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今月が決算のところは多かろう。お疲れさまである。先日、うちの内地の親戚の数を数えていたら、途中でわからなくなってしまった。これを読んだ従姉妹さんよ、もしくは内地の妹よ、私たちの親戚の数を教えて欲しい。父方のほうは5人兄弟姉妹でありということは把握しているが、母方の6人兄弟姉妹が皆生存しているとしても、いとこの数がよくつかめなくなってしまった。これではいけない。脳がだめになる。助けて欲しい。ついでに亡くなった人もいるだろうから、状況を教えて欲しい。そのいとこたちの子たちが、今度は子を作り、その子たちがまた子を作ったら、もう真剣にリニューアルしないとわけがわからなくなってくる。親戚つきあいは極少であったが、それでもいとこの数くらいは知っておきたい。あぁ、アイスを愛す紀行の続編をたしなめようと思ったが、また幸子さんのこともと思っていたが、原稿をまた置いてきてしまった。せっかく夜中に打ったのに。。。もしかして、もう金曜日!?BON WEEKEND!!!!!
2006年03月31日
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昨日は太陽が月と重なったというが、曇っていたので良く見えなかった。次は2008年の8月1日であるという。今週前半多忙であった。ゆっくりサーフしてられなかった。春なので外に出ることが増えると、急に室内での仕事が出来なくなった。普段閉じこもりの私がである。さて、もうひとつとっておきの話がある。これは、日本の新聞のある作家のコラムである。作家というのは、出久根達郎さんで、レターの三枚目というコラムで題がホワイト・デーの切手という先週のものである。いつもここは必ず目を通すことにしている。本好きな彼の文章はとても丁寧で優しい。聞くところによると、彼はちゃんと税金を納めているモデル作家ということである。さて、この週のは特別じんわり心に来るお話であった。11年前に亡くなられた作者の母の所持品が、思いがけなく出てきたのである。それとともに、そのころの記憶がよみがえった。バレンタインデーに病院で顔を合わせる男性にチョコレートをもらって戸惑う母に頼まれて、お返しの記念切手の入った封筒を手紙とともに準備しておいて、3月14日に間に合うように投函するはずだったのである。それがそのまま出てきた。「信玄餅」袋に入っていたのである。しかもその年の4月に彼女はこの世の人で亡くなったのである。これを読んだあと、なんとも言えない感動に包まれた。春の霞に包まれたとも言える。すでに読まれた方もおられるだろう。誰でもが過去の「信玄餅」の袋を発見することがある。その時に思い出に浸れる幸せはまた、格別である。信玄餅とはどんな餅なのか、知りたくなった。私は常に食べ物と人を結びつけて覚える習慣がある。◎○さんは、とらやの夜の梅とか、△▽さんはマクシムのビスケットとか、××さんは明太子とか、いきなり、埼玉の梅干し、九州の切干大根、京都の柿(京都の彼女から一度岐阜みやげにのし柿を頂いた)や、太平洋のみりん干し、サーモンフレークの●□さんとかで、それぞれ頂いた物や好みを結びつけるのである。でもこれは私だけの暗号のようなものである。でもそうすると忘れないという食いしん坊なのである。やっかいなのは、名前を忘れても食べ物だけは覚えているというやつである。あぁ、あの方は福神漬けさま。。。ではちょっと恥ずかしい。
2006年03月30日
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モンゴルの夏の一家族の様子を撮ったセミドキュメント映画、THE CAVE OF THE YELLOW DOGの中のいいお話します。ストーリーについては内緒ですが、中ごろのあたりです、このシーンが出てくるのは。 おばあさんがゆっくりと諭すように語ります。 「これみてみぃ、ええもんみせたるわ」と言って米びつのところへ、少女を誘いました。 一本の縫い針を片手で立て持って、そこにもう一方の手でお米を上からかけました。何度も何度も繰り返します。ザーザーとお米は流れるようにして落ちていきます。 「針のてっぺんにお米が止まりよるかいなぁ~」と言うと、少女は 「おばあちゃん、そんなことでけへんで~」と少女はよく考えてから答えました。 「そうやろが、人間に生まれるちゅうことはやな、それぐらい滅多にないことなんや。無駄に生きたら、あかへんのやで。」と語ります。 これはもちろん我々が生まれ変わるという観念のもとのことです。でも何となくいいお話ではありませんか。このおばあちゃんは他にもこの少女にお話を聞かせます。それがまことに自然というか、もう二度と彼女たちは会わないかもしれないのですが、会うべくして会ったという感がしました。まあ、機会があれば是非ごらんください。注:モンゴルのおばあちゃんが、大阪の出身だったかどうか知りません。でも大阪の人が、モンゴルの出身なのかも知れません。我々はどこかで繋がっているのですから。
