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またここは当分お休みします。でも、新たな小説もどきの連載をこちらではじめています。いつもはこんな告知もしないのですが・・・・・・。あちらは、雪村の飼い猫(?)ふーたろーのブログとなっております。本当はここに掲載しようと思っていたのですが、思うところがあり、あちらに載せることにしました。昨日まで掲載していたものとは、全く毛色の違う(ということもないかな?)話になっていますが、興味を持っていただけるようでしたら、読んでやってくださいませ。ふーたろー名義のブログ→Nonsense Story
2007/07/12
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大丈夫、これは夢なんかじゃなくて、わたし達はちゃんと実在していますよ、お姑(かあ)さん。 わたしはあの時、そう否定しようと開きかけた口を噤んだ。 わたしとて、今現在の自分が確かに存在しているという確信を持っているわけではない。わたしの旦那は少々変わっており、人の睛(め)には映らないものを普通に相手にする。彼と結婚してからというもの、その辺りの境界が曖昧になってきた。ともすれば、自分も実体なく霧消してしまう類の物体であるのかもしれないと、疑念を抱くことさえある。 それに、わたしは思ってしまったのだ。 仮にわたしが、姑(はは)の夢想の産物だったとしても、何ら問題はない。ここがどういう世界であれ、彼らと人生を共にできることは、わたしにとっては僥倖(ぎょうこう)なのだから。 一人の淋しい女性の支えの一部として存在する。そういうのも悪くない。 姑の家に帰ると、旦那は娘と一緒に仏間でぐっすり眠っていた。起きてきた彼に、土砂降りで遅くなったと弁解すると、そういえば雨音がしてたような気がすると、なんとも暢気な反応が返ってきた。 娘はまだ眠っている。色は白いが、どちらに似たのか眉毛が凛々しすぎて、ピンクのベビー服があまり似合っていない。胸の辺りに、体に対してやたらと長い耳のうさぎが刺繍されている。 わたしは娘のお腹にタオルケットを掛けると、その傍らに落ちていた哺乳瓶を拾い上げた。「今日はありがとう。おかげで楽しかった」 娘が起きないよう、そっと襖を閉めて旦那に声を掛ける。「そりゃ良かった」 台所で土産の饅頭を食べようとしていた彼は、嬉しそうに貌(かお)を綻ばせた。わたしも向かいの椅子に座る。と、椅子を引く音が大きかったのか、襖の向こうで娘がぐずり始めた。「ゆっくりしてなさい。わたしが見てくるから」 わたしの分のお茶を淹れてくれていた姑が、急須を置いていそいそと仏間へ向かう。立ち上がろうとしていたわたしは、再び椅子に腰を下ろした。「子守り、大変じゃなかった?」 開け放たれた襖から、盛大な泣き声を上げる娘が見える。わたしは不安になって訊いた。 娘は姑によく懐いていて、旦那よりも彼女があやした方が、確実に機嫌が治る。今だって、姑に抱き上げられただけで娘はすっと泣き止んだ。きゃっきゃと歓声さえ上げている。旦那ではこうはいかなかっただろう。彼は仕事柄出張で家にいない日が多い。その際、頼めば姑が手伝いに来てくれるので、娘が旦那より姑に懐くのは仕方がないのだが。 それにしても、娘に人見知りされている彼が、今日一日、どうやって凌いだのか。「いや、楽勝だったよ」 わたしの心配をよそに、旦那は涼しい貌で応えた。「優秀なベビーシッターが現れたからね」「ベビーシッター?」 眉根を寄せるわたしに意味深な微笑みを浮かべ、彼は仏間へ視線を転じる。 其処には、娘と笑いあう姑の姿があった。了読んでくださってありがとうございました!架月真名さんよりリクエストいただいた『おばあさんと孫の話』でした。とはいえ、ご期待に添えていないような気が・・・・・・すみません。実はこのシリーズ、一応自分の中で制約を作ってまして、旦那が全く関与しないところでの怪奇現象はご法度だったんです。そうしないと、無節操になって収拾がつかなくなると思って。娘自体に同じような能力を持たせても良かったのですが、それはそれでややこしくなりそうだったので、こういう形を取らせていただきました。一応、このシリーズはこれでおしまいにするつもりです。気が向いたら書くこともあるかもしれませんが、娘世代の話は多分ありません。期待していただいた方には申し訳ありません。約一年二ヶ月、お付き合いいただき、どうもありがとうございました。
2007/07/05
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「その夜にね、帰宅した主人にあの父娘のことを訊いてみたんだけど、誰とも約束なんてしていなかったと云うの」 半ば予想はしてたけどと云って、姑(はは)はストローに口をつけた。ミックスジュースが重たげに、細い管を登る。 芸術文化ホールの一角にある喫茶店で、わたしは姑の話を聞いていた。今日は母の日なので、旦那が自分と娘からだと云って、姑とわたしに観劇をプレゼントしてくれたのである。もうすぐ七ヶ月になる娘は、姑の家で旦那が看てくれている。三時間以上二人きりにするのは初めてなので少々心配なのだが、芝居が終わって外に出ようとすると物凄い土砂降りだった為、ここに入って雨が止むのを待っていたのである。「それでも、その男の云ったことを信じてらしたんですね」 わたしの問いに、姑はふふふと笑った。「ええ。あの子が産まれるまでは、あの人との約束だけが生きる支えだったから。もう一度、あの赤ちゃんに会いたくてね」 あの子というのは、わたしの旦那のことである。彼は、姑が十年以上待ち希(のぞ)んでやっとできた一粒種なのだ。「白昼夢に過ぎなかったかもしれないのに、おかしいでしょ」「そんなこと・・・・・・。それがお姑(かあ)さんの支えになって今があるんだから、ちっともおかしくなんてないですよ」 それくらい、当時の姑には縋るものが必要だったのだろう。夢でも幻でも。自分を肯定してくれる存在が。未来に希望を持てる何かが。「そう? ありがとう。でもね、今もずっと、夢を見てるのじゃないかと思うことがあるの」 彼女は少し淋しそうに、わたしから視線を外した。「今の生活は全て夢なのじゃないかって。あなたやあの子も、孫の貌(かお)が見れたことも。あの時の淋しいわたしが見続けている、幸せな白昼夢なのじゃないかしらってね」 目覚めれば、まだ自分はあの日にいるのではないか。雨音に包まれて、畳の目に視線を落としているのではないか。そういう考えが、ふとした拍子に頭を過ぎる。 姑は当時を思い出すように眼を瞑った。着物の肩が、ふいに細く、儚く見えて、わたしはにわかに不安になった。「・・・・・・お姑さん?」「ごめんなさいね。変なこと云って」 姑は眼を開けると、曖昧に微笑って窓の外を見上げた。「雨、止んだわね。そろそろ帰りましょうか」 つられるように窓外に眼を遣ると、あの土砂降りが嘘のように、清清しい青天が広がっている。植え込みの新緑が、陽を受けて瑞々しい光を放つ。 わたしは射るような光に眩暈を覚えながら、伝票を手に席を起(た)つ姑の後を追った。清算に行くと、わたし達と同じような雨宿り客が列を成している。「それで、その赤ちゃんにはやっぱり逢えなかったんですか?」 待つ間に何気なしに訊いてみると、意外な応えが返ってきた。「それがね、つい最近再会できたのよ。嘘みたいな話だけど。やっぱり今現在(ここ)も夢の中なのかしらね」つづく
2007/07/04
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「雨、止みませんね」 しばらくすると、男が立ち上がって云った。「縁側の硝子戸が開いたままのようだから、閉めてきます」 洗濯物を投げっぱなしていたことを思い出して止めようとするが、彼はすでに縁側へ続く硝子障子を引いていた。しかし、その向こうに散らかっているはずの衣類が見えない。必死に頸を伸ばして眼を凝らしてみたが、やはり黒光りする板間が続いているだけである。男は硝子戸を閉めて戻ってくると、はっとしたように、彼女の前にやって来た。屈みこまれて、思わず身を固くする。「これ・・・・・・」 そう云って身を起こした彼の手には、彼女が箪笥から出してきた着物の腰紐が握られていた。「何しようとしてたんですか。莫迦な真似は止めてください」 何も云っていないのに、男は彼女がしようとしていたこと全てを見透かしているかのようだ。苦虫を噛み潰したような貌で、彼女を凝視(みつ)める。「きついことを云うようだけど、今死んだってなんにもならない。こんなことをしても、あなたが損をするだけですよ。辛いのは判るけど、もう少し辛抱してください」 いくらも齢の違わない、ともすれば年下かと思われるような男に判ったような口をきかれて、彼女は少し頭に来た。「知ったようなこと云わないでください! あなたに何が判るのよ。子供のいる人に、ましてや男の人にこの辛さが判るわけない。もう少し、もう少しって、ずっと自分で云い聞かせてきたわ。でも、一体いつまで辛抱すればいいの!?」 もう限界なの・・・・・・。 悲痛な叫びを漏らすと、視界がぼやけた。赤ん坊を抱きしめる手の甲に、ぽたりぽたりと泪が落ちる。初対面の対手に、何を云っているのだろう。こんなのは八つ当たりだ。しかし、そうと判っていても止められなかった。「ごめんなさい」 やっとのことで謝罪の言葉を搾り出す。主人の知り合いだというのに、とんだ醜態を晒してしまった。「主人から聞いてらっしゃるかもしれないけど、もう結婚して九年にもなるのに、子供ができなくて・・・・・・。主人の知り合いのあなたにこんなこと云っちゃうなんて、嫁どころか妻としても失格ですよね」 赤ん坊の頭に、貌を埋める。柔らかい産毛が、頬に心地良い。「・・・・・・あと一年。いや、二年かな」 しばらく黙って、成す術がないといった風に佇(た)ち尽くしていた男が、ぽつりと漏らした。貌を上げ、何がと訊き返すが、男は応えない。代わりに、質問を返してきた。「その子のこと、可愛いとは思いませんか?」 腕の中の赤ん坊に眼を落とす。あれだけ大きな声を出したにも拘わらず、赤ん坊はむずがるでもなく、安心しきったように睡(ねむ)っている。先刻(さっき)会ったばかりの自分に、実の母親のように凭れかかって。あまりの無防備さに、彼女は眼を細めた。可愛くないはずがない。「また、その子に逢いたいとは思いませんか?」 男の声の中に、優しい響きが深まる。「連れて来てくれるんですか?」 彼女の問いに、男は力強く肯(うなず)いた。「いつか、必ず」 何時の間に睡ってしまったのか、気が付くと、独り仏間の硝子障子に凭れて坐(すわ)っていた。無理な体勢でいた所為で、肩の辺りが痛い。 縁側に出ると、雨は止んでいた。昏(く)れかけた天(そら)から硝子戸を通して入る陽が、投げ入れたままの洗濯物を赤く染めている。彼女はそれらを掴んで、仏間に戻った。男の姿も、赤ん坊の気配も消えている。ただ、ほんのりとした温もりだけが、腕の中に残っていた。つづく
2007/07/03
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誰がこんなところに・・・・・・。 家人では有り得ない。主人は昨夜から帰っていないし、舅と姑は、今朝から連れ立って旅行に出かけている。朝、経をあげた時には、赤ん坊など居なかった。ミシンを踏んでいる間に、誰かが勝手に家に上がり込んだのかと思うと、にわかにぞっとする。 仰向けに転がされていた赤ん坊が、いやいやをするように身を捩り、ぱたりと寝返りを打った。うつ伏せになると、泣きながらも器用に腕を使って匍匐前進する。何処へ行くのかと、腰紐を投げ捨てて、慌てて抱き上げる。すると、意外と硬くしっかりとした感触が手に伝わってきた。頸(くび)ももう坐(すわ)っている。「あなたは女の子なのね。何処から来たの?」 長すぎるのではないかというくらい耳の長い兎のイラストが描かれたピンクのベビー服を着て睫毛を震わせている赤ん坊の背中を、あやすように叩きながら、声を掛ける。弟妹を看ていたので、子守はある程度心得ている。 赤ん坊は寂しかっただけなのか、縦抱きにして胸を合わせると、泣き声は寝息に変わっていった。小さな躰が、次第に熱と重みを増してくる。 彼女は硝子障子に凭れるようにして、畳に腰を下ろした。赤ん坊の躰をずらし、自分の胸元に、頭をあてがう。この部屋を包み込むように聞こえる雨音と、胸元から立ち昇ってくる規則正しい寝息を聞いていると、全てが遠いことのように思えてくる。子ができないことも、主人が帰らないことも、何もかも。 なんだか幸福な気持ちになってきて、ぼんやりと畳の目を見ながらうつらうつらしていると、玄関脇の間へ続く襖が開いた。 そうだ。侵入者がいたはずだったんだ。 急に恐怖が戻ってきて逃げようと腰を浮かせるが、赤ん坊がへばりついていて、思うように動けない。人形のような小さな指が、割烹着の脇をきゅっと掴んでいる。立ち上がりかけた彼女から振り落とされまいと、しがみついているようだった。 今、この家を守れるのは自分しか居ない。彼女は覚悟を極(き)めて、開いた襖を振り向いた。「どなたですか?」 侵入者へきつい視線を向ける。相手は一瞬たたらを踏んで、絶句した。まだ若い男である。空巣か強盗の類かと思ったが、手に哺乳瓶を持っているのがなんとも間抜けだった。「もしかして、この子の・・・・・・」「ええ、父親です。泣き声が止んだと思ったら、抱っこしてもらってたのか」 相手が怯んだと思って話しかけたのが不可(いけ)なかったのかもしれない。男は急にくだけた調子になって、哺乳瓶を振り振り仏間に入ってきた。我が物貌(がお)なその様子に、彼女の方がまた逃げ腰になる。「あ、あの、なんなんですか、あなた。勝手に人のうちに上がり込んで」「えっと・・・・・・すみません。ちょっと約束があって」 男は明らかに言いつくろっている様子であった。しかし、強盗や空巣のようにも思われない。第一、子連れでそんなことをする泥棒がいるだろうか。しかも、侵入した先で、暢気にミルクを作るとは。「ひょっとして、主人のお知り合いの方ですか?」 主人よりも、自分に近いくらいの年齢に見えるが、新しい部下か何かかもしれない。彼女は自己防衛本能も手伝って、良い方に考えようとしていた。 もっとも、それは相手の醸し出す雰囲気の所為(せい)もあったかもしれない。彼には、どこかで会ったことがあるような、懐かしいものを感じる。「まぁ、そんなところです。昔、世話になって・・・・・・」 男は云いながら、仏壇を見上げた。「それで、ご主人は?」「まだ戻ってないんですけど、約束があるなら戻ると思います。ごめんなさい。わたし、何も聞いていなくて」「いえ、急な約束でしたから」 男は仏間に入ってくると、彼女の腕の中を見て、寝ちゃってますねと苦笑した。こちらに取りましょうと小さな胴に手をかけるが、赤ん坊はしっかりと割烹着を掴んで離さない。無理に引っ張ると、ふがふがと愚図りだし、彼は困ったように眉を下げた。「どうやら、あなたの方がいいみたいですね」「気にしないでください。わたしも、もう少し抱いていたいし。お茶もお出ししていなくて、申し訳ありませんけど」 彼女は、男に座蒲団を勧めて、赤ん坊を抱き直した。すくすくと健やかな寝息を立てる小さな生き物に、言い知れぬ幸福感が湧いてくる。この子は全身で、自分を必要としてくれている。つづく
2007/07/02
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腰高窓から降り注いでいたうららかな陽射しが、翳りを見せ始めた。遠雷の音も聞こえたような気がする。ひと雨来るかもしれない。今は自分しか家に居ないことを思い出し、洗濯物を入れるため、彼女は足踏みミシンのペダルから足を外した。 玄関で草履をつっかけ、足早に外に出る。物干し竿から衣類を外し、片端から縁側に投げ入れていると、ぽつりぽつりと水滴が落ちてくる。主人のものだけでも濡れないようにと先に取り込む。次に舅、姑、そして自分の順である。どうにか本降りになる前に取り込み終えて、沓(くつ)脱ぎで一息ついていると、急激な徒労感に襲われる。 こんなことをしていて、何になるというのだろう。わたしの役目はこんなことではないのに。知らず泪が溢れてくる。もう、駄目なのかもしれない。 ひと月ほど前、幼子を残して義姉(あね)が亡くなった。結核である。葬儀の席では、母親恋しさに泣く子供が、親族達の眼を引いた。 かわいそうに。まだ小さいのに。故人もさぞかし心残りでしょうね。 故人の若さにも哀しみを感じるが、幼子のこれからを思うと、誰もがやり切れなさに目頭を熱くする。しかし、子供を哀れむ彼らの言葉は、次第に彼女への非難に変化していった。 神様も、こんな小さな子の母親を連れて行くことはないのに。 そうだ。姉さんよりもっと他に、役に立たない人がいるだろう。 どうせなら、長男の嫁なのに、子供の一人も産めない、役立たずの誰かさんが死ねば良かったのにねぇ。 このままでは、我が家は途絶えてしまうわ。お父さん、なんとかならないの? 見合いで貰っておいて、まさか出て行けとも云えまい。おい、おまえ、外に誰かいい女でもいないのか。この際、男子が産まれれば、妾腹でも構わん。 無茶云わないでくださいよ。今、仕事が忙しくて、それどころじゃありませんよ。 まったく、とんだ外れを引かされたものね。 彼女は凝(じ)っと黙って、それらの言葉に身を竦めていた。聞き流したつもりでも、心無い言葉は躰の奥底に溜まっていく。子供の悲痛な泣き声は、彼女が生きていることを責めているようにも感じられた。 跡継ぎの嫁であるにも拘わらず、結婚して九年にもなるのに子ができない。 最初は気に病まないよう励ましてくれた姑も、三年を過ぎた辺りから態度が変わった。舅に至っては、たった半年で兆候がないことに苛つき、自分が跡継ぎを作るためだけに娶られたのだと、改めて思い知らされた。貌(かお)にこそ出さないが、主人も同じ思いだろう。仕事が忙しいと云って、家にもほとんど寄り付かない。実際は、余所(よそ)に女でも拵えているのかもしれない。 もともと好き合って一緒になったわけではない。だから、彼に妾がいたとしても、悋気(りんき)することはないだろう。けれど、子供を作られるのは別だった。それは自分の女の部分だけでなく、存在意義自体を否定されるような気がした。しかし、今の自分に、それは止めてくれと主張することができるだろうか。その資格があるのかと自問すると、否の答が返ってくる。自分はこの家に、跡継ぎが必要だから、娶られたのだ。子ができないのでは、離縁を迫られてもしようがないと思っている。しかし、自ら出て行くことはできなかった。実家にいる両親は、彼女の本当の父母ではない。彼女は養女なのである。養い親の面目を潰さないためにも、主人に三行半を突きつけるような真似はできない。 子供が欲しい。 子供ができても、舅達の態度は変わらないかもしれない。けれど子供がいれば、自分の生きがいになる。自分の子供さえいれば、主人が余所に家庭を作っても、全く平静でいられる自信がある。 彼女には、自分が早くに親元から離れなければならなかった分、自分の子供は手元に置いて、愛情いっぱいに育てたいという願望があった。たくさんの子供はいらない。一人でいい。一人を大切に育てたい。 しかし、そんな夢も、もう叶わないだろう。九年だ。八年まではと云われたこともあるが、それもあっさり過ぎてしまった。子を授かるのに良いとされることは、一通りした。自分の脚で行ける範囲なら、お参りもしている。手は尽くした。ここから先は、神の領域だ。人間である自分が、どうこうできるはずもない。 彼女は泪(なみだ)を払ってふらりと立ち上がると、洗濯物を投げ入れた縁側ではなく、西の角部屋に向かった。床をこするように肢(あし)を運び、嫁入り道具だった着物箪笥の前に正座する。そして、中から着物の腰紐を一本取り出した。 これを欄間に通して輪を作れば・・・・・・。 ぼうっとそんなことを考えていると、仏間の方から赤ん坊の泣き声のようなものが聞こえてきた。気のせいだと自分に云い聞かせ、気を取り直すように頭を振る。しかし、腰紐を握ったまま部屋を出ると、声はいよいよ大きくなった。まさかと思いつつ、仏間に通ずる障子を引く。 果たしてそこには、火がついたように泣き喚く赤ん坊が、座蒲団の上に転がされてあった。つづくお久しぶりでございます。六月中にケリをつけようと思っていたはずなのに、気付けばもう七月。しかも話の中では五月だったり~(汗)かーなーり、陰鬱な始まりですが、お付き合いいただけると嬉しいです。
2007/07/01
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義弟は先日から、交通事故で入院していた。意識不明の重体である。歩いているところを、乗用車に撥ねられたのだそうだ。目撃者の話に拠ると、彼は心ここに在らずといった風情で、赤信号をふらふらと渡っていたらしい。 その夜、一人でそうめんを啜っていると、我が奥方から電話があった。義弟の意識が戻ったのだと、泪声で語る。普段は喧嘩ばかりしているように云っていたが、やはり心配だったのだろう。彼女の声は、安堵と歓喜に溢れていた。「良かったね」 僕は彼女ではなく、義弟に向けて呟いた。ほら、きみの存在は彼女の中でもこんなに大きい。「あんまり驚かないのね」 彼女は僕の反応が不満だったらしい。つまらなさそうに云う。「ああ、電話が鳴った時、なんとなくそんな気がしたから」「わたしはまた、弟があなたの処にでも現れたのかと思った」「っ、まさか」 僕はむせそうになったが、辛うじて誤魔化した。彼女は非現実的なことは受け入れない性質だったのだが、僕といる所為か、最近、こういうことに順応しつつあるようだ。「あ、でも、きみの弟と同じくらいの齢の子に会ったよ」 僕は、義弟だということは伏せて、彼のことを話した。云わないという約束ではあるが、少しでも、彼の気持ちを彼女に届けてやりたくなったのである。 しかし、僕が話し終えると、彼女は全く見当違いのことを口にした。「その子、あなたのことが好きだったのね」「なんでそうなるの。だいたい男の子だったんだよ」「それも有りなんじゃない? 今日は重陽の節句だし、その子、あなたに菊の花が見たいと云ったんでしょう?」「それとこれとの関係性が分からないんだけど」「そりゃ分かってたら、そんなに暢気ではいられなかったでしょうね」 数日後に見舞いに訪れた時、義弟は生霊になって僕の前に現れたことなど、何も憶えてはいなかった。何かを吹っ切ったような清清しい表情からは、彼が誰を好きだったのかを窺い知ることも、僕には出来なかった。しかし、或いは、彼女は何かを知っていたのかもしれない。視えなくとも、たしかに繋がる絆があるように。 悪態を吐き合いながらも、かいがいしく世話をする彼女と、それを煩そうに受け止めている義弟を微笑ましく眺めながら、僕は、二人の間に入っていけないのは、自分の方だと感じていた。了読んでくださってありがとうございました。わざと、分かる人にしか分からないようにしていたのですが、『月白く』を先に載せたから、あっちを読んでる方にはバレバレですよね(汗)あの話は、これを書いていて思いつきました。この設定を利用すれば、かねてからやってみたかった性別でのどんでん返し(?)ができるかもしれないと。今までBL的なものを書いてないから、なんとかいけるだろうと思ったんです。ちなみに、これを書いた時点では、私は『雨月物語』の『菊花の約』は知りませんでした。なんか似たようなところがあるみたい(読んでないから詳細は知らない)ですが、ただの偶然です。念の為。どうでもいいけど、後で考えたら(←考えるな)、この話、なんかえろいっすね。(奥さんの指摘を見て気が付いた/汗)
2007/05/14
