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高円寺には、かねてから宿題店としてマークしていたお店が少なからず存在します。しかし、この宿題店っていう言い方、どうもうまくないですね。誰しも宿題には好ましくない思い出があるはずだし、かといって適当な言い回しを生み出すだけのコピーライト力など持ち合わせぬから、好ましくないとは思いつつも宿題店を使い続けてしまったのでした。といっても誰かしらと酒場の情報交換をする際に「○○町の××酒場が宿題店だ」といったように口に出すようなことはした覚えがないから、あくまでもこのブログを書く際に便宜的に汎用性の高い言葉として用いる程度なのです。宿題ならまだ宿願の方がイメージとして近しい感じもするけれど、たかが訪れたい酒場を宿願するのも大人げないような気もするのでした。 というわけで訪れたのは、その渋い佇まいとサービス精神の旺盛さで名高い「七面鳥」であります。なんとかかんとか時間をやり繰りして開店の11時30分に十分間に合う時間には店に到着しました。時間前というのに店の前にはぼくと同様に開店を待ち切れぬ人が店を遠巻きにして数名おられます。常連らしき地元の方たちは物怖じすることなく店の前に堂々と並んでいるのはお気に入りの席があるからのようです。ラーメン屋なんてのは一見客でも堂々とした態度で列をなしているけれど、酒場好きだったり町中華好きの人というのは案外人目を気にする方が多いようです。いやいや恥じらいがあるというよりは、一見であることを隠したい見栄っ張りなだけなのかもしれません。さて、首尾よくカウンターの一席に落ち着こうとして目の前の客が冷蔵庫から瓶ビールを取り出しています。そうだそうだこちらは酒はセルフサービスだったんだよなとBS番組の「町中華でやろうぜ」の再放送の映像が蘇るのです。席まで瓶を運んでから栓抜きが冷蔵庫の脇の台に置かれていることを知りまたも立つことになる時点で、常連たちには一見であることは筒抜けになるのでしょう。まあ、この日のぼくは初訪であることを隠すつもりなど毛頭なかったから構いはしません。という気持ちになるのは同公者がいたからということもあります。久々のS氏です。それぞれ炒飯と五目焼きそばを注文してシェアすることにします。本当はご飯ものは避けて一品料理で攻めたいところですが、昼にいかにも酒の肴だけというのは憚られたのです。しかもそのうちに席が埋まってくると7割近い人たちが瓶ビールやら缶チューハイを呑んでいるから下手な気遣いは無用だったかもしれません。そのうちにちっちゃい肉まんや春雨サラダ、お新香やらの小皿が次々と並べられ、いやはや確かに素晴らしいサービスだ。誰も頼まぬから変だなあと思っていた炒飯は極めて薄味でヘルシーだけどちょっと物足りない感じだったけれど、逆に味付け濃い目の焼きそばでそれなりにバランスは取れたのでした。味はいいのだ、それよりも店も造作も味があるし、店の方たちも好ましい接客振りでいうことがありません。ここは混雑する時間帯を避けてゆたりと呑むタイミングなら週一のペースででも通いたいなあと思えます。お決まりですが近所の方が羨ましい。
2021/10/29
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さて、タイトルこそ「梵寿綱建築の見学散歩」と書いたけれど、そちらはすでに喫茶篇にて終えているので、お決まりの呟きもあまり洩らしようがないのです。それでも少し位は前書めいたものがないとどうも報告としては締まりのないものになりそうなので、無理矢理話題を捻くり出そうと思ったのですが、どうもうまくいかぬようです。なのでさっさと本題に入ってしまいます。 方南町でも何度か呑んだ事がありまして、でもいかんせん町の規模も小さいから再び訪れようという気にはなかなかなりませんでした。実は以前すっごい気になる大衆食堂を目撃していて、我慢し切れずにネットで調べたらやはりとんでもなく好みな感じはするのです。でもネットでチェックしてしまうと何となくもう満足というかお腹いっぱいになってしまい、実際に訪れる機会を逸するということがあるようです。でも今回の散歩ルートを検討中にたまたま目撃した一軒の焼鳥店らしきお店を見てしまった時点でここと先の大衆食堂をルートに組み入れることに迷いなどなかったのです。そのお店というのが「とり幸」でありまして、実際に目にした時もやはりいいなあ、夕方に引き返してこようと思ったものです。しかし、しかしなのです。たまたまこのタイミングで店の女将さん―店構えが連想させるよりはずっとお若い感じ―が出てこられて、店内がバッチリ丸見えとなってしまったのであります。だからどうだというのか。ウ~ン、まあいい具合にゴチャ付いて悪くないんだけどね、ちょっと外観に比すると淡白だったかなあ。なんて書きつつ今にしてやはり行っておくべきだったと後悔するのです。 で、お目当てはここ「中華・洋食 宝楽」です。環七通りに面しているからここを使って通勤する方なら間違いなく見ているはずです。イイ具合の三角地に店舗を埋め込んでいるから必然的に狭小な敷地を有効利用すべく店舗は半地下、中二階と微妙に縦に拡張することになります。これが何故だかいいんですね。どこがどういいか、別に見晴らしがいいとか俯瞰して店の方たちの挙動が確認できるなんてことはないのです。とにかく高い位置からの視線で世を眺めるのはどうしようもなく楽しいようです。さて、昼時を迎えるにはまだ早い頃合いだったので幸いでしたが、とにかくここの調理のペースはのんびりしています。ぼくらは平日をこうしてだらしなく過ごせているからいいけれど、勤めのある方にはソワソワ物なんじゃないかというくらいゆっくりと運ばれてきた肴たちは特別旨いとかそんなことはないけれど、とにかくゆっくり呑みたくなるそゆな肴だったのです。まだまだ暑い日が続くようですが、ここは見掛けによらず快適なので、またここに涼みに来たいと思いました。
2019/11/04
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高円寺は若い頃に住んでみたかった町のひとつであり、これから先も機会さえあれば住んでみたいと思える町のひとつであります。それだけ愛着がある位だからもうかなり歩きこんでいると思われるかもしれないが、実際に地元在住の方にも負けぬよという程度には散策しているという自負があります。実は例外はあるとしても基本的に地元のことを地元の方は案外知らないということが多いようです。さすがに店をやっておられる方たちは、商店街の組合だったり、慰安旅行なんかで顔見知りだったりするようですが、知ってはいても互いの店を行き来するような関係に至るのはあまり聞かぬ話です。町そのものにひとつしか商店街がなくしかも両手で余る程度の規模の商店街であれば、ただの顔見知りに留まらず互いの店を利用しあう互助的な関係性もありうるのでしょうが、都内ではなかなかそうもいかぬのであります。下町風の濃密な付き合いや近頃は若者たちがものづくりなんてキーワードを通じて交流しあうなんてこともありそうですが、それはそれでうざったい気がしなくもないと思っていたりするのですが。ところで、この日は高円寺あづま通り商店街という耳慣れぬ通りを歩いてみました。高円寺は放射状に商店街が散らばっていて、どうしても興味の誘いに身を任せて歩いてしまうので、いつだって似通った通りを歩くことになり、散々歩いているように思っていても実際には見落としも多いのかもしれません。だって、もしここを歩いていたとしたら、「大衆食堂 福助(福助食堂)」なんてぼく好みのお店を見逃すことなどなかっただろうと思うからです。ここ1、2年を振り返っただけでも佐渡や佐久で「福助食堂」を目撃しましたが、福助さんの愛すべき姿を借用しての他力本願なやり口ではあるけれど、とかく著作権にやかましい諸々のキャラクター達のようなズル賢さが感じられぬのが良いのです。日本にはいくらだって著作権フリーないかした仲間たちがいるのです。そんな気のいい福助を見たらもう溜まらず立ち寄りたくなるものです。さて、高円寺の福助はというと、ぼくの見知った彼らとは一線を画しておられるようです。とにかく雑然とした店内には、嫌悪を感じる人がいても仕方のないところではありますが、ここはそんな些事には目を瞑るくらいの度量が必要なのです。ぼくにしたって福助屋号を掲げるならば質実剛健な飾り気のない内装にただ一体、そっと福助さんが佇むというのが正しいあり方だとは思うけれども、こえしたごちゃごちゃしてるのも大衆食堂の典型なのです。さて、酒はビールにせよチューハイにせよ市販の缶なのね、いやいや、贅沢は言うまいというかむしろ量は多いものだと涼しい顔で受け取り、グラスに注ごうではないか。肴もごちゃごちゃで賑やかでいいじゃないか。いろんなものが皿の上で混じり合い思いがけぬ味覚を産み出すなんて奇跡に立ち会うことが出来るかもしれぬのです。マルシンハンバーグなんて、子供の時以来だけれど、つみれみたいなもので、案外いけるじゃないか。これは味変の工夫の甲斐がありそうです。なんて、ダメな大人の家族には見せられぬ姿を晒してもオヤジは楽しげに見過ごしてくれるそんなヤサシイ空間なのだね、ここは。
2019/09/28
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都内でも高円寺を初めて訪れたのはかなり遅れてのことだったような気がします。ねじめ正一のベストセラー小説なども流行ったりして、かねてからその地名は認知していたし、駅を中心に放射状に商店街が張り巡らされている事も聞いてはいたのです。でも都内に通い、暮らし出した頃のぼくの行動範囲は映画が中心だったのです。そして今考えてみたら不思議な事に思えますが、当時の高円寺は映画とは無縁な町だったように思われるのです。だから高円寺は中央線を利用するにせよ自転車で荻窪なんかに行く場合であっても、単に通過するだけの町でじっくり町並みを眺めたのは、酒場ないしは喫茶巡りを始めてからのことだと思うから案外付き合いの薄い町なのです。しかもこの町は、意外と古い喫茶店も少ないし、酒場らしい酒場よりは定食屋や中華飯店だったりと、どこまでも若者仕様の町に思えて今でも充分に全容を知り尽くしているとは言い難いのです。 この日の目的も高円寺ではなかったのですが、その予定が思ったより早く済んだので高円寺に移動して昼呑みしようということになりました。高円寺であれば夕方前であっても呑める酒場もあるだろう、仮になかったとしても定食屋や中華飯店があるだろうと思い出向いたのですが、いざ探そうと思うとなかなかこれといったお店に行き着かぬのです。もちろん、選り好みさえしなければやっている店もあるし、呑んでる客の姿も目に止まりはしますが、気の向かぬ店で呑むのはどうにも気に入らぬのです。でも横丁風の町並みであれば話は別です。いつもの発言で退屈ですが、横丁というのは傍から眺めるのは愉快な割に実際にそこに身を置くと暑さ寒さもそうだし、衛生面やら快適性などでとかく問題が多いものです。でも一度位は立ち寄りたくなるもので、高円寺駅高架下のストリートの地下にあるチカヨッテ横丁なる初めて目にした横丁風の小さな地下飲食店街には気持ちを持っていかれました。「四代目 鎌倉酒店 高円寺店」は昼から営業しているようで、その点が気に入ってお邪魔することにしたのです。オープンではないけれど、オープンな開かれた感じは悪くはない。何より涼しく快適なのが案外悪くないと思えるのは年のせいだろうなあ。すでに4名が呑んでいます。カップル2組でいずでもシルバー世代というのが羨ましいやら悔しいやら。この世代の人たちってホント恵まれてるなあ。煮込みで一杯です。この煮込みがぼくの好みでよかったなあ。こちらも定番のポテサラもなかなか良いではないか。お手頃で快適で、そりゃまあ近隣のご隠居さんたちも気に入って通うわけだ。でも気候がよくなったら、こういうなんちゃって横丁でなく本物の横町に行ってもらいたいものです。 さて、近所の元マーケットである大一市場にやって来ました。こんな駅近にマーケット跡がほぼ原型をとどめているのが嬉しいなあ。嬉しい割にこれまでここで呑んでいなかったのは、若い人が始めたようなお店が多くてどうも気乗りしなかったのです。何度も通り抜けているうちにもうここで呑んだような気分になって、あえて本当にここで呑む必要はないのかなと。でもこの夜は、ちょっと懐かし系の雰囲気をとどめる「田舎料理 おかめ」と出会えたから、じゃあちょっと寄ってみるかとなったわけです。カウンター席だけの店内は店内とはいえ開放されていて、でもここだけは他店の今風な感じとは一線を画するちょっと渋い感じです。清酒をあっためて貰うことにしました。お通しは小肌かクリームシチューから選んでくれとのこと。ぼくは後者をお願いしたのですが、これが実に具沢山でこれだけあれば2、3合はいけてしまいそうです。でもまあそういうわけにもいかぬから適当に品書きから安い品を選びます。そうこうするうちにも近所のおっちゃんたちが集いだします。こちらは先の店とは異なり現役の勤め人の方が仕事明けに立ち寄ってるみたいです。やはり夕暮れを迎えた酒場には、疲れたおっちゃんの姿が似合うなあ。
2019/09/18
