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円通山 光明院 専念寺
浄土宗
開山・開基:円通清南
本尊:阿弥陀三尊
五所川原市郊外の広田地区には、開山以来318年という歴史の古い、この地方屈指の寺院がある。ここは今から861年前に津軽の浄土宗の始祖といわれる金光上人が布教行脚の際、立ち寄ったと伝えられる地だ。
約350年前の寛永年間(1624~1644年)には親村の広田組に属し、一面の萢野原の中に開かれた有数の古村だった。町村制実施で広田組二十八ヵ村が統合、広田、稲実、七ッ館、姥萢、湊の五人字をもって栄村を構成した。ここを南北に流れる十川は雪解け時期にははんらんを繰り返し、近年まで地区民が難儀したことで知られている。
十川に架かる広田橋を渡ると左方から大きな梵鐘と山門が目に飛び込んでくる。これが円通山専念寺である。
万治元年(1658年)3月の開基といわれているが、村”が形成されたのはその20年ぐらいあととされている。庵寺あるいは寺屋敷がその前身。開基和尚の名を円通清南と言い、今の茨城県水戸市の出身と過去帳に書かれている。
またこの寺に残る浄土宗の文献には、法然の直弟子で東奥念仏の始祖と称された金光上人が広田に立ち寄った―と書いてある。建保3年(1215年)のことだが、そのときは行丘(南郡浪岡町)を布教の拠点としていた事実から原子、広田、泉、行来川(岩木川)、柏へとたどったものとされ、浪岡から広田に流れる十川伝いに立ち寄ったのだろうといわれている。
金光上人はその2年後の建保5年(1217年)、63歳で、浪岡の西光院で没している。活躍中は修験念仏宗の布教師法明坊と流派の違いから衝突、ついに念仏浄土宗の力を誇示するにいたった実績の持ち主。その間、土着の荒吐族に迫害を受けたりもしたが、六尺三寸(約191㎝)、四十貫(約150㎏)の体格ではねのけた怪力無双の荒法師だったと伝えられている。
元治元年(1864年)の放火で什物などを焼いてしまった。かろうじて運び出されたのが、本尊の阿弥陀如来と数冊あった過去帳のうちの一冊。あとは何もない―と米寿の貫録を漂わす三十三世の田中泰憲住職。
明治に入って本堂、庫裏とも再建した。山門も明治時代の建築だが、両側に守護を意味する仁王が構えた仁王門形式。津軽地方では弘前市の 長勝寺 と並ぶ珍しい存在の山門だ。仁王像は大正14年(1925年)、稲実村の大工工藤俊作という人が寄進したもの。
ここをくぐると樹齢約百年のフジが本堂前の寺庭をいろどっている。ほかに数十種の花木、歴代住職が記念植樹した松や杉などの樹木が取り囲み、時折、ミミズク、リスが姿を見せるというから“自然度”はかなり高い環境にある。
またここの梵鐘は、大きさ重さとも県内浄土宗寺院の中では最大級といわれ、重量は308貫。毎年、おおみそかには地区の中・高校生らが願掛け代わりに除夜の鐘を打つにくるというほど親しまれている。








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