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戦後の昭和世代の吾身は、軍艦マーチを聞くとパチンコ屋とパチンコ屋のチンジャラ音を思い出す。 手打ちでチンジャラのパチンコ自体が消えて久しい。 メリハリの効いたリズムとメロディは早くから耳にした。 替え歌が流行っていたが、ちゃんとした歌詞を知ったのはずっと後だった。 英国の最新鋭戦艦を撃沈した攻撃機指揮官が遺した「意外な言葉」77年前の今日 マレー沖海戦 神立 尚紀2018年12月10日 現代ビジネス …(略)… ――余談になるが、元山空の一員としてこの戦いに参加し、戦争を生き抜いた人のなかに、田中友治さん(当時・一等飛行兵)という人がいる。 田中さんは、戦後、東京・有楽町のガード下、東京都庁(現在の東京国際フォーラムの場所)の目の前に「メトロ」というパチンコ店を開いた。 朝鮮戦争さなかの昭和26(1951)年春、日本がまだ、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の事実上の支配下にあった頃のことである。 歴戦の陸攻乗りだった田中さんにとって、連合軍の将兵が、日本人女性を腕にぶら下げるようにして連れ歩き、大手を振ってまかり通る戦後の東京の姿は、けっして面白いものではなかった。 そこで田中さんは、丸の内の第一生命館に置かれたGHQ本部からもほど近く、お膝元とも言える有楽町で、店の外に向けてスピーカーを置き、行進曲「軍艦」(軍艦マーチ)を、朝から晩まで大音量で流し続けたのだ。 これは、敗戦国の旧軍人にとって、精いっぱいの反骨心の表し方だった。 「そうするとね、向かいの都庁の職員が喜んじゃって。 みんな、進駐軍が威張っていることに不満を持ってますからね。 とにかく、あの曲はじつに調子がいいでしょう。 店はいつも大入り満員で、数年のうちに新しい店をいくつも出しましたよ」 と、田中さんは筆者に語っている。GHQの機嫌を損ねることを「忖度」した警視庁丸の内署の警察官が、GHQ本部に田中さんを任意同行し、米軍の係官に確認を求めたところ、「音楽ぐらいはかまわない」とのお墨付きを得たのだという。 もとより、行進曲「軍艦」は、瀬戸口藤吉が作曲し、明治33(1900)年に初演された歴史のある行進曲で、海外でも戦前から知られている。 GHQとしても、朝鮮戦争で忙しいなか、こんなことに目くじらをたてて日本人の反感を買うのは得策ではない、と考えたのではないだろうか。 田中さんはその後パチンコ店を閉め、五反田駅に近い目黒川沿いに「赤のれん」という24時間営業の飲食店を開業した。 昼は和洋定食、夜は事実上居酒屋、1階は椅子席、2階は座敷席で、一般客でもにぎわうが、特に海軍航空関係の戦友会には、なくてはならない店だった。 2階は人払いができるので、源田實・元大佐が率いる第三四三海軍航空隊の残党が、旧海軍軍令部の密命をおびて密かに従事していた「皇統護持作戦」(占領軍によって天皇の身に万一のことが起きたさい、皇統を絶やさないよう、皇族の子弟をかくまう秘密作戦)の解散式も、昭和56(1981)年1月7日、ここで行われている。 「赤のれん」は、平成15(2003)年7月、惜しまれつつ閉店したが、田中さんは、店の客とも気さくに交わる、陽気で愉快な人だった。 …(略)… 弩級戦艦の時代を終わらせた方が軍艦マーチを流行らせたというのも、歴史の皮肉。 軍艦マーチは景気よく晴れやかな気持ちになるが、それで戦争を始める輩はいないだろう。 朝鮮出身の力道山の活躍が日本人の魂を奮い立たせたという話はよく聞く。 軍艦マーチの起源は初めて聞いた。 「皇統護持作戦」についても何も知らなかった。 「敗戦後」はそれに立ち会った人々の心の中で、まだまだ続くのだろう。<a href="https://hb.afl.rakuten.co.jp/hsc/17da4295.b770d42a.17da4296.68e9f374/?link_type=pict&ut=eyJwYWdlIjoic2hvcCIsInR5cGUiOiJwaWN0IiwiY29sIjowLCJjYXQiOiI0NCIsImJhbiI6IjQ2MDEzNSJ9" target="_blank" rel="nofollow noopener noreferrer" style="word-wrap:break-word;" ><img src="https://hbb.afl.rakuten.co.jp/hsb/17da4295.b770d42a.17da4296.68e9f374/?me_id=1&me_adv_id=460135&t=pict" border="0" style="margin:2px" alt="" title=""></a>
2019年03月06日
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ノースロップT-38タロンは、F-5戦闘機とともに飛行性の高さと維持管理・整備の容易さで歴史に残る傑作機。 いかに傑作機といえ、生産終了(1972年)から40年以上が経過しているため、機体の老朽化も進み、米軍は次の練習機を検討していた。 タロンは、1950年代の設計のため、当然ながらグラスコックピットもデータリンクも備えていない。 これらは、現代の米軍機に必須。 米空軍新ジェット練習機は「スマホ」ボーイング×サーブの最新鋭機いずれ日本にも竹内 修(軍事ジャーナリスト) 2018.10.04 乗りものニュース米空軍新型ジェット練習機選定ボーイング×サーブが勝利 アメリカ空軍は2018年9月27日(木)、現在同空軍が運用しているジェット練習機T-38「タロン」を後継する新練習機として、ボーイングとサーブが共同開発した新型練習機を採用すると発表しました。 …(略)… ほかは「ガラケー」、ボ×サ新型機は「スマホ」 筆者はサーブのスタッフから新型練習機についての説明を受けた際、「T-50Aなどの練習機は携帯電話でたとえれば『ガラケー』だが、ボーイングと共同開発する新型練習機は『スマートフォン』だ」という言葉を耳にしました。 筆者はこれを聞いて、タッチパネル式の液晶ディスプレイをコクピットに採用しているため、このような表現をしたのかと思ったのですが、サーブのスタッフによればそれだけではなく、新しい戦闘機や訓練環境が登場した時、スマートフォンと同様にアプリ(ソフトウェア)を更新するだけで、ディスプレイの表示などをその訓練に最適化できるのだそうです。 また、地上に設置されたシミュレーターともデータリンクを介して接続して訓練を行なう能力も備えており、このあたりもサーブが「スマートフォン」と評する理由のひとつなのかもしれません。 スウェーデン空軍は有事の際、戦闘機の整備時間を短縮して戦闘に投入できる機体を増やすことと、召集した予備役兵が航空機の整備を担当することを想定して、同国空軍が運用する戦闘機の整備を極力簡単にするようサーブに求めてきました。 このため現在スウェーデン空軍が運用しているJAS39「グリペン」をはじめとするサーブ製の戦闘機は、他国の同クラスの戦闘機に比べて、整備に要する時間が短いことで知られています。 ボーイングとサーブの新練習機には、多くの工具を使用せずに機体の分解や組み立てを可能にするといった、サーブが長年培ってきた整備を簡単にするためのノウハウが盛り込まれているいます。 前にも述べたようにT-38は整備のしやすさから高い稼動率を維持してきました。 おそらくアメリカ空軍は後継機にもT-38と同様の整備のしやすさを求めていた可能性が高く、この点も採用を勝ち取る上で、有利な要素となったのではないかと考えられます。 …(略)… 初号機は2016年12月20日初飛行。 制式配備される日が一つの楽しみ。 もう一つの楽しみは、小国の防衛向けの戦闘機型の登場。 飛行性能が高く、柔軟な運用が可能で、維持管理が容易なら、戦闘機に最適。 複雑で維持に手間も金もかかるステルス戦闘機を持て余す世界の国々は、戦闘機型に注目することだろう。 日本人がことの他好きなF-5に対するF-20のような戦闘機型が登場したなら、大喜びするだろう。 日本の航空業界は国産にこだわるのだろうか? 航空業界の力だけでは作れない練習機であることを十分心得て判断して、三菱重工の豪華客船のようにならないようにした方が良い。 自分たちの産業の存続のために他の業界と力を合わせることは、世界で十分な競争力を持っている、日本の自動車業界が現在取り組んでいる。
2019年02月25日
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対向ピストンエンジンはシリンダー1気筒に対して2個のピストンが対向して備えられ、燃焼室を共有している。 クランクシャフトも2本。 シリンダーヘッドにあたる部分がないため、燃焼で発生する熱の管理が課題となる。 熱効率の高いディーゼルエンジンは燃費が良い。 高空機用エンジンでは重量に対する出力が最優先の課題となる。 ガソリンエンジンより重いディーゼルエンジンに、過給を行い、爆発回数の多い2サイクルで掃気を適切に行い対向ピストンで有効圧力を受止めることで、重量に対して出力の大きいエンジン、即ち航空機用エンジンとして成立するようになる。 複雑にみえる対向ピストン方式は、比出力増大のため。 高圧縮比のディーゼルエンジンは、ガソリンエンジンよりも機械式スーパーチャージャーなどの過給と相性が良い燃焼方式。 ディーゼルエンジンは排気ガス温度が低く、当時のタービンブレードの材質に適切でターボチャージャー(排気タービン)の組合せが成立した。 第二次世界大戦時はタービンブレードの耐熱性の確保に各国が苦労していた。 排気タービンが高空で有効なことは分かっていたが、実用化できるところは限られていた。 P-38などで早期からターボチャージャーを実用化していた米国の工業力の水準は他国に比して高かった。 ビル・ゲイツも出資するスタートアップが軌道に乗りそう対向ピストン・対向シリンダの次世代エンジンEcomotors opoc、中国で製造へ2014年03月07日 ASCII.jp 2000年代以降、軽飛行機向けの航空機用エンジンとしてユモエンジンと類似した設計の2ストロークディーゼルの対向ピストン機関が開発される事が多くなっている。 軽飛行機向けエンジンの主流であるコンチネンタル・モータースやライカミング・エンジンズ製の水平対向ガソリンエンジンと比較して、高価な有鉛ガソリンを使用しなくて良いので燃料費が安く済み、エンジントラブルの際の発火の危険性が低く、既存の水平対向エンジンと似たレイアウトを採る事で置換え需要を容易に賄える事などが挙げられる。
2019年02月13日
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ユンカース・モトーレン社は世界でも類をみない2サイクル対向ピストンエンジンを数多く開発・製造した。 航空用エンジンの他、トラック・バス用、船舶用の2サイクルディーゼルエンジンを製造している。 ガソリンエンジン、メッサーシュミット Me262に採用されたユモ 004A-0 などのジェットエンジンも開発・製造していた。 航空用2サイクルディーゼルエンジン 出典:Wikipedia■液冷水平対向ピストン直列4気筒(8ピストン) Mo 3■液冷垂直対向ピストン直列5気筒(10ピストン) Fo 3■液冷垂直対向ピストン直列6気筒(12ピストン) ユモ 204:W.41(F24/F24 kay)、Ju52-1m、G.38 ユモ 205 ユモ 206 ユモ 207:Ju86 ユモ 208 ユモ 209 (計画のみ) ■カップルドエンジン 液冷垂直対向ピストン12気筒 (24ピストン) ユモ 218(計画のみ) :ユモ208のカップルドエンジン 高高度用 (Ju86P、He177B用)■カップルドエンジン 液冷十字対向ピストン24気筒 (48ピストン) ユモ 223 / ユモ 224 :ユモ207B-3を4基合体させたエンジン
2019年02月13日
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ユンカースは高高度飛行の分野で大きな努力をしてきた。 空気が薄い高高度は空気抵抗が少なく、長い航続距離が実現できる。 排気ガス温度が低く、圧縮率が高いディーゼルエンジンには、ターボチャージャーが最適な組合せだった。 排気ターボチャージャー(ATL)は、高高度での燃焼室への混合気の充填効率を高める優れた方法だった。 1936年に、ユンカースは1万mの高高度で有効な技術を開発していた。 ユモ207Aは、成熟されたユモ205のエンジンブロックに、ターボチャージャーとインタークーラーを装備した。 出力は10,000フィートでの速度で880hp/2800rpm。 ユモ207Aを装備したJu 86Pの偵察機型は、12,000 m以上の安全な高度から偵察情報を提供した。 連合国側の航空機、エンジンの開発で、1943年にはこの高度は安全ではなくなっていた。 15,000 mで飛行可能な空力的に改良された機体のJu 86Rは、ユモ207Bを装備し15,000 mで飛行することができた。 ユモ207Cは、離陸時に最大の性能を必要とする大型飛行船のBlohm&Voss BV 222用に開発され、出力は1100 hpだった。 さらに出力を必要としたためボアが110 mmに拡張されたユモ207Dは1,200 hpとなった。 ユンカース・ユモ207A諸 元 型式: 6気筒対向ピストンエンジン 2ストローク、ディーゼルボア×ストローク: 16.62l(105mm×160mm×2)排気タービン装備乾燥重量:805 kg最大出力:880PS(650kW)/2800rpm 10,000 m燃料消費量:231g / kWh(170g / PSh)
2019年02月12日
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1934年にハインケル社とユンカース社に対して爆撃機開発が命じられた。 開発要件には、軍用と旅客機仕様の機体を同時に開発し、迅速に飛行テストさせるという項目があった。 Ju86はその指示に基づいて開発された、単葉の爆撃機 / 旅客機。 後に開発されたJu 86Pは、排気タービン過給器付のディーゼルエンジンと与圧乗員室をともに実用化した。 大アスペクト比の主翼と高高度性能を活かして、第二次世界大戦の初期、当時の戦闘機が達することのできない高々度から敵地を偵察し、成功を収めた。 数少ない航空機用ディーゼルエンジンの歴史に残る機体でもある。 爆撃機型はJu 86A-0で、2基のユモ 205C-4 ディーゼルエンジンを装備した。 1,000 kgの爆弾と、防御火器として3挺の7.92mmMG15機関銃を搭載し、量産型はJu 86A-1となった。 A型の縦安定性に難があったため、尾部を延長して燃料タンクを設けた改良型のD型に発展した。 D型はスペイン内戦で、ディーゼルエンジンの整備に手間がかかった上に機体構造が脆弱であることが判明した。 E型でエンジンを空冷星型9気筒のBMW 132に変更された。 G型は1938年4月から生産された。 離着陸時や地上での視界を改善するため、機首の風防が丸くスムーズな形状にされた。 G型をベースに高高度爆撃/偵察機のJu 86Pが開発される。 Ju 86P Ju 86Pは1940年に、長大な主翼と与圧室を備え、乗員を2名とした高高度用のP型を試作した。 エンジンは水冷上下対向直列6気筒12ピストンのユモ207Aディーゼルエンジン。 ユモ207Aは、スーパーチャージャーとターボチャージャー(排気タービン)とインタークーラーを装備し、高高度で安定的に出力を高められた。 出力は880馬力。 主翼スパンが15.6mに拡大され、銃座は廃止された。 ディーゼルエンジンは排気ガスの温度がガソリンエンジンより低く、ターボチャージャーと相性がよかった。 P型は、1940年夏から配備された。 当時の連合国軍戦闘機が飛行できない高度12,000m以上からの高空爆撃(P-1型)、写真偵察(P-2型)が可能だった。 1942年8月、エジプトで高空性能の良いマーリン45エンジンを装備するスピットファイアVの高高度改造型による初撃墜が記録された。 さらに2機が失われたことから、1943年にP型の運用は取りやめとなった。 Ju 86Pの成功を収めた要素の一つがユモ207Aエンジン。
2019年02月12日
