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ここ数日、とうもろこしの種を蒔きに畑に出かけております。すでに2000粒蒔いてあるのですが、今年購入した分は全部使い切ったほうがよいこともあって、まだ畑に通います。 畑を貸してくださっているおじさんに、「みんなも、実家にとうもろこし、送ったらいいよ。」と言われて、みんな大喜び。働くにも気合が入ります。 初日は、ここ北国でも31度を超えておりました。「まずは休憩する場所を確保しなさい。」とおじさん。早速、近くの栗の木の下の草刈が始まりました。 2日め。まだ種が全部蒔き終わらないうちに雨が降り始めました。蒔いた種にとっては好都合でしたが、私たちはそろそろ車に避難しようかなと空を仰いだところ…「テント、張れー。」とおじさんの声。「のこ、どごだ?」の一声で、みんな栗の木下に集まってきました。 それから栗の枝にブルーシートを麻紐で縛りつけました。「枝切るぞ。」とおじさん。近くの枝を切って、付け根のYの字のところを、他の枝と組み合わせます。「結わえろ。」と仰られて、やったことのないものももじもじしているどころではありません。めちゃくちゃにも、とにかく紐でぐるぐるまきにしました。「せえので立ち上げるぞ。」と言われて、長さがまちまちの支柱を立てると、不規則で不恰好ながら、栗の木の下に屋根が出来ました。「倒れるから、短い枝を切って、ななめに支えなさい。」「低いところに雨水が溜まってきたから、下からつついて水を流しなさい。」いろんな指示が出ます。「押さえてて。」「届かないよ。」「トラックに登れー。」6人とおじさんで大騒ぎです。みんなだけだったらとっくに車で退散していたでしょうが、おじさんのお陰で本当に生きた勉強ができました。この雨の出来事で、のこぎりの使い方に始まり、現場での材料の見つけ方、紐の使い方、支柱の支え方など、いろいろな要素が必要になって実践力が問われました。そして、同じことをやるにも、おじさんのスピード。「じゃあな。」おじさんは次の仕事に帰っていかれました。 みんなはシートを敷いて、お昼ご飯です。シートの薄いところからはすでに雨漏りしていますが、それを避けながら、みんな文句ありません。 ごはんに、ふりかけ、ちょっぴりのおかずですが、6人で炊飯器も空っぽになりました。「おじさん、かっこいいー。」 濡れてしまった服のまま、後片付けて、そのまま里に帰りました。その頃には雨が上がってきていたのですが、今日は種まき中断です。疲れたのでしょう、みんな静かにお昼寝に入りました。 生活力というでしょうか。 ただ体が覚えて自然に動けるように、毎日の修行は続きます。
2011.06.22
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最近里に帰ってきたSさんは、一生懸命バックフォーと会話し、土と戯れています。「何かお手伝いできることありますか?」と聞いたところ、「では、編み物。」と。 (編み物?)と思っていましたら、土留め用に打った杭につる性の枝や、細い枝で周りを交互に編んでいくことでした。結構力が必要です。あれよと思う間にSさんが、自分で作ってみせてくれました。「これで、この枝から芽が出たり、根がついたら、いよいよ頑丈な土留めになるのにね。」と話していたところです。 昨日だったでしょうか。「見てください。」といわれてついていきました。みると、移植した紅葉の支柱から、いくつもの芽が出ておりました。上は、ハンマーか何かで叩いたので、少し割れています。果たして何の木だったでしょう。「しかもこの支柱、天と地が逆なんですよ。でも芽はちゃんと上向いてる。」杭に使うために、細いほうを地面に差し込んだために、もともと立っていた木の状態とは逆向きです。それでも、葉はちゃんと天を仰いでいますので、重力のせいでしょうか、太陽の光りの力でしょうか、臨機応変です。「生命って不思議だな。」と改めて実感します。木には、上とか下という概念がないのでしょうか。 最近登場しているおばあさん、にもお足元が心配でしたが、見に来てもらいました。「うわー、すごかー。これはいいもん見せてもらった。」と一緒に喜んでくれました。そして、最後は「みんながんばっとるね。東日本と同じだー。」と涙ぐまれておりました。
2011.06.21
