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津田沼という町とはどうも相性が良くないということは先般も書いたけれど、丹念に観察しながら町を歩いてみるとなきに捨てたものではない、ちょっと面白い酒場などもあることを知りました。これはやはりこれまで津田沼で呑むとなると少しばかり構えてしまって、事前に調べた酒場なりの調査結果に引き摺られてしまい、どうしても視野が狭くなってしまうようです。なんて事はこれまでも散々語ってきたのでありますが、やはり町の真の姿を少しづつでも知ろうとするなら余計な予備知識などなしに出掛けるのが手っ取り早いとは思うのです。思うのだけれども、なかなかそうもしてはおられぬのは、やはりゆとりがないからなのです。そんな事を団塊世代の人たちに聞かれると決まって言われるのが、俺達がお前たち―このお前たちという言葉には特定の世代を指し示す意図など含まれておらず、とにかく自分より年少である者全般を意味するようだ―の頃は、脇目も振らずに仕事に没入していたものだ、などという話であってそんなことを聞かされたところで見倣うつもりなどないのであります。そしてお前たちにはゆとりがあっていいよなあなんて事を言われたものである。そういう彼らは今はヒマと金を持て余してしまったのだろうなあ、ちょくちょく誘いの連絡をよこすのです。だからといって今回、津田沼に一緒に行ったのが団塊世代のオヤジだったりはしないのでご安心を。いわゆる職場の同期という奴なので、気持ちはぼくと近しくて、早く仕事から解放されたいという至極真っ当な希望の持ち主なのであります。 さて、目当てもなく津田沼で呑むことにしたので行き先は、現地で決めようということになっていました。これって町の実態をありのままに観察できる絶好の機会であります。先のことが何も決まっていないという解放感がもたらす自由の何たる心地よいことか。しかし、その一方で津田沼に果たして求めるような酒場があるものだろうかという懸念も湧き起こるのです。そうなのですね、自由であるという事は同時に同じくらいの不安も引き起こすのです。なんて事を思う間もなく雑居ビルの奥に赤提灯を見つけました。吸い寄せられるように細い通路を進んでいくとそこは、「ぱぶ茶屋 祭」というお店でした。ぱぶとはまたなんとも悩ましいものだ。その実、パブとは一体どういったお店なのかよくは分かっていないのだ。一般的な印象としてはホステスさんなどの接待を込みにした業態というものであるけれど、アイリッシュパブはそれとは全く趣が異なる。パブがパブリックから派生したのだとすれば、まあいかようにも当てはめて構わぬような気がするけれど、少なくとも一般的な居酒屋でパブを称するのは適当ではなさそうだし、デメリットになりかねぬと思うのです。しかし、その杞憂は無用であったらしい。なにせ狭くもない客席がビッシリと埋め尽くされているのだから、津田沼駅利用者からすればパブ=居酒屋というのは、格段に店を選ぶ際の懸案事項とは映らぬようであるのです。というのは無理がある事は分かっていて、ここは端的に昔からよく知られた人気店に過ぎぬのでしょう。その割にぼくのリサーチにまるでこれまで引っ掛からなかったのが解せません。良い酒場はあえて明かさぬという一致した意志の客ばかりしかおらぬはずもないのだけど。ともかく長くなったので一言で片付けると確かにここは好ましいお店です。高低差のある店の造りや酒や肴の豊富さと安価さ、つまりは申し分のないお店だったのでした。 気分が良くなったので、〆に「志な乃」で蕎麦など手繰ってみることにします。というか、同伴者がお気に入りということで連れて来られたのです。外観は取り立てて興味を惹かれる点など全くないのでありますが、店内はなかなか良い眺めでした。そして、そこそこのお客さんが入っていて、ちょっと一杯やりながらの蕎麦屋呑みを楽しむ方もいて悪くないのでした。肴はもりで十分です。燗酒と蕎麦というのは何とも良いものです。卓上の景色は人によってはえらくしみったれて映るかもしれませんが、この質素さにこそワビサビを感じるべきなのであります。とまあ、えらく好意的に書いてみたけれど実際には極々ありふれたお店なのでした。でもまあ駅からも至近だし、呑みの延長戦としてサッと立ち寄るには重宝なお店だと思います。
2018/05/02
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津田沼という町には、どうも好感が持てません。町として新しく成熟していないせいか、どこかよそよそしさが常に付き纏っており、そしてその事を地元の方や店の方も分かっていて、しかしそれをむしろ良しと考えているという漠たる印象を受けてしまうのです。いやいや、ぼくのようなひねくれ者にとっては、酒場というものが必ずしも明朗であったり親密であったりする必要はないのであって、むしろ大方の場合には陰鬱であったり殺伐とした雰囲気の方が自分の気分に親しいのであります。殺伐とした陰鬱の中にあって、ぼくは酒を呑み干す度に己の発する負のオーラはここまででないということを確認しては安堵するという一種のデトックス効果を期待しているのかもしれません。だから津田沼のチェーン店は若者ばかりで、魅力がないばかりでなく不快な気分を亢進するばかりであって、やはりここは個人営業のうらびれた酒場を目指したいものです。どうもここまでの文章は論理性に決定的に瑕疵があるけれど、それはもう顧みないのです。 でもまあ結論を申し上げると京成津田沼駅前でそうした懊悩を弄ぶ機会などないはずです。なんとなれば駅前には極めて限定的な選択肢があるばかりなのだから。それは、もう随分前に経験していることだし、このブログでもかなり以前に京成津田沼で呑んだ報告をしているはずです。しかしまあ毎度お馴染みですが覚えていないことは結局は初体験なのであります。何も初体験なる単語に青春の甘酸っぱさなど加味する必要などないのです。この先、今以上に忘れっぽくなるのは日々経験していること。忘れる事のできるのは実は好ましく生き延びるための才能なのではないかとすら近頃は考えます。酒も呑まずに健忘症などの病気によって苦しむ方が忘れられる幸福を少しなりとも感じけいただけたならこの酔っぱらい日記も少しは世の役にたっているという励みにもなろうものです。この話題は既に酔ったぼくには真意を上手くお伝えするのが困難なのでここでお終いにします。「酒処 きみ」は、改札を出てまず目に止まる居酒屋だから、この年季の程を見る限り間違いなくぼくもかつては目にしていたに違いない。そして、きっと少しばかり気になって店内を覗き込もうとしたりしたのだろうと思います。メモにはここで呑んだことは控えられておりませんが、それでも立ち寄ってしまった可能性を否定できぬ自分がいるのです。店内はスコーンと抜けたようにゆったりとしていて、こんな贅沢な造りが許される町の酒場というのは畢竟、都心のごちゃごちゃ細々した酒場の有り様とは違ってきて当然だと思うようになるのです。肴には当たり前だけれど地域性は否応なく存在するものであるけれど、それは物流の過当競争で恐るべき勢いで狭まっている気がします。それに引き換えると地価の問題に起因する店内の居心地というのは反比例するように拡大している気がします。それもこれまでの理屈から自明なのですが、この差異は旅する者には楽しいけれど、地方の方にとっては死活問題なのであり、この居酒屋にもそれは当てはまるようです。世界は距離を狭める事で、逆に地域格差を拡大しているようなのです。と、結論するとまるで馬鹿馬鹿しい結論らしきものに行き着いてしまった。これは酔いどれの愚考と忘れ去って欲しいのです。しかし、酔っ払い向けの肴セットは、余りにも悲しくはないか。それだけでぼくなどは過不足なく満足できてしまう。ぼくはそこにこそ感動したけれど、万人には通用し難いだろうなあ。
2018/04/25
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所用があって京成大久保にやって来ました。用事を済ませたら津田沼に移動して呑めると何軒か目星を付けて、張り切って訪れたのは昼下がりというには少しばかり遅い時間でありました。普段は朝昼抜きのことが多いので、それほど空腹という訳ではなかったのです。けれど、駅前の商店街のどこかにカレースタンドがあったことは以前訪れた際に目撃していたので、是非とも立ち寄りたいと思っていたのでした。カレースタンドといっても、今の若い方はあまり馴染みがないのではなかろうか、などとオヤジ臭いことをほざいてみせる。新橋や神田などのオフィス街でお勤めならまだそれなりに残っているし、大阪を始めとした関西にも少なからず現存していると思います。しかし、CoCo壱番屋などのチェーン店の台頭で個人営業のお店が数を減らしているのは想像に難くありません。なのであるうちに入っておきたい。という事で一軒目は酒抜きなので悪しからず。 商店街のどの辺りにあったかなんて細かなことは覚えていないけれど、程なく「カレースタンド ナポリ」がありました。カレースタンドであれば昼酒呑んでグダグダにならずに済むというメリットもあります。と思って席に着きつつさも何度も来ているといった風を装って腰を下ろすや注文をしてやろうと画策したのですが、なんの事はない酒もあるのですね。そして品数こそ多くはないけれど酒の肴の用意もあるようです。酒はお預けにして、食事に専念することにします。頼んだのはこの日のサービスとあったカツカレーです。よく食べてはいるけれどどちらかというと脂物には弱くて、高校生になるまでは小振りなトンカツ一枚を持て余すくらいでした。しかし、サービスで手頃とあればそれを見過ごすことが出来る程には大人には成り切れていません。カレーに限ったことではないけれど、味については無駄に言葉を弄せぬことにします。特にカレーに関しては大方のところマズいという事が滅多な事に起こり得ぬのであって、ここのも絶後の旨さということはさらさらなかったけれど、しっかりちゃんと美味しく頂きました。インドのカレーも旨いし、タイやベトナムの物も旨い。無論蕎麦屋のカレーライスないしはライスカレー、もしくはカレー丼なんかも大好物です。しかし、この先どう味覚が変わるかなんて、分かったものじゃないけれどそれでもやはりここのカレーのような普通のカレーに落ち着くんじゃないかと思っています。さて、呆気なく用事も済んだから、だったらまたカレーの店に引き返したかというとそうはしなかったのでした。店の様子がカレースタンドと言う割にはゴチャっとしていて、あまり想像していたそれとは違っていたのでそれで満足したということもあります。ぼくのイメージするカレースタンドというのは、それこそ余計な物がほとんど置かれていない、飾り気がなくて単調なくらいが良いのです。今、パッと思い付くのは、例えば堀切菖蒲園の「アルー」だったか、ああいうのが好みなのです。 という事でやって来たのは、商店街を逸れて脇道にポツンとある「よってけ」というやさぐれた雰囲気の酒場でした。ここがまあ実際になかなかのやさぐれっぷりで、先客の目付きは険しいし、店のオヤジは無愛想なのだ。品書きを見ると、オヤオヤ中華料理が各種揃っていて、食事メニューも豊富だからもともと中華料理店だったのが居酒屋に鞍替えしたのかと思いきやどうも事はそれ程には単純ではなさそうであります。その説明は店の奥から聞こえてきました。客だと思っていた婆さんがどうやらこの店の実質的なオーナーらしいのです。このお方が最初はあんなに厳しい視線を寄越したのに、こちらが無害と見るやもう話すこと、お陰様で首をひねりっ放しで痛めてしまうくらいです。話によると中華料理店であったのは婆さんがオーナーになる以前の事で、この店はハナから居酒屋としてやっていたそうでどうも話がよく分からぬ。何か隠したいことがあるから語らぬのか、その真偽を判断するには余りに話の脈絡が捉えにくくてどうにもならぬのでした。その会話の殆どは他愛ないものですが、仕切りに勧めるのが近所で娘さんがやってるスナックのこと。金曜、土曜は可愛い子沢山いるよ、私が紹介したら安くなるけどどうかしら?、これを何度か聞かされたから余程女のコに自信があるのだろうか。ぼくも女のコの事は気にならぬではないけれど、よしておくことにしました。気になる方はぜひ「よってけ」に立ち寄ってから向かわれる事を一応お勧めしておきます。結果、少しも安くなくても責任は持てませんので悪しからず。
2018/04/12
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こんなに長期間に亘って北松戸通いを余儀なくされるとは思ってもみなかったのでありますが、未だに北松戸に来ざるを得ない。ここまで来ると他所の町に移動して呑むのも億劫になるというものです。精々が松戸や馬橋など隣駅界隈を散策する程度であります。だからこのブログは東京の酒場を主たる舞台として書き留められるはずだったにも関わらず北松戸周辺の呑みがしばしば登場するのであります。看板に偽り有りで申し訳ない事だけれど、職場の選択権を手中に収められてはおらず、今後もその可能性に恵まれる事ははなかろうから、多少の妥協はやむを得ない事と諦めざるを得ないのであります。だから数多い訳では消してない北松戸の酒場でありますが、それでも大抵の酒場には足を運んでいるつもりだし、これからも新しく酒場がオープンした暁には立ち寄ることも厭わぬつもりであります。と同時にとある中国人がひっきりなしに入れ替わる中国料理店の過去と現在の姿について、記しておきたい。この記録が今後何かしら意味を持つことはありそうもないけれど、呑みの記録として呑んだ酒場のことは一応は書き残しておきたいのであります。 記憶にある最初の店は「中華料理 華の星 北松戸西口店」という店名で営業していたと思います。店名を見ると複数の店舗があることが見て取れます。そう駅の東側にも店舗があって結構な人気店でした。味も悪くなかったし値段も手頃でした。そして何よりも店主の人柄が良かったのです。店の前を通り掛かって目が合うとにこやかに挨拶をしてくれたものです。その後、「中華料理 盛興」を経て、「中華料理 金宇」という店もありましたがここは非常に短命な店だったような気がします。味も値段も明らかに程度を落としているのであって、しかも途中からは出前を主力にしたかのような営業方針としたのだろうか、やってるんだか閉まっているのだか店の前を通過しても判然とせぬ怪し気な店と成り果ててしまったのでした。 そして、つい先達てには「台湾料理 太閤」という店名の店に生まれ変わっていました。こうコロコロと店が代わってしまっては、常連が付くはずもなかろうはずです。店はこれまでも男女の外国人―恐らくは中国の人、今の方は台湾の方なのだろうか―がやっていて、いずれもご夫婦だったのだろうか。そう前提するとして、最初の店はお二人ともに感じが良かったけれど、それ以降は奥さんが専らフロア対応で、愛想を振り撒くのも奥さんの役割分担となりました。そのせいばかりとは思えませんが、以前は繁盛していたこの店舗の客足は減る一方です。大体において店が代わったかどうかを知るのが難しい。内装にも大きな変化がある訳ではないので、気付くと看板に記された文字が違っている気がするなあという程度の差異なのです。看板の赤を基調としたデザインも中国らしいといえばそのままであるけれど、見分けを付けにくいのです。今回気付けたのは生ビールが原価280円、一品料理全品半額の置き看板でもしやと推測できたから知る事が叶ったのです。さて、雰囲気は前の店とあまり代わり映えせず、料理の味も台湾料理となったからといってさほど変わった感じもしません。まあ、半額期間には多少の使い手はありそうですが、それを終えた後にお客さんが足を運ぶかというと多難と言わざるを得ません。出稼ぎ的にひと儲けも構わぬけれど、このままでは赤字撤退もやむ無しと思います。
2018/02/08
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そういえば、昨年の暮れから年初に掛けて書くべきか書かざるべきか判断に迷い、その迷いを解消せぬままに年を越すのを良しとしなかった潔癖症なぼくは、取扱困惑店なる語呂も悪いし少しの機知も感じられぬ冴えない一連の文章を綴ったはずです。ハズというのは昨年の暮れは例年になく、筆が滑って滑ってそれなりのストックを確保できたので、1月の中旬頃まではすっかり正月の怠け癖を抜け出す事が叶わず終いとなったのでした。ちょうどインフルエンザに感染などしてしまったりもして、滑りっ放しでごくごく薄味の文章ではあるけれど絶やさず日々新しい記事を公開できたのは幸いでした。しかしまあこれがもとより薄弱な執筆への意思を減じることにも繋がったのは皮肉な事であります。このような駄文であってもやはり日々書き続けること、継続する事は何事かを成し遂げる人に欠くべからざる素養であるに違いなかろうと思うのです。才能に胡座をかいて誠実なコツコツさを実行し継続できない者は才能を根絶やしにするしか道はないのだろうと思う訳です。 さて、話はいつものごとくに逸れ始めたということは案外回復も遠くないなと、おかしな納得をしはじめたところでようやく呑みの話に話題は流れるのでありました。訪れたのは「居食屋ダイニング Pastorl(パストール)」であります。3,480円税込にて食べきれんばかりの肴と呑み放題まで付いてくるのだからまあお手頃と言えましょう。いつも食が細くなっただの語っているにも関わらず、例外的にいくら食べても平気なのがイタリアンなのであります。ほお、このブログでイタリアンはめったに見掛けないぞという指摘は恐らく正しいのであります。本当に高級なイタリア料理店にはほとんど行ったことはないけれど、茗荷谷にあるそこそこの格式のイタリア料理店にはひと頃気に入って通ったものであります。ただし、そこにはしばらく足を向けてはいないから本当にちゃんとしたイタリアンとはとんとご無沙汰しているのです。ちゃんとしていないイタリアンとは何ぞやということになるとそれは自宅で作れてしまうような品をちゃんとしていないイタリアンと捉えることにします。大体において、元来横着者のぼくが自作できてしまうのだからちゃんとしていないイタリアンとは実に手軽なものなのであります。パスタやピザのクラフトまで手作りするということになれば、それはもう手出しなどしたくありませんが、大抵のものは案外簡単に作れてしまいます。これまで自作して面倒だったのはラザニアになるだろうか。まずミートソースが気合を入れると案外面倒なシロモノでラザニアの場合、ミートソースに加えてベシャメルソースまで用意せねばならぬのだから厄介です。そしてラザニアを茹でるのも一苦労、茹でてる最中にヒラヒラユラユラするうちに破れてしまうんですね。そんなこんなで出来上がった品はとてつもなく旨かったのでありますが、その後作る気にはなりません。それはともかくこのお店で出される料理はどれも自作できてしまう程度の料理なのですね。だからと言ってまずいどころか結構旨い旨いと食べれてしまう手軽さもイタリアンの懐の深さ、ちゃんとしていないと言えども馬鹿にはできぬのでした。しかしまあ繰り返しになるけれど、自宅でも食べれるのだから有難味はあまり感じられない。そこがイタリア食堂の限界であるとぼくは思うのです。 さて、いくらでも食べれるちゃんとしていないイタリアンだから、まだもう少し呑み食いできそうです。「大黒 松戸店」に久しぶりにやってきました。こちら割烹風のちょっとした格式はあるけれど、肴も種類が豊富で味もなかなかに良くて、その値段は随分とお手頃に思わされるのだからつい便利だと店選びに時間と頭脳を費やしたくない時にはうかうかと足を運ぶことになります。まあそれだけの店でありますから、いつもそれなりに客足が絶えることがないので、今回のように突発的に訪れても必ず入れるとは限らぬから注意が必要です。常連客用に常にマル秘の席を確保しているようなので、店と縁のある方がいたら口利きしてもらうと待たされることもなく上席を用意してもらえるかもしれません。この夜はそういう人とご一緒したので、当然のように奥の広々した席にすぐ通してもらえました。まあそんな都合のいい話がいつでもあるとは限らぬので有り難く特権を行使するのにあやからせていただきました。
2018/01/30
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どちらも長年続けて来られた酒場であるはずだから、それに思いを至らせさえすれば誤りようもない自明な事があります。団塊世代の人達は当然そんな事は分かっていたはずだけれど、それに気付かぬフリをして、さもこの酒場の真価を知り尽くしているのは自分しかおらぬと横暴に振る舞ったものです。ぼくもそこに含めるべきであろう中年世代は、そんな団塊世代を反面教師に常連の位置に自らを据えることを回避せんがため、夜な夜な酒場を猟色する事になるのでした。さらに世代が下がると諦念すら感じさせぬ程の無関心を貫くようであって、その徹底振りには空寒々としたものすら見て取れるのです。この世代は恐らく個々の酒場の個性などは疎ましいものと思っているに違いない。それは言い過ぎではないか。確かにごく稀にそうした趣味の持ち主がいるようですが、身の回りの若者たちと呑みに行こうとすると決まってお任せするだの何処だって構わぬというのだから、有り難い一方で詰まらぬ事この上ない。 この夜は数年ぶりに学生時代の友人と呑むことになったのですが、合流したのが北松戸駅だったのはなかなか稀有な状況であり、その事情をご説明するのが親切かとも思わなくもないけれど、それはまあ極めて個人的な事情になるので、控えさせて頂くことにするのです。 さて、向かったのは「もつ焼 のんき」です。何年ぶりかに会っているのだから、酒場の選り好みなどしている間があるなら、とっとと駅前のチェーンの居酒屋でもいいから腰を落ち着けてはどうかと言われそうなものだが、Aくんは文句一つ言わずに着いてくる。そりゃ、歩いていたって会話はできるんだし、互いの近況を報告し合う程度の簡単な話であれば歩きながら済ました方が効率がいい。そんな割り切り方が同世代だと断るまでもなくできるのが嬉しいのです。上の世代にしろ下の世代にしろ十分も歩けば、やれまだ着かぬのかだのどこまで歩かせるのだなどと小煩くて叶わぬのであります。その点、同世代の友人は話が早くて良いのです。北松戸駅というよりは新京成線の上本郷駅が近いのは分かっているけれど、無駄な運賃を払うのは悔しいし、実際に歩く方が到着も早いから選択の余地はないのだ。この友人とは大学生になってすぐ、初めて通学した日のオリエンテーションの夜には早速呑んだから、随分長い付き合いになります。そんな事はどうでもいいか。ちょうどこの間の席が空いています。変化を付けたほうが良いのだろうけど、特に酒場では最初に腰掛けた席から逃れるのがなかなか困難なのです。やはり初訪時というのは席決めに対する意気込みが格段の差があるらしいのです。そしてそれが適切な席取りであったかどうかなどは別にして、とにかくもそこに縛られてしまうようです。思い起こしてみると映画館でもそうだったなあ。見やすいかどうか再検討することなど滅多な事ではしなかった。それにはもっともらしい理屈があるのだけれど、それを語っている暇はありません。まだ2度目の「のんき」でならやり直しもきくかもしれぬが、過去の経験を貫くのです。さて、この驚くべき酒場の事は改めて語る必要はないので、やはりここでも割愛をしてしまうのだが、実に驚嘆すべき出来事を目の当たりにしたので、書き留めておくべきだろうか。しかしそうすると、いやいやこれ以上書いてはトンデモない事になるだろう。どうしても気になる方は実地に赴き、何も考えず本能の赴くままに注文してみて頂きたい。 奇跡的な出来事を目撃してもまだ呑み気は満々である。ので、すごいとまでは言わぬまでも大衆食堂の良質な要素をいくつも兼ね備えている「桝屋食堂」にお邪魔することにする。Aくんは―ここではくん付けにしているが、一度たりとてくんを付けたことはないのであります―良い意味で極めて平凡な男なのであります。ぼくには友人は片手で足りるほどしかおらぬけれど、唯一まともな人物であります。なので、大衆食堂で呑むなどという事は思いもせぬだろうとその反応を確かめたくてウズウズしたものだけれど、全く無反応なのでありました。それはぼくに対する信頼の現れと解すべきか、案外まともな酒場と思ったのかその真意は聞き出せぬじまいとなりました。そういや、先の驚愕のもつ焼店の手頃さを見ても驚くことを促すように仕向けてみせてもまるで動じていなかったもんな。たから彼の応対は参考になど一切ならぬと言っておきます。こちらは間違いなく北松戸界隈では使える酒場であると。
2018/01/26
