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皆様、本年もいろいろブログを通じてお世話になり、心より御礼申し上げます。来る2010年(平成22年)が明るい年になることを期待し、希望をもって臨みたいと思っています。私は、自己の危機管理の甘さから、思ってもみなかった「ガン」という宣告を受け、一時は死と隣り合わせの心境になってしまいました。でも、家族の温かい心遣い、親族、仕事先の同僚、そしてここの大勢のブログフレンドの激励をいただき、私にとって勇気をいっぱいいただき生きる希望を見出しました。来年も苦しい闘病生活が続きますが、病魔に打ち勝った実証を築き上げたいと決意しております。引き続きご指導ご支援よろしくお願い申し上げます。ちょっとかた苦しい挨拶になりましたが、よいお年を迎えられますことをお祈りし、今年最後の日記書き込みとさせていただきます。
2009年12月31日
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いよいよ今年も残すところあと1日となった。昨年の今日30日の日記にも「今年を振り返って」ということで綴っている。さて今年はというと、昨年以上に大きなニュースが目白押しとなった。世界や日本をみれば、アメリカのオバマ大統領誕生、そして日本の鳩山民主党内閣総理大臣誕生と、これまでの流れから新しい流れる求める民意が大きく反映された年でもあった。でも最近はその期待感がいささか過大すぎたのか失望感漂い始め人気下降に進んでいる。いささか先行きに不安を残す状態になっているの残念なことだ。さて私(我が家)の場合はどうだろう。1位 「胃ガン」の告知を受け入院と抗がん剤治療を開始(11月)2位 通算51年のサラリーマン生活に終止符(11月)3位 ハイブリッド車であるHONDA「インサイト」を購入(7月)4位 24インチのiMac購入でパソコン三昧(3月)5位 インターネットを「NTTひかりフレッツ」から「KDDIのひかりone」に切り替え。(10月)6位 国内旅行を楽しむ(1月津川温泉・2月瀬波温泉・3月蓬平温泉・5月大湯温泉・6月磐梯猪苗代温泉・9月松之山温泉)とにかくこれまでの人生を一変するガンという病魔に蝕ばまれていることが検査手術で分かり、家族を含め周りの人々に大きな心配や迷惑をかけてしまった。もちろんずっと抗がん剤治療が続いており、闘病生活は来年へと繰り越される。私の日記も「ガンと闘う闘病日記」に切り替えた。それに関連して、もう少し働く予定であった仕事を11月15日付けで正式に退職し治療に専念することにした。よって15歳からず~っと働き続けてきたサラリーマン生活に終止符をうつこととなった。本来なら退職後の身の置き方に迷うはずなのが、望んでいなかった闘病生活のため、そんな贅沢をいっていられないのが実情だ。まだガンが発覚する前は、いろんな夢と希望をもって行動していた。いままで8年間愛車として乗っていたニッサンブルーバードのフロントガラスにヒビが入り、急遽更新に迫られ、検討の結果、エコカーであるHONDAハイブリッド車「インサイト」を購入することにした。燃費もよくエコカー減税や補助金制度で23万円ほどその恩恵に浴した。4年ほど使っていたeMacから24インチの新しいiMacに切り替え、インターネットはじめ音楽、画像加工等に思う存分活用し、パソコン三昧の生活を楽しんでいる。今後地上デジタル放送に切り替わる(2011年7月)こともあり、いままでテレビの共同アンテナ管理が変更になることに決まった。今度はKDDIが一括管理することになり、月々の管理費を含め、KDDIの電話やインターネットに切り替えることで相当の経費節減が図れることがわかり、今までのNTTやso-netとの契約を解除し全部KDDI1本にした。これで再来年の7月までは相当のサービス割引があり、少なくとも10万円のメリットがある。その後も、NTTやso-netより安い料金なので家計に貢献することになる。昨年もいろんな所に旅したが今年も6回出掛けることが出来た。もっと行けたのだろうが、10月に私の体調不良が発覚し旅行を控えなければならなくなったのは残念。でもガン治療を受けながらも薬の投与がお休みの時期が2週間づつあるので、そういう時期に無理しない範囲で旅行を楽しむことは可能となる。もう来年1月後半に一泊旅行再開を計画している。とにかく、昨日のブログにも書いた通り、命があって苦なく動けるときには、やりたいことをやるという目標でこれから生きていきたいと思っている。
