全66件 (66件中 1-50件目)
駄洒落ではないな・・・でも年度末だから書いちゃおう。言ったもん勝ちだ。「ナイトって、アイの多い男なんだってね」「そうか?・・・・あの顔で?・・・・あのスタイルで?」「でも実際そうなんだってよ」これは、私の本名を知っている方しかわかりませんが・・・私の本名・・・苗字が4文字,名前が4文字・・・8文字をローマ字で書くと、「i」という母音が4文字も入るんです。だから・・・私は「iの多い男」って事で・・・ジャンジャン!ホントの愛はなかなか・・・
2017.03.31
コメント(0)
曲目の変更については、「正指揮者」の「斎藤先輩」が言うことなので、部長以下・・・誰も文句を言う人はいませんでした。 しかし、「ミュージカルメドレー」の「踊り」のことに関しては、不満続出! だってそうでしょう・・・・? ちゃんと踊りを習ったことがあるのなら何にもいわないでしょうが・・・全くの素人が6人・・・自分達の目の前でなにやら怪しげな振る舞いをするのです。 「全部の曲に振り付けをするんですか?」 私達の同級生の「阿部さん」というソプラノの女生徒は、全身で不満を表し、声なんかいつもよりもっと高い調子で怒りをあらわにしました。 彼女は、「ウエストサイド物語」の「トゥナイト」で、憧れのテノール「山本部長」とデュェットすることになっているのです。 そんな良い雰囲気を・・・・私達仲間6人が乱入する・・・・彼女にとっては許しがたいことだったでしょう。 それは私も同じこと・・・・ 私だって、「サウンド・オブ・ミュージック」の「エーデルワイス」を、40人のバックコーラスで気持ちよくソロで歌うことができるはずだったのですが、このままでは同級生の「村上」に取られてしまうんです。 そのほかにも・・・「指揮者の横暴」を訴える部員がなんと多かったこと・・・・ さすがの「斎藤先輩」も・・・特に女性部員の声に負けて・・・・全曲というのはやめることにしたのです。 しからばどの曲に? 「ドライボーンズ」の「小田島の骸骨踊り」は決まったものとして・・・・ 「ミュージカルメドレー」のほうは3曲決定しました。 最初は「ウエストサイド物語」の「クール」・・・・・これは映画を見た人ならわかるかな? ジョージ・チャキリスのジェット団が・・・・殺人を犯したあとに「こんなときこそ冷静になろう」というんで踊るんですけど・・・・足がピンと上がる・・・・そんなんじゃなきゃできないんです。 まだ高校生といえども、身体の硬い私にはきつい練習でした。 二曲目は「メリーポピンズ」から「チムチムチェリー」・・・・これはロンドンの煙突掃除屋さんの歌なんですけど・・・・これはバレーの先生が幻想的な振り付けをしてくださいました。 ケッコウ難しかったようですが・・・・私だけは再度変更になり「エーデルワイス」のソロを歌わせてもらうことになって・・・・曲の構成上、この踊りには参加しなくて良かったんです。 仲間たちは、バレー教室でレッスンに励みました。 三曲目は「サウンド・オブ・ミュージック」から「ドレミの歌」。 この歌は皆さん親しみのある歌ですから良くご存知でしょうが、途中・・・音階で歌うところがありますよね・・・ 「ドミミー、ミソソー、レファファー、ラシシー・・・ドミミミソソレファファラシシ・・・ソードーラーファーミードーレーーーソードーラーシードーレードーーー」 あの部分を、私とその仲間が胸に「音階の札」をぶらさげて立ったりしゃがんだりする・・・・それだけでしたからこれはそんなに練習を必要としませんでしたが・・・・ 実は最終的に私は、この最後の「ドレミの歌」だけ踊りに参加すればよいことになりまして・・・ 立ったりしゃがんだり・・・・つまり「ヒンズースクワット」をしているようなもんで・・・けっこう苦痛でした。 それとこれにはもうひとつ問題が・・・・・ 音階は7つあるんですよね・・・・「ドレミファソラシ・・・」 そして私と仲間は6人だけなんです。 実際はオクターブ上の「ドとレ」があるんですけど・・・・それは問題にしないようにしようということで・・・どっちにしても一人は足りないわけで・・・・・ でもすぐ解決しました。 「S子で良いだろ?」 「小田島」がクールに言いました。 「それを誰が頼むんだ?」 「内藤・・・なにを言ってるんだ・・・お前以外ないじゃないか」 「石川」の一言で私にその役割が回ってきました。 「S子」は、実はブラスバンド部員です。 同じ日の違う時間・・・「青森市民会館」でやはりコンサートを行うんです。 「いやだよ・・・あたし・・・恥ずかしいもん・・・・それにコーラス部のあとにブラスバンドのコンサートがあるんだよ?」 ここで私達の仲間に入ったら、自分のコンサートのときに野次られると思ったようで・・・・ 「ドレミの歌だけでいいんだよ・・・何とか頼むよ」 「あ・・・そういえば今年大学にいった先輩たちが来るんでしょ?・・・そうだ深町先輩に頼めば?」 「深町先輩」は前年の「正指揮者」で、「クラシック調でフォークソングを歌うな」って言った人・・・ コンサートで余興の様なことをするだけでも怒りそうでしたから、そんなお願いは出来ません。 「いや・・・もうお前しか頼めなんだよ・・・・去年だってはじめはドラムやってくれるって言ってたじゃないか・・・・ナ、ナ?・・・何とか頼むよ」 無理やり頼み込みました。 マア、この結果につきましては・・・・何とかうまくいったんですけど・・・ 私の指揮者としてのデビューもうまくいったし・・・踊りの方もバレーの先生のおかげで何とか、幻想的な踊りも見れました。 ただですね・・・・・観客の品が悪くって・・・・・ どこから聞いたのか・・・〈きっと仲間のうちの誰かがしゃべったと思うんだけど) 市民会館の二階の観客席から・・・・・私たちが出て行ったとたん、真っ白な垂れ幕が下りてきて・・・そこには・・・・ 「去年の失敗を恐れるな!!!石川、井上、藤本、小田島、川田、内藤・・・がんばれ!」という文字が・・・・ そして、どこから出してきたのか、「紙テープ」代わりの「トイレットペーパー」が飛んできて宙を舞います。 同級生たちがからかい半分作ったものでした。 「S子」は自分の名前がなかったことにほっとしていました。 そんなこんなで、高校3年間・・・・・・ 私達は青春を謳歌したのです。 続きは・・・・受験そしてその後を書きますが・・・・私としてはちょっとほろ苦いことになるんです。 つづく
2017.03.31
コメント(0)
「S子」とは1年生の冬から付き合い始めました。 15歳のくせに・・・「このまま行ったら結婚することになるんだろうな・・」・・そんなことまで考えていました。 ほとんど毎日、・・・電車通学の彼女を「青森駅」まで見送りましたし・・・・日曜日なんかになると、彼女のお母さんが「ご飯を食べに来なさい」といってくれてたので・・・ほぼ毎週遊びに行っていました。 お母さんにしてみれば、一人暮らしのアパートに娘が遊びに行くよりは、私を自宅に呼んだほうが安心だったのでしょうね。 そんな付き合いがずっと続き・・・・・年は巡って2年生の夏休みです。 私たちは「夏期講習」が終わったあと・・・「学校のプール」で涼むのが日課のようになっていました。 このときは、「S子」はいなかったと思います。 彼女は「私の水着姿は・・・ただじゃ見せないんだから」なんて言っていましたから。 その時プールにいたのは、水泳部員を除くと私達仲間6人と「斎藤先輩」の7人でした。 学校のプールは・・・・水泳部員が優先で、一般の生徒はうらやましそうに見ているだけ・・・中には入れなかったんです。 ジャアなんでこのグループは許可されてたの? 実は、前にも話しましたけど、「川田」と「藤本」が水泳部員で・・・・残りの私たちはなぜか「臨時の水泳部員」として登録されていたのです。 当然、「川田」と「藤本」は一生懸命練習していました。 プールの隅のほうで「風呂のように浸かっていた」のは、私と「小田島」、「石川」、「井上」そして「斎藤先輩」でした。 「斎藤先輩」が突然言い出したんです。 「お前達・・・今年はあれ・・・やんないの?」 「あれって?」 「去年文化祭でやったあれだよ・・・」 いやな汗とともに、いやな思い出もよみがえってきました。 私はプールの水をすくって顔にびちゃびちゃ掛け、その思い出を消し去ろうと試みたのですが・・・消すことができませんでした。 「井上」がポツリとつぶやきます。 「俺は去年の雪辱戦をしたいんだけどな」 私は顔を横に振って・・・・ 「絶対にいやだ・・・・ようやくあのときのことが同級生の噂に上らなくなってきたんだぜ・・・・今年やったら、また同じことの繰り返しだ。」 「そうだよな・・・最近みんな、その事については触れなくなってきたから、やれやれと思ってたんだ」 バンドをやろうと最初に言い出したのは「石川」だったのですが、彼も懲りていたみたいでした。 「小田島」は何にも言わず、黙ってみんなの話しを聞いていただけです。 ここで、この先、彼のことが重要になってきますので「小田島」の性格について少しお話しさせてもらいます。 彼はもともと発言の多い男ではありませんでした。 無口で時々、にやっと笑う程度・・・・・ 彼自身が、その当時自分のことを評して、「ひょっこりひょうたん島のダンディのような男」って言ってました。 皆さん、知ってますか?・・・「ひょっこりひょうたん島」 NHKで昔やっていた人形劇なんですけど・・・・その中に「殺し屋」っていうか「ギャング」っていうか・・・サングラスをかけた「ニヒルな男」がいたんですよ。 「小田島」は自分と重ね合わせていたようでした。 「でもバンドは懲りたけど・・・仲間で今年も何かはやりたいんだ」 「石川」がそんなことを言いはじめたのです。 「俺もなんかやりたい」・・・・「井上」が賛成しました。 「俺はだめだぞ・・・俺はコーラス部の副指揮者だ・・・今度の文化祭がデビュー戦だ。