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松戸駅の西口、ペデストリアンデッキに立ってみると視線の先に何やら見慣れぬお店があるではないか。駅とほぼ正対するビルのかなり上の方にその店あるようだ。前回も書きましたが松戸からとうとうと言うべきかやはりあと納得するしか術はないのか、伊勢丹が撤退することになったようです。確かに松戸の伊勢丹は駅からもそこそこの距離があるし、仮に松戸に住んでいたとしてもぼくならわざわざ買い物のために行くのは躊躇するに違いない。そこまでして買うほどの店舗がありはしないというのも理由の一つであるけれど、やはり行くのが面倒なのであります。だからある意味よくこれまでやってこれたものだ、さすがに伊勢丹の面目躍如といったところです。それはともかくとして、松戸という町は西には江戸川、東側には名を知らぬ小山が控えていて拡張しようにもこれ以上広げるのは困難を極めるに違いないのです。だったら上野駅までたった20分も列車に揺られれば着いてしまうと思えば、無理してまで町を発展させることなどないと考えても無理からぬ事ではなかろうかと思うのです。 されはまあいい、そんな閉塞感に息苦しさすら感じる松戸の町ですが、それでもチェーン系の居酒屋が増殖するのは何とも愚かな事に思われるのです。存外便利な松戸だけれどますますベッドタウン化に拍車が掛かると思えば、都心で幾らも目にするそんなチェーンより、個人経営の小ぢんまりした酒場の方に惹かれると考えるのが自然だと感じるのはおかしくないと思うのだ。しかし相も変らずさそういう傾向にならぬのは、ぼくの考えに誤りがあるということだろうという事も分かっているのです。という訳でやけに長いサブタイトルを持つ「東北料理と柚のかほり 柚柚(yuyu) 松戸駅前店」は、他にその存在は知らぬけれど明らかにチェーンらしさが感じられるのです。あ〜、イヤダイヤダ。でもまあ知らぬ店があるならとりあえずは入ってみることにします。エレベーターを降りて店内に入ると靴を脱がされる。なんと面倒なことよ。こういうのって、何か食い逃げを牽制しているようにしか思えぬのだ。靴なんていちいち脱ぐのはかったるいし、自意識過剰な女性なんかだと消臭の備えまで想定しておかねばならぬのから、うっとおしいったらないのであります。でも廊下をズラリと木戸で囲まれた雰囲気は何とも不気味なものだ。こんな店にうっかりと独りで入ってしまったことを想像するとなかなかに滑稽な気がするのです。気取ったつもりの料理もまあこんなものかという程度であるし、酒もちっとも安くない。これじゃ前途多難だろうな、なんて思うのだけれどきっとそれなりに採算取れちゃうんだろうなあ。好印象なのは不慣れでもフレッシュな従業員の女のコたちだけなのでした。 同じチェーンというか暖簾分けの店でもやはり「もつ焼 煮込鍋 かがやす」はちゃんとしてるなあ。加賀屋の正統的な系譜に連なるお店であることは今回看板を見て初めて気付いたけれどそんな中でもかなり好ましい店であることは間違いないのだ。開店当初より外国人の従業員が増えたことあるけれど、教育もよいのだろう全くそつがないのだ。先の店のフレッシュな女のコたちのような華やかさはないけれどよほどしっかりしているのである。ホッピーの中にしたところで、一杯だけでもさっきの店の全ての酒より効く気がする位なのであった。もう下手な浮気はするまい、なんと違ってみたところでそう簡単にはこの浮気性は治りそうもないのであります。
2018/01/12
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タイトルを考えるのが厄介だからといって、連日似たような、いや地名のみ異なるだけで後はそのまんまとは手抜きとの謗りを受けても申し開きのしようもないけれど、案外タイトルを決め打ちにすると内容も自ずと牽引してきてくれるようで、楽であることが判明しました。愚直なぼくとしては「地名になんとかかんとか」というタイトルの付け方をかえられそうもありませんが、この「なんとかかんとか」のヴァリエーションを増やして、ストックしておけばいくらでも量産可能な気もするが、でもそんなことしたらただでさえ億劫な執筆という作業が一層のこと退屈でしかなくなる事は自明であります。マメに更新を続けるブログなどたまにお見掛けしますが、まさにそんなフォーマットに酒場なら酒場、映画でもいいけどそれを当てはめて律儀に綴るなんて事を続けておられる方がいます。そんな方たちのものを眺めているとその意固地なまでの生真面目さに皮肉なしに頭が下がる思いになるのです。 それはまあ置いておくとして、松戸でまたまた呑みました。伊勢丹の閉店もとうとう現実の事となり、意気消沈なさる市民も少なくないと聞くけれど、通りすがりのぼくにはさしたる衝撃は及ぼしません。それならかつて松戸の酒場を代表する存在であった「開進」の閉店の方がよほど強烈なダメージをもたらしたものです。その傷もようやく癒えてきた今日この頃でありますが、その跡地がリノベーションされてすでに開店しているという。ならばいかなる災厄に接する事になろうとも訪れておくのがかつての愛好者としての勤めであります。愛好者と書いたのは常連と胸を誇れるほどの馴染みでは全くなかったからであり、言葉に違和感を感じられてもそこはそれ何となく意図するところを読み取っていただけると幸いなのです。さて、新たな店の名は「神鶏」というようです。外観にはかつての酒場の面影が少なからず繋ぎ止められているのは嬉しい事です。しかし、店名にはかつての店名の想像力を掻き立てるような硬派さが微塵も感じられぬのは残念な事です。店に入ってもかつての名残は色濃く保存されていて、それは大変歓迎すべき事ではあるのですが、決定的な違いがすべてを台無しにしてしまっている。いや、それを言うのは酷い事だと分かってはいるけれど言わずにおれないのだ。それはかつての事を覚えておられる方なら言わずもがなであるけれど、人が違っているのだ。それも店の印象を決定付けるほどの違いなのであります。今の店は若い人がやっていて特に接客は若くて可愛い娘が多い事は喜ぶべきなのであろうし、実際その可愛げのある応対はとても癒やしになるのでありますが、この酒場の記憶はそんな甘い気分など容赦なく蹴散らすのです。かつてのツンツンお姉さん―稀にツンデレ―は、店を体現していたのだ。いや、何が何だか分からんけれどとにかく彼女たちがいたからこその酒場であったことは疑いようもないのです。精神状態の弱っていた時には行けぬその峻厳さこそが松戸を代表する酒場にさせた要因だったに違いないのです。 ほら、結局、もうない酒場のことばかり書いて終始してしまった。だから取扱いが難しいんだよなあ。 気を取り直して次にハシゴした店でフォローすればいいじゃないか、でも次は「中華厨房 ゆうえん 松戸駅西口店」に行ったのですよ。これじゃいくらなんでもリカバリーは出来ぬのですよ。ここの事、けして嫌いじないのですよ。気軽に利用できる、でも松戸の近隣に閉じられたチェーン展開というのが慎ましくて好感度は低くありません。明るくてパーラーみたいなところも明朗な印象で、ひと昔前のスナックコーナーみたいな雰囲気です。多くの方にとって重要であるに違いない味の面ではとんでもなく美味しいなんて事を考える人は恐らくおるまいとすれば、やはりスナックコーナー風の庶民的な味わいでぼくは嫌いじゃないなあ。そんな感じだから全般に値段もお手頃なので、もう少し呑みで利用する人がいても可笑しくないのではと思うのだけれど、ついぞ大いに呑んで食っての客は見ぬのでした。
2018/01/06
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前々から船橋の路地裏に気掛かりな酒場がありました。しばらくぶり、いやそんなでもないかな、リタイアした獣医さんと呑むことが急遽決まったのでした。それはまあ一つには相手がそれなりのご高齢でもある訳で余りご自宅から遠くない場所が良かろうという事、それから有難いことに支払いの大部分を持ってくれる事が分かっているので、そんなに高い店にお連れするのは憚られるし、次の機会も遠ざかるかもしれない。それはちょっとばかり寂しい事です。なので獣医さん家から電車ですぐの船橋で呑むことにしました。以前もこんな事があったなあ。そして前回船橋に来たときもそうだったけど、行き先は決めていませんでした。でもJRの改札を抜けた瞬間に啓示が降臨してきたのでした。そう、駅を背にしてしばらく歩いた先の裏路地に呑み屋横丁と呼ぶには貧弱だけれど何軒かちょっと気になる酒場が身を寄せ合う一角があって、そこからさらに暗い路地に逸れた場所に古い酒場がある事を思い出したのです。 店の前に立ってみるとこれは少しばかり今夜のコンセプトから外れているんじゃないかと思う。古びてはいるけれどなかなか格式高いちょっとした料亭風の構えなのです。「石焼料理 みのる」というからよく分からぬけれど結構な老舗かもしれん。こりゃまずいと思うのも束の間。店の前には親切にも品書きが置かれていました。無茶苦茶安いとかそういうことはないけれど、全般にお手頃価格ですね。これなら安心して入ることができそう。こうした品書きひとつで客を逃さないというのはとても大切なことだと思うのです。ここは自分とは無縁だという思い込みだけで逃げる客のどれだけ多いことか。っていうよりも飲食店って商品の値段が入ってみないと分からないことが多分にあるけれど、これってどんなもんなのよ。大抵の商売は見積りを取ったり、商品を確認してから支払いをするのが当たり前だというのに、多くの飲食店、特に居酒屋では大方の場合、席に着いて初めてメニューやらを目にするのが基本になっている。それどころか最後の最後になって勘定書きを見るまで値段の心配をしなければならないことも少なくないのだから、これはもう業界が一体となって改善に向けて努力すべきである。とまあ、このあっぱれな店の暖簾をくぐるのであります。店内もいい感じに民芸調ですねえ。座敷の感じが土間からひと続きになっているようで、開放感がある一方で、木製のごついテーブルと丸太の椅子の置かれた席は、グループごとに区分けされていてそれがまたいいのです。すっかり落ち着いてしまうなあ。石焼料理が名物というのでお願いすることにします。猪やら鹿などに交じってカンガルーやすずめなんかもいただけますが、これらは割高なので残念ですが、注文は控えることにします。こういう食材は近頃は安く食べられる店も出てきていますから。石焼したことで肉にいかなる効果がもたらされるか、ぼくにはよくは分からなかったけれど、少なくとも肉の面倒を見てあげる必要があまりないのは楽でいいです。うっかり消し炭にしてしまうようなことも少ないようです。酒もなかなか面白いのがあって、さそり酒とかハブ酒(あれ、これはなかったかな)、ぼくはカメハチ酒なるものを頼んでみました。それは大量のスズメバチをきつい焼酎で漬け込んだもので、臭みはまったくなく、単に強い酒という印象で、翌日何某かの効果が表れたかというとそれも特段感じませんでしたが、物珍しいので楽しめました。店の女将さんやらその娘さんらしき方がとても親切で、ほぼ付きっ切りでお喋りや肉焼を手伝ってくれます。ここは隠れた良店です。宴会もできるらしいので、今度企画してみてもいいかも。
2017/12/22
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船橋はまだ充分に納得のいくまで回り切れていないという確信があって、こう書くと何だか何を言いたいのかよく分からないけれど、裏返してみると船橋には少し彷徨ってみたらまだまだ数多くの酒場なりが潜んでいるという確信があるということになります。しかし、平日に仕事を終えてから向かうとどうしたっていい時間になっていて、仮に腹を括って終電まで呑むことにしたとしても、それ程の時間は確保できぬのです。 なのでどうしても時間を効率良く使って呑み歩く事を言い訳にして、事前にリサーチしてしまう。確かに下調べをすると効率が良いことは間違いなくて、つい準備万端整えてから町と対峙することになるのでありますが、その場合、どうしてもその事前資料に縛られてしまい面白くないのであります。近頃はよほど行きたいというか行っておくべきという店には相変わらず縛られっぱなしですが、気の向くままに予定外の酒場に引きずり込まれる誘惑には抗わぬようになってきたのは果たして成長と言えるのか。この夜は急遽、車で送ってもらえることになったので、事前調べはまったくなしに、ついに思いのままに船橋の夜を駆け巡ったのでありました。 最初にお邪魔したのは、「三猿」という立呑み店です。この場所になんだか覚えがあったものだから調べてみたらつい先日閉店した喫茶店の「グレース」があった場所なんですね。喫茶店としては地味でコーヒーショップみたいなスタイルなもんだからさほど思い入れはありませんが、それでもこの情報を得てしまうと感慨深いものがあります。2階、もしかしたら3階もあるかしら、とにかく上のフロアーは椅子のある普通の酒場のようです。立呑みスペースはまだまだキャパシティーに余裕がありますが、上の椅子席は満席で何組もの客がお断りの宣告を受けていました。店の方たちにとってもそれは非常に無念残念な気持ちらしくて、すげえすげえ一体全体どうなっておるのだ、こんなに混んだのは開店以来初めてのことであるな、などと少なくともぼくとお隣のおぢさんにとっては、苦笑せざるを得ない狼狽ぶりで、それでも懸命に素人っぽさを少しも隠そうとせずに忙しげに立ち働く彼らを見守ることになるのでした。さて、こちら立呑みとしてはどんなもんだという価格帯で、ここは銀座かなどと突っ込みたくなるのであるけれど、ここは厳しく立呑みスペースを椅子席の連中と同じく扱うのはいかがであるかな、などと一言申しておくことにするのでした。 続いては、「加賀屋 船橋店」にお邪魔してしまったのでした。わざわざ船橋まで来ておいて「加賀屋」でいいのかというご指摘は誠にごもっともな意見であると思うのです。しかし、呑み屋街をひと巡りしてここぞと思う店がなかったのだから、この選択肢は無理からぬものなのであります。ぼくにとっては、「加賀屋」というお店はチェーンなのか暖簾分けなのかどちらでも構いはしないけれど、とにかく愛すべきお店なのであります。いや、ここはアカンと感じる店も少なくないからそう言い切ってしまうのは抵抗があるけれど、好きな店舗が結構ある。独特なスタイルの本郷店は貫録とオオバコのド迫力で忘れがたい名酒場ですし、多くの追従店を排出した北千住店や十条店の闇市スタイルは場末酒場の趣きを思い起こさせるに十分であるし、西新井店の駅前酒場風の佇まいも渋い路線の王道をいっていて大いに愛すべきであります。この船橋店もやや本郷店の独自な風情を漂わせつつ、店内のオオバコ感は西船橋の「加賀屋」というより船橋加賀屋支店を自称する「まる福」に近い雰囲気があります。出てくるものはほぼ同じであるのに、どうしてこうも違った印象になるのか不思議でなりません。店の方が外国人が多いからというだけが理由じゃないはずですが、とにかく騒がしくて熱気があって、これぞ大衆酒場という感じが堪らない良店でした。世に数多いる酒場遍歴の豊富な呑兵衛の皆さんもきっとマイ加賀屋をお持ちなんでしょうねえ。
2017/12/15
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馬橋では、どこにだってありそうなごく普通の酒場がそれなりに残っています。ごく普通の酒場っていったいなんだとか、それなりってどれなりかなどという野暮なことは聞いておくれでない。適当な表現が浮かばないから、あえて恥を忍んで曖昧で実のところは何事も語ってはいないであろう言い回しを用いているに過ぎぬとお考えいただければありがたいのです。でも、言葉で書くと漠然として捉えがたくもありましょうが、現地に赴いて実地にその場に収まってみたら、そのごく普通の酒場ということもさもありなんという風に思ってもらえるであろうし、それなりにというのは馬橋の町を歩き回ってもらうと確認もしてもらえるものと思っています。 そんなごく普通のお店の一軒目が「居酒屋 和楽」です。近頃ますます食と飲酒が結び付かなくなっており、この一軒目のお店でもお通しに思ったよりもたっぷりときんぴら風の煮物が出てきたので、ちらちらと品書きは眺めつつも結局頼まずに済ませてしまったのであります。まあそれは結果であって、それなりに濃いめのホッピーを呑むに辛めの味付けのきんぴらは御誂え向きなのであります。店に入った時には盛況で、小上りから足を投げ出して呑むことになったのですが、次第にお客さんは帰宅の途に着いて、よければカウンターにいらっしゃいなという女将さんの誘いにうかうか乗っかることになります。地元のしかもご近所さんばかりで、その輪の中に加わるというまでは至らぬものの、見知らぬ客ども―同伴者有―を素知らぬ風に迎え入れてくれる懐の深さがあります。妙な縄張り意識のない気軽に利用できるお店です。 続いては、駅に近い「旬彩 さつき」にお邪魔しました。こちらもまたあまりにありふれていて、入ったことがなくても以前入ったような気がするし、逆に以前入っていても初めてお邪魔したかのような錯覚をしてしまうお店です。店内も至ってオーソドックスなお食事処風で、ここでもやはり注文ひとつせずに済ませてしまうのでありました。さっきの店では他のお客さんも自宅で夕食を済ませてきたからか、はたまた呑んだ後のお茶漬けさらさらを堪能するためかは知らぬけれど、ひたすらお通しで酒を呑んでいたけれど、こちらのお店は他にお客さんはおらず何も頼まぬのは気が引けなくもないけれど、女将さんは気にせず催促紛いの素振りがないのは有り難い。ここのお通しはちょっぴりだけどやけに立派なガラス皿になめろうを用意してくれました。これ位でちょうどいいのだと思っていると、かわいそうに思ってくれたのかサービスで塩辛を振る舞ってくれました。このところ、似たような境遇で塩辛を振る舞ってくれることがたまさかにあり、お陰様で自宅でも塩辛をほぼ常備するようになってしまったのでした。尿酸値を気にすべきだけれど、塩辛の誘惑には勝てぬのがちょっと不安なこの頃でした。
2017/12/07
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上本郷駅は新京成電鉄の新京成線で起点となる松戸駅の次の駅です。随分、来なかった気がしますが、先日お邪魔した「もつ焼 のんき」がどの駅からも結構距離がありますが、無理矢理最寄駅を決めるならこの上本郷駅からが近いようだから、まあ来ていなくはないか。それでも駅の周辺、辛うじて飲食店なんかが寄り集まった辺りで呑むのは実に5年ぶりのようです。そうした個人的な感慨はともかくとして、とにかくどこかに入ってみることにしないと、もう体がアルコールを求めてうずうずしているのです。駅前を歩いてみると5年も疎遠になっているとまるで初めての町を散策しているようです。5年周期で町歩きをするのが今のぼくにはいいペースなんでしょうか。老人が毎日毎日飽きもせずに同じコースを散歩しているのを人ごとながらよくも退屈しないものだと思っていて、それは季節の移り変わりを日々感じているものと理解しようとしていましたが、実は毎日毎日が記憶が薄れていて新鮮に感じられるのだとしたらなんだか切なく思えてきます。駅前のビルの2階には「パンの笛」という喫茶店もありますが、今回はパス。見た感じよりいい雰囲気のお店なんですよね。 さて、一軒目はその店舗の渋さが気になった「稲迺家」に入ってみることにしました。この日の夜は冷え込んでいたので、味噌こんにゃくをアテに熱燗をキュッと喉に落とします。しらすおろしがお通しとは気が利いてます。いやあ、こんな簡単な肴でも酒を呑むには贅沢という風に思えるようになったのだから、齢を取るのも悪いばかりじゃないもんだなあ。お客さんは他に1名だけ。そばと丼のセットらしきものを頼んで、届くや否や猛然と胃の腑に収めだしたのですが、ぼくより年長に違いないのに何とも忙しないことですね。それもまあそば屋らしいのかもしれない。忙しく性急な人にとっても、ぼくのようなまったりとくつろぐ系の者にとっても万能なのがそば屋系の使い手の良さなんでしょうね。このところたまにそば屋で昼酒をいただいてみたりしていて、若い頃はそんなオヤジたちを揶揄しつつも羨望の眼にて観察したものですが、今では逆の立場になってしまったのだなあ。なんて当時のオヤジたちと違って、いい年しても坊ちゃん坊ちゃんしているぼくなんかは羨望の視線を浴びることはないのだろうなあ。 そして、「大衆酒場 能登屋」ではまさに坊ちゃん扱い。あらあら珍しいこと、こんなお若いお兄さんがいらっしゃるなんて珍しいわねえなんて、そこそこもてはやしてくれてさっきまでの大人の酒呑みからはまたもや遠ざかるのでありました。ここにはちょうど5年前も来ていたみたいです。というか店に入った瞬間に記憶が蘇ったのですが、当時からやはりこんなボロ酒場でありました。何も変わっていないということは、成りはボロく見えてもきちんと手を掛けて大事にされているのでしょう。また、5年後に訪れた時にもやはり記憶を振り返りつつ、似たような感慨に耽ることができたらいいのになあ。
2017/11/27
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松戸駅付近の飲食街の中心が西口の線路沿いの一角だとしたら何とかお寒い限りで、初めて松戸で呑もうとする友人知人を連れ回すのも気が引けるのです。それは松戸市の大概の駅前に共通していて、精々が馬橋駅辺りに場末めいた町並みの名残を見て取れる程度というのは返す返すも情けない話であります。しかしまあ仕事をかして早くもない時間に松戸で終えた後に電車を乗り継いで遠出する気力はもはやない。まあ、仕事から解放される場所がどこだとしても移動に掛ける情熱は衰えつつあるようです。電車の乗り換えには憂鬱になる一方で、歩いて移動するのはさほど苦にならぬという補足はしておきますが、この夜にお邪魔した店は駅からすぐなのでこの話はまた別の機会に取っておきます。 さて、この松戸西口の呑み屋街をなす交差点の真ん中に立ち―実際は車の往来がそこそこあるので真似するのはお勧めできません―ぐるりと見渡してみると確かにそれなりの軒数の居酒屋が縦方面にも拡散してありますが、どこもかしこも松戸以外でも見慣れた外観ばかりです。いやこの夜、グルリと視界を巡らすと見慣れぬ佇まいのお店がありました。そのお店は「大衆酒場 ホームベース 松戸店」というようです。松戸店とあるので恐らくはチェーン店なのでしょうが、寡聞にもぼくは見聞きしたことがありません。そこがなんであれ、見たことなければ新鮮なのであります。それにチェーン店でも仮にそこが1号店でさえあれば行ってみたくなるという俗なところが間違いなくある。だからと言って実際に足を運ぶかと問われるときっと否定してしまうのだろうな。さて、表から見る以上にオオバコで広いお店であります。独り呑みにはお誂えの広いカウンター席があるのは、高評価を与えても良いなんて偉そう振りたくなります。何というか店名にも言えることですが、気張り過ぎずカタカナ表記の馴染みのいい英単語を用いたのはセンスを感じます。当然ながら意味合いについてもマイホームとは別な秘密基地めいた安息の場所というイメージも喚起されるし、そのまま野球という球技の帰るべき場所という風にも解せられてなかなか凝っていると思います。さて、ここはちょっと欲張りなくらいに名物を揃えていますが、とりわけ煮込が売りなようです。目の前の大鍋でクツクツと煮込まれているのでひとまず頼んでみることにしましょう。串を打った都内では珍しいスタイルを採用しているのも拘りが感じられます。とびきり旨いというわけじゃないけれど、酒の肴なんだからこれで過不足ありません。全般に手頃な価格の設定なのだけれど、不思議とそれなりの値段になるのがこうしたお店の不可解なところ。その辺をあと少し考慮してもらえれば、松戸駅前には少ないホームベースともなり得るかもしれません。
2017/11/23
