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気がつけば8月も終わり・・・暑かった夏はどこかにいってしまった。この夏はあまり出掛けられなかった。実家の病気の父のこともあるが夫がお盆休み以外にまとまった休みがなかった。それでもこの夏は私や子どもにとっては特別なものであった。週に3回から4回はこどもをつれて実家に行った。父は孫と将棋がしたいがためにベッドから起き上がる。頭を使う。指先を使う。孫とふれあう。このことが父を元気にさせた。暑い暑い夏なのに父はとても元気になった。これまでの私は実家にはあまり顔をだしていなかった。父が月に1回くらい我が家にお米や野菜などを届けてくれていた。本当に親不孝な娘であった。3年間、夫の海外赴任で日本にいなかった。下の子は1歳になる少し前だった。その後、3年間一度も帰国していなかった。3年経って、帰ってきても下の子には爺婆との関係がピンときていなかったようだ。今年の夏は次男と父が将棋で新しい関係を築いた。次男は将棋が好きなようだ。家では私も夫も将棋をしない。長男とはすぐにけんかになり、将棋にならなかった。次男の我が儘で中断することもしばしば・・・しかし、次男もさすがに病気の父にはそういう態度をとらなかった。「爺ちゃん、つよい!」悔しそうに言う。少し父を尊敬したらしい。父の唯一の楽しみになっている。将棋を通してこんなに2人の距離が近くなり私も嬉しく思う。そもそも私と親の距離があったのがいけなかった。その姿がまさに次男に影響していた。物忘れが激しくなった父ではあるが、孫のことは最後まで憶えていてくれるだろう。最近、母の話では体力がなくなったという。私たちが来るとやっとの思いで立っているようだ。それが父の楽しみだ。それ以上の楽しみはないと思う。思えば1年前にこんなことになるとは思ってもみなかった。1年前、父は生活の大部分である自分の車がこわれ、新しい車を手に入れるために76歳でシルバーセンターに登録した。仕事を探した。山の草刈りなど、けっこう重労働をこなしていたらしい。車がない = 山仕事ができない 父にとっては考えられない生活だ。必死だったんだなぁ・・・あの仕事が父の病気を悪化させてしまったのかと思う。病院とは無縁の生活の父がまさか肺ガンになっているとは知る由もなかった。きっと前兆があったはず・・・周りの言葉には耳をかさない頑固な父だった。きっと身体の変調に何かあると思いながらお酒で気を紛らしていたんだろう。恐がりの父・・・気が小さい。1年前、私は希望なく過ごしていた。はたから見れば何の悩みもない奥さんにみえていたと思う。あまり考えることをしないようにテニスに没頭していたのかもしれない。その時には楽しい気持ちしかない。でもそれ以外の時には何とも言われようのない不安が私を包んでいた。テレビをみればイヤなニュース。通り魔のような犯行や家庭内の殺人事件・・・未来の自分に明るい姿を想像することができなかった。こんな世の中に子どもを産んで良かったのか?!そう思うこともあった。寿命をまっとうしてただ生きていくだけ・・・?!今思うと情けないことだと思う。そんな私に何かみえない力がうったえはじめてきた。少しずつ・・・これでもか・・・これでもわからないか?!まだ、気がつかないのか?長男の突然の病気。そこから、もう目を背けることができなくなった。ただ日々を過ごしていた私だった。ただ日々をすごせることが、どれだけ素晴らしいことだったのか・・・そのことに気がつくのに40年もかかった。世の中に偶然の出来事はないという。課題をもって生まれてきている。ストーリーはできている。その中でどれだけ愛を注げるか・・・今、そんな気持ちでいる。1年後にこんなに前向きになっている自分がいるとは思わなかった。そうなることで自分が過ごしやすくなるとは思う。しかし、くすぶっていた時が無駄だったとは思わない。人生は楽しまなくてはならない。いろんな経験をすることで自分の魂は喜ぶ。悲しみだって、そのひとつ。嬉しいことばかりではいけない。何事も経験・・・父には楽しい気持ちを忘れないでほしい。そして何の悔いなく最後の時をむかえてほしい。良い人生だったと言ってくれると思う。あの性格だから・・・私の側にこんなに前向きな人がいたのに私は気がつかなかった。都合の良い解釈をする父を鼻でわらっていた。だから私は心から笑うことができなかった。父の命をもって私に教えてくれている。ありがとう。今の私にとってのメッセンジャーは父そのもの。ありがとう。感謝します。
