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日本産の黒豆が100グラムあったので、甘く煮てみた。煮汁もなくなるくらいに煮詰めるのが大豆なら、黒豆はすぐに柔らかくなってしまった。それに、今度のレシピはまず柔らかく煮て、煮汁を捨ててから砂糖蜜をかけて再び中火で沸かしてから火を止めて一晩おく、というもの。どうしても煮汁がもったいないから、そのまま冷蔵庫にとっておいて雑炊に使った。黒豆の絞り豆風が好きなのだが、あれはいくらあっても全部一度に食べてしまう。最初に食べたのが、地震あとの神戸のビルの上の料亭での昼食だった。エレベーターを7階くらいだったか、上がるとつきあたりにレストランがあった。奈良に本店があると聞く。しかし空き席がないので、入り口で少し待たされた。別に気にもならなかったが、お姉さんがお茶とおつまみを運んでくれたのである。赤毛氈のひかれたベンチに座って、熱いお茶をすすって、おつまみを見つめた。小豆羊羹のような色であるが、不規則な粒で結構大きい。まさか鯨の肉ではないだろう。あんまり豆に縁の無い私はそれが黒豆であるなんて想像もつかなかった。しかも乾いた豆でほんのり甘い上品な味は初体験だった。実際に料理に何を食べたのかは覚えていないが、あの先に出された黒豆がよかった。帰り際にちりめんとか書いてあるので、奈良のちりめんかと、つまり布かと思い木箱に入ったちりめんを買った。実家に戻ってあけてびっくり、なんと雑魚の佃煮だった。縮緬雑魚だったのだ。日持ちするので、ベルギーに持って帰った。暖かいお茶漬けにその縮緬じゃこを散らすと、不思議にあの黒豆の皮の感覚がよみがえるのである。あぁ、黒豆よ。。。関東の人はあんまりご存知でないようであるが、是非お試しあれ。私の煮た黒豆も蜜をきってしょうがの絞り汁をかけると酒の肴になるそうな。寒い冬の夜に熱燗を前にちょろちょろとしょうがを絞り、黒豆をつまむ、囲炉裏の火がちょろちょろと揺れる私はどてらを着ている。こんにゃくと味噌があってもいいなぁ。。。
2006年11月30日
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昨日の続きだが、気持ちが大阪と上海に引き裂かれたようだが、考えようによっては上海は大阪の近くである。また何かの縁で逃がした映画とも再会できるだろう。もとから私は香港オニオンと間違われるくらいに中国人の顔だという。知り合いの香港人からも間違われたりしたが、損はせず、可愛がってもらって得したりした。実の父からも顔は中国人、しかし、他は違う、もっと細い、と言われ乙女心をもてあそばれたものだ。ここでの中国語の学校でも間違われた。中国のスーパーでもこちらで生まれた中国人と見られる。一度、慣れないレジの人が中国語で相手をしてくれたが、いつもはフランス語である。話を映画に戻して、最後のほうで、15歳のふたりの会話がある。「おれなぁ、つまらん人生ばかりやと思ってたけど、つまらん人生なんてないんや」「そうやなぁ、どんな人生も意味あるわぁ」死んでしもたら終わりや、とはナニワ・オニオンのことば。。。
2006年11月30日
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今月のはじめから悩んでいた選択は、結局日本の映画にした。「大阪物語」である。行かないわけはない。1999年のものであるが、ケバケバしいはずの大阪が幾分疲れて見えた。おしんの田中裕子もジュリーの沢田研二もよかった。たこ焼きやのおばあちゃんが子供たちに、「ええか、おとうちゃんらはなぁ、笑われてるのとちゃうで。笑わせとんのやで」(おとうさんたちは、人様に笑われているのではないんだよ。笑わせているのだよ)というあたりは、人情ものナニワと言う感じだった。もう一本の中国映画は「チャイニーズ・ボックス」であった。最近ちょっと中国漬けだったから故郷日本に旅してよかった。今激辛キムチを食べながら発信。。。
2006年11月29日
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ブラックコーヒーを入れて、黒五ポッキーを1本とって口の中で溶かし、2本目をくわえて「エコー」誌(日経みたいなもの)を開いた。「コムシェソワ」の台所の写真がデカデカと目に飛び込んできた。私の目には、星がパラパラと散ったのである。見出しですべてがわかった。創始者の孫であるピエール・ワイナン氏がシェフの地位を娘婿に譲るので、ミシュランの赤いガイドは、単純に三つ星をひとつ消して二つ星に格下げしたのである。ミシュランが生まれ育ったフランスでは、一度生まれた星はそのまま光続けることもあるが、ここはベルギーである。このレストランは1926年6月19日から今日までずっと質の高い料理を作り続けてきた。最初の星は1953年で次が1966年、1979年から三ツ星レストランとしてベルギーの誇りのひとつであったのだ。ミシュランガイドでは、オーナーやシェフが変更や移動した場合には、ひとつ格下げをするのである。他のレストランでもオーナーが死亡したために格下げされている。2007年版はこの木曜日が販売日である。今年まではベネリュクス版で三国分あったものが、ベルギーとリュクセンブルグ版とオランダ版に分かれるのである。クリスマスの飾り付けが目立つ今、星がひとつ消えたことはショックである。ミシュランだけが、ガイドではない。されど、ミシュラン。。。
2006年11月28日
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ベルギーは小さい国なので、フランスに比べたらさほど有名人がいるわけではない。しかしジャック・ブレルやアドルフ・サックスはベルギー人であった。超現実派(シュールレアリスム)のルネ・マグリットをご存知だろうか。彼は紳士の顔の前に大きな青いリンゴを描き、描いたのはリンゴでなく、後ろの顔だとしている。他にも大きなパイプを描き、「これはパイプではありません。」という題にしている。彼が云わんとしたことは、目の前に見えるものに隠された真意をつかみとることだ。我々は最近電子メールばかりで、手紙をすっかり書かなくなったとは言うものの、いざ書くとなると、本当に書きたいことが書けないものである。また電話であっても、本当に話したいことはなかなか話せないできってしまう。実際に会っていても、なかなか本心は明かせないものである。真実はつかみとるものである。何度も入手しようとする努力が必要なのだ。最初から足元にあったとしても、それに気がつかないものだ。また気がついても入手できない。神は我々に必要なものはすべて与えてくださっている、と理解すれば、あとはそれに気つくだけなのである。そして、自分のものにすればいいのである。発見できる澄んだ目と健全な心で毎日励めば、宝の持ち腐れにはならないものである。