2009年12月30日
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保険とは偶然に発生する事故によって生ずる財産上の損失に備え、多数の者が金銭を出し合い、その資金によって事故が発生した者に金銭を給付する制度をいう。もっと分かりやすくいえば、みんなで金を出し合って、もしも困った事態になった人が出たらそれを助ける制度と言ってよい。いまはそれを専門に保険会社が代行して儲けている。生命保険、火災保険、地震保険、自動車保険・・・・・今は数えきれないほど種類が多い。そのなかに「がん保険」というものがある。私はそのガン保険に入っていた。昭和51年3月、まだ私が34歳の若い時である。そのころの加入の誘い文句はこうだった。「一旦ガンになると治療にお金が掛かり、生活に大きな支障をきたすことになる。だからわずかの掛け金(掛け捨て)で万一の場合の治療費が保証され安心な生活に備えましょう」私は年掛けで12,600円なら月1,050円であり、そんなに家計の負担にもならないのではないかと加入することにしたのだった。(年齢が若かったのでその分掛け金も少なかった)以来33年の今日まで契約を一度も変更せずに保険料を支払ってきた。計算するとこれまで415,800円支払ったことになる。掛け捨てだから何もなければ戻ってこない制度だ。まさか私はガンに罹るとは真剣に考えておらず、いわばお守り的な性格でとらえてきたように思う。今回11月に入院する羽目になりバタバタしていた頃、がん保険会社からタイミングよく(?)「契約内容の確認」というパンフレットが送られてきた。もちろん契約拡大の宣伝が目的なのだろうが。あらためて自分の入っている契約内容を確認したら、ガン治療での入院の場合月額325,000円保障。ガンで死亡の場合は100万円支給、但し65歳以上は50万円というものだった。いまから33年前の契約だから、その当時の物価指数と現在とでは価値にズレがあるかもしれないが、ガンという病名に限定しての入院保障が1日換算で12,500円だから十分助かる額である。一昨日、東京にある代理店に電話していろいろ説明を受けた。あくまでも検査入院は対象外であるが、ガン治療のための入院なら入院日数に応じて保険金がおりるとのこと。12月は9日間の入院だったので112,500円がおりることになる。今後も毎月8~9日は入院の繰り返しになるのでその都度請求出来るので、医療費の足しには十分こと足りそうだ。とにかく請求回数が分散するので多めの請求書類を送ってくれるよう約束した。いま70歳未満の患者は「限度額適用認定書」を住んでる自分の市町村に申請すると、規定以上の金額は支払わなくて済む制度がある。(入院のとき病院からその説明書をいただいた)年収によって3段階あるが、私は中間の一般(月収53万円以下低所得層以上)に属するので、月額の限度額は80,100円プラス食事料で済むことになる。言い換えれば何とか月約8万円台で治療が受けられるということになる。さらにこの制度が1年の間で4回目以降になると半額の44,400円台で済むことになる。病気になって初めて知った有り難い制度に感謝している。また、保険給付の世話なんかになりたくなかったのであるが、いざガンになってしまえば、この「ガン保険」の有り難さがとても実感出来る。この治療がいつまで続くのかまだ分からないが、4ヶ月以上続けば、これまで支払った保険料以上の金額が支給されることになる。そもそも保険は、儲けるとか得をするという性格のものではない。まさかのときの助けとなる制度である。いままでこういう保険の恩恵を受けてことはなかっただけに、病気に罹ったことを素直に喜べるわけでもなく、とても微妙な気分である。でもプラス思考でいくなら、まさかと思った33年前の保険加入のおかげで、少なくとも日々の生活に大きな支障を来さないで済むことを素直に喜ぼう。そして、支払う医療費以上に支給される保険金はこれからの好きなことに使おう。治療がお休みの自宅療養のときには、好きな温泉旅行にもどんどん行こう。好きな食べ物なら少しくらい高価でも栄養をつけて元気になるため遠慮せず食べよう。なかなか手の出せなかった欲しい物も許されるなら購入して楽しみたいものだ。生きているうちにやりたいことをやろう。死んでしまったらもう何も出来ないのだから。