・・・そっちに力を入れなきゃならんから、俺は参加しないぞ」 そうなんです。・・・・・この年の春、「斎藤先輩」が「正指揮者」に・・・そして私が「副指揮者」に正式になっていたのです。 「斎藤先輩」が、突然思いついたように声を張り上げました。 「内藤・・・・お前と俺が、コンサートで指揮者交代のとき・・・・お前・・・暇になるよな・・・・」 私が最初、副指揮者として数曲の指揮をします。 そのあと、「斎藤先輩」が正指揮者として出てきて・・・私はコーラスに回ることになっているんですけど・・・・それを暇になるって・・・・・ 「お前・・・最後の曲目変更だ」 簡単に言ってくれちゃってますけど・・・・この曲目を決める時だってケッコウ苦労したのを「斎藤先輩」だって知っているはずなのに・・・・・ 今でも覚えています。 最初は「信濃の秋」という歌。・・・・次が合唱組曲「三つの山の歌」から「祭り」・・・そして、「大中恩」という作曲家が作った「秋の女」・・・最後が合唱組曲「京都」から「ここが美しい、それは・・・」・・・この4曲で練習を始めていました。 特に最後の曲・・・「ここが美しい、それは・・・」っていう歌は、「無音の音」というか・・・二分休符や全休符がいっぱい使われ・・・・静寂の中に緊張感をもたらすというか・・・私は気に入っていた曲だったのです。 それを簡単に「曲目変更」ってそりゃないよ・・・・ 「お前の最後の曲・・・ドライ・ボーンズな」 皆さんも一度や二度お聞きになったことがあると思います。 アメリカのジャズっていうかゴスペルソングのような歌で・・・骸骨がばらばらになったり、くっついたり・・・・何しろ「つま先の骨」から「甲の骨」・・・「かかとの骨」、「ひざの骨」、「腰骨」・・・・最後は「頭蓋骨」まで・・・これは順番にくっついたり離れたりする歌で・・・なんていうんですかね・・・・「グリスサンド」が時折使われる以外はこれといって面白い歌ではなく・・・・聞き様によっては面白いんでしょうけど・・・私にはさほど好きな歌ではなかったんです。 でも、正指揮者の命令は絶対です。 コンサートの構成は「部長」と「正指揮者」が決定しますが、「部長」がいくらこっちの曲が良いといっても、「指揮者」が「振れない」といってしまえば、それまでなんです。 したがって、私がいくら抵抗しても無駄でした。 「ドライボーンズをやって何かいいことがあるんですか?」 「あのな・・・・俺の同級生に生物部の奴がいるんだが・・・今年の文化祭の出し物に自分で骨格標本を作ってる奴がいるんだ。・・・・・その人形を借りてくる。」 「あのう・・・おっしゃってる意味がよくわからないんですが?」 「お前がドライボーズの指揮をしていると・・・舞台上手から小田島が黒い服の上下を着て・・・その人形と一緒に登場するんだ。・・・・そして骨の名前を歌うたびにその骨を組み立てていく・・・・どうだ面白いだろ?」 そんなことしてなにが面白いんだ! そう思いましたが、しばらく話しの続きを聞きました。 「そこで客に・・おや?今年のコーラス部はちょっと変わってるぞ?・・・そう思わせるんだよ。」 「斎藤先輩」は自分のアイディアに酔いしれているようでした。 「特に出て行くのが去年コミックバンドで失敗した小田島・・・そういえばいま指揮している内藤もあのメンバーだったな・・・そう思ってなにが始まるんだろうと期待する。」 期待なんかしませんよ。 「そこで、お前の指揮が終わり・・・舞台袖に下がるんだ・・・」 「先輩・・・俺・・・終わったらコーラスに加わり、歌うことになってましたけど」 「お前は歌わなくていいから袖に下がれ」 「袖に下がれ・・・って俺、今回はソロで歌うところがあるんですよ?・・」 「お前の代わりなんかいくらでもいる。・・・・村上でいいじゃないか」 「村上」は私達と同学年のバリトンです。 「とにかくお前は・・・・この仲間と一緒に、舞台を盛り上げる係りをするんだ」 このとき、「斎藤先輩」がなにを考えているかわかりました。 私が自分の出番を終え・・・「斎藤先輩」と交代するのですが、その曲目・・・今回は「ミュージカルメドレー」をすることになっていました。 「ウエストサイド物語」から「トゥナイト」「アメリカ」「クール」・・・・「南太平洋」から「バリハイ」・・・「ショーボート」から「オールマンリバー」・・・・「メリーポピンズ」から「チムチムチェリー」・・・「サウンドオブミュージック」から「ドレミの歌」「エーデルワイス」・・・・あとは忘れましたが・・・・ 「とにかく、お前達の汚名挽回のチャンスをやる。・・・・曲にあわせて踊れ!」 やっぱりそのつもりなんだ・・・・・ 子供のPTAをやってた時に私は・・・「歌って踊れるPTA会長」といわれてましたが・・・・実は踊ったのは、その時のコンサートが最初で最後でした。 「ダンスの振り付けは、俺のおばさんがバレー教室やってるから・・・頼んでおくから」 どうしても逃げられない状況になってきました。 仲間の顔を見ると・・・・何にも知らないで泳いでいる「川田」と「藤本」以外・・・「石川」も「井上」も満面の笑みをたたえていたのですから。・・・ 一人「小田島」だけが・・・ニヒルな笑いを浮かべていました。 つづく
2017.03.31
コメント(2)
また頭が痛くなる季節がやってきました。3月決算だからですよ。「赤い数字」が並ぶんだろうな・・・・・・・・・ということで駄洒落。「なんだと!・・・お前こんなに借金をしときながら・・・海水浴に行く?・・・・おい、なめとんのかあ!」「いえ・・・返す意欲はあるんです。・・・・・」
2017.03.30
コメント(0)
例のコンサートが大失敗に終わって、私たちは意気消沈していました。 誰も触れて欲しくないことなのに・・・・同級生たちはからかいます。 同級生達だけでなく、それぞれが所属している部活の先輩達も・・・からかうにはよっぽどいい対象だったのでしょう。 「内藤・・・・お前なあ・・・クラシック調でフォークソング歌っても・・・変だぞ」 これは3年生の「深町先輩」・・・・コーラス部の「正指揮者」でした。 いつもは・・・「内藤こら!!・・・お前の歌い方は・・・フォークソングとかグループサウンドだぞ!・・・もう少しクラシックだと意識しろ」・・・なんて怒る先輩がですよ。 それをなだめてくれたのが・・・・例のコンサートを見学していて、「お前達なにがやりたかったの?」といった2年生の「斎藤先輩」でした。 「斎藤先輩」は「副指揮者」で、3年になれば「正指揮者」になる人なんですが・・・この先輩はとにかく楽しいことが大好きで・・・選曲も「聞いてる人が楽しめる」なんてことを中心に考える人でした。 「まあまあ・・深町さん・・・・とりあえずこいつの舞台度胸だけは認めてやりましょうよ。・・・内藤からそれを取ったら何も残りませんから・・・・」 誉めてるのかけなしてるのか・・・・ 「しかし、・・・・コーラス部の部員があの程度だと思われるのは癪に障る」 「ジャア、内藤に罰を与えましょう・・・・こいつを来年の副指揮者に指名します。」 おいおい、待ってくれよ・・・・俺にそんなコーラスを指導する能力はないぞ! ピアノだって満足に弾けないんだから・・・・・ 「ああ・・そうしようか・・・・いいな!内藤・・・・お前の声は人に聞かせられる声じゃない・・・・それにお前の顔も人に見せられるものじゃない。・・・・・指揮者なら歌わなくていいし、入場のときお客さんに挨拶すれば、あとは後ろ向きになって指揮をするから、顔も見せなくていい・・・・そうしよう」 本気なのか冗談なのか・・・・ だってそうでしょ? 「深町先輩」だって「斎藤先輩」だって・・・指揮者なんですから・・・ 「あんたがたの声も顔も・・・・人に見せたり聞かせたりできないってことか!!」 そう言いたかったんですが、ここは我慢しました。 まあ、それからいろいろあって・・・・ 翌年・・・また夏休み・・・ あ、ここで「いろいろあった」中の重要なことを少し話しておかなくちゃなりません。 実は文化祭が終わってしばらくして・・・・私は「S子」と付き合うようになっていました。 コンサートが終わったあと、私たちは同級生にからかわれ続け、その結果、ますます仲間内だけで集まるようになっていました。 行くところは「小田島」の家が多かったのですが、「石川」と「井上」・・・そして「川田」の電車通学組が多かったので・・・彼らの実家に遊びに行くことも多くなりました。 その町には、彼らの幼馴染という「S子」の家もありましたから、彼女の家に行くこともあったのです。 「お母さん・・・あのね・・・内藤君は親元を離れてアパートに一人暮らしなんだよ・・・なんか美味しいもの作ってあげて。」 彼女はそんな風に、私を家族に紹介しました。 彼女のお母さんも、「石川」たちのことは子供のころから良く知っていましたから、「その仲間なら心配ないだろう」というような感じで、私のことを見てくれました。 彼女の家に行くと・・・・おじさんが弾くらしく、一本のガットギターがありました。 「ねえ・・・内藤君・・・・これ歌ってみてよ」「ポップス系」の楽譜付き歌本も結構あり・・・私はその楽譜どおりに歌って見せたものです。 このころ・・・・翌年の「副指揮者」が決まっていましたから、「深町先輩」や「斎藤先輩」から厳しく指導を受け・・・・なんとか初見で楽譜を読めるようになっていたのです。 ただし、与えられた「指揮教本」は・・・もしかしたら最後まで読んでいなかったかもしれませんが・・・でも、いまだにその教本の名前は覚えてますよ。 「クルト・トーマスの指揮教本」 先輩がたから、「お前の声は客に聞かせられない」といわれた私の声でしたが・・・「S子」には、心地好い声に聞こえたのでしょうか? いつの間にか、「私」と「S子」は付き合うようになっていたのです。
2017.03.30
コメント(0)