2006年11月27日
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中国語の勉強をしていたら、タイミングよくドイツ在住のメル友からの秋のグリーティングカードがついた。もみじの紅葉である。風鈴の音が心地よい。日本なら風鈴は夏の風物詩である。中国のサイトでもグリーティングカードサイトがあって、いろいろなカードを選べるのである。全部中国語だと何かおかしい。しかし彼はよくメールをくれる。写真も一杯送ってくれる。私の写真を何度も求められたが、断った。一枚それように撮ったが、やめた。もしかしたら、その気があるのかも。。。
2006年11月27日
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中国語では親族の呼び名が複雑です。というか、全部覚えるのに自分の家族と照らしあわせでもしないものなら無理です。これでみると、男性であることが社会的に優勢であると理解できます。しかしながら、家庭的に本当に男が強いのかは実際に体験しないとわからないでしょう。今夜はインドの映画「water」を観て来ました。1938年のインドが舞台です。一見の価値あります。家族って何なのだろうかと考えさせられます。私は女に生まれました。父親は男を望んでいたのです。でも女なのは、誰のせいでもありません。今度生まれ変わるとして、あなたは同じ性別を望むでしょうか?
2006年11月26日
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服装についても守らなければならない事があるが、食事を申し込むことが肝心である。つまり予約をいれておくことである。何人なのか?何時なのか?とかである。その時の感触で店の雰囲気がわかるというもの。人気のあるところでは、2ヶ月から3ヶ月前に予約しないと席がとれない。特に夜のディナーが大変混むのである。ブリュッセルの「コムシェソワ」でもそうであるが、昼ならなんとかなる。ということで、オニオン親子はこの高級レストランに出かけたのである。20年ほども昔のことである。当時はクレジットカードはダイナースだけだった。父もダイナースは当時持っていなかった。なぜ、このことを覚えているのかというと、店の人(マダム)にアールヌーヴォの中に案内され席についてから、メニュー・カードが渡される。その時父が入り口にはダイナースカードのシールしか見なかったが、他のカードが使えるのか聞いてくれ、というので、先ほどのマダムに尋ねると、その通りであった。「あかんのやて」(=いけないのだということだ)と席に戻り伝えると、「しゃあない」(=しかたないなぁ)と言って、「うちに電話してキャッシュ持ってきてもろうてくれや」。ここで「うち」というのは私の家、つまり息子のベビーシッターをしている父親の居る家である。食事が終わるまでにということであるが、そんな大金あるのか、と心配で、父に渡された値段の載っているメニューをひったくって、目を皿のようにして計算しかけると、彼は「大丈夫、大丈夫」と何が大丈夫なのか、平気でどんどん注文していくではないか。結局、最後までおいしかった。食べているうちに最初の不安は消えて、大丈夫だと感じ、楽しくなってきたのである。もちろん間に合った現金で勘定は済ませることができた。父も気にいったようであった。あれから2度ほど出かけたが、最初の時のことが忘れられない。思い出すたびにおいしいのである。一緒に行った父はあの世でまた、おいしいレストラン、星つきを求めているだろう。
2006年11月26日
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あれやこれやと悩むより、思い切ってわからないことは聞いてみるのが一番である。私はどんな事も、誰にでも聞いてしまうので、答えられない人に悪いかなあ、としばし考えるようになった。よって聞く前にその人が知っていそうかどうかを考えないとならない。スタインベックの「怒りの葡萄」のイワレをある日本の有名大学を出られ、当時XX評論家である大先生に尋ねた。この人なら文学部だから知ってるだろうと。。。ところが彼は「ぶどう、ね。いかり、ね。いかりの、ぶどうね。ぶどうぶどう。。。」そのまま何時間待っても尻切れトンボで終わってしまった。しかし、ずっと悩んだオニオンは、25年ぶりにめぐりあえたフランスのことなら何でも知っている仏語の先生に尋ねた。彼女なら別に知っていなくても何かヒントをくれるのでは。。。と思ったからである。確かに、彼女は知っていた。聖書の中にある一節であり、スタインベックの本の一番最初にそれが載っていたというではないか。なんと彼女のお兄様は牧師さま。あまりに興奮していたオニオンは、出典を確かめるのを忘れてしまった。しかし、ヒントは聖書。やはりスタインベックである。それから5年近く、それまで15年あったから20年後になって回答はインターネットの質問サイトでクリアーされた。(やはりクリスチャンの方が答えてくれました。)ひとつひとつ疑問を解いていくのは、部屋の中が片付いていくように気持ちがいいものである。普段から疑問、質問をためてスタンバイさせておくと、むこうから解答はやってくる。とオニオンは悟った。今回は悟りオニオン。
2006年11月25日