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ユンカースは、第二次世界大戦下のナチスドイツで粛々と爆撃を中心に航空機を製造した。 ユンカースJu-87スツーカは急降下爆撃が効果的であることを世界に広めた。 ユンカースJu-88は、開戦当初から敗戦までの期間、爆撃から夜間戦闘機まで、幅広い任務をこなせる万能機として活躍した。 そのユンカース社を設立したのは、ドイツ生まれのフーゴー・ユンカース(Hugo Junkers )。 ユンカースは、全金属製の航空機、航空機用ディーゼルエンジンの実用化で知られる。 エンジン技術者としてユンカースは、1893年、ウィルヘルム・フォン・エッフェルホイザーとの共同開発で、2ストローク対向ピストン式のガスエンジンを開発した。 1907年、対向ピストン方式を援用したディーゼルエンジンを開発し、特許を取得。 2ストロークディーゼル対向ピストンエンジンの開発・進化はユンカースのライフワークのようだ。 航空技術者としては、1915年に、金属製機体の厚翼単葉構造の航空機J1を開発した。 1930年初飛行の鋼管骨格にジュラルミンの波形外板貼りのJu52は1935年に運用開始。 Ju52はドイツのフラッグ・キャリアであるルフトハンザのシンボルとなった。 数々の画期的な発明と実用化をすすめたユンカースは自由主義的思想の持ち主だった。 アドルフ・ヒトラー率いる全体主義のナチスを批判していたため、1933年にヒトラーが組閣するナチス政権が成立するやいなやユンカースは国家弾圧を受けた。 1934年、ユンカースは政権の監視下で軟禁状態におかれ、1935年に死去した。 1934年に国から開発指示がだされたJu86は、技術者ユンカースの夢が詰まった機体だと思う。
2019年02月12日
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現在のあらゆるミサイル防衛システムを無効にするマッハ27の飛翔体アバンガルド。 アバンガルドは南部オレンブルク州のドムバロフスキー基地から約6000キロ離れた極東カムチャッカ半島のクラ演習場に向けて発射された。 「垂直・水平方向の誘導制御により、演習場内に設定された目標エリアに予定どおりに着弾した」とロシア国防省は発表した。 核弾頭も搭載可能とされる。 2019年中の部隊配備を目指すとプーチン大統領は発言した。 ロシアの極超音速新兵器「アバンガルド」速度はマッハ27 従来発表上回る2018/12/28 AFPBB News 軍備管理をめぐる米ロの緊張が高まる中、ロシアらは27日、前日26日に最終試射の成功が発表された極超音速兵器「アバンガルド(Avangard)」の飛行速度がマッハ27(音速の27倍、時速約3万3000キロ)に達したと明らかにした。 26日の最終試射の模様を見届けたウラジーミル・プーチン大統領は今年3月の年次教書演説でアバンガルドについて発表した際、同兵器は機動性が高く、飛行速度は音速の20倍だと説明していた。 しかしユーリー・ボリソフ副首相は27日にテレビで放送された発言の中で、最終試射でアバンガルドの速度はマッハ27に達したと述べるとともに、アバンガルドの動きを予測することは不可能で「ミサイル防衛システムは実質的に時代遅れになる」と語った。 …(略)… 2018年3月の議会でプーチン大統領はアバンガルドについて以下の説明をした。 「あらゆる防空・ミサイル防衛システムに対して無敵だ。 新素材の使用により、(電波通信が途絶する)プラズマ発生下でも、長距離の誘導が可能になった。 目標に向かって隕石か火の玉のように飛び、表面温度は1600~2000℃に達するが、誘導装置は確実に操作できる」。 兵器開発は矛と盾の関係で攻撃兵器が進化すれば、防衛兵器が進化するのが通例。 だがマッハ27という速度は、恐らく発射される前に潰さないと、攻撃を無効化できない。 水爆、熱核攻撃などとあわせて、使ってはいけない最終兵器がまた一つ増えたというところ。
2019年02月09日
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「日本国政府専用機」は2018年度まで、ボーイング747-400 2機。 政府専用機の導入は、当時日米間の最大懸念だった米国の巨額の対日貿易赤字を減らすための国策的要素が強いものだった 2014年8月12日、政府の政府専用機検討委員会は、2019年度に2機導入する次期政府専用機としてボーイング777-300ERを選定したと発表した。 機種選定の条件は、片道約13時間の米国東海岸へノンストップで飛べること、貴賓室や執務室など要人輸送に必要な装備を設けられること、国内の航空会社が長期的に整備できることなどの条件が挙げられていた。 20年以上長期にわたり整備できることを考慮すると自ずと国内エアラインが使用している機体となる。 候補のボーイング787は機内空間の狭さ、エアバスA350は日米安保同盟という外交的政治判断と米国の対日貿易赤字の削減とならないことから、選定から外たものと確信する。 維持整備は ANAホールディングスに委託。 次期政府専用機、成田に初飛来 By Tadayuki YOSHIKAWA 2018年11月28日 Aviacion Wire 2019年度に導入予定の次期政府専用機の初号機(ボーイング777-300ER型機、機体番号80-1111)が11月27日、成田空港へ初飛来した。 新しい政府専用機の導入とともに、米国の対日貿易赤字解消策と軍備増強のためF-35 約100機、約1兆円の購入が始まる。
2019年02月05日
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201812月22日、海上保安庁のフランス製スーパーピューマ332(登録番号MH686)が退役。 海保ヘリの新時代を切りひらく先兵として活躍した。 平成に導入された海保の航空機として初の退役。 AS332はアエロスパシアル(現エアバス・ヘリコプターズ)製のヘリコプター。 初飛行は1978年9月13日。 軍用派生型は、AS 532。 エアバス・ヘリコプターズ社により引き続き製造されており、H215に改称された。 海保初のスーパーピューマ引退プルトニウム輸送船を護衛したヘリ2018年12月24日 毎日新聞 …(略)… MH686は、フランス・アエロスパシアル社製で全長18.7メートル、回転翼(ローター)の直径は15メートルを超える大型ヘリ。 1992年、海保最大の巡視船しきしま(6500トン)の搭載ヘリとして就役した。 しきしまは、フランスから日本へプルトニウム輸送をする船の護衛をするために建造された巡視船で、ヘリもこれまで巡視船で使用されていたベル212よりも大きく、強力なエンジンを持つスーパーピューマ332を2機搭載した。 導入当初のパイロットだった菊井大蔵・日本水難救済会理事長は「船上でのスーパーピューマ運用は世界初だったので、メーカーも力を入れていた。 ベル212などとはローターの回転が逆だから、操縦するときは気をつけるようにと言われて訓練した。 いつか、スーパーピューマを海保の主力ヘリにしようと思ってノウハウを積み重ねていった」と当時を振り返る。 スーパーピューマ332導入を機に菊井さんが後輩に教える形も変わったという。 「シミュレーター訓練を担当した教官は文字通り『ほめ殺し』。 エクセレントとベリーグッドしか言わない。 自分もそれにならって後輩のパイロットはほめて育てることにした」と語る。 また、プルトニウム輸送の護衛を担当した元海上保安官は「大きなヘリだなと驚いた。乗り込める人数も持ち込める機材も従来より多く、燃料もたくさん積める。広くなったことで警備に使う場合の安全性も向上した」と話す。 その後、羽田航空基地(東京都大田区)にスーパーピューマ332が2機追加配備され、4機のスーパーピューマ332は海保最大、最強のヘリとして活躍をしていた。 …(略)… 1991年、海上保安庁は、巡視船「しきしま」搭載用としてAS 332L1を2機導入。 1997年、防災対応輸送力強化として羽田航空基地にAS 332L1を2機導入。 2008年、工作船事案の教訓から特殊警備隊輸送用として関西国際空港海上保安航空基地にEC 225を2機導入。 2011年東日本大震災に伴う津波により、巡視船しきしま搭載機のうち1機(JA6685)が仙台空港内にあるジャムコ機体整備工場の格納庫において被災し、登録抹消。代替機としてEC 225LP型を導入。 2008年にスーパーピューマ332よりもさらに大きく、速力が速く多くの人や機材が搭載できる後継機種のスーパーピューマ225が関西空港海上保安航空基地に配属されると海保最大のヘリではなくなった。 2011年3月の東日本大震災では同時に導入された「兄弟機」のMH685が、仙台空港で整備中に津波を受けて修理不能となり、当初に導入されたスーパーピューマ332はMH686のみとなった。 2018年3月、しきしまは鹿児島へ配属替えとなった。 搭載機は後から導入された機体と入れ替わり、MH686は羽田に残された。 21日までの総飛行時間は6626時間、今年6月には静岡県の神子元島でダイバーを救出するなど、引退直前まで稼働し続けた。 MH686の解役に伴い、航空基地に配備されるスーパーピューマはすべて225となり、スーパーピューマ332は巡視船しきしまに搭載する2機を残すのみとなった。 海上保安庁が大型ヘリコプターH225を5機追加発注2018/4/26 おたくま経済新聞 …(略)… H225は、AS332シュペルピューマをアップグレードしたエアバスの最新鋭大型ヘリコプター。 2人のパイロットのほか最大19人の人員が輸送でき、海上保安庁でもすでに5機導入されており、AS332を含めると計8機が活躍しています。 また、陸上自衛隊でも要人(VIP)輸送ヘリコプターとして、木更津駐屯地の特別輸送ヘリコプター隊で3機が運用されています。 最大で5.4トンの物資が搭載でき、4.75トンの機外吊り下げ能力もあるため、災害時の物資輸送能力も高く、また最大航続距離も1000km余りあり、より広範囲で活動が可能です。 捜索救難用途はもちろんのこと、最新のデジタル機器と自動操縦装置を搭載しているため、領海侵犯の監視においても長時間の哨戒飛行ができます。 今回の追加発注で、海上保安庁のAS332、H225の総数は13機となり、日本では最大のユーザーとなります。 …(略)…
2019年01月27日
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、 零戦と隼は、ほぼ同時期に開発された。 開発要求の重点は、高速な単葉機で運動性は各々の前任の機と同等以上の運動性能。零式艦上戦闘機 初飛行:1939年4月 生産数:10,430機 運用開始:1940年7月一式戦 初飛行:1938年12月 生産数:5,751機 運用開始:1941年6月 ちょっと見にはよく似た姿をしていたが、よく観ると違いが多々ある機体だった。 「零戦」と「隼」、どちらが優秀な戦闘機だったか?実際に戦わせてみた2017年8月5日 産経ニュース …(略)… したがって「もし零戦と隼が戦ったら、どちらが強いだろう?」という疑問がわくのも当然である。 そこで強烈なライバル意識が介在する帝国海軍と帝国陸軍は、面子は賭けるが記録には残さない、非公式な“手合わせ”(模擬空戦)を実施した。 その結果、全般的に零戦の方がやや優勢だったと伝えられている。 アメリカに現存する零戦22型と隼Ⅲ型甲を世界で初めて編隊空撮した際に、零戦の米国人パイロットは、「零戦は空気抵抗が小さいせいか、スピードが乗って減速しにくいので、隼を追い越しそうになり、編隊を組むのが難しかった」と証言している。 同時代に開発され、同型式のエンジンを搭載していても、徹底して空力的洗練を追求した零戦の方が、性能的にやや勝っている証拠の一端といえるだろう。 その反面、空力を追求するあまり、構造・工作が複雑になってしまった零戦は、生産性の悪が、資源・人材の乏しい当時の日本には足かせとなったことも事実である。 生産性の悪さに関して、現在も零戦の新造作業を行っている米レジェンド・フライヤー社は、「欧米戦闘機と比較して、製造に四倍も手間がかかる」と語っていたほどだ。 …(略)… 同型式の中島飛行機製エンジンを搭載したため、驚くほど似通った性能とスタイルになった。 翼面荷重は零戦二一型は107.89 kg/m2。 一式戦一型が102kg/m2、二型は117kg/m2。 「零戦」の主翼平面形は単純なテーパー翼。 翼端を丸く整形した。 「隼」の主翼平面形は、後退角0度で前縁を左右で一直線とし、主翼の空力中心線で見ると前進翼となっている。 翼厚比はほぼ同じ。 総じて「零戦」は空気抵抗で有利。 「隼」の主翼の平面形は失速特性がよい形。 機体は「零戦」は機尾に向かって紡錘型に絞っている。 「隼」はほぼ一直線。 プロペラの違いは大きい。 「零戦」は3翔。 「隼」の方が直径が小さく2翔。 平面形はほぼ同じ。 「零戦」が速度、上昇力で有利。 速度と航続距離にこだわった零戦は、空気抵抗の減少と軽量化を重視し、生産性は考慮しなかった。 枕頭鋲の使用やフレームの肉抜き穴はその類。 初期は、防弾板・防弾燃料タンク・防弾ガラス・自動消火装置のいずれも装備していない。 「隼」は最初から防弾板と防弾燃料タンクを装備。 戦闘機の基本を踏まえている。
2019年01月27日
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少なくとも第二次世界大戦前後は、戦車も、戦闘機もよく故障するものだった。 軍用トラックだってよく故障したので、中国大陸に進駐している日本の兵隊は、トラックを選んだという話がある。 ピカピカの国産よりも、日本で作っていたGMやフォードのトラックを選んだという。 米国メーカー製の方が故障しない可能性が高いからだ。 日本の工業水準は兵隊の生死に関わる低さだった。 意外と低い戦車の稼働率クルマのようにいかないワケドイツ電撃戦などの実態は…?2018年12月4日 乗りものニュース …(略)…戦車は敵と戦う前に故障と戦う 日常使うクルマはエンジンキーを回しさえすれば、すぐにエンジンが掛かって走らせることができます。 日本の国産車は年1回の定期点検程度で十分、故障することもほとんどありません。 一方戦車は違います。 カタログデーター通りの性能をいつも発揮できるのはゲーム上だけのお話で、この戦車は動くけど砲が撃てない。 こっちは照準装置が不調。 あっちは無線機の調子が悪い。 などというのが戦車部隊の実情です。 普通のクルマを運転する時、アクセルは精々踏み込んでも半分ぐらいで、いっぱいまで踏み込むことはほとんどないと思います。 しかし戦車の場合は常に8割ほど踏み込んでおり、フルアクセルもしょっちゅうです。 くるまが旋回するときは遠心力を抑えるためアクセルを緩めますが、戦車は覆帯の抵抗が大きくなるので逆にアクセルを踏み込みます。 つねにエンジンやトランスミッション、覆帯には大きなストレスが掛かっています。 そもそも戦車は走り回るのは苦手です。 重い鋼鉄の塊を大馬力のエンジンで、走行抵抗の大きな覆帯(いわゆるキャタピラー)を回して無理やり動かしているのです。 動けば動くだけ壊れるのが戦車で、普通のクルマとは故障頻度の桁が違います。 戦車は敵と戦う前に故障と戦わなければならないのです。 WW2の戦車大国、独ソではどうだった? 第二次大戦初期のドイツ軍戦車部隊といえば「電撃戦」でさっそうと進撃したイメージがありますが、実際はそうでもありません。 たとえば1938(昭和13)年のオーストリア進駐時、ドイツ軍戦車部隊は700kmを行軍して30%近くが故障して落伍しています。 まだ開戦前であり戦闘を交えず舗装道路をただ走っただけです。 進撃路脇には故障して立ち往生しているドイツ戦車が点々といたのです。 優秀なT-34戦車を生み出したソ連も「負けていません」。 ドイツとの戦端が開かれた1941(昭和16)年6月22日からのバルバロッサ作戦で、もっとも装備が充実していたとされるソ連第32戦車師団は、最初の1ヶ月で配備していたKV-1重戦車49両の内37両、T-34中戦車173両の内146両を失っています。 ほぼ全滅ですが戦闘損失は3割に過ぎず、5割が行軍途中の燃料切れと故障、2割が戦車兵の未熟な操縦による事故による損失と記録されています。 ある研究では、戦車は走行距離300kmで1回故障すると見なされており、これを1個戦車師団に当てはめると1時間の行軍で2%から20%の戦車が故障で落伍することになるとされています。 戦車を万全な状態に保つには1日約8時間マンアワーの労力が必要と言われ、戦車兵の仕事は戦車に乗っているより、工具を握っている時間の方が長いといっても過言ではありません。 …(略)… ナチスドイツの重戦車ばかりが故障に見舞われたのではなかった。 重戦車は軽戦車、中戦車よりさらにミッションの故障が多いことから、ポルシェ博士は電動のハイブリッド戦車を生み出したとされるぐらい、戦車の駆動系は故障に襲われていた。 設計技術、工作技術がそれほどでもないところに、極限の高性能を求めた結果、機械はデリケートになり、故障が続発する。 現代でもレーシングカーは完調にするのに、多くの準備、手間をかけているのと同じ。 実戦経験豊富なイスラエル国防軍は、実弾演習経験の豊富さと戦車の稼働率の高さを誇っているという。 実戦経験に乏しい中国陸軍も陸上自衛隊も、どちらが「強いか」との比較は意味をなさない。 10年間無故障もたくさんある国産乗用車の方が、驚くべき機械なのだ。 このことに全く無頓着なアナリスト、エコノミスト諸氏は、部品を集めれば消費者が満足する自動車ができると信じて疑わない。 愚かなことこの上ない。