2009年12月29日
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今日は今年最後の病院行き。腹や腰、肺の部分をCT検査で造影剤を注射しながら撮影。前の検査で腹水があることがわかり、お腹にカメラをいれて撮影し、胃以外にがん細胞が転移していることを確認している。果たして今回の検査でどう変わっているか?先日(24日)の胃カメラ検査と一緒に検討されることだろう。それにしてもこのガンを患ってから貧血が起こり、身体の冷えが半端でない。今日も厚着をし、革手袋をし、車の暖房を利かせて病院へ行ったが、両手の人差し指が冷えて感じない状態。造影剤の注射をしようにも冷えていて血管が浮き出てこない。女性の看護士の手に負えず、年配の医師が時間を掛けてようやく針を射すことが出来た。昔は暑がりやで、1年中半袖の下着で十分だった。今の季節ならまだパンツ1丁で寝ることも不思議でなかった。薄着で肌を鍛えることが健康にいいと信じていた。残念ながらその神話はもろくも崩れ去った。こんなときは風呂に入って全身を温めることが一番気持ちいい。いわゆる温熱療法で身も心を癒される。今月は退院して自宅療養の日は公営の日帰り温泉にも頻繁に通っている。今月そこの温泉に入るだけで約1万円も使っているが少しも惜しいという気持ちになれない。むしろ健康は金には換えられないと思っているので、これからも通うつもりでいる。暖冬予想の長期天気予報が見事に外れ、このところ寒い日が続き私の身には堪えるが、なんとかそれを乗り切っていきたいと思っているのだがはたして・・・・・・・。
2009年12月28日
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ふふふ、タイトルから何を想像なさいましたか?「のこった、のこった、はっけよ~い」といえば、大相撲の行司さんのかけ声。でも、今日の私が報告することはそれとは全く異なる・・・・・・髪の毛のこと。これまでの日記で、抗がん剤の副作用でとうとう髪が抜け出してきたことは報告済みです。風呂で髪の毛を洗う度に、凄まじい量の抜けた髪の毛がびっしり桶に浮かび、この調子なら年内に全部抜けてしまい坊主頭になるだろうことを覚悟したのでした。妻も毛糸の帽子を買って準備してくれておりました。あとはいつからかぶることになるかの秒読みと思われていました。昨日今日と日帰り温泉に行きました。当然洗髪することは髪の毛の抜けるのを助長する行為です。でも、昨日はちょっとこれまでの抜け方と違うことに敏感に察知しました。そして今日は、同じように洗髪すれど病気になる前の洗髪時に新陳代謝で抜ける量と同じくらいの少ない量しかね抜けません。「やった~!」と心に中で叫びました。薬の副作用が切れて、風前の灯火と思われた残った髪は、早々に抜けることから免れたのです。よって、「残った!残った!俺の髪の毛」と言いたいのがタイトルに秘められているのです。こんな冗談がやっとスムーズに書けるようになったのです。もう食欲は旺盛で、この前まで食欲不振で落ち込んでいたのが嘘のようです。その他いろいろこれまで出ていた薬の副作用症状も、ほとんど影をひそめました。これからお正月をまたいで1月3日まで、どんどん食べて身体を動かし体力気力を充実させる期間だと心得て頑張ります。どうせ4日に入院し約2週間の抗がん剤投与を受けることで、またまた体力が消耗し、経験したような副作用に再び悩まされるのは目に見えているのだから。こんな元気が戻ったので、夕食でお酒を飲みました。先月入院する前(11月23日)以来ですので約1ヶ月ぶりです。まだ久しぶりなので、後で気分が悪くなると困るのでと日本酒1合でやめました。今のところ別に異常ありません。これでお正月も量をセーブすることを条件で美味しくお酒が飲めそうで嬉しさこの上もありません(バンザ~イ)。あ~あ、いま9時半過ぎなのにまた何か食べたくなりました~。今度はちょっと元に戻り過ぎ???