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物にはどんなものでもそれぞれの波長がある。先月から申し込んだ無線インターネットの接続がうまくいかない。無料のサポートセンターに三度ほど問い合わせが続いた。といっても今回は前の事務所のプロバイダーのサポートのような人を食ったような態度ではなく、そこそこのパソコン通な日本のゲームばかりはげむ洋おたくの兄ちゃんたちが相手してくれた。最初からは原因が不明であっても、回を重ねるごとにむこうも記録しているのか、建設的に対策を考えてくれる。結局は周波数を変えてひとまず落着した。時々うまくいかないが、もう電話するのも疲れた。宣伝ではひとつの接続で4台のパソコンが同時に使えるということだが、どんなに考えても、ひとつのモデムに有線のコネクションが2本と無線用のパソコンに差し込むカードで合計三つではないかと思うのだが。。。4台パソコンあるわけではないので、問題はないのだ。余計なことは考えないことにするオニオンである。週末に突入。。。。
2006年11月25日
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いそがし魔の9月と10月がすぎて、幾分落ち着いたと思っていたが、このままだと年末に突入してしまう位に加速がついている。大きなサイの背中に乗って2006年の端まで進みそうなのだ。もう止まらない。ゆっくり空を見ることはあっても、雨がしきりに降る。ときたま、朝方にトムとぺネロープ・クルーズ主演の「ヴァニラ・スカイ」の様な不思議な色の空に会える。慌ただしく一日を終えて帰路につく頃は、ふと見上げた雲の合間のおぼろ月。。。白いんげん豆を水につけること3っ日目にやっと調理することが出来た。といっても夜の夜中に圧力鍋をかけたのである。シチューをつくろう、が冷蔵庫の野菜を片付けているうちに何となくミネストローネになってしまった。セロリの株、蕪(カブラ)、玉キャベツ、人参、ニンニクたくさん、玉ねぎ、豚肉の薄切りにマクロビのレンコンの粉、更にいつもの私のミックススパイスに加え、ハーブとクローブを。。。。。トマトペーストを入れて味を調えて仕上げる。レンコンの粉でもいいが、これをごぼうのスープにしてもいい。使った鍋はラゴスティーナである。ふたは開けにくい、閉めにくいがコツをつかむと早い。なんせイタリア製でスマートこの上なし。やはり豆料理の季節である。次は金時豆か黒大豆の甘煮の予定。
2006年11月24日
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アメリカの感謝祭とだぶっているような日である。あちらではターキーを食べるが日本では何かあったっけ、と考えをめぐらしてはみたものの、何も出てこない。日本人でもThanksgiving Dayの謂われを知っている人はいても、「文化の日」の謂われをご存知の方は少なかろう。さらに文化と文明の違いもはっきりしないものである。カルチャーという魂の抜けたカタカナ語がどういう意味であるかもである。たとえ学校の教師でなくても、日本人であるなら、それぐらいは知っておくべきだろう、とつぶやくオニオン。。。いい機会なのだから、検索してみてはいかが。追記:もちろん、気のつかれた方もおられるだろうけれど、タイトルは最初、勤労感謝の日にするはずだったのが、どういう訳か、月の最初に書き損なった文化の日のこととクロスしてしまった。これをベルギーぼけという。キーをたたいていて、何となく変な感じだったのだ。いくら考えても何も出てこないはずだ。文化の日なのだから。。。すんません。
2006年11月23日
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おいしいレストランで、ミシュランの赤いガイドにのっているものは、いわゆる高級レストランであって、男は上着、シャツ、ネクタイに皮靴姿でないと食べさせてくれない場合がある。受付で食事をする時だけ貸してくれるところもある。ところが、女性にはさほどうるさくない。ただ食べるだけではないのである。これは昔からの風習であろう。ミラノの大聖堂やパリのノートルダムに入る際には肩をむき出しては入らせてくれない。ツーリストたちは、ちり紙をはさんで入り口のおじさんに許してもらうのである。頭がむき出したといけないので、スカーフでヨーロッパの婦人たちは覆ったものである。帽子やベールをかぶる場合もあった。料理屋だけでなく、場所によっては制約がついている。食べてやるのではなくて、食べさせてもらいに行くのである。だから、礼儀正しくしないと嫌われるのである。でも女性に対しての制約はいかがなものだろうか気にはなる。スケスケ・オニオンで一度出かけてやろうか。。。
2006年11月22日
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イタリア語は私のお気に入りの言語である。美しいと感じる。うっとりとする。昔、南仏からフィレンツェに行く途中の列車の中で、会話を聞いているだけでウトウトしてしまうくらい気持ちよかった。意味がわからなくても、何となく映画の中にいるみたいな雰囲気になってくる。これがスペインの列車では、寝ているのがくっきり目覚めてしまうのである。もちろん、これは個人的志向である。
2006年11月22日
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箕面のもみじ饅頭というのがある。 もみじのかたちの皮の中に餡がしっかり入っている。 また、もみじをテンプラにしたものもある。 子供のころこのテンプラを食べ過ぎて気分が悪くなったことがある。 なつかしい思い出である。 私の祖国はもみじの季節を迎えたのだろう。 ヨーロッパではもみじ狩りなどしないが、きのこは採りに出かける。 ふる里は、遠くにありて想うもの。。。。。
2006年11月21日
