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與福惣社 女化神社
祭神:保食命
大祭:旧暦2月初午
女化稻荷緣起
昔、建久の頃、源頼朝公が富士の裾野に狩に行った時、夢の中に霊狐が現れ、「私は長い間この野原に棲んでいるが狩で命が危ない。願わくは命を助けて下さい。」と言って消えてしまった。翌日仮屋の頼朝公の前に白狐が現れ、非常に哀れな様子で首を垂れていたので、頼朝公が「ここから東にある常陸の国の高見が原という広い野原に稲荷の祠があるという。ここに移り棲め。」と言われた。
時が移って永正6年(1509年)。常陸の国 根本村に忠五郎という律義者がいて農業の合間に筳を織って商いをしていた。ある日土浦に商いに行って帰る途中、夕暮れ時に高見が原を通りかかった時一人の猟師が寝込んでいた白狐を弓矢で射ろうとしているのを見て、かわいそうと思い咳を1つした所、狐は驚き目覚めて草むらに逃げ去った。猟師はものすごく憤り咎めたところ忠五郎は筳を売った代価を差出し、ひたすらにその罪を謝り夜8時頃家に戻った。家に帰って柴の折戸を開けようとした時、側に老いた男と若い女が佇んでいたので、何処の者かと問尋ねた所、「我等は奥州の者で鎌倉に行く旅の途中です。今この家に泊めて下さいとお願いしたのですが、主人が留守だということでおばあさんから断られたのでどうすることも出来なくここにいました。」と答えた。
忠五郎は生来慈悲深くこの様子を見て非常に憐れみ一夜の宿を貸した。夜が明けて女だけが居るのでいぶかしく思い聞きただした。女は涙ながらに言うには「私は奥州の信夫の郷の者ですが、幼い頃父母を亡くし譜代の使用人に育てられ今年21歳になります。家が貧しいので一族を頼って鎌倉に行く途中でこの始末です。」
その後あの老僕がいなくなり、捜したがついに見つからなかった。女は毎日まめまめしく耕作など手伝いをしながら日を送り、いつか早三ヶ月ほども経った。里の人達がこの様子を知っていて、心も顔立ちも美しいので忠五郎の妻にどうかと老母にも勧め結婚させた。女は貞淑誠実で仕事に励み家業に大きく貢献し家運も大いに揚がった。夫婦仲も良く8年の間に一女二男をもうけた。
永正14年(1517年)仲秋のある時、末の子に乳を飲ませていた時、子供と一緒に眠気を催したが秋風が身にしみるので目覚め、乱れ咲く白菊を茫然と眺めていたところ、遊びから帰って来た長子がこの姿を見て自分の母親が狐だったのに驚き泣き叫んだ。自分の正体を子供に知られたのを恥じて歌を一首書き残していなくなった。
みどり子の 母はと問はばをなばけの 原になく泣く ふすと答へよ
ついに母親を再び見つけることができなかった。忠五郎はこれを知り非常に悲しみ嘆き、3人の子供を連れ跡を追ったが忠五郎の徳に恩義に感じて霊孤が若い女性に化けて恩に報いたこの神秘を語り伝えて人呼んで「女化原」といい、「女化稲荷」と称するようになった。










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