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「チャタレイ夫人の恋人」(1982) LADY CHATTERLEY'S LOVER監督 ジュスト・ジャカン製作 アンドレ・ジャウイ クリストファー・ピアース製作総指揮 ヨーラン・グローバス メナハム・ゴーラン原作 D・H・ロレンス脚本 クリストファー・ウィッキング ジュスト・ジャカン マルク・ベーム撮影 ロベール・フレース音楽 スタンリー・マイヤーズ リチャード・ハーヴェイ出演 シルヴィア・クリステル、シェーン・ブライアント ニコラス・クレイ、ベッシー・ラヴ、アンソニー・ヘッド エリザベス・スプリッグス、 アン・ミッチェル 本編110分 総天然色 スタンダードサイズ 映画専門チャンネルのシネフィルWOWOW(シネフィル・イマジカ→イマジカBS→シネフィルWOWOWに変更)で放送された「チャタレイ夫人の恋人」を録画して鑑賞しました。映画化作品はいくつもあるようですが、シルヴィア・クリステル主演の英仏合作映画です。 D・H・ロレンスの原作小説はわいせつ裁判で有名なわけで、私は高校生の時に図書室の世界文学全集の本をスケベな関心をもって読んだけれど、ぜんぜん面白くなかった記憶があります。 作者のD・H・ロレンスはデヴィッド・ハーバート・ロレンス。略のDはデヴィッドで、男性だったとは今まで知らなかった。ドロシーかダイアナなど、女性だとばかり思いこんでいました。内容が女性的な話なのでそのように思っていたのでしょう。 1918年のイギリス中部地方。炭鉱を領地に持つ貴族クリフォード・チャタレイ男爵の若妻コンスタンス(コニー)は、結婚早々の夫クリフォードが第一次大戦の欧州戦線へと出征する。戦場で重傷を負って還ってきた夫は下半身不随の体になり、男性機能を失ってしまう。 蜜月もそこそこに夫が性的不能者となったコニーは、車椅子の夫にかいがいしく仕える生活を送っていたが、ある日、夫の用事で森番のメラーズの小屋を訪ねた彼女は、男が小屋の外の井戸で体を洗っているのを見てしまう。メラーズのたくましい裸体を目の当たりにしたコニーは木陰にかくれたまま動けなくなってしまう。 その時以来、貞淑な妻だったコニーは森番の男と秘密の逢瀬をかさねてゆく。 自分が妻を悦ばせることができないために、夫クリフォードはコニーに「愛人をもってもいい」と云う。しかしそれは若い妻の性的な欲求を満たさせてやろうという思いやりからではなく、自分の跡継ぎの子供を得たいがためだった。 夫は愛人をもってもいいと云ったが、その相手は自分と同じ貴族階級の男でないとならないという絶対条件だった。 貞淑な妻。しかし夫は性的不能者である。その妻は女性としての悦びを得られないまま夫に仕えて、年老いてゆかないとならないのか? 屋敷を訪れた老婦人がコニーに忠告する。「年老いてから後悔することがないように」と。 コニーが選んだ相手は労働者階級の貧しい森番だった。妻が身ごもったのを知った夫クリフォードは激怒する。 妻を跡継ぎを生むためだけの存在とする夫と、女として熱く抱いてくれて誠実に愛してくれる貧しい森番の男。コニーはどちらを選択するのか。 1974年のフランス映画「エマニエル夫人」で一躍その名前を知らしめたシルヴィア・クリステルさん主演ということから、エロチック映画として宣伝され、観客もそのような期待を持つだろう作品だけれども、けっして内容はそうではない。鼻持ちならない貴族階級の特権意識を批判し、女性の自立と解放をテーマにした、わかりやすくて良い映画です。 シルヴィア・クリステルさんは「エマニエル夫人」より、こちらのほうが好感が持てます。
2018年08月14日
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本日2月10日。11時30分から映画専門チャンネルのムービープラスで「裏切りの荒野」が放送されます。「裏切りの荒野」(1967) L' UOMO, L' ORGOGLIO, LA VENDETTA監督 ルイジ・バッツォーニ脚本 ルイジ・バッツォーニ ラルフ・セルペ撮影 カルミネ・パッツォーニ音楽 カルロ・ルスティケリ出演 フランコ・ネロ、ティナ・オーモン クラウス・キンスキー、リー・バートン 本編97分 総天然色 シネスコサイズ 日本公開は1968年6月。「カルメン」を題材にした作品で、西部劇ではないのですが、当時はマカロニウエスタンブームだったせいか、西部劇として売ったのだろうか。このポスターを見るとまるでマカロニウエスタンそのものを思わせます。 だからといって、現在この作品を西部劇として紹介して良いというものではないでしょう。「カルメン」を下敷きに、舞台もメキシコに設定されて製作された異色マカロニ・ウェスタン。町にふらりとやってきた非情のガンマン、ホセ。彼は、多情で奔放なジプシーの女、カルメンに惚れ込む。だが、カルメンはホセをいいように振りまわす。彼女が自分になびかないことを知ったホセは、逆上して彼女を殺してしまうのだった……。 このような紹介文を臆面もなく書いたサイトがあるのは問題です。舞台はスペインでありメキシコではないし、主人公ホセ(フランコ・ネロ)はマジメな軍曹であって非情なガンマンではない。悪女カルメン(ティナ・オーモン)に惚れて、奔放な彼女にいいように振り回され、破滅へと進んでいく男の話。西部劇ではないし、もちろん異色マカロニ・ウェスタンでもない。 上記の紹介文を書いた人は映画を見ずに適当なことをでっち上げて書いたのだろうか? 知らない人が読んだら信じ込んでしまいそうです。 マカロニウエスタンではないけれども、この映画は一見の価値があります。 身を滅ぼしてゆく主人公。あの怪優クラウス・キンスキーも出ているし、興味あるかたは見ても良いのではないでしょうか。
2017年02月10日
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「悦楽の貴婦人」(1977) MOGLIAMANTE監督 マリオ・ヴィカリオ製作フランコ・クリスタルディ アルベルト・パリエーゼ 脚本 マリオ・ヴィカリオ ロドルフォ・ソネゴ原案 マリオ・ヴィカリオ撮影 エンニオ・グァルニエリ音楽 アルマンド・トロヴァヨーリ出演 ラウラ・アントネッリ、マルチェロ・マストロヤンニ ガストーネ・モスキン、レオナード・マン、ビル・ベルガー オルガ・カルラトス、アニー・ベル イタリア映画 本編111分 総天然色 ビスタサイズ 大地主の娘として生まれ、厳格な環境で育てられたアントニア(ラウラ・アントネッリ)。ワイン商の夫ルイージ(マルチェロ・マストロヤンニ)との夫婦生活は冷え切っており、夫は時々機嫌伺いに顔を見せるだけで、会えば気持ちの通い合いがないのですぐに言い合いになる。 ある時、ルイージは殺人事件現場に居合わせたために容疑者にされてしまう。身を隠すことになった彼は、得意先回りに出たまま帰らず、自宅真向かいの知人宅に潜伏する。集金に出たまま馬車だけが帰ったことから夫が強盗にあって死んだと思った妻アントニアは夫のワイン商を引き継ぎ、夫と同じように馬車に乗って得意先回りを始めます。 今まで知らなかった夫の別の顔と生活が、その仕事をなぞることで見えてくる。 貧しい居酒屋から高級な会員制クラブ、ホテルなど、仕事上の関係だけでなく、そこには夫の遊びと交流があり、慈善を施し、愛人がいた。 どこへ行ってもアントニアは歓迎を受けることで、夫が人々に慕われていたことを知るのだが、しかし自分にだけは不貞をはたらいていた。 ルイージは窓の隙間から妻の行動を盗み見る。 邸から外へ出ず(彼が出さなかった)ヒステリックで不感症だった(彼が思っていた)妻が自由で強い女へと変貌してゆき、男と関係を持つのを見せつけられる。 身を隠している間に、妻が彼の商売を取って代わり、自分の存在が消されてゆくことの焦燥と困惑、妻への嫉妬。 事件の犯人が捕まって隠れている必要がなくなったあとでもルイージは妻の前に姿を現すのを恐れます。 1970年代にイタリア映画のエロティックな女優として人気を博したラウラ・アントネッリさんと名優マルチェロ・マストロヤンニ共演作。 ヨーロッパ映画らしさのある暗い風景と、美しく哀愁と官能的な音楽。アニー・ベルさんとオルガ・カルラトスさんなど女優陣もセクシーでよろしいです。最後までダレることなく、予想以上に面白い物語でした。 監督は「黄金の七人」シリーズのマルコ・ヴィカリオ。
