おじん0523のヒロ散歩

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2023.05.19
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カテゴリ: ヒロ散歩
この日の予定を終え、大手門跡からJR小田原駅へ向かう。

3月30日(木) 15:20
国道1号の小田原市民会館前交差点。
ここを右折すると東京方面へ、直進するとJR小田原駅。


中央労働金庫 小田原支店
所在地:神奈川県小田原市本町2丁目1-23
もともとは明和銀行の本店として昭和3年に建設されたものだそうですが、大正末期築との情報
もあります。建物はその後、横浜銀行から神奈川県労働金庫へとわたり、平成13年の労金統合
により現名称に至っていますと。


だるま料理店 本店
所在地:神奈川県小田原市本町2丁目1-30

ある日本料理店で寿司、天ぷら、定食を楽しめる。


社寺を思わせる唐破風入母屋造りの建物は、国の有形登録文化財にも指定されている。


店先の看板をズームアップ。


元網元である金沢出身の初代達磨(たつま)仁三郎が創業し、相模湾で水揚げされる魚介を中心
に使った、天ぷらや寿司などの料理が評判を呼び、今日に至りますと。
人気の店で店頭には椅子に座って待つ人が列を。


国登録有形文化財 だるま料理店
店先には店内のいろんな写真が掲示されていた。


小田原市街の中心、本町2丁目 (旧大手町) で料理屋を営むだるま料理店は、明治26年創業の老
舗である。
関東大震災で店舗を損壊し、現在の建物は大正15年に、二代目廣澤吉蔵により再建された。
網元であった吉蔵は、店舗の建設に情熱とブリの大漁による贅沢な資金を注ぎ、材料に桧、松、

屋根の正面に千鳥破風を二つ連ねて比翼入母屋造りの形に凝らした外観と、一階店舗入口の向
唐破風造りのポーチに特徴がある。そのファサードは、老舗の雰囲気を伝え、多くの市民に親
しまれている。
二階の客座敷は、数寄屋風の書院造りが基調で、床・棚・付書院などの座敷飾や、建具・欄間
などの造作に様々な趣向を凝らしたきめの細かい仕事が施されている。また、東側の玄関ホー

られる。    
以上のように、だるま料理店の主屋はその建設年代や意匠からみて、小田原市街の町並を代表
する建造物のひとつということができる。このため、登録有形文化財登録基準(平成8年文部省
告示第152号)の「一、国土の歴史的景観に寄与しているもの」と「二、造型の規範となってい
るもの」に該当するものと考えられる。なお、その価値は、小田原市で行った「ふるさと小田
原の建築百景」において認められている。
      小田原市文化財保護委員  鈴木 恒


一階店舗入口の瓦。


国道255号を進み、左側に栄町一丁目交差点の手前にある小林病院。


小林歛企先生之碑
小林歛企先生は明治十八年山梨県に生れ夙に医を志し若冠二十歳にして東京済生学舎を卒業し
医師の免許状を得更に実地を研修して明治四十二年小田原に外科医院を開業し大正十年これを
小林病院に改組し医は仁術を標榜して専ら治療に精魂を傾け益々大衆の信頼を高め今日の大を
なすに到る又昭和三年以来県会議員に当選すること三回その在職年数は十五年の永きに渉りそ
の間町会議員所得税調査員に選出せらる一方昭和十三年私立相洋中高等学校を創立して自ら理
事長兼校長となり数千の卒業生を輩出し傍ら小田原准看護婦学校をも開設す昭和二十七年第一
信用組合を創りその理事長となり何れも発展の途上に在りしが昭和三十年三月六日急逝せらる
享年七十洵に惜むべし 斯の如く先生は杏林に名声を博したるのみならず地方行政に経済に将
亦育英方面に尽されたる功績眞に偉大なるものあり仍って茲に知友門下生等相諮りその遺徳を
後世に伝えんために璋徳碑を建立する
           衆議院議員小金義照撰書  


