2026
2025
2024
2023
2022
2021
2020
全10件 (10件中 1-10件目)
1
「キルビル」については実をいうと全く評価不能である。ともかく「絶対的に好き」なのである。評価する対象ではないのである。強いて言えば1作2作と分けないで欲しかった。1作目のアニメ部分はカットして(オリバーストーンへのあてつけか?)4時間ぐらいでどうだろう。しかし、ビル役がデビットキャラダインとは恐れ入った。ある世代のあるマニアにしか伝わらない本当にピンポイントのセンスである。日本でいえば「倉田保昭」というところであろう。好きなひとは一番最後まで座っていると良いことがある。ついでに、「オーシャンオブファイヤー」を観た。「ロードオブリング」に出ていたらしい何とかという役者がほとんど全編馬に乗っている映画である。人間より動物が好きな人にはいいかも。「インディジョーンズ」と比較するのは大間違い、手の中に1CCの汗もかかない。内容とは別に気になったのは、「インディアン」を「先住民」と訳していたことである。南北戦争直後の設定で「ネイティウ゛」とか言ってたのかと聞き耳をたてると、ちゃんと「インディアン」といってるではないか。日本の職業的文化人は弱すぎである。あるいは圧力団体が強すぎるのか。
April 30, 2004
『ダンサーインザダーク」の監督(名前は忘れた)の観客を不快にさせる技法には卓越したものがある。ただでさえ不快な脚本が数倍にパワーアップされる。もうこの監督の映画は観まいと思っていたのだが、そうもいかなかったようだ。「ドッグウ゛ィル」である。床に線を引いただけで架空の街をつくり全編そこで撮影したというのである。そしてニコールキッドマンである。そして、観た。これは、やられた。前半3分の2はあのフラフラした不安定な手持ちカメラの絵がやはり私には観辛くストーリーもドツボのドツボで「またこれかよ」という具合でいつ帰ろうか迷っていた。実際3時間これは観られないと真剣に考えていた。しかし、である。そのあと、エンドロールまで席を動けなかった。あの退屈で陰鬱な中盤があってこそのラスト1時間だとは終わってから気付いた。リアルな爽快感と嫌悪感である。爽快感を味わった嫌悪感である。心身が疲弊している時には観ないほうが良い作品である。その15分後に「CASSHERN」を観た。CMやミュージックビデオでこのくらいの絵は作れるだろうなと思っていたが、そのくらいの絵は作っていた。内容はといえば、高校生くらいが小説を書けばこんなのはザラにあるなという感じ。協賛の企業名の多さには製作サイドの努力のあとがうかがえる。実写版「キューティーハ二ー」の予告編は感動した。
April 29, 2004
なんやかんやいっても、面白いものはやっぱり面白いのである。エンターテイメントという分野ではアメリカは他国の追随を全く寄せつけないところがある。ともかく事件が立て続けに起こってその中でドラマなり人間性が浮き彫りになっていくという、まさしく即物的娯楽第一主義につらぬかれていて好感が持てる。日本のエンタメ作家も(編集者、出版社も)こういったスタンスは学ぶべきである。やたら「表現」が多く、「文学」の看板を未練たらしく降ろそうとしない。直木賞をとって印税収入を上げたい気持ちはわかるが、メジャーな才能がマイナーな「文芸」に埋もれていくのは残念である。
April 28, 2004
幸せとはドーパミンが脳内に分泌されている時の精神の状態をさす。「いいじゃないの、しあわせならば」というのは客観的にみて如何なる困難な状況下にあっても脳内にドーパミンが分泌されていればいいじゃないか、ということである。さて、私は宇多田ヒカル夫妻が嫌いである。30も後半になって女房と手を繋いで公の場に出てくる感性や、明らかに年上のインタビュアーにタメグチで答える宇多田にも腹が立つ。しかも、相手は敬語で質問しているのにである。ついでに、彼女の歌う「キャシャーン」の思い入れだけが先行してメロディーがフニャフニャな主題歌も嫌いである。そういった前提のうえで、明日あたり「キャシャーン」を観にいってみようかと思う。かくなる困難のなかで私の脳内に去来するものは何か?