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白井駅を出ると、時間は9時近くになっていました。まだまだ呑みたい気もするのですが、この沿線で呑んでいるとまだ9時とはとても思えず、すでに深夜の時間帯のような気になります。しかも駅の周辺には町並みらしい灯りの見えるところも少なくて、この時間帯に行ってみたところでやっていないのではないかと弱気になってしまいます。だけれどもそんなネガティヴな気分よりもけち臭さが勝ったようです。沿線では比較的古い町並みを留めている矢切駅にまたもや戻ってきました。矢切の駅をしばらく北上すると三矢小台ショッピングセンターという商店街通りがあります。かつては本当にマーケットのようなショッピングセンターでもあったのでしょうか。昼間にもこの前を通っていますが、時間に押されて見て回ることができませんでした。この通りの先の方に何軒かの居酒屋がありそうだとリサーチしていたので一軒位はやっているだろうと向かうことにしました。 確かに一軒だけはやっていました。青井テント看板にはおにぎりとあり、店名はかわいらしく「ありんこ」というようです。どんな枯れた店内が待ち受けているかと入ってみると、なんてことのないごく普通のお店でした。小上りの二人客は若くはないけれど、こんな枯れた風情の店の似合わぬ位の中年に足を踏み入れかけたくらいのお年頃で、カウンター席の独り客のオヤジと女将さんはこの店らしい雰囲気の方たちでした。カウンターには大皿というか肴の盛り付けられた普通サイズの皿が並んでいますが、さすがにもうそうは食べれません。それでも魚の煮付けと塩焼きを頼んじゃうんだから小食ってのは嘘っぽく聞こえるかもしれません。手伝いのお姉さん―お姉さんといってもとうに中年を迎えています―はちょっとノリが軽くて、喋り辛いのですが、きつそうな感じの女将さんは案外気さくで常連になれば打ち解けるのも早いかもしれません。オヤジさんが帰る頃、小上りの二人はやんちゃなガキの時代の仲間を呼んだとかでしばらくした姿を見せたのは悪そうなお兄さんとその妻子でありました。タクシーで乗り付けたようです。この辺は本当に都内から30分程度で来れる場所とは思えぬほど、地方のヤンキー文化の名残をとどめているようです。 これにて北総線の報告は終了ですが、最後にこの半日の運賃を計算してみました。京成高砂-北国分:303円、北国分-矢切:199円、矢切-印旛日本医大:821円、印旛日本医大-千葉ニュータウン中央:441円、千葉ニュータウン中央-新鎌ヶ谷:570円、新鎌ヶ谷-白井:369円、白井-矢切:631円、矢切-京成高砂:303円、以上で〆て3,637円となります。 容易に大幅な元を取れるこの旅、一日乗車券のあるうちにやってみてはいかがでしょうか。くたびれ損となっても保証はできかねますが。
2017/11/11
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夜もとっぷりと更けてきました。なのに北総線の旅はなおも続きます。思ったより乗り降りできておらず普通に乗車するよりは運賃がぐっとお得とはいえ、1,000円とはいえ出来うる限り活用せねば勿体ない。なので、上り列車は見送りまたもや下りの列車に乗車するのでした。向かったのは、白井駅です。この駅の近隣住民に知人が何人かいましたが、彼らはこれだけの運賃を払って日毎に都心と往復を繰り返しているのかと思うと感慨深いものがあります。もう少し古い町かと思っていましたが、沿線の他の駅と変わらぬ小奇麗な駅前でした。駅前には巨大なマンションがずらり並ぶのも変わりありません。ネットで見つけておいた酒場はここから10分以上はゆうに歩かねばなりません。このマンションの中を抜けて歩くのもゾッとしない話ですが、ここまで来て歩かぬのも虚しい。酒も入って足の痛みも徐々に麻痺しているからなんとかなるでしょう。やがて辿り着いたのは「やきとり 愼八」です。果樹園に挟まれた暗い夜道が突如拓けて街道らしき道には大型のショッピングセンターがずらりと並んでいるのが見えます。そんな雑居マンションの1階奥に目指す焼鳥店はありました。手前にも似たような感じの居酒屋があります。もっとうらびれた様子を期待していましたが、来てしまった以上は入っておかねば馬鹿らしい無駄足になってしまう。店内はこざっぱりとしており、雰囲気は悪くありません。カウンター席に小上りのあるごく一般的な店の造りです。焼鳥屋なので当たり前ではありますが、焼鳥を中心にとり刺や唐揚げなどの鳥料理が充実しています。お隣の方の召し上がる品を見ると見た目に関してはなかなかにきれいで美味しそうです。でも値段がいい方の焼鳥屋の価格帯で、ケチな性分のぼくにはちょっとばかり注文するのに躊躇を強いられるのです。だから安い揚げ物を2品だけ遠慮気味に頼んだのですが、女将さんの視線が冷ややかなものに変わったのはけして気のせいではなかったはずです。それにしても他の客たちの豪快な注文っぷりはどうだ。一切のためらいを感じさせぬ勢いで夫婦がメニューの隅から隅へと辿っていき、それ2本、それ私いらないといった感じですさまじい量を注文するのです。呑み物が届いてもなお、とり刺やらを追加するのだから食欲と財力は底なしなのではないかと思うほどでした。よほど稼ぎがいいのか、そもそも将来にお金を残すつもりはさらさらないのか、いずれにせよその勢いに中てられてしまい、聞いてるだけで食べてるつもりになってしまったのでした。追伸:なぜか呑み食いしたものの写真が見当たりません。見つかったらアップしますのでご容赦ください。
2017/11/10
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北総線の旅は始まったばかりなのに、トラブルが勃発しました。というか家を出た時点でこうなることは予想できたことなのですが、おろしたての靴が足に合わず猛烈に足が痛いのです。痛いのにスタートしたばかりの矢切駅で喫茶店探索にかまけてしまい、足元ばかりか不自然な歩行により足腰全般に痛みが波及してしまいました。必要以上に時間を掛けてしまったので、松飛台の喫茶店、「ロスチャイルド」は泣く泣くパスせざるを得なくなりました。いや行けぬこともないのだけれど、少し足を休めたいと弱気になる程度にはまいっていたのでした。 そういうこともあり、北総線の終着駅である印旛日本医大駅まで車窓を眺めながらののんびり旅と決め込むことにしました。北総線の乗り倒しに当たっては事前にそれなりにしっかりと現地の喫茶店や呑み屋をリサーチしておきました。原住民たちに話を聞くだけでも闇雲に歩き回ったところで、飲食店はチェーン店やファミレス位しか見つけられないだろうということらしいのです。だから、印旛日本医大駅には単に寄ってみただけ。車窓からも大型のファミレスなんかが見える程度です。駅前に立ってみても見えるのは巨大なマンションが数棟見えるだけです。歩き回ると考えるとゾッとします。次に下車した千葉ニュータウン中央駅では、目当ての店がありそれは「あづみ野」なる食堂だったのですが、目指して歩き始めたのはいいのですが、地図とそれなりに歩いた位置を引き比べてみると思った以上に遠いことを知り、断念。これは足の状態が良くてもとても歩く気にはなれないだろうな。とにかく歩いていて楽しいと思える町ではなかったのです。なので、沿線では拓けているに違いない新鎌ヶ谷駅を目指すことにしました。東武野田線と新京成線の乗換駅となっています。ところがこれが便利そうでちっとも便利ではないのです。駅の周辺は線路などで袋小路となっている道が多く、迂回に次ぐ迂回を強いられて効率の悪いことこの上ないのです。大して、行きたい店にも行けていないのに時間は早くも6時近くになってしまいました。目指すお店の閉店は7時位とのこと、痛む足に鞭打って何とか店のやってる時間に到着することができました。「五本松」はこの界隈で見掛けた中では、唯一の古くからやっていそうなお店です。丹念にもしくは虱潰しに歩いたらまだ他にも古い店がここらにはありそうですが、駅から10数分歩いた限りではここ位しかぼくの琴線に引っ掛かるお店はありませんでした。緑のテントの裏からボワーとした照明が灯っていて、うらびれたムードでなかなかいいではないか。店内もなんかくすんだ感じが堪らないなあ。立地も奥まった場所にあるし、場末というか町の発展から完全に取り残された感じです。品書きは中華が中心です。店に入ると血相変えた表情の女将さんが、大量の出前注文が入っちゃってちょっと無理なんですけどと仰るが、こちらもここまで必死に歩いてきたものだから簡単には引き下がれません。いくらでも待つからお願いしますとなんとか通してもらえました。かかさずビールの注文も忘れません。こうした店舗が古びたお店では、出前が主力となるのはどこも同じですね。女将さん独りで奮闘して調理しているのですが、その調理の隙を縫ってビールやら焼色の付いた枝豆なんかを届け出くれます。しばらくして旦那さんがおかもちを手に急ぎ足で戻られました。夫婦二人三脚で店を守ってこられたのでしょうね。ちょっとすると餃子も運ばれて来て、コップ酒の用意をしてくれる位の余裕ができたようです。おっ、カレーラーメンがあるようです。これを見掛けたら近頃はなるべく食べることにしています。シンプルながら地味深いお味でした。帰りには女将さんからバタバタしてごめんなさいね、また来てくださいねとのご丁寧なお言葉を賜りました。そんなホンワカ気分のわれわれの脇をご主人はおかもち片手に飛び出して行かれたのでした。
2017/11/09
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今日から4日間は、いつも以上に情報量は薄めであります。薄いからこそ記憶にも留めにくいので、全く忘れてしまう前に少しでも覚えていることを記録として残しておきたいと思いたち、北総電鉄北総線の半日旅にお付き合い頂くことにしました。まあ、もとより報告における順不同は常習犯的に行っているし―今年の旅の記録が年末を目前とした未だに少しも片付く気配がないことがその証左であります―、そもそもが個人的な日記のつもりで始めたに過ぎぬのだから、なるべく記憶に刻み付けたい出来事を優先しても罪に当たるまい。 そんな個人的な事情はともかく、まだ扱っていればいいのだけれど、凶悪と言っても少しも過言でない運賃を強いるのが、北総鉄道なのです。JRや新京成線、東武野田線などと接続しているため、そちらを利用してみたり、時には自動車で送ってもらったりして、乗車したつもりを装ってきたけれど、とうとう乗り倒す機会が到来したのであります。以前から発売していたことは知っていたけれど、このガメつく運賃を徴収せざるを得ない因果な路線でも一日乗車券が発売されているのである。かつて鉄道趣味のあることを隠しもしなかったぼくがいつまでも知らぬ存ぜぬを決め込むのは己の矜持が許さぬなんて大層な事ではないのであります。うっかりうっちゃっていると廃線になってしまうなどという有りもせぬであろう風聞を垂れ流して万一の迷惑を掛けてしまうのは不本意なのですが、地元の方こそが自虐的にそう語るという伝聞型の話題として語ってしまうことにします。それ位に運賃が高くて、時に趣味より金に重きを置かざるを得ないぼくには高嶺の花、いや高値の路線なのでした。 やはり降り出しは、起点となる京成高砂駅にしておくのが良いでしょう。乗り潰しに何の価値も見出だせなくなった落ちこぼれ鉄道趣味者であるぼくではありますが、その程度のイベント感を出さぬとならぬ程に退屈そうな路線なのです。最初に向かうのは北国分駅です。駅から十分程度の坂を下った場所に「煉瓦亭」はありました。駅の周囲には真新しい整備されたロータリーとそれに沿って小奇麗なこぢんまりした商業施設らしきものもありますが、人の気配も店がやっている雰囲気もない。なのでその食堂を見つけた時には、ホッとすると同時にこの路線では駅とは無縁に商店や飲食店は生き延びてきて、そしてこれからもやっていくのだろうなと色々考えさせられました。店の前にはタクシーが停車しており、まさかこの店にタクシーで乗り付けるなんてことはないわけで、タクシー運ちゃん愛用食堂なのでしょう。古い店らしいのですが、看板にはモダンでちょっと懐かしい素敵な描かれていて、店内の様子がまるで想像できません。予想が当たっていたか外れていたかはともかくとして、ぼくの好みの大衆食堂そのものです。やはり運ちゃん達が自宅の茶の間のようにくつろいでいます。カウンター席にはオヤジが一人で呑んでいます。空になったビール瓶が置かれ手にはサワーグラスが握られ、正面をハッしと見やって酒を口に運ぶ以外はほとんど微動だにしない。さて、観察はそこそこにして品書きを眺めようか。うん、和洋中混合の何でも有りが嬉しいじゃないか、運ちゃんたちには悪いけれど、当然ビールも呑んでしまおうかな。カツをつまみに酒を呑むというのが、若い頃の憧れだったのだけれどいざ当たり前にそうしているとさほどの感慨が湧かないのはさびしいことであります。小津安二郎などを話題にしながらグルメ談義に陥らぬよう、大人の会話を交わせればきっとカッコいいんだろうけど、この店でなりふり取り繕って気取ってみせる必要はなさそうです。そうする間にもまた一人また一人とタクシー運ちゃんが増殖しています。タクシー運ちゃん御用達食堂の様相です。その後出されるナポリタン、これは今ひとつだったなあ。いや、さっきのカツを残しておいてキャベツ千切とごちゃまぜにすれば良かったかも。ポテサラは秀逸であったなあ。なんてグルメ志向なしのこのブログで禁を犯してしまいたくなるよいお店でした。 矢切駅に引き返します。進んでは戻るなんてことをするとさも全駅下車の降り潰しをしているみたいですが、そんな秘めたる野心はなく、かねてより行きたいと思っていた喫茶店を数軒巡るつもりでした。「お食事&coffeeの店 泉」はやっていました。外観は平凡ですが、看板なんかのデザインが可愛くて、しかもクラシカルで古くからやっているらしいことが見て取れます。店内もリニューアルされていますが、それなりに味わいもあります。ぼくら―A氏も同行しました―はいただきませんでしたが、ここは食事がすごいかも。カップルが頼んだサンドイッチのボリュームたるや、見ているだけでお腹がいっぱいになりそうです。父娘で慎ましくやっておられて好感が持てました。「珈琲・軽食 ライラック」は、散々歩いてそれらしき店の跡を見掛けましたが、どうも今では営業をやめているように思われました。
2017/11/08
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これから報告するのは、別に北松戸店でなくったって一向に構わなかったに違いありません。こう書くと理由はわざわざ紙幅を費やしてまで述べるまでもないのでありますが、もはや他店に足を伸ばす事もまずなさそうなものだから忘れぬうちに書いておくことにします。 さて、やって来たのは「寿司居酒屋 や台ずし 北松戸駅西口町」です。来たのは単純にほとんどのドリンクが半額になるチラシを入手したからです。もともとこのお店、7時までは同じサービスを提供しているらしくさほどの有り難みもないけれど、期限が迫り間もなく使えないとなるとまあ一度位は行っておこうかという気にもなります。さて、ここでネットで調べた雑学を。や台やグループは全国約270店舗あるらしい。約270店舗とはなんとも微妙な表現であるなあ。よくよく店舗情報を眺めてみると"NEW OPEN予定"という記述があるので、それに配慮してのことだとしたら、きめ細かくて結構なことです。ちなみに桜台駅南口町の脇に"11月NEW OPWN予定"とあるがカッコ悪いので訂正されるがよろしいかと。ところで、全国約270店舗という割には実店舗を見たことがないのです。それはどうしたことかと、暇なことにHPの店舗一覧をつぶさにチェックしてみたのでした。すると「全品280円居酒屋 ニパチ」、「お好み焼き・鉄板居酒屋 や台や」、「鮮魚刺身と鶏黒炭焼 せんと」、「大阪の味は これや」といった系列店もあるらしいのだが、その立地が独特なのであります。「や台ずし」は都内35店舗もあるけれど、都心と言えるのは神田駅西口町位でベッドタウンというか郊外に店舗が多いようです。「ニパチ」も全73店舗中都内には1軒もなく、近場と言えば南林間に1店舗あるのみです。「や台や」は昭島1軒、福生2軒、相模原2軒、「これや」は東京では昭島だけ、「せんと」に至っては1店舗が大阪にあるだけなのです。どうりで都内で呑み歩いていても見覚えがないはずです。せっかくなので会社概要を見てみると、なるほど本社の所在地が愛知県名古屋市となっている。それとこの段落の冒頭の店名を見て気づかれた方もおられるかもしれぬけれど、素直に☓☓☓店とすればいいところをなぜか☓☓☓町と称しているのであります。例えば神田駅西口町という店舗もあるらしい。これは一体何なのだ⁉ まあ好きにしていいと思うし、実体としては支障もないのであるけれど、本社勤務の方は覚えにくいんじゃないかな。長くなったので結論を書くと空いていることもあるけれど、ゆったりした造りでリラックスはできる。しかし、半額でないと酒は高いし、肴も通常のチェーン店の5割増しの値段と思っておいてあながち間違いないはず。寿司にしたってこれならそこらの大手の回転寿司に食べに行って呑んだほうが手頃で美味しくて満足感が高いのではないか。考えるにこれでは都内では勝負するのは無理というのが忌憚のない感想です。 やっぱり初めから「天津」にしておけば良かったなあ。こちらの難点は窮屈でしかもいつも混んでる事と言えばわがままだろうか。しかし、多少の窮屈さを押してでも来るだけの店です。ホッピーの中身の並々と注がれている様は町中華のそれとは比較にならぬのであります。いつもの定番、豚とセロリ炒めは添えられたマヨネーズがいい役割を果たしているし、かた焼きそばは二人でも十分な量があるばかりじゃなく酒にピッタリの佳品であります。100円の冷奴など重宝するから、そんなに食べれなくても困ることがないのは実に使い勝手が良くて、そんな痒いところに手が届く良店なのです。
2017/11/03
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松戸にも嫌になるくらいに中国人のやっている中華料理店があって、それはそれで悪くはないのであるけれど、量が進むと途端に具合が悪くなる。きっと油をケチって、中華鍋にこびり付けて、いちいち洗い流すのはその手間による人件費が掛かるのだという狙いとと水道料金など、つまりは純利益を秤にかけて、さほど質の良くない油を多めに使おうと判断しているのではなかろうか。料理も2皿目に掛かった辺りで胃腸が重くなり、手が伸びなくなってしまう。酒に酔う前に油にすっかり酔ってしまうのであります。一般庶民たるぼくのような者が知る中華料理というものの記憶は、間違いなく油との対話から育まれてきたものであります。それが良きにつけ悪しきにつけ、油をいかに使いこなすかが中華料理を飼い慣らすための肝なのであります。テレビの料理番組などで、料理人がただならぬ分量の油を中華鍋に注ぎ込む姿を見るにつけ、これは中国という国が国家の威信をかけて日本人を総肥満化の道へ引きずり込み、転覆を企てているのだよと語り掛けるようてある。余りにもあからさまに堂々たる食という熱烈な欲望を駆使したテロリズム! さすがに毛沢東を生み出した日本などとは比較にならぬ歴史を積み重ねてきた国家は考えることが違う。 しかし、日本人も一部の人ではあるけれどテロリズムに抗わんとする気概ある戦士が着実に育っているようであります。「中国菜 戸芽主(ドメーヌ)」というお店がそんな抵抗の拠点となっていようとは、中国人はおろか日本人さえ気付いていないだろう。店名を素直に読むと、「チュウゴクナドガアルジ」、つまりは「中国などが主」であって良いものかと問い掛けているのです。しかもあからさまにされている「ドメーヌ」という語は、ドメインと同じ語源で、日本語では領地といったような意味合いを持つ。そういう意味ではここは相当に挑発的で危険な店なのです。しかしその抗い方はあくまでも食によるもので、もともと日本人は中華料理の中毒性を敏感に嗅ぎ取って町中華という日本食への勇気ある迎合という戦略で対抗してきたはずなのです。しかし、我々は先人が永年掛けて培ってきた武器をかなぐり捨て、町中華という抵抗勢力は壊滅寸前となっています。この店の戦略は、和との融合などという甘っちょろいやり方ではなく、実態としては日本人にとってすら馴染みに薄い、油分控えめに素材の味を重視して、当然ながらの化学調味料やらの添加物を排するというものでありました。最初口に含んだ際には味気ないなあと思っているけれど、噛みしめるうちに旨みが広がるその豊かさは、これまでせっせと体内に溜め込んできた不純物をデトックスする効果すらありそうに思えるのです。難点と言えば健康よりは金額を重視するぼくのような貧困層に対する戦略が不十分であろうということです。この店の戦略が貧困層にまで波及することになれば、日本の将来はまだまだ捨てたものではないということにもなろうかと思うのですが、それ以後行けていない状況からしてもなかなか困難な道のりとなりそうです。
2017/10/09
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標題の表現はこうして本文に手を染めてもなお適当であったか不安にならざるを得ないのであるけれど、どうもぼくの貧困な語彙力ではこれがとりあえずは近しい言葉になるのだから仕方がないと開き直る事にします。少なくとも都心から公共交通機関を使って20分程度の駅の周辺部でありさえすれば―これが30分となるととたんに状況は一転するのですが―、駅前を一瞥する分にはこれはちょっと酷い僻地だなあなんて思わざるを得ない町であったとしても、そこで諦めずに駅前から望める一足先に踏み込んでみると、運が良ければ思いがけぬ場所に商店街が伸びていたり、最悪でも数軒の居酒屋や町中華なんかを見つけることが出来るのです。つまり先に用いた場末という言葉は中心となる町があることを前提している訳で、その到達点というか、縁もしくは境界に位置する場所を場末と表現したのであります。そして、町が間隙的に点在する都心部では本当の意味での場末などは存在し得ない理屈であり、それは町と町とを結ぶ宿場のような場所なのです。無論、都心でも舎人などの場末は存在しますが、話が複雑になるのでこの辺りにしておきます。さて、この日の昼下がりには松戸駅を歩いていました。一つ北にある北松戸駅に町らしい町があるかと言われるといささか口籠らざるを得ませんが、その先の馬橋駅はそれなりに町がある。それはおかしいという意見にはとりあえずは取り合わぬのであります。ともかく松戸駅と馬橋駅を繋ぐ停泊地のような休息にうってつけのお店があるので報告しておきます。 そこは、江戸川に寄り添うように引かれた流山街道の裏手の通り、そこをひたすら進めばやがては新松戸駅まで行き着けるのですが、そこを歩いていくと「中華・とんかつ・うなぎ 松楽」という日本人なら大好きに違いない品書を取り揃える大衆食堂があります。大好きな品が多すぎで困ってしまうくらいです。困惑はそこそこに店に入ることにします。店内の風情も抜群なのですね。小上がりもあったと思うのですが、そこで雑魚寝したら二度と起き上がれぬのではなかろうかという程の快適な環境です。看板に偽りなく多様な料理が並ぶメニューには大いに悩まされるはずですが、ビールでも呑みながらゆっくりと考えればよいのであります。実際ここの料理はどれも間違いがない。美味とかそういうのとは全く違っているけれど、これさえ食べていれるなら世に数多とある珍味―数多とあるのに珍味とはいかに―とか美食などというものは不要とすら思えてしまうのです。数多いメニューもそれが往来するたびに試せると思えば楽しみは際限なく広がるのであります。こういう場末ならぬ場繋ぎの飲食店、近頃跡継ぎ問題などで次々と消え失せていますが、近隣の皆さんは本当にそれでいいのか! こうした店は出前が主力になっているようだけれど、横着せずにぜひ店に足を運んでいただきたいものです。ところでこちらのお店へは松戸駅から向かわれるのもいいかもしれぬ、疲れたら北松戸駅で引き上げてもいいし、馬橋駅、さらに新松戸駅駅や流山にだって散歩気分で行けてしまうでしょう。でもお勧めはそれらの駅から南下して疲れた頃にこの宿場のような萬屋風の料理店に入るとさらなる感慨を得られるものと思うのです。
2017/10/07