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さて、結論として、「いじめ」を減少させるのは文部科学省にお願いして、まずは「いじめ」られない=「いじめ」に打ち勝つ方法みたいなものをオニオンは考えた。 --->強くなること。 --->情操の教育。というようなところである。オニオンの息子の自転車といっしょで(ブログ日記「自転車泥棒」を参考にされたい)人目にさらせて「さあ、盗んでくれ」と言わんばかりに中央駅の前に三日三晩放置したサラピンの自転車は、サドルが盗まれ、続いて雨風に耐えたボロになったサドルの無い自転車さえも、一晩フラジェ広場の工事現場の近くで鍵チェーンをかけた車輪一個を残してあとは姿を消したのである。盗みたいやつらの挑発をしたのである。「いじめ」たいやつらの挑発をしないこと。いじめるものも弱いのである。その弱さを強がって装っているだけなのだ。本当に強いと優しくなるのだ。受身でいてはいけない。自分から動くのである。天の気を吸って、地に吐いて捨てるのである。濁った空気を換気してやるのである。そう書けば容易いことである。実際にそう簡単にいかないかもしれない。でもとにかくやってみることである。例えば、私でも大根足だと言われていじめられたが、本当に足が大根みたいなのか(実家ではあんまり大根の料理をしなかった)植物図鑑などで大根と足とを見比べて、「太い、しかし、しまったおいしい大根足だ」と結論を出すまでに10年以上かかっている。またもっと目に付くことで「いじめ」られる場合だってある。さらに、「あの子は、パソコンが全然だめなのよ」と全くパソコンに指一本触れさせないでぬけぬけと言うやつがいる。あわれ、その子は自分でも出来ないものだと思い込んでしまう。ところが、ある日パソコンにふと触れて、指が勝手にキーをうつ。。。快感!!!?のち世界でもトップクラスのパソコン会社でそれこそプログラムの権威となる。ってこともある。うるさいやつらは相手にしないことである。もっと自信をもって、だって、世界は君のためにあるのだから。。。もちろん心身障害者の方への「いじめ」も当然ある。これは見ているほうの者、例えば家族が「いじめ」のエネルギーをうけてしまう。それが相手に余計にその気にさせてしまう。そういう時には無視すること。つまらん奴らにかまわないことである。家族や友達で障害者の方がおられるということは、他の人には無い良いチャンスを与えられたようなものだといえる。わざわざここに書かなくても、もうわかっているはず。我々は皆平等に生まれているのだから。。。以上、オニオンの考えでした。
2006年11月21日
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人に優しくすることは非常に難しいオニオンではある。。。というのが前回で、続いて二つ目は「言葉」を磨くことである。「ことだま」ということばはもう死語かもしれないが、もう一回よみがえらせてはどうだろうか。漢字などの書き言葉は他所から来たとしても、話し言葉は日本のものである。その日本の魂を磨いて美しい日本語をしゃべってはいかがだろうか。最近なぜ、日本語が乱れているのか?それはそれを教わっていないからである。教えないからである。優しくすることも教わらずしては不可能である。資格ある教師が必要なのだ。敗戦後何とか日本は生き残ったとはいうものの、精神面の教育がなされていない。それまでのものが殆ど姿を消されたのである。天皇主義を恐れてのことかもしれない。よって、「ことだま」と口に出そうものなら、すぐに指を指されてしまうからだろうか。しかし「ことだま」教育=天皇主義とするのは、あまりにも単純である。言葉の心をスピリット、つまり魂を習うべきである。敬語が使えないのではなくて、使い方を知らないのである。だから教育すべきなのだ。敬語の分類を変えてみたところで、何にもならない。そういう表の目に見えることでなく、内部の隠れた部分の改革をすべきなのだ。これは過激でも何でもない。オニオンは哲学者でも、宗教家でもないし、教育家でもない。しかし、ひとりの外地に住む日本人として、声を大にして言う、「言霊」教育を見直せと。それを後世に受け継いでいかないと、いつか日本の心は完全に消滅してしまう。幸いにして、戦後日本の漢字などの文字は残された。とはいうものの随分骨抜きにされたものもあるが、その文字に心を持たせてやらないとならないのではないか。心はふわふわしているからこそ、落ち着くところがいるのだ。有形の文字には心がないともろくなる。ふたりの俳優が同じせりふをしゃべっても、人に感動を与える場合とまったくそうでない場合とがある。それはことばの裏に心を入れるからだ。また、機械で切った肉には味が無い。ところが、ベテランの肉屋が切った肉は旨いのである。更に、高い料金のレストランでまずさに失望することがあるが、あばらやで出された心づくしの料理に感動することがある。人間はこの感動することが大切である。出来ない場合にはもうオシマイなのである。ということで次回にオニオンの結論を出すことにする。
2006年11月20日
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心を強くして、インフルエンザに対するように身を守ることである。それには内に自信を持つこと。そして外に「優しさ」である。この優しさは決してふにゃふにゃの腰抜け状態を指すのでなく、しんからの強さを意味する。色で言えばピンクにあたり、女性的な「弱い」イメージがあるが、実際には女性の奥に潜むど強さを表している。と検索しながらいろいろと学んだオニオンである。男のコートを脱がすには、寒い強い風ではなく、暖かい日差しなのだ。ダイエットにしても、1週間で10キロ落とすより10年かかって10キロ落とすほうがずっと確実で安全なのだ。また草木にしても、水を一度にやりすぎると腐ってしまう。ミルクを飲んだばかりの赤ちゃんの背中は軽くちょんちょんとたたくだけで充分であって、決してボンボンやらない。さもないと、飲んだミルクまでもどしてしまう。「優しさ」=「強さ」だと、わけのわからぬことを言っているようだが、ひとつの物には必ず裏表の両面があって、共存しているということだ。つまり、一体をなしているのである。と日曜日のオニオンは考える。
2006年11月19日