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「それは・・・・・・辛いね」 義弟の眼から、見る間に雫が溢れてくる。彼が泣くのを見るのは、いや、男の子が泣くのを見ること自体、初めてだった。 大した失恋経験もなく、こんな相談を受けたこと自体が間違いだったのかもしれない。義弟に頼られた喜びは、霞のように消えていた。けれど、今彼をなんとかできるのは、僕しかいないのも事実だ。 僕は戸惑いながらも、必死に言い募った。「でもね、きみのご両親もおねえさんもおれも、みんなきみのこと想ってるから。その人の心にはなくても、おれ達の心の中にはきみの場処があるんだよ。今もおねえさんは、きみの手をしっかり握ってる筈だ」「本当に?」 義弟が貌(かお)を上げ、縋るような睛(め)で此方を見た。「自分で確かめてごらん」 潤んだ睛に、彼の真意を垣間見たような気がして、僕は自分の立場も忘れて切なくなった。それは義弟が、今までの無邪気な彼ではなく、努力だけではどうにもならないことがあるという現実を受け入れ、大人へとひとつ近づいたことを物語っているように感じられた。 彼は、自分の姉が好きなのだ。 突き抜けるように晴れ上がった天(そら)を、とんびが一声啼いて、舞っていく。 義弟は神妙な貌で肯くと、その前にと云って、手を差し出してきた。「手を・・・・・・繋いでもいいかな」「・・・・・・いいよ」 遠慮がちに出された手を、軽く握る。握り返してくる力は、既に大人の男のものだった。 僕は心の底から彼の姉を大切に想っているけれど、彼の力に対抗しようという気にはなれなかった。それは僕たちが結婚しているという余裕からでも、彼らが姉弟だからでもない。強いて云えば、彼が僕の義弟であるからだ。彼女を想うのとは別の次元で、彼も僕にとって大切な人だった。 彼は今、どんな気持ちで、恋敵である僕と手なんて繋いでいるのだろう。彼女を好きだという気持ちは、きっと自分でも認めたくなかったに違いない。それを認め、苦しみ、そして今、僕にしか相談できない場処にまで来てしまっている。おそらく、一番相談したくなかっただろう僕にしか。 無言で歩く道すがら、僕はそんなことを考えていた。「ごめんな」 ぽつりと漏らした謝罪に、アスファルトを突き破って咲く夾竹桃の花に視線をやっていた義弟が、かぶりを振る。「謝ることないよ。人の気持ちはどうしようもないだろ」「それでも・・・・・・」 一人っ子だった僕は、義理とはいえ、結婚したことで弟が出来て嬉しかった。彼の人懐っこい振る舞を、単純に好まれていると受け止め、喜んでいた。しかし、彼は違ったのだ。あの笑顔の裏には、葛藤や苦しみがあった筈だ。嫉妬を押さえ込んでもいた筈だ。それを想うと、申し訳なさが募った。今だって、憎まれていないという保証は何処にもない。 おれ、ずっと姉貴より兄貴が欲しいと思ってたんだ。 結納の日、そう云ってにかっと笑った彼の心中は、哀しみに沈んでいたのかもしれない。「そろそろ、行かなくちゃ」 義弟に握られていた手が、急に涼しくなった。気づくと、既に車の処まで帰ってきていた。そうした方がいいと呟いて、車の鍵を取り出す。助手席の扉は開けなかった。「見舞い、来てくれる?」 運転席に乗り込むと、車窓から義弟が問うてきた。僕は複雑な想いに駆られながらも、喜んで肯いた。「きみさえ良ければ」「ありがとう」 礼を云うのはこっちの方だ。 そう云おうとした時には、既に彼の姿は消え、車窓には、どこまでも続く高い天と、青々とした山が見えるばかりになっていた。つづく
2007/05/13
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山に着いた時には、すっかり天気は回復していた。車が止められるようになっている空き地から畑までは結構な距離があるので、これは幸いなことである。しかし、菊の花は本当に申し訳程度にしか咲いておらず、他に見るものもないので、僕たちはすぐに車に引き返すこととなった。「雨の後の空気って気持ちいいよな」 義弟は鼻歌交じりに坂を下っていく。自分のTシャツの裾を引っ張って、雨に洗われた空気を衣服の中に取り込む。前に引っ張られたTシャツが背に張り付き、肉付きのいい背中を露にする。 僕は同意をしてから、肉厚な彼の背中に問いかけた。「で、どうして此処へ来たの。何か相談でもあったんじゃない?」「・・・・・・分かる?」 おそるおそるといった風に、義弟が振り返る。「分かるよ。きみのお姉さんは、おれのこと鈍感だと思ってるみたいだけど」「鈍感じゃなくて、無頓着って云ってたよ」「異論はあるけど、反論はできないな」 無頓着にしているつもりはない。虚と実、幻と現。その境目が分かり始めたのは、つい最近のことだ。頓着しようにもできなかったというのが正解で、別に喜んで受け入れているわけではない。 ただ、今は別だった。「何? 云いたいことがあるなら云ってみてよ。おれじゃ頼りないかもしれないけどさ」「絶対誰にも云わない?」「云わないよ」「姉ちゃんにも?」「場合によっては云うかもしれないけど・・・・・・」「じゃあ、云わない」 彼はくるりと踵を返して、また僕に背中を向けてしまった。僕は一人っ子なので、ちょっと兄貴風を吹かしてみたかったのだが、失敗してしまったらしい。 しかし、兄貴風云々はともかく、このままにしておくわけにもいかなかった。義弟の首筋がほんのり赤くなっているのを見て取ると、急ぎ足で横に並び、その肩に手を置く。「好きな子でもできたの?」 貌(かお)を覗き込むようにして問うてみると、これが図星だったらしい。触れている肩が一気に熱くなり、それと同時に彼の貌も真っ赤に染まった。「そうかそうか。そうなんだ」「ち、違う!!」 にやにやしながら彼の肩に腕を廻そうとする僕を退けて、義弟は力いっぱい叫んだ。しかし、この場面に於(お)いて、否定が肯定を表すものであるということに気づいたのか、彼はすぐ、悔しげに項垂(うなだ)れた。「そういうことならおねえさんにも云わないよ」 僕の言葉に、義弟は睨むような視線を返してきた。それに応えるように、ひとつ肯(うなず)く。と、彼は僕から視線を外して、ぽつりと云った。「結婚してるんだ、その人」「そっか。だから誰にも云えずに、思い悩んでたんだね」 義弟は、子供のようにこっくりと肯いた。「その人と付き合ってるの?」「いいや。その人はおれの気持ちも知らない。夫婦仲はすこぶる良くて、おれの入る余地なんて、何処にもないんだ」つづく
2007/05/12
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菊花展の会場を出ると、雨が零(ふ)っていた。女心と秋の天とはよく云ったもので、朝は雲ひとつなかった天から、雨粒が勢いよく地面を叩きつけている。 会場の外に飾られていた鉢植えを非難させていた係員が、タクシーを呼びましょうかと声を掛けてきた。車で来ているからと断ろうとして、駐車場までの道のりを考え、しばし逡巡する。自分が濡れるのは構わないが、商売道具が濡れるのは避けたかった。一応、防水のカバーを掛けてあるが、それだけでは間に合わないのではないかと思う程の零りなのだ。「よりによって、傘を車に置いて来るとは」 自分の莫迦さ加減に情けなくなる。里帰り中の我が奥方に云われて持って来た傘は、車の後部座席に放置したままになっていた。今朝、実家から、わざわざ僕に忠告しに電話を呉(く)れたというのに。「そんなことだろうと思ったよ。はい」 会場の庇の下で肩を落としていると、見慣れた傘を差しかけてくる者がある。「あれ? 来てたの」「久しぶりだね。義兄さん」 傘を拡げて人懐っこい笑みを浮かべていたのは、我が奥方の弟であった。 義弟に会うのは、まだ片手の指で足るくらいの回数でしかない。成長期の彼は、会う度に大きくなる。最初に会った頃は姉と変わらないくらいだったのに、今では僕をも追い越しそうな勢いだ。窮屈そうに、大きな躰(からだ)を決して小さくはない傘の下におさめている。「大きくなったなぁ。もうちょっとで抜かれちゃうね。来年成人式だっけ?」「そう。ついでに云うと、来月で二十歳」「じゃあ、誕生日にはお酒を贈るよ。日本酒はいけるクチ?」「そう云えば、義兄さんの親戚に造り酒屋があるんだったよね。でもそれ、未成年に訊くことじゃないだろ」「あはは。でも、呑んでるんでしょ」「呑んでるけど」 皮肉なことに、駐車場に着くと雨は小零りになった。義弟を助手席に乗せ、この後は直帰できるので、何処か行きたい処があるかと問うと、菊の花が見たいと云う。それならば会場に引き返そうと提案したのだが、彼はもっと他の菊が見たいと主張した。「他って云ってもなぁ」 たしかに今は菊の盛りだ。だが、現在、このあたりで一番菊が集まっている処(ところ)は、今出てきた会場に違いない。それに、二十歳そこそこの若者に菊を見せてもつまらないだろうという疑念もあった。折角来たのだから、どうせならもっと喜びそうなところに連れて行ってやりたい。しかし彼は、他の遊興施設には興味がないようだった。菊がいいと云ってきかない。「義兄さんのお母さんが、畑で育ててるんだろ? 姉ちゃんに聞いたことある。それでいいよ」「育ててるって云っても、墓に供える程度しかないよ」「それで十分」「変わってるなぁ」「義兄さんに云われたくないね」 そこで僕は、母が市から借りている山の一角へと車を走らせることになった。つづく去年の9月か10月にやろうかと思いつつ、ボツってたネタ。(彼岸花、コスモス、菊で迷って、一番に切り捨てた)その時は奥さん視点で、出てくるのは小さな男の子の予定でした。ということで、過去の話と思ってください。もちろん、独立形式なので、今までのと切り離して考えていただいても構いません。最終的に書いたのは今年の4月。急に思い立って数時間で。でも、載せるのは『珠縁』の後にしようと思い、あっちができていなかったので保留にしていました。そうこうしているうちに、もう一つ番外編を書くことになったので、それが出来てからら載せようと思っていたのですが・・・・・・。そっちの話の終わりの文章が出てきません(汗)うーん、どうしたもんか。
2007/05/11
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それにしても、なんとかしてやることはできないのだろうか。この時代に、あんな純朴そうな子が、意に染まぬ結婚を強いられるなど、気の毒でならない。今日会ってみて、お互いに気に入れば問題はないのだけれど・・・・・・。 彼女が洗面所に入ってから、一人でそんなことを考えていると、ガラリと玄関の格子戸が開いた。姑達が帰ってきたのだ。「こんなところに座っていて大丈夫なの?」 階段の一番下の段に腰を下ろしていたわたしを見付けて、旦那が心配そうにやって来る。「うん。気分はもう」 わたしは慌てて立ち上がった。気分が悪かったことなど、すっかり忘れていた。「それより、何処に行ってたの? 従妹さん、みんなが急にいなくなっちゃったって困ってたよ」「何処って、先方を迎えに行ってたんじゃないか。それに、従妹なら外にいるよ」「え、でも、先刻、洗面所に入って行って、まだ出てきてないのに」 洗面所に勝手口などはなかったはずである。しかし、旦那と一緒に洗面所に行ってみると、其処には誰も居なかった。格子のついた窓から、埃っぽい春の風が入ってくるばかりである。「どうやら消えちゃったみたいだね。どんな子だったの?」 旦那が興味深そうな眼をして訊いてくる。「髪が長いんだけど、うなじにちょっと色っぽい黒子があるの。紺色のワンピースを着たすごく大人しそうな子で、今日初めて先方に会うからって、とても不安がってた。まさかと思うけど、わたしが気づかないうちにどこかから逃げたのかな」「いや、それはないよ。少なくともそれは従妹じゃない。さっき云ったろ? 従妹は外にいるって」 彼がそう云うのとほぼ同時に、玄関から明るい女の子の声がした。「今日はお世話になりまぁす」「じゃあ、あの子は・・・・・・」 わたしは眩暈がする思いだった。今入ってきたのが例の従妹だというのなら、先刻まで居た彼女は誰だったというのか。 彼は含み笑いをして、舌をペロリと出した。「狐か狸か幽霊か」 外に居た従妹は、あの泣いていた少女とは似ても似つかぬ貌をしていた。 結納を交わした従妹は、ちゃんと先方のことを知っていた。親同士の決めた縁談ではなく、やはり当人同士の意思で決まった話であるらしい。相手はたしかに年上の男性だったが、年の差は五つくらいのものだった。「あ、しまった」 皆が帰って、姑に淹れて貰ったお茶を旦那と飲んでいた時、わたしは大変なことを思い出した。思わず、どんと音を立てて湯呑をテーブルに置く。「どうしたの?」 旦那が驚いて眼を丸めた。「わたし、お姑さんに頂いた真珠のネックレスを貸したままだったのよ、あの女の子に。どうしよう」 狐か狸か分からないが、律儀にネックレスを返しに来てくれるとも思えない。あんな大嘘を吐いていたのだ、人間ならば尚更である。純朴そうに見えたが、実は詐欺師だったのかもしれない。 わたしは旦那に、ネックレスを貸すことになった経緯を話して聞かせた。すると彼は、取るに足らないことのように、なんだ、そんなこと、と笑った。「そんなことじゃないよ。このまま返って来なかったら、お姑さんに何て言えばいいの」「大丈夫だよ。気にすることないって。ほら」 彼は、頭を抱えるわたしの貌を上げさせ、わたし達のいる居間と続き間になっている台所を指し示した。そこには、こちらに背を向け、流しに向かって洗い物をしている姑がいる。「あ・・・・・・」 わたしは旦那の貌を見た。彼が笑顔で頷く。「あれは、行くべき処へ行ったんだよ。そしてまた、きみの手に渡されるはずだよ」「それって、別の次元のわたしじゃないの」 姑の首筋には、左側の襟足のすぐ下に、見覚えのある黒子があった。 その年の秋、わたしは念願の女の子を出産した。 不思議なことに、産まれてきた赤ん坊の椛(もみじ)のような手には、真珠のネックレスが巻きついていた。了もともと同盟のテーマ小説から始まったこのシリーズ(実はシリーズだったんです)、書きかけて別の話に変更したものや、その月にやりたいと思っていたのにできなかった話などもありますが、一応、本編はこれで終わりです。気が向いたら、時々ひょこっと書くかもしれませんが・・・・・・。一ヶ月に一話を目標にしていたのですが、どうにも滞り勝ちになってしまい、季節がどんどんずれてしまいました。それでもなんとか12ヶ月分書けたのは、コメントを下さった方々のお陰です。どうもありがとうございました。コメントはなくとも、お付き合い下さった方も、ありがとうございました。’07.4.9<追記>『月白く』と『函』は、上記の12ヶ月分には入りません。そして、実はまだ番外編が二本ある予定です。よろしければ、お付き合いください。
2007/05/03
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硝子障子の開く気配で眼が覚めた。いつの間にか眠っていたらしい。 障子を開けたのは、まだ少女と云ってもいいような娘さんだった。襟のある濃紺のワンピースが、肌の白さを際立たせている。頬だけが、桃の花のように色づいていた。「あ、今日の・・・・・・」 おそらく今日の主役の一人であろう。わたしは少々面食らいながら、身を起こした。おめでた婚ではないと聞いてはいたが、こんなに若くして結婚しようというのだから、もっと今風の、はすっぱな子を想像していた。上の従妹とも、全く似ていない。「ごめんなさい。ちょっと横になるつもりが、眠ってしまったみたいで。お姑さんたちはまだ?」「いえ、先刻(さっき)までいらっしゃったんですが、お手洗いを借りて出てきたら、誰も見当たらなくなっていて・・・・・・」 それで二階まで上がってきたのか。「とりあえず下におりましょうか。わたしも一緒に行くから」 緊張のせいか震えている彼女を促して、部屋を出る。先に立って行こうとすると、背後から嗚咽が聞こえてきた。振り向くと、彼女が両手で貌を覆っている。細い指の間から、透明な雫が床に落ちた。「緊張するのは分かるけど、何も怖がらなくていいのよ。おめでたい席なんだから」 下から覗き込むようにして励ましたが、彼女の泪(なみだ)は止まらない。「ごめんなさい。もう泣かないようにしようって決めてたんですけど、どうしても怖くて。だって、先方は真面目で仕事熱心な方だとは聞いているけれど、十も年上の方だと云うし、これからどうしたらいいのか分からなくて・・・・・・」「え? ってことは、先方に会ったことないの?」「小さい頃に一度だけうちに来られたことがあるらしいのですが、わたしは憶えていなくて・・・・・・。でも、その時に親同士が話し合って決めたらしいのです」 先方は、少々おしゃまな姉よりも、この擦れていない妹の方を気に入ったのだろう。可憐とは云えないが、清楚な雰囲気がある。しかし、このご時勢に、まだ親同士で子供の結婚を決めているとは驚いた。お歳暮を届けに行った時に会った小母は、そんなことをするような人には見えなかったのだが。「それに、駅でネックレスを失くしてしまって。先方から頂いた物なのに、結納の席で失くしましたなんて云えません。どうしよう」 なんでも彼女は、ここに来るまでにも不安で泪が止まらなくなり、駅のトイレで貌を洗ったのだそうだ。その際、ネックレスが邪魔になったので、外して洗面台に置いておいた。それが、貌を洗い終えるときれいさっぱり消えていたのだという。「置き引きかもしれないね。どんなネックレスだったの?」「真珠のです。留め金のところにも、一粒あしらってあって・・・・・・」「玉の色は? 黒やピンクがかったの?」「白です。光の加減で、灰色がかったように見えたり、黄色っぽく見えたりすることもあるけど、ただの白です」「それなら、今日はこれで代用しておけばいいよ。真珠のネックレスなんて、一見どれも似たようなものでしょう」 わたしは自分のしていた白い真珠のネックレスを外して、彼女に差し出した。色が同じなら、見破られることもないだろう。ずっと先方の手中にあったわけではないのなら、玉の大きさが一ミリ違うくらいは誤魔化せるはずである。「でも、いいのですか?」「いいのよ。わたしは席に居なくてもいいことになっているしね。とりあえず今必要でしょう?」 結納で先方の機嫌を損ねるようなことになるのは、彼女のこの先を考えても、得策ではないだろう。 渋る彼女に、半ば無理矢理後ろを向かせ、ネックレスを嵌めてやる。長い髪をかき上げると、うなじに色っぽい黒子があった。「もう一度、貌を洗っておいで。失くしたネックレスのことは後で考えればいいよ。ね?」 髪を整えて、頼りなげな背中をぽんと押す。彼女は泣き笑いの表情を作って、はいと肯いた。つづく
2007/05/02
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これは七ミリ真珠だから、七粒で一匁(もんめ)。八ミリなら五粒で一匁だから、もっと重いわよ。そういえば、花いちもんめの唄の意味を知っている? 姑(はは)が真珠のネックレスを呉(く)れたのは、わたしが旦那と婚約した時だった。 彼女は一人息子の旦那よりも、嫁のわたしを可愛がる。幼少の頃、養女として今の実家に貰われて来たという彼女の実の母親が、わたしと同じ名前だったからだろうと旦那は云う。 何か、縁を感じるのだろうと。 旦那の従妹が結納を交わすことになった。姑の実家の、造り酒屋の娘である。去年の暮れに、お歳暮を持って訪ねた時には、彼女は旦那の評するところのうわばみ(・・・・)と付き合っていたのだが、それから間もなく、彼がいなくなったと嘆いていたので、この結婚話にわたしたちは驚いた。しかも、相手は全く別の男だと聞いて、あれからまだ三ヶ月も経っていないのにと、またしても驚いた。そして、実はうわばみと付き合っていた彼女ではなく、結婚するのはまだ二十歳にも満たない下の娘の方だと聞き、更に驚くと同時に、納得したのだった。「あの家にもう一人娘さんがいらっしゃったなんて、知らなかった」 わたしは、姑の家の二階で、旦那にネクタイを締めてやりながら云った。「うん。あの子は、おれ達の結婚式には受験か何かで出席しなかったしね。おれもあんまり話したことないんだ。おれがあの家に預けられてた時には、まだおばさんのお腹の中だったし」 旦那は幼い頃、件(くだん)の造り酒屋に預けられていたことがあり、上の従妹、つまりうわばみの彼女とは、それなりに親しい間柄である。「その子がもう結婚するなんて、なんだかとても齢を取った気分だ」 珍しくしかめつらしい貌(かお)をして、彼が姿見に向かう。わたしは、姑が呉れた真珠のネックレスを取り出しながら、ちょっと笑ってしまった。「そりゃあ、齢を捨てるわけにはいかないからね。でも、こういうのって普通、どちらかの家とか、料亭やホテルでやるものじゃないの?」 こういうのとは、結納のことである。大安である本日、この姑の家で、結納が執り行われることになっているのだ。わたし達は、手伝い兼、足係として呼ばれているに過ぎないのだが、一応、礼服を纏うことにしたのである。「両方の家からの良い方角が、たまたまこの辺りだったらしいよ。そこに親類の家があるなら、使わない手はないってことになったみたい」「なるほどね」 互いの服装をチェックしていると、留袖を着た姑がやって来た。髪もきれいに結い上げている。「そろそろ先方さんが駅に着く頃なんだけど、出られる?」「うん。すぐ行く」 彼が着て来た服のポケットから車の鍵を取り出し、じゃあ行ってくるからと部屋を出る。後に続く姑が、気遣わしげにわたしを振り返った。「顔色がよくないわ。隣の部屋に布団を敷いておいたから、横になってなさい。わたし達が帰る前に義姉たちが着くかもしれないけど、鍵も開けていくし、ここのこともそれなりに知ってる人たちだから、迎えに出たりしなくていいからね。まだ安定期じゃないんだから、無理しちゃだめよ」 姑が、わたしの世話をよく焼いてくれるのは、いまに始まったことではない。心配貌で、やっぱり自分も残ろうかと云う彼女を、微笑(わら)って大丈夫だと送り出す。「ありがとうございます。お姑(かあ)さん達も気をつけて」 乗車人数と体調の関係で、わたしはここに残ることになっていた。 姑の形の良い襟足が硝子障子の向こうに消えると、わたしも隣の部屋へと移動した。敷いて呉れていた布団に横になって、腹をさする。 旦那が齢を取るのも無理はない。彼もあと半年もすれば、人の子の親になるのだ。つづく
2007/05/01
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しかし、旦那はからりと笑って否定した。「あれはただのストレスだよ。父方の祖父母が死んだら、ころっとおれができたんだから」 旦那の父方の祖父母、つまり舅(ちち)の両親というのは、かなり昔気質な人たちで、嫁は跡継ぎを産んで初めて一人前と思うようなところがあったらしい。それで、姑はかなり辛い思いをしていたようだった。「でも、この場合の呪いも原理は同じだよね。子供を殺させることによって、女性に罪悪感を抱かせる。彼女たちの行為は、家族中が知っている。しかも、骸(むくろ)は家の敷地内にあるから、彼らは罪を忘れることがない。今は間引きなんてやってないけど、あの家の女性がそういうことをしていたという意識は残ってるんじゃないかな。きっと家長となる人は、あの函がどういったものか、先代から聞いて知っていたと思うんだ。外部の人の眼から守る必要もあったろうからね」 もちろんそうだろう。そして、あの時の様子から察するに、小母さん達も知っていたのだと思う。「そういった諸々の背景が、あそこで育った女の人達に、無意識にストレスを与えていったんじゃないかな。全てを知っている人の醸し出す空気なんかが、ね」 まだ高校生だった孫娘に、子供を産むことはできないだろうからと云った、おじいさんのことが思い出された。あの言葉がなければ、彼女は何年も思い煩うことはなかっただろうか。 そして同窓会の日、彼女がわたしに話したのは・・・・・・。「結局、一番怖いのは、生きてる人間なんだよね」 旦那にしては不穏な言葉に、そちらに眼を遣ると、いつになく哀しそうな睛(め)で微笑んでいる。 やがて彼は、徐(おもむ)ろにソファからおりて床に跪くと、そこに在るものを守るように、わたしの腹をそっと抱いた。「でも世の中、きっと悪いことばかりじゃないから。おれは本心だと思うよ。其処に書いてある彼女の言葉」 震える指で、葉書をなぞる。文面の最後は、こう締めてあった。 お互いに、元気な子が産まれますように。 あれから彼女とは、時々連絡を取り合うようになった。お互いに、順調な妊娠生活を送っている。 しかし、彼女の手紙を見る度、一番怖いのは、生きている人間だと云った旦那の睛を思い出す。 彼はあの電話の時、本当にわたしの田舎の山にまつわる風習を知っていて、函と云ったのだろうか。 旦那には少し変わったところがあり、この世ならぬものを眼にすることが多々ある。彼のそういった話を全面的に信じているわけではない。 しかし、あの時は、電話の向こうで視ていたのではないだろうか。彼に生きている人間が一番怖いと言わしめるほどの何かを。 そう、たとえば、薄暗い蔵の中に並ぶ無数の函を。 そしてその中から、自分達を棄てた母親に助けを求めて這い出そうとする、嬰児達の姿を・・・・・・。了まずは、読んでくださってありがとうございました!これもいつものシリーズですが、予定になかったので、突発の番外編ってことで。(でも、なーんか、文体が・・・・・・汗)姑と孫の話を書こうと思って、『間引き』で検索かけてたら、こんなもんができあがってしまいました。もちろん、姑と孫の話ではありません。(姑と孫の話で『間引き』って、どんなもん書こうとしてたんだ/汗)ネタ元は、数年前に流行ったらしい、2ちゃんねるのコトリバコ。(見たのはまとめブログの方ですが)何日か、恐怖で眠れない夜を経験してしまいました。昔の風習って怖いですねー。でも、怖い怖いとビクビクしながら、こんな齢になってオカルトネタにはしりそうな自分も怖いです。信じる信じないは別として、怖いものには近寄らない性質だったはずなのに・・・・・・。だけど一番怖いのは、こんなもんを書いて、バチが当たらないかということだったりして(汗)'07.5.23