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荻窪にフグやスッポンを売り物にしながらも、そこらの安さを売りにした酒場など尻尾を巻いて逃げるしかなかろうという恐るべき酒場の存在を知ったのは、人生初のインフルエンザが聞き及ぶような辛さとは程遠い適度の倦怠と睡魔を記憶させたのみで、基本的には持て余した退屈をネットでも眺めて過ごすという事になったのであります。ならば他人への感染など気にせず遊び呆けてみてはどうかといあ意見は、一応は否定しておくことにします。ぼくにとってはこのインフルエンザにおける症状は何でもなかったかもしれなけれど、万人にとってそうとは限らぬと思ってみるとやはりここは大人しく療養の日々を受け入れるべきであるという極めて良識的な判断を持ちあわせていたということです。考えてみるとこれまでよほど酷い症状に苦しめられた記憶があります。それがインフルエンザでなかったとはとても断言できぬのであります。そしてそんな時でもせっせと職場に出向いたぼくが、世間に向けて大量のウイルスを放出していなかったなどとは言えるはずもないのです。何てさも改心した大人を演じてみせますが、その真実は単に上司の脅しに屈したのだとは口が避けても言えぬのであります。そんなことでもなければ好き好んで医者に掛かろうなんてことは微塵も思わぬのです。ともあれそんな就職以来初めて経験する正月休みと地続きの長期休みの暇つぶしの最中にこの酒場と出逢えたのだから人には時として長い休暇も必要ということであるようです。 さて、荻窪駅を下車し、環八をとにかくひたすらに南下します。単調で余り目ぼしい飲食店もないから―余りと言うからにはそれなりに気になる店もあるのですが―、余計な誘惑に惑わされることもないはずです。「ふぐ・すっぽん料理 もみぢ」は、人気の繁盛店―店内にも写真がたくさん貼られていますが、これまで少なからずのマスコミ取材を受けているようです―かつ狭小店舗でありますから開店直後に入らねばその後の入店は運の良し悪しに左右される事になります。ああそうだ、ぼくはこの日、特にこの店と狙い定めて訪れたわけじゃなく、荻窪駅に着いた時点で初めてここに来ることを思い付いたのであり、しかも時間はすでに7時を回っていたはずです。なので、先の話でいうと運が良かったようです。といってもすぐに席に着けたかというとそんなこともく、8席ほどのカウンター席は満席だし、奥の小上りは6名位は入れそうだけれど、すでに4人のおぢさんたちが宴席の真っ最中というところです。でもその端に詰めさせて頂いて、先に呑み始めてたらと言ってもらえたので遠慮なく始めさせて貰うことにしました―ちなみにこの夜は職場の同僚と一緒―。フグ屋だから初めから骨酒―ヒレ酒ではなかったと思います―から始めて、冷え切った身体を暖めます。昔は苦手だったけど年とともに好きになります。しばらくしてもう帰るからねという台詞を少なくとも5回は聞かされた高齢カップルがようやく本当に切り上げることになり、カウンター席に移ります。さて、じゃあフグ刺しを頂くことにしようか。アワビもいいねえ。スッポンはうどんにしておこうか。スッポンの生き血の入った日本酒も貰っておくかな。なんて事を書くと他所のグルメブログをご覧になっているんじゃないかと戸惑わせてしまうかもしれぬけれど、そこはそれ、これこそがこちらの有名店たる由縁であります。こちらにあってはフグやスッポンを中心にほとんどの料理が居酒屋価格、いや下手な立ち呑み屋でも敵わぬ低価格で出してもらえるのです。うまくすればセンベロも全く無理ではないのです。しかもそれぞれのボリュームが凄いので、普段独り呑みを好むぼくでも同伴者がいて良かったと思うのです。こういう店の主人は気難しくて口喧しい印象がありますが、こちらの主人はほんわかとして物腰が柔らかくしかもユーモラスでお話好きというから堪らない。うねうねと動くスッポンを持たせてくれて写真撮ったらと至って気さくです。若いカップル―ゆうに2人前はある激安のふぐ雑炊を持て余しているといる―もいますが、ほとんどが近所のご高齢の方が多いみたいです。ツケなんかしてる客もいたなあ。確かに老後に近所にこんな店があったら通い詰めるかも。
2018/03/30
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都内であれば、これでも随分といろんな町を歩いたつもりでいたけれど、それが不遜な思い違いである事を知らされるという見苦しい記憶についてはこれまでもことあるごとに書いてきました。ぼくには、映画館通いをしたという過去と、ここ十年程でしかなかろうけれど酒場と喫茶巡りを通じて都内各地はかり歩いたという自負があったのです。けれどそれが傲慢に過ぎぬ事は、こうしてブログに記すことによって身に沁みて誤解であったことの認識を深めたものです。もしかするとその勘違い野郎振りを知れただけでもこのブログを続けてきた意味があるのかもしれません。荻窪もまた若い頃にはそれなりに足繁く訪れた町のはずですが、先般酒場放浪記に導かれて環八を歩いてみて、以前までは退屈極まりなしと根拠もなく断じていた己の不徳を悔いていたのです。悔いているだけでは物事は少しも前進せぬのであります。なので、通りすがりに見掛けた食堂に向かうことにしたのであります。 そしてやって来たのは、「食堂 ことぶき」でした。環八に面してはいるけれど、駐車場があるというでもないので、利用者は主に地元の住民であると想像されます。でも壁を見ると何枚かの色紙が貼られていて、案外知られた店なのかもしれません。テレビに出たりもするメジャー店すら知らずして東京を知った気になるなんてやはりまだまだ修行が足りていないようです。あれれ、江口寿史のサイン色紙も飾られています。常々思うのですが、漫画家のサインを店の方はどのように入手しているのだろう。漫画家本人が自ら名乗り出てサインを置いていくとは思えぬし、かといって店の方が本人を目にしてそれと認識できるとも考え難い。ともあれ、江口寿史はここでの食事を気に入ったようです。得意とする可愛い女のコのイラストも冴えています。さて、素っ気ない内装の店内は好みのど真ん中で、それでもう充分に満足を覚えるのですが、だからといって、何も食わず呑まずで立ち去るわけにもいかぬのでした。酒は豊富とはいえぬけれど実用には不便せぬ程度には揃っています。肴もそう種類が豊富ということではありませんが、過不足のない程度にはあります。とりわけ目に付くのはブタカラ。容易に想像できる通りの豚の唐揚げです。単品で貰うことにします。これがもう商品名を少しも裏切らぬまさにそれ以外なかろうかというものであるのですが、これが思った以上に酒を進ませるのです。というか、これ一人じゃ多すぎるんじゃないかしら。付け合せの千切りキャベツが3倍あって丁度よいかもしれません。餃子もこれまた肉肉しくて下手な専門店などより余程旨いのです。そうなると他の品も頂いてみたくなるけれどそうは食べられぬ。できる事ならハーフサイズの提供を切望するのでした。無論、その場合には必ずブタカラはオーダー必至です。
2018/02/19
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なかなかすっきりとした標題が思い付かず今後しばらくは試行錯誤で標題もブレブレになることと思いますが、まあとりあえずは後追い記録として現状を報告していきたいななんて思っています。自ら主体的に動くのではなく、番組が促すままに何の考えもないままに唯々諾々と放映されたお店を訪れるのであれば、一時にまとめて済ませてしまえば効率も良いとつい考えてしまいます。実際には、それなりに番組で紹介された酒場に足を運んでいるとそんなに都合の良い機会は少なくなっており、しかも近頃出てくるお店にはどうにも納得できないようなことも多くなっていることもあって、この先さほど登場しなくなるであろうと思うと無い知恵を絞り出すまでもなかろうかと思うに至るのでした。さて、この夜訪れた荻窪は運良く2軒の未訪店があるので、優先的に訪れようと計画していた町ではありますが、実は先達て荻窪に来た時には両店とも入れず仕舞いとなっており、正直なところ今回もまた同じ目に遭うのではなかろうかとどうにも気乗りしなかったのであります。 まずは、北口の呑み屋街にあるという「ろばた焼 やまかみ」を目指すことにしました。本当なら先に遠くの店に行ってから駅に近付くようにハシゴするのが鉄則ですが、ここら辺の店は間口も狭いし、奥行もさほどなさそう、つまりは狭かろうという訳で混み始める前に早目に入ってしまおうという作戦です。万一入れずとも後回しにしてもう一度トライできるのも織り込み済みなのだ。そんな風に準備万端いそいそと出向いたのだから報われて然るべきなのに一向見つからぬのであります。地番で調べても間違いなさそうだし、これはもしかするともしかするんじゃないかい。已む無くスマホにて地図を見ると裏手には鰻屋がある、その裏、目指す店のあるはずの場所には数軒が看板もなく並び、店内は一掃されてしまったように思われるのだ。これはまたもや時期を逸したようだ。無駄足踏みをして喉も渇いた。そこらで一杯やっておくか。 こういう時に立ち呑みは重宝だなあ。見慣れぬ「立呑み 焼きとん 大黒 荻窪北口店」というのがあったので入ってみることにします。いささか窮屈な造りの、まあ今時の立ち呑み店でどうということもない。品書が厚みのある木材にペタリと貼られていて、カウンターの下に常備されていて、それはいいのだけれど狭いスペースでこれを開くのはやはり邪魔っけなのであります。どて煮や串揚を売りにしているようなので、まずはどて煮の盛合せを貰ってみたのです。呑むのは一番手頃なハイボールであります。大根、こんにゃく、牛スジが盛られていて八丁味噌ベースだからここはどうやら名古屋名物がここの特徴らしいのです。しかしまあ、どうなのだろうなあ、ぼくはどちらかというと名古屋贔屓の方だと思っているけれど、こちらの少なくともどて煮には少しも感心しなかったのです。酒にしたって立ち呑みとしてはかなり強気の価格設定だし、このままでは再訪は有り得ないと思うのです。 早々に勘定を済ませると、次こそはよそ見せず「やきとり 案山子」に向かうことにしました。ここがまた環八を北上してしばらく歩かされるので、またフラレるのは酷だなあ。などとくよくよしてしまう程度には歩かされるのでありますが、駅から随分と離れているけれどチラホラと良さそうな店があるのですねえ。もしやってなければそちらに立ち寄れば良いだろうとアッサリ機嫌も良くなるのです。しかしこの夜は赤提灯が灯っていました。提灯こそ枯れているけれど、ビル自体はモダンな雰囲気です。案の定、店内もその印象のとおりで打ちっ放しな壁は寒々しくて、余り焼鳥屋という風情は感じられぬのです。まだ他にお客さんはいないようです。カウンター席に奥にはテーブルもありますが、余り使われることはなさそうです。結構な高齢の夫婦が迎えたくれましたが、オヤジさんは人懐こい笑顔を絶やさず折に触れて声を掛けてくれますが、女将は最後まで強張った表情を崩してくれませんでした。品書を眺めてみるとどうやら提灯に書かれているとおりに焼鳥がお勧めらしいので適当に焼いてもらいました。可もなく不可もなく、いやまあ味は悪くないけれどちょっとぬるい気がしたのが残念。むしろやけに味の素と生姜すり下ろしの効いた古漬けが酒の肴向きです。近所の方は近場のここで週末を過ごしたりするのかなあ、そう思うとここで肴の事をとうのこうの語るのは無粋にしか思えなくなります。そして今振り返るとオヤジさんの柔和な表情と女将の頑な沈黙が脳裏に蘇って、不思議と再訪を思ってしまうのでした。
2018/02/01
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浜田山なんて町は、正直よく知らぬ町です。知らぬ町に行くのならその町を散策して、少しでも知るべき努力をやってみてから語るのが心ある振る舞いであると思うし、実際そうしたいと思ってはいるけれど、稀にしか会えぬ知人が一緒だったり、それなのに合流するのが終電まで残された時間がほとんど残されてなどいなかったりすると、とうしても散策の時間はお預けを食わされるのはまあ仕方のないことでありましょう。この夜はその両方が揃っているのだから浜田山を散策する愉しみはまたの機会に譲るしかなさそうです。であれば珍しくもじっくりと紙幅を投じてこれから訪れようとする酒場について言葉を弄すれば良いのでありますが、情けなくもいつもの如くに余り覚えていないのです。それは仕方のない事なので、一言だけ言い訳しておきたいのだけれど、落ち合う時間が遅いという事はその時が来るまでひたすらに時間を潰さねばならぬわけです。時間を潰すのにどうするか、そう酒を呑んで時間をやり過ごしたわけです。ここで察しの良い方であればお気付きになるであろう、ならばその間に浜田山散策をすればいいだけではないか。それは誠に正鵠を得た指摘でありますが、散策より酒をより渇望していたのだからまあどうにも抗いようがなかったというまでのことです。「とらさんのみせ」ということは、陽気なこの主人はきっと「とらさん」なのであろうな。とにかくこの御主人、終始ご機嫌がよろしくていらっしゃってそのハイテンション振りに気圧され気味にならざるを得ないのだ。まあ人柄は大変によろしい方なので嫌味はないけれど、旧友と親交を温めるという生易しいシチュエーション向きではなかったかもしれません。さて、酒は各種揃っていたはずだけれど定かなる記憶はありません。肴もまた記憶は曖昧で誠に済まぬのだけれど、どれもこれも一手間二手間と手が込んでいて、品選びが愉しくなるのですが、そこにもいちいちとらさんの解説がもれなく付いてくるので、独りなら飽きず過ごす事が保証されているのであります。ぼくは自分の事をさん付けして名乗るような真似は良しとせぬ考えでありますが、このとらさんの開放的な性格には好感を抱く事ができました。そればかりか、旧交を深めんとした当の友人は、終電の時刻を迎えても独り席を立たず夜っぴいて過ごしたらしいのだから気に入ったどころではなかったらしいのでした。
2018/01/27
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高円寺は、若い頃にはあまり縁がなかったけれど、今更ながらに振り返ってみると、ここで青春時代わ過ごすのも悪くなかったかということ。いや、それはないかもな。青春なんて相対的で、いやそれ以前に青春なんていう机上に乗せる以前の時代錯誤な概念などもはや排除すべきではなかろうか。それまで尊敬の念を抱いていた人物の口からその語が発せられた瞬間に、かねてよりの敬意が霧散するなどという無残な経験を幾度繰り返したものやら。青春という語を口にして許されるのは大林宣彦などの特殊な例外をおいてはほとんど存在しないだろうし、先の大林宣彦にしたってそれを武器にして若い女優を脱がすための手段として用いただけに過ぎぬとすら思えてきます。青春という時代は危ういものだと語る人がいるけれど、ホントに危ういのは青春を万人にとっての共有の時代と信じ込んでそれをさも真実存在するがのごとくに語れてしまう心性にこそあるんじゃないだろうか。ともあれ高円寺は、青春の町なとと称されたりしもするようだし、その所以も理解できない訳でもなく、ぼくのようなオッサンなどは町から排除されるべき存在と見做されるのかもしれぬ。しかしそこは大林宣彦の図々しさ、青春とは年齢という要件の必然などではなく人生を謳歌しようとする者に年齢を問わずもたらされるものなのだという確信を胸に叩き込んで出掛けることにします。 そんな青春を好むと好まざるに関わらず生き延びるしかない見掛けは老いたる青春たちの夜の向かう先はどこにあるのだろう。それは新高円寺駅に近い名は失念したけれど高円寺駅の南口から伸びるアーケード商店街をずっと下った辺りにあります。「さかな陣兵衛」というテレビで見ていなければ―実際には見ておらず、食べログで地図を調べただけなのだが―見落としていた、いや目に止まったとしても立ち寄ることはなかったに違いない程度に極ありふれた外観を晒していました。だから目の当たりにした時には、さっと様子を眺めたら早めに切り上げようと思った事を告白しておくべきでしょう。店内に踏み入ると、おやおやカウンター席にズラリと大先輩達が肩寄せ合っているではないですか。ここはどうも高円寺ではない、よその町なのだろう。屋号通りネタケースにはズラリと魚介が陳列されているが、ケチな親父二人はイワシ刺しとなめろうという最低価格の二品を頼むのであります。周りは盛大に贅沢に注文しているのにえらい違いだ。そしてそれは結構な量が盛り付けられていて、その意味では値段に相応と言えそうです。少なくともビールを呑んで焼酎3杯を呑み切ってもまだ余る程度だからその凄さが知れるというものだろう。新鮮らしく味もいいなあ。先程ここは高円寺ではないと書いたけれど、そんな事はない、いやここのお客さんたちは見てくれこそ青春とは遥かに隔たっているけれど、少なくとも食欲に関しては今現在青春時代真っ只中の連中より勝ってるのであります。つまりは心に青春を引きずる健啖なオヤジが通うべき店なのです。
