこぼこあったりなんだよねでもここはさらさら砂丘!チュニジアのサハラ砂漠は白砂が多いそうですがモロッコと同じ赤い砂漠満喫できますちなみにサハラってアラビア語で「砂漠」ですので、サハラ砂漠って「砂漠砂漠」なんですよね~いったん止まって夕陽鑑賞タイムラクダ君達もお座り砂漠の民ベルベル人のガイドさん達がうつ伏せになるのは雨の後の砂漠は冷たくて気持ち良いんですってなんとなんと砂漠ですが昨夜大雨だったそう…水しぶきのような砂しぶきがキレイ大分暮れてきました夕陽でさらに赤く見える砂の織りなす風紋地平線には雲がかかっています これじゃストンと落ちる夕陽見れないわね…でもなかなかきれいに沈む夕陽を拝めました砂防止のカバーをかけていたのでちょっと変な光が…すっかり暗くなってからホテルにチェックインクサールギレンの砂漠の中にあるオアシスベルベル人のテント風ホテルキャンプって感じです …写真は翌朝撮ったもの60ものおしゃれな常設テントが並んでいますテントはロープで結んでいくだけの簡易な感じもちろん鍵もなし… 安全なのね、きっとで、テント内にはベッドがど~んと入っていて小さなテーブルとベンチもあり…エアコン(使えないらしいけど)コンセントもあり充電可能ですベッドの後ろ側には扉があってシャワー、トイレと洗面所も完備 ですが、しかし…かなり長い間使われていなかったのでしょうテントはカビカビ、染みも多数埃もすごいし、お湯はでるけど排水はボロボロ…今後観光客が戻ってきたらリノベできるかなチュニジアの観光業がかなりの痛手を負っている現状を垣間見た気がしましたバー、レストランやプールまで併設されていて…雑誌やガイドブックにもよく紹介されている元?豪華ホテルまた賑わいが戻るといいな…そこそこ大きなレストラン棟ですがこのときもほぼお客さんはいなかったみたいこんなにちっちゃな缶ビールがあったわチュニジアは物価がお安くてビールもお安かったけれどココではこれで200円くらいしちゃった( ̄◇ ̄;)ホテルの中にミナレット?じゃなくて見晴らし塔です中は階段で5階くらい上るのが大変ですが夜の星空 きれいでした~そして朝も上りましたっ!直ぐ先には砂漠 砂漠には朝霧がかかっていましたなんと、昨夜も雨が降ったそうです朝焼けがきれいになってきましたけど、朝日が上ってくるのはコッチ反対側でした(*/▽\*) …見えなかったけどうんっ!今日も良い天気だっ!!サハラローズがおしゃれに飾られているロビーの横には「ブティック」の看板が傾いていましたココにお土産屋さんがあれば繁盛しそうなものですがやはり、宿泊する人が少ないんでしょうね… とほっYadis Ksar Guialaine CampKsar Ghilane, Kebili 2020, Tunisia折角だからと少しホテルから外にでてみると湯気の立つ温泉がありました …天然温泉っ!なんでも1953年に石油の試掘中に地下700mから自由地下水が見つかりそのおかげで灌漑と植林が進められたクサールギレンこの温泉がオアシスの源泉であり中心広場的役目だそう水が透明できれいでした 足をつけてみたらぬるめだけれど気持ち良いっ!!続きはこちら 6. ベルベル人の洞窟住居の残るマトマタ ~世界遺産円形闘技場のあるエル・ジェム2018年10月:マグレブのチュニジア、地中海からサハラ砂漠への旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
November 11, 2018
コメント(0)