2007/04/24
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「函っていうのは、子返し・・・・・・つまり、間引きの道具だよ。あの辺りの山にはわりと最近まで、女の子が生まれたら一人を残して後は神に返すっていう習慣があったんだ」 つまり、女子は長女しか残さない。長女を残すのは、もちろん子孫を残すためである。 最近といっても、明治の終わりか、大正の初めくらいまでだと思うけど、と彼は付け足す。「そうしないと家自体が全滅してしまうくらい、貧しかったんだろうね」「じゃあ、あの函には・・・・・・」「たぶん・・・・・・ね」 だから、然るべきところなら大丈夫だと請合わなくてはならなかったのか。 外はむせ返るような暑さだというのに、背筋が寒くなった。頸筋を、冷たいものが下りていく。「それを続けていたことで、あの家の女の人たちに、一種の呪いみたいなものがかかっちゃったんじゃないかな」「そんなこと・・・・・・」 あるわけがない。自分に云い聞かせるように呟いて頸を振るが、手は無意識に腹を庇っていた。函の中から、赤黒い小さな手が、女の腹に伸びてくる様が浮かぶ。 しかし、旦那は違う違うとちょっと笑った。「それもあるかもしれないけど、子供を殺さなければならなかった母親達の、悲哀とか苦悩とかがね。あの辺りでは、間引きは母親の仕事だったんだ」 産まれて来るのが一番上の子や、男の子ならいい。けれど、次女以下の女児だったら・・・・・・。「だからあそこの人たちは、心のどこかで、妊娠はしたくないって希ってたんじゃないかな」 その想いが、あの家の女性の血には流れているから。 彼はそう云いたいのだろう。 つまり、この場合の呪いというのは、死者が怨んで悪さをしているというのではなく、生者の思い込みだというのである。「昔は七歳までは神の領域で、まだ人間じゃないって考え方もあったし、間引きなんて当たり前で、そこまで思ってなかったかもしれないけどね」 神だと考えたところで、実際には人間だ。苦しみもすれば抵抗もするだろう。嫌でも自分達のしていることに気付かされるに違いない。いや、それも、繰り返すことによって麻痺していくのだろうか・・・・・・。 そこまで考えてはっとした。眼に入ったのは一瞬だったが、あの函は結構な大きさがあった。産まれたばかりの赤ん坊一人くらいならば、ゆうに入れるくらいの。あれなら、間引く赤子をそのまま入れて放置しておけば、直接手を使わずに済む。あの広い敷地の隅にある蔵なら、泣き声も家屋までは届かなかったかもしれない。 尤(もっと)もこれは、わたしの勝手な想像に過ぎないのだが。「ひょっとして、お姑(かあ)さんも・・・・・・?」 口にしてしまってから、なんてことを云ってしまったのだろうと口を押さえる。 旦那は、舅と姑が結婚して、十年近く経ってからできた子供だと聞く。そして姑(はは)は、もとは貧しい家の産まれであった。その産まれ故郷でも、似たようなことがあったとは考えられないだろうか。彼女に長い間子供ができなかったのも、そういった負の風習(しきたり)が関係していたと。つづく
2007/04/23
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「それで元気がないわけか」 同窓会から帰って、例の友人の話をすると、電話の向こうで、旦那が納得したように云った。「うん・・・・・・。大した苦労もせずに子供ができて、なんだか申し訳ないような気になっちゃって」「そりゃ仕方ないよ。おれ達に子供ができたことと、その人に子供ができないことは、別の話なんだから」「それは分かってるんだけど」 分かってはいるのだが、どうにも気が滅入る。悪いことをしたわけでもないのに、罪悪感まで覚える。こんなことをいちいち気にしていては、妊婦生活など送れないと割り切っていたし、あの子とは今ではそんなに密な付き合いもしていないのだから、気に病む必要もないはずなのだが。「妊娠してるなんて、云うんじゃなかったなぁ」 電話に向かって溜息を吐く。そうすれば、あんな話も聞かずに済んだのではないかという気がする。 旦那はまぁまぁと宥めるように云って、話の矛先を変えた。「ねぇ、それより、その子の実家って、きみの田舎にあるんだよね?」「そうよ。今は隣の市に住んでるけど」「あの、農面道路の奥の方?」「そう。あの山の中。それがどうかした?」「うん・・・・・・」 彼はしばらく沈黙した後、云いにくそうに切り出した。「その家に、開けては不可(いけ)ない函があると思うんだ。うんと旧いもので、匿(かく)すか祀るかされてると思うんだけど」 わたしは、昔ちらりと見た、蔵の中を思い出した。あそこには、幾つもの函が山積みになっていたのではなかったか。昼間でも薄暗い蔵に、幾重にも並ぶ長方形の函。黒ずんだ木目に、びっしりと何かが書かれていたようにも見えた。「それを然るべき神社に頼んで、きちんとお祓(はら)いなりなんなりしてもらえば・・・・・・」「あの子にも子供ができるって云うの?」 旦那は、はっきりとは肯定しなかった。ただ、やってみる価値はあるんじゃないかと云う。しかし、わたしが嬉々として、早速提案してみると宣言すると、少し慎重な口吻(くちぶり)で忠告してきた。「でも、その家にとっては、触れて欲しくない部分だと思うから、もしそういったものがあったらというくらいで、あまり頸を突っ込まない方がいいよ」 わたしは、蔵に入ろうとした時の、友人の祖父の剣幕を思い出した。あの蔵にあったのは、あの家の禁忌なのかもしれない。「もし提案するなら、然るべきところなら、きちんと話せば解ってくれるって云っておいて。本当はおれがそっちに行ければいいんだけど」 今のわたしをあまり拘わらせたくないという旦那に、忠告に従うことを約束して、その日は電話を切った。 同窓会から半年後の八月末。わたしの腹も、だいぶ妊娠中だと分かるようになった頃、例の友人から残暑見舞いが届いた。なんと妊娠したと書いてある。そして、それはわたし達のおかげだと、お礼の言葉がしたためてあった。 わたしは旦那の忠告どおり、開かずの函があったら祓ってもらってみるといいと云っただけなのだが、それがずばり功を奏したというのである。そして函というのは、やはりあの蔵の中のものだった。紙面上とは云え、あれ以来、初めてわたし達の間で出た『蔵』の文字に、わたしはやっと、幼い頃の悪戯を赦(ゆる)してもらえたような気分になった。 リビングのソファでうちわを仰いでいた旦那の隣に坐り、それ見せる。彼も嬉しそうに眼を細めた。「良かったね」「でも、どうしてあの家に函なんかがあるって分かったの?」 わたしは彼に、蔵で函を見た話などしていない。それに、あの函が彼女の懐妊と、どう関係してくるのかも謎である。 頸を傾げるわたしに、旦那はあまり聞かせたくないんだけどと前置きしてから話し始めた。つづく
2007/04/22
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居酒屋の裏の道を2ブロック西へ進むと、児童公園がある。互いに話し合ったわけではないが、足は自然とそちらへ向かう。幸い、酔っ払いの先客もなく、誰もいない夜の公園に、蛸の滑り台だけがライトアップされている。 石造りのベンチは尻が冷えそうだからと、二人でブランコに腰掛けた。鎖が軋んで、キンと凍った空気に、寂しい音を立てる。わたしは鎖を抱え込むようにして、コートのポケットに手を突っ込んだ。「寒っ」「ああ、呑んでないもんね。わたしは丁度いいくらい」 友人は気持ち良さそうに、夜風に貌(かお)を晒している。「小母(おば)さん達、元気? お兄さんも一昨年結婚したんだっけ?」 話は何かと訊きたいのを堪え、わたしは当たり障りのない質問をした。人前で云いたくないことならば、切り出すにはそれなりの覚悟が要るだろう。こちらから急かせるようなことはしないつもりだった。「元気よ。お祖父(じい)ちゃんは亡くなったけど」「いつ?」「もう五年くらいになるかなぁ」「なんか信じられないな。すごく元気そうなイメージしかないから」 今、この瞬間にも、何をしとる! と後ろからどやされそうな気がするほど、彼女の祖父の印象はわたしの中で強烈である。そう云うと、彼女はいつの記憶よと笑った。「わたし達が二十歳の時にはもう、そんな元気はなくなってたよ。それに、もう九十が近かったからね、体にあちこちガタも来てたわけよ。ま、でも、わたしの花嫁姿も、兄貴の子供も見れて、本人もそれなりに満足してたんじゃないの」「そっか」 強い風が貌に吹き付けてきて、思わず眼を瞑る。風に舞い上げられた小石が遊具にでもあたるのか、カンコンと澄んだ音がする。「でもね、お祖父ちゃん、年取ってから、ちょっとおかしなことを云うようになってたの」「おかしなことって?」 認知症にでもなっていたのだろうか。「わたしに養子を取れって」 わたしは眉を顰めた。それでは、彼女の兄の立場はどうなるのか。仲がうまくいっていなかったのだろうか。 しかし、そんなわたしの疑念を察したように、彼女は婿養子のことではないのだと云った。「うちを兄が継ぐことには、お祖父ちゃんも異存はなかったのよ。わたしに云ってたのは、婿を取れってことじゃなくて、どこかから子供を貰えってこと」 彼女は、それをまだ高校生のうちから云われていたのだという。「いずれ結婚して子供が欲しくなったら、養子を迎えなさいって。わたしには子供を産むことはできないだろうからって」「なにそれ」「わたしも何それって思ってた。躰(からだ)に異常は感じなかったし、事実、今だって検査してもどこも悪くないのよ。でも・・・・・・」 できない、と彼女は小さく呟いた。白い息が天に昇るように大気に溶けていく。 聞けば、彼女は三年程前から不妊治療を受けているのだという。しかし、いくら検査をしてみても、ご主人にも彼女自身にも異常はないのに、子供ができない。それで最近、祖父の言葉がひっかかってきたのだというのである。「よく考えてみたら、うちの直径・・・・・・父方の親戚の女の人って、みんな子供がいないのよ。父の姉のところには一人いるけど、向こうの親戚から貰った養子でね、妹に当たる伯母達のところは夫婦二人だけなの。祖母に聞いたら、祖父の姉や妹達のところも、実の子はいなかったって」 気温が、更に下がった気がした。 血筋ということだろうか。けれど、彼女の躰に異常はないという。考えすぎだと云ってやりたかったが、無責任な気もして云えなかった。 わたしは自然と、手をポケットに入れたまま、腹をさすっていた。その行為を意識した時、彼女に対して悪いことをしているような気になった。つづく
2007/04/21
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昔、友人の家の蔵に入り込もうとして、ひどく叱られたことがある。 その家は、民家の少ない山の中腹にあり、広い敷地を擁している。その敷地の隅に、忘れ去られたようにあった蔵は、幼いわたし達にとって格好の遊び場のように思われた。そこで、わたし達は、そこを二人の秘密基地にする計画を立てたのである。 しかし、家人に内緒で鍵を持ち出したのが災いし、やっと南京錠を開けて中に足を踏み入れた時には、友人の祖父に首根っこを掴まれる結果となる。 何をしとる! ここに入ってはいかん! 憤怒の形相で睨まれ、わたし達は平謝りに謝った。中の物を見たかと問われ、ふるふると頸(くび)を振る。やっと扉を開けたところで掴まえられたのだ。函(はこ)のような物が並んでいたのが、ちらりと見えたのが関の山である。正直に応えると、友達の祖父は、表情を緩めてわたし達を解放した。 しかし、ことはそれだけでは終わらなかった。 母屋に帰ると、友人の祖母と母親が泣いていた。小母さんに、二度と蔵には近づかないように、そしてこのことは他言しないようにと懇願するように云(い)われて、わたし達は肯(うなず)くしかなかった。 怒られるのは分かる。しかし、どうして泣かれなければならないのか。わたし達にはさっぱり分からなかった。けれど、小母さん達の動揺は、おじいさんの逆鱗に触れたことよりも、わたし達に罪悪感を抱かせた。自分達は、何か取り返しのつかないことをしてしまったのかもしれない。 パンドラの函でも開けてしまったような気分で、その日は帰った。 以来、彼女とその蔵のことについて話し合ったことはない。 同窓会の会場である居酒屋には、もうほとんどの出席者が集まっていた。数にして十四、五人。幹事役の話では、年々減っているという。かくいうわたしも、初めての出席である。懐かしい人もいるにはいるが、別に元同じクラスだった人間全員に会いたいとも思わない。わざわざ帰省してまで集まりに参加しようという気には、なかなかなれなかった。 今回は、毎回欠席するのも悪いかと思い、珍しく出欠葉書を出席で投函していた。それでも、同窓会直前になって妊娠が発覚し、行くのを止めようかと散々悩んでいたのだが。 子供が産まれたら、ますます行けなくなるんじゃない? 今のうちに行ってきたら? 旦那にそう云われて、最初で最後のつもりで出てきたのだった。「ほんと久しぶりだよな。会うのは成人式以来か」「結婚したんだって?」 話しかけてくる元クラスメイト達に、頭の中で昔の貌と照らし合わせて名前を思い出しながら、相槌を打つ。もう年賀状のやり取りをしている友人すらいないが、結婚などの噂は広まっているようだ。出所は親あたりか。「そろそろ乾杯するって。ビールでいい?」 幹事役の子が空のグラスにビール瓶の口をつけるのを、わたしは慌てて遮った。「わたしは呑めないから」「そんなに弱いの? 一口くらいダメ?」 しつこく勧めてくるその子に、腹を押さえて見せる。「妊娠中で」「あら、そうなの。そりゃ報告しなきゃ」 誰に? と問う暇もなく、次の瞬間には、その子がわたしの妊娠を大声で発表している。 乾杯は、久しぶりの再開と、わたしのおめでたにということになった。「久しぶり。元気そうだね。おめでたって本当?」 コース料理も終わりに近づいてきた頃、ウーロン茶でちびちびやっていると、懐かしい貌が腹を覗き込んできた。例の蔵の家の子である。「うん。もうすぐ三ヶ月」 触ってもいいかと訊かれ、どうぞと腹を突き出す。まだそうと分かる程には出ていない。「そっちは? まだ作る気にならないの?」 彼女はもう七年くらい前に結婚している。しかし、若くして結婚した所為もあり、まだ遊びたいから子供は作っていないと聞いていた。「ならないってわけじゃないんだけどね・・・・・・」 わたしの腹から手を外して、呟くように応える。やがて、店の出入り口の方へ顎をしゃくって、ちょっといいかと訊いてきた。外に行かないかというのだ。 わたし達は幹事に一声掛けると、コートを引っ掛けて席を立った。つづく四編くらい書き溜めしていると言ったような気がしますが・・・・・・。ちょっと寄り道。いつものシリーズですが、これも番外ってことで。よろしければ読んでやってください。
2007/04/20
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それを思い出すと、ますますわたしの身体は萎縮して動かなくなった。女の手が、どんどん腹に近づいてくる。視界の隅に、女の貌(かお)が映る。貌にかかる毛髪の間からのぞく睛(め)が光って見え、美しい女の貌が、鬼女のそれに変わる。何故こんな幻想を見るのか分からない。ただ、女に対して、わたしが本能的に云(い)い知れぬ恐怖を感じているのは確かなようだった。 そして、女の手がとうとうわたしの腹に触れようとしたその時、背後から聞き慣れた声がした。「子供なら、ここにいますよ」 女の手がぴくりと止まる。「先程はどうも。・・・・・・と云っても、今の貴女は憶(おぼ)えておられないでしょうね」 旦那だった。何処から持って来たのか、枝についたままの柘榴の実を携えている。 女はわたしに伸ばしていた手を引っ込め、立ち上がって彼と向き合った。「子供はそこじゃない。ここにいます。お探しだったんでしょう? 小さな子供を」 彼は穏やかな笑みを浮かべて、柘榴を枝ごと女に差し出した。わたしの頭上で、女がそれを受け取る。毀(こわ)れ物を扱うような、慎重な手つきである。そしてそれを手中に収めると、彼女は逃げるようにその場を走り去った。「どうにか間に合ったみたいだね。さ、行こうか」 呆然と女を見送っていたわたしの肩に、旦那が手を置いてきた。そこを起点に、見えない呪縛が解けるように、すうっと身体が楽になる。わたしは自由になった手で脂汗を拭いながら、よくあんな恐ろしい女と平然と話せるものだなと、いつもの笑みを浮かべている旦那をまじまじと眺めた。それに気づいたのか、彼が疑問符を投げてくる。「何?」「ん・・・・・・いや、あの、ありがとう」 彼らがどういう知り合いなのか、何故、柘榴が子供になるのか、さっぱり分からない。しかし、彼が何かを察して助けてくれたのだろうという気がした。 「でも、柘榴の実なんて、どこから持って来たの? 今は時期じゃないでしょう」 旦那の車の助手席に乗り込みながら問う。後部座席には、まだ沢山の柘榴が転がっている。「そうなの? いつが季節だったっけ?」「秋くらいじゃなかったっけ。少なくとも、こんな極寒の二月じゃなかったと思うけど」「ふーん。きみが体調悪いって云うから貰ってきたんだけど」「調子が悪いのは胃で、腸じゃないんだけど」 柘榴の実は、乾燥させて煎じたものを服(の)めば、下痢が止まるという。しかし、わたしは別に下しているわけではない。上げているのだ。「全く、あなたといい、先刻(さっき)の女といい・・・・・・」 胃ではなく、腹部に手を当てようとした女のことを思い出し、わたしは忌々しげに呟いた。「ああ、別におれは民間療法に使おうと思って貰ってきたわけじゃないよ。これはただのお守りみたいなもの」「柘榴がお守り? 健康祈願とか?」 先刻のことから推してみると、厄除けかもしれない。「ちょっと違うけど・・・・・・あ、病院に着いたよ」「え? ちょっと、ここ・・・・・・」 その病院の待合室には、懐に赤ん坊を抱き、左手に吉祥果を持った、美しい女の絵があった。鬼子母神(きしもじん)である。しかしその絵は少し変わっていて、貌の表情が、真ん中から微妙に違っている。左半分は慈母の微笑みを湛えているのだが、右半分は睛がぎらつき、額の端には角のような物も見える。それを見て、わたしははっとした。「まさか、あの女・・・・・・」 訶梨帝母(かりていも)は五百人もの子供を持つ母であると同時に、もとは人間の子供を攫って喰らう夜叉女だった。それが、お釈迦様に最愛の末っ子を隠され、子を喰われた親達も同じ気持ちを味わったのだと諭されて改心し、出産と幼児を庇護する鬼子母神となる。「そういえばお釈迦様は、人肉の代わりに柘榴の実を鬼子母神に渡したのよね」 だから、鬼子母神は左手に柘榴の実を持っている。「うん。でも、柘榴ってね、ひとつの実の中に、種子がたくさんあるでしょう? だから、鬼子母神が柘榴の実を持っているのは、子沢山や安産を祈ってるっていう説もあるんだって」 彼は云って、鬼子母神の絵を見上げた。「とても信じてもらえないと思うけど、あの柘榴、実は先刻の女が呉れたんだよ」 それはもちろん、彼の勘違いか、他人の空似に過ぎないだろう。だが、もしもそうなのだとすれば、彼女は今も、夜叉と神の間を行ったり来たりしているのだろうか。改心し、人の子を護るように柘榴を配りながらも、ふとした拍子に人肉を求めて止まない夜叉になって彷徨(さまよ)う・・・・・・。いや、ひょっとしたら彼だから、彼の子だから狙われたのか。 そこまで考えて、わたしはかぶりを振った。そんなことがあるわけがない。それに、彼だからというのなら、狙われたことよりも、実を呉(く)れたことを思おう。「お守りにって、そういうことだったの」 わたしが云うと、彼は少し照れたように微笑(わら)って、そうと頷いた。 彼が車を入れたのは、産婦人科の駐車場だった。 検査の結果、わたしは妊娠二ヶ月目に入ったところであった。了この話を書き終えたのは、四月七日。もちろん、先に載せた『月白く』より前でした。(というか、これを書いた時には、あちらの構想はなかった)これを先に載せるとあちらのオチがすぐに分かっちゃうと思い、あっちを先に載せたのですが、『月~』がこのシリーズだと分かると、この話のオチが分かってしまうので、苦肉の策で『月~』のカテゴリは未分類にしました。しかし、すぐに同じシリーズであることがバレてしまい、あちらを読まれた方は必然的に、こちらのオチが最初から分かってしまう状態に(汗)そうじゃなくても分かる人にはすぐ分かっちゃうよねーと、よけい自分が凹むような言い訳をしつつ・・・・・・(タイトルがタイトルだしな)最後まで読んでくださった方に感謝致します。ありがとうございました。
2007/04/11
