北海道 0
四国地方 0
九州地方 0
商店街 0
全453件 (453件中 101-150件目)
ぼくが酒場巡りという底なしでありかつ興味の尽きることのない趣味、いや生き甲斐を見出した酒場の一軒がかつて松戸にありました。その店に屯する客たちはやさぐれた風体のオヤジたちばかりだったし、そんな客たちを顎であしらう強面の女たちが店を支えていたのでありました。まだまだ未熟者であったぼくにはこのハードボイルドなムードは敷居が高すぎて、かなりの気合と膂力、そして経験値を要したから、気軽に立ち寄れるようになるまでは数年の歳月を要したのでした。っていうか本当は行きたい酒場が多くてなかなか立ち寄る暇がなかったのですけど。とにかく「開進」というおよそ酒場らしからぬ前向きな店名を冠するお店だったのです。すでに閉業してしまったから構わないかと思うけれど、そこに屯していたのはどう贔屓目に見てもそんな店名に見合った野心や向上心を持ち合わせる人々はおりはせず、精々がギャンブル、ここだと北松戸の競輪で一花咲かせてやろうじゃないかという程度の意気込みを放つ程度だったのであります。まあ、つまりはいかにも酒場らしい酒場だったわけで、焼場の前で立呑みできるようにもなっていたから、その日の勝負次第で使い分けていたりした時代もあったのかもしれません。とクドクドしく今は無き酒場について書いてきましたが、まだ本題には入らぬのであります。次は喫茶店についても触れておかねばならないからです。「純喫茶 若松」は、ぼくが喫茶店巡り―近頃はめっきりサボり気味ですが―を初めるきっかけとなった一軒でもあるのです。いわゆる和風喫茶に分類されるお店だろうと思いますが、その大胆かつ異化作用を徹底して活かした店造りには感動とともに少しばかりの恐怖すら感じたものです。この喫茶の下のフロアーにいつの間にか開店していたのが今回報告するお店なのでした。 前置きが長くなりましたが、「開進」跡地にできた「神鶏」の姉妹店という「松戸 神豚」でありました。店名に神の一字を関するとは相当な鼻息の荒さであります。鶏の方は一度お邪魔した限りの感想とはなるけれど、さすがに神は言い過ぎだと思うのです。でもまあ、この神の意味するのが神掛かった旨さを意味するのかは確認を取ったわけではないから迂闊な事は言わないけれど、神を思わせる余地は少なくともぼくには見出だせなかったのです。さて、神を冠する豚の方はというと、清潔で居心地の良い店内はなかなかに快適でありましたが、店の方達の対応が早々と常連の座を手に入れた猛者たちとは確実に一線を画しているように思われるのだ。つまりは、とても素っ気なくて一方では常連とは実に楽しげで打ち解けて感じられるのです。その一割でも愛想を振りまいて貰えたら随分印象は柔らかくなったように思うのです。ただ女性の従業員の方だけはお喋りというだけの時間を過ごさせていただいてはいませんが、フレンドリーな雰囲気でした。さて、写真を見てもらうと一目瞭然なので、ここは胡麻化したりせずに正直に告白すると豚自慢のお店に来たくせにほとんど豚料理を摘ままなかったのであります。これで店の良し悪しやらを語るのは相当無理があるし、店側にしてみたらいい迷惑でしかないだろうと思うのだ。それより何よりこちらをお気に召して通っておられる方たちに礼を失することになろうと思うのだ。だからこれ以上は語らぬつもりですし、それよりも次にお邪魔することはよほど良い評判を耳にしない限りは恐らくなかろうと思うのであります。
2020/09/23
コメント(0)
松戸では、いつも呑み屋選びに苦労すると常々申し上げてきましたが、その杞憂を掻き消してくれる可能性のある一軒と巡り合うこととなりましたので、謹んで報告を差し上げることにしました。松戸という町は不思議な位におとなしい町で、そりゃまあ確かに駅前、東西のいずれもに多少なりとも酒場はあったりもするわけです。でも都内から思いの外に至近であるにも関わらず、その数はかなり少ないと思うのです。明らかに需要に供給が追い付いていないという状況が長年続いたため、歓楽街と呼べる規模の地域が形成されるまでには至らず、その機能はむしろ常磐線快速で一駅先の柏に譲り渡した格好になってしまっているように思われます。まあ悪くない店も松戸にだってあるにはあるけれど、主に金銭面の理由から不定期ながら通うのは「上州屋」と「かがやす」位のものなのでありました。飽きっぽい性格のぼくにとってはさすがにこの二軒で回すのはキツいのであります。せめてもう一軒だけでもそこに加えることができたなら、松戸への愛着も芽生えるかもしれぬのに。 お邪魔したのは、「生そば 多喜」であります。松戸駅西口の駅前大通りを常磐線と並走するように流れる坂川を渡す一平橋を越えていくとすぐに何度かお邪魔している「金太桜鮨 松戸駅前通店」がありまして、そのすぐ先に微塵とも風情を感じさせぬ蕎麦屋があるのでした。この蕎麦屋の存在はかねてより知ってはいたのですが、この見た目だからねえ、なかなか入ろうとは思えぬわけですね。でもこの日は、先述したお気に入りの二軒が満席だったので、やむなくこの奥地に入り込もうと思ったわけです。実は一軒気になるお店があったのです。でも同行した男が腹が減ったと愚図りだしたのでじゃあということでここにお邪魔しました。表面は住宅街のスナック風でありますが、店内は枯れた食堂風で殺風景なところなど工場とか役所の食堂のようでもありこれはこれで大いに好みとするところなのです。さて、品書きを開くとそば・うどんに定食メニューがずらりと並ぶけれど、裏面に記載の酒の肴と各種酒類の豊富さに驚かされ、そしてその値段にさらに驚愕するのでした。何といってもうめにレモン、ウーロンハイが250円なのだから。この驚きは歓迎すべき事態であるといえましょう。しかも口をつけて判明するのがこのサワーのとんでもなく濃いところです。肴も250円から揃っており、焼き魚が豊富なのは嬉しいところ。400円のレバニラなどすっごいボリュームで味も悪くないのであります。ついあれもこれもと頼みすぎてしまいそばまで辿り着けぬということになりかねません。われわれもそうなりました。酒は翌日少し残るようなそんな焼酎でしたし、食材も冷凍庫を活用しているようではありますが、そんなことは些細な瑕疵に過ぎません。お手頃に確かな味付けがあれば多少の素材のコンディションに難があろうと支障はないのであります。今度は食事をメインに呑みに来てみよう。それが正解なら、無敵ではなかろうか。
2020/09/17
コメント(0)
北松戸の奥地、駅から歩くと十数分、工場街を通り抜けバス通りを越えてさらに行くとほぼ住宅街という様相を呈してくるわけでありますが、そんな場所に民家を店らしく装おうとDIYしてみましたっていうようなお店があることは知っていました。この界隈には単なる民家が店をやっているというベットタウンにありがちな店らしからぬ店が数軒あるみたいのだけれど、でもその一軒の「う奈ぎ道場」が営業しているのは見たことがありませんでした。だけれどもですね、そんないつも閉まっているはずのお店が知らぬ間に食べログの百名店に選出されていたのですね。なんともまあ驚かされます。驚いたから物は試しと行ってみたかというとうなぎが相手となるとおいそれとは手出しが出来ぬのであります。鰻と寿司は日本のメジャーな食べ物だというのにうかうかと立ち入れないようになっているのが困ったものであります。 でもそこからそう遠くないところにある「銀八寿司」ならば、試してみたいとずっと思っているのでした。寿司と焼鳥とが同居しているとは一体どういうからくりになっているのか、興味が尽きぬところだし、この構えならそうそう暴利を貪ることもないと思われるからです。 この夜は、友人と一緒だったので、上の寿司屋へと連行したのでありますが、ぼく以上にびびりで吝嗇な彼は激しく入店を渋るのでありました。ならば仕方がない、随分以前に一度だけお邪魔している「利兵衛」に入ることにしました。印象はそう悪くなかったけれど、お値段に難があるというようにぼんやりと記憶していました。そして、その記憶は誤りではありませんでした。見るからに渋い居酒屋という印象は店内に入ってみても変わりなくこの点は悪くありません。知らずにこれぐらいの雰囲気の店に遭遇していたなら、その夜は満足感を抱いて眠れるはずです。でもまあ一度訪れていて凡そのムードはわかっていたので、その分、良い点よりも悪いほうに目が行きがちです。で、久々に行ってみた感想ですが、肴は記憶していたより旨かった、特に手羽の唐揚げはとてもよかったのです。これに関しては値段においても安くはないけれど量が立派だったから問題はない。問題なのは酒であります。酒はいささかにお高くはないか。これは惜しい。こうした駅から遠隔の酒場というのは得てしてこういうパターンが多いようです。というのもボトルでキープするというのが一般的になっていて、量り売り的な呑み方をするといかにももったいないことになるのです。なので、一升瓶の焼酎を抱えた女性グループなどに逆に支持されるのだろうと思うのです。けち臭いことを言う位ならぼくも居場所を定めたほうがいいのでしょう。
2020/06/24
コメント(0)
初めて松戸駅前に降り立った方には、今の松戸はかつて日光街道の宿場町として賑わった事など、ほとんど見る影もなくなってしまったかのように感じられると思うし、実際その観察はそう外れてはいないと、それなりに松戸を知るぼくでも思ったりするのであります。旧日光街道を歩くとそれはまあ古い和菓子屋や呉服店なども見る事ができるし、おっとり刀に過ぎるが市も重い腰を上げて観光面で何とか生き残りを図ろうと試みているかのような形跡も認められはするけれどいかにも残された遺産が少なすぎるようです。加えて町には再生に向けた活力も欠如しているようで、居抜きでたまに新しい店舗が開店することはあっても、新たにビルが建ったなんて久しく聞かぬのです。古いものからも新しいものからも見放されてしまったかのような松戸の町はこの先、衰退が待ち受けるばかりなのでしょうか。やはり松戸の町というのが地理的に猫の額のような狭小さを余儀なくされた以上、そして半端に交通の便が良いばかりに人は町の繁栄よりも安定した生活環境の確保に価値を見出すことになったのかもしれません。ぼくにそんな印象を懐かせる松戸ですが、老舗の料理店も多少は残っています。天ぷらに始まり、そば、寿司と勢力を拡大してきたようてすが、それはまあここでは置いておくこととします。詳細は公式ホームページに当たっていただけばより正確なはずです。その内、寿司では一度宴席の際にお邪魔する幸運に見舞われています。しかし、本命の天ぷらと蕎麦にはこれまで機会に恵まれませんでした。ここはもう自腹を切ってでも訪れるべきと考えていたところに蕎麦屋出会うという好機が到来したのであります。「そば処 関やど」は、瀟洒な和風建築の一軒家で駅前とはお前ぬ風趣な構えでチンピラ中年を寄せ付けぬ佇まいなのです。店内もぼくが普段出入りしているような枯れた蕎麦屋とは違って、懐石料理店―ほとんど行ったことはないけれど―のような雅な雰囲気を讃えていて、独りだと落ち着かない心持になったであろうけれど、大人の連れがいれば心強くて堂々と振舞えるのでありました。大人の連れというのは懐が大人ということで、品書きを眺めて己の懐を気にするようでは気分良く過ごすのは難しかろうと思うのです。それでも余りに贅沢させてもらうのは気が引ける程度の分別は持ち合わせているので、お銚子をもらってそこにそば味噌があるのを見ると、他の蕎麦前は自制することにしたのです。さて、天婦羅そばを注文しました。かつては、蕎麦は盛りに限ると冷たい蕎麦こそが王道と決めつけていましたが、今ではむしろあったかい蕎麦が好みです。湯気を立てる蕎麦の香りはぼくなどのような味覚音痴にも直接に働きかけてくれるからです。その汁に乗っけられたここの天婦羅はユーモラスです。マリモのような球の中にプリプリしたエビが数尾紛れ込んでいて、これが汁に溶け出してくるのが溜まらぬのです。さて、お客さんが来られました。おばあちゃん一人での来店で、にごりのお酒を注文し、静かに嗜んでおられて実に様になっています。続いては夫婦連れが、蕎麦を召し上がりに来られました。ぼくのようなぼうやなどいない大人な雰囲気で、たまにはこういう静寂で呑むのもいいものだと陶然たる気分に浸ったのでした。
2020/06/23
コメント(0)
チェーン店で呑むのはどうも味気ないという意見は極めて凡庸だけれど、それをはっきり否定できる人もそう多くはないはずです。いや人によっては、見知らぬ土地で海のものかも山のものかも知れぬような酒場に飛び込む事に躊躇する人も少なくないのかもしれません。味気のなさより安全を優先するのは、退屈だけれど実は合理的で大人の態度と言えるのかも。しかし、ぼくがもし仮にそういう店に通い詰めとしたら理由は2つしかなさそうです。一つは各メニューがトンデモなくお手頃であること。もう一つは非常に魅力的で愛想のいい異性がどの店舗にも必ずいてくれたりするなら、しょっちゅうってことはないだろうけれど、たまには足を向けることはありそうです。でもそれには言うまでもないけれど一つの最低条件があって、それは酒を呑ませる店であるという事なのですが、この夜訪れたチェーンの立ち食い蕎麦店には、呑ませる店と呑ませぬ店があるらしいから、事前にネットで確認しておく程度の用意は欠かせぬのです。だってねえ、呑めると思って入った店でいざ席に着いたら酒がないなんてことになって、それを聞かされたからって席を立つわけにはいかぬから、やむなく何かしら注文する事になり、無駄ではないけれど想定外に腹をくらますことになるのは切ないことです。実はつい先だって入ったとある町蕎麦屋で席に着いておもむろにビールを頼んだらうちはアルコールないの、お酒呑みたいならよそに行ってと冷ややかに告げられたばかりなのだ。で、やはり席を立つことが出来なかった。注文したカレー南蛮そばが抜群だったので、少し残念だけれど後悔はなかったから良いようなものの、これがチェーンだとしたらやはりかなり虚しいと思うのです。 センベロ酒場に照準を絞って精力的に情報を発信し続けるぼくの酒場ライフ(の一側面ではあるけれど)にとって大いに依拠しているセンベロ.netさんで「ゆで太郎」がお手頃な―500円でドリンク1杯と天ぷら2個だったかな―セットがあるということをチェックしていたのでありました。どうやら松戸本町店でも酒の提供があるらしいから、それじゃあまあちょっと行ってみるかと思い立ったのでした。「ゆで太郎」は比較的ちゃんと昼食を取っていた時分にそのお安さで時折利用していて好感度は高めのチェーン系立ち食いそば店だったので、常々試してみたいと思っていたのであります。店に入った時点で可愛い子はいないことは確認しました。何といっても店の方はおっさん二人だけだし、客もやはりおっさん一人だけ。まあそれは想定内だから気にはすまい。肝心なのは値段である。ドキドキしながら券売機を眺めると、ムムム、少しも安くないではないか。缶ビール350mlが340円だったかしら。もう無理して呑む気もなくなったけれどでもせっかく来たのだからと思い直し、かき揚げにカレーのルーをいただくことにしました。まあ、こんなもんだろうなという味であります。味には文句はないけれど、こちらも値段はさほど手頃とは思えぬのでありました。がっかりさせられたなあ。 帰り際に「そば処 関やど」を通りました。松戸にはちょくちょく来ていて、ずっと気になっていたのです。せっかくならこちらに来て呑んでみたいものだなあ。という希望が案外すぐに実るのでありました。
2020/06/18
コメント(0)
みのり台は、近頃お気に入りの新京成線の駅であります。松戸駅からも3駅目と至近でありまして、千葉というイメージはともかくとして、都内といっても都心からかなり遠隔の土地も少なくないことを思えばかなり利便な場所ではなかろうかと思うのですが、それは松戸慣れしたぼくが思っているだけなのかもしれません。人が住居を決める際には何かを優先したら逆に何かを犠牲にせざるを得ないものなのです。そんなことは住居に限ったものですけれど、そこはまあ一般論に留まることにしたい。さて、まあぼくには使い勝手良さそうに語ってみせたみのり台でありますが、だったらもっと頻繁にこのブログに登場しても良さそうなものですが、そうはならぬのは便利でも交通費が掛かるからでありまして、なるべくなら呑み代以外の出費を控えたい身としては、基本的に倹約の精神をモットーとしたいのです。世の人々がわずか一駅だけに運賃を支払うのが怪訝に思えるのです。それが特に均一料金の都バスや都電で短距離で下車する感覚が理解し難いのです。という話しはしだすときりがないので唐突に打ち切るのでした。 それにしても「のぶさん」なんて、素敵な酒場があったのを知らずにいたなんてホント不注意な男だなあ。だってねえ、先日初めて訪れた駅北側ならともかくとして、南側の車通りを越えるとすぐにこの酒場があるのだから見逃すほうがどうかしているというものです。ぼくは除外して、多くの酒場好きたちがみのり台に呑みに訪れたとして、最初に目を付ける一軒がこちらであろうことは想像に難くないのです。それだけのオーラをこちらのお店は纏っているのであります。カウンター席のスツールはスナックとか喫茶店っぽいもので、古い酒場にはこういうのが案外似合います。びっしり埋まったカウンター席はだめだからと通された奥にある無理やり設けたような座敷は子供だったら騒ぎだしてしまいそうですが、実際にいる客はアダルトな世代ばかりなのでした。酒の肴は非常に充実していてつい目移りしてしまうのだけれど、実は座敷からは見えない場所にさらなる品書きがあるらしくこちらがこの夜のお勧めらしい。一品一品の作る量は少ないようで品切れが続いた何品目かで巡り合えたのが、見た目にも可愛い肉団子なのでした。最近酒を値上げしたようでそれが少し残念だけれど、大衆酒場らしい活気と女将と息子夫婦(かな?)という店の方の愛想の良さもあってとても満足度の高いお店だったのでした。
2020/06/09
コメント(0)
近頃お気に入りの新京成線沿線の町でありますが、松戸新田駅―松戸駅からは二駅目―は松戸の中心から近過ぎるためかどうも冴えない印象なのです。というかそもそもにおいて松戸駅は今となるとたかだか松戸における中心とも呼び難い町へと陥っているのではないか。その要因の一つとして、唯一の百貨店であった伊勢丹の閉店が松戸駅を都心からの単なる玄関口に過ぎぬという地位へと貶めたのだと思うのです。例えば常磐線各駅停車のお隣の駅である金町の人が松戸を訪れる機会は間違いなく減少したと思うのだ。都心に向かうのが面倒ならきっと松戸を通り抜けて柏に向かうのではないだろうか。松戸のことを馬鹿にしているわけではないのです。松戸にだって秋山駅、上本郷駅、北小金駅、北松戸駅、幸谷駅、小金城趾駅、五香駅、新松戸駅、新八柱駅、常盤平駅、東松戸駅、松戸駅、松戸新田駅、松飛台駅、馬橋駅、みのり台駅、六実駅、元山駅、矢切駅、八柱駅と20もの駅があるけれど、こうして挙げてみると今ひとつ冴えない町が多いなあ。それでも新松戸駅、新八柱駅・八柱駅、常盤平駅なんかは松戸駅と同等の町の規模があるように思えるし、いまいちといえど中心を失った町となってしまったようです。その傾向は、相模原市など都心近郊にちょくちょく見られるようで、特段騒ぎ立てることでもないのですが、こうした中心を失った地域のあまり知られぬ駅などはここに駅を設けた理由を疑問に思うような閑散とした駅前も少なくないものです。この夜にやって来た松戸新田駅もかなり面白味のない駅で、商店や飲食店が少ないのは仕方ないとしても一軒や二軒の古酒場があってもいいんじゃないかと思っていたのでありました。 古酒場こそなかったけれど、調べてみると思いがけぬ見逃しがあるものです。駅の新京成線の線路に直角に交わって道路が伸びているけれど、その道路も二車線の田舎びた通りでありまして、両脇に多少は商店などあったりもするわけですが、いかにも冴えない感じなのです。北側をずっと歩いていくと多少は見栄えのする通りがありますが、それを渡ってしまうと農道とはいわぬまでも車がやっと通れるような細く暗い道が伸びているばかりなのです。こんな通りの先に果たして飲食店があるものなのかと不安になりつつストリートビューを信じて進むのでありますが、そうこうするうちに寿司屋が見えてきました。その隣が目指す中華飯店かと胸を高鳴らせたところ、果たして「中華料理 あけぼの」は無事営業していたのであります。こんな住宅街奥の目立たぬ立地で、建物など眺める限りでは相当古びているからずっと長いことここで商売を続けてきたらしいことが一目であります。店内も椅子こそ入れ替えされていたりしますが、ほぼ開店当初の面影を留めているようです。赤を基調とした典型的な中華飯店であります。品書は思ったよりも充実していて、一品ものも少なくありません。まずは餃子とあんかけ豆腐をいただきます。酒は品書きがないので、無難に瓶ビールを注文です。まず、この餃子がかなりの絶品。見詰まりがよくて変な臭みなどもなくて肉々しいのに不思議とあっさりといただけます。豆腐は酒の肴にもよいけれど、半分残して白飯はもちろんのこと、チャーハンやラーメンに乗せても抜群な感じです。引き換えホイコーローは500円と手頃ですが、幾分味にひねりがなくて単調な印象でした。結局ラーメンなどの定番は食べ損ねてしまいましたが、ここはやはりそうした出前向けメニューこそが本領でありましょう。初老のご夫婦は言葉少なでしたがまだまだお元気そうなので、いつかまた訪れたいです。今度はラーメンかな。
