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これまでの時代、人間の得意不得意は削られ、埋められてきた時代だったと言えます。それは、これまでの社会が人の個性や性質を、そこまで必要とされていなかった時代だからでした。社会は「表層的な均質」を求めていたのです。
しかし、人間はそもそも得意なこと、不得意なことがあるのが普通です。凸凹していることが当たり前だと言えます。
それを、凸は削られ、凹は埋められることを長く続けていれば、心身に支障をきたす人も出てくるのも当然と言えるでしょう。
時代が変化していく中では、考え方も変えていかなければなりません。では、多様化していく時代に、考え方をどう変えていけばいいのでしょうか。
時代が多様化している、という例えでわかりやすかったのは、結婚式の引き出物です。
以前の結婚式の引き出物は、記念の品としての意味合いもあり、全員に同じ品を贈っていました。そして、大荷物を持ち帰るほど縁起が良いとされていました。ですから、豪華な食器を持ちきれないほど(?)招待客へ贈られていました。
しかし現在ではほとんどがカタログギフトです。カタログギフトであれば、品物を選べるし、その人の好みで贈れるということです。
このような結婚式の引き出物を見てみても、「選択」ということがよりパーソナルになってきたと言えます。時代も「人それぞれの選択」がより一層大事になってくるのです。
時代によって人々の価値観や考え方が変化していくと、「今までの正しさ」を持っているがゆえに、苦しさを味わうことになります。
これまでの社会では、「みんな均質」「凸凹をなくし真四角になる」などの考え方が大切でした。ですから、会社の人事の役割は、みんな均質でいるかを「見張る役割」でした。これが誤った正義を作り出していたとも言えます。
しかし、時代が変われば人事のあり方も変わらなければなりません。では、どう変わるのか。
これからは、人の凸凹(得意不得意)を良く理解できて、その配置がうまくできる人が、人事に必要になるでしょう。しかし、もともとは人事とはそういう役割です。見張り役ではないのです。そしてその変化は、個性を出していかないと生き残れない時代になるとも言えます。
では、その中で教育はどう変わっていくのでしょうか? ある仮説では、教育は次のように変わっていくと言われています。
国民教育(服従心と団結力)
↓
市民教育(個性と競争)
↓
フラタニティ教育(美=友愛民、分配と共生)
国民教育とは、現在の日本の教育です。市民教育は、競争に打ち勝てるような個性を伸ばす教育です。フラタニティ教育とは、周りと繋がり、繋がる中で自分を目立たせて、周りに評価させて、評価経済の中に自分をおとしこめるのか、を学ぶ新しい教育の形です。
教育も個性を重視したものに、より変わっていくことになるのです。その中で人との繋がりを学んでいくことが、大事になってくるのだと思います。
それでは読んでいただき、ありがとうございます。
【参考文献】
・岡田斗司夫さんのいう「フラタニティ教育」をそろそろはじめませんか プラトンの洞窟の比喩のたとえからChatGPT… 2023/02/21
変化が大きい時代には何が必要なのか? 2… 2023/01/27
これからの時代、周りと違うことに慣れる… 2023/01/12