2017/10/28
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学生時代に中央線沿線で過ごせたらきっと楽しかっただろうなあ。なんて事を今更のように思ってみたりするけれど、冷静に暮らすとなるとなかなか大変なんじゃないか。何と言っても家賃が掛かり過ぎて、貧乏学生だったにも関わらずバイトは日雇いばかりで、定期のバイトも余り長続きしませんでした。就職してからというもの、転職もせずに一箇所で良くも続けてこられたものだと自分がこれ程に辛抱強いとは思ってもみませんでした。なんて個人的な話など置いておくことにして、確かに中央線沿線は楽しいし、利便性の高さも折り紙つきではありますが、振り返ってみるとそんな楽しい町巡りを身近に残しておいて良かったなあと思うのです。だって、ぼくのような活動規範にあっては間違いなく虱潰しにあらゆる路地を踏破して満足していたかもしれません。実際には町の見え方などその時々によって違ってしまうことは幾度となく経験しているし、ここでも告白しているのだから。 中央線沿線というとサブカルチャーへの町ぐるみの理解という若者にとって理想的な環境であるかの印象があるのですが、それは映画マニア―マニアという単語には常に違和感がつきまといますが、今だけはあえて己を落としてみたい気分なのです―にとっては必ずしも当てはまらなかったと思うのです。だから中央線を若い頃には思いのほか使っていない。かと言ってこの夜向かった「三晴食堂」などの大衆食堂に足繁く通えていたかはというと、それはなかったに違いない。酒は呑んでも外で呑むことは、ハレの日の贅沢に過ぎなかったし、食事も夜の一食のみという生活を長年続けた位だから、まず足を運ぶ事はあり得なかったはずなのです。だから遅まきながら中央線沿線を愉しむのはぼくにとっては時期を得た事なのです。さて、目指す食堂は早くも暖簾を仕舞っていました。 しかし、慌てることなど少しもないのがこの町の懐の広さであります。すぐそばに「キッチン フジ」がありました。なかなかに渋い良い店です。ビールと600円の定食を注文します。先に出されたサラダとお新香を摘みながらビールを呑むなんてなんて贅沢なんだ。若い頃からこんな愉悦を知ってしまってはロクなもんになれんななんて事を悔し紛れに思ったりする。煮出した番茶のような茶褐色の店内はやけに落ち着きます。壁面のカウンター席では若者がナポリタンを食べています。ハムエッグに白味魚のフライ、生姜焼きの添えられた定食のボリュームに非すると旨そうだけど明らかに量の不足したそれでを頼めてしまうなんて、もったいと考えないのだろうか。そんな若物の座る席の前には内照の店名入りパネルがカッコいいなあ。しかしなんにしろこんな渋くてお気軽な店が当たり前にあるこの町は、健康的な青春時代を送りそこねた中年坊やにとっては、遅れてきたもう一つの青春時代にも思えて悪くないのです。 では勢いに乗ってもう一軒、「丸長食堂」にも寄り道しましょう。住宅街に足を踏み入れるかどうかの路地のさらに路地裏にあって、非常に見つけ難い。これがまた楽しいのであるが、先を急ぎます。店内は雑然としていて消してきれいとは言えません。思いがけずに若い店主が単品の野菜炒めを作ります。ハイサワーを呑みながらボンヤリする時間は至福の時間です。たっぷりの野菜炒めは家庭の味そのもので、多めに作って残したのに麺を放り込んで、奥さんらしき人が自分と娘のために焼そばにしています。この家庭の食卓みたいなのも悪くないあ。店主は不機嫌そうに見えたけれど、実際には大変なお喋り好きで母親の後を継いで十数年とのこと。高円寺の町の住みやすさを語り、実に楽しそう。あくせく働かずとも何とかなると仰ったのですが、まさしかそれを実践されているようで羨ましく思うのでした。
2017/10/18
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標題をご覧になって、ああ例の食堂に行ったのだなとすぐにどこに行ったのか見抜かれた方も多いはずです。お察しになられた方はこの先をお読みになったところで、時間の浪費にしかならぬかもしれぬので、最後まで読み通すなんてご無理はけしてなされぬようご注意いただきたい。いつものことではありますが、これから記される文章の大部分は情報量の非常に少ないものとなるはずです。ちなみになぜこれ程までに卑下してみせるのか。それはこのお店が「孤独のグルメ」や「酒場放浪記」の寄り道スポットとして登場したりしているような、まあ極めてメジャーな観光地と化しているわけなのです。何をもって有名スポットとして知られるかに至ったか。一つには昼呑みができるということ、次いでは釣り堀を併設する公園内の緑に囲まれて呑めるという辺りが物珍しいと判断されたのだと思われます。 さて、西永福駅から5分ほど歩くと大宮八幡宮に辿り着きます。その奥には緑豊かな和田堀公園が広がっています。吉祥寺の井の頭公園を始め、都心に近いのにこれ程に自然―この自然という言葉にいつも違和感を覚えます、だって自然という単語は本来は人為の及んでいないものを指し示す語であるとすれば、公園という人為の成果物のような環境を自然と呼ぶのには抵抗があります―に恵まれた井の頭線という路線に人気が集まるのも納得のできるところです。公園には善福寺川が流れていて、その流れに沿って歩いていくとやがて、「つり堀・食堂 武蔵野園」という景観と調和しているとは言い難い赤を基調とした施設が見えてきます。なんだか思い浮かべていたのとは、違ってる気がするなあ。というか大きな公園や有名観光施設などには、ごく当たり前のように休憩処が存在するものですが、そことここはどこが違っているというのだろうか。釣り堀に面したビニール張りのテラス席は確かにまあ余所ではあまり目にしない施設と言えなくもなさそうであります。しかし、ぼくには昔の茶屋のような風情ある休憩所の方に情緒を感じる者にとっては、思ったほどには興趣を覚えることはできませんでした。ビールに焼そば、フランクフルトという屋台風の注文になったのは、テラス席という解放的なムードが働いたとすればそれなりの効果がこの施設にあるということなのでしょうか。ただ他の観光地の休憩所と大きく異なるのが、客たちのほとんどが昼酒を堪能していること。隠居してまだ間もないという感じのオヤジ3名などはすでに相当の酒量を摂取したらしく見受けられます。しかし、それもまたマスコミなどの情報に基づいているのだとしたら、わざとらしい気がして素直に楽しめないのでした。でもまあ番台風の料金支払所なんかは非常に魅力的な造りで、一度は来ておくに文句はなかったということを記しておきます。
2017/08/18
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T氏と荻窪で呑むことになりました。荻窪には学生の頃に頻繁に足を運んだことは、かつて書いたことがあるように思うのでここでは割愛させてもらいますが、それなのに案外知らない場所が多いのです。まあ当時はひたすら目的地を目指しては、次なる場所へと移動するということを繰り返していたのだから、充分に町を熟知するような歩き方をしていなかったと言えばそれまでのことでありますが、それでももう少しすいすい歩けても良さそうなものです。今思いついた範囲で言えば、大井町や亀有なんかは町の風景が完膚なきまでに改変を施されており、仮に荻窪程度にしか訪れていなければ、戸惑ったに違いありません。その点では、荻窪という町は、地元の方やなどホームグラウンドとしてこの町と付き合う方には、随分と変貌を遂げたものと仰るのかもしれませんが、少なくともぼくには他の町よりはずっとかつての面影を留めていると言ってもいいと思うのです。それはあくまでも個人的な印象だし、町というものは訪れる者の視線によって全く異なって捉えられるものだということは、思い知っています。 だけれど、路地やら横道といった町の基本的な構成要素は、そう大きくは変わっていないと思います。そしてそんな通りのほとんどは間違いなく一度は通り過ぎているに違いない。なのに「立呑み きど藤2」に辿り着くのになぜゆえ迷うのだろうか。確かに路地裏でそれほどには、分かりやすいわけじゃないけれどこの通りは何度となく歩いている気がする。なのに地図を見てもいざ駅から向かうとなかなか到達できぬのです。それはいかにも方向感覚がなさ過ぎると言わざるを得ない。しかし、それを語っているといつまでも本題に入れぬ。ここは意欲的な立ち呑み店として阿佐ヶ谷で店を始めた、その2号店ということになるようなのです。阿佐ヶ谷には以前お邪魔して、確かにその実力には驚愕された記憶があります。少なくとも店舗の拡大がもはやデメリットとしてのみ露呈することになった無惨な失敗を目の当たりにする者としては、無闇な拡張路線には警鐘を鳴らしたいところですが、ここは恐らくそうはならぬのではなかろうか。そう推測するのは、「きど藤2」という店名にあります。このまま店舗を増やすとすれば「きど藤3」、「きど藤4」と続けるのはいかにもかっこ悪い。ダジャレでオチを付けようと思ったけれどうまくいかぬので諦めることにしよう。とにかく常に尻すぼみになるハリウッド映画と同じ理屈なのであります。しかしまあ酒の自販機や肴のレベルの高さと安さは特筆すべきと思うけれど、感じの悪さは好みの分かれるところ。客との交渉を断つ事で、人件費の無駄を省こうとする考えをぼくは支持するが、しかしいくら何でも無愛想過ぎよう。これは一考の価値のある問題である。まあ考えなどしないけれど。 南口に移動。「酒処 かみや」にお邪魔します。中央線沿線の酒場らしい老舗感があまり感じられぬ、まあ味がなくて退屈と言えなくもない平凡なお店です。繰り返すまでもありませんが、平凡であることは居酒屋を語るにおいては、けして悪意はありません。そう感じるのはぼくばかりではないらしく、店内はかなりのお客さんで埋まっています。勤め人らしき方がほとんどで、職場の仲間ーばかりではないのでしょうが、少なくとも表向きは親しく語らっていますーで帰宅前のちょっとした寄り道という雰囲気です。酒も肴もいかにもな大衆酒場という感じで好ましい。特に黒板のお勧め品が充実しているし、何よりお手頃に思われます。量もたっぷりらしいので、なるほど職場のグループ利用なんかに重宝しそうです。二人だとちょいと持て余すし、何より周囲の熱気がすごくて圧倒されます。この熱気に気圧されてしまうとは、ぼくなどはもはやサラリーマン失格なのかも。というわけで少なくとも一人ではなかったのが幸いだったと思うのは、まだまだ酒場修行が足りないのだろうな。
2017/08/02
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阿佐ヶ谷の酒場に行くとどこにだってラピュタ阿佐ヶ谷のポスターやチラシが置かれています。阿佐ヶ谷の人々は映画というとっくに見捨てられてもおかしくない20世紀の遺物を地域で守っていこうという、その気持ちが素敵ではないでしょうか。いや、もしかすると町の人々は映画に日々の活力や幸福をもらっているからこそ、この小さな映画館を手放したくないのかもしれません。町が映画館を支え、映画館は町の人々に笑顔や感動をお返しする。こんな幸福な共存関係はどこにでもあるものではない。それだけでも阿佐ヶ谷はうまくやっているように思えます。気分のいい町を育むのは当然に気持ちのいい人たちなのです。それだから阿佐ヶ谷を訪れるのは楽しいのです。なんだか先日書いたこととは相反するようですが、やっぱりこの町のことを好きなのです。と、褒めそやしてみましたが、それ程に足繁く通わぬのはひとえに新宿の喧騒を避けたいがためです。新宿のない東京をふと想像してみるけれど、それもまたつまらぬなと己の浅はかさと想像力の欠如呪うことになるのです。 さて、この夜訪れたのは、「だいこん屋」というお店。もとより想像力のないぼくはこの店の存在を耳にしていても、少しも琴線に触れることはなかったはずです。でもその店を視覚として認識していたならとうの昔に訪れていたはずです。それだけの吸引力がこのお店にはあるようです。いや、それはちょっと偽りのような気もする、たまたまこの回の酒場放浪記の放映を目にしてしまったからではないだろうか。それもしかとは思い出せない。何と言ってもテレビの画面というのは汚濁などお構いなしに、均質な無機質な対象として切り取ってしまうからです。それこそが絵画には実現しようのない映画という媒体の画期的な点であるから仕方がない。テレビと映画を同化する無理は承知であるけれど、やはりそれは間違っていないようです。番組を見てこの店に感銘を受けたのではないとすれば、見たもの以外、例えば酒とか肴、初老の御夫婦の応接とかなんだろうか、分からないけれどそういうことにしておこう。誰もいない店内でぼくはちょっとばかり遠慮して入口付近の席を陣取ります。座敷に続く席は傾いでいるようです。なのにそこに荷物を置くやいなや椅子から滑り落としてしまう愚かさに少しく恥じてしまうのです。品書が手書きの日替わりのものとは大したものであります。旬の食材も嬉しいくらいに取り入れています。クワイの唐揚とフキノトウの煮付をオーダー、最初にビールなどという無粋な品を頼んだのにちょっと後悔しますが、こうビールすら水冷式の冷蔵庫で冷やされているのだからレトロ趣味の店では到底太刀打ちできぬ本物感があります。そう待たずに肴が届きます。いずれもたっぷりで、300〜400円程度だったでしょうか。一人では贅沢過ぎるくらいの量です。しかもいずれも個性的な苦味がきっちり残っていてこれはもう溜まりません。気になっていた酒燗器でお酒を温めてもらう事になるのは必然です。ここら辺に至ると女将さんともさり気なく言葉を交わすようになっています。何事もゆったりとしていて、それが世俗を忘れさせてくれます。へえ、今度のラピュタの特集上映は鰐淵晴子かと、そのチラシを手に取るべきか迷いつつもやはりやめておく事にする、映画との良好な関係を維持し得なかった己を恥じつつ店を出るのでした。お勘定が思いの外お高めなのは、お酒の値段だろうか、まあそんなことはささやかな問題です。久し振りに心地よく酔いました。
2017/02/16
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若い頃のぼくにとって高円寺は、通り過ぎるだけの町でした。中央線文化とか言われてみてもどうも中野から吉祥寺辺りまでは田舎育ちのぼくには賑わし過ぎる。せいぜい三鷹から先だと安心できたものです。さすがに都会ズレして多少の人混みには動じなくなった今では、むしろこの界隈の見掛け上の変わらなさ加減が散策していて楽しく思えるようになったのです。実際に学生生活をここら辺で過ごすことができていたなら、中央線デビューもこんなに遅れることはなかったはずです。中央線沿線は若者の町というイメージが流布されていて、実際この沿線の町で青春時代なるひと時を送りたいがために上京する人たちは今でも後を絶たぬようであります。しかし実際に住もうと思うと見せ掛けの庶民感とは大いなるギャップがあって、家賃にとても手が届かぬという現実に行き当たるのです。家賃は高いけど青果などの値段が安いのは不思議だなあ、とは常々思っているのですが、それはともかくおぢさんとなってこの町を歩いてみると、呑み屋の多さに今更ながら驚かされるのです。近頃の若者は酒にも女にも興味がないはずじゃなかったのか。いや、今でも夥しく酒場で溢れ返っているが、それは現代の視線で眺めるからそう思えるだけなのではないか。実際にはかつては今では考えられぬほどに混沌としていて、今など当時に比べると閑散たる有様だったりするんじゃないのだろうか。そんな時代があったならぼくなど生まれる時代を誤ったのではなかろうか。などと回顧的な気持ちにもなりそうな風情がこの町にはある、などと矛盾したことを語ってもみるけれど、それは単に文章を引き伸ばして推敲を試みないという意志なのです。なぜならこれから向かう酒場は、どうやら写真に収まるのを潔しとせぬらしい。 そんな「焼き鳥 ディズ」は、注文の多い酒場なのでした。店の者に声を掛けずに撮影は禁止などなど十か条の禁止事項がある。店の人に断れば撮影しても良いなら断ってもいいのですが、あえて嫌がっているのを撮影するまで物好きではない。それから焼ものの味付けがやはり十種程あるのだが、それにもいちいち断り書きがしてある。タレは荻窪の「鶏の介」から貰ったもの、味噌は蕨の「きよし」の味噌をブレンドしたらしい。とにかく酒場にあるまじき程に活字に埋め尽くされているのだ。お陰でそれらに読み耽ってしまい、注文の仕方を誤ってしまったのでした。オトクなセットの品書きもあったのだけれど、メニューも何枚もあるし、しかも酒場でウロウロとオーダーを迷うのは不粋であると感じる程度には自意識は持ち合わせている。こういうメニューはぜひともメニュー立てのいっとう手前に置くよう、従業員用の十か条にも記しておいていただきたいものだ。店の方は若い方が多くてどの人が活字中毒者か観察を続けてみたけれどどうも判然としない。まあそんなに気になるなら帰宅後に録画した酒場放浪記を見ればいいではないか。で見るかというとそんなマメなことするはずもないのでありました。さて、何だか悪く書いてるというか悪態ばかりついてる感じですが、別にここのこと嫌いじゃないです。値段も手頃で味もよく店の人も感じいい、特にフロアー担当の元気なメガネ娘さんは天職とすら思うほど。なので、機会があればまたお邪魔したいし、その時は写真取らせてもらうかも。でも酒場放浪記で見たいお店とはちょっと違ったかな。
2017/02/03
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気取って隠れ家と書いてしまいましたが、いずれも酒場放浪記の登場店です。でもこの二軒が隠れ家っぽいことにそれ程の意義を呈される方もいないかと思います。そしてその隠れ家っぽさというのがどちらも質を異にしているのもまた面白い体験となりました。隠れ家っていうからには他の酒場と差別化できる何某かがあるからでありますが、それを綿密に分析するだけの準備も能力も気概も欠けている。それでもいくつかの要因は指摘しておかねば、いかにもいい加減との誹りを免れぬので思いつきを書き留めておくことにします。一つには路地裏などの目立たぬ場所にあること。二つ目にそこが入りにくいムードを漂わせていること。三つ目に客の多くが常連であることなどが挙げられるでしょうか。また、この先思いつくことがあれば随時書き連ねることにして、まずは一軒目に向かうことにします。 まずは荻窪駅の南口にある「つば磯」です。路地裏にあって店内の気配なり様子が感知できず戸を開けるのに不安を伴う辺りは取り敢えず三要素の二つを満たしていると言えると思います。店内はカウンター席のみで女将さんと会話を交わす客は明らかに常連です。あまり入りはよくありませんがさほど気づまりではありません。店名のつば磯というのは、ブリの富山での出世名であるらしいのですが、今ひとつ確信がありません。女将さんは陽気で溌溂としていて気分の良い方で、昭和45年に開店したことなどをあれこれお話頂けましたが、どうも近頃とみに酒の席の会話が覚えられません。肴は当然、富山の名産がメインですがそんなに種類は揃っていません。まあ酒の肴など酒場では必要最低限がありさえすれば構わぬので、いかの黒造りがあれば贅沢この上ありません。そう、隠れ家酒場の四つ目の要素がありました。これは三つ目とも関わるのでそのヴァリエーションのようなものですが隠れ家に巣食う面々と酒を酌み交わせばすぐ様にその一員となることができるのです。だからこんな隠れ家酒場では席を立つのに難渋することになります。 次なる酒場はある意味で目立たぬといっても良いか躊躇われます。この界隈ではもっとも枯れた酒場の一軒であるから、そらに見慣れた者にとってはあからさまに姿を晒しています。しかし、チェーン店や小洒落た店を好む人の視界からは予め排除されるのではないでしょうか。「味平」はそんなお店なので、ぼくの視界はすぐに捉えましたが、入りにくい雰囲気は、先の店を凌駕します。さして、そういう心理的な入りにくさに加えて、カウンター席はほぼ埋まっていて、空いているのは奥のホントに狭い小上がりだけで、そこに潜り込むにはクセの有りそうな常連たちの背後を通り抜けねばなりませんでした。そこにはコタツが置かれていて、一度席に着くと身代りを見つけるまでは席を立てぬのではなかろうかという不穏な想像をしてしまいそうになります。実際かなり窮屈なので一度座ると立ち上がるのも一苦労です。これでは仲間入りするというより拘束されたんじゃなかろか。でもまあ何年ぶりかに入るコタツは気持ちを和ませてくれます。しかもカウンター席の連中を見渡せる特等席だから言うことはない。肴も揃っていてオヤジさんがテキパキと用意してくれるのでまるで従順な嫁さんのいる自宅で呑んでいるかのように錯覚しそうでありますが、従順な嫁というのが幻想でしかないのだから、ここもまたファンタジックなお店なのかもしれません。
2017/01/06
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荻窪に来るときはいつもどこかしらオズオズとした足取りで改札を出ることになります。昔はしばしば通っていたし、今でもご無沙汰という程まで間を空けるくらいに来ていないこともない。なのにどうも荻窪という町で自信をもって闊歩できないのは、ここに未だに自分の居場所を見つけられずにいるからではなかろうかなどと考えてみる。確かに酒場にせよ喫茶店にせよここと決まった店がないのであります。しかし、それは中野にだって、高円寺、阿佐ヶ谷にだって言えることだし、ましてや吉祥寺は定番の店どころかここぞという店にすら出会えていない。お隣の西荻窪などは若いご婦人にも好まれるオシャレな町へと転身してしたしまい、ぼくのようなおっさんには敷居が高いはずなのにそれでもそんなおっさんを受け入れてくれるお店がそれなりにある。だから個々の店舗によらぬ何某かの要因がぼくを荻窪に腰が引けてしまう情けない状況を生んでいるらしいのです。その原因は通ううちに明らかになることでしょう。 一軒目は、西荻窪から移転してきたという「やきとり 雅 西荻本店」であります。西荻本店というのは今では誤りなのかもしれません。少しも面白みのない雑居ビルの二階にあります。看板を見るなりやはりやめておくべきであろうかという弱気が首をもたげますが、せっかく来たのだからという貧乏根性の方が退屈さの予感に勝るのです。その予感は店に入るまでもなく当たっていることがわかりますが、ここまで来たらもう気分は破れかぶれです。少なくとも130円〜のもつ焼がこの日は100円で頂けるらしいから、まあ少しはお手頃に済ませられそうです。仮に酒場放浪記で紹介されていなかったら、まず来ることのないタイプのお店です。ここまで書いておいて今更取り繕おうというのも虫の良い話ですが、こういう小奇麗な店でゆったりもつ焼を食べたい方もいるのでしょう。実際しばくしてからご婦人グループがやって来ました。でもこのお手頃な価格でチマチマ、チヒリチビリと長居されたりしたら店も商売上がったりのように思うのですが、実際のところは分かりません。近頃は注文すら横着するようになり、串は盛り合わせにしてもらい、お勧めがあったら値段次第で乗るかそるか決めたりしてしまうのです。小振りではありますが値段から考えれば十分満足です。お勧めの豚レバーは新鮮さが明瞭でした。酒はちょっとお高いのが残念です。この点が改善されないと、なかなか今後来ることもなさそうです。 続いて訪れたのが、またもや酒場放浪記で放映された「鳥よし」なのです。こんなベタなハシゴをしてしまうなんて我ながら工夫に乏しいものです。でもこれが案外吉と出るのです。というのもこの日は生ビールが300円というお手頃価格なのでした。いや、ハシゴした両店でこんな割引サービスをやってるなんてちっとも知らなかったのです。誓ってホントのことです。だからもし酒場放浪記の呑み潰しをやってる方は是非、この水曜だか木曜に行かれることを推奨します。少しでも安く呑むことを恥ぢてはいけないのであります。店の人は会計の際にほんの瞬間こちらの表情を伺ってきます。そして小馬鹿にしたような表情を浮かべるかもしれませんが、それは実際そうだとしても何ほどの事があろうか。いずれ会計を済ませたらすぐさまそんなせこい奴がいたなんてことを忘れてしまうだろうし、第一、呑み屋で1杯だけってそんなに悪いことなの? 喫茶店でコーヒー一杯が許されるのに酒場で酒を一杯にもっと店側も寛容であってもらいたい。あまりに一杯呑みの客に対して酒場はイントレランスであり過ぎる。って単にイントレランスという単語を使ってみたかっただけなんですけど。ところでここ、どうってことのない良くある古いタイプの居酒屋でした。つい先般帰宅したらちょうどやっていた酒場放浪記に映っていましたが、若い二代目がとにかく自分とこは凄いんだのアピールが強くていささか辟易としましたが、意欲的なのは理解しました。その彼が鼻息荒く押す商品はちょっと高いなあ。ここには手頃ないい肴が他にもあるのだからむしろそちらを宣伝してもらいたかった。ここは困ったときに再訪ありそうです。
2016/12/03
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まるで知らない町を訪れたかのようなタイトルにしてしまいましたが、初めての町ということでは全然なくて、何度か来たこともあるし路線バスや自転車で通過することも少なくないので、全く知らぬ町ではないのです。でもなんともったいないことに一度もちゃんと歩いたことはついぞなかったわけであり、まあそんなにどこもかしこも歩き回っていたら、今後の楽しみがなくなってしまうからゆるゆると知見の範囲を広げていければいいかななんて思ったりもしています。ともあれ、肝心なのは方南町です。方南町と言っても都内在住の方以外はあまりご存知ないはずです。良くは知りませんがこの辺はあまり企業がありそうでもなく、交通の便も都内ではいいとは言えぬのですから、もしかすると都心に住んでいても行ったことがないばかりでなく、その存在すら知らぬ方も多いのでは。丸ノ内線の支線になるのかしら、中野なんとかいう駅でそのなんとか言う駅と方南町駅を往復する三両編制に乗り換えて、近くてちょっと面倒な方南町駅に辿り着きました。そしてすぐに庶民的な商店街に行き着くのでした。そのどんづまりには味のある中華料理店がありますが、残念ながら休みのようです。でも大丈夫。良さそうなお店がいくらもあります。 最初にお邪魔したのは「やしろ食堂(ボリュームたっぷり定食のヤシロ)」です。中野区、杉並区界隈に何軒かあって、その何軒かには伺ったことがありますが、ここごもっとも呑みに適しているようです。というのは品数の多さもありますが、何より他のすべての客が酒を呑んでるのだから気兼ねなどする必要もない。面白いのは男性客より女性客がずっと多くいて、近所のおば様たちが豪快かつハイテンションで呑んでいるのを見ると、取り澄ましたおば様の多そうな先入観がありましたが、もともと東京なんて余所者ばかりなのだから、当たり前といえばそれまでのこと。店の方も呑み屋そのもののチーム編成で寡黙な店主にガラッパチな女将と、愉快なことこの上なし。と言っても一見が唐突に盛り上がる話題にくちばしを突っ込むというのは憚られる雰囲気というのもあって、ぼくにはその疎外感がむしろ旅情めいた気分をかき立てられるのです。 続いては「一心太助」なる正直品が良いとは言えぬ電飾が飾り立てられる店に入ることにしたのでした。いやいや、これはぼくが学生だった頃に通い詰めた酒場そのものではないか。別に旨いものがあるわけでもないし、店内が洒落ていて気取っているわけでもない。というか何とも古臭いセンスでゴテゴテと飾り立てられた店内の様子は居酒屋のそれとは思い切り乖離しているし、喫茶店でもなくカフェバーとかでもない一言でいえば垢抜けぬムードが場を占めているのです。いやいやしかし、ここには否定的な物言いで書くのが憚られるような魅力がこの店にはあるのです。それはお察しの通り酒も肴もとにかく安いのです。この安さは…今でも容易に想起できる幾つかのデメリットさえいとも容易く利用がするだけの力があります。例えば何の気なしに頼んでしまったチーズクラッカーは、その品名をいささかも揺るがすことなく、まさにチーズクラッカー以外の何物でもないのですが、その値段ー250円位だったかしらーに少しも見合わぬ驚くべき量で供されるのです。クラッカーは10枚程度でこれなら通常の店の2〜3倍程度と言っても良いのですが、チーズの塊のでかさたるやクラッカーのサイズを上回るほどの重量感で圧倒されるばかりなのです。いや、そう足繁く通うかというと疑問符が付きますが、懐具合に不安のある際にこういう押さえの店があるのは何よりも心強いのです。
2016/07/23
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西武新宿線の上石神井駅にて下車しました。上石神井駅では何度か下車していますが、どうしたものかあまり覚えがないのです。印象に薄い町というのがあるようで、それは大部分が自分の関心の対象がないというのが典型的な理由でしょうが、それなりに商店街が活気を失っていないのだから、久し振りに歩いてみるとむしろ楽しいくらいでありますが、こうして報告を書いていてもこれから書こうとしている酒場のことや断片的な町のイメージが想起されるばかりなのです。西武新宿線の沿線の町の幾つかに言えることでしょうがきっと沿線のよその町と似通っているのでしょう。西武池袋線のいくつかの駅や東武東上線もそれぞれの路線によって違った印象を受けますが、その沿線の町はどこか似て感じられます。埼玉方面に向かう電車に特にその印象が強くて、西武鉄道や東武鉄道という鉄道事業者は町それぞれの個性より沿線全体のブランド化に熱心だったのでしょうか。そこら辺の事情には疎いのてすが、これから向かう酒場も看板によると西武鉄道の沿線を中心にチェーン展開したこともあったようです。 「かっぱ屋 上石神井店」は、少なくとも外観は素晴らしく味わいがあります。庇のテントを眺めているだけで、愉快な気分になれるし、かつてあった店舗名を辿ってみるだけで、平板な印象の町街に思いがけぬ彩りが宿るかのようです。ありがちな屋号でありますが、清水崑で良かったかなーの黄桜のかっぱが起源なのでしょうか。吉祥寺など東急線やJR中央線の沿線の各駅にあるものとは別の系列のようです。そろりと引き戸を開けた瞬間に後悔に襲われるのはまあよくある事ですが、昔ながらの居酒屋らしい居酒屋が視界に飛び込んでくるはずだったのに、カウンターもなく、常連が集えるよう配慮されたらしき広いテーブルはまるでスナックです。肴も品揃えが少なくやはりスナックの域を越えておらず、だったらいっそのこと看板を下げてスナックにしてくれたほうが、ぼくのような一見が間違って入ることもないし、むしろ需要も多いのではないか。まあ刺身とかの肴が無難に美味しかったのはホッとしましたが、表の印象に惑わされぬよう一昔前の居酒屋を好む方は避けられる方がいいと思います。逆にスナック風の店の人やお客さんが分け隔てなく楽しむのが好みの方は案外お好きになれるかも。 グラーツィア音楽院という複雑に貼り出したテントがかっこいい建物があったりするからと言うわけではないけれど、この辺りまだ素敵な酒場がありそう。
2016/07/02
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数年前のことだったでしょうか、あまり馴染みのない西武新宿線沿線を散歩した際に、通りがかっていた酒場がありました。大体において上井草という町は商店街と呼ぶにはいささか物足りない程度の町並みがあるばかりで、「カリーナ」などの忘れがたいお店もあるにはあるのてすが、それでも町歩きを楽しむというには役不足な印象が否めず、隈なく歩いてみたくなるような魅力に乏しく、通り過ぎる程度だろうなあなどと思いながら歩いたものです。今でもその印象は大きく変わりはしませんが、そうして歩いた際にここだけは改めて訪ねたいという酒場があったのでした。 「居酒屋 ふじ」の安否について、事前に調べてみたものの、何たることか!、とんねるずのきたなトランに登場していたらしいことが分かっただけで、それ以外にはほとんど情報がない。これはやはり現地に赴くしか店の安否を確認する術はなさそうです。いや、なくもなさそうですが、実際に足を運ぶのが一番時間のロスがなさそうです。それで改めて店の前に立ったのですが表から眺めてみても、ガラス引き戸の向こうには乱雑に散らかった何かが透けて見えるのでこれはどうやら店をたたんだように思われます。てもまだ未練があるので安否をご存知の方はお知らせ頂けると助かります。 さて、やむを得ぬので「大衆酒場 やしん坊」を目指すことにします。「居酒屋 ふじ」とは、線路を挟んで向こう側にあります。線路に沿って敷かれた道を逸れた細い路地にその酒場はありました。先の酒場ほどのボロさはありませんが、それなりの年季がありそうです。かつてこういうちょっと潰れかけの雰囲気の寂しい酒場は町外れなんかに当たり前のようにあったものですが、今ではめっきりと数を減らしました。その極端な絶滅危惧種振りには見掛けたら、思わず立ち寄らざるを得ないという気持ちになる程の心をぼくなどは持ち合わせてしまったものですから、これは見逃すわけにはいきません。開店早々の店内にはしんみりした空気が漂い、開店したばかりでまだまだ余裕のなさそうな店主に酒と肴を急がなくても良いと断りつつも注文します。店内を見渡すと窮屈なカウンター席は6卓ばかりで後は小上がりに大きめな座卓が二つ置かれています。この大きな座卓で相席が基本のようです。ところで店主の調理の手際の良さはかなりの熟練を感じさせ、相当窮屈そうで設備も旧態然そしているのにそんな厨房を苦にもせずテキパキと肴が運ばれます。そうそう、これまでも何度かテレビのグルメ番組なんかでお新香のステーキというのを見たことがありましたが、ここで初めていただくことができました。これが特別美味とか言ってみせるつもりは毛頭ないのですが、滋味深いというかとにかく酒のアテにかなりの好相性とすっかり気に入りました。鉄板に白菜のお新香をどっさり広げて焼き付けてそこに溶き卵を回し掛けて最後に削り節と紅生姜を散らしただけのシロモノがこれほど旨いとは、これ自宅でもやってみようなんて思いつつまだやっていません。これ、キムチとのハーフにしてみようとか、豚バラ肉入れてみようなんて余計なことしちゃ、この滋味とも言うべきものが消し飛んじゃうんだろうなあ。という訳で意中の店には行けませんでしたが思いの外に良いお店と出会えました。
2016/05/20
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そうそう南阿佐ヶ谷駅のそばに雰囲気のある呑み屋街があったんだよねと珍しくもオンエア時点で酒場放浪記を眺めながら思ってからもうしばらく経っているので、番組を見た一見客も落ち着いてきているだろうとちょっと来るには面倒な南阿佐ヶ谷にやって来たのでした。この辺りって―あっ、念のために申し上げておくと東京メトロの丸ノ内線で終点の荻窪のひと駅手前の駅です―、来るにはちょっとばかし難儀ですが、来てみるとどうということのない、つまりは微妙に訪れることを躊躇ってしまう絶妙な立地なのです。でも駅に着いたらご安心を。地上に出ると目当ての酒場までは道標が導いてくれるはずです。 われわれも―あっ、A氏と一緒です―「つきのや」にはこの道標に導かれて辿り着くことになりました。ただし道標と言っても目に見えるそれではなく、妖しくも芳しい匂いが―臭い?―われわれの脚をして誘導するのです。その匂い―臭いではない、きっと、多分……―は、紛れもない―いや告白すると別な汚らわしい想像をしてしまいました―くさやの芳香なのですね。これだけで酒が呑めようかという凶暴な香りに操られるように店に吸い寄せられるのですが、撒き餌をまく割には店は手狭です。まだ開店してそれほど経っていないのにすでに店内はほぼ満席。A氏には内緒だが―って読んでるらしいけど―、こういう時には自分だけでも入っちゃおうかと思ってしまうんですよね。自分さえ良ければいいというそんな人間なのです、ぼくは。幸いにもカウンター席にいた方々が詰めてくれて―まあこうした酒場なら当たり前―、何とかかんとか入れましたが、残りの席は予約札が置かれています。さて、窮屈ではありますが居場所を確保して安心のぼくらはそれでも念入りに品書きをチェックして、ようよう注文を決めるのです。いやはやたいしたものというのが食べてみた感想であります。確かにすごいな。長くなってしまったのであまり書きませんが、とにかく旨いです。チョンガーらしい若い人が一人で来て呑みたくなるのはよく分かります。 ここから方南町駅に向かおうかと思っていたのですが、この所仕事が忙しくてどうにもならぬというA氏はすっかり酔ったらしく、じゃあもう少しだけとパール街の末端にある「タチニク」という立ち呑み酒場に入ったのでした。入るまでもなく分かっていたことだけど、まあとにかく単調極まりないのであります。でも足を踏みれたからには逃れられぬのが酒場という修羅の道なのだ。と威勢よく覚悟を決めたはいいけれど、お肉自慢の立ち飲みスタイル焼肉店のこちらでは、七輪て肉を焼かぬ限りは許せぬらしい。なのに肉への情熱をとっくに失したわれわれを誘惑する多くのメニューはこれはイカンだろう。酒呑みは場末で酒だけ呑んでおしまいにしたいのだ。ところがこちらで出されるちょっとした肴は―プロセスチーズを炙ってみたり、キャベツとコンビーフを和えてみたりする―!酒呑みは興奮せぬでは済まされぬのであります。ホント、こんな味のない酒場は少しも興味ないんだけど迷惑千番である。とりあえず呑みには行くまいと言っておく、でも昼やってたら行きたいかも。
2016/03/11
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阿佐ヶ谷のちゃんこ屋さんで呑むことになりました。別に好んでちゃんこ屋に来たわけでなく、正直食が細くなっているのを日々感じている身にとっては、大量かつ安価に摂取することを主たる目的として開発されたちゃんこ鍋は、大して食べられぬくせに腹ばかり突き出てきた自らの見苦しい姿をこれ以上ひと目に晒さねぬ事態とならぬようむしろ忌避すべき調理法なのでありますが、誘われた以上は断るわけにもいなぬ浮世の事情があるのてす。 そんなこんなでやって来たのは「ちゃんこ料理 たなか」です。南口の東京銘菓ナボナのお店を右折して、しばらく歩くと見えてきます。途中なぜか縁のない雰囲気のある呑み屋街を指を加えて通り過ぎ、目当ての店に向かいます。1階のテーブル席だと嬉しいのですがそうもいかずこの夜は2階の座敷が会場です。1階にはなんだら人相の良くない親分が従えた背広族が呑んでいるばかり。壁にはもと相撲取りだったらしきオーナーの写真が飾られています。正統派のお相撲さん系のちゃんこ料理屋のようです。その味とかなんとかはさておき、とにかく量の多さがぼくを圧倒します。ある程度の量を食べるには酒の力は絶対です。当然のように相当酔っ払いのおぢさんになり果てるのでした。 そんな状況で「善知鳥(うとう)」に行ったところで、存分にこの店のクオリティーを堪能できるはずもない。それでも行ってしまったんですね。店に入ってからお通しの茶碗蒸しだったかを肴にして燗酒を呑んだとこまでの記憶は案外鮮明で、今でもそのカウンターの落ち着いた雰囲気や若く真摯な感じの主人の丁寧な応対、上品な料理と好ましい印象を受け取ってはいます。でもこれはぼくにとっては居酒屋というよりは小料理屋とか割烹というのがイメージに近いようです。太田和彦という人の好む居酒屋というのが近頃さらにこういったタイプに偏向しているようてす。特に地方都市の居酒屋となるとこうした店が多いようで、正直あまり参考にできません。迂闊にこの人のオススメの店をハシゴしたりすると帰りの電車賃まで使ってしまうことになりかねません。ともあれ、そんな次第なので折角思い切って念願の「善知鳥」にお邪魔したというのに存分に味わえなかったのは残念至極でありますが、次の機会は当分訪れそうにありません。
2016/01/19
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桜上水は京王線の駅、下高井戸駅と上北沢駅の間にある印象の薄い地味な駅です。上北沢駅周辺も地味ですが、桜上水駅のポツネンと佇む侘びしさは調布駅前後のいくつかの駅とも似て京王線らしい駅の一つと言えるのかもしれませんが、らしいから楽しい町ということは全然ないようで、多くの京王線らしい駅前と同様にすうっと通り抜けるだけでは何も違っていなかったはずです。でもこの夜は、ちゃんと目星を付けての訪問なので取り敢えず酒場にあぶれることはなさそうです。退屈極まりない駅をそれて新宿方面に引き返すとかろうじて商店街を形成する風景が目に入りホッとしますが、それもそう楽しくはなさそう。早い時間なので飲食店はどこもまだ店を閉めたままです。線路際に立ち呑みらしき店もありますが結局ハシゴして後に覗いてもやっていませんでした。ともあれ時間を潰してから商店街の裏手にある飲食店が集まった狭いスラムみたいなエリアに立ち入りました。 うまい具合に「樽酒の店 一平」の暖簾が下げられました。雨脚が強まったので遠慮なく店に入れてもらうことにします。店内に入ってすぐに目に付くのはこぢんまりした店いっぱいに誂えられたカウンターです。奥に座ろうものなら席を動くのがのが大変そうな位に窮屈、かと言って引き戸の前ではこれまた後から来た客に席を譲るのが面倒そうです。必然的に角っこの席を確保します。実際後から来た常連も反対角席に一目散向かわれました。と言ってもそれはグラスを二回ほど空にしてからのこと。酒場放浪記で見ていて随分狭くて繁盛してそうなので早めに駆けつけたもののそれほどには慌てる必要はなかったみたいです。次に目につくのはネコの写真や絵画、置物なんかが品よく飾られているのでした。沈黙が過ぎると聞こえてくるのは猫の鳴き声、表に猫が遊びに来ているかと思い耳を澄ますと、どうも店内から聞こえているみたい。いや目の前に立つ女主人の口から漏れ出しているようだ。それもぼくと喋らぬ間はずっとニャーニャー言っておられるようです。ちなみに品書にも猫耳という料理があって、デメルのチョコでも出してるのかと思って、よほど好きなんだなあ、猫語を操るくらいだからなあと感心して伺ってみると、それは中華料理ですいとんみたいなものだそう。壁には忘年会受付中とありましたが、確かにこういう店で暮れの懇親を深めたりしたら、親密度が増すか、逆に荒れきった呑みになりそうでそれもまた愉快そうだと想像するのでした。 待てど暮らせど開こうとせぬ踏切を珍しくも忍耐強く待つと京王線の線路を越えたその先に何軒かの酒場やインド料理店、中華料理店があります。その一軒、中では一番居酒屋らしい構えの「居酒屋 あおい」に入ってみることにしました。これといった特徴のない店ですが店の奥はL字状に折れていて、案外広い店のように見えます。ぼくは遠慮深くまっすぐ伸びるカウンターの一番手前の入口そばに席を取ります。こちらもお客さんはポツリポツリしかおらず、狭い店なら気にならないものの意外と広いことを見ているので、やけに寂しく感じられます。って、ここまで書いてしまうと後はもう何も記すことはないというくらいにありふれたお店で、もう一言二言語っておくべきでしょうがこれにて終わりにしてしまうのです。