ドラムの指導を頼んだ「S子」は、「石川」、「川田」、「井上」と幼馴染・・・・彼らは4人・・・青森市の隣町出身で・・・・高校への通学も、いつも一緒の「電車通学」でした。ついでに話しておくと・・・「小田島」と「藤本」は青森市・・・私だけむつ市出身でアパート暮らしをしていました。「アパート暮らしなら、その部屋がみんなの溜まり場になっただろうな?」そう推測されるかもしれませんが、実は高校の先生の家がすぐ目の前にあり、みんなが来ることを避けていましたから・・・・そう・・・みんなが集まるのは「小田島」の家が多かったんです。「小田島」の実家は、けっこう古くから商売をしている「ある建材の問屋さん」・・・歩いて数分のところに、青森市で一番でかい商店街があり・・・当時は青森市のデパートはすべてこの商店街にありました。また飲食店街・・・いや、はっきりいってネオン街も、「小田島」の家のすぐ裏にあり・・・・出勤途中の「お姉さん」たちが着飾って歩いているのを・・・彼の二階の部屋から眺めたりもしていました。話を戻しましょう。ドラムの担当を「井上」に決めたのは・・・・じつは「S子」でした。彼女の幼馴染3人のうち・・・一番音楽センスがよく、リズム感がいいのは「井上君」・・・彼女はそれをみんなの前ではっきり言いました。「小田島君と内藤君はギターで前に出なくちゃいけないんでしょ?・・・それならドラムは井上君で決まりよ・・・・それとも私が出ようか?」彼女が、仲間のうち3人と幼馴染だということは、私や「小田島」も充分に承知していましたし、・・・・どっちかというと「男気性」だということもわかっていましたが、「コミックバンド」をやろうとしているのに、その仲間に加わろうということを「本気」で言ってるとは思いませんでした。なんといっても「女性」なのですから・・・・・・でもそれは、「石川」が即座に断りました。「殴ったりけったりするんだぞ・・・お前は女だから俺にはできない」おいおい、「笑い」をとるのに「暴力」に訴えるのかよ。でも彼の言葉から・・・「台本」が既に出来上がっていることを感じました。「ああ・・・洗面器で殴るのはもちろん・・・・内藤なんか舞台から転げ落ちなきゃならないんだぞ!」これは「小田島」の言葉です。ということは・・・「石川」と「小田島」で・・・もう構想は練り上げられていたのです。それにしても、私が舞台から転げ落ちるだなんて・・・・コンサート会場は、「体育館」と決まっていました。その舞台の高さは・・・どれくらいあったでしょうか?・・・・・1メートルかな・・・・・けっこう高いところから落ちる・・・・・ゾッとしましたね。「ジャア・・・私・・・出るのはあきらめる・・・・・内藤君、がんばってね」彼女も、その高さが容易に想像できたようで・・・・気の毒そうな顔をしながら私のほうを見ていました。彼女が姿を消してから・・・・みんなは「石川」と「小田島」の作った台本を初めて見せられました。台本というよりメモ帳かな?それには、それぞれの衣装とか、どんな順序でやるのかとか・・・けっこう事細かに書いていました。「内藤は・・・前から思ってたんだけど・・・眼鏡をはずして髪をいまと逆・・・右分けにしてちょび髭をつければ・・・ヒットラーに似てくると思うんだ。」人の顔のことはほっといてくれ !「だから、”悲惨な戦争”を歌ったあとに・・・・台詞として戦争礼賛みたいなことを言ってくれ・・・・それを川田が洗面器で殴る・・・・それで気絶して舞台から落ちるんだ」「洗面器で殴るのはまだ加減ができると思うけど・・・立ったままの状態で舞台から飛ぶのか?」私が訴えると・・・川田は・・・「笑いをとろうというのに加減をしたら面白くないじゃないか・・・・・おれは思いっきり行くからな」ここでもうひとつ情報を入れておくと・・・「川田」と「藤本」は水泳部で・・・・逆三角形の見事な身体をしていました。指を鳴らしながら私のほうを見ている「川田」は・・・なんとなくニヤニヤしてたように思います。「ああ・・・洗面器はプラスティックのものだから・・・痛くないと思うよ。・・・・・でも飛ぶときは気絶するんだから・・・・足から着地しないようにしておいてくれ」「もちろん下にはマットかなんか置いてくれるんだろうな?」「まさか!・・・・それじゃ見てる人にばれるだろう!!」骨折覚悟でやれと言われているようなもんです。それには「藤本」が反対してくれました。「落ちたのなんか、客には見えねえよ・・・・だから舞台で倒れてもいいんじゃないか?」「それもそうだな・・・・・」「倒れたのを、担架で運ぶ・・・・・そこで、担架の片方が外れて・・・・内藤が転げ落ちる・・・・その担架の裏には”おしまい”とか書いておいて・・・・だから片方が外れて・・・布の裏が見えるだろ?・・・そんなのでどうだ?」「ジャア・・・これが最後の演目になるんだな?」みんなはそれで了解しました。「エッとそれから・・・・藤本はバク転ができるから・・・・バクテンをかっこよくきめて・・・このカードを持って客に見せてにやっと笑うんだ」そんな小道具まで用意してました。そのカードには「(E)」とだけ書いてあって・・・・・「なんだこれ?」「カッコイイ・・・・って読めるだろ」なんとくだらない・・・・・そういわないでください。その時の自分たちは、そんなものでも少しの疑いを持たず・・・・ウケルものと思っていたのです。それからしばらくの間は「小田島」の家に集まって・・・・・歌の練習、動きの練習をしたのです。もちろんみんな・・・部活の練習が終わってからの集合で・・・・私以外のメンバーは「小田島の家でみんなで勉強してくる」・・・・そういって集まっていましたから・・・文化祭が終わったあとで・・・・成績のことでみんな家族から叱られました。さていよいよ本番・・・・・私はどちらかというと・・・・人前で何かして「あがる」・・・っていうことはありません。中学のときは「応援団」の副団長っていうのをやってまして・・・・1000人ほどの生徒に「応援歌指導」なんてことをしてましたから慣れていました。それに、部活だってコーラス部で・・・・夏休み中にあった「演奏旅行兼合宿」の時には「青少年オペラ」・・・・というのをやって「真間の手古名」というお芝居をしてました。このときの役は「京都から東北に赴任してくる貴族の役」・・・・「真間」という地名はいまの千葉県市川市にあたり・・・・・確か今でも「手古名堂」というお社があると聞いていますが・・・・・そのときの私の化粧は「京都のお公家さん」ということで白塗りだったのです。「お公家さん」というより・・・・なんとなく「志村けんのバカ殿」を髣髴とさせる様な・・・・だから、もう恥ずかしいという感覚は忘れていたようです。しかし・・・しかしですよ・・・・・ほかのメンバーは慣れてなかったのです。あの、「リーダー格」の「石川」は噛みにかみまくり・・・・・「小田島」はギターを弾くときに間違えないようにという思いがあったのでしょうか?・・・・ギターの弦を見たまま・・・台詞をいうときも下を向いたままボソッと言うだけ・・・・客から・・・「なに言ってるんだか聞こえないぞ・・・小田島!」という声が掛かるほどでした。「藤本」はというとバク転を失敗して・・・・頭を打ち・・・「(E)」というカードは出したものの・・・実に「かっこ悪い」ものになりました。でもこのときだけはウケタなあ・・・・・「川田」は最後に洗面器を・・・・・もちろん予定通りプラスティック製でしたが・・・・思いっきりそれで殴り・・・・壊れるほどでした。ほんとに目の前が真っ暗になり・・・・倒れたんですが・・・・担架を運んできた「井上」と「藤本」が私を乗せ・・・運ぼうとしても・・・・予定していた片方が外れる・・・というのがなかなか外れません。ビニールテープだから簡単だろう・・・と思っていたのですがけっこう丈夫にできちゃったようでした。しょうがないから私は、自分で担架から転がり落ち・・・・「井上」と「藤本」も「おしまい」という文字が見えるように手を離したのですが・・・・・散々でした。「お前らなにやりたかったの?」見に来ていたコーラス部の先輩・・・いまは大学卒業後は青森市の水道部に勤めてて・・・この「コミックバンド事件」があってから、私達とといつも一緒に遊ぶようになった「斎藤」先輩に言われました。つづく
2017.03.30
コメント(0)
「お前の駄洒落・・・久々に聞きたいな」あいつがそう言ってるような・・・・そんな気がします。「潮干狩りにいったんだけど・・シジミ貝しか採れなかったよ」「シジミだけ?、そりゃ漁りがい(アサリ貝)がないなあ・・・・」※ 【▽漁る】(あさる)大辞林 第二版より (動ラ五[四])(1)(鳥や獣が)えさや獲物を探し求める。 「えさを-・る烏」「野良犬がごみ箱を-・る」(2)(人が)魚介類を探してとる。 「磯を-・つてゐる此人/忘れえぬ人々(独歩)」(3)自分のほしいものを求めてあちこち探しまわる。 「資料を-・る」「古本屋を-・る」「鮪(しび)の若子を-・り出(ず)な猪の子/日本書紀(武烈)」
2017.03.29
コメント(0)
「お前の駄洒落・・・久々に聞きたいな」あいつがそう言ってるような・・・・そんな気がします。「潮干狩りにいったんだけど・・シジミ貝しか採れなかったよ」「シジミだけ?、そりゃ漁りがい(アサリ貝)がないなあ・・・・」※ 【▽漁る】(あさる)大辞林 第二版より (動ラ五[四])(1)(鳥や獣が)えさや獲物を探し求める。 「えさを-・る烏」「野良犬がごみ箱を-・る」(2)(人が)魚介類を探してとる。 「磯を-・つてゐる此人/忘れえぬ人々(独歩)」(3)自分のほしいものを求めてあちこち探しまわる。 「資料を-・る」「古本屋を-・る」「鮪(しび)の若子を-・り出(ず)な猪の子/日本書紀(武烈)」
2017.03.29
コメント(0)