アルジェリアとの国境に近くサハラ砂漠の北の端に位置するオアシスの街トズールは古くからサハラ交易の要所として栄えたところココが?とも思っちゃうような場所ですが1913年にチュニジア鉄道がこんな僻地のような場所m(_ _)mまで首都チュニスから開通していますメディナであるウルド・エル・ハデフは細い路地に砂と粘土を混ぜ合わせて造った日干しレンガが幾何学模様のように組まれた家々が並んでいるミステリアスな魅力に包まれた砂漠の街10世紀ごろに伝えられた幾何学模様の建築様式で14世紀ごろに建造されたが街並みですがほとんどは修復されたものだそうです何の門だろか…無防備なガソリンスタンドがありますね~炎天下に置いておいて良いの???ココの中は市場になっていて動物が解体されていたり…ちょっと怖い砂漠なのにお魚も売ってました太鼓橋?と… なんだろこのお皿が積み重なったみたいなのモスクのミナレット(トップ写真)も日干しレンガで装飾されています砂色には茶色の扉がぴったりねナツメヤシで編まれたカゴバックや民族衣装のジェッパ、ヤギ革製品が売られているお店がいっぱい!! なのになのにあまり時間がなかったのでお土産探しができなかったのが残念無念フランス文化が根付いているチュニジアなのでパン屋さんも立派( ^∀^)最高品質のデーツ(ナツメヤシ)が採れるトズールとっても柔らかくてびっくり(⦿_⦿) …食べてないけどっていうか、デーツ苦手(。>д
November 10, 2018
コメント(0)
カイルアンからひたすら南下…チュニジアに残る一番”新しい”ローマ遺跡大廃墟都市のスベイトラこの表記もスフェチュラ、スフェトゥラ等もありますがブログではスベイトラと表記させていただきます元々ベルベル人が築いた都市で2世紀から4世紀にはローマ人、5世紀にはバンダル人その後ビザンチン帝国(東ローマ帝国)に支配されたスベイトラはこんなところに遺跡があるのかというくらいの …荒野そこに突然現れる凱旋門は4世紀に建てられたかつてのメインゲートさすがにこのタイルは …現代のもの?よね??お巡りさん、かっけーって思ってみていたらバイクというかパトカー?から下りてつかつかと近づいてくる??なんかやらかした??ちょっとビビってたら「日本人?」と聞かれウンウンって答えたらいきなり破顔 「日本人の友達いるんだ~」って写真見せてくれて… なんだかめっさ親日家海外でこういう人と出会うと無条件でちょっとうれしーさてさて、本題…7世紀の半ばビザンチン帝国のチュニジアでの最高責任者グレゴアールはビザンチン帝国の首都コンスタンチノーブル(現在のイスタンブール)からの独立を宣言し自らを皇帝となってカルタゴから遷都すべくスベイトラに首都を築いた直後…イスラム教の布教を目的としていたアラブ軍に侵攻されグレゴアールは処刑され、ビザンチン軍追い出されビザンチン時代はこの地で終焉、アラブ時代が始まったワケ最盛期には1万人以上が住んでいたというくらいなのでスベイトラは広大な遺跡で50ヘクタールもあるとか…荒野のなかにボコボコ様々な遺跡がある中をテクテク歩いていくと…見えてきた三神殿とアントニウス・ピウスの門アントニウス・ピウスの門は139年皇帝アントニウス・ピウスとその二人の息子に捧げる目的で造られた門アントニウス・ピウスの門から見えるのは三神殿の真ん中に建つジュピター神殿門をくぐると…2列の円柱が建ち並ぶ石畳のフォルム(広場)の向こうにジュピター(ゼウス)神殿を中央に妻ジュノー(ヘラ)と娘ミネルヴァ(アテネ)が並んでいます三神殿が建てられたのは2世紀神殿が連なって建てられているのは珍しいそうですジュピター神殿には神殿に登る階段がなく左右のジュノー神殿、ミネルヴァ神殿から架かる橋を通って行くような構造だそうですビザンチン時代にはフォルムの要塞で囲われていたそうで神殿のはその一部(一辺)として使われた名残が後ろ姿に…ベエラトール聖堂にあるジュクンダス礼拝堂にはは洗礼水盤が残されています …美しいフォルムとモザイクもちろん?ここにもテルマエ(共同浴場)が完備モザイクが残ってます… そのうちバルドーに持ってかれちゃうのかしら( ̄◇ ̄;)砂色の遺跡にピンクノウゼンカズラ …癒されますオリーブオイルを絞る石臼?があったり共同浴場のテルマエが一般的だった時代に個人宅にお風呂があったってのは大富豪かしら?当時の生活の様子が偲ばれますこの他にも3世紀に建てられたという半円型の劇場もありましたが修復され過ぎというか…遺跡に見えなかった ので写真撮ってなかったみたい(; ・`д・´)ブーゲンビリアに見送られ、遺跡にさようなら~ピンクのお花が多い気が…ハイビスカスもピンク遺跡の見渡せる …裏だけどホテルでランチです少し汗ばむ温度だったのでビールが んまっ!