小林病院前から振り返る。


栄町一丁目交差点から西方向へ向かう道路脇に「幸田口通り」の碑が立つ。


幸田口通り沿いに「下幸田」の地名石碑が立っていた。


地名の由来は、小田原北条氏時代、北条氏の家臣幸田氏がこの地に居住していたから
といわれている。この地は、小田原城内に入る門の一つ、幸田門近くにあり、隣の上
幸田とともにこの門を守る侍町にふさわしいたたずまいであった。


栄町一丁目交差点から小田原駅方面へ進み錦通り入口交差点。
この交差点の左から南が「お堀端通り」になる。


小田原駅東口のロータリースペースは以前と同じだが、上部にペデストリアンデッキが新設さ
れている。バス停は、箱根方面への拠点になっており外国人観光客が多い。


東南アジア?からの若い子のグループが歩いていたが・・・。


小田原駅東口から北方向に向かう東通りは一方通行になっている。
横断幕には「おいしいもの横丁」と。


東通りに「新蔵 (しんくら)」の地名石碑が立っていた。


稲葉氏時代、小田原城主稲葉氏がこの地に新たに蔵屋敷を建てた。そこで、以前から
あった小田原城三の丸弁財天曲輪の蔵を「本 (元) 蔵」と呼び、こちらを「新蔵」と
呼ぶようになった。なお、この地を「新蔵屋敷」ともいい、幕末には八棟の蔵が並ん
でいた。


両側には居酒屋が並んでいたがまだ時間帯が早いので人通りはまばら。


美味しそうなメニューが。


東通りから小田原駅東口を見る。


東通りを振り返る。


東通りからエスカレーターで2階のペデストリアンデッキへ上がる。
南西方向のビルの合間に小田原城の天守閣が見えていた。


天守閣をズームアップ。


ペデストリアンデッキからミナカ小田原のテラス席がある「金次郎広場」へ。


金次郎広場の両側にはスイーツの店が並んでいる。
ソフトクリーム、シュークリーム専門店、パン焼き処等が並ぶ。


ミナカ小田原 小田原新城下町
1F、2F、3Fにいろんな店が入っている。
14Fには「展望足湯庭園(10:00~18:00)」があり、3Fから直通エレベーターが運行されている。


10Fから13Fは「天成園 小田原駅別館客室」になっている。


ミナカ小田原金次郎広場からペデストリアンデッキへ向かう。


小田原駅東口ロータリーを見下ろす。


15:45
ペデストリアンデッキへ戻る。


北條早雲公像がる西口へ向かい新幹線改札口。


小田原駅西口に立っている「北條早雲公像」。
この像は高さ5.7m重さ7tの日本最大級の銅像で、北条早雲の「火牛(かぎゅう)の計」をモチ
ーフにしていると。
この日はこの早雲公像を見て帰路につく。


小田急線、箱根登山線の改札口。


土産物店では「湘南ゴールド (今が旬) 1袋 600円」を販売していた。


16:04発、特別快速湘南新宿ライン経由高崎行きに乗車。
駅のホームでビールとつまみを購入。久しぶりに飲み鉄で一路茅ヶ崎へ。


相模川の鉄橋を渡る。


16:22
思えばこの電車で東京へ片道約1時間をかけて40年間通ったのだ。


16:25
茅ヶ崎駅へ到着、Suicaで下車。


茅ヶ崎駅北口のペデストリアンデッキ。


16:30
ペデストリアンデッキの最北部から国道1号を見る。


モスバーガー ¥440
私にとってこの食べ物は食べずらいので人生何回食べたか。


この日は約16,000歩歩き、疲れたのでのどを潤しにいつもの居酒屋に立ち寄る。
常温でお酒を2本(大)、刺し身、焼き鳥を食べ帰路に。


小腹が空いていたのでイオンに立ち寄り、銀だこでたこ焼きを食べる。


次回は5月3日(水)に「第59回小田原北條五代祭り」が3年ぶりに開催されるので訪れることに。

                                       END





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最終更新日  2023.05.19 03:00:07
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