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彼が、父親の遣いで寺に行った時のことである。 この辺りの道は、おまえのような子供が一人で歩くには危ない。これを持って行きなさい。 住職がそう云(い)って、帰ろうとする彼に厚い皮に覆われた実を持たせた。彼の小さな手からはみ出すほどのそれは、皮が弾けており、裂け目から紅玉のような紅い実がてらてらと光っていた。 なに、これ? 柘榴の実だ。 実って、食べれるの? 住職が肯(うなず)いたので、彼は裂け目に鼻を寄せた。しかし、山土のような匂いがするばかりで、とてもおいしそうな物には思えない。それどころか、ひび割れたような裂け目から赤い実がのぞく様は、どこか化け物が口を開けているようで、気味が悪い。 貌(かお)をしかめている彼を見て、住職は忠告した。 気持ち悪くても、持って行かなければ不可(いけ)ない。そして、どんな女の人に声を掛けられても、決してついていっては不可ない。分かったね。 彼はよく分からなかったが、住職の剣幕に圧されて頷いた。天(そら)が橙から茜に変わろうとしていた。 来た路を引き返していると、一人の女が佇(た)っていた。髪の長い女である。住職の言葉を思い出し、ぶるりとひとつ、身震いする。 彼女は最初、貌を伏せて泣いているように見えた。だが、彼が急いで傍を通り過ぎようとすると、貌を上げて話しかけてきた。 ぼうや、探してたんだよ。お母さんに頼まれて迎えに来たんだ。さぁ、一緒に帰ろう。 彼の前に指の長い手が差し出される。 なんだ、おかあさんの知り合いなのか。安堵して、彼が右手を差し出そうとしたとき、女の口許が睛(め)に入った。薄い唇から、ちらりと紅い舌がのぞく。それが舌なめずりしたように見えて、彼は出しかけていた手を引っ込めた。 どうしたの? さあ、おいで。 女が微笑んで彼に迫ってくる。その貌はとても美しく、睛はどこか哀しげですらあったが、彼はかぶりを振って後退した。こんな人が、母親の知り合いにいるはずがない。こんな怖いくらいにきれいな人が。 彼は女に柘榴を投げ付けて走り出した。 途中、一度だけ振り返ると、女があの柘榴を貪るように食べていた。女の口許から、紅い柘榴の汁が血のように流れていた。 その女性に話しかけられた時、旦那のそんな昔話を思い出した。 どこか憂いを帯びたような、それでいて、強靭なものを携えたような睛。柔らかそうな白皙にうねるような漆黒の髪。なまめかしい口許。怖いくらいに美しい。その形容がぴたりと合うように思えたのだ。 西陽の射し込む会社のロビーで、彼女は明らかに異質であった。たいていの女性従業員が、長い髪は束ねたりひっ詰めたりしている中で、脹脛までもある髪の毛を振り乱し、睛をぎらつかせて歩いている。服装も、とても仕事をしに来ている人間には思えない。 そんなことを思うわたしも今は、傍から見たら仕事をしに来た人間には見えないだろう。 あんな女、うちの会社にいただろうか。取引先の人間とも違うような気がする。 ぼんやりとした頭で考えながら、わたしはロビーのソファに横になっている。 少し前から体調が芳しくない。どうも、流行りの胃腸風邪をひいてしまったようなのである。仕事中にも何度も嘔気が来て、とうとう今日は早退することになった。幸いなことに今日は旦那が休みで、迎えに来てくれることになっている。「あの・・・・・・」 決して肌触りがいいとは云えない合皮のソファに頬を押し付けていると、例の女が話しかけてきた。わたしは応えるのも億劫で、ソファに転がったまま、何かと訊いた。「子供を見かけませんでしたか? これくらいの」 彼女は自分の太腿辺りで掌を水平にした。その高さなら、三歳か四歳くらいだろうか。 わたしはかぶりを振った。かれこれ二十分くらいここで旦那を待っているが、子供など見かけていない。「お力になれなくてすみません」 女の切羽詰った様子に申し訳なくなり、わたしは身を起こして云った。やはりこの女は、会社の人間ではないのだと妙に納得しながら。きっと、迷ってこの建物に入ってしまった我が子を追ってきたのだろう。「いえ、いいのです。それより、ご気分がお悪いようですが」 女は、今初めてわたしの様子がおかしいことに気づいたといった調子で、気遣うように身を屈めてきた。黒髪がわさりと蠢き、わたしの鼻先をかすめる。何か独特の臭いが立ち込める。何処かで嗅いだことのある臭いだが、よく思い出せない。どこか甘く、生々しい臭い。彼女が貌を近づけて来ると、わたしの額から脂汗が滲み出てきた。「ええ、数日前から胃腸風邪をひいてしまったようで」 わたしはうつしては不可ないからと云って、鼻と口を手で覆い、女から貌を背けた。臭いも避けたかったが、女の貌を直視するのはもっと避けたかった。彼女が屈んできて、その艶めいた口許が眼に入った時、何か見ては不可ないものを見たような気がしたのである。「それでしたら、ちょっとわたしに診せてくださいな」 わたしが結構ですと云う前に、女はわたしの下腹辺りに手を伸ばしてきた。わたしは身を捩(よじ)って逃げようとしたが、動けなかった。ただ腹を触られるだけのことが、取り返しのつかないことになるような気がする。しかし、胃を押さえていた手を下げようとしても、身体が強張って動かない。女の長い指が視界に入る。その時、先程見たものを思い出した。 舌なめずりだ。獲物を仕留めた獣のように、女が舌なめずりをしたのだ。薄く開いた唇から紅い舌がのぞく様は、まるで柘榴の裂け目から、中の実が零れ出てくるようだった。つづく※ これは『月白く』よりもずっと前、『夢現』の翌月の話です。
2007/04/10
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「本当に良いの? 姉ちゃんが極(き)めた名前にしちゃって」 月明かりだけでも十分に明るい病室で、蛍光燈のスイッチを入れながら、先に入った黒いパーカーの背中に問う。義兄(あに)は此方に背中を向けたまま、いいんだよと応えた。「いいんだよ、名前なんて誰が付けても」 子供の、である。満月の日には出産が多いと聞くが、姉も満月である今日、無事に女の子を出産した。「だけどさ、あんなに四六時中考えてたのに。それこそ夜も昼もないくらいにさ」 云(い)ってから、しまったと思った。自分が見ていたのは、夢の中の義兄だ。彼が現実にそうしていたとは限らない。「あんな名前にして、あの子が大きくなった時に怒らないかな。なんでおばあちゃんと同じ名前なのよって」 慌てて付け加える。姉は何を考えているのか、義兄の母親と同じ名前を、自分の娘に付ける心算(つもり)らしい。 あの後、おれは電話の音で眼が醒めた。受話器を取ると義兄からで、姉が産気づいたので、家族はみんな病院に居るという。あの夢の後だったので一瞬動揺したが、もともと、姉が今日までに産気づかなければ入院することになっていたので、義兄も夕方には此方に来ることになっていたことを思い出し、自分もすぐに病院に駆けつけた。その時にはもう日が暮れており、姉は陣痛室というところに入っていた。それから更に数時間が経ってから、姉は分娩室に移り、先ほどやっと、お産を終えたのだった。今も後処理があるとかで、まだ病室には戻ってきていない。父は喫煙コーナー、母は自販機コーナーでそれぞれ一息吐いており、一人部屋である姉の病室には、義兄と自分だけが先に帰ってきている。 産科の病室に男二人でいるというのは、あまり落ち着かない。でもそれはこちらだけのようで、義兄は常と同じ調子で寛いでいる。姉の使っている寝台に軽く腰掛け、羽織っていたパーカーを脱ぐ。中は白いカットソーである。下はベージュの綿パンで、実は夢と同じ服装だったのかと、今更気づく。「名前はお母さんが付けたんだって云うよ」 彼はいつもの穏やかさで応えた。「そうしたら今度は、お父さんはあたしのこと何にも考えてくれなかったのねって云い出すかもね」 相手の貌(かお)を覗き込むようにして、ちょっと意地悪く云ってみる。「もしそんなことになったら、きみが娘に云ってやってよ。お父さんはずっと名前を考えてたよって。たった一人の証人なんだから」「え?」 そこへ、姉が看護師に伴われて戻ってきた。あれこれと説明を受け、礼を述べて若い看護師を見送ると、這うようにして、寝台に横になる。「もう、へとへと」「ありがとう。お疲れ様」 義兄が労いの言葉をかける。たしかに姉は憔悴しきっているように見える。しかし、蒼白な貌の中に、何かを成し遂げたという達成感のようなものも見え隠れし、我が姉ながら、神々しくさえ見えた。赤ん坊は猿のようだったが可愛く、思ったほど複雑な気持ちにならずに済んだが、こういうのを見ると、敵わないなと思う。「外出とくよ。お疲れ」 いたたまれない気分になって廊下に出ようとすると、姉が呼び止めてきた。「気分は良くなった?」「え? うん」 眠気はさっぱりと何処かに消えていた。夢の中とはいえ、自分の気持ちを吐き出したからだろうか。久しぶりに頭が冴え冴えとしている。「良かった。あんた今朝、顔色が悪かったから」 心底ほっとしたというように云われて、ぽかんと口が開いてしまった。「呆れた。自分が大変な時に、人の心配してたのかよ」「呆れるのはこっちよ。旦那が来てチャイム鳴らしても、全く気づかずにぐうぐう寝てたんでしょ。しかも玄関の鍵開けっ放しにして。二時頃に家に電話したら旦那が出るんだもん。びっくりしちゃった」「おれもびっくりしたよ。着いたら鍵は開いてるのに、誰も出てこないんだもん」「だけど、鍵が開いてて良かったじゃない。そうでなかったら、あなたは何時間もずっと閉め出しだったんだから」「ちょっと待ってよ。義兄(にい)さん何時に着いたの? 四時頃着く予定じゃなかったっけ?」 義兄を見ると、秋風に揺れる湖水に浮かぶ満月のような微笑みが返ってきた。「出張先の仕事が早く終わったんだよ」「一時だって」 問いに答えたのは姉だった。出産時の傷にこたえないよう、そっと笑う。「早く着くなら着くって云えばいいのにね」 後に知ったことだが、産まれてきた赤ん坊の掌には、真珠の首飾りが巻き付いていたらしい。白く光る珠は、煌々と輝く月のようだったという。了読んでくださってありがとうございました。読んでくださる人を、どこまで騙くらかせるか企画第?弾でした。『あの人』若しくは語り手が、告白の部分まで女性だと思われていれば、この企画は成功です。感想はなくても「騙された」とか「いや、最初から分かってたぞ」など、気づいたか気づかなかったかだけでも、コメント欄で教えていただけると嬉しいです。でも、そればかりを気にして、内容はいつにも増してつまらなかったような・・・・・・(汗)しかも、嫌いな人には嫌いな展開ですよね。すみませんでした~。一人称なしは苦しいから、今度はどっちでもOKの『私』でやってみたいです(まだ足りないってか)そう考えると、宮部みゆきさんの『スッテップファザー・ステップ』は、ほんとすごいですね。主人公の性別ははっきりしてたけど、一人称がなくてもぜんぜん違和感なかったもんなぁ。(二話目からは一人称あったけど)'07.4.29
2007/04/05
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「どうしてって・・・・・・云(い)われても・・・・・・」 自分で自分を見下ろしているという状態に、息を呑む。いくら夢の中とはいえ、その光景に眩暈がする。腰高窓から入る秋の日差しが、室内を白くする。 その人はベッドに歩み寄ると、そっと横たわっている躰(からだ)に触れた。左手を取られ、見下ろしている躰がされていることなのに、自分の脈が速くなる思いがする。「云ったろ? 魄(はく)がないと器は長くは保(も)たない。きみは早く躰に戻らないと」 今度は立っている自分の左手首を取られ、思わず赤面する。貌(かお)を近づけられ、云われたことは全て頭を素通りしていく。ただ、その人の切迫した様子と、眼の前の事態にただならぬものを感じて、疑問符だけを搾り出す。「どういう・・・・・・こと?」「こういうことだよ」 その人は、今度は右手を取って、握っていた左手首に当てた。 最初はされていることの意味が分からなかったが、自分で自分の脈に触れ、その人の云いたいことが次第に分かってきた。血が上っていた貌から、それが引いていくのが分かる。いや、貌に血が上っていたと思ったことすら錯覚に過ぎないのだろう。自分の左手首に、脈はなかった。 表情の変化に気づいたのか、その人は刺すような視線を、いつもの優しい眼差しに戻した。「とても云い辛いことみたいだけど、何かあるんでしょう? 話してくれないかな。頼りないかもしれないけど、今は他にいないんだ」 頼りないからではない。この人だから云えないのだ。いや、この人だけではない。姉や両親や友人にも云えない。云えるわけがない。「このままだときみは、本当に此処から抜け出せなくなってしまう」 必死なその人の言葉はしかし、自分にとって、ひとつの道であるようにも思われた。 この先一生、叶わぬ想いを抱いていくのなら、このまま夢の中で朽ちていくのも悪くない。この人を忘れようにも、忘れられない立場に自分はいるのだから。「いいよ、このままで。もういい」 かぶりを振って、取られていた手を引くと、今度は肩を掴まれた。「良くないよ。きみは良くてもこっちは良くない」「何で? いいじゃん。子供だって生まれるんだし。一人くらい減ったって・・・・・・」「良いわけない! 子供が生まれたって、きみが居なくなっていいわけない」 その人は哀しそうな睛(め)をして、肩を掴む手に力を込めた。「そんなことになったら、子供が無事に生まれたって誰も喜べないよ」「本当に?」「少なくとも自分は」 ほろりと、眼から泪(なみだ)が零れた。わずかに自分より背の低いその人の肩に、頭を凭(もた)せ掛ける。 誰でもないこの人に、そう云って欲しかった。 頭を上げ、しっかりとその人の睛を捉えて告げる。「おれはあなたが・・・・・・義兄(にい)さんが好きなんだ」 視界が潤んで、月が、揺れた。 義兄(あに)への想いに気づいたのは、一年半ほど前のことである。 それまでなんともなかったのに、急に姉夫婦が二人でいるのを見るのが辛くなった。最初は、実の姉に惚れてしまったのかと悩んだが、次第に義兄の方に気持ちが動いていることに気が付いた。しかしさすがに、姉ではなかったと喜ぶわけにはいかない。相手は男で、しかも姉の旦那である。結果、姉を好きになるのと同じくらい厄介なことを背負い込むこととなり、一時は誰にも云えない悩みで押し潰されそうになった。 しかし、その状態がずっと続いていたわけではない。去年の九月頃に交通事故に遭ってからは、何か吹っ切れたようになっていた。再認識したのは、姉の妊娠を聞いてからである。そして夢を見るようになったのは、姉が出産のために郷帰りしてきた日からであった。つづく
2007/04/04
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翌日は、大学の講義も休んで家で寝ていた。姉は訝しがったが、講師の都合で休講になったのだと云(い)うと、納得して母と一緒に出かけて行った。父も出勤しており、他にぶつくさ云う者もない。 休講になったなど、もちろん嘘である。躰(からだ)が動かないのだ。いくら眠っても、眠った気がしない。眠れば必ず、あの人の夢を見る。しかし、その中で交わす会話さえも、だんだんと茫漠としたものになっていく。眠っている間にも、眠気を感じるようになっていた。 昨夜の夢では、その人はマンションでも実家でもない場処(ばしょ)に居た。六畳ほどの和室で、十四インチくらいのブラウン管型テレビと小さな卓があるだけの、簡素な室(へや)であったと思う。その人はやはり、漢字を書き出した紙片とにらめっこをしていたが、来ていることに気が付くと、しきりに躰のことを訊いてきた。とても気に掛けて呉(く)れていることが分かり、痛い程嬉しかったが、正直に話すともう来ては不可(いけ)ないと云われそうで、ほんとうのことは云えなかった。 朝方には、見知らぬ土地を散歩していた。かさりかさりと音を立て、落ち葉の絨毯を踏みしめていく。ひんやりとした朝靄が、その人の姿を隠そうとする。白いカットソーの背中が見えなくなるたび、自分はあの人から遠ざけられているようで不安になる。近づけば近づいたで、色づいた木々の中に埋もれてしまいそうに見え、躰を捕らえてしまいたくなる。しかし、また躰のことを問われたらと思うと、声を掛けることさえ憚られた。 その次に見た夢の中では、特急列車に乗っていた。文庫本を読んでいたかと思うと、時折思い出したように手帳を取り出して、何事か書き付ける。子供の名前候補の漢字であろうと思われるが、気づかれるのが怖くて、あまり傍には行けない。やがてその人は、細い首筋をむき出しにして頭を垂れたかと思うと、寝息を立て始める。それにつられるように、自分もまた眠りの中の眠りに墜ちていく。 まどろっこしい思いをしながら眼を醒ますと、午(ひる)を少し廻っていた。玄関の呼び鈴が鳴ったような気がして、階下に行く。しかし、鍵を開けて外を見廻(みまわ)しても、薄荷水のような空気が頬を撫でるばかりだった。 うつらうつらしながら、台所にあった昨夜の残り物を食べ、たいして空いてもいなかった腹を満たす。まだ誰も帰ってきてはおらず、家の中は森閑としている。台所を出るときに鳴った一時を告げる柱時計の音が、やけに大きく感じられた。 また眠るにしても、歯ぐらい磨こうかと洗面所に向かっていると、玄関から呼ぶ者がある。半分眠ったような頭を掻きながら玄関に出て、自分が完全に眠っていることに気が付いた。「あ、今日はうちなんだ」 上がり端に、あの人が腰掛けていた。こんにちはと云って立ち上がる。白いカットソーに、ベージュの綿パンを穿いている。今朝から見ている夢と、同じ格好である。「うん。早く来すぎたから、誰も居ないかと思った」「とりあえず、上がる?」 その人を促して、急な階段を上る。居間へ通すのが普通かとも思ったが、自分の夢なので、自室に通すのも有りなように思われた。あまりうちに来ることのない人だからか、夢の舞台がうちになることは今までになかったので、少し戸惑う。「先刻(さっき)は、一寸(ちょっと)眼が醒めてたんだ」「一寸ってことは、ずっと眠ってたってこと?」 室の襖を開けて云うと、その人はいつになく険しい表情で問い詰めてきた。「ずっとってわけじゃないよ。途中、何度か眼が醒めたし。・・・・・・疲れてたんだよ」 何故そんなに気にするのかと思いつつも、何か悪いことをしたような気分になって俯く。すると、頭上で溜息が聞こえた。「そりゃ、疲れて当然だよ。ねぇ、何をそんなに思い悩んでるの? 今日こそはちゃんと話してよ」「別に悩みなんかないって」「だったらどうしてこんなことになってるの!?」 その人は、室の東側にあるパイプベッドを指す。 その指先を追って、瞠目した。ベッドの上には、うつ伏せの状態で、手足を投げ出したまま横たわる、自分の姿があった。つづく
2007/04/03
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「また来たの」 見慣れたマンションのリビング。その人は書き物をしていた手を止め、貌(かお)を上げた。「迷惑?」 向かいのソファに腰かけながら問う。その人は穏やかに微笑んだ。「まさか」「じゃあ、歓迎してくれる?」「してるよ、いつも」 歓迎の印に珈琲でも淹れようかと云って立ち上がる。ローテーブルの上に残された紙片には、子供の名前に使おうと思っているらしい漢字が、無数に書き散らしてあった。自分の名前の中の漢字を見付けて、少しだけ鼓動が早くなる。「でも、きみにとって良いことだとは思えないから」「何それ」 この人は知っているのだろうか。この胸の内に渦巻く想いを。だから、遠まわしに牽制しているのだろうか。「最近、躰(からだ)がだるかったりしない? 熱っぽいとか」 珈琲を載せた盆を携えて、その人は気遣わしげな視線を向けてくる。その眼差しが、何よりも微熱を誘っていることを、この人は本当に知らないのだろうか。 その人の睛(め)はいつも、全てを見透かしているようにも、何も知らないようにも見える。夢の中だからだから、自分の都合の良いように見えているのかもしれない。「此処に来るからだって云(い)いたいわけ?」 珈琲を受け取って訊き返す。その人は向かいの床に直に腰を下ろして、たぶんと肯(うなず)いた。「魄(はく)がないと、器は長く保たないんだよ」「何のこと?」「ねぇ、こんなにしょっ中来るなんて、やっぱり何か相談事でもあるんじゃない? 相談じゃなくても、云いたいこととか」 云いたいことはある。でも、それを云うわけにはいかない。 この人が好きだ。「ないよ、別に」 視線を落とし、ぞんざいに応える。机上の紙片に書かれた無数の名前候補が眼に映る。どの文字も、生まれてくる子供への想いで溢れている。 夢の中でさえ、この希(のぞ)みが叶うことはない。 鰯(いわし)雲(ぐも)が、赤く染まった腹を見せつけるようにして、棚引いている。雲は天(そら)高くを流れているにも関わらず、自分の内に垂れ込めてきそうで憂鬱になる。日が暮れる前に帰路に着いたことを少しだけ後悔する。バイトに向かう時は、天など気にすることはないのだが。「・・・・・・うん、うん。それが、まだなんだよね。昨夜はちょっと張ってたけど、今朝病院に行ったら、まだ降りてきてないって。初産は遅れるって聞くから、あまり気にしないようにはしてるんだけど」 家に着いて硝子格子戸を引き開けると、玄関脇の部屋から姉の声が聞こえてきた。電話中なのだろう。相手の声は聞こえない。 彼女の部屋は二階に残っているのだが、妊娠中ということで、今回の帰省では一階の部屋を使っている。「分かった。四時頃ね。迎えに行けなくてごめん。うん。ありがとう」 電話を切る気配とともに、硝子障子を開いて、姉が出てきた。「珍しいね。こんなに早く帰ってくるなんて」「そうかな」「どっか悪い?」「そんなことないけど」「ならいいけど」 姉は腹を突き出すようにして、電話の子機を持った手をふりふり、狭い廊下を歩いていく。 本当は、躰がだるくて仕方がなかった。ここ数日、四六時中眠気が襲ってきて、気づくと居眠りをしている。しかし、いくら寝ても、一向に躰が楽になることがない。「彼があんたのこと心配してたよ」「義兄(にい)さんが?」 電話の相手は、義兄であったらしい。「うん。最近、体調が悪いんじゃないかって」「何で?」「さぁ。あの人、ちょっと変わってるから。でも、第六感みたいなのが働くから、侮れないんだよね」「姉ちゃんもとうとう第六感とか云うようになったか」 姉は至極現実的な人だった。それが、どこか非現実的な義兄と結婚し、近頃は感化されつつあるようだ。夢のお告げだの、虫の報せだのといった言葉を、しばしば口にする。「だから躰にはくれぐれも気をつけなよ」「その台詞、そっくりそのままそっちに返すよ。妊婦が気をつけなくて、誰が気をつけるっての」「わたしはちゃんと気をつけてるからいいんだよ。でも、気をつけ過ぎなのかなぁ。まだ出てこない」 そう云いつつ、姉は心配そうに腹をさする。予定日から、一週間近くが過ぎていた。つづくあ、リンクさせていただいてるところへの徘徊は、もうちょっとお待ちください。G.W.中にできたらいいな~。
2007/04/02
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旧い民家の二階だろうか。天井の低い和室で、その人は文机に向かっている。熱心に何を読んでいるのかと思い、手元を覗き込む。と、その人は、気配に気づいて振り向いた。「また来たの」「みたい。邪魔だった?」「そんなことないけど」 その人は云って、手にしていた本を閉じた。分厚いそれは、名づけ事典だった。「此処は?」 見慣れない和室を見回して問う。文机の対極に飾り箪笥がある。その上につくばいがあり、中に竜胆(りんどう)が挿してあった。あきらかに、その人が住んでいるはずのマンションではない。「実家」「ふうん。帰ってるんだ」 この人はここで育ったのかと思うと、少し胸が高鳴った。気取られないように、畳の上にどっかりと胡坐をかく。「夕飯を食べたらマンションに帰るけどね。きみはかえらないの?」「何処へ?」「かえるべき場処(ばしょ)があるでしょう」「う・・・・・・ん。もうちょっと眠っていたい気分なんだ」「そんなこと云ってると、起きられなくなっちゃうよ」「それもいいかも」 そう応えると、貌(かお)だけ振り向いていたその人が、文机の燈(あかり)を消して、躰(からだ)ごと此方に向かって座りなおした。寛げた襟元からのぞく線の細い首筋が、その人から視線を逸らさせる。「・・・・・・やっぱり、何かあったんじゃない?」 真剣な眼差しで訊いてくる。「別に何もないって。秋眠暁を覚えずってね」「それを云うなら、春眠でしょう」 少し困ったような微笑は、水面で揺れる月明かりを連想させる。 眼が醒めると、部屋が冷たくなっていた。バイトから帰って転寝してしまったらしい。半袖のTシャツの上から、投げてあった長袖シャツを羽織って、開け放していた窓に向かう。冴え冴えとした半月が、天(そら)に浮かんでいる。 すっかり冷えてきた夜気に頭を晒しながら、まただと思う。最近、眠ると必ず、夢にあの人が出てくる。あの人はたいてい家で寛いでいるのだが、今日のように家以外の場処にいることもある。しかし極(き)まって、自分はそれが夢で、あの人と現実に会っているわけではないのだということに気づいている。しかも、その夢は続いているのだ。 窓を閉めて自室を出る。昔ながらの急な階段をつたって下におりると、電話をしていた姉が呼び止めてきた。持っていた電話の子機をこちらに突き出す。「今、旦那と話してるんだけど、彼がたまにはあんたの声が聞きたいって」「いいよ。別に話すことないし」「かわいくないな。前はあんなに懐いてたくせに」「おしどり夫婦の会話を邪魔しちゃいけないかと思ってね」「年寄りくさい言い草。あんた幾つよ」「言い草っていうのも年寄りくさい。それよりいいの? 義兄さん、電話の向こうで待ってるんじゃない?」「あ、」 姉は慌てて、子機を耳にあて直した。謝罪の言葉を繰り返しながら、風船のように膨れた腹を、しきりにさする。姉は出産のために、実家である我が家へ帰ってきている。エコーで見た限りでは、女の子であるらしい。それは夫婦の希(のぞ)みどおりだったようで、二人は子供が生まれるのを心待ちにしている。 あの人の夢を見るようになったのは、姉の妊娠が原因かもしれない。 あの人ももうすぐ、人の子の親になる。つづくお久しぶりでございます。まだ覚えてくださってる方、いらっしゃいますでしょうか(どきどき)故障していたPCは三月中に直っていたのですが、いろいろありすぎて、なかなかネットに繋ぐことができませんでした。でもワードは使えるってんで、その間に細々と短編もどきを四編ほど書いたので、しばらくはそれを載せていこうと思います。季節はずれのものばかりですが、お付き合いいただけると嬉しいです。もちろん、はじめましての方も。<私信>以前書いた、私に濡れ衣を着せた上司ですが、あの後も問題続発で、私が休みの時に代わりに出てくれていた人の働きかけで、なんと退職していきました。架月さん、サトルさん、その節は励ましのコメント、ありがとうございました!
