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久しぶりにマンガ本を買いました。「MAD DOG マッドドッグ 完全版 上」(宙出版)全3巻の第1巻。望月三起也さんがマイク・ハスラーの別名で描いた作品です。少年画報社の「ヤングコミック」に1968年~70年まで連載され、ながい間、絶版、幻といわれた作品です。 A5版サイズ、456ページの、紙質は落としてあるみたいだが、分厚くて読み応えのある製本。定価は1528円(税別)とちょっと高めだけど、読みたいと思っていたこともあり、厚くて読み応えあるマンガ本(全19話収録。第11話「可愛い女」は前・後編)が欲しいと思っていた折でもあって、購入した次第です。「ヤングコミック」(少年画報社)が創刊されたのは「ビッグコミック」(小学館)や「プレイコミック」(秋田書店)とおなじ頃で、1968年。当時は月刊だった「ビッグコミック」はわりと買って読んだけれど、「ヤングコミック」と「プレイコミック」を自分で買うのは少なかったように記憶しています。 当時、望月三起也さんといえば、「ケネディ騎士団」「最前線」「秘密探偵JA」など少年誌で読んだ作品しか知らず、似たような絵柄だと思ってもマイク・ハスラーと望月三起也さんが同一人物だとは知らなかった。 アメリカを舞台に、ジョージ・牧という日本人の私立探偵が活躍する、ハードボイルド・コメディ漫画(劇画?)です。 連載時は「狂い犬」というタイトルだったのではないかと思うけど、現在は「MAD DOG マッドドッグ」になっている。ハードなガン・アクションと、お色気のある女性の半裸体がどおんと描かれる。当時の少年誌には不向きで、青年誌が登場した1968年ならではの作品ではないかと。 最近、思うのは、昔のマンガ作品を読むことができないことです。1960年代はむろん、70年代80年代のマンガ本が書店に置いてない。出版さえさることなく絶版状態で、たまにマニア向けのがあったりするけど、数千円もする高額のものばかりです。 望月三起也さんだけでなく、松本零士さんのSFや戦記マンガ、水島新司さんの野球マンガにしてもしかり。石森正太郎さん、川崎のぼる、横山光輝さんなど有名作家の作品が書店にないのはなぜだ。ちばてつやさんの「おれは鉄平」や、「愛と誠」(ながやす巧 梶原一騎 原作)など、古本で探すしかないのですかね。
2024年06月10日
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「貸本まんが復刻版 墓場鬼太郎」(全6巻 角川文庫)を読んでいます。 第1巻の幽霊族最後の生き残りである夫婦から鬼太郎が生まれるところから始まって、第4巻の「怪奇一番勝負」まで来て、それまでのお調子者でおっちょこちょいな、のんびりした鬼太郎が突然に一変する。 売れない漫画家が下宿の家賃を払えないので、同宿の金田という殺し屋の手伝いをすることになります。別に殺しの手伝いをするのでなく、金田が5年ぶりに日本に帰ってきたら、留守にしていた自分の家に何者かが勝手に住み着いているというので、それを追い出す手伝いをする。 金田の家に無断で住み着いているのが鬼太郎と目玉の親父。鬼太郎親子は、金田と、アメリカから来日したその妻、売れない漫画家の3人を殺してしまいます。ようするに妖怪のすることにかまうな、ということらしい。妖怪のことにかまうと地獄へ送ってやるぞと。「墓場鬼太郎」のタイトルで始まった「ゲゲゲの鬼太郎」ですが、水木しげるさんは鬼太郎をどのように描きたかったのだろうか? 怪奇事件解決屋として悪い妖怪をやっつける正義のヒーローなのか? 紙芝居から始まって貸本まんがへと、それから大手出版社のメジャー商業誌「週刊少年マガジン」へと発表の場が移って行った「墓場鬼太郎」です。怪奇まんがとしてならば、この「怪奇一番勝負」の邪悪な鬼太郎が本来の鬼太郎の姿なのかもしれない、と思ったりします。 NHK朝のドラマ「ゲゲゲの女房」にあったように、貸本まんがを描いている時期の水木しげるさんの生活はとても貧しかったそうです。それが「週刊少年マガジン」に掲載されることになって大きく飛躍することになる。「墓場の鬼太郎」の当初はあまり人気がなかったそうですが、しだいに人気作家になってゆく。TVアニメ化されることになった時に、「墓場」のタイトルがふさわしくないとされて「ゲゲゲの鬼太郎」と改題された。怪奇まんがであるならば、禍々しさのある「墓場の」のほうがよほどふさわしいはずなのに。 水木しげる先生は、読者を怖がらせる不気味な怪奇まんがを描きたかったのだろうか?、それとも大衆に愛される正義のヒーローとしての鬼太郎を描きたかったのだろうか? 手塚治虫さんの代表作でもある「ブラックジャック」が「週刊少年チャンピオン」に連載開始された当初は「怪奇まんが」としてでした。悪魔の手を持つ外科医。人間の脳を他人に移植して、体を入れ替えてしまうような悪魔的な外科医だったはずです。しかも医師免許を持たないモグリの医師という設定です。そのブラックジャックも連載が進むあいだに、免許を持たない外科医が多額の報酬で悪魔的手術をおこなうという設定がどこかへいってしまい、悪魔の外科医だったのが、難手術を成功させるヒーロー的な天才外科医になってしまった。 まんが家は自分が本当に描きたいまんがを描いていても売れないので、生活のために妥協して、大衆が求めるような正義のヒーローにせざるを得ないということでしょうか。 一部の限定された読者が対象の貸本まんがではなく、メジャーの「週刊少年まんが誌」に連載されるとなると「邪悪性」や「悪魔性」「毒」を抜かざるを得ず、しかもそれがTVアニメになると、悪魔的で邪悪な主人公であってはならないということだろうか。
2022年02月12日
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かつては「貸本屋」なるものがあって、家の近所にも3軒か4軒がありました。それらの店がいつの間にかなくなったのは、1964年の東京オリンピックの頃で,1965年でもまだ1軒が残っていたのを覚えています。 私の小学生だった頃ですが、自分の場合は、貸本単行本よりも月刊漫画雑誌の「冒険王」や「まんが王」(別冊付録はなく本誌だけだった)や「週刊少年サンデー」などを借りていたようであり、兄が借りた劇画本の「影」や「街」「刑事」などを見せてもらったり、自分で借りたものでは、当時の流行だった戦記ものか、手塚さんの「ジャングル大帝」と前谷惟光さんの「ロボット三等兵」が記憶にあります。 先日、かねてから興味があり、欲しいと思っていた「貸本まんが復刻版 墓場鬼太郎」(全6巻 角川文庫)を買いました。本を買うのは一年以上ぶり。 水木しげるさんがメジャー商業誌「週刊少年マガジン」に「墓場の鬼太郎」(のちにゲゲゲの鬼太郎に改題)を掲載する以前の、貸本まんがを描いていたころの作品を収録したものです。第1巻「幽霊一家」「幽霊一家墓場の鬼太郎」 兎月書房版「妖奇伝」より 「地獄の片道切符」「下宿屋」「あう時はいつも他人」 兎月書房「墓場鬼太郎」より第2巻「吸血鬼と猫娘」「地獄の散歩道」 三洋社版「鬼太郎夜話」より第3巻「水神様が町へやってきた」「顔の中の敵」 三洋社版「鬼太郎夜話」より第4巻「怪奇一番勝負」「霧の中のジョニー」 兎月書房「墓場鬼太郎シリーズ」より第5巻「おかしな奴」「ボクは新入生」 佐藤プロダクション版「墓場鬼太郎」より第6巻「怪奇オリンピックアホな男」 佐藤プロダクション版「墓場鬼太郎」より 「ないしょの話」 東考社版「墓場鬼太郎長編読切」より 以上が載っていて、1960年(昭和35年)から1963年(昭和38年)にかけての作品です。「週刊少年マガジン」の「手」が1965年(昭和40年)だから、その5~2年前のもので、後半になると「マガジン」の「墓場の鬼太郎」に近づいたような雰囲気になりますが、それでも正義の味方でもなく良い子のヒーローでもない、ダークサイドの住人というか野性的というかニヒルというか、禍々しさのある鬼太郎と、その真逆の、マセた口をきくがのんきな顔でとぼけた愛らしい鬼太郎が登場します。「ゲゲゲの鬼太郎」では感じられない可愛さのある鬼太郎が描かれていて、報酬につられて借金取り立てに働いたり、保険の勧誘をしたりする。大人びたしぐさでタバコを吸う(銘柄はホープ)のが可愛くも可笑しい。 鬼太郎の世界には欠かせない、なくてはならない男である ねずみ男は早くも第1巻の「下宿屋」から登場し、そのキャラはすでにおなじみのものに完成されているのを初めて知りました。 300年生きていると自称するねずみ男ですが、その不潔ぶりは、風呂に入らず歯もみがかず、口臭、悪臭のすさまじさは、現代では考えられもしないことですが、当時はまだ実際にそんな人がいたのかも? 第4巻の「霧の中のジョニー」はのちに「吸血鬼エリート」としてリメイクされているし、他にも「ゆうれい電車」「陰摩羅鬼」の原型のような話も見られます。 第2巻に出て来る猫娘の寝子さんが舞台で「コラソン レメロン~♪」と歌うのは森山加代子さんの「メロンの気持」という当時のヒット曲ですね。 池田首相や、フランクならぬトランク永井とか坂本九や、「まぼろし探偵」の主題歌が出てきたり(誰も気づかない?)、当時の世相が感じられて面白いです。
2022年02月10日
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漫画を描くとはどういうものなのだろう? 漫画家を志す場合、自分が描いた作品を出版社に持ち込んで見てもらう。現在は知らないですが、かつてはそれが出発点でした。出版社に持ち込んで見てもらい、認められればデビューができる。 プロの漫画家として雑誌に連載されるようになると、漫画作品は作家本人だけではなく、アシスタントの手が入るようになります。 週刊誌に連載されるようになり、しかも売れっ子の人気作家となって、いくつもの雑誌に載るようになると、自分だけで描くのは物理的に不可能であり、他人に手伝ってもらわないと手に負えなくなる。 つまり、自分の作品に他人の手が加わることになるのですが、そうなるとその作品が自分の作品だといえなくなってしまうのではないだろうか? それは小説家の場合でも同じでしょう。 小説の場合は、自分の原稿に他人の手が入ることはあり得ないことではないか? 小説家が自分の作品を他人に書いてもらうのは許されないことではないかと思うのですが、ゴーストライターというものがあるとしても、他人に書いてもらったものを自分が書いたことにして発表するのは、作家のプライドが許さないはずです。 ところが漫画作品にかぎって、それが常識として許容されるのはなぜだろう? なかにはアシスタントまかせの漫画家もいるそうであり、プロの漫画家はアシスタントを使うのが常識だといってしまえば身も蓋もありません。 作品は自分が生み出した自分だけの物であり、自分の世界を発表する場のはずです。その作品に他人の手が加えられるのは、作家本人にとって耐えられることなのだろうか? 背景やベタ塗りなどを手伝ってもらうくらいならまだしも、主要登場人物までを他人に描いてもらうとなると、それを自分の作品だと胸を張れるのだろうか? さいとう・たかをさんのさいとう・プロのような、作品を映画製作のように、構成、脚本、構図、作画など、それぞれを担当する人がいて分業化しているなら、作家本人は映画のプロデューサーと同じような位置にあるわけで、納得できるのですが。 なぜこのようなことを考えたかというと、かつて横山光輝さんの作品が、1968年頃を境にして、その画風、絵柄が大きく変化したことに当時戸惑いを覚えたからです。 上の画像は「伊賀の影丸」ですが、なじみのある絵ではなく、違和感があります。同じ人が描いたとは思えない画です。1970年頃、別冊少年マガジンとプレイコミックに単発として「伊賀の影丸」が載った時に、横山先生はあの頃のような絵を描けなくなったとおっしゃっていました。私などは、これは伊賀の影丸ではないと感じてガッカリしたものですが、今にして思えば、作画を担当していたスタッフが大きく入れ替わっていたのでは? 子供の頃に「鉄人28号」や「伊賀の影丸」が大好きで、喜んで読んでいましたが、岸本修さん、馬場秀夫さん、宮腰義勝(塚本光治)さん、加来あきらさん、井上英沖さんなどが手伝っていたそうです。 となると、どの作品のどの絵が横山先生ご本人の手になるものか、わからなくなってしまいました。
2021年11月10日
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このお正月に古本屋で見かけて、買った本「仮面の忍者 赤影」。 秋田文庫の横山光輝さんの忍者マンガで、全2巻の第1巻です。240円の20%OFFなので192円で買えました。2巻もほしいのだが、なかったので1巻だけです。「仮面の忍者 赤影」が「飛騨の赤影」のタイトルで「週刊少年サンデー」に連載開始されたのはいつだったでしょうか?「伊賀の影丸」が終わったのが1966年の39号だから、そのあと間もなくだと思われます。赤影が木下藤吉郎の軍師 竹中半兵衛から密命を受ける場面をなんとなく記憶しているだけですが、当時リアルタイムで連載を読みました。 その後、テレビで「仮面の忍者 赤影」(1967年4月~)として始まったのを見たわけで、それは、中学生の私には内容が幼稚で子供だまし的に思え、小学生の時から「伊賀の影丸」を愛読し、テレビの「隠密剣士」や「忍者部隊月光」ですっかり忍者のイメージができあがっていたので、まったく見るにたえないものだった。子役の青影が鼻に手をあてて「だいじょう~ぶ」などと、見ている者をバカにしていると感じたものです。 そして、原作マンガの「飛騨の赤影」が「仮面の忍者 赤影」に改題され、その安直なタイトルにがっかりし、その時点でマンガも読むのをやめてしまいました。 そんな「仮面の忍者 赤影」の秋田文庫版の第1巻「金目教の巻」を約半世紀ぶりに読むわけです。 元亀2年。織田信長が浅井朝倉と対立している頃。木下藤吉郎の軍師竹中半兵衛が、江南の農民のあいだに「金目教」という宗教が広がって信者を増やしているとの情報を得、藤吉郎に報告する。奇跡をおこす宗教としてまたたくまに信者を増やし、その背後に六角義治の存在が疑われるとのこと。 信長をこころよく思っていない六角義治が農民を扇動して、なにか良からぬことをたくらんでいるのではないかと、その真偽をたしかめるべく、飛騨の忍者赤影と青影の2人を江南に派遣する。 はたして赤影と青影の前に霞谷七人衆なる忍者集団があらわれる。 幻妖斎という甲賀?者が農民を集団催眠であやつり、彼の配下に霞谷七人衆がいる。鬼念坊、朧一貫、ガマ法師、黒童子、土蜘蛛、夢堂典膳、傀儡甚内など7人の忍者と赤影、青影の忍法合戦が展開する話です。 赤影は伊賀の影丸、青影は村雨源太郎のキャラクターをそのままといった感じです。 とくに赤影は仮面で顔をかくす必要性がないだろうし、忍者たちが使う忍法も、これまでの「伊賀の影丸」を読んできた身としては、真新しい感じがしない。 この連載は1年くらいで終了したようだけれども、それも納得できるようです。この昭和40年代も中頃になると忍者マンガの存在意義がなくなっていたのかもしれません。
2019年01月07日
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本棚の奥にあったマンガ「エムエム三太」(上下 マンガショップ)を取り出して、久しぶりに読みました。作者は小沢さとるさんです。 私が小学生から中学生の頃。漫画家では横山光輝さんと小沢さとるさんがダントツで好きでした。 もっぱら「週刊少年サンデー」を愛読していたので、掲載されていた「伊賀の影丸」(横山光輝)と「サブマリン707」(小沢さとる)に熱中したものです。「エムエム三太」の第一部「アンロックマシンの巻」が「週刊少年サンデー」に連載されたのは昭和40年(1965)5号~15号です。名義は小沢さとるではなく「山川大助」。当時は「サブマリン707」の「ジェット海流編」が連載中で(同年2号~10号)、同じ雑誌に2作品を載せるのは抵抗があったのかもしれない? 特殊体質と天才頭脳を持った少年 牧村三太が主人公。10億人に一人という体質を持って生まれた三太を15歳まで育てたマホメット博士と、博士の息子マホメット・ジユニアとともに、その特殊体質と超メカを使って悪の結社と戦うアクション(SF)マンガです。 手塚治虫さんの「W3(ワンダースリー)事件」という、マンガ史に残るエピソードがあります。 この昭和40年の3月から「週刊少年マガジン」で連載開始された「W3」が6回までで中断し、5月からライバル誌の「週刊少年サンデー」に、新たに最初からスタートするという驚天動地のできごと。この時に、小沢さとるさんの「エムエム三太」がトレードされたかのようにして「サンデー」から「マガジン」に移りました。「エムエム三太」の第2部「ムウムウ教団の巻」は「週刊少年マガジン」昭和40年32号から41年6号までです。「エムエム三太」の登場キャラクターたちの描き方は全体に丸っこい感じがする。この頃の小沢さとるさんの画は手足が直線的で太くなり、その丸っこい感じは「サブマリン707」でも同じで、第1部「U結社」編と第2部「謎のムウ潜団」編では大人びていた感じのイメージだったのが、第3部「ジェット海流」編以降ではやはり丸っこく、主人公3人組も子供っぽくなってしまう。 私が小沢さとるさんの漫画を知ったのは「CQペット21」が小学館の学習雑誌に載っていたのを読んだ時。そして月刊誌「少年」(光文社)に連載された「少年台風」(昭和37年~39年くらい?)は日本の空母に乗り組んだ少年隊員たちの話。この以前に「海底戦隊」というのがあるけれど、まだ幼かったし、日本の自衛艦が出るくらいしか記憶がない。「少年台風」は「ショウネンタイフーン」と読むのですが、このころはまだ丸っこいキャラではなく、全体に手足が細く長く描かれている。 そして同時期の「伊賀の影丸」(横山光輝)の「由比正雪」「闇一族」「七つの影法師」。「週刊少年サンデー 昭和37年29号から昭和39年20号までですが、この三つの話は「伊賀の影丸」全話中での傑作であり、これらが小沢さとるさんの丸っこくなる以前の画を思わせます。 小沢さとるさんの画は横山光輝系だといわれるけれど、この「伊賀の影丸」三話は横山光輝さんではなく小沢さとるさんがアシスタントとして描いたのではないか?と、私は推測しています。小沢さとるさんが横山光輝名義で描いた?
