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2025年12月28日
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北の地で脈々と受け継がれて来た観音めぐり 津軽三十三観音霊場。そのボーナスコンテンツとして近年新たに札所となった仏堂があります。今回紹介する白衣観音堂がそうです。津軽最大の溜池である富士見湖の湖畔に置かれており、世にも珍しき八角堂なんです。本尊も白衣観音と通常であれば札所本尊に選ばれない仏尊です。しかし、しっかり御詠歌も用意されており、急ごしらえで作られたような御詠歌なしの巡礼とは異なり、巡礼者の愛が感じられます。正式な札所でないものの、津軽巡礼の際には寄ってみるのも面白いと思います。


津軽三十三観音霊場三十四番札所:白衣観音堂


白衣観音堂を拝む前に、富士見湖について概観していきたいと思います。
桜が写っているという事は、今年の春に行ったんだと思うんですが、富士見湖には桜が多く植えられており、花見スポットになっております。そしてバックに見える太鼓橋は、なにげに日本最大の木造太鼓橋として有名で、鶴の舞橋と呼ばれています。



概要は以下の通りです。




廻堰大溜池の沿革

 古記によると、このため池は岩木山を水源とする白狐沢からの自然流水による貯水池であったものを、万治3年(1660年)に津軽四代信政公が、樋口権右衛門を廻壇大堤率行に任命し、柏村地方の用水補給のための堤防を築き用水池にしたものと記録されている。
 その後、豪雨、融雪と自然災害により元禄、寛政、文政、明治、大正と堤防が決壊し、そのたびに大修理が加えられ関係者の苦難は、多大なものであった。しかし、この長期にわたる努力と地域住民の献身的な働きかけにより、国や県の手により提体や取水施設等の整備がなされ現在のため池となっている。
 貯水量は、1.100万トン(直接かんがい面積393ヘクタール、補給面積6.500ヘクタール)をかかえ、満水面積281ヘクタールと県内でも最も大きな人造湖であり当地域の重要な農業用施設となっている。
 また、このため池は周囲11kmのうち堤長4,178m、堤高7mと日本でも有数の大きなため池であり、ことに堤長に関しては日本一である。
 ため池にうつる壮大な岩木山の姿から「津軽富士見湖」の愛称で親しまれており、また古くから豊富な淡水魚類、野鳥の宝庫として知られている。



17世紀にこのような姿となった富士見湖ですが、それ以前の小さな溜池の頃から、↓のような伝説が残っているようです。見てみましょう。




津軽富士見湖の伝説:白上姫と清水城主の悲恋物語

 今から約600年前の春、野も山もしたたるような新緑に包まれた中を清水城(現在の間山部落の一部である館の﨑にあったという)城主 間山之守三郎兵衛忠勝は数人の若武者たちと共に白狐沢、高山方面で狩りをし、高山で獲物を前に昼食をとった。その時、東の方向にある隠里(廻堰字稲川)に煙が立ち上るのを発見した。日が落ちるには間があり、勢いに任せた間山之守三郎兵衛忠勝は隠里まで馬を飛ばした。
 草深い中にある目的の家は、太右衛門宅であった。疲れた馬に水を与え、主人と談笑していたところへ同家の息女である白上姫が茶を持って顔を見せた。丈なす黒髪、色白な容姿は清純な山百合を思わせ、間山之守は一目で白上姫を恋するようになった。その日から、間山之守は一人で狩りに出かけるようになった。雨の日も風の日も隠里の野山には二人の姿が見られた。こうして一年はあっという間に過ぎていった。

 ところが、翌年の秋、間山之守には当時、大福池堤わきに住んでいた豪農太右衛門の媒酌で妙堂崎の半四郎の次女、琴姫と婚約が進み、問山之守はいつしか白上姫を忘れるようになっていった。そうとも知らぬ白上姫は、以前に約束した間山之守の正月用の晴着を縫うのに精を出していた。
 やがて晴着を縫い終わった日上姫は、サイカチの館(今の間山部落)清水城に通じる山道を急いだ。雪のちらつく日てあったが、問山之守に逢いたい一心の乙女心には雪など少しも苦にならなかった。
 城に近づくと、普通の日と違って大変な人通りである。不審を抱いた白上姫は通りかかった人に聞くと、この日が間山之守婚礼の日と知らされた。手にしていた晴着が落ちたのも知らず、人目を避けて帰る足はいつしか大溜池の畔に姫を運んでいた。過ぎ去った日々の楽しい思い出が走馬灯のように脳裏をかけめぐり、今の我が身の惨めさがひしひしと感じられた時、水草が揺らぎ、波紋を残して白上姫の姿は水中に消えて行った。村人たちの必死の捜索も空しく、姫の遺体は発見されなかった。

 翌年の春小雨の降る日、大溜池に清水城へ向かって湖水を渡る白竜を見た人があり白上姫の遺恨が化身したものだと大騒ぎになった。この話を伝え聞いても間山之守は新しい生活の幸福におぼれて一笑にふしていたが、しばらくすると、夜毎に狂人の状態になり、藩士を呼び寄せては、斬り捨てるようになった。ついには、愛妻の琴姫をも殺し、自らも城を抜け出し、吸われるように大溜池に身を投じた。

