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津軽山 革秀寺
曹洞宗 太平山長勝寺 末寺
開山: 長勝寺 八世格翁俊逸和尚
開基:津軽二代信枚公
本尊:釈迦三尊
津軽藩祖為信が葬られている。境内の本堂左側の木立の中に朱塗りの為信霊廟。入母屋造り、妻入り、木部は総漆塗り、内部は極彩色の超豪華造りで、為信の威光が凝縮されているようだ。47年から行われていた文化財としての修復工事が51年ようやく完成、建築当初そのままのまばゆいばかりの姿を見せている。言い伝えによると、革秀寺は、為信が晩年、禅学の師として教えを受けた 長勝寺 八世・格翁俊逸和尚のために隠居寺として建ててやったといわれているが、審の資料などによると、慶長13年(1608年)に二代藩主信枚が亡父追善のために建てたものとされている。為信が亡くなったのは慶長12年(1607年)12月5日、京都滞在中のことだった。京の六条川原で火葬に付され、父を継いだ信枚が遺骨を抱いて帰国、格翁を導師として葬儀が行われ、この寺を開いて霊をまつった。戒名は瑞祥院殿天室源棟公大居士。
為信の生涯にわたっての座右の銘である「不制于天地人」(天地人に制せられず)は、格翁和尚との禅問答から出たという。当時18歳の為信に和尚が与えた偈文は「明到来明討打、暗到来暗到打、四方来旋風打、虚空来連架打」。臨機応変、心を虚にする・・・という意味というが、為信はこれに対して「天地人に制せられず」と簡単明瞭に答えた。格翁は「もはや教えることはない」と、自ら藤崎に退いて庵を結んだ・・・というエピソードが残る。
山門を入って正面の本堂は、カヤぶき屋根の一見素朴な造り。反り屋根の寺院建築ではなく、民家のような建物だ。寝殿造りに似ており、上がしっくい、中が障子、下は竪板羽目というごく単純な構成。内部は桟唐戸、四囲に広縁をめぐらし、津軽地方の曹洞宗寺院の典型として貴重な遺構だ。落成後まもなく火災に遭ったというが、再建の年代は明らかでない。薄暗い本堂の中はさすがに300数十年の歴史を感じさせる。
山門の前にはハス池があり、市民の目を楽しませる。岩木山を背景に、遠く弘前城を臨むことができたであろうこの地は、為信がここに葬るよう遺言した場所だという。津軽統一を成し遂げた風雲の武将が眠る静かなたたずまいを見せている。








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