2015/11/20
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阿佐ヶ谷には度々訪れていて、当ブログでも何度となく報告させてもらっていますがまだまだあるんですね。とは言っても今回のお店は別にこれまで知らなかったお店に遭遇したとか、知られざる名店とかいうようなお店ではなく、そこは衆目に常に晒されていて、なので当然ぼくにとっても行く前からその店の存在は周知のことでとりわけ心が踊るようなハシゴとはならなかったのですがそれでもいずれも優良酒場であることが確認できたのでした。 最初に向かったのは「立呑焼鳥 阿佐立ち」というまあ何と言いましょうか、色んな駄洒落の組合せがきっと名付けた店主がしてやったりとほくそ笑む姿が透けて見えそうな、それでいて何とも虚しく脱力感を感じるような店名についつい敬遠気味となり、これまで遠巻きに眺めるに留めていたのでした。実際、一時的に営業するつもりであれば、こうした際物めいた店名もありかもしれませんが、ずっと続けていくつもりであればこうはしないはずと、志の低いお店と思っていたのです。我が子の名をトンデモナイ名付けをするのが馬鹿じゃないのと思ってしまうのと心情は似ていて、その子が良い子であればあるほどそのギャップが際立って、不憫にすら思われるのです。ところてこのお店は愚かな親の立場であるはずの店主がなかなか立派、時折若い呑み屋の店主がチャラチャラしているのを見かけることがありますが、そんなおちゃらけた様子は微塵もなく、とても硬派で真摯な風に見えます。お硬いばかりでなく、常連の女性が別のグループの一人が誕生日というのを耳にしてケーキを差し入れするのを黙って見過ごしてあげる度量もあります。肴も旨いし、サワー系はサワーグラスとは別のコップ量り売りと良心的。思わぬ実力派のお店でした。 ここでO氏と合流。互いに機会をうかがっていたものの、いつも混んでて入れないでいた「大衆酒場 天龍」にお邪魔することにします。この界隈に何軒かある路地をぶち抜いて両側から入れるようになったお店の一軒で、かなりの年季が感じられます。古くからの馴染み客もチラホラおられて、呑むならここと決めているようなオヤジもいます。それだけ愛される店はしあわせです。肴は鯨なんかのちょっと珍しい品もあって悪くないのですが、値段はやや高めかな。店の雰囲気は表から見たまんまなのは致し方ないとはいえ、やはり興に欠けるものです。この点では喫茶店同様に入ってみないと分からない辺りで第一印象がガラリと変わります。良い喫茶店といえども通い詰めたくなるタイプのお店はオーソドックスな店になりがちで、あまりにも奇天烈なお店は人に見せてみたい時こそ再訪するものの、それ程愛用しないという点では酒場と随分異なります。このお店も通うごとに味わいが増して行くタイプのお店と思われます。一度や二度入ってみたくらいでは充分にその真価を見極めることはできませんでした。
2015/10/22
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西荻窪って、若者に非常に人気があって住みたい町ランキングでもますます費用を伸ばしているとかいないとか、まあそういったチャラチャラしたイメージがぼくにはあって、確かに素敵な喫茶店も数軒あったりとかおいしいパン屋さんやソーセージ屋さんがあったりとか暮らしやすいのは分からぬでもありませんが、住みやすいのと遊びに行って楽しいのとでは全く基準が異なります。実際、ぼくの住むとある町もターミナル駅からも至近でありながら閑静ー自宅と駅までに風俗店やパチンコもほとんどなく、居酒屋さえ指折る程度しかないのてすーなのは、我ながらよい物件を選んだと自負するところでありますが、それはともかくとして西荻窪には遊びに行く町というには若干魅力に乏しく思えるのです。 そんな身勝手な来訪者にとって駅前にいつの間にやら「富士山」なる立ち呑み屋ができたのは少しいい傾向と言えなくもありません。しかしまあそれなりに立ち呑みのざっくばらんとした雰囲気はあるものの真新しい店舗なのでどうしても作り込んだというわざとらしさは否めないところです。しかも西荻窪という土地柄しょうがないとはいえ、とにかく一品一品の値段がとても立ち呑みのものとは思われません。都心の例えば四ッ谷あたりの立ち呑みのような価格帯でやっていけるのかと思いきや、そこら辺は大丈夫らしく結構な数のお客さんが入っています。この人たちが綾瀬辺りの立ち呑みで呑んだら、値段の余りのギャップに驚愕するのではないかと考えるのはきっとゲスの勘ぐりでしかないのでしょう。その場で楽しんでいる人たちを見ているとこよなく愉快そうにお見受けするので、きっと一見では分からぬ良さがあるに違いありません。そこまで知るに至らずぼくは店を後にしました。 さて、阿佐ヶ谷で系列のお店にお邪魔したことはすでに報告しましたが、その報告の順序が入れ替わってしまったようです。「大衆割烹 和田屋」がそのお店で、この系列店の手堅くて安定していることはすでに述べているので改めて繰り返すことは避けさせて頂きますが、ここ西荻窪のお店は他店が酒場激戦区の只中、もしくはその周縁にあるのとは異なり、西荻窪にあることがより一層の有り難みを感じさせてくれます。それなのになぜかお客さんは少なく、でもそのあまり混雑しないところが一見して常連と分かる方たちを毎夜この店に向かわせるように思われます。店に入ってからの迷いのない席選びがその証です。ぼくにとってもこの店は大変居心地良く感じられ、自宅の近くにあってくれれば迷わず足が向かうように思われます。 と、西荻窪への愚痴ばかりとなってしまいましたが、まだまだ知ったつもりで見えていない酒場もあるように思えます。今回出会った「和田屋」が偏見を拭い払ってくれたように思えるので次回は新たの目線で町歩きができそうです。
2015/09/25
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阿佐ヶ谷にはとみにこの数ヶ月ちょくちょくと足を運んでいて、まあ新鮮さを感じられるような町ではなくなっています。大体においてずっと前のことになりますが日々足繁く映画に通った町というのはことに行くのが面倒に思われ、酒場巡りにかこつけての毎夜の小さな旅が裏のー実は真のー目的であるとしたら、この阿佐ヶ谷も小さな旅の目的地としては意に沿わぬ町ということになるかもしれません。そんな旅先としての役割を欠いた町にまたやって来たのは、O氏が阿佐ヶ谷の名画座で映画を見てから軽く呑んで帰るということを知ったのでそれに合流しようということになったからです。まさにこの小屋に通うことにウンザリしたことが阿佐ヶ谷を無意識に避けることに繋がっていると思っているのですが、それはともかく瀬川昌治の映画を見終えたO氏といそいそと酒場へと急ぐのでした。 向かったのは「暖流」という映画好きには話題に事欠かぬ店名を持つお店です。実のところ阿佐ヶ谷にはまだまだ入らねばならないと思っている酒場が残されているのです。阿佐ヶ谷駅は駅の南側にも北側にも線路に沿っていくつもの呑み屋街が張り巡らされていてそれこそ高架下の飲食街も含めて網目状の複雑で魅力的な町並みを形成していて、来てみるとやっぱり面白いのですね。バーボンロードって言うんでしたっけ、北側の酒場通りが老舗が揃っていますが、実はまだ入っておらぬ店が多いのです。というのがどの店もいつも混雑していて、なかなか足を踏み入れる気にはなれなかったのです。窮屈至極な店の造り、一本先の通りまでぶち抜きになった、2つの入口を持つ構造となった店が軒を連ねてます。「暖流」もそんな造りのお店で、バーボンロード側は足を踏み入れる余地がなさそうなのでぐるりと迂回してもう一つの入口に回り込むとどうやら入れそう。結局逆の入口から入っても良かったような十数席あるカウンターのクランクした真ん中辺りの席に客を掻き分け入り込むことになります。O氏が語るところによれば、ワハハ本舗の柴田理恵が贔屓にしていて、時に朝まで呑み明かすというから大したものです。呑み明かせるかどうかではなく、ひとつところに留まって呑み続けることに驚かされるのです。そうか、朝までやってるのねと今更気付きなるほどそれじゃここで呑み続けることも宜なるかな。特別安いわけでもないし、これといった肴があるわけでもない。それでもこの店は愛すべき酒場と言って過言はありません。女将さんはとっつきがいいというタイプでもなさそうでーかと言って全然感じはいいー、独り客はやはり独りぽつねんと黙りくさってグラスなり盃なりを傾けるだけですがそれが孤独でも何でもなくこの上なく幸福そうなのが良い酒場の最高の証左と言えるでしょう。 続いては「和田屋」にお邪魔しました。先日の西荻窪でも書いたかと思いますが「和田屋」は、都内各地に点在しておりその立地は脈絡なく四方に散らばっています。ぼくの最も好きな「和田屋」は十条のお店なのだよなどという店の方に聞かれると失礼ともなりかねない与太話をしていたらそれを聞き咎められたのか、女将さんがいずれも暖簾分けなのよとこれまで確認したくてもしそこなっていたことを確認できました。発祥の地は六本木とか仰ってたかしら、ともかくわれわれとは極めて疎遠な町からこれ程の庶民的で居心地の良い酒場が誕生したとは驚きです。いかわた沖漬けが絶品で、当初サワーで軽く済ますつもりだったのが、当然そうはいかなくなり日本酒へとシフトしていきます。日本酒って呑みやすいから際限なく呑めちゃって危ないんだよなと代わり映えせぬ会話を交わし、やはり思ったとおりの呑み過ぎとなってようやく席を立ち、電車に乗れば乗ったで座っちゃいかんのだよなあでもやっぱ座っちゃうんだよなあ、などと他愛もない相変わらずの会話を交わして他の乗客の失笑、いや顰蹙をかうのでした。
2015/09/18
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西荻窪という町、好きな喫茶店や甘味処があってちょくちょく通っていたこともありますが、こと呑みに関してはどうも気乗りせず敬遠してきました。いつも似たようなことを言ってますがこの西荻窪はわが家からちょっとばかし遠くて、帰りのことをどうしても考えてしまい億劫に感じられるのでした。実際に来てみるとどうということもないのですが、心理的な距離感は否めません。意を決して訪れることが叶ったのはつい先頃、還暦を迎えたというKおぢさんが中野で呑もうというのをいやいやだったら西荻窪にいい酒場があるよと誘うことで、嫌でも行かねばならぬよう自らを追い込んだからでした。そんなこんなで西荻窪駅着。何度も来ているのにいつ来ても初めて来たかのようによそよそしい印象があります。西荻窪のランドマーク的な存在である「こけし屋」さえもがぼくの心を和ませることはありません。 何も知らぬK氏を伴い北口をひたすら北上します。なんのことはない東京女子大学に続く女子大通りを辿りさえすれば否が応でも辿り着けるはずなのにそれでも迷ってしまうのを相性が悪いだけで片付けてしまうことにします。とまあぼく一人であればそれで済みますが、うるさ方がやがて怪訝な表情を隠さず文句たらたら。そしてようやく遥々歩いて汗だくになったのに「OHWADA」は、無慈悲にもお休みのようです。ってそりゃないよな、定休日でもないし、呼び鈴が壊れてるから声をかけてって書いてあるから何度も声を掛けたのに全くの無反応。K氏の不満は留まることを知らずやれバスに乗るだの、吉祥寺に行くだのとやかましいことこの上なし。次に向かうは「やきとり 雅」。ご存知の方は早くもぼくの愚かさを嘲笑される事でしょうか、以前見知っていたので記憶のままに店に向かったもののどういうわけか見つからぬ。さんざん探しても見つからぬので、タバコ屋さんにお聞きすると移転したとのこと。場所は荻窪だそうな。さすがにK氏の愚痴には怒気が含まれてきました。 最後の望みと目指したのが「風神亭」でした。「こけし屋」を越してすぐのところに看板が見えています。そこから脇に逸れた細い路地を進むと目当ての酒場がありました。K氏などは満席で入れないとかじゃないのか、などと嫌味の一つも言ってきますが確かにそれはあるかもしれん。幸い入ってすぐの大きめのテーブルも空いていますし、奥のグループ用の席もまるまる空いていました。お客さんはみなさん落ち着いた世代の方たちが多く、女性の割合がむしろ多いようにも思われます。そんな客層のお店なだけにお値段は大衆酒場のそれとはいかず、いささかお高めです。サモサや揚ワンタンなど見覚えのある肴が揃っており、確かになかなか気が利いていますが空腹なわれわれはなんとか言う揚げ餅をいただく事にしました。見たまんまのお味ですが、イカのゴロ焼―この店ではワタ焼と称してましたか?―のイカワタを絡めるとまた違った味わいで悪くないのでした。お隣のOLさん達のようにたまにゆったりと呑むには悪くなさそうですがせっかちなわれらはまだその境地には至っていないようです。
2015/08/07
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中央線沿線で昼酒するなら中野か高円寺が良さそうです。それより西に行くと選択肢がぐっと狭まるようです。無論、中央線沿線がホームグラウンドであるわけでないぼくなどが知らぬ酒場がいくらでもあるに違いないのてすが、それでも地元の人並には歩いているという程度の自負はありますのですぐに昼酒できる店も何軒かはあります。そして予定通りの店をはしごして終えてしまったのはいささか物足りなくもないわけですが取り敢えずご報告しておく次第であります。 最初に訪れたのは「富士川食堂」です。カウンター食堂の典型の店で呑むのは、本来は、御法度なのでしょうが時間帯を外して客もほとんどない時間帯であれば問題ないでしょう。とにかくそれなりの風情で―こうしたカウンター食堂では、当然ながら厚顔無恥を地で行くぼくでも、わきまえた態度になるのです。いかにも安くて若者にとっては救いの神のようなお店ですが、いぎたないぼくにとっては同様に魅力的な酒場と化すのです。安い肴と酒でしっぽりとオヤジ二人が呑むのは見苦しかろうということも忘れ、S氏とぼくはこのお手軽さにすっかり満足するしかないのでした。スツールが緊縛されていなければもっとリラックスできるのでしょうがそれは望みすぎというものでしょうか。 でお次は高円寺を知る方ならやっぱりの「大将 2号店」であります。確か高円寺には3号店まであったでしょうか。ここらへんがはっきりしないのも酒場好きとしてはいい加減なところ。ぼくはこのガード沿いの店が一番しっくりときます。ガード沿いといってもこちらは道を隔てているわけで、それでも案外に枯れた風情が感じられるところが愉快なのです。特に駅を背にして右手の入口はカウンターよりむしろテーブル席が主流で何とも言い難い懐かしさを漂わせています。言い難いと言って誤魔化してしまってはこんなブログなど書く理由すらないのでありますが薄汚くもあり、静寂さすら漂わせる―実際は騒然としているのですが―、なんだか田舎に帰ったような―これまた大雑把な例えで何も語っていない―居心地の良さはこの酒場の信条です。とはいえ、どういうわけだか平日の夜などに訪れることもなく、あくまてもウイークデーの夕方前の一風景とご了解ください。