2008年08月26日
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ちょっとしたはずみで家を建てることになった我が家。賃貸派の夫に何がおこった?!坪単価がもっとも安いであろうと囁かれている某ハウスメーカーで建てている。「そんなんで大丈夫なの?」ええ~ええ~お宅は坪単価60万でしたっけ?夫の同僚は心配してくれる。一応構造的には大丈夫なんじゃなかろ~か・・・あまりマイホームに夢があったわけでもないので、チャチャッと決めてしまった。吹き抜け?開放感あるよね~うちは部屋がほしいのでいいです~ベランダ?何のために?ああ~見た目にいいってこと?いりません~外壁はこれでお願いします~え?!それだと追加で何十万?す、すみません。どれだとオプションかからないんですか~?そんな感じですすめてきた家なのでおしゃれからはほど遠い。もっと夢があってもいいはず・・・・はやく引っ越したい我が家には家作りを楽しむ予算も時間もなかった。4月の始めに血迷ってしまい9月の終わりには引き渡しとなっている。今も毎日大工さんががんばってくれている。この暑い中、クーラーもきいていない建物で壁をはったり床をはったり・・・前から気になっていた大工さん。職人さんなので寡黙である。毎日のように顔をだしているうちに段々うち解けてくれて会話も弾むようになった。私よりも若いかも・・・棟梁にしては若い?!いや、童顔なだけかも・・・「Aさんって、私よりもお若いかもしれませんね~?」「いやぁ・・・私の方が上だと思うけど・・・」完璧、探り合い。夫は自分たちと同じ世代かもしれないと言っていたが・・・こればかりは聞いてみないとわからない。「でも・・・お子さん、小さいから若いでしょう?」とAさん。「あ~、私は同年代の人と比べれば子どもは小さい方ですよ。」Aさん、どういう反応を示して良いのやらという感じ。そもそも私の年齢などどうでもいい話だろうけど。「何年生まれですか?」ズバリ、聞くな~、Aさん!!一応、私、女性ですが・・・?!「○○年生まれです。」とはっきり答えた私。はじらうのも面倒くさい。「え?おんなじだ~!!」やっぱりか・・・親近感をもったのかそれからは何でも話してくれるようになった。やっぱり大工さんとのコミュニケーションは大事だよなぁ・・・話しをしているときに一度、ハウスメーカーの公務課の人がやってきた。「あんまり大工さんを脅さないでくださいね~!」失敬な!!私が脅すのはあなたくらいですよ!まったくうちは舐められているのか?!そう思うときが多々ある。確かにうちはお金がないからね~たいしたお客ではないかもしれないが・・・ま、営業にしても公務課の人にしても気楽な感じではあるけど。とにかく最近、忙しそうにしているので大丈夫か~?!そう思うことがある。こんなにバタバタたてて、あとでクレームの山だったりしてね・・・そもそもうちは今のアパートから早急に引っ越すことが目的だった。そのためには今りも広い一軒家の貸し家希望だった。これがいざ借りようとすると・・・家族から何が気に入らないとクレームがはいる。そもそも一目で気に入るなら誰も貸してはくれないって。昭和の匂いがプンプンする家でもいいかなって思っていたのだが、それでも子どもの転校なしですませられる物件には巡り逢えなかった。中古住宅購入も決まりかけたこともあった。だけど、突然その話しが消えてしまった。3カ月、必死で探したが気に入った物件なし。中古住宅だってそんなに安くはない。10年も住まないうちにきっとリフォームはいるