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日曜日の朝は、朝のお勤めも一時間遅れ、六時のスタートです。 30分一?の坐禅と読経、そしてお掃除。 今日は私は導師のお当番でした。 和尚様は、若い私たちの勉強に席を譲ってくださり、後ろから見守ってくださいます。 一番最後に入堂して三拝しようとしておりましたら、ふと和尚様が20代の男の子に、お経本を座布団の上に置くように示されておられました。それから途中で起こされて入ってきた、中学生の少女。寝坊続きで大人の方に怒られておりました。 そんな何気ない朝の風景。 私は法話のお当番もあって何を話そうか考えていたこともあったのですが、その光景をお借りすることにしました。早速…「今朝和尚様が示されたこと(お経本を座布団の上に置くように)の意味、そこではどんなことを教えておられるのか、わかりますか?」参加している3人の若者たちに聞きました。 中学生の少女は、無言でした。一言も答えません。 20代の男の子は、しばらくして「それが相応しいからです。」と答えました。最後に30代の男の人に聞きました。「それが新しいシステムだからです。」と、そんな感じの答えでした。 法話の時間も限りがあるので、はっきりと答えを出さないままに、終わりました。 朝食後、和尚様が皆の前で補足してくださいました。「お経本はなぜ畳に直に置かないで座布団の上に置くのか。若しくはめいめいがハンカチを持ってきてそれで包んでもいいんだ。それは一体どんなことを言っているんだ。そしてまた、この食後までの朝の時間、これはどんな意味で行われているのだろうか。普通一般には、時間ぎりぎりに口に加えて出発したり、テレビを見ながら食べたり、立って食べたり、いろいろする。でもここはそうじゃない。一言も口も聞かないで、静粛に行われている。私がこれを徹底している意味は、皆わかるか?」 そんな質問でした。 一人の会社勤めの人はこういいました。「この時間が終わるとすっとします。なんか自分の中心が立ったみたい、筋が通ったみたいな…。」 次は、いつかはお坊さんを目指すかもしれない30代の男性。「お経本は、仏様を大事にするというか、自分より尊いものに敬意を表して大切に扱うし、有難いものだからです。」 それでもまだまだでした。里に住んで10年近い50代ちょっと手前の男性。「こういう時間を通して、目の前のことに集中する訓練だと思います。そして話もしないでやってみて、そこに己の一番誠実な心を具現する、それをやってみることだと思います。」そのようなことを仰いました。「んーなかなか、言葉ではわかっておる。70点まできた。」と和尚様。 和尚様のお答えは、まず「荘厳」という言葉から始まりました。 でも私はまだ全部書ききれません。「これ(箸)も生命、これ(お椀)も生命、みんなすべて生命だ。生命を頂いているんだ。」 己の原点、生命そのものに毎回立ち返るということでしょうか。 いつもいつも学びの場所です。いかがでしょうか。私自身まだまだ未熟で体得するのに道がずっと続いています。 また改めて、和尚様にお尋ねしてみたいと思います。
2011.01.30
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今月も托鉢に出かけてまいりました。 まさに寒行の季節です。 一月は一度だけこの北国で歩かせていただきましたが、手も足も凍りつき歩きながら大切なお鉢をひっくり返してしまいました。 すみません。 それで少し南まで行ってまいりました。 托鉢に出かけますと、生きている原点、私の尼僧として原点をいつも感じさせていただきます。 今回共に携えていったのは、宮内勝典著『魔王の愛』という本と小室直樹著『信長~近代日本の曙と資本主義の精神』です。 宮内さんの本は以前『焼身』という一冊を読ませていただいておりました。これも僧のお話で世界の平和のために自ら油を被っていったものです。 私は昔から、自分の命を捧げるというお話にずっと魅かれてまいりました。その一番初めは高校時代にお聞きした、アウシュビッツ収容所で自分の命を引き換えに助けてあげたコルベ神父のお話です。 今度の『魔王の愛』は、ガンジーを書いたものです。 しばらく読み進める中で、こんなところがありました。 著者はガンジーに話しかけています。 あるときガンジーが外国人記者に、ヒトラーがユダヤ人を虐殺したのは今世紀最大の犯罪だけれど、ユダヤ人は、その殺害者に対して自ら身を差し出すべきだった、と答えたそうです。そうすればドイツ人や世界中の人々を目覚めさせたはずだ、と。 そうしてまた原爆が落ちたことに対してあなたならどうするか、非暴力ならどうするのか聞かれたそうです。その答え、想像つきますか? 決して逃げたり隠れたりしない、と。青空の下に出たままその原爆の飛行士に祈れと、祈るのでしょう。 私は、晴天の霹靂と申しましょうか、しばらく本を読むことをやめました。 たった一人でも青空の下に立って、これから投下する飛行士にその祈りが届くでしょうか。 でも答えは要らないのでした。 ただ、信じるだけだと思いました。 理想過ぎても、幻想といわれても、やっぱり私はそういうお話に心を打たれてしまうのでした。 多くの人が命を落とし、そして傷つき、決してその人でなければわからない苦しみがあり、勝手な発言はできないと承知しています。それでも、そこに自ら命を差し出すべきだというガンジーの言葉はショックでした。そんな人になりたい、でもまだこわい、そんな自分を見ました。 そして非暴力とは何もしないことではないんだなあと思いました。暴力は使わなくても、エネルギーを持って前にずっとずっと進んでいるんだとそんな感じです。 托鉢で街を歩きます。 それで世界の平和を願っても、いいんだと思いました。 まだ青空の下から一人、空を飛ぶ飛行士に祈りを捧げるよりもまだまだ私の道はわかりやすいんだぞと、新しいエネルギーの源を頂きました。
2011.01.24
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2011年。 お正月に帰省していた若者たちがみな帰っていき、また日常が始まります。布団を片付けて一段落。といったところで中学校から電話がかかってきました。「~(少女は)部活動に出てきておりませんよ。昨日熱があって休みますと電話があったそうですけど。大丈夫ですか?」と先生。「昨日も今日も学校へ行ってきますと出かけて行きましたけどね…」「ですよね~。」と先生も慣れたもの。里のみんなで、またかーと顔を見合わせます。 やがてお昼を過ぎて何事もなく帰ってきた少女。黙って食卓に座りました。「どこに行ってきたの?」「本当に行ってきたの?」と始まります。ジャージにリュックを背負い町の図書館登校のようでした。 しばらく面談のような時間がもたれます。 午後。「友達の家に遊びに行ってきます。」とけろっとして挨拶する少女。しっかり遊び服に着替えています。「待ちなさい。午前中にやりたくないことはやらないで、午後は自分の好きなことだけやる。遊びに行くなんて許されますか?午前中の反省が全く活かされてないでしょう。」 少女はふてくされた顔を見せながら2階へ上がっていきました。 お互いに切磋琢磨です。 大人たちは今お寺の建設のことでそれどころではありません。 和尚様と設計士さん、大工さん、建設やさんで喧々諤々話し合いです。「男の仕事」の見せ場のようです。 お寺一つ、柱一本建てるにしても、皆様からお預かりしたお金でのこと。命のぶつけあい、一歩も退けません。破壊、創造、破壊、創造。間近で感じさせていただいています。
2011.01.07
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2011年あけましておめでとうございます。 大晦日のびっくりするような大雪であっという間の年越しでした。 一日に何回もの除雪と、近くの愛宕神社の雪かき奉仕と、折れてしまった木との格闘。男性人はぬれた手袋や上着を乾かす暇もないほど外に出回っておりました。 こちらは台所にこもっておせち料理の準備です。燃えてしまった重箱も買い揃えずにお盆に盛り付けて今年は新年を迎えました。 外は吹雪と雷。なんだか不安な一日でした。その中を真っ白になりながら帰省してくれた若者たち。交通の便が悪く諦めた方もありましたがそれなりににぎやかな20人の食卓でした。それぞれ成長した姿を見せてくれ、また家族が増えてその写真や動画をみんなに見せてくれます。 夜の11時半から1時間の年越し坐禅。遠くのお寺から除夜の鐘が響いておりました。下の国道は夜中の3時半でもまだ渋滞しており、車の中で新年を迎えられた方も多かったのではないでしょうか。年賀状の配達に忙しい郵便局の方も12時前に里に帰ってこられました。そしてまた元日からお仕事。みんなそれぞれです。 昨年の1月3日にお寺の新しい名前が決まり、それから夏に火災。そして去る12月末日にようやく次のお寺の土台となる基盤工事が終了してブロックが積み終わりました。 まだまだ建築の予算の先が見えず、どの部分まで今年は着工されるのか未定です。それでも和尚様が20年かかってもたった一人お寺を建てるぞ!と決められた志が1、2年で立ち上がってしまったのですから、今度もきっと何とかなることでしょう。「65歳になったら、引退するからな。」と和尚様。あと2年です。 次の9月、無事に落慶を迎えられるでしょうか。楽しみです。 そうしたら皆さんをお迎えしましょう! また一年よろしくお願いいたします。
2011.01.01
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