からの… タジンとビーフの煮込み知っているタジンとは違うものでしたタジン鍋でつくるお料理はモロッコのものだそうでチュニジアではフリッタータのようなキッシュのような… 卵焼きでしたホテルのプールのモザイク画かわいい(´^ω^`)砂色の世界にあってリゾート気分恥ずかしがり屋のハイビスカス…続きはこちら 4. オアシスにある砂漠の街トズール ~スター・ウォーズのロケ地オング・エル・ジュメル2018年10月:マグレブのチュニジア、地中海からサハラ砂漠への旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
November 9, 2018
コメント(0)
7世紀にマグレブ征服(アラブ化)の目的でウマイヤ朝より派遣された総督ウクバ・イブン・ナーフィによって建設された北アフリカにおけるイスラム教の発祥地カイルワンの名前は「キャンプ」、「キャラバン」が由来ケルアン、ケロアン、カイロアン…等表記は様々なので今回は「地球の○○方」の受け売りでカイルアンにしますアラビア語の発音はカタカナにしにくいですよねカイルアンはイスラム教スンニ派教徒にとってマッカ、メディナ、エルサレムに次ぐ第4の聖都でありマグレブ地方での第1の聖都と考えられていますそれまではビザンチン支配下にあったカイルアンその後アグラブ朝(9世紀)、ファティマ朝(10世紀)ジール朝(11世紀)と歴代のアラブ王朝の首都として栄華を極めていきました城壁の外にあるアグラブ朝の貯水池は現在でも市民の水瓶になっています現在残っている貯水池は大小4つですが当時は14もあったそう…このサボテンはカクタス 実は食べられますイスラム教の開祖ムハンマドの同士だった聖者アブ・ザマ・エル・ベラウィが眠っているシディ・サハブ霊廟シディ・サハブとは「聖なる友人」の意味だそうムハンマドの専属理容師だったベラウィは常にムハンマドの顎鬚を持っていたと言われその顎髭と一緒に埋葬されているという伝説もあるそうマグレブで最も美しいと言われる霊廟…色鮮やかなタイルココも漆喰の透かし彫りが施され… 溜息中庭に出てきました…その向こう側にあるのが霊廟ですそれにしてもここまでタイルが美しい霊廟がチュニジアにあるとは…失礼なことを申し上げました(;^_^A高さ約8m、厚さ2mもあるカイルアンのメディナの城壁街の規模としては南北1.7km、東西1.3kmなのでこじんまりとしていますが… 歩きやすいともブルーがアクセントになっていて美しい670年ウクバ・イブン・ナーフィによって建立されたアフリカ最古のグランドモスク(シディ・ウクバ・モスク)現在の建物は9世紀のアグラブ朝期に再建されたものです中庭には大理石が敷き詰められています四方は土色のレンガで要塞のような建物で中庭を取り囲むのは列柱の回廊 見事なまでに並ぶ柱ですが…よくよく見ると何だか違和感というもの、この列柱…ローマ・ビザンチン遺跡から流用した柱だそうですどうりでみんな違うレリーフな訳礼拝堂の反対側には高さ31.5mのミナレットが聳え立っています礼拝堂には入ることはできませんが開放的な南国のせいかとってもオープン奥にはメッカの方向を示すミラフープが見えますカイルアンで宿泊したのは城壁を利用したホテルええ?どこまでホテル?くらいエントランスから左右延びる城壁日が暮れるころに入ったホテルはロビーからこの景色が望めます …リゾートだわロビーも雰囲気あります部屋は広くはないけれどインテリアがステキなの、なんたってタイル貼りバスルームもタイル貼り今回泊まった中でもチュニジアらしいっ!って思えたホテルでしたディナーはホテルのレストランにてチュニジアビールはなんてったってのセルティアいっぱいお世話になりましたお食事はビュッフェ…内陸部ですがお魚も料理も多かったかなそして朝ごはんも同じレストランフレッシュジュースがめちゃうまでしたえ?その他は… ま、何と言うか普通ですこんな景色の中食べれば…クオリティなんて忘れちゃうわよねLa KasbahAvenue Ibn El Jazzar, Cite la mosquee, Kairouan続きはこちら 3. ビザンチン時代の終焉の地スベイトラ遺跡2018年10月:マグレブのチュニジア、地中海からサハラ砂漠への旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