 このことを嘆いた太右衛門とサイカチ部落の人々は、一宇を建立し、来る年ごとに二人を供養したと伝えられ、供養のかいがあってか、それまで魚の居なかった溜池に、たくさんの「フナ」や「鯉」がいるようになったということである。やがて、この大溜池は津軽新田の水源地となり、戸和田神社は豊作の神としてまつられている。

 鶴の舞橋ステージの中央付近で手を叩くと”ビーンビーン”と反響音がこえてきます。もしかしたら、この音が白竜の鳴声かもしれません。



今から600年前というと、南北朝時代も終わるかという頃でしょうか。津軽においても、この頃は南部氏・安東氏が覇を競っていた頃で、応永17年(1410年)には山本郡刈和野(秋田県大仙市)にて両軍激突、旅の僧侶に助けられ南部方が勝利したとされています(​ 福聚山 大慈寺(糠塚) ​・ 籠田山月山神社 の縁起参照)。その22年後の永享4年(1432年)には十三湊をも制圧し、安東勢力を蝦夷ヶ島に追い落とします。
そんな激動の津軽において、間山之守とはどのような勢力に属していたんでしょうか。この人物に関しては創作の可能性も高く、確かなことは分かりません。ただ、現在でも富士見湖の畔にある戸和田神社にて、白上姫と共に奉斎されていることは確かです。

小さな頃から幾度となく訪れた富士見湖ですが、鶴の舞橋で鳴龍のような現象が起きるとは露知らず、この説明看板を読んだときに驚いてしまいました。確かにビーンッと聞こえる気がしますが、鳴龍とは異なる様に聞こえます。

鶴の舞橋を渡る前に岩木山と重ねて一枚。本当にキレイです・・・(うっとり)。



富士見湖は季節によって大きく水位が変動します。水位が高くなる春~夏には水没している木がよくよく見られますよ。なんだか南国感が有りますねぇ。



桜に飾られたこの小さな神社が、件の戸和田神社です。



一応こちらの石碑には十和田神社と刻まれており、ここも 十和田湖の十和田神社 ​を分霊したものの一つだと思われます。津軽においても数社の十和田神社が確認されており、当地方においても篤く信仰されていたんではないでしょうか。



割木に由緒が書かれていました。やはり十和田湖の分霊社なんですね。




十和田神社


 元々は小さな祠が湖の中に佇むように鎮座していました。岸辺からシツコ(清水っこ・泉)が湧き、農家の方々は”さんご打ち”をしました。”さんご打ち”とは紙にお金やお米を乗せ、シツコの流れにゆだね祠に到達する途中で沈めば神様が嘉納(供物や願いを喜んで受け入れること)した証しとして、豊作や凶作を占う風習のことです。残念ながら湖の築堤によりシツコはなくなり社も現地に移されました。
 湖には悲恋の”白上姫白龍化身伝説”があり、白上姫と龍神様は当社の産生神として大切に祀られ、五穀豊穣・福徳恵方の願いを加護しています。
鶴田町誌参照



社殿内、中央の祭壇には小さな祠が置かれ、この中に御神体があるものと思われます。



斜めから。
本当にいい時期に参拝出来ました!もう少し早ければ満開だったでしょうが、これでも十分春を感じられました。富士見湖鎮守の十和田神社、面白い伝説が残っており、非常に楽しめました。



いよいよ札所の白衣観音堂を目指します。本当ならこの紫陽花の小道から直接行けるんですが、今回は正面からお参りしたいと思います。



富士見湖西岸には富士見湖パークという大きな公園があり、小さな頃は休日に良くここで遊んでいました。公園の端の方に花壇の広場があり、そこから白亜の仏堂が見えます。



参道を上っていくと、まずは鳥居、その奥に寺門と少々込み入った造りになっています。



寺門に関しては少々低いです。



観音堂の横には三十三観音霊場が広がっています。



何の三十三観音霊場の写しなのかは不明ですが、面白い点として、全ての札所石仏が白衣観音と化しているのです。こんな写し霊場はここぐらいではないでしょうか。







御堂正面には津軽第三十四番霊場・御詠歌が懸けられ、扁額も双龍の装飾がしてあります。



堂内には中央に大きな祭壇があり、そこに本尊が置かれています。そして四方には合掌印の菩薩?観音?と金の幣。御堂の守護として置かれているんではないでしょうか。



本尊:白衣観音です。当札所本坊(朱印所)の​ 三宝山 自覚院 正明寺 の記事によると、この観音像は珍しくも陶器製とのこと。詳しい来歴は本坊の由緒をご覧ください。



斜めから。





津軽山 諸菩薩の母御祀りて 法の松風 見るぞ尊し

本尊:白衣観音

今回貰った御朱印です(朱印所は三宝山 自覚院 正明寺)。



以上です。

​​​​​​

調子に乗って撮った写真ギャラリー

富士見湖から見る津軽富士






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最終更新日  2025年12月28日 22時05分54秒
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