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おばあさんはまた仰いました。「私の信念は、どこいったでしょう…。」 私は黙って聞くほかありませんでした。「あんなに反対されても、耳を傾けないできたのにね。お母さんはあんたたちの世話にならずに暮らすからって。でもね、あのときの娘の声が耳に残っててね。もう、私はゼロ、ゼロ。でもここにいる間に人生の幸福を充分味わいました。娘も、一緒に暮らして良かったっていってもらえるようにするから、って手紙に書いてますもん。でも、あの子は強ーい、気丈で何でもちゃきちゃきってね。(楽しいのは)3日くらいかな…。もうどうしようもないです。これが運命です。」 全部わかって、そしてすべてを受け入れているご様子でした。 地震の後に、あの祈りの写真を見てくださった方や、現地で出会った方々から贈り物が届いています。 今日は名取市から両手一杯のバラの花束が届きました。「すごいねー、被災地から逆にお花が届いたよ。」と、里の方が本堂に活けて下さいました。 その前で読経させていただくと、その花の奥に多くの方の葛藤を見たような気がいたしました。 ある日突然、何もかもがなくなって、絶対と信じていたものがなくなって、全てに無常と気づかされた日。それでも生きていかなければならない、暮らし。どこに矛先を向けていいのやら知らず、それでも、天地を恨もうにも、もう戻ってくることはない現実。 それでも、生きていかなければならない。 そうしておばあさんのように、受け入れていくほかない、人間はそうして、それでも生きてくほかない。本当はずっと前から、ただ、それが人間が生きるということだった…。 哀しくも。 ずっと昔、戦争中のお話を読んでいたときでした。 背中に背負っていた妹が死んでしまって、どうして自分が生き残るのだろう、死んだものに対して自分は、自分だけ幸せになってはいけないんだと、心の奥に傷を残して残りの生涯を生きた人。自分が軍人のときに、その立場上、多くの部下を失うことになって、終戦後、どうしようもなく、出家して日本中を行脚して生きた人。 そんないくつものエピソードに出会いました。日常を笑っていながら、その奥に人には見せない重荷を背負いながらしかし日々の糧を得なければならないくらし。そしてなにかそこに思いを馳せると涙がこぼれそうになるのでした。 しかし、人間だけじゃないと思います。ただ道端で偶然に踏まれて死んで行く虫たち、ただ光りに集まってきたらたまたまぶつかって死んで行く虫たちも。 毎朝読む回向の最後には有縁無縁三界萬霊のためにという一文があるのですが、私はそれが好きで、生きているいないに関わらず、全てのそうしたさまざまな感情ややりきれなさも昇華してほしいと願っています。 本当に美しいバラでした。 おばあさんも喜んでくださって、今日も元気です。
2011.06.18
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外で作業をしていたら、おまわりさんがいらっしゃいました。手にはピンクのちらし紙。「猿が出ました!」と速報でした。 まだ出会っておりませんが、どうやらとても近くのようです。 最近カラスがとても低飛行で境内を横切っていきます。それからゴミの日を待っているビニル袋を突いたりいたずらするようになりました。今までよりもずっと接近してきて、なんだか攻撃的です。まるで気が荒れているような、初めての感じです。 森にも何か異変が起きているのでしょうか。住み分けに不具合が生じているのでしょうか… さて、もう3年が経つでしょうか。九州からいらして一人、82歳のおばあさまが里に住んでおられます。 今朝は「あちらの夢をみた。」とお話くださいました。「27歳で一度死にそうになりました。そのときはお花畑でした。でも今日は何にもない深い森みたいでした。なーんも考えてなかったです。嬉しくもない、哀しくもない、こんなところかなと思いましたよ。」 九州からいらっしゃったときはもう死んだように顔色も悪く、一人では歩けない状態でした。それが里で元気を取り戻し、あちこちに出かけたり楽しんでおられました。 でも、来月娘さんのところへ引っ越すことになりました。 「絶対っていうのは、頼りないですねー。」としみじみ語るおばあさん。「和尚様にお墓のことも相談してましたし、九州では献体を決めていましたから、引越ししたこちらの病院でまたお願いしなければならないとそれもずーっと気になっていましたのに。もう里で死ぬつもりでしたよ。狭心症の病気もあるのに、今更そんな寒いところへ行かなくてもっていう子供たちの反対を押し切って来たのにですね。」「友達には手紙で、「何で帰ってくるの」って、もう「ばかもん」のように言われました。こわかったー。」と。「でも地震のあとの電話口の娘の声が忘れられないですもん。