2019年01月21日
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T-34の父、ミハイル・コーシュキンが戦車設計局局長として着任したウクライナのハリコフ機関車工場(第183工場)はBT-7Mを生産していた。 BT-7(13.8t)はT-34と同じクリスティー方式の懸架装置を備える快速戦車。 1939年、BT戦車の後継として、A-20、A-32の2種類の試作車を製作。 A-20(重量17.5t)は、クリスティー式の装輪走行も可能で45mm砲M1934を装備した戦車。 A-32(重量19.5)は、45mm砲 M1938または76.2mm砲 L-10を装備した二種の試作車。 傾斜装甲の車体で、よりT-34に近い外見。 試験の結果は両車とも良好で、スターリンの裁定でA-32が正式採用され、T-32として生産されることになった。 実戦の戦訓を踏まえ、より強力な装甲が要求され量産化は中止。 改良型のA-34がT-34として採用された。 T-34(重量27.8t)は、主として防御面がT-32から大幅に強化された。 日ソ戦と冬戦争の戦訓から、装甲厚は砲塔が25mmが45mm、車体前面が20mmが45mm、側面が20mmが40mm、後面が10mmが40mmと格段に強化された。 冬戦争の戦訓で、雪上の機動性を確保するためより幅広の履帯が採用し、76.2 mm 砲 L-11に長砲身化して打撃力を強化した。 被弾経始を取り入れた傾斜装甲により、戦場に登場後、ドイツ軍の対戦車砲弾をことごとく弾く防御性能を見せた。 分厚い装甲で撃破困難なKV重戦車(KV-1重量45t)とT-34中戦車とは、主砲の破壊力で電撃戦で快調に進撃してきたドイツの戦車兵を恐怖に陥れた。 T-34の登場時、ドイツは十分対抗し得る対戦車砲がなく、88mm高射砲を水平撃ちしてT-34を撃破した。 A-20、A-32、T-34は実に正常な進化だった。 T-32の量産を中止し、走・攻・守が高度にバランスしたT-34を量産したのは、的確な判断だった。
2019年01月20日
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ソ連の傑作戦車T-34の設計者はミハイル・コーシュキン。 コーシュキンは、1898年12月3日生まれ、ヤロスラフ州ブルインチャギ村出身。 7歳の時に父を亡くし、母親が3児を育てた。 1917年、赤軍に召集。1921年~1924年、共産主義大学で学ぶ。1929年、レニングラード工業大学に派遣され、「自動車・トラクター」講座に編入。 1934年、技師となり、S.M.キーロフ記念レニングラード試験機械製造工場で働く。 同工場では、T-43、T-46-1、T-29、T-46-5、T-100が開発・製造されていた。 コーシュキンは、T-29とT-46-5の開発に参加し、既存戦車・新規試作車試験業務を指導した。 1937年11月、ウクライナのハリコフ機関車工場(第183工場、現・V・O・マールィシェウ記念工場)の戦車設計局局長として着任。 赤軍大粛清で追われたA. フィロソフの後任。 同工場で生産していたBT-7の改良を手掛けた後、発展型である試作戦車A-20、A-32を作り上げた。 A-32の装甲増厚、履帯幅の拡大、武装強化など小改良したものがT-34。 コーシュキンが設計した戦車で量産されたのはT-34のみ。 1940年9月26日、T-34の最初の量産車が完成して11日後、激務が祟り、肺炎が悪化して死去。 後任の主任設計技師はT-34の伝動装置の開発者、アレクサンドル・モロゾフ技師が指名された。 1941年7月のバルバロッサ作戦で実戦投入。 乗員の未熟さや、無線設備の不備により連携戦闘ができなかったこと、トランスミッションを故障などで、性能的に劣っているドイツ軍の戦車や突撃砲に撃破されたりもした。 後の大活躍で、問題とされた生産コストの高さに対する批判も霧消。 その後の改修も順調でソ連傑作戦車の代名詞となり、ソ連以外の国々で長期間現役を努めた。 T-34の設計に対して、コーシュキンの死後、スターリン賞(1942年)、社会主義労働英雄(1990年)の称号が授与された。
2019年01月20日
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高価な戦闘機F-35はまだまだ正式機ではないらしい。 稼働率50%。 補修部品供給も不安定だという。 機体の生産が順調ではないので、部品供給まで手が回らないのだろう。 飛行の基本ソフトのバグも数多くあるとのこと。 基本ソフトはブラックボックスの中なので、改修、交換は米国で行われるはず。 現場の実情も考えず政治主導で安倍内閣は軍備拡大(航空母艦・艦載機の導入)をすすめた。 気の毒なのは実行機関の自衛隊員。 日本は米国の言い値で ポンコツ「F35」105機“爆買い”の愚2018年12月21日 日刊ゲンダイDIGITAL 「飢餓に苦しむ国民に目を向けず、核実験やミサイル発射を繰り返す異様な国」――。 つい最近まで日本国民は北朝鮮をこう揶揄していたが、これでは日本も同じだ。 安倍政権は、新たな軍事方針「防衛計画の大綱」(防衛大綱)と、2019~23年度の武器調達計画を示す「中期防衛力整備計画」を閣議決定。 5年間で過去最大の27兆4700億円の予算を計上することが決まった。 ベラボーな金額の血税投入は論外として、問題は政府が防衛大綱に基づき、米国製のステルス戦闘機「F35」を105機も追加調達することだ。 すでに閣議決定している「F-35A」と合わせ、将来的に計147機体制にする計画なのだが、このロッキード・マーチン社製の「F35」はハッキリ言ってポンコツなのだ。 米国防総省が1月に議会に提出した報告書によると、「F35」は納品先にスペア部品が届かずに飛行できない、といった問題が多発。 任務の際に「F35」が稼働できる確率はナント! 「50%前後」だったという。 また、「F35」に搭載するソフトは複雑で、数十回に及ぶテストを経ても「重要な欠陥が残っている」と指摘されている。 9月には米サウスカロライナ州で訓練中の「F35」が墜落する事故も起きた。 これじゃあ空自のパイロットは安心して操縦桿を握っていられないだろう。 爆買いして大丈夫なのか。軍事ジャーナリストの世良光弘氏はこう言う。 「ステルス戦闘機の心臓部でもあるソフトはパソコンと同じ。 バグが見つかれば改修し、バージョンアップが必要になります。 『F35』はまだまだ手探り状態なのです。 しかも日本は自国で組み立てるのではなく、完成品を納品してもらう契約ですから、何か問題が起きた時はいちいち米国で修理してもらう必要が出てきます。 肝心のパイロットは今、国内で3~4人。 海自の護衛艦いずもを改修し、『F-35B』が離発着できるようにするようですが、そうであればパイロットは戦闘機とヘリの両方が操縦できる技能が必要になる。 その養成を空自予算でやるのか、海自予算でやるのかも決まっていない。 とにかく問題山積ですよ」 …(略)… 海自は自前の訓練予算獲得必至の体制で交渉をすすめることだろう。 いずれにしろ、米国のロッキード・マーチンと海兵隊が頼り。 F-35Bの訓練に関して、空自は予算以外は役に立たない。 予算面では、ステルス性維持のためのメンテナンスコストも不明。 F-35の爆買いで大きく米国の対日貿易赤字を減らすことになるが、さらに維持管理で貿易赤字を減らせるらしい。 機能が怪しい主力兵器なら、戦う気力も減ることだろう。 財政収支の悪化は、社会福祉予算の増大と違う分野で続く。 亡国のイージスアショア、F-35。
2019年01月19日
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戦車(Main Battle Tank)は機能美溢れカッコいい。 だがその効用は価格に見合っているとは言えない。 島国日本で戦車が活躍する場面はあるのか? 海を渡って日本を侵略する国・悪の組織は、戦車のいるところを選んで上陸、着陸するだろうか。 戦車は空中からの攻撃にも弱く、対戦車兵器をもった歩兵にも弱い。 コストは高く、重くてかさ張るため輸送が困難。 「専守防衛に戦車不要」は大間違い 陸上自衛隊に戦車が必要なわかりやすい理由 2018年9月19日 乗りものニュース …(略)…もしも日本が戦車を持っていなかったら? もし、自衛隊が戦車を持っておらず、装甲車程度の装備品しか持っていない場合、日本を侵略しようとする敵は、装甲車を撃破することができる程度の戦車を持ってくるでしょう。 そうなった場合、自衛隊の部隊は、敵の戦車に太刀打ちすることができなくなってしまい、応援を呼んだとしても、その応援部隊が駆けつけた頃には、すでに全滅しているかもしれません。 逆に、自衛隊が戦車を持っている場合、敵は自衛隊が持つ戦車よりも高性能な戦車を持ってくるでしょう。 つまり、自衛隊の戦車の能力が高くなれば、敵は更に強力な戦車を開発せざるを得なくなり、結果としてそれが抑止力として働くということです。 たとえば、無施錠の家に忍び込むのは簡単ですが、鍵が掛かっていれば、その鍵を破る道具が必要になります。 警備会社のセキュリティシステムが入っていれば、更に高度なセキュリティ解除技術が必要になり、目標の家に侵入することがより難しくなります。 そうなれば、侵入そのものを諦めるという判断も生まれるでしょう。抑止力とは、そのようにして発生し、機能するものなのです。 新しい装備を開発し続けることも抑止力に 陸上自衛隊は高度な射撃統制装置と、軽量化された車体で機動性に優れる10式戦車を導入しました。 2017(平成29)年からは、それらの能力を更に向上させた、装輪タイプの16式機動戦闘車も配備されています。 こうした能力の向上は、敵に対しても、様々な能力の向上を強制させるもので、日本が独自の戦闘車両を作らなくなってしまったら、周辺国による侵略の脅威に常に晒されることになるでしょう。 …(略)… 記事の筆者は戦車の弱点を知った上で擁護論を書いている。 塹壕線対策で始まった戦車だが現代の歩兵は強い。 戦車の一番の敵は歩兵。 近距離で装甲の薄い側面や後方からM72やRPGで攻撃されると大きなダメージを受ける。 主砲はほぼ無力。 車載機銃は射角が非常に限られていている。 戦車は閉じ篭ると外部がよくみえないし、キューポラから身を乗り出すと危険。 戦車に装甲車などで歩兵が随伴するのは、戦車戦の基本。 また、戦車は航空機に弱い。 対戦車ヘリや陸上攻撃機のミサイル、ロケット、機関砲で一方的に破壊される。 戦車の活躍には制空権の確保が必須。 日本の国土の特性を考えると、戦車にかけるコストは対戦車ヘリや装輪装甲車にまわした方が効果的。 10式戦車の前にわざわざ場所を選んで現れる敵はいないし、鉄道、橋梁、トンネルは破壊される。 さりとて、人口密集地周辺に戦車を配備すると、訓練にも困る。 戦車も装甲車もそうなのだが、現代では攻撃装備のない自国民を鎮圧するとき、最も有効に機能する。 湾岸戦争で米軍の戦車は大活躍した。 それはM1戦車の優位性だけを示すものではなく、圧倒的な航空優勢と、機能的に計算されRFIDの活用など最新のIT機器とシステムに支えられた補給線(ロジスティクス)あっての活躍。 豊富な機材と日ごろからの十分な訓練、高度な物流システムを誇る米軍だけがなし得るワザだ。 燃料、弾薬、食事の供給は今も昔も変わらぬ、継戦能力維持の物理的課題。
2019年01月19日
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防衛計画の大綱で日本の軍事力強化計画が決定。 政治は形だけなので、野党や与党公明党の反対を押し切り防衛力強化、災害対策強化と自民党は言い張ることだろう。 「防衛は最大の福祉」中谷元防衛大臣の発言につきまとう違和感2018.12.20 MAG2NEWS いずも空母化+F-35B艦載は軍事費の使い方では最悪の選択。 固定翼の導入で人は余分にいる。 予算はたっぷりかかる。 隊員は不足し、待遇改善の予算は残っていない。 「いずも空母化」は自衛隊の要望ではなく実は「自民党主導」だったついに「政治主導」の防衛政策が前面へ 半田 滋2018年12月19日 現代ビジネス 12月18日に閣議決定され、来年度改定される日本防衛の指針「防衛計画の大綱(大綱)」に盛り込まれた「空母保有」が、自衛隊の要望ではなく、自民党案をそっくり取り込んだ「政治主導」の防衛政策だったことが筆者の取材でわかった。 今回、警戒感を示す公明党を押し切り、自民党案が丸ごと大綱に反映されたのは、安倍晋三政権下で「国家安全保障会議」が新設されたことが大きい。 大綱原案の策定者が防衛省から国家安全保障会議に移り、主役が防衛官僚・自衛隊制服組から「首相官邸」に代わって、政治主導が前面に出てきたのだ。 …(略)… 日本以外の多くの国の戦車には装填兵が乗っている。 装填作業を自動化して兵を減らすより、戦場での生残性、打撃力の維持を重視している。 90式も10式も主砲の自動装填装置を導入し要員を一人減らしているのは、深刻な隊員不足が背景にある。 「防衛大綱」に盛り込まれる深刻な自衛隊員不足特に敬遠される海上自衛隊2018年12月19日 デイリー新潮 この年末、政府が改訂する「防衛計画の大綱(防衛大綱)」には、地上配備型の弾道ミサイル迎撃システム「イージス・アショア」導入や護衛艦「いずも」に戦闘機を搭載する“空母化”構想も盛り込まれる。 防衛予算は膨らむばかりだが、実は深刻な問題がある。 それらを操る自衛官が足りないのだ。 *** 外国人労働者の受け入れを拡大する「改正入管難民法」が成立した。「深刻な人手不足に対応するため、即戦力になる外国人材を期限付きで受け入れる」 と、安倍晋三首相(64)は言うのだが、人手不足は民間企業に限った話ではない。 自衛官への志願者が減少しているという。 今年3月末現在、陸海空合わせた自衛官の定数は24万7154人に対し、現員は22万6789人で充足率は91.8%。 9割以上ならば、それほどでもないと思われるかもしれない。 だが、幹部(92.6%)や准尉(93.7%)、曹(98.8%)と命ずる者はいても、それに従う兵(士)は73.7%しかいないのだ。 防衛省は今年10月、自衛官候補生の採用年齢の上限を26歳から32歳に引き上げた。 28年ぶりのことだ。だが、それで志願者が殺到することはない。 採用年齢の引き上げに加え、定年年齢の引き上げ、女性自衛官の積極的登用、さらに「防衛大綱」には省人化を図るため無人化技術開発も盛り込まれるという。 …(略)… 「いずも」の空母化で海自は夜間発着訓練など高度な訓練が必要と警戒している。 自民党は、固定翼はたまに載せるだけだから攻撃型空母ではないと主張。 「たまに載る」だけでは有効な戦力にならない。 米海軍は高速航行時、夜間の発着訓練を盛んに行っている。 特に着艦が困難であるからだ。 自民党の安保法制で辞める自衛官はいないだろう。 そういう人は、もともと自衛官にならないからだ。 「いずも」型2隻に搭載できるF35Bは合わせて20機。 今回購入予定の42機は明らかに需要の範囲を超えている。 「ひゅうが」型のトン数と飛行甲板が小さいので、さらに大きなトン数の空母を所有するための準備の可能性がある。 だが、立派な兵器だが、十分に運用できる兵(要員)がいないなら、戦う兵は気の毒の限り。 戦場での自動化はいまのところリスクが大きい。 航空母艦の強化は、兵の不足を深刻化させる。 要員の欠けた船を運用するのは危険以外の何者でもない。 AI化、自動化で足りない兵は外国人研修生で補うつもりのだろうか?