2018年11月13日
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私は「ゴルゴ13」をビッグコミックで連載開始された時にリアルタイムで読んだ世代です。 ビッグコミックが月刊誌として創刊されたのは1968年2月29日(閏年)発売の4月号。創刊時のさいとう・たかをさんの劇画は「捜し屋はげ鷹登場!」で、12月号までの全9話。そのあとを継いで1969年1月号(68年11月末発売)から「ゴルゴ13」の連載が始まりました。 第1話「ビッグ・セイフ作戦」 69年1月号 第2話「デロスの咆哮」 69年2月号 第3話「バラと狼の倒錯」 69年3月号 第4話「色あせた紋章」 69年4月号 ここまでが月刊誌だった時の作品。 第5話「檻の中の眠り」からビッグコミックが月2回の発売(3月から)になってからの作品になります。 そして1970年1月に別冊ゴルゴ13が発売されて、たしか180円くらいだった?、第1話から第4話を一冊にまとめた、これが初めての本です(第7話「ブービートラップ」も収録とされるが記憶になし)。この別冊ゴルゴ13を発売されるたびに購入し、20冊ばかり持っていました。 1973年6月ごろにSPコミックスの第1巻「ビッグ・セイフ作戦」が、その後1976年ごろに小学館文庫版が刊行されました。今は小学館文庫版はなくなりましたが、SPコミックス版はずっと続いていて現時点で183巻が刊行。 SPコミックス版、小学館文庫版もかなりの冊数を持っていたが、すべて処分してしまい今は一冊も残っていません。現在もっているのはSPコミックス コンパクト版(文庫サイズ)の第1巻から20巻までです。このSPコミックス コンパクト版は画が小さく縮小されて読みづらいけれど、コンパクトサイズなので場所をとらない利点があります。 で、この文庫版ですが、巻末に杉森昌武さんによる解説と各話のスタッフ(構成 脚本 構図 作画 担当)の名前が載っています。 各話のスタッフ名が載っているのはたいへん参考になるデータですが、気になるのは解説にあやまりがあることです。 第1巻の「この直後に始まって、日本中を湧かすことになる日活アクション映画などは、映画『007シリーズ』の影響よりも『ゴルゴ13』の影響の方が遙かに大きいというのは、知る人ぞ知るである」と書いてあるのはあきらかな間違いです。 日活アクション映画はずっと前の1950年代後半から1960年代中頃までであって、石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎、宍戸錠などが活躍した昭和30年代であり、「ゴルゴ13」が連載開始された1968年末にはもうブームが終わっていたはずです。その時期的に先行する日活アクション映画が「ゴルゴ13」の影響を受けているなどと、さらに知る人ぞ知るとは、とんでもないデタラメな迷説です。 さらに、ゴルゴ13が始まった1968年当時の漫画といえば「巨人の星」とか「リボンの騎士」である。そんな時代に映画「007シリーズ」的世界を漫画で描こうなどという大胆な着想を抱いたさいとう・たかをの凄さ・・・、などと書いていますが、なんで手塚さんの古い少女漫画「リボンの騎士」(1953~56、1963~66)が例に出されるのか? しかも1968年当時に「007」的世界を漫画で描いたのはさいとう・たかをさんだけではなく、望月三起也さんの「秘密探偵JA」や川崎のぼるさんの「タイガー66」などがあるだろうに。 それと、第2巻の「白夜は愛のうめき」の解説では、「タイトルも、他のはほとんどが活字なのに、ロゴ(書き文字)になっている点も、この作品の特異な点である」となっていますが、他もすべてレタリングなのは同じで、文字の書体がちがうだけです。タイトルは原稿に作画者が工夫して描きこむ(レタリングという)もので、画の一部でもあり、タイトル文字を活字にするなどありえないことです。それにロゴとは文字列をデザイン化して、企業や商標名、印章にすることであり、意味がちがいます。 杉森昌武さんを批判するつもりはありません。日活アクション映画が「ゴルゴ13」の影響を受けていて、それが知る人ぞ知るなどとデタラメを書かれては黙っていられず、日活アクション映画の名誉のために書かせていただきました。
2016年12月29日
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一式戦闘機「隼」(キ-43) 1型(キ-43-I )全長 8.832m全幅 11.437m全備重量 2043kg発動機 九九式950HP(ハ-25) 空冷式複列星型14気筒最大速度 491km/h実用上昇限度 11750m航続距離 1146km武装 7.7mm機関銃×2 のちに12.7mm機関砲×2になる。爆弾 15~30kg×2 2型(キ-43-II )全長 8.92m全幅 10.837m全備重量 2642kg発動機 二式1150HP(ハ-115) 空冷式複列星型14気筒最大速度 515km/h実用上昇限度 11215m航続距離 1620km武装 12.7mm機関砲×2爆弾 30~250kg×2「週刊少年サンデー」に連載された九里一平さんの戦記漫画「大空のちかい」。 昭和37年45号から昭和39年19号までですが、当時は海軍の零式艦上戦闘機と戦艦大和の人気が高く、海軍偏重のなかで陸軍の少年飛行兵を主人公にした作品はたいへん珍しいものです。「0戦太郎」「0戦はやと」(ともに辻なおき)、「ゼロ戦レッド」(貝塚ひろし)、「燃えろ南十字星」(松本あきら)、「紫電改のタカ」(ちばてつや)、「あかつき戦闘隊」(園田光慶)など、すべて主人公は海軍航空隊です。 この海軍人気は現在までつづいていて、陸軍より、不思議なことになぜか海軍の方が人気がある。 陸軍を主役にした作品は「大空のちかい」の他に、同じ「週刊少年サンデー」連載の「虹の戦闘隊」があり、これも昭和39年頃だったかと記憶します。「虹の戦闘隊」は荘司としおさんの作品で、「夕焼け番長」「サイクル野郎」のイメージが強いのですが、「ゼロ戦レッド」の貝塚ひろしさんのお弟子さんですね。「虹の戦闘隊」は陸軍の双発戦闘機「屠龍」(二式複座戦闘機)の活躍を描いていて、「大空のちかい」の「一式戦闘機 隼」とともに、海軍ばかりのなかで、私たち小学生の読者には新鮮な作品でした。 隼 1型のエンジンは制式名称「九九式950HP」で、番号は(ハ-25)。これは陸軍名称で、海軍の零戦一一型が搭載している海軍名称「栄12型」、略号は「NK1B」、と同じものです。 隼2型のエンジン「二式1150HP」(ハ-115)は、これも零戦三二型の「栄21型」、略号「NK1F」と同じもの。中島製の同じエンジンを使っていても、陸軍と海軍では異なった名称を使っています。 九七式戦闘機の後継である一式戦闘機 隼。九六式艦上戦闘機の後継である零式艦上戦闘機。 ともに格闘戦を求められた機体で、敵戦闘機にドッグファイト戦で負けないことと速度を向上させることを要求された。 そのために機体を少しでも軽量化する必要があり、けっきょくはその軽量化によって招いた機体の脆弱化が陸軍の隼も海軍の零戦も弱点になっている。 終戦までずっと航空産業では二流国であった日本は、アメリカのような2000馬力級以上の大馬力高性能エンジンを開発できなかった。その非力なエンジンゆえに高速で防弾完備の重戦闘機を持つことができなかった。優秀機とされる陸軍の「四式戦 疾風」も海軍の「紫電改」も、エンジンの稼働率の低さに悩まされ、さらに航空燃料の品質の悪さに悩まされた。 そのような航空産業が二流国であっただけでなく、格闘戦重視の思想からなかなか抜け出すことができなかったという問題もあります。 陸軍の「二式戦 鍾馗」も、海軍の「雷電」も、格闘戦よりも高速度で突っ込む一撃離脱戦法を得意とする機体なのですが、格闘戦重視のパイロットたちには不評だったとか。 日本機が格闘戦を得意とするのを知ったアメリカ軍パイロットたちは、その手にはのらず、一撃離脱戦に徹するようになった。高速を活かして上空から突っ込み、ドドドッと一撃を加えて高速で逃げる、こういう戦法で来られると、零戦も隼も追うこともできず苦戦することになる。得意とする格闘戦にもち込もうと思っても敵がその手に乗らない。時代は格闘戦ではなく一撃離脱戦になっていたのですね。
2016年05月23日
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昔、日本のヒーロー漫画で「スーパージャイアンツ」という作品があり、九里一平さんが作者だとばかり、今まで思い込んでいました。 宇津井健さんが演じて、昭和32年から34年(1957~59)までに全9本が作られた和製スーパーヒーロー映画。その漫画版です。 ウィキペディアによると、講談社が出していた月刊漫画誌「ぼくら」に連載され、作者は桑田次郎さんと一峰大二さんだとか。 すると私の記憶は?ということになり、「同誌には吉田竜夫の作画による独自ストーリー版も連載されている」とあるので、私が目にしたのはこの吉田竜夫さんによるものだったらしい。 九里一平さんは吉田竜夫さんの弟です。 吉田竜夫さんは「少年忍者部隊月光」(週刊少年キング)や「宇宙エース」(少年ブック)など。九里一平さんは「海底人8823」(少年)「アラーの使者」(冒険王)「白虎戦車隊」(少年ブック)「大空のちかい」(週刊少年サンデー)などが代表作かと。お二人の画風はとても似ているので、私の勘違いだったようです。 写真は私が持っている「大空のちかい」(マンガショップ刊)の上中下、全3巻。「週刊少年サンデー」に昭和37年45号~39年19号まで連載された作品です。「伊賀の影丸」(横山光輝)「サブマリン707」(小沢さとる)「おそ松くん」(赤塚不二夫)とともに、「週刊少年サンデー」(当時の)読者にとっては子供時代の懐かしい作品ではないでしょうか。「大空のちかい」は太平洋戦争初頭の陸軍航空隊の飛行第64戦隊、「加藤隼戦闘隊」の少年飛行兵 早房一平伍長を主人公にした戦記マンガです。 開戦早々のマレー半島を舞台に、上陸する山下兵団を空から援護する加藤隼戦闘隊。 早房一平他、戦友のけんか安兵衛こと原安太郎、上田、いつも故郷の妹を気にする心配性の古城たち。 隊長の加藤健夫少佐、渡辺中尉。整備班長のトラひげ軍曹。 戦友の古城が戦死し、妹の古城小百合が看護婦として戦闘隊に赴任してくる。 部下を暖かく見守る加藤隊長が父親のように描かれ、その指導の下で主人公たちが大活躍する戦記マンガです。 作品的には「紫電改のタカ」(週刊少年マガジン)「0戦はやと」(週刊少年キング)とともに三大少年戦記マンガといって良いのかと。 考証におかしな点がいくつもありますが、ほのぼのする暖かなユーモアと友情、アクションがほどよく描けていて、昭和30年代の少年向け漫画としてはなかなかの傑作です。 当時は海軍偏重だったなかで、陸軍を主役にしているのが珍しい。 しかし陸軍オンリーでマレー半島とニューギニアを舞台にして話を進めればいいものを、ゼロ戦や戦艦大和を登場させたり、ラバウル航空隊へ行ったりして、海軍人気の呪縛から逃れられなかったようです。
2016年05月22日
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「無用ノ介」が「週刊少年マガジン」で連載開始されたのは1967年。「巨人の星」が前年1966年19号から始まり、「あしたのジョー」が翌年1968年1月から開始。ともに社会的現象といえる大ヒットになりました。 1968年には発行部数が150万部を突破し、「週刊少年マガジン」の黄金時代を迎えることになります。「週刊少年サンデー」(小学館)と「週刊少年マガジン」(講談社)が創刊されたのは1959年(昭和34年)3月17日です。ライバル誌として競い合うのですが、創刊から数年間は「サンデー」が部数においてリードしていました。 1960年代になり、小学校低学年の私が親に買ってもらうマンガ本は月刊誌の「日の丸」か「ぼくら」でしたが、やがて週刊誌に興味を持つようになり、もっぱら読んだのが「週刊少年サンデー」。「サブマリン707」「伊賀の影丸」「大空のちかい」「おそ松くん」「オバケのQ太郎」など。 友人に見せてもらった「マガジン」で「8マン」や「ちかいの魔球」「紫電改のタカ」「黒い秘密兵器」などを読んだけれども、自分的には「サンデー」の方が好みだったようです。 ところが東京オリンピックが終わり1965年(昭和40年代)、中学生になると、だんぜん興味は「少年マガジン」の方へ移っていきました。(といっても友人から借りて読むばかりで、自分で買うのは「別冊少年サンデー」(月刊)や66年に各社からドッと刊行された新書判単行本コミックスや、12月創刊の「COM」などだったが) 1965年ごろには白土三平さんの忍者マンガ「ワタリ」。 手塚治虫さんの「W3 ワンダースリー」が1965年13号から始まったが、18号まで掲載のあとライバル誌「週刊少年サンデー」に移って最初から描き直される。 小沢さとるさんの「エムエム三太」が1965年32号~66年6号まで。「少年サンデー」から移籍され、「W3」と入れ替えられたようです。 それまでは貸本単行本作家だった水木しげるさんの「墓場の鬼太郎」が載ったのは1965年です。最初の「手」が32号に、「夜叉」38号、「地獄流し」42号、「猫仙人」44~45号、「おばけナイター」46号と不定期掲載ですが、のちには人気を得て連載となる。「ハリスの旋風」(ちばてつや)が1965年16号から(1967年47号まで) そして1966年19号から「巨人の星」(川崎のぼる画 梶原一騎原作)が開始される(1971年3号まで)。 この年にライバルだった「少年サンデー」を抜いて発行部数100万部を突破。 この頃に、戸川幸夫さんの原作を漫画化した「牙王」(石川球太)にものすごく感動して泣いた記憶があります。 1966年に石森章太郎さんの「サイボーグ009」の「地下帝国ヨミ編」が30号から67年13号まで。続けて「幻魔大戦」が18号から開始(52号まで)。石森さんはこの時期がもっとも画が美しい。 楳図かずおさんの「半魚人」65年48号~53号、「ひびわれ人間」が66年6号~12号に。「ウルトラマン」も66年27号から。 楳図かずおさんは同時期に「週刊少女フレンド」(講談社)にへび女の「ママがこわい」を連載していて、これは中学校のクラス内でも大評判だった。 そしてさいとう・たかをさんの「無用ノ介」が開始された1967年には、桑田次郎さんの「ウルトラセブン」が38号から。 翌1968年になると「あしたのジョー」が1号から連載開始される(1973年19号まで)。 この1968年に「巨人の星」「あしたのジョー」「無用ノ介」など人気作がそろい踏みし、やがて発行部数150万部を達成し、「週刊少年マガジン」の黄金時代を迎えます。 かつての週刊少年マンガ誌は小学生から中学生までを対象としたものでしたが、それを年齢を上げて「中学生、高校生以上、大学生から若い社会人」を対象にした作品を中心にした編集方針が成功した結果です。「大学生がマンガを読んでいる」と嘆かわしく云われたのがこの時代ですね。 1968年になると、小学館が青年誌「ビッグコミック」を創刊します。月刊で4月創刊号が2月末に発売。 前後して各社が青年コミックを創刊し、「週刊漫画アクション」(67年7月。双葉社)、「ヤングコミック」(67年7月末。月刊で9月号。少年画報社)、「プレイコミック」(68年5月。月刊で6月号。秋田書店) 小学館が青年誌「ビッグコミック」を創刊したのはライバル誌「週刊少年マガジン」の子供向けではない高校生大学生以上の若者を対象にして成功した、それに対抗する目的だったそうです。小学館が恐れたのは、ライバル社である講談社が「週刊少年マガジン」で成功した、そのノウハウを活かして青年コミックを創って乗り出してくることだったそうで、ところが不思議なことに講談社は青年コミックに関心をしめさなかった。 講談社が青年コミックを創刊するのは「ヤングマガジン」が1980年6月。「コミックモーニング」が1982年8月になってからです。「週刊少年マガジン」は「巨人の星」と「あしたのジョー」が終了したあと、人気が下がって、やがて台頭してきた「週刊少年ジャンプ」(集英社)に抜かれてしまいます。 写真は私が夢中になった「愛と誠」(1973年3・4合併号~1976年39号まで)。 ながやす巧・画 梶原一騎・原作。 座王権太と影の大番長 高原由紀がお気に入りでした。 私が「週刊少年マガジン」に目を通していたのは、この頃までです。
2016年04月09日
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さいとう・たかをさんの劇画「無用ノ介」が「週刊少年マガジン」(講談社)で連載開始されたのは1967年(昭和42年)38号からです。「無用ノ介」が始まる直前に「刃之介」という作品があって、同じ1967年のマガジン16号~17号、34号~35号に各前後編として全2話がある。このすぐ後の38号から「無用ノ介」が始まりました。 さいとう・たかをさんは映画「用心棒」(61)ですごいショックを受け、そのようなリアルな時代劇を描きたいと思っていた、そんな時にマガジンから「少年をあまり意識しないで、少年マガジンから卒業していく読者を引き止めるような作品を描いてほしい」と依頼をうけて、嬉しかったと語っています(「刃之介」巻末インタビュー記事)。 それまでの少年向け時代劇マンガといえば「赤胴鈴之介」(竹内つなよし)や「矢車剣之助」(堀江卓)「王将銀太郎」(金田光二)のような作品しかなく(白土三平さんは系統が異なる)、まさに映画「用心棒」のようなリアルな殺陣を描写したさいとう・たかをさんの「刃之介」「無用ノ介」のような時代劇マンガ(劇画)は存在しなかったとも云えます。 この1967年は「ボーイズライフ」(小学館)で「007シリーズ」の最終話「黄金の銃を持つ男」が8月号で終わっていて、ちょうどその時期の時代劇マンガ「刃之介」と、連載開始された「無用ノ介」。 リイド社から出ているワイド版「無用ノ介」の第1巻には「虎穴にはいった無用ノ介」「闇の中の無用ノ介」「夕日と弓と無用ノ介」の3話が収録されています。「無用ノ介」第1話「虎穴にはいった無用ノ介」は中学3年の時に、同級の友人が「週刊少年マガジン」を私に見せて「凄いマンガだ。映画みたいだ」と興奮気味に云いました。 さびれた宿場町に賞金首を追って来た無用ノ介。4人の悪党を相手に、無用ノ介が背を見せて走る。「まてっ、にげるか」と追ってくるのを、ダッと踏みとどまりバシュッ、ガッ、と斬り倒す。わわわーっと後ずさるのをドガッと斬る。 このような、映画で云うところの「殺陣」をマンガに持ち込んだのはさいとう・たかをさんが初めてなのだろうか? 映画「用心棒」(61)と、1967年といえばマカロニウエスタンの人気が最盛期だった年。 宿場町の外れにある寺に巣くっている賞金首の男たち。その中にいる押崎三兄弟は最凶の手練れで代官所も手が出せないでいる。 年配の賞金稼ぎである地獄自斎こと羽沼自斎が押崎三兄弟を狙って現れ、無用ノ介は自斎と協力することになる。 年配の賞金稼ぎと若い賞金稼ぎが力を合わせて、というのはマカロニ西部劇の「夕陽のガンマン」がヒントになっているのだろうか? 日本のマンガだけでなく映画でもテレビ時代劇でも、「賞金稼ぎ」を主人公にした作品はそれまでになく(おそらく)、この「無用ノ介」が最初なのではないか。そんな意味でも、さいとう・たかをさんの「無用ノ介」は画期的な作品です。 劇画「007シリーズ」、「無用ノ介」。そして1968年から月刊の「ビッグコミック」に連載された「捜し屋はげ鷹登場!」。さいとう・たかを作品ではこの時期のものがいちばん好きです。