2015/07/09
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A氏ととある日曜日に昼酒しようということに相成りました。予定もまるで立てず行き先を決めたのはすでに電車に飛び乗ってからのこと。互いの現在地を確認すると、ぼくは高田馬場、A氏は御茶ノ水ということなので、では中央線でどこか行こう、あまり遠くは面倒なのでそれでは阿佐ヶ谷にしておこうということになってしまった次第なのです。まあ阿佐ヶ谷であれば昼酒できる店にも不自由せぬであろうと、あえてあまり店もなさそうな高円寺方面に線路に沿って歩きだしたのでした。別に目的もない散歩なのでいざとなれば高円寺でもかまうまいと思っているとA氏から空腹との訴えあり。 しからばとお邪魔したのが「東海桜」という枯れた味わいの中華料理店。この枯れたという部分にのみ惹かれての入店であります。実際のところ店内もかなりの枯れっぷりで、その点は好意的に評価したいところですが、なんというかまあ愛想の欠片もないのがらしいといえばこの上なくらしい感じです。餃子が大変お手頃だったという記憶がありますが、べチョッとしていて好みの分かれるところ―というか大概の方はお気に召さぬのではなかろうか―、ぼくはゲテモノからキワモノまでまんべんなく受け付けるグルマン―当然ながら美食家とは似て非なる存在なので、誤解なきよう―なので美味しく頂きました。こうした通好みの店だからか定食屋系の中華料理店でありますが、腸詰めなんてものもあって、酒のアテには最高なのでした。こうなって気分が良くなると我々など居らぬかのようにソッポを向いた店の方の態度が気配りのように感じられるのだから現金なものです。 しばらく線路に沿って歩きますがこれといったお店もないので高架をくぐって南下するのでした。アーケードの商店街には八百屋が充実しており―こんな生活をしてますが案外野菜が切らせない程に好きなのでした―、暮らしやすそうだなあとは思いながらも呑めそうな古いお店が見当たらぬ。しばらく行った公園でトイレを拝借すると酒屋の奥で呑ませる、まあ所謂角打ちがあります。これは見逃すわけにはいきません。「酒ノみつや(三矢商店)」です。ビールの品揃えが充実した酒屋さんの奥では紅一点の綺麗な女性を囲んでおぢさんグループが、端見には全くの脈無しとしか思えぬとはいえ、切実かつ滑稽な恋の鞘宛に夢中で我々が遠慮しながら窓際のカウンターで呑もうというのに、そこに乱雑に置いたカバンを避けようともしない。そこを気遣ってくれるのが件の女性なのだから我々としても脂下がらざるを得ません。と言ってもあまり絡むと面倒なので、各国のビールを試すとどの銘柄が好みであるとか、正直どうでも良い会話をゴニョゴニョ語ってみせて、店を後にするのでした。
2015/07/02
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たまには中央線沿線で呑もうかと思ったはいいものの、案の定先立つものは不自由極まりないのであって、思い立った以上は懐具合など気にせず当たって砕けるべしなのであります。そんな工夫のしがいがある夜に中央線の各駅停車に揺られ果てさてどの駅で下車したものかと思案するうちにいつの間にやら電車は新宿駅を過ぎていて、三鷹まで行ってしまってはそう安くは済ませないといくつかの酒場が脳裏を過ぎるのです。そんなこんなで目当てもなく飛び降りたのは高円寺でした。このところどうしたものか高円寺で呑むことが増えています。 先だって立ち寄った新しい立ち呑み店の路地の先に立ち呑み店の灯りが見えました。こんなところに店があったとはついぞ気付かなかった、節穴だらけの自らの観察力に落胆しつつも、ひとまず未訪の店に辿り着けるとは運の良いことでした。店の名は「きど藤」と言って、店内で一杯やりながら調べてみるとなかなかによく知られた店のようです。その価格の凄さが評判の理由のようですが、酒は特別お得とも思えません。しかしよくよく品書きを眺めてみると刺身などもお手頃だし、立ち呑み店とはとは思えぬほどの品数と手間暇掛かりそうな料理も揃っていて、これは確かに良いですね。そのためか客の入りもかなりのもので、あまりのんびりと居座って―立ってるんですけど―は、次に来られるであろうお客さんの迷惑になりそうです。こうした状況にあって、図々しく立ち位置を確保し続けひたすら呑みに耽るという優越感を満喫するのも悪くないのですが、この夜のぼくは至って親切心に溢れていたので、ひとしきり愉しむと席を立ったのでした―立ちっぱなしでしたけど―。 ガード下をブラブラと歩いていくと何や看板もない店があって、でも店内からは賑やかな声が漏れ聞こえてくるので思い切って入ってみることにしました。カウンターには、ズラリとお客さんが並んで腰掛けていて一席を残すだけです。そんな隙間に体を滑り込ませるようにして一息つくと、すぐさま周囲のおっちゃんたちが絡んできます。そんなおしゃべり好きな客たちの話を聞いてみるとどうやらこのお店の亡くなったらしいご主人というのが妙な趣味の持ち主らしい。表に出てみりゃわかるよというので、ちょっと席を立ち外に出て通常食品サンプルなんかが並ぶであろうショーケースには助平な人形などがずらりと並んでいて、ミニチュア版の秘宝館の様相を呈しています。席に戻り改めて店内を眺めると至る所にそうした品が陳列されているのでした。小腹がすいてきたので、何か摘めるものはないかとお聞きすると、ナポリタンができるというのでそれを貰うとこれがすごいボリュームでしかもそこらの喫茶店顔負けの旨さなのでした。すっかり楽しんで、たっぷり呑んで、しかも満腹になったので店を辞そうと、そうそうこちらの店名はと子供の頃から通うというおっちゃんに聞くもののあれなんだったっけと心許ない。女将さんから「たこ(多幸)」だと聞かされるのですが、おっちゃんたちは今ひとつピンときてないみたい。長年愛される店はやがて店名など不要となるようです。
2015/05/21
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これと言って行きたい酒場も思い付かず、かと言ってせっかく出張で中央線沿線に来ているのだし、そうは言ってもいつものごとく財布はカラッけしというようなことは、けして少なくはありません。そうこの夜もまさしくそんな好機と貧乏がせめぎ合うような境遇にまたしても置かれてしまったのでした。とっとと帰宅してゆっくり呑もうなんて気持ちはさらさらないわけで、そんな時につい足の向くのが高円寺なのでありました。学生時代を通じて高円寺という町とはあまり縁もなく過ごしてきました。まだ学生でもない生徒だった頃かもしれませんが手持ちのフィルムを自主公開で繰り返し掛けていたシネマシオンという小屋があって、そこでジャン・ヴィゴという29歳で夭折したという伝説の映画作家の遺したわずか4本のうち3本が上映されているのを見て大いに興奮したことを思い出すのですが、この小屋もいつしか荻窪に移転し、その後上映の頻度が減っていくのを寂しく感じたものですが、それはまあここで語られるべき話ではなさそうです。 さて、懐具合の寂しい中年男にとって立ち呑み屋は選択肢の中でも筆頭に挙げられます。お馴染みの軟弱な名の付く呑み屋街をぶらぶら進んでいくと見慣れぬ立ち呑み店がありました。しかしその看板には薄っすらと見覚えがあります。「(立)大丸工業所」とちびた木造家屋の軒下に看板がぶら下がっています。カッコ内は元は有という文字だったのでしょうか。店内はすっかりリノベーションされていて以前を想起させる何物も残されてはおらず、わざわざ外観のみを残したのは工事費用の節約かそれともぼくのようなこうした古い建物が好きな客を当て込んでのことなのか。後者であれば店内にももう少し面影を留めるべきなのになあと、えらくすっきりと見の置きどころに迷うほどに整理された空間に戸惑うのでした。困ったならカウンターがよろしいようです。顔のあちこちにピアスをぶら下げたきれいな女の子はこの夜がデビューということで、指導役のお兄さんもいます。ところが彼もまたここで店を始めて一週間弱とのこと。扉の脇に木箱があるので何かと尋ねるとおでん鍋のようで、セルフでサービスする流儀のようです。まだ味がしみるのにはしばらく時間を要するということなので燻製ソーセージを頼みますがこれもまだとのこと。まあ肴なんてさほど気にするものではないからと、気を取り直しますが、最初は構ってくれたお二人もやがては本格的に開店準備に振り回されてこちらになど構っていられないとなれば、もうここにはしがみつく理由もありません。次なる酒場を目ざすことにします。 しばし彷徨った後、数軒の酒場が軒を連ねる通りに行き着きました。こういう通りは雰囲気があってもスナックばかりで、その只中に身を置いてみると表から見るほどには面白くなかったりすることが多いものです。しかしこの路地はちょっと違っていたようです。なかなか良さそうな居酒屋もあってその最奥の「おばこ」についつい立ち寄ることになったのでした。で、このお店、カウンター6席ほどに小上がりに2卓がある程度のごくありふれた酒場であったわけですが、どういうわけだかなかなかに心地よいのです。マイペースなこれもどこにでもいてくれそうな夫婦者のお店ですがお二方とも極めて気分のいい方たちです。彼らを慕ってか訪れる客たちも似たような世代の方ばかり、ぼくはすっかり小僧っ子こような立場におかれそれはそれで愉快なものです。オヤジの手料理は特別すごい品はありませんが、新玉ねぎの丸煮は、高齢のお母さんの舌をもを喜ばせたようでしつこいくらいに絶賛しています。やがてこのお母さんが調子っぱずれに歌い始めた頃になって、ぼくはお勘定をするつもりだったのが、このまま店を出てはお母さんが傷付くのではなかろうかと余計な気を遣ってしまいもう一杯と頼んでしまうのでした。
2015/03/25
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井荻駅にやって来ました。毎度同じことを語っていますが、西武新宿線はさほど遠くないのにも関わらず、ウイークポイントとなっている沿線です。 最近の新宿線散歩で徐々にわかってきたのはこの沿線には、古い店舗が案外現役なこと。沿線の発展はせいぜいが戦後以降のことなのでしょうが、それが逆に幸いしているのでしょうか、むしろ初代が開店当時の佇まいをそのままに留めているようです。線路沿いをぶらぶら歩いていると、見逃せないオンボロ佇まいの「中華料理 鈴や」がありました。まったく空腹ではないのですが、中華料理店なら餃子はあるに違いありません。勇んで店に入ると先客1名。店主夫婦と愉快に話し込んています。使い込まれたカウンターは飴色というよりはもっとずっと辛い思い出も染み込ませていそうな深みがあります。出てきた餃子は出しておけばいいという市販の100円餃子みたいなのが多い昨今の中華店とは一線を画す美味しさ。休日の昼間、静かな古い中華料理店で餃子を肴にビールを頂く喜びといったら。つい日本酒にまで進んでしまいます。
2014/10/18
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上井草駅にははじめてやって来ました。西武新宿線は、わが家からは距離は近いのですが、乗り継ぎを考えると距離に比して運賃が馬鹿らしいほどに高く感じられるという理由であまり歩かずにいたのでした。そうとばかり言っていても運賃が安くなるわけでもないので休日の昼下がり、思い切って出かけることにしました。自宅を出てからふと思い立ち、改めて地図を眺めてみると自宅からも便のいい西武池袋線の石神井公園駅からでもせいぜい2km程のようです。憑き物が落ちたように新宿線への抵抗も消え失せました。というわけで向かうは上井草駅方面です。規模は小さいものの、味のある町並みが残されています。 駅のそばには「コーヒーとサンドイッチの店 カリーナ」がありました。ああ、ここ知ってる、お土産にサンドイッチを購入、脇にある喫茶コーナーに入ってみました。カウンターに6席だけの慎ましいお店ですが、コーヒーは休みなく訪れるサンドイッチを求める客たちの対応に追われながらも、キッチリとサイフォンで淹れてくれます。朝は5時50分からの営業と、出勤前に朝食にサンドイッチとコーヒー、ついでにランチをテイクアウトするなんてお客さんもいらっしゃるのでは。 そんな駅の真正面の地下に「いろり すずむら」があります。休日の夕暮れ前ののんびりとした一時に店を開けていてくれるとはありがたいことです。階段を降りて扉を開けると枯れた民芸調の店内です。開店したばかりの店が民芸調の造作である場合、その薄っぺらさばかりが目立つわざとらしい雰囲気に嫌悪を感じることも多いのですが、こちらのように使い込まれることによって角が落ちてくると途端に魅力的に感じられるのは不思議なことです。この時間帯には地元の野球チームの打ち上げなんかの現場に出くわすことがしばしばあるものですが、この日は30歳前後の学友の集まりのようで、やかましさは大差ありません。それでも彼らは奥の座敷、手前の離れた場所にあるカウンターまではそう声も響いてきません。大量のあら煮280円を啄みながら呑むとついつい酒が進みすぎてしまいます。満足してお勘定すると、やけに元気でマイペースな店のばあさんが電卓を叩くのですが、弾き出された数字と請求する金額が明らかに違ってます。んっ、おかしいんでないのという表情をしてみせると、目が悪くてごめんねだって、これは良くないね。
2014/10/04