2007/04/01
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イカレちゃいました。 お返事等、とうぶん出来ませんので、悪しからずご了承くださいm(__)m
2007/03/12
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「え?」 曲がりなりにもわたしは結婚しているのだから、振袖を着ていれば咎める者だっているだろう。しかし母は、なんでもないことのようににこにこしている。 ふいに、夢の中の彼の死に貌(がお)を思い出した。驚いているような、でも、どこか穏やかな死に貌。まさかあれは。 そんなはずはない。彼は、今晩にはここに来る筈だ。出張で今朝まで仕事が入っていた為、今現在ここに居ないに過ぎない。わたしの左手の薬指に指輪がないのも、金属アレルギーが出ているからだ。何も忘れてなどいない。夢と現(うつつ)を取り違えるなど・・・・・・。 でもそれなら、あの会話の後、わたし達はどうなった? 自分が席を立ったのは憶えている。けれど、その後のことがどうしても思い出せない。振袖の裾を踏んづけそうになりながら、急ぎ足でホテルを出たわたしは・・・・・・。 憮然としたまま玄関前に佇(た)ち尽くしていたわたしを、母が振り返った。「でも、振袖で近所を歩くのはやめて頂戴ね。出戻って来たと思われるから」 晴れて成人式を迎えた弟からは、その晩、遅くなると連絡があった。友人達と飲み歩いているらしい。「ひょっとしたら今夜は友達んとこに泊まるかも。義兄(にい)さんに、おれが帰るまで居るように云(い)っておいて。姉ちゃんは帰っていいから」 呂律(ろれつ)の回りきっていない口調で電話してきて、そんなことを云う。弟は何故か旦那を気に入っている。 風呂から上がってきた旦那にそのまま伝えてやると、彼は素直に喜んだ。「おれ一人っ子だから、そういうのすごく嬉しいんだよね。だけど、きみが振袖で出迎えてくれたのはもっと嬉しかった。初めて逢った見合いの時を思い出しちゃった」 石鹸の匂いを振り撒きながら、無邪気に微笑む。こういう時、彼は二十歳の弟よりも幼く見える。その度に、もっと大人っぽくて、頼れそうな人が理想だった筈なのにと、わたしは自分に首を傾げる。「あの時は、初めてじゃないとか云ってなかった?」「そうだけど、生身に逢ったのは初めてだったから」「人をホログラムか何かみたいに・・・・・・ま、いっか、生きてたんだし」 わたしは口を尖らせたが、今朝方の夢のことを思い出してツンケンするのはやめることにした。理想であろうとなかろうと、今のわたしには、彼らのいない人生は考えられない。「それ、きみのこと?」 不思議そうに旦那が問う。「ううん。あなたのこと。今朝方、夢を見たの。あなたが車に撥ねられて死んじゃう夢」「車道に飛び出したきみを引き戻して?」「どうして分かるの?」 わたしは驚いて旦那の貌を覗き込んだ。今なら断言できる。夢の中の見合い相手も、あの中で夢に出てきたと思っていた旦那も、全てこの貌であったと。 彼は、わたしの問いには答えず、悪戯(いたずら)っぽく微笑(わら)う。「こりゃいいや。きみの夢で一度死んだなら、おれは長生きできそうだ」了
2007/01/09
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自分の悲鳴で目が醒めた。何事かと室の襖を開けてきた弟に、なんでもないと謝罪する。「ちょっと怖い夢を見ただけ」 わたしはまだ治まり切らない動悸を整えながら答えた。 とんでもない夢だ。夢の中の会話はそのまま、今の旦那と見合いの席で交わしたものだ。その夢が、彼の死に顔で幕を閉じるとは。「夢? いい齢して、朝っぱらから悲鳴なんか上げるなよ。おれ、今日成人式なんだから」「成人式って十五日でしょう。今日はまだ七日じゃない」「姉ちゃん古いよ。今は第二日曜になってんの。おれの成人式に合わせて帰省してくれたんじゃなかったわけ?」「そんなわけないでしょ。正月に帰ったら混むから、ちょっと時期をズラしただけ。あんたの成人式に合わせて帰ったら、お祝いが要(い)るじゃない」「なんだよ、ケチ」 弟は襖を閉めると、どたどたと音を立てて階段を下りていった。モスグリーンのカーテンが、薄っすらと黄味を湛えている。わたしはベッドから起き出して、ボストンバッグを開けた。動悸は既に治まっている。弟の成人式に合わせて帰省したわけではないが、祝いは用意している。成人の日が変わろうと変わるまいと、今回の帰省で渡すと極(き)めていた。 ボストンバッグの中から、祝いの入った熨斗(のし)袋と一緒に、一本の帯締めを取り出して、ホッとする。最近、昔やっていた組み紐を再び始めた姑(はは)が呉(く)れた、手製の帯締めである。角台で組んだ四つ組みで、薄桃色と藍白(あいじろ)がグラデーションになった正絹に、金糸銀糸がそれとなく織り込まれている。高台や綾竹で編んだような細かな模様や、同じ角台でも網代(あじろ)や八つ組のような繊細さはないが、大胆な華やかさがある。組んだ者の人柄が表われているかのような、目の整ったしっかりした仕上がりだった。「昔はもっと手の込んだのもやってたんだけど、復帰第一作目ってことで、こんなので勘弁して頂戴ね。厄除けの糸があったから、急いであなたにあげたくて。ほら、あの子がどんなものを拾ってくるか分からないから」 あの子とは、彼女の息子であり、私の旦那のことである。彼は何故か、人ならぬ者を引き寄せるきらいがあった。姑は、そのことでわたしの身に良くないことが起こるのではないかと案じて組んで呉れたのだ。 その帯締めは、わたしが成人式の時に作ってもらった振袖に合いそうだった。振袖は、桃色の地に桜の花びらが舞っており、裾の方に御所車が描かれている。帯は銀を基調とした落ち着いた物と、金を基調にした華やかな物の二本を合わせていた。成人式には金の帯を、見合いの時には今朝方の夢同様、銀の帯をしたと記憶している。貰った帯締めを締めるなら、銀の帯がいいだろう。 振袖などもう着られないことは重々承知しているが、なんとなく合わせてみたくなって、わたしは遅い郷帰りに、その帯締めを持って行くことにしたのだった。 やはりあれはただの夢だ。わたしは姑の帯締めを握り締めて、安堵のため息を吐いた。 ポールスミスのスーツに身を包んだ弟と並んで、家の前で写真を撮る。着慣れないものを着てしゃっちょこばっている弟にふきだしそうになっていると、斜(はす)向かいの家から振袖を着た娘さんが二人出てきた。二人とも、栗色に染めた髪を洋髪に結ってあるのに、不思議と振袖と調和している。もともと晴れ渡っていた風景が、更に明るくなるようだ。「やっぱり女の子の方が華やかでいいわねぇ」 うちと同じように撮影会を始めた斜向かいの家族を見て、母が呟いた。「華やかな上に、着慣れないもの着ても堂々としてるよね」 わたしは固まっている弟の肘をつついてやった。弟は悪かったなと貌(かお)をしかめ、カメラを構えていた父はシャッターを押そうとしていた手を止める。「なんだかわたしも振袖が着たくなっちゃった」 あの帯締めも合わせてみたい。わたしの言葉に、母が隣で手を叩いた。「いいわねぇ。そうなさいよ。着付けてあげるから。誰が咎めるわけでなし」つづく
2007/01/08
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「は?」 思わずまじまじと貌を見る。決して男らしいとは云(い)えないが、まぁまぁ整った、穏やかな風情の男(ひと)である。強烈に印象に残るような貌でもないが、そう簡単に忘れてしまうような風貌とも思えない。彼に会った憶(おぼ)えなど、全く無いと断言できる。だが、ここではっきりそう云ってしまうのは失礼な気がして、わたしは遠まわしに憶えがないことを伝える手段に出た。「あの、何処かでお逢いしましたっけ?」 相手はにっこり微笑って応える。「ええ。夢で」「はぁ?」 この男(ひと)は、人をおちょくってでもいるのだろうか。何しろ、出張中の閑潰しに見合いをするような人である。それくらいのことはやりかねない。「あなたには、また逢えそうな気がしてたんですよね。でもまさか、今日の見合いの相手だとは思わなかったなぁ。写真も吊り書きも見てなかったから。それに、着物姿だったから、最初は分からなかったけど」 彼は人の良さそうな笑みを浮かべて、熱心に話している。初対面の女性をからかうような手合いにはとても見えないが、人は外見だけでは分からないものだ。これでは見合いというよりナンパではないか。写真や吊り書きを見ていなかったのはお互い様だが。「あれ、ひょっとして、あなたは見ていない?」 やっとわたしの仏頂面に気づいたのか、相手はしまったという貌をした。見てると思ったんだけどなぁ。少し、悲しそうに呟く。 わたしは不覚にも、昨夜の夢のことを思い出した。優しいが風変わりな旦那とその母親。夢にでてきた旦那と比べようとして、彼の貌をよく憶えていないことに気づく。穏やかな雰囲気は似ている気がするが、目鼻立ちが曖昧だ。それと等しく、姑の貌もはっきりと思い出せなかった。いくら長い間見ていたような気がするとはいえ、所詮(しょせん)は夢なのだから仕方がない。「ま、そんなもんか」 相手は意外にあっさりと、夢の話から身を引いた。諦めたように珈琲を啜って、そのまま視線を中庭に向ける。その眼がすっと細くなる。硝子の中で、彼とわたしの睛(め)が合った。「生きてらっしゃるんですね」「は?」「仲人さんがいたんだから当たり前か。でも・・・・・・参ったなぁ」 彼は硝子から眼を逸らすと、テーブルに伏して頭を掻き毟った。「何処かで逢うとは思ってたけど、実在するとは思ってなかった。あれは過去のことかと思ってたのに・・・・・・」 何を言っているのだ、この人は。どうやらまだ夢の話を引き摺っているらしいことは分かった。しかし、逢うとは思ったけど実在するとは思わなかったとはどういうことか。実在しない夢の人物にどうやって逢えると思っていたのだろう。 ちょっと変わってるけど、とてもいい子だから。 仲人さんの言葉を思い出して、わたしは眩暈(めまい)がした。見合いの席でテーブルに突っ伏す相手の、何処が『いい子』なのだだ。本気で云っているのならどうかしているとしか思えないし、からかっているのなら言語道断である。どちらにしても、共に家庭を築く相手ではない。 身内と仲人さんの云う『いい子』ほど当てにならない言葉はないと思いながら、わたしは半ば呆れて席を立った。「すみませんけど、急用が入ったので失礼します」 バッグの中から鳴ってもいない携帯電話をチラつかせて、足早にロビーを抜ける。「ちょっと待って。今は・・・・・・」 見合い相手が必死で呼び止める声がしたが、無視した。こんなに早く、しかも話の途中で席を立つなど、失礼なことは重々承知の上だ。あの仲人さんからは、二度と見合いの紹介はないだろう。それはそれで構わない。もともと乗り気でなかったのだから、清々するくらいである。 二重になっている自動ドアを抜けると、僅か三段の階段を駆け下りる。駅は目の前だ。駅側に渡るため、歩道から車道へ駆け出る。その時、後ろから左袖を引っ張られた。右腕が空を切り、身体が歩道に引き戻される。前に出ようとしていた足が絡まり、わたしは横倒しになった。走ってきた自転車が、急ブレーキを掛ける音がする。それと同時に、どんっと重い音がして、目の前の車道に銀色のバンが停まった。 車体の前には、見合い相手が転がっていた。即死だった。つづく
2007/01/07
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目覚まし時計の音で目が醒めた。時計のスイッチを押すために布団から出した右手が、あっという間に冷たくなる。モスグリーンのカーテンが、光を孕(はら)んでライトグリーンに染まっている。わたしはのろのろとベットから起き出すと、隣の部屋へと続く襖を開けた。昨夜母が用意した、わたしの振袖が衣紋(えもん)に掛けてある。裾の辺りには御所車が停まっており、濃い桃色の地に舞い散る桜の花びらが、薄暗い室の中でも華やいだ雰囲気を放っている。畳の上には、畳紙(たとうし)の中に収められたままの帯と、飾り襟や帯揚げが並んでいる。 わたしは襖を閉めると、壁に掛けた素っ気ないカレンダーに眼を向け、ため息を吐いた。一月七日。今日は、わたしの見合いの日である。 とても、長い夢を見ていたように思う。 夢の中では、わたしは疾うに見合いを済ませ、結婚までしていた。相手は、穏やかだが少々風変わりな男性である。わたしは彼の不可解な言動に戸惑いつつも、それなりに楽しい毎日を過ごしていた。舅(ちち)は既に亡く、姑(はは)とも別居の気楽な二人暮らしである。とはいえ、姑は決して煙(けむ)たい存在ではなく、わたしを大変可愛がってくれるので、わたしはよく、彼女の家を訪れていた。 朝食を摂り、髪のセットや化粧を済ませると、母に着付けをしてもらう。親を伴わない略式の見合いなので、仲人さんには軽装で良いと云われているのだが、振袖など滅多に着る機会がないからと、母に極(き)められた。たしかに、最近は友人や親戚の結婚式にも洋装で出ることがほとんどだ。このままでは減価償却できないと母が危惧するのは、当然のことであるかもしれない。わたしも機会があれば着ておきたいと思っていたので、無理に抵抗することはしなかった。 折角だからと、母が銀地の帯を畳紙から出してくる。最初にこの振袖に合わせて作った帯である。しかし、成人式直前に、これでは地味過ぎるからと、呉服屋さんが金地の帯を持って来た。向こうは交換という心算(つもり)だった様子なのだが、母がこの銀地の帯を気に入っていた為、両方購(か)うことになった次第である。 成人式の時と同じ、四つ組みの帯締めを締めてもらって完了である。薄桃色と藍白のグラデーションが、金地の帯よりもこちらの帯に良く映えると、母が喜んだ。この帯締めは、昔近所に住んでいた小母(おば)さんの手製で、厄除けの糸で組んである。 数えの十八、十九、二十は女の厄年だからね。成人式には、厄払いにこれを着けて行きなさい。「おっ、馬子にも衣装」 袋雀が完成したところで、室の前を通りかかった弟が、野次を飛ばして行く。小突いてやろうと足を踏み出したら、姿見越しに、母に睨まれた。「お見合いにはぴったりの帯締めね」 等身大の姿身に映るわたしを見て、母が満足そうに腰に手を当てる。これを着けて見合いに臨めば、厄の付いている相手には当たらないだろうと、彼女は思っているようだった。 見合いは、もともと気の進まないものだった。逢ってみるだけでもと両親に懇願され、仕方なく現在住んでいる処(ところ)から、仕事の休みを利用して帰省してきたのだ。写真や吊り書きさえ見ていない。相手もそれほど熱心なわけではないのか、こちらへの出張中の休暇を利用して出てくるということだった。相手は仕事中の閑潰しなのだと思えば、こちらも多少は気が楽になる。 指定された駅前のホテルのロビーに行くと、相手は既に到着していた。仕事中の所為(せい)か、スーツ姿である。云(い)われたとおりの軽装にしなくて良かったと、胸を撫で下ろす。 藤色の着物を着た、仲人の小母さんに手招きされて、彼らの居る壁際の席に急ぐ。硝子張りなので、彼らの向こうにホテルの中庭が見えた。防音にはなっていないのか、水の音がする。獅子威しは無いが、小さな噴水があるのだ。天使のような子供が壺を担いでおり、その壺からちょろちょろと水が流れている。 簡単にお互いを紹介してから、仲人さんは席を外した。小太りな背中が見えなくなると、わたしは急に心細くなる。初対面の相手と何を話せというのか。「いいお天気で良かったですね」 当たり障りのない天気の話でもしてお茶を濁そうとしたら、失敗した。天は冬晴れとは程遠い、曇天である。まるでわたしの心を代弁しているようだ。 俯けていた貌(かお)を上げ、恐るおそる相手を見ると、くすりと笑っていた。失礼な御仁だ。だいたいこういう時には、男の方が気を遣って先に何か話しかけてくるものではないのか。 少々腹立たしく思っていると、相手がやっと口を開いた。「また、お逢いしましたね」つづく
2007/01/06
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おみくじを結ぶ場所は、手水舎(てみずや)の横に設えてあった。細い荒縄にびっしりと結ばれたおみくじは、白い小鳥の群のようである。 わたしも多くのものと同様に、細く折って結んでいると、先刻(さっき)挨拶を交わした夫婦が結び終えたところだった。夫人の方が微笑んで、わたしの手元を指す。「何か良いことが書いてありましたか?」「出産が安しって書いてありました。でも、待ち人は来ずって。女の子が欲しいんですけど、男の子になるかも」「ふふ。いいわねぇ、これからの人は。わたしは待ち人来(きた)るだったけど、来そうにないわ」 彼女は、上品だがどこか寂しげな笑みを浮かべた。やはり、誰かを待っていたのだろうか。 そこへ、先におみくじを結び終えた旦那が、ひょっこり貌(かお)を出した。「来てましたよ」「え?」 突然の割り込みに、夫婦共々声を上げる。「お雑煮には、餡子餅を入れるおうちですよね?」「え、ええ」「年越しは蕎麦じゃなくてうどんで」「よく分かりますね」 夫婦は完全に面食らっている。「ちょっとだけだけど、訛りが残ってますから。利き手と反対でおみくじを結んでる筈だから、まだその辺りに居るんじゃないかな」「それって、さっきの?」 わたしの問いに、旦那が頷く。彼の云っているのは、凶みくじの少年のことらしい。 旦那は仕事柄出張が多く、方言に精通している方である。たしかにあの子も、何処かの方言を喋っているようだった。正月だから、おおかた親の郷(さと)帰りについてきているのだろうと思っていた。この二人の孫ででもあるのかもしれない。 しかし、その考えは違っていたようで、彼らは少し申し訳なさそうにこう云った。「ありがとうございます。でも、我々が待っているのは、会える筈のない人物なんですよ」「知っています」 胡散臭(うさんくさ)そうな貌をする夫婦に、旦那は人の良さそうな笑みを浮かべて云う。「でも、今日は年神様の来る日ですから。年神様って祖霊とみる向きもあるでしょう」「年神様って、五穀豊穣の神様じゃなかったっけ?」 二人と別れると、わたしは旦那に訊いた。足元に注意しながら、石段を降りている途中である。あの夫婦は旦那の言葉を信じたのか、もう少し神社に留まるということだった。「うん。でも、家を守ってくれる先祖の霊だとする説もあるんだ」「それが祖霊?」「そう。死んでから一定期間を過ぎて祀り上げされると、死霊は祖霊の一部になるんだって。そして、祖霊は神に昇化するって考え方もある」「へぇ」 仏壇に願い事をするのは間違っている。そう分かっているのに、仏壇に手を合わせるとつい何か願いたくなってしまうのは、先祖を神とする考えが、日本人の何処かにあるからかもしれない。「もっとも、あの人達は、まだ祖霊じゃなくて死霊だろうけど」 石段を降りきった処(ところ)で、旦那がぼそっと呟いた。 姑(はは)の家に帰ると、てっきりもう寝ていると思っていた姑が、甘酒を作って待っていた。新年の挨拶を交わし、湯呑を受け取る。「寒かったでしょう。これ呑んで温まりなさい」「ありがとうございます」 まず、湯呑を包んで手を温める。こういう時に呑む、少しだけ粕の残ったざらざらした液体は、どんな酒よりも旨味(うま)いと感じる。 旦那も帽子を取って、甘酒の入った湯呑を受け取る。姑がその帽子を手に取って、あらと呟いた。「お父さんの帽子を被って行ってたのね」 そう云って睛(め)を細めた姑は、何処か懐かしそうに見えた。了読んでくださってありがとうございましたm(_ _"m)ペコリ先日の件、疑いは晴れませんが、一応、解決にはなりました。この場で愚痴ってすみません。本人には決して逆らってはいけないと上から言われているので、いくら言っても怒りが治まらなくて・・・・・・。最初の会社でも、取引先代理店の営業マンから無茶苦茶言われながら三年耐えたけど、今回は四六時中一緒にいる人(しかもほとんど二人きり)なだけに、さすがにキツイ。あの時よりマシって自分に言い聞かせてるけど、どこまでもつか・・・・・・。周囲の目が、あの時より遥かにあったかいのが救いですが。架月さん、サトルさん、本当にありがとうございました。
2007/01/02
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近所の人と思(おぼ)しき家族連れが、石段を登っていく。ようやく坂を登ったと思ったら足場の悪い石段という仕打ちに、小さな子供が駄々をこねている。眠いのかもしれない。父親らしき男が、子供を負ぶって石段を登る。「あなたもお舅(とう)さんに負ぶってもらって、ここに参ったりしてたの?」「いいや。親父は、除夜はずっと起きてないと不可(いけ)ないから、眠りを誘うような真似はしないなんて云(い)って、絶対に負ぶって呉(く)れなかった。本当は結構な齢(とし)だったから、負ぶるのがしんどかったんだろうな」 旦那は、舅(ちち)が齢を取ってからやっと出来た一粒種だと聞く。齢がいってからの子供というのは可愛いというが、体力的にしてやれないことも多いのだろう。「親父は本当に変なところで頑固な人でね、どうでもいいようなことに拘(こだわ)るところがあったんだ。今の、除夜は起きてないと不可ないって話もそう。おふくろが欠伸をしただけで、『今寝たら白髪や皺が増える』とか云ってね」「そう云われると、今のわたしだったら起きてるかも」「でもおふくろは、寝ない方がシミや皺が増えるって云ってた」「あはは。たしかにそのとおりだわ」 ごつごつとした石段に足を取られそうになりながら登っていると、上の方がそれまでになく騒がしくなった。新年の挨拶をする声が、あちこちから上がる。年が明けたようだ。一段先を登っていた旦那が振り向く。「明けたみたいだね。おめでとう」「おめでとう。今年もよろしくお願いします」「こちらこそ、今年もお世話になります」 旦那と二人、階段の途中で頭を下げ合う。貌(かお)を上げると睛(め)が合った。へへへと笑い合う。 やっとのことで登り切ると、小さな社殿が見えないくらい人が並んでいた。手水舎(てみずや)で手を清め、わたし達も列の後ろにつく。前に並んだ人待ち貌の夫婦と睛が合う。おめでとうございますと声を掛けると、おめでとうとにこやかに返された。年越しの神社では、誰もが親しげであるように感じる。 お参りを済ませると、社殿の隣の授与所でおみくじを引いた。旦那は小吉、わたしは中吉である。寒いので、火が炊かれている傍に行って読んでいると、隣の人と肩がぶつかった。慌てて謝ると、相手は暗い表情でおみくじから貌(かお)を上げた。まだ学生風の少年である。「すいません。こんながい(・・)なん初めて引いたから、動揺してしもうて」 声もまだ、あまり低くない。「凶とか?」 旦那が面白そうに訊く。「大凶です」「ほお、そりゃすごい」「それってなかなか出ないわよ。却って良いことがあるかもよ?」 わたしは励ますように云ったが、少年は項垂れたままだ。そこへ、年配の男性がやって来た。旦那と同じようなニット帽を被っている。わたし達の話を聞いていたのだろう。少年のおみくじをちょいと摘まんで云う。「凶のおみくじはな、利き腕と反対の手で結ぶんだ。そうすれば、凶が転じて吉になると云われている」「へえ、利き手と逆(さか)しの手で結ぶことで、運も逆しになるいうことですか。やってみます」 少年は、貌に希望を浮かべて去って行った。それを見送っていた旦那が、ぽつりと呟く。「ああなっても、おみくじで一喜一憂するもんなんだな」「まだまだ子供だからだろう」 返したのは、先程少年に助言した、年配の男性である。二人は古い知り合いらしく、旦那がわたしを紹介すると、男性は嬉しそうに微笑んだ。暗くて貌はよく見えないが、目尻の皺が深くなる。「こいつは変わり者だから、苦労してませんか?」 しわがれた声は深く、親しみがこもっている。姑(はは)と同じようなことを云うなあと思い、わたしは思わず笑ってしまった。「たしかに変わってますけど、面白いことも多いですよ」「なら良かった。今後ともよろしく」「こちらこそ」 早くに父親を亡くしてしまった彼の、父親代わりのような人であるようだ。式では見なかったから、姑には秘密なのかもしれない。「今年も来てたんだ」「ああ」 旦那が云って、男性が頷いた。同じような帽子を被っているせいか、本物の親子のように見える。二人の間で、ぱちんぱちんと、炎の爆ぜる音がする。 しばらく三人で火にあたっていたが、やがて旦那がおみくじを結びに行こうと云い出した。じゃあと云って、男性と別れる。しかし彼は、いくらも歩かないうちに振り返ると、男性に向かって問うた。「あ、年越し蕎麦の謂(いわ)れってなんだったっけ?」「細く長く生きられるように」つづくもし続きを待ってくださってる方がいらっしゃったらすみません。ちといろいろありまして、更新が飛び飛びになっとります。私って、人間性に問題のあるヒトを引き寄せる力でもあるんでしょうか。そりゃ、自分自身の人間性にも問題があるとは思うけど。でもなぁ、『それでも、 それでもワタシはやってない』 ぞ!つーか、自分に一番被害が及ぶのが目に見えてるのに、やるわきゃねーだろ!! 阿呆!!!私は無辜(むこ)じゃ、こんなの冤罪じゃあーーーーっ!!!(注:痴漢行為ではございません)たまたまあの映画を観た日に疑いをかけられてたってのは、何かの運命ですか?(泣)