2016年04月08日
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「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」(1960)「邪魔者は消せ」(1960)「拳銃無頼帖 電光石火の男」(1960)「男の怒りをぶちまけろ(1960)「霧笛が俺を呼んでいる」(1960)「拳銃無頼帖 不敵に笑う男」(1960)「拳銃無頼帖 明日なき男}(1960)「紅の拳銃 」(1961) 日活アクション映画の、赤木圭一郎さん主演作品を見ていると、いかにも「劇画」のような雰囲気を感じます。 劇画の雰囲気というよりも、劇画がこれらの日活アクション映画を参考にしていたのだと思われます。 赤木圭一郎さん演じる主人公はたいていの場合は拳銃の名手。暗黒街と殺し屋が定番で、主人公が危機に陥ると宍戸錠さんの殺し屋が助太刀してくれる。「お前を殺るのは俺だ。その前に死なれちゃ困るんでな」とかキザな台詞を云って。こういうのは佐藤まさあきさんやさいとう・たかをさんのアクション劇画に、いかにもありそうな感じで。 殺し屋と暗黒街、それに拳銃。日活アクション映画と貸本劇画。 子供向け漫画のヒーローたちも2挺拳銃を持っていた。月光仮面や七色仮面のような大人のヒーローだけでなく、「まぼろし探偵」や「鉄人28号」の金田正太郎くんも拳銃を持っていた。 金田正太郎くんなどは半ズボンだから明らかに小学生で、それが拳銃を持って、車を乗り回して。 それらの影響かどうか?、おそらくそうだと思うのですが、私の小学校低学年時代は、拳銃ブームだったのではないか? 子供の玩具ではピストルが氾濫していて、引き金を引くと紙火薬をハンマーが叩いてパンパン鳴るピストルや、のちにはマジックコルト(という名前だったと思う)の銀玉ピストル。 これらの玩具のピストルを持って、町内を走り回って、バーン、バキューンとか云って撃ち合いのマネをして遊んでいた。 私たちの拳銃ゴッコは、一部の人が云うような映画やテレビの西部劇の影響やマネではなく、子供向けアクション漫画のヒーローたちのマネでした。 日活アクション映画と、貸本劇画単行本の関係。それらと並行するような感じでテレビや漫画の子供向けヒーローの活躍。それらから発生した拳銃ブームです。
2016年03月28日
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劇画007「死ぬのは奴らだ」の巻末にさいとう・たかをさんのインタビューが載っていて、「37、38年あたりから、貸本単行本の出版社が、たて続けに潰れていきよった。貸本屋自体がどんどんなくなってきて、最盛期には3万軒あったんが、東京オリンピックを境に3千軒になったんやから、もう崩壊やね」とおっしゃっています。 私の小学生の頃、家の近くには2、3軒の貸本屋がありました。今で云うレンタルコミック店のようなものではなく、普通の民家の玄関の土間を少し広く改装して壁際に本棚を並べたような感じです。 当時は、マンガといえば月刊誌が中心で、「ぼくら」「日の丸」「少年」「少年クラブ」「少年ブック」「少年画報」「冒険王」など。女の子向けでは「なかよし」と「りぼん」だったかが。 このようなマンガ誌は子供向けで、小学生が対象です。 このような子供向けマンガにあきたらない中学生以上、高校生などのお兄さんたちが貸本屋で貸本単行本を借りて読んでいたようです。 私の場合は、貸本屋へ行っても「少年画報」や「冒険王」(なぜか本誌だけで別冊はなかった)、またはまだ出始めだった「週刊少年サンデー」を借りるくらいで、劇画といわれる単行本を借りたことはありません。「影」や「街」、「刑事」というような、アクション劇画の短篇が3、4っつ載った単行本を兄が借りてきて、見せてもらったけれど、小学生の私には面白いとは思わなかった。さいとう・たかをさんや佐藤まさあきさん、南波健二さんの作品ですね。(劇画「死ぬのは奴らだ」のボンドの顔には、貸本単行本時代の雰囲気があります) さいとう・たかをさんがおっしゃるように、確かに東京オリンピックが終わった頃には、いつの間にか貸本屋が店を閉めていたように記憶しています。私たちも、その頃になると貸本屋へ行かなくなっていましたし。 その頃、昭和38年39年頃には、週刊の「少年サンデー」や「少年マガジン」が子供たちの愛読マンガ誌になっていた(「週刊少年キング」も創刊されて、週刊マンガ誌は3誌になった) 貸本屋で貸本単行本を借りた世代は、私の年代ではなく、現在の70才前後、それ以上の人たちです。結局のところ、私は数年ちがいで、貸本単行本読者の仲間ではないようです。 兄が借りてきた劇画単行本を見せてもらいはしたけれども、私にはやはり少年向けの「まぼろし探偵」や「七色仮面」「ナショナルキッド」「コンドルキング」「少年ロケット部隊」など、少年マンガに夢中になっていました。
2016年03月27日
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さいとう・たかをさんの劇画「007シリーズ」第4作「黄金の銃を持つ男」。「ボーイズライフ」の1967年1月~8月号まで全8回にわたって連載された作品です。 余談になりますが、前作「女王陛下の007号」が連載された1966年から、この「黄金の銃を持つ男」の1967年が、私が「ボーイズライフ」を購読していた時期にあたります。 さいとう・たかをさんの作品は「黄金の銃を持つ男」終了後は、「挑戦野郎」「幕末工作人からす」とつづき、他には篠原とおるさんの「ズベ公探偵ラン」と佐藤まさあきさんの「Zと呼ばれる男」を覚えています。あとは、ケン月影さんのマカロニ西部劇ものがあったような。「ボーイズライフ」は小学館が出していた中高校生が対象の総合誌です。創刊が1963年4月号(3月9日発売)。1969年8月号で休刊。 ヨーロッパやアフリカ、南米などの紀行。車やバイクの記事や図鑑。芸能・音楽・スポーツやファッションの記事。新作映画やテレビドラマ話題作の紹介。青春小説やSF小説など、そしてマンガ作品がいくつか。定価は150円から180円くらいだったでしょうか。 その「ボーイズライフ」に連載された「黄金の銃を持つ男」。 ボンドに引けを取らない英国海外秘密情報部員オリバーがジャマイカで何者かに撃ち殺された。 いったい何者がオリバーを?といぶかしむボンドの前に現れたクルト・ハイマンという男。彼はMに恨みを抱いていて、ボンドを捕らえ、洗脳し暗示をかけてボンドにMを殺させようとする。 ハイマンの企みを見破ったMは危うく危機を逃れ、ボンドは療養のために入院。 回復したボンドはMから、殺されたオリバーがジャマイカで就いていた任務の内容を聞き、引き継ぐことになります。 その任務とは、世界的な暗殺者であるスカラ・マングが暗黒街の実力者たちを召集していて、スカラ・マングは暗黒街ボスたちを呼び集めて何をしようとしているのか?、それを調査すること。 ボンドは暗黒街ボスの一人バルト・G・ギルモアに気に入られ、用心棒として雇われる。 ボスを護衛してスカラ・マングのもとへと向かうボンド。 スカラ・マングは暗殺者養成所を設け、殺し屋を訓練し、世界の暗殺計画を一手に引き受けようとしていた。ボンドは養成所に入り込むが捕らえられ、訓練生たちの標的となってマンハンティングの獲物にさせられてしまう。やがてやってくるスカラ・マングとの一対一の対決の結果はいかに? 第1作の「死ぬのは奴らだ」ではまだ貸本単行本時代の画風が残っていたけれど、4作目となるとすっかりさいとう・たかをさんらしさのある画になっています。(といっても、「無用ノ介」や「捜し屋はげ鷹登場!」「ゴルゴ13」(初期の)など、1967年~70年ごろのさいとう・たかをさんであり、現在の画風とはまったく趣が違うけれど) 登場する暗殺者スカラ・マング。クールな面構えは映画のクリストファー・リーなんかよりもずっと格好いいですね。クライマックスの決闘場面のムードはいかにもさいとう・たかを劇画、らしさが溢れています。
2016年03月26日
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さいとう・たかをさんの劇画「007シリーズ」第3作「女王陛下の007」。 小学館の月刊誌「ボーイズライフ」の1966年4月号~12月号まで全9回の連載です。初出時およびゴールデンコミックス版のタイトルは「女王陛下の007号」で、「号」が付いていました。「号」付きだったのは原作小説もすべて同様で、早川書房のポケットミステリ版も「女王陛下の007号」であり「007号は二度死ぬ」です。東京創元社の創元推理文庫版「007号の冒険」もそうです。当時は「007シリーズ」ではなく「007号シリーズ」でした。 イアン・フレミングの原作小説「女王陛下の007号」(井上一夫 訳)が刊行されたのは1963年11月30日(初版)。 007ブームのきっかけとなった映画「ゴールドフィンガー」の公開が1965年4月24日、「サンダーボール作戦」が1965年12月25日で、同じ年に新作007映画が2本公開され共に大ヒット。この1965年から翌66年にかけてがブームの最盛期です。 そして、このブーム最盛期の1966年に連載された劇画「女王陛下の007号」。「サンダーボール作戦」が終了した次作は映画の日本ロケが大きな話題になっていた「007号は二度死ぬ」かと思ったら、多くの読者がそう思ったでしょうが、案に相違して「女王陛下の007号」だった。 さいとう・たかをさんの劇画「女王陛下の007」復刻版。私がリアルタイムで読んだ作品であり、長年絶版になっていて読めない状態だったので、たいへん懐かしく、嬉しい思いがします。 前作「サンダーボール作戦」のスペクトル幹部エミリオ・ラルゴの妹ソフィヤが登場する。 ボンドを兄の仇として命を狙うのですが、失敗し、命を狙ったのに何かと親切にしてくれるボンドに惹かれるようになる。 ソフィヤからミスター・ビッグが生きているのを聞いたボンドは、ビッグを追ってスイスのサン・モリッツへと向かいます。ビッグの本拠地シルバー・ライオン城へ絵描きに変装してボンドが潜入する。 ボンドが快傑ゾロのような黒マスクで城内を調べるのですが、このような黒マスク姿の007号ボンドは前代未聞であり、さらに剣闘士のようにナイフだけを持たされてライオンや豹と戦うことに。このような展開は本作の見所のひとつでしょう。 ボンドがフランスの犯罪組織ユニオン・コルスの親分マルク・アンジュに気に入られて、仲間に入れと誘われる。娘のトレーシーも登場するが、原作と映画ではメイン・キャラだったのに、この劇画ではあっさりしたもので中程までで退場してしまう。犯罪組織のボスである父を許すことができない彼女は寂しく去って行きます。 そんなわけで本作でもヒロインはさいとう・たかをさんオリジナルのソフィヤということに。 ボンドがマルク・アンジュの組織の力を借りてミスター・ビッグの本拠地へヘリコプター編隊で攻撃をかけるのは原作と映画にあるとおりで、同じなのはこの場面だけです。「死ぬのは奴らだ」「サンダーボール作戦」と読んできて、本作が最も描線がシャープであり、洗練された画になっている。
2016年03月25日
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さいとう・たかをさんによる劇画「007」シリーズ第2作「サンダーボール作戦」。 月刊誌「ボーイズライフ」(小学館)に連載されたのは1965年9月号から66年3月号までの全7回です。 映画の「サンダーボール作戦」(65)が日本で公開されたのが1965年12月25日だから、その4ヶ月前(9月号は8月に発売)に連載が始まったことになります。 さいとう・たかをさんは原作を読んでないとおっしゃっているし、映画も当然のこと見ていない状態で描いたことになる。だからこの劇画はそういう点からでもさいとうさんオリジナル・ストーリーなんですね。 兵器密売組織B・H商会の秘密工場を壊滅させた英国情報部員ジェームス(ズではない)・ボンドは、パリで休暇をすごしていて、マレーネという女性と知り合う。 いけすかないペタッチという男から彼女を救ったボンド。ボンドは美しく可憐なマレーネに惹かれ、彼女もボンドを慕うようになる。ところがペタッチの背後にはリッピという悪党たちがいて、さらにその背後に大物の犯罪王エミリオ・ラルゴがいた。 折しも、NATOの原爆を搭載した爆撃機が行方を絶つ事件が起こり、スペクトルという組織が原爆とひきかえに英国の首相に1億ポンドを要求してきた。 ラルゴは、そのスペクトルの幹部であり、スペクトルの首領は、あの「死ぬのは奴らだ」のミスター・ビッグだった。 リッピ一味に愛するマレーネを殺されたボンドは、彼の前に現れた私設情報売買業組織の者たちと協力し、ラルゴとスペクトルを追ってバハマ諸島へと向かうことになる。 原作や映画のように療養所のシーンもないし、NATOの爆撃機ハイジャックのシーンもなく、ボンドとマレーネの出会いと恋愛、第三勢力として情報売買組織の登場など、地味だがスッキリとした展開で、さいとうさん描くヨーロッパの都会風景も外国映画的で良い感じです。 原作と映画のようなスペクトル首領ブロフェルドは登場せず、黒幕としてミスター・ビッグが再びボンドの前に現れる。さいとう・たかをさんはよほどミスター・ビッグのキャラクターが気に入ったのか?、一作のみで済ますのが惜しかったのか再登場です。 さらにヒロインのドミノも登場せず、かわりに最初に殺されるマレーネと、私設情報売買組織のスーザンという女性がボンドの相手となる。「死ぬのは奴らだ」のキティとともに、この劇画シリーズではことごとくさいとうさん流のヒロインに変更されています。 小学館ゴールデンコミックス版が刊行されたのは1966年5月15日(奥付に記された日付)です。 当時、たしか、豆知識のような記事が載っていて、「007」は「ダブルオーセブン」と読むのが正しいとか書いてあったけれど、私たちはそんなことおかまいなしで「ゼロゼロセブン」と言い続けていました。「ダブルオー」などと気取った言い方が気に入らず、反感があったようです。いまでも私は「ゼロゼロ」派です。
2016年03月24日
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さいとう・たかをさんの劇画007号シリーズの第1作「死ぬのは奴らだ」。 月刊誌「ボーイズライフ」(小学館)に、1964年12月号から65年8月号までの9回にわたって連載された作品です。 私が中学1年生の時に、近所の誰かに見せてもらった「ボーイズライフ」に載っていたのを読んだのが初めての「007」体験です。 毒魚の入った水槽が並んだ生餌倉庫で、ボンドが悪党たちと格闘する場面。このシーンだけがずっと記憶にあって、イアン・フレミングの原作小説を読んだ高校生の時にも、そうだそうだ、この場面だと思ったものです。 それなのに、映画化されたのを見た時には、その生餌倉庫のシーンがないではないか! (クライマックスのソリテールとボンドが縛られて珊瑚礁の海をボートで引き回されるシーンも、これが最も「死ぬのは奴らだ」らしい場面なのに、なぜか映画では取り上げられていない) さいとう・たかをさんの劇画「死ぬのは奴らだ」を今回、約35年ぶりくらいに読んだ(80年頃の小学館文庫を読んだので)のですが、これはたいへん面白かったです。 アメリカに多数の古代イギリス金貨が流れ込み、金の相場を狂わせ始めた。 黒幕はニューヨーク・ハーレムに根を張る黒人の犯罪王ミスター・ビッグらしい。 ボンドはアメリカに乗り込み、CIAのフェリックス・レイターと協力し、調査を開始する。「死ぬのは奴らだ」と「女王陛下の007」にさいとう・たかをさんのインタビューが載っていて、それによると「007の原作本、わし、読んでないのよ」とおっしゃっている。アシスタントの武本サブローさんに読んでもらって、大筋だけ聞かせてもらった、と。 原作を読んでないというのはエエーツ!てな感じだけれど、「悪魔の手毬唄」(1961東映)を横溝さんの原作小説を読まないで脚本を書いたという結束信二さんの例もあるし、原作を知らないぶん、原作に縛られることなく自由に発想を得られるという利点があるのかもしれない。 ジャマイカから多量の古代金貨を密輸して世界の金相場を狂わせるという陰謀。ニューヨーク・ハーレムの犯罪王ミスター・ビッグ。その幹部のサム・マイアミと生餌倉庫の番人ロバーといったキャラクターは原作にあるものです。 そのほかに、さいとうさんオリジナルの人物として、殺人機関ABCの殺し屋GとE。 劇画オリジナルの特筆すべき人物は、ヒロインがソリテールではなくて、CIAエージェントのキティであることと、後半のジャマイカでボンドに協力し一緒に行動する日英混血のオオガキ・ハヤトなる青年と、子役として孤児のトントという少年が登場する。とくに少年トントなどは、掲載誌「ボーイズライフ」読者の対象年齢(中学生~高校生)を意識したものと思われます。 古代金貨の密輸も生餌倉庫も、肝心要のミスター・ビッグも捨て去って無視した映画(1973年)に比べると、ミスター・ビッグの大きな存在感など、よほど「死ぬのは奴らだ」らしさがあると云えるようです。
2016年03月23日