2020/04/08
コメント(0)
新京成線のみのり台駅は松戸駅から3駅目という上野駅から30分程度で行けるであろうと思われるのですが、そこに降り立ってみると物寂しくなるほどに昔風の駅でありまして、駅のホームの木製ベンチなどは戦後のいつごろから使われていたかは知らんけれど、相当古いもののようで思われます。改札を出ても駅の周囲は舗装もされていないような路地などもあったりと未整備の闇市めいた暗さが取り巻いています。駅を取り囲む辺りの様子は場末っぽくて、それを抜けると閑静な住宅街が広がっているという気配はほとんどなさそうに思われます。南側も暗いムードを放つ路地や酒場がありますが、この夜は北側に残された場末風の呑み屋街が残されているのでそちらに向かうことにしました。 L字型の立派な呑み屋街で最盛期にはきっと数十軒という酒場が軒を連ねていたことが想像されますが、今現在で店を開けているのは十軒程度のように思われます。今でもやってる店は案外古い店は少なさそうで、ガラスのサッシ戸の安普請っぽい「居酒屋 あんちゃん」がやはり最も気になるお店です。きっとオヤジたちが屯しているのだろうなあ。そして店名にもある店主のあんちゃんが客よりも偉そうだったりするんだよね。といった憶測を胸に店に入ると、意外にもお客はおらず、あんちゃんは男性ですらなくかわいい感じの女将さんなのでありました。焼酎のお湯割りをお願いしたら丁寧に盛り付けられた根菜煮つけのお通しが出されました。種類も豊富で実によいお通しであります。肴の品数はホワイトボードに数種のみでありますが、お願いした玉子焼きは簡単そうで案外自分では出せない熟練の賜物でありまして、添えられた野菜も彩りよくてその心遣いがうれしいのです。店名に恐れを抱かず一度お立ち寄りください。ただし、カラオケもありなので、その点にはご留意が必要です。
2020/04/04
コメント(2)
北習志野に限ったことではないけれど、近頃新京成電鉄に強いシンパシーを感じています。車内に貼られた自社広告に全部はないけど大体あるみたいなことが書かれていて、ふうんなるほどねえ、確かに大仏だってあるもんねえなどとちょっと感心してしまったのですが、そんなちょっぴりと自虐めいた恥じらいに好感が持てるのです。新京成電鉄では「乗りトク!さくら満開おでかけきっぷ」という切符が例年発売されていて、今年は3/6~4/10の3日間が乗り降り自由となって大人1,000円となるからなんとも太っ腹な切符なのであります。果たして3日間も乗り倒すだけの価値がこの沿線にあるかはその人次第ということになるだろうけれど、初めて利用される方なら存分に使い倒すことができるはずです。残念なのが、同時に複数名で利用することができないところで、例えば3人で一時に利用できたらさぞや使い勝手がいいだろうと思うのですが、そうもいかないのだろうなあ。ちょっと割高になっても構わぬからぜひともご検討いただきたいものです。 それはさておき先日、「佳佳苑 北習志野店」にお邪魔しました。近隣住民お勧めの本場系中国料理店でありまして、ぼくの趣味では全くないのですが、そこから5分ほどの場所にある先般店主のぎっくり腰により行きそびれたお店にお邪魔するには少しばかり北習志野への到着時刻が遅くなったようです。店内の様子は至ってオーソドックスな安直ファミレス風なチャイニーズ中華の典型でありまして入る時点からそうだったのですが、すでにこの時点で興味はいかに旨いものに出会えるかに気持ちをシフトさせることになります。四川料理がベースなのだろうか、真っ赤な料理のラインナップがこのお店の特徴でありますが、特にさらりとしたスープの牛肉の山椒辛子煮はなかなかの辛味でありまして、これをソース代わりに浸して食べるとなかなか楽しめます。餃子がやはり分かりやすく美味しいのでした。昔は辛いものに対して激しく執着していた頃があって、どんなに胃腸が拒絶しても汗だくになって食べたものですが、いつしか辛さは酒を呑むのに不向きなものではないかと思うようになりました。辛みを口中から追いやるために次々とのどに流し込むのが果たして呑みの楽しみなのだろうかと疑問を抱くようになったのです。でも、久しぶりに辛いものをガンガン食べて汗など流しながらバンバン呑むのもいいものでした。しかしまあ、ものには限度というのがあって、ぼくにとってここから自宅まではかなりの時間を要するから帰宅時の車中はうっかり寝込まないよう注意せねばなりません。胃腸に負担をかけまくっているからいつどこで炸裂するかには細心の注意を払いたいものです。だったら池袋駅の北口界隈の店に行ったほうがいいんだろうなあ。わざわざ遠出してチャイニーズ中華を食べるのも考えものだなあなんて思わぬでもなかったのでした。
2020/03/27
コメント(0)
唐突ではあるけれどこの日は当て度もなく船橋を散策することにしました。JRでも京成でもこの際どちらでも良いのですが、とにかく駅の南北に向かっては何度も来ているから、まだ未訪の店もあるし、出会い頭にとんでもない凄い酒場やら喫茶、いやむしろ食堂の方が脈がありそうだなあとは思うけれど、この先は未踏であるなんて場所に至るまでを人混みを抜けていくのに何だか嫌気が差してしまい、ならば東西方面の何れかに向かうべきだろう、さて、となると西船橋もしくは津田沼のどちらに向かおうかという選択になってしまったのですが、せっかくなので自宅より遠方に向かいたいという性分から東に向かいひと先ずはJRの高架下を進んだのです。この際、非常にいい感じの誤解を承知の上で書くとするとこれ以上に船橋らしいお店はないというような中華飯店がありました。まだ腹も減ってないし、ここで立ち寄っては散策する意欲は失してしまうであろうという賢明な判断を下したのです。帰りにでも寄ることにしよう。という事できっちり二万歩を越えた程度歩いて引き返してきたのですが、結局のところこれといった収穫もなかったし、その道程で見た光景もちっとも面白くなかったのです。となれば楽しみはもはや先の中華飯店となる訳です。 何たることよ。「天龍」は中休みなのだろうか。もはや普通に通り過ぎてはとても店とは思えぬような見てくれではないか。こういう一見すると店とは思えぬような店こそがぼくの大好物なのであります。見てくれの良い店なら他にも幾らでもあるにも関わらず、好んで店舗としての体裁を備えていないような店の方にとってみると、何だコイツは、好き好んでうちのような決まった顔ぶれ以外に無理して客を取るつもりもない店に来るなんてという口にこそ出さぬけれどありありと伝達されるその感覚には未だ慣れることはできないのです。でもそんな客もいるとすぐに気を取り直して頓着せずに迎え入れてくれて、こういう店で迷惑をかけぬ程度に呑めると本当に感動してしまうのです。その感動は次の機会に譲ることにします。 だからそこから程近い場所に赤提灯を見付けて安堵するのです。それ程に腹が減っていたのです。酒より肴、無論すぐに肴より酒という気分に切り替わるのだろうけれど。という事でいそいそと見事なコの字のカウンターが迎えてくれました。これが誉れ高い「大衆酒場 増やま」だったのですね。外観の愛想の欠片もないやさぐれた風情も堪えられないけれど、店内の酒場はこういうものだという確固たる信念を通した景色にも意識の高さを感じるのです。しかもこの後、北側に新しく開店したという本店を見掛けたのですが、こちらは外観の飾らぬところは変わらないけれど、造りは全く違ってオオバコとなっており、これもまたこれぞ酒場という気概を感じさせるのでした。何れもそんな意欲的な姿勢が見事に結実しているから、多くの客が早い時間から詰め掛けています。自分のことは棚に置いておくけれど、平日の夕方の早い時間から呑み出す船橋の酒呑みたちにも驚嘆させられるのでした。ご隠居の独り呑みも少なくないけれど、サラリーマンのグループが多いのも目に付きます。そりゃまあ毎日のことではないのだろうけど、それにしたって羨ましい。自分だって呑んでるのにね、すぐに他人のことを羨むとはなんとも浅ましくいじましいことよ。なんてちっとも呑んだり食べたりの感想に至らぬのであるけれど、これはもう間違いがないとしか言いようがないのです。店の方もきびきびして好ましいしとにかく酒にしろ肴にしろ定番から捻った品まで研究熱心なことが容易に察せられるのであります。こんな酒場があればもうよそ見などせずとも毎晩こちらに直行すればよいとなる方も少なくないのではないか。このような意識の高い店が増えると酒場巡りの趣味は過去のものとなるのかもしれません。まあ、これ程の人気酒場だから出遅れると入れないなんていう切ないことも少なくなさそうだし、やはりそうした場合に備えての抑えの酒場を見つけるための酒場巡りはまだまだ続けないといけなさそうです。
2020/03/19
コメント(2)
近頃は、集中的に喫茶巡りをする時間を割くことができていません。いや、時間を割いていないというのはちょっと正確さを欠きます。日帰りの旅をする程度の時間はあっても遠方への泊りの旅行をするほどの時間はないので、どうしても都内近県に足を延ばすのがやっとという状態です。それはそれで電車や路線バスの乗り降りを繰り返せば、まあそれなりに方々の町を巡ることができるのだろうけれど、吝嗇家のぼくにはそれはもったいなく思えるのです。めったに訪れぬ町に行くのであれば、生い先長からぬであろう身としてはその行った先で歩ける範囲を歩ききってやろうと考えるのであります。また、生い先を少しでも長引かせるためにせっせと歩いて健康維持に努めんとするいじましい理由もあったりするのです。でもそうした下心はなかなかうまくいかないようで、日中の散策中に当然営業前の枯れた酒場を目撃したり、逆に夜で店を閉めたりスナック営業となっている喫茶店を見掛けたりで、結局改めて訪れて逆コースを辿ることになったり、その一軒だけを目当てに出向くことになったりするのでした。この日は、新京成線の北習志野駅を振り出しに散歩したのですが、ひたすらに空振りを続けて、最終的にはまたも北習志野に帰り着き、朝方見掛けた喫茶に入って終いとなるまったく合理的ではない散策となりましたが、それもまたそれで不摂生もせずに済み、楽しい一日となったのでした。 北習志野駅に到着し、すぐさま一軒目の喫茶に向かったのですが、まだ開店準備中のようです。それほどそそられるお店でもないので、お隣の高根木戸駅を目指しました。途中、この日の一番のお目当ての「天清」さんを通過したのですが、無念な事に、いや本当に無念より辛い思いをなさっているのは店主さんであろうけれど、ぎっくり腰でお休みなのでありました。 高根木戸駅前の緩い商店街にはちょろちょろと喫茶店がありますが、ほとんどが昼カラ営業となってしまっています。昨今の郊外の町にはありがちな現況を見せつけられることになりました。「Jumbo(ジャンボ)」Dinnner Menuとしてカシミールカレーが宣伝されているから古いお店を若い方が居抜きしたのかと思ったのですが、店内からはすでに存分に喉の潤った歌声が響き渡るのでした。「洋菓子 喫茶 エーデルワイス」はすでに店を畳んで久しいようで「お仲間との楽しい語らいの場 どんぐり」として活用されています。「COFFEE & PUB 英」は、東葉高速鉄道の船橋日大前駅からが最寄になるのでしょうか。朝7時からの営業だったのが夜8時からの営業に書き換えられています。言うまでもなく喫茶営業はやめて夜のスナック営業に照準を据えたということなのでしょう。致し方ないけれど、ここはちょっと良さそうで無念です。この店の陰にも「ティールーム 茶2」というのがありましたが、こちらもお休みでした。 船橋日大前駅の近くにとても評価の高いパン屋さんがあるようなので、回り道することにしました。途中、「幸楽」というちょっとよさそうなお店があって、立ち寄ろうかとしばし迷いますが、時まさに昼食時真っ只中、日大の学生さんもいそうなこの地の中華飯店で真昼間から呑むのはさすがに気が引けるからと通過してしまいましたが、この先、この地を訪れることは稀になるであろうと思うとやはり寄っておくべきだったと無念に思うのでした。「ブーランジェリー クー(Boulangerie Queue)」ではハード系のパンをいくつか購入。評判が高いのも納得の優良店でありました。こちらは松戸の有名ブーランジェリー「ツォップ」の弟子筋のお店で、おいしいこともさることながら種類の豊富さも圧巻でした。ここのためにまた訪れる価値があるかもしれぬと思うのでした。 まだ夕方には間がある頃に北習志野駅の側まで戻ってきました。この報告も終わりを迎えようとしているのに、のにのに何たることか、未だ一軒の喫茶店にも入れていないのであります。こういう一日を過ごすと、世間の多くの人たちにとってもはや喫茶店は無用なのではないかという考えが首をもたげて来るのです。確かにこの一日を振り返ってみるまでもなく、日中にのんびりと喫茶店で過ごせるのは有閑なる御隠居さんばかりでありますし、そんな有閑族の誰もが有り余る富の恩恵に預かれる訳でもない。しかもただ喫茶店で黙々と読書するにも細かな活字を負い続けるのは辛いし、グルーブでお喋りするにしても話題は健康のことばかり。同じグルーブ活動ならいっそカラオケでもという考えに至ってもまあ不思議ではないし、実際にそうした需要が高い事は疑いようもないのです。それはこの日、嫌というほどに目撃しているから間違いありません。昼カラは彼らの欲求を満たすと同時に大事な財を極力擦り減らさぬ娯楽であり生活の一部でもあるようです。それは店の方にとっても都合が良いのは当然のことです。 でも、「珈琲豆の店 カッファ」は、真っ当に豆の引き売りと喫茶を続けてこられたようでまだ昼カラに取り込まれる事を拒否するぼくにはとても頼もしいお店です。いやまあ朝方はそうは思わなかったけれど散々空振りした今にしてこちらのお店の有り難みは格段です。シンプルな内装と家具ながら、珈琲豆な焙煎と煙草の紫煙により燻されたかの様な煤けた天井は、実際には煤けていたりはせず店のロゴがいくつかくっきりと浮き出ていてモダンだけれどどこかシックでカッコいいのでした。
2020/03/15
コメント(0)
市川って町には、閑静で上品な千葉の一等地としての印象があったので、何度も出向いているけれど、そのほとんどが事前の綿密な調査とプランに基づくもであり、自らの目と脚で市川を散策したということがなかったように思います。しかし、先日、酒場巡りをした際に出合い頭に完璧にぼく好みの枯れた酒場と遭遇して、散策するまでもなく出逢ったものだからこれはその気になって本腰入れて彷徨ってみればとんでもない発見がもたらされるのではなかろうかと訪れるタイミングを図っていたのでした。 とか思っていたのに、至ってオーソドックスな「鳥正」を見掛けたらもうその戸を開け放つ誘惑を断ち切れなかったのです。見ての通りのいかにも焼鳥店らしい外観に激しく心を揺さぶられることなどありはしないのです。しかしですね、こういう安心・安定のお店というのは平和な場合の自宅のようなもので、いつだってそんなに変わり映えしない代わりに確実に基準点を上回る満足をもたらしてくれるものなのです。だからやっぱりねえ、店内は大盛況でやっとのことで、カウンター席の端っこを確保できたのでした。まあ、独りだし、隅っこの席は大概の場合落ち着けるものです。気になるのはお隣のやはり独り客がカウンターの端の斜め上部、つまりはほくの頭の斜め上にテレビがあるものだから、けしてこちらを見ているわけじゃないけれど、時折視線が気になるのです。でもそれさえ無視できれば、お手頃に呑ませてのらえるのだから、少々のことは目を瞑るべきであろうと思うのです。焼鳥店ではお馴染みの納豆を油揚げで挟んで焼いたのは、大豆に大豆を重ねていて、無粋な肴かもしれぬけれど大好きなのです。焼鳥はごくごく穏当なもので、高級焼鳥と庶民派のとの中間、いや少々庶民よりかもしれずその値段を思えばこれで十分なのです。でも活気があっていい店だなあとは思うけれど、やはりもう少し冒険してみたかったなあ。今度こそそうした酒場を見つける夜の冒険に行ってみたいと思うのです。
2020/03/11
コメント(0)
東海神の目指す酒場を角にする一角は、JR船橋駅から十分弱というのにとてもここがそんな開発の著しい町のそばにあるとは思えぬ程に田舎臭い通りに面しているのであります。船橋駅のかつてはえげつない呑み屋や風俗店が密集したエリアからはほぼ一本道で繋がっているから恐らくそう遠からぬ昔には船橋駅から東海神駅近くまでは数多の酒場が蔓延っていたのだと思うのです。今では大分店舗の数も減り、空き地や新築のアパートなどが目立っていますが、ともかくもうすぐ開店となるはずの酒場を見やると、そこだけは戦後をそのままに引き摺っているように感じられるのです。 日も暮れて店を囲むように飾る提灯に明りが灯ると、それまでは存在感がいかにも希薄な感じで、現役でありこそすれ、ちゃんと時間通り始めてくれる店か半信半疑だった「大衆酒場 松むら」が一気に活気を放つのです。遺産でガラス戸を開け放ってみると賑わいは表だけで店内は静謐なムードで寒々しい位で、一人で訪れていればこの上ない寂寥感に満たされ恍惚とした気分に陥ったかもしれません。取り急ぎカウンター席に腰を下ろすものの店のオヤジはむっつりと背を向けて焼台からわれわれへと視線を向けようとしません。これは雰囲気は抜群だけれど、オヤジはやさぐれ系でとっつきにくいタイプの店だったかと慎重な振舞い方を余儀なくされたのであります。取り急ぎチューハイにもつ焼を適当に見繕って注文したけれど、どうも不愛想でつっけんどんな印象です。それはわれわれに限ったことでなくやがて持ち帰りの窓から若い女性たちが買い求めに来てもその不遜とも思われる態度は変わらぬのでありました。でもこれって単なるツンデレ系だったのですね。お話してみると口は少々悪いけれど、よく喋るし案外可愛げのある笑顔を浮かべもするのでした。きっとこんなことを言ったら「バカいってんじゃないよ」と叱られそうですが、その眼の奥は少し嬉しそうであるに違いないのであります。アスパラ天ぷらなどの日替わりの肴も案外モダンなセンスが感じられたりして、やはりここは東海神に行ったら行かぬわけにはすまされぬ酒場なのでありました。
2020/03/10
コメント(0)