2007/01/01
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かつおの香ばしいかおりがする。姑(はは)が年越し蕎麦を作っているのである。「昔は蕎麦粉を打って、麺から作っていたんだけどねぇ」 市販の蕎麦を茹でながら、姑が云う。わたしは水屋から蕎麦用の椀を出しているところだった。「本格的だったんですね」「お父さんは上手だったけど、わたしは下手でね。切るのも茹でるのも失敗ばかり。混じり気のない蕎麦粉って、気を付けないとすぐ団子になっちゃうのよ。だから、お父さんが亡くなってからは手抜きしてるの」 蕎麦を笊(ざる)に移して湯切りしながら、ふふふと笑う。 旦那も姑も、亡くなった舅(ちち)の話をすることは滅多にない。会ったことのないわたしは、少し興味を惹かれた。「お舅(とう)さんがご健在の時は、ずっと手打ちされてたんですね」「あの人は、そういうことにうるさかったから。仏壇と神棚の掃除は十三日にするもんだとか、元日は風呂に入っちゃ不可(いけ)ないとか」「変なところで古風だったよね」 ふいに背後から声がした。居間でテレビを見ていた筈の旦那である。「餅をつくのも、二十六日と二十九日は駄目だとか」「二十九は『苦をつく』で分かるけど、二十六はどうして?」「碌(ろく)なことがないんだってさ」「信心深い方だったのね」「変わり者だったのよ」 わたしが適当に取り分けた麺に、姑が汁をかける。予(あらかじ)め作っておいた海老の天麩羅(てんぷら)と、蒲鉾(かまぼこ)を入れ、ねぎを散らして完成である。「昔、年越しには蕎麦の代わりにうどんが食べたいって云(い)って、親父にこっぴどく怒られたことがあったなぁ」 旨味(うま)しそうに蕎麦を啜りながら、旦那が云う。「そんなもんは邪道だって」「うどん好きだったの?」「どうだったかなあ」「転校生の家が、年越しにはうどんを食べるっていうから真似したがったのよ、たしか」「そうだったっけ?」「そうそう、小浜の方の高級マンションに越してきた子。ノブくんとか云ったかしら。近所の子供がみんな、その家の真似をしたがってね」「ああ、それ香川から越して来た奴だ」 旦那が箸を立てて云う。「思い出したの?」「うん。そいつ、中学の時に亡くなったんだよね」「ああ、事故で亡くなったのって、あの子だったの」 姑は云って、箸を置いた。まだ、椀の中には蕎麦が残っている。「もういいわ。こんな時間にものを食べると、胸がしんどくて」「じゃあ、おれが貰う」「天麩羅を入れたのが良くなかったんでしょうか」 わたしはほとんど空になっている旦那の椀に、姑の蕎麦を移しながら云った。実際は、話の内容のせいで食欲が失せてしまったのかもしれない。自分の子供と同い年の少年が若くして死んだ話など、いい心持ちはしないだろう。「齢(とし)のせいよ。昔はこんなことなかったんだけどね。それこそ夜中でも、うどんと蕎麦の両方を食べられたくらい」「そういえば、どうして年越しには蕎麦なんでしたっけ?」 どこかで聞いた気がするが、思い出せない。わたしの問いに、旦那も姑も頸(くび)をひねった。「ああ、親父がなんか云ってたけど、もう忘れちゃったなあ」「わたしも忘れちゃった」 旦那が食べ終わる頃に、除夜の鐘が鳴り始めた。 姑の家の玄関を出ると、刺さるような空気に身が縮んだ。暖冬と云えど、夜中は冷える。しっかりとマフラーを巻き、防寒する。旦那は帽子まで被っている。姑の家の箪笥からでも引っ張り出してきたのだろう。彼の物ではない、手編みのニット帽である。「お姑さん、本当に来ないのかな。折角だから、一緒にいらっしゃればいいのに」「もう齢だから、この寒さは堪えるんじゃない。夜が明けてから行くでしょ」 初詣のことである。年越し蕎麦を食べてから、旦那とわたしはこの近くの神社に行くことにしていたのだ。其処(そこ)は小さいながらも、大晦日には近所の人々が集って、それなりに賑わうらしい。 姑の家の前の坂を左に出て登って行く。登り切ったところに三叉路があり、突き当たりが神社である。午前零時前だというのに、この日ばかりは何処の家にも灯が点いている。つづく
2006/12/31
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仏間で線香を上げてから、客間に通された。久しぶりだから、従妹達とゆっくり話でもしていくようにとの、伯母の計らいである。 姑(はは)の実家、つまり旦那の祖父母の家であるが、わたしがここに来るのは初めてである。実家といっても姑は養女であったので、養父母が亡くなってからは、姑も旦那もあまりここを訪れることはない。しかし、旦那と従妹はそれなりに仲が良かったらしい。従妹は旦那を兄さんと呼ぶ。 床の間で、咲き始めの椿が色づいている。座っていると、旦那の従妹が酒の用意をしてきてくれた。彼女と屋敷の前に佇(た)っていた男も一緒である。 彼は、少し前から彼女と付き合い始めた男性だということだった。ここの酒に惹かれて購(か)いに来たのがきっかけで、彼女と親密になったそうだ。「昔、一度だけここの酒を呑んだことがあるんですが、その味が忘れられなくて」 この家によく出入りしていると思(おぼ)しき青年は、細い眼を更に細めて云(い)う。旦那の従妹は、彼と旦那に酒を酌(つ)ぎながら、嬉しそうに微笑んだ。「何年も探していたんですって」「そうなんです」「この辺りの方ではないんですか?」 杯に口をつけながら、旦那が訊く。わたしも呑みたいところであるが、帰りの運転をする人間がいなくなるのでやめておいた。 青年は曖昧に頷いてから、出身はこの辺りなのだと云った。「この辺りに居た頃、ここに一度だけ訪れたことはあったのですが、ずっと離れていたので舗(みせ)の場処(ばしょ)などはよく憶えていなくて。これがなかったら見つけられなかったと思います」 彼は一枚板の座卓の上に、小さな金物を置いた。酒瓶の蓋である。かなり錆びてはいるが、この舗の屋号が見て取れる。「来た時に、この舗の男の子が呉(く)れたと思っていたのですが、この家には男の子は居ないって聞いたから、違ったみたいですね」「そうですね」 旦那は蓋を返しながら同意する。青年は、闊達(かったつ)な笑みを浮かべてそれを受け取った。「ありがとう。貴方に逢えて良かった」 街灯が、煌々と路(みち)を照らしている。自分達の影を追うように、わたし達は駐車場への道を歩く。それぞれ一本ずつ、土産に貰った酒瓶を抱いている。「不味いな・・・・・・」 旦那がなにやら難しい顔で呟いた。楽天的な彼にしては珍しい。「何が?」「あの男だよ。ありゃ、蛇だ」「蛇? もしかして、あの昔話に出てきた男の子だと思ってるの?」 彼は頷いた。「あの蓋をあげたの、おれだもん。かくれんぼする前に綺麗だから呉れって云われてあげたんだ」「違うんじゃない? だって、その時の子は、まだ子供だったんでしょう」 あの青年は、酒の味が忘れられないから、あの舗を探していたと云っていた。一度訪れた時に呑んだ酒の味が。あの少年は、旦那が小さい時に、彼と同じくらいの年の頃だった筈である。酒など呑める筈がない。「それに、かくれんぼの途中でいなくなっちゃったんだから、お酒なんて口にしていないじゃない」「それがしっかり呑んでたんだよ。あの後、伯父さんが帰ってきて分かったんだけど、蔵の酒樽が一つ丸ごと空になってたんだ」「大した上戸ね」「上戸なんてもんじゃないよ。蔵ごと呑まれなきゃいいけど」「大丈夫でしょう。蛇ならもう冬眠しなきゃ。それとも、従妹さんが気になる?」 わざと意地悪な声音で訊いてみる。一人っ子の彼のことだ。仲睦まじい二人を見て、妹分を取られたようで寂しくなったのかもしれない。 しかし彼は、きょとんとして云った。「いや、あの子は蛇好きだからぴったりだと思う。槽(ふね)で蛇が見つかった時も、飼うって云って、なかなか離さなかったんだ」 血の繋がりはない筈だが、旦那同様、従妹も変わり者であるようだ。 わたしは努めて明るく云った。「だったらいいじゃない。まだお付き合いしているだけで、結婚すると極(き)まったわけでもないんだし」「それもそうか。それに、下戸の建てたる蔵はなしって云うもんな」 旦那はすっかり前向きになっている。本当に蛇ならば、こんなことも云っていられないだろうという気がちょっぴりしたが、倖(しあわ)せそうな二人を想い出して、口には出さないでおいた。だいたい、師走に入ろうとしているこの時期に未だ起きているなど、蛇であるはずがない。 駐車場から吹きつけて来る風に、わたしはジャケットの前をしっかりと合わせた。 土産の酒が無くなる頃、旦那の従妹から電話があった。泣きながら、彼が突然いなくなってしまったと云う。「何処(どこ)かで寝てるんだよ。啓蟄(けいちつ)まで待ってみたら?」 旦那の要らぬ助言に、彼女の激怒する声が聞えたような気がするが、気のせいだろうか。 土産の酒は、蛇が長年探していたというだけあって、非常に美味であった。了読んでくださった方、ありがとうございました。今回、なんとなくギャグ路線?それにしても、とうとう11月のところに載せられなかったぁーっ!“o(><)o”くう~!お気づきの方もいらっしゃるかもしれませんが、今更ながら、これは11月末の話です。できるだけ、次のは12月のスペースに載せたいので、12のところにアップできる1月のうちになんとかしたいのですが・・・・・・今日ってばもう29日じゃないか(汗)そんなわけで、うまくいけば、明日か明後日に次の話をアップします。だらだらした話ではありますが、よろしければ読んでやってくださいませm(_ _”m)ペコリ
2006/12/02
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少年は一人で、舗(みせ)先に座していた。彼の頭上には、杉の葉を固めて作られた、大きな雪洞(ぼんぼり)のようなものが吊るされている。一般に酒琳(さかばやし)と呼ばれる、造り酒屋の看板のようなものである。 家の者は留守だった。祖父母は先日から湯治に出かけており、伯父は役場に、伯母は保育園に通う従妹の迎えに行っている。この家に預けられている彼は、少しの間、舗番を頼まれているのである。 舗の前の未舗装の道路を、風が渡って行く。踊るように砂が舞って、少年は一つ身震いした。風が冷たく感じられるようになってきた頃だった。 おばさん、まだかな。 ぽつりと呟く。誰が待っているわけでもなかったが、早く部屋に入りたかった。 舗にあった空瓶の蓋で、でたらめに線を描く。蓋には舗の屋号が入っている。長いのや短いの。真っ直ぐなのや曲がりくねったの。最後に全部を繋げて、垂直な線を加えていく。舗の入り口を駅に見立てた線路である。しかし、舗の前でとぐろを巻いているかのように描かれた線路に、次の駅はない。 どうしようかと考えていると、頭上から声がした。 これ、へび? つと貌(かお)を上げると、自分と同じくらいの少年である。微笑(わら)っているような細い眼で、こちらを見下ろしている。 彼は少し愉(たの)しい気分になって応えた。 ううん。線路。でも、次の駅に行けないの。ここから動けないから。 どうして動けないの? この舗の番をしてるから。 じゃあ、舗の中には行ってもいいの? いいよ。 なら、ここと舗の中を使ってかくれんぼしよう。 彼は一も二もなく頷いた。退屈だったし、寂しかったのだ。 鬼は彼がすることにした。舗の番もするには、かくれているのでは都合が悪かったからである。 入り口脇の柱に顔を埋(うず)めて数を数える。十まで数えて声を掛けようとした時、伯母が帰ってきた。 何をしているの? かくれんぼ。今、男の子が来て中に隠れてるの。 従妹が自分もすると云って、先に少年を捜し始めた。しかし、表の店土間にも奥の醸造蔵にも、少年の姿はなかった。そしてその代わりのように、槽(ふね)の中から一匹の蛇が見つかった。 「槽って何?」 件(くだん)の造り酒屋に向かう車中で、わたしは訊いた。旦那の運転で、姑(はは)の実家へお歳暮を届けに行く途中である。「酒袋を圧搾する機械みたいなものだよ。風呂釜みたいな形をしてるんだ。昔の五右衛門風呂みたいなのじゃなくて、今の浴槽みたいなの。最近は使ってるとこ少ないんだけどね」 さすがは造り酒屋の孫である。酒琳は年に一回、最初の酒が絞られた時に新しいものと取り替えられ、新酒ができた合図になるのだと教えてくれたのも彼だった。青々とした杉の葉がだんだんと赤茶けてくることで、酒の熟成度の目安にもなるのだという。「それで、蛇はそこで冬眠してたわけ」「うーん、きっと隠れてたんじゃないかな。でも、冬眠の時期に差し掛かってたもんだから、そのまま寝ちゃったんだと思う」 旦那はどうやら、あの少年が蛇だったと云(い)いたいらしい。「随分と間抜けな蛇ね」 わたしは適当に調子を合わせて云った。実際には、家の裏口から出て行ったか、彼の夢であったかのどちらかだろう。「それが、そうでもないんだよ。そいつさあ・・・・・・あ、ここだよ」 旦那が何か云いかけたところで、前方にある商店の軒に、緑のくす玉のようなものが吊るされているのが見えた。酒琳である。色から推(お)して考えるに、新酒はできたばかりであるようだ。 舗の前の路(みち)は、今はもう舗装されている。酒琳の下に、一組の男女が佇(た)っていた。男がわたし達の車を指差し、女の方が徐行している車の横へやって来る。それを見て、旦那が窓を下ろした。「この先に駐車場があるから、車はそこに停めて」 わたし達の結婚式で見たきりの、旦那の従妹であった。つづく
2006/12/01
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「お姉ちゃん、死んじゃったのか・・・・・・」 旦那が云(い)うと、幼女は座っていたベンチから飛び降り、しゃにむにかぶりを振った。「違うもん! そんなことないもん! お姉ちゃんは帰ってくるもん!」「気持ちは分かるけど・・・・・・」 少女が俯いて言葉を濁す。死んじゃったんだから、しょうがないじゃない。そっぽを向いたその姿は、そう云っているように見えた。 彼女だって寂しくないわけではないのだろう。同じように姉を亡くしているのだ。彼女が元気に見えるのは、幼い妹を説得しなければならないという使命感からかもしれない。 裸電球が、カチカチッと音を立てて明滅する。トタン屋根を打つ雨音が、少し小さくなった。旦那はしゃがんだまま、幼女の両手を軽く握った。「残念だけど、お姉ちゃんは本当に死んじゃったんだよ。もうバスに乗って帰ってくることはない」 後ろで少女がうんうんと頷く。幼女は眼にいっぱい泪を溜めてはいるが、旦那の子守唄を歌うような物云いの所為(せい)か、抵抗せずに聞いている。「でもね、お姉ちゃんはずっときみと一緒にいるんだよ。姿が見えなくなっただけで、本当はずっとそこに居るんだ」「本当?」 縋るように幼女が訊く。まばたきをすると、泪が一筋、頬を伝った。 旦那は大きく頷いた。「うん、本当。だから、もうバスを待ってなくていいんだよ。分かった?」「うん」 幼女は泪を拭って頷いた。 その時、弱まっていた光が、役目を思い出したように明るさを取り戻した。「あ、お父さん」 座ったままだった少女が立ち上がる。彼女の視線を追うと、黒い傘をさした男性がこちらにやって来るところだった。手に、子供用の傘を持っている。 わたし達は軽く挨拶を交わし、彼に簡単にあらましを説明した。「すみません」 父親は、幼女の頭に軽く手を置いて云った。「この子が生まれてすぐに母親が亡くなりましてね。恥ずかしながら、長女に世話を任せっきりにしてたもんで、この子にとっては、長女が母親代わりみたいなものだったんです」「そうでしたか。でも、もう大丈夫だよね?」 旦那が幼女に問いかけると、彼女は元気に頷いた。まだまだ純粋なのだろう。すっかり彼の言葉を信じている。 わたし達は猫を見かけたら報せてくれるよう頼んで、その場を辞した。 「さっきの話、まるで今夜のことみたいだね」 坂道を登りながら、わたしは旦那に云った。雨脚はまた強くなっている。「今夜のことって?」「うん。雨月ってね、最近読んだ小説に拠ると、名月が雨で隠れて見えないって意味の他に、もう一つ意味があるのよ。雲で隠れて見えないけれど、月がそこにあることに変わりはない。だから雨月っていうのは、見えないけどそこにあるんだよってことでもあるんだって。ただのこじつけかもしれないけどね」「へぇ、雨月かぁ。じゃあ、今日はもう帰ろう。猫捜しは明日だ」「それ、何の関係があるの?」「満月だって雲に隠れて見えないんだよ? こう暗くっちゃ、見えるものも見えないじゃない」「そりゃそうだけど」 姑(はは)の落胆を考えると、このまま帰るのはちょっと気が引けた。しかし、足に跳ね返ってくる水滴で気持ち悪かったのも手伝い、わたしもそのまま姑の家の門をくぐった。 姑は猫のことよりも、なかなか帰ってこないわたし達のことを心配していた。あれ以上捜し回らなくて良かったと安堵する。 姑が出してきて呉(く)れたタオルを受け取りながら、わたしがバス停で会った姉妹の話をすると、彼女は不思議そうに頸(くび)を傾げた。「あら、あそこは二人姉妹だったと思うんだけどねぇ」「一番上の子が亡くなったからじゃなくて、ですか?」「ええ。たしか最初から二人だけよ。二人目が生まれてすぐに、奥さんが亡くなったんだから。亡くなったのが中学生の子で、下がまだ保育所に行ってるんじゃなかったかねぇ」 では、あの少女は姉ではなく、親戚の誰かだったのだろうか。 戸惑いを隠せないでいるわたしを見て、旦那がくすりと笑った。「おれの云ったことは事実だよ。もしかしてと思ってたけど、やっぱり気づいてなかったんだ」 猫は翌朝、からりと乾いた状態で、姑の家の縁の下から出てきた。雨が降り出す前に、そこに非難していたようだ。「なんだ、何処かに行ってしまったのかと思ったけど、ずっとこの家にいたのね」 姑はほっとしたように云って、猫を迎え入れた。了
2006/10/07
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しとしとと雨が零っている。十五夜である今日、一緒に月見をしようと、仕事帰りに姑(はは)の家に寄ることになっているのだが、午(ひる)過ぎから零(ふ)りはじめた雨は一向に止む気配がない。それでも夕飯くらいは一緒に食べるだろうと姑の家に行くと、彼女は泣きそうな貌(かお)で縁側を歩き回っていた。「どうかしたの?」 先に着いていた旦那に訊く。月が見えないくらい、泣きそうになるほどのことでもないだろう。片月見を嫌うなら、十三夜にも見なければいい。「今日は猫が来てないんだってさ」「あのいつも来てる野良猫? わたしが来ることを察したのかな」 姑の家には、春先から一匹の雌猫がよく姿を現している。その猫が病気になった時、何度かわたしが病院に連れて行ったのが原因で、わたしは猫に嫌われているのだ。「それならいいんだけどさ。猫は死期が近づくと姿を晦(くら)ますって云(い)うからなぁ」「ちょっとやめてよ。それ、お姑(かあ)さんの前で絶対に云わないでよ」 わたしは旦那にクギを刺した。 一人暮らしの姑には、猫は家族同然の存在のようなのだ。ただ、自分が先に逝(い)った時のことを考えると飼うには躊躇いがあるようで、猫は野良のままだ。若くて健康な飼い主に出逢える機会を奪うのではないかと危惧しているらしい。姑の死後にはわたし達が引き取ってやると云えば、彼女は喜んで飼うかもしれない。しかし現在わたし達は、動物を飼えないところに住んでいるので、安請け合いするようなことは云えない。 縁側には小机が置かれ、団子や里芋、栗や柿などが供えてある。そして机の両端を飾るのは、すすきを生けた一輪挿しだ。外は準備が台無しになったのを悲しむように、しくしくと泣いている。「最近はいつも、五時頃にはご飯を食べに来てたのに」 掃き出しの硝子戸越しに外を見ながら、姑が云った。今はもう九時が近い。「雨が零ってるから、何処かで雨宿りしてるんですよ。猫は水を嫌うって云うから」「それならいいけど、何かあったんじゃないかと思って・・・・・・。それこそ雨が零ってるから」 厚い雲に蔽(おお)われた天(そら)を見上げる。どこからともなく落ちてくる水滴が、街灯に照らされて光の線を描き出す。「おれ、ちょっと捜してくるよ」 旦那がひょいと縁側に貌を出して云うと、さっさと玄関の方へ行ってしまった。「あ、わたしも行って来ます」 慌てて旦那の後を追う。とんだ雨月になってしまったものだ。姑には、猫が来た時の為に家に居るように云って、外へ出た。 傘を広げると、ばたばたと頭上が騒がしくなる。その音に負けないように、旦那が大きな声で訊いてきた。「あの猫の名前ってなんだっけ?」「さぁ。付けてないんじゃない?」 わたしは傘ごと首を傾げて見せた。新しい飼い主に出逢った時のことを考えて、姑は名前を付けていないだろう。病院の診察券には、ただ『ネコ』と書いてあった。「名前がないと不便だな。ネコでいっか」 旦那はそう呟くと、大声でネコーと叫び始めた。 少々恥ずかしいが、そうも云っていられない。わたしも雨音に掻き消されないよう、声を張り上げて猫を呼んだ。 けれど、いくら呼んでも猫は出てこない。姑の家の築山を廻って道路に出ると、わたし達は家の前の坂道を下っていった。下り切った処にバスの停留所がある。そこの待合には屋根があるので、猫が雨宿りしているかもしれないと踏んだのだ。 しかし、そこに猫の姿はなく、二人の子供がいるだけだった。 最初わたしは、子供は一人だけだと思った。切れそうな裸電球の下、五歳くらいの幼女が一人で座っているように見えたのだ。ところが旦那が声を掛けると、チカチカッと電球が瞬いて、彼女の横からもう一人、セーラー服姿の少女がひょっこり姿を現した。 こんばんは。 どうやって小さな体の影に隠れていたのか、幼女よりも明らかに年上と分かるその少女は、にこやかに応えた。セーラーは、この辺りにある中学の制服である。よく似た顔立ちから、姉妹と分かる。 幼女はこちらに貌を向けたものの、何も云わない。 猫を見なかったかと訊ねると、二人とも「ううん」とかぶりを振った。二人が座っているベンチの下も覗かせてもらったが、姿はない。 二人は、わたし達がベンチの下を窺っている間、大きな眼を見開いて、警戒するようにこちらを見ていた。奇妙な生き物の出てくるアニメーション映画の姉妹を彷彿とさせる。雨の夜に、バス停で父親の帰りを待つ姉妹。たしか、二人とも五月を意味する名前を持っていた。「こんな時間に、何してるの?」 ひととおり待合所を確認したあとで、旦那が問うた。「バスを待ってるの」 今度は幼女が口を開いた。旦那は傘を閉じて屋根の下に入ると、幼女と視線を合わせるようにしゃがんだ。「バスで何処かに行くの?」「ううん。バスでお姉ちゃんが帰ってくるの。待ってるの」「お姉ちゃんはもう帰ってこないって云ってるでしょ。早く帰るよ」 少女が諭すように云ったが、幼女はそれを無視するようにそこから動かない。フレアスカートの裾を小さな手で握り締め、その手を凝(じ)っと見つめている。 頑なに自分の方を見ようとしない妹に、少女がやれやれと肩を竦める。 わたしは彼女に、どうして? と疑問の視線を送った。どうしてお姉ちゃんはもう帰ってこないの? 旦那も幼女の頭越しに少女を見上げている。「死んだんです。一週間ほど前に」 わたし達の疑問を汲み取って、少女が云った。「でも、いくら言い聞かせても、この子、全然ダメで」 心底困っているというように、ため息を吐く。つづく
2006/10/06