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私の子供時代、大きな楽しみは毎月3日、5日頃に発売される月刊漫画雑誌でした。 今頃の季節に発売される新年号はトランプやすごろくなど、付録がたくさん付いていて嬉しかったものです。 私の場合は小学生だった昭和35年ぐらいから40年くらいの、わずか5年間くらいですが、もう少し年長者になると、年がさかのぼるのでその期間はもっと長くなるのでしょう。 年齢的に、私は「少年倶楽部」や「漫画少年」は知りません。 知っているのは「少年」、「少年ブック」、「漫画王」、「少年画報」、「日の丸」、「ぼくら」です。「少年」(光文社)「少年ブック」(集英社)「漫画王」(秋田書店)「少年画報」(少年画報社)「日の丸」(集英社)「ぼくら」(講談社) 小学2年くらいの時、兄が「少年」を購読していたのを見せてもらったのが最初かと。 その頃から、兄が「少年」、私は「日の丸」か「ぼくら」を読むようになりました。「少年」には、「鉄腕アトム」(手塚治虫)と「鉄人28号」(横山光輝)が代表的作品として載っていて、どちらかといえば「鉄人28号」のロボット同士のガチンコ対決が好きだった。手塚先生の「鉄腕アトム」は、いじめられるアトムが可哀相で、読むのが苦しくて、あまり好みではありませんでした。「少年」には「海底人8823」(九里一平)、「シルバークロス」(藤子不二雄)、「サスケ」(白土三平)、「ストップ!にいちゃん」(関谷ひさし)、「矢車剣之助」(堀江卓)、「幽霊船」(石森章太郎)、「少年台風」(小沢さとる)などが載っていて、自分では買わずに見せてもらっていた「少年」連載作品が印象に残っているのは、それだけ優れた作品がそろっていたといえるのだろうか。 自分が買っていた(買ってもらっていた。定価130円くらい)「ぼくら」には「七色仮面」「ナショナルキッド」(一峰大二)、「王将銀太郎」(作者不明)、「少年ジェット」「コンドルキング」(竹内つなよし)、「電光オズマ」(松本あきら)など。「日の丸」には、「ララミー牧場」(松本あきら)、「少年ロケット部隊」(横山光輝)、「テレビ小僧」(石森章太郎)「ベビーテック」(桑田次郎)。「少年画報」は「最前線」(望月三起也)を読みたくて一回くらいしか買っていないし、「冒険王」も買ったのは一回くらいで、これらはもっぱら友人に見せてもらっていました。「0戦太郎」(辻なおき)と「ゼロ戦レッド」(貝塚ひろし)は、たしか「冒険王」?。 昭和39年、40年くらいになると、子供たちが読む漫画は月刊誌から離れ、定価40円くらいで買える週刊誌に移っていました。「週刊少年サンデー」(小学館)と「週刊少年マガジン」の創刊が昭和34年(1959)。 思い出深いのは「サンデー」の「海の王子」(藤子不二雄)と「スポーツマン金太郎」(寺田ヒロオ)。 少年画報社から「週刊少年キング」が創刊されたのが昭和38年(1963)。 この頃には、私も兄もマンガは週刊誌に興味が移っていて、月刊誌はたまにしか買わなくなって、記憶にあるのは「少年ブック」の、手塚先生の「ビッグX」や川崎のぼるさんの「大平原児」くらいです。「少年」は昭和43年(1968)3月号を最後に休刊されましたが、子供たちにとって一月に4、5冊も読める週刊誌のほうが好まれたのでしょう。月刊漫画誌は時代に合わなくなっていたようです。「鉄人28号」も最後のほうの話になると、金田正太郎くんの半ズボン姿に拳銃と車、その大人相手の態度に違和感が持たれるようになっていて、子供たちの受け取りかたも変わっていたようです。
2015年12月03日
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漫画家の水木しげるさんが昨日30日にお亡くなりになった記事を新聞で読みました。93才とのことです。 私が初めて読んだのは「週刊少年マガジン」で掲載された墓場の鬼太郎の「手」という作品。 フランスから来たラ・セーヌという吸血鬼が鬼太郎がジャマだといって、握手をしているときに子分が機関銃で撃つ。握手をしていた「手」だけが残って鬼太郎の体が消えてしまう。 手だけになった鬼太郎がラ・セーヌに仕返しする話です。 昭和40年1965に「週刊少年マガジン」第32号に載った作品で、水木先生の少年雑誌初掲載。それまでは貸本単行本で発表していたんですね。 なので私のような少年マンガしか知らない子供にとっては、未知の作家で、怪奇漫画と銘打った「墓場の鬼太郎」の掲載は斬新な印象がありました。当時は楳図かずおさんの怪奇漫画があったりして、ちいさなブームだったのも背景にあるかもしれない。 その後、「墓場の鬼太郎」がテレビアニメになることになって、その時に「墓場の」では具合がわるいとのことで「ゲゲゲの」に変えられました。 現在、この「週刊少年マガジン」に掲載、のちに連載された「鬼太郎」は講談社から「文庫版全5冊」で刊行されています(写真)。 第1巻のあとがきは、アシスタントをしていた池上遼一さんで、先生には俗っぽさがあって、ねずみ男とだぶって見えたと書いています。 水木しげるさんは1922年生まれ。 手塚治虫さんが1928年生まれ、横山光輝さんが1934年生まれ、石森(石ノ森)章太郎さんが1938年生まれ。同時期に私たちが親しんだ漫画家の先生たちはみなさん先にお逝きになって、大御所ともいえる大先生では最後の存在だったのではないでしょうか。 ご冥福をお祈りいたします。
2015年12月01日
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松本零士さんの漫画「ザ・コクピット」。 私が持っているのは小学館叢書版の全5巻で、全62話が収録されています。 (1992年~93年発行。税込1200円。現在は絶版) 第二次大戦の戦場で戦う男たちの物語ですが、日本陸軍のニューギニアやガダルカナルでの兵隊を主人公にした話、陸軍航空隊の話。海軍では零戦隊と本土防空の迎撃隊など海軍航空隊のパイロットを主人公にした話。 ヨーロッパ戦線ではドイツ空軍と戦車隊の話で、日本軍とドイツ軍の兵士たちが主人公となっていて連合軍の兵士が主人公の話はありません。 全62話もあれば当然のことですが、作品に出来不出来があります。個人的な好みかもしれないけれども、 第1巻の「スタンレーの魔女」「独立重機関銃隊」「成層圏戦闘機」「グリーンスナイパー」「メコンの落日」。 弟2巻の「音速雷撃隊」「鉄の竜騎兵」「ゼロ」「ベルリンの黒騎士」「潜水航法1万メートル」。 第4巻の「アクリルの棺」「死神の羽音」、が傑作だと思います。 買って22、23年になり、白土三平さんの「忍者武芸帳 影丸伝」(全8巻)とともに、いまでも私の本棚に鎮座しています。「ザ・コクピット」を初めて呼んだのは「ビッグコミックオリジナル」に載っていた「潜水航法1万メートル」1975年(昭和50年)10月だから、もう40年も前になります。 B-29を迎撃する雷電隊の隊員たちの話で、この1975年頃には戦記マンガはブームがとっくに終わっていて珍しいものでした。それまでに知っていた戦記マンガとは異なって松本零士さんのリアル感ある画風に魅了された。 この「潜水航法1万メートル」はのちに少年サンデーコミックスの「戦記まんがシリーズ」の第5巻「衝撃降下90度」に収録されましたが、コマがいくつか描き直されていて、違和感というよりも受ける印象を弱めるものになっていました。 主人公が敵機に狙われているヒヨコを助けようとするが間に合わず、自分の機も敵弾を受けて不時着する。その不時着時に草むらで抱き合っているヒヨコの姉さんを目撃してしまう。 ビッグオリジナルの初出版では裸体だったのがコミックス版では着衣姿になっている。弟が敵機に落とされて死んだときに姉が裸体で抱き合っていたという設定だからこそ意味があるのに、着衣姿ではその効果がなくなってしまう。「悪いことをしていたわけじゃあるまいに・・・・おれだってぜひしたいことなのに・・・」と、ヒヨコの姉さんが身投げしたのを知って主人公が嘆きます。 冒頭でのB-29搭乗員たちの雷電に撃墜される直前の会話も、日本にゾウがいるとかなんとか、場にそぐわない内容で、初出では昨夜は抜かずのなんとかと、エッチな会話でした。全62話のなかで、この「潜水航法1万メートル」が最も描き直されているようです。 最初からビッグコミックスBIG COMICSで刊行すればいいのに、少年サンデーコミックスとして出したばかりに少年向けとせねばならず、描き変えられてしまった。 現在ではオリジナル初出版は読みたいと思ってもかなわず、着衣姿のヒヨコの姉さんしか読むことができません。 同じように「わが青春のアルカディア」のハーロック大尉の愛機メッサーシュミットに絵が得意だという台場がマークを描くのですが、そのマークも初出版とはちがっている。二重丸に縦線のマークは少年向けとしてはまずかったのでしょう。
2015年10月27日
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私の愛読書「サブマリン707 完全復刻版」(小沢さとる) 1993年(平成5年)にラポート社から刊行された本で全6巻。 22年前の本なので劣化しているのか、その第1巻が真ん中あたりでパキッと割れてこわれてしまい、ボンドで修理。元通りにはならなかったけれども、こんなものかと諦めるしかありません。「サブマリン707」は1963~1965年に「週刊少年サンデー」(小学館)に連載された海洋アクション漫画です。「第1部 U結社編」は、海上自衛隊の潜水艦707号が、出没するU結社の怪潜UC-140(のちに新造艦が相手となる)と戦う。 ブラジル移民を乗せた船が怪潜に沈められ、その生存者である少年 水早賢次、日下五郎、海野千太の3人が707号に救助される。 その3人と会った速水艦長が、この艦は海上自衛隊のSS707号の「うずしお」だ、と紹介します。 707号「うずしお」は架空の艦で、モデルはSS501号「くろしお」です。「くろしお」は第二次大戦時のアメリカ海軍潜水艦で、ガトー級「ミンゴ」。 それが日本に無償供与され、海上自衛隊の潜水艦第1号となり、乗員の訓練に使われた。 自衛艦隊に編入されたのは1956年(昭和31年)3月31日。 1970年8月15日に除籍されてアメリカに返還されました。 第1巻には「511おやしお」「521はやしお」「522わかしお」の実在する当時の最新鋭艦3隻がU結社の海底基地を攻撃に出撃します。同時に水上艦艇も出撃したが怪潜の攻撃にあい、潜水艦隊はソナーを攪乱妨害されて攻撃の実施は失敗します。 漫画の中では「ポンコツ」「ドンガメ」と侮られる旧式艦「707号」です。全長 95.1m全幅 8.3m吃水 4.6m排水量 1525t(水上) 2415t(水中)速力 水上20ノット 水中8.8ノット兵装 53.3cm魚雷発射管×10門(艦首×6 艦尾×4) 5インチ(12.7cm)単装砲×1基 漫画の中では、水深計の目盛が120mが限界になっていて、それを超えると水圧で圧壊のおそれがあります。 水深120mの海底に怪潜UC-140が危険をおかして着底、707号も着底して根比べをしようとしますが、危険だという南郷副長の反対意見を採用して速見艦長は707号を浮上させる。 UC-140艦長ウルフはエンジンを停止したまま潮流に乗って艦を移動させ、その場を離脱して707号との戦いを避けます。 ガトー級潜水艦の安全深度は100mくらいで、通常は40~70mくらいで行動するようです。 潜水艦の全長が100mくらいなので、艦体を縦にすれば艦首か艦尾が海面に出てしまうことになる。それを思えば、潜水艦は意外に浅い水深で行動しています。(現代の米原潜は300~400mくらい潜れるが、活動深度は浅いだろう) 怪潜との戦いで707号は艦首を破壊されて深海に沈んでゆく。死を覚悟した乗組員たちですが、707号は潮流で流されて浅い海底に着底することで圧壊をまぬがれる。 乗組員たちは救助され、707号は引き揚げられて曳航され、修理される。 修理と改造を受けた707号は「707改」に生まれ変わる。 改造で性能アップされた707号はU結社の海底基地を攻撃に出撃します。 深度60mで前進全速。水中速力が全速で22ノットにも達し、海上のアメリカ海軍が潜水艦を探知し、707はそんなに速くないぞと、怪潜と間違えられて空母搭載機の航空攻撃をうけてしまう。 この水中速力22ノットはガトー級改造としては速すぎないか? 21世紀現代の海上自衛隊最新鋭潜水艦「そうりゅう型」でも水上13ノット、水中20ノットでしかないのに。漫画だからといえば、そうなのですが、昭和39年当時の私たち少年読者は707が速くなったと単純に喜んだものです。
2015年10月12日
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アントニイ・バージェス 「時計じかけのオレンジ」 福田定一 「豚と薔薇」「名言随筆 サラリーマン」 足塚不二雄 「UTOPIA 最後の世界大戦」「ビブリア古書堂の事件手帖」(三上 延 著 メディアワークス文庫)第2巻では、以上の作品を扱った三つの連作短篇が載っています。 昨日書き漏らした、福田定一「名言随筆 サラリーマン」について。 その本文は今では読むことができない(古書は数十万円の高値がついているそうで)のですが、「まえがき」と「あとがき」は「司馬遼太郎が考えたこと」第1巻(新潮文庫)に載っているので読むことができますね。司馬さんの本名である福田定一の名で発表された、この初期時代の文章に触れるには、「司馬遼太郎が考えたこと」の第1巻がもっとも適しているのではないでしょうか? 足塚不二雄 「UTOPIA 最後の世界大戦」。 足塚不二雄は藤子不二雄さんが初の書き下ろし単行本「UTOPIA 最後の世界大戦」(鶴書房)で用いた名前です。 数冊しか現存しない、たいへん珍しい漫画単行本で、「ビブリア古書堂の事件手帖」によると数百万円の古書価値がついているとか。 テレビの「開運!なんでも鑑定団」では鶴書房版に300万円の鑑定額がつけられたそうです。 2011年8月に小学館クリエイティブから鶴書房版の原本を元にした完全復刻版が刊行されました。3800円+税。本物ではないレプリカですが、松本零士さん所有の鶴書房版をもとに完全復刻をおこなったとのこと。このような復刻版が刊行されると古書価格は下がったりするのでしょうか? 「少年」(光文社)で連載された「シルバー・クロス」。兄が「少年」を読んでいたのを見せてもらっていたので、藤子不二雄さんの作品では最も思い出深くもあり、今でも好きなマンガのひとつです。「怪物くん」と「忍者ハットリくん」。「週刊少年サンデー」で読んだ「海の王子」と「ビッグ1(ワン)」。 藤子・F・不二雄さんの「オバケのQ太郎」や「パーマン」、「ドラえもん」。 藤子不二雄Aさんの「怪物くん」と「忍者ハットリくん」。 私の好みではAさんの「怪物くん」と「忍者ハットリくん」の方です。「シルバー・クロス」はAさんの作品ですが、ギャグ漫画よりストーリー漫画のほうが、当時でも現在でも好きだし、描線が細く白っぽいページより、太い線で描き込まれた黒っぽいページの作品が好みなので、藤子不二雄ではAさんの方がいいと思っています。 写真は私の蔵書「シルバー・クロス」全6巻。2003年に刊行された「藤子不二雄Aランド」(ブッキング)版。同じ時に「まんが道」も全23巻そろえたけれど、何を血迷ったか売り払ってしまって後悔しています。「まんが道」のなかで「UTOPIA 最後の世界大戦」を足塚不二雄の名で出した時の様子が描かれていましたね。
2015年04月26日
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この雑記帳で10月3日に「最近買った本」として、石ノ森章太郎さんの「009ノ1」上巻を100円(税込)の古本で買ったと書きました。 その時に下巻もほしいと書いたのですが、そのぜひ欲しかった下巻も税込み100円で入手することができ、喜んでいるところです。「009ノ1」上巻 角川マンガ 2006年11月9日初版発行 定価580円(税込)「009ノ1」下巻 角川マンガ 2006年11月9日初版発行 定価580円(税込) 共に古本で100円(税込)。上下巻2冊で200円。 約600ページの厚い本で、簡易なコンビニ本ですが、なかなか読むことができない作品だけに掘り出し物だと思います。「009ノ1」(ゼロゼロナインワンが正式な読みだが、ゼロゼロクノイチと読んでしまう)。 石ノ森章太郎さんの初の青年コミックとして「週刊漫画アクション」(双葉社)に1967年8月10日号~1970年3月5日号にわたって(番外編が1974年11月14日号)連載された近未来スパイ・アクションマンガです。 東西冷戦がつづいている近未来。 ヒロインの009ノ1ミレーヌ・ホフマンの生年が1965年で21歳という設定だから1986年が舞台(上巻収録「指令No.10 パロディ」による)。作品が発表されたのが1967年だから約20年後の未来世界ですね。 ウエストブロックとイーストブロックの果てしない冷戦が続いているという設定です(現実の冷戦は1989年12月にブッシュ大統領とゴルバチョフ書記長のマルタ会談で終結を宣言)。 同じ石ノ森章太郎さんの代表作である「サイボーグ009」は主人公009島村ジョウだけではなく00ナンバーサイボーグの仲間たち全員の個性が描かれてそれぞれが魅力あるキャラクターになっているけれど、この「009ノ1」は週刊誌での読み切り連作であり、ヒロインのミレーヌ・ホフマン一人に魅力が集約されているようです。 私が最も好きな石ノ森作品は「サイボーグ009」ですが、(初期の少年キング連載~少年マガジン連載ぶんに限定)、ついでこの「009ノ1」が好きです。石ノ森さんの絵が最も美しく描かれていた時期にあたる作品だと思っています。
2014年12月05日
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ゼフィルスの秘密とは。 ゼフィルスは一人ではなく、7人の姉妹がゼフィルスを名乗って世界各国に散らばって暗躍している。 ゼフィルスとは7人姉妹の母親のこと。 第二次大戦中にゼフィルスはある男と恋に落ち結婚する。しかし夫はナチスと結託し利権とカネのために自分を利用したことがわかり、夫の裏切りは一家を破滅させ父を自殺に追いやってしまう。 ナチスと夫の手から逃れたゼフィルスは7人の幼い娘たちをつれて南太平洋の小島に隠れ住む。そしてその死の床で娘たちに、自分たちを過酷な運命に追い込んだ男たちとこの世界への復讐を誓わせます。「第一にお金よ。お金が人間を支配して幸福も自由も奪うのなら、お金を滅ぼしてちょうだい。それから法律よ。できることなら世界じゅうの法律や道徳をすっかり混乱させておくれ。最後に男よ!世界中の男をなぶっておやり、見下しておやり、けいべつしておやり。この三つを忘れないで」 成長した娘たちは、母の遺言に従って復讐を開始します。 彼女たちはまず、協力者であるミス・クリストが発明した精巧な人工皮膚デルモイドZを世界中に普及させて、社会秩序の破壊を企てます。 デルモイドZを着けることで他人になりすますことができる。デルモイドZを着れば詐欺も強盗も殺人も朝飯前。ゼフィルスの計画どおりに犯罪が蔓延しはじめる。 やがて、人々の間に不信感が膨らみ、社会は無政府状態になってしまう。 次に、彼女たちは膨大な量の金(きん)を世界にばらまいて経済恐慌を引き起こす。金(きん)の価値が暴落し、多額の紙幣もただの紙くずと化し、世界文明は崩壊してしまいます。 世界の文明を崩壊させるゼフィルスの陰謀は一見すると荒唐無稽のようですが、何十万トン、何百万トンという膨大な金(ゴールド)を保有し、精巧な人工皮膚(漫画のデルモイドZのような)が現実に製造可能だったとしたら、彼女たちの計画は実行可能だろうし、最も効果的な方法なのかもしれない。この世界を崩壊させるには経済的破壊が最も現実的なのかもしれない。「ビッグコミック」に青年漫画として連載された手塚治虫さんの第1作が「地球を呑む」です。 このあと、「I.L(アイエル)」「きりひと讃歌」「奇子」「シュマリ」「ばるぼら」「陽だまりの樹」などなど、ビッグコミックの常連作家となる手塚先生ですが、その作品では「地球を呑む」がいちばん好きです。