2006年03月29日
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先週の金曜日にこの火曜日、つまり昨日からデジタル放送に切り替えるという有線テ レビ放送受信契約会社からのレターがついた。申し込みをしないと、添付のレターを 送りかえさないとアナログ放送が年末まで続行されるのだが、チャンネルの中には切 り替えに伴って、見れなくなってしまうものもある。 それが昨日、きっかりと見れなくなっているチャンネルに出会い、いささかあきれた 自分であった。 申し込みのレターが月曜日に出てもつくのは水曜日以降、向こうが知らせてくるのが それから三日はかかるだろうから最低一週間しないとデジタル放送は見れないことに なる。更に週末がかかると10日以上の日数が流れるのである。またリモコンを取り に行かないとならないし。。。 なんか、こう~ヨーロッパだなあと実感してしまう。 すべてがゆっくり、しかしむこうの都合によって超早くなることもある。 ワンダーランド、ヨーロッパである。 ただしこれは日本のモノサシで見ているからであって、こちらのモノサシでみると、 こんなものである。 なんせサービス(=業務)を供給するほうが絶対的に偉くて、消費者はそのご機嫌を とらねばならないのであるから。。。 映画の話はこのあとです。
2006年03月29日
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暖かいと開くのは花だけではない。映画館の扉もよく開くのである。金曜日、土曜日、日曜日と三連で見てきた。この映画館に出かけるという行為がポイントである。家で録画を見るのと違うのである。まず、木曜日の夜にはTVで「AVALON」を見て、金曜日が「RENAISSANCE」というフランスのアニメであった。これはパリの2054年が舞台であって非常に新鮮な感想が残った。どちらも若い世代向きの映画であるが、私も十分に堪能した。そして土曜日が「KIROMETRE ZERO」というクルド人が作った映画で、おなじみイラクとイランの板ばさみになったアーリア人であるクルド民族の悲哀を綴った映画である。数年前の「TURTLES CAN FLY」同様堪能した。日曜日がモンゴルの草原がバックの「THE CAVE OF THE YELLOW DOG」で、「らくだが泣くお話」と同類のセミドキュメンタリーである。伝統的移動民族であるモンゴル人の家を解体するシーンがあって興味深い。それぞれの映画を語ればページがいくらあっても足りない。よってモンゴル映画の中のとっておきのお話を明日ここに載せる。今日はとても忙しくてゆっくりしていられないからである。春がやってきたのである。
2006年03月28日
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サマータイムです。 日本とベルギーが一時間近くなります。 やっとお花たちが開きそうです。 この週末で映画三本見に行きました。 そろそろ行動を開始しなくては。。。
2006年03月27日
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うまくそこだけ出せないのでhttp://www.tropicaflore.com/boutique/enter.html?lang=fr&target=d117.htmlで写真のズームをクリックしてください。ぐるぐるめぐる竹のエネルギーを感じませんか?
2006年03月24日
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あたりまえのことである。しかしそれを言うことで捉え方が違ってくる。人生でもその「あたりまえ」を意識することによって別の人生を歩むことが出来る。…なんてやるとベルギーの今の花の蕾のように堅くなってしまいますので、ここまで。しかしその蕾が、一斉に吹き出す時のことを思うと花粉症だったら大変だろうなぁと人事のように思ってます。デトックスするのがいいので、私は例の玉葱皮茶を愛飲しております。それに黒酢を飲んで、野菜ジュースやスープを作ってます。でも瞑想などで心の浄化もやるべきですよ。難しくはありません。時間が無いという人でも出来ます。まず場所を確保して、最初はボッーとしてリラックスさせ、アルファ波を発生させるのです。3分ほどでもトライする価値はあります。腹式呼吸もいろいろやり方がありますが、大事なのは自分が楽に出来るものを選ぶことです。そして3分が5分になって、10分になって30分になっていって、いつかあなたは大宇宙の空間に遊びに出かけているのです。フワ~フワ~フワ~とどうですか、輝く地球が見えますか?私にはヴィーナスが見えます。だって、今日は金曜日ですから。 では良き週末を!