その当時、コミックバンドというと、「クレージー・キャッツ」、「ドリフターズ」そして「ドンキーカルテット」などのグループがおりまして、その「コピー」を使用・・・っていう話しなんですけど・・・・私自身はあまり乗り気になりませんでした。高校生特有の「変な意地」っていうのがありまして・・・・私自身「コーラス部」に所属していましたから・・・・「テキトーな形での音楽」はやりたくなかったのです。「コーラスのアレンジなんかは・・・お前にやってもらうんだよ・・・・発声なんかはそりゃ・・・俺達みんな素人だからうまくできないかもしれないけれど・・・だけどハーモニーで聞かせるってことはできるだろ?」「石川」は簡単にそう言い放ちました。「そんなこといったって、俺にボーカルやらせるってことは、お前達がバックコーラスをやるってことだぞ・・・・できるのか?」皆さんにも経験はあるでしょうけど、「コーラス」をやるとその「主旋律」のメロディに釣られて・・・・全員がメロディを歌ってしまう・・・なんてことはよくあることなんです。特に・・・自慢するわけじゃありませんが、私はコーラス部・・・・どっちかというと、私が「バック・コーラス」したほうが良いように思えました。「ボーカル担当はほかの奴にやらせてくれよ・・・俺はコーラスのほうが・・・」「そんなこといったって・・・・お前は俺達の歌・・・聞いたことがあるだろ?・・・お前しかないんだよ」確かに、けっこうひどいものでした。「石川」にいたっては、自分でバンドをするっていいながら、彼の歌はどれを聴いても「お経」に聞こえたものです。「コピー」する曲目を決めました。フォークギターとウッドベース、それに「スネアドラム」一個・・・・・だけのバンドですから、どう考えてもフォークのグループ・・・・・少し時代は遡りましたが、誰でも知っている、アメリカのフォークソングを中心に、森山良子の歌を交えた構成にしたのです。私が「メロ」を歌う以上、難しいアレンジなんかできるわけがありません・・・・だって、あの仲間が私に引きずられないわけがない・・・・。「3度」、「5度」離しただけのアレンジにして、コード進行も基本的な・・・・「C」、「F」、「G7」・・・それに時折、「Am」、「Em」・・・・元の曲が何であれ・・・急ごしらえのバンドですか・・・ギターのコードを教え込むだけでも「小田島」と私・・・・二人だけでは、この程度しかできないと判断したのです。「ウッドベース」は・・・・身体が大きいからという理由で、「川田」が担当・・・・この弾き方についても・・・・「石川の従兄」の「世界民俗音楽研究会部長」が教えてくれたのですが・・・・「だめだ・・こいつにゃ無理だ・・・・」さじを投げられてしまいました。しょうがないので・・・・・「この歌詞の時には、ここを弾いて・・・そうそう・・・でしばらくどこにも触らないで・・・・次にこの歌詞が出てきたら・・・このビニールテープのところを押さえて弾く・・・そうそう・・・それでいいよ」このとき、ウッドベースでリズムを取ろうというのをあきらめました。それでもウッドベースは・・・あちこちビニールテープだらけになり、けっこうカラフルだったんですけどね。リズム楽器がない以上・・・・「スネアドラム」が重要になってきました。担当は「井上」・・・・・ところが指導は、私もできなければ「小田島」もできません。けっきょくその「ドラム」の持ち主である「S子」女史に指導を請うことになりました。彼女は中学生のころからブラスバンドで「パーカッション」・・・つまり打楽器担当でして・・・・・「石川」、「井上」、「川田」とも幼馴染でした。おっと・・スンマセン時間です。明日、次男坊が札幌に帰るんで・・・・だからつづきます。
2017.03.29
コメント(2)
まもなく雪も消えそうになるこの時期になると・・・「あいつ」のことを思い出すんです。高校時代からの友人・・・「小田島」のことを・・・仲良く遊んでいた時代もありましたが、あることを境に・・・バッタリと付き合うこともなくなり・・・そして大人になってから仲違いを解消して、また付き合いだした「小田島」・・・彼との別れは突然やってきました。それは、私が子供を連れて岩手県の安比スキー場に出かけた、ある日曜日のことです。前日、しこたま呑んで・・・クルマで安比高原まで来るのはめんどくさかったのですが、子供との約束です。・・・その年最後のスキーの練習をしたいという子供にせがまれ、朝の5時出発・・・ようやく到着したのですが、私は疲れてしまってそのまま車のシートを倒して仮眠することにしました。その時です・・・突然私の携帯が鳴りだしました。「誰だ・・・・日曜日の朝8時に電話だなんて・・・・」そう思いながらも「携帯」の相手先を確認すると・・・・高校時代の友人「川田」でした。この名前・・・・前にも「小説モドキ」のどこかで、使ったことがありますから覚えている方もいらっしゃるでしょう。「おお・・・川田か・・・どうした・・・朝早くから」しばらく返事がありません・・・・・・相手から電話をしてきたのに・・・何にも言わないなんて・・・私は変だと思い・・「もしもし・・・・どうしたんだ川田だろ?」もう一度声をかけ直したんです。そうしたらようやく踏ん切りがついたというような声で・・・・・「死んだ・・・・・・小田島が死んだ」そう切り出してきたんです。とっさには返事が出来ませんでした。「小田島」も「大切な友人」の一人・・・・とくにいろいろな意味で忘れられない奴だったんです。私は高校に入った時・・・・「越境入学」で県内屈指の「受験校」に進学しました。したがって入学した当初は話をする友人は誰一人いなかったのです。そんな時声をかけてくれたのが「小島」でした。そのときのやり取りはどんなものだったか、今は思い出すことも出来ませんが・・・彼が中心となって自分たちのクラスや・・・他のクラスから・・・磁石に次々とくっついてくるように・・・仲間が集まってきたのです。「小田島」、「川田」、「石川」、「井上」、「藤本」そして私・・・「内藤」・・・高校一年のときから、いつもこの6人でつるんで一緒に遊んでいました。夏休みの「夏期講習」が終わってから・・・・・私たちは小島の家に集まっていました。「おい・・・夏休みが終わると・・・文化祭があるよな・・・・・この前、生徒会室の前に張ってあったポスター・・・文化祭参加バンド募集って書いてあったろ?・・・どうだあれに出ようじゃないか・・・・」なんとなく態度がでかい「石川」からの提案でした。「石川」の実家は「天○教」の「教会」で、彼も将来は「天○大学」に進学し、宗教者になるつもりでしたから・・・・どっちかというとリーダー的な存在でした。「バンドっていったって・・・・楽器のできるのは内藤と小田島だけじゃないか」そういったのは少し理屈っぽい「川田」でしたが、私はとくに楽器ができるというわけではありませんでした。ただ・・・少し変わった理由で「コーラス部」に入っていて・・・・「音楽理論」には少し強いという程度・・・・楽器だってピアノが少しとギターが少しっていう程度でしたから、とてもバンドを組んで人前で演奏するなんて出来ません。「小田島」はというと・・・彼の場合は「世界民族音楽研究会」なんていうサークルに所属していて・・・・簡単に言うと「フォークソング」のサークルだったんですけどね・・・何とか彼だけはギターが弾けたんです。「フォークギター」も数本持っていて・・・・「だからさ・・いまさらみんなでエレキギターを買ってやったってできるわけはないんだけど・・・・小田島のフォークギターをみんなで練習して・・・・コーラス部にいる内藤をボーカルにしてさ・・・・フォークバンドならできるだろ?」「石川」はそんなことを言い出したんです。「だって俺たち楽器は二人しかできないんだぞ?」なんとなくノンビリしているような「井上」がそう言うと・・・・・「だから・・・俺たちはいつもこの小田島の家に集まってるだろ?・・・・そしてこの家にはピアノもフォークギターがあって・・・ここで練習できるじゃないか」「でもなあ・・・・ただフォークソングのバンドを作ったって・・・・そんなグループ・・・女の子がキャーキャーいうようなバンド・・・って言うようにはならないよな」このグループの中では、いつも何か面白いことだけしていたいという「藤本」が逆らうように言いました。「ギターだけじゃバンドにならんだろ?」私もそんなことを言ったように思います。私としては「コーラス部」の「文化祭コンサート用の練習」もあって・・・少しめんどくさいと思っていたのかもしれません。「お前たち何か勘違いしてるんじゃないか?・・・・・まともな音楽をしようなんて考えちゃいねえよ・・・・・・コミックバンドをするんだ」「エエーッ????」言い出した「石川」以外の全員の口から、いっせいに・・・「コーラス」でそんな声が出ました。「俺はどうせ音楽のことはわからん・・・楽器が足りないならその楽器をどこからか借りようぜ・・・・ベースは音楽室にあったじゃないか・・・」「あれは、世界民族音楽研究会のものだ」「小田島」がそう言うと「石川」は・・・「サークルの部長は俺の親戚だ・・・何とかなる。・・・壊すわけじゃなし・・・元々学校のものじゃないか・・・・」「リズムはベースが受け持つのか?」私が聞くとまたしても・・・・「俺はどうせ音楽の事はわからん・・・・太鼓が必要なら幼馴染のS子がブラスバンド部で太鼓を叩いてる・・・あいつに頼もう」それにはみんなが反対しました。「だめだよ・・・・女の子にコミックバンドをやらせるのか?」私も反対しました。「それじゃ・・・・小太鼓だけ借りてきて・・・・指導はS子にしてもらおう・・・それならいいだろ?」このS子が将来・・・自分たちの中に、大きな影響を与えるとは誰も気がつかず・・・・いつの間にか「コミックバンド」計画はスタートしたのでした。・・・長くなりそうなので続く・・・・あれ?・・・・続くって・・・俺・・・・この話しを小説風に書いてるな・・・・「小島」・・・・良いか・・・そんな風に書いて?なんとなく「彼」がうなずいているように思います。
2017.03.29
コメント(0)