2015年07月08日
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「わが谷は緑なりき」(1941) HOW GREEN WAS MY VALLEY監督 ジョン・フォード製作 ダリル・F・ザナック原作 リチャード・リュウエリン脚本 フィリップ・ダン撮影 アーサー・C・ミラー作曲 アルフレッド・ニューマン出演 ウォルター・ピジョン、モーリン・オハラ、ドナルド・クリスプ ロディ・マクドウォール、アンナ・リー 本編118分 モノクロ スタンダードサイズ ジョン・フォード監督の西部劇は、先日来の「アパッチ砦」(48)「黄色いリボン」(49)やもう少し古い「駅馬車」(39)「荒野の決闘」(46)などは何度も見ているのですが、西部劇ではない、文芸ものの「怒りの葡萄」(40)「わが谷は緑なりき」(41)「静かなる男」(52)はずいぶん前にテレビ(NHK教育だったか?)で一度見たきりです。 そういえばDVDを持っていたはず、と思い立ったがなんとやらで、「わが谷は緑なりき」を見ることにしました。数年前に買った安いDVDで、「静かなる男」との2枚組(宝島社、500円税込)です。「静かなる男」とのカップリングは最適の組合わせではないか。この宝島社の2枚組DVDは最近は書店で見かけることがなくなりました。著作権切れDVDの格安販売ブームは終わったようです。 19世紀末の南ウェールズにある炭鉱町を舞台に、ある炭鉱夫の家族を描いた作品。 父も4人の兄もみな炭鉱で働いているモーガン家。その末っ子ヒュー(ロディ・マクドウォール)の回想として彼の視点から描いた家族劇です。 炭鉱の経営者から一方的に人員削減と賃下げを言い渡された鉱夫たちは組合を結成して対抗しようとする。モーガン家の息子達も組合運動に参加するが、昔堅気の父親が反対する。 父親と意見が衝突した息子たちは家を出て行ってしまい、ヒューと姉アンハードだけが父母と残される。 アンハードは牧師グリフィド(ウォルター・ピジョン)に秘かに恋しているが、禁欲的な彼とは結ばれることなく炭鉱主の息子との不本意な結婚を承諾し、南米へ渡ってゆく。 労働争議のある夜、極寒の川に落ちた母を救けようとして凍傷から脚が不自由になったヒューを牧師グリフィドは親身に励まし、以来、ヒューとグリフィドとは師弟的な固い絆で結ばれ、彼の奨めでヒューは病床で文学の世界に目覚めてゆく。 やがて長兄が炭鉱で事故死。学校を優秀な成績で卒業したヒューは進学せずに炭鉱で働く決心をする。 姉アンハードが実家に戻った時、グリフィドとの心ない噂が立つが、牧師は悪意と好奇の目で見る人たちの卑しく汚い心を偽善者だと責め、教会を去っていく。その同じ日、炭鉱で落盤事故が起きて父親が死んでしまう。 ヒューにとっては不幸なことばかりの少年時代だが、成長した彼には暖かい家族と過ごした月日は懐かしく尊いものとして記憶される。 家族は時には衝突してしまうこともあるけれど、心の中では互いに思いやって慈しむ。家族に慕われて威厳がある父親。労働争議のなかで亭主を裏切り者扱いする炭坑夫に敢然とくってかかる母親。切ない恋愛に苦しむ優しく美しい姉アンハード。 いくつかのエピソードで語られるモーガン家の歴史が、つらく哀しい話のなかに笑いやユーモア、優しさを織り交ぜて語られる。 そして初めは病弱でおずおずとしていた少年ヒューが、しだいに父や兄のようにたくましく成長してゆく。 1941年(昭和16年)のアメリカ映画。日本公開は戦後の1950年(昭和25年)。 白黒の作品ならではの美しい画面で、これが総天然色だったら興ざめかもしれない。モノクロ映画の美しさを感じます。 信頼と尊敬で結ばれる家族愛と人間愛。ただきれい事だけを描いた映画ではなく、汚く醜い人たちもいる。こういうのを見ると、人間はいいなとも思うし、人間って嫌だなとも思う。 少年ヒューを演じるのは子役時代のロディ・マクドウォール(「猿の惑星」でチンパンジーのコーネリアス博士を演じた人)。 姉アンハードはジョン・フォード監督のお気に入りのモーリン・オハラさんが好演。
2015年01月29日
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