2014年11月28日
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「ビッグコミック」(小学館)の創刊号である1968年4月号が発売されたのは同年2月29日です(閏年)。 当初は月刊で毎月29日発売、定価は160円。 月刊誌として1年間つづき、1969年4月号まで(2月28日発売?)。その後月2回(10日、25日)の発売となって4月10日号、25日号が出たのが同年3月だと思われます。「ビッグコミック」に月刊期の1969年4月号があったのか?、つまり月刊ビッグコミックは全部で13冊なのか?と少々自信がないのですが、創刊号から連載されたさいとう・たかをさんの「捜し屋はげ鷹登場!」が全9話あり、創刊号の4月号から12月号まで。そして1969年1月号から「ゴルゴ13」が始まって、コミックス第1巻に載っている「ビッグ・セイフ作戦」「デロスの咆哮」「バラと狼の倒錯」「色あせた紋章」の4話が月刊期のものだから4月号までということになり、だから4月号が存在すると思われる。「ビッグコミック」月刊時代のことから書き始めましたが、創刊号に載った手塚治虫さんの初めての青年向け長編漫画「地球を呑む」について、です。 この創刊号には手塚さんの「地球を呑む」、さいとう・たかをさんの「捜し屋はげ鷹登場!」、白土三平さんの「野犬」、石森章太郎さんの「佐武と市捕物控」、水木しげるさんの「妖怪アラウネ」が載り、ビッグな作家が5人も顔をそろえています。 手塚先生の場合は長編の連載。他の漫画家たちは連作の一話完結の作品で、手塚さんはなんで僕だけ長編なのか?と不満だったそうです。「地球を呑む」は1968年4月号(創刊号)から1969年7月25日号までの連載です。 写真はその「小学館叢書」版で、約510ページ。私が持っている本の奥付を見ると1994年9月1日初版第1刷発行とあり、定価は1400円(税込)。この本は絶版になっています。 太平洋戦争中のガダルカナル島の収容所で、日本軍の安達原鬼太郎と関一本松は逃げた捕虜のアメリカ兵を射殺するのですが、息を引き取る前に彼からゼフィルスという美しい女の写真を渡され、彼は彼女に恋い焦がれ、会いたいために脱走したのだと。 安達原と関はゼフィルスに関心を持ち、捕虜の一人から彼女のことを聞き出します。 ゼフィルスのことを知った男は誰もそのとりこになってしまうのだと。 そしてその言葉どおりに安達原と関は、まだ写真でしか知らないゼフィルスに取り憑かれてしまう。 戦後20年が経ち、安達原は巨大コンツェルンの会長におさまり、落ちぶれた生活をしている関と再会。日本にゼフィルスと名乗る女があらわれてホテルに宿泊しているという情報を得た安達原が、関の息子「五本松」に、彼女に接近してその素性と秘密を探るように依頼します。 長くなるので、つづく。
2014年11月27日
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手塚治虫さんのマンガ「ビッグX」。 月刊誌「少年ブック」(集英社)1963年11月号~66年2月号に連載された作品です。 物語は第二次大戦時から始まり、ドイツは三つの新兵器を生み出す計画を立てたという。ひとつはV2号ロケット。第二の計画は殺人光線。そして三つ目がエンゲル博士たちが研究しているという「ビッグX計画」。 主人公の朝雲昭の祖父 朝雲博士がビッグX計画に参加し、ドイツ敗戦間近の1945年、朝雲博士は研究データを息子 しげるの腹部に盲腸炎手術を装ってひそかに埋め込みます。 エンゲル博士と朝雲博士は銃殺され、そして年月が過ぎて1965年12月の東京に舞台が移る。 朝雲昭少年の父 しげるの腹部に埋め込まれていた金属板が発見されて、その金属板に隠されていたビッグXの秘密をめぐって「ナチス同盟」が暗躍する。 第二次大戦時のドイツ軍が研究していたという「ビッグX計画」というのは、不死身の兵士を作り出すこと。または巨人兵士を作り出すこと(手塚先生は巨人軍を作る、とギャグをとばしている)です。 不死身の兵士を作り出す研究、スーパーソルジャー計画ですね。 近年の、アメリカのコミックを映画化した娯楽映画、「アイアンマン」(2008)「キャプテン・アメリカ」(11)「インクレディブル・ハルク」(08)など、すべて兵士強化実験が発端になっています。 スーパーソルジャーを生み出す方向では、兵士の肉体を強化するものと、兵士にパワードスーツを装着させるものの二通りがある。「キャプテン・アメリカ」と「ハルク」は前者、「アイアンマン」は後者です。 日本のマンガ作品では手塚先生の「ビッグX」と、有名なものでは石森章太郎さんの「サイボーグ009」(「週刊少年キング」1964年~)があります。「ビッグX」は少年ブック連載の人気作品だったが、いま読むと、けっして成功作とは言えないようです。 ビッグX計画の秘密をめぐってナチス同盟が暗躍し、主人公 昭少年のお母さんがナチス同盟のスパイだったという設定は面白いし、敵ロボットのV-3号など魅力あるデザインですが、内容がしだいにただの巨人変身ヒーローものになってゆき、最後には手塚先生も意欲を失って投げ出してしまったような感じがする。 同時期のSFマンガとしては「W3」(ワンダースリー)のほうが格段に完成度が高いですね。
2014年09月08日
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巨大兵器ということで。 小沢さとるさんの海洋マンガ「サブマリン707」は私の大好きな作品ですが、その第4部「アポロ・ノーム編」は「週刊少年サンデー」昭和40年21号から41号に掲載。 41号では話の途中で終わっていて、この中断(終了)から2年後にコミックス化されたときに結末部分が描かれました。 で、「サブマリン707」の第4部「アポロ・ノーム編」はアメリカ海軍が開発した巨大万能空母「アポロ・ノーム」公試のテスト航海中に「エイモス・リーグ」を名乗るケーン・エイモス少尉の一味に乗っ取られてしまう話です。 公試を見学していた日本の海上自衛隊潜水艦「707号」の周囲で護衛艦や潜水艦が次々と撃沈されてゆく。 この、アメリカが威信を賭けて建造したという巨大艦「アポロ・ノーム」。 総トン数は100万トン、全長800m 150万馬力の原子力エンジン、乗組員数3万人、5000トン級潜水艦を6隻、航空機1500機を搭載。 その能力はアメリカの持つ戦力の3分の1にあたるという巨艦です。 アポロ・ノーム自体に潜水能力があり、艦体は3体に分離する。その分離した1番艦体、2番艦体、3番艦体それぞれに2隻の潜水艦が搭載されている。 サブマリン707はアポロ・ノームを追跡するとともに、この搭載潜水艦エイモス1号から6号までを相手に戦うことになります。 この作品が「サンデー」に連載された昭和40年(1965年)時点では、世界最大の巨大軍艦はアメリカの原子力空母「エンタープライズ」です(1961年11月25日竣工)。 基準排水量7万5704トン(満載9万3284トン) 全長331.63m(342.3m説あり)、飛行甲板長×幅328.9m×78.4m 最大出力28万馬力、最大速力33.4ノット、航続力は無限、搭載機数70~90機 少年マンガ誌などでも特集記事があって、艦内に散髪店やクリーニング店、郵便局があるというので驚いた記憶があります。 そんな巨艦エンタープライズよりはるかに大きな「アポロ・ノーム」。 はたして「大きいことはいいことだ」なのでしょうか? 現実的に考えると、アポロ・ノーム1隻(3隻に分離する)よりもエンタープライズ3隻のほうが使い勝手が良いのではないか?と。 当時の少年読者たちにとってアポロ・ノームが凄いのは空母のくせに潜水可能という点くらいで、秘密兵器、超科学SF的兵器としては、それほど魅力を感じなかったかもしれない。
2014年08月01日
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松本零士さんの戦記マンガ「ザ・コクピット」。 現在私が持っているのは小学館叢書版で全5巻。その第3巻には1 亡霊戦士2 流星北へ飛ぶ3 わが青春のアルカディア4 紫電5 エルベの蛍火6 復讐を埋めた山7 勇者の雷鳴8 消滅線雷撃9 夜のスツーカ10 成層圏気流11 四次元戦線 の全11話が収められています。 第10話「成層圏気流」はアニメ化されて、私の好きな作品のひとつですが、第9話「夜のスツーカ」もよく出来た秀作だと思います。 ルーベンロックの町を夜間爆撃して帰投したドイツ空軍のゼーアドラー大尉の編隊が着陸灯なしで降りるのを見ている地上員たちの会話。「まったくババリアの山賊隊はすごいなあ。あいつらは夜でも目が見えるんだ」「バカ、見えるのはゼーアドラーだけだよ」 ババリアの山賊出身で夜目が利くゼーアドラー大尉が爆撃した町にはドイツ軍が残存していて、そこには彼の父親がいた。 父親が守備していた町を火の海にしたゼーアドラーは、友軍がいることをなぜ教えてくれなかったのか、と上官につめよるのですが、「いえば、君は爆撃にはいかなかった」と上官の大佐に言われる。「そうだ。山賊はけっして味方は殺さない。ましてや自分の親父を殺したりはしない」 ユンカースJu87「スツーカ」 ドイツ空軍の有名な急降下爆撃機です。 第二次大戦初期、ドイツ軍の地上部隊を空から支援したことで「空飛ぶ砲兵」と呼ばれたそうです。 味方のすぐ近くにある敵の機関銃陣地にピンポイントで投弾するという驚異的な爆撃精度を誇り、歩兵にとって頼りになる心強い味方だったのではないか。 そんなJu87の活躍も味方の戦闘機による援護下にあってこそのもので、それがない海峡越えの「英国本土防空戦(バトル・オブ・ブリテン)」では手痛い目にあい、大きな損害を出しました。 400km/hに満たない低速と機体が大きく重いことの鈍重さのために敵戦闘機に捕捉されると逃げられない。 マンガ「夜のスツーカ」にも描かれていて、「夜のスツーカは夜が明ければ昼間のフクロウだ。低速のスツーカでは生きてはかえれない」と。 普通の戦闘機はせいぜいが幅12mだが、急降下爆撃機Ju87「スツーカ」は15mも幅があり、これは日本の九九艦爆も同じくらい(14.36m)です。 アメリカのドーントレス艦爆は12.6mで戦闘機なみ。後継のヘルダイバーになると15.14mで大きくなっている。「スツーカ」または「シュツーカ」。昔は「シュッツカ」とか「スッツカ」とも言い、私の小学生の頃はユンカース急降下爆撃機と言っていた。当時プラモデルを作ったことがあり、同縮尺の戦闘機に比べると確かに大きなサイズでした。
2014年07月26日
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白土三平さんの忍者マンガ「ワタリ」を読み始めました。 1995年に刊行された「小学館叢書」版で全4巻です。「ワタリ」は「週刊少年マガジン」(講談社)に連載された作品で、第一部「第三の忍者の巻」1965年第18号~1966年第8号 第二部「0の忍者の巻」1966年第14号~1966年第49号 第三部「ワタリ一族の巻」1967年第7号~1967年第37号。 老人の四貫目と少年ワタリが伊賀の里に入るところから物語は始まります。 四貫目はかつて伊賀を抜けた下忍で、少年忍者ワタリとともに伊賀に現れた目的は?、しかも登場時には片足をうしなう重傷を負っているのですがその説明はありません。 天正年間、伊賀の里は百地と藤林に分割されている。 上忍(主領)の百地三太夫と藤林長門が、中忍(大頭)、その下に小頭に指揮される下忍グループを従えて、戦乱時代の大名から仕事を受けて働いています。 下忍たちは命じられたとおりに黙々と仕事をしているのですが、「死の掟」を破ったとの理由で仲間に殺される者が増えている。その「死の掟」がどんなものなのか誰も知らされず、命令で仕方なく仲間を処刑するしかない下忍たち。 里に住みついたワタリはその謎を解明しようとします。 ワタリが仲間を失う犠牲を払いつつも暴いた「死の掟」の真実とは、百地党と藤林党として伊賀を分割支配する上忍二人(百地三太夫と藤林長門)が同一人物であり、しかもその下の中忍二人(音羽の城戸と楯岡の道順)も同一人物というもの。 さらにその中忍の音羽の城戸が上忍を陰であやつっているというものだった。この伊賀支配のからくりに気づいた者が口封じのために「死の掟に背いた」として殺されていた。 第二部「0の忍者」では、さらに伊賀を支配する者の謎が深まってゆきます。 白土三平さんの作品では、「カムイ伝」や「カムイ外伝」と平行している時期で、どちらかといえば後期に入るものか、と思います。 少年忍者(年齢は10~12歳くらいか?)を主人公にした少年マンガですが、内容は白土さんの思想が色濃く(ここでも)反映されていて、忍者同士のお気楽な忍法合戦を期待して読むと当てが外れます。 ストーリー展開は少年マンガとしてはミステリアスな複雑さがあって、以前に読んだ時はあまり面白いとは感じなかった。今、再読すると意外にも楽しく読めて、もしかすると白土さんの代表的な作品ではないかと思ったりします。少なくとも「サスケ」なんかよりはよほど優れているのでは。「週刊少年マガジン」に1965年~67年にかけて連載されたのですが、当時は学校の友人が毎週愛読していて、それを借りて読んでいました。 私はどちらかといえば、さいとうさんの「サイレントワールド」や石森さんの「幻魔大戦」に関心があったようで、「ワタリ」の印象は薄いものでしたが。
2014年05月27日
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先日、マンガ「北斗の拳」(全15巻)を何年ぶりかに読んで、引き続き、「花の慶次-雲のかなたに-」を読み始めました。これも本棚に眠っていたものです。「花の慶次」は原哲夫さんの歴史時代マンガで、原作は隆慶一郎さんの小説「一夢庵風流記」(新潮文庫)。「週刊少年ジャンプ」(集英社)の1989年50号、1990年13号から1993年33号まで連載されたもので、ジャンプコミックスで全18巻として刊行されました。 以来、現在までいろんな形で刊行されて、集英社文庫版、徳間文庫版、コンビニコミック版、新潮社からバンチコミックスデラックス版(全12巻)、徳間社から完全版(全15巻)とゼノンコミックス版(全12巻)などがあります。 私が現在持っているのは新潮社のバンチコミックスデラックス版全12巻。 第1巻と2巻を発売時(2008年11月)に新刊で買って、あとの3~10巻は古本の105円コーナーで買った本です。 戦国時代、といっても秀吉がライバルの柴田勝家を賤ヶ岳に破り、北庄に滅ぼした天正11年(1583)から翌天正12年頃の時代から物語が始まります。 第1巻の巻頭にある「傾き御免の巻」はプロローグといえる章で、連載に先だっての読切り編ですね。上州群馬県厩橋城の滝川一益勢と北条勢の鉢形城の戦いを背景に、前田慶次と、その愛馬になる松風との出会いが描かれている。 連載として始まるのは天正12年、秀吉が天下を取り、前田慶次の評判を聞き、会ってみたいと言いだし、前田利家があたふたする場面から。 金沢城下での耳削ぎ願鬼坊、彼が連れている少女おふう、加賀忍びの四井主馬らが登場するエピソードへとつづき、この導入部は上手で、物語に引きこまれます。この第1巻を読んで、これだけで止められる人はいないのでは。 傾寄者、前田慶次の人物設定がすばらしく、また彼を慕う脇役たち、少女おふうや、岩兵衛、捨丸、慶次の生命を付け狙うのに、慶次に惚れ込んでしまう忍者の骨。このような架空の登場人物たちが生き生きと描かれ、あるときはホロリとさせ、あるときはコミカルなギャグを見せる。 歴史上の人物も多く、滝川一益、益氏から始まって、秀吉、徳川家康、前田利家と妻まつ。 佐々成政、奥村助右衛門、前田玄以。 上杉景勝、直江兼続、石田三成、北条氏政、大道寺政繁。 真田幸村に猿飛佐助、伊達政宗・・・・・・。 このマンガを読んだことで歴史に興味を持ったという人も多いのではないでしょうか。 学校の歴史授業ではこうはいかない。 第12巻のラストシーン。 利沙が言う。「慶次といると毎日が風流みたい」。骨がうなずいて「変なお人ですね」。「そうなの変な人なの。でも大好き!」、「私だってそうですよ」と。
2014年04月20日
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写真は私の愛読書のひとつ、「北斗の拳」。「北斗の拳」は、ストーリーは武論尊さん、作画は原哲夫さんによるマンガで、「週刊少年ジャンプ」に1983年から88年にかけて連載されました。 ジャンプコミックスでは全27巻ですが、私が持っているのは1990年代前半に集英社から刊行された愛蔵版で全15巻。 買ってから20年になり、すぐにストーリーを忘れるので、そのつど新鮮な面白さで読むことができます。 何度目かを読み出して、1日に1冊のわりで、今は第3巻までを読んだところ。 第3巻には牙一族の「恐るべき策略!の巻」から、ケンシロウの名をかたって暴虐をつくす黒ヘルメットで顔をかくした胸に七つの傷を持つ男ジャギを倒し、トキに成りすまして悪事をはたらくアミバとの対決を描く「仮面の裏!」までが収録されています。 199X年世界が核戦争で壊滅した世界。生き延びた人たちが集落をつくって細々と暮らすいっぽうで、集落を襲って掠奪する凶悪、極悪な悪党どもがいる。 北斗神拳の伝承者であるケンシロウはそのような悪党どもを必殺の拳で退治しながら旅をつづける。 その途次で出会った少女リンや少年バットに慕われ、南斗水鳥拳の達人レイ、かつての恋人ユリアに生き写しの女闘士マミヤと知り合い、その友情と信頼を築く。 一子相伝の北斗神拳の正統な伝承者を争った3人の兄が生きていて、その一人極悪なジャギを倒し、トキの行方を追うケンシロウ。トキは拳王(ラオウ)によって監獄島カサンドラに幽閉されていた・・・ここからは第4巻になります。 私が何度も読み返すマンガは少ないのですが、この「北斗の拳」は読み始めると夢中になってしまう数少ない作品のひとつ。 ストーリーも良いけれど、原哲夫さんの細部まで描き込まれた絵が好きです。 人体爆裂など、描き方によっては残酷でエグイ描写なるところを、時にはユーモラスに、時には熱い男たちを格好良く、時には凶悪な奴らを容赦なく叩きつぶす「復讐のカタルシス」があって、痛快でもありますね。 国家が消滅し、文明が崩壊し、社会が荒廃し、法による秩序が失われた暴力世界。弱肉強食の世界でいかに人間が人間らしく生きるか、を描いたマンガに対して、「暴力的だ」、「人を殺しすぎだ」、「悪人にも権利があり、それを容赦なく殺すのはいけない」といった批判をする人たちって・・・?
