Nonsense Fiction

Nonsense Fiction

2007/04/01
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テーマ: 短編を作る(405)
カテゴリ: カテゴリ未分類


「また来たの」
「みたい。邪魔だった?」
「そんなことないけど」
 その人は云って、手にしていた本を閉じた。分厚いそれは、名づけ事典だった。
「此処は?」
 見慣れない和室を見回して問う。文机の対極に飾り箪笥がある。その上につくばいがあり、中に竜胆(りんどう)が挿してあった。あきらかに、その人が住んでいるはずのマンションではない。
「実家」
「ふうん。帰ってるんだ」
 この人はここで育ったのかと思うと、少し胸が高鳴った。気取られないように、畳の上にどっかりと胡坐をかく。
「夕飯を食べたらマンションに帰るけどね。きみはかえらないの?」
「何処へ?」
「かえるべき場処(ばしょ)があるでしょう」
「う・・・・・・ん。もうちょっと眠っていたい気分なんだ」
「そんなこと云ってると、起きられなくなっちゃうよ」
「それもいいかも」
 そう応えると、貌(かお)だけ振り向いていたその人が、文机の燈(あかり)を消して、躰(からだ)ごと此方に向かって座りなおした。寛げた襟元からのぞく線の細い首筋が、その人から視線を逸らさせる。
「・・・・・・やっぱり、何かあったんじゃない?」
 真剣な眼差しで訊いてくる。
「別に何もないって。秋眠暁を覚えずってね」
「それを云うなら、春眠でしょう」
 少し困ったような微笑は、水面で揺れる月明かりを連想させる。


 眼が醒めると、部屋が冷たくなっていた。バイトから帰って転寝してしまったらしい。半袖のTシャツの上から、投げてあった長袖シャツを羽織って、開け放していた窓に向かう。冴え冴えとした半月が、天(そら)に浮かんでいる。
 すっかり冷えてきた夜気に頭を晒しながら、まただと思う。最近、眠ると必ず、夢にあの人が出てくる。あの人はたいてい家で寛いでいるのだが、今日のように家以外の場処にいることもある。しかし極(き)まって、自分はそれが夢で、あの人と現実に会っているわけではないのだということに気づいている。しかも、その夢は続いているのだ。
 窓を閉めて自室を出る。昔ながらの急な階段をつたって下におりると、電話をしていた姉が呼び止めてきた。持っていた電話の子機をこちらに突き出す。
「今、旦那と話してるんだけど、彼がたまにはあんたの声が聞きたいって」
「いいよ。別に話すことないし」
「かわいくないな。前はあんなに懐いてたくせに」
「おしどり夫婦の会話を邪魔しちゃいけないかと思ってね」
「年寄りくさい言い草。あんた幾つよ」
「言い草っていうのも年寄りくさい。それよりいいの? 義兄さん、電話の向こうで待ってるんじゃない?」
「あ、」
 姉は慌てて、子機を耳にあて直した。謝罪の言葉を繰り返しながら、風船のように膨れた腹を、しきりにさする。姉は出産のために、実家である我が家へ帰ってきている。エコーで見た限りでは、女の子であるらしい。それは夫婦の希(のぞ)みどおりだったようで、二人は子供が生まれるのを心待ちにしている。
 あの人の夢を見るようになったのは、姉の妊娠が原因かもしれない。
 あの人ももうすぐ、人の子の親になる。


つづく









お久しぶりでございます。
まだ覚えてくださってる方、いらっしゃいますでしょうか(どきどき)

故障していたPCは三月中に直っていたのですが、いろいろありすぎて、なかなかネットに繋ぐことができませんでした。

でもワードは使えるってんで、その間に細々と短編もどきを四編ほど書いたので、しばらくはそれを載せていこうと思います。

季節はずれのものばかりですが、お付き合いいただけると嬉しいです。

もちろん、はじめましての方も。



<私信>

以前書いた、私に濡れ衣を着せた上司ですが、あの後も問題続発で、私が休みの時に代わりに出てくれていた人の働きかけで、なんと退職していきました。

架月さん、サトルさん、その節は励ましのコメント、ありがとうございました!






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Last updated  2007/05/05 12:14:46 AM
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雪村ふう @ 架月真名さんへ いつも読んで感想くださってありがとうご…
ぼっつぇ流星号α @ なるほどねぇー なんかタイムパラドックス的な感じ(?)…
架月真名 @ リクエストに応えてくださってありがとうございました!! 子供が生まれるまでの姑さんの生き地獄の…
雪村ふう @ 架月真名さんへ 赤ちゃんの描写を褒めていただけて嬉しい…

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