おぢさんの覚え書き

おぢさんの覚え書き

2016.01.11
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カテゴリ: 読書

石田川式土器 (太田市によるとても見やすい石田川式土器の解説文書)の出現を根拠に「弥生から古墳時代への移行期に東海からの入植があり、その入植民が古墳時代の文化を担った」という説が定説化している。私も異論があることは知りつつもその定説に疑問を感じずに東海からの移民があったということを前提に群馬の古代は考えていた。先日参加した 深沢敦仁氏の講座 でも東海からの移民があったという話になっていた。

本書はこの定説に対して真っ向から異を唱える内容になっている。

著者の友廣哲也氏は群馬県埋蔵文化財調査事業団の調査員を長年勤め現在同事業団専門調査役。


目次
序論1
第1章 古墳社会への胎動
第2章 古墳時代へ向かう社会
第3章 古墳時代へ進む立地転換
第4章 弥生土器から土師器へ
第5章 石田川式土器
第6章 古墳時代を迎えた土器様相
第7章 土器の検討
第8章 群馬県の墓制
第9章 絶え間なく交流する社会

弥生・古墳移行期の遺跡(群)からかつて存在していたと想定される地域社会の土器の構成を検討し、さらに集落内の住居跡の土器の構成を検討したうえで「東海からの入植地とされた井野川流域の遺跡でも、 S字状口縁台付甕 を主体とする東海様式の土器群でないことがわかる。」(p.188)と述べている。

土器の図が多数掲載され、具体的に各遺跡・住居の土器の構成に検討を加えている。いわゆる石田川式土器は在地の人びとの選択の結果であり、古墳文化を担ったのも彼らであるという主張は説得力がある。

ただし、おぢさんは入植が無かったと納得したわけでもない。

まず、遺跡全体が東海系一色になる例がないとしても、やはりこの時期の群馬の遺跡報告を見る限りS字甕が不自然に多いと感じる。なぜ群馬ではS字甕がこれほど流行したのか?
また、本書での甕の分類タイプのひとつ「土師器平底甕」が在地弥生時代からの伝統とされているが、例示されている図をみると近畿の影響が強いようにも見える。





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Last updated  2016.01.17 19:29:02
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たそたそ@ Re:土器-編年(02/14) こんばんは。 ブログのチェックされてない…
おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ (続き)昔ある人がお…
おぢさん@ Re[3]:無(03/15) なんだかねさんへ お久しぶりです。永ら…
おぢさん@ Re[1]:土器-編年(02/14) 上毛野形名さんへ 長いこと返信もせず失…
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