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上本郷なんて言っても都内に在住の方でご存知となると、地縁がないのであれば余程の鉄道好きと思われます。とは言え不便かとなるとさにあらず。上野から常磐線快速列車で20分も揺られ、松戸駅で新京成線で一駅目なのだから、山手線を半周するまでもなく着いてしまうと考えれば、松戸を遠いとお思いの方は思い切って遊びに行ってみていただきたいのです。かと言って、上本郷駅の周辺に特別な何かがあるなんてことはないのだとこの日まで思い込んでいました。都会は嫌だけど田舎臭い町なら好んで訪れるぼくにとって、上本郷程度なら週一は遠慮しておきたいけれど、月一程度足を運ぶに少しも苦にならぬ場所です。ぼくにとっては行きはヨイヨイの譬えもありますが、むしろ行きの方がずっと気が重くて、帰りはむしろヨイヨイなのです。そんな上本郷駅からちょっと外れに何だか少し面白そうな酒場があるのを食べログで見てしまいました。気付いたらすぐに行けてしまう程度の距離感です。実際には、自宅までは一時間近く掛かりますが気になった以上はほってはおけぬのです。 駅前にはポツポツと飲食店が見えますが、しばらくぶりとはいえ何度か来ているのであまり目新しくはありません。それでも気持ちは少しでも賑やかな方に惹かれるのですがそちらはまたの機会に改めて訪れることにし、住宅街の方に歩みを進めます。こちらから常磐線の沿線には坂を下るようにした向かうので帰りを思うと近くであって欲しいと願うばかりです。単なる退屈な住宅街と思っていましたが、ちょこちょこと呑み屋もあります。そんな風によそ見して歩いていたらうっかり見当外れの方に歩いてしまったようです。どこかで軌道修正せねば呑めぬではないか。それでも歩みを止めてスマホなりで今の自分の立ち位置を確認せぬのであります。軌道修正が下手っぴいなばかりに、これまでも何度となく過ちを繰り返してきたのです。しかしその立ち止まらぬ姿勢が吉と出ることもあるのです。視線の先には古そうなもつ焼と書かれた看板が見えてきました。 店の前に着いてみるとそこは水戸街道でした。後でネットで調べると北松戸駅との中間位に位置するようです。もしこれを読んでお出かけになられるおつもりならば、都心から向かわれる方は、常磐線の各駅停車、もしくは快速列車を松戸駅で各駅に乗り換えて北松戸駅から歩いた方がいいでしょう。運賃がお得ですから。途中、以前報告させてもらったなかなかに味のある大衆食堂もあるので、これをハシゴするのもオススメめです。なんてまだ少しも「もつ焼 のんき」について触れていませんでした。遠目にここを見つけた瞬間に目指していた酒場のことなど脳裏から霧散してしまいます。無機質で無愛想極まりないサッシの面構えな店内に入ると、カウンター席が10席、街道寄りに小上がりもあって、板の間にゴザを敷いたような安普請さがこれがなかなか味がある。そして品書きをみてさらに驚愕です。チューハイの250円もお手頃だけれど、何よりもつ焼が60円とは、思わず絶句してしまいます。女将さんは一瞬おやっと思われたらしいのですが、すぐに今日は暑かったねえ、クーラー付けるかいと至って気さくです。チューハイにもつ焼を適当に見繕いお願いしました。焼き置いてる訳ではなさそうですが、案外すぐに届きました。そうそう、ここのチューハイの濃いこと、5杯も呑んだらひっくり返ってしまいそうです。ゆうにチェーン店のチューハイの3倍は濃さそう。そしてもつ焼が旨いのなんのって、ビックリです。その後、業務用ダンボールから串の刺さった冷凍の肉を見た時はひっくり返りそうになりましたが、旨いのだから気になどせぬのです。ウッカリしていたけれど、品書の真ん中辺りにまたもや驚愕の品を見てしまった方もおられるかもしれませんが、気になさらぬように。ここのお客さんの大半は松戸市役所の役人とのこと。確かに役所の裏から歩けば案外近いかも。ここをはじめて早45、6年というから客の切れることはなかったなだろうなあ。女将さんは常磐線沿線のとある町から毎日通われて、週に一度、松戸市場で新鮮な食材を買い求めるとのこと。そんな会話を肴に呑んでいたら、おやおやびっくり、若い夫婦が来られて、続いてやり若いチョンガー男性が土産用に焼物を注文し、お新香にビールで待たれるのです。一見のぼくはそろそろ潮時です。いやはや驚くべき酒場が良くもこれまでに知られずにいたものです。やはり好奇心の赴くままに歩いてみるべきですね。こんな酒場に巡り会えるなら幾らだって迷子になっても悔いはありません。 帰りがけに目指していた「居酒屋 モントウ」を見付けました。余韻に浸るためスルーしたかといえばさにあらず。やはり寄ってしまいました。食べログでは高評価でしたが、他に客もおらず、そこで見たメニューより総じて50円の値上げを断行したようです。そうここは、インドの方だろうか、が一人でやっていて所在なさそうに店を出ては戻ってを繰り返し落ち着かなことこの上ない。インド料理もそれなりにあったけれど、まあそれなりの味で、値段を考えればまあそんなものだろうけれど何度も訪れるだけの魅力は感じられませんでした。昼前からぶっ通しで営業しているようなので、そこに使い出を見出だせなくはないのか。
2017/09/28
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松戸駅の東口は、かつてはとても賑わったそうな。町並みはそれほど変わったわけじゃないけれど、人通りは大変多かったと聞く。それを語って聞かせてくれるのは、やはり松戸駅東口の市役所のそばに暮らし始めて早30年は越したであろう、親しい老女であります。時折このブログにも登場するのでご記憶の方もおられるのでは。彼女などは松戸の役所の連中は夜な夜な遊んでばかりなのに、稼ぎは全国でトップクラスなのよとその真偽はかつてはともかくとして、今はどうも違っているらしい。それはともかくとして、かつては我々の血税にものを言わせてこの界隈は規模こそ大きくはないけれど、歓楽街を成していたようです。今でもその名残をわずかに留めており、業種こそ料理店に変えたものの韓国系のお店が目立ちます。その官吏たちもいきなりに女性の接待を主たる商品とした店々に足を運んだけべもなさそうで、その下地をつくるための店だったらしき一軒にお邪魔しました。 幹事役を仰せつかり「やぶ久」に電話を入れた際には、開口一番役所の方ですかと尋ねられたから、今でもそれなりの宴席は少なからず執り行われていて、上客としての待遇を受けているのかもしれません。4,000円で〆のそばを含む料理に呑み放題が込なのだから蕎麦屋としてはお手頃に思われます。店には今晩貸切の札が掛けられていて、繁盛しているのだなと感心したら、枡席になったちょっと雰囲気のある一階は使わずに二階の座敷のみが、現在のこのお店のキャパシティーいっぱいのようです。確かに昼時はともかくとして夜は駅からもちょっとあるのでそうそう集客はできないと察せられます。瓶ビールで乾杯、そば切りやそば味噌の添えられた三点盛りの先付けあとはサラダやポテトフライと肴としてはややもの足りぬのでした。いっその事ポテトフライじゃなくて揚そばにでもしたほうがボリュームはともかく気分は良いと思うのですがいかがでしょうか。最後に出されたそばの写真を撮り損ねる辺りはいかにもぼくらしいのでありますが、こうした庶民派そばとしてはちゃんと手打ちしているらしく香りがどうとか語るつもりはないけれど確かにうまかったなあ。周囲の評判も好意的でありました。遊びの前に軽く一杯やるには蕎麦屋はなかなか良いですね。 しかし、蕎麦屋の後を考えていなかった者としては久し振りに手頃な「大都会」で耐え忍ばねばならぬのです。それにしてもこちらのお店、少しも変わっていないない。松戸で変わらずに営業を続けていくのはなかなかに大変なはずです。今の松戸駅前で十年、二十年と続く店は繁盛を続けている店か、そうでなければちっとも客の入らぬ現状をあえて抵抗するつもりなど放棄してしまったような店ばかりです。こんな町としての役割を終えつつあり、しかしまだベッドタウンとして殉ずるだけの覚悟のない松戸駅前に未だに終日営業のこのような酒場のあるのは頼もしいことです。そしていつでもそれなりの需要があって賑わっているのも嬉しいことです。しかし、注意すべきはこちらは腰を据えて呑むような店ではないということ。いわ、ボトルを頼めば案外違った感想を抱きそうでありますが、食券を買い足し買い足しで呑んでいると、思った以上に財布が軽くなります。つまりは薄くて量が少ないということ、それさえ心得ていれば時間調整向きの使い勝手良い酒場であるのは間違いないのです。
2017/07/19
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松戸にある店で、知っている限りでは最後の行っておきたいお店にがあります。その一軒はつい先頃見つけたばかりなので、何だかんだ松戸のことを腐してみても丹念に町を歩くとまだいくらでも住宅街の只中や雑居ビルの二階の奥まった所、もしかするといつも漫然と通り過ぎる路面にどうして今まで気づいてくれなかったんだいと問い掛けるようにして、ぼくの来店を心待ちにしているかもしれない。まあそんなことはないはずだし、大体店をわざとらしく擬人化するなどというのは愚劣で他人がやったら間違いなく鼻で笑うのだろうな。これから向かうのもほんのひと足でも駅から遠ざかることを辞さなければとうの昔に来れていたはずであります。しかし、その一歩を踏み出せぬのが人情というもの。結果として残りの一歩に踏み込めたのだから、これでいいのであります。先日通り過ぎた時は行きの6時過ぎには営業しているようでしたが、8時頃にはもう閉まっていました。だから今回は慎重を機して土曜の昼下がりに訪れたのでした。今となっては昼下がりもなかなか冒険的な選択であると省みられるのですが、まあ結果は入れたのだから正解だったのであります。 外観撮り忘れたので、以前撮った写真を。 松戸を南北に通過する旧水戸街道ーで良かったのか、はなはだ自信がないーには、木造の現役店舗がチラホラあってそれが観光に役立てようと思える程には残らぬところが松戸らしくて、それはそれで情緒があると言えなくもない。「枡屋 分店」はそんな通りにある一軒で、ボンヤリしていると余りにもボヤッとした存在感の薄いお店なので、通り過ぎかねません。実際、何度か車で送ってもらってここを通る際にもその姿は変幻自在に出没と消失が繰り返されたのです。いずれその頃はここが現役だとは思っておらず、それ程熱を込めて眺める事もありませんでしたから致し方ないのかもしれません。さて、土曜の昼下がりには、暖簾が下がっていました。間もなく高齢と申し上げても良さそうなご夫婦が出迎えてくれましたが、必ずしも歓迎の表情ではありません。もしかすると、夜までも中休みとするおつもりだったのか。それでもどうぞと言われれば遠慮などありません。昼の真っ只中では他の客もいて慌ただしいだろうからあまりのんびり呑んでなどおられぬと考えたのです。店内は薄暗く、ゴザの小上がりが店の歴史を物語っています。品書には、酒の肴になりそうな品が充実しています。焼酎の水割りにレモンを浮かべたのに古風な名が付けられていたのがユニークでしたが、簡単に忘れてしまうのです。肉がふんだんに入った野菜炒めと焼売も皮がグタグタでこれがまたいいのだ。ああ、ここはそば屋のような顔付きをしているが中華も出す王道の大衆食堂なのだな。サービス品の肉団子は普段より200円安い700円で奮発しようとも思うがまたのお楽しみとしよう。フライパンでチャッチャッと掻き回しただけの卵焼きなどは大衆食堂というより、大衆酒場そのものです。これがいいんですね。醤油をかけてみたり、ソースにしたり、添えられたマヨネーズを乗せるのもいいですね。しかし、これ、家でやってもちっとも旨くないのはどうしてなのだろう。それにしても余り長くのんびりするつもりはなかったけれどつい居座ってしまいました。でも暗い店内から一歩踏み出すと表はまだ、眩しいくらいに明るいのでした。
2017/07/08
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馬橋には、無視できぬ酒場があります。ぼくが初めて訪れてここで報告した頃には、ネット上にはまだあまり多くの情報は流布されていませんでしたが、今はかなりの情報が出回るようになりました。もちろんその酒場を無視するわけじゃありませんが、その界隈にはまだいくらも酒場があるっていうのに、それらの酒場の情報が一向に流れぬっていうのはどうしたものか。安心して入れる既知の店の良さというのも認めるけれど、まだ一切未知のままの店に入るときの緊張や興奮を人々は欲せぬのだろうか。それはそれでありがたい事と思うべきなのかもしれない、ぼく以上に虱潰しに酒場を猟色する方は少なからずおられるだろうし、そんな方たちがあまりに増殖してしまっては、好奇心の持って行き場がなくなってしまう。己の好奇心を常に維持するためなら、未知の酒場に突入することの危険を煽り立ててみたい気もするのだけれど、それって非道に過ぎるし、第一そんな捏造された事実を書き残してしまったら出入り禁止になってしまうでしょう。そんな常連さんだけで成り立っているような酒場にぷらっと出入りする客のことは覚えられていると思うのが自然な考えです。それ以上に余程の非道な扱いを受けぬ限りはこうした店を余り悪く言いたくない気持ちもあります。 さて、それはともかくとして「ニカカレーショップ」は、地図さえ見ればそう苦もなく辿り着けるとは思いますが、ボンヤリと考えなしに訪れると迷ってしまいかねない。何度も来ているぼくなのにこの時はしっかりと迷子になりました。この界隈の道は迷路のように入り組んでいるだけでなく目印となるような標が全くないので注意が必要です。初めて行かれる方は地図をうろ覚えで納得したつもりにならぬのが肝要です。いつものようにトニーさんは笑顔で出迎えてくれます。店名はニカだけどバングラデシュ人の店主はトニーさんだから誤解なきよう。だったらニカはどういう意味か聞かれても答えられぬので、その質問は受け付けぬのであります。いつもながらに焼鳥は60円からと安いけれど、今晩は見るからに食い気のある兄さんと一緒だったからカレーとナンを貰うことにしよう。タンドール窯で焼いてるわけじゃないけど、熱々でうまい。そうそう何気なく出されるお通しのマッシュポテト、ポテトサラダというよりマッシュポテトに近いそれは、何気なく旨いのだよなあ。そして今回常連の強い勧めによりオーダーした手作り厚揚げでありますが、これがカリカリトロトロで滅茶苦茶旨いのです。そこそこ良い豆腐をじっくり揚げるだけなので実に簡単なものでありますが、トニーさんが言うには油が違うんだって。高い油はもったいないから酸化するまで使っちゃうけど、安いのだと惜しみなく使えるから、変な臭いも移らぬとのこと。まあそうだろうけど、実際にやってる店は少ないのだろうなあ、書いてるとまた行きたくなってきたなあ。 近所にはうらびれた呑み屋街があって、店の前で椅子を並べて呑んでるおっさん二人組もいますね。迷って突入した一軒では地元の老人、20名以上はいたかなあ、がカウンターを取り囲んでカラオケを熱唱していたのであります。空席を探り視線を送るぼくのことなど存在しないかのような徹底した無視に不快さはなかったけれど、カラオケ教徒たちの狂気のようなものを感じて、あまりの不穏さに少なからず戦慄し、思わずとをそっと閉めるのでした。 余りの強烈な光景に恐れ慄き、逃げ込むように「れもん」に入る事にしました。ここ、以前入った気がするんでちょっと迷ったんですよね。まず店名がとても居酒屋とは思えぬではないか、れもんは喫茶店向きの屋号で、せいぜいがスナックなら許せなくもない。しかしまあ選り好みする猶予はない。まっすぐ伸びたカウンターの造りは横浜の下さい素晴らしい市民酒場を想起させてくれもする、やはりここ来てるはずだけどなあ。さて、まずはさけであります。品書きを見るとなんと驚くべきか、大ジョッキに注がれたハイボールがなんと200円!、金麦は350mlが1本200円だけど、3本なら500円なんて無茶な品もあります。ハイボールを貰います。薄いかしらの問いについ、はいと答えるとボトルキープ流れらしきウイスキーをドボっと注ぎ入れてくれるのであります。お通しも適当に頼んだチーズサラミもこれでもかのボリュームなのであります。ここは本当に現代の日本なのだろうか、なんてことを思ったら、この夜の相棒がこんな場所に昭和があるなんて思ってもいなかったなんてことをぬかすのてした。そんな凡庸な発言は許さぬぞ。ところでここの難点を一つ。カラオケ唄わなかったら帰さないわよ、なんてことを言われるのでご覚悟を。結局3曲は唄っちゃうんだけど。
2017/07/07
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松戸と別れを告げたつもりになっていながら、未だに解放されておらぬというのはみっともない事である。例えばかつては深く愛し合ったこともある二人が何年ぶりかにかつて二人で見た事のある映画のリバイバル会場で偶然に再会したとする。瞬間かつての思い出が走馬灯のように脳内を駆け巡るけれど、彼と彼女にはすでに家族がいたりする。やむを得ない事情により別れ別れとなった二人の胸中いかなるものか。しかし、上映が間もなくであることを告げるベルが鳴り響くと、そっと視線を落とし別れを告げたのであった。ところがそれからそう経たぬうちに近所のファミレスでヒステリックに娘に怒鳴りつける彼女とセーラー服の娘に寄り添われた彼が出会うなんてことがあったりするようだ。つまりこのくだらぬ話で語ろうとしているのは、別れなどというのは常に訪れるものなのだから、己を物語の主人公であるかのように語ることは禁物ということであります。現代にあっては、己をヒロイックに語って酔いしれるなどというのは、喜劇でしかなく、滑稽さを表明することにしかならぬだ。自戒の念を込めてこう記しはするけれど、こういう相対化を欠いた思い込みの激しい文章というのは書き易い、嫌それどころか溢れ出て留まらぬ言葉の奔流に筆が追いつかぬのです。筆じゃないだろうとかいうツッコミすら入れる余裕すら失してしまうのです。 長く無駄なことを書いてしまいました。とにかく今生の別れとは書かなかったけれど、無沙汰を余儀無くされるようなことを書いた松戸で気になる酒場を知ってしまったものだからまたもや足を運んでしまったのです。それは同乗させてもらった車中から目撃したのです。しかし駅からは結構な距離がある。もしそこが閉店してるとか休みだったりするとかなりの痛手を受けてしまうのは間違いない。しかし知らぬ町を行くことににわかに旅人気分になったぼくは果敢にも駅から遥々と江戸川を渡す葛飾橋のたもと近くまで到達したのでありました。 店名すら知らなかった「季節料理・串焼 いなほ」は、呆気なくも当たり前のような素っ気のなさで明かりを灯していました。いやいや、酒場なんてものに哀愁やら悲哀を語るのは演歌だけで十分だと分かってはいるつもりです。しかしそれにしてももう少し余韻のようなタメがあってもいいんじゃないか。しかしそれにしても駅からこんな遠い場所で商売は成り立つのかという問いに、近頃はさっぱりねと女将さんは答えるのでした。小上がり2卓にちょっとくねったカウンターだけの小さお店です。そんなことないわよ、奥に20人入る座敷もあるのよだって。お酒別で千円から宴会してもう事もできるわよ、まあこれまで40年以上やってるけど千円でやった方はいないけど。じゃあ、その第一号に名乗りを上げようかと言うと、どぉぞ、いつでも大丈夫よ、週に2日はお手伝いの子も来るからとのこと。おやおや、案外繁盛してるのかしら。すずきの南蛮漬けとは珍しいし、大体において南蛮漬けというのは大概どんな魚だって旨くなるからまあ間違いはなかろう。それ美味しいでしょ、骨が多くて食べにくいけど、釣ってきたばかりだから新鮮なのよね、って誰が釣ってきたんだろう。如才なく溌剌とした女将さんの気持ち良い居酒屋にすっかり満足したのでした。 ここで駅の方に引き返します。途中、木造の掘っ立て小屋というかバンガローみたいな焼鳥屋らしきものがあることは以前から知っていました。「鳥まつ」という屋号があるのはこの夜初めて知りました。いわゆる敷居の高い店とは違うのだけれどどうも入りにくいオーラが漂っています。何がどう入りにくさを演出しているのか、ハッキリしたことは分からぬのですが、説明にはなりませんが常連ばかりな気がするのです。まあ躊躇う時間は無駄です。ガラリ戸を開けるとピグンとオッチャンが反応します。お客風のちょっと派手なタイプの方はお店の方だったようです。後で聞いたところによるとご夫婦らしいのですが、おっとり旦那にちゃっきり奥さんは案外お似合いなのかも。お通しのゆで鶏は鶏肉の味もしっかりしていてなかなかおいしい。手羽餃子を羽根つき餃子と思って頼みましたが、久しぶりに食べたそれはなかなか美味しい。非常にジューシーなのです。もしかするとハナマサの冷凍かもしれんけど美味けりゃどうでもいいのだ。そのうちそらそら集まりだしました。常連感剥き出しのちょい悪兄さん。この彼氏がすごくて、酒呑みの宿命であるγ-GTPの数値がなんと1,000だったか2,000あったらしいのだ。よく死ななかったもんだ。もっともぼくの知人にはさらに上がいて、8,000とかあったらしい。それが歯医者というのだから絶句してしまうのであります。さすがに、医者に即入院を命じられ半年のアルコール断ちを余儀なくしたのですが、今では何事もなかったかのように酒を呑むのを目にしました。といったわけで、はじめは危なっかしい印象でしたが、案外というかかなり手頃でいいお店でした。 松戸伊勢丹まではまだ当分歩くのですが、「枡屋 分店」は店を閉めたばかりのようです。ここは蕎麦屋ですか呑みにも使えそうなので遠からず来なくてはなるまいな。
2017/07/05
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久しぶりに南柏にやって来ました。南柏のような町はどうも町としてやっていこうという覚悟が足りていないような気がする。なんてことを言うと地元の方に激しい叱責をお受けすることにもなりかねけれど、やはりこの指摘はそう的を外していぬ気がするのです。この町で生まれ育った人たちも少なからずいるのでしょうし、その半数、いやもっと少ないかもしれないけれどとにかく愛着を持たれる方もおられるだろう。しかしその方たちの愛するのは、隣駅の柏や都内へも利便性が高くわが町は閑静で治安が良ければ事足りるというふうに思っていやしないだろうか。それがけしていけないとか言うつもりはないし、むしろ賢い選択であると思うのだけれどそれは他所から越してきたような人にとっては理解できるのだけれど、もとから生まれ育った人たちには当たらぬような気がするのです。ぼくは棲家などは、財政状況や勤務状況、パートナーの意思、場合によっては気分次第で自在に移り住めばいいじゃないかと考えるのでありますが、それは実際にはなかなかに困難であることを知っている。しかし、ずっと一箇所に定住する地縁やらしがらみを断ち切れぬ不自由な人たちがいるもので、そうした方たちは変わりゆく町をどう思っているのだろうか。将来老人となり経済的にも健康面でもそうそう遠出できなくなった時に南柏は果たして住みよい町としてあり続けるのだろうか。どうもそれは望み薄な気がする。今ですらそう思うのだから、近い将来すら明るい展望など望むべくもない。それはけして南柏に限ったことではないのでありますが、たまたまお邪魔した2軒の居酒屋は地元では古参でありますが、どちらも入りの良し悪しはあれ訪れるのは老人ばかりだったのであります。 駅西口を少し奥に入り込んだ2階建てののっぺりした建物の階段の先に「鳥よし」はありました。大手スーパーやパチンコ店にありがちな低層の建物なので店内は結構広いのです。先に言っておくと、すっかり記憶からは零れ落ちていますが、もう5年以上前に来たことがあるようです。なので、恐らくこのブログにも書いているんだろうけれど、今さら読み返す気にはとてもなれぬのであります。だからこれから書こうとしていることと、かつて書いていることがまるっきり食い違っていたとしても堪忍していただきたいのであります。実際、数年を経れば店主が変わったりなんだりで印象がガラリと一転することなどままあるものです、とハナから言い訳から話をはじめようなんて根性が良くないな。と自ら卑下することで批判の矢面を逸らそうなんてのもいかにも姑息であります。お通しはマカロニサラダですね。ツナとマヨネーズで合えた固めの仕上がりで非常に好き。これだけで2杯は呑めそうです。自宅で作ってみたりもしますが、どうも物足りない仕上がりになるのはきっと大量に作るというところに秘訣が隠されていると考えてみたりする。もつ煮があるので頼むことにします。普段ならあまり頼まぬ品でありますが、焼鳥店のものは鳥のもつ煮に違いない。鳥のもつ煮はあまりギトギトしておらず、食感もヴァラエティー豊富で楽しいのでつい頼んでしまいます。大根、人参、こんにゃくと具沢山で取って正解だなあ。汁まで全部飲み切ってしまったけれど、これをメシにぶちまけてワシワシと食らいたかったなあ。これだけで3杯は呑めちゃいそうな量も嬉しいです。つくねは見てくれは平凡ですが、肉の旨みが凝縮されている感じでこれまた2杯は呑めてしまいます。だから合計7杯呑んだかというとそんなことはなくて、ホッピーを中2杯追加して大人しく次なる店に向かうのでした。そうそう店の創業は昭和39年となかなかの老舗であります。いかにも店の女将さんに話を伺ったかのように語ってみせると、居酒屋ライター―こういう肩書の人がいるらしいのですが、よくも恥じらいもなく称せるものだとその臆面のなさにぼくなどの小心者は驚愕してしまうのですが―みたいで、いかにも取材してますってポーズにもなるのでしょうけれど、この情報はなんのことはないメニューにはっきり記されているだけのことです。このかなりの高齢らしき女将さんは、さほど客の回転もなく、そもそもがあまりお客さんの入っていないにも関わらず常にレジを守り続けているのがなんとも微笑ましいのです。 次どこ行こうと人通りの少ない駅前を歩いていると見覚えのある呑み屋通りに行き着きました。ああ、以前ここの結婚相談所酒場「福助」に行ったことがあったなあ。この夜お邪魔したのは「居酒屋 酔泉」です。似たような店が飛び飛びではありますが連なっています。さてこちらのお店は、カウンターにテーブル1卓のみというこぢんまりしたお店でいかにもご近所の方だけでやっているお店のようです。肴を注文しないと悪いかなと品書きを眺めますが、もうお腹も溜まっているので、軽めに茄子のバター焼でも貰おうかと思ったら、お通しが茄子の煮浸しだったので、しれっとやり過ごすことにしました。ところで先の「福助」という店名は実はその時はすっかり忘れていたのですが、女将さんと常連に教えてもらいました。結婚相談のお店に以前行ったことがあると語ると、さも当たり前のように語られたから、実はこうした酒場ってかつてはそこかしこにあったのかしら。髪の毛をきっちりと撫で付けた気風の良さそうな女将さんは一見のぼくにも至ってフランクで、常連の独りがいかにも盛ってますって感じの自慢話の際にはおどけた表情をそっと見せてくれたりと可愛げもあるのが楽しいのです。この通りの店はどこも安くて感じのいい店ばかりだよと常連は語って聞かせてくれました。また忘れた頃にふらりと訪れることになりそうです。
