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2025年04月19日
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福島県中通り地方の南部、浅川町の更に南に棚倉町があります。陸奥国一之宮とも称される馬場都都古和氣神社や、8世紀創建の古社:宇迦神社などがある城下町です。その集落から東方に車を走らせると、高低差のある農村があり、その村の奥地に今回紹介する観音堂があります。


仙道三十三観音霊場二十一番札所①:堀川観音堂(金剛山 万福寺)


農村の奥地と言いますと、本当に道は細く、その割上り坂は急で、登り切った先にも駐車スペースは無いというなかなかに厳しい状況の札所です。村の入口辺りに駐車して参拝しました。
息を切らしながら坂を登っていくと、参道が見えてきました。落ち葉に被われ、石段は傾き、歩きやすいとは言えません。ただ雰囲気は抜群です。



参道の麓には恐らく淡島明神のものと思しき石碑が置かれています。



石碑の脇辺りから女坂が伸びています。今回はこちらから参拝してみましょう。



程なくして観音堂が見えてきました。宝形屋根で中規模の観音堂です。
先ずは境内から見ていきましょう。



先ほどの参道(男坂)を登り切った所に標柱と変わった形の石碑が置かれています。



石碑をよく見ると鐘の様な形をしています。更に表面には文字が刻まれており、おそらくもともとここに鐘があったことを示しているものと思われます。








 東亜の戦雲彌々(いよいよ)急なる秋。堀川観世音の名鐘、茲(ここ)に應*時に昭和19年(1944年)3月18日なり。
 鐘は牛車に揺られて*川駅に向かう。沿道別れ惜しむ者***十。しかして日暮**所に送***発器に改遠せられて戦終に参加す*々終戦の大招喚発せられ平和来復せたりとも名鐘また還らず。*に信徒相**名鐘の由来を石に刻み、之を***伝う。
 鐘は正徳元年夏五月水戸太田の住人の治工藤原重貞の作にして、青銅より成る鐘面には釈迦・*師・観音・勢至・阿弥陀の五佛を鋳刻する。高さ三尺、回り六尺三寸、重さ六十二貫*****金剛山 満福寺十一世の法印 宥貞の足りる所**美響をもって聞こゆ。
和十二年陰暦四月十八日 浅川町長 鈴木正美*文



戦時供出されるまでは、ここにも他の仙道札所と同じく鐘楼・梵鐘が置かれていた様です。往時はその美しい響きを集落にもたらしていたんですね。

境内には他にも小祠や石碑が置かれています。こちらは石祠、祭神不明です。



こちらの2基の石碑には牛頭観世音・福石観世音と刻まれています。何か名の有る観音像でも収められていたんでしょうか?特に牛頭観音の方は気になりますね。牛頭天王と馬頭観音の習合とかだったら面白いですよね



経塚のような石碑も置かれています。



そしてこちらの石碑にはご由緒が刻まれています。




堀川観世音菩薩由緒之誌

 往昔源義家朝臣逆徒討伐のため東国に下向のみぎり、当地に立ち寄り大悲の冥助を祈願せしに、感応空しからず。明かに叢雲の棚別くを賭る。これぞ観音大慈大悲の霊験ならんと深林幽谷の中に猛獣を駆り、榛荊を拓きて当山に*ぢ登りたまえば、境地幽*にして*流清し。
 その除く森々たる大樹の蟠根に乗馬足を止めて不思議にも落命せり。朝臣驚嘆して曰く「これ我が駿馬宿因の地なるか」と深く感得して、武運長久祈願・駿馬菩提のため堂宇を此*に設け、護持の観音を安置奉祀し、 宥明を開祖として金剛山 満福寺を、今の堀川山に創立す。

 以来、春風秋雨600余年幾多の幾多の変遷を経て、正徳元年(1711年)満福寺十一世 権大僧都法印宥貞の代に至り梵鐘を鋳造し、続けて享保5年(1720年)更に堂宇を改築せしも、星霜久しきに亘り漸く*朽に瀕せり。ここに信徒相謀りてこれが改築を企圓せしも、時偶志那事変に際会し工事を延期するのやむなきに至り。
前*川町長 矢吹藤之助撰文



