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江峰山 聖福寺
曹洞宗 盛香山永泉寺末寺
開山:永泉寺二世 尽室長春大和尚
開基:北愛一彦助(北定愛とも)
本尊:釈迦三尊
江戸時代に南部盛岡藩により整備され、鉱物資源や塩などを運ぶ重要なルートだった鹿角街道。岩手では津軽街道とも呼ばれ、現在の西根区には宿場町があり、多くの人や物資が交流した歴史の街だ。
県道から少し入ると染田川が流れ、橋を渡ればそこが聖福寺の境内である。墓地の間を通り抜けると、正面に本堂があり、前庭の右角に観音堂が立つ。聖福寺は、慶長3年(1598年)に初代の寺田城主である北愛一彦助の開基で、 盛岡市永泉寺二世尽室長春大和尚の開山と伝えられている。
本堂は七間(12.6m)四面、 明治24年(1891年)に再建されたもので、その後も何度も補修を重ねてきた跡がうかがえる。
御本尊釈迦牟尼仏は平安末期の作で由緒ある仏と伝えられ市指定文化財である。寺内にはこのほかにも市指定文化財が数点あり、大切な市の歴史を今に伝えている。
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白坂観音堂
開山:行基菩薩
開基:桑原将監吉事
本尊:七面聖観音
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三十一番札所の観音堂は別名白坂観音堂と呼ばれ、神亀5年(728年)に行基菩薩の創建によるもので聖武天皇(724~748年)の勅願所として勅使 桑原将監吉事が派遣されたと伝えられている。その後の延長8年(930年)朱雀天皇(930~945年)が再興して寿応山 沢両寺を建立。その証しとして直径1m余、重さ12km余の鋳造の大鏡が秘蔵されている。
御本尊はとても珍しい鋳造の七面観世音立像で、台座とも50cm余、作者も年代も明らかではないが、かなり古い時代のものと推測され、大鏡とともに市の文化財に指定されている。御開帳は毎年7月17日、縁日も一緒に行われる。
8世紀という大昔に、都から遙か遠いこの辺境の地に、なぜかくも朝廷と深く関わりのある寺があり、仏教文化が花開いたのかは日本史の謎のひとつ。また、創建が行基菩薩で聖武天皇の勅願所だったことなども不思議ではあるが、その事情については何も伝えられていない。
聖福寺がこの札所を護持するようになったのは明治8年(1875年)以降で、それまでは現在の上寺田バス停の町裏、田圃のほとりにあったといわれている。さらにその前は、東田川の上流5kmの白坂というところにあり、それが一名 白坂観音と呼ばれるゆえんである。もっと時代をさかのぼって草創当初は、さらに北の七時雨山(1060m)の麓にあったと伝えられているが、場所は特定できない。
藩政時代までの白坂観音は、修験 南岳院が別当を務めていた。明治維新の神仏分離によって南岳院は還俗し、御本尊はじめ一切の寺宝は聖福寺に移管された。
昭和49年に大改修された現在の観音堂は、二間(3.6m)四面に欄干のある二尺(60cm)の濡れ縁をめぐらしている。本堂に安置されている県指定文化財の光味地蔵菩薩は、桂材で彫刻された総丈75cm、平安末期の作とされている。右手に錫杖、左手に宝珠を持つ、その穏やかな表情にだれもが心を和ませる。

七面観世音菩薩
頭頂部の二段に六面の化仏(けぶつ)を配し、天衣(てんね)、条帛(じょうはく)をまとい、右手は念じ、左手は蓮華を挿した宝瓶を持っています。腰裳を身に付け、蓮華座に直立する御姿は、観音経の七難即滅を現しています。
後頭部・背面は無いことから、かつては大鏡と一体化した『懸仏(かけぼとけ)』だったとの言い伝えがあります。



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