2019年01月19日
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2018年11月15日、定例記者会見で山崎幸二陸上幕僚長は、滋賀県高島市の陸上自衛隊饗庭野の演習場で迫撃砲の射撃訓練中に発生した事故について、射撃方向の設定が誤っていたことを明らかにし、「人的要因が有力だと考えている」と述べた。 迫撃砲の破壊力は抜群。 迫撃砲は、砲としては軽量、分解組立可能なことから、少人数で運用でき、操作も比較的簡便なため、砲兵ではなく一般に歩兵が装備する。 最前線の戦闘部隊にとって間接照準による直協支援火器の一つ。 比較的軽量なのは、射程を犠牲にして砲口初速を低く抑え、各部の強度を抑えているため。 小型化、軽量化できる。 射撃時の反動は地面に吸収させる方式のため駐退機や復座機も必要ない。 砲口装填式(前装式)で閉鎖機も不要。 同口径の榴弾砲と比べ著しく軽量・コンパクト。 小中口径迫撃砲は分解して歩兵が担いでも携行でき、120mm級の重迫撃砲も小型車輌の装輪車両で牽引できる。 命中精度低い。 射程も短い。 長所は短所を補ってあまりあるので、陸上自衛隊でも現用であり調達中の兵器。 ■L16 81mm 迫撃砲・L16の"L"とは口径長(16口径)・81mmクラスでずばぬけて軽量(36.6kg)・普通科中隊の主たる火力。・発射速度: 20発/分(最大)、12発/分(持続)・価格は約1,000万円。 ■120mm迫撃砲 RT・普通化連隊最大の火砲。・牽引は高機動車を改造した重迫牽引車。・自走型は96式自走120mm迫撃砲。・水陸機動団の水陸機動連隊の各中隊・水陸機動団特科 大隊も装備。 ・発射速度: 20発/分(最大)、6発/分(通常)
2019年01月13日
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安倍内閣は米国の対日貿易赤字の削減に必死なのだろう。 航空母艦を作り、艦載機は米国製・F-35B。 空中給油機も発注。 一体自衛隊をどこで戦わせるつもりなのだろう。 2機目の航空自衛隊向けKC-46Aが正式発注される2018年12月17日 おたくま経済新聞 / アメリカ政府は2018年12月6日(アメリカ東部時間)、日本の航空自衛隊向けとして2機目となるKC-46A空中給油/輸送機を約1億5895万ドルでボーイングに発注しました。 この発注分のKC-46Aは、ワシントン州シアトルにあるボーイングの工場で生産され、2021年6月末までに完成する予定となっています。 航空自衛隊が2010年度から愛知県の小牧基地にある第404飛行隊で本格運用している空中給油/輸送機KC-767と同様、ボーイング767-200をベースに開発されているKC-46Aペガサス。 現在最終試験も終わりに近づき、アメリカ空軍での本格運用がもうすぐ始まろうとしています。航空自衛隊でもKC-767の追加分として、2015年に3機導入することが決定し、全機FMS(対外有償軍事援助)の形式で調達されることになっています。 今回アメリカ政府の「FA8609-18-F-0006」として1億5895万309ドルで発注されたのは、航空自衛隊に納入される2号機。 現在の時点で3機の総額は、4億4937万5855ドルということになっています。 2号機の発注に際しアメリカ空軍のKC-46プログラム・マネージャのジョン・ニューバリー大佐は「日本向けの新しい空中給油機は、アメリカ軍との共通運用性を高めるばかりでなく、両国間共通の安全保障問題における重要な役割を担うことになります」という談話を発表しています。 …(略)…
2019年01月08日
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空中給油:aerial refueling、In-Flight Refueling (IFR) 、 Air-to-Air Refueling (AAR) ) 民間機は現代の空中給油に縁がない。 空中給油は、速度と高度などを調整して編隊を保ちながら航空機を連結させる。 困難かつ危険な作業を強いられ、受油機は給油機の後流の中に入ることもあるため、パイロットに予めの訓練と技量が要求される。 軍用機は空中給油で滞空時間の延長、飛行距離の延伸が可能になる。 兵器の搭載能力を向上させることもできる。 軍用機では最大離陸重量が最大飛行重量を下回ることが多い。 そこで、搭載燃料を減らし、その重量分のミサイルや爆弾などの兵装を搭載して離陸。 その後、空中給油で最大の積載量をとすることが可能になる。 空中給油方式 空中給油 は、給油機 (tanker) が受油側の機体 (receiver) に対して、飛行中に燃料を送り込む行為。 別個の飛行中の機体を、給油の間だけ繋ぎ燃料を送り込む。 給油の開始・停止は給油機の側で操作する。 コンタクトできたことを確認したら給油を開始して、所定の量の燃料を給油し、給油を止める。 繋ぎ方は大きく2種類。 双方メリット、デメリットがあり、米軍では統一されていない。 ■フライング・ブーム方式 給油機の尾部に取り付けた給油ブーム(腕木)を伸ばして、受油側の機体に取り付けてあるリセプタクル(受油口)に差し込む方式。 給油ブームを動かしたり、伸縮させたりして受油口に合わせる操作は、給油機のブーム・オペレーター(ブーマー)が行う。 受油側の機体は、速度を調整し、給油機の後下方に占位して、給油機との位置関係が大きく変わらないよう操作する。 フライング・ブームは、給油の関係から機体後部・胴体下面が定位置。メリット・受油機は給油機のブームが届く位置を保持するだけで済むので、受油機側の負担が少ない。・時間当たりの給油量がプローブアンドドローグ方式に比べ多い。・大量の燃料を必要とする大型機に有利。・プローブアンドドローグ方式の給油口に比べて空力の影響が小さい。・フライングブーム先端にアタッチメントを使用すればプローブアンドドローグ方式も併用可。デメリット・給油機側にブームを操作する人員が必要で、設備が大掛かりになり小型機を給油機にすることができない。・一度に1機にしか給油ができない。・ブーマーの技量に給油開始が左右される。・給油機側の大きな改造が必要。・小型機に給油する場合、給油量を絞る必要がある。・大きなローターを備えるヘリコプターの給油には向いてない。 ■プローブ&ドローグ方式 給油機から燃料補給用のホース(ドローグホース)を繰り出して伸ばす。 給油ホース先端にバスケットのようなものがついていて、受油用の「プローブ」の先端をバスケットの部分に差し込み給油を受ける。 給油機はホースを繰り出し、安定して水平直線飛行する。 受油機側は、機体を操ってプローブをバスケットに差し込み、接続(コンタクト)した後はプローブが抜けないように機体を操る。 ドローグホースは胴体下面や主翼下面に取り付けられる。 装備としては胴体下面と左右の主翼に備えることも可能。 メリット・小規模な仕組みなので、比較的簡単な改造で艦載機などの小型の機体を給油機にできる。・給油機側は特別な操作を行う必要が無いための操作員が不要。・ホースの増設で複数機同時給油ができる。・戦闘機同士の給油(バディ給油)が可能。・ヘリコプターへの給油が可能。 デメリット・燃料補給速度がフライング・ブーム式に劣る。・受油機がプローブを合わせるため、高度な技術を要する。・フライングブーム方式に比べ気象の影響を受けやすい。・装置を翼端に設置している場合、給油機から発生する翼端渦に受油機が入ることがある。・ドローグの先端がピトー管その他のに接触するおそれがある。・プローブの先端から異物が侵入し、燃料に混じってエンジントラブルを起こすおそれがある。 フライング・ブームとリセプタクル、ドローグホースとプローブのいずれも、接続する部分には蓋があり、コンタクトすると蓋が開いて自動的に配管がつながる。 オーストラリア空軍のA330-200給油機(KC-30A)はフライング・ブームとドローグホースの両方を備えている。 米軍では、空軍がフライングブーム方式、海軍、海兵隊はプローブ&ドローグ方式。 航空自衛隊はフライングブーム方式のボーイング767の改造型KC-767を4機を導入。 一部のC-130Hにプローブアンドドローグ方式の空中給油ポッドの増設や空中給油受油能力の付与を行い、KC-130Hとして運用。
2019年01月08日
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即応性が重視される現代の航空戦術において、空中給油は重要。 空中給油は操作関係者の技量の要求が高く、日頃の訓練の賜物。 米軍の戦闘機と給油機が接触海自が2人目救助2018年12月6日 読売新聞 6日午前1時40分頃、高知・室戸岬の南南東約100キロの太平洋上で、米軍岩国基地(山口県岩国市)所属のFA-18戦闘攻撃機とKC130空中給油機が飛行中に接触し、海面に墜落した。 2機には計7人が乗っており、うち2人が海上自衛隊に救助された。 1人は命に別条はなく、もう1人の容体は不明。 自衛隊などが残る5人を捜索している。 墜落に伴う民間船舶の被害は確認されていない。 在日米海兵隊によると、2機は当時、定期的な訓練中だった。 空中給油の作業をしていた際に何らかの理由で機体が接触した可能性がある。 …(略)… 空中給油は高度な技術。 夜間であればさらに困難度が増す。 その困難さは現代においても解消されていない。 事故の原因究明はされないという。 公表されないだけかも。 1991年、湾岸戦争で空中給油が必須の作戦にイタリア空軍が参加。 トーネードIDS 4機が給油を受けようとしたが成功したのは1機。 他の3機は作戦に参加できず帰還した。 2016年12月13日、名護市安部に墜落した米海兵隊の垂直離着陸機MV22オスプレイは、墜落前に空中給油を「何度も失敗した」と米軍の最終報告書で公表された。 オスプレイは、通常の固定翼機より長いローターのため、受油口がローター近い位置にある。 給油機から伸ばしたドローグなどの装置が接触するとローターが破損、墜落する危険性が高い。 2017年6月1日、米アラスカ州で実施する軍事演習に参加する予定の韓国空軍のF-16戦闘機が、空中給油に失敗。 横田基地に緊急着陸した。 F-35B、Cはプローブ&ドローグ方式の空中受油装置を備えている。 どちらも受油するのに苦労しているらしい。 英航空エンジニアのジェフ・ライス氏がフェイスブックに、戦闘機 F-35 の空中給油が失敗した動画を公開した。 スプートニク日本 2018年8月5日
2019年01月08日
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A-10 1965年にフェアチャイルドに買収された。 フェアチャイルド・リパブリック社は1972年A-10攻撃機を初飛行させた。 公式の愛称はサンダーボルト2。 あだ名のウォートホッグ(イボイノシシ)やホッグ(ブタ)も有名。 双発、単座、直線翼の近接航空支援専用機。 戦車、装甲車など地上目標の攻撃と若干の航空阻止により地上軍を支援する任務を担う。 会社は変われど頑丈さ(生残性の高さ)の伝統(?)は保たれた。 そのタフさは戦場の伝説となっている。 A-10に関する戦場伝説 出典:Wikipedia 湾岸戦争においては参加機のうち半数にあたる約70機が被弾しながら、被撃墜は6機にとどまり、喪失率は10%でしかない。 384箇所の破孔を生じながら生還、数日後には修理を完了し任務に復帰した80-8186号機や、イラク戦争においてSAMによって右エンジンカウルを吹き飛ばされながら生還した80-258号機などの「タフさ」の実績がある。 …(略)… 操縦席は対地攻撃で被弾することを考慮し、強固な装甲で覆われている。 操縦席周りは12.7mm~38.1mmのチタン合金で保護され、23mm口径の徹甲弾や榴弾の直撃にも耐えられる。 コックピットは延伸アクリルを使用し、20mm砲の直撃にも耐えられる。 主力兵器は機体前方左寄りにオフセットして取付けられた劣化ウラン弾を発射できる GAU-8アヴェンジャーガトリング砲。 砲身の回転駆動にはA-10本体の油圧系システムを動力源とする独立した77馬力の油圧モーターを2基使用。 HIGHモードで最大4200発/分。 LOWモードでは右油圧モーターのみが駆動し2100発/分で発射可能。 湾岸戦争では主力戦車の上面装甲をも撃破する30mmガトリング砲で、イラク軍のMi-17ヘリコプターの撃墜(1991年2月6日と2月15日に1機ずつ)を記録している。 ハードポイントは11個。 最大で7t以上を装備したまま離陸することができる。 搭載可能武装・JDAM(GPS誘導爆弾) ・Mk82通常爆弾(500ポンド)・レーザー誘導爆弾 ・光学誘導爆弾 ・各種ナパーム弾・各種クラスター爆弾 ・各種ロケット弾ポッド・AGM-65 AGM(空対地ミサイル) ・AGM-114 ATM(対戦車ミサイル) 搭載可能武装一覧で分かるように、対地攻撃に特化しており、空対空戦闘は考慮されていない。 機体は急激なスロットル操作を行うと機首下げが発生し、ガトリング砲を撃つと反動で速度が低下し、排莢の反動で機首が上がる(揺れる)。 制空権確保は運用の前提条件。 A-10は1977年に運用開始していまだ現役。 上記のように湾岸戦争では想定以上に大活躍した。 対テロ掃討作戦では現在も活躍中。 適切な後継機がないという理由で寿命が延長されていたが、F-16やF-35ではその役割を代替できそうにない。 A-10は2005年に金属疲労が激 しい主翼の換装などの 寿命延長プログラムが実施された。 F-16とF-35統合打撃戦闘機で更新する予定だったが、 F-35の開発の遅れ(できの悪さ)によりA-10の退役が先延ばしされ、近代化プログラムが進められている。 後継会社は解散し、A-10の知的財産権は、ロッキード・マーティンが有している。
2019年01月07日
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P-43、P-47、F-84、F-105を貫く特徴は、頑丈な機体設計。 P-47以降は全て戦闘爆撃機として活用されたこと。 F-105 サンダーチーフ 当初からF-105は単座単発(F/G型は複座)の「戦闘爆撃機」として設計・開発された。 核爆弾の使用を想定して機体内に爆弾倉を有している。 結果として核爆弾は使用されなかった(とされている)ので、爆弾倉は増槽の収納場所となった。 ベトナム戦争では主に爆撃機として危険な作戦を行いながらも、北ベトナム軍機を 27.5機撃墜している。 マルチロール機の先駆けとの見方もある。 エンジンは当時としては大出力アフターバーナー付ターボジェットP&W J75。 頑丈な機体は、Republic Iron とあだ名された。 レーダー妨害装置を備えた ワイルド・ウィーゼル機 F-105Gは、敵の地対空ミサイルを破壊する危険な任務に使われ犠牲を増やした。 ベトナム戦争の北爆の主力として使用されたD/F型は総生産数751機の内、385機が戦闘や作戦中のトラブルで失われ、51機が戦闘以外の運用上のトラブルで失われた。 1958年5月に運用開始。 1984年2月、全機退役。 空軍のあとは空軍州兵で使用された長寿機。