2006年03月24日
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離れていると便りが途絶えると心配してしまうものだ。何も聞かないと、生きているのか、死んだのか本当にわからない。それでも発信の信号が自然に消滅する場合もある。わたしの信号は山吹色でちかちかしている。遠い宇宙の果てまでも届くような太陽のような光である。宇宙飛行士たちが、あっちで幻覚を見るというのが科学的に実証された。と中国サイトのニュースに載っていた。中国語では太空(タイコン)が宇宙である。宇宙飛行士を指すタイコノットは仏語で、中国の飛行士のことである。この語源を探していたがなかなか見つからなかった。昨日画面の片隅のニュースを見てはっとした。大きな空なのである。日本語がわかると中国語も何とか読める。更に勉強することによって随分理解度が増す。言葉を習うのは、その背景も習うことである。なんとなく、遥か遠い、広大な宇宙に飛び出したような感覚になった木曜日である。
2006年03月23日
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浅草育ちの幸子さんから何の音沙汰もないまま、私はイースターの休暇にボルドーに行くことに決めた。(彼女はボルドーに住んでいます。)フランス人の姉のような存在のダニエラに会いに行くのである。彼女はちょっと早くリタイアーして、旅行や趣味に時間をたっぷり使っている。夏になれば、親族がイタリアからやって来たり、彼女も出かけたりでまず居ない。今度はなんとしても会いたいのである。ボルドーといってもただの街である。お酒は周りの葡萄畑でとれるだけで、街あげてのワインフェスティバルなど何も無い。私はここで貴重な一年を過ごした、思い出深いところなのだ。でもあの頃の建物はそのままあっても、中の住民はすっかり入れ替わってしまっている。それでも日本から出て初めてひとりで暮らしたところだから、感慨深いのだ。しかし時は容赦なく私をプッシュする。うかうかしてると、そこに突き飛ばされて閉じ込められてしまう。ボルドーの中心街は石つくりの建物が多く、道は石畳で小路に入るとひやっとする。夏の暑さを逃れられるとっておきの場所である。ブリュッセルから行くととにかく暖かい。夏などは汗をかくという、すっかり忘れた感覚がよみかえるのである。ボルドーサンジャン駅から小一時間電車に乗ると、大西洋側の入り江で有名なアーカッションに出る。ここも私にとっては思い出のあるところだ。フランス人はこの海岸に来て(パリからも超特急が出ている)くつろぐのである。太陽を浴びて、海岸をぶらぶらするのである。砂丘山もある。今でこそ商店街が賑やかであるが、30年前には、数件がばらばらに散らばっていたにすぎない。土地柄、フォアグラなどが買える店が多い。美味しいワインも数点ある。しかしあくまで地元用といった感じで、駅の近くには映画館もあって、ボルドーよりずっと安く入れる。何度も訪れてはいるが、そのたびに私は何と言ってもここでとれる牡蠣をすするのである。夏は近くで牡蠣養殖者が屋台を出して売っているのである。また、ランドと言って松林を散歩するのもいい。海岸線を北上するとヌーディストクラブ(誰でも入れる訳ではない)があって、皆すっぽんぽんで生活している。特に北欧の住民は裸になるのが好きらしく、何のこだわりもなくさらけ出している。それで自転車に乗ったり、テニスをしたり、買い物をしたりするのである。若い男の子たちは、スエーデンあたりの女の子に刺激され一日中追っかけ回したりするのである。若いって素晴らしい。強制的に脱がねばならないのではないので、自然派でない私たちは布をまとったままで座って食事をしたが、夜は結構冷えて寒かったのであの人たちは大丈夫なのかいなと老婆心から心配する。今度は春なので海はまだ寒い。でもガロンヌ河の下流近くの灯台を見にいくつもりである。電車が動いてくれたらの話である。と水曜日なのでまじめにまとめた。
2006年03月22日
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暖かくもないのに食事の後が眠い。これも春眠暁を覚えずというやつかもしれない。これでお酒を飲んでいたら、春でも冬でも眠くなってしまう。字を書いてもみみずの這ったような字になる。外の空気に触れると目が覚める。しかし疲れた時には少しだけ眠るのがいい。あんまり寝すぎると、余計に疲れるので注意すること。仕事中で眠れない場合には、お茶にすると幾分まし。チョコレートを食べてもいい。引き出しには必ず予備軍が控えている。そのチョコレートであるが、イースターが近いのであちこちに出没する。 オレンジやグレープフルーツ、 チェリー、ジンジャー、レモン、ラヴェンダー、シナモン、ミルク、クリスピー、キャラメル、 ピスタッチョ、ラスベリー、アーモンド、 ココナッツ、ブラック、ダブルミルク、ブラックベリー、プラリネ、 干しぶどう、パイナップル(こんなのあったっけな?)、とかとかいっ~ぱいあってレジを出る時は、あとを振り返らないで通過するのである。ふりむかな~いで♪ランランラン。春先の買い物とは、決して後悔しないことである。
2006年03月21日