次の「小説もどき」のネタを探している。 実は頭のなかでは出来上がっている。 数年前に亡くなった悪友との、様々な因縁話しをまとめたもの・・・ もちろんそのまま書いてもつまらないから、話しはかなり盛ったものになる。 恋愛話も付け加えておこう。 あ、これは実話じゃない。 でも「小説もどき」には必要な気がする。 書いて良いだろうか? 皆さんに聞きたい。
2017.03.28
コメント(0)
まもなく「エープリル・フール」ですね。日本語で「四月バカ」でも私の場合、年がら年中「バカ」ですから・・・「徒然草を書いた吉田兼好(1283年 ~1350年)って・・・上皇に仕えてから出家して・・・・あの随筆を書いたんだけど・・・さすがお坊さんだね・・・・ボランティア活動もしてたらしい」「へえ・・・・どんな活動?」「病気の人の世話をしたり・・・ラジオ体操の指導なんかもしたらしいぞ」「そうなんだ・・・・健康奉仕ね」ちょっと物足りないな・・・・・「梅に留まっていたウグイスね・・・・突然、木から落ちたらしい」「猿も木から落ちるって言うのは聞いたこともあるけど、鳥も木から落ちるかねえ・・・それでどんな風に落ちたんだい?」「コトリ・・・と落ちた。」
2017.03.28
コメント(0)
来月の中旬、中学校の同期会開催のための打ち合わせ会議がある。 同期生330名の代表ということで、役員の招集は私の名前で行う。 日程の調整は事務局長の「N」がするのだが、それは私に任せると忙しさにかまけて、いつまでたっても決まらないから。 「N」が候補の日にちを何日分か呈示して、その中から私が一番時間の取れる日を選ぶのだ。 そして4月中旬のその日にしたのだが、今日急に・・・ある団体から電話が入り同日に会合が入ってしまった。 これは仕事に影響するから優先させなければならない。 すぐに「N 」に電話した。 「そっちに行かなきゃならないから、ちょっと遅れるのを認めてくれ。」 すると声が急に不機嫌になり、「お前が決めた日だろ?何とかしろよ!」 そんなこと言われたって・・・ 同期生たちはほとんどが定年を過ぎ、自由気ままな生活をしてるんです。 次の総会で、代表を代わってほしいな。 。
2017.03.28
コメント(0)
今朝、長男と次男が早くから青森市に行きました。長男のすぐ終わる用事で、そのあと二人で買い物をしてくるようです。仲の良い兄弟でホントに良かった。朝、7時に出かけましたから・・・11時には用事も終わっているはずです。何を買いに行ったのかはよくわかりませんが、おそらく・・・オシャレに全く無頓着の弟のために、洋服でも選んであげてるんじゃないかな?長男はそれなりにオシャレなんですけど、次男坊はホントに切るものに興味はないようで・・・高校時代もほとんどジャージで生活していました。「お前、札幌の大都会でジャージ暮らしは無いだろ?」「ジャージ暮らしじゃないよ・・・ちゃんとスーツも持ってるし・・・」「そりゃ入学式の時に来たスーツだろうが!・・・そうじゃなくて、ススキノなんかに出かけるとき着て行く洋服だよ。」「・・・・・・(無言)」「一度洋服を見に行こう。」そんな話しをしていましたから・・・カミさんが札幌に行くと、時々買ってあげようとするらしいのですが、カミさんのセンスを信用してないらしく、兄貴の方を信用しているらしいです。どんな洋服を買ってくるのかな?私も楽しみにしています。
2017.03.27
コメント(0)
なんで急に思い出したんだろう? 高校三年生のラストコンサートは、青森市役所の隣にあった「青森市民会館」での高校文化祭のコンサートだった。 高校三年生で、合唱部の正指揮者になったのだが、正直そんな実力はなかった。 なぜなら私の中学生の時は、なぜか応援団で過ごした。 楽譜だなんて読み方も知らなかった。 簡単な話し、「4分の3拍子と8分の6拍子は同じもの」と思っていた。 数学的に言うと、「約分すれば同じじゃないか。」と思ったのだが、音楽的に言うと「8分の6拍子は2拍子系」ということで、「4分の3拍子」は3拍子系だからまるで違うのだ。 その辺も全く知識がなかった。 ところがほかの部員は、みんな子供時代からピアノを習ってたとか、ヴァイオリンを習ってたとか・・・ ということで、全く音楽経験のない私が「正指揮者」なんて無理なんだよね。 先輩が言うには、「お前の顔はお客さんに見せるべきじゃない。お客さんに背中を向ける指揮者が似合ってる。」ということで選ばれたらしいが、私としたらたまったものじゃない。 演奏会は年に数回・・・それに合わせて曲を選ばなければならない。 最後のコンサートということで私が選んだのは、「ミュージカルメドレー」と「合唱組曲・蔵王」でした。 そのほかに二年生副指揮者の小作品と,休憩の時の男声四部合唱と,一時間半のメニューを作ったんです。 で、このコンサートで何を思い出したかというと、私の友人たちの悪ふざけです。 例えば、「ウエストサイド物語」から「トゥナイト」のデュエットで・・・テノールとソプラノが前に出てきて歌うんですが、その二人が出てこなくて私の友人男性二人が・・・片方は私服のシャツとジーパンで出てきたんですが、もう一人はミニスカートからすね毛を出して口パクで歌う真似をしたんです。 また二階席からは、何の歌だったか忘れましたが紙テープ・・・イヤ,トイレットペーパーが投げ込まれ、そのほか様々ないたずらがあったんです。 おかげで,私たち3年生は先輩からしこたま叱られました。 あ、だってミニスカートの件は私の知らないところで、デュエットの二人が私の友人と示し合わせて行ったことだし・・・全員正座で叱られたんです。 でも楽しかったですよ。 そんな合唱団でした。
2017.03.26
コメント(0)
私はもともと「左利き」だったらしい。 私の幼少時代だって左利きがいなかったわけじゃないんだけど、両親は必死に「右利き」にしようとしたらしい。 おかげで、細かなものをするとき・・・例えば箸を持つ、鉛筆で字を書く等は右で出来るようになった。 しかし、野球やボーリングをするときは左でなければできない。 中途半端である。 両手が使えるなら最高だが、両手ともに使いきれてない。 ある時学校でアンケートがあった。 「あなたは右利きですか?」 何とも答えようがない。
2017.03.26
コメント(2)
出張で東京に行った時の話し・・・ たまたまホテルにチェックインしたばかりだから午後3時ごろだったかな? 大学の後輩から電話があった。 「先輩、今日は東京ですか?いや、さっき東京駅にいたのを見たんですよ。」 「声かけてくれればいいのに。」 「姿を見失っちゃって・・・ところで今日の予定は?」 「5時から会合だよ。」 「それじゃ7時半ごろ、会いませんか。」 ということで、会うことになった。 「東京はあまりいらっしゃらないでしょ?俺、ホテルまで迎えに行きます。」 たしかに東京は詳しくない。 若いころ住んでいたとはいえ、東京の交通網の発展に、私は追いついてはいけない。 ということで連れていかれたところは、「タイ料理のレストラン」だった。 まずいなあ・・・実はタイ料理・・・「パクチー」が苦手なんですよ。 最初にタイに行ったときは、食べることが出来たんですよ。 でもね・・・3回目にタイに行ったとき、仲間の一人が「こんな臭いもの、お前たち、よく食べるな?」って、食事ごとに言われているうちに、なんとなく食べられなくなったんですよ。 なにを食べてもパクチーの匂いがして、だからホテルに戻ってからルームサービスでステーキを注文したんですが、このステーキにもパクチー・・・これで完全に食べられなくなりました。 そして連れてこられたタイ料理レストラン。 ま、会合で少し食事してきましたから、食べなくても大丈夫。 でもね・・・ここの料理に、思っていたパクチーの匂いがしなかったんですよ。 味も大丈夫。 けっこう楽しい食事会になりました。 後から聞いたら、パクチーにも種類があるんだそうで、これなら食べられました。 これなら、またタイに行っても良いかな?
2017.03.25
コメント(0)
青年会議所時代の懐かしい友人と、今日はホテル青森で会議でした。八戸市の「菅原君」と「横町君」「あれ?しばらく会わないうちにナイト・・・痩せたね?」およそ一年ぶりなんだけど、そんなに驚かれるほど痩せてません。「これからモテようと思ってさ。」「なに言ってんだか・・・若い時でもモテなかった奴が、前期高齢者になってモテるわけがない。」そう言ったのは「横町君」無八戸に行っても彼が社長やってるスーパーチェーンでは買い物をしないことにしよう。って嘘だよ・・・今後とも八戸・十和田で買い物をするときは「横町ストア」で太れる食材を購入します。
2017.03.24
コメント(0)
2か月に一回、病院に行ってます。痛くもかゆくもないんですが、この診察が健康診断変わりだと思っています。あ、検査は先週にやってますから、その結果を聞きに行くだけですけどね。今日は肺炎予防の注射もしてもらってきます。ということで、今日は更新できないかな?
2017.03.22
コメント(0)
お世話になった方の・・・今日は送別会。本社転勤だそうです。ますます偉くなっていくんでしょうね。ところでその会社・・・社則で「平日は午後8時以降、外で飲むのは禁止」という事があるそうです。という事で、二次会はありません。そこで、今日は次男坊を呼び出して飲みに連れて行こうかと思ってます。むつ市だから、若い人が好むようなお店はありませんが、たまにはオバチャンたちのいるスナックにでも・・・「ほんとはお母さんと同じくらいの人と飲むのは・・・」なんて渋ってましたが、たまにはオヤジと付き合えよ。昨日も家で、一緒にワインを飲んでました。
2017.03.21
コメント(2)
西郷隆盛の本を読んでて駄洒落。「西郷隆盛って、西南戦争で敗れて自刃したんだよね?」「そう、城山で切腹したと云われてる。」「死ぬ前に美味しいものが食べられたかな?」「いや・・・最後、うどんだろう。」あ、嘘だぞ!俺の言うことは信じるなよ?