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自分から「いじめ」を求めるバカもいてもいいではないか。世の中にはストレスを求めて生活している人だっている。突然ストレスレス状態になったら、はりあいが無くなっておかしくなるだろう。「いじめ」にしてもストレスにしても、それを燃料にして陽転していけば何も恐れるものはない。昔聞いたことのある、「神様は世の中を幸せで満たしている」と言うのは、辛いことが多ければ多いほど、それを幸にかえていくことである。よって、苦しみが多いだけ楽しみも多いということだ。「いじめ」に屈せず陽転させていくのである。そのためのエネルギーは社会保障の無い人でも無料で供給されている。目の前にあって、活用されるものを待っているだけのものを利用するだけのことである。余談だが、「夢」も「希望」も無いというが、これだって無料である。望みさえすればいくらでも持てるのである。五体満足でなくとも、色が黒くても、黄色くても、マイホームが無くても、ちびでも、大根足であっても、「のろま」と人に言われてても、日本語がろくに出来なくてもである。次回は、いじめられないようにするには、対策をオニオンは考えた。
2006年11月18日
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我々の中には逆境を求めて、それをプラスのエネルギーに変換していく場合がある。私は子供の頃、偉い人の伝記を読んで逆境にあこがれていた。しかし、そんな過激な逆境はなかったのである。親もそろい、どう見ても実の親だし、服や靴も与えられていて、文句のつけようがないし、食べるものも満たされていたのである。もちろん上を向いたらきりがない。下を向いても同じこと。五体満足にそろい、病気もしないでフクフクと育っていったのである。しかし学校では「いじめ」らしきものはあった。私はそれを「いじめ」とは呼んでいない。そんなマイナスイメージでなく、そのおかげでいじめられた者の身のつらさがわかったからである。大人になってもいじめはいけないと、いつの間にかマイナスからゼロを通り越してしまっていた。プラスになっていたのだ。そんなことだから、「いじめ」てもらった、「あぁ、ありがたや」である。その後の大人のいじめに対しては、陰極を陽転させるコツをつかんでいる私は、さほど気にならない。「いじめ」が通り過ぎていく。もしかしたら、「いじめ」をいじめていたのか。。。?「いじめ」よ、さぁ来い!とかまえていたきらいもある。幸運はいくら待っても来ないのと同じで、その気で待つと来ない。変態ではないと思うが、「いじめ」られる境遇こそ逆境であると信じ、自分から求めてしまっているケッタイなオニオンである。BON WEEKEND!今日のアイスクリームはアルデンヌの栗でつくったマロングラッセであった。これがおいしいのったら。。。。。
2006年11月17日
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「いじめ」「いやがらせ」「いびり」…とにかく陰湿なもの。子供の世界だけでなく、大人の世界にも存在する。「いじめ」を受けた子供が大人になって「いじめ」る方に回る可能性もある。なぜなら、いじめられたマイナスのエネルギーをゼロにするだけの充分なプラスのエネルギーを持っていないからだ。このプラスのエネルギーは、ギャラリーラファイエットにも、東急ハンズにも、ハロッズにも、カウフハウスにも、ローソンにも、リナサンティにも、銀座の中村やにも、カルフールにも、三丁目の駄菓子やにも、楽天市場でも売っていない。これは我々のまわりを取り巻いている全く無料のエネルギーだからだ。しかし只ほど高いものは無い、のである。どうすればいいか。。。答えのひとつとしては、何も考えないで空を見上げてニッコリすればいい。手をお相撲さんの土俵入りのように上に広げて天の気を吸い込むのである。そして、吸うだけ吸ったら、あとは静かに微笑みながら吐くだけ。それで、メロメロとプラスエネルギーに満ちてくる。もし泣けたら、相当な荷物をしょっていることを証明している。泣けるだけ泣けば、涙が洗浄してくれる。がまんしてはいけない。わぁぁん、わぁぁん泣けばいいのだ。それだけで今日は充分だとオニオンは考える。そしてまだ次の日も、その次の日もこの章は続いていく。
2006年11月16日
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(文部省ではないのですね…)文部科学省が定めた「自分より弱いものに対して一方的に身体的・心理的な攻撃を継続的に加え相手が深刻な苦痛を感じるもの」を「子供がいじめと感じた行動」と定義しなおしたということです。オニオンはオニオンなりに、このいじめについて少し考えをまとめました。まずいえることは、どんな子供か定義していない、ということです。それと、いじめられてもメゲナイ場合にはもういじめではなくなるのでしょうか?子供には強い子、弱い子とあります。それぞれ受け止め方が違います。また、いじめは集団生活においての特有な行為ではないでしょうか?つまり個人的社会においてはあまり見ないのでは。。。とにかく、私は免疫があって並大抵のいじめには屈しません。更に、いじめは社会から無くなりませんよ。減少することは出来るでしょうけれども。底からの教育が、良い教師が必要でしょう。子供たちは、大人もですが、心のよりどころを失っています。それをとりもどすことです。ではどうすればいいのか、少しずつ考えましょう。
2006年11月16日
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北海道での地震のニュースを聞きました。その影響で津波の危険もあるとか、それも静岡までという広範囲にわたってのこと。自然の力には逆らえませんね。多くの被害者が発生しないこと祈ります。ヨーロッパでは地震はめったにないのですが、一度夜中に揺れたことがあります。ケルンのほうが震源地だったらしいのです。被害も出ています。しかしブリュッセルのほうは少しだけでした。南仏でもノストラダムスが出たところエックスの近くでも地震が起こりうるらしいです。私が滞在していた時には何も起こりませんでしたけれど。。トルコのほうに比べたら何も無いのと同じです。あそこは、震源地の上に国があるようなものらしいです。学校で地震の避難訓練などありません。火災非難訓練くらいです。また光化学スモッグ注意報なんてまだ無いのです。たまに猛暑で人がぱたぱたと倒れるくらいです。
2006年11月16日