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私がここに居るのに誰にも見えない。天狗の蓑を着たみたい。私がしゃべっているのに誰にも聞こえない。お~~い、ここだよ~~いつになったら春なのか私の心の奥には、もうずいぶん前からセットされているのに。。。久しぶりにクラシック音楽のコンサートに出かけた。バイオリンとチェロ、ピアノでバートックからシューベルト、ブラームスと続いた。今度は一番前の席だったので、演奏者の鼻が詰まって、息するたびにシャーシャーいうのが聞こえた。こっちの人の鼻は中が広いから響くのである。音楽を聴いていると、時間が瞬く間に過ぎていく。そうだ、映画にも出かけなくては、寒さに負けてどうも足が外に向かない。春モードはまだしばし。。。
2006年03月21日
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土曜の朝、トラムでアルマーニ・ジーンズのカバンを持って、他もアルマーニのスポーツスタイルできめ、更にまだ見たこともないヴィトンのカバンを手に提げ、ブラジルサンバを耳に流しているポニーテールの(若い)姉ちゃんを前にした。こういういでたちの人はあんまり公共乗り物には乗ってこないのである。日頃、大事なのは心だとは言っても、こんな決まった姿を見せ付けられると臍下丹田がすかすかになってしまう。修行が足りない、足りない、本当に足りない。私はというと名のあるものは靴下がエスプリであるというだけで、カバンは先のヴィトンのと比べると20個は買えるだろうか。更にあまり用のない手袋も古いのを大切に大切に着用しているし。。。ショックであったが、気分を持ち直して、人は人さ~^~~^さて、「旅は大切なものへの回帰のこと」金曜日のアイスフレーバーの旅は、パスタが食べたくなるきのこフレーバーからはじまって、生姜レモンとプリュノーのアルマニャック漬けというミスマッチでまとめた。編傘茸とかいうらしいが、アイスは最初クリームの味がして、そのあとできのこの香りが立ち込めてくるというものであった。そしてアルマニャック(ブランディーのようなお酒)が効いて嬉しいプリュノー(プラムの砂糖漬け)も美味しかった。ただレモンと生姜のコンビはいまいちであった。しかし心を暖めてくれるアイスに出会った私は幸せ~~~である。
2006年03月20日
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(けんかをしなくなると、もうそれは手遅れです。)パートナー(または仲の知れた家族とか)とのけんかは、避けるよりも思い切ってやっちゃったほうが良いようです。それでだめになるなら、仕方ない、「タンピ」(仏語)と言ってあきらめましょう。根に持っちゃだめです。また体を使って《適度な殴り合い》などすると、痛いですが、あとスポーツしたみたいに爽快感で満ちます。でももちろん双方の体力を加減みないとえらいことになりますので、そこは注意してください。西ヨーロッパではあんまり男が暴力を行使するのは(いけないとされるので)多くないようですが、口げんかでも、普段のもろもろを吐いてしまえるので、あとすっきりします。女の人が暴力を行使することもあります。亭主を殴って殺したとかです。でもさほどないようです。(そりゃそうでしょう、何てこと言ってるんでしょか私は。。)意見のぶつかり合える場所があんまり無いと、欲求不満でいつか爆発してしまいます。誰でも意見は持ってるのであって、それを言わないだけですから、けんかしてすっきりさせましょう。といって、私はそのことについての責任は一切負いません。(∵言葉でも人は殺められるのです。)水は人間が生きていくには不可欠ですが、大雨で浸水被害、降らなきゃ乾燥の被害が発生します。言葉もうまく利用するように。意思表示は明確にということですので、それに、仲の知れた間では時々必要であろうということです。相手を攻撃するのでなく、思っていることをご披露するだけです。そして言い合って済めば良し、でなくても一応気持ちはクリーンになるはずです。自分の声を聞くだけでもポジなのです。そうでもしないとやっていられない世の中なのです。沈黙は金でなくなっているのです。話さないとわからない。話してもわからなくても、相手に言うことだけは言っておくのです。とは思いませんか?(口から先に生まれたオニオンでございます。)*西ヨーロッパだけでなく、日本でも暴力行使はよくないのはわかってますが、争いは話し合いで解決するという姿勢が優位ですということです。暴力行使は野蛮です。戦争や紛争は野蛮行為です。と話がなぜか国際問題に発展してしまいそうなので、これで終わります。来週は、けんかあとの爽快感で迎えましょう。
2006年03月17日
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ふるさとのするめむしゃむしゃあぁ、舌ざわりするめに季語はあるのか無いのか知らないが、大阪から送ってきた北海天日干しするめというやつを口に含んでいる最中である。歯茎への感触がいい。チューインガムと違って、あと捨てなくてもいい。しかしなかなか噛み切れない。思い切って飲み込んでも溶けるだろう。であるが、あとに歯の間につまったものをどうしてとるか、である。あぁ、こういうところ見られたら、お嫁に行けない。。とは昔よく言ったものである。私の里ではもう春らしい、せめて21日までは待ってやろう。なんせ時差があるでな。。。
