おんかみのブログ

おんかみのブログ

PR

×

プロフィール

おんかみ

おんかみ

カレンダー

キーワードサーチ

▼キーワード検索

サイド自由欄

カテゴリ

カテゴリ未分類

(28)

食事どころ

(31)

湯どころ

(26)

山岳

(3)

史跡

(3)

伝承・伝説・民話

(6)

青森県いろいろ

(5)

岩手県いろいろ

(3)

秋田県いろいろ

(2)

宮城県いろいろ

(3)

山形県いろいろ

(2)

福島県いろいろ

(4)

茨城県いろいろ

(3)

栃木県いろいろ

(3)

群馬県いろいろ

(2)

千葉県いろいろ

(3)

埼玉県いろいろ

(2)

東京都いろいろ

(3)

神奈川県いろいろ

(2)

長野県いろいろ

(5)

山梨県いろいろ

(3)

静岡県いろいろ

(2)

富山県いろいろ

(1)

石川県いろいろ

(2)

岐阜県いろいろ

(1)

福井県いろいろ

(3)

愛知県いろいろ

(2)

滋賀県いろいろ

(2)

景勝地:青森県:津軽

(34)

景勝地:青森県:南部

(65)

景勝地:岩手県:県北・沿岸

(5)

景勝地:岩手県:県央・県南

(1)

景勝地:秋田県

(2)

景勝地:宮城県

(5)

景勝地:山形県

(0)

景勝地:福島県

(8)

景勝地:東京都

(2)

景勝地:長野県

(1)

景勝地:山梨県

(4)

景勝地:福井県

(1)

景勝地:愛知県

(1)

御朱印:青森県:津軽

(31)

御朱印:青森県:南部

(23)

御朱印:岩手県:県北・沿岸

(5)

御朱印:岩手県:県央・県南

(4)

御朱印:秋田県

(3)

御朱印:宮城県

(13)

御朱印:山形県

(2)

御朱印:福島県

(20)

御朱印:茨城県

(13)

御朱印:栃木県

(6)

御朱印:千葉県

(2)

御朱印:埼玉県

(1)

御朱印:東京都

(4)

御朱印:神奈川県

(8)

御朱印:長野県

(5)

御朱印:山梨県

(9)

御朱印:静岡県

(9)

御朱印:富山県

(1)

御朱印:石川県

(3)

御朱印:岐阜県

(0)

御朱印:愛知県

(5)

御朱印:滋賀県

(2)

津軽三不動尊

(4)

津軽三十三観音霊場

(40)

津軽八十八霊場

(60)

津軽弘法大師霊場

(17)

津軽七福神めぐり

(4)

津軽龍神霊場

(12)

八戸御城下三十三観音霊場

(27)

奥州南部糠部三十三観音霊場

(39)

田名部海辺三十三観音霊場

(11)

気仙三十三観音霊場

(1)

岩手三十三観音霊場

(9)

秋田三十三観音霊場

(4)

最上三十三観音霊場

(8)

仙道三十三観音霊場

(17)

会津三十三観音霊場

(8)

会津ころり三観音

(4)

三陸三十三観音霊場

(4)

奥州三十三観音霊場

(25)

東北三十六不動尊霊場

(19)

佐竹七福神めぐり

(2)

江戸三十三観音霊場

(13)

江戸六地蔵

(8)

東京十社めぐり

(4)

三浦三十三観音霊場

(1)

東国三社

(5)

坂東三十三観音霊場

(14)

信濃三十三観音霊場

(7)

甲斐国三十三観音霊場

(4)

甲斐百八霊場

(10)

甲府山の手七福神めぐり

(1)

景勝地:群馬県

(1)