2017/06/14
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松戸駅から都心の方には馴染みのなかろう新京成線に乗車しました。新京成線の多少なりとも興味深い成り立ちは容易に調べることができるのでここでは語らぬこととしますし、第一、このブログにも度々登場しているのできっとこういう文章には幾分かのウンチクを挿入することが、ブログとはいえども文章を書く者の嗜みとか作法と思っていたこともあったのできっと触れているはずです。ともかく新京成線の松戸駅から2駅めにあるのが松戸新田駅です。ここも何度か来ていてその報告もしているので、この駅の謂れなどに触れるのをよす事にします。って、ここにそんな触れておくべきような歴史やら風習などなどの語るべき事柄があるとは思われません。いやもしかすると流布されている日本の歴史を覆すような遺産が眠っているかもしれぬし、徳川の財宝が埋蔵されていたりするのかもしれませんが、少なくとも駅の周辺を歩いてみた限りではそんな気配は微塵も感じさせられませんし、ごくありふれたベッドタウンの様相です。だから駅前といっても改札を出た時点で目に入るのは、数軒の飲食店だけであとはコンビニすら見掛けません。すぐに闇雲に列車を降りたことを後悔するのですが、このまま引き上げるというのはあまりに情けのないことです。なのでちょっとばかり歩いてみることにしました。こうした町では駅から外れた辺りになって忽然と商店街が姿を現すことがあるものです。駅前を通る道を南に向かってしばらく歩くことにしました。その予感はまず的中したと言って良いでしょう。ちょっと良い感じの焼き鳥店を見掛けますが、まだ開店前のように思われます。なのでもうちょっと先まで歩くことにします。このもうちょっと行ってみようというのが曲者で何度後悔したことか、しかしそれはまたにしておきます。 定番ではありますがちょっぴりユーモラスな豚がテントの廂に描かれた「とんかつ ふじ里」がありました。とんかつ屋で呑むのは案外悪くないことは知っていますが、やはり少しばかり緊張します。値段の心配もまあないとは言い切れぬのですが、それ以上に単品という選択肢がない場合、果たして飯を食らってしまって呑めるだろうかという懸念があるのです。握り飯にしてもらって持ち帰るなんて交渉ができればいいのだけれど、そういうところでは日頃の厚かましさを発揮できない残念な性格なのです。店に入ると小上がりで呑んてる先客がいます。これは心配は杞憂のようです。テーブル席の奥を陣取るとおもむろにメニューを引っ張り出すのですが、これが驚くべき品数なのです。価格帯もそこらの居酒屋より安いくらいなのは、ぼくを大いに安心させるに十分なのです。こうなると気持ちも大きくなるというものです。トンカツのヴァラエティーも豊富で当然単品も可なのでチーズ入りのカツを注文。600円とまずまず手頃だった事もあるけど、とんかつ屋でとんかつを食べぬのも残念ですからね。これは普通に美味しかった。小皿で出されるソースにうずら卵が割られているのがなんかいいなあ。それがいかほどの効果を上げているか走らぬけれど、嬉しい気持ちだけで十分なのだ。もしぼくがこのあたりの住人だったとして、地元で呑むことを余儀なくされたら間違いなくここは週一は通いそうです。 さて、駅方面に引き返していくと途中「炭焼 千人力 松戸新田店」があります。どことなく全国各地にあまねく存在する「大吉」の外観に近いのですが、ここはどうやら船橋を本拠地に、沿線に吸う店舗あるらしいのだけれど詳しくは知らぬ。表のとおりに人通りはないけれど、こちらの店内はかなりの賑わいでした。これがいつものことかは尋ねる暇もなさそうでありましたが、とにかく店主はてんやわんやの大忙しです。注文取るのもままならぬらしい。それでも懸命に仕事している姿には好感が持てます。酒は一番手頃な清酒をそのままいただきます。こんな状況でぬる燗お願いなんて無体なことはとても言えません。カウンターの周囲の客は常連ばかり、でも店主が忙しすぎるのでそんな只中にあってさほど窮屈な思いをせずに済むのは幸いでした。焼鳥も小振りだけとなかなか旨いなあ。なるほど地元の人たちが集まるわけだ。 普通の人ならこの夜だけで松戸新田で週に一、二度呑んで帰る店ができてしまうと思うのですが、まだその域に達するにはぼくはまだ好奇心が勝ちすぎているようです。でもこのレベルの店があれば余生を過ごすには十分と納得することのできた貴重な遠征になりました。
2017/05/30
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先日、写真を撮っておきながらちゃんとメモを残して置かなかったばっかりにその店名すらすっかり失念してしまった中華酒場のことはつい先日報告させてもらったばかりですが、せめて店名を記憶の底から掘り出すことに疲弊してしまい、であれば直に出向くのが話が早いとわざわざ足を伸ばしていたのです。同じ店に入るのも悪くありませんが、それでは芸がないともう少し散策の範囲を広げてみることにしました。こんな風に軽い心持ちで足取り軽く散歩するような気持ちでいると案外呆気なく良さそうなお店に辿り着けるものです。何とか収穫を得なければと躍起になって目を血走らせて探索した時には決まってここぞという店に遭遇できないのです。いやまあ、町がぼくの気持ちの持ちようで変化を被るなんてことがあるはずもなく、その見え方が変わるだけに過ぎないのです。でも実感として必死に頑張ったからといって報われるかどうかには何ら営業を及ぼさぬのは、あながち間違っているとは思えぬのです。それはとにかくとして、あっさりと古そうな大衆食堂に辿り着くことができました。まあ先般報告したお店から至近なのだからこれまで気付かずにいたのが不思議なくらいなのです。 そのお店は「桝屋食堂」といいます。外見には狭小なお店に思われるのですが、二箇所ある入口の戸を入ると思いがけぬ程の広い空間が広がっていました。手前のテーブル席も広々としているし、何よりすごいのが奥の小上がりです。いや、こういうのは座敷というのが適当なのか、それとも広間と呼ぶべきなのか、そこには立派な神棚と巨大なテレビが鎮座しているのです。遠く離れた席からでも十分眺められます。そこでは世代を超えて様々な年齢層の男たちが三々五々に集合しつつあり、どうやら近隣の小さな会社の慰労会のようです。現役もすでに一線を退いた方たちも一緒に酒を酌み交わせるのは実に楽しげです。いや、実際には綺麗事ではいかぬようなアレコレがあるのだろうけど、独り孤独なぼくには誠に賑やかしくて愉快そうに思われるのです。十人を超す団体が呑み語らうからさぞ喧しかろうと思いきや、やはり広いからなのでしょう、騒々しい感じもなく、ちょうど良い賑わいに感じられるのです。さて、酒も肴も適当に充実しており、日頃の野菜不足を補うために回鍋肉だったかな、を頼みます。すると嬉しいことにもつ煮込みのお通しを頂けました。あまりギトギトしておらず、サラリと頂けます。回鍋肉もちゃんと美味しくて、こんな店で宴会のできる彼らのことが少しばかり羨ましく思えるのでした。いや、ぼくでもここを会場にした職場呑みも出来なくはないかな。でもそうなったらそれなりの後ろ盾がないとわざわざ来てもらえぬかもしれぬので、これをご覧になってネット上の情報が流通するのを当てにしたいのでした。
2017/05/27
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これから向かう正確に言うと酒場ならぬ中華食堂を訪れたのは、実のところ随分以前のことで、その記憶も当然ながら朦朧としてしまっています。しかしそれでも北松戸にこんな店があったということは記録に留めておきたいという思いだけを頼りに何とか記録として残すことにします。なんてことを書くといかにもここがすでに店をたたんでしまったかの様な印象を与えかねぬのですが、大丈夫この春にはまだ営業していましたし、特に店を閉じるような予告もなかったので、余程の差し迫った事情が勃発でもせぬ限りは今でもやっていると思われます。場所は北松戸駅の東口を出て、常磐線の線路と国道6号の間の暗くて細くて何もなさそうな道を松戸駅方面にしばらく歩いて行くと必ず見つけることができるはずです。 実は、間違いなく行っているはずのこのお店のメモや写真がいくら探しても見つからぬのです。いや見つからぬのは店名すら失念していたからで、日頃言っているように記憶すらできぬものは覚えておく価値はないはずなのであります。でもこれから報告する「玉米家」というお店は、何を食べたか呑んだかなんてことは置いておいても覚えておきたいような店なのです。酒はごく当たり前の品しかないし、肴は普通に悪くないけれど、特別感動できることもない。でもこんなこと書いておいてどうかとも思うけど酒場は呑めさえすれば、馬鹿みたいに高くなければそれで充分なのだと思うのです。そりゃまあ旨いものを食って酒がないのは虚しいと思うことはぼくにだってあります。酒なんてものは自宅で呑んだほうが安上がりなのは当然だし、こう言っては何だけど、料理だってぼくの作るものの方が大抵の店よりずっと上等な事が少なくない。だけどホントに酒を呑みたい時に肴なんて不純物に過ぎぬのだし、銭金のことを考えていては酒場でなんか呑めるはずもない。この夫婦二人でやってる中華食堂酒場は、先にも書いたようにこれという持ち味はないし、店内は雑然と散らかっていて消してきれいでもない。しかし、ここで酒を呑むのは悪くない、いやむしろそこらの居酒屋などで呑むよりもずっと酒場で呑んでいるという満足度は高いのです。その酒場感が何からもたらされているのかは、今のぼくには説明する準備もないし、実のところ納得すらできていないのかもしれぬのです。繰り返し通えば、上手く説明できるのか、いや恐らく馴染むことでこの初訪時の感慨など霧散してしまうのだろうな。
2017/05/25
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松戸との因縁は当分断ち切れそうもありませんが、やはり未だに上手く付き合えていない気がします。それは町が日ごとに都心への通勤客のためのベッドタウン化され、それが加速化されているように感じられることもあります。ちょうど町の商店や飲食店を担ってきた世代が引退を迫られるタイミングと一致した事もあるのかもしれない。後継者もおらず、実際のところ後継に店を託したところで苦労を押し付けることにしかならぬと考えられているのかもしれない。そんな不幸の連鎖が町をただ帰って寝るだけの住宅街化させるのだろうけど、それを妨げる力など持っていやしないし、それ以前にそうするだけの大義もありはしないのです。だから松戸が誇る数少ない酒場の一軒だったーと過去形で語ることの何たる無力感である事よー「開進」が閉店していたのを遅まきながら知ったとしても嘆く資格すらぼくには残されていない気がする。そんなに大事に思っていたのならもっと頻繁に顔を出すべきではないかと言われてしまえばそれまでなのです。 虚しさなどわがままごとと気を取り直して町を徘徊します。徘徊している時点でどこか呆けてしまっていたのでしょう。これまでもそうだったかもしれないけれど、今後数限りなく繰り返さ、さらに加速を増すに違いない古い酒場との決別に慣れることなどできるはずもないのだろうなあ。大層なことは願いはしないから、どうぞぼくが死を迎えるその日までは一軒だけでもいいから通える範囲内にそんな酒場があってもらいたいのであります。西口の馬橋寄り、松戸としては飲食店の集まるビルの2階に見慣れぬけれど見知ったもつ焼店を見つけました。見慣れぬというのはその店を目にしたのが初めてという意味で、見知ったというのは東葛地区いや松戸駅の東口にも店舗があるお店が出店していました。いつの間にできたのか「生つくね元屋 松戸2号店」は、最後の一軒とするには大いに役不足でありますが、それでも近頃のチェーン系居酒屋では気に入っている方です。東口はカウンター席がメインの造りですが、こちらは建屋の形状や広さ、それとも水回りの構造が要請するのか判断しかねるところですが、とにかくテーブル席がメインです。用途に応じて東西の店舗を使い分けるという選択肢もあるかもしれない。たまたまこの日のことだけだったのかもしれませんが空席が目立ちます。というか他にお客さんがいない。東口の店舗はいつもそれなりにお客さんがいたと思うのだけれど。まだまだこちらは認知されていないのか。いや東西でお客の引き合いをして相乗的に客が減ったのでは元も子もない出店計画だったのかも。なんて適当なことを思いながら呑みだします。こちらはお手頃で肴もそれなりに健闘していると思うのです。いやまあだからと言って何事かを語ろうかと思うほどに飛び抜けた何かがあるわけじゃないのであって、そうなると途端に語ることがなくなるのであります。そうそうハイボールを頼んだんだったっけかな、可愛いお嬢さん従業員からジャンケンを挑まれるのであります。近頃、驚くべき勢いで勢力を拡大するー余りの急激さで近い将来が危ぶまれもする、ホントは少しも危ぶんでなんてないのだけれどー串カツの何とかいうお店なんかでも似たようなことしてるけど、あれって店にとってなんかメリットあるのかしら。販促として国産ウイスキーメーカーから委託されているのかなあ。ともかくとして、勝負を挑んでくるのがいつも決まって可愛い女のコなものだから、さほど好きでもないハイボールを賭けての勝負となるのであります。ぼくは女性のことは大事にすることにしているので、当然負けが込んでしまうのです。それにしてもジャンケンなんて何年いや何十年ぶりにしたことか。下らぬけれどこれはこれで話題にはなるのでありとしよう。
2017/05/17
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南流山で呑むのは久しぶりだなあ、でも少しも感慨の湧かぬのが武蔵野線沿線の駅の特徴であります。まあもともと貨物路線で田畑が広がる中を走っていたのだろうからそれも致し方ないことかもしれません。他の路線が交錯する新松戸や南浦和に武蔵浦和、北朝霞に新秋津などですら夜な夜な訪れるには町はせせこましくちんまりとまとまっているように思われます。西船橋や府中本町、西国分寺にしてすらがさほど状況は変わらぬように思われるのだから単独の駅などに期待をしすぎるのが無理があるというものです。そこに郊外型の居酒屋、和風ファミレス風のレディメイドな外観を持つオオバコのお店があるようです。もちろんこのお店を選んだのはぼくではありません。スポンサー氏が見繕ってくれたお店で、どうも口を酸っぱくしてぼくは呑み食いより、雰囲気重視といってもどうも真意が伝わりにくいのかもともと信用がないのかは分からぬけれど、こういう店に連れてこられることが多いのです。お手頃にそれなりの品を出していてかなることがここを選んだ理由のようです。 さて、「小樽食堂 千葉流山店」はそんな店なのでさほど期待していなかったのがむしろ功を奏したらしいのてす。木造のログハウスのような構えで、これがこの店のオーナーの小樽像を象徴しているのだろうか。オーナーならさるぼくにはその真意は計り知れぬのでありますが、まあそれは良しとします。大体この手合の店だということは容易に想像できていたのだから、それを超えるバカバカしさをもっと主張してくれるといっそ爽快に笑い倒せるのでありますが、どうやらオーナー氏は慎ましい方のようだ。店内はがっかりの個室スタイルであります。家族連れが車!で来れて、子供が騒いだりして他のお客に迷惑を掛けぬという意味では若干なりとも価値を見出だせぬでも無いタイプの近頃流行りのスタイルですが、当然にぼくは好まぬのであります。これがここも駅そばだから事情は似たようなものだけれど都心にも増殖しているようなのです。これは一体いかなる事なのか。他の客との接触を嫌うというのであれば、個人店の空いてそうな店を選ぶほうがずっと貸し切り感覚で利用できるし、何より大体の場合安く上がると思われるのです。でもまあそんな不満はどこへやら卓上が賑やかになってくると気持ちは呑み食いへと傾くのはやむを得ないのです。刺し身はどうかと思ったけれど他の肴はなかなか悪くないのです。とりわけコーンのかき揚げというおっきな塊はなかなか美味しかった。しかしこれを一人で来て食べきるのは相当、至難の業でありますよ。やはりこちらのようなお店はぼくのような独酌派には不向きと結論せざるを得ないようです。
2017/05/08
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「ホルモン焼 ゆき」のステキさは昨日書きましたが、ちょっと筆が滑り過ぎて読み返すと我ながら絶賛が過ぎるような気がせぬでもありません。まあ筆が滑るというほどには饒舌でも流麗でもないし、実際に読み返すなんてことをするはずもないのですけれど。とにかくぼくが矢鱈と褒め称えている場合は眉につばしてお読み頂くくらいが適当だとご理解ください。よもやこれをご覧になって行ってみようなんてことになって、何だ言ってる事と違うじゃないかと言うようなことになると申し訳が立たぬのであります。ぼくにはああいう辺鄙な場所にある酒場を実体よりも美化してしまう傾向がありますので特にご注意ください。さて、そんなあくまでもぼくにとっての名店「ホルモン焼 ゆき」に向かう途中、五叉路という松戸の発展の妨げ、少なくとも遠因になっているに違いない場所があって、ここのとりわけ細い通りを入ってすぐのところに一軒の酒場があります。そして何度か訪ねてもいるのです。しかしどういう魔の悪さか、わざわざ駅から10分程度掛かるその店に足を運んだにも関わらず、とにかくいつもやっていないのです。シャッターが降ろされているのがより一層悔しさを増させるのです。たまに車に乗せてもらってこの付近を通るときには大抵やってるのだからその悔しさと希求する思いは深まるばかりなのです。 さて、今回は独りではありません。ぼくが騙し討のように職場の人を伴ってやってきたのです。これでやってなかったらどうにもならぬなと分かってはいたけれど、幸いにも「居酒屋 きょうこ」は営業していました。ぼくの想像だと腰の曲がった小柄なきょうこばあさんがほとんどの時間を一人で店の小上がりにちょこんと腰を下ろしている、そんな店を想像していたのです。ところが、その想像は幾分違っていたようです。店内は至って普通であり、小上がりの煤けた様子に煎餅座布団が無造作に置かれているのが予感と一致したくらいで、きょうこさんはばあさんと呼ぶには若過ぎるという具合なのです。さほど散らかっておるわけではないのにどこかしらにカオス感が漂うのは古いお店だからなのかもしれません。品書きはさほど揃っておらず、しかし、ここではお通しが3品ほど自動的に届けられるシステムです。いかにもビタミン不足な我々の元には枝豆やほうれん草のお浸しが並びます。濃厚な冷奴もおいしい。って、なんだかこれ、自宅で晩酌の際にいつも摘んでるのとさほど変わらぬではないか。それがこうした居酒屋で食べると美味しく思われるのはどうしてなのでしょうか。イワシの丸干しはこんがり歯ごたえがあって、家だと持て余すのにあっという間になくなるし、鶏の唐揚げは凄い量が出てきました。これらに市販のタイ風ドレッシングをかけて頂いたのですが、これまたとてもいい。これ自分ちでやっても絶対美味しくないやつですよ。たびたび感じている居酒屋の謎に露骨に触れて、また居酒屋の奥深さを再認識させられるのでした。 次はどうしようか、と歩いていると「松竹園」に目に入りました。何度か来たことのあるぼくがすぐそばの有名店「三味園」よりずっと雰囲気があっていいのだぞとひとしきり感想を述べていると、この夜のスポンサーが肉もいいなとまんまと乗ってきました。シメシメなのであります。ぼくもたまには焼肉が食いたいのです。店内は記憶していたほどには枯れていなかったのですが、テーブル席などは大衆食堂のそれそのものだし、広い島状の座敷は近頃あまり見かけぬ昔風の造りでちょっと嬉しくなります。家族経営らしいお店の方たちもにこやかで気持ちが良いのであります。無論肉もうまいけれどすぐに野菜に安心するのが年のせいとは思いたくないのです。ともあれここは酒場使いも抜群に重宝なよいお店です。お土産にのど飴までくれるしね。
2017/04/28
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松戸特集はまだまだ続きます。どれだけ思い込みが強いんだろう、って初めて読まれる方には何のことやら分からぬはずなので一応フォローするとつまりは仕事でちょくちょく通っている松戸との縁が切れると思い込んでしまったのですね。なので来れる機会に松戸の宿題酒場をこのところ集中的に巡っているというわけです。ちなみに松戸が不便とか遠いとか思い込まれている方にお断りしておきますが、松戸は全然遠くないのですよ。いやけして近いわけじゃないけれど、都心を山手線と前提すると、松戸に一番便利なのは日暮里ということになります。起点次第では上野、今は品川まで行ける列車もあるからそちらを起点にする手もありますが、とにかく仮に起点を日暮里をすると15分もあれば松戸駅に着いてしまうのだから都内のいろんな町と比較していただければその距離感はさほどでないことが明らかなはずです。いやいや何も松戸がそれほど好きというわけではないぼくがやたらと持ち上げると、いらぬ誤解を受けそうでありますが、こと所要時間という意味では実はちっとも遠くないことを申し上げたいのであります。しかし、これから向かう酒場にはよほどの覚悟がなければ行けないものだからあえてお断りしたまでなのです。 そのお店に行くには例えば南流山駅に向かうバスに乗るのが良いのかもしれません。歩くとすれば恐らく一般の方の足で最低20分程度は見ておいたほうが良いもしれません。流山街道の裏手のそう広くはないけれど田畑のあるような田舎道の用水路を渡っ沿いに「ホルモン焼 ゆき」はあります。用水路沿いと言いましたが、用水路を渡す一応橋らしきものの渡った先です。このシチュエーションがなんだか楽しくないですか。まあぼくには楽しく思えるのです。ここは積年の課題店の一軒で、長らく訪れようと思いつつも二の足を踏むという、ぼくのような物好きにとってもかなりの難題として放置されていたのです。しきし、今のぼくは激しい焦燥感に見舞われているのであって、だからこれしきの距離などさほどの苦にはなりはしないのでした。実際渡るとそれほどの感慨もないのですがそんなことはどうでもいいのてす。外観はまあ安普請に見えますが、驚かされるのは内装の素晴らしさであります。ホルモン焼きのお店で木材は不向きに思われるのですが、内壁は全面木張りとなっていてそれごつやつやと輝いているのです。よほどの手間暇を掛けて掃除されているはずです。そこにひとしきり感心してカウンターだけの潔い店内の奥の席に落ち着くのです。ビールの大瓶が500円、コップ酒が250円これだけで不用意にも良店と決めつけるのは早計でしょうか。ホルモン焼も一皿300円からとなかなかのものじゃないか。味もかなりハイレベルなのですよ。しかも女将さんが大変人懐こいお人柄で、とても楽しいのです。お話を伺うとここを初めてすでに40年以上とのことで、それなのにこの綺麗さはご立派と賞賛すると、日頃めったに店には出ぬご主人が丹念に磨かれているそうなのです。これはもう凄いことではないか。始めた頃は辺りは田んぼばかりであったらしく、きっと流山街道からも赤提灯が見えたのではないか。その頃もしぼくが松戸に通うようなことがあれば間違いなく京成バスの車中から見止めて訪れたことでしょう。ここは今後もし松戸を訪れることがあれば寄らずにはおられない店となることでしょう。 ということて早速また来てしまいました。
2017/04/27