2006年03月16日
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カメラが電話についてないので撮ってご披露できませんけれども、堅い地面からもっこりとやっと頭を見せてくれました。青いクロッカスです。自然はカレンダー通りにはいかないものです。一旦暖かくなって、芽が出かけたら、今度はまた凍ってしまって、せっかく出た葉っぱは葉っぱのままで、このままだと朽ちてしまうそうです。私は分厚いコートはやっと脱げたところですが、夜間は外がマイナス気温の日が続いてます。だけど、南国からきた夏の野菜のトマトやきゅうりが毎日食卓に出せるというおかしな(季節錯誤)生活を我々は営んでいるわけですが、これでは体のリズムが狂うわけで、最近良く眠れない人が特に増えているようです。人間の体には時計があって、自然のリズムで動いているのです。それが一度葉は出たけれどつぼみがふくらまないままで時を過ごす植物のように狂っているのです。しかし、これが異常な状況であるということさえも気がつかないでいるのです。そして、自然が暴れ狂った時になって、何かおかしいのではと感じ始めます。ルソーの「自然に戻れ」ではありませんが、春なのに、なかなか咲かない花を見て、地球の健康状態を把握しようではありませんか。都会の生活に麻痺しているのです。録音の鳥の声でなく、本当の生きた声(カラス以外の鳥がいいですね)に耳をかたむけませんか。その鳥の声が聞こえない人には、自然も声も聞こえないのです。無理なことでしょうか。
2006年03月16日
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青い鳥を探して旅に出る話ですが、我々は皆一生をこの旅をして過ごしているのではないでしょうか。そして何かを探しているのです。それが見つかるかどうかは、何を探しているかによります。でも大事なのは、その姿勢、プロセスではないかと思います。自分で何を探しているかわからなくても、そのものが自分を探してくれます。そしていつか、それに対面することが出来るのです。本当に必要であればです。人生無駄なことが多いようにも感じますが、この世に無駄なことなど何ひとつないのです。無駄に見えることは、有益なものを見えやすくしてくれている小道具のようなものです。不幸と感じる境遇も、幸福をしっかり感じるための舞台装置なのです。人生がお芝居なら、うまい役者もへたな役者も皆同じ舞台の上で移り変わる背景をバックにして動いているにすぎません。ライトが消され、化粧を落とした時に終わるのです。感動も何も無ければ、またもう一度別の舞台を踏むだけです。そして、化粧を落として、またもとに戻るのです。得るものがあっても、また何度でも舞台にあがることも出来るのです。例え独り舞台であっても、ライトは照らされ、音楽がかかるのです。モーツアルトでもバッハでもローリングストーンズでも、佐渡おけさでも、何でも好きなものをかけてもらえるのです。∵主役は自分だからです。しかも、何度も舞台を踏むことが稽古であって、いつも本番だけのお芝居です。と今日は水曜日なので?まじめな投稿でございます。
2006年03月15日
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昔父が海外に仕事に出る時、必ず女の人の髪の毛を少し切って束にしたものを紙に包んでいました。金髪もあり、黒いのも、亜麻色のもありました。聞くところによると、これを見た税関の人はニッコリして通してくれるというのです。これがどこから来ているのか知りません。もう父に聞くことも出来ません。でも厄(=税関)よけのようです。そんなこと思い出しました。
2006年03月14日
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この出だしの歌を知ってる人は、ブログするような年頃ではないかもしれない。私とて記憶はうっすらである。当時私は本当に長い黒髪乙女であった。大阪の地下鉄では、髪が他人のコートのボタンにひっかかり降りれなくなったりした。その時はすごく嫌な顔をされたし、自分でも嫌だった。そのままフランスについて、セルフサービスの学食のお盆(トレイ)を髪がひっかけて、見事ひっくら返して、皆の喝采をあびるまでずっと長いまま伸ばし続けていた。その時はもう一度列に並び直さないとならないのであった。太ももの半分まであったが、先がやはり邪魔になった。髪を結わいても結構面倒くさく、洗髪やらで結局切ったのである。それからというものも、髪の毛は伸び続けるので切っていかねばならない。貧乏学生は、お店には行かずに自分たちで適当にやるのである。もとドイツ人でカナダ人になったドリスという友達が、もと理髪師だったので刈ってもらったりした。ところが、彼女は私の服に穴を開けてくれたのである。あとはドリスもカナダに戻ってしまったので、日本人の純子さんや典子さんに頼んでやってもらった。そのうち帰国して散髪することもあった。ちなみにこちらの日本人の中には、帰国まで髪の毛を切らない、クリーニングにコートを出さない人たちが居る。こちらの諸事情から来ているのである。仕方ないことである。一度スパッっと断髪にしたこともある。ブリュッセルのグランプラスの近くのピアスのにいちゃんがスパスパとやってくれた。気持ち良く、すっきりした。しかしいくら切ってもすぐに伸びてくる。でも大人であるから、社会人であるから、髪の毛はきちんとしなければならないのである。男の人のひげも毎日剃らないとすぐ伸びるという。これが生きている証拠なのである。ではなかろうか。