「帰ってきてー」って、叫ぶような声でした。手紙にも帰ってきて後悔しないように楽しくできるよ、って書いてあったからですね、それを信じとります。」「でも、私は根本から間違ってないでしたか?ずっと考えとりましたら、だんだん歳をとると里のみなさんにお世話になりっぱなしで、人様にお世話になってですね。だんだん若くなるならまだいいですけど。これは帰っても娘も大変です。」 1ヶ月前から荷物の整理を始められて、もう心が決まったらさっぱりとされているので、こちらもほっとします。 前になくなられた90歳のおばあさんは、「歳をとって人のお役に立てなくなる。」ことを思って最後は這ってまで何かをなさろうとされていました。 それでも転ぶようになり、立ち上がることが一日の仕事になり、それから存在そのものがみんなのお役になっている、といいましょうか、老いていく姿を見せることが若者たちへのお役になると信じて、静かに眠るように亡くなられました。 「お世話をかけても、迷惑かけてもいいんです。」と伝えたいのですが、もどかしいものがありました。 毎日がこんな風です。
2011.06.14
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喜んで帰られた昨日のお客様。お仕事は大都会の真ん中で女性の相談にのっておられる方でした。 驚いたのは、年代はさまざまでも、その半数以上が今日の夜にすでに行くところがない、寝る場所がない、という方ばかりとのこと。それから施設だったりシェルターだったりを案内さしあげるそうでした。「昨日、半日かかってご一緒したおばあさんは少し痴呆が始まっていたのですが、今日どうなったか心配です。それから盲目のお年寄りもいらしたのですが、結局また路上生活に戻られてしまって、その方のことも…。」 お話をお聞きしていると、本当にお一人お一人にドラマがあって、ふと嫌われ松子のことも思い出しました。「そうです、松子ってあだ名がつけられている人もいました。」と。それでも今の職場ではまだ国からの助成金も出るせいか、相談に来られた方をわりと確実にとにかく一日分の寝床だけは確保できる状況にいられるので、仕事が忙しくてもそれほどのストレスはない、というお話でした。 里でも、よく旅の方に声をおかけして、一日分の寝床と食事を提供しておりました。ちょうど近くを青森に通じる国道が通っているために夏など、自転車などでリュックを背負って行く人をよく見かけます。 何年前のことでしょう。私がまだお坊さんになる前のことです。名前も住所も不審な男性が「10円ください。」といって訪ねてきたことがありました。当時は玄関の下に下座できるような窓のない小さな部屋がありましたので、どこの方かわかりませんが、一晩泊まっていただいたことがありました。 そして私は別れ際に、(これが今日一日分です。)というつもりで1000円お渡ししたことがありました。 そしてたまたま泊まっていた違うお客様にそれを見事に指摘されたことがありました。「ここはそういうやり方をするのですか。」と。 里では一宿一飯提供しますが、その後は、やはり頂いた食事の分、元気の分は労働だったり、お金でなくても何かその人のできることで返していただく方法もありました。それはやはり里に対してだけではなく、天地からの頂いた生命の義務と申しましょうか、そんな大いなるものへのお返しというようなものも含まれます。 でも、当時の私はそこまで頭が働きません。ただお金をお渡ししたのでした。 今思えば、そのときはそれが私の精一杯でありました。 それから出家し、托鉢をするようになって、もちろん自分は衣を身にまとい法の道を歩いているのですが、町で全く知らない方からお供えを頂いております。それは本当にすごいことだと思います。そして当時は自分がそうして歩くようになるとは思ってもおりませんでした。 都会で女性たちにそんな一宿一飯のご縁を繋ぐお役目の方、「ああ、自分の仕事はそういうことなんだなあと思いました。」と、何か気づきがあられたようでした。 人は人をどこまで手助けできるのでしょう。 ほんわりとした雰囲気を持つ女性で、本当に話を聞いてもらうにはぴったりの方。お見送りをしながら、こんな方が里にも住んでいらしたらいいのになあ、と呟いたら「じゃあ慈光さんがそうなったらいいじゃないですか(ほんわかしたら)。」と見事に切り返されました。 まさに、呵呵大笑、です。 そうなれたら、早いのですが…
2011.06.12
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2011.06.11