東葉高速鉄道という路線には、乗車したことはあるけれど、途中下車するようなことはまずありませんでした。なんせ運賃がべらぼうに高額だからだということもあるけれど、こうした高額な鉄道というのはそもそもにおいて、新興住宅地などのもともと最近になるまで町など存在していなかったのだから、ぼくのような古い町並みを好む者には好んで出向く価値などないと思い込んでいたのでした。もともとが京成電鉄と併走する混雑緩和用路線であり西船橋駅と東葉勝田台駅はともかくとして他の町はどこもかしこもニュータウンめいた住宅街が広がるばかりだと思い込んでしまい、自宅のPC上の仮想地図を調査する手間すら惜しんでしまっていたのでした。しかし、しかしですよ、東海神駅なる駅の付近にはなかなかに良さそうな酒場があるではないか。しかもそばには通し営業の中華飯店や蕎麦屋など昼呑みからのハシゴも可能らしいからこれは行っておくにしくはないのでありました。 本命の酒場は明日の報告に譲ることにして、まずはお隣の「二葉 海神第一支店」で本命である酒場の開店を待つことにしました。また夕方には少々早い時間ではありますが、すでに呑み始めているお客さんがいるのが頼もしい。われわれに引き続いて、さらにお仲間が合流するのだからこちらの昼呑み酒場として利用は堂に入っているのであります。店内は整然とした卓配置であるにも関わらず雑然として見えるのは情報量が多すぎるからでありまして、そばばかりでなく各種定食が最初目に付くけれど、よくよく眺めまわしてみると実に多様な肴が取り揃えられていることが分かります。中でも小鮎の丸干し、鯨の竜田揚げなんてのは、大変希少な肴でありもはや肴自慢の居酒屋を凌駕していようというものです。小鮎は確かに小鮎で幾分苦みが勝っていますが、鯨はサイズも立派だし、数も多いのでかなりの満足度がありました。味もすこぶる肉々しくてでも処理の下手な鯨赤身にありがちな鉄臭さもなく処理もよさそうです。近所にもう一軒、中華飯店もあるのですが、こちらはまだ閉まっていましたがそちらも夜は地元の高齢酔客で賑わうのと思われるのです。お店は両親に息子さんでやっており、まだまだしばらく安泰と思われるので、当分は地元の方たちの集会場としての機能を保ってくれそうです。
2020/03/09
コメント(0)
京成電鉄の各路線はまだまだ潜在的な実力を晒し切っていないと常々思っているのですか、その潜在的なる物がいかなる物を意味するかについて、馬鹿正直に書いてしまうと不快感をお示しになられる方も少なくないように思うからであります。なんてことを書くとそれこそ潜在的なる言葉の指し示す先には、一般には大概の場合は健全なる市民の皆さんは眉をひそめるような物を意味する事がしれてしまうに違いないのです。というかわざとやっているのだろうと詰問を受けるまでもなく素直に首肯するだろうから質が悪いのです。ってまたも無駄な文章で引き伸ばしに掛かってしまったけれど、まだまだぼく程度の京成電鉄使いだと発見などおろかに、先達の辿った後追いすらままならぬのです。ともあれ、わざわざ京成電鉄沿線の各駅の喫茶で、そこを目当てにした訳ではないけれど、何かしらのついでに、まさしく本来の目的としての喫茶時間でのひと時の休息を求めて訪れた何軒かを報告しておくことにします。 まずはこのブログにも何度か登場している京成大久保駅の喫茶です。ここに来る目的のひとつとしては「ル パティシエ ヨコヤマ」という一見すると街道にある大型チェーン店風洋菓子店のようで期待できないのに、実際にはとんでもない贅沢な素材使いをしたすごい洋菓子を食べさせてくれるのだ。近頃のお気に入りは大量のマカデミアナッツを用いた焼き菓子でありますが、本題からは逸れるので実地にお試しを。この駅の近隣には駅前商店街を中心に何軒かの知っておいて損はない喫茶がありますが、今回はずっと迷いつつも見過ごしてきた喫茶にお邪魔できました。それというのも先般報告済みの町外れの酒場を訪れるまでの時間調整のためでありました。商店街の真ん中にある「スターカフェ」は、そのネーミングセンスで損をしているような気がする。淳喫茶好きには支持されるはずはなさそうだし、今どきのオシャレ系カフェの店名としては無粋に過ぎるように思われるのです。でも実際に中に入ってみると案外落ち着いた感じで当初の時間つぶしにはまったく問題ないし、椅子なんかも結構クラシックだったりでそれなりに年季もありそうです。ネットの情報では、かつて「アルカディア」というちょっとカッコいい店名だったらしく、またもとに戻せばいいのになんて思ったりするのです。 続いては、数駅都内よりの谷津の喫茶店。この町に来た当初の目的であった喫茶店は閉店されたようですが、代わりと言ってはなんですが、「螢明舎 谷津店」にお邪魔してみました。夜遅くまで営業しているのが便利だし、ちょっと暗過ぎてそわそわしてしまうけれど、このムードに慣れたら仕事帰りの寄り道で一息つくという使い方には案外適しているかもしれません。結構、シックで気取ったムードだからかっこつけ気分を大事にクールさを装って利用するのがお勧めです。 市川真間駅では呑みの前の待ち合せ場所として「プチニコラ」を利用しました。駅のそばのまさに駅前喫茶といった雰囲気のお店です。カウンター席のみで常連客が多く、賑やかしいという都内では近頃ほとんど見掛けなくなったタイプのお店で、とにかくくつろごうというのはかなり厳しいけれど、懐かしさを求めて行ってみてもいいのでは。ただし、個性的なお客さんもいるので、多少居心地の面では難があることは覚悟してお出掛けください。
2020/03/08
コメント(0)
国府台-これで「こうのだい」と呼ぶのです-にある居酒屋を初めて目にしたのは、松戸駅から市川駅に向かう路線バスの車窓からでした。松戸から矢切を経由して市川に至る路線なので、矢切の渡し船の連想から風光明媚な川沿いをひた走るなんて想像をしてしまいがちな経路ですが、実際に乗車してみたら、バイパス風の眺めの決してよくな通りをひたすら進むばかりで、バス路線というのは大概の場合、想像力を逞しくするとがっかりするという典型なのでありました。でも、和洋女子大学やら千葉商科大学などの大学をはじめ、高校や研究所などがある文教地区を過ぎると下町めいた風情が顔を覗かすのであります。それもわずかな区間であり、京成本線を越えると今度は寂れた旧商店街が続き、市川までは残すところあとわずかとなりますが、これまた趣深くも暗い通りが続くのでした。そんな通りに面して枯れたたたずまいの酒場があることを見逃しはしなかったのです。 お店の店名は「手児奈」とあります。ここで知ったかぶりして、手児奈ってのは人名で、万葉集にも歌われたという伝説の美女なのだよと言ってみたいのでありますが、そういう教養とは無縁なぼくは先ほどカンニングしてネットで調べたのであります。そんな美女を祀った手児奈霊神堂が近隣にあるらしいのだけれど、表はまあ真っ暗だからわざわざ訪れてみたりはせぬのでありました。というわけで市川一丁目という無粋な名のバス停で下車、そこから店まではすぐ近くです。バスという交通手段は時間に余裕がなければなかなか利用しにくいけれど、とろとろしているようで案外世間が広がるようです。さて、戸を開け放つと奥に向かってのカウンター席と背面の卓席というごく平凡な造りのお店という余談がありましたが、実際には引き戸に沿って横向きにカウンター席が設けられていて、えらく狭いのです。まさに一杯呑み屋といった風情でもうこれだけでたまらない気分に浸れるのでした。席には個々に盆が置かれていて小料理屋風です。こういう店は全品500円とか結構女将さんが横着したりして、大雑把な勘定をされたりするものですが、こちらは明朗会計らしいのが嬉しいのです。チューハイやハイボールは400円とまあこうした店では普通のお値段。しかし、普通ではないのはその濃さであります。恐ろしく濃いのです。特に後者の濃さといったらかなりのもの。さて、お通しはイカと里芋の煮付にキャベツの浅漬けといいですねえ、泣かせます。銀ダラなんて贅沢品が500円というのもうれしいなあ。味付けは塩麴と一風変わっていますが、くどくなくて美味しいものだけれど、銀ダラを食べるということはくどいのを食べたいときなので、ここはシンプルに醤油、砂糖できっちり甘辛にしてもらいたかった。さて、物静かな女将さんに店のことを伺うとここを初めてまだ20年ほどとのこと。見た目は20年どこじゃないから居抜きなのかなあ。そこらへんのこと踏み込んでお聞きしたかったけれど物静かな彼女の口を開く自信などありませんでした。
2020/03/06
コメント(0)
市川真間は、京成電鉄の本線の駅。千葉の一等地と県民たちは述べるけれど、JRの市川駅周辺は開発が著しい印象があるけれど、市川真間駅の北側となると寂れ切っているように思えるのであります。でもそれは酒呑みの観点で眺めるからそうなのであって、実は地元の方はこの閑静さにこそプライオリティーを見出しているのでありましょう。文教地区だから夜は寂しくって当然なのだと。というわけで市川真間駅の北側にはまったくもって土地勘がないのですが、そんなに探し回らずとも駅近くに実に優良な居酒屋を見つけましたので心配は無用なのです。結論を述べると、ぼくもこの界隈の住民ならしばしば通うことになるかもしれぬと思わせるそんな居酒屋があったのです。 駅そばの踏切にも近いセブンイレブンの2階に「十兵衛」があります。コンビニのあるテナントビルというのはその明るさや画一されたムードでどうしてもビルそのものの歴史を霞ませてしまう嫌いがあるけれど、そこは経験値で本来の歴史を見極めねばならぬのです。このビルの場合、上階へと至る階段の見事な装飾がこのビルが実に年季と熱量の籠ったことの証左となりました。店の気張らない構えも実に味わい深いし、店内の抑えた民芸調の感じも地方のうらびれた駅前なんかにあったら、大いに感動したことだろうと思うのだ。まあ、市川真間駅の周囲もそんな印象があるから想像力を大いにたくましくしてここは田舎町の駅前酒場だと思い込むことにしよう。カウンター席の革張りスツールは喫茶店のものみたいだけど、実は老舗の酒場でも時折見掛けるのであります。小上りも仕切られていて具合が良さそう。カウンターと小上がりの好きな方をどうぞと言われたけれど迷ってしまいます。卓席は広めでここは予約のグループがすでに確保しています。と、いずれも甲乙付け難い居心地の良さそうな場所でそれだけで何度も訪れたくなりそうです。瓶ビールを頼むとお通しはぶり大根。すぐ出るだろうと頼んだきぬかつぎ。そしてどうしても食べたかったメゴチの天ぷら。どれもこれもうまいねえ。酒も豊富に揃っていて、これは何度来ても飽きさせないだろうと思うのです。田舎町の酒呑みはかわいそうと思っていたけれど、実はこんな風にいい酒場があったらそれでもう全然かまわないんじゃないか。むしろ、今晩はどこに行こうかなどと頭を悩ますことも必要なくて、それはそれで羨むべきと考えるのは些か日和過ぎかもしれません。
2020/02/22
コメント(0)
本来であれば京成大久保駅前のゆうロードにあるさほど愛嬌のある訳でもない喫茶店に寄ってから実籾駅に向かうつもりだったのです。でも実際にその喫茶を見るとどうにも気乗りせぬから商店街の突き当りにある日本大学は横目にして、東邦大学付属東邦中学校・高等学校を通過してひたすらまっすぐ進むのでした。この道を進めば実籾駅に行き着くはずです。でも、でもですねその途中で看過し難い酒場を見出してしまったからこれはもう実籾のことはすっぱりと諦めて開店を待つことにしたい。すでに歩き疲れているし、天候不順で気持ちが盛り下がっているから、さっきの喫茶に引き返すことにしたのでした。間もなく夕方も近いからちょうどいいじゃないかと気持ちの切り替えをする程度の余裕はあるのでした。その喫茶のことはいずれ報告する機会があるかもしれぬけれど、取り急ぎ報告しておくべきは枯れた酒場のことです。 現役かどうかちょっと不安でありますが、よく見ると店の奥に赤い照明が灯っているのが見えます。茶色のトタンらしき素材で実用性重視の飾り気のない構えが質実さを表しているようで好感が持てます。「小料理 わかい」と小料理の文字が気になりますが、改めて訪れた際には店先に赤提灯が下がっていて安心感を与えてくれます。恐る恐る引き戸を開くと早くも店はお客でほぼ埋まっていました。といってもカウンター席のみ10席程度だから何とか席を確保できて一安心です。場所柄、やはり常連が多くて人相の悪いオヤジが聞こえるか聞こえぬかで嫌味を放ったのを聞き逃しはしなかったのでありますが、ここは大人の対応で知らぬふりを決め込むのでした。とりあえずの瓶ビールと焼鳥を注文します。一人で店をやっている女将はさり気ない様子で調理をしていますが、実はかなりの腕の持ち主らしいのだ。焼鳥は旨いし、何より勢いで注文したカワハギを始めとした刺身が抜群なのです。食材も新鮮だしそれを丁寧に処理する捌きの技も確かなものであるようです。成程、常連客がわれわれのような余所者が立ち入るのを嫌うのも無理からぬことであります。しかしですね、いい店ってのは皆で共有するくらいの度量があって然るべきではないかとも思うのです。誰だっていい店で呑みたいのですから。
2020/02/13
コメント(0)
つい数日前に谷津での呑みを報告させて頂きましたが、その際、先に津田沼に立ち寄ったと書きました。京成津田沼では何度か呑んでいるし、有名店もあるから喫茶巡りもしていて、それなりに知ったつもりでいたのです。しかし、先日たまたまgoogleマップなど眺めて暇潰ししていたら、凄い魅力的な物件に行き着いたのです。 酒場を示す記号が付されているので何の気なしにクリックしてみたら、何とも見事なバラック建築ではないか。これを目にしては無視するという抑制を働かす自制心など思いもよらぬという事になるのです。で、いつもなら一向に数を減らす気配のない宿題店の一店にメモしたままに埋もれてしまうところですが、今回は行動が早かったのです。見つけてすぐにあれこれやの些事を投げうって京成津田沼にやって来たのでした。駅の改札を素早い身のこなしで通り抜けると、その酒場までは一直線。赤に切り替わりつつある信号を見るや横断歩道を駆け渡ります。やがて目当ての物件が見えてきますが、おやどうしたことか、暗いではないか。何たることかと悲嘆に暮れつつも取り敢えず外観を眺め観察するるだけの耐性は持ち合わせているのだ。しかし、どうもこれは飲食店ではない、ってかその先に目指した酒場がしっかり存在しているではないか。しかもごく平凡な外観を堂々晒しているのです。 googleマップやストリートビューは便利で楽しい一方で、まだまだ使い勝手の面でも枯れていないところが多いようです。特に細い路地や郊外などでは風景が分断されがちで、ホントに見たいところが見れないことがよくあります。何でもかんでも見れるようになってしまったら、実際に現地に赴く理由はほとんどなくなってしまい興醒めですが、でも場所を指定できそうでいて実際には違う場所が表示されるようなのは困ってしまいます。自宅に居ながらにしてヴァーチャル散歩ができる時代が当落するのはまだ先のようです。 さて、別に実際にその酒場の良し悪しは入ってみなければ分らぬけれど、想定したものと違い落胆した以上は、もはやそこで呑む気分は削がれてしまっています。それで急遽、谷津に向かうことにしたのですが、先般報告した谷津の酒場で呑み終えた後に、都心からは遠ざかることになるけれど特急が停車する京成津田沼駅に戻ることにしました。特急列車の時刻を調べると1時間程度は寄り道する猶予があるみたいです。だったらそのまま帰ってしまうのももったいない。ここまでは余程気合を入れないと来る気にならぬからです。何度も書いていますが、ぼくは本来は徹底して怠惰な人間なのです。 でも駅から離れて彷徨うだけの時間は残されていないから、京成津田沼駅直結の古びたビル飲食街、サンロード津田沼を眺めることにしました。かつて「チャオ」と「ガロ」という二軒の喫茶を訪れています。人気のない通路の奥にやっているお店があるので歩みを進めますが、中華飯店は営業終了の札が掲げられているから必然的に入るのはお向かいにある「お酒とお食事 志水」になります。扉を開けるとカウンター席だけのこぢんまりしたお店に見えましたが奥には卓席もありました。でも美人ママさんが一人でやっているお店なので、あまり多くのお客さんを捌くことは難しそうです。カウンター席は1席のみ空きがあり残りの席は埋まっていました。といってもせいぜい7名が一杯といった狭さです。時間もないのでウーロン割を注文しました。ママさんはちょっと警戒心は強すぎる感じはありますが、慣れてくると感じも悪くないし、実際客の多くはママさんとのひと時の語らいの時間を大切にされているようです。でも、常連さんとのお相手でお忙しそうで手の方がお留守になりがちみたいだから、肴はお通しのサラダで十分とします。周りの方を見ても特に肴らしい肴は頼んでいないようだから、そんなに気兼ねすることもなさそうです。で、お隣の方が喋ること喋ること。ママさんに相手してもらいたくて仕方ないんですね。ぼくにもやたらと話しかけてくるのですが、すべてはママさんとの会話のネタにしようという魂胆に思えるのです。でもまあ、こういう経験も今時の酒場では珍しく思えて、妙に懐かしい気分に浸ったのでした。
2020/01/20
コメント(0)
もう何度も報告しているので、今回は報告は見合わせようと思ったのですが、思いがけぬ贅沢な呑みとなったので、自慢する気になったのです。ぼくは根っからの羨ませたがり屋だから黙ってはおられぬのであります。羨ませたがりというのは、大抵の場合、羨ましがりな面も併せ持っているのであって、両者はきっと同じ心性から生じる性質なんだろうと思うのです。嫉妬深くてねたみ深いまあ典型的な日本人たるぼくとしては自慢できる時は自慢しておくに越したことはないのです。そして、今後、碌でもない人生が待ち受けていようとも、この夜の贅沢な呑みを思い出せば生きていける。 やって来たのは、「大衆割烹 大黒 松戸本店」であります。駅前の飲食ビルの地下一階、艶めかしいお店も少なくない怪し気なビルというまあ下品な環境に松戸が誇る良店があるのだから面白い。いやまあこういうのって案外あるのかもしれません。ピンク系のお店ばかりと思い込んで見過ごしてしまっている店も少なくないと思うと今後は注意してみようという気にもなります。さて、いつものごとくに大盛況で、なんとかかんとか席を用意してもらえることになったのでした。目の前の若いカップルは鍋をやっていますが、これはどうやら季節メニューのふぐ鍋らしい。確か7,000円でふぐ刺しとふぐ鍋のセットメニューになっていた気がします。さて、この夜は4名で呑むことになっていましたが、後の2名は相当に新鮮な生牡蛎しか食べないという人たちなので先行したわれわれは喜び勇んでいただくことにしたのでした。生牡蠣に刺盛りというだけで、ぼくにはこの上ない贅沢なのでありますが、引き続いてのステーキがまた興奮を高めるのです。しかし、本番は残りのメンバーが集まってからなのでした。つい遠慮したふぐのセットがオーダーされたのです。ふぐ鍋やふぐ刺しを頂くのは何年振りの事だろう。でもこういう時にすらいつもの貧乏性が如何なく発揮されすでに良い加減に酔っていて、その味わいはあまり記憶に留まっておらぬのです。美味いものを食うときには多少は酒を控えるべきだなあと反省してみても時既に遅しなのでした。でも幸いなことにその後に注文されていた特大の鮑刺しは記憶に鮮明です。こうして改めて食べると鮑ってやっぱり美味いものだなあ。というわけで初めに、思い出だけで生きていけると書いたけれど、酔っ払いにとっては今こそが大事なのであります。
2020/01/15
コメント(0)