2006年03月14日
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雨が降ってなんとなく気温上昇で、スカートを出して穿いたら、なんと二日で終わりました。また朝霜が降りてます。園芸をやってる方にとっては、待ち遠しいばかりです。新しいページといっても特にこれといって、考えてはいないのですが、自然体でやってきます。もっと楽しいこと載せますね。昨金曜日には例のアイスクリームの未知の味シリーズで、ブラットオレンジをぺろぺろしました。皮も種も入ってるので、幾分苦いのですが、これがまたくせになりそうな味でした。一緒に食べたパイナップルのフレーバーのほうもそのままの甘味が出て、オレンジにぴったり合いました。帰り際にはピーチ(赤い色)でした。なんかフルーティな一時をすごせました。ただ、みぞれが降る中を歩いてぺろぺろなので、ボディーはぶるぶる震えてました。おじさんの予告はきのこ(パスタのクリームソースに入れたりする茶色)です。(このきのこは編笠茸です。つまりこのフレーバーのアイスです。)
2006年03月13日
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運は、運ばれてくるものと思うより、運ぶものと考えてはどうでしょう。だから、好いものだけ運んで、あとは手をつけないのです。この一年、本当に本当につきあってもらって感謝しています。また来週から新しいページが始まります。我々は話すこと、書くことによって、つまり言葉によって様々な情報を伝えることが出来ます。考えることが出来ます。でも使い方を間違えると取り返しのつかないことになってしまいます。あくまでも慎重にですが、思ったことが表現できないのはもどかしいものです。あまり無理をすると病気になります。私は何でもはっきりと発言します。歩き出すよりも口が先に咲いたのです。でも言葉が出来なくても、恋したり、喧嘩したり出来ます。言いたいことは、伝えられるのです。文法などに縛られないで、自然な気持ちで接すれば、どんな場合でも何とかはなります。もちろん出来るに越したことはありませんけれど。。。言葉は心を伝える道具です。大切に使いましょう。
2006年03月10日
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昨夜は下町に映画を久しぶりに見に行きました。(中国の映画です)外は雨で9度でした。せっかくのスカートが雨で濡れたので、カフェーに入って休憩しました。ところで、男性がスカート穿くのってどうでしょうか。好き嫌いがあると思いますが、私は女性として、キルトの男は格好良いと思います。セクシーです。着流し姿もセクシーでいいのではないかと感じます。つまりこの場合のスカートは男のスカートであって、女性のスカートを穿くことではありません。そもそもスカートって男のものじゃなかったのかなあと思いますけれども。。この月に一回の中国映画の日は、どうしても買い物をしてしまいます。買いました、トップをふたつ。イメチェンとして、思い切ったカットのです。(=胸が出るやつ)持っているスカートに合いそうなのをです。
2006年03月09日
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女性の日だからというわけではなく、もうきついジーパンが嫌になったので、気温が 5度以上になるこの日を逃していつ穿こう、です。 さて、今日のタイトルは 「気付くことからはじまる。」 幸せになる方法とかありますが、我々はもともと幸せに生まれているのです。 それに気つくだけでいいのです。 余計な心配なんか不要です。しあわせに感じるだけ。 それが出来ないという人。。。まわりを幸せにするという方法があります。 でもこれは周りが幸せでないという仮定から出発します。 当然のことながら、それで自分も幸せになれるというものです。 自分の周りは、自分を反射している鏡のようなものです。 あくまでも主体はあなたです。あなた自身なのです。 それを忘れてはなりません。 でも幸せって、つかもうとすると逃げますから、知らん顔していることです。 命があること、すでに幸せなことなのです。 何も感じず毎日生きていけることがすでに幸せな状態なのです。 幸せでないことが無いと、幸せがつかめないのかも知れませんね。 次々に処分される鳥を見て、人間は幸せだとは感じませんか。 所詮、他の命の犠牲のもとに我々は生きているということを忘れてはなりません。 でも理不尽な世の中でして、アラブの一国で鳩一羽をひき殺した罪で、その人は羊を 一頭捧げなくてはならなかったということです。昔から羊は捧げられるのですね。 そういう羊になりたい方もいらっしゃるようですが。。。 蛙だったらどうなんでしょね。
2006年03月08日