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近頃めっきりハマってしまった阿佐ヶ谷ですがまだまだ行きたい酒場があります。まるつきり阿佐ヶ谷の酒場は、ドコドコが素晴らしいのであるという考察をしたわけでもなく、今後もそんなどうでもいい事にかまけている暇はなし。気に入ってしまったらそれなりに満足するまではひたすら通ってみるしかあるまいというのが今のところの結論。そのなんとなく満喫したという気分が一旦満腹になるとまたその街から遠ざかってしまうのも分かっています。 最初にお邪魔したのは「燗酒屋」でした。ここはそれこそ5年近く前から来よう来ようと思いながら次にしとこうと敬遠しつっけた店なのでした。日本酒を食に据えた酒場は高いものだと思い込んでいたのです。実際店に入って最初に目にした品書は安くはありませんでした。でもその思いは女将さんの若くとも天職とも思えるような応対の見事さにゆっくりと解けさせてくれたのでした。予算限られる御にあって目に止まった肴はしんじやがてした。もともとは肉じゃが用に用意されたしんじやがをそのままたべたい、塩だけ付けてねと頼んだビンボーなぼくに嫌な顔一つ見せずに応じてくれるのでした。実際新じゃがに塩を付けて食べる素朴なのって大好きなのでした。お隣さんは4つ、そのお隣はさらに6個と準備していたしんじやがはすつかり捌けてしまったのでした。 気分良くなり「大八」なるお店に伺います。う~ん、客入ってないなあ。どこも賑やかな阿佐ヶ谷で閑散たる光景を目の当たりにすると突如不安になるものてす。見たところごくごく王道の昭和酒場ーいかん昭和なんて言葉使うつもりなかったのにーです。客の入りは今ひとつですがぼくは大好きです。単にボロいだけで、特別売になるような肴があるわけでもなく、オヤジもかなり横柄な態度と書いていてもネガティブな表現ばかりが、浮かんでくるわけですがそれでもやはりこういう土地にしがみついて商売を続けてきたような酒場に愛を感じずにはおられません。まあ、そうじゃなけりゃ酒場巡りなど続けられるわけもありません。すつかり酔ってでかい態度のオヤジとも渡り合えるようになる、この瞬間この店にはまた一人常連が生まれたようです。 ちょっと阿佐ヶ谷にハマり過ぎたようです。中央線沿線にはまだいくらでも行っておくべき酒場がありそうです。そんなこと分かってるんですが果たして阿佐ヶ谷を脱出して荻窪やら高円寺に下車することができるものやらー何度も行ってるくせにー不安です。
2014/06/10
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阿佐ヶ谷の楽しさにはまりました。中央線沿線のその実力は知らぬわけではありませんでしたが、いつか中央線沿線の住民になれることに憧れながらも、その実、この沿線独特の田舎臭さ―実際、かなりの住民が地方出身者で〆られているのではなかろうかと思われる―には、何かしら愛着を持ちきれない気分もあるのでした。それでもきっと同じ地方出身者のシンパシーが通じ合うこともあるのでしょうか、この町の酒場は実に気分がよかったのでした。そんなわけでまたもや阿佐ヶ谷を訪ねてしまうのでした―こういうにわかブームがぼくの飽きっぽさを醸造する温床となっていることにも気づいているのですが―。ともあれ、もうちょっと阿佐ヶ谷の深部に浸ってみたいと思うのでした。 まずは数多くの酒場本にも紹介される「焼鳥割烹 川名」にお邪魔してみることにした益した。中央線沿線から北に2キロほどの北側を並行して走る西武池袋線の沿線にも同じ屋号のお店が2軒あります。実際にはもっとあるかもしれませんが、これまでお邪魔したのは西武線沿線の2軒のみ。それぞれのお店同士の繋がりは謎です。各店の距離感を考えると何らかの関連があることは恐らくは間違いないことだと思われますが、確認は取れていません。この阿佐ヶ谷の「川名」にも当然何度かトライしていますが、評判通りの人気ぶりでこれまでも何度か訪れてはいるもののいずれも満席ですごすごと他店に流れざるを得なかったのでした。この日は夕方早くに訪れることができ、無事入店が叶いました。早いと言ってもとっくに呑み始めている方たちも多く、入れ替わりに席を立つ方もいるほどです。昭和46年創業ということらしく40年以上もの間、阿佐ヶ谷の居酒屋界を牽引してきただけの実力を目の当たりにさせられる思いです。名物の店先で焼かれる串焼をあれこれ注文し、ビールを呑んでいると半端になったワインをぐい呑でサービスしてくれます。さらにはカジキマグロの干物を炙ったのをふるまってくれるなど、ちょっとしたことですがこうした心配りが大層ありがたく感じられるのでした。下ネタ満載の奉仕品なる短冊もそうしたお客さんを楽しませるための工夫だと考えると堂々と読み耽って笑ってみたくなるのでした。ここはお客さん重視のエンターテイメント酒場です。 駅に引き返していくと「太福」という大衆食堂がありました。サッシの引き戸が安っぽくていかにも食堂らしくてつい立ち寄ってしまいます。広いコの字カウンターのあるお店で半分程埋まった席には食事目的の客はおらず、みな愉快そうに杯を傾けています。焼き魚にちびちびと手を着けながらぼくもまた喧騒の中、不思議と愉快な気分になって愉しく呑んでいたのでした。
2014/06/03
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どこに行ってもいつでも久しぶりと言っていますが,近頃年を取ったせいか1年も経つと随分日が経つたように感じられるようになりました。阿佐ヶ谷はステキな純喫茶も多く駅の周辺には迷路のように商店街が張り巡らせるまったくもってぼく好みの町なわけですが、余りに身近過ぎでつい後回しにしてしまうのでありました。あと中央線文化の中心ということがもたらす偏見もあり若者が我が物顔で闊歩して、酒場も騒がしいという思い込みも阿佐ヶ谷を遠ざけてしまう一因となっていました。さて今回はあえてあまり足を向けぬ南側エリア、その中野寄りを目指しました。 線路沿いの路地は飲食街となっています。不覚にもこの通りのことはこれまでちっとも知らずにいました。知らないことはちょっと恥ずかしいものの知らない飲食街を歩けるのはウレシイモノデス。おっ、早速よい雰囲気のもつ焼店がありました。見てくれから自宅を改造したカウンターだけのこぢんまりしたお店です。手前には常連さんたち席を確保しています。巨体の店主は体格にそぐわぬ優しい声で裏に回ってと裏口から入るように誘ってくれました。早速品書きをチェックします。うぬぬ、飲み物が500円といい値段です。コスパを重視してしようちゆう、をロックで。トイレの場所は知ってます。裏口にありました。離れの便所ってぼくの人生では経験ないので見かけるとつい入りたくなります。飲み物は高くとももつ焼はすべて80円とお手頃です。しかも変わり種も同額でトマト巻や豚バラピーマンなどがあってつい注文してしまいます。いずれも焦げ付きが目立ちますが味はよかったのでした。「もつ焼 たかぎ」というお店でした。 更に先に進んだ脇道に逸れると袋小路に呑み屋が10軒程固まっています。袋小路と書きましたが突き当りには抜け道もあって酒場好きの琴線をくすぐってくれます。そんな絶好の立地にある一軒が「大衆酒場 春日」でした。開店したばかりのようですが早くもお一人が呑んでいます。夥しいまでに張り巡らされた品書きの文字は感心する程の達筆ぶりで判読に難渋するほどなのでした。魅力的な数多くの肴から選んだのはごく定番の鮪のヌタでありました。これが大正解、定番なのに職人の腕を存分に感じとれます。突出しの何気ないきんぴらからもその丁寧かつ繊細な技がうかがい知ることができます。更にはその量のたっぷりなこと。しかも主人も女将さんも至極愉快な人柄で何彼と話し掛けてくれますー主人の趣味は卓球らしく後で来られた常連さんと卓球談義に花を咲かせておられましたー。ぼくの話題はどうしてだかやくざ映画になってしまいました。大いに盛り上がりいい気分で御勘定したらラピュタ阿佐ヶ谷のチケットを二枚くださったのでありました。その一枚はやくざ映画の脚本家、高田宏治特集のチケットなのでした。
2014/05/22
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とある休みの日の日中に代田橋を散歩です。代田橋というと沖縄タウンのある町としてすっかり定着していますが,もともと沖縄出身者や沖縄料理店が多くあったそうですが,街おこしの一環として平成17年頃から沖縄チックな街造りを始めたということでさほどの歴史があるわけではなさそうです。まあ,こういう個性的な街を造ろうという取り組みには共感しますけど。 そんな商店街にひっそりと営業しているのが「第一食堂」です。昼食がてら寄り道してみることにしました。昭和36年創業と町が沖縄タウンとして変貌するはるか以前から地元に根付いて商売されてきた老舗食堂です。中華がメインですが,さばの味噌煮などの和風総菜も揃っており,昼酒にもぴったりです。加えて沖縄タウンの一軒としての協力も惜しまず,オリオン缶ビール:400円,ゴーヤチャンプルー:500円,ゴーヤの酢のもの:300円なども提供しています。ご高齢の夫婦でやられているお店は,お邪魔したのは初めてであるにも関わらず,かつて訪れたことがあるかのような安心感に包まれており,ほっとさせられます。商店街では歳末の福引なんかをやっているようで,抽選補助券をいただきましたが残念ながら結局使わずじまいとなってしまいました。
2014/01/24
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代田橋というと沖縄タウンがある町として知られており,何度か行ったことがあるもののそれはむしろ古い建物なんかが残っているからで沖縄タウンを目的にしたことはありませんし,第一,横浜市鶴見区のものと比べるとやや寂しい観は否めません。盛り上げようという機運に水を刺すことになっては申し訳ないのであまり悪くは言いたくありませんがもう少しなんとかならないものかと老婆心ながら思ってしまいます。 急に思いついてやって来たのでまるっきり当てずっぽうに歩き回ることにします。土地勘はあるのでさほど苦労なしに酒場と出会えるものと楽観しています。できることなら「ハシゴマン」で紹介されてぜひ行ってみたいと思った店名さえ覚束ない店に辿り着けたらラッキーです。 いとも簡単に辿り着けました。「升屋」です。テレビで見たのとなんだか印象が違います。テレビではもっとくたびれた様子だった印象がありますが、案外きれいで新しい感じがします。放映後に改装したんでしょうか。コの字のカウンターも想像していたよりもずっと広い気がします。だからといってけしてけして悪い店ではなくて気持ちよく酒を飲ませてくれるんですが、いかんせんお客の入りが悪くて酒場らしい活気にはやや欠けるようです。たまたま空いていたのだと思いたいものです。品書:ホッピー:400,煮込豆腐:330,ハムエッグ:350,くじら刺身:500 続いては「居酒屋 ゆう」というお店。若い店主がひとりでやっている狭いカウンターだけのお店でした。お客さんは女性2人組とおっさん2名。いずれも常連さんらしく楽しげに会話を交わされています。店主のお兄さんは一見でひとりのぼくに気を使ってくれて時折会話に引き込んでくれたりしてなかなか気が利いています。まあ気分が向けばお気遣いいただかなくても勝手に会話に割り込んじゃったりするんですけどね。こういったお店なので孤独に酒を味わいたい向きには逆に気疲れしてしまうこともあるかと思いますが、独りきりの夜に誰かと愉快に過ごしたい方にはもってこいのお店です。ぼくはどちらかというと酔客の姿態を眺めながら過ごすのが好きな性質なので、自らが酔客にならないうちに引き揚げることにしました。みなさんはこの後もずるずると飲み続けたのでしょうか。
2013/02/25
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23区の西部に位置する杉並区は自然豊かで閑静な住宅地という印象です。多くの文化人が在住していたことも広く知られており,その時期は関東大震災後ということです。その大部分が武蔵野台地の上にあるためのっぺりとした町並みが広がります。鉄道では西武新宿線や京王電鉄なども通りますが,JR中央線の高円寺駅-阿佐ヶ谷駅-荻窪駅-西荻窪駅の周辺に商業地が集中しています。 中央線沿線の各駅も居酒屋本などでは多くページを割かれていますが,まだまだ回りきれていないこともありますが,それにしても気に入った酒場は,荻窪駅周辺ばかりとなってしまいました。西荻窪駅周辺はほとんど巡れていないため今後訪れる機会を設けたいと思っています。阿佐ヶ谷 可わら ガード沿いの飲み屋街(「おでん 米久」はけっこう好き)を抜け,さらに住宅街を進むと看板のない酒場とは思えぬ様子の一軒家があります。うっかりしていると見過ごしてしまいそうなさり気ないお店です。昭和58年創業の「可わら」は荻窪 もつ焼き専門店 カッパ 昭和53年創業の荻窪の飲み屋街の一軒。この飲み屋横丁のヤミ市風の風情がたまらなく楽しいですね。以下の4軒はすべてこの界隈になります。「カッパ」は白い電飾看板や外に開かれた店の構えなど,どことなく情緒に欠けているように感じられますが15人程度の座れるコの字カウンターに腰掛けると一気に酒場感が強まります。威勢のいい店主と従業員の人たちも気持ちいい。荻窪 立飲 やき屋 いか料理がメインという変わった立飲み屋。明るい時間でも照明が抑えられて薄暗い店内は常連さんでびっしりです。ちょっとおっかない主人と女将さんのお二人でやっています。常連さんの中にとても愛想のいいおじさんがいていろいろ話しかけてくれます。でもこの店と中野にある「やきや 中野店」との繋がりをお聞きするとなぜだか口を濁していましたね。聞いちゃいけなかったんでしょうか。荻窪 冨士食堂 横丁の中心にある昔ながらの下町食堂らしい店構えがうれしい。暖簾の下がった古い入口ときれいな看板のある新しい入口があって,もちろん古い入口から入店します。特別どうということもない普通の大衆食堂ですが,この立地にあることが点を甘くしてしまうようです。荻窪 田中家 本当に渋くてほれぼれするような一軒家の食堂があります。横丁のはずれに控えめに建っている,昭和32年創業の「田中家」です。赤提灯も派手な看板もなく,大きな白いのれんがあるだけです。L字のカウンターには10名も入ればいっぱいになってしまいそう。ところがカウンターの中からひとつづきの厨房がえらく広くて,肴を作る毎に度にお年を召した女将さんはカウンターと厨房行ったり来たりされていました。
2011/12/17
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