2014年04月11日
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アメリカのコミックスに登場するスーパーヒーローの、たとえば「スーパーマン」(1938年~)や「バットマン」(1939年~)などは第二次大戦前の古くからのキャラクターですが、彼らは大人です。あるいは青年といってもいいのかもしれないけれど、けっして少年ヒーローではありません。 その後に登場したヒーローたち、キャプテン・アメリカもスーパーガールもワンダーウーマンも、グリーンランタンも、アイアンマンもハルクも、X-メンのメンバーもファンタスティック・フォーのメンバーも大人です。最年少かと思われるスパイダーマンにしても高校3年生から大学生くらいの年齢で、このスーパーヒーロー活躍物語には小学生などの子供が登場することがありません。 アメリカでは、これらのスーパーヒーローたちは子供たちにとって理想の大人像ということで、大人になったら彼らのような立派な人間になりたい、ということのようです。 ところが日本の漫画においてのスーパーヒーローはけっして大人や青年ばかりではない。 東映時代劇の流れをくむ「月光仮面」や「快傑ハリマオ」はまだ大人ヒーローでしたが、「鉄人28号」の金田正太郎くんはあきらかに小学生です。もう少し年長の「まぼろし探偵」の富士進くんは一応は新聞記者(見習い?)ということで高校生くらいの年齢かと。 「少年ジェット」は学校へ行ってないようだけれど、高校生くらいでしょうか? 富士進くんなどは、「親に心配かけまいと~♪」と主題歌にあるように、アメリカのスーパーヒーローたちに比べるとずっと年少です。 「まぼろし探偵」や「少年ジェット」はまだ良いほうで、「鉄人28号」の正太郎くんや「鉄腕アトム」を代表例としても、白土三平さんの「サスケ」にしても、小学生くらいの子供が、子供のまま社会に出て大人を相手に大活躍する。「赤胴鈴之助」は小学生くらいで、大人の剣士を相手に大立ち回り。 本来は、マンガは子供が対象で、読者は子供です。それも小学生が主流だったわけで、当時は青年誌は存在せず、大人は少年マンガを読むものではなかったし、高校生くらいになったらマンガを卒業するものでした。 そんな子供の読者にとって感情移入しやすい、主人公の行動に一喜一憂するにはやはり同じ年齢の主人公がよいだろうという安易な考えによる結果でしょうか。 それではアメリカではなぜ子供読者と同年齢の子供ヒーローではなく大人・青年ヒーローばかりなのでしょうか?、日本とアメリカの国民性のちがい? ディズニーのアニメ映画の古典的作品である「白雪姫」、「シンデレラ」、「眠れる森の美女」、「101匹わんちゃん大行進」などや、実写映画の「うっかり博士の大発明フラバァ」や「黒ひげ大旋風」なども子供向けかファミリー向け作品ですが、子供を主人公にして歓心を得ようとする子供に媚びる姿勢がないですね。 かたや日本では、マンガのヒーローではないけれども、東宝映画の「ゴジラ」シリーズ。最初は宝田明さんや高島忠夫さん、夏木陽介さん、水野久美さんなど大人の俳優ばかりだったのが、ゴジラの息子ミニラを登場させてゴジラが教育パパになったり、子役を出したり、ゴジラが空を飛んだり、しだいに子供向けになって堕落してゆく。子供を出せば子供観客が喜ぶだろうと、子供に媚びるようになった例です。
2014年02月19日
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アメリカ映画「キック・アス」(2010)で、ヒット・ガール(クロエ・グレース・モレッツ)が麻薬売人のチンピラ男の片脚を薙刀のような武器でズバッと両断する場面があります。 このような過激なアクションは近年になってのものかと思うのですが、マンガ本ではもう50年以上も昔から白土三平さんが自作で描いていますね。 白土三平さんの「忍者武芸帳 影丸伝」を初めて読んだのは中学2年の時。そのゴールデンコミックス版 全12巻(220~240円)をそろえて大切にしていたのに、軽率にも処分してしまって後悔しています。約50年も昔の本なので、いま持っていたとしても変色と染みが出て傷んだ状態になっているだろうけど。 当時、白土さんのマンガを初めて読んだわけではなく、それ以前の小学生のころから「サスケ」(「少年」連載)や忍法秘話の一篇である「シジマ」を「少年ブック」で読んでいた。「サスケ」には追い詰められた忍者が顔を焼いたり、自爆してバラバラ死体になる場面があったし、腕や脚が斬られて飛ぶ場面があったし、「シジマ」には七つ石のトネという甲賀の女忍者が水浴する場面に胸をうずかせたこともあります(少年マンガには珍しくエロチックだった)。 しかしそれらは少年マンガ誌ということもあって抑えられた描写だったのでしょう。 その点、貸本単行本として発表された「忍者武芸帳 影丸伝」では、白土三平さんの本領発揮というか、思い切った自由な表現が見られるようです。 影丸の妹、明美が斬殺される場面。 重太郎の子を身ごもっている明美を待ち伏せていた忍者たちが襲う。逃げる明美は追ってくる忍者たちに片腕を切り落とされ、刀に刺し貫かれ、手裏剣を打ち込まれ、最後はバラバラに切り刻まれてしまう。「忍者武芸帳影丸伝」には敵味方二人のヒロインがいて、明美ともう一人は敵方の女忍者の蛍火。彼女の最期も無惨なもので、かなわぬと知りながらも影一族に単身で挑戦。明美と同じように腕や脚を切断され、刀に貫かれ、手裏剣に打たれて、ついに水源地に落下して死ぬ。自分の屍に毒を仕込んでおいて、死後に影一族を全滅させる。「死」が強調されていて、このような凄惨な場面は少年マンガ誌では発表できないのではないか。貸本単行本ならではの作品ですね。「残酷」だけれど、しかし決して「グロテスク」ではない。この女忍者たちの死に様は中学2年生だった私にも大きな感動があって、いまでも忘れないものです。 明美は追ってくる忍者たちに自分の身体が切り刻まれようとも、最後まで生きようとして走るのは、重太郎への強い愛のために生きることの執着です。 蛍火の場合は、自分が死ぬことで敵の影一族を倒すことが目的。水源地にたどりつくために最後まで全力をつくす。「忍者は術に生きる。死しても、もし術が残れば生きることになる」と。「忍者武芸帳 影丸伝」は、白土三平さんの最高傑作だと思います。 忍者マンガとしてもこれを越える作品はないし、今後も現れないでしょう。
2014年02月16日
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白土三平さんの代表作「カムイ伝」が「月刊漫画ガロ」(青林堂刊)に連載されたのは、1964年12月号~1971年7月号までで、全74回。 その主要登場人物の一人であるカムイを単独で主人公にしたのが「カムイ外伝」です。こちらは「週刊少年サンデー」(小学館刊)の1965年第21号~1967年3・4合併号に全20話が不定期掲載。 本編の「カムイ伝」と「外伝」は平行して描かれていて、私が初めて「カムイ伝」を読んだのは高校1年の時(1968年)で、小学館ゴールデンコミックスです。 全21巻ですが、第1巻「夙谷の巻」が出たのが1967年5月、最終第21巻「滄海の巻」が刊行されたのが1971年10月なので、初めて読み始めた高一の時はまだ全巻が出そろっていなかったことになる。 初めて読んだ時もそうですが、今でも本編の「カムイ伝」はそれほど面白いとは思わないし、好きな作品ではないですね。 中学2年の時に読んだ「忍者武芸帳 影丸伝」(ゴールデンコミックス全12巻)のダイナミックな太い描線に魅了されたせいもあるけれど、領主に支配、搾取、迫害される農民の悲惨と、団結と信頼と裏切り、階級差別の強調というのがどうにもやりきれず、この描写は本当なのか?という疑問をいまだに抱き続けていることも「カムイ伝」を好きになれない理由になっています。 脱線しますが、江戸時代のイメージ。華やかな町人文化が花開いた一方で、農村では「カムイ伝」に描かれるような「領主による農民虐待」が本当におこなわれていたのだろうか?、という疑問を持っています。 武士と町人を除く、全人口の80パーセントにおよぶ農民は閉鎖的で暗く惨めな搾取されるだけの存在だったのでしょうか? で、カムイを忍者組織から脱走した「抜け忍」として主人公にした「カムイ外伝」。 こちらは単純に忍者の追われる者の孤独を、テレビ映画「逃亡者」のように主人公が関わり合う人たちとの物語として面白く読むことができます。 第1部とされる「週刊少年サンデー」掲載分の全20話のうちでは傑作と、それほどでもない作品があって、第4話「むささび」と第5話「五ツ」は傑作。第11話「下人」はわざとらしくて好きではない。 全体に「少年サンデー」掲載分は抜け忍カムイと追忍(刺客)との戦いが描かれるのですが、のちに「ビッグコミック」(小学館の青年誌)に掲載された第2部(1982年~1987年にかけて)のほうは、カムイが逃亡先で関わり合う人たちとの物語といってよく、こちらのほうが分量的には大部分を占めます。 私が持っている小学館叢書版「カムイ外伝」は全12巻。その第1巻と第2巻の前半のみが「少年サンデー」の第1部。第2巻の後ろ半分から第12巻までが「ビッグコミック」掲載の第2部です。 なにかと制約があるだろう少年週刊誌よりも大胆に描ける青年誌のほうが発表の場には適しているのでしょうか、精細に描かれた画風など、こちらの方が私の好みに合っています。
2014年02月15日
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久しぶりに白土三平さんの「風魔忍風伝」を読み返しています。「忍者旋風 風魔忍風伝」の「壱」と「弐」の全2巻。小学館叢書版で、「壱」が1995年11月20日初版第一刷発行。「弐」が1995年12月20日初版第一刷発行。定価1200円(税込み)。2冊あわせると約800ページになる長編です。 入手すれば天下を支配できるという巻物「竜煙の書」をめぐって風魔一族や公儀隠密の服部半蔵、豊臣方の美女丸という忍者が争奪戦を演じ、主人公の風魔小太郎と、唯一「竜煙の書」を読解できる宗剣真とその娘の美香が忍者の争いにからむ。多彩な人物が数多く登場して、物語がテンポよく進むので読んで面白い漫画です。「風魔忍風伝」は、白土三平さんの作品としては「甲賀武芸帳」と「忍者武芸帳 影丸伝」の間に描かれたものです。「甲賀武芸帳」は白土さんの最初の大長編作品(1957年~58年にかけて貸本単行本として日本漫画社から全8巻として刊行)だそうですが、私はまだ読んだことがありません。「風魔忍風伝」も貸本単行本として1959年9月から60年1月にかけて東邦漫画出版から全4巻として刊行。最初は「忍者旋風」のタイトル本となっていて、その第3号から6号に掲載されたらしく、のちに「風魔忍風伝」として全5巻で再刊されたそうな(1962年頃?)。 白土三平さんの代表作として名高い「忍者武芸帳 影丸伝」も貸本単行本で、全16巻。第16巻が上下に2分冊されているので、実際は全17冊。 第1巻が1959年12月発行、最後の第16巻の下巻(17冊目)が1962年11月発行。第1巻から第15巻までは三洋社から、最後の第16巻だけが東邦図書出版社の発行です。 貸本単行本は復刻されないかぎり読むことができない希少本になっています。「忍者武芸帳 影丸伝」は1966年に小学館ゴールデンコミックス全12巻(定価220~240円)として刊行され、これはコミックス史上に記録される大きなできごとのひとつ。このゴールデンコミックス版も現在は絶版です。 私が持っているのは小学館叢書版の全8巻と小学館文庫版の全8巻。 2009年に小学館クリエイティブから貸本版全17冊の形式で復刻されましたが、定価が高くて(1冊1300円)第3巻までしか買ってなく、これは今でも欲しいと思っています。そのうちに絶版になりそうで、買うなら今でしょ、なのになかなか手が出ないでいる。 写真は小学館叢書版です。表紙が見えるのが、いま読んでいる「忍者旋風 風魔忍風伝」の全2巻。その右が「真田剣流」の全2巻、「風魔」の全1巻です。
2014年02月14日
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「猿飛佐助」 伝説上の甲賀流忍術の名人。いわゆる真田十勇士の1人として講談で語られてきたが戦国期から安土桃山時代へかけて忍者の活躍ぶりを背景にして講談師の玉田玉秀斎が「忍術名人猿飛佐助」の創作講談を編成(1911「立川文庫」から刊行)してから急速に大衆のあいだに定着した人物像である。 -コンサイス日本人名事典【第4版】三省堂より- 猿飛の名は「西遊記」の孫悟空にヒントを得たとされ、真田幸村に仕えて活躍し、大坂夏の陣に討死したとされる。 猿飛佐助は白土三平さんの忍者マンガでは、「サスケ」と「真田剣流」、「風魔」に登場する甲賀忍者です。「猿飛佐助」といえば、私たち以上の年代では杉浦茂さんの漫画、あるいは東映動画の「少年猿飛佐助」(1959年、声の出演 中村賀津雄、桜町弘子、松島トモ子 他)を連想するのではないでしょうか? 私の場合は、「少年」(光文社刊行の月刊漫画誌)で「サスケ」(1961年7月号~)を小学校低学年の時に読んで、それまでの猿飛佐助ではなく、もっとリアルな、「忍術使い」ではなくて「忍者」として登場したときに、大きくイメージ変更されました。 江戸城に忍んだ猿飛が柳生宗矩と服部半蔵に見つかって、顔を焼いて自決する。その後も次々と猿飛が現れては倒されるのだけれど、猿飛とは個人名ではなくて猿飛の術を使う者すべてが猿飛なのだという設定。 サスケのお父さんは大猿、他にも石猿とか。「真田剣流」には木猿、石猿、土猿、それに黒猿も登場します。 白土三平さんの忍者漫画は、「ワタリ」(1965~67年、週刊少年マガジン連載)では伊賀の忍者は百地党と藤林党に分かれ対立していて、首領と大頭に下忍たちが「死の掟」で支配されるのですが、真田の忍者たちにはそのような厳しい奴隷的な支配がありません。 猿飛佐助、霧隠才蔵、穴山小助、彼らは和気あいあいとした明るい感じで、伊賀者のような暗さがない。 真田十勇士、真田の忍者たちは幸村への忠誠で結束していて、上忍、中忍、下忍といった厳しい支配が感じられないのが特徴のようです。
2014年02月12日
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白土三平さんの忍者マンガ「真田剣流」。 右の写真は私が持っている小学館叢書で、壱と弐の全2巻。「壱」が1996年1月10日初版第一刷。「弐」が1996年2月20日初版第一刷。定価は税込みで1200円(本体1165円)です。 初出「少年ブック」(集英社)1964年9月号~65年8月号連載 術にかけられると高熱の果てに死ぬという「丑三の術」の謎。真田剣流を学ぶ少女桔梗。真田の忍者たちと服部半蔵の伊賀者たちの戦い。忍者たちの権利を守る組合として風摩一族が登場する。 同時期の「サスケ」の後半などもそうですが、1964年あたりから白土さんは作品中に階級闘争を描くようになりました。白土さんの左翼思想が濃厚に表現されるようになり、その到達点が「月刊漫画ガロ」に連載された「カムイ伝」(1964~71年)の農民一揆になるのですが、自分の思想で日本の歴史を語るのはいかがなものか、私の気に入らない所です。「真田剣流」第1部の「桔梗の巻」は1961年から62年にかけて「忍者旋風」という貸本単行本の7号、8号(東邦漫画出版社)に掲載されたそうです。いったん中断された後、その続編として「少年ブック」に連載が開始されたのが2年の間をあけての1964年9月号で、それが第2部「丑三の巻」だとか。 つまり「少年ブック」に載ったのは第2部からということです。しかし、私が第1部の「桔梗の巻」を読んだのは確かに「少年ブック」だった記憶があり、当時は貸本マンガなど読んでいなかったので、これは絶対まちがいないはずです。「桔梗の巻」の冒頭の、主人公の少女 桔梗が猪を相手に遊んでいて、怪人暗夜軒とその一味に追われ狙われている二階堂主水の危機を救う場面。お爺ちゃんの岩波乱童が連発銃を放って暗夜軒を追い払ったのち、丑三の術という謎の忍法によって殺され、その仇討ちを誓う桔梗。 このあたりの展開はたしかに月刊の少年マンガ誌で読んだはずで、貸本の単行本で読んだものではありません。
2014年02月11日