2017.03.20
コメント(0)
pa-texi-pi-po-
2017.03.20
コメント(0)
昨日はけっこうなお日和で・・・いや、結婚式とかがあったわけじゃないんですよ。いや・・・お彼岸なのに「お墓参り」になかなか行けなくてね。昨日の日曜日だけが空いてたんです。でね・・・我が家はちょっと複雑でね(そんなんでもないか・・・)お仏壇が私の実家にあるんですよ。大きすぎるんで、私が住んでいる家にはなかなか入らない。今、その実家には長男が住んでましてね・・・将来、長男が結婚したら・・・その家に暮らしてもらおうと思ってます。だから仏壇も神棚も昔のままで・・・ところが独身の一人暮らし…部屋の汚いこと。そこで昨日はまず朝から・・・私の実家の大掃除。それから仏壇の「お彼岸」セッティングをして、お墓参りに行きました。天気も良かったので、お墓にも雪は無いだろう・・・そう思ったんですが、けっこう残ってましたね。お墓自体は、先日掃除をしてありましたけど、その後の雪がけっこうあったんですよ。そこで、道具もないので手で雪かき…何とか綺麗にしてお墓参りのお餅とか果物をお供えしましたが、なんとすぐにカラスが10羽ほど・・・お供え物を狙います。だからほとんど食べて、食べきれないものはお持ち帰りしましたよ。ついでに私の母方のお墓もお詣り。うちの母方のお墓は、ここと熊本の二か所にありまして、熊本のお墓は従妹が守ってくれています。だって、実際の当主は東京に暮らしてますからね・・・それにしても、うちの祖父母ともタバコを吸ってましたから、お参りしてくださる皆さんは「タバコ」を「お線香」がわりにあげてくださってます。昨日も5本ほどの「たばこのフィルター」がありました。家に戻って、昨日の残りのカレーライス・・・息子二人がいるから、大きななべのカレーもあっという間に空になりまして・・・それから今度はカミさんの実家の墓参り。今度はクルマ二台で行きました。え?二人ずつ?・・・いやいや・・・タバコが吸えるように、私だけ自分の車で行きました。「タバコ、止めたら?」家族全員の意見ですが、辞めるつもりはありません。でも、そのおかげでお墓に行ったとき、ろうそくやお線香に火を点ける道具・・・ライターは私しか持っていませんから、役に立ちましたよ。そして家に戻り・・・夕食はお弁当を買ってきて・・・それで済ませました。大掃除が余計だったのでしょう。家族全員疲れて、8時過ぎには全員寝てました。
2017.03.20
コメント(0)
「小説もどき」を書いてるときは、アクセス数は平均して毎日500通ほどあった。しかし、「小説もどき」を休むことにしてから、徐々に数値が下がってきて、今日は300通ほどだ。意外にも皆さんは私の「小説もどき」を待っていたのかな?それなら、何か考えようかな?新しい「小説もどき」を・・・皆さんはどんなのが良い?あ、言っとくけど「官能小説」はダメだよ?だって経験不足だから。
2017.03.18
コメント(0)
けっこう有名なお話しだから、みなさんもきっと知ってらっしゃるかと思う。 私はこの話を・・・・「サーカス」で知った。 実は・・・「葛の葉」という演目が・・・・その「サーカス団」には伝統的に残っているのだ。 足芸である。 女性芸人さんが・・・・出てくると、お尻のあたる部分をちょっと高めにしたテーブルに横になる。 そして・・・・ボールや樽・・・いろいろなものを足で回すのだが、・・・・皆さんも一度は見られたことがあるだろう。 この足芸の中に、「葛の葉伝説」の演目があるのだ。 詳しい話しはあとで話すとして・・・・最後にその女性芸人が「障子」を足で上げ・・・・その「障子」に・・・・他の芸人が登って・・・さらさらと和歌を書くのである。 その和歌とは・・・・ 「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信田の森の うらみ葛の葉」 実に達筆であった。 その伝説をご紹介しよう。 717年・・・・唐に留学した「安部仲麻呂」のことは・・・・歴史の教科書で勉強されたことだろう。 その8代目の子孫に「安部保名」(あべのやすな)という人がいた。 彼が「信田の森」でキツネ狩りに追われた「白狐」を助けたのだが・・・・その為に傷を負ってしまった。 やがて、美しい娘・・・「葛の葉」が現れて・・・優しく介抱するのだが・・・ それが縁で・・・「保名」と「葛の葉」は結ばれ・・・「童子丸」という子供ができる。 しかし、・・・・この「葛の葉」・・・・・実は「白狐」の化身であった。 あるとき・・・・菊の香りに心奪われて・・・つい元の姿に戻り・・・その姿を「童子丸」に見られてしまったから大変! 「童子丸」は驚いて泣き出してしまったから・・・・その泣き声で・・・・外にいたはずの「保名」が戻ってきて・・・・彼もその「白狐」の姿を見てしまった。 そこで「葛の葉」は・・・・・ 「恋しくば 尋ね来てみよ 和泉なる 信田の森の うらみ葛の葉」 という歌を残し立ち去ってしまうのである。 どうです?・・・・・私はこんなお話しが好きなんですよね。 おっと・・・・それでね・・・・この「童子丸」が成長して・・・・のちに「安部清明」になるんですよ。 そうそう・・・陰陽師の「安部清明」 彼は「人間と白狐のハーフ」だから・・・・陰陽道にも精通し、式神を自由自在に操り、鬼界を覗き、吉凶を自由に差配出来た異能者だという由来の話しとなるわけですけど・・・・ 「鶴の恩返し」のお話といい、この「葛の葉伝説」といい・・・・ 動物を助けると・・・・美人の奥さんと一緒になれる。 そう言えば・・・・昔、野良犬に餌をあげたことがあって・・・それから少ししてかみさんと出会いました。 もしかしたら、かみさん・・・・・「戌年」の生まれだから・・・・「犬の化身」だったりして・・・・・ 通りで最近・・・私のやることなすことに腹を立て・・・・キャンキャンとうるさくすると思ったら・・・・ いやいや・・・・こんなこと書いたらまた叱られる。 ホントは皆さんの中にも・・・こういった類の美人がいるんじゃないかと疑ってるんですけどね? あなた・・・・・そうじゃないんですか?
2017.03.18
コメント(0)
アクセス数を増やすためにはどうすればいいか・・・いろいろ悩みましたが、どうやら「ダイエット」の話題を取り上げれば増えるようです。私が最初に作った駄洒落ですけど、「太ってる人は役所に届けなさい」「え?なんで?」「脂肪届」これでだいぶ増えたことがありましたんで・・・今回は次のダイエットのお話し・・・「試着したいんですけど・・・」「お客様申し訳ありませんがこのお洋服・・・今サイズが大と小しかございません。」「じゃ、大・・・エット小にするわ?」すると子供が・・・「お母さん無理だよ、入らないよ・・・ね、ね、ダイエットしよう」何処が駄洒落だって?「大えっと・・・しょう」⇔「ダイエットしよう」ジャンジャン!!!
2017.03.18
コメント(0)
大学の夏休みと冬休みには全くいかなかった次男坊・・・何故か春休みになったら、急に部活に顔を出し始めた。高校時代の部活は「フェンシング部」大学にはその部活がないので、なぜか入ったのが「居合い抜き同好会」和洋の件の使い方を学んでどうするつもりなんだろう?ま、今はフェンシング部の部活を見学に行ってるみたいです。行けばとりあえず、「先輩。先輩」と奉ってくれるから嬉しいのかな?先日も夜の7時まで見てたみたいです。「行ってただ見てるだけなら、すぐに帰ってこいよ。」と言ったら、「顧問の先生が、教職を取ってるなら、後輩の指導でもしろ」っていうんだって。本人は、将来・・・できれば学校の先生になって、部活の顧問がしたいような話をしているが・・・就職なんてできるわけないだろ?他の県はともかく、青森県は先生が余ってるんだから・・・ま、次男坊だから何をやっても良いけど・・・実は今日ある大手ゼネコンの方がいらしたんで、聞いたら・・・「うちの支店長・・・長らく支店長をやってたんですが、このたび代表取締役社長になりました。」お、ずっと親しくしてもらっていた支店長が社長に・・・もしかしたらうちの次男坊の就職を頼めるかな?
2017.03.17
コメント(0)
先日、実家のある町内会の班長さんからお電話をいただきまして・・・「町内会費が未納になってまして・・・」実は、長男を住まわせているんですが、町内会費は私が払わなきゃいけないんですよ。・・・私の家ですからね。だから、すぐに支払いましたよ。3500円。自宅の町内会費も払ってるんで・・・倍の町内会費なんですよね。売ればいいじゃないか・・・っておっしゃる方もいるんですけど、ほら・・・私は神社の総代で、お祭りのときにはカミシモを着て出なくちゃならないんですよね。すると、どうしても休憩する場所が必要になってくるんです。いちいち、自宅に戻るっていうのもね・・・だからこの家が必要になってくるんです。長男が結婚したら夫婦でこの家に住んで貰って、祭りのときだけ3日間・・・私の休憩所として部屋を借りて過ごそうと思いますけど。カミシモを着なくていいなら、売ってしまいたいんですけどね。
2017.03.17
コメント(0)
お彼岸の入りですが、金曜土曜は忙しいので、日曜日にお墓参りに行ってきます。という事で・・・そろそろ出始めるクマで駄洒落を・・・クマといっても・・・北海道は「ヒグマ」本州以北は「ツキノワグマ」ですよね。一昨年でしたか・・・津軽海峡を渡って北斗市にあるセメント工場に行ってきたんです。下北半島では連日「クマが出た」という話題でにぎわっていましたが・・・向こうの人に聞くと・・・「北海道でもクマが出てますよ。・・・昨日もこの辺にヒグマがでました。」わずか17.5キロの距離しかないのに、向こうは「ヒグマ」・・・下北半島は「ツキノワグマ」って・・・違うもんですね。「2本の樹木に傷があるけど・・・あれは?」「あ、クマだベア…」「こっちの木も?」「ツギノハ?・・・クマだな・・・やっぱり。」
2017.03.17
コメント(0)
「消費者金融に猟銃強盗が入ったんだってよ」「ああ・・あのテレビでコマーシャルやってるとこだろ?」「そうそう・・・・あのコマーシャルが悪いよね・・・強盗を勧めてるんだもの・・・」「強盗を勧める消費者金融?」「♪どうする?ライフル?♪」ごめんなさい・・・
2017.03.16
コメント(0)
一昨日のことになりますが、カミさんが突然・・・「来週にでも、次男坊くんの誕生会しようか?」そう言ったんです。でも、残念ながら私のスケジュールがいっぱいです。しょうがない・・・私抜きで楽しんでらっしゃい。
2017.03.16
コメント(0)