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古いのでは、イタリアの親子が出てくる映画、新しいのでは中国の北京の学生が出てくる映画が同じタイトルです。どちらも被害者サイドの映画です。我が息子は今は、自転車と言えるのか。。。車輪一個とチェーンだけをガレージに置いてます。最初はガレージの中のものがそのまま盗まれて、新しいのを買ってサドルが盗まれて、さんざん乗って、ついに車輪一個以外全部が消えたというかたちです。治安がいいところに置けば良いものを若い人はわざと盗まれやすいところに置きますね。盗んでくれとでもいうようなものです。物への執着が無いと言うか。。ブリュッセルでは自転車が盗まれると、日曜日のミディ駅の市に行け、というのです。そこでまず売られているというのです。部品とかタイヤとか、なんでも見つかります。まっ、ちょっとおっかない話題になりましたが、例の「いじめ」について次回書いてみましょう。今晩はイタリアの映画を見てきました。本当はそのことを書こうと思ったのですが、なぜかさっきの時点で自転しました。
2006年11月15日
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子供のころから何でも「もったいない」と言われて育ったせいか、物がなかなか処分 できない。食事も出されたものは全部いただく。 映画でも、つまらないものでも、最後まで席についている。そして何かを自分のもの にするのである。 香港映画で有名なジャッキー・チェンの映画は最後、つまりエンドマークのあとに撮 影風景が映るのである。しかし香港の人たちは終わるとさっさと帰るらしい。大阪な ら結構最後までいる人がたくさん居る。 私も大阪人。電気がつくまで残っているのである。 そのせいか、人生街道どんな目に遭っても避けずにそのよいところをとってしまうの である。 嫌なやつでもその長所をとってつきあえる、のが大阪人だ。 と言えば聞こえは良いが。。。
2006年11月14日
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非常に個人的なことですけれど、29日に2本見たい映画が同じ時間に一度だけ街で上映されます。中国のと日本のです。中国文化センターと日本の文化センターでです。迷います。迷うのってきらいなんですけれど、迷ってしまいます。物の本によれば、迷うということはどちらを選んでも同じことだ、重要なことではない、とあります。しかし、滅多に見れない作品2本が重なるなんて、たまらんです。イラクでは今日も多くの犠牲者をだしていても、アフガンでは寒さで病気になる人が続出していても、スーダンでは餓死する子供たちがいても、日本でいじめられて自殺する子がいても、私は私のこの選択に真剣に迷います。このようにエゴそのものでいることが出来るのも、世の中、平和な証拠ですね。
2006年11月14日
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ベルギーでは駅のエスカレーターでは右に寄って、左側はあけるのが普通。そのために構内放送もあったぐらい。。。しかし現状はさもあらん。混んでいるときでも左側に、というかど真ん中にどんと突っ立って動かないのがいる。誰も押しのけて前に出ようともせず、あきらめて後ろで待つしかないようである。階段を上るほうがずっと早くつける。エレベーターでも同じこと、混んでいると、スピードが遅くなり、階段のほうが早いときのほうが多い。それでもみんなは、気が長いのか平気である。横断歩道でも走らない、赤信号に変わっても走らない、電車遅れても走らない。。。日本人は急がなくても走っている。一度5歳の息子をつれて帰国したとき、大阪の中央ではないもっと郊外の住宅街の駅付近で、ブリュッセルみたいにぶらぶら歩いていた私たち親子ふたりは、ついた電車から吐き出された人の波=津波に飲み込まれそうになった経験がある。大勢の人の足音を聞いて、恐ろしくなって思わずわが子を抱き上げた。群が通過したあとに恐怖で震える二人であった。そして、それは電車がつく毎に繰り返されるのだった。それからは、遠回りでも静かな道を歩いた。
2006年11月13日
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金曜日の夕方いつものアイス屋さんに行くためにメトロを降りて、地上への階段を上りかけると、けたたましい鳥のさえずりが聞こえました。空は一面の鳥の大群です。大きなクレーンにはみっしりと渡り鳥が休憩しています。私が上を見ていると、通りすがりの人も同じように上を向きました。黒い色の結構小さな鳥です。名前を聞いたのですが、忘れました。前にも一度遭遇したことがありますが、何か得をしたような好い気持ちがしました。暖かいところへ移動していくのでしょう。
2006年11月12日
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今日はお休みなので、本来ならもっと朝ゆっくり寝ていたかったのですが。。。 朝から外に出ました。人出もわりに少なくて静かでした。 第一次大戦の休戦記念日ですが、中国語だと停戦記念日と書きます。 いずれにしてもその後第二次大戦が起こったのですから、まさしく休戦でした。 戦争をするたびに人間は賢くなっていかねばなりませんよね。 でないと犠牲者のかたがたに足をむけて寝れない。。。なんて言ってみても、あまり に多くの霊があちこちにあって、どうしていいのかわからなくなりますけど。 生きることが大事なのか、立派に死ぬことが大事なのか、結局は同じことのように思 えますけど。。
2006年11月11日
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明日は、1918年11月11日11時にドイツ(プロセン)軍が降伏したので、その結果としての休戦条約が北フランスで結ばれた記念日ということでフランスとベルギーは祝日です。今年は土曜日なので、金曜日に休んでいる人も多く、街はがらすきでした。私は月曜日に振替ました。もう予定がぎっしりつまってしまいました。逝くものは通り過ぎ、来るものは遠慮して、留まるものは考える。BON WEEKEND!!!