2009年12月27日
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またまたブログの更新が途絶えたので「もしや具合が悪いのかな~」と心配かけたかもしれません。確かにその後も、ちょっと苦しい日が続きましたが、毛が抜けること以外は徐々に回復してきております。食欲も増しきましたので体重も少しずつ増え、気力・体力も良好の方へ向いております。それに何よりも嬉しいことは、昨日(24日)抗がん剤投与後の胃の状態を検査するため、胃カメラ検査を受けてきました。カメラを入れるのは担当の医師2人。私の胃の状態をよく知っておられる先生が入念にカメラで撮影。終わってから「治療前より良くなっていますよ」という、嬉しいコメントを頂きました。帰ってきて妻にこのことを伝えたら「良かった~!」といってしがみついてきて声を上げてうれし泣き。この状態がしばらく続きました。「毎日マッサ~ジ等で免疫力を高める応援があったからで、家族みんなからの協力のおかげだ」と感謝の言葉を述べました。このあと28日にはさらに身体全体の状態を確認をするCT検査が待っています。来年入院すると、その後の詳しい経過の検査結果を知ることが出来ると思います。以上今後の励みになる言葉が嬉しく、遅くなりましたがご報告させていただきます。
2009年12月25日
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みなさん今晩は。やっとパソコンの前に座ることが出来ました。実は17日の午後に退院してきていたのです。しか~し、それから体調がイマイチで、とてもパソコンに触る余裕が生まれませんでした。正直、今でも本調子ではありません。退院の日は新潟市は大雪。積雪量は24~5センチでしたが27年ぶりの大雪ということもありで交通は大混乱。普段は何でもない道も、雪かきした雪が両側に積み上げられており車も容易にすれ違うことが出来ず立ち往生も。そんななか車で病院まで迎えに来てもらい雪道を揺られながら我が家に到着。この15日で15日間続いた第1回目の抗がん剤投与は終わったのですが、心配していたその副作用が徐々に頭をもたげてきたようです。まず食欲不振と吐き気がして、この前(今回の入院前)の食欲旺盛はどこへやら。我慢して少量の食事を摂っています。(多く食べると吐きそうになる)毎日体重が500グラムずつ減ってきています。今日で17日に比べ2キロ減りました。歯を磨くとしみるようになりました。口内炎が起こっているからです。今朝はなぜか鼻血が出ました。脱毛も始まりました。風呂で洗髪すると髪の毛の抜け具合が半端でありません。この分だと正月までには頭髪は全部なくなるかもしれません(泣)そんなことで、今はなるべく身体を温かくして静かに療養するようにしています。薬を飲まなくなったら少しくらいお酒もいいと言われたのに、とてもそんな欲求はどこにも湧いてきません。これまで愛飲していた「越後杜氏」という比較的美味しいお酒が結構残っており、妻に「料理酒に使ってくれ」と言いました。でも、多分この状態も間もなく終わり食欲が出てくるはずです。そうでなかった困るのです。薬の投与がお休みの2週間の間に体力をつけなければ、来年1月4日からの入院で第2回目の抗がん剤投与に耐えられなくなります。退院当日(17日)の朝の採血データで、白血球数は3000ちょっと。これは私の健康だったときの半分です。これも抗がん剤のためで、がん細胞をやっつけるけれど一緒によい細胞も巻き添えをくってやられるからだといいいます。3000以下では次回の抗がん剤治療は出来ません。体力が落ちていることは確かだけれど、いまが辛い自分との戦いの真っ最中だと思っています。これに負けていたのではガンの克服は出来ません。無理しない範囲で頑張ります。先回のブログへの書き込みに対する返答が出来ないでいますが、以上のような状況だということをご理解いただきご了承願います。ましてや、皆さんのブログへの訪問が出来る余裕もありませんが、徐々に回復したら伺わせていただきます。まずは遅くなりましたが退院報告まで。