涅槃は、「さとり」〔証、悟、覚〕と同じ意味であるとされる。 しかし、ニルヴァーナの字義は「吹き消すこと」「吹き消した状態」であり、すなわち煩悩(ぼんのう)の火を吹き消した状態を指すのが本義である。 その意味で、滅とか寂滅とか寂静と訳された。また、涅槃は如来の死そのものを指す。涅槃仏などはまさに、死を描写したものである。 「人間の本能から起こる精神の迷いがなくなった状態」という意味で涅槃寂静といわれる。 何やら難しい話しをしておりますが、「お釈迦様が、菩提樹の木の下で、永遠の眠りにつかれた。」という事でしょうか。 35歳で修業を始められ・・・この「涅槃」のときは80歳になられたと聞いております。 そして・・・じつは我が菩提寺である「吉祥山圓通寺」では・・・本日「涅槃会」が開かれております。 お釈迦様がいつ亡くなられたかについては、はっきりといたして居りませんが、満月の日と聞いております。 そこで逆算すると・・・およそ旧暦の「2月15日」 そこで我が菩提寺では「3月15日」を「涅槃会」として毎年行われているのです。 熱心な仏教徒である私も、本来であれば駆けつけなければならないのですが、どうにもこうにも用事が積み重なりまして、今日は欠席させていただきました。 皆さんもよろしければ「菩提寺」にお参りに行かれては? ちなみに、お釈迦様の「誕生会」・・・これは旧暦の「4月8日」となっておりますが・・・「圓通寺」では「5月8日」に「花祭り」として行われております。 お生まれになられてすぐに・・・お釈迦様は歩み出られて天と地を指さされ・・・「天上天下唯我独尊」とおっしゃられたとか・・・ 花祭りのときには、その天地を指さされたお像が、「花御堂」という象の背中に乗せられております。
2017.03.15
コメント(0)
前のパソコンが故障したとき・・・・実は「観阿弥」のことを書こうとしていたんです。室町時代の猿楽師で…息子の「世阿弥」と一緒に「観世流」の能楽を作り上げた人物ですけどね。この「観阿弥・世阿弥」の「阿弥」って文字から説明しましょう。前に、「水戸黄門」の「小説もどき」を書いたときに・・・・東海道五十三次を「お江戸日本橋」から旅立たせて、「静岡」まで行きましたね?途中、「藤沢宿」のところで、「時宗総本山・遊行寺」っていうお寺を説明しましたけど・・・・・この「時宗」は・・・浄土教の一派で…念仏を大事にした「一遍」を宗祖とする教えなんです。鎌倉時代末期にできたんですが、遊行上人は全国を踊り念仏などで行脚し、仏法を説いたので・・・・・だからそういった文化芸能を生業とする信者が多く・・・・そんなことで、「観阿弥」も入信したのでしょう。「阿弥」は「阿弥陀仏」のことで・・・・・「時宗」の法名(戒名)になってます。 さて・・・・・ところで「観世流」はなぜ繁栄したのかご存知ですか?実は、室町幕府第三代将軍「足利義満」に庇護されたからなんですねえ・・・・・・・「庇護された」っていうと…「ほう…足利義満は文化を大切にしていたのか」なんて思うでしょう?そんなもんじゃないんですよ!「観阿弥の子供」・・・「藤若丸」(のちの世阿弥ですけど・・・・)噂では・・・・・彼が「足利義満」の愛人だったんですよねえ。「男同士で…」って、私はそんな趣味はないのですが・・・・当時の戦国武将は、多かったようです。「織田信長と森蘭丸」のようにね・・・・・まあそんなことはどうでも良いことなんですけど・・・・・そんなことで「観世流」は繁栄するわけですけど・・・・・・ところでね…この「足利義満」は・・・・室町幕府の開祖・・・・「足利尊氏」の孫ですよね。で…「足利尊氏」のライバルというと・・・・「楠木正成」ということになるわけですが・・・・実は・・・・・「楠木正成」の姉か妹が…この「観阿弥の母親」だって言う話があるんです。運命のいたずらですかね…・自分のおじさんを倒した男の孫に、庇護されるんですよ?皮肉なもんですが・・・これだって戦国時代にはたくさんある話しで・・・・・ それともう一つの話なんですが・・・・「観阿弥の父親」の話しなんですけど・・・・・「楠木正成の姉妹」を嫁に貰うくらいですから…それなりの人物だというのはわかりますよね?実は、この父親の領地は「伊賀上野」なんです。そして・・・・「服部家」の家督も継いでるんですよ。「伊賀の服部」と言えば、「服部半蔵」!今でも「半蔵門」という地名が残っているくらいの有名な忍者ですが…彼は「服部家」の惣領ではないんです。別家のまた別家くらいの家柄でね…・たまたま「徳川家康」に仕えて…・「明智光秀」が「本能寺」で「織田信長」を殺した時に…・織田信長の近くまで遊びに来ていた「徳川家康」を逃すという手柄を立てたので・・・徳川家の忍者軍団の首領として重用されただけでして……ということで・・・・「観阿弥」が「服部家」の息子ということは・・・・もしかしたら・・・「観阿弥」が猿楽師として全国を回ったのは、忍者としての情報収集のためではなかったのかと・・・・・伊賀出身の「松尾芭蕉」も忍者で情報収集のために全国を回ったと言われることがありますが・・・・そんなことがあったのかもしれません。 そこでまとめ・・・・観阿弥の「阿弥」は「時宗」という宗教の法名。世阿弥は「足利義満」の愛人だった。観阿弥は「楠木正成の甥」。観阿弥は忍者だった。 以上…・ナイトの豆知識・・・嘘とは言わないが・・・・信じるなら半分にしろよ!
2017.03.14
コメント(0)
確定申告、終わりました。ま、正確に言うと・・・税理士さんのところが終わっただけで、これから税理士さんが税務署に持って行って終わりってことですけど。ちょっと時間がかかりましたけど、今年も無事納税できそうです。ただめんどくさいのは「今年から使いますから、マイナンバーを教えてください。」ってことですね。あのマイナンバー・・・私はカードまで作りましたけど、あのカード・・・他人に見せると個人情報がダダ漏れになっちゃうんですよね。けっきょくカードを作っても、外に持ち歩くのは危険なようです。なんか良い方法はなかったのかな?
2017.03.14
コメント(0)
今日は夕方から、生コンの社員のお父さんが亡くなったんで「お通夜」です。他の県とお作法が違い、青森県の場合は「お通夜」の前に火葬するんです。東京を中心にほぼ・・・「お通夜」が終わり、翌日「葬儀」をして、「葬儀場」から「火葬場」に行くのが一般らしいですね?だから青森県の場合は、「お通夜の席」には一般の方も含めてお参りに行くものなんです。お付き合いが無くても、供養して差し上げたいと思ったら、どなたでも「お通夜」に行くんです。そして葬儀には・・・親族含め親しい方にご案内を差し上げ・・・葬儀終了後に「四十九日から百ヶ日の取り越し法要」をして、会食となるのが青森方式です。他の都道府県のご葬儀も何度か出ましたが、青森県と違うんで戸惑っちゃうことが多いですね。さて・・・本日の「お通夜」…うちの社員のお父様ですから、本来はお呼ばれしたら出席をしなければと思いますが、今日の「お通夜」には出ますが、明日の「葬儀」の方には仕事が立て込んでましてどうしても出られません。うちの長男も、年度末という事もあり、工期が迫っていて出れないんです。しょうがないので、生コン会社の「I専務」に出席をお願いしました。喪主の「Fくん」には本当に申し訳ない。「Fくん」は、私が生コン会社の役員になる前から、ずっと「生コン試験室」の方で頑張ってくれている優秀な社員です。本当に申し訳なく思っています。
2017.03.14
コメント(0)
「うちの教頭、顔色が悪いね?体調が悪いのかな?」「この分じゃまだまだ好調になれないな。」というので来年も校長になれないという・・・
2017.03.13
コメント(0)
昨日、「鼻毛脱毛」のことを書いたでしょ?すると今日・・・あるブログ友達が、しげしげと私の顔を見てこう言うんですよ。「ああ、確かに鼻はでかい。きれいさっぱり抜けたんだね。」初めてまじまじと見たような話をするんですよ。「ほっとけよ!」するとバツが悪そうな顔をして言い訳するんです。「でもほら、男は鼻がでかいと、あっちもでかいって言うから、な、な?」私は鼻がでかいわけじゃない・・・鼻の穴がでかいだけ・・・したがって何の慰めにもなってない。それに、この年でそうなっても、意味がない。「しかし、きれいに鼻毛が抜けるもんだな?」いままでホントに気付かなかったんだろうか?余計なことを書かなきゃよかった。
2017.03.13
コメント(0)
今日の「安全祈願祭」の直会(ナオライと読みます)はホテルでお弁当でした。もちろん、お酒はつきものなんですが、お昼のお酒はねえ・・・けっきょくウーロン茶だったんですけど・・・宴会料理にウーロン茶…どうも合わないですよね。だから、お弁当の中にあったお刺身だけは食べて、あとはお持ち帰りにしました。それだけで足りるかって?まあ、茶碗蒸しと鍋もの・・・それに炊き込みご飯だけ食べて・・・足りない分は夜にでも食べます。でも、少食になった私には充分です。
2017.03.13
コメント(0)
今日は何かと忙しいんです。そこで駄洒落・・・「和歌というのは短歌ともいうんだね?」「え?今頃ワカッタンカ?」
2017.03.13
コメント(0)
建築工事をする場合、私たち建設業者は「地鎮祭」を催す。ところが、これが公共工事となると話が違う。公共工事では「安全祈願祭」と名称が変わるのだ。これは政治的配慮なのだろう。「政教分離」という言葉がある。「地鎮祭」というと、その土地の神様に「これから工事をしますが、お許しください。」という・・・神様に許可をいただくお祭りなんですよね。ところが政治家の先生の中には、「神様はいないんだ。」と頑なにおっしゃる方がいらっしゃるんですよね。そこで「政教分離」なんですよね。「公共工事に、いないはずの神を持ち込むな。」ということで、「地鎮祭」は禁止なんです。そこで私たち建設業者としては困るわけですけど・・・だって業者としては、神様に「事故のないように」」とお願いしたいじゃないですか。そこで「工事安全祈願祭」という名称になったんです。明日もある工事の「地鎮祭」がありますけど、しっかり「無事故・無災害」であるようにお願いします。
2017.03.13
コメント(0)