November 8, 2018
コメント(2)
2018年10月の旅は北アフリカのマグレブ(アラビア語で「日が没するところ」=西の方の意味)に位置するチュニジア最も早く「アフリカ」と呼ばれアフリカ大陸の名前の由来になった地域です北海道2つ分くらいの面積の国ながら南北に長く北は地中海、南はサハラ砂漠に面しているので地理的にも歴史的にも見どころの多い国 今回はカタール航空でドーハ経由ドーハまで12時間弱のフライト中機内食はホットミールが2度ビーフは硬かったけれど味付けはなかなかのもの朝食は鮭のおかゆ …これもおいしくいただきました最近カタールの機内食美味しく感じられるのは …慣れか?ドーハの空港で黄色いジャイアントテディベアにお出迎えされイスラム模様の美しいラウンジで朝から 乾杯っ!!←何度目??またそこから6時間半のフライトで首都チュニスへこの日2度目の朝食はチョイスがなくベジタリアンお豆とポテトのカレーが辛くておいひ~ココナッツライスはなくても良いけどさ(∵・ω・)あとスナックで出てきたチキンのトマト煮が入ったパイがワインにあうあう~ こっちの便の食事の方が好みだったかもヾ(・ε・。)そんなこんなで、お昼過ぎにチュニスに到着そのままバルドー博物館に行っちゃいますっさすがにモザイクで有名な博物館こんなところもモザイクヾ(⌒▽⌒)ゞ吹き抜けのロビーには巨大なモザイク壁画博物館は13世紀のハフス朝の宮殿として建てられ19世紀にはベグの宮殿として使われた建物 重厚です踏んじゃって良いんだよね、このすんばらしいモザイクいやいや… 勇気いるわよ ココ踏むの…って最初は思ったけれども いつの間にか慣れちゃった(´^ω^`)もちろんフロアだけじゃなく…古代ローマのモザイク、古代ギリシア, チュニジアイスラム時代の遺物が所狭しと展示されていますココはタイルの空間こんなに素晴らしく美しい博物館ですが…2015年3月18日に日本人を含む観光客が銃撃される事件があったところそのこともあり長らく渡航制限されていたんですよねこの場所が長閑で平和でありますように2階に上がると漆喰細工が美しい部屋お花モチーフのタイル貼りの壁面もすごいけれど…こんな絵画のようなタイルもあり 溜息だわ圧巻なのは、この天井っっっっっっっっっっっパステルカラーの花模様の漆喰なんてあり??イスラムの幾何学模様も豪華絢爛躍動感のあるお魚さん達 …踏んじゃってごめんこちらはお尻がセクシーなバッカス神こんなに大きくてほぼ全景が残っているモザイク~の上を見たらば、これまたすごい天井もある~本当に国中から集めてきた逸品揃い…神話や動物モチーフ海の生物モチーフ植物モチーフも多いですねなかでも一番印象に残ったのがポセイドンお茶目だったり…ちょっと渋目だったり…めっさイケメンだったり୧꒰*´꒳`*꒱૭✧どこに目を遣ってもモザイクだらけ…さすがにモザイク疲れしてきました ぜ柱?が特徴的なサロンのような部屋少しモダンなモチーフです ねこちらはまた豪華なお部屋が…真っ白な漆喰の天井淡い色を施した漆喰も…ヴェルキリウスの肖像この辺りの目は… エチオピアを思い出すのだけれど…キリスト教の洗礼水盤さてさて そろそろ おしまい…この先チュニジア中で見かけた扉もココが初見ですこの後チュニスから165km南下内陸部に位置する北アフリカにおけるイスラム教の発祥地カイルアンを目指します途中、ドア開きっぱなしの列車を追い抜き…危ねくねですかぁ?続きはこちら 2. 世界遺産の聖都カイルアン ~アグラブ朝の貯水池 ~シディ・サハブ霊廟 ~グランドモスク2018年10月:マグレブのチュニジア、地中海からサハラ砂漠への旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