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部屋で休んでいると、どうにもくもの巣にひっかかったような感触で、もぞもぞします。なんだろうと思っていたら、壁をつたってあるいてくる、蟻の列。これか、とわかりました。こんなところに出入り口です。蟻は、人間と違って、どこでも入り口、どこでも家になるし、まったく自由だなあと思いました。 今日は11日。あれから3ヶ月です。 あの日も同じように蟻は行列をなして歩いていたことでしょう。そしてもっともっと前、もしかしたら100年、1000年前も変わらずに。 さてさて、人間といったら、進んだのか戻ったのか、戻っているのか進んだのか、どうなんでしょう。 これが「私の」家、これが「私の」大事なもの、これが「私の」好きな人…。 人間はなんとややこしいことでしょう。 せめてこんな里に暮らしていたら、個人から全体へとまなざしが広がっていく学びを続けていきたいと思っています。 今日また新しく、テレビのニュースで感激した方が里を訪れて一泊されました。その方のご家族は福島県内にいまだ暮らしておられるとのことでした。その本人より、周りのほうが心配で仕方がないご様子でした。「でも、いろんな情報で右往左往しましたが、結局、拭き掃除というとこに行き着いたんです。」とそのお客様。 里でも、禅のお話から、今しかないということに行き着く過程で、(今のことに集中するという意味で)手元のことをする、拭き掃除だったり、食べるときは食べること、極端にいったら、呼吸一つなどといいます。原発の問題の中で、それと同じ言葉が出てきたので、びっくりしました。「単純なんですよね。でもわかっているけれど、なかなか出来ないです。」と再び、お客様。「そうですねー。たぶんニュースで感激された方はたくさんいらっしゃると思います。これ(両手で大きな丸を作る)くらい。それから何か書き留めたり、調べたりした方がこれ(少し小さな丸)くらい。それから連絡をとったり訪ねてくる方がこれくらい。また自分の生活の中で何か取り入れて実践された方がこれくらいでしょうか?」勝手な想像ですが、丸がだんだん小さくなっていきます。 ただもくもくと歩く蟻を見ながら、実はすごいよなあと思います。 (それでも、蟻の巣コロリのような撃退薬に手を借りているのですが…)
2011.06.11
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4月の被災地を雪が包み、哀しくも美しい光景が生まれていたあの写真。 それを受けて、里には行く通かの心励まされるお便りが届いています。匿名希望だったり、遠く知人のいない場所からだったり。 先日は子供たち手作りのお座布団。そして昨日は作務衣にお手製のわらじでした。それにまた栄養たっぷりの食品や、お菓子。 そんな中で、ここはまさに手作りの本部ともなるべき暮らしを淡々と続けています。 今は次に建つお寺の整地のために、境内の土を移動をする毎日です。軽トラックにバックフォーで4杯分の土を乗せそれから藪の中に盛り土されていきます。いつの間にか藪も、広場になってまいりました。 軽トラックでぼちぼち繰り返していましたが、昨日は思い切って2トンダンプを借りました。とにかく事故だけないように、そして借りた車も傷つけないように、と祈って作業始めといたしました。 とにかく少人数で若者ばかりのお仕事です。わくわく半分、心配半分。 まずは、空荷で試運転。 ところが、一回目に藪に入ったところで、傾斜が急で地面が柔らかいためにダンプが動かなくなってしまいました。まだ本番以前です。タイヤが空回りしていました。絨毯を敷いてみましたが、効き目がありません。 結局、バックフォーを移動して牽引することになりました。 さすがは男性陣。ワイヤーでの牽引は成功です。それでも諦めきれずに、もう一箇所、もう少しゆるい傾斜で乾いた土のところにダンプを試してみましたが、やっぱり空回り。絨毯を敷いて、それから牽引してようやく藪跡から脱出しました。 せっかくダンプを借りて仕事を一気に進めようと気合を入れていたのに、朝から土は減らないままに時間が過ぎていきました。でも、いい経験。「無駄なことって絶対ないよね。」と強く言い聞かせながら、前に進みます。 とにかくアスファルトの上で出来る仕事をどんどんやりました。 お陰で… 軽トラックの何倍も捗ること。みるみるうちに土山が小さくなって行きます。 男性陣の作業を引っ張るボスは「でも、ダンプもすごいけれど、いままで一日50往復くらいして運んだこの土の大地、これ全部にみんなのスコップが触っているってのがすごいよ。」