京成電鉄の駅では大概下車しているものと思っていたけれど、どうやら改めて確認するとまだまだ片手に余る程度には降りていない駅があったのですね。何度か訪れている京成津田沼駅のお隣、いざとなれば容易に歩けるであろう町なのにどうして怠けていたのだろうか。宿題店のリストを見ると、酒場のメモはないけれど喫茶店は数軒リストアップされています。という事で意を決して訪れる事にしたのですが、いかにも決断が遅すぎたようです。というのは目を付けていた喫茶店の一軒が既に痕跡すら留めていなかった事もありますが、それよりも欲張って京成津田沼を組合せたものだから時間が随分遅くなっての谷津入りとなってしまったことです。欲張らず初めての町を優先しておくべきだったか、と後悔してみても時既に遅しなのであり、帰宅までの時間を精々有意義に過ごそうと思い直すのでありますが、この夜はいつに増して優柔不断が顔を覗かせ随分効率の悪い散策となったのでした。 まずは駅の北口を散策しました。呑み屋街はないものの駅前の雑居ビルはかつてはスナックや飲食店が軒を連ねたこともあったかもしれぬ風情です。ちょっと路地に入るとまあ覗いてみてもいいかな、いやいややめておいた方が無難だろうというギリギリの線の酒場が多くもう少し散策してこれ以上がなければお邪魔することにしました。 南口に移動します。ちょっとした駅前商店街があるので期待したのですが、これといった酒場がありません。さらに進むといつしか住宅街に足を踏み入れていました。蕎麦屋や食堂らしき店舗がありますが、明かりは灯っておらぬし、大体において今でも開業しているかなんとも言えないところです。 諦め悪くさらに深みに入り込みます。というよりはすでに自分の居場所を見失っていたのでした。辺りも暗いし、駅からは遠ざかっているようだしまいったなあと思っていたところに「こいで」という居酒屋さんが出没しました。一般の住宅に普通に溶け込んでいて、看板と暖簾がなければ単なる民家と見間違いそうです。これも何かの縁、こういうお店はどこも大体似通っているものですが、立ち寄ってみることにしました。カウンター5席に小上りに2卓。先客はなしで、初老の夫婦が初めて見る顔なので、ちらっと探りを入れるような表情をされましたが、気のせいだったのかもしれません。至って気さくに応対していただけます。瓶ビールに〆サバを貰うことにしようかな。ここは定番料理というよりは季節の魚介をメインに据えたお店のようです。ご主人が丁寧に盛付けたサバは見栄えもきれいだし、500円という値段をちょっと高いかと思ったのが誤りと感じさせるだけの量もあります。そして、見栄えばかりでなく、〆具合も浅くも無くキツ過ぎもせず実にいい塩梅なのです。そして脂も乗っている。青魚の脂は身体によいそうだから、その脂をきっちり身体が吸収することをイメージしながら噛み締めます。緑茶ハイに切り替えます。これがなかなかの濃さですっかり楽しくなってしまいます。スマホの位置情報で確認すると駅からもそう遠くないし、欲張ってハシゴせずにここでしっぽり呑むことにしたのでした。腰を据えてって訳にはいきませんけど。
2020/01/14
コメント(0)
松戸の事わ毎度毎度決まり文句のように腐しておきながら、その割によく利用するではないかと言われても、それはまあその通りだけれど仕方のない事なのです。大人には好きか嫌いかに関わらずとうにも自由にならぬ事情が付き物なのであります。しかしですね、いかに大人の事情があろうとも店選びの権利だけはゆめゆめ他人に譲り渡したくはないのであります。かといって気合を入れてお高めの店にするにはおっさんの立場としてはかなり厳しいのであります。予算に糸目を付けぬという前提があるなら松戸にだってまだまだ行きたいお店もなくはないのです。でも常々思うことですが、無尽蔵に金を生む財布を持っていたり、どこにだって呆気なく行けてしまうどこでもドアを仮に持っていたとしたら世の中は実につまらなく、退屈極まりないものとなっているのだろうなあ。限られた時間と予算をいかに効率よく活かせるかが人生を楽しく乗り切るための分かれ目となるのだろうと思うのです。 ならば雰囲気や呑み屋らしさなどというものは潔く排除して、たまには食いたいものを食うという方向に舵を切るのも悪くなかろうと思うのです。お手頃でかつ安価でもそれなりに旨いとなると、インド料理や中華料理というのがすぐに念頭に浮かぶのでありますが、この夏、ネパール料理にハマってしまい、カレー料理にどっぷりと浸ってしまったためいささか食傷気味となってしまっているのです。インド料理とネパール料理ではかなり違ったところがあるけれど、松戸辺りの店ではネパール料理店だって北インド料理がメインとなってしまうのもつまらないところ。多くの日本の方はなぜ多様な国の料理が食べられるになった今ですらバターチキンにナンの組合せという北インド料理主体のものを好むのだろうか。中華料理は普段の呑みでも多用してしまっているから今回のような宴席では避けておきたいところ。となると無難なのがイタリアンということになります。松戸駅周辺には実に多くのイタリアンがあります。イタリア料理も大概の場合、素材さえ揃えれば自宅でかなりのレベルの料理を作れるからさほど気乗りはしないけれど、本格的なピザはなかなか家で食べるのは難しい。宅配ピザだってそれなりだから別に本格的でなくても構いはしないけれど、「ピッツェリア バフェット(Pizzeria Baffetto)」とピザをメインに据えた店があるならたまにはいいかもしれません。と、写真を見返すと肝心のピザが写っていないのだけれど、まあ、いいでしょう。ナポリのもちもち系マルゲリータなどの定番が出てきましたが、まあ普通においしくいただけるのでありました。そうイタリアンって高級店でもなければどこで食べたってそこそこ美味しいのであります。まだしもインド料理や中華料理店の方が当たり外れがあって外れると悲惨だけれど、それでもそれはそれで愉快だったりするから、もうイタリアン宴会はやめとこうかな。
2020/01/10
コメント(0)
松戸で酒を呑むとなるともはやチェーン系居酒屋で良しとせざるをえまいと思っています。チェーン系のお店は総じてちっとも好きではないけれど、それでも初めて訪れる店には少しくらいの興味はあります。チェーン系はどこだって結局は似たようなものだろうなんて高を括っているけれどそのうちチェーンだからと侮れぬお店が出現したりするかもしれぬから、機会さえあれば訪れるにしくはないのであります。というのは真っ赤なウソでありまして、やはりチェーンにはできれば行きたくないのであります。しかし、松戸では選択肢が非常に限られるし、この日は老女と一緒であるとともに突然の雨に見舞われたことから近場で済ませることにしたのでした。そういう場合であれば好都合であります。メジャーでありつつ、まだ行ったことのないチェーン系居酒屋が駅東口にあるのを知っていたからです。「テング酒場 松戸店」です。ここなら駅からペデステリアンデッキで直結しているし、雨にも濡れずに済むのはありがたくもあります。ぼくも若い頃はしょっちゅうではないけれど、たまには同系列であろうと思われる「天狗」にはお邪魔して結構重用しておったわけです。店内は退屈で広々としており、清潔感はあるからまあ老女には悪くなかったみたいであります。確かに男性より女性客のほうが目につきます。大体においてチェーン系は酒類がお高い傾向がありますが、こちらはホッピーであればお手頃にいただけるのは好印象です。肴についてはあまりくどくどしく語りたくないけれど、生ハムサラダとかいう商品はなかなかヒンソーでサラダはチシャレタスをちぎっただけだし、生ハムもちょっぴりで工夫にも乏しいし、牛タン焼きは恐ろしくちっぽけである一方で、鶏唐揚はけっこうデカくてお得感があります。つまりまあ不思議なことにムラのある価格設定でありまして、そこら辺をうまく見極めればいざという時には使えるお店と判断し得るのであります。まあ、余程のことがなければ来ることはないでしょうけど。
2020/01/03
コメント(0)
伊勢丹松戸店が閉店後、その建物は「KITE MITE MATSUDO(キテミテマツド)」なる複合商業施設に生まれ変わったようです。何となくゴロがよさそうな気もしなくはないが、韻を踏んでいるともいえぬ気がするし、駄洒落にもなっていないから訳が分からない。一般に公募でもしたのかもしれないけれど、もう少し捻りのあるネーミングであってもよかったのではないか。でもまあ飲食店のさっぱり変化が見られぬ松戸駅周辺にあっては、こんな施設でも多くの店が一挙にオープンしたのだからまあめでたいことなのかもしれません。それがチェーン店ばかりなのは残念ですが、行ったことのない店に何かの機会に行ってみるのもまあ致し方なかろうと思うのです。少なくとも減少の一途を辿るよりはずっとマシというものです。で、これだけキテミテマツドについて書いたのだからそちらに行ったかといえばそうではなく、イトーヨーカドー松戸店のレストラン街にお邪魔したのでした。 店名が「松戸飯店」だから松戸限定の店なんじゃないかと推測したのだけれど、それはどうやら安直に過ぎる想像だったと思うのですね。いや、もしかすると確かに何らかの系列店を持たぬ単独のお店なのかもしれませんが、印象としては全く持ってファミレス風なのです。ナントカ食堂のようなナントカ箇所に町名を冠する系列店と同様なタイプのチェーンなのかもしれません。良くは分からんけれど来てしまった以上はなるべく合理的かつ美味しいのを頂くべきだろうと思うのですが、これがなかなかに難敵でこれぞという決定打が見つからぬのです。セット物は炭水化物が多過ぎるし、単品は手頃感もないし、酒の付くセットもあるけれどこれも割が良くない。ウ~ン、わざわざエスカレーターを乗り継いでやって来たからと無理して入らず店先のメニューディスプレイをもっとしっかり観察しておくべきだったか。まあ家族連れがランチに立ち寄るにはいいかもしれませんが、酒場使いはちょっと厳しいかも。まあ、本来そういうお店なんだろうけどね。あっ、あと曜日替わりでお手頃メニューもあるのでそれはねらい目かも。この日は餃子が手頃でした。 いかにも物足りぬからこのところやけに混み合っていてなかなかお邪魔する機会を逸していた「酒処 立花」に久し振りに伺うことにしました。JR常磐線の高架下にある松戸では数少ない、残り少ない懐古系酒場の一軒でありまして、時折田舎のおばあちゃんの様子を見るようなつもりで訪れるのですが、それなりの年齢になられるであろう店のご夫婦は至ってお元気でまったく変わりがないように思えます。元気といってもやさぐれた風になりがちな立地のお店ですが、至って穏やかなムードがこの店に客を引き寄せるのだと思います。牛乳ハイにトマトハイ、今ではそれほど珍しくはなくなった焼酎割も昔はかなりの変わり種として、昔からの酒場好きを喜ばしたのだろうなあ。やはり呑むのならちゃんと呑むための店にすべきだと当然のことを思うのでした。
2019/12/20
コメント(0)
松戸という町について、町という切り口をキッカケとして語り始めるのがさすがにしんどくなってきました。その理由は言わずもがなでありますが、敢えてその理由を探ってみると都心近郊の多くの町と似通った切ない現状を直視せざるを得なくなるのです。それは松戸が街道の宿場としての役割を担っていた時代、もしかするとそのずっと以前からそうだったのかもしれませんが、とにかく隣接する宿場、つまりは町と適度な距離感―牽制し合いつつもライバル関係という相互に補完しつつ依存する関係―を取り結びながら、独立した町としての役割を維持してきていたように思うのです。でも近年になってそうした小さな町は単独で生き延びる未来を断念したように感じられるのです。松戸もそうした一連の流れから逃れることができずにいるように思われます。伊勢丹の撤退がその象徴とも思えるのです。今でこそ多少なりとも駅前には飲食店が残っているけれど、やがて、駅前にはマンションばかり立ち並び都心から帰宅したサラリーマンたちは、まっすぐにマイホームを目指す、そんな光景が脳裏を過るのです。そういう人たちが定年を迎えた頃、夜、ふと思い立って呑みに行きたいと思ってみても、駅前にはどの町にでもある退屈なチェーン居酒屋しかないなんて事態はぜひとも避けたいと思うのです。 なんてことを書いておきながらお邪魔するのはチェーン店なのが残念なのですが、「生つくね 元屋 松戸店」は、松戸駅前にも2軒あったりするけれど、今のところは東葛地域のローカルチェーンだからよかろうということにしておいて欲しいのだ。というか東葛地域というのはどうも変わったチェーン展開が得意らしくて、ホルモン焼居酒屋の「しちりん」や本格派焼鳥店の「鳥孝」など東葛地域以外ではほぼ見掛けぬローカルな展開が少しだけ好ましく思えるのです。こうした独自のチェーン展開戦略については、それなりの深淵なる考えが秘められているのだろうと推測するけれど、これ以上は深入りしないことにします。ちなみにぼくは今回の「元屋」をはじめとしたこの3つの系列、大好きってわけではないけれど、困った時には重宝すると思える程度には愛用しているのでした。とはいえ久しぶりで知らなかったのですが、100円のサービスメニューなんてのがあるんですね。4種すべて頼んでしまいました。「しちりん」にも同じような日替わり廉価メニューがあって、これは実に頼もしい存在なのでした。 同じチェーン店といっても先の店がちょくちょく見掛けるのと異なり、「串むら 松戸店」は他では見たことないんですけど。って調べてみたら柏と六本木がネットに引っ掛かりました。ただし六本木は全くの別物みたいですね。まあどうでもいいのですが、駅西口からすぐのいかにもチェーン風の外観は、時間限定で焼鳥5本?をサービスしてくれるみたいです。これが一組だったか、一人だったかは定かではありませんが、申告しないとしらんぷりされるので注意が必要。われわれは6本を見繕って注文した後に5本サービスなんだよねと尋ねたところ6本すべてをサービスしてくれたのですが、この作戦はもう通用しないものと思われます。ただしまあ、臨機応変に対応できるということはまだまだチェーンとしての縛りも弱いということではないかと先述したお気に入り3系列に追いつき追い越すことを期待したくはなるのですが、この内装ではまた来たいとは思えないですね。っていうか実は以前ここに来ていたのです。伺った時にはすっかり忘れていたけれど、思い起こしてみるとあの時にはやたらと女性客が多かった記憶があります。確かにちょっとスカした内装で女性向きなんていうのは気に入りませんが、女子会向きではありそうです。この夜は結局最後まで我々以外の客はいなかったのでした。
2019/12/06
コメント(0)
検見川駅のそばの神社はそのまま検見川神社というのですね。辺りは真っ暗で京成の線路沿いに続く道の名があるかと調べて知りました。検見川の印象深い酒場の前の道をまっすぐ進み花見川を越えてしばらく歩きます。しばらくは自動車とはすれ違ったりするけれど、人の影すら見なかったのが、川を渡ったあたりから徐々に人の気配が感じられるようになり、少しだけ気持ちが穏やかになります。やがてJRの幕張駅前の十字路まで来ると多少は町らしい景色になり心安らかに町並みを眺めることができました。するとオンボロってわけではないけれど、それなりに古い雰囲気の居酒屋がありました。「千扇」は、格段どうということのないお店のように思われましたが、どんよりした気分をまとって振り払えそうもない状態のぼくには実際以上に光り輝いて映ったのでした。しかし必要以上の興奮は無残な結果を招くもととなるから厳に控えねばならぬのです。といったことなど思う余地もなく店へと突き進むのでありますが、そう狭くもない店内はお客さんでほぼびっしり埋まっていたのでした。カウンターの入ってすぐには独り女性が呑んでおられましたが、その向こうに空きがある。普段は遠慮など全くしないぼくですが、妙齢の女性のお隣とあっては気を遣わざるを得ないのであります。待ち人ありかもしれませんしね、ずうずうしく腰掛けてから、この席、彼氏待ちなんですけどなんて言われたらなんだか癪に触るかと思うのですよ。だから、どうぞと勧められるまでちょいと様子を見ようと瞬時に判断したのですが、判断に至るか至らぬかで席をお勧めいただけました。それをきっかけにお喋りさせていただいたのですが、彼女は前夜初めてこちらにお邪魔してすっかりお気に召したらしく連夜の来訪となったようです。ふうん、どこがそんなに気に入ったのか見極めてやろうじゃないか、なんて野心などは抱かなかったけれど、すぐにその理由が明らかになるのでした。さっきのどんよりした酒場も酒場の醍醐味の一面だけれど、こちらは明朗で親し気な雰囲気がそれだけで素晴らしく誘惑的なのであります。ぶっきら棒だけれど実は気のいい主人や彼の人柄を好きになって通っておられる多くの常連さんたちは、ぼくのような孤独な通りすがりの者にも平等に付き合ってくださるのだ。肴はお通しで目一杯でしたが、魚介豊富な酢の物はうまいし、彼女もおすすめ料理をいろいろ教えてくれました。羨ましいことであります。
2019/11/27
コメント(0)
検見川には、去年だったか一昨年だったか忘れてしまったけど訪れています。その時には喫茶巡りが目的だったので昼間に立ち寄り、でもどうにも気になったので夜になって改めて呑み直したのです。でもその時に立ち寄って呑んだのは、JR総武本線の新検見川駅の周辺でありまして、軽く酔った後に回り込んだ、いや昼間の喫茶巡りの後にだっただろうか、近そうで案外遠い京成千葉線の検見川駅を通ってみようと思い立ったのです。しかしまあ、そこには見事な程に何もないのですね。何もないって事はありえぬけれど、店らしい店もほとんど見当たらずどうやら線路の向こうにはなんとかいう神社があるらしいのだけれど、目ぼしいのはそこばかりで人通りもさっぱりなのでした。ただそれでもたった一軒だけれど酒場があって、その枯れた佇まいはずっと記憶を浮き沈みしていたのでした。今となってはどうしてその夜のうちに行っておかなかったのか。 そんな気掛かりで夢見を悪くすらしていた「むさし」にようやく訪れる機会を得ました。なんたら神社に真っ直ぐ伸びる通りは途中、こぢんまりした駅から出てすぐのか細い路地を抜けてすぐの踏切を越える事になるのですが、それは無視して左に逸れると間もなく目当ての酒場が見えてくるのです。ひっそりと静まり返って人の気配のない酒場は、日頃行っている都内近郊のどんなうらびれた酒場にも比べられなぬ深い闇を携えているかのように感じられたのです。ようやくここに来れたという興奮と予めの印象がなければ、その孤独さに恐れをなしてしばしの躊躇いを禁じ得なかったかもしれぬと今にして思うのです。店内はやはり沈黙に包まれており、女将と独り客がいたけれど、どちらも言葉を交わしたりすることもなく、客は一人の世界に閉じこもり、女将はテレビに見入るのでした。いかにも耐え難い様子に思えるかもしれませんが、この寂寥が心地良く感じられるのです。カウンターを埋め尽くすように置かれた雑貨やらが孤独な気持ちを慰めてくれるみたいです。肴は少なからず揃っているけれど、調理の面倒臭そうな品を頼むのも気が引けたので、ここはどんな時だって安心して美味しく頂ける冷奴があれば充分です。女将は初めてのぼくに対しても何も尋ねず、客は視線をこちらに向ける事もなく身じろぎすらしないのです。ぼくはまるで本当はここに存在していないんじゃないかという鈍い不安に背筋を冷たい何かが滴り流れたような気がします。店を出てもどこか現実感のない気分ー引き摺っていたので、現実に自らを引き戻すため隣の駅まで歩くことにしたのです。
2019/11/23
コメント(0)
格別嫌いという訳でもないのですが、ぼくはギャンブル事とはとんと無縁です。一応、将棋や囲碁、麻雀、ブリッジといったゲームは嗜みとして覚えたものですが、それも若かりし頃の社交術が不要となるとすっかり忘れてしまったし、競馬、競輪、競艇などなどはギャンブル好きの知人との付き合いで冷やかしてみたし、その場の雰囲気は嫌いじゃないがそこに時間を割く余裕はなかったのです。時間の無駄遣いといえば、パチンコやスロット等もありますが、これについてはロラン・バルトが残酷な言葉を投げ掛けておりますが、ぼくも貧弱極まりない経験値を根拠にするのも乱暴な気がするけれど、賛意を表明するに心に痛みはないのです。宝くじすらここしばらくは無縁だから、まあいわゆる賭け事全般には加担しないギャンブル狂から見ると極めて退屈な男なのです。といったような事をギャンブル好きの知人に語ったところ、お前はその代わりに毎晩のように見知らぬ酒場に飛び込んでいるのだから、それだって賭け事みたいなものではないかと言われて虚を突かれたのでありました。 そんな訳ではありますが、申し上げた通り、京成千葉線の船橋競馬場駅で下車しても、向かったのは北口なのです。ここから少し行った辺りに「菜来軒」なる中華飯店があるようです。改札を通り抜ける客は少なく、ましてや北側に歩き出す人も他にはなかったのでした。駅前とも呼べぬ様なうらびれた様子はそんなに意外ではなかったけれど、数駅を移動しただけで千葉県を代表する大きな町がいくつもある事を思うと、こうも容易に田舎びた光景に向き合えるのはある意味で羨ましい事であるかもしれぬのです。まだ先般の台風の余波が収束を見せぬうちにこうした発言は不用意かもしれませんが、微力ながら千葉県の振興に尽くしたいとは思うのです。さて、駅から歩く事、5分程するとますます地方の住宅街っぽい煤けたような風景を抜けていくとポツネンと結構な大きな構えではあるけれど古色蒼然たるプレハブ風の店舗が見えてきました。これを見ただけでも来た甲斐があると思わせてくれます。話が少し脱線しますが、こうしたタイプの居酒屋は都内近郊で近頃滅多に遭遇できなくなりました。まだしも中華飯店や大衆食堂には開店時そのままの姿を留めている事がありますがそれに比すると居酒屋は余りにも少ないと思うのです。こうした枯れた町では周辺の住民が高齢化に伴い健康面や財政面などを理由に外で呑む事が少なくなるのではなかろうか。呑むならセット料金の多いスナックに週に一回といった頻度で出向いて、後は自宅で呑むのかなあなんて思うのです。それはともかく内観は外観が抱かせるイメージをそのまま反映させていて素晴らしい。夫婦でやられているようで、昼過ぎだったせいかお客さんもなく店内は静かです。知人も一緒でしたが、そうお腹も減っていなかったので餃子と酢豚の定食を分けることにしました。餃子は見た目はイマイチだけれど味は良く、何より驚いたのが酢豚のボリュームです。これだけあればもとより盛りの良い丼飯をお代わりしなくてはならぬ程とも思えるのです。実際にはライス半分でも満腹になるのが残念でならない。この辺の高齢者は大食らいなのかしら。思わずのんびりしてしまいましたが、日も短くなったしうかうかしていると日が傾いてしまいます。名残惜しく席を立つのでした。
2019/11/20
コメント(0)
松戸の西口のホントに小さな呑み屋横丁には、名前があったりするのだろうか。ここはぶち抜きの路地らしい路地のほうは店の入れ替わりも激しくて、見るたびに見知らぬ酒場があったりして、いずれも造りは似たり寄ったりだったりするけれど、いくら居抜きで店が変わろうとも大概が賑わっているのです。皆さん、こうした古い呑み屋街の呑み屋で呑むことにノスタルジーとか通っぽいだろうとかそれぞれの理由で訪れるのだろうけれど、もう嫌になるくらいに混み合っているのです。一度経験したら十分て気もしなくはないけれど、案外ハマったら抜けられなくなるような中毒性があるのかもしれません。とはいえ、さっぱりお客の入らぬ店もあるから混むなら混む、空くなら空くなりの理由がありそうです。表通りの方は老舗でやはりこちらも埋まっていますが、それこそが老舗としてやっていける所以でしょう。 なので、久々に通りを挟んだ向こうにある「かやがす」にお邪魔することにしたのでした。おや、なんか以前と見た目が違ってますね。以前はビニールシートで覆われていたのが、少々つまらなくなってしまっています。あらあら、店内も一新されています。以前は思いつくままに乱雑に卓席が配置されていたという印象でしたが、これまた整然として配置されています。カウンター席が増えたっぽいのはいいけれど、デッドスペースも増えたような気がします。何より違っているのが客層です。かつてはブルーカラー系のお客さんが多かったように思うけど、この夜はホワイトカラーというよりはむしろ端的にOLなどの女性客が目立っていた感じがします。こうした酒場でも女性客が男性客を圧倒するように台頭するとはなんともおっかない時代になったものです。さて、それ以外に感想があるかといえばこれ以上は書くことは何もないのです。以前も書きましたが「加賀屋」の系列は良いか悪いかのどちらかに偏るようで、こちらは良い方であったわけですが、改装前と比べるとちょっと落ちたように思うのは誤解ではないと思うのですが、いかがでしょう。 一応呑み屋横丁を通り抜けつつ、混雑具合を覗き込みながら通り抜けますが、まだ入り込む余地はなさそうです。表通りに出て「カレー専門店 印度」に回り込んでみると、おお、こちらはちょうどお客さんが引いたようです。まあもともとがカウンターに8席程度の狭いお店だから混み合っても仕方ないですね。ここにはかつて一度だけですがランチでまじめにカレーを食べにお邪魔したことがあります。そして美味しかったという記憶はあるけれど再訪する機会に恵まれなかったのでした。夜になると呑み屋と化すことは知っていたけれど、〆にはやはりカレーを食わねばなるまいなと思うとつい尻込みしてしまうのでした。でも、聞くところによると―実は席に着いた途端にその情報源である当人がおられました―ちょっとした肴はあるとのことです。この日は春雨サラダを出してくれました。ちょっとしたというよりはこれ一つだけですね。酎ハイを2杯呑んでカレーで〆かななんて思っていると、常連のオヤジが頼んだのはカシミールカレーのルーのみなのでした。これはいいじゃんと春雨を食べ終えると早速注文です。ちなみにここのメニューは、一般向けカレーとしてポークカレー(甘口):600円、ビーフカレー(中辛):650円、ドライカレー(カレー炒飯):700円)があり、インド風カレー(チキンカレー(中辛):600円、インドカレー(大辛):650円)、カシミールカレー(極辛)):700円、パキスタン風カレー(コルマカレー(中辛)):750円、おまかせカレー:800円なんてのがあります。やはりかなり柏の「ボンベイ」のに近いお味ですね。松戸の駅東口にも系列があって、そこは意表をついて「ムンバイ」として再出発を図ったらしい。それはともかくとしてたまにこのあっさりとしていてキリリと辛いカレーが食べたくなった、ここにやってくることにしよう、なんてことを思うのです。
2019/11/06
コメント(0)
北松戸で中華料理が食べたいなと思った時には、選択肢が2系統あるのですが、それは北松戸に限ったことではないのですが、つまりは本場風と和式に大別できるということになります。ガキの時分はまだまだ本場風は少なかったので和式以外の選択肢はありませんでした。学生の頃になると町にも中国人の姿を多く見掛けるようになり、必然的に本場の料理店が店を増やしてきて、たまたま入ったそうしたお店で本場の味を知ることになり、和式とは異なる鮮烈で強烈な味わいに魅了されることになるのです。ここ何年かは和式にどっぷりと回帰していたのですが、近頃はどちらも旨いということで分け隔てなく楽しむようになりました。それは良いけれど、北松戸は何が違っているのだと急かすことなかれ。ひと言で述べると駅の西口側には和式のお店が多く、東口側には本場風が多いのであります。原住民にしてみれば、きっとバランス良く両方がシャッフルされている状態こそが望ましいに違いないけれど、残念ながらそうは問屋が降ろされぬのであります。 なので、ぼくが西口側の職場で仕事を済まして、本場風を摘みつつ呑みたいとなると西口側への移動を余儀なくされる訳です。まあ、ぼくはここから列車を乗り継ぎ帰宅するからさほどの支障はないけれど、自宅が西口側にあったならまあ面倒で訪れたくはないだろうなあ。さて、選択肢は何軒かあるけれど、随分お邪魔していない「三和園」に行ってみることにしよう。とサラリと書き流したけれど、残念なことにぼくの記憶力はかなり寂しいことになっているので当然店名など忘却の彼方なのでした。だから仲間を伴って店に向かう際にこの店の事を提案する場合どうするかというと、ブルーの向かいの中華に行こうとなるのです。ブルーとはなんぞやという疑問が生じると思う。端的には北松戸には、ブルー何とかとレッド何とかという2軒のインド料理店があって、この夜の中国料理店はブルー何と向かい合わせにあるのです。ここに来るのはもう何年も前の事になります。というのもメモで知ったわけで当然この時のぼくは初めての訪問と思い込んでいるわけです。さて、店内は八割方の入りであります。北松戸にあってこれは非常に驚くべきことであって、これほどの入りがあるのは線路を挟んで向こう側の和式の「天津」位しか思い付かぬのです。ギリギリで席に着くと早速肴2品とドリンクのセットを注文です。選べるドリンクに決まりはなさそうなので、瓶ビールを頼んでみるとやっぱり基本は駄目みたい。差額をプラスすれば対応できるとのことですがキッチリと表記しておいて欲しいものです。さて、料理は見ての通り、って剤分投げやりであるけれど、まあ普通に美味かったのです。こかまで混み合うほどのものではない気がする。でも、でもですよ、もし仮に初めての本場風を味わっていると想像してみたらどうだろうか、やはり普通と感じただろうか。いや、そんな事はないはずた。と、ベタなレトリックを弄してしまったけれど、これでも結構美味かったに違いないのです。慣れとはいかにも残念な事だなあ。店名はもちろんの事、店の雰囲気すら覚えてはいないというのに味というのは記憶の案外取り出しやすい所に留まって、容易に想起してしまうのだろうなあ。なんてことを思いつつも品書きだけは丹念に見ておくのだ。そこから判明したのは一品料理は高いけれど、定食にすれば手頃である。そして水餃子と焼餃子は手頃であるということ。ということはこの夜のオーダーはまずまず正解だったとほくそ笑むのであります。
2019/10/01
コメント(0)
ぼくが墓参りするのは極めて稀な事です。思い返してみてもこの十年で3度目でしかないのです。だからといって縁ある故人の死を悼む気持ちが皆無というわけではありません。むしろ人一倍、亡くなった方に対して回顧する事は多いほうだと思うのです。だけど、それと墓参する事とは別物だと考えるのは、端的に他人の死をもって商売と見做すことに抵抗感があるからなのです。無論、死を巡る生業にも様々な種類があり、その多くが平穏な日常生活を我々が過ごす為には必要不可欠なものである事もある程度は承知しているつもりなのです。宗教的な議論には持って行きたくないので端的に書くとすれば、墓とかそれが置かれる墓地、それと墓参りという慣習には与したくないというだけの事なのです。これに関しては、思った以上に多くの賛同をいただけそうで、実際ぼくも看取ってくれる可能性のある人に対しては極力金銭的な負担となるような事はしてもらわなくていいと常々言い聞かせてはいるのです。まあ、自分のことであれば死んだからにはどうされたって構うことでないし、構うことなどできぬのだろうから大して重要な宣言ではないのであるけれど、それでも未だに墓を持つことに拘る人も少なくはないようです。その事を否定するつもりは余りないけれど、霊園の抽選に当たったのよと嬉々として告げられるのもどうかと思うのです。だけれど事実そうなってしまっては一度は顔を出しておく程度の常識は持ち合わせているつもりと自負する者であります。そんなこんなで、向かうは八柱霊園です。 とか長々と自分の死生観を述べてしまいましたが、広大な八柱霊園を炎天下のもと彷徨い歩いた末に路線バスの時刻も逃し、歩いて駅に戻り「たかなし」にてしばしの休息です。近頃、日和ってしまい喫茶も酒場巡りも怠け気味だけれど寄る年波には勝てぬという事にしておこう。八柱駅からも至近なこの清潔で落ち着いた喫茶は、墓参り帰りの人達で混み合っているかと思いきや、遅めのランチのおばちゃま達が数名だけでした。なんてことのないお店ではありますが、こういうキレイなお店は良いものですね。特に真夏に汚いのは辛くなってきました。 で、その後で、かねてから行きたいと思っていた鎌ヶ谷の「パラオア(palaoa) 新鎌ヶ谷店」でパンを購入。少しも尖ったところがなく普段の食卓に並べるのに適しているように思いました。値段もとても手頃ですしね。本格派のパン屋では珍しく前日の残りのパンを手頃な価格で購入できるのもありがたい。しかしですね、本当に食べてみたかったのはサヴァランなのです。食べログで見たここのサヴァランのルックスはどこのものとも違っていて、他にもパン・プディングやかぼちゃのプリンがすっごい旨そう。船橋法典にも新店舗がオープンしたようだから今度、買ってきて貰うことにしよう。 さて、ようやく本題の「カレーの店 ボンベイ 本店」であります。店主の方が上野の「デリー」で修行されたのは、もうずいぶん前のことらしくその辺の来歴については、ぼくなんかのような俄かカレー好きなどでは太刀打ちできぬほどの情熱にとんだ方たちがネット上でいくらでも啓蒙活動を行っているので、そちらに譲ることにします。看板商品はズバリ、カシミールカレーです。カシミールはインド北部の山岳地帯を指すらしいから、カシミールカレーもこの地域のカレーということか。ところが、「デリー」のHPを見ると創業者の田中敏夫氏は当初マドラスカレーとするつもりが誤ってカシミールカレーとしてしまったということなのであります。何とも大らかで出鱈目で素敵な逸話であります。そして激辛カレーを日本に浸透させたいと考えた創業者が想定していたのは南インドの「マドラス」というのだ。なんだ「ボンベイ」のカレーは南インドのカレーが起源なのか。 ところで、ここのカレーを見て思い出すのが、スマトラカレーで、これは何ぞやと尋ねられてもお答えする準備はありませんが、スマトラがそのままインドネシア共和国のスマトラ島を意味するのであれば、インドネシア風のカレーということになりそうです。でもインドネシアのカレー料理というとグライ、特に肉を用いた料理をルンダンと呼ぶようなのですが、どうも日本でいうスマトラカレーとは別物の気がするのです。スマトラカレーといえば神保町の「共栄堂」が有名で、そのホームページを見ると、 当店のカレーは、大正13年の創業当時より、スマトラカレーとしてお客様に親しまれてきました。明治の末、広く東南アジアに遊び知見を広めた伊藤友治郎氏より、スマトラ島のカレー の作り方を教わり、日本人の口に合う様アレンジしたのが、共栄堂のカレーです。 とあります。「共栄堂」のHPの記述を見る限りは日本風のアレンジはされているものの基本的にはスマトラ島のカレーを踏襲しているようです。一方で今回お邪魔した柏の「ボンベイ」は「デリー」の系譜に連なるようです。 スマトラカレーといえば、「黒濃色のソース」が定番で、それは、「20種類の香辛料」を「1時間かけてじっくり炒め」た結果によるもののようなのですが、この真っ黒のソースって本場のインド料理ではほとんど見かけませんが、日本人はこの真っ黒カレーに魅せられるのはライスの白との無彩色の対比に美意識をくすぐられるからではないかとも思うのです。「キッチン 南海」のカレーもやはり黒を志向しています。 まあ、カレーなんてものはありとあらゆる種類があってそれこそ家庭ごとに材料もレシピも千差万別なのが面白いところなのだから、余り深追いしても仕方がない。旨ければいいのだ。ということで、柏の名店の味はどうだったかというと、すごい好みなのです。ビールとの相性もばっちりです。アチャールというよりピクルスに近い玉ねぎときゅうりの2種も添えて食べるとさっぱりして実に旨い。ネットでの感想を眺めると辛くてテイクアウトしたソースを3回に分けて食べるとかいう方もいるようですが、ぼくには辛さという面ではそれほど強烈ではなくちょうど良い塩梅に思えました。汗はじわじわと染み出すけれど、口腔内は最後までさわやかなままでいつまででも食べていたくなる飽きのこない味でした。ネットではここの味を再現したレシピもあるので、ぼくもそのうち試してみようか。でも大いに堪能させてもらったけれど、このカレーのどこに南インドの風味を感じ取れるのかは分からず終いでした。人の味覚も千差万別ということか。
2019/08/24
コメント(0)
五香は、新京成電鉄の唯一の列車に乗って松戸駅から10分程度で行けてしまえるから、まあ都心の方にとっても30分程度で辿り着ける町であろうと思うのだ。その気持ちは分からぬではない。しかし、あえて新京成電鉄沿線での呑みの楽しみを語ってみたいと思うのだ。上手く接続しさえすれば確かに30分程度で五香に行ける―と思う―から、よくよく考えてみて頂きたい。まずは、この新京成電鉄の沿線は何より田舎臭い。田舎臭いというのは全く持って田舎ということではないので注意が必要なのです。田舎の風景を愛する人たちがいてもおかしくはないと思う。だけれどぼくにはまだその良さは理解しかねるところなのです。地方鉄道の小さな駅のその駅前に残滓を留める商店街や飲食街にこよなく愛着を感じる者にとっては新京成電鉄沿線は、格好の町が残っていると思えるのだ。都心からふらりと行ける町でこの枯れ具合を堪能できる沿線はそうはないはずだと思うのです。これは誉めてるつもりの文章だったのだけれど、こうして振り返って読み直すとどうもおちょくっているように読み取れるけれどそれは本意ではないという事はご承知おき願いたいのです。 さて、駅前の雑居ビル二階に「カフェ フェリース」というのがありましたが、こちらについては、語らずに済ませることにしたい。少なくとも純喫茶を好む方の琴線には触れる余地がなかろうと思うのです。本当の目当ては駅の逆側、北側を東武野田線の六実駅に繋がる道をしばらく行ったところにある「中華料理 栄楽」なのでした。まさしく六実駅に車で送り届けてもらった際に見掛けた中華飯店なのでありますが、ありゃりゃ、戸は開いているし中には人の気配もあるけれど営業を始める様子は認められません。もしかして昼間だけ商売しているのかなあ。 しかし、愚図愚図している時間の余裕はありません。もう一軒、目を付けていた「酒の店 ウタリ」を目指すことにします。看板が酒呑みの気分を高揚させるに十分ですねえ。酒の店というのが何とも硬派でどこか懐かしさすら感じさせてくれます。これが新京成電鉄の魅力なのだよなあ。それからウタリって何なのだろう。仮名の表記から推測するにアイヌ語ではなかろうかと推測するけれど、これは次回主に伺うとしよう。なんて書いたけれど好奇心に打ち勝てずに調べてみると、やはりアイヌ語のようです。同胞、つまりは仲間を意味するようです。同胞だと重苦しいし、仲間だとちょっとお馬鹿っぽくなるけれど、その点、ウタリという響きは少しばかり謎めいている一方で親密な雰囲気が放たれるような気がするのです。さて、それはともかくとして、店のご夫婦もそんな親密さがあって、内装の古めかしくも暖かな雰囲気と相まって実に気分が良いのです。そして、そんな気持ちの良さは振舞いだけでなく肴にも現れています。マグロのブツの見事さはどんなもんだい。一人じゃとても食べ切れぬような、しかもそれが深い味わいの絶品マグロだから驚かされます。切り身もでかくて一口で食べ切るには味覚が濃密過ぎるほどです。そして、なんの気もなく頼んだ鶏皮ギョウザの何たる美味いことよ。こちらもまたたっぷりと盛り付けられていたけれど、それが瞬く間に胃に収まったのでした。特に同行者には大好評で日頃感情をほとんど表に出さぬのに、この夜は喜悦に満ちた表情を浮かべていたのです。この夜、この店で彼とはようやく真にウタリになれたように思うのです。と書くと。いかにもわざとらしいか。 さて、折角だからもう一軒。田舎町らしく「田舎料理 あんあん」にお邪魔するとします。田舎料理というのはよく分からぬし、あんあんなどという艶めかしい店名もどういうつもりかと突っ込みたくはなるのだけれどこの夜は気分がいいから構うことはあるまい。割と広めの店内にはお客はおらず、女将さんが小上りで何やら内職中のようです。こうした店でいつも言われるあらあら若い方が珍しいの言葉を受け流し、席に着きます。肴は適当に冷蔵庫にあるものを出すようであるが、既に美味い肴は充分堪能しました。それにしても煮物っていうのは、同じ材料、同じ調味料を使ってみても出来上がりに極端なほどの差異が生じるのはどうしてなのでしょう。こちらの煮物はどうもぼくの口には合いません。お通しだからやむなく頂きましたが、ちょっときつい。こうした店ではどこで頼んでも変わらない冷奴やこれはサービスといって出されたポテトフライなどが無難なようです。サービスという割にはお勘定書きを見てイラっと来るものだったから、それを嫌うなら寄らぬが得策かもしれません。
2019/08/15
コメント(0)
まあ、これまで誠意をもって接しえたかどうかはともかくとして市川の町にはもう何度も行っているし、著名な酒場や喫茶店のみならず多少は歩きこまなければ知り得るところではなかろうと思われる酒場や喫茶店にも赴いたという自負を持っていたのであります。こうした自負が時として手酷く自らを傷付けることを知らぬ齢でもないから声高にそれを語ったりすぐ愚は犯さぬつもりではあったけれど、言葉の端々からそれを看取されたこともあったかもしれない。まあ、人様からどう思われようと大した問題ではない。喧嘩沙汰になったり付け狙われたりするような実害さえなければ構いはしまい。だけれどね、そんな良さそうな酒場が駅から目と鼻の先、改札を抜けたらすぐにあるとは思ってもいなかったのであります。これにはいたく自尊心を傷つけられたのであります。そんなことで傷つきはしないけれど、己の散漫な注意力に恥の感情を認めたのは間違いのない事実なのです。 そこは「季節料理 東」という質実剛健という言葉が適当とは思わぬけれど、意志の強そうな厳めしく真面目そうな面構えの店舗が駅前のそう広くない通りの向こうに控えていたのでした。真っ直ぐに伸びるカウンター席はお客さんでびっしりと埋まっており、とても繁盛するお店のようです。しかもお客さん同士で交流もあったりしてみなさん付き合いの濃淡はあるようだけれど互いに挨拶を交わしあうような地元に密着した雰囲気です。まずは億の卓席に促されました。店のシックなムードを裏切るようなクロスが敷かれていたりといった、そんなチグハグさも好感を持って受け止めることができます。というのが店の方たちが大変親切で客との距離が近い感じが心地よいからなんでしょうね。お通しで呑み始めた頃に3人組が来られた際には逆にこちらが空きのできたカウンター席に移動を申し出たくらいです。まあ、雰囲気の良し悪しに関わらずその程度の親切心は常に持ち合わせているつもりですが。さて、燗酒を交わしつつ肴を物色しますが、天ぷらや刺身など定番がずらりと揃っています。こちらは天ぷらが売りのようだからぜひ頼みたいとは思うのですが、夏場なので胃腸の具合が今ひとつ、ここは軽めにしておきましょう。正直なところもうさほど食い気はなかったのです。酒さえ呑めればそれで十分。なんて文章が堂々巡りしているのは隙間時間にちょこちょこ書いているからということもあるけれど、とにかく当たり前にいい酒場というのは書くことに困ってしまうのでした。写真を見てお感じになるそのまんまのお店です。 しかし、わき道を進んだ先にもっとずっとぼく好みの酒場があったのだからこれはもう立ち寄らぬわけにはいかぬのであります。「酒処 つか」がそこなのですが、ここがネット上でほとんど情報が流布されていないのはどうしたものだろうか。まず末枯れた雰囲気の店構えだけでも惚れ惚れするけれど、その内装たるや理想に限りなく近いのです。普通といえば普通の造りなのだけれど、丁寧に使い込まれたからこその単なるボロとは一線を画する愛着の湧くような気取らない心地よさに包まれるのであります。さて、ここの凄さはそればかりではないのです。なんといっても肴が旨いのです。刺身も焼鳥もごく当たり前の品がなぜにここまで旨いのか。それは山芋の短冊のつまらないといえばいかにもつまらぬお通しすら美味しいのだからとにかく大したものなのです。いや無論その旨さは高級料亭のそれなんかとは比較してはならぬのだけれど、もう酒しかいらぬといったぼくが刺身の切り身を勘定したり、焼鳥をきっちり注文した分だけ保持してみせることからも間違いのないことなのです。無論、こうした店だから客はみな常連ばかりであるけれど、互いに席を譲りながらの交流にほほえましさを感じるのは酒場で呑むことの幸福感を増幅させてくれるようです。市川の酒場の客たちは、都内の酒場の人々よりもずっと穏やかで優しい方たちが多いみたいです。
2019/08/10
コメント(0)
何だかんだと文句をつけていて、恐縮でありますがこの番組がなくなった時を想像すると、時折寒々とした不安を覚えるのです。よく読んで下さっていれば、ぼくがこの番組について不満ばかりを呟いている訳じゃないことはご存知かと思います。最大の意義は未踏の町や知ったつもりになって立ち入らなくなった町に足を伸ばそうという意欲を喚起するところにあります。そして、密かに思っているのがこの番組に登場するのは番組スタッフが目を付けてきた意中の酒場ではないんじないかということ。その理由は言わずもがなであるけれど、意中の酒場の店主は長年の付き合いで築き上げた常連たちの信頼関係が崩されるのではなかろうかという懸念があったりして、断わる事が多いんじゃないだろうか。でもスタッフは未練断ち切り難く通い詰めるうちに近隣にもハシゴするようになる。いつまでも実らぬ交渉を続けるのに嫌気が差した頃に、ハシゴで出会った次点、次々点の酒場との交渉を思い立っても何ら不思議ではないのです。これは単なる邪推ではありますが、案外蓋然性のある推察なのです。なぜなら、市川の番組に登場した酒場の側で素敵な酒場に巡り会えて、少しばかり感動してしまったのでありますが、それはまた明日にでも報告します。 さて、番組に登場したのは「花まる」という市川駅の高架を激しく行き交う総武線の下を結ぶ通り沿いにありました。外観はポップな看板がそうさせるのだろうか、つい先頃開店したばかりと言われても少しも意外ではない、ムード派呑兵衛にはいささか物足りぬ構えです。それでもまあ店内は何処がどうと上手く説明できないけれどどこかしら今どきの酒場とは違った雰囲気のお店です。それは席と卓の距離感にあるのかもしれません。席感は狭いのに、卓間が広いところがどうやらそうした印象をもたらすようです。実際には店の方が合理性を突き詰めてこの形に落ち着いたのでしょう。さて、ドライなチューハイで喉をうるわして、肴を物色します。オススメの牛スジ煮、今晩のお惣菜だかおばんざいから鳥ゴボーを頼みました。どちらも盛りが少なめですねえ。少ないのは助かるけど、お値段はもうちょい手頃なのがいいなあ。でも味が思いの外に良かった。どうって事のない料理だけどなかなか旨いと思わせてくれる店には当たらぬものです。砂肝のスモークも追加。チューハイは薄くてアッという間に呑み干してしまい切りがなさそうなので、早々に清酒へと移行。大体いつもこの選択で痛い目にあうので、せっせと肴を平らげて、酒も一気に干すのでした。番組を見ると、こちらの主人は元フレンチのシェフ出身だとか。その技がどれほど活かされているかは疑問も残るけれど、砂肝のスモークはきっと主人の手によるものなのでしょう。軽めに手短に呑み始めとして利用するにはまずまず重宝なお店だと思いました。
2019/08/09
コメント(0)
近頃、松戸での呑みを苦にすることはやめました。せっかく呑みに行こうというのに、つまらぬ気分で行くのはもったいないのはもちろんでありますが、考え方を切り替えることにしたのです。まあ、以前からその傾向はあったのですが、やむを得ず松戸に呑みに行くことになったらもう腹をくくって、これまで呑んだことのないチェーン系居酒屋に入ってみることにしたのです。チェーン系居酒屋には微塵程度の興味しか抱いてはいないけれど、松戸の酒場にもちょっと辟易としているからこれは丁度いい機会と思うことにしたのです。ダメならすぐに出ればいいだけのこと。そんな軽い気持ちでいたのだけれど、このヒットアンドアウェイの戦略があっさりとダメ出しを食らうことになるとは思ってもいなかったのは、余りにも想像力が欠如していることを思い知らされたのでした。 松戸駅西口のペデストリアンデッキから町を見上げるとこれまで見過ごしていた居酒屋が目に入ることがあります。それは分かってはいたのだけれど、ビルの上階にあるようなお店は大概がチェーン店であろうことは容易に想像ができるので、わざわざそうすることもなかったのです。この日は気持ちを切り替えて臨んだから早速見知らぬ「個室居酒屋 殻YABURI ~からやぶり~ 松戸店」というお店を視界に収めることができたのです。看板を見るとハイボール99円とあるから、もうそれだけの理由でお邪魔することに決めてしまうに十分なのです。さて、店内は近頃流行の個室居酒屋系であります。若い男女が乳繰り合うには便利かもしれませんが、おっさん二人で使うのはちっとも楽しくないのでありますが、この際、気にするまでもなかろう。さて、早速にハイボール99円を注文します。あんだけデカデカと宣伝しているのに、7時までの時間限定サービスなのだな。これはちょっといただけないなあ。なんて思っていたけれど、従業員の行ったり来たりする手に、99円ハイボールが握られていることはなかったので、われわれ以外はこれが目当てではないということらしい。しょぼいお通しはまあ置いておくこととして、こちらは玉子料理押しのお店らしいのです。ポテサラにはスライスしたゆで卵が乗っているけれどこれで玉子料理はちょっと無理があるなあ。豚ぺい焼は大振りでボリュームがあるけれど、中のキャベツは千切じゃなくてざく切りをレンジでチンで蒸したものらしい、こりゃあ手抜きだなあ。というわけで、99円を3杯呑んだらまあもういいかという気分になったので、お勘定したら思ったより高いのだ。よく見るとなんとしょぼいお通しが400円だって。いくらなんでもこれは酷いなあ。まあ、早めに店に入れて、肴を控えめにして10杯呑む気でいれば元は取れるかもしれませんが、まあそんな気にはなりそうもありません。 東口に移動しました。うっかりしていましたが、松戸駅東口の「備長炭火ホルモン焼 しちりん 松戸東口駅前店」にお邪魔するのはこれが初めてだったようです。このチェーン店はそれなりに呑み歩いたと思っていましたが、灯台下暗しであります。しかも店の寂れ加減は他の店舗よりも好みに近いからうっかりもいいところです。カウンター席のゆとりある造りがなかなかいいんですね。こちらのお馴染みの100円メニューもちゃんとありますね。この夜はネギの煮付けと非常に微妙でお二つですかと聞かれ、一つで良いですと答えられなかったのは情けない話であります。こちらのチェーンの日替わりは店舗ごとにきっと違っているんでしょうけど、この店舗は焼魚がそれなりに充実しているのが嬉しいのです。特にメヌケがお勧めらしく、その面構えが思い浮かべることができなかったので、急いでスマホでチェックします。その顔だちを見て即注文を決定。七輪を使ってじっくり焼いてくれるスタイルなのですね。うんうん、これはなかなか良いアイデアであります。が時間が掛かるのとちょっと煙いのが難点でした。脂が乗ってると書いてあったけれど、タラみたいなスカスカの味でちょっとがっかりでしたが、これで250円はやはりお手頃です。といったわけで、チェーン店だけれど店舗ごとにしっかり個性があって、しかもけち臭い罠を仕掛けたりしないようない詐欺の良さがこの店の良いところであります。
2019/07/17
コメント(0)
先達ても書いたばかりでありますが、下総中山は世の酒場マニアたちも未踏のフロンティアではないかと思っています。これもまたいつも言ってることですが、酒場でも喫茶店でも何だっていいけれど、連綿と営業を続けてきたようなお店について、発見といった言葉でさもお手柄のように語ることの不毛さと虚栄心の高さには辟易とさせられたりもするのですが、仮に発見という言葉を用いるとするなら常連たちが当たり前のように享受していて見失ってしまったその店の真価を適切で判明な言葉で語って見せることにあると思うのです。その言葉の中に他店とは差別化し得るだけの説得的な差異を提示できたとしたら、それこそが発見であると告げるべき時なのだと思うのです。それでなければ世の中には既知の発見ばかりが蔓延ることになって甚だ目障りなのです。ということで、せいぜいが再発見であると言うに留めることにしますが、これから下総中山の地元の方に愛される素敵な女系酒場にお邪魔することにします。 目指す酒場は、酒場放浪記で紹介された「酒と食事処 かよちゃん」のさらに先にありました。そこに行く際も随分遠いところにあるなあと思ったものですが、そのさらに先というか奥にあるのだから、畢竟お客さんは近所の方ばかりということになります。そんな場所にある酒場をいかに知り得たかというと自らの足で稼いだと言えば聞こえはいいのですが、それはウソ。たまたま車でこちらの方を通った際に見掛けてから虎視眈々と再訪する機会を待ち受けていたのであります。というのが、たまたま車に乗せてくれた人というのが車で仕事に来るのがごく稀にしかないというのがひとつめの理由、また見掛けた際に店名を確認し損ねたので道のりをいくらトレースしてみてもその酒場を発見するに至らなかったというのが二つ目です。ということで、その車に乗せてくれる彼氏には日々親切に付き合うことで、車で来るタイミングを見計らっていたのでした。かつてと同じ道を通ってもらうことには、親切さがモノをいって成功したのですが、肝心の酒場が見当たらぬ。いつまでも引っ張り回すわけにはいかぬから朧げに記憶に残る風景を目にした時点で車を下ろしてもらったのは少し無謀だったか。でもそううろつき回るまでもなく記憶に微かに残るそれと近しい「もつ焼 磯むら」になんおか辿り着けたのでした。発見という言葉を安売りするのは嫌いだと語ったばかりだけれど、これは小さな発見と言ってみたい衝動に駆られます。さて、店内は程よく抑えめの照明であり、めっきり熱くなった今日この頃には夏の夜の情緒として大いに愛するところです。カウンター席に着こうとするとそこはご近所の方がずらりと肩を並べており、店の方からはよろしければ卓席へと促されます。うん、こちらの方が店内前面を一挙に眺められて気持ちがいい。透き通った酎ハイをすすりながら、普通だけどなんだかやけに美味しいソーセージを摘みます。隣の卓には店の方のご家族らしき母子が第二の我が家のようにしてこの空間を愉しんでいます。子供の時分からこうした店を自宅のようにするときっと将来も呑み屋の空間にこそ安らぎを感じるようになるのだろうな。店の方、3名は皆さん女性ばかり、そのせいもあってかおっちゃんばかりだった店内には徐々に女性の独り客が増えだしました。中でも最も顔馴染みらしい方はミニカレーだったかなを注文しています。ああ、これぼくも気になっていたんだよな。でもご飯が重いかなと考えて見合わせたんですよ。でもこのお客さんはご飯抜きにしてもらっています。ああ、ぼくもそうしておけばよかったなあ。今度はきっとカレーを頼むことにしよう。なんてもう次に来ることを考えています。とにかく実に気分のいい酒場でいつものように近所の方が羨ましくなるのでした。さて、今更ですが、かつて目にした酒場は本当にここなんだろうか。もしかするとこちらに負けず劣らずに素晴らしい酒場がこの住宅街に潜んでいたりしないだろうかと思うと、さらなる探訪に赴きたい欲求を抑えるのに難儀するのでした。
2019/07/09
コメント(0)
ぼくなどが子供だった時分には、インド料理店など見たこともありませんでした。それは特段ぼくの転々と移り住んできた町が地方都市だったからというのが理由ではなく、そもそもが日本では東京などのごく限られた場所にしかもごく少ない数の店があるだけだったようだから目にすることがなかったのは当然の事なのです。ところがですよ、近頃旅行をしているととにかくどこにだってインド料理店を目にするようになりました。それも地方都市どころか駅前離れが進み町としての体裁を失いつつあるような寂れ切った土地にすらインド料理店は存在していたりするのだから、インド人達の土地への順能力の高さに驚かざるを得ないのです。人気のない駅前通りにケバケバしい外観の料理店を見てももはや驚くこともなくなり、けれどこんな田舎町にインド料理がそれ程の需要があるものだろうか、そしてこの店を営むインド人はじめの周縁国の人達は、この町でどんな生活を送っているのだろうか、などなど止めどもなく疑問が噴出するのですが、日本人はカレーと呼ばれるものであれば選り好みなく好きであり、店を出すインド人らはとりあえずの出稼ぎ気分で田舎暮らしを長い人生のわずかひと時の退屈な暮らしと割り切っていると考えておくことにしよう。問題なのは、何度も語っているけれどインド料理店が居酒屋化を加速させているように思われるという事です。本場中華料理店もそうですが、これらの店で日本の町が席巻されることを思うとゾッとした思いに囚われるのです。インド料理も中華料理も大好きで、実のところ昔ながらの町の居酒屋で出される日本の肴は大概旨くない事を思うとむしろそちらの方がいいかも知れんと思ったりもするのです。しかも日本の居酒屋で出されるインド風だったり中華料理風だったりする料理がそれに輪をかけて不味かったりするものだから居酒屋の価値を主に肴の良し悪しで判断するような方はもしかするとそちらにシフトしていくことになるのかもしれない。いや、現在の活況を鑑みるにすでにそうなり始めているということなのだろう。 馴染みたいと思っているわけじゃないけれどすっかりお馴染みになりました北松戸にもレッドとブルーの2軒のインド料理店があります。先に出来たブルー、つまりは「アジアンダイニング ブルースカイ」はなかなか宴会に使い勝手が良いと教えられていて利用の機会を窺っていたのだけれど、知らぬ間にレッド、つまりは「インド料理 レッドローズ」がオープンしており、お手頃さではこちらが勝ったというその一点に惹かれてここを訪れることを決めたのでした。値段は評判をも凌駕するのです。さて、店の構えは薄っぺらでゴテゴテしたインド料理店のそれでしかなく、まあその安っぽさがインド料理店である証しともなっているから戦略としてはありかもしれぬけれど、ぼくにはどうも面白くない。むしろブルーは田舎町のキャバクラみたいな内実のえげつなさと裏腹のさわやかな青を基調とした見栄えで全く趣味とは違っているけれし、品のないこと甚だしいけれど工夫した痕跡は感じられます。店内も全く凡庸の極みであるけれど仕方ないですね。さて、こちらは料理が11品(といっても〆のカレーとナンとライスが別記載なので実質は9品と数えるべきだろう)に90分の呑み放題が付いて3,000円のBコースを注文しました。パパド、サラダ、枝豆、チキンティッカ、ポテトフライ、モモ、アルジラに好みのカレー1種が付いてだから確かにお得なのだ。さらに下の2,500円コースもあるから立派なものです。パパド、サラダ、枝豆、ポテトフライと何とも味気ない品が続きますが、サラダに掛かったアイランドドレッシング風のが妙に旨かったのです。ハナマサなんかの市販の業務用になにかを混ぜ込んだ程度に違いないのですが、あの味になるならぜひレシピを知りたいものです。チキンティッカ、アルジラはまあねえこんなものかな。モモは案外うまかったけれど、これもハナマサの冷凍ショーロンポーではないかと推察したがどうだろう。ここですでに満腹であります。カレーのルーすら胃に収まりそうにありません。とここでさらなるサービス。お持ち帰り対応してくれるのですね。現場で食べるよりナンはかなりボリュームダウンしていたけれど、味は悪くなかった。ラムカレーを持ち帰り、食べたけれどこちらはう~ん、自分で作った方が旨いかなあ。ただ、現地でホウレン草カレーを食べていたのに一口分けてもらったらこれはなかなか良かったですね。次の機会があればそちらにしようと思いつつも、キラ星の如く乱立するインド料理店をみたらあえてここを選ぶ理由はなさそうにも思えるのです。
2019/07/03
コメント(2)
妙典には、先般お邪魔したばかりでありますが、その後のリサーチで魅力的な酒場を知るに至りましたので、改めて出向くことにしました。リサーチの方法はというと、実に原始的かつ王道なものでありつまりは伝聞に基づいて訪れることにしたのであります。よくお喋りをする職場の同僚が実は妙典在住であるということをつい最近まで知らずにいたのですね。この文章をお読みいただいている方は、すでに店の写真をご覧になっているはずなので、説明するまでもないのですが、つまりはぼくの好む酒場のイメージというのはまさしくこれなのですよ。たまたまこのブログに幸か不幸か辿り着いた方はともかくとして、レギュラーでご覧いただけている方がいるとすれば、ああいかにも好きそうであるなあとあっさりと納得いただけると思うのです。しかし、こういうのが好きではないもしくは興味がないという方にとっては、目をそむけてしまうというよりもそもそもが視界に入り込んでは来ないもののようなのですね。だからぼくが口を酸っぱくして語ってみても、どうもその意図するところが伝わりにくいらしいのです。この妙典在住の方にも何度となく古酒場が好きなのだと昏々と説明したのだけれど、その地道な努力がようやく実ってきたようで、そのお陰でこれから訪れようとする酒場を知るに至ったのでありました。 駅前のささやかな商店や飲食店も途絶えてさらに寺町通りを行った交差点に「やきとり 寺町」はありました。それにしてもこんな物件を毎日のように通過して知らぬままでいたというのはやはりどう考えたっておかしいと思うのですね。ルックスの良さっていうのは時に腹黒さを併せ持っているというのが大体お決まりですが、こちらはどうなんでしょう。店内は、おおこれはちょっと珍しいスタイルだ。カウンター席やテーブル席もなくって全面座敷上となっており、大きなテーブルが置かれているのです。そこでは金曜会という容易にその趣旨が読み取れる凡庸なネーミングの会合が繰り広げられていて、地元の衆が男女入り乱れての大盛り上がりなのです。そんな片隅に潜り込ませていただきました。そんなおっちゃんの独りに絡まれて―必ずしも悪い意味で絡まれてはおらず、かといって御馳走してくれるほどの気を遣ってくれるわけでもない―、鬱陶しいほどの薀蓄とエロに翻弄されるのでした。普段付き合いのいいぼくも辟易とするほどでした。さて、酒はお値段の高めで肴もけして安くない中で唯一、どうしたものかエビフライだけは300円と安価なのです。どういうオチか知りたくなって注文してみると、なんとなんと驚くほどに立派なフライが登場なさったのでした。実に意外性に富んだなかなか愉快な酒場でありました。
2019/06/29
コメント(0)
京成中山駅って、確たる根拠がある訳じゃないけれど場末風流を心の拠り所とするぼくのような性癖の持ち主には、実に魅力に富んだ町なのです。それなりに歩いてはいるけれど、まだまだ見知らぬ路地や雑居ビルがありそうなのです。その印象は京成線側よりJR線の南側により顕著かもしれません。この界隈を知り尽くした方にはその何処にぼくが惹かれているかなど分からないだろうと思うのです。ぼくの目にはリアリズムの迷宮に迷い込んだような冒険心が擽られるような愉快さがあるのだけれど、実のところはそれ程に面白くないという地元の方の印象が正解のようにも思えるのです。日頃、せめて都内近郊の町は我が庭のように歩きこなしたいなんて語っているけれど、もしそんなに町を知り尽くしたとしたら楽しいなんて感情が湧き上がることなどないような気がするのです。知れば知るほどに深淵へと潜入して行ける趣味もあるけれど、所詮出来合いのものをただ愛でるだけなんていう行為では、その限界は知れているものなのでしょう。でもそれでもぼくなとのような若輩者の想像力を凌駕するような、そんな酒場と遭遇できるならひたすら受け身でいることの何がいけないのだ、と開き直ることにします。というのが昨夜書いたことらしいのだけれど、何とまあ愚かしい事を自信たっぷりに書いておるのだろうと恥ずかしくなるのだけれど、例によって消しはせぬのです。さて、この夜はJRで下総中山駅にやって来ましたが、帰りは京成線を利用しようと乗り換えでいつも使う道を歩き出したのですが、ふとした思い付きに促されるように一本裏の通りを歩く事にしたのです。 ほらね、たった一筋の裏通りを歩いただけで「喜代の家」のような素敵な酒場と巡り会えるのだから、回り道するのって楽しいし、その期待に応えてくれる中山という町の潜在力に驚かされるのですね。店内は7,8名も入れば目一杯という感じでいかにも昔の駅前酒場風でその風情に触れるためだけにでも訪れる価値はあると思います。おでんなどのお決まりの肴もありますが、ここでは店の風情と女将さんや長年通い詰める常連とのお喋りこそが最高のアテとなるのです。昭和30年だったか、戦後すぐに池袋を離れて中山にやって来た女将さんの思い出話は尽きることが無く、そこには激動とか苛烈とかというような扇情的な形容とは無縁の淡々たる日々があるばかりなのですが、そんなどこまでも続く日常が語られ聞くうちにそんじゃそこらの昭和自分史とは隔絶した歴史として立ち上がってくるのを感じるのです。このちっぽけな酒場と女将の歴史はそのまま中山という町の歴史そのものなのです。なんて綺麗事を語ってみても仕方のないこと。こんないい加減な感想など読むより、女将の口から止めどもなく綴られる虚実入り混じった昔語りに耳を傾ける方がよほど町の記憶を鮮明にします。余所の町から尋ねるのもいいけれど、むしろそれ以上に中山にお住いの若い方たちにせっせと訪れていただきたいのです。写真に写る巨大タワーマンションの住人などその義務があるとすら思えるのです。ここに訪れることでやむなくして中山の住人として暮らしていくか、誇り高く中山に愛着を持って住めるかはこの小さな酒場で呑むか呑まぬかの選択に掛かっているかもしれません。
2019/06/27
コメント(0)
この夜は、学生時代からの付き合いとなるAクンと呑むことになりました。学生時分から付き合っている友人は片手に余る程度しかいないというぼくにとっては、これは稀有な機会なのであります。ぼくは自らそれを望んだわけではないけれど、結局はその程度の友情しか構築しえなかったのであります。もともとが淡泊な人間関係で満足してしまう方らしいから仕方がないのでありましょう。例えば昔の仲間と数十年ぶりに再会したとして、しみじみと感慨に浸れたかというと己の経験を振り返ってみてもそうはならなかったのであります。人は齢を取るものだから記憶の中の友と現時点のかつての友を比較してしまうのだろうと思うのです。その点、町というのはやはり同じく齢を取ったり若返ったりするけれど、いずれにしてもその移行する速度は緩やかなことが多いからその分感慨深かったりするのだと思うのです。なんて、はじめて訪れる町、妙典には少しの感慨も湧くはずもないからそろそろ本題に。 住宅街に埋もれるようにある「中華料理 かさや」は、典型的な中華飯店の趣きを損なわぬように大事に守られてきた、そんな印象を感じさせるお店です。特に際立った特徴は見た目からは汲み取れません。入れ替わりで客の去った後にはわれわれ二人が取り残されるばかりで、これが独りなら相当に寂しかっただろうと思うのです。特にぼくが腰を下ろしたのは表に向かってであり、人の気配のある厨房には背を向けているから尚の事に孤独感が嵩じたはずだと思われるのです。つい悩みを抱えた旧友の語りも声を潜めがちになるのです。麻婆豆腐―このお店では白麻婆豆腐がオススメされていたので物珍しさに流されてそちらを注文しました―なんかも別にそれと意識したわけではないけれど、音のしない中華料理の典型です。余談であるけれどこちらの料理は定番に進取な味付けを積極的に導入しているようですが、惜しいことにまだその意欲は達成には至っていないように感じられます。料理人の姿は目にすることはなかったけれど、会えたなら激を入れたくなます。でもそんなことをしたら物静かな若い奥さん―かな?―を悲します事になりそうですから、お会いできなくて幸いだったのかも。
2019/06/22
コメント(0)
下総中山は、ご存知の方はご存知なように総武本線の駅がある町です。それは余りに不親切な説明なので、ちょっと観光ガイドをすると駅の北口を出て京成中山駅の先には長い参道の向こうに法華経寺があり、ここは中山三法類の縁頭寺であるそうです。中山三法類の縁頭寺も何か知らぬけれど、知っておくべきは日蓮との関わりかと考えるのだけれど、実のところはその関わりについてウィキペディアでお勉強した程度では良く分からんのでした。境内には鬼子母神も祀られ、江戸三大鬼子母神のひとつに数えられるそうです。あとの2つは入谷と雑司が谷であると思うのだけれどこれまた自信がありません。と、全く観光案内の役目を果たしてはおらぬけれど、歴史のある土地ということだけは知れたからまあ多少はこの地のイメージが伝わったかと思うのです。いや、そんなことはなかろうという意見はここでは無視して、この夜、中山にやって来たのは、今年照準を当てている東京メトロ東西線の番外編としてであります。東西線沿線は未踏の地も少なくなく、この報告がアップロードされる頃には数箇所は巡っていると思うのだけれど、お約束はできぬのです。ともあれ、何度か訪れている中山の未訪店を数軒ハシゴできたので、その一軒をまずは報告することにします。 一枚目の写真をご覧になった方は、菊正宗のロゴが刷り込まれた「旬彩酒肴 いわき」にお邪魔したかとお思いになっただろうと思います。しかし、それならそれでよかったのですが、この夜は「味達」により惹かれたのでした。両方入ってしまっても構わないのだけれど、近頃はかつてのような貪欲さは影を潜めつつあります。昔は一晩に五軒とか六軒とかまあ卑しくもハシゴして回ったものですが、そんな忙しない呑み方に嫌気が指してきたのであります。というのは綺麗事というか気取ってみせているだけで、実際にはいくつかの条件さえ折り合いを付けられるのであればそうしたいのはやまやまであると告白しておくことにします。とにかくもう中華飯店の基本形ともいうべき理想的な姿を今に留める外観とその店内の様子にうっとりとするしかないのであります。ぼくは居抜きの店というのは、いくら見栄えが良くてもどうも素直には評価できかねる心の狭い男なのでありますが、ここは何故か好意をもって受け止めることができました。といって主人が飛び切りの好人物とかそういったのではない。むしろ大陸風の大声と傍若無人な態度で曲者と呼ぶべき部類の人であるのだけれど、それもどうしたものかこの店ではしっくり感じられるのです。たかだか餃子なのにやけに時間の掛かるのが気になるけれど、強気な商売を見直す気配すらないこのお店では選択肢は極端に限られるから致し方ないのです。量はいらぬがもう少し値段を抑えてもらいたいのだけれど、そんな人の意見など聞く耳はもたぬのだろうなあ。客も客で、いずれも曲者揃いでありまして、店の主人と毒舌の応酬を交わして楽しむという困ったオヤジとそれを全く平然と無視してしまう息子のコンビなど世の中にはいろんな連中がいるものだと感心するばかりなのでした。グループで行くのが似つかわしいお店ではないけれど、もう少し楽しむには2、3名で行くのが良さそうです。
2019/06/19
コメント(0)
またも松戸で申し訳ないのですが、今回は少しだけ皆さんのお役に立てるかもしれぬ情報を含んでいるかもしれません。ところで駅前という言い方が良く使われるけれど、どうもこれがぼくにはイメージし難い言い回しなのです。一般的には繁華で賑やかな町が広がる側を駅前とよんだりするようですが、それに不快感を表明し東西南北で呼び習わそうという傾向があります。例えば仙台などもそうで、小学生の頃にばくは仙台駅の東口側の寺町の片隅に住んでいたのですが、当時その辺は駅裏と呼ばれていました。ぼくにはそれはもっともな呼び方と思えて一切反感を抱くような事もなかったのですが、その後、地元の方の訴えで東口と呼ばれるようになったらしい。ところが松戸の場合はいささか事情が違っているようです。行政の中核が東口にあり、商業の中心は西口にあるせいか、町の役割が上手く分断されているのです。それには松戸駅周辺が西に江戸川、東に相模台と呼ばれる台地に封じ込められるという狭隘な土地であるという理由もあるのだと考えられます。それはともかく通常は鉄道を中心とした公共交通機関を利用する者にとっては、未だに町の中心は鉄道駅であるという印象がありますが、町などというのは中心がない方が絶対に面白いのだし、駅を起点にすると見落とすものも少なくないのだと、どんどん論点がずれているので、話を無理矢理引き戻して、松戸駅の行政の中核地たる駅東側の激安酒場を標榜するお店へと向かうことにしたいのです。 というか、これから向かおうとしている「激安酒場 福宝苑」は、実は激安立呑み店「ドラム缶」の激安ならざる松戸店にお邪魔した後に立ち寄ったのでありますが、本来は同時に報告する予定がどうした手違いからか失念してしまいましたが、こうして分割してしまう羽目になり誠に申し訳ない次第なのです。誤ったからこの話はここまでにして、店の一番目立つところの看板に激安酒場とあるけれど、その自身はどこから来るのだろうか。どうやら500円でドリンク1杯と料理1品がその所以らしいのです。確かに安いことは安いけれど、激安というには物足りぬ気がします。パッと見にはこれだけでも安い気がするけれど、よくよく考えるとそう安くもないんじゃないか。しかも料理の量はレギュラーサイズよりもかなり控えめなのであります。その割には棒棒鶏は立派なボリュームだったから、まあ肴については文句はないというものです。しかし、ドリンクが何を呑んでもいかにも薄いのだ。こうなると安全な瓶ビールや日本酒も疑ってかかるのは人情です。ならばと紹興酒を奮発したのですが、これが今なら半額というのだ。つまり1本の料金が通常は900円ちょっとだっただろうか、だから500円しないというのはなかなか良いし、しかもこれだけは薄くはなかったからこれはなかなかの激安商品と認めても良いと思うのです。ただし、これは期間限定ということなので、注文の際は確認することをお勧めします。
2019/06/18
コメント(0)
この所、北松戸とか松戸で呑むことが多くて、だからと言うのは言い訳めいているけれど、どうも書いていて気分が乗ってきません。それは書く方もそうだけれど、きっとお読みになられている皆さんも同様だと思います。でもご安心下さい。それももう少しです。こんなに何だかんだと毎晩呑んでいて忙しいなどと宣うのはちゃんちゃらおかしいとは思いますが、それでもここしばらくは結構な多忙な日々を過ごしてきたのですが、ようやくそれも目処が付きそうです。できる事ならこのブログの記事も10日分位、書き溜めておければ気分も楽にリラックスしたものを書けるのですが、今は朝の通勤時にその日、もしくは翌日分を必死になって書くものだからどうにもいい加減なものになりがちで、だとすれば内容が退屈なのは松戸とか北松戸のせいとするのは、ズルい逃げ口上でしかないかというとやはりこの地域ではなるべく呑むのを控えたいと思うのでした。なので北松戸でどうしても近寄り難く、ぼくの抱く居酒屋のイメージとは掛け離れたお店に行っておくことにしました。 こういう洋風というよりはアメリカンな外観のお店はなんと呼ぶのが適当なのでしょう。余り行き慣れぬタイプの酒場なので適当な呼び名が浮かんで来ませんけど、カジュアルバーとかで構わないのでしょうか。店には一般に介錯されているとは言い難いのですが酒BARと看板に書かれているから、やがてはこれが普及する可能性はあります。「酒BAR Gino」はそんな雰囲気の酒場なので敬遠していましたが、近頃内装工事を終えて店の前にも値段の記された置き看板も出すやうになり、チューハイが300円など手頃であることを知ったのでお邪魔することにしました。かつてはカウンター席のみだった気もしますが、表から覗いただけなので断言は避けます。二人掛けの止まり木風テーブルも設置されていますが、不安定なそこよりは真っ当なカウンター席が気軽そうです。小学生の娘さんがリビング代わりに店内をチョロチョロしています。そういうのを嫌う酔客も少なくないようですが、その点においてはぼくは寛容な方です。犬とか猫と一緒にしては悪いけれど店のマスコットみたいな存在と思えば可愛いものです。その両親でやっていて、父親が調理、母親がフロアー係です。前者が寡黙で後者が如才なく振る舞うという様も定番です。肴はピザなどが主力らしいけれど刺身なんかも揃っていて、酒もワインからホッピーまで用意されていて、特に酒は手頃で悪くありません。腕がいいとか褒めるような品は頼まなかったのですが、肴もちゃんと美味しいし何だ来てみれば悪くないじゃんか。酒BARとかじゃなくて洋風居酒屋とか名乗ってくれればもう少し早くお邪魔していたかも。なる程、意識してみればここを通る際に見遣るといつだってそこそこにお客さんがいるし、それも納得なのでした。 でもやはりそれだけでは気が済まずお気に入りの「中華料理 天津」に立ち寄ります。ここは何度か書いているのでさして付け加える事はないけれど、酒呑みが好む品をちょいと濃い目の味付けで出してくれてとても酒が進むのです。ホッピーも中身の量が以前ほどではないけれどかなりたっぷりめなのもケチなぼくには嬉しいところです。帰宅客の姿をよく目にしますが、もうすぐ自宅なのだから帰ってからゆっくり呑むなり食事するなりすればいいと思わぬでもないのですが、ついついここの味を求めてやってくる人たちの気持ちは実際良く分かるのです。
2019/06/13
コメント(0)
またも松戸の酒場で呑むことになりました。呑むことになったなどと書くと誰かに付き合わされたとか、意に沿わぬのみであったといったあらぬ誤解を抱かせてしまうかもしれないけれど、そういう意図はないのです。ないと書くとそれもまた何か違うという気もするのだけれど、自分の意思で臨んで新規オープン店に行くことにしたのだから愚痴っぽいと疑念を持たれかねない言い方はよせばいいのだけれど、きっとそうした言葉の端々に松戸への諦念と倦怠が露呈してしまうのであろうと思うのです。ちなみにここでいう松戸というのは松戸駅の周辺部という限定的な松戸のことであって、松戸駅以外の広範な松戸にはまだもう少しは無い物ねだりのぼくをして喜悦に至らせるような酒場があるものと信じているのですが、なかなかそこまで活動領域を拡大できないでいるのです。なので、松戸駅の駅から5分程度の場所に新しく酒場がオープンするとなれば、嬉々として足を運ぶのが気分良く酔うための秘訣に違いないのは分かっているのですが、ぼくの身体の奥底に巣食う淀んだ魂は隠しおおせぬまでに濁り切っているのであります。 てなわけで都心だったら新しい酒場などそこら中に筍のように出没しては消えるを追い切れぬまでの勢いで繰り返しているけれど、松戸はどうもその辺がのんびりしているようです。ところで、今度開店したのは、「立ち飲み居酒屋 ドラム缶 松戸店」だったのでした。ぼくも少しも追っかけではないし、虱潰しにしたいつもりはないけれど、小岩本店を始め、金町店、江古田店、すでに閉店した池袋北口平和通り店などにお邪魔しているのです。この系列は店のコンセプトはある程度までは一致するけれど、比較的に縛りが緩めで案外飽き難いところが好みです。共通するのは、止まり木がドラム缶であること、品書きが基本的に短冊が貼られていること、多様なチューハイ類が150円~であること位のように思われます。逆に肴に大きな差異が生じるようです。池袋のお店ではインド料理なども供されてとても楽しかったので閉店したのは残念です。もう一つ、酒の値段は一緒でも量が全く異なるのです。たっぷりならいいけれど、グラスが小さいとお得感が薄れるのは当たり前のことです。そして、ここ松戸店は品数が他店と比して圧倒的に少ない―せいぜい10種類程度―、盛りが圧倒的に少ない―タクアンはペラペラなのが4切れ―、チューハイが小ジョッキ程度のロンググラスととにかく、これまでの「ドラム缶」経験からは想像外の寂しさなのです。仕方ないとも思わぬでもないけれど、これじゃ「ドラム缶」自体のブランド力が低下しかねないと思うのです。系列ごとに個性があるのは構わぬけれど、ある程度の縛りはあっても良いのではないかと思うのでした。
2019/06/12
コメント(0)