2009年12月20日
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いよいよ明日から冬将軍が到来のようです。新潟地方の天気予報はこれから1週間ず~っと曇りと雪だるまが付いております。そんなことで、今年買ったHONDAのインサイトの6ヶ月点検とスタッドレスタイヤに取り替えに販売店に行ってきました。妻の軽自動車は既に先月入院する前に私が取り替えてやっているので、これでいつ雪が降っても大丈夫。庭にある植木関係も、寒さに弱いものはみんな家のベランダに移動しました。これで、明日からの入院も安心して家を空けられます。入院といっても抗がん剤の点滴が目的ですので、よほどのアクシデントがない限り3~4日で退院できるものと考えております。ですから、また明日以降数日、ここのブログ更新はお休みになりますがご了承ください。そして元気で退院して来たいと思っています。
2009年12月13日
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私がガンであることを知ってからしばらくは、夜寝ていてもフッと目が覚めると考え込んでしまい、しばらく眠れなくなることが多い。もしこのままどんどん病魔に蝕まれて命が尽きることになったら、家族の悲しみはいかばかりかと思ったりする。心の隅には死に対する恐れが全くないと言ったら嘘になるだろうけど、もし苦しみが続くならいっそ死んだ方が楽になるから・・・・なんて漠然と考えることもある。でもまだまだ、自分がすぐこの世から消えるということはとても現実には考えられず、むしろもう少し回復したら無理のない宿泊旅行をしたいという希望はもっている。巷でガンに効くと言われているラジウム温泉はどうだろう。秋田県の玉川温泉が全国ではけっこう有名で、かなり賑わっているという。でも新潟県にもそういう温泉場が2ケ所もある。一ケ所は村杉温泉で、我が家から1時間ちょっと行ける場所だ。もう一ケ所は中越地区の栃尾又温泉。もうここまで来たら、死んで財産をあの世に持って行ける訳でもないのだから、必要なことにはお金を惜しまず使い、自分のやりたいことをしようと妻と誓い合った。そうだからといって、決してお金が有り余っている訳ではありません。ただ今までのようにケチケチして自分の身を削るような辛抱からは脱しよう思っているだけです。やっぱり元気にならなければ実現不可能だと自覚している。
2009年12月12日
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来週月曜日(14日)に、また病院へバックで入院となる。抗がん剤投与の1サイクル最後に初日と同じ点滴があるため。15日は約5~6時間連続の点滴となる。入院前に長くなった髪の毛をきれいにした方が良いだろうと思い、息子の美容院へ行ってきた。今までよりも全体的に短めにし、いつもやっていた地毛(白髪)を際立たせるマニュキアは止めた。もしかしたら抜けるかもしれないという不安もまだ残っているのでこの方がいいだろうという判断。妻はこの短めの髪型が若くなったとほめるが、もう夜の巷を歩き回るわけでもないのでどうでもいいことだ(苦笑)美容院から帰ると妻の姉妹が二人家に来てくれていたので回り寿司屋ヘみんなで出かけて昼食とした。普通の食堂だと私の食べられる量以上に来るので苦手だが、回り寿司ならせいぜい一皿2巻が載っているので、食べられるだけの調整が簡単だ。ところが、このところ胃の調子も上々で食欲旺盛。結局私だけで8皿も食べてしまった。あのお腹が痛くて調子が悪かったこの前までのことが嘘のようだ。このまま抗がん剤治療だけで終わってくれればいいのだが・・・・・まだ期待するのは早すぎる?