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人類は、 空を飛び、遠地からやってくる渡り鳥から身を守れるのでしょうか。 このままいくと、猫や犬も外には出せなくなります。 そして人間も出れなくなります。 これってどこかおかしいのではないかと、いつかは気つくのでしょうか。 今世紀は裏(の事)が表に出てくるということですが、まだまだ出てきますよ。 一度出つくすと、それで終わりなのでしょうが。。。とにかく膿は出したほうがい い。 今週でブログやって一年目を迎えます。 ひょんなことから始めましたが、本当によかったという結論です。 素晴らしい人たちとの出会い、日頃の考えの整理、漢字の復習。。と楽しかったで す。 先日からブログを止める人ともすれ違いましたが、私もふと消えてしまうかもしれま せんし、(ひつこく)続けていけるかもしれません。 とにかくこの一年ありがとうございました。 感謝で一杯です。 おしゃべりな私が十分堪能しました。 「幸せは歩いてこない、だから歩いていくんだよ。 。。。。。三歩進んで二歩さがる。」 という歌がありましたね。ワンツーパンチでやっていきます。
2006年03月07日
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今朝外はうっすら雪化粧でした。雪は見てるときれいですが、弊害が多いのです。離れて見るに限るかもしれません。ドイツやスイスにスキーに出かけた人たちが、立ち止めを食って車の中で夜を過ごしている風景がニュースで報道されていました。でも、鳥のインフルエンザに比べたらなんてことないように思えます。ヨーロッパにインフルエンザが上陸してからというもの、大量の健康な鳥が処分されています。以前にも牛が、羊がコンテナーに積まれて何処へ運ばれていく映像をTVでいやというほど見ている私は、今回は鶏だけでなく、白鳥、鴨も犠牲になっているところを見せ付けられて、第二次大戦のユダヤ人虐殺の画面とダブって見えました。人間の命が一番重くて偉いのでしょう。殺生なことをすると感じました。人間以外の動物は人間の為に、犠牲になって当然なのでしょうか。
2006年03月06日
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またパソコンの接続が悪い。つながったり、切れたりする。鳥のインフルエンザのことを投稿しようとしたが、それは来週にまわす。それでなくても今週はちょっと重たいテーマを選んでしまったから。。。外は雪がちらちらしているが、気温は上昇していくらしい。外出の時はしっかりと身をくるまれたい。いくら好きでもアイスクリームは避けたほうがいいのかもしれない。が、私は食べる。いけないのではないかという意識を祓っているから。。。ではまた来週、パソコンの機嫌がよければ。。。
2006年03月03日
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親の愛に対しての何の苦しみも持たない人には退屈な書き込みです。 けれどもう少し付け足しておきます。 子供は可愛いから育てるのだったら、可愛くないと育てませんか? これは実話ですが、30歳すぎの大柄の重度の心身障害者を背負って、病院に通うひ とりの母がいました。 彼女はその子がおなかにいるときにすでに、異常があるとわかっていました。 けれどもその子を望んだのです。回りからみたら、おろせたら、おろしたらいいの に、でしょうけれど、やっと恵まれたその子を彼女は産んだのです。 そして育てあげたのです。彼女は誇らしげに自分の子を育てたのです。 子供が彼女を選んで生まれてきてくれたからなのです。 見た目には可愛くなくても親にとっては可愛いわが子なのです。 子は命をかけて親を愛しているからなのです。 どんな子であろうとも、どんな親であろうとも一度結ばれた絆は切れないのです。 目に見えないつながり、それが親と子をつなぐ「かすがい」なのです。 すなわち大切な宝物であるのです。 今のところ誰にでも親はいます。生後すぐ別れても同じことです。すぐに捨てられて もです。 子には親を知る権利があります。親にはそれを教える義務があると思います。 この関係があらゆる人間関係を作っているのです。 そういうことがわかりますか? 理解することではありません。 感じることです。 と幾分難くなってしまったけれど、外は今週に入って雪がまた降って、積もって、車 の事故が増えている。 気温は幾分持ち直したとはいうものの空気が冷たい。 手持ちのコート全部にそでを通し、全セーターに首を通したくらい長く続いた冬は滅 多になかった。ここ20年来。 火曜日から謝肉祭の本番、各地でカーナヴァルが始まった。 オレンジ(ベルギーのバンシュ)やレモン(南仏ニース)やあめやチョコレートやお もちゃを山車の上から下の観衆に投げつける。 必死で拾う人もいる。必死で避ける人もいる。 確かに当たると痛い。でもけが人はあまり出ない。 こちらのほうは、ブラジルのように暖かくないから、衝撃スタイルの女性にはお目に かからないが、分厚い衣装を着て、人間離れした化粧をこってりして浮世を忘れよう と原住民ははりきっている。 そうだ、ヴェニスの華麗なマスク(+人間)が見れるのも今である。イタリア人はお しゃれが好きだが、トリノでご覧になっただろうが、隣のフランス人たちとは、一味 違うセンスの良さが光っている。 私にはフランスの冬のオリンピックにせよ、ワールドカップにせよあの開会式の ショーの芸術的センスは、はるかにイタリアが上であると感じる。 ヴィヴァ イタリア!