2019年01月07日
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第二次世界大戦末から朝鮮戦争まで、P-47は専ら戦闘爆撃機として活躍した。 F-84 ジェット戦闘機の時代となりP-47の後継としてF-84が開発された。 直線翼のF-84A~E/Gは、サンダージェット。 高高度での機動性はF-86に劣った。 P-47と同様に離陸滑走距離が長いと悪評が高く、機体の強靭さには定評があった。 早い段階で空中給油能力が付加され、航続距離が大きかった。 1950年に勃発した朝鮮戦争にてF-84Gが主に対地攻撃で活躍したのもP-47似。 後期型の、後退翼を持つF-84Fは、サンダーストリーク。 配備は1954年で朝鮮戦争終結後。 ベトナム戦争開戦時には第一線を退いていたためほとんど実戦経験がない。 1956年のスエズ動乱でフランス軍がエジプトを空爆した。 爆撃機? 偵察型のRF-84Fはサンダーフラッシュ。 ターボプロップエンジンを装備したXF-84H試作機のエアインテークは主翼付け根に配置された。 後退翼+主翼付け根のエアインテークはF-105へと引き継がれた。
2019年01月07日
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P-47 サンダーボルト P-43の後継となるXP-44は1939年10月に80機が発注された。 AP-10は軽量戦闘機として設計され、アリソン製 V-1710 液冷エンジンを搭載し、2丁の12.7 mm機関銃を装備した。 米陸軍はこの計画を支援し、XP-47の制式名称を与えた。 欧州戦線の状況から、XP-44とXP-47ではドイツの戦闘機と闘うのに不十分なことが明らかになった。 リパブリックはXP-47をわずかに改良したXP-47Aを提示したが、米陸軍航空隊を満足させるものではなかった。 アレクサンダー・カートゥヴェリーは、1940年6月に新たな設計を提示し、9月にXP-47Bの名称で試作機が発注された。 XP-47Bの自重は約4,500 kgで、YP-43より65 %も重かった。 発動機はP&W R-2800 ダブルワスプ。 空冷星形18気筒(9気筒×2列)で、出力は約2,000馬力。 ターボチャージャーのダクトを胴体内に収容したこともあり機体は縦に膨れていた。 武装は戦訓を反映し、両翼内に各4丁のブローニング 12.7 mm機関銃。 液冷のXP-47AとXP-44の開発は中止された。 XP-47Bの開発が続く。 ターボチャージャを作動させるためのエンジンの排気は、コクピットの両脇下方を通る2本のパイプによって後部へ導かれた。 ターボチャージャー本体は操縦席と尾翼の中間に配置された。 ターボチャージャーのインテイク(吸気口)には 胴体下部からダクトで吸気される。 タービンで圧縮された空気はインタークーラーを通って冷却される。 インタークーラーで冷却された吸入気は胴体両側面を通って前方に導かれ、気化器を経て、燃焼室に向かう。 ダクトとターボチャージャーなどを配したことで、XP-47Bはサンダーボルトの特徴となる、横から見て、太く大きな機体を構成した。1941年12月、技術試験用のP-47B引き渡し。1942年3月、量産試作型、1942年5月に量産型引き渡し。 大きく重く頑丈な戦闘機、後に戦闘爆撃機初代サンダーボルトが始まった。
2019年01月06日
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リパブリック社 1939年秋、セヴァスキーがヨーロッパへセールスへ出向いている間に、経営手腕に疑問を抱いていた取締役のウォーレス・ケレットらが取締役会を再編し、10月13日、社名をリパブリック・アヴィエーション株式会社に変更した。 P-43 ランサー リパブリック社はP-35後継としてAP-4を開発。 1939年5月に陸軍の審査を受けて、陸軍から評価試験用としてYP-43「ランサー」の名称で13機を発注した。 YP-43は、P&W R-1830-35 ツインワスプ (離昇出力1200hp)エンジンにターボチャージャーを搭載していた。 武装は機首に12.7 mm機関銃2丁と主翼の左右に7.62 mm機関銃が1丁。 P-43とエンジンをP&W R-1830-49に換装したP-43Aは、1941年から陸軍に引き渡された。 ターボチャージャーの不調で稼働率が低く、戦闘機としては不適当とされ、ほとんどの機体が偵察機として運用された。 P-43はP-47の原型といえる機体。 総生産数の半分程が中華民国へレンドリースされた。
2019年01月06日
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セヴァスキー・エアロ社 リパブリック・アヴィエーションの始まりは、セヴァスキー・エアロ株式会社。 セヴァスキー・エアロ社は、米国に亡命した元ロシア軍操縦士のアレクサンダー・セヴァスキーによって1923年に設立された。 航空機部品、楽器の製造をしていたが、1929年に大恐慌の経済環境下で倒産。セヴァスキー・エアクラフト社 その後、ウォール街の富豪エドワード・ムーアら投資家による支援を受けて、1931年にセヴァスキー・エアクラフト株式会社設立した。 当初は、社長、設計者、テストパイロットをセヴァスキーが務めていた。 後にロシア人のマイケル・グレガーとジョージア人のアレクサンダー・カートベリを主任設計者に雇い、P-35などを製作した。 P-35は1936年6月に米陸軍航空隊に制式採用された。 愛称は無い。 全金属製、引込脚、密閉式コックピットを備えた単座戦闘機として米陸軍初。 武装は7.62mm機関銃と12.7mm機関銃を機首上部に搭載した。 300lb(136.5kg)爆弾を懸架できる。 発動機は、ライトサイクロンエンジンの不調により、ツインワスプに換装された。
2019年01月06日
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マウスは史上最大級のハイブリッド戦車。 完成した戦車として現在も世界最大規模。 自重188t。 砲塔部単体で55 tで全周旋回。 超重量級でアキレス腱となるトランスミッションが必要ないハイブリッド戦車の設計は、ポルシェ博士。 主砲は、55口径 12.8cm KwK44戦車砲・弾薬55発。 副砲は、36.5口径 7.5cm KwK44戦車砲・弾薬約100発。 その他の武装は、7.92mmMG34機関銃・弾薬1,000発。 重量は、187.998 t。 全長10.085m、全幅3.67m、全高3.63m。 エンジンは、水冷V型12気筒 MB509ガソリンエンジン1,080hp 。 MB509は航空用液冷エンジンDB 603をベース。 圧縮比の変更など様々な改良が加えたられた。 87オクタンの航空燃料で1,375馬力。 戦車用の74オクタン燃料では1,200psから1,250psだった。 所期の性能を発揮するには1,500psから1,800psが必要と計算されており、大幅な出力不足。 二重式発電機「LK1000/12-2000」をエンジン後方、砲塔の下部に搭載。 重量3.885t、6極式の二重発電機は左右各走行用電動機とトルククラッチに減速ギアを介して接続。 走行用電動機の重量は3.750t。 最高回転数は3,100回転/分。 1943年2月、クルップ社に対して120両が発注された。 戦局の著しい悪化で、マウスは資源の浪費だと進言された。 150両分の生産準備が進められたが、形になったのは2両。 1943年8月、試作車の生産が始められたが、同年10月、ポルシェ社に、11月にクルップ社に対しても量産計画の中止が通達された。 後にクルップ社にはマウスの生産再開が通達された。 1943年12月、1号車は車体部のみが完成。 12月23日に走行試験が行われた。 1944年年6月9日、試作2号車に砲塔が搭載され、完全状態のマウスが完成。 試作1、2号車は試験が開始され、最大速度、登坂能力等の機動性能は計画予定値を下回り、燃費の悪さも想定以上。 機械的不調も続発し、試作2号車は試験中にエンジンを損傷し、行動不能となった。 1944年11月1日、総統官邸から「超重戦車全ての開発計画の中止」が発令され、マウスの開発計画が終了。 ハイブリッド戦車開発のポルシェ博士は、まるでマッド・サイエンティストそのもの。 過大な要求に狂気で応えたものか。 マウスはロシア・モスクワの郊外、クビンカ戦車博物館で一般公開されている。 同じ博物館にカール自走臼砲も展示されている。
2018年12月22日
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フォルクス・ヴァーゲン(国民車)の設計者であるポルシェ博士はヒトラー総統の数少ないお気に入りの技術者だった。 その政治力か、はたまた戦局の急迫がそうさせたのか、90両ぶんの車台の生産許可がとってあった。 また100両ぶんの装甲板を受領済みだった。 ハイブリッド方式の改造を続け、空冷エンジンより体積が少なく出力が大きい戦車向きのエンジンをマイバッハHL120 V型12気筒液冷ガソリン(520馬力)2基に交換して、生産許可済みの車台を使ったシリーズ式ハイブリッド重駆逐戦車を90両生産。 最初の名は 8.8cm43式2型対戦車砲搭載突撃砲、またはティーガー(P)戦車駆逐車。 1943年2月6日フェルディナント("Ferdinand")と正式に命名された。 1944年2月27日にヒトラーの提案によりエレファント (Elefant) と改称された。 1943年7月のツィタデレ作戦でデビュー。 戦車が大活躍したクルスク戦車戦。 全面装甲200mmの重装甲、大火力のフェルディナントは、用兵側からの評価が大変高かった。 故障が多いトランスミッションがないこと、ギヤチェンジがないことが好評の理由だという。 欠点は過大な重量に起因する問題が多かった。 足回りのゴム部品や履帯の消耗が早い。 発電用エンジンの出力不足と寿命が短いこと。 フル回転するエンジンはバルブ破損、ピストン粉砕、亀裂が入るなどがみられた。 1943年11月29日、残存していた48輌のフェルディナントに改修策が実施された。 対歩兵戦用(ソ連兵の肉弾攻撃対策)の車体前面の機銃と車長用キューポラを装備。 履帯を変更、機関室上面のグリルの防御を強化など実施。 名称はエレファントとなり、1944年2月に第653重戦車駆逐大隊に復帰。 エレファントは65t。 アンツィオの戦いに参戦するためイタリア戦線へ投入された。
2018年12月22日
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ハイブリッドは種や品種が異なる植物や人間を含む動物から生まれた子孫。 あるいは、異種のものを組み合わせたもの。 レオポンはライオンと豹のハイブリッド。 ライガーはライオンと虎のハイブリッド。 動物も植物も近縁種はハイブリッドができることが多い。 現代の自動車社会でハイブリッド車といえば、ガソリンエンジンと電気モーターのハイブリッド。 EVの達人フェルディナント・ポルシェ博士は、ナチスドイツにハイブリッド戦車をもたらした。 ポルシェ博士のハイブリッド戦車とはまた彼は如何にして変速装置を廃するに至ったか2018.11.02 月刊PANZER編集部 …(略)… 1942(昭和17)年7月に登場した「ポルシェティーガー」は、当時の人々をびっくりさせました。 ガソリンエンジンで発電し、その電力でモーターを駆動して履帯(いわゆるキャタピラー)を動かす「ハイブリッド方式」だったからです。 …(略)… 重い戦車のエンジンは自動車よりははるかに大きく、トランスミッションも大きく頑丈にできています。 しかも戦車は方向転換するためには左右の履帯の回転数を変えることが必要です。 よって戦車のトランスミッションの構造は、自動車のものよりはるかに複雑で大きく重いものになってしまいます。 マニュアル式のトランスミッション操作は操縦手の大仕事で、変速の度にレバーをハンマーでひっぱたいたり、ギヤチェンジ専門の乗員を載せたりしていました。 また当時の戦車の故障原因の多くが、トランスミッションに起因するものでした。トランスミッションが壊れるなら無くしてしまえばいいじゃないか。 そこで、この厄介なトランスミッションの問題を解決しようとポルシェ博士が思い付いたのが「ハイブリッド方式」だったのです。 電気モーターなら回転数0からフル回転までいくらでも自由自在に調節できて前進、後進も思いのまま、しかもトランスミッションそのものが必要なくなるのです。 天才的な発想でした。ポルシェ博士は電気自動車も手掛けており得意分野でもあったのです。 こうして作られたのが、「ポルシェティーガー」とも呼ばれるVK4501(P)戦車でした。 左右2組の履帯を動かすため、ジーメンス・シュッケルトD1495a交流モーターを2基搭載し、電力を供給するためのジーメンス・シュッケルトaGV発電機1基とそれを動かすポルシェ101/1V型10気筒空冷ガソリンエンジン(320馬力)2台を積み込みましたが、この駆動ユニットは巨大で、車体の後ろ半分はエンジンルームとなってしまいました。 …(略)… 凝ったメカが兵器で成功した例は少ない。 エンジンが不調で発電能力が不足。 交流モーターのトルク不足 エネルギー効率が低く燃費が悪かった。 悪路走破性の不足。 厳正なドイツ陸軍の審査は、もちろん不合格。
2018年12月22日
