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勝頼夫人願文
武田勝頼公は、天正9年(1581年)12月24日新府城に入城しました。すでに形勢が悪く、織田信長に攻め立てられました。
夫人は武田家の守護神である「武田八幡宮」に祈願を決意し、天正10年(1582年)2月19日「祈願文」を納めました。
しかしながら願い届かず勝頼公一行は3月3日に新府城を後にし岩殿城へ向かいました。そこで小山田氏の裏切りにあい田野で悲しい最後を迎えました(3月11日)。
時に夫人は19才、勝頼公は37。

うやまつて申 きくわんの事
南無きキやうちやうらい、八まん大ほさつ、此国のほん志ゆとして、竹たの大郎とかうせしより此かた、代々まほり給ふ、ここにふりよのけき新出きたつて、国かをなやます、よつてかつ頼うんを天とうにまかせ、命をかろんして、てきちんにむかふ、志かりといへとも志そつりをさえるあいた、そのこころまちまちたり、なんそきそよし政そくはくの神りよをむなしくし、あわれ身のふほをすててきへいをおこす、これミつからははをかいする也、なかんつくかつ頼るいたい十おんのともから、けき新と心をひとつにして、たちまちにくつかへさんとする、はんミんのなうらん佛はうのさまたけならすや、そもそもかつよりいかてかあく新なからんや、思ひのほにを天にあかり、志んいなをふかからん、我もここにしてあひともにかなしむ。涙又らんかんたり、志んりょ天めいまことあらは、五きやく十きやくたるたくひ、志よ天かりそめにもかこあらし。此時にいたつて神かんわたくしなく、かつかうきもにめいす、かなしきかな志ん里よまことあらは、うんめい此ときにいたるとも、ねかわくはれいしんちからあわせて、かつ事をかつ頼一しんにつけしめたまい、あたをよもに志りそけん、ひやうらんかへむてめいをひらき、志ゆめう志やうおん志そんはんしやうの事、ミきの大くわん、ちやうしゆならは、かつ頼我ともに、志やたんミかきたて、くわいろうこん里うの事、うやまつて申
天正十祢ん二月十九日 ミなもとのかつ頼うち











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