April 27, 2004
押井守は順調に宮崎駿への道を歩んでいる。すなわち、「ナウシカ」以降のテーマ性一辺倒で積み重ねられた駄作群への道である。教祖への道である。「攻殻機動隊」で感じたイヤな感じが本作品では全面的に補強されて作品の核になってしまった。観終わって、まず感じたことは、この映画はヒットさせてはいけない、ということである。宗教へとひた走っている押井の感性に根拠を持たせてはいけないということである。アニメ作家は「ガキ」の感性が必要である。しかしそれは、大人の商業的手のひらで転がされなければ見せ物として成り立ち得ない。「ガキ」に万能性を与えてはならない。押井の感性は如何に難解な粉飾をこらそうが中学生のそれである。カンヌに出品するそうだ。オリエンタリズムを全面に押し出した世界マーケットへの媚びがまだ押井にとっての救いに思える。
April 26, 2004
近年、私のまわりでは発ガン率が高い。私自身とともに周囲も歳を重ねてきたということではあるが、最近その発ガン者にある特徴があることを発見した。全くの私見で何の科学的医学的根拠もないことを前置きしたうえではあるが、「やせ形で声がでかい」ということである。よく「いくら食べても太らない」という人がいる。これはすなわち、エネルギーを蓄積するのではなく、使いきるタイプの人だという事である。いわゆる「燃焼系」のひとである。これが、現在のダイエットの理想型とされている。たしかに、何を食べても太らないとは現代のビジュアル信仰者にとっては神様のような体質である。しかし、これは生物として、優性なる体質だろうか。氷河期ならば絶滅していたのではなかろうか。食べて動かなければ脂肪がたまる。そして来るべき飢餓に備える。ほ乳類はそうして生き延びてきたのではなかったか。たしかに、飢餓の消滅した現代の日本人にとって、その機能はいらない。その機能ゆえの内臓系疾患もふえている。しかし、それが正常に機能しているからこその肥満である。そういう意味では肥満の人は身体機能が正常に機能しているともいえる。「燃焼系」は危険である。なぜなら燃焼には酸素が必要だからである。酸素は活性酸素となって細胞を傷付けガン化させる。「食べても太らない」人は声がでかい。酸素を過剰摂取しているからである。私見である。
April 25, 2004
憲法論議からボランティアの自己責任論まで、イラクについては話のタネが尽きないが。根本的な悪の根源はイスラエルにあるということを忘れてはいけないと思う。アラブ社会に一方的に侵略し勝手に建国したあげく今もなお国連決議も無視して居座っている。それを全面的に支援しているのが米国であり、米国なくしてはイスラエルの国家としての存続はありえない。武力で圧倒的に劣るアラブ世界が選択した戦術がテロリズムである。非戦闘員をターゲットにすることは正しい戦術とはいえないが、構造的な非は明らかに米国にある。そのうえ、ビンラディンにしてもフセインにしても、かつて米国が対ソ連、対イランのため支援し、その結果勢力を増大させたのではなかったか。かつては、米国にとって、英雄だったのである。それが、いまや極悪人扱いとはダブルスタンダードもはなはだしいではないか。私は、こう思う。米国はただちに撤兵しかつての非を陳謝すべきである。自衛隊はまあ軍隊ではないのだから、好きなだけ留まり、米国を支援してきたお詫びの気持ちをこめて土木作業に汗をながせば良い。しかし、本当の意味での人道復興が必要なのはアメリカ合衆国国民なのではないか。
April 24, 2004
「幼年期の終わり」を読む。古典SFの21世紀描写には、微笑ましいものがある。自動車が空をとび。海底に人間が住む。しかし電話はダイヤル式だったりする。ただ、この感想を持つという事は21世紀から20世紀を見下しているのだ。以外とこの感覚は作品テーマに沿っている。21世紀人はこの作品を読むべきなのかもしれない。
April 23, 2004
骨盤の歪みを矯正しただけで、一週間でウエストが9?も縮む。と、昨日テレビでやってたけど。文章にすると新聞の広告みたいだ。(私は左上がりだった)
April 22, 2004
これで、いいの?と、いうわけで なぜかホームページが出来てしまった。あっけない、といえば、あっけない感じ。
April 21, 2004
全10件 (10件中 1-10件目)
1