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F-4ファントム2は、米国海軍初の全天候型双発艦上戦闘機として開発された。 大型の翼と高出力のジェットエンジンを双発で装備し大きな搭載量が特徴。 当初の機種番号は海軍ではF4H、空軍ではF-110だった。 1962年に米軍の軍用機の命名規則統一によりF-4となった。 運用開始は1960年12月。 急激な機体の頭上げ(ピッチアップ)防ぐため、水平尾翼が高い位置にあり、大きな下反角がつけられた点が特徴。 さらばオジロワシ百里航空祭のファントム祭り2018年12月3日 おたくま経済新聞 / 2018年12月2日、航空自衛隊百里基地で恒例の航空祭が行われました。 垂直尾翼に描かれたオジロワシのマーキングで有名な第302飛行隊は、F-EJ改ファントムIIによる最後の航空祭。 F-35に機種改変の際には別のマーキングが採用されるため、飛行隊ではオジロワシをフィーチャーした特別塗装機を2機用意。 オジロワシとの別れを惜しむファンたちの目を楽しませました。 …(略)… 航空自衛隊のF-4飛行隊が集まる百里基地は、世界有数のファントムネスト(ファントムのすみか)として知られています。 このうち1974年に北海道の千歳基地で新編された第302飛行隊は、来年度からF-35Aの飛行隊として生まれ変わり、青森県の三沢基地に移動します。 現在「臨時F-35飛行隊」ではF-35の愛称「ライトニングII」にちなんで雷神の姿を部隊マークにしており、これが来年度第302飛行隊へ移行した際もその部隊マークが受け継がれることが予想されています。 ファントム、そしてオジロワシ最後の年を記念して、第302飛行隊では白と黒、2機の記念塗装機を用意しました。 …(略)… ファントムはベトナム戦争から湾岸戦争まで実戦に投入された、初飛行(1958年)から60年を経た機体。 航空自衛隊の他、ギリシャ空軍、エジプト空軍、韓国空軍、イラン空軍、トルコ空軍で配備・運用中。 日本では1968年11月、F-4E導入を決定。 1969年1月10日の国防会議でF-4E(104機)の導入を正式決定し閣議了承を受けた。 F-4EJ F-4Eから対地攻撃能力や空中給油能力を除去し、スクランブル発進時の加速力を重視して他国のF-4Eの持つ前縁スラットを省略した機体。 1971年7月25日に2機(1・2号機)を完成輸入。 続く11機(3~13号機)を三菱重工業でノックダウン生産。 127機(14~140号機)をライセンス生産により国産とした。 1981年5月20日に最終140号機で納入完了。 F-4のライセンス生産が行われたのは日本のみ。 F-4EJ改 F-4EJ国産機の機体寿命延長と能力向上を目的とした改修を行った機体。主な改修点・兵装システムの統合とASM-1/ASM-2空対艦ミサイル運用能力の獲得。・無誘導爆弾による対地攻撃能力の付与・レーダーの換装で、目標探知距離を80nm (148km) まで延伸・ ルックダウン・シュートダウン能力の改善・AIM-7Fスパロー空対空ミサイルの運用能力を付与・レーダー警戒装置(RWR)をJ/APR-6に更新 CRTによるデジタル式表示に換装・デジタル式のJ/ASN-4に更新・IFF誰何装置をAN/APX-76Aに更新・AN/ASC-26 光学照準機をカイザー社製HUD(ヘッドアップディスプレイ)に変更。・レーダーディスプレイの変更・AN/ALQ-131(de)ECMポッドの搭載能力の追加・スロットルレバーにHOTAS概念の導入。
2018年12月10日
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戦略核兵器である水爆の最大の欠点(利点)は、破壊力が大きすぎて簡単には使えないこと。 威力が小さく、破壊力が限定される核兵器ならばもっと気楽に使える? 米国新型核爆弾「B61-12」の殺傷力が史上最悪すぎる…!オバマのノーベル平和賞はどこへやら核戦争に一直線!2017.09.28. TOCANA 2017年8月8日、米国ネバダ州のネリス空軍基地からF-15戦闘爆撃機が飛び立った。 B61核爆弾の改良バージョンであるB61-12核爆弾の開発試験のためである。 このB61-12だが、開発段階から数々の物議を醸している、まさにいわく付きの核爆弾である。 トランプ政権発足以来、B61-12の開発スピードに拍車がかかっており、各界の専門家が警鐘を鳴らし続けている。 何かとキナ臭い話がはびこる昨今の世界情勢だが、その原因のひとつに間違いなくB61-12の開発が挙げられるだろう。 今回はこの悪魔的な性能を持つ核兵器について紹介したい。 ■史上最悪の核兵器は史上最高の精度を誇っていた! B61-12はこれまでに生産された最も危険な核兵器といわれている。その理由として真っ先に挙げられるのは、この兵器の持つ驚異的な精度である。 現存する米国の核爆弾は、CEP(平均誤差半径)が110~170mであるのに対して、B61-12のCEPはわずか30mだ。 この精度を担保しているのは、GPS、レーザー誘導機能、そしてB61-12自体に備え付けられた垂直尾翼だ。 この尾翼によりB61-12はまるで飛行機のように自身の飛行経路を修正しながらターゲットへと正確に接近し、着弾する。 一般的に、兵器の精度が2倍になれば威力が8倍になったのと同等の殺傷力を得られるという。 つまり、精度が2倍に上がれば、兵器自体の火力は1/8に下げても、精度が上がる前と同等の殺傷能力を確保することができることになる。 B61-12は史上最も殺傷性の高い兵器と謳われているが、それ自体の持つ核出力(核爆弾の威力)は特筆すべきものはない。その必要はないからである。B61-12はその驚異的な精度により、確実にターゲットを撃滅する。 ■今後は核兵器の使用が現実的な選択に入る B61-12は、TNT爆弾300トン~5000トン分相当の核出力の間で調整可能だ。 TNT爆弾300トン相当というと、かつて米軍により広島に投下された「リトルボーイ」の約2%の核出力である。 …(略)… 大規模な核戦争は、敵だけでなく生き残った人類全てにとって害悪であるということは、各国の首脳に理解されている。 B61-12は威力が小さく、ピンポイントの攻撃能力を備えている。 小さければまあ仕方ないかと、日本以外の多くの国は考えているようだ。 ベルギーは次期主力戦闘機導入の選定にあたり、戦術核兵器搭載能力を要件としたようだ。 ベルギーがF-35導入の意義は?日本も他人事ではないその決定をどう読み解くべきか竹内 修(軍事ジャーナリスト) 2018.10.31 乗りものニュース …(略)… ベルギーとドイツ、イタリア、オランダは、NATOが核兵器を使用する際、独自の核兵器を持たない加盟国が核兵器の使用計画に参加する核抑止政策「ニュークリア・シェアエリング」(核兵器の共有)に参加しています。 参加国はアメリカ軍の所有する「B61」核爆弾を自国内に備蓄し、有事の際にはアメリカの許可を得た上で、自国の戦闘機にB61を搭載して使用することとなっており、ベルギー空軍のF-16AM/BMはB61核爆弾の運用能力を備えています。 ベルギー空軍の新戦闘機計画に応募した4機種のうち、「グリペンNG」とユーロファイター「タイフーン」は核兵器の搭載能力を備えていません。 ラファールはTN81核弾頭を搭載する空中発射型巡航ミサイル「ASMP」の運用能力を備えていますが、B61核爆弾の運用能力はありません。 …(略)…
2018年12月06日
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私は航空マニアではないが、F-106デルタダートが好きだ。 昔の子どもはデルタ翼のジェット戦闘機を書いたものである。 速そうでカッコいいじゃないか。 F-106デルタダートは米国のコンベア社が開発したアメリカ空軍の戦闘機(要撃機)。 時は東西冷戦下、対核戦力先制攻撃や核攻撃に対する報復攻撃が真剣に考察される情勢だった。 世界初の実用デルタ翼戦闘機であったF-102は、ソ連爆撃機を迎撃する目的で開発され、高い高速性と上昇能力を要求された。 大出力エンジン開発に難渋し、とりあえずF-102Aを開発・採用。 その後より高性能なF-102Bを開発。 そして超音速飛行により相応しい全体の形状のエリアルールを当初から採用した機体として開発されたのがF-106デルタダート。 1956年12月、初飛行。 F-106は1954インターセプター計画として始まったソ連戦略爆撃機に対する防空管制システムと連携した迎撃機開発計画から始まった。 F-22×1万機でも届かぬ 史上最強戦闘機F-106「デルタダート」 飛ぶのは人類最後の日! 関 賢太郎(航空軍事評論家) 2018.08.21 乗りものニュース …(略)… 数ある最強候補のなかにあって、ひときわ輝くコンベアF-106「デルタダート」という機種をご存知でしょうか。 日本では同世代機であるF-104J「スターファイター」やF-4EJ「ファントムII」が航空自衛隊で活躍していますが、F-106はよほどの航空マニアでないと名前すら聞いたことが無いかもしれません。 F-106はアメリカ空軍のみが採用、その主要任務は防空管制システムと一体となり地上から自動操縦指令を受けて飛行、冷戦期を通じアメリカ本土を守ることにありました。 1988(昭和63)年の退役から今年で30周年を迎えた過去の機種ではあるものの、現代のF-22やF-35さえ上回っていたとさえ断言できる最強の能力を持っていました。 …(略)… 最強のワケはその装備、目には目を! F-106が最強たるゆえんは、その主力搭載兵装であるAIR-2「ジーニー」空対空ロケットにあります。 …(略)… F-106のAIR-2は誘導装置を持っていないため、「空対空ロケット」ではあっても「空対空ミサイル」とは言えません。 しかし空対空攻撃用の兵装としては破格の、実に爆薬150万0000kg相当の弾頭が内蔵されていました。 これはAIM-120空対空ミサイル8万3333発ぶんにほぼ匹敵する威力であり、AIM-120を8発搭載可能なF-22が1万機同時に全弾発射してもなおF-106が発射したたった1発のAIR-2を上回ることができません。 この桁違いなAIR-2の高威力。 皆さんきっとおわかりでしょう。 AIR-2の弾頭は「核」です。 F-106はこのAIR-2を積んで実戦配備されていたという点において、まさに最強の戦闘機といえる存在でした。 …(略)… 機首部にはMA-1AWCSを搭載。 MA-1AWCSは半自動地上管制迎撃システム (SAGE) と完全にデータリンクした当時としては先進的システム。 F-106の自動操縦システムと連携して、追跡、または見越し衝突コースでの自動迎撃を可能とした。 ここでAIR-2をぶっ放せば百発百中。 だがAIR-2が採用された戦闘機が現在無い。 なぜか? 米ソ、米ロ中は、核戦争を引き起こすと誰の得にもならないことを理解したからだ。 米ソは核戦争の防止に共通の利益を見出すようになり、ヨーロッパにおける相互の勢力圏を尊重するようになった(デタント)。 ソ連がロシアになった後、1991年に第一次戦略兵器削減条約(START I)を調印。 1993年、第二次戦略兵器削減条約(START II)を調印。 着々と核兵器を中心に戦略兵器は減らされた。 F-106に搭載されたAIR-2は現代では無益な強さ。 最強も最悪もたいして違いがない。 空対空核ロケット弾が炸裂しなかったのは、人類にとって「幸い」以外の何ものでもない。 F-106は1970年代から米空軍を徐々に退役し、空軍州兵に移管された。 1988年空軍州兵からも全て退役した。
2018年12月05日
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ガス電から生まれた各社とその後。■日野自動車1946年(昭和21年) 日野重工業が日野産業に改称。1948年(昭和23年) 日野ヂーゼル工業に改称。1959年(昭和34年) 日野自動車工業に改称。 ■いすゞ1949年(昭和24年) ヂーゼル自動車工業がいすゞ自動車に改称。 ■日立航空機1949年(昭和24年) 日立航空機、企業再建整備法により第二会社として 東京瓦斯電気工業株式会社(第2次)を設立。 東京瓦斯電気工業に改称。 日立航空機は、第二次世界大戦まで軍用航空機、及び航空機用エンジンの製造を行っていた。 航空機は三式初歩練習機(89機)、九三式中間練習機(1,400機)、二式初歩練習機(61機)、零式戦闘練習機(279機)を製造。 エンジンは金星43型、天風11/12/15/21/31型初風11型、ツ11、ハ12/13/13甲/26/42/112を製造。 ■コマツゼノア(小松製作所100%子会社)1953年(昭和28年) 東京瓦斯電気工業と富士自動車(旧・日造木工)が 合併し、富士自動車となる。1962年(昭和37年) 富士自動車、小松製作所と業務提携。1972年(昭和47年) 富士自動車、大日本機械工業と合併しゼノアに改称。1979年(昭和54年) ゼノア、小松部品と合併し小松ゼノアに改称。2007年(平成19年) 農林機器部門を株式会社ゼノアとして分社しハスク バーナに売却。 小松フォークリフト株式会社と合併してコマツユー ティリティ株式会社となる。 ゼノア沿革 ゼノア公式サイト ■森精機製作所2002年(平成14年) 日立精機が経営破綻。 全事業を森精機製作所(現・DMG森精機)の子会社 である森精機興産に譲渡。 森精機興産は社名を森精機ハイテックに改称。
2018年12月05日
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ガス電は、自動車製造と平行して航空機用エンジン、機体を製造していた。 1918年(大正7年) 日本国内の民間初の航空機用エンジン、ダ式一〇〇 馬力発動機(ダイムラーの航空機用水冷直列6気筒 100馬力ガソリンエンジンのライセンス生産品)完成。1920年(大正9年) ノーム・エ・ローヌ(ノーム・ローン)社よりロ式 八〇馬力発動機とロ式一二〇馬力発動機の製造権を 取得、ライセンス生産を開始。1922年(大正11年) ベ式一三〇馬力発動機の生産を開始(鹵獲機のBMW エンジンのコピー)。1928年(昭和3年) 航空機用国産エンジン「神風」を開発。1933年(昭和8年) 小型旅客機 KR-1の生産。 ■航研機1938年(昭和13年) 東京帝国大学航空研究所設計の航研機を組立て、 周回世界長距離飛行記録樹立に貢献。■日立1939年(昭和14年) 航空機部が日立航空機として独立。 造機部門は日立精機(1936年設立)に継承。
2018年12月04日
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■乗用車1934年(昭和9年) 菊1号乗用車の3軸6輪車モデルがちよだHS型となり、 国産初の軍用乗用車、九三式六輪乗用車として 制式化。 後四輪には履帯を付けて不整地走行可能。1936年(昭和11年) 九三式六輪乗用車を2軸4輪化したちよだHF型を 追加。 これが九三式四輪乗用車となり、HS型と共に月産 80台程で量産。1937年(昭和12年) 瓦斯電と自動車工業(石川島+ダット)が合併し東 京自動車工業株式会社が誕生。1941年(昭和16年) ヂーゼル自動車工業に改称。 ■日野自動車1942年(昭和17年) 日野製造所(旧瓦斯電自動車部)が分社して日野重 工業となる。 日野重工業は九七式中戦車を生産した。1946年(昭和21年) 日野産業に改称。1948年(昭和23年) 日野ヂーゼル工業に改称。1959年(昭和34年) 日野自動車工業に改称。 日野製造所が星子勇ら瓦斯電系出身の技術者を主軸とした製造拠点であったことから、日野自動車では瓦斯電を発祥としている。 HINO沿革 日野自動車公式サイト 設立までの経緯1910年(明治43年) 東京瓦斯工業株式会社(当社の前身)設立1913年(大正2年) 東京瓦斯電気工業株式会社と改称1917年(大正6年) 自動貨車(トラック)の試作車を製作1918年(大正7年) 我が国初の自動車生産を開始1937年(昭和12年) 同社自動車部は自動車工業株式会社および共同国産 自動車株式会社と合併し東京自動車工業株式会社を 設立1941年(昭和16年) ヂーゼル自動車工業株式会社と改称 設立以後の沿革1942年(昭和17年) 同社の日野製造所は独立して日野重工業株式会社と なり、軍用装軌車を生産開始 …(略)… ■いすゞ1949年(昭和24年) ヂーゼル自動車工業がいすゞ自動車に改称。