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8月6日、7日の過去日記に、短編『風鈴』アップしました。この連作短編(実は連作だったんです)で、一度くらい怪談をやりたいな、やるなら夏場がいいな、などと思っていたのですが、全然違うものを書いてしまいました。このテの話は、去年、半泣きになりながら書いたので、「もう今年はやらねー!」と思っていたのですが・・・・・・。ええいっ! 全部パクシが悪いんだっっ!・・・・・・意味不明なことをほざいてすみません。未読の方、よろしければ読んでやってくださいませ。『風鈴』 前編 後編でも、老人の言った『あの時のあれ』って、分からない方がいたらどうしよう(汗)あの言葉を使うのは避けたかったので、『あれ』が指す言葉は本文中にはありません。答えはこれです。(リトルボーイの由来の異説って、チャックノチャックスに書かれてたあの説か?)昔は、日付だけでみんな分かるものなんだと思っていましたが・・・・・・。ではここからがメインです。神奈美月さんから、管理人様連想バトンというものが回ってきましたので、一発。名前の出た方で、気分を害された方がいらっしゃいましたらすみませんm(_ _”m)ペコリ先に謝っておきます。では、すたーと~!●管理人様連想バトン『自分の知っている管理人様の連想バトンです。当てはまる管理人様の名前を記入して下さい(何回でも可)名前を記入された管理人様は必ずバトンをやること。一度やった管理人様はやらなくていいです。』ということですが、うちのに名前が出てきても、別にやらなくていいですよー。●名前(HN) 雪村ふう●知人に言われた性格 新年会にて、課長に「天然っぽい人」と紹介されました(-_-;)『連想(知人管理人さんのお名前)』●かっこいい→サトルさん(仕事バリバリって感じで)●可愛い→神奈美月さん(写真ばっちり見ましたから(ΦωΦ)ふふふ・・・・)●乙女→かめ@ゴミスティピョンさん(最初、女性の方かと思ってました。女性の一人称が上手すぎるんです)●優しい→ぼっつぇ流星号さん(優しいお話を書かれる方です。優しいお母さんになりそう)●楽しい→架月真奈さん(日記も小説も『楽しい!!』です)●個性的→不老ガエルさん(奇抜な発想が素敵です)●天然→サトルさん(生徒会長のあの子! 名前忘れてしまいましたが、今もお気に入りです。復活希望~!)●腹黒→ふーたろー(どちらかというと腹黒風味です)●変態→雪村ふう(どちらかというと変態寄りです)●子供→しましまこにゃんさん(『こにゃん日記』は小さい子に喜ばれると思って)●大人→竹田千夏さん(文字通り、大人の方です)●ツンデレ→あお11ろさん(どこにでも当てはまりそうな方なのですが、物語の進行とともに、登場人物の気持ちや態度を違和感なくほぐれさせていく手腕は見事です)●萌え→架月真奈さん(なにせ、ブログのタイトルが『萌えポイント日記』ですから)●尊敬→知り合いの管理人様ほぼ全員。何度も出てきてる人がいるじゃないか(しかも、管理人様そのものより、小説の内容とか登場人物での判断がちらほら・・・・・・)とか、自分の名前書いてるじゃないかという苦情は、この際飲み込んでください。知り合い少ないんです(汗)
2006/09/27
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気が付くと、旦那に軽く頬を叩かれていた。男の子の姿はどこにもない。「良かった。眼が醒めた」「あれ? わたし、寝ちゃってたのか」 スカートを払いながら立ち上がると、軽い眩暈を覚えた。 天(そら)を見上げる。夕暮れはまだ遠く、雨雲も見当たらない。どうやらごんしゃんも男の子も夢だったようだ。花に見惚れていて眠ってしまうとは、我ながら情けない。「なかなか起きないんだもん。おふくろが帰ってくるまでに起きなかったらどうしようかと思ったよ」 旦那が呆れたように云(い)う。「ごめん。変な夢見てて。お姑(かあ)さんはまだ?」「うん。そうみたい。良かったよ、おふくろがまだで。おふくろの奴、異常なくらいここの彼岸花畑のこと怖がってるからさ」「死人花とか呼ばれてるから?」 彼岸花のことを死人花や地獄花と呼ぶ地域は多数あり、不吉な花として忌み嫌う人も少なくはない。 しかし、姑の場合は違っていた。彼岸花そのものよりも、この場処の方を恐れているらしい。「昔、おれがこの中で迷子になったことがあるんだ。その日の夕方に発見されたんだけど、四十度近くも熱が出てたんだってさ」 わたしは思わず旦那の貌(かお)をまじまじと見つめた。「それっていくつの時?」「えーっと、小学校の一年か二年だったから、七歳くらいかな」 それから彼は、あの男の子のように、少し頬を蒸気させて云った。「でも、おれにとってはそんなに嫌な場処でもないんだよね。意識が朦朧としてたからよく憶えてなかったはずなのに、その時に逢った女の人が初恋の人だって公言してた憶えがある」 わたしは噴出してしまった。「その女(ひと)って人間じゃなかった可能性もあるんじゃない?」 姑(はは)の言葉を思い出す。 あの子は、放っておくと人外の存在と婚約してくるんじゃないかと思って、早々に見合いをさせたのよ。 大丈夫。彼が此処(ここ)で逢ったのは、決して人外のものじゃありませんでしたよ。 そう教えたら、姑はどんな貌をするだろうか。 帰りに姑の家に寄ると、そこにあった歌集にあの唄が載っていた。『曼珠沙華(ひがんばな)』というタイトルで、詞は北原白秋だった。 その歌集に拠(よ)ると、あの唄は不義の子を産んだ両家の娘が、子供の墓参りをする場面を描いたものだという説や、白秋が、最初の妻、俊子のことを書いた詩だとする説があるということだった。俊子は、白秋と不倫の末、元夫との間の子供を実家に預けて白秋と結婚したが、後に離婚。尼になったものの、狂気のうちに亡くなったとも云われている。 『ごんしゃん』の本当の由来は、彼女の生い立ちが唄と重なっていたからだったのかもしれない。 彼女は今も、彼岸花を手折りながら、我が子を探しているのだろうか。泣き出したわたしを慰めようと屈み込んできたごんしゃんは、般若の影など何処にもなく、菩薩のように慈愛に満ちた貌をしていた。我が子を愛(いとお)しむ、母親のような。 わたしは、あの時逃げ出したことを彼女に謝りたかった。しかし、もし彼岸花の中にいた彼女にその気持ちを伝えることが叶っていたなら、わたしは今、此岸(ここ)にはいなかったのかもしれない。 ごんしゃんが死んだのは、もう十年以上も前のことである。 当時は彼女の母親もとうに亡くなっており、無人となった彼女の家には、水に晒したままの彼岸花の球根と、その澱粉から作ったと思しき団子が無数に転がっていたという。了
2006/09/24
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ぼんやりと赤い絨毯のような花の群を眺めていると、しばらく黙って隣に座っていた旦那が、不意に口を開いた。「そのごんしゃんて人さ、九州出身だったんじゃない?」「さぁ、地元の人じゃなかったことはたしかだけど」 ごんしゃんは年老いた母親に連れられて、わたしの実家のある町へやって来たのだと聞いたことがある。不義の子を身篭ったせいで、元いた土地を去らざるを得なかったらしい。時々、地元の人間では理解できない方言で喋っていた。「でも、どうして?」「『ごんしゃん』ってね、九州の何処かの方言で、『娘さん』って意味があるんだ。振袖を着てたってことは、自分をまだ若い娘だと思い込んでたってことでしょう。だから『ごんしゃん』だったんじゃないかな」「なるほど」 仕事柄、あちこちに出張している旦那は、妙に方言に詳しい。ただし、本人は標準語しか操れない。「おふくろ遅いね」 旦那がふらりと立ち上がった。「先に荷物だけ車に積んで来ようか。きみはまだ眺めてる?」 わたしは頷いて、枯れた供花を包んだ新聞紙を旦那に渡した。 火焔のような彼岸花の群は、木立の中を何処(どこ)までも続いている。青天(あおぞら)に映える様も緑に浮かぶ光景も美しいが、暗がりから湧き出てくるような花の群には凄みがある。花は何処まで続いているのか。その先には何があるのか。 わたしは一歩、花群の中に足を踏み入れた。 心地よい風が、さあっと木立を抜けていく。それに合わせて火焔も揺れる。その時、奥の方で、花とは異質な紅が揺れた。 なんだろうと進んでいくと、かすかに人の声のようなものが聞えてきた。 ゴンシャン ゴンシャン 何処へゆく 赤い、お墓の曼珠沙華(ひがんばな)、曼珠沙華、 けふも手折りに 来たわいな。 ゴンシャン ゴンシャン 何本か。 地には七本、血のやうに、 ちゃうど、あの児(こ)の年の数。 物悲しい旋律に乗って聞えてくるのは、間違いなく、幼い頃に田圃の畦道で聞いたあの唄だった。 ごんしゃん? 頭ではそんなはずはないと分かっているのに、足が唄声のする方へと向かって行く。少し近づくと、赤い中に白いものが現れる。それは蠢くように波打ち、やがてこちらに面を向ける。ゆっくりと、ゆっくりと。 ゴンシャン ゴンシャン 気をつけな。 ひとつ摘んでも、日は真昼、 日は真昼。 ゴンシャン ゴンシャン 何故泣くろ。 何時まで取っても、曼珠沙華、曼珠沙華、 恐や赫(あか)しや、まだ七つ。 ひとごろし。 幼い頃の記憶が蘇り、ごくりと唾を飲む。自然と足が速まる。恐いはずなのに止まらない。白髪の中から、貌(かお)らしきものが覗く。右足が草を踏む。左足が花を跨ぐ。 と、不意に熱いものに手を掴まれた。 危ない! 手元を見ると、ピカピカのランドセルが似合いそうな男の子が、ぶら下がるようにわたしの手を掴んでいた。 もう少しで川に落っこちるところだったよ。ほら、そこ。 男の子はそう云って、わたしの足元を指差す。そこには、ちろちろと小川が流れていた。 ありがとう。気が付かなかった。 どういたしまして。 男の子が赤く蒸気した貌で微笑む。 ねぇ、一緒に帰ろう。 でも、わたしはあの人に云(い)いたいことが・・・・・・。 云って川の方を振り返る。白髪の女が、じっと此方(こちら)を見つめているはずだ。 だが、川の向こうには赤い絨毯が拡がるばかりだった。異質な影など何処にもない。 じゃあ待ってる。でも、川のあっち側に行っちゃ不可(いけ)ないよ。 男の子が潤んだ瞳で懇願するように云う。貌が赤い。 わたしは彼が離そうとした手をぐっと握って、小さな額に反対の手を当てた。火傷するかと思うほどあつい。すごい熱だ。 あなた一人なの? ご両親は? 訊けば、彼岸花に夢中になっているうちに迷子になってしまったのだと云う。わたしも周囲を見回して愕然とした。 道という道のない場所である。見渡す限り赤い花の群が続いている。なんとなく来たと思う方角も、木立が並んでいて確証が持てない。辺りもいつの間にか暗くなっている。まだ午前中だったはずなのに、夕暮れ時のようだ。雨でも降るのかもしれない。 もうご用はなくなったから、すぐに帰ろう。 わたしは男の子に背を向けてしゃがむと、負ぶさるように指示した。 動かない方が得策かとも考えたが、高熱を出している子供を、こんな処(ところ)に居させるわけにもいかない。雨が降るなら尚更だ。わたしは彼を負ぶって、来たと思しき方向へ全力で走った。つづく
2006/09/23
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田圃の畦道に、彼岸花が咲いている。 まだ幼かったわたしが下校する時、緋毛氈(ひもうせん)を敷いたようなその道に、極(き)まって紅い振袖を着た女が現れた。貌(かお)には深い皺が刻まれ、頭は総白髪である。どう見ても、振袖を着るような齢(とし)ではなかった。 女は、不気味だがどこか悲しげな唄を口ずさみながら、花を折っていく。その畦道から彼女の家に向かって、点々と血のような紅い花が落ちている。 舅(ちち)の墓参りで訪れた寺の前、一面に広がる彼岸花の群を見て、そんなことを思い出した。 「初めてだっけ? ここの彼岸花見るの」 帰り際、見事に咲き誇る彼岸花の大群に呆けていたわたしは、旦那の声で現(うつつ)に戻った。「去年はまだ、結婚してなかったもの」「あ、そうだっけ」 彼岸の中日である今日、姑(はは)と三人で舅の墓参りに来ていた。姑は朝から張り切って、おはぎを大量に作ったそうだ。帰りに別居している姑の家に寄って、貰って帰ることになっている。 その姑は、まだ中で住職と話をしている。「昔、あの花がわたしの通学路だった畦道に咲いていて、それを摘もうとしたら、こっぴどく怒鳴られたことがあるんだよね」 暑さ寒さも彼岸までと云(い)うが、正午近いこの時間帯は、まだ半袖でも汗ばむほどである。わたしは羽織っていたカーディガンを脱いで、道端に座り込んだ。「ああ、おれもおふくろの実家に預けられてた時、摘んで帰って祖父(じい)さんに怒られた。家が火事になるって」「そう云えば火事花とも云うもんね。でも、別に持ち帰ろうとしたわけじゃないのよ。首飾りを作りたかっただけ」 放射状に広がる鮮やかな華の首飾りは立体的で、どんな花で作ったものよりも豪華に思えた。「けどこれって、毒草なんだよね」 花弁をちょんと指でつつく。細い花弁は繊細に見えるが、燃えるような赤は毒々しくもある。子供の頃、田圃の畦道に多いのは、鱗茎(りんけい)の毒によって、鼠や土竜(もぐら)を作物に寄せ付けないようにする為だと聞いた。「父方の祖母さんは、戦後の食べ物がなかった時に、これを食べてたって云ってたけど」 云いながら、旦那もわたしの隣に座り込んだ。「飢饉(ききん)の時の救荒植物としても植えられてたらしいからね。たしか、澱粉(でんぷん)が取れるって」「毒草を食べようとするなんて、昔の人はとんでもないこと考えるな」「あら、食べられるって分かったから外国から持ち帰ったのかもよ? これって帰化植物だって考えられてるみたいだから」「へぇ。それで、きみを叱った人は、毒があるから危ないって云いたかったのかな」「うーん・・・・・・そういうんじゃないと思う」 秋晴れの天の下、女がゆっくりとこちらに面を向ける。まだ貌(かお)を洗うのにも椅子を足場にしていたわたしを見下ろすその貌は、幽鬼とも般若ともつかないものだった。「その人は近所の小母さん・・・・・・ううん、もうお婆さんだったかな。みんな『ごんしゃん』って呼んでたんだけどね」「ごんさん?」「ごんさんじゃなくて、ごんしゃん。本名は関係なかったの。でも、本人もね、小母さんとかお婆ちゃんって呼んだら絶対に振り向かないのに、ごんしゃんって呼んだら返事してたのよ。もういい齢の人だったんだけど、いつも紅い振袖着て、不思議な唄を唄いながら、自分で彼岸花を摘んでたの。精神を病んでるって話だった」「そうなんだ」 彼女は若い頃に不義の子を身篭り、無理矢理流産させられたか、産んだがすぐに取り上げられたのだという。子供を失った悲しみから、おかしくなってしまったのだという噂だった。 ひとごろし。 映画のコマ送りのようにゆっくりとこちらを向いた女は、赤い花に手をかけようとしたわたしに云った。 ひとごろし、ひとごろし、ひとごろし。 罵りの声は徐々に大きくなり、終いには手に持っていた花を投げつけてきた。わたしは驚いて、その場にへたり込んで泣き出した。すると、何者かの手が、優しく頭を撫でてきた。 どうしたの? 怖いことがあったの? お母さんがいるから、もう大丈夫よ。 貌を上げると、先刻(さっき)わたしを罵倒した女が、振袖の裾を汚しながら屈みこんでこようとしていた。燃えるような真紅の着物が、わたしを蔽(おお)うように眼前に拡がる。 わたしは転げるようにして逃げ帰り、母からあの話を聞いた。悪気はないのだから、可哀相な人なのだから、赦(ゆる)してあげなさいと。つづく
2006/09/22
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過去日記に短編『金魚』をアップしました。読んでいただけると嬉しいです。ついでに感想なんかいただけると、めっちゃ嬉しいです。『金魚』 前編 後編神奈美月さんから、今度は指定型バトンというのが回ってきました~。[指定型★バトン]のルール廻してくれた人から貰った『指定』を『』の中に入れて答える事。 また、廻す時、その人に指定する事。 だそうです。んで、神奈さんから回ってきた指定は『小説』でした。では、どうぞ。○最近思う【小説】 若い作家さんが多いですねー。○この【小説】に感動 読書量の少ない私でもいっぱいあるので、比較的最近のものを。 ♪雨と夢のあとに~ あなたに逢えますか~♪ ってなわけで、柳美里さんの『雨と夢のあとに』。 久しぶりに号泣しました(^_^;) ○直感的【小説】 フィクション。 ノンフィクション小説ってのもありますが、現実逃避で読む人間としては、ツクリモノの方に食指が動きます。○好きな【小説】 これもいっぱいありすぎて書ききれないんですが・・・・・・ ・『サグラダ・ファミリア―聖家族―』中山可穂著 (偽プロポーズのシーンが最高! 『パキラ』はこれの影響を多分に受けてますね) ・『うつくしいこども』石田衣良著 (ジャガみたいな大人になりたいです。いや、ジャガは中学生なんだけど) ・『火車』『蒲生邸事件』『ステップファザー・ステップ』宮部みゆき著 (ふーたろー名義の某シリーズの主人公に名前がないのは、『ステップ~』の影響) ・『今夜すべてのバーで』中島らも著 (アル中改善の話なのに、お酒を飲みたくなりました) ・『クローディアの秘密』E.L.カニグズバーグ著 (きょうだいで博物館や美術館に家出するって、未だに憧れです) どれも自分の蔵書じゃいってところが、ほんまに好きなんかって突っ込まれそうなラインナップ(-“-;A 敬称略で失礼しました~。○こんな【小説】は嫌だ! 小説に限らないけど、戦争を肯定するような話は、個人的に嫌いです。 サッカー日本代表のオシム監督が「戦争で得るものがあったとしても、そうは言ってはならない。それは戦争を肯定することになるから」って仰ってたそうですが、そのとおりだと思います。○この世に【小説】がなかったら。 既製の物語はなくても、妄想はしてると思う。○次に回す5人(『指定』付きで) やってみたい方はご一報ください。 指定を考えます。
2006/08/19
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神奈美月さんから生活バトンなるものが回ってきていました~。神奈さん、またもや遅くなってすみません。もう一つあるのですが、そっちはまた後日・・・・・・(汗)あまり面白くもないですが、読んでみようという方はどうぞ。1.朝起きてすることと言えば? 朝ごはんを食べる。2.今朝の朝ごはんのメニューは? フルーツグラノーラ。 貧血気味なので、鉄分強化を図って(笑)3.学校(職場)には通ってますか? “\( ̄^ ̄)゛おうさ!!(←威張ることでもない)4.どのような交通手段で通ってますか? 車 田舎だから、バス停も駅も遠いんだよぅ( ┰_┰) シクシク5.昼ごはんはお弁当?給食? 弁当♪6.学校(職場)は楽しいですか? 給料安いけど、ある意味天国です。7.部活動(クラブ)は何ですか? そんな上等な活動はありません。8.帰宅してまずすることは? 晩御飯食べます。 おやつ食べてても、お腹は減るのです。9.夕飯は家族で食べますか? (o゜◇゜)ノあぃ 仲良し家族なんで(ほんまか?)10.寝る前にすることと言えば? 猫をいじる。11.休日はどうしてますか? 猫とゴロゴロ。 日曜に遊んでくれる友達募集中です(笑) 既婚者とはなかなか日曜遊べないのよ( ┰_┰) シクシク12.お疲れ様でした☆このバトンをあなたの友達5人~10人に回してください。 やってみたい方はどうぞ~♪
2006/08/17
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格子戸の向こうが明る過ぎるせいで、玄関は仄暗かった。逆光で客人の顔はよく見えないが、まだ若い女性である。しかし格好が変だ。白い襯衣(シャツ)にもんぺである。 彼女はわたしを見止めると、頭を下げた。「どうしたの?」「この人に道を聞かれたんだけどね・・・・・・」 わたしの問いかけに旦那が答える。その後を、この辺りに多聞院というところがあるはずなんですがと、客人が引き取った。「多聞院? わたしは聞いたことないけど。あなた知らないの?」「うん。多聞院自体は日本各地にあるけど、この辺りにはないはずだよ」 生まれてから結婚するまで、ずっとこの地で育った旦那が云(い)うのだから間違いないだろう。 聞けば彼女は、その多聞院というところで人と待ち合わせをしているということだった。一度だけだが、行ったこともあると云う。だから迷うとは思わなくて・・・・・・と彼女は項垂れた。 わたしは旦那と顔を見合わせた。途方に暮れる客人の形(なり)は、どう見ても、人と会うというより農作業に行く時のそれのようである。「この前の道を左に行った先に交番があるから、そこで訊いてみたら?」 わたしの提案に彼女は貌(かお)を上げると、そうしますと云って玄関を出た。わたし達も一緒に道まで出て、交番の場所を説明する。何度も頭を下げてから去っていく彼女の後姿を見送っていると、急に空が光った。 その閃光は眼を開けていられないほど鋭く、見る間に視界が白一色になった。建物も彼女の後姿も、空や地面までもが全て、白く溶けて一つになろうとしているかのようだ。 その後には風が来た。ものすごい強風で立っていられない。しゃがみこんで傍らの旦那にしがみつく。縁側の軒先で、風鈴が狂ったように啼いている。 肌に突き刺さるような突風が止んで、そっと眼を開けると、道路の反対側に老人が佇っていた。色褪せたキャップを目深に被っている。女性の姿はすでになかった。 わたしの傍らで、旦那が身じろぎした。「あなたは広島で会った・・・・・・」 彼の眼は、こちらへ歩いてくる老人を見ている。 老人はわたし達の傍まで来ると、キャップを取って一礼した。「風鈴を交換に参りました」 そう云って上げた貌は、少し歪んでいた。表情が歪んでいるのではない。おでこから左眼下にかけての皮膚が、微妙にずれて見えるのだ。左眼の焦点も合っていない。見えていないのかもしれない。「わざわざ広島から? どうして?」 旦那は眼を剥いた。「不良品じゃけぇです。あれには吊るし糸に金具がついとらんかったけぇ、音がせんかったでしょう」「え? でも、さっきしてましたよ。聞えませんでしたか?」「ええ。じゃけど、もうせんはずです。あれは今日の朝しか鳴らん」 わたしは怪しく思いながらも縁側に向かった。軒先からおろして風鈴の中を確認する。老人の云うとおり金具はなく、糸と短冊だけが虚しく垂れていた。 しかし、物を見ても、旦那はにわかには信じられなかったようだ。「だけど、おれが購(か)った時にも鳴ってたじゃないですか。さっきの風で飛んだのかも」「短冊はついたままなのに?」「あ・・・・・・」 短冊を掬うように左手に乗せ、旦那は絶句した。彼が右手に乗せていた小さな梵鐘に、老人が手をかける。「あの時、あんたには聞えたかもしらんが、わしには聞えんかった」「どうしてそんなものを売ったんです?」「あんたには音が聞えたようじゃったけぇ。毎年、八月六日の朝に、この風鈴を吊るしとる処(ところ)が多聞院になるんですわ。なるいうか、あの人が多聞院じゃと思うてやって来るんじゃね。どういうわけか、この風鈴のある処だけが、あの日のあの場処(ばしょ)になるみたいで。彼女は毎年、この風鈴のある処へ現れる。でも、風鈴さえありゃあ何処でもええいうわけじゃのうて、この風鈴の音が聞える人の処じゃないと不可(いけ)んのんです。それも一人につき一回だけで。こんな話、信じられんじゃろうけど」 老人は風鈴を自分の手に取り、愛おしそうに撫でた。「さっきのあの人は、齢(とし)の離れたわしの従姉(いとこ)じゃったんです。六十一年前の今日、午前八時に多聞院で、あの比治山の坂の根で待ち合わせをしとったんです。じゃけどわしは遅れて・・・・・・。逢えんまま、従姉はあの時のあれで死にました。他の身内も全部おらんなって、わしだけがこの齢まで生き残ってしもうた」 老人は、あんたを利用したようで申し訳なかったと云い、作業着のポケットから千円札とガラス製の風鈴を出した。青い朝顔が描かれている。旦那が最初に購おうとしたもののようだった。旦那は朝顔の風鈴だけ受け取り、千円札については丁重に断った。「でも、どうして風鈴のある場処が多聞院てところに・・・・・・」 わたしが呟くと、老人は微笑んで頸を傾げた。「さぁねぇ。こんな形のせいかねぇ。あの時、梵鐘は供出でなかったんじゃけどね」「比治山の多聞院と云えば、平和の鐘があるんでしたね。きっと、彼女が以前行った時には、まだあったんでしょう」 旦那の言葉に、老人はそうかもしれんですと頷いて、キャップを被った。「せめてあの時、ちゃんと逢えとれば・・・・・・」 そう呟いて肩を震わせる老人を見て、わたしは彼女を引き止めれば良かったと後悔した。信じ難い話ではあるが、たとえばあれが過去の人だったとするなら、あの閃光も爆風のような突風も、全ては過去の残像ということになるだろう。それならば、あの爆風が過ぎ去るまでうちの中に引き止めていれば、あるいは彼女は助かっていたかもしれない。 後悔が貌に出ていたのか、老人はわたしの方へ向き直って云った。「奥さん、ご自分を責めんとってください。わしはひと目見れただけで十分じゃけぇ。それに、どうやっても過去は変えられん。だからこそ、繰り返しちゃあ不可(いけ)んのです」 その言葉を潮に、老人は踵を返した。キャップを被り直し、空を見上げる。 今日も暑くなりそうじゃなぁ。 そう云って翳した老人の手のひらで、何かがきらりと光ったように見えた。「あの、手に何か雲母のようなものが・・・・・・」 追いかけようとしたわたしの肩を、旦那が掴んだ。何故だと見上げると、ゆるゆるとかぶりを振る。けれど、老人の耳には既に届いてしまっていたらしく、彼はこちらを振り返って云った。「硝子です。あの時の爆風で張り付いて、その後の熱で皮膚と同化してしもうたらしくてね。取れんのですわ。ああ、安心してください。あんたがたの身体に影響はないですけぇ。さっきの放射線も爆風も、ただの残像に過ぎん」 老人は顔の右側だけでにっこりと微笑(わら)うと、キャップの鍔(つば)を深く下げ、今度こそ行ってしまった。 台所に戻ると、点けっぱなしにしていたテレビが天気予報を流していた。老人の言葉どおり、今日も暑くなるそうである。「この前の広島出張ってね、語(かた)り部(べ)をしてる人の取材だったんだよ。その人も身体に硝子が張り付いててね。おれは仕事でその写真を撮らせてもらったんだけど、なんか、泣きたくなった」 旦那は云って、テレビを消した。「だから平和記念式典を見てたんだね」 しばらくして、姑がすっきりとした貌で起きてきた。微熱も下がり、その日のうちに咳も治まった。 姑の夏風邪は、旦那を呼ぶためにあの風鈴が仕掛けたことだったのかもしれないと思うのは、考え過ぎだろうか。了