2009年12月11日
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抗がん剤投与を受けて一番気がかりなのが薬の副作用。私の先入観念のなかには、身体が弱り毛が抜けて無気力状態になる・・・・などがあった。妻も「がん細胞をやっつけるのと同時に自分のよい細胞まで弱らせてしまうので、身体がボロボロになってしまわないか」と心配していた。ちょうど12月1日から抗がん剤投与を受け始めたのだから今日で10日目になる。おかげさまで心配したような副作用は今のところとくに感じない。嘔吐、気だるさ、食欲不振、口内炎、脱毛、痛みやしびれ等々が副作用の候補にあげられているが、いまのところその兆候は感じられない。ありがたいことだ。体重も1日200~300グラムずつ増え、今日は55.4キロまで復活した。一時54キロ台まで落ちた時、このまま下がったらヤバいと思っていたので胸を撫で下ろしている。今日の夕食は久しぶりにカレーを食べた。もちろんあまり辛くしないよう作ってもらった。とても美味しかった。お代わりしたいくらいだったがここは後々のことを考えガマン、ガマン。このような現在の私の体調ですので、体内にいるガン細胞君は果たしてどうしているのかな?ちょっと静かに眠って数を減らしてくれたらありがたいのだけどな~。
2009年12月10日
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1日間が空いてしまいました。理由は、私が軽卒だったからに他なりません(泣)昨日は朝から排便もありすこぶる快調。闘病生活が始まり、これまでで一番気分のよい状態でした。「よ~し今日から少しずつ身体も鍛えるぞ~」と午前中は庭の冬支度。天気も良いので昼食が済んで2時頃からウオーキングも。どうせなら欲しい本があるのでちょっと距離はあるけど本屋さんまでと足を伸ばしました。いままでならこれくらいの距離(2キロ~3キロ)平気なのに、やっぱり本屋までの道程はキツかったです。本屋についてもう中に設置してあった椅子にどっかり腰を下ろし一息をつく始末。とりあえず目的の本を買い、他の本の立ち読みも辛い状態。家に電話し「○○堂まで車で迎えに来て」とSOSを出してしまいました。 → これからは、ぐるっと回って家に帰れるコースを選ぶことにします。夕飯は鳥鍋。うかつにもちょっと辛過ぎる調味料を胃に入れてしまったので胃も驚いたのでしょう。みるみる気分が悪くなりトイレに駆け込む事態となってしまい、すっかり気落ちしてしまいました。 → これから当分の間は刺激性のあるものは極力控えます。そのためブログを書く気力も失せ早々と寝てしまいました。さて、今日も朝のうちはお腹の状態が今一で安静状態。でも徐々に回復傾向になったので、2日ぶりに温泉ヘ行き身体を温めて体調回復に努めました。おかげで元気を取り戻し、夕飯はおいしく食べることが出来ました。だから、こうしてパソコンの前に座ることも出来ました。教訓 → 決して無理せずゆっくりあせらず前に進もう!では、おやすみなさい
2009年12月09日
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この病気になってから貧血のようで、鉄分のお薬を服用しております。汚い話になりますが便は黒くなります。治療開始後から便秘に悩まされました。病院にいるときもお腹が痛むのに便が出ず、女の看護士さんから座薬を肛門から入れてもらい15分後にようやく排便がありホット一息。この傾向は帰宅後も続きましたが、昨夜も寝ていてお腹が痛みトイレに駆け込むこと2度。でもオナラだけで排便なし。苦しいことこのうえもありません。ようやく今朝排便が。ところが今度は下痢気味で4度もトイレ直行。いかげんお尻がいたくなりました(泣)でもこれで体調もようやく落ち着き、身体も冷え加減なので午後から日帰り温泉に行き温泉療法をしてきました。貧血の影響か、両手の人差し指と足裏が冷えてしびれる状況でしたが、お湯に浸って十分温まるとそのしびれも解消。ところがあまり長く浸っていると、今度は立ち上がると頭がフラフラし、手すりにつかまりながら慎重に対応。とにかくこの前までは何の不自由もなく気ままにに温泉につかっていたのが、今度はそうはいかず、おっかなびっくりの温泉浴でした。さらにガッカリすることがまたひとつ。風呂上がりに体重計に上がったら何と54キロ台!!ず~っと64キロから62キロ台だった私の体重が入院する前は58キロ台でした。ところがここまで落ちているとは予想外の大ショック。明日からはもっと食べる量を増やし、ガタガタになった身体を元のようにとは言わずとも、もう少し体力を付けることに専念したいと思います。まず手軽に出来る無理のないスロー散歩から始めようと思っています。