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小山ゆうさんの漫画「あずみ」。 先日、古書店の閉店セールで買った(5冊で105円)文庫版の第1巻から3巻までを読みました。「あずみ」はこの3冊しかなく、あればもっと欲しかったのですが。 で、この「あずみ」に関しては、ずいぶん前から知ってはいたものの読むのは初めてです。 小山ゆうさん、という漫画家は「おれは直角」と「お~い竜馬」というのをずいぶん昔に読んだことがあるだけで、それほど熱中したわけでもありません。 で、「あずみ」ですが、文庫版で3巻までを読んだ時点では、これは面白かったです。 気の抜けたコーラのように生ぬるい?NHK大河ドラマなんかを見ているよりよほど楽しめます。 徳川家康が関が原の戦いで勝利を得た頃の時代。 山奥で日々剣術の訓練に励む十代前半の少年たちがいて、その中に少女が一人だけ混じっている。その少女が主人公のあずみで、剣の腕前は他の少年たちより優れている。 彼らは、保護者であり剣の師匠でもある爺(小幡月斎)を慕い、服従して暮らしている。 爺は、あずみを含む少年たちを、「徳川政権の安泰」に邪魔な敵対分子を未然に消し去る暗殺者に育て上げるために訓練している。 訓練を卒業したとき、爺は山を下りて外の世界に出る前にまず仲間と殺しあえと命令する。あずみと少年たちは寝食と訓練を共にした家族同然である仲間と互いに殺しあうことになり、10人いた仲間はその結果5人となる。 山を降りて里に出た5人は初めて自分たち以外の人間と生活を知るが、爺は里の人間をすべて殺せと命令する。仲間を殺すことも、何の関係もない里人を殺すことも、最強の暗殺者(殺戮機械?)となるための最後の試験だというのである。 こうして残ったあずみたちは徳川に対する反乱分子の抹殺に働くことになるが、その過程で5人の仲間たちも一人、また一人と敵に斬られてゆく。 あずみが男女を意識した仲間「うきは」の壮絶な死。敵の豊臣方に捕らわれたあずみを助け出そうとした「うきは」は無謀にも大坂城に潜入するが捕らわれてしまう。 豊臣秀頼の母であり大坂城の主である淀殿の奸計で、あずみとうきは決闘させられることになる。お互い好き合った仲のあずみとうきはは相手に殺されることを望むが、うきはが自分の刀を折れるように細工をしていたことであずみが生き残る。 大坂落城ののち、残ったのはあずみと爺の2人だけとなり、 この頃からあずみは自分たちのやってきた「暗殺」と爺の背後に存在する徳川の「正義」に疑問を感じるようになる。 そんな時、爺が柳生の刺客団に襲われ・・・・というところで第3巻が終わります。 柳生に襲われた爺はどうなったのか?、よいところで次巻に続くです。この後はどうなるのか、第4巻を読みたいものですが、買うのは高いし(743円+税)、他の古本店にはなかったし。 面白く読んだのですが、気になる箇所が。 淀殿を家臣が「淀殿」と呼んでいるけれど、「淀殿」は後世の言い方で、直接呼びかけるならば「お方様」か「お袋様」が妥当かと。
2014年01月19日
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ゴルゴ13。デューク東郷。 SPコミックス第2巻に収録の「檻の中の眠り」(1969年3月。ビッグコミックが月2回発行になって最初の作品)に刑務所長がゴルゴ13の前科を読み上げています。「デューク東郷・・・日本人か!!立派な名前だな。レジャイナ生まれ、29歳。強盗、婦女暴行、放火、殺人未遂、公共物破壊、性格凶暴にて、冷酷、飲酒悪癖。フン、酒乱か・・・」と。 この29歳というのは真の年齢なのか、逮捕時に嘘をついた年齢なのかはわかりませんが、連載が開始された1968年11月から1970年あたりにかけて30歳くらいの設定だったというのは間違いのないところだと思います。 だとすると1940年前後くらいの生れではないかと推測され、2014年現在では74歳くらいになる計算です。 まさかゴルゴ13がそんな老人ではあるはずがなく、現時点の設定上は40歳くらいなのかと?、そうすると1974年くらいに生まれたことになる。 だとすれば、第二次大戦も朝鮮戦争も、インドシナ戦争も、ベトナム戦争も、東西陣営のスパイ戦も、そのような世界情勢が東西冷戦で緊張していた時代を経験していないだろうし、東京オリンピックも知らない年齢です。まさか永遠に年を取らずに生きるという設定でもなかろうに。 連載が40年以上も続いたことでの、矛盾点が生じているのですが、2014年現在でのゴルゴ13が40歳だとすれば、この劇画「ゴルゴ13」での1970年前後の話はすべてなかったことになってしまいますね。 サザエさんと同じように永遠に年を取らないマンガの主人公というわけですが、現実に進行する世界情勢を物語の背景にする以上は無理があるのもたしかなことではないかと。 現在の007号ジェイムズ・ボンドが、第二次大戦はおろか、東側スパイの暗躍や国際犯罪組織スペクターの陰謀を知らない世代になっているのと同じことです。
2014年01月14日
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先日、古書店の閉店セールで買った「ゴルゴ13」のSPコンパクトコミックス版第13巻から16巻までの4冊。5冊買って105円だから1冊21円になります。「ゴルゴ13」の文庫版で、4冊買って84円。 これで、この文庫版は第1巻から19巻までで、そのうち第17巻が抜けているけれど、揃えたことになります(すべて古本で買ったもの)。 さいとう・たかをさんの「ゴルゴ13」が月刊「ビッグコミック」(小学館)で連載が始まったのが1969年1月号です。発売は1968年11月。 私が高校1年生のときで、この第1話「ビッグセイフ作戦」はリアルタイムで読みました。 1968年11月から2014年の現在まで連載が続いている長寿劇画。 私が読んで面白い(と思う)のが文庫版でいうと第25巻あたりまででしょうか。 それ以降は画に魅力がなくなり、画風が変わってしまって、初期のようなシャープさがなくなったように感じます。 さいとうプロに武本サブローさん、甲良幹二郎さん、叶精作さんたちがいた頃の作品がもっとも輝いていたと思うので、それ以降の作品にはあまり関心がありません。 たとえば、第14巻に掲載の「モスクワ人形」。これは「モスクワ人形 ヘルダイバー」、「モスクワ人形 シャドウハンター」と3回に渡って掲載された長編です。 この話のヒロインであるミーナは叶精作さんの筆によるものです。 ミーナは罠にはめられてKGB工作員にさせられてしまう。工作員養成所で訓練を受け、その任務に乗り出したとたんにゴルゴ13を尾行しようとして撃たれてしまう。 この「モスクワ人形」は同じく14巻に収録の「九竜の餓狼」とともに印象に残る名作です。 初期作品の、第1話「ビッグセイフ作戦」から始まって、「デロスの咆哮」、「バラと狼の倒錯」、「色あせた紋章」と、この第1巻が、当時のヨーロッパのアクション映画を思わせて最高です。 第3巻の「狙撃のGT」や「メランコリー夏」など、やはり最初の頃の「ゴルゴ13」が自分的には面白いと思うし、何度読んでもそれは変わらないです。
2014年01月13日
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近所の古書店が閉店セールをやっていて、105円の本がオール70円。 その中に「紫電改のタカ」があったので即ゲットしました。講談社のKCスペシャルというコミック本で、「紫電改のタカ」は全3冊。 奥付を見ると、昭和62年10月6日第1刷発行、昭和63年6月17日第3刷発行 となっています。定価580円。 所有していた人の保存が良かったのでしょう。約25年も経っているとは思えない、シミもカビも汚れのないきれいな本です。 全3冊を買って、合計210円。これは良い買い物をしました。「紫電改のタカ」はちばてつやさんの作品で、「週刊少年マガジン」の昭和38年27号~昭和40年の3・4号まで連載された戦記漫画です。 物語は太平洋戦争末期の台湾の高雄基地から始まります。日本海軍航空隊の、701飛行隊。局地戦闘機「紫電」が配備された戦闘隊で、主人公の滝城太郎一飛曹、以下、紺野一飛曹、久保一飛曹、米田二飛曹の4人の若者を中心に、隊長の白根少佐、菅野大尉、源田司令。 ライバルとして米陸軍航空隊のジョージとモスキトン。悪役として黒岩上飛曹、花田上飛曹以下の七人のさむらいと呼ばれる荒くれども。 主人公たちの乗る機体は紫電から紫電改になり、四国松山の第343航空隊の話になっていきます。 連載当時は、野球漫画は「魔球」、プロレス漫画は「必殺技」、忍者漫画は「忍法」など、特訓の末にあみだした特殊技がブームだった頃で、このちばてつやさんの空戦漫画でも滝城太郎の「逆タカ戦法」なる必殺技が登場します。 しかしながらスポーツ漫画のようなわけにいかず、戦争なので、やはり生命のやりとりになってしまったのは致し方のないところです。 約50年ぐらいも前の作品で、いま読んでも古さを感じません。飛んでいる飛行機から他の機に飛び移るとか、操縦士のいない飛行機を着陸させるとかのありえない描写があるけれど。 ちばてつやさんならではのキャラクターが活躍する物語で、時にはユーモラスに、時には悲壮に、戦争の無意味さをテーマにした戦記漫画です。 読んでいて、気になった箇所がいくつか。 主人公の滝城太郎が「自分は」と言いますが、「自分は」と言うのは陸軍式ですね。海軍の場合は「私は」です。 それと最初の方では、「大尉どの」とか「隊長どの」とか「どの」を付けて呼んでいますが、海軍は「どの」を付けずに、「隊長」とか「司令」とか、たとえ「大将」でも「どの」を付けずに呼び捨てだったそうです。 菅野大尉と源田司令は実在の人物ですが、「大尉」に「たいい」という読み仮名がふられている。海軍の場合は「たいい」ではなくて「だいい」と濁ります。 海軍の階級では「大佐」は「だいさ」、「大尉」は「だいい」。 最近刊行された文春文庫の「考証要集 秘伝!NHK時代考証資料」という本に書いてあったのですが、「だいい」や「だいさ」と濁るようになったのは昭和になってからではないかと。明治の頃には陸軍とおなじように「たいい」、「たいさ」だったそうです。「ひょっとすると、大正末以降に陸海軍の対立が激化するに従って、陸軍と違う海軍読みとして始まったのかもしれない」と。
2013年12月30日
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僕は無敵だ 鉄腕アトム よい子のために 戦うぞ 勝ったつもりか 負けはしないぞ さあ来い悪者 やって来い ジェット推進十万馬力 僕は鉄腕アトム 七つの偉力を持っている 鉄腕アトムの歌/作詞 青木義夫/作曲 益田克幸 テレビ化された「鉄腕アトム」の主題歌です。おしまいの「七つの偉力」は「威力」でないのがいいですね。 ただどうしてもテレビ放送では、正義の味方と強いヒーローを売りにしないとならないようで、こういう点が手塚先生のテーマとは異なるところです。 で、アトムの「七つの偉力」とは、1 うでの力は十万馬力で重い物でも持ち上げる。2 ジェット推進で大空をすばらしい速度で飛べる。3 目がサーチライトになる。4 耳のボタンを押すと聞く力が一千倍になる。5 どんなむずかしい計算でも一秒間でやれる。6 あいてが悪人か良い人間かすぐにみつけられる。7 ノドの変話器のおかげで六十カ国語を自由にはなせる。 ジェット推進で空を飛ぶアトムですが、最初の頃は腕のジェット推進だけで飛んでいました(写真)。 もっとも、初めてアトムが登場した「アトム大使」ではまだ飛ぶ能力がなかったのですね。 クライマックスでアトムが南極の宇宙人(もうひとつの地球人)のもとへ平和の使者として交渉に行くのに「大砲?」に入って「BOOON」と打ち出されています。 この場面は、現在では「手塚治虫文庫全集」の「鉄腕アトム」第1巻に収録されているので読むことができます。 手塚さんは単行本化のさいに描き変えたり編集することが多く、オリジナル版が読めるのは現在はこの文庫と講談社の全集だけです(描き変えられた版では、アトムは自分で飛んでいく)。 テレビアニメのアトムは脚のジェット推進のみで空を飛ぶので、そのイメージが定着しているけれど、漫画版の初期では腕のジェット推進が用いられ、脚のジェット推進も併用して使われるようになったのは「火星隊長の巻」(1954)からです。「アトム大使」ではまだ飛ぶことができず、初めて空を飛んだのは、「鉄腕アトム」となって第1話の「気体人間」(1952)です。 この「気体人間」のオリジナル版は「少年 傑作集 第1巻」(光文社文庫 現在は絶版)に収録されいて、「気体人間」の第5回、ケン一君に「きみだけにはなすが、ぼくの手はふん出器なんだよ」と言って手首をはずしている見せている場面があります。
2013年11月09日
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「ロストワールド」 1948年「メトロポリス」 1949年「来るべき世界」 1951年 初期のSF三部作といわれている作品。 手塚治虫さんは1928年生まれだから20歳から23歳の時に描かれたものです。 いま、この三部作を読むと、手塚先生のすべてがこめられているような感じがします。 手塚節というのか、手塚先生の思想が表現されているような。 そこにあるのは人類のどうしようもない愚かさ、です。 科学の発達はけっして人類に幸福をもたらさない。科学をもてあそんだ愚かな人類はその科学のために不幸になる。「メトロポリス」にミッチィという人造細胞でつくられた10万馬力の人造人間が出てきます。空を飛び、水中で呼吸をすることができる。のどにボタンがあって、それを押せば男にも女にもなれる。 この両性具有のミッチィが「鉄腕アトム」の原型なのですね。「手塚治虫文庫全集」の「ロストワールド メトロポリス」(講談社)に手塚先生による「あとがき」が載っていて、そこに「主役のミッチィは、男性にも女性にもなれるというモノセクシャルな少年ですが、これのバリエーションが、あとでアトムを生み、サファイアに発展するのです。ぼくのヒーロー、ヒロイン系列の、ある種の原型ともなる人物です」とある。 手塚先生は「鉄腕アトム」のアトムを女の子のつもりで描いていたというのは有名な話です。「アトムというのは女なんですよ、ほんとは。最初、女のつもりでつくったんです。だからまつ毛がありますでしょう。あれ、靴はいてるんですけど、最初は靴はいてなくて、色っぽい脚してるんです」 それが「少年」に載ったときに、少年雑誌に女のロボットはおかしいいし、どうも妙にいやらしいので男にしてくれと編集に言われたそうです。 色っぽいロボットを無理に「鉄腕」にしたのでオメメパッチリの少年ができてしまった、ようです。 科学が発達した未来社会。人間のために尽くす目的でロボットが造られ、そのロボットを人間は奴隷とみなして差別し迫害する。それが「鉄腕アトム」の話。 そのなかでアトムは、人間とロボットの板挟みになって苦悩し、哀しみ、悲しむ。 テレビアニメになったアトムの後半は、手塚先生は「これは自分のアトムではない」と思ったそうで、正義の味方のアトムが飛んできて悪いロボットをやっつける、そういうイメージを持たれてしまい、明るい未来、科学賛美の話になってしまった。 アニメのせいでアトムのイメージが独走しはじめ、アトムは強い正義を演じなければならなくなり、「少年」連載のアトムもその影響から逃れられず、初期から中期にあった女の子のように可愛いく、けなげなアトムではなく、みょうに「きつい顔」の男っぽいアトムになってしまいました。 私は「鉄腕アトム」が好きですが、初期から中期までに限定されるようで、「三人の魔術師」(1961)あたりまでですね。
2013年11月08日
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私は手塚治虫さんの「鉄腕アトム」の「少年」連載をリアルタイムで読んだ世代です。といっても、「鉄人28号」と同じように、小学校に入学(昭和34年)した頃からの記憶で、おぼえているのは、「デッドクロス殿下の巻」(昭和35年)あたりから。「白熱人間の巻」、「ホットドッグ兵団の巻」、「第三の魔術師」と、これらの傑作は昭和36年で、私が小学3年生の時。兄が購読していた「少年」で読みました。「デッドクロス殿下」から「第三の魔術師」までは、全作品中で屈指の名作だと思うし、現在でももっとも好きなアトムです。「デッドクロス殿下の巻」以前のものでは、「エジプト陰謀団の巻」や「人工太陽球の巻」、「宇宙ヒョウの巻」で、これらは昭和34年から35年ですが、これらもおぼろげに読んだおぼえがあります。 特に「第三の魔術師」は、警察に追われるアトムが可哀相で、ロボット魔術師のキノオさんが警察に撃たれる場面など、ロボットが人間に目の敵にされて、誤解されたりするのが読んでいてつらかった記憶があります。「鉄腕アトム」は単純な正義のヒーロー話ではなくて、「差別」がテーマだと手塚先生がおっしゃっていますが、たしかに虐められるロボットたちの話を読んでいて小学校低学年ながらも感じましたね。 ただ、小学生だった当時としては、そういう可哀相な話を読むのがつらくて、どちらかといえば横山先生の「鉄人28号」の単純明快なロボット活劇のほうが好みに合っていました。 あれから50数年経った現在、「鉄腕アトム」と「鉄人28号」を読み返してみると、手塚先生のほうが物語構成だけでなく、絵のうまさでも数段すぐれているようです。 絵のうまさだけでなく、ヒゲオヤジ先生とお茶の水博士の漫才のようなギャグなど、とくにヒゲオヤジ先生のギャグは上品で、思わずニッコリと笑ってしまいます。 昭和38年に「鉄腕アトム」がTVアニメ化されて、当時はなにも考えずに見ていたけれど、手塚先生はアニメ製作に手を出さないほうがよかったのではないか?、と思います。 このアニメ化されたアトムは、私の記憶にある愛すべきアトムではありません。