2006/08/07
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ちりん ちりり・・・・・・ん 風鈴の音で目が覚めた。見慣れない木目の天井が眼に映り、ここが自分の家でないことを自覚する。 姑(はは)が夏風邪で寝込んでいるとの報せがあり、八月最初の週末であった昨日から、旦那と共に泊り込んでいる。 頭上のガラス障子を突き破るようにして入る陽光が、もう起きてもいい時分だと告げていた。隣の布団は既に空である。まだ眠いなぁと思いながら、わたしも自分の寝床から這い出した。思い切って障子を開ける。良い天気だ。縁側で梵鐘の形をした南部風鈴が、もう一度涼しげな音色を奏でた。 襖越しの部屋に寝ている姑の様子を窺ってから、台所へ向かう。そこでは旦那が珈琲を片手にテレビを見ていた。「もう起きたの? まだ寝てても良かったのに。あ、ひょっとして、おふくろが起きた?」「ううん。お姑(かあ)さんはまだ」 姑は、光の入らない部屋でぐっすりと眠っていた。熱はそれほど高くないのだが、咳き込みが激しく、昨夜はあまり眠っていないのだ。それは付き添っていたわたしや旦那も同じなのだが。「昨日、おれより眠れなかったみたいだったから、まだ目が覚めないかと思った」 旦那はテレビから眼を逸らさずに云(い)う。画面には、ある式典の様子が映し出されている。 わたしは冷蔵庫から卵と食パンを出しながら応じた。「うん、風鈴の音で目が覚めちゃって」「風鈴って、おれが購ってきたやつ?」「そう。あの古風で重そうな南部風鈴」「・・・・・・あれってどんな音だったっけ?」「どんなって・・・・・・見かけによらず軽やかな音だったよ。見た目は暑苦しいけど、可愛らしいガラスの風鈴より、ずっと涼しくなる音だね。どうしてそんなこと訊くの?」 わたしが振り向くと、旦那は難しそうな表情でこちらを見返してきた。「おれ、あの風鈴の音って、こっちに持ち帰ってから聞いたことないような気がするんだ」「でも、いい音がするからって購(か)ってきたんでしょ?」 梵鐘型の風鈴は、旦那が先月、広島に出張した際に購ってきた。何故広島の土産が東北名物の南部風鈴なのだ、せめて宮島のしゃもじだろうとわたしが詰め寄った折、彼はとてもいい音がするのだと云ったのだ。しかし、うちの窓辺には、既に友人の土産のイルカの風鈴がぶら下がっていたので、梵鐘は姑の家に吊るすことにした。 まだその時の土産のもみじ饅頭も残っているくらい、記憶に新しい話である。「うん。購う時は聞いたよ。でも、その後、音を聞いた記憶がないんだ」 旦那の広島出張には、ちょっとしたトラブルがあった。そのせいで半日ポッカリ空いてしまった彼は、せっかくだからと比治山(ひじやま)にある現代美術館に足を延ばすことにした。ちょうど興味のある作家の企画展をやっていたのだ。 駅から市電に乗り、比治山下で降りる。チンチン電車という俗称のとおり、チンチンとおもちゃの電車のような音を立てて去っていく小さな車両を見送り、看板を確認しながら美術館へ続く坂道に向かう。比治山というのはただの地名ではなく、本当の山なのである。 坂道は広くきれいに舗装されており、歩道も整備されている。両側に茂る木々も、枝が車の通行の邪魔にならないよう整えられていた。たいして高くはない山で、中には公園も備えられた、ちょっとした散歩コースである。しかし、炎天下に歩くには、少々厳しかった。市電の冷房で乾いていた汗が、たちまち吹き出してくる。 タオルでも持ってくれば良かったと思いながら、眼に入った汗を手で拭う。と、細めた眼にその人物が映った。 風鈴はいらんかね。涼しゅうなるよ。 色褪せたキャップを目深に被った老人だった。 気が付けば、歩道とは反対側の木の枝に、幾つもの風鈴がぶら下がっている。老人はその前にちょこんとしゃがんで、こちらを見ていた。 その時、ふいに風が吹き、生ぬるい空気を掻き混ぜた。それと同時に、木々の風鈴たちが涼しげな音色を奏でる。その音につられるようにして、彼は道の反対側へ渡った。 変わったのがあるんですね。 竹でできた風鈴を手に取って云う。他にも、オーソドックスなガラス風鈴から、風鈴とは思えないような火箸状のものもある。 これなんか涼しそうかな。 竹細工の風鈴を木にかけ直し、隣のガラス風鈴を手に取る。青い朝顔の花が描かれている。 おすすめはこっちじゃけどね。 老人はそう云って、鉄製と思われる重々しい梵鐘型の風鈴を出してきた。 あんまり涼しげに見えないなぁ。 見た目はこんなじゃけど、音は可憐なんよ。 老人が風鈴を揺らすと、高級なおりん(・・・)のような音がした。気分が浄化されていくようだ。心なしか、汗も引いていく気がする。 ね、ええ音しとりますじゃろう。 旦那がどんな貌(かお)をしていたのかは分からない。けれど、老人は彼の反応に満足したように微笑んだ。 特別にまけとくけぇ。 そう云われて購った風鈴は、手に乗せるとずっしりと重かった。 わたしはフライパンに油を敷きながら、どんな音だったか必死で思い出そうとしている旦那に云った。「たまたま風のある時に、あなたが風鈴の近くにいなかったんじゃない? ほら、今も鳴ってる」「え? あ、本当だ」 旦那が縁側の方を振り返ったと同時に、玄関から人の声がした。 ごめんくださーい。 わたしは、はーいと返事をしてから、旦那に出てくれるよう頼んだ。しかし、彼はテレビの前から動きたくないらしい。目玉焼きが半熟でもいいのかと詰め寄ると、やっと出る気になってくれた。ゆで卵の半熟はいいのに、目玉焼きの半熟は好きではないと云う。どういう基準なのか、わたしにはいまいちよく分からない。 客人は女性であるらしい。どうやら道に迷っているらしく、玄関から洩れ聞えてくるのは、どう行けばとか、どうしようという、嘆息めいた言葉ばかりである。 目玉焼きを皿に移してから、わたしも玄関に向かった。つづく
2006/08/06
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翌日、金魚を引き取る為、金盥(かなだらい)を持って姑(はは)の家を訪れると、彼女が縁側で池を見つめていた。傍らでは、猫が扇風機の風に当たっている。「あら、いらっしゃい」 姑はわたしを視止めると、わたし一人であることを確認して、水饅頭を食べていくように奨めてきた。一個しかない為、昨日は旦那がいたら出せなかったのだと云(い)う。「でも、お姑(かあ)さんの分がなくなっちゃいますよ」「いいのいいの。わたしは食べたから。あなたにあげようと思って一個取っておいたのよ。とてもおいしいの」 姑は嬉しそうに、いそいそとお茶の用意を始める。 旦那に云わせると、姑はわたしの世話を焼いているのではなく、わたしに甘えているのだそうだ。おいしい物を取っておいてくれるのも、時々服を購(か)ってくれるのも、甘えの一環だから受けてやって呉(く)れと云う。「ありがとうございます」 冷蔵庫から水饅頭を出してくれた姑に、わたしは少しの罪悪感を覚えながら礼を云った。 冷たい玉露が喉を通ると、そこからすうっと汗が引いていくように感じる。姑の淹(い)れるお茶はいつも、形式ではなく「大変結構な御点前(おてまえ)で」と云いたくなるほど美味(うま)い。心の底から美味(おい)しいと口にすると、姑は水饅頭のことかと思ったようだった。「昨日はすみません。金魚は苦手だって仰っていたのに置いて帰ってしまって。彼から聞きました。彼がお姑さんのご実家に預けられていた時のこと」 わたしは昨日、旦那から聞いたことを話して、金魚を連れて帰ることを告げた。これで姑も、嫌な過去と暮らさなくても済むだろう。 ところが姑は、金魚をこのまま置いておくと云い出した。「ごめんなさいね。昨日はああ云ったのに。でも、これは償いだと思うから」「償い?」「ええ。わたしがあの子と金魚にしなければならない償い」 姑は、旦那には秘密にしておいてねと前置きしてから、話し始めた。 姑が旦那の祖父母の家に貰われてきたばかりの頃のことである。 まだ親に甘えたい盛りの年齢であった彼女は、毎日実の母親を恋しがって泣いていた。貰われた先の家は大きくて、実情は奉公人としてやって来た彼女にはそぐわないような一人部屋が与えられたが、そんな特別待遇は、彼女の孤独を大きくしただけであった。 この空は、お母さんのところにも通じてるんだよ。お母さんも同じ夕焼けを見てるかもしれないね。 ある夕刻、年端もいかない幼女を元気付けようと、若い使用人が云った言葉も裏目に出た。彼女は、自分の部屋の窓から紅い空を見ては、ますます涙に暮れるようになった。 そんな彼女を見て心を痛めた使用人は、子供向けの歌集を彼女に呉れた。北原白秋の『金魚』が載っている童謡集である。 最初にあの詞(うた)を見た時には、よく意味が分からなかった。ただ、茫漠(ぼうばく)とした淋しさが襲ってきただけだった。詞の主人公同様、いくら金魚を殺(あや)めても、飛んできてくれるような距離に母親がいないことは、重々承知していた。 それでもそのうちに、金魚の夢を見るようになった。 あの紅(くれない)の夕焼けが映る窓辺に、紅い金魚の入った金魚鉢が置いてあるのだ。凸ガラスの中で大きくなったり小さくなったりするそれらは、毎日のように眼裏(まなうら)に現れるようになった。 好きなの? 金魚。 気がつくと、自分より少し年嵩と思われる少年が隣に立っていた。手に紙と鋏(はさみ)を持っている。何かを作っている途中のようだ。 毎日ここに来て見てるよね? 欲しいの? いつ部屋に入って来たのだろうと思いながらかぶりを振る。金魚が欲しいわけではない。 じゃあ、どうして見てるの? 少年の声は優しい。我慢していた涙が滲んでくる。 淋しいん。 彼女はポツリと云った。 じゃあ、ぼくと一緒だね。 しばらく二人で金魚鉢を眺めた。忙しなくひらめく尾ひれは、子供の背で揺れる兵児帯(へこおび)のようだった。 やっぱり金魚、貰ってもええ? 彼女の縋るような眼差しに負けたのか、少年はいいよと微笑んだ。 彼女は金魚鉢を畳の上に降ろすと、金魚を一匹掴(つか)み出し、少年の持っていた鋏で突き殺した。水から出てもぴちぴちと跳ねていた尾ひれはすぐに動かなくなり、眼だけが異様な光を放っていた。 その日から、金魚も少年も、夢に出てくることはなかった。ただ、金魚は苦手になった。生きているのも死んでいるのも、眼がピカピカ光って見えるようになった。 「その男の子って、まさか・・・・・・」 姑は、そんなはずないのにねと云いながら、お茶のお代わりを注(つ)いでくれた。「でも、あの子がわたしの実家で死んだ金魚の中にいるところを見つかった時、ちょうど夏休みの工作で、型紙の貯金箱を作ってる最中だったんだと云っていたの」「だけど、彼は女の子のことなんて憶(おぼ)えてないみたいでしたけど」「それは、わたしが忘れろって云ったから」 姑の話では、旦那が強制送還されたのは、金魚を殺した為だけではなく、居るはずもない幼女の話をし始めた所為もあったということだった。姑の養父母、つまり旦那の祖父母達は、彼が寂しさのあまり、おかしくなってしまったと思い込んだらしい。「親元から離して一度も再会させずに済まなかったって、あの時初めて養母(はは)に云われたわ。その頃にはもう、母はこの世にはいなかったみたいだけれど」 庭の方から盛大な水音が上がった。慌てて縁側に出てみると、猫がほうほうの態(てい)で池から這い上がってくるところだった。 その日、仕事に行っていた旦那に、金魚事件の時に幼女を見たかと訊いてみたが、やはり何も憶えてはいないようだった。「でも、親元に返される少し前から、何故かそんなに淋しくなくなってたんだ。おれはなんであの時、金魚を殺したりしたんだろうね」 お中元に、上司から葛きりが贈られてきた。水饅頭のお礼に、姑のところに持って行こうと考えている。甘い黒蜜をたっぷりかけた葛きりは、姑のさっぱりした冷たい玉露によく合うだろう。 ついでに、金魚の餌やりもしてこよう。わたしが度々餌をやりに行くことで、姑も金魚をかわいいと思えるようになるかもしれないと期待するのは、思い上がりが過ぎるだろうか。了
2006/07/31
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苔むした小さな池の中、水中で紅い着物がゆらめいている。それを、猫が身を低くして見つめている。着物の正体は金魚である。 水が深い緑色になっているのと、太陽が水面に反射している所為(せい)で、金魚の顔はよく見えない。しかし、時折その眼が光る。 気まぐれに夜店で金魚を掬(すく)ってしまった。掬ったはいいが、うちには水槽も金魚鉢もない。購(か)って来ようかと思案していると、旦那が自分の実家へ持っていこうと云(い)い出した。あそこなら、小さいけれど池がある。金魚の三匹くらいどうってことないだろうというのである。 そこで金魚の餌を購って、一人暮らしの姑(はは)の家にやって来たのだが、思わぬ反応が返ってきた。元来生き物好きであるはずの彼女が、渋い顔で云ったのだ。 金魚って苦手なのよねぇ。 野良猫をかいがいしく世話している手前、猫の訪れる庭の池に金魚を放すことを躊躇(ためら)っているのかと思ったが、そうではなかった。彼女は本当に、金魚が苦手だったのである。 それは帰りの車の中、旦那の告白で判明した。「おふくろが金魚苦手なの、おれのせいかもしれない」「何かあったの?」「うん。あったというか、したんだよね。おれが」 旦那は気まずそうに話し始めた。 話は彼が幼少の頃に遡る。 彼の父親、つまりわたしの舅(ちち)にあたる人は姑とはかなり齢が離れており、高齢になってから一人息子の彼をもうけた。やり手ではあったが、酒と煙草が手放せない人で、彼が十になる頃には、病院の世話になることも少なくなかったそうだ。今のように完全看護の病院が多くはなかった時代である。姑が舅の付き添いで家を空けることも多々あった。そんな時、彼は極(き)まって母方の実家に預けられた。実家と云っても、姑は他所から貰われてきた人である。戸籍上は孫でも、祖父母と血の繋がりのない彼は、どこか疎外感を覚えていた。 それでも祖父母は彼を気遣って、実の孫と一緒に夏祭りや花火大会に連れて行ってくれた。そこで掬った金魚を、家にあった金魚鉢に入れて、彼の部屋に置いてくれもした。 彼にあてがわれていた部屋は、嫁ぐ前に姑が使っていた部屋である。彼はそこで、一冊の歌集を見つけた。子供向けの童謡集である。 何気なく開いた頁に、その詞(うた)はあった。 母さん、母さん、どこへ行た。 紅(ああか)い金魚と遊びませう。 母さん、歸(かえ)らぬ、さびしいな。 金魚を一匹突き殺す。 まだまだ、歸らぬ、くやしいな。 金魚を二匹(にいひき)締め殺す。 なぜなぜ、歸らぬ、ひもじいな。 金魚を三匹捻(ね)ぢ殺す。 涙がこぼれる、日は暮れる。 紅い金魚も死(しい)ぬ死ぬ。 母さん怖いよ、眼が光る。 ピカピカ、金魚の眼が光る。 北原白秋の『金魚』であった。 その後の彼の行動は云うまでもない。詞のとおり、金魚鉢の金魚を掴み出して殺(あや)めていったのである。 薄暗い部屋に佇む彼と、畳に転がる金魚を見た彼の祖母は、彼を姑のところへ強制送還した。 彼が荷物を纏(まと)めて部屋を出る時、窓辺に置かれた空の金魚鉢の中で、何かが光ったように感じたという。 話し終えた旦那が、恐るおそるわたしを見た。「引いた?」「うん。ドン引きした。よくそんなことしておいて、金魚掬いをしようなんて氣(き)になったね」 金魚掬いをしようと云い出したのは、彼の方である。そんなことがあったのだ、苦手だと云い切る姑の方が、余程人間味があるように感じる。 金魚は結局、姑の家の池に放してきていた。「いや、忘れてたんだよ。あれっきり、あの部屋に入ることはなかったから、どこか夢の中の出来事みたいで。でも、おふくろのあの様子から見ると、現実だったんだろうな」 旦那は虫も殺さぬどころか、実態のないものにまで慈悲をかけるような人間である。そのせいで、おかしな物に好かれることも多い。単純で素直な人間なので、大人に忘れろと云われてあっさり忘れたのかもしれないが、それにしても彼の中の得体の知れない部分を垣間見てしまったようで、わたしは呆れると同時に少し恐ろしくなった。 わたしの心中など知らない彼は、のん気に続ける。「詞だって一度見たきりで、よく憶(おぼ)えてたなぁって、今自分の記憶力に感心してるところなんだよね」 それは、そのとおりのことを実行してみたからだろうと思ったが、云わずにおいた。「金魚、明日お姑さんのところから持って帰るよ。金魚鉢購って、うちで飼おう」 皮肉の代わりに口に出した提案は、声が震えていたかもしれない。つづく
2006/07/30
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ご存知の方もいらっしゃいますが、過去日記に短編『草螢』をアップしました。お暇があれば、読んでいただけると嬉しいです。下からどうぞ。『草螢』 前編 中編 後編さて本題です。神奈美月さんからバトンをいただきました。でも、バトンの名前が分からない~。自己紹介バトンでしょうか?大したことは書いてませんが、興味のある方はどうぞ。神奈さん、またもや遅くなりまくりですみません。優しいお姉さんだなんて(*ノノ)キャふっふっふ。うまく騙せているようだ・・・・・・(←本当はこんな奴)1 回す人を最初に書いておくこと(5人)→やってみたい方はどうぞ。2 お名前は?→雪村ふう3 おいくつですか?→小学五年生の従姉の子供には、16歳と言ってあります。 (ゴミを投げないでください/汗) 疑われなかったあたりが、ちょっとフクザツ・・・・・・。4 ご職業は?→会社員5 ご趣味は?→猫の観察(笑)6 好きな異性のタイプは?→T2の時のエドワード・ファーロングは永遠の憧れです(笑) T3も出演決定してたらしいのにぃ~( ┰_┰) シクシク7 特技は?→猫の鳴き真似。 猫も人間もひっかかる~(やるなよ/汗)8 資格、何か持ってますか?→運転免許! あとは・・・・・・持ってても、できると思われると困るので、履歴書に書くのが怖いです。 (特にまぐれ受かりも甚だしかった英検/汗)9 悩みが何かありますか?→今後の身の振り方(笑)10 お好きな食べ物とお嫌いな食べ物は?→好きな食べ物・・・子供が好むようなものはだいたい好きです。→嫌いな食べ物・・・春菊・水菜・たらの芽など。 (春菊の苦味をうまいと感じられるようになったら、大人の仲間入りだと上司に言われました)11 貴方が愛する人へ一言→愛してるぜい!12 回す人5人を指名すると同時に、その人の紹介を簡単にお願いします。やってみたい方は申し出てください。紹介書きます。
2006/07/28
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神奈美月さんから、またバトンを頂戴致しました。今度は欲望バトンです。相変わらず面白い答えはありませんが、自分の生態を晒すような内容になってしまいました。これでどんなに欲深くて大バカヤロウか分かってしまうー(>_
2006/06/18
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彼女は、わたしが人間ではないのではないかと問うているのだろうか。冗談めかした物言いだったが、眼は笑っていなかった。「人間です。最初から人間に極(き)まってるじゃないですか」 わざと笑って答えた。人間でないなら何だというのだ。「では何故、彼と結婚なさったんです? 現実的なあなたが、夢物語のような出来事を本気にする彼と」「それは・・・・・・」 何故だろう。彼とは見合いで知り合った。当初からわけの分からない話を聞かされることがあり、とてもじゃないが、生活を共にできる相手ではないと思った。それなのに・・・・・・。 気をつけなさい。あの子は変なものに好かれる性質(たち)だから。 姑(はは)の言葉が頭を過ぎる。 いや、わたしは生まれた時から人間だ。人間でなかったはずがない。でも昔、わたしはどんな子供だった? 生まれた時の写真はあっただろうか。臍(へそ)の緒は家にあったと思うけど・・・・・・。「遅いですね。すぐに分かると思ったんだけど・・・・・・。ちょっと見てきます」 答えられないでいるわたしを残して、女性は踵(きびす)を返した。幽(かす)かな鈴の音を振り撒きながら歩み去る。 わたしは硬直したようにその場から動けないまま、後れ毛のなびく彼女のうなじを見送った。川のせせらぎに鈴の音が聞えなくなるまで凝(じ)っと。 一人で螢(ほたる)の中に取り残されて間も無く、旦那が帰ってきた。女性の姿はない。一人である。「あれ? あの人は?」「あなたを迎えに行ったのよ。会わなかったの?」 彼はこくりと頷いた。「全然見なかったよ」 一本道なのにおかしいなぁと頸(くび)をひねっている。 螢を観賞しながらしばらく待ったが、彼女は戻って来なかった。 あの女性は先に宿に帰ったのかもしれないということになり、宿に帰って従業員に訊いてみた。「紺地に山螢袋の着物のお客? そんな女の人は見らんだが」 温泉名の入った半被(はっぴ)を着た、頭の禿げ上がった従業員は、頸をひねった。「今日は平日で、泊り客もあんたらだけだけ、日帰りの人だろうけど、わしは見とらんなぁ」 他にも何人か訊いて回ったが、みんな同じ回答だった。 気になってもう一度あの場所に引き返したが、やはり螢がいるだけで、人の気配はなかった。「川にでも落ちてるのかな」 螢の光が溢れる川を覗き込む。わたしは一人で旦那を迎えに行かせたことを後悔し始めていた。つまらない質問をまともに受け止めて狼狽していた自分が情けない。「それはないよ。人が落ちれば大きな音がしたはずだから」 懐中電灯を探しながら旦那が云(い)う。彼女を探しに出てくる際、後部座席に投げて来たのだ。 ところが、川べりに出てきた彼は、懐中電灯を持っていなかった。それどころか、もう帰ろうと云う。「でも、あの人は?」「きっと還ったんだよ、還るべき処に。後部座席にこれがあった」 彼の手には、一輪の山螢袋が乗っかっていた。手に取ると、袋状になった花弁の中から、彼女の簪に付いていたと思(おぼ)しき鈴が転がり出た。 旅行から帰って、姑に島根の土産を持って行った。あの翌日、宍道湖(しんじこ)まで足を延ばして購(か)った、蜆の佃煮である。「なんだか、彼が変なものに好かれるって、実感した旅行でした」 旅行はどうだったかと訊く姑に、わたしは云った。旦那は仕事でこの場にいない。「何か出たの?」「着物美人が一人」「いくら美人でも、物の怪の類じゃあねぇ。ま、でも、物は考えようね。あの子がああだから、あなたと一緒になれたのだし」「それって・・・・・・」 あなたはどちらなのかしら。 鈴の音と共に、艶やかな笑顔が蘇る。 わたしの中に巣くい始めた懸念を知ってか知らずか、彼女はからりと笑って云った。「ほらあの子、相手が何だろうがお構いなしなところがあるでしょう。だから、放っておくと人外の存在と婚約してくるんじゃないかと思って、早々に見合いをさせたのよ」 後日、実家の母から手紙が届いた。 掃除をしていたら、あなたが赤ちゃんだった頃のアルバムが出てきました。あなたの赤ちゃんの顔は、いつ見せてもらえるのかしらね。了最後までお付き合いくださった方、どうもありがとうございましたm(_ _"m)ペコリ少しでも楽しんでいただけていたら幸甚です。
2006/06/14
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