コメント新着

カメラ小僧@ Re:二十四番札所:不退山 常念寺 下北一の阿弥陀如来坐像(09/16) 44年前恐山大祭のとき「常念寺YH」に二泊…
おんかみ @ Re:十和田市:石合堂大明神神社 禊ぎの場に建つ赤社(12/28) はじめまして、必須ビタミンさん。返信遅…
必須ビタミン@ 石合堂大明神神社 初めて知る神社で、興味深く拝読させてい…
2026年06月14日
XML
八戸から五戸方面に伸びる国道454号沿いに、今回紹介する観音堂が境内を広げています。八戸の中心街からだと、丁度JR八戸駅に向かう途中です。
周辺は住宅地で、その一画に地域の共同墓地があり、墓地の中心にこじんまりと観音堂が置かれています。巡礼以外では、まず地元住民であってもある事さえ知らない人が大半なのではないでしょうか。而して、収められた観音像は個性あふれる秀仏で、拝まないのはもったいない!是非ともガイドブック(八戸市立図書館で貸出中)片手に御参拝くださいね

2025.2.1
八戸御城下三十三観音霊場十九番札所:内舟渡観音堂


まず注意としては、近くに駐車場がないので、停める場所を事前に考えてから参拝しましょう。僕はかなり遠くに停め、ゆるりと歩いて参拝しました。
墓地に入ると、その中ほどに小さな御堂。切妻屋根の簡素な御堂は、仏閣にも社殿にも見えます。産土さまとも称される当霊場は、もちろん神仏混淆です。



傍らの低木と比べると、御堂の規模感が良く分かりますね。屋根・外壁共にトタン張です。



御由緒です(一部加筆)。
内舟渡観音堂

本尊:如意輪観音

 横枕観音堂跡(現 ​ 長根天満宮 )から大橋へ至る道は、江戸時代、八戸城下への近道として利用されていたため、多くの歴史が残されている。例えばその道筋に、庚申塔・義経伝説の矢留の泉跡・八戸南部九代信順公の別荘跡などを今日でも見ることができる。そして、橋を渡れば内舟渡の部落である。
 この一帯は、根城南部時代(14世紀から)の交通の要所で、八戸湾が入り込んでいたため、内陸部の港という意味で「ないみなと」と呼んだ。当時はまだ橋が架けられていなかったため、舟着き場として根城城の城下町が形成され、八戸一にぎわっていた場所であった。
 ところが、八戸藩成立(1664年)以降港町は、馬淵川河口や鮫・白銀が中心となり内舟渡は陸上運送の要所として変ぼうしていったのである。このころ大橋が架けられ、番所や橋守小屋が建ち、抜け荷や穀物の取り締まりを行ったり、制札が掲示されたりもした。巡礼道(旧道)は、現在の馬淵川土手であり、橋を渡ってすぐに「西左ハ五戸」「北右ハ市川」と刻まれた追分石が立っていた。この追分石は、川がよく氾濫したため、現在では、もう少し北の毘沙門塚境内に移安されている。