またもや北松戸の登場です。北松戸に縁もなく、そして報告するぼくにしたところでここは是非とも何を投げ売っても出向くべきだと強くお勧めするだけの酒場などない、いや本当は数軒愛すべき酒場もあるのだけれど、そこはただでさえ訪れるに少しく面倒な北松戸駅からさらに十数分歩く事を余儀なくされるのだから、うっかりお勧めもできぬのです。そちらの事はかつて書いているので、電車の乗り継ぎやらそれなりの歩きを意に介さぬ強者がおられるなら是非とも探し出して頂きたい。それはともかくとして、他所の町と比べるのもどうかと思うけれど、酒場を求めて訪れるには北松戸という町はそれほど恵まれているとは言えぬのは確かなようなのです。 駅前の「キッチン ひより」は、もともとは「山里」というお店だったのですが、いつの間にやら違うお店に変貌していました。というより、外観は「山里」の看板がずっと目立っているので、未だにそう思い込んでいる常連なんかもいるんじゃないかと疑っています。かつてのお店は、渋路線の典型的な場末酒場の様相を呈しており、ぼく以外客のいない寂しいお店で、女将さんとお喋りしたことを覚えていますが、今の方も先頃長期の療養生活を過ごされたので、もしかすると同一人物かもしれという思いが頭から離れることはないのですが、今のところその確認はとれていません。さて、麻婆豆腐好きのぼくは、品書きから早速にそれを見出し注文しました。やがて出てきたそれを見た瞬間に気付きべきだった。香りを吸い込んだ時点で遅くとも気付かねばならなかったのです。というのも女将さんが先手を打って語るところでは、これ陳麻婆豆腐というレトルト商品なのよ、というのです。レトルトだろうがなんだろうが旨くてお手頃であればちっとも構わぬのでありますが、これは止めてほしかった。なぜなら自宅では専らこのレトルト商品を愛用している者だからであります。しかも豆腐の水切りというかニガリをしっかりと出し切って、大量のひき肉(これは豚肉がいいという説もあるけれど、ぼくは断然あいびき派なのであります)と大量のネギ、それに追い豆板醤と甜麺醤を加えたものを食べつけているからそれ以上にはけして美味しくならぬのであります。かつては豆鼓を刻んだりしてイチからソースを拵えていたけれど―豆板醤を仕込んだりはしないけど―、その手間を掛けた品より旨いのだから楽な方を取るだろう。だから家の定番メニューだから外ではなるべく食べたくないのでした。それでもどうしてもこの麻婆豆腐は大好きなのです。女将さんは先日一度訪れただけのぼくのことを覚えていてくれて、そのキツイ感じすらするクールな雰囲気でだからちょいと嬉しくなるのでした。 さて、もう一軒、「あみ焼元祖 しちりん 北松戸店」にお邪魔しました。ここのことはもはや語るべき何事も残されていないけれど、一つだけ特筆すべきは、この日のお勧め商品である筍の肉巻が抜群に旨かったことです。松戸って町は八柱辺りだったと思うけれど、たくさんの筍が取れるらしく、ちょうど時期も筍の季節だったから頼んでみて大正解。また、来年も北松戸に来ることがあるようならここで筍の肉巻を注文することにしようかな。
2019/06/06
コメント(0)
ベッドタウンの北松戸は、都心とは違って、とある酒場に行ってもまた同じ道を愚直に引き返さねばならないという心理的には非常にキツイ障壁が立ちはだかっています。これが都心ならば例え行きが大変でも次の駅とか別な路線に接続できたり、もしくは路線バスが従往に張り巡らされていたりして、つまりは同じ道を虚しく往復する必要などないことが多いのです。でも北松戸くらいまで来ると、線路に沿って歩かない限りは常にほぼ来た時と同じ経路を辿って引き返す事になるのです。ぼくにだって家があるから、大体において行き帰りは似たような道を辿って帰るのでありますから、それと同じ事ではないかと言われたらつい首肯してしまいそうになりますが、それは決定的に違っているのです。一言でいえば義務と権利の差に近いということになろうか。この意味を事細かに説明するだけの時間は残されておらぬので割愛しますが、北松戸で呑むということは常にそうした不自由な権利と背中合わせなのです。 とここまでが、電車の中で酔って書いた内容なので敢えて読み返すことはしまい。「我が家」は北松戸駅の西口を出て競輪場を通り過ぎ、さらに工場街を抜けたその先にあります。そこらには何軒かの存在こそ知れど行きそびれている酒場が数軒残されています。今夜はその一軒にお邪魔してかねてより携えていた胸の支えを解消しようと職場の知人を連れ立ってやって来たのでした。何のことはない、仕事で北松戸に来る事が多いのだから少し足を伸ばすくらいはどうという事もなかろうと言われても面倒は面倒なのだ。知らぬ町ならともかく、見知った町を行ったり来たりするのはゾッとしないのです。ともかくも店に着くと良かった、ちゃんと営業しています。こちらに限らずこの界隈のお店、定休日でもないのに休んでいたりする事があるから油断ならぬのです。こんな駅遠の店でも大概、常連たちが屯しており当然そうした人たちがいなくては商売として成り立たぬことは自明なのですが、それはともかくとして案外面白みに欠ける店内を見渡してみても営業カレンダーらしきものが見当たらぬのであります。さて、こちらのお店はお好み焼もやってるということで、カウンター席の背後には鉄板付の卓席も用意されていますが、この夜見た限りにおいては普段頻繁に使われている様子は感じられませんでした。もっぱら定番の居酒屋メニューでやっているようです。いや、客の何人かは夜勤前の夜食として丼物だかを注文していたから、食堂としての利用目当ての方も少なくないのかもしれません。これから出勤だというのに生ビールを呑んでいる方などもいて、なかなかに自由だなあ。酒はまあ値段相応ではありますが、肴が量と値段のバランスが取れていない、いや端的にお高めなのでした。この界隈の方はこの値段でも頻繁に足を運ばれているようだから、結構稼ぎがいいのかなあなんて下劣にも他人の財布が気になるのでした。 そして、次にお邪魔したのは駅前の「た古八」です。オオバコの駅前酒場として、特別感はないけれど安定の酒場としていつもそこそこに賑わっております。ぼくもたまに立ち寄らせてもらってますが、たまによるならこういうお店がいいのです。店の方と馴染みになることもないし、程よい距離感を保てるのが楽しく喋りながら呑むという趣旨の時には抜群に使い勝手が良いのです。お通しにお新香のサービスがあるのもポイントが高いです。ここでいつも摘む肴のことを書きます。それはネギちくわで、ご想像通り刻んだネギとちくわをマヨネーズで合えたというシロモノで価格は200円となっております。今週のサービス品とか書かれていることが多いのですが、常にあるような気がします。これが何でもなくて旨いのだなあ。こんなの家で作って肴にしてもちっとも気分は上がらないだろうに、不思議なものです。でもここは駅前だからついつい調子に乗って呑み過ぎてしまうのです。要注意。
2019/05/31
コメント(0)
先日、知人に車で柏方面に送ってもらった際に、ちょっと気になる酒場が目に留まりました。ぼくは一応運転免許は取得したものの、一度も有効に利用することなくその権利を放棄したのであります。と書くと車に乗るのが嫌いかと勘違いなさる方もおられると思うので、もう少し正確に記述すると、自動車そのものやそれを運転することには少しも興味はないけれど、誰かが運転してくれて車窓を眺めるという行為は非常に興味があるのです。興味があるというよりむしろ積極的に好む傾向にあります。何が楽しいかはもう言わずもがなでありますが、誰かの運転でどこかしらに送り届けてもらっている最中に視界に飛び込んできたどこかの酒場の有り様に惹かれて、すぐさまメモして訪れるということも少なくありません。だから常にドライブ好きで気のいい知人を探し求めているのですが、見返りも何もなしにその望みを叶えてくれるような人はそうはいないのでありました。この夜は日頃の親しい付き合いが功を奏して―誤解があってはならぬので、一応弁明しておきますが、けして見返りを求めて親しく付き合っているわけではないのです―、知人が所用で車を出すというのでそれに便乗させていただいたのであります。その際に見掛けたのが、新松戸駅からちょっと歩いたところにある一軒の居酒屋なのでした。 この界隈の酒場事情に通ずる方であれば知らぬ者のいないであろうもつ焼屋の良店「まこちゃん」のすぐそばにあるお店で、店名は「居酒屋 こぶた」と言います。改めて来てみるとまあ見た目には少し年季あるといった具合の普通の居酒屋でありました。まあ、車窓から瞬間に眺めただけでは過大評価、もしくは過小評価をしてしまうことはままあることなので、そう気にしてはいけないのです。車窓から目にしたり酔っ払って通り過ぎた、その時点ではすごい良さそうな酒場に出向こうとするときは、期待値を3割減程度ひ引き下げて臨むのが適当であろうと思うのです。とりあえずのビールにネギトロと穴子の柳川風というのを肴に早速開始します。カウンター席には常連らしい二人の客がおりますが、独りでやっている店主とも会話を交わすこともなく、沈黙が店内を支配します。小上りに通されたぼくら―相方は元獣医さん―は、そんな彼らの沈鬱な雰囲気など知らぬ風を装い久々に会ったので互いの動向をゆったりと語り合います。知らぬ町の初めての酒場で旧交を温めるというのは、一般的な振る舞いとはかけ離れていますが、今のわれわれにはこれが旅先で偶然出会ったかのような風情を加味してくれて近頃気に入っているのでした。ともあれこちらのお店は値段も手頃で静かにゆっくりと酒を呑ましてくれるちょっといい酒場でした。 わざわざ新松戸まで足を伸ばしたのだから一軒で〆るのも淋しいと、周辺を散策します。でもぼくにはすぐに目指すべき酒場は見通せていたのです。というのが案外、この辺まで来ると面白そうな酒場が点在する、というか丁度、流鉄の沿線近くに何軒かの居酒屋が軒を連ねていて、嬉々として接近を試みるのですが、それは惜しい事にカラオケのお店ばかりのようです。何度も書いていますが、ぼくは全面的にカラオケを拒否する者ではないけれど、それを知ってでもお邪魔するにはそれ相応の魅力を求めたいのです。しかし、ここらの酒場にはそれを押してでも入りたいというまでの魅力はなかったということです。でも大丈夫、踏切を渡った先にトンカツ屋があるのを確認済みです。トンカツ屋に限った話ではないけれど、とにかくストイックに看板商品というか一つ、ないしはそれに付随する商品のみで勝負する店がある一方で、それでは商売が成り立たぬという理由ばかりではないだろうけれど、客の要望に応じるなどで品数が増えて居酒屋化するタイプの店があるようです。前者の愚直さというか生真面目な徹底振りもいいけれど、ぼくにはなり振り構わぬ出鱈目さというかおおらかな後者のタイプが圧倒的に好みなのです。コチラも後者のタイプでありまして、心なしかこうした傾向の店の方が内観というか店内の風景が心地よく思えるのです。「とんかつ 串揚げ 福利」という夫婦お二人でやっておられるお店は名店とかそういった類の呼び名からは程遠い、あくまでも地元に密着したごくありきたりのお店ですが、トンカツ屋であると同時に酒場としても使えるという利便性で近隣の方に愛され続けてきたのではないかと思うのです。その証拠に混むことはないけれど、ほら一人帰るとまたすぐに次のお客さんを迎え入れています。串カツなんかもどうってことないけれど、言うまでもないけれどそこらのスーパーなんかで持ち帰ったものよりずっと旨いのですね。また行くかどうかというとそれはなかなかなさそうに思えるけれど、地元の方のためにゆるゆると頑張ってほしいものです。
2019/05/28
コメント(0)
松戸駅での呑みについては、これまでも散々書き散らしてきました。行きたいと思う酒場など皆無だなんて大口を叩いて気もしました。では実はまだ行きたいと思いつつ行けていないお店が残されている訳です。だったら愚図愚図言わずに勝手に行ったら良いじゃないかというご意見はごもっともであります。さてはそこのお店、値段が張るんじゃないかという推測をされた方も少なくなかろうけれどそれも当たっていて、グウの音も出ぬのであります。さらば一日二日外呑みを控えて行ったらどうだいというアドバイスも拝聴させて頂きはするけれど、それを受け入れて実行する意思など毛頭あらぬのです。つまりはハナから聞く耳など持ち合わせておらぬのであり、ならばそう告げれば不毛な意見を語らせる労を厭わせずに済むのだろう事は分かっているけれど、相手の言う事に聞き入り、丁重に断る程度の小者の礼儀を兼ね備えているのだからますます質が悪いのです。なんて事を書いてみたけれど、実は行ったのは以前呑んだことあるお店なのですね。 松戸ではそれなりの年季を誇ると聞く「軍次家」は、その店の構えからは微塵たりとも老舗である事を体現せぬのであって、つまりはぼくのような雰囲気重視の者には誠に退屈なのであります。松戸には他にも「関宿」という蕎麦屋を始めとして、天ぷらや寿司なんかも扱う老舗店がありますが、そこが伝統的な日本家屋を店舗として有するのとは営業姿勢が大いに異なるのです。後者では多分に雰囲気料としての金銭を請求しているのだと思われます。実は行きたくて行けぬ店というのがここのことで、とはいえ傍系に当たる寿司屋と閉店して久しいけれど居酒屋もかつてあったりして、それらにはお邪魔しているという事を申し添えておくことにする。しかしやはり本流の蕎麦屋とそれに準じる天ぷら屋にも行っておきたいのでありますが、どうも気後れして行けずにいるのです。それはともかくとして、既に行ってもいて余り気に入ってもおらぬ「軍次家」に再訪するのはどうしてかという疑問には、やむを得ぬお付き合いがあったからだと答えるのが最も近いかもしれぬのです。しかも自腹で来るにはここは些かぼくの財布には荷が重いのです。しかし、この日はランチということなので、然程は懐も傷まぬだろうと観念して訪れるのです。ランチはここの定番の鰻以外に三種類あって、天ぷら、刺身、煮魚の組合せということになるのですが、ぼくは天ぷらと煮魚の組み合わせをセレクトです。ここは生ビールも強気だなあ。ランチの一口ビールにしては利用は多いけれど値段もそこらの店の中ジョッキレベルです。それにしてもなる程、ご老人達で賑わう訳です。小鉢を始めとにかく何を食べても間違いがないのです。特にサバの味噌煮は久々にこんなに絶妙に仕上げられたものを食べた気がします。味噌の風味がきっちり効いているのに鯖の風味をちゃんと活かしきっているのです。って何言ってんのか分からんねえ。旨いものは旨いのだ。かき揚げは立派な海老がゴロゴロ入っていてそれはいいのだけれど少しばかり油がキツイのが残念です。ご老体達がこぞって残している理由が分かる気がします。これは二人でシェアして食べるのがいい加減だと思うのです。だとしたら始めからそれを想定して分け合いっこするのが正解かもしれない、などと考えますが、果たして再びコチラの暖簾をくぐる日が訪れるのやら。
2019/05/21
コメント(0)
そろそろ北松戸とは縁を切りたいところですが、なかなか思うようにならぬのが世の常ということなのでしょうか。でも仕事で来る事がなければ知らぬままとなるに違いない酒場も少なくない筈です。それを思うとここに来るのも悪い事ばかりでないと思うようにしようか、その方がきっと精神衛生上よろしいに違いないのです。そう思えるようになった事を記念して折角だから北松戸に初めてやって来て、その時立ち寄って以来ご無沙汰したり、稀に仕事での付き合いだったり仕事が遅くなったり、つまりは仕事の都合なんかで面倒なときに寄り道するような薄情な関係しか持てなかった酒場を訪れる事にしたのでした。 当時はボロゾロだった側面のテント看板も真紅のまっさらなものへと取り替えられて、かつての妖しさを失った「居酒屋 めだか」には十年くらいの無沙汰をしてしまっただろうか。それを悔いる程に肩入れするような店ではなかったと思うのだけれど、久々にお邪魔するとなるとこれはもう初訪の際のトキメキなんかも思い出すのであります。卓席が三つとその記憶は間違いなかったけれどカウンター席や奥に座敷らしき席があるのは覚えていなかったなあ。オヤジさんが寡黙なのは変わらないけれどかつてより随分柔和になった気がします。以前は思いがけず若者の集団に気圧されるような感じで肩身を狭くして呑んだ記憶がありますが、この夜は我々以外は沈黙に包まれています。その寂しさもまた酒場の醍醐味なのです。知人を連れ立って来てしまったけれど、これは当時と同じく独りで来るべきだったかもしれぬ、などと思いつつ早速呑みをスタート。チューハイはこういう町外れの呑み屋としては種類が豊富です。ビールで軽く喉を潤した後には、コーヒーサワーを注文です。単なる焼酎のコーヒー割ではなさそうだから、焼酎に豆を入れて熟成させているのかもしれん。タン塩焼きやらニラ玉などなど、定番ながら確かな美味しさ。ポーションがやや多めで独りだとちょいと厳しいかもと思いながらここを黄昏酒場などにせず、北松戸の定番の店にすればいいんじゃないかと思えてくるのです。良い気分で飲んでいると女将さんが買い出しに出かけてしまいました。酒が切れてオヤジさんが応対してくれるのですが、なるほどそうかあ。オヤジさんは声帯を悪くなさったらしいのです。でも彼の柔和な表情は言葉以上に気持ちがこもっているように感じられるのです。きっとまた来ようと思うのです。 お次は定番の「あみ焼元祖 しちりん 北松戸店」であります。コチラについては特に語るべきこともない。安い肴もあるし、気が向いたらホルモン焼にするも気の向くままという気分屋のぼくには至極便利なシステムでチェーン店ながら悪くないのです。そうそうこう書いていて思い出したけれど、この夜のお勧めに筍の肉巻きというのがあって、非常に分かりやすいメニューだったのですがこれが美味しかったなあ。こうしてブログを書くことをやめて、酒場巡りも程々ということになった時にはこうした酒場こそが重宝するのかもしれないなあ、なんて弱気な発言を漏らしてみせたりするのでした。
2019/05/18
コメント(0)
松戸での仕事が早く終わったので、新京成線に乗ってどこかしら馴染みの薄い町に出向いてやろうと思い立ったわけです、急に思い立って。で、案外混み合う車内では席が埋まって立っての移動を余儀なくされるのでありまして、これが毎朝、毎晩と乗り付けている電車であるなら座れぬことに言われようのない怒りを感じるのはいかにも小者の考えであります。小者たるぼくは未練がましくもしつこく新京成電鉄への恨み事を唱えるのでありますが、この同じお金を払って座れる者と立たされる者がいる不公平に不満を訴える気持ちは多くの人に共通の感情であろうと思うのですが、それが時として過ちであることを感じることがあるものです。同僚と一緒だったのでそうした不満を分かち合いつつ、かと言ってオッサン同士で視線を交し合うのもどうかと思うので、車窓の風景を漫然と眺めることになるのですが、この漫然にというのが時として抜群の効果を発揮するのです。車窓を虱潰しに眺め倒すことなどどだい無理な話でありまして、薄めがちにぼんやりとした視野で世界を見遣った方が発見が多いものです。この日もみのり台駅を発車した頃の車窓に優良物件を発見したので、次の八柱駅にて下車。歩いてみのり台駅方面に歩き出したのです。 漠然と思わぬでもなかったのです。「小料理 好月」、ここには随分と以前にお邪魔したことがあると。外観の印象深さに比して平凡な店内でありますが、十分な年季を感じさせてはくれます。この店内の平凡さがぼくの曖昧な記憶から過去を呼び起こすことはしてくれませんでした。ユーモラスな常連たちや女将さん、寡黙に店先で焼鳥を焼き続ける主人すらぼくの記憶に働きかけてはくれませんでした。でも帰宅後にメモを見ると6年前にお邪魔していました。店のご夫婦のお勧めするやきとりは東松山仕込。森林公園で15年間営業されていたそうです。その自慢のやきとりは、軒先で焼いているオヤジさんの元へ足を運んで直接注文するというスタイルです。これもなんだか聞いたこと、書いたことがあるような気がするなあ。とこう書いているといかにも前に行った酒場に入るのを残念がっているようだけれど、そんなことはちっともないのです。一目惚れするような酒場であれば何度だって入ってみたいものです。外観に見惚れるばかりでなく内面もしっかり見抜けるような立派な心の持ち主になりたいけれど、その道は相当険しいものとなりそうです。 さて、もう一軒。すっかり場末チックな雰囲気を堪能したので次はちょっと位普通の店だって構いはしないと「なごみ処 青梅」にお邪魔したのでありました。二人掛けの席に腰を下ろして、短冊にある厚揚げ:350円とマカロニグラタン:550円が名物らしいから早速注文したのであります。厚揚げは自慢する程ではないけれど、グラタンはなかなか美味しい。グラタンなんてグラタンの素などなくとも簡単に作れるけれど、こうした店で食べるのはどういうものだかとても美味しく感じられるのです。それにしても、う~ん、店内もやっぱり外観を裏切らぬ平凡さでありますが、これはこれで居心地は悪くないのであります。カウンター席ではリクルートスーツ風のいでたちの若い娘さんが独りで呑んでいて、へえ時代も変わったなあなんてオッサンらしく感慨に耽ってみたりもしたのだけれど、それは誤りでしばらくしてから同世代のお兄さんが登場したりしてがっかりしたものです。 新京成線の沿線にはまだまだ知られざる酒場が潜んでいるぞという確信を持ちつつ、だらしなく足を伸ばして列車の揺れに身を任せながら、やはり列車は座って乗るのが楽だなあなんて当たり前の感想を抱くのでありました。
2019/04/16
コメント(0)
全453件 (453件中 101-150件目)