と。 しばらくしてから念願のダンプといつもの軽トラックを併用です。また彼も「このくらいだと、俺も追われるな。バックフォーが活躍できる。」とご満悦。 夕方、洗って返しにいくダンプを見送るまで、ひたすらスコップを握りました。力のない私ですが、こんな外のお仕事は大好き。この一日にかけていた分、とにかく頑張りました。 さて、終わったかといいますと… まだ少しは残っていますが、もう先がみえています。今日は前述のボスが移動した先の土をバックフォーでならすことでしょう。「ああー、俺ダンプ欲しい。」と言いながら。 おかげで私は、これまでオートマばかり乗っていたのですが、軽トラ運転手としてマニュアルも抵抗なく選択するようになりました。良かったです。
2011.06.09
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2011.06.08
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2011.06.08
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会うたびに自分のまだまだなところを口にする、Oさん。「最近、震災の頃の緊張感がなくなってきました。」という一言に始まって「部屋に帰るとお菓子のことばっかり考えて、俺はただ卑しいだけですね。」「作業に出てくる時間がだんだん遅くなってきて、ダメですね。」「去年も畑仕事をやったのに、植え方をもうすっかり忘れていてだめですね。」 自分の足りないものを探すことがとてもお上手、と伝えました。「自分、引き算ばっかりですね。まだまだですね。」 たまたま見つけた心理学の本があってお貸ししました。「自分は本に書いてあるとおりでした。あれは完ぺき主義だからですね。」 「Oさんの話は、自己否定が多いですよ。」と切り返す。「自分の話、面白くないですよね。」「それもすでに否定のうちじゃないですか?自己否定が多い自分、そんなものかーと、そうですね、ってただ聞いたらいいんです。」「なかなか肯定するのも難しいですね。」「ほらほら、ただ、そうですね、って聞いてみたらどうですか?ダメな自分、そうですねって。」「そうですね、それがありのままってことですか?」 本人にとってきついことでしょう。床を叩いてみたり、叫びたくなる気持ちもわかりますが…「じゃあ、今度はこちらがOさんのことをまだまだだって努力が足りないって言いますから、そうしたらOさんは自分のことをほめて、いやいやよくがんばっているってバランスとるかなあー。」 ただいま実験中です。
2011.06.07
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禅堂で坐禅をしていましたら、皆さんの後姿にとても誠実なものを感じました。部屋に帰って思わず、「誠実」を辞書で引きました。 いつわりがなく、まごころがこもっていること… 朝のお勤め前にお茶の支度をするのが4時30分。そのときにはすでにお粥係のOさんが起きて座布団をはたいたりお掃除中でした。何時から始めるかは彼が自分で決めて実行しています。 それから禅堂に降りてきたら、雑巾で床を拭く音が響いていました。ああ、ここはお寺なんだなと思いました。 人々が救われるのは、そんなほかの人の、生命の誠実さ、そんなものではないでしょうか。もちろん言葉や微笑もありますが、一生懸命な姿に人も自分も救われるように思います。 ちょうど朝にそんなお話をしたばかりでした。 夕方学校から電話がかかってきます。「(少女の)学級費の袋がないようですが。それから数学のワークも持ってこないので、聞いたらなくしたと言っていますので、買わないといけないかもしれません。」 本人に聞いてみれば「あります…。」 要するに何かの状況から、ぱっと、失くしたと言っただけのようでした。 みんな、またかーと呆れます。学級費を渡したら使わずに学校に持っていけるのか信用も今一つです。 「まことという字はどう書くの?」「……。わかりません。」 元気な若者に「生命」のことを聞いたことがありました。そうしたら「僕は昨日初めて、ゴールデンバットを吸いました。…」と全く関係ない自分の気持ちを、精一杯に答えてくれました。 日常の「まこと」探しです。 日常の中の「まこと」です。
2011.06.06
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