2018年12月04日
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沿 革1910年(明治43年) 東京市麹町区有楽町に東京瓦斯工業として設立。1911年(明治44年) ガス器具の製造を目的に本所区業平町に工場を建て 操業開始。同時に本社も有楽町から業平橋に移す。1913年(大正2年) 電気器具の製造も兼業するよう定款をあらため 東京瓦斯電気工業に改称。1914年(大正3年)第一次世界大戦勃発。 大阪砲兵工廠の指導を受け信管を大量生産。 軍需生産終了後、諸計器類や発動機の設計生産を 開始。 ■いすゞ創業 いすゞは起源をガス電におき、その沿革で下記のように記している。「当社は昭和12年の創立ですが、その前身は、株式 会社東京石川島造船所、東京瓦斯電気工業株式会 社、ダット自動車製造株式会社のいわゆる国産3 社で、現存自動車メーカー中では最古の歴史をも っています。」 出典:いすゞ公式サイト 1916年(大正5年) (株)東京石川島造船所、東京瓦斯電気工業(株) (当社の前身)自動車製造を企画。■星子勇1917年(大正6年) 業平町工場が手狭になり大森工場を建設中に陸軍大 阪砲兵工廠から軍用正式四屯自動貨車5台の試作勧 奨を受け、詳細図面、材料、素型材、試作費まで支 給(發動機製造(ダイハツ)、川崎造船所(川崎重工) などと同条件)された。 当時輸入車ディーラー最大手でボディ架装で実績の あった日本自動車会社の星子勇(商工省の自動車 研修生として米英で3年学ぶ)を自動車部長に招聘。1918年(大正7年) 大森工場完成と同時に軍用正式四屯自動貨車の試作 を開始。1919年(大正8年) 星子の設計した四屯自動貨車5台が完成。 軍の試験にも合格した。 同時期に、米リパブリック(同名の航空機会社とは 無関係)製トラックを参考にした直列4気筒4.4 L 30 psガソリンエンジン搭載のTGE-A型が完成。 「軍用自動車補助法」の資格検定試験に出願し合格。1930年(昭和5年) 新設計のTGE-L型、後2軸をウォームギヤ駆動する 6輪2t積のTGE-N型、翌年には1t積4輪ブレーキ付き のTGE-O型が完成。 ■いすゞ1931年(昭和6年) TGE-MP型トラックが宮内省に買い上げられたのを記念 して千代田城にちなみ、翌年のTGE-N型から車名を 「ちよだ」とする。 同年、商工省標準形式自動車(後のいすゞTX40)の試 作に参加。 TXは、いすゞ自動車が1947年-1979年にかけて製造・販売していた3.5-6.5t積みトラックのシリーズ。 1937年(昭和12年) 瓦斯電と自動車工業(石川島自動車製作所+ダット自動車製造)が合併し東京自動車工業株式会社が誕生。 同年TX40改良。 更に軍用幌型ボディーと34x2タイヤを装着し九七式四輪自動貨車として陸軍に制式採用された。 「いすゞ自動車の歴史とディーゼルエンジン」 講師:高原正雄■ダット自動車、日産自動車 ダット自動車製造(株)は、1931年(昭和10年)に鮎川義介社長の戸畑鋳物の傘下企業になっていた。 小型車部門と「ダットサン」の商標は、同1933年(昭和12年)に戸畑鋳物および「日本産業株式会社」の共同出資で設立された「自動車製造株式会社」(1934年に日産自動車株式会社」と改称)に継承された。
2018年12月03日
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ガス電は日本の内燃機関の根っ子にある企業。 ガス電の歴史は同系で統合することのない分散・分社化の歴史。 ディーゼル・エンジンの雄、商用大型車の二大メーカーである「いすゞ」と「日野自動車」の大本が「ガス電」。東京瓦斯電気工業出典:Wikipedia 東京瓦斯電気工業(とうきょうがすでんきこうぎょう、Tokyo Gas Electric Engineering Co.,Ltd. 、TGE)は、大正~昭和初期に鉄道車両、自動車、航空機、その他を手がけた機械製造会社。 航研機を組み立てた航空機メーカーでもある。 いすゞ自動車、日野自動車、ゼノアの前身で、小松製作所やDMG森精機にも事業の一部が引き継がれている。 略称瓦斯電(ガスデン)。 ■沿革 発足は1885年(明治18年)東京府から瓦斯局の払い下げを受けた「東京瓦斯会社(後の東京ガス)」の機械部門が1910年(明治43年)に独立してガス器具製造から始まり、砂型鋳物の技術から発展してエンジンなどの鋳鋼製品に進出した。 関東大震災後の復旧に際して、横浜市電 500形も製造した。 ■東京のガス事業の始まり 日本で最初の西洋式ガス灯は1871年(明治4年)大阪府大阪市の造幣局周辺。 1874年(明治7年)12月18日に、金杉橋から京橋までの銀座通り沿いに85基のガス街灯が灯った。、東京におけるガス事業の誕生。 公営であった東京のガス事業は、後に初代の社長となる渋沢栄一の手腕により発展し、1885年(明治18)年に民間会社「東京瓦斯会社」となった。 大正初期に電球の技術革新され、昭和のはじめには東京の街中よりガス燈は姿を消した。
2018年12月03日
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世界最強の戦闘機、戦車は数多くある。 実戦を経なければどれが強いのかは分からないし、数多く実戦を経ても「絶対に最強」は決まらないことが多い。 実戦で、これは「ダメだ」ということはハッキリする。 米海兵隊F-35B、地味に初実戦をこなす明暗分かれる歴代名/迷戦闘機のデビュー模様2018年10月24日 乗りものニュース 新兵器の投入が戦況を覆すというのは、フィクションではよく見られる筋書きですが、実際のところはどうでしょうか。 歴史に名を残す戦闘機のデビュー戦を見てみると、やはり名を残すだけあって相当のインパクトを与えたものも見られます。 鳴り物入りのF-35やや地味な実戦デビューを果たす アメリカ海兵隊は2018年9月27日、海兵隊に所属するF-35B戦闘機がアフガニスタンで、反政府武装勢力のタリバンに対する攻撃を行なったことを明らかにしました。 …(略)… イスラエル航空宇宙軍は2018年5月22日に、同軍のF-35A'(イスラエルでの呼称はF-35I)を実戦に投入したと発表しています。 同軍はそれ以上の詳細を明らかにしていませんが、シリアで活動するイスラム原理主義武装勢力に対する攻撃を行なったものと見られており、これでまだ実戦部隊での使用が承認されていないF-35Cを除く2種類のF-35が、実戦デビューを果たしたことになります。 アメリカ海兵隊のF-35B、イスラエル航空宇宙軍のF-35Aとも、高性能戦闘機との空対空戦闘や、レーダーや地対空ミサイルが多数配置された国家に対する地上攻撃ではなく、武装集団相手の地上攻撃という、やや地味な形での実戦デビューとなりました。 …(略)… 地味なのはまだマシデビュー戦の不名誉な記録 アメリカが開発したF-22は、いかなる戦闘機に対しても空対空戦闘で負けないことを目的に開発された戦闘機で、開発を担当したロッキード・マーチンはF-22に対して「Air Dominance(航空支配)」というキャッチフレーズを与えていますが、2018年10月の時点で一度も空対空戦闘を行なっていません。 F-22の初の実戦は2014年9月に行なわれた、イスラム原理主義武装勢力「ダーイシュ」(ISIS)に対する精密誘導爆弾による爆撃で、ほかヨーロッパのユーロファイター「タイフーン」とダッソー「ラファール」、ロシアのSu-34も、イスラム原理主義武装勢力に対する地上攻撃で実戦デビューを果たしています。 一方で、20世紀に実用化戦闘機のほとんどは国家間の大規模紛争で実戦デビューを果たしていますが、デビュー戦の結果が芳しくなかったため、評価が急落してしまった戦闘機も少なくありません。 イギリス、ドイツ(当時は西ドイツ)、イタリアの3ヵ国が1970年代に共同開発したパナヴィア「トーネードIDS」は、1991(平成3)年の湾岸戦争で実戦デビューを果たしていますが、イタリア空軍のトーネードは、イタリアを出発した16機のうち14機が空中給油に失敗してイタリアに引き返し、かろうじて到着した2機のうち1機もイラク軍に撃墜されて乗員が捕虜になるという、なんともしまらないデビュー戦となってしまいました。 またイギリス空軍の「トーネードIDS」も、対地攻撃で少なからぬ戦果を上げてはいますが、低空を飛行して爆撃するという運用を行なったため、イラク軍の対空砲火により6機が撃墜されるという、苦い実戦デビューを果たしています。 踏んだり蹴ったりのMiG-29 …(略)… F-35はやや地味なデビューと表現しているが様々な任務が可能なJSF(統合打撃戦闘機)らしいデビュー戦という見方もある。 レシプロ戦闘機では米・ベルP-39エアラコブラは米英で散々な評価だった。 レンドリースで生産機数の52%がソ連に渡った。 ソ連では大好評だった。 米英は高高度性能が不足し、鈍重な動きが不評だった。 ソ連では対地支援任務を主とし、低空域での空戦がメインだった。 ドイツ戦闘機との空戦において十分対抗できたとされて、多くの有名エース・パイロットを生んでいる。 ただし、ソ連軍では機動性を優先し、翼内機銃やガンポッドを撤去し軽量化して、機首武装(37mm機関砲をソ連製の20mm B-20に換装した機体もあった)のみで運用された。 兵器は道具であり、使いようで評価は変わり得る。
2018年12月01日
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2018年9月28日F-35B墜落事故発生。 F-35は2006年、初飛行。 2015年、STOVL型F-35Bが海兵隊において実戦配備。 2018年までに通常離着陸型F-35A、艦上戦闘機型F-35Cと合わせて300機が生産され、20万飛行時間無事故の記録を達成していた。 世界のF35全機を飛行停止米南部での墜落受け検査2018年10月12日 共同通信 米軍は11日、最新鋭ステルス戦闘機F35が9月に墜落したことを受け、各国の米軍基地と同盟国が保有する全てのF35について、検査のため一時飛行停止の措置を取ったと発表した。 米メディアが伝えた。日本の航空自衛隊もF35を配備している。 米南部サウスカロライナ州で9月末、F35の運用開始以降初めての墜落事故が発生。 初期調査の結果、エンジン内部の燃料管に欠陥の可能性が見つかり、全機を48時間以内に検査するという。 部品に問題があれば交換し、問題のない機体は飛行を再開する。 墜落事故の調査結果を受けて全機飛行停止して点検を義務付けた。 原因の一つは分かったということらしい。
2018年12月01日
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KYB、カヤバ、萱場製作所は航空機部品だけでなく航空機(オートジャイロ)を開発・製造していた。 オートジャイロは、ジャイロコプターやジャイロプレーンと呼ばれる回転翼航空機。 揚力を発生させるのは固定翼ではなく回転翼。 ヘリコプターは動力によって回転翼を直接回転させる。 オートジャイロの回転翼に駆動力は繋がっていない。 オートジャイロの回転翼は、何らかの推進力で機体が前進して生じる気流を下前方から受けて回転する。 この回転により揚力が生じる。 萱場製作所の創業者、萱場資郎は、ジェット機時代の到来を想定し無尾翼ジェット機の試作に関心を寄せていたとある。1940年2月、陸軍は米国製オートジャイロケレット KD-1Aを事故で中破。 陸軍技術本部が気球に替わる弾着観測機として、 航空本部から破損機を譲り受け、同年11月に萱場 製作所に修理を依頼。 1941年4月に修理が完了し、5月26日、玉川飛行場に て飛行。 同年5月、技術本部はこれを原型とした国産型2機 (原型二号機と三号機)の製作を、萱場製作所と 神戸製鋼所に依頼した。1942年12月、萱場製作所・仙台製造所にてオート ジャイロの生産開始。 仙台製造所は零戦や紫電改の油圧緩衝脚(オレオ) を製作した事業所。1943年始め、完成し初飛行。 機体は萱場製作所製で、エンジンと駆動装置は神戸 製鋼所製。 萱場製作所は、日本陸軍「カ号観測機」採用されたオートジャイロを製造した。 陸軍は弾着観測、海軍は対潜哨戒を行った。 改造された対潜哨戒機型のカ号は、爆雷を積載して いない時は通常の複座機として運用できた。 偵察、連絡任務も行った。 機体構造 胴体、垂直尾翼、方向舵は鋼管骨組に羽布張り 水平尾翼は木製骨組に羽布張り 昇降舵は無し 水平尾翼は左右が逆キャンバー(反り)で、プロペラ から発生するトルクの相殺をはかった。 回転翼(ローター)は鋼管桁に合板張りの3翅。 プロペラは木製固定ピッチ2翅。 カ号観測機諸元 ローター折畳時全長: 6.680 m(一型) 全幅:3.02m 全幅:10.60m(ローター含む) 全高:3.10m ローター回転直径:12.2m 自重:750 kg 全備重量: 1,170 kg エンジン:(一型) 神戸製鋼所製アルグス As 10C 空冷倒立V型8気筒 240 hp/2000 rpm(離昇出力) 200 hp(公称出力)(二型) 神戸製鋼所製ジャコブス L-4MA-7 空冷星型7気筒 245 hp/2200 rpm(離昇出力) 速度: 165 km/h 航続距離: 360 km 武装: 60 kg爆雷×1 乗員: 2名(爆装時は1名)
2018年11月22日
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航空機は機体・主翼を開発したメーカー名で呼ばれる。 構成部品は多いが、エンジン(発動機)の製造社名で航空機が呼ばれることはない。 カ号観測機は機体の開発が萱場製作所(萱場)製だから萱場カ号観測機。 エンジンは神戸製鋼製でも萱場の航空機。 【零戦の構成】 例として零式艦上戦闘機(零戦)をあげる。 開発は三菱重工業(以下「三菱」)。 製造は三菱に加え中島飛行機(中島)でライセンス生産。 総生産数の半数以上は中島製。 エンジンは中島の栄。 エンジンも機体も中島。 例え生産された機体が多数で、発動機が中島製でも、中島の零戦とは呼ばない。 零戦54型は三菱製の発動機なのでオール三菱。 発動機の「栄」は、石川島(現IHI)でも生産されている。 また、練習機型の生産は、長崎県の第21空廠や千葉県の日立航空機。 機体の素材のアルミニウム合金は住友金属(現在の新日鉄住金)。 脚は萱場製作所(現在のKYB)。 タイヤはブリヂストン他。 計器類は、東京計器、富岡光学(現在の京セラオプテック)、日本光学工業(現在のNIKON)他。 電装は東京芝浦電気(現在の東芝)。 まとめて「三菱」の零戦(ゼロ戦)。 設計には多数が係るが、設計者は堀越二郎。 三菱の堀越二郎が開発した零戦。
2018年11月21日