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松戸の喫茶店についてはこれまでも何度かに分けて書いてきましたが、その存在については随分以前から認知していながら、慌ててお邪魔するまでもなかろうと放置していたままにいつしかその存在すら記憶からこぼれ落ちていた何軒かにようやく行く事ができました。それは先日も書いたように松戸に来る機会を逸してしまうのではないかという漠たる思いが、ぼくを無性に焦らせるのでした。その焦りが杞憂になった事もすでに報告済みですので繰り返すことはしません。ところでここ数年で自分では加速させている喫茶巡りもその原動力の中心となるのが焦燥感にあるのは事実です。ややもすればその多くが平成の時代すら乗り越えられぬようにすら思われるのであって、大体が平成に元号が変わってから出来たような物をノスタルジーの対象として語ることが平成生まれの若造たちの甘ったれた感傷に過ぎぬと思っていたけれど、いつの間にやら30年を迎えようとしているのだから、満更不自然なことではなくなっているのかもしれません。ともあれ松戸を地方都市とするのは適当でないかとも思うのですが、松戸の地方都市としての活力と未来が柏なんていう町に剥脱され掛かっている現状を思うと、それを憂いている暇があれば残された喫茶などの店舗が遺物となる前に行っておかねばならない。そう本当に思ったかどうかはともかく行ってみることにしたのでした。 駅の東口を出て、市役所方面に進むと懐かしい甘味処風の食堂と向かい合わせに電気屋さん居酒屋があり架線橋を越えると廃業喫茶跡が未だに放置されています。随分前からこの状態だったと思います。「コーヒー&スナック K」という店名すら今に留めており、近い将来にはこうした店舗遺跡がそこら中で目にすることになりそうです。鉄道趣味の一つに廃線跡巡りがあるようですが、それに好奇心を抱く気持ちは分からなくもないけれど、のめり込んだりその啓蒙に加担する気にはなれぬのです。やがて喫茶店でも廃業店舗巡りをする人たちが出てきたりするのでしょうか。 向かったのは「カフェ・ド・パルファン」てす。何度か来ているのですが何故か入れない。昼は喫茶、夜はバーとして営業しているのでけして入店難易度の高い店ではないのてす。こういうのはやはり巡り合わせがあるものです。今回は夜訪れたのですが幸いにも営業していました。昔は喫茶店でビールの小瓶なんかを頼んだりもしましたが、今は喫茶店では素直にコーヒーを頼むことが多くなりました。純喫茶がアルコールを売り物としないなどという故事に従うなんてことではなくて、大抵が喫茶巡りの後には酒場巡りがセットになっているから余計なアルコール摂取は控えたいところです。さて、こちらのお店、ゴブラン織のチェアが並び、シックな雰囲気に誂えられていて、抑えた照明が落ち着けるのでありますが、異業種がハイブリッドするとどうしても純粋な喫茶店にあるような腰の据わった佇まいになりにくいようで、どうもピントがずれたお店に思われました。この曖昧さは松戸の喫茶店の典型といえるかもしれません。とにかく松戸の喫茶店はどこも徹底さに乏しい気がします。良く言えば控え目なのかもしれません。そんな押し出しの弱さが町を衰退させた一因かもしれぬと無責任に書いてみたりしますが、満更誤りではない気もするのです。無論中には個性的すぎて日常遣いに適さぬ店もありますが決定的に少数派です。 次に報告するのも松戸らしい曖昧な印象のお店です。「ピーチーズ」は、駅西口のペデストリアンデッキの先に顔を覗かせる雑居ビル2階の一軒です。あまりにも当たり前のように佇んでいるので、気付かなければそのままになかったようにして過ごしてしまいそうです。気付いていても見て見ぬふりして過ごしてきたのだから、思い切ってエイヤッと入ってみなければ縁のないままになってしまったかもしれません。それ位に平凡な構えをしていたのです。同伴したお兄ちゃんなどは、いかにも駅前喫茶って雰囲気ですねえ、なんて呟いたからやはりいかにもなお店なのでしょう。80年代風の飾り気はないけれどどこかしらポップなムードは店名と相まって、それなりにノスタルジックの対象として味わい深さを感じなくもないのです。でもどこか中途半端なんですね。なぜ、内装をピンクに統一しなかったのか。原宿でも竹下通りでもキティちゃんでもミンキーモモでもまあ何でもいいけれど、いくらでも手本にすべき材料には事欠かなかったはずなのに。いや、それだからこそ、飽きられる、いや呆れられることなくゆるゆると営業してこれたのかもしれません。創業がいつなのか気になるところ、よもや80年代ではないということはあるまいな。これだけはピンクに彩られたブックマッチがあるくらいだからきっとそうに違いないなと思うのでした。
2017/04/16
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松戸駅の東口には市役所を始めとした市政の中枢が固まっています。近頃登場せぬ松戸在住の老婆ーなんて書いたことがしれたら二度とあってもらえぬかもしれぬが八十歳を超える方に老婆と言わぬとしたらこの老婆という言葉は死語となりかねぬーもこの近くに住んでいるのでありますが、それはともかくとして、彼女が語るところによると、松戸市役所の役人は何にしろ大層稼ぎが良かったばかりでなく、毎夜のように近隣の酒場で呑み明かしていたといかにも不快そうに語るものだから、それは誠に羨ましいことであると語りたいぼくですら言葉を飲み込むほどの剣幕となるのであります。そんな役人たちの黄金時代からやっておられたに違いない2軒にお邪魔したので、訪ねた日は違いますがここであわせて報告させていただきます。先日務申し上げたとおり、松戸への決別となるはずでした。 第一夜に伺ったのは「金太楼鮨 松戸東口店」でした。松戸で宴会といえば筆頭に上がるのが「冨吉」だとすればそれに次ぐのがこの寿司チェーンです。浅草が発祥らしく吉原の辺りに立ち食いのできる店舗があるとか、あったとか。寿司のチェーンというと今では回転寿司が主流になっていて、その隆盛ぶりは凄まじく基本的に郊外型であったこの業態が今では都心部にまで勢力を拡大しつつあります。池袋では二大回転寿司チェーンが熾烈な競争を繰り広げていて、池袋を地盤にやってきた小規模チェーンの将来が危ぶまれたりもするのですが、それはまた別のお話です。さて、この「金太楼鮨」は松戸だけでも駅の西側にも店を構えるし、新松戸なんかにも存在するのですが、その拡張の根本理念が手頃な価格で本格的な寿司を提供するというところにありそうです。同系列の宣伝マンのような語り口ですが、まあ実感として誤ってはいないかと思うのです。だからこそそこには当然に陥りがちな落とし穴があって、庶民にとってイベントでもある外食の選択肢としては、祝祭感が決定的に欠落しているのです。ハレの日ー例えばボーナスの支給日ーに「金太楼(鮨)」行くぞ〜と言われて奥さんは納得するかというとそうはならないと想像するのです。だったら夏のボーナスは回転寿司で我慢するから、冬のボーナスでもうちょっと格式の高い寿司屋に連れてつてよとか、ランチタイムだったら手頃だからと酒抜きにさせられたりする気がするのです。酒のない寿司屋程に退屈で金の掛かる食事はそうはないのではないか。目の前にサービスの寿司が十貫とか一斉に並べられたとすれば、ぼくならものの2、3分で食べきってしまうに違いない。だからここは純粋に寿司が食いたい客が来るというよりは、宴会目的の店であるしかないのです。なんて、カウンター席で目の前で握ってもらったら案外気分が高揚するかも。それにしても寿司屋に来て、寿司の写真が一枚もないなんてさすがにまずいねえ。 さて、そこから程近いところに「御食事処 勘太郎(勘太郎ラーメン)」があることをなぜだか見過ごしていました。この道は何度となく通り過ぎているはずですが、まあそういう店もあります。昼下がりと言うにはおそすぎる夕方間近の時間帯にお邪魔したのですが、当然のように他にお客さんはいません。薄暗くそこそこに経年劣化と手垢などなどが染み付いた店内は味があるというより何かしら懐かしい気持ちになります。こうした古い店では見掛けがいかにボロでも瞬時に馴染めてしまうくらいには修行を積んでいます。実際になかなか身に付かぬのが、臭いであります。得体の知れぬ臭気の正体を探らんとする意思がどうしても起動してしまうのです。周期の発生源を特定し腑に落ちてみるとなぜだか憑き物が落ちたかのように店に馴染んだりするのです。それがいつまでも発見できぬ場合は、まあそれなりにモヤモヤとした気分のままに勘定を済ませることになるわけです。まあこのお店が臭ったわけじゃないのでこの話は置いておくとして、勘太郎ラーメンとあるけれど他の品もなかなか充実しています。が、餃子3個付きの勘太郎セットなる冒険心のないメニューを選択してしまうのが冒険心のないぼくの限界です。餃子もオーソドックスながらしっかり味がするしー醤油、酢、ラー油の味しかせぬ餃子がいかに多いことかー、ラーメンもほぼ理想型に違い仕上がりです。もやしと人参が珍しいけれど栄養バランスを気遣っていてくれるとしたら感謝であります。まあ、ほとんど足しにはならぬと思われますが。晩酌前の腹ごしらえの一杯が近頃、最も調子よく、というか美味しく酒が呑めるタイミングになりました。下町オヤジたちがおやつの時間から酒を呑みだす気持ちが早くもぼくには芽生えてきたようです。
2017/04/12
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今から一月くらい前のことだったでしょうか、いかなる虫の知らせがぼくを見舞ったのかよく覚えていないけれど、ちょくちょく仕事に来ている松戸にもうすぐ来る機会が激減すると思い込んでしまったのです。そんな根拠もない虫の知らせを信じ込んでしまって、そのせいで松戸にある懸案の酒場に集中して通ったのです。そんな奇妙に強度のある意志が芽生えたのを契機としてこれまで尻込みしてしまっていた酒場にも強硬に乗り込もうという気持ちにもなったのであります。今行っておかねば今後わざわざ松戸まで自腹で運賃を払って来なくてはならなくなるぞという、非常にセコくてしかしぼくにとってはかなり脅迫的な理由であちこちの松戸界隈の巡りましたので、これからちょくちょく松戸が登場することになります。松戸なんて興味ないよなんて思っておられる方には誠に恐縮ではありますが、片にご勘弁を思い込んだらどうにも一直線な性格なのでご不便おかけします。 さて、最初にお邪魔したのが、「ビア食堂」でした。昨年この新しい酒場のある店舗に来ています。以前は中華料理のお店でした。ここがとんでもなくお手頃なセットがあるんですね。1000円で肴3品酒2杯もしくは肴2品酒3杯を頂けるのはやはりかなりお得と言っていいんではないでしょうか。いつもなら迷うことなく後者を選ぶに違いないのですが、うっかり慌てて肴3品を選んでしまいました。よほど腹が減っていたのか、今のぼくには全く持って考えられぬ所業であります。しかも3品中の2品を揚げ物、それも鶏の部位違い、胸肉と手羽元の唐揚げを頼むとは何たる愚かさであることよ。サーモン刺は悪くないセレクトでありますが、ぼくにはちょいと量が多いかな。多くて文句は言えぬけれど、やはり3杯の方にしておくべきでした。店内には見るべきところはあまりありませんが、奥に秘密クラブみたいなとこに置いて有りそうなソファがあったのはちょっとユニークです。何より驚かされるのは先にいたジイさんが独りでこの安いお店で3000円もの飲食をしたということ。肴6品酒9杯、それとも肴9品酒6杯か、いずれにしても驚くべきことであります。酒9杯なら何とかなりそうですが、それなりに盛りのある肴を6品はとても無理そうであります。そんな凄まじい大食漢の通うこのお店はやはりかなり健闘していると言うべきでしょう。 続いては以前からその存在は知っていたけれど、やってるのかやってないのか、ほとんどネット上にも情報のなかった「居酒屋 陣太鼓」です。最近になって多少の情報が流布されるようになり、それによると賞賛に値する居酒屋らしいのです。駅からは遠からず近からずでやってるかどうか分からぬのに足を運ぶまでの関心は抱けずにいたのです。しかしまあ怪しいといえばこの上なく怪しいお店であります。町外れの小さなビルの2階、しかも一方通行に陥りそうな位の不気味な階段がまた立ち入ることをためらわせるのです。実際その急峻な階段を上りながら書き置きもせずに店に入ってしまって大丈夫なのだろうかという危険な予感があるのでした。それでも不用意に立ち入ってしまうのでありますが、すぐにしまったという思いが脳裏を過ぎったことは覚えています。一本足のカラオケのマイクスタンドが鎮座していたからです。何の事はないスナックだったのかと勘違いしてしまうのですが、どうもそれも誤りのようです。遅くなるとカラオケも活躍しだすのかもしれませんが、少なくともぼくのいる間にカラオケセットは放置されっぱなしでした。怪しいのはそれだけではありません。結構大きくて可愛げのない、しかし見掛けはそうだけど案外人懐っこいらしい犬が店内をうろちょろしているのです。顔はいまいちだけど賢い犬らしい。ここでお断りしておくと、ぼくは衛生面がどうとかで犬やら猫やらがウロウロする酒場を少しも否定しません。むしろ出歩いてばかりでペットすら飼えぬ己の代わりにこうしてペットと触れ合う機会を与えてくれる数多くの店には感謝したいくらいなのです。そんなわけで、この顔は悪いけれど、物静かで賢い犬をぼくは好きになりました。さて、一見さほど安くはないのですが、酒は濃いし、肴もボリュームがある。味も悪くない。こちらのお店、独りだとかなり冒険しないと入れなさそうですが、大丈夫、安心してお入りください。だって女性の独り客が毎夜のように通っているらしいのだから安心安全は折り紙付きです。 そして今どうしているかと言うと、やはり相変わらず松戸の酒場で独り呑んでいるのでした。
2017/04/08
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さて、思った以上に長くなった千葉の他旅報告もこれが最終回です。東金駅を出て最後の目的地を目指すのですが、目指す先は乗り換えもあったりしてちょっと面倒です。東金線の大網行でまずは、大網駅に向かいます。そこで外房線に乗り換えるのですが、一息つくほどの間もなく鎌取駅に到着します。ここが今回の最終目的地です。でも駅に到着したからって安心するわけには行きません。何と言ってもこれから向かおうとしている酒場は駅から2キロ以上はあるのではなかろうか。ここを知ったのはアド街だったでしょうか、随分前にテレビで見たんだっただろうか、それすら記憶に定かでないことですが、とにかく鎌取なる未知なる駅かも寄りらしい優良酒場があるらしいことは朧気に記憶していました。単純に食べログなど調べてみても見つからぬので、ズルズルと範囲を広げていくとやがてそれらしい酒場が見つかりましたが、果たしてそれがかつてテレビで見たらしい酒場であるかどうかは未だに判然としないのであります。でもどうやらこうして見つけた酒場はなかなかのものらしい、記憶が鮮明でない以上は深追いしたところで仕方がない。だから兎にも角にも行ってみることにしたのでした。 そこに行くには路線バスという手段もあるらしいけれどしばらく待たねばならぬらしい。だったら歩いたほうが早かろうと歩き出したはいいけれど、歩けど歩けどいつまで経っても地方の大型店が司会を横切るばかりであります。あゝ焦がれた「こんちゃん」は、本当に今でも営業しているのだろうか、と不安が首を擡げるのですが、ここまで来たからには引き返すという決断など下せようはずもない。通りがかりに広大な敷地に巨大な建屋のお金持ちの家を眺めながら歩くのは己のしがなさを再確認するようであまり気分はよろしくない。途中なかなか良さげな中華料理店に浮気しそうになるのでありますが、そこはぐっと堪えることにします。最悪の場合、ここに来ればいいのだと思えばまあ気持ちも幾分かは安んずるというものであります。やがてモーテルの引き込み看板のような街道沿いにポツネンとある看板が灯っているのを見たときは、快哉を心中で叫んだものです。そして想像以上にうらびれた店の佇まいを目にして、忘れ去られていたであろうA氏に対してどうよどうよと詰問口調で迫らずに折れぬのでありました。明らかにぼくに対して何事か申したいという表情を隠しもせずにいた彼氏からも怪しげな笑みが溢れるのでした。どうよどうよ、うんうん、という間抜けな対話ならぬ対話をする時間すら勿体無いというように店になだれ込むのです。店内は案外広くて奥の大座敷には大宴会が幕を下ろした痕跡が克明に残されています。さて、ここから何事か語ろうかと思うのですが、ぼくの貧弱な日本語ではこの酒場の素晴らしさを十分に伝えきれぬと断念することにします。とにかく安くて品数も豊富でしかも手が込んでいて工夫も凝らされているしかも量が凄すぎる。こんな酒場、そうはないはず。多少の道程の困難さなどこの酒場の実力を持ってすれば何事もない。喋りたがりのぽくが良くも今まで黙って折れたものだと言わずにいられない驚愕の店です。ここは幾多の困難を越えてでも足を運ばれたしと言い切りたい気持ちを抑えきれぬのでありました。
2017/04/04
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松戸駅の東口、市役所に向かう途中には韓国系の酒場やら酒場だけでやってるわけじゃなさそうなお店やら色々あるのでありますが、かつては役人たちが夜な夜な徘徊し血税を注入したに違いないそんな町も、今では人通りも疎らで、少しも賑やかならざる町へと変貌しつつある中、しぶとく逞しく住民の和みとして続けてこられたお店があることを随分前に知ったし、そして行こう行こうと思っていたのでした。地縁があるのでまだしばらくはこの町との関係が途絶えそうにはないのでありますが、町は残ってもそれを支える商店やら飲食店がずっとやっていてくれるとは限らない。どうも松戸伊勢丹もそろそろ引退を勧告されたとの噂もあり、やがてお隣のホテルニューオータニ同様にー何より一度きりしか行けなかった回転展望レストランとともにー過去の遺物となりかねぬ。そう思うといても立っていられなくなってその店の営業していむ土曜の日中に松戸を訪れたのであります。 その店は、「ニコニコ 喜久乃家」と言います。このブログを長くご覧になっている方であれば何度かめにされているであろう、店名だけでなぜだかとても懐かしくなるようなお店なのであります。甘味と軽食をメインに据えたまあ観光地の食事処みたいなお店ですが、ここが実にほのぼのとした気分にさせてくれるのです。残念なのが酒が置かれていないこと。いや、もしかしてあるのかもしれませんが、品書きにはないのです。だから大人しくラーメンでも頂いてみましょうか。これが、典型的な嬉しくなるような正しいラーメンでルックスだけでもう満足。ちょっとばかり薄口でありますが、そんな些細なことは問題じゃない。しかもポテト以上に大量のハムが混ぜ込まれた大盛りのポテサラがサービスされるのだから、快哉を叫びたくなるのです。あゝつくづくも酒がないのが惜しい。さて、日曜でもないのにと呑み屋の報告でないことをあれこれ言うのは少しお待ちください。本題はこれからです。満足して店を出て、今風のラーメン店で列をなす客たちを横目にふと店の向かいを見るとどういう事だ⁉、町の電気屋さんにしか見えぬその店先におでんのメニューが出ているではないですか。これは気になる。しかし、この夜はヤボ用がある。だからあれほど待ち遠しかった日曜がもどかしく思えるほどに焦がれて、やはり週明けにはその酒場に訪れることになるのであります。 そのお店には、「(株)桜井電気商会 東口酒場(サクライでんき)」なる立派な店名があります。ネットで見ると「東口酒場」なんていう記載もあるがそんなのは不要じゃないか。月島にも畳屋さんが堂々と屋号をいじることなく営業しているのだから、こちらももとの店名で勝負してしまえば良いのに。さて、首尾良く月曜の夜には訪れることができました。電気屋さんらしく煌々と灯る電飾看板が目に眩いくらいです。店内はあれあれ少しも電気屋さんらしくないじゃないか。叶うなら廃盤になった各種家電が陳列されていたりしたら目にも楽しいのですが、今時の町場の電気店は小規模工事なんかが主力商品なのかしら。思った以上に居酒屋らしい、いやむしろ大衆食堂っぽい雰囲気にすぐに馴染んだぼくは次にはこの店のシステムの掌握に取り掛かるのであった。まあ、店の壁面には巨大な冷蔵庫があり数多くのアルコール缶が陳列されてるから、基本的にはここから自分で取り出すスタイルのようです。そうなるとこの店の簡素な感じが角打ちっぽくも思えてきます。もしかするとこの冷蔵庫を業態の強みで安価にもしくは無料で入手したのが居酒屋稼業を思い立たせる原因だったのではないかと想像してみる。女との出会いが逃避行の始まりだったり、結婚がこの世の地獄への片道切符だったり、とかく原因と結果は思いもよらぬことが多いようです。ボリュームたっぷりのおでんと枝豆の付いたお手頃なセットメニューはなかなか良いですね。始めたばかりとは思えぬ品数の多さはちょくちょく通っても飽きないで通えそうです。店の嫁とその義母らしいお二方に店を預け、旦那さんはお得意さん宅に出張サービス中なのでしょうか。その機動力を武器に今後ケータリングサービスなど、この業態の組み合わせ、案外将来性があるかもしれません。追伸:いつの間にか「おでん気家」というダジャレめいた店名に変わっていたようです。
2017/04/01
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うっかりしてしまいましたが、銚子駅を出ると次なる喫茶店に巡り合うことはなかったのでした。なので、喫茶篇は前回にて終了、だけれど酒場篇はあと2回分残っているので、日頃の報告に織り交ぜることにします。成田線快速の逗子行に乗車、長距離列車がめっきり減ったと思っていたら、湘南新宿ライン運行以後、あちこちに貨物線路を利用した長距離列車ができたのは結構なことです。まあそれは都心を跨いでのことなので、実際にその恩恵に預かる機会はごく稀ではありますが、何はともあれ喝采を上げることにします。佐倉駅では総武本線成東行に乗り換えて、とりあえず成東駅に向かうことにします。脇目も振らずに東金に向かうつもりだったのです。乗り換えの時間があるので駅前を散策したのが運のつき、そういえば殺風景な駅前すぐに二軒の食堂があったのでした。一軒は歴史はあるらしいが真新しい構えのお店、こちらにはさほどの興味はないけれど一杯呑むのに良さそうな品が揃っているようです。実際呑んでる人の姿が覗けます。 でもやはりここは古くて渋い「食事 結城屋」を選択するべきです。ここらのお店は通しの営業なんでしょうか、5時前というのにありがたいことです。店内は座敷席の分断された変わった造りになっていて、気分次第で席を決める楽しみがあります。おやおや、座敷の座布団の上には猫ちゃんが横になっていて、時折、牛のようなうめき声を上げています。こちらはお客さんが入っていませんが、やはり呑むのに適当な肴も用意されていて重宝です。特別な何かがあるという訳じゃないけれど何もなさそうと思った駅前にこうした駅前食堂があるというだけで、こよなく幸福感を覚えるのは希少性が高まっていることの証左なのです。こうした駅から至近の場所に一杯やれる店があることがかつての旅客たちのどれほどか支えになったかと思うと末永く頑張ってほしいと声援を送りたくなりますが、実態はそう優しいものではないかもしれません。主のごとく振る舞う猫ちゃんを見るためにでもいいのて、成東にて待ち合わせとなった暁には列車を2本くらい見送って少し寄り道するのも一興ではないでしょうか。 さて、ここから東金線に乗るのは少しばかり億劫になってきましたが、大網行に乗り込みます。この路線は外国人がものすごい多いんだよなあ。などと思う間に東金駅に到着します。ここには前回見かけて寄らずんばなるまいと思った良さそうな酒場があるのです。「大衆酒場 鳥忠」がそれなのですが、まだやっていないようです。店内からは薄らぼんやりと明かりが漏れ出しているので、しばらく待てば開けてもらえそうです。前には気付きませんでしたがーどうして気けなかったのか、今となっては謎ですー、お隣の店も負けず劣らずのいい感じの酒場ではないですか。もちろんすかさず店内に滑り込みます。外観に負けず劣らずの渋いお店でした。お客さんもそこそこ入っています。カウンター席に腰を下ろすと早速酒を注文、肴も豊富で何よりお手頃なのが嬉しいではないですか。溌剌たる女将さんと無口で大柄な息子さんの二人でやっているようです。マグロの刺身など値段も手頃なのに量もすごくて二人でも持て余すくらいです。すごい気に入りました。都内にあったらすぐにでも名酒場として名を成すのではなかろうか。お隣もネット情報ではかなり評判が良いらしいので、いやいや東金はなかなかに侮れぬと駅の反対も歩いてみたのですが、どうもこの二軒が図抜けているように思われました。「のみたや」なんてのはちょっと良さそうですが。
2017/03/29