November 7, 2018
コメント(0)
まさかの雨土砂降りの中遺跡巡りローマ時代に想いを馳せて…バルドー博物館に収蔵されていてもおかしくないすばらしいモザイクが雨でキラキラInstagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
October 18, 2018
コメント(0)
白と青の街シディブサイド青と白と言えばギリシャのサントリー二⁉️ここは青と白だけれどやはりそれとは全然違ってアラブのカホリでもアフリカにいることを忘れる風景Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
October 17, 2018
コメント(0)
チュニジアにこんなに大きなローマ遺跡円形闘技場はローマのコロッセオにも負けず劣らず圧巻グラディエーター見直すかな…Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
October 16, 2018
コメント(2)
らくだに乗って…沈む太陽…Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
October 15, 2018
コメント(0)
チュニジア中部にあるビザンチン時代の終焉の地スフェチュラモザイクが残る壮大なローマ遺跡暑すぎず快適な、遺跡巡り(^○^)Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
October 14, 2018
コメント(0)
マグレブ最古の大きなモスクがあるカイラワン荘厳なモスクもすばらしいけれどシディ・サハブ霊廟のタイルが圧巻〜Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
October 13, 2018
コメント(0)
久しぶりのアフリカ地中海に面するチュニジアの首都チュニスモザイクで有名なバルドー美術館で海の神ポセイドン様に魅せられて(╹◡╹)海つながりでお魚さんもアップ(^∇^)あまりに素晴らしくたっぷり堪能全貌?は旅行記で…Instagram 始めました(^^♪☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますこちらもよろしくねメッセージはこちらからお願いします
October 12, 2018
コメント(2)
Casablanca posted by (C)nana雨が降ったりやんだりのなかアフリカ大陸に着岸首都はラバトだけれどもモロッコと言えばカサブランカってくらい知名度の高いモロッコ王国最大の商都カサブランカに寄港ポルトガル人によって名づけられた「白い家」の意味のカサブランカ1755年に起こったリスボン大地震後にポルトガル人はカサブランカを去り第二次世界大戦後の1956年に独立するまでフランス領だったところモロッコ最大(世界で7番目!)のハッサン2世モスクへCasablanca posted by (C)nanaモロッコのミナレットは今まで見た中では少しイメージが違う高さ200mにもなるミナレットは世界一だとかどこからでも目に付くけれど美しいモザイクが施されているので近くからも見て欲しいCasablanca posted by (C)nana前国王ハッサン2世が1986年から8年かけて伝統的な建築工法を用い建設モロッコ全土から職人を集め、すべて手作りで緻密な装飾が施されていますCasablanca posted by (C)nana内に3万人、外の敷地に8万人が一度に礼拝できるという巨大モスク奥行き感が伝わると良いのですが…Casablanca posted by (C)nana2階建て構造の天井は高く開放的建物自体は地下もあり、地下にハマム(使われたことはないらしい)とお浄め場?