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2025年03月25日
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カテゴリ: 津軽八十八霊場
弘前の街中から岩木川を越えて藤代地区に入ります。細い路地をゆっくりと走っていると、広い溜池が見えてきます。池の中央に道が伸びており、その奥に今回紹介する札所が置かれています。

2024.8.3
津軽八十八霊場五十九番札所:津軽山 革秀寺


戦国武将、それも藩祖の菩提寺というと、皆一様に豪壮な御堂を持つ大寺院を想像しますが、津軽藩初代の菩提寺は木立に囲まれた厳かな雰囲気の境内に置かれています。
境内に進むには、この赤い橋を越えて正面の門をくぐります。ここよりも西の方に大きな駐車場があるので、そこに車を停めて歩いて参拝すると楽しいでしょう。



寺門の正面に広がる溜池は、これからの季節には蓮が咲き乱れ、まるで極楽浄土のような絶景が拝めます。これは3年前のもの。満開ではないですが、それでもキレイです。



池の隣には小祠が置かれています。祭神は不明ですが、きっと水に関係した神格でしょうね。



寺門です。シックな色合いが特徴。
額には”仰高門”とありますよね?その通りに門の天井を覗いてみると・・・



なんと幾つもの草花が描かれていました。彩色もされていて美しかったです




山門をくぐって境内に進むと、右側に兎の石像が置かれています。台座には兎霊供養塔と刻まれていますね。



脇には動物塚も有ります。家畜供養塔の様なものなんでしょうか。



本堂です。総萱葺で形のたいへん整った入母屋屋根が特徴です。屋根の頂部には津軽藩の家紋:杏葉牡丹が象られています。



御由緒を見てみましょう。まずは”​ つがるのお寺さん 前編 ​”の記述から。
津軽山 革秀寺

曹洞宗 ​ 太平山長勝寺 ​末寺
開山:​ 長勝寺 ​八世格翁俊逸和尚
開基:津軽二代信枚公
本尊:釈迦三尊

 津軽藩祖為信が葬られている。境内の本堂左側の木立の中に朱塗りの為信霊廟。入母屋造り、妻入り、木部は総漆塗り、内部は極彩色の超豪華造りで、為信の威光が凝縮されているようだ。47年から行われていた文化財としての修復工事が51年ようやく完成、建築当初そのままのまばゆいばかりの姿を見せている。言い伝えによると、革秀寺は、為信が晩年、禅学の師として教えを受けた​ 長勝寺 ​八世・格翁俊逸和尚のために隠居寺として建ててやったといわれているが、審の資料などによると、慶長13年(1608年)に二代藩主信枚が亡父追善のために建てたものとされている。為信が亡くなったのは慶長12年(1607年)12月5日、京都滞在中のことだった。京の六条川原で火葬に付され、父を継いだ信枚が遺骨を抱いて帰国、格翁を導師として葬儀が行われ、この寺を開いて霊をまつった。戒名は瑞祥院殿天室源棟公大居士。

 為信の生涯にわたっての座右の銘である「不制于天地人」(天地人に制せられず)は、格翁和尚との禅問答から出たという。当時18歳の為信に和尚が与えた偈文は「明到来明討打、暗到来暗到打、四方来旋風打、虚空来連架打」。臨機応変、心を虚にする・・・という意味というが、為信はこれに対して「天地人に制せられず」と簡単明瞭に答えた。格翁は「もはや教えることはない」と、自ら藤崎に退いて庵を結んだ・・・というエピソードが残る。

 山門を入って正面の本堂は、カヤぶき屋根の一見素朴な造り。反り屋根の寺院建築ではなく、民家のような建物だ。寝殿造りに似ており、上がしっくい、中が障子、下は竪板羽目というごく単純な構成。内部は桟唐戸、四囲に広縁をめぐらし、津軽地方の曹洞宗寺院の典型として貴重な遺構だ。落成後まもなく火災に遭ったというが、再建の年代は明らかでない。薄暗い本堂の中はさすがに300数十年の歴史を感じさせる。

 山門の前にはハス池があり、市民の目を楽しませる。岩木山を背景に、遠く弘前城を臨むことができたであろうこの地は、為信がここに葬るよう遺言した場所だという。津軽統一を成し遂げた風雲の武将が眠る静かなたたずまいを見せている。
​つがるのお寺さん 152.153ページ より抜粋