2013年11月06日
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私は横山光輝さんの「鉄人28号」をリアルタイムで読んだ世代です。 といっても、小学校に入った年(昭和34年)にはすでに不乱拳博士の人造人間モンスター、ロボットのバッカスあたりの話になっていて、読み始めたのはその頃からになります。 それ以前の鉄人28号誕生からPX団、ニコポンスキーやクロロホルムの話はのちに古い「少年」の別冊付録で読みました。「鉄人28号」が面白かったのは、昭和36年(1961)あたりまでだと思います。ジョンソンとケリー兄弟がドラグネット博士に復讐する話や、巨大アリの事件までですね。 それ以降の「ニセ鉄人」、「十字結社」(1962~63)まではまだ面白さが残っていますが、次のの「ファイア博士のファイア二世、三世」(1963~)、「砂漠の鉄人」、「VL2号」や「謎の光る物体」、「怪ロボット・ギャロン」(最終話)になると、絵の描線も乱れているし、横山先生の熱意が薄れている感じがする。 考えると、「鉄人」の話が面白くなくなったのは、鉄人が大きくなってからです。 身長が3メートルくらいだった鉄人が、その掌に正太郎君や署長さんが乗るくらい大きくなってしまった(20メートル以上?)。なぜ鉄人はこんなに巨大になってしまったのか?、巨大になった鉄人はどうも気に入らない。 もちろん敵として魅力的なカッコ良いロボットが出なくなったことも話がおもしろくない原因のひとつかと、それと少年探偵、金田正太郎くんは小学生です(半ズボンだから)が、車を運転し拳銃を所持し、警察署に自由に出入りし、という設定が時代的に合わなくなっていたということでしょう。 自分的に「鉄人28号」は「巨大アリ事件」までかな?と。 それ以降は蛇足というか、惰性で連載が続いていた感じがします。 写真は不乱拳博士のモンスター。鉄人の大きさを推測するにはよい比較対象です。 外人レスラーに化けるシーンがあって、不乱拳博士といっしょにオープンカーに乗ったりする。そのモンスターと鉄人が戦うのだから、鉄人は大柄なプロレスラーくらいのモンスターより少し大きいくらいではないかと。 天才科学者の不乱拳博士。まだら岩のアカエイ、人造人間モンスター、ロボットのバッカスとブラックオックス。すべて不乱拳博士が造ったものです。モンスターやバッカスと鉄人が対決する場面はいまでもワクワクします。「鉄人28号」がもっとも面白かった最盛期がこの頃で、昭和33年~35年くらいです。
2013年11月05日
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横山光輝(よこやま・みつてる) 昭和9年(1934)6月2日生まれ、平成16年(2004)4月15日没。 昭和を代表する漫画家である横山光輝先生。 私が小学校低学年の頃、もっとも好きな漫画家でした。 当時は手塚先生の「鉄腕アトム」も兄が購読していた「少年」で読んでいたけれど、横山先生のロボット科学冒険漫画のほうが好きでした。 初めて読んだ作品は、やはり「鉄人28号」で、昭和35年ごろだったかと?「少年」(光文社の月刊漫画誌)に連載されたのは昭和31年(1956)7月号~昭和41年(1966)5月号までで、約10年間続いた漫画史上に残る傑作。 写真は、「PX団」によって背中にロケットを付けられて、空を飛ぶというより海中を高速で進ませる実験を船上から村雨健次が目撃したすぐあとで、PX団に捕らわれていた正太郎くんが操縦器を奪って逃げ出すシーンです(1957年8月ごろ?)。 この鉄人の大きさに注目ですが、正太郎君の身長の2~3倍くらいです。 のちに不乱拳(ふらんけん)博士が造った人造人間モンスターと対決するくらいの大きさで、外人プロレラーくらいの身長のモンスターとの対決だから、そんなに大きくない鉄人28号です。2.5~3メートルくらいの大きさではないかと推測。 それがなぜか巨大な(15メートル?)ロボットのイメージを持たれてしまって、私の気に入らないところです。私が子供の頃に夢中になって読んだ「鉄人28号」は巨大ロボットではありません。 私の脳裏にある鉄人のイメージは、民家の壁を壊して侵入してくるくらいの大きさで、「ガオーッ」と悪者の乗った乗用車を持ち上げるくらいの大きさです。 鉄人の大きさについては以前にも書いていて、そのくり返しになりますが、鉄人の話題になるとどうしてもその巨大さが気に入らないと言ってしまう私です。 横山光輝さんの作品では、「少年ロケット部隊」というのがあって、たしか「日の丸」(集英社)だったか?、それと「サンダーボーイ」と「鉄のサムソン」というのもあった。
2013年11月04日
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石森章太郎さんのマンガ「サイボーグ009」。 秋田書店のサンデーコミックス版の第2巻の表紙カバーは北極のオーロラの下で009が銃をかまえているイラストです。 この本が刊行されたのは昭和41年(1966)8月10日。 表紙カバーに使われているのは、この第2巻に収録されている「新(ノイエ)ナチス」という短編が「別冊少年キング」に載ったときの扉絵です。「サイボーグ009」が週刊少年キングに初連載されたのが昭和39年(1964)30号から昭和40年(1965)39号までの1年2ヶ月。 それと平行されて、「別冊少年キング」に「サイボーグ戦士」のタイトルで、短編が昭和40年1月号から41年2月号まで(不定期で全6回)載っています。 秋田書店サンデーコミックス版第2巻の表紙は、この「サイボーグ戦士」の一篇「オーロラ作戦」(昭和40年11月号)の扉絵で、コミックス収録のさいに「新ナチス」と改題されました。 私にとって、この「オーロラ作戦」は思い出深いもので、当時中学1年生。 石森先生の「マンガ家入門」を読んだのも、この頃だったか?、マンガを自分でも描こうとして、ああだこうだと、いろいろマネして描いていました。 この「オーロラ作戦」(コミックスでは「新ナチス」だけれど)にギルモア博士の古い知り合いのドルフィン教授がいて、そのドルフィン教授の娘でシンシアという女の子が出てくる。 当時、この石森先生が描く女の子キャラがなぜか大いに気に入ってしまい、自分のマンガの女の子キャラを描く参考にしていた記憶があります。描いているうちにしだいに、マネではなくなって自分なりの絵になっていったのは、マンガを描くというのはそんなものなのでしょう。 秋田書店コミックス版では「シンシア」だけれど、初出版は「イルーカ」という名前でした。ドルフィン教授の娘がイルーカ。石森先生のダジャレ的な命名だろうか。 で、敵に捕らえられた彼女を救い出しに行った009たちの場面で、007が「イルーカはいるか?」とダジャレをとばすのですが、コミックス版では「シンシアはいるか?」になってしまって、007流のギャグがなくなっていますね。 007のギャグを消してまでイルーカをシンシアに変える必要があったのか? コミックスに載せるさいに、イギリスが舞台だったのが横浜に変更されています。 007がシェークスピアのセリフを言っているのは、彼の本国イギリスにいるからだし、 009と007、004の3人が車でドルフィン博士の家に向かい、車を降りて「ここだ、ドルフィン教授の家だ」というセリフは、元は「ホームズ街4番地、ここだ」です。イギリスを横浜に変更するために描き変えられたコマやセリフがいくつかあります。 手塚先生が連載時のものを単行本にするさいに、自作に大きく描き変えをおこなったのは有名な話ですが、あまり描き変えをしない石森先生としては珍しい修正・変更です。
2013年09月13日
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書店の新刊コーナーに「サブマリン707」のマンガ単行本3冊が箱に入った体裁で積まれているのを見ました。 小学館クリエイティブから8月末に刊行されたもので、「サブマリン707レジェンドBOX」。現在発売されたのはBOX1「潜航編」で、別冊として「サブマリン707教室」が一冊にまとめられて薄い本として付いている。 本体価格6,800円+税。A5判並製、3+1冊。総1,136ページ、箱入り。第1部「U結社編」から第2部「謎のムウ潜団編(前編)」までが収録されています。 BOX2「雷撃編」は同体裁で9月末に発売される予定だったのが延期されて、発売は未定だとか。小沢さとるさんの新作を載せる予定が、小沢さんの体調不良により延期されることになったそうです。年内の発売を予定しているとか。 私はラポート社の「完全復刻版サブマリン707」全6巻を持っているので、今回は買いません。欲しいけれど、この約7,000円という高額では二の足を踏んでしまいます。 BOX1とBOX2、あわせて全6巻をそろえるには1万4千円もかかってしまうのでは、これは買えないというより、買わないですね。 小沢さとるさんが「週刊少年サンデー」に1963~1965年にかけて連載した海洋冒険潜水艦マンガの傑作です。 第1部「U結社編」では速水艦長の親友だったウルフが怪潜を率いて暗躍する。日本の海上自衛隊サブマリン707号は、アメリカ海軍やカナダ海軍と協力して怪潜と戦います。 乗組員には中学生か高校生くらいの3人の少年がいて、水早賢二、日下五郎、海野千太。ブラジルへ向かう「さんとす丸」に乗っていて、ウルフの怪潜UC-140号に沈められたのを707号に救助される。その後ずっと707号に乗組むことになります。 第2部「謎のムウ潜団編」は第二次大戦中に日本機に攻撃されたアメリカの潜水艦コッドフィッシュが海底深くに沈下してしまい、ぐうぜんにムウ帝国を発見。レッド艦長はムウの科学力を利用して一大潜水艦隊を作り上げ、世界征服にのり出す。 707号はレッドのコッドフッシュに撃沈されてしまい、最新鋭の潜水艦として生まれ変わります。 このあと、第3部「ジェット海流」編と、第4部「アポロ・ノーム」編。 全4部で、もっとも面白いのは第2部の「謎のムウ潜団」編で、707号は717、727、737、747号と艦隊を編成し、さらにインド海軍の黒い潜水艦まで登場する。彼らとレッド大佐のコッドフィッシュ艦隊、新造艦ブラックジャック号との戦いが繰り広げられます。 ストーリーよりも、小沢先生は潜水艦を描くのが目的のような感じがする。小沢さんがデザインしたカッコ良い潜水艦が敵味方にわかれて戦う、極端に言えば、それだけの内容しかない作品ですが、熱い男たちが広大な海を舞台に、あの手この手をつくした潜水艦の戦いとして描かれ、昭和38年から40年の小中学生男子たちが胸躍らせた海洋マンガの傑作。 ラポート社の完全復刻版全6巻を持ってなければ、今回の小学館クリエイティブ「サブマリン707レジェンドBOX」は欲しくてたまらないところでしょう。 上の画像は私が中学1年の時に愛読した「別冊少年サンデー」(月刊)の「サブマリン707」特集号です。全3冊に、毎号120から150ページくらい掲載されていた。横山光輝さんの「伊賀の影丸」の特集号などは「若葉城の秘密」(3冊)「由比少雪」(4冊)から「半蔵暗殺帳」(3冊)あたりまでは全冊をボロボロになっても大切に持っていました。
2013年09月12日
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SF(サイエンス・フィクション)という語が日本に入ったのがいつ頃なのか? 戦前から、冒険小説、冒険科学小説、空想科学小説、という言い方はあったようですが、SF小説という言い方はあったのだろうか? 早川書房の「S-Fマガジン」(正式にはハイフンが入る。通称は「SFマガジン」)の創刊が昭和34年(1959)だそうで、その頃にはSFという語は日本にあったのでしょう。 私たちが愛読していた漫画では手塚治虫さんや桑田次郎さん、横山光輝さん、空想科学小説の挿絵で知られる小松崎茂さんなど、早くからSFを題材にしていますね。 しかし、私が手塚さんの「鉄腕アトム」や「0マン」、藤子不二雄さんの「海の王子」、桑田次郎さんの「8マン」や「エリート」「超犬リープ」、横山光輝さんの「鉄人28号」や「鉄のサムソン」や「サンダーボーイ」などを夢中になって読んでいた頃は、それを「SF」だと思っていたわけではありません。昭和35~39年ごろです。 石森章太郎さんが「サイボーグ009」を「週刊少年キング」(少年画報社)に連載したのが昭和39年(1964年)30号~昭和40年(1965)39号までの1年2ヶ月。秋田書店のサンデーコミックスでいうと第1~第4巻の「ミュートス・サイボーグ編」までです。 どうも私が「SF」という語を知ったのはこの頃ではないか? 小学校の友人たちと、「SF」は「サイエンス・フィクション」のことだよ、というような会話を交わしていたのではないかと? 石森先生の「サイボーグ009」は突然にという形で連載が打ち切られてしまいます。「ミュートス・サイボーグ編」が火山の爆発で唐突に、という感じで終わってしまうのは連載を打ち切られてしまったため。 昭和40年(1965)で、「週刊少年キング」の編集長が交代したことで、新編集長の「サイボーグ009」は「子供にはわかりづらい」、「話が子供には難解すぎる」という理由だったとか。 いったい「サイボーグ009」のどこが「子供には難解」なのか?、さっぱり納得できないのですが、当時の子供たちはそんなに幼稚ではなかったはずです。 手塚先生や桑田次郎さんや横山光輝さんや小松崎茂さんたちの「教育」(?)をうけて、りっぱに「SF」になじんでいました。 ミュータントやサイボーグ(この語はまだ新しくて、改造人間や機械人間という言い方だったかも?)、超能力のテレパシーやテレポーテーションなども知っていました。 この編集長は当時の子供たちをナメていたのだろうか?、それとも明治大正生まれであろう編集長は自分が難解だと感じたのだろうか?「サイボーグ009」の連載が打ち切られたのが昭和40年で、その翌年の41年に「週刊少年キング」が難解だとして捨てた「009」が、他社の秋田書店にひろわれ、「サンデーコミックス」という新書判コミックス誕生の第1号(写真)として刊行されて大ベストセラーになった。 いま持っている「サイボーグ009」第1巻は平成2年7月30日の92版で、奥付には昭和41年7月15日初版発行と記されている。これは新書判コミックス史上に特筆される年月日です。 表紙には黒地に青い文字で「SF COMICS」と書かれています。この時期には子供たちの間では「SF」という言い方は新鮮な感じがしたのではないかと?
2013年09月06日
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「ミュータント」mutantとは突然変異の生じた個体や細胞。突然変異体のこと。 ミュータントと聞いて連想するのは石森章太郎さんのマンガで、「ミュータント・サブ」です。 この作品は意外に古くて、昭和36年(1961)に「少女」という月刊誌に掲載されています。私が知っているのはのちに「少年サンデー」に載った時で、昭和40年(1965)で、読切りの連作でした。 交通事故にあって輸血を受けた少年サブが超能力に目覚めます。 輸血してくれた少女ルミの母親が20年前に横浜でUFO爆発の怪光線を浴びたという、サブの母親と同じ体験をしていることを知ったサブは、自分が超能力に目覚めたのは2人の血が混じり合ったためだと確信する。サブは自分の血をルミに輸血することで、ルミも超能力者になります。 この作品は、UFOの爆発による怪光線を浴びたことが原因になっていますが、連載時には「広島の原爆」となっていたそうです。掲載当時に読んだはずだけれど、中学に入ったばかりのころで、そんな設定などまったく覚えていません。コミックスに収録されたときに「広島で被爆」でははばかりがあったのか、「UFOの爆発」にセリフを改変したようです。 サブとルミがエスパーになった原因は放射線被曝した母親から生まれたから。 そのことによる突然変異でタイトルが「ミュータント」です。 子供向けのSFマンガとはいえ、「放射線被爆による突然変異」がテーマになっています。 戦後の世界各地で核実験がおこなわれた時代。1950年代には映画や小説で「放射能の恐怖」をテーマにした作品が数多くあります。 日本の「ゴジラ」(54)もそうだし、アメリカ映画の「水爆と深海の怪物」(55)や「原子怪獣現る」(53)、「放射能X」(53)など。放射能で生物が巨大化し、人間を襲う話です。「放射能X」は核実験でアリが巨大化し人間を襲い、軍隊が出動する。この話は横山光輝さんが「鉄人28号」で拝借していますね。
2013年09月05日
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