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ある日、たまたま目にした松戸駅からゆうに10分は歩くだろう町外れに、一軒の喫茶店があることを知ったのでした。知ってしまってしかも仕事帰りにそこ気になれば立ち寄れなくもないという状況に恵まれればそれはもう行ってしまうしかないのであります。その夜がいかに冷たい雨で満たされていようと、ぼくの決心を覆すには障害としてのレベルが低すぎるのであります。松戸駅の西口を常磐線の線路に沿って北松戸駅方面にヒタヒタと歩いて行くとやがてそのお店はありました。ここの事は別の機会に報告しようかと思っていたのですが、そんな機会など来ぬかもしれぬのでここで手身近に報告します。「千菓進」というあまり喫茶店らしからぬ店名を持つこのお店のそばは何度か通り抜けていたと思うのですが、全く見逃していました。見た目もあまり喫茶店らしからず、まあスナック風のお店だとでも認識していたのでしょう。中はクラシカルな住宅街の小さなお店の典型というか見本のようなお店で好感が持てます。休み少なく長時間営業のようなのでちょっとばかり歩くことさえ厭わねば、けして入店難易度の高いお店ではないと思われます。 ということで、懸案店を宿題店とせぬうちに迅速かつ存分に視認できてひと安心すると心に余裕ができ北松戸方面まで迂回しながら歩くことにしました。何軒か宿題にしているお店があります。ところが、その一軒などはつい昨日、一昨日に店を閉めたばかりという様子で、他も尽く空振りで落胆が過ぎていかにも好みの酒場すら立ち寄る気力が湧かないのです。どうせ、後日気になってしょうがなくなるくせに。 翌日にはまた足を運ぶことにしました。全く過去の教訓が活かされていないのであります。「居酒屋 きみ」は用水路を渡った民家の並びに唐突に出現したのでした。そういえば、この界隈には数軒こうした入口までのアプローチが飾りではなく、やむを得ない事情により橋を渡るというなんとも言えぬ風情のある酒場があります。佐原でも柳川でもどこでもいいけれど、海運の栄えた町ではこうしたお店って多く見掛けることができるのでしょうか。佐原はそうでもなかった気がするけれど、運河を船で移動して酒場に入るなんて想像しただけで気分が高揚するのを感じます。その川は荒川とか多摩川のような立派な川なんかより二級とか三級とか何級まであるのかは分からぬけれど、一般には貧相な位の川べりが相応しく思われるのです。まあこういうの実際には大抵の場合、店に入ってしまえば表の眺めとか川のせせらぎなんてものは期待すべくもないのです。そしてここもやはりそうでした。だけれどこちらには古い地元客相手に商売をしてきた枯れた風格が感じられます。カウンター5席に小上がりに2卓。意外にも先客がお二人カウンター席を陣取っていたので、こちらは独り贅沢に小上がりを使わせてもらいます。通過儀礼の様子見の時間も手身近に、こちらではすぐさまに和気藹々としたムードに取り込まれるのです。おかみさんを中心に彼女を慕う常連が育むこの店の雰囲気は何よりの店の財産です。お通しのモズクもいいですが、それ以上に手作りのちらし寿司のお裾分けが嬉しいのです。大振りの具材が適度に酸っぱくて酒のアテにぴったりです。近くにパン工場立ったかその寮があって、彼らが常連の主体となっているようですが、パン工場で働くと彼らのようにほんわかした人柄になれるのでしょうか。 良い加減で店を出て眼に止まった「酔仙桜」にお邪魔します。良くある町中華ですがそこはかとなくいい感じです。客の入りは今ひとつです。ここら辺は都心で勤務するオヤジたちが帰宅前のひとときを過ごすために寄るのではないか。どうもぼくは世の人の大部分を呑み助と思いたがる傾向にあり、それは要注意であります。大概の勤め人は、勤めを終えたら職場の同僚と呑むとかいうことがなければまっすぐ帰宅するものらしいことを聞いてはいるのです。客は近所のご老人ばかり、代替わりしたらしい、町中華では珍しい若い女性店主が明るく出迎えてくれるのだから、寮の若いのは足繁く通ってもよいのではないか。そうそう、壁に色紙が飾られていたのでした。そこにはお馴染のマイウーな人がいて、いやはやまさかここまで来ていたとは驚きです。とりあえず餃子で一杯。この餃子、なかなかおいしい。餃子にさほど魅力を感じぬぼくがいうのだから嘘ではない。またゆっくり来たいものだと思うけれど、さすがにここまでちょくちょく来れるほどにはからのぼくも暇ではないのですよ。でもこうして書いていてもまだぜひお邪魔したいと思うのです。
2017/03/24
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というわけで、酒場編の振り出しは「犬若食堂」です。外川駅の駅舎、とてもいいなあ、などと感嘆して見せるのは実際そうだったこともありますが、あまりの暴風雨に恐れをなしたことも一因です。実際傘などは邪魔なだけの飾り程度の役割しか果たさず、それでもやはり差している方がーここでハタと傘をさすの「さす」にはどの漢字を当てるのが適当なのかと悩んでしまうーマシと抗ってみたりしたものだから、港へと続く海辺の町の風情を味わう余裕もなくやっとの事で掘っ立て小屋のようなお店に辿り着くのでした。太平洋の海辺らしく寂れきってはいるけれど、こんな天候なのにどこか陰気になり切れないあっけらかんとした印象です。こんなぼくの感性とはズレのある方もいるのですが、それは個人の感じ方の差でしかない訳でとやかく言っても始まらない。ともあれ、転がり込むようにして店内に入ると、いたいた朝っぱらから呑んだくれている夫婦モンが。こんな人たちがいるからこそここも潰れるどころか逆に繁盛しているのでしょう。この日が土曜ということもあるのか、後から来る客もみな酒を迷わず注文しています。車じゃなく歩いてきたことを店の方は大いに驚いていましたが、呑むなら乗るなは当然でしょう。店内は思ったよりも古びておらず、ただまあ雑然としているのが風情になっています。名物のマグロとつぶ貝をお願いしたのだっけ。どちらもさすがに新鮮な感じで量もあって誠に結構でしたが値段はそこそこなのでありました。あまりここでまったりしてしまうと一日をそれで終えることになってしまう。缶のままのチューハイを呑みながら切り上げ時を図っていると目に止まったのは、押見修造の『悪の華』の似顔入りのサイン色紙なのでありました。そういえば、あのマンガのクライマックス、大団円になり損なうのは現代日本の物語であれば仕方がないものの、ちょっとばかりカタルシスが欠如しすぎた感のあった例のラストシーンの舞台としてこの銚子の町が登場したのでした。作中で登場する食堂はむしろ次に向かった食堂のそれに近いイメージですが、ここからも何某かのインスピレーションを受け取ったのでしょうか。改めて読んでみようかと思ったのはそのままになっています。昔は旅から帰るとすぐさまロケーションにまつわる映画やらマンガを読み返したものですが、旅に対する感性が鈍り切ってしまったようです。そうそうこちらはきたなシュランだったかきたなトランだかでも紹介されたようですが、先述の通り少しも汚くないのでそちらの好きな方はあまり期待せず、逆に汚いのが苦手の方は安心してお出かけください。「源長食堂」はやっていませんでした。すばらしく絵になる風景でぜひお邪魔したかったのですが、どう見てもすでに店仕舞してしまったように見えます。「越後屋食堂」というのがあるらしいのですが、情けないことに建物すら探し出せぬ始末でした。 銚子駅すぐそばの「吉原食堂」にお邪魔しました。それなりにオオバコの店ですごく味があるとかそういうんじゃまるでないのだけれど、定番の食堂の趣をこれ程応じのままに留めていてくれるのはありがたいことなんじゃないか。銚子は寿司屋とかよく紹介されるけれど、何よりも食堂の町というのが実感されるのです。かなり店をやめてしまっていますが、それでもそこかしこに昔ながらの大衆食堂を見掛けました。店内には昼時を過ぎていたからか、おぢさん一人が定食を食べていました。われわれは歩き回っても冷えてしまって、歩けどちっとも温まらない身体の凍えを燗酒で慰めようという算段です。お腹もそこそこ溜まっているので肴は軽めで十分です。かき入れ時にこんな客がいては迷惑千万ですが、客も引けて穏やかな空気の流れるこの時間帯は、食堂呑みに最適なのてす。肴も豊富に用意されているので、こんなにせせこましく移動と立ち寄りを続けるなんて無粋な行程を立てず、せめて一泊位してのんびり町を堪能したいと先の発言を無に付すような思いに駆られるのですが、そんな贅沢ははるか将来のことになりそうです。なんて悠長なことを語っているうちに、あっという間に年を取って温泉巡りなんか楽しむようになるのかもしれん。でもまあこれを書いている今もせっかちに慌ただしい列車の旅のさなかなのだから、今は先のことを考えずに歩き続けることにしよう。そんな馬鹿な会話を交わしながら昼日中から呑むわれわれを見つめた女将さんの優しい笑顔は忘れ難いのでした。調理場には息子さんらしき若い方がおられたように記憶するので、当分は安泰かと思われますがこういうお店はいつどうなっても不思議じゃないので、興味のある方はお早めに訪問なさってください。
2017/03/20
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翌朝も早起き―というかほとんど2、3時間しか寝てる時間がなかった―して、我孫子駅を経由して銚子に向かうのでした。なんでわざわざ我孫子に寄ったかというと、かつて山下清が勤めていたという立食いそばの「弥生軒」で唐揚げそばを朝メシにせんがためだったのですが、ちょっと早すぎたみたい。無念、また再チャレンジせねば。というかもう行っちゃったんですけど。我孫子からは成田線に乗り換えます。成田線の我孫子支線にはもう何年も乗車しておらず、遠からず各駅に下車してみたいと思っていたので、その視察を兼たのでした。でもじっくり眺めてみたところで単調な眺めが変わるものではないのです。田舎びて見えるといえどもさすがに都心への通金範囲内ということもあって、田園風景が広がるとかの旅情は少しもありません。かと言って古びたお店があるとか言うこともなくただひたすらに無機質な住居が散らばってあるのが見えるばかりです。成田駅でS氏と合流します。ここからの成田線はお馴染みの風景が車窓を流れます。お馴染みとは何かとは語らずに済ませます。銚子駅からは銚子電鉄に乗車する予定ですが、30分ほどの待ち合わせがあります。では駅前の「待合室」で時間をつぶそうと店に向かいますが、まだ営業を始めていません。銚子電気鉄道の外川行に乗車。多くの観光客が2両編成の列車に大挙して乗車してきます。関西からのツアー客のようですが、写真やビデオを発車前まではこれでもかと撮影していますが、列車が動き出すと奇妙なことに風景も眺めることなく、各々お喋りに興じたり眠り込んでしまう人までいる始末。ツアー客が下車すると車内に残されるのは5名ほどとなりました。 外川駅に下車して向かうのは「犬若食堂」であります。途中「かずさ」なる喫茶跡を見ました。でもここのことは酒場篇にて報告するので割愛です。前夜から降り出した雨は今朝になり本降りになり、外川駅に着いた頃には土砂降りとなります。ずぶ濡れになりながら、何とか食堂から引き返してきた、外川駅の駅舎をもうちょっときれいにしたらいいのになんて語っている鉄道ファンらしき家族がいましたが、何を言ってるんだろうねえ。銚子電鉄で本銚子に下車します。本銚子駅からことごとく行きたい店にフラれて気分は荒んで投げやりになります。 でもここでうれしい出会いがありました。「中華ソバ 坂本」なのですが、このお店はビールすら出さないので、喫茶篇で報告してしまいます。ここが、メニューはカレーにラーメンのみという極端なシンプルなのです。だったらいっその事どちらか一方に絞ればいいのにと思うのはぼくだけではないはずで、実際他の客たちはラーメンにミニカレーで満腹を持て余しています。でもこの日は独りじゃない、飲み歩きもしくは呑み歩きならともかく、食べ歩きに二人というのは正解です。というわけでそれぞれを一個づつ注文して分け合います。他人の口を付けたものをなんて事は言うまい。どちらもオーソドックスながら、なかなか他所では食べれない、特にラーメンの麺の食感が独特で癖になります。例外的な事ですが佇まいが後回しになりました。いやいや、程々に枯れていますが、人気店だけあってうらびれた感じがなく古い店に抵抗がある人でも気軽に使えるのではないでしょうか。週に一回は通いたいお店でした。 いよいよ喫茶店に向かいますが、ここは表の写真しかありません。「珈琲 巴緋(パピー コーヒーショップ)」ですが、看板同様になこなか押出しの強い個性的な店主がいるお店で、好きな人は好きでしょうが、悪天候ということもありたに客はいません。ここで店主と交わしたやり取りは詳細にこちらで報告されたとおりなので、ぼくなんかがくどくどしく書くよりもずっと的確に印象が伝わることと思います。 その後もう一軒駅前食堂に立ち寄りましたが、それも明日の報告に回します。食堂を出ると時間がポッカリ空いてしまったので、駅前の「待合室」を覗いてみます。おや、ようやく店を開けたみたいです。勝手な要望ですが、駅前喫茶は列車の運行に合わせて営業してくれてるのが本流だと思うのですがいかがでしょう。いろいろ事情があるのは推察できますが、ぜひとも前向きに検討いただきたいのです。で、こちらのお店ですが、創造性にはさほど見るべきところはないーなんてとてつもなく高邁かつ不遜な物言いだなー、けれど駅前喫茶として過不足ない良店です。多くの客は次の列車の発車時刻を待ち合せたり、都内や千葉辺りから帰ってきて帰宅するまでのひと時を休息したり迎えを待ったりしたりに使うのだろうから、変に華美になったり奇天烈だったりしても困惑してしまうだろう。まあ人というのは元来飽きっぽい生き物だから、すぐに目に馴染んじゃうんだからもう少しチャレンジングに攻めても面白いと思うのだけど。狭いスペースを有効活用するためかカウンターの隅がJ字型になっているのが喫茶らしからぬように思われました。 事前にチェックしておいた「トスカーナ」、「ポップコーン」、「喫茶 ブーケ」などには足を伸ばさぬまま銚子を後にしたのでした。どうも銚子の町はザックリしているというか淡白で散漫な印象で半日もいると飽きてしまうと書くと地元の方に叱られるかな。その割にちょくちょく顔を出すんじゃないよ、なんて。
2017/03/19
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その焼鳥屋のことを知ったのはもう数年前のことになります。船橋駅でも京成船橋駅でもどちらでも構いはしませんが、駅を背にして海を目指して歩いてしばらく行くと古い飲食店がテナントで入るやはり相当古いビルがあります。そこに「You coffee」なる喫茶店があったらしい。あったらしいなどと寝ぼけた発言をするのには意味があります。それこそ住所を頼りに喫茶巡りで船橋を訪れる度に少しばかり遠いななどと思いながらも何度となくこのビルの前を通ったのです。実際に知人の何人かはこのビルに古い喫茶があると語ってみせ、ぼくを歯噛みさせるのでありました。それにしても目当て通りの場所に到達できているのに、ついぞその喫茶の存在には気付けずにいたとはいかなる事でしょうか。本所吾妻橋にある喫茶店ー白い壁と青いランプシェードがまるで小沼勝の映画の一コマのように非現実なジュールで観念的な空恐ろしい空間だったことは記憶に新しい、えい、折角だからここの写真を放出しておこうーのように看板をしまうことで見えない店舗と化する場合もある。けれどここはそうでもないらしいのだから手に負えぬ。という曖昧な結論で物事を片付けようとするのは、無理があるからまたの機会に譲ることにします。とにかくこの喫茶をその営業しているかどうかす結局確認することすら叶わなかったのは何とも情けなく、無情なことであるよ。ネットの情報を確認してみると、そこはどうやら本所のタイプでは少しもなかったようです。 だから、その並びに「やきとり 大鳥一」なる酒場があることをずっと知っていたのだけど、こうして当たり前に営業していると何だか腑に落ちぬ気分になるのです。何度もそのために訪れた喫茶にはその残滓すら確認できぬうちに次なる店舗が収まったのに対して、こちらは何となく訪れて入れてしまうのだから、宝くじとか福引きと同様に妙に力むと運も逃げていってしまうのかもしれない。ところで入ってすぐに見た店内の様子は、想像を心地よく裏切ってくれました。カウンター席だけの10人も入れば目一杯になる王道ではあるけれど、さほど特徴もなく個性という側面では物足りぬタイプなんかでは少しもなかったのです。かなり広めのカウンター席に奥には飾り気の欠片もなく不自然なくらいに低い小上がりがありました。そしてオヤジも頑固系を見込んでいたので、その点少し鬱陶しいなあと決め付けていたのが、こちらも癒し系オヤジであったのです。これはもう肴などにこだわる暇はない。店を鑑賞するだけでお腹いっぱいになりそうです。まあそうも言っておられぬのでジャーマンソーセージというのを注文。これぼくはジャーマンポテトのことと思い違いしてしまったんですが、単なるキロ売りしていそうな炒め向きのソーセージをあえてジャーマンを冠させるあたりに主の独特な感性を見せ付けられるようです。ここは旨いとか不味いとか語ってみても仕方のないタイプのお店です。チラホラといる他の客たちもそんな物には拘泥せぬようで、オーダーもいい加減というか投げやりな感じすらするほどでした。この長屋ビルの命運尽きるまで頑張ってもらいたいものですが、果たして寿命はそう長く残されてはいないのだろうなあ。 大きな通りを渡って正面にくねった路地があります。この辺はかつての色街であったらしい名残をプンプンと漂わせていて、待合いであったかもしれぬ小体な簡素な構えの酒場も何軒か残されていて、そこにやはり何軒かの立派な構えの酒場が混じっています。今はもうやっていないか、奇矯な構えのスナック風のお店などもあり見て歩くだけでも楽しいのです。この夜はちょっと端正で本格的な焼鳥店の正統を守る「鳥よし」にお邪魔しました。大雑把に正統を守るなどと書いてしまいましたが、店の方にこの店の出自を尋ねると、どこぞやー失念、申し訳なしーの暖簾分けされて店を始めてから、この地に留まり50年を超える歳月を毎夜焼鳥を焼き続けてきたというのだから驚きなのです。内装なんかにどの程度手が加わっているのかなど分からぬけれど、これ程に見事に清新さを保っていることは店の方の努力と愛情に敬服するしか振る舞いようがありません。なのにそんな焼鳥で呑んでいるというのにまともに焼鳥の味に関心を払わぬというのは、やはり誤った態度と自らを詰るしかないのであります。長いカウンターの一席で独りで呑んだらきっと先の店とはまた酒の味も全然違って感じれるのでしょう。
2017/03/18
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東千葉駅から総武線に乗り込んで、この先どうすべきかしばし悩みます。翌朝も早起きして早くから千葉を駆け巡るつもりなので、このまま帰宅した方がいいのではないかという弱気心がふつふつと噴出するのですが、せっかくの切符をフル活用せずしてよいものかというつまらぬ意地がぼくを突き動かしました。西船橋駅で下車。西船橋なんて別に発起せずともいつだって来れるっちゃ来れるのですが、運賃もままならぬのでそうそう通う訳にはいかぬという微妙な町です。何度もこの町には来ていますがまだ行けていない酒場放浪記の居酒屋があるので、この機会を逸することなく立ち寄っておくべきであろうと思うに至ったのでした。「百花亭」がその居酒屋さんなのですが、思ったより駅から歩きました。車通りの多い通りに面しており少しも風情がないわけで、店構えもそれに準じて冴えない佇まいなのでありました。ところが得てしてぼくが好まぬ佇まいというのが、世間一般には好意的に受け止められることが多いから注意が必要であります。案の定というべきか、ほとんど空席がないような状態に見えましたが、カウンターの奥の二席が運よく空きました。こうした単なるタイミングの問題でしかないことを千載一遇の好機と捉えてみる、そうすると運に恵まれた方とはとても思えぬぼくなどのような性格の者にはまったくもって設えられたかのようなシチュエーションに思えて甚だ気分が良いのであります。気分が良いと言っても一日を掛けて、呑んだり、飲んだり、時には食べたりしながら過ごしていたので、固形物にはもはや食指が伸びぬのであります。旨い肴を看板に掲げるこのお店で肴を食わずして、さもこの店のことを悟ったかのように語ってしまって良いものかと、不安が首をもたげてくるのでありますが、この際そんなことには構っておられない。いつも以上に益体もない文章を排出するのにはやむを得ない事情があるのです。この店でも1時間ばかりの滞在の大半を忘失してしまったのであるから何とも情けのないことです。というか何事かを書こうと思ってみても掌から水が漏れ滴るように記憶はスルリと脳裏から零れ落ちていくのであります。だからして結論を語るとすれば、ぼくのような無粋な人間には面影すら留まらぬお店であったようです。まあ多くのお客さんで賑わっているからにはきっと良いお店なんだろうなあと思うのですが、少なくとも今のぼくにとっては縁のないということを語って終いとします。
2017/03/13
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何度も言ってますけど、半年も経ってしまった今となって木更津からどうしたかなんてことを明瞭に想起できるような才能などぼくは持ち合わせていません。だけれど紀行作家としては指折りの方だと信じている宮脇俊三氏に倣うまでもなく、記憶に残らぬものは覚えている価値はないーなんて乱暴な言い方はしないよなあー、というのが紋切りに過ぎぬにせよ大筋間違っていないことは大方の認めることではないかとアッサリと結論することにして、さて、僅かに残るメモによるとどうやらここで内房線に乗車してとりあえず千葉駅を目指したらしい。朧気な記憶の訴えをに耳を傾けるとここらで悪天候により列車運行に遅延が生じたように思うのだけれどさしたるスケジュール変更は迫られないで済んだようです。続いて成田線快速エアポート成田行きに乗車した模様です。まあ大方は覚えているんですけど、そこは忘れっぽいオッサンを演じた方がイロイロと厄介な描写を省略できようものです。 さて、成田には喫茶マニアにはよく知られたお店があります。そこのことは大分前からその存在は認知していたものの、ついつい有名店ということから後回しにしていましたが、有名だからいつまでも営業を続けてくれるかどうかなんてことが少しもアテにならぬのは、もう思い出したくもないくらいに経験しています。「お食事処 東洋」、「パブ スナック 東洋」の二軒軒を並べる佇まいはつい毎回足を止めてしまうのですが、ついぞ営業しているのに出逢えた試しがない。「壹番館」なんて、帰路には不意に扉が開きそうな程度には生々しい現役感が漂っていますが、もう明かりが灯ることはないのでしょうか。成田山新勝寺の目と鼻の先にそこはあったのですね。店構えを見た瞬間に思ったのは、かつて一緒に訪れた某人物もここ「チルチル」に連れてきてあげられれば良かったなということです。きっとぼくにとってもそれは忘れられぬ思い出となったはずです。看板など外観だけでも見どころの多いこのお店ですが、店内はまさに圧巻です。ハリボテ風のインチキ臭さがいわゆる純喫茶の楽しみどころであるはずだと思っていましたが、こちらのお店は実際のところは分からぬけれど安普請な雰囲気は微塵もなく、まさにゴージャスさが横溢しているのです。そのせいもあってか、人間の小さなぼくなどは座りが悪く店の人の視線を感じると居ずまいをただしてしまうのです。でも幸いにこれだけの広さなのに他には客がいないのであります。これは凄いことじゃなかろうか、いや、喜んだりしてはならぬことは重々承知していますが、とにかくぼくがまた訪れる時だけは独り占めさせて欲しいと思うのでした。それにしてもヨーロピアンゴージャスなムードから離脱した時の周囲の風景との落差は天国からいきなり地獄に投げ出されたくらいの、いや成田山を地獄とはさすがに罰当たりか、ともかくあまりのギャップの大きさに思わず吹き出しそうになるのでした。 成田線銚子行に乗車して向かったのは小見川駅です。この辺りのことつい最近まではさほど語られることもなかったようなのですが、にわかに活気づいているようです。そこに加担するのも地元の常連さんたちに申し訳ない気もするけれど、まあこのブログを読む方の数などしれたもの。なので遠慮がちに書かせていただくことにします。 人通りもなく人が通るような商店もまばらに見えた駅前ですが、目当ての喫茶がすぐに見えてきました。こらはまた何とも比較に足る他店がすぐには浮かんで来ぬ、そんな特異なお店は後回し、セコい人間は美味しそうなものは最後に取っておくものです。まずはその先を100mほど歩いたところにある「マランド」にお邪魔しました。こちらは言い方はあまり良くないけれど成田の「チルチル」をアメリカンよりももっともっと薄めて、辛うじて色が付いてることがわかる程度なのでまあ、行くか行かぬかはお任せします。でもやけにさっぱりしたアイスクリームはちょっと好きだったのでした。アイスクリンとも全く違うその感じを味わいたい方はどうぞ。 ここで、喫茶巡りの指南役とニアミスしたらしいのです。居酒屋のブログ書きの方とは没交渉、というか、ぜひご一緒したいとか、ご尊顔を拝顔したいとかいうリクエストがまるでないぼくにとっては、ブログ繋がりのほとんど唯一のお方なので、むしろ遭遇せずに済んだのが良かったのかもしれません。それはともかく「純喫茶 光洋」は、面白いお店だったなあ。うらびれたスーパーの隅っこにあるものだから、てっきり安食堂のようなムードのお店かと思いきやさにあらず、しっかり純喫茶ムードがそこかしこに仕込まれていて、飽きさせないのです。椅子やテーブルも数タイプがエリアごとに絶妙に配置されているので、本当にこの店を知るには3回は足を運んで各位置から眺めてみないといけないのかもしれません。漫画も豊富で巨大な書棚に配架されており、ここで日がな一日をボケッと過ごすのも贅沢な時間の使い方かもしれません。先の店にはお客さんはおりませんでしたが、こちらは気さくな雰囲気なためか、多くの老人たちが詰めかけていました。彼らはここで当たり前のように何時間も過ごすのだろうから、せこせこと駆けずり回るぼくなどより余程贅沢というものです。 時間が余ったら行こうと思っていた「オートレストラン 24丸昇」にやはり行っておくことにしました。『トラック野郎』シリーズに登場するようなドライブインは大好きですが、こういうオートスナックは、個別の自販機は懐かしいものとか珍しいものもあったりして楽しいのですが、これまで立ち寄った限りにおいて店そのものはそんなに変わり映えしないというのが正直なところ。ここは併設のゲームコーナーがかなり広くてそことスナックコーナーはまったくの異質な空間となっていてちょっとばかり興味深いのでした。こうしたオートスナックでは定番のアルミホイルにくるまれたハムトーストですが、なぜだか不思議に食べたくなる時があります。クタッとした見た目の悪い代物ですが、ロースハムから染み出たエキスを食パンが吸収して妙においしいのでした。 小見川駅の周辺には酒場すらほとんどありませんが、駅の南側には1軒良さそうな酒場や「オリーヴ」 なんていう喫茶店もありました。駅に戻るには結局北側に線路を越えなければならないので、あまりのんびりし過ぎる列車の時刻に間に合わなくなるので注意が必要です。われわれも走る羽目になりました。