の水場もあってそこはこのフロアから覗けました…もっとも覗くためじゃなくて、通気口になっているみたいCasablanca posted by (C)nana海側には窓もありこちらも通気口の意味合いだとか …暑いもんね大理石の床とアトラス杉の天井Casablanca posted by (C)nanaCasablanca posted by (C)nanaそのすべてが税金と寄付金で建てられってのもすごい話ですCasablanca posted by (C)nanaその建築費を稼ぐため?なのか入場料は結構お高め …それでもこれだけ人が来るのだから採算がとれてる ってことでしょうかやっぱ、この天井すごいわCasablanca posted by (C)nana圧倒されて外にでてくるとそこは海辺… 砂浜じゃないのねCasablanca posted by (C)nanaモロッコの国旗がたくさんCasablanca posted by (C)nana旧市街のメディナへ向かいます劇場、市庁舎、裁判所、フランス領事館等があるカサブランカの中心ムハンマド5世広場噴水もあり、きっと憩いの場なんでしょうけど… 見ての通りの 絶賛工事 ふぅCasablanca posted by (C)nanaプラス 鳩だらけだからバスから下車するのは無理だしモロッコ名物? 真っ赤な民族衣装を着た「水売りおじさん」と地元のカラフルな人達を眺めることにいたしますCasablanca posted by (C)nanaCasablanca posted by (C)nana観光客向けではない地元の人向けのスークCasablanca posted by (C)nana雑多な印象… の中にパン屋さん、サボテン屋さん、八百屋さんハーブ屋さん、香辛料屋さん、果物屋さん…Casablanca posted by (C)nanaCasablanca posted by (C)nanaCasablanca posted by (C)nanaCasablanca posted by (C)nanaCasablanca posted by (C)nanaCasablanca posted by (C)nanaこの他写真を撮るのがちょっとおとろしかった魚屋さん、肉屋さん服屋さんもひしめき合っていましたもちろんタジン鍋のお店とか …食堂もたくさんCasablanca posted by (C)nanaカサブランカビールで始まるランチイスラム教の国だけれど地ビールがあるっていいわ一本7ユーロとお高いのがイタタタだけどいただきましたCasablanca posted by (C)nanaひよこ豆のハムスが前菜だったのだけれどそれはイマイチだったので、夜にいただいたハムスの画像…どんだけハムスを食べてんだかね …豆好きですCasablanca posted by (C)nanaモロッコでいただきたかったタジン鍋このとんがり帽子をとるとCasablanca posted by (C)nanaホコホコと湯気を上げる白身のお魚レモンの酸味がアクセントになってさっぱりしたお鍋全く癖がなく異国感もなく… ちょっぴり肩透かしを食らった感じツーリストメニュなのかしらCasablanca posted by (C)nana出航前にモスクを見ると ビ~~ムッ メッカの方向を指しているのでしょうか?Casablanca posted by (C)nana続きはこちら 5. スペイン領カナリア諸島、テネリフェ島に寄港 ~世界遺産テイデ山2016年2月:地中海~大西洋の楽園・カナリア諸島・マディラ諸島クルーズの旅トップに戻る国内旅行記トップへ海外旅行記トップへ☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますお初モロッコ上陸♪メッセージはこちらからお願いします
April 25, 2016
コメント(0)
タジン鍋おいち☆★ブログランキングに参加しています★☆一日一回ポチッと応援クリックよろしくお願いしますにほんブログ村人気ブログランキングへメッセージはこちらからお願いします
February 12, 2016
コメント(2)
全19件 (19件中 1-19件目)
1