更に境内の説明書きも載せます。




弘前市指定史跡  曹洞宗 津軽山 革秀寺

 革秀寺は、津軽藩初代藩主為信により津軽家の菩提寺である長勝寺の格翁和尚の隠居寺として、慶長3年(1598年)藤崎村(現藤崎町)に創建され、間もなく現在地に移されたと伝えられます。
 為信は、津軽一統後、高岡城(のちの弘前城)の築城を計画しましたが、その完成を見ることなく慶長12年(1607年)京都において卒去しました。二代信牧は亡父の菩提を弔うためここに霊屋を建立し、境内全域を聖境化して庶民だけでなく藩の武士の立ち入りも厳しく制限したといわれています。境内には、霊屋のほか江戸時代初期に建てられた本堂なども残されており、文化8年(1811年)の絵図にも示されている東側の池や霊屋周囲の二重の**も現在に引き継がれています。また本堂西側にある庭は当地方で最も古い庭園と考えられています。
 現代に至るまで初代藩主為信の菩提寺として崇敬された歴史と共に、建造物を含めた境内地の構成を今日までよく保持継承していることから、長勝寺構(国指定史跡)などと共に津軽藩の寺院政策を**********の一つと***います。
弘前市教育委員会



本堂の説明書きも見てみます。




革秀寺本堂

平成5年8月17日指定

 津軽山革秀寺は、長勝寺格翁禅師に師事した津軽藩祖為信が、慶長3年(1598年)藤崎に造営したのに始まり、間もなく現在地に移築したが、いくばくもなく火災に遭い、その後再建され今日に至ったと伝承されている。その再建年代は、慶長15年(1610年)とも慶長17年(1612年)ともいわれる。
 現存する本堂は、正面桁行九間、梁間八間、屋根は一重入母屋造りの茅葺平入りで正面玄関を式台構とする。
 いかにも古雅な外観ではあるが、内部の扉や欄間、木鼻等の彫刻、あるいは、天井などに桃山時代の手法を数多く残している本格的建築物で、当地方における曹洞宗寺院の古い典型を示すものとして極めて貴重である。
弘前市教育委員会



本堂内に入ってみます。内陣には本尊釈迦如来座像と共に脇侍の文殊・普賢両菩薩が鎮座していました。ただしグーグルマイマップによると、ここの札所本尊は地蔵菩薩像で、位牌堂に置かれていると書かれています。残念なことに今回その尊像は見つけられませんでした。さらにその像についての由緒なども不明です。




霊屋の前には石碑が置かれています。勅特賜 義鑑増輝禅師 藩祖公300年報恩紀念碑と刻まれていますが・・・。300年というと明治初期くらいでしょうか、その時の和尚の名が刻まれているんじゃないですかね。



霊屋です。二重の堀によって囲まれており、通常時は内陣に入ることは出来ません。今回は二十堀の外から撮れる場所を探して撮影しました。
霊屋をよく見ると、キレイな朱色に染められていることが分かります。津軽は一級品のベンガラが産出する事でも有名で、 日光東照宮 ​の彩色にも使われたと言われています。豪雪地帯にありながら、この外観を保っているのは奇跡でしょう。素晴らしい御堂でした。



説明書きです。




重要文化財  津軽為信霊屋

昭和28年11月14日指定

 本寺(津軽山革秀寺)は、津軽藩初代藩主津軽為信が自分の禅の師匠である長勝寺八世住職格翁禅師のために建てた寺と伝えられる。
 為信は、慶長12年(1607年)に京都で亡くなったが、この遺骨を二代藩主信枚が持参し、格翁禅師を導師として葬儀を行い、革秀寺を廟所としている。
 この霊屋は、桁行一間、梁間一間の平面が正方形の建物である。柱は円柱、軒は二重繁棰入母屋造り、妻入りで前面に小さく唐破風をつけている。
 内部には四十九院板塔婆を張り付け、後の壁に寄せるように石造塔婆を安置している。
 小振りではあるが、彩色豊かな体裁の整った美しい建物である。
弘前市教育委員会



津軽為信霊屋の詳細はこのリンクから確認できます。
・弘前市 / 国指定文化財 / 革秀寺本堂・津軽為信霊屋

斜めから。
弘前の寺院の中でも厳かな外観の御堂を持つ寺院でした。津軽藩祖為信とも関りの深い寺院で、弘前の歴史を語る上で外すことの出来ない名所です。蓮が咲くころにまた参拝したいですね



御詠歌
はなをみて いまはそのみのかよどうの つがるざん かくしゅうじ

札所本尊:地蔵菩薩 क्षितिघर्भ

以前貰った御朱印です。



以上です。

次の記事
・六十番札所:巌鬼山 叡平寺 薬王院 弘前東照宮別当天台宗薬王院

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最終更新日  2026年03月04日 21時54分53秒
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