2006年11月10日
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今夜はテレビで「ラースト・サムライ」を見た。これもアメリカの映画だからだろうが、風景が彼らから観た日本の風景である。それに日本人の英語の吹き替えのところがフランス語になっているから非常にもどかしいったらない。どうも日本のサムライたちとアメリカのインディアンたちと混合させているようである。あくまでもアメリカさんの映画だった。しかしひと昔の作品に比べれば随分とまし。でもなぜ雨がしきりに降らなければならないのか。。。夕食は残り物のパスタを温めて、サラダといただく。あたたかいチョコレートが中から流れ出るクッキーと柿。
2006年11月09日
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昨日7日は私のすぐ下の妹の命日でした。あの大地震の次の年に亡くなりました。もとから体に欠陥があったので、長生きというか、生き延びることは出来ないと医師は言いました。人間の命は医者が断言したからといって、短くなったり、長くなったりはしないのです。私の妹はその予測をはるかに超えていました。彼女も生きたかったのでしょう。「XX先生と結婚してあかちゃんを産むんだ。」と昔うれしそうに話していたことを覚えています。結局彼女は結婚しないまま旅立っていきました。いったい、同じ人間である医師に人の命の長さを決める権利があるのでしょうか。
2006年11月08日
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「シービスケット」をテレビで見た。これがベルギーにやって来た時に即、私は映画館で観ているのだが、今回の感動は薄かった。なぜなら、吹き替えが悪いのだ。微妙なところが訳されていないのだ。フランス語のテレビ局放送だからフランス語で吹き替えしてあるのが殆ど。字幕がはいるシネクラブ用のもあるが、一般うけの映画にはそれがない。フラマン放送だったら字幕付だが、息子がそこまで読めないし、同じ番組ではなく、それぞれの局がその言語でやっているので、チャンネルをかえたところで同じこと。あぁ、またややこしくなってきた。このマルチカルチャーを理解するには、そこに住むしかない。一国に、それも小国に政府が三つもあって。。。なんて複雑な話だ。まっ、映画の秋である。更に励もう。そんな夕食はベルギーの仏語圏の鶏の大きすぎて鍋に入りきらないモモのから揚げ、同じく鶏肝の佃煮、岡山の大豆の煮豆にベルギー北部(大抵フラマン地区かオランダ)の温室サラダ、イタリアから来たシャンピニョンのパスタ、スープはおなじみマルシェからの野菜スープでゆかりを塩味にちらして戴いた。イタリアかスペインのみかんとベルギーかフランスの柿を掛川緑茶ですすって仕上げ。。。テレビでは「なると」を仏語でやっている。そのあと中国のDVDを原語、字幕も原語で見て、更に仏語で確認して終わり。一日が無事に過ぎた。感謝感謝。
2006年11月07日
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寒いと防寒が必要である。玉葱ではないが、何枚も着込むと暖かい。第一「オニオンのように着込む」という表現もある。ここはダマールの本拠地であるが、あれはダサイ。常備保温が必要な70歳をすぎてからのブランドである。儲かっているのか、ブリュッセルの街の真ん中にゆったりとしたスペースの店を店内改装の再開店してまだ日も浅い。先日購入した靴は暖かい。一日履いていると、全身ほっかほっかしてくる。ドイツ製のがっちりした短靴も気を引いたのだが、それよりもイタリアンのデザインがしゃれてるほうを選んだ。しかも編み上げブーツっぽいのである。太いふくらはぎの下までの高さである。色はコーヒー色。かかともついている。試に履く時、ふくらはぎが太いので、ファスナーが上まであがるか幾分どきどきだった。だからおばさんが階上に上がった隙に履いたのである。下のあとは上で、ジュネイヴで寒くて震えていた時、近所のおばさんが、「帽子を被らなきゃいかんよ、暖かい気は頭から抜けまっせ」、と(もちろんスイスの仏語で)声をかけてくれた。最近は帽子を被っている人は幾分増えたが、まだまだファッション感覚である。寒いから、暑いからといって帽子をかぶらなくてもなんとかやりすごせる気候なのだ。これがスイスやドイツではこうはいかない。これも温暖化で変わってくるだろうが、習慣のない人たちはすぐにはどうもならない。ここで日本人が歩いているとすぐわかるのは、夏はつば帽子、冬は毛糸のキャップをふかぶかと被っているからだ。
2006年11月07日
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私が前からはと麦を購入する楽天の半鐘やさんで、買っておいた大豆と日本から送ってくれた日高昆布を煮て久しぶりに煮豆を作った。いつもはこちらでバイオ大豆を使うのだが、やはり日本のものは違う。昆布もこちらでは肩身が狭いが、日本からやってきたものはたくましい。ここで変な色気を感じてしまうのである。料理をする、たき物をつくるというのは心に余裕が無いと私には出来ない。つまりやっと空を見上げる余裕が出てきたことになる。ついでに、新しい靴で肌寒い外に出る。でもあんまり汚したくないからさっさと帰った。料理は出来なくても、女は買い物はちゃんとする。不思議な生き物だ。。。
2006年11月06日
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昨日は楽天さんのメンテで投稿したい時に出来ませんでした。それで他のところにサーフしてました。もう一件のブログがあるので、そちらのほうの書き込みを久しぶりにしました。ここを始めてからは、ずっとご無沙汰していました。それでも数件のアクセスはあるみたいです。そして、知人の中国系の人からまわしてもらったDVDを観ました。ジェット・リーの新しい映画です。そしてテレビでは「タイタニック」の再放送です。実はせっかくの土曜日なのに外出できなかったのです。久しぶりに体の具合が悪くて。。あるものを食べ過ぎてしまったのです。このお話はまたいつか。。食欲の秋です。体のメンテ怠らずにやりましょう。
2006年11月05日
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マダム・マミが疲れた心を天空の彼方に、ラヴェンダーの畑に、と転送してくれま す。 ただ目をつむって、云われるがままにしていればいいのです。 夢のような心地よい声の案内で、あなたは春のお花畑の蝶々になって飛んでます。 そして、夏の川のせせらぎになって碧い大洋に向かい、イルカとなって、クジラと なって泳いでいます。美しく舞い散る雪の結晶にもなります。鮮やかな紅葉でもあり ます。 そんな色の世界へ一度旅立ってください。 http://www.kaonsya.com/shop-color.htm このサイトで8色の試聴が出来ます。 私はこの試聴だけでも心が解き放たれました。体の疲れが消えて、パソコンの前で 眠ってしまいました。 一度是非お試しあれ。。。 「色」は私の昔からのテーマなのです。プリズムの如くきらきらと輝く光に惹かれる のです。色界、色欲など色のつくことばは多いです。まだまだ勉強しなければなりま せん。色って何なのでしょうか。 文化の日の夜11時3分にて