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プラスチック爆弾 手投げ弾などに使う普通の火薬とゴムを練合せたもので、外見がプラスチックに似ていることに因み名付けられた。 安定な爆薬で、信管を装置しなければ爆発しない。 そのため持運びが容易、さらに可塑性に富み、威力は TNT火薬なみに大きい。 第2次世界大戦中米軍が開発した。 工兵による敵の陣地、構築物の破壊などに用いられた。 現代では、特殊部隊からテロ組織、自爆テロまで必需品のように使われているそうだ。 守備堅固な建物の侵入、金庫破りなどでスパイ映画等でお馴染み。 名探偵コナンでもよく使われているが、国内で犯罪での使用例を私は聞いたことがない。 プラスチックを飲まされていた! 衝撃! 水と一緒にプラスチックも飲んでいた ペットボトル入りミネラルウォーターの真実 アリストス・ジョージャウ 2018年9月5日 ニューズウィーク日本版ペットボトル入り飲料水の9割にプラスチックが混入 市販のペットボトル入り飲料水は汚染されていないから安心して飲める――。 そんな消費者の信頼を裏切るような研究結果が報告された。 目に見えないプラスチック粒子が混入していて、水と一緒に飲み込んでいる恐れがあるという。 ニューヨーク州立大学フリードニア校の研究チームは報道NPOのオーブ・ディアから委託され、11の主要な国際ブランドのペットボトル入り飲料水259本を検査。 その結果、93%にポリプロピレン、ナイロン、ポリエチレンテレフタレート(PET)などのプラスチックが混入していることが分かった。 汚染物質はマイクロプラスチックと呼ばれる微小な粒子で、発生源は服や化粧品、包装材、プラスチック製品の劣化、製造工程などさまざまだ。 …(略)…
2018年11月10日
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過酸化アセトンは有機過酸化物の一種で高性能爆薬として使用される。 アセトン、過酸化水素水、塩酸、硫酸など薬局で買える薬品で製造できる爆薬として、テロリストに重宝されている。 過酸化アセトンは衝撃、炎、熱などを加えられると容易に爆発するため、アマチュア爆弾マニアにより雷管(信管)として使用されることがある。 2005年のロンドン同時多発テロ、2015年11月13日のパリ同時多発テロ事件、2016年3月22日のブリュッセル連続テロ事件などでも使用された。 結晶性が良いために、生成した結晶をそれとは知らず不用意に取り扱うことで実験室で爆発事故を起こし指肢の切断や失明などの重大事故を数多く招いている。 小麦粉の漂白剤、食品添加物としても使えるらしい。 高性能爆薬が手軽に作れるようになり便利な時代になったと思う者は少ないと信じたい。
2018年11月09日
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技術の進歩により旋盤、ボール盤、フライス盤などなくとも、樹脂で銃器が製造可能になっている。 2013年5月5日、米国のNPO、Defense Distributedが3Dプリンタ製拳銃、リベレーターを発表。 撃針を除く全ての構成部品を通常の3Dプリンタ用プラスチックインクによって製造することが可能。 使用弾薬は「380ACP弾」で装弾数は1発。 Defense Distributed は「誰でもダウンロードして3Dプリンタで再現できる使用に耐えうるプラスチック製の銃」の設計図を製作し、無料で公開することを組織の目的としている非営利組織。 そのことについて、全米ライフル協会(NRA)は支持していないが反対するパブリックコメントや行動は行なっていない。 米国銃所有者協会(GOA)は遠回しに支持している。 米南部テキサス州の非営利団体が2018年8月1日から3Dプリンターを使ってプラスチック製の銃を製造する方法をインターネットで公開することを発表。 米シアトル連邦地方裁判所は7月31日、公開の差し止め命令を下した。 銃犯罪の防止を訴えるグループなどは反発し、公開をやめるよう求めている。 2018年8月25日、愛知県名古屋市緑区の大学1年の男子学生(19)が 高い殺傷能力を持つ高性能爆薬「過酸化アセトン(TATP)」を製造したなどとして、爆発物取締罰則違反などの容疑で逮捕された。 学生の自宅から、3Dプリンターと拳銃の形をしたプラスチックの塊を県警が押収していたことが報道された。 撃針はなかったものの、3Dプリンターを使って拳銃を製造しようとしたとみて調べている。 家庭で銃が作れるようになり、便利な時代になったと思う者は少ないと信じたい。
2018年11月09日
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正面装備ばかりにこだわる自衛隊3軍は、補給・兵站が旧軍からの「伝統」もあり軽んじられてきた。 オスプレイも早々手に入れることを決め、島嶼への上陸作戦の装備は着々と整えられつつある。 資産(正面装備)を重視し、経費(人件費、武器を含む消耗品)をケチってきた。 弾が足りないことなど先刻ご承知、周知の事実である。 これを重大な事実のようにいまさら公開する意味はただ一つ。 軍拡。 【防衛オフレコ放談】 尖閣有事で「弾切れ」の恐れ 極秘シナリオから浮かび上がる 防衛戦略の「重大な欠陥」 2018年9月24日 産経ニュース 中国の高圧的な海洋進出を受け、尖閣諸島(沖縄県石垣市)が占拠される恐れが強まる中、陸海空3自衛隊の統合運用による対処力の強化が待ったなしの課題となっている。 防衛省が極秘に検討した有事シナリオでは中国軍が尖閣諸島のみならず、石垣・宮古両島にも同時に侵攻してくる事態を想定。 そのとき懸念されるのが自衛隊の継戦能力で、現状では「弾切れ」になりかねない。(社会部編集委員 半沢尚久) …(略)… 自衛隊がふたこすり半で果ててしまうという重大な欠陥を世間に晒した意図は大まかに3つ。 トランプ大統領のお勧めの軍事費の枠拡大。 水陸両用戦機能の充実(米海兵隊の補完)。 機動力確保の名の下に(過去から不足していた) 補給機能の充実。 自衛隊(各国軍隊)のマッチポンプ作戦。 重大な危機を訴え予算を獲得する作戦。 このシナリオには少子高齢化で不足する隊員、減少する国家予算は織り込まれていない。 オスプレイ、今秋の納入延期 …配備先の整備難航 2018年9月24日 読売新聞 山口県阿武町長 イージス・アショアの配備反対を明言 :住民の会代表「感激した」 2018年09月20日 スプートニク
2018年11月08日
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F-4ファントムが退役し、F-35がそれに変わる。 航空自衛隊はF-15の後継機としてF-22を導入候補に挙げている。 F-4の後継機選定時も候補だったが、、ステルス技術や電子機器類といった高度技術流出の懸念が強まり、米議会で輸出禁止措置が正式に決定しF-35になった。 F22、米国が日本提供に「開発能力失わせ一挙両得」と中国メディア 韓国紙は「技術移転の差」嘆く 2018年8月31日 Record china 2018年8月31日、米国が日本に最強とされるステルス戦闘機「F-22」提供を検討、との報道に中国と韓国のメディアが注目している。 中国メディアは「日本に独自開発する能力を失わせることができるため、一挙両得」と指摘。 韓国紙は「韓国への先端技術移転には消極的だったのに」と日本との格差を嘆いている。 …(略)… F-22をめぐり、日本メディアはこのほど、「ロッキード・マーチン社がF-22を主体とする新型戦闘機の開発・製造において、日本の分担比率を50%以上とする案を提示した」と報道。 日本も「空自の主力機F2の後続戦闘機として、F-22改良型戦闘機を導入する案を積極的に推進している」と伝えた。 …(略)… 日本は、F-15のFXとしてF-15のアップデート版は買わない 一方米国は、高価な主力戦闘機F-22を維持するためにはより安価な部品の製造のためにも完成機の量産が行われている方が有利。 しっかり機密の守れる同盟国であるイスラエルと機密管理は怪しいが、けっして米国に盾突くことがなく高い買い物をしてくれる金満な日本ぐらいならF-22を出しても良いと考えたのだろう。 米軍事産業のための打出の小槌、日本 韓国ステルス戦闘機KFXの功罪 ―中国メディア 2018年7月18日 Record china
2018年11月01日
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配管や継ぎ手の悪かった大日本帝国の戦闘機は、搭乗すると潤滑油で汚れることが常態だった。 米独の航空機をテストして、潤滑油漏れのないことに感心した記事もある。 大馬力の航空エンジンは、潤滑油自体の性能も高いことが求められた。 潤滑油 出典 Wikipedia 概要 油は分子量が大きく、液体としては水などに比べ粘性が高く皮膜が丈夫で、物体間の摩擦を軽減させる。 このため多くの機械装置の潤滑には油が利用される。 また機械装置に利用する上では、電気的性質が中性で金属の錆(酸化)を誘発させないなど都合がよい。 絶縁の性質も強いものが多い。 …(略)… こういった油の多くは、特に機械装置内を潤滑する場合に於いて長期間粘度が変わらないことが求められ、そのためには酸化し難いことや温度変化で極端に粘性が変化しないことなどが求められる。 特に内燃機関では高温の環境下で変質したり燃焼しないよう、高い沸点のものが利用される。 また難燃剤や添加剤などを加え、沸点を押し上げることも行われるが、この添加剤によっては有害なものもあり、注意が必要である(カドミウムなど)。 高回転、大馬力のエンジンは高性能な潤滑油を要求する。 中島飛行機の「誉」がそれに該当する。 高性能な潤滑油は、粘性が長期間保たれること、温度による粘性の変化が少ないこと、酸化しにくいことなどが求められる。 高性能な潤滑油はオクタン価の高い航空ガソリンと同様、対戦相手の米国にあった。 大日本帝国には作る技術がなかった。
2018年10月31日
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航空機、特に多発機は、多数の計器類を監視することが必要だった。 レシプロエンジンでもジェットエンジンでも、三発機、四発機などは、機器類が多く機長と副操縦士だけではすべての機器を監視することが難しいため航空機関士がおかれた。 基本的な任務は、発動機、与圧装置、燃料系統、空調装置、油圧系統、電気系統等、各システムの操作・監視、並びに燃料・重量計算、離陸速度・着陸速度の計算等。 より具体的には、複数ある燃料タンクに搭載している燃料をどの順番で使うか、機内のエアコンはどうするか、燃料の残量も勘案し離着陸重量を計算して着陸速度を算出するなどの仕事があった。 また、操縦士がスラストレバーを操作した際に、エンジンの回転数などを確認して個別に出力の微調整を行う仕事もあった。 このため、航空機関士の乗務する航空機では、スラストレバーは航空機関士からも手が届くようになっており、航空機関士用のグリップも装備されていた。 航空機が大型化と制御すべき機器・スイッチ類が増加。 遂に747-220で「コックピットが無数の計器に覆われた状態になり、限界を迎えたのだろう。 一方、次第に機器の信頼性が向上しエンジンのバラツキなどは減っていった。 また多数あった計器、警告灯類を廃止し、グラス・コックピット化で集中表示ディスプレイでエンジン計器・乗員警告システムなど、必要なときに必要な情報の表示を行うことが出来るようになった。 エンジンの出力調整やその他の各システムも自動制御、統合された制御が可能になった。 世間が知る画期は、ボーイング747-400、ハイテクジャンボの登場。 以後生産されるB747から航空機関士が不要、外見は同じ機種で3人乗務が2人乗務となった。 現在でも航空機関士が乗務する旅客機に、ボーイング747の300型以前のモデル、ボーイング727、DC-10などで機体の寿命次第で減少する一方。 新たに航空機関士が必要な民間機が登場することはないと思われる。 軍用機では2人乗務が可能であっても緊急時に対応するため航空機関士をあえて残しているものもある。
2018年10月29日
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■消防防災ヘリコプター 消防防災ヘリコプターは、消防活動(空中消火)・救助活動(山岳、火災、水難救助)、航空救急、情報収集などの任務を担う。 東京消防庁と政令指定都市の消防局、道県、総務省消防庁が所有する。 ■防災ヘリの運航・整備の民間委託 本田航空は、国内に配備されている防災ヘリコプターの運航を、初めて民間の航空会社で受託した。 埼玉県が機体を購入、各市町村の消防本部が隊員を派遣、本田航空が運航と整備を担当。 この運航方式が、防災ヘリコプターの普及とともに全国に広がった。 本田航空は、埼玉県と栃木県の防災ヘリコプターの運航を担当。 防災ヘリコプターの運航 本田航空株式会社 ■東京消防庁の消防防災ヘリコプター 日本最大の消防組織である東京消防庁は、ヘリコプターを運用する、東京消防庁航空隊を設置している。 操縦士、航空整備士を含む隊員は東京消防庁の職員。 操縦士は消防学校を卒業して消防署勤務経験のある消防官の中から事業用操縦士の免許を取得した者。 操縦士や整備士資格者として採用されて消防署勤務等を必ず経験する。 ■防災ヘリの管轄外の対応 防災ヘリが導入されていない地域(沖縄県)は、自衛隊が任務を代行する。 海上での消防防災活動は海上保安庁が担当する。 ■海上自衛隊・救難飛行隊 航続距離等でヘリコプターが到達できず、固定翼機が離着陸できる空港のない離島は、海上自衛隊の救難飛行隊に災害派遣として業務が委託される。 第31航空群隷下の第71航空隊がUS-1A、US-2救難飛行艇を装備している。 岩国航空基地と厚木航空基地に分散して救難待機(第2待機では2時間以内に救難機に搭乗して出動できる態勢)についている。 ■航空自衛隊・航空救難団 危険性が高い場合、航空自衛隊の航空救難団に対し災害派遣として業務が委託される。 航空救難団は、航空総隊に所属する航空自衛隊の捜索救難(航空救難)の中核を担う組織。 隷下に10個の救難隊と4個のヘリコプター空輸隊が、全国の主要な航空自衛隊の基地に配置されている。 ■災害対策用ヘリコプター 国土交通省は災害対策用ヘリコプターを保有する。 各地法整備局に配備される。 災害救助・復旧活動の情報収集活動を行い、救助や消火活動は行わない。 ■ドクターヘリ ドクターヘリは、救急医療用の医療機器等を装備したヘリコプター。 医師および看護師が同乗し救急現場等に向かい、現場から医療機関に搬送するまでの間、患者に救命医療(航空救急)を行うことができる専用ヘリコプター。
2018年10月28日
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