 内舟渡の観音堂へは、五戸通りを西へ進む。現在は産業道路を左へ曲がった方が近いようである。ここは、江戸時代から茶屋が建っており、八戸八景のひとつに数えられていた。この風光明媚な景観を眺めながら巡礼者たちは一息ついたことであろう。
 そこから200mほど西へ進むと、右手にブロック塀で囲まれた400坪(約1,300㎡)ほどの小じんまりとした共同墓地がある。墓石の名字は、ほとんどが沼田・船田・西野・在家の4家で占められている。明治以前まで各家の庭に置かれていた墓を、内舟渡の産土の神である当地へ集めたのである。ところが、水はけが悪く、雨が降ると沼地となり、地下から棺桶が浮き上がってくるなど地元の人々を悩ませたという。そこで、土を盛りあげ、現在のように、石畳を敷き、よく整備された境内となった。墓地入り口には「尊佛敬祖」と刻まれた墓地全面整備記念碑が立っている。
 観音堂は、二間半四方で何度か改修されており、いちばん古い棟札では文久2年(1862年)3月24日のものが残っている。また、最近のものでは、昭和30年5月3日の棟札が残り、この時、御堂の前に茂っていた樹齢300年以上もの夫婦大木を切って堂舎建立したという。産業道路が開通する以前は御堂が現在の銀杏の前に建っており、墓地がちょうど道路の辺りであった。それを、全体的に後ろへ下げたのである。
 御堂の入り口には、昭和46年(1971年)12月20日に氏子総代一同が御詠歌の扁額を奉納した跡を見ることができる。墓地の檀徒は、​ 来迎寺 ​・青龍寺・​ 光龍寺 ​・​ 對泉院 (これらすべては御城下三十三札所に含まれる)がほとんどであり、観音堂は、祝詞をあげる神社神道形式で儀式を執行している。いわゆる神仏混淆した霊地である。
 御堂外陣には、明治時代からの祝いちょうちんが8個掛けられており、内陣中央には、観音の内御堂がある。さらに、この中に桐製の内々御堂が安置され、内々御堂の扉を開けると、白い布が垂れ下がっている。ふだんは御神体として人の目に触れることはなく固く扉が閉ざされているが、年に3回(1月21日・8月21日・12月20日)御開帳が許されている。
 それは、5寸ほどの白木如意輪観音座像で、非常に女性らしく、やさしい顔立ちをしている。細い目に唇が朱色で、鑢がかけられており、念の入った御作仏である。その姿は、模範的な如意輪観音像であり、6本の手を待っている。右の上手は右頬にあて、われわれ衆生を救って下さる方法を考えており、真手は宝珠を持ち、下手は数珠を持ってわれわれに信仰を奨めている。左手真手には体の割に大きな法輪を手のひらに乗せ、上手は左膝に置き、下手は開蓮華と蓮葉を握って安らぎを与えている。また、背中には、当地方で珍しく、輪光背を背負っており、坐り方は右膝を立てた、いわゆる輪王坐である。
 内御堂の棟札によると、「明治14年(1881年)5月6日、開眼師光龍寺二世駒井禅亮」と墨書きされていることから、この観音像が奉納される以前は、内舟渡部落の大火の際、焼失してしまったものと思われる。
 とにかく「内舟渡の産土様」として根城南部時代から信仰されてきた観音である。境内の向こう側には、嘉永3年(1850年)の蒼前堂が鎮座しており、産業が発達し、まわりのものすべてが近代化してきても、この一帯は観音信仰の盛んな聖地であることにかわりはない。
デーリー東北出版「八戸御城下三十三番札所巡り」 102~106ページ より引用

根城南部氏時代に於いても、湊として賑わった場所にあるんですね。詳しい御由緒は不詳ながらも、ながらく当地の産土神として親しまれてきた様です。
現在の本尊は明治14年(1881年)に奉納されたもので、それ以前のものは大火によって焼失したんだとか。以前から如意輪観音だったのかも気になる所ですね。

↓にガイドブックに掲載されている本尊の写真を載せます。説明に有る通り、非常に朗らかな表情をしており、髪の感じもあってか女性的な印象です。白木のままの素朴な御作仏ではありますが、ここまで優れた像容のものは相当珍しいと思います。

デーリー東北出版「八戸御城下三十三番札所巡り」 104ページ より引用





堂内を見回してみますと、中央須弥壇の中には数本の幣と共に小さな祠のようなものが見えます。恐らくそこに本尊の如意輪観音が収められているんではないでしょうか。5寸(約15cm)程の大きさらしいので、きっとそこにあるはずです。

斜めから。
内舟渡集落の産土神として祀られる如意輪観音でした。今となっては御開帳が続けられているのかさえ不明ですが、一度は絶対直に見てみたい、そう強く思う本尊でしたね。八戸御城下三十三観音霊場の札所には、この様に小さくとも地域に愛されている観音堂が多いんですよ



御詠歌
しみじみと ねがう心は大慈悲の ふかき恵みに 身をば任せて

現代新御詠歌
絶え間なく 車流るるこの里の 産土神とぞ 如意輪観音

本尊:如意輪観音 चिन्तामणिचक्र

以上です。

​​​​​





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2026年06月14日 21時24分59秒
コメント(0) | コメントを書く
[八戸御城下三十三観音霊場] カテゴリの最新記事


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Website
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: