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白華山 法光寺
曹洞宗
開山:玉峰捐城和尚
開基:鎌倉五代執権 北条時頼公
創建:建長年中(1249~1256年)とされる
本尊:釈迦如来
※因みに廃寺となった前身の宗岳量山 観音寺は天台宗寺院だったとされる。
由緒(白華山法光寺縁起より引用)
法光寺は、今から1130余年前(平安朝時代)に創立されたもので、それより400年程経て鎌倉執権最明寺時頼公がひそかに奥州行脚の折に名久井岳に登られ、夕日をあびて無量山観音寺と称する寺に一夜の宿を乞うたが山主は応じてくれなく、やむなく山に登って一草庵をたづねて宿を乞うたところ、庵主大いに喜んで迎え、出来合であったが饗応して一夜を過した。
時頼公は、庵主の歓待に深く感謝し、翌朝目がさめ、あたりを見たが庵主が見当たらなかった。時頼公は携えて来た扇面に「目通り壱千石、右永代可令知行也、最明寺時頼(花押)名久井山主玉峰捐城和尚殿」とかき、別面には「水結ぶ名久井が岳を眺むれば海よりいでて山に入る月」の一首を残して、名残り惜しげに庵を立ち、山を下る途中で庵主に逢った。庵主の云うには「恥ずかしながら今朝飯糧がなかったので、お客人の目覚めぬうちに托鉢に出てこのように喜捨をうけて帰ったので再び庵に戻られるように」とねんごろに勧めた。
時頼公は、このことに深く感激して、鎌倉に帰られた。最明寺時頼公と、庵主の逢われた処が「出逢坂」と称してあり、またこの庵を夢想軒と称して、今なお「古寺」としてその面影がある。
時頼公が鎌倉に帰られるとすぐ、宮野玄蕃、板垣監物の雨人を普請奉行として、大工・左官・鍛冶・木梚に至る迄は遺して、観音寺は命令をもって廃止し、その跡に七堂伽藍を建立して、白華山法光寺と号して、開山に捐城和尚を請す。公自ら開基となられ、曹洞宗の道場を開設なされたものと伝えられている。



蓮台山 長谷寺
真言宗
開基:明尊(後亀山天皇)
創建:建徳元年(1370年)
本尊:十一面観音
由緒(奥州南部観音霊場巡り 糠部三十三札所 滝尻善英著 より引用)
・・・。さらに、長慶天皇の弟の明尊(後の後亀山天皇)は、この地が大和国(奈良県)長谷寺の景観によく似ていたことから、建長元年(1370年)に「長谷寺」と称する寺院を開基したという。・・・。
文化財
奥之院には県重宝の十一面観音木像以外にも、木造女神座像という仏像も収められており、こちらも県重宝。一説には、名久井岳の神格を表現したものとされ、十一面観音と本地垂迹の関係にあったものと思われます。
他には県有形民俗文化財として、笈と巡礼札が収められています。巡礼札は、永正9(1512年)に観光上人が奥州南部糠部三十三観音霊場の巡礼の際奉納したもので、青森県最古の巡礼札とされています。
・青森県南部町 県指定文化財




宝珠山 恵光院
真言宗豊山派 蓮台山長谷寺(後裔不明)末寺
本尊:十一面観音
由緒
長谷寺の境内寺院(塔頭)として開創され、長谷寺が盛岡に移る際、当地に残り境内や寺宝の管理を任された。現在でも、長谷寺の名残りとも言える長谷観音堂の別当として、名久井岳西麓に鎮座している。
本尊の十一面観音は、錫杖を持った独特の姿をしており、俗に言う長谷十一面観音の形態と同じである。







長谷寺創建後、当時は深い山林の間を通り峰づたいに頂上まで建立され、修験者が修行祈願されたといわれる。
その後近世になり、地元の人々が旧暦9月29日、大向・泉山・赤石の諸社を合わせ四十八末社として頂上まで参拝する風習が続いている。

国指定文化財 泉山七歳児初参り
種別:無形民俗文化財
指定:平成9年(1997年)12月15日
「泉山七歳児初参り」は泉山地区に古くから伝わる登拝行事です。毎年7月25日(旧暦6月12日)に、数え年7歳の男児が名久井岳の第二峰「月山」に登り、すこやかな成長を祈願します。
当日早朝、白装束に身を包んだ子どもたちは月山神社でおはらいを受け出発します。ただし、女人禁制のしきたりにより、登山道入口の泉山神社からは、子どもと男性だけで山頂の月山神社奥殿を目指します。片道約2.5kmの険しい山道を踏破し、行事を終えた子どもたちは一回りたくましく成長します。
全国でも極めて珍しい伝統行事として、昭和55年に県無形民俗文化財に指定されました。さらに平成9年には国重要無形民俗文化財に指定され、神社や参道の整備など、地元保存会によって大切に守り続けられています。2019年 三戸町教育委員会

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