2006年11月03日
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-色のかげん、色合い。-おもむき、風情、面白み。-性的魅力。-性にめざめること。-物事に対して関心や欲望をもつこと。-おんなっけ。と、私の国語辞典にあります。なんといっても、一般には「いろけ」は「エロケ」になって、すけべえのほうに思われがちです。ところが、チョコレートの色気となると、そっちのほうでなく、味のおもしろみになります。甘さが足りないのは、色気無いと私は言います。更にマルコニーリのパッケージは黒一色で白のロゴと文字だけです。地味です。おもしろくありません。それが狙いなのでしょうけど。。しかし、毎朝準備中のサンドイッチ屋さんから匂ってくるかぐわしいたまねぎを炒めた香りは、これ色気あるんですね。みぞおちあたりが、くにゃっとなるのですね。官能をくすぐるとでも言いましょうか。。そうですね、この官能です。惹かれるのです。でも決してどぎつくない、ほんのり加減で、胸からちらりと下着がのぞいていたり、ぼたんがはずれていたり、うなじが見えたり、どれもちらりとしている。甘さも過ぎず、足りずでほんのり程よい加減である。というところです。色気のある声もありますね。ひきつけられる、みぞおちがキュンとする、あれです。むかっとくるやつではありません。どちらかというと、かさかさでない湿った、濡れた、生温い妖しさですね。色香ということばも合ってますね。なんとなくひきつけられるのです。下品ではなくて、いやらしくないのです。ほんのりのイメージです。女だけでなく、男でも、若くても、年取ってってもそれなりの色気は出るでしょう。しかし、そこには、なにがしらの経験みたいな、出来た魅力があると思います。コン・リーよりもマギー・チャンです。美男美人である必要は無いのです。色気は化粧などで作れても、演技でうまくやっても、自然に出てくる色気はゆるぎの無い魅力を持っています。なぜなら、意識しない時のしぐさにそれを感じることが多いからです。セクシーという言葉に置き換えられることもあるようです。セクシー・オニオンってとこでしょうかね。以上、スーパー投資家さんのご要望に応えて色気についてでした。ついでだから次回は色についてもう少し続けますね。色を聴いてリラックスする不思議なCDのことです。
2006年11月03日
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このごろ忙しいせいか、火曜日が木曜日のように感じられ、一週間があれよあれよと すぎていきます。 ブログも週末にやりだすようになって、また、こちらの朝と昼と夜と三回開いて投稿 したりするので、ややこしくなってきてます。ますます時間を追い立てているようで す。そうです。追われるのが嫌だから、追っかけてます。 今日も木曜日だったのが、今度は次の火曜日のような気がしてました。 そんなに慌ててどこに行く。というところでしょう。 でも必死ではありません。追いかけっこを楽しんでいるのです。 日本は3日祝日ですね。 文化の日で連休ですね。良きお休みを、有効にすごしてくださいね。 BON WEEKEND!
2006年11月02日
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この前の書き込みで月に10本の映画を観ているとしましたが、これは多くてこれだけであって、普通は5~6本というところです。週末に行くので、それくらいがせいぜいです。あとビデオで補うことありますが、見るのもいいけどあと考えたりすることなど考慮に入れれば、5本です。また、映画では実生活で見れないことがたくさん体験できます。いくら手軽に映画を家庭で見ることが出来ても、私は雨が降っても、風が吹いても、かんかん照りでも、夜遅くなっても、休みの朝はゆっくりしたいけど早く起きて、食事も忘れて、昔から映画館の前の席でゆったりとしずまって大きな画面に映る世界に魅力感じます。人によっては、上映されてる映画はどうでもよく、ただ出掛けるのが目的の人がいますが、私は、映画が目的です。カフェーでもそこのコーヒーがポイントであって、時間をつぶすだけの時もなるべくおいしいコーヒーを出してくれるところを選びます。
2006年11月02日
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色のこといろいろ考えていましたら、道の上の黄色い落ち葉が目にはいってきました。今月はきっちりと寒く始まりました。外出するのに、ダウンジャケットがお勧めです。朝夕冷え込みます。雨も風も強く、またずぼ濡れになってしまい、映画館で乾かしました。今夜のは「1900」イタリア語です。前半と後半で5時間以上あるので、前半だけで帰りました。俳優はバート・ランカスターは好きなんですが、ジェラー・デパルデュとロバート・デ・ニロがいまいちなんです。ふたりの真っ裸のところが見れました。この時はまだ二人とも若いので締まった体です。日本だったら、あそこはカットしてるでしょうね。つまりその場面をカットしているという意味です。回数券が余っていたので、また夕方フリーだったので観てきました。年末までのプログラムを入手しましたが、オーソン・ウェルズの映画くらいで、いまいち。。。でも映画でなく、ブラジルの歌手のコンサートのほうに興味をそそられました。フィンランド人を誘って行こうか考えてます。音楽ホールが数室あって、一部が古い映画をやってるのです。クラシック音楽、ポピュラー、ジャズと楽しいですよ。演奏などは、1500円くらいからです。映画が一本850円くらいで、回数券で650円あたりです。学生、シニアならもっと安いです。ひと月に10本ほど映画館で映画観てます。寒くなればこれが一番です。
2006年11月02日
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万聖節です。明日2日が死者の日で、家族そろってお墓参りする日です。 最近は小菊ちゃんが人気あって、ポンポネットという強い種のがあちこちでみかけら れます。こちらでは菊は生きた人には贈らないで、普通はお墓に添える花です。 先月「菊豆」という中国映画見ました。最初は菊の花の豆のことなのかと思いまし た。 ヒロインの名前です。「マイアミバイス」にも出ているGONG LIです。 お墓参りをするのは、おじいちゃんとおばあちゃんと孫たちです。こういう光景はい つまで見れるのか。。。です。
2006年11月01日
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