2006年03月03日
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白酒やあられやお餅、そして5月には粽(ちまき)ですね。もうすぐお雛様、そして端午の節句お雛様を出しっぱなしにしても大丈夫だそうです。うちには、京都のミニお雛様が飾ってあります。五月人形もミニサイズのがあります。ガラスのケース(水槽を逆向けたもの)に入ってます。実家にはガラスのケースに入っていませんでした。水槽もあった(中に魚が泳いでいる)のを聞くところによると、私が壊したということです。その壊れてガラスをとった空の水槽は、ずっとベランダに置いたままでした。でも大きい立派なケースをどうやって壊したのでしょうか?きっと魚の気を引きたかったのでしょう。こつんこつんたたいている間に思わず力が入ってだと思います。そのせいか、今でも水槽の中の魚を見るのが好きです。でも魚は私を見てくれているのでしょうか?
2006年03月02日
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親が子を愛さないはずは無いのです。というよりもどんな子も親に愛されたいので す。 親が勝手に産んだのでなく、勝手に生まれてきたのです。子が親を選んでいるので す。 そもそも親の愛は男女の愛とは違います。親が育児に使う時間、つまり親の命を想っ てください。 それが無償の愛なのです。みかえりを求めないのです。本能のようなものです。 太陽の光のようなものでもあります。 ただそれだけです。親が産んでくれたから今日のあなたが存在するのです。 自分は生きる価値がないと思う人にとっては、親が産んでくれたことを恨みます。 でもあなたが親を選んできたとしたらどうでしょう。 責任があるのは自分ではありせんか? もう親がこの世の人でなくとも、あなたは生きています。 それを忘れないでください。 決して遅くはありません。 もしあなたが親でなくても、まず人の子です。 抱きしめられたことがなくても、 手を握り締めてくれたことが無くても、 授業参観に一度も来てくれなかっても、 突き飛ばされたりしても、 ぶんなぐられても、 「おまえみたいなあほは知らんわ」と言われても、 「なんでこんなでぶでブスやねんやろかねぇ」とささやかれても、 熱いの我慢して握ったおにぎりがお弁当になくても、 いつも顔見るたびに、ためいきつかれても、 寝ている時に悪口言われても、 他の兄弟ばっかり可愛がっていても、 あなたの親はあなたの親なのです。 同じ遺伝子を持つあなたの親なのです。 子供が先に親を愛するので親がそれに応えるのです。 親から愛されることを望む前に親を愛することです。 これは男女間でも同じです。 愛されたいのなら、まず愛することです。 「するとされる」と言います。 愛すると愛されるのです。 この法則はどこにも使えます。 嫌うと嫌われると同じです。 親切にすると、次は親切にされるものなのです。 オープンマインドです。愛を与えることからはじめましょう。
2006年03月02日
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親に嫌われている(と思っている)人、親が嫌いな人にちょっとお勧めな作業があり ます。 紙、あるいはノートを用意します。それと書くもの、鉛筆でも、ペンでも書けるもの なら何でも結構です。 そして、ひとりの自由時間を選びます。 机にむかって、姿勢を正して、そこに自分が何故、親に嫌われているのか、嫌ってい るのかを書き出していくのです。 誰に見せるものでもないので、正直に、でも字はまともに書いていきます。 この書く作業,書き出す作業が大切です。語るだけでなく必ず書いてください。 理由だけでなく、こんなことが腹立つとかいうことを書き出してみます。 理由はひとつやふたつではないでしょう。複数のものが重なっているはずです。 それもまとめた理由でなく、ひとつひとつの出来事を書き出していきます。 昔のこともあるでしょう。無理して思い出そうとしなくても、それだけ深ければ勝手 に出てきます。 書くことがないのなら、親を嫌う、または嫌われる理由は無いのです。 一度やってみてください。 本当にもう何も書くことが無くなるまで続けます。 そして、読み直してもう一度考えます。 その理由がわかるはずです。 それだけです。 次回に続きます。
2006年03月01日
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