せっかく青森市に行ったから、いつもの理髪店に行こうと思ったんですよ。でもね、土曜日だった~予約でいっぱいでね。だけど、次男坊を迎えに行く約束まではかなりの余裕がある。あ、次男坊が春休みで、帰省してきたんですけどね。で、カットするだけで良い・・・と思ったからカーナビで探したんですよ。すると、適当におしゃれな名前の「S」(ちょっと内緒にしておきます。)という理髪店がヒットしました。駐車場にクルマを入れて、窓からのぞくと・・・あれ?女の人ばっかり・・・もしかして美容院?でも奥の方半分は男の人が・・・ご夫婦で店舗を半分ずつ・・・旦那さんが理髪店を・・・、奥さんが美容院をやられてたんです。ドアを開け、「すぐできますか?」って聞くと、「今なら良いですよ。」という溌溂とした返事が・・・助かりました。実は私、髪の毛を染めているので時間がかかるんですよ。それもやっていただけるってことで、ホント助かりました。最初に、調査票みたいなものを書きました。住所氏名年齢・・・書きたくなければ名前だけで良いということなので、そうさせてもらいました。だっておそらく二度と来ることはないと思ったから・・・すると今度はお店側の質問。「髪の毛が赤ちゃんのように柔らかいですね?それにちょっと癖っ毛ですか?」そうなんですよ・・・私の頭の中身と同じように、髪の毛も「天パ」なんですよ。もう少し質問されて、それからカットが始まりました。髪を染めるとき、薬剤を塗ってしばらく放っておかれるんですけど、その時なんとなく目に入った手書きのポスターがあったんです。「鼻毛脱毛」・・・鼻の穴がでかくて、鼻毛の色も薄くなってきた私にとって、とても気になるポスターでした。やってきましたよ。すぐに固まるゴムのようなものを鼻の中に入れて、固まったら無理やり引っ張り出す。するとごっそり鼻毛が抜けるんです。すごいですよ?皆さんに見せたいくらいです。
2017.03.12
コメント(0)
いま仙台のホテル「モント・エルマーナ仙台」です。朝飯を食ったら、9時12分の新幹線で帰ります。次男坊も札幌から帰ってきますから、「上北十和田駅」から青森市へ・・・この事情については前にお話ししましたから言いません。ちょっと早めにつきますけど、いつも行く理髪店に行ってきれいになってきます。次男坊到着は「新青森駅」着16時20分ですから、もうちょっと時間がありそう。春用のシャツとかネクタイでも探してこようかな?次男坊に会ったら、そこから焼き肉屋へ・・・ちょっと晩飯には早いけど、いいよね。食べれなくても、家に帰れば母親が何か作ってくれるだろうから。楽しみです。
2017.03.11
コメント(0)
東北一の大都会・・・仙台の今日は明日の「3.11東日本大震災から6年」のイベントがたくさんあったようです。新幹線にもたくさんのお坊さんが乗っていて、聞いてみたら「大震災の被害にあわれた方の七回忌ですから・・・」ということで、大規模な法要があるようです。私の参加したフォーラムも、今後の震災に迅速対応する建設業者の勉強会です。実は我が家では、長男が大学卒業し就職試験を受けて入った会社の寮が、当初仙台でして、事情があって実家に帰ってきたのですが、あのまま就職していれば、その寮に入っていたわけで、その寮が津波に呑まれたと聞かされた時には驚きました。また次男坊の方は、昨年大学に入ったわけですが、同じ大学の札幌キャンパスにしようか熊本・阿蘇キャンパスにしようかと悩んでまして・・・ま、より近いほうってことで札幌にしたわけで・・・そう言った意味では息子二人とも、運が良かったというか・・・どっちにしても災害はないほうが良いわけで・・・今日はいろんなことを考えさせられた一日でした。
2017.03.10
コメント(0)
写真をのせられるかな?ブレスレットの紐が切れそうだったから、修理をお願いしてたんです。昨日戻ってきましたが、作った人の気配りで、私のイニシャルが張ってありました。さすが女性の気配りですね。
2017.03.10
コメント(2)
昨日、次男坊の帰省する列車の時間を確認するために電話をしました。「おい、到着時間は何時だ?」私は仙台の出張がえりなので・・・「七戸十和田駅にお昼頃到着」する列車が望ましいのですが・・・「えっとね・・・16時20分」「え?そんなに遅いのか?」「うん、いろいろ用事もあるから、新青森着が16時20分だよ。」「え?新青森駅?」私・・・先日電話した時、仙台の出張がえりだから乗せて来てやる。・・・七戸十和田駅で待ち合わせ。」そう言ったはずなんですけどね・・・「明日緑の窓口に行って取り替えて来い。」「え?なんで?」「駅も違うし、遅すぎる。」「じゃあ、いいよ・・・下北駅まで自分で行くから。」でもね・・・「バカ親」なんですね。「いいよ、七戸十和田駅から、青森まで迎えに行ってやるよ。」昼過ぎに七戸十和田駅に着きますから、そこから青森市まで運転し、ちょこっと用事を足してれば4時になります。駅まで迎えに行くにはちょうど良い時間。それで、話しをしながらむつ市まで帰ってきます。ホント「バカ親」ですね。
2017.03.09
コメント(0)
青森の地方紙・・・あまたある中でやっぱり県内で一番は「東奥日報」ですよね。その「むつ支局」の支局長さんが、今度転勤だそうです。元々「むつ市大畑町」のご出身で、いつも一生懸命・・・地元のために頑張ってる人なんですけどね。ぎゃくに地元出身だから、二年しか置かないのかな?高校の後輩でもある人だから、私としては寂しいんですけど・・・まあ、私と付き合っていても、ニュースになりそうなこともないし・・・いい時に転勤になったのかな?送別会には参加します。
2017.03.08
コメント(0)
「いろろなものが壊れ始めている。」昨日お話ししましたが・・・ホント家電製品他が壊れて来ています。一般的に「家電製品の寿命は10年」と言われてますけど、そんなことないですよね?大事に使えば、長もちする筈ですよね?それは人間にも言えることで・・・実は私もそろそろ壊れかけているんです。先日の骨折・・・そのことだけをいつも行ってるようですが、そうじゃないんです。数年前の右足薬指の骨折もあったし、最近では腰やひざの関節の痛みも出てきました。「下の子供はまだ大学生なんだからね・・・長生きしなさいよ?」そうは言われるものの、様々な仕事があるんでひざを擦りながら・・・腰をもみながら・・・長生きしようと思ってます。なあに…大事に使えば長もちするさ。せめて子供たちが結婚して、孫の顔を見るまでは・・・取り換え用の部品は無いんで、身体を大事に使いますよ。
2017.03.08
コメント(0)
家を建ててから、かれこれ15~6年になりますかね?いろいろな家電や家具・・・調度品が壊れ始めてきました。家電なんか、今は修理するより買い換えた方が安くなる・・・っていうようになってきました。例えば・・・パソコンに使っているプリンターなんか、修理したらとんでもなく高くつくから、買い替えるっていう友人も多くなってきました。でもね・・・安いものならともかく・・・我が家では最近値の張るものが壊れ始めています。先日、洗濯機が壊れました。これに関しては修理してもらってなんとかだましだまし使ってるんですけどね・・・次に壊れたのがトイレ・・・家には一階と二階に、それぞれトイレがあるんですけど、今回は一階のトイレが壊れた。水がチョロチョロってしか出ないんですよ。これも修理してもらいましたが、設備屋さんから聞いたら・・・「このトイレは今なんとかもってますけど、来年部品が生産中止になるんですよ。・・・出来たら修理代を掛けるより、新しいのと取り換えられたら?」そう言われたんで、そうしようかと考えていたところ・・・今度は暖房用のボイラーが壊れたんですよ。トイレの修理をして3日後・・・同じ設備屋さんに診てもらいました。すると・・・「あ、このボイラーも寿命だ。・・・これも来年部品が生産中止だから、取り替えなくちゃいけませんね。」こりゃ困りましたね。家族で相談した結果・・・「トイレは二つあって、二階の方は無事だから・・・ボイラーを優先しよう。」という事で、とりあえずボイラーの買い替えをすることにしたんですけどね・・・まだ雪の残るこの季節に、ボイラーの取り換えをするとなると、それぞれの部屋の暖房機からエア抜きをしなければならないため、まる一日かかるんだそうです。よって、暖かくなってから取り替えることにしますが・・・この後なにが壊れるんでしょうね?恐怖です。長男はともかく、次男は昨年・・・学費の高いので有名な某私立大学の学生になったから・・・金はまだまだ掛かります。そろそろ危ないのは「テレビ」「冷蔵庫」「給湯用のボイラー」・・・あ、それに「パソコン」長持ちしてくれればいいな?
2017.03.07
コメント(0)
のんびりと札幌で暮らしている次男坊が、ようやく重い腰を上げて帰省するようです。 今回は鉄道で帰ってくるようで、当初は3月10日に帰ってくるつもりだったようですが、私が10日に仙台で「3・11東北大震災の会合」があって泊りになるので、11日に「七戸十和田駅」で待ち合わせをしようと思います。 ちょっと叱らなきゃならないこともあって・・・ というのは「長い春休みを利用して、自動車教習所に通え」と言ったのに、友達が夏休みに教習所へ行くと言ったから、夏休みを中心に通うと言い始めて・・・ 無駄な時間を過ごすくらいなら、早く取れば良いのに・・・ 田舎の子だから、のんびりしてるんだよね。 ま、仙台に行ったついでに、次男坊の好きな牛タンでも買ってきますか。
2017.03.07
コメント(0)
皆さんに「細かな文字」の「小説もどき」を読ませておきながら、最近の私は「本」をほとんど読んでません。元々近眼なのに、最近は老眼も入ってきて・・・近眼が老眼になると眼鏡がいらなくなるのかなって・・・思ってたんですけどね・・・どちらも見えないんです。したがって読書好きだった私も、最近ではトンと読まなくなりました。それでもね・・・時々は本を買いに行くんですよ。目だけでなく、頭も疲れてしまうような「純文学」じゃなくて、流し読みできるようなそんな本。もしかしたら、作者は女子高生のような人じゃないかなって思うような・・・でね・・・最近そんな中で多いのが、「神様」が登場する小説って多くないですか?全く失礼なお話しですけど、「神様」が登場すると、あり得ないような奇想天外なお話しが出来上がるから・・・私の「神様シリーズ」も、同じようなものです。「魔法の木シリーズ」も・・・要するに、あり得ないことでも無理やり作っちゃうという・・・まじめな作家さんたちには「やっちゃいけないこと」と言われるようなことを平気で書いちゃうんです。あ、それは私だけですけどね・・・「神様のこと」を書いてる、まじめな作家さんもいらっしゃるでしょうけど・・・私はそうなんです。それを無理やり読ませちゃう私って・・・かなりひどいですよね。おっと、この後最近読んだ本のことを書こうと思ったんだけど、この続きで書くと、その小説の作家さんが「適当に書いてる」と思われると恨まれますんで、書かないでおきましょうか。
2017.03.07
コメント(0)
全66件 (66件中 1-50件目)