2009年12月07日
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皆さん本当にご無沙汰しておりましたが、とりあえず帰宅して様子見ということで退院してまいりました。先月24日以来の更新ですので12日ぶりです。留守の間に、大勢の方からいろいろ励ましの書き込みをいただき、感激しながら読ませていただきました。率直に報告申し上げます。私の病名は「胃ガン」。そして私のレベルはステージ4。このランクはステージ1~4があり、一番軽いのが1です。そうです。私は残念ながら一番悪いランクです。でもまだ末期ガンレベルでないのが救い。胃の中は全部ガン細胞に侵されており、手術するなら全摘出するしか方法がないとのことです。手術は食道から直接小腸を伸ばしてつなぐ方法しかないようです。そればかりでなく、すでに胃の外の腹膜内にもガンが広がっており、これは手術しても全部取りきれない。この結果を検査手術の終わった翌日(27日)、妻を含め家族全員という医師から要望で、息子たちからも仕事をやり繰りしてもらい集まってもらいました。医師から上記のような検査結果の説明を受け、今後の治療方法について家族でよく検討してもらいたいと言われました。こうも言われました。「ここまで広がっていると、どの方法が一番いいという結論はない。それぞれリスクがありまた治療効果の得られる可能性もある。あとは患者自身の体力、気力如何でしょう」私は聞きました。「このまま何も治療をしなかったら余命は?」医師はちょっと困った表情をし、「これは軽々に言えないが、あるアメリカのデータでは6年以内というのがある」「ということは治療をすればそれ以上生きられる可能性はあるといこことですね」と尋ねると「もちろん十分可能性はあります」それが、10年なのかそれ以上生きられるかは治療方法と私の体力気力がうまくマッチするかどうかで決まる。いろいろ家族で意見があった。抗がん剤や放射線治療は患者の体力を損なうだけだから止め、免疫力を高める治療法にすべきだという意見。いやいや、抗がん剤治療でも十分効果を出して元気になっているひとも多くいるから大丈夫だろう。最終的に私が決断。「手術でこれ以上体力を落とすことはしたくない。化学療法(抗がん剤)でまず体のなかのがん細胞を縮小させる治療を受け、定期的に検査を受けてガン細胞の進行状況を把握していく方法」にしたい。そんなことで治療法2週間毎日朝晩食後に抗腫瘍剤を3錠ずつ服用。1日目と15日目に9種類の点滴剤を約5時間かけて点滴で決定。その後約2週間は投薬休み(身体が抗がん剤の副作用で弱るのを防ぐため)、この繰り返しで様子見となります。この点滴の中にはまず吐き気を予防する薬や、過激反応とむくみを予防する薬が含まれており、これから想像してもかなり強い抗腫瘍剤が私の体内に入ることは間違いないようだ。投与を受ける前の日に薬の副作用についても専門の薬剤師がわざわざ説明に私のベッドまで来ました。<よくある副作用>点滴数日後、吐き気や嘔吐が起こることがある食欲がなくなったり身体がだるくなることがある数日後下痢が起こることがある口内炎ができることがある約3週間後に髪の毛が抜けることがある約1~2週間後白血球・血小板が減ることがある関節痛、筋肉痛が起こることがある足しのしびれが起こることがあるまだまだ続きますが割愛します。読んだら恐ろしくなります。でも「誰しもなるということではなく、なかにそういう症状が出る人がたまにおられるということです」と説明は続く。もう後へは引けない私は、不安を抱えて12月1日からの治療に入ったのでした。この間看護士が、熱、血圧、脈拍を測定。3食の食事の摂り具合、排便有無、その他変わったことはないか聞き取りが頻繁。排尿の量は毎回測量です。おかげさまで、心配された副作用の症状はでず、医師から「なにかあったらすぐ病院に戻る」ことを条件に一時退院が許可になりました。もちろん家でも朝晩食事のあとの薬服用は継続で12月14日に入院。それまでは自宅で療養です。こんな状況で本日このブログを書きました。やっぱり正直疲れます。もうこれで今日は止めてこれから横になって休みます。また明日気力が戻ったら続きを書きますね。
2009年12月06日
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