続けてこちらの説明書きも見てみましょう。



堀川観音


 堀川観音の伝説として「源義家」が奥州征伐の折、騎馬で堀川の渓谷を渡った時、俄に乗馬が斃れたので、護持の観音を祀り、僧に祈祷させたのが起こりとも伝えられている。
 御堂の中には、享保5年(1720年)に林蔵宥貞上人の献上した額が掲げられている。
 この観音堂は、仙道三十三観音の第二十一番札所となっており、諸国巡礼の善男善女の参詣も多かったと言われている。
 例年4月、棚倉町観音寺住職の祭祀により大草区長を中心に住民総出で、人々の安寧な暮らしを祈願している。
浅川町史より
平成31年3月 浅川町教育委員会



これらの内容をまとめてみると・・・

堀川観音堂

 観音堂の創建は源義家公東国下向にさかのぼり、霊験に導かれて深山幽谷の中を自身の馬を駆って進むと、なんとも風光明媚な霊地が広がっています。そこに生える一本の大木の根元で、馬が急に立ち止まり、そのまま命を落としました。このことに驚いた義家公は、「この地は我が愛馬と強く結びつく土地であろう」と深く感じ入り、武運長久と愛馬の菩提を弔うために御堂を置き、自身の御持仏を本尊として祀りました。そして御堂に僧の 金剛山 満福寺として堀川山に当寺を開きます。
寛永元年(1624年)には、真言宗智山派の堀川山 安養院 観音寺として棚倉町新町に遷りますが、観音堂はそのまま当地に残されて今日に至ります。

 時は下り正徳元年(1711年)、当山十一世 権大僧都法印宥貞の代には、水戸太田の住人で治工の藤原重貞に依頼し、釈迦如来・*師・聖観音・勢至菩薩・阿弥陀如来の5仏が鋳刻された青銅製の梵鐘が奉納されています。その数年後には、御堂の改築が計画されますが、満州事変の最中につき頓挫しました。
 昭和16年(1941年)宗教団体法によって移転の危機に瀕しますが、信徒たちの働きかけによって、当地に永久に鎮座することを認められます。そして近郷の方々の喜捨と、御堂改築工事に関わる全ての人々の働きによって、現在の美しい御堂が完成しました。



由緒には源義家公が出てきており、不思議な導きによって当地に観音堂を建立しました。戦勝祈願だけでなく、愛馬菩提供養の意味合いもあったようですね。これは後に馬頭観音信仰などに発展しそうなんですが、そこんとこどうなんでしょう?
また、宥貞上人が出てきていますが、この方はここで長年過ごした後、浅川町の東永山 観音寺 に移り、最後には即身仏の法を用いて世を救おうとした偉人です。彼の代に奉納された鐘はたいそう美しい音色だったそうですが、一度はその音を聞いてみたいもんですね
宥貞上人の即身仏は現在、浅川町の​ 金久山 貫秀寺 に収められています。

では、いよいよ観音堂です。大きな宝形屋根を支えるように四隅に支柱が建っています。なかなかに風格のある立ち姿です。



扁額には正観音と刻まれています。



そして蟇股の装飾部分には法輪の様な造詣がなされています。真言宗のシンボルとも似ていますが、中央の線の数が少し足りないように見えます。



堂内です。
奥の方に厨子の様なものが置かれていますが、ここに本尊が祀られているんでしょうか?個人的には、ここには仙道巡礼の札所本尊は置かれていないと思っています。というのも、先ほど出てきた棚倉町の堀川山 安養院 観音寺にそれらしき聖観音像が祀られているからです。



堂内には絵馬が幾つか置かれています。やはり家畜守護的な信仰も有ったんではないでしょうか。



観音堂のある丘から景色を眺めてみます。本当に山間の緑深い土地にある事が分かります。眼下には集落と田んぼが広がり、この様な景色を眺めながら宥貞上人も鐘を撞いていたのかと思うと、かなりエモい気持ちになれます・・・!



斜めから。
御堂は簡素でも、そこに残された由緒や歴史は絶大に面白いという札所でした。この札所はアクセス面に難があるという、ある意味で典型的な仙道札所的特徴を持つ寺院です。参拝時は時間配分にお気をつけください。
参拝に難があるけれど、由緒はかなり面白いという特徴も、他の仙道札所と同じく持っているので、その点もお楽しみください



以上です。

次の記事
・二十一番札所②:堀川山 安養院 観音寺 棚倉の桜の寺院、観音寺






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最終更新日  2025年05月20日 23時28分10秒
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