2017/03/12
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小見川駅からは成田線成田行で引き返し、なんて書くとあまりに唐突ですが、ブログの構成まで考慮しての呑み⁄飲み歩きなんてとても無理。とにかく行ったところは再訪店は気分次第ということもありますが、基本的には玉石混交あるのですが、手当り次第報告することを信念としておりますので、日頃のハシゴとかであれば多少の編集の都合で順番をいじくってみたりの個人的な遊びとか工夫を凝らすこともできますが、旅の記録となるとそうしたインチキをしてしまっては、本当に旅の記録としての意味すら失いかねぬのがジレンマになります。また、ここで書かれた酒場や喫茶を行程など参照していらっしゃる方がおられるとも聞き及んでおり、それは非常に嬉しい事なのですが、そう伺うとなおのこと事実を改竄、捏造したようなことなど書けないのであります。と言うことで、冒頭に書いたとおり、木更津駅を出た後に成田、小見川と移動したんですけど、その詳細は喫茶篇にて報告します。 ということで小見川から成田に戻り、成田駅前を散策。翌日も立ち寄ることになりそうなので、駅前で翌日の立ち寄り先を物色しました。「みゆき」という立ち喰いそばのお店があります。ここは呑めそうです。翌日も乗り継ぎの合間で立ち寄る程度になるはずなので、こういう手軽な店は覚えておいて損はなさそうです。「マキシカフェ ナリタ」というのも日中からやっていそうです。 続いて成田線千葉行に乗り換えて佐倉駅にて下車。JRの佐倉駅前の閑散とした風景を思うと暗澹たる気分に陥るのですが、この日ばかりは興奮に昂る気持ちを宥め宥めで、ようやくに夜を迎えたのでした。逸る気持ちをぐっと押さえ込むのですが、それでも足取りはいつも以上にせっかちになります。S氏とジワジワと距離が広がることもお構いなしにわっせわっせと歩くのでした。通りがかりには「幸」というお店がありました。外に何名か並んでいて結構な人気店のようですが、気に留めている心の余裕などありはしません。これから向かうのは、暇つぶしにGoogleのストリートビューでボロ酒場探しで遊んでいたときに偶然見かけた酒場です。ところが思いの外見つけるのに苦労してしまいました。凡そ酒場と縁のないような地域にポツンとそこはありました。見つけた瞬間思わずS氏にどうよどうよと大きな声を上げてしまいました。「石井」、暗い路地の奥にポッと赤提灯の魅惑的な光が灯っています。あまりにも素晴らしいので、Googleのストリートビューから外観を拝借しました―ところでこれって著作権に抵触してるんでしょうか、それであれば削除するので、そこら辺のこと詳しい方おられたらご教授ください―。どうでしょうか、このブログをご覧頂いてる方なら、ぼくがこれを見ちゃったら、どうしても来たくなる気持ちが痛いくらいにお分かりいただけるものと信じます。実際、今回の旅もこの酒場の開店を降り出しにしてその前後を肉付けしていったようなものです。もっと眺めていたいけれどもいつまでもこうしているわけにはいかぬ。ところが、ムゴイ! なんと店の方に予約で一杯だと告げられたのであります。予約前のホンのひと時で良いからとの懇願も虚しく拒絶されてしまいました。まさか、ここが予約の必要な人気店だったとは、思いもよらなかったのです。切符は翌日分もあるので、予約して明日また来るという考えも脳裏を過りましたが、それはまた明日考えることにします。 佐倉駅前にはあまり呑み屋もなく、でも呑みたい気分は高まりきっている。何軒かに断られ辿り着いたのが、「ゑびす」でした。店名とのギャップが大きいカフェバーのようなお店です。こうした店は好みではないのでありますが、選り好みを許さぬ厳しさがこの町にはある。呑めるだけでも感謝せねばならないようです。お客さんは他にいません。お値段は安からず高からずとメニューを眺めながらふと壁の張り紙を見ると、メルマガだかに登録すればワンドリンク無料のサービスが受けられるようです。失意を埋めるなんて言うとこのお店に申し訳ないけれど、少しでも気持ちをなだめるには少しでも安く呑むことでしか埋めようがないのでした。 失意の中、総武本線に乗車。東千葉駅にて下車します。ここには以前からずっと寄りたい食堂酒場が駅近にあるのでした。駅を降りてすぐの「たか山」てすが、こちらはお肉屋さん併設の食堂です。東千葉はいつも大体早い時間帯に訪れることが多くて、いつか夜に訪れねばならぬと記憶に刻み込んでいたのでしたなんて言っても半年くらい前に東千葉で降りてみてようやく思い出せたのだから、佐倉のあの酒場も記憶が風化する前に行っておかねば記憶の底に埋没することは間違いなさそうです。さて、ありがたい事にこちらは開いていました。三度目の正直はここでは有効だったようです。引き戸を開けて入った店内はなかなか風情がありました。実際のところ外観の渋さからすると案外平凡な「石井」より、風雅であります。悔し紛れに言ってるみたいですが、少なくともこの点は正直な感想です。先客は1名、常連さんらしく新聞など眺めながら時折、ご主人とお喋りなさっています。さて、ここ以外はすっかり夜の帳を下ろしているので、あまり長居しては迷惑です。食堂らしく品数が充実していて、何を頼もうか迷ってしまいます。揚げ物と炭水化物という酒呑みのメタボの最有力の肴を注文してしまいました。手頃な値段で量もあるなんてここに来れて良かったと先の無念さが少しは晴らされます。ご主人は笑顔を絶やさぬ愉快な方で、怪しげなおっさん二人組にも警戒する風もなく、暖かく応対してくれて、すっかりここのファンになってしまいました。東千葉に来たらここは外せないお店ですね、って東千葉に行くことなんてそうそうなさそうです。先客も勘定を済まされたので、われわれもお替りをいただいたところで、お勘定を済ませたのでした。
2017/03/06
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酒場篇とは順序がひっくり返りますが、久留里線で祇園駅から木更津駅に引き返しまずは下さい数軒の喫茶店を回るつもりです。それにしても待ち合わせまでちょっとばかり時間を取り過ぎました。これで木更津の喫茶店が全滅だとすると時間を潰すのに難儀しそうです。普通なら散歩すればいらくでも時間を潰せようものですが、あいにくの天候がここに来てさらにひどくなり視界も霞んでいます。先の見通しが悪いだけならさしたる支障ではないけれど、ちょっと歩いだだけで靴の中敷きが濡れそぼり、足裏がふやけて豚足みたいになっているんじゃないだろうか。う~ん、こうして思い返してみても木更津は酒場では楽しめたけれど、喫茶店はどちらも今ひとつ楽しめなかったなあ。という訳で足早にやっつけてしまうことにします。 東口を降りてひとまず内房線の線路沿いに歩いていくと、ファミレス風の喫茶店がありますが、ここは後から何処もやってなけりゃ来ることにしよう。もうしばらく進むと「ドリーム」なる喫茶店の看板がありますけど、ここはやってるのかなあ。少なくとも開いてないからさっさと通過します。ひどい雨の中で立ち止まっているのは歩いて濡れるより遥かに不快感が強いように思います。 結局、以前も多分お邪魔している「ブレンド」に入ることにしました。ここは外観通りに正統派のシックな落ち着けるお店で、無料のお菓子のサービスもありました。でもまあこの先散々呑み食いするのだから手は付けないことにします。ここ、結構いいお店です。だけどいざ何か語ろうとすると失文症となってしまうのです。いや、近頃ますます店内の様子を描写する労を惜しむようになっていて、それじゃいかんとは思うのですが、今はこれが精一杯なのです。 ぼくは一軒の喫茶店に一時間はとても粘れない、気兼ねするとかそういうんじゃなくて、ハシゴ酒に慣れすぎてせっかちになってしまったこともあるし、第一悪い店ならとっとと出たいし良い店はくつろぎ過ぎて眠くなってしまうのです。だから駅そばのファミレス系喫茶の「コーヒー&レストラン モンシェリー」に移ることにしたのでした。実体としてもまさしくファミレス風で多少の見せ場はあると言えなくもないけれど、マニア心をくすぐるだけのものではありません。ママさんたちの寄り合い所としては重宝でしょうけれど、この日は雨脚が強すぎて店の方以外は人っ子ひとりおらず、静かすぎる店内で独りぼんやりすると途端に眠気がさしてしまうのでした。こういうファミレス系の造りのソファっていうのは、ゴージャス系喫茶のふかふかのとは違った座り心地の良さで、睡眠を誘発する作用があるようです。 なので、果敢にも西口に向かい「アメリカンクラブ」というなんだか気乗りしない店名のお店も視察するわけですが、開く気配もなくまったくの徒労に終わったのでした。そんなこんなでいまひとつ乗れない木更津の喫茶巡りでしたが、この先、突如として充実した旅へと切り替わるはずなので、もう少し千葉の旅にお付き合いください。
2017/03/05
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祇園駅での喫茶巡りは、最大の見所を取りこぼしてしまいましたが、久留里線を終着まで行き折り返してきたS氏との待ち合わせもありますのでこれ以上粘る猶予もないし、粘ってみたところで状況が好転するかは全くの未知数であります。案外混み合う久留里線の上り列車に揺られて、木更津の喫茶店で待ち受けることにします。合流した後に軽く昼呑みと洒落込むつもりです。ところが天候は一向に好天する気配もないので余り歩き回りたくないなあ。今回の木更津での昼呑みスポットは最初から決めてありました。一軒じゃ物足りぬのでもう一軒は決めていませんが、良いお店、つまりは味のある店舗がいくらでもある木更津なら労せず決っすることでしょう。 最初に向かったのは「浜長」でした。駅からはすぐなのにこんなにしっとりとした風情のある細い裏路地があるのが木更津散策の楽しいところ。呑み屋さんも混じっていますが、残念ながらほとんどは新しいお店に変わっているのがちょっと残念です。でも目指す天ぷら屋さんだけは渋いというか、閉まっていたら物置と思い違いしそうな簡素な造りのお店です。こんな木造のお店で天ぷらなんて危なっかしく思えてしまうほど。どう危なっかしいかは不穏で物騒な想像なので記さぬことにします。基本的には持ち帰りがメインのお店なのでしょう、両手に持て余すほどの大皿に二皿を持ち帰るというお客さんが店内でお茶を飲みながら待っています。オヤジさんは必死になって天ぷらを揚げるかと思いきや、至ってマイペースです。女将さんは立て込んでる事などいささかも気に掛けることなく我々を席に通すと酒やらお通しやら次々に運んできてくれます。こうした店のお決まりではありますが、店の中に入ってしまうと多少のボロさなどごく当たり前のもののように自然と馴染んでしまうものです。それは酒の効果も認めないではありませんが、長いこと店を続けてきたからにはボロくても通えるからなのに違いなく、そこには衛生面は心配無用という安心感もあるはずです。そうこうするうちにセットの天ぷらも揚がったようです。巨大なかき揚げを中心に大量に盛り付けられています。これはまあ惣菜屋の天ぷらという感じで、天ぷらの名店で見るそれとは違ったものですが、それはそれ、こうしたジャンクさこそがむしろのんびりと昼酒するには適当なのです。高級店の天ぷらをチマチマと齧るなんて食べ方したりしたら、大将ー寿司屋同様そう呼ばれるのかーに叱られそうです。それにしてもかき揚げデカイ、申し訳ないがとても食べ切れぬ、不甲斐なくも少し残してしまいました。 さて、2軒目に向かう前にちょっと腹ごなししようと歩き始めると素晴らしく絵になる物件があります。用水路のような小川の手前には小さな祠があって、その向こうに「木村屋食堂」が見えます。店先のガラス戸の商品ケースに懐かしさが優先するのは年齢が知れるのはともかくちょっとばかり感傷的すぎるか。だけど満腹なのでここは次のお楽しみ。雨がひどくなってきたので、駅前の目抜き通りを渡り、2軒目の第一候補、「山孝食堂」に向かいますが、まだ開店していません。シャッター半開きなんだけど、どうしたのだろう。以前から必ず眺め通ることにしている「中橋食堂」はきっと閉店したんだろうなあ。 大丈夫、木更津にはここもある。そば屋の「森田屋 本店」は、前回見掛けてどうしても来たかったお店です。なのにその時何故入らずに済ましたのか、いや済ませたのはどういうことなのか。やはりお腹が一杯だったからであります。腹ごなししてから行けばいいのにとのご意見はごもっともです、が旅の〆に立ち寄るにはいささか木更津の夜は短く、どうしても日中に来るのが合理的に思えてしまうのです。この合理性という甘い誘惑でどれほど無駄足を踏むことになったか、数え上げるとキリがないのでありますが、最近はこれがぼくの旅のスタイルなのだから仕方ないと達観できるようになりました。まあ、そのせいで行動半径が極端に制限されるのでありますが、それはそれで今が楽しいのだから悔やんでみても仕方ないこと。さて、「森田屋」さんは外観に劣らぬ風情を店内にも留めていてくれました。木造の広々とした空間はこれこそがそば屋と呟きたくなるのです。こんな店ではそば前にちょっと摘んで清酒を含み、そばで〆るのが大人の振舞いでありましょうが、ぼくはそうはならぬのでした。やがて徐々に入ってこられたお客さんは5人が5人ともタンメンを召し上がっていたような。人気商品のようです。大体古くからやってる飲食店はそば屋を名乗ろうが寿司屋を称そうが、客からの要望をしゃあしゃあと取り入れるだけの懐の深さが求められるものであります。不思議なことにもとはあれこれ品数を揃えていたのが、歳月を経て淘汰されるタイプの店もあり、古くて良い店はどうもいずれかに偏る傾向がありそうです。それにしてもこのそば屋は見どころが多い、若い女将さんがちょっとおっかないからあまりウロチョロはできませんが、是非隈なく観察してください。ぼくももっと記憶に焼き付けたいからまた伺いたいなあ。
2017/02/27
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「サンキュー ちばフリーパス」をご存知でだったしょうか。昨年の9月1日から11月20日まで連続する2日間、千葉県内の鉄道と路線バスの一部が乗り放題となる魅力的ではありますが、普段青春18きっぷを愛用する身としては微妙な価格(3,900円)設定の切符でありました。ちなみに対象路線等は以下となります。鉄道:千葉県内のJR線、小湊鉄道線、いすみ鉄道線、銚子電鉄線バス:小湊鉄道バス、九十九里鉄道バス、千葉交通バス、ジェイアールバス関東、鴨川日東バス、館山日東バス、天羽日東バスの指定路線詳細はキャンペーンHPをご覧ください。 セコいぼくとすれば18きっぷでは乗車できない小湊鉄道線、いすみ鉄道線、銚子電鉄線の鉄道3路線と路線バスを乗り潰すのが得策かとも考えましたが、今回は銚子電鉄を利用する以外はJRの鉄道路線のみを駆けずり回ることにします。土日を利用しての旅となるので、日曜はやってない喫茶店や酒場が多いことは覚悟しなければなりません。ですけどまあやってなければそれはそれで仕方のないこと。この旅をしたのが半年近く前のことになってしまったから、当時の気持ちはもはや他人の記憶と同様に霞んで霧の向こうを眺めているようなものに成り果ててしまっています。そうそう、この二日は、蘇我駅でS氏と合流したのでした。彼氏は近頃多忙を極めているようで、年末に少し一緒だった事はあったけれどほとんど会えていません。 そんな個人的な事情は置いておくこととして、蘇我駅からは内房線姉ヶ崎行に乗り継いで終点の姉ヶ崎駅に向かったのでした。ここのことは、ぼくの喫茶店巡りの指南役でもあるこの方の情報を参照しました。 駅から5分も歩けば「レストラン ふじね」が見えてきました。何なにこれといって背の高い建物があるわけでもないからすぐに見つかるはずです。遠目にはやってるのか判断を付けかねぬのですが、きっちりやっているのでご安心を。早朝の6時過ぎにはもう営業してくれているのは、非常にありがたいことです。これじゃないと今回の切符をフル活用できなかったでしょう。古いスタイルのファミレスのようなお店は、特に東海から関西にかけての郊外に多いようで、確かに幼い頃にこうしたオオバコの喫茶店に時折親に連れられ訪れていたという漫然とした記憶があります。その当時の記憶にある幾分生硬ながらも、しっかり目立たせるべきは目立たせた内装への気配りは確かなものがあります。さすがにレストランを標榜するだけあって食事メニューも豊富です。歩いていける場所にあれば、やることのない土日なんかの朝に訪れてこの日の予定を考えたりすれば、無駄にぼんやり一日を浪費することも減りそうです。房総半島の旅の起点にオススメです。いや、終点もありかも。 姉ヶ崎駅に戻り、内房線快速で木更津駅に向かいます。ここで久留里線に乗り換えです。久し振りなので終点まで乗り通したいところだけどその贅沢はまたのお楽しみにします。向かったのは木更津から2つめだったか3つ目の祇園駅です。前々からなんとも艶めかしい駅名で気にはなっていましたが、ようやく訪問が叶いました。 駅前には「GION」というカフェバー風の店がありますが営業前のようです。どうも酒の方がメインのお店のようです。何軒か呑み屋さんもあります。でも目当ての喫茶店はここから南にかなり下らなければなりません。ごちゃごちゃした細い道を歩くつもりでいたのですが、想像とは違って二車線の整備された通りが真っ直ぐ伸びていました。数分で良さそうな喫茶店がありますが、まだ営業前です。また帰りもここを通ることになるからその時やっていることを期待します。途中10軒以上のスナックや居酒屋の詰め込まれた一角がありました。ここはどういう呑み屋集落なのだろう。港近くや国鉄駅の死角なんかにこういうのが潜んでいたりしますが、あかにも唐突です。近くには「スナック喫茶 ニューマーメイド」や「COFFEE スナック 花の木」なんてのもありました。 やがて辿り着いたのは「りんどん」です。看板にベルと象が描かれていますが、ベルがリンリン、象がどんどんという擬音を意味してるのでしょうか。当たってるとすれば笑うほどではないにせよユーモラスなセンスですが、店は極めて手堅く生真面目な雰囲気のお店です。遊びはないけれど普段遣いの人にとっては、美味しいコーヒーがあってのんびり新聞を眺めることができればそれで充分なのでしょうね。サービスでヨーグルトをつけてくれたのですが、こういうちょっとした気遣いが常連さんを掴んで離さぬのでしょう。朝からそれなりの距離を歩いたのでもう少しゆっくりしたいところですが、このまま寛ぐと眠くなってしまいそうです。雨脚が弱くなったところで今度はひたすら緩い上り坂を引き返すのでした。 行き掛けに通った「茶居夢」が開いています。当然入ることにしました。店名からもう少しシックな内装を予想したのですが、思った以上に場末の喫茶店の面影を留めるお店でした。先にいた常連らしき男性客2名は麻雀のテーブルゲームに一心不乱に対峙しています。すげえ情熱だなあと呆れるような感心するような感情で眺めましたが早朝から喫茶店巡りをしているぼくなんかのほうが、よほど奇特に思われたかもしれません。 祇園でも未練を残してしまいました。「ロダン」というお店にも立ち寄ったのですが、まだひらいていなかったのですがこれがすごく良い雰囲気だったのです。窓越しに店内を見ると、ふた昔前の応接間のような店内、ゴブラン織りのソファがゴージャスな雰囲気です。ここは是非とも入ってみたかったです。
2017/02/26
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JRの船橋駅と京成の船橋駅は、戦後の闇市時代の名残を今に留めていて、当然のように幾筋もの呑み屋横丁が健在なのは酒場好きには目移りするだけの選択肢があって、嬉しい戸惑いでなかなか店が定まらないなんてことに陥りがちなのですが、一方では喫茶店が次々に閉店に追い込まれているのです。喫茶店ていうのは店主のこだわりが全面に顕在しやすい傾向があるせいか、居抜きされたりするとすっかり様変わりしてしまうことがほとんどです。逆に酒場っていうのは内装にただならぬこだわりを見せるなんていうことは稀であり、どちらかと言えば機能性が優先されるため多少居抜きされても案外新しい店にもしっくりきたりするものです。でも船橋には創業後50年なんて酒場がそこらに当たり前のようにの残存していて、そういう酒場で呑んでみると前言は撤回を余儀なくされるのを痛感するのです。この夜は前回、船橋の取りこぼしていた喫茶店を巡ってことごとくが閉店して痕跡すら留めぬ憂き目に見舞われた時に、その労をねぎらう様に不意に遭遇した酒場であります。やってるかやってないのか判別できぬ酒場があったりしますが、ここは古くとも現役であることが不思議と感受できたのです。 駅を海に向かってひたすら歩き進み、市民文化会館だろうか、その施設を脇目に通り過ぎ、辛抱してもうしばらく歩いてみてください。コインパーキングを見逃さなければ出会えると思います。駐車場のその先に細い抜け道のような肩幅ほどの舗装もされぬ小径の先にこぢんまりと佇む酒場が見つかるはずです。「多きふじ」という屋号をその時控えておきましたが、ネット上にほとんど情報はないようでした。実地に確認するしかあるまいと重い腰を上げていってきました。小料理屋然とした風貌ですが、一歩店に足を踏み入れると東映の任侠映画で、鶴田浩二と若山富三郎が酒を酌み交わしていても不思議ではなさそうな、ぼくが酒場の根っこの記憶とするお手本のような店内だったのでした。物陰に身を潜めるようにしたその佇まいこそがこの酒場の見所だと決め付けていましたが、店内の造作のいちいちが実際に触れたことはなくとも懐かしさに溢れています。ぼくも役目をはたして出所した際にはこんな酒場で瓶ビールを呑んでみたい。実際にはホッピーを呑みましたけど。肴は目の前のおでん鍋でグツグツ煮えている白滝に大根でいい。まあ実際には黒板にそそられる海産中心の肴の品書があったりもするわけです。そちらにも気がいってしまいますが、価格の表記がどこにもないという老舗酒場らしさを気にした訳じゃないと言い訳しておくことにします。おばあさんというには矍鑠としてお若い二人でやっておられるのですが、開店後50年を経ているというから、きっとお二人で50年以上コンビでやってこられたのかなと考えると気が遠くなりそうです。8席程度のカウンター席の奥には、座敷もあって、こんなお店で宴席など催したら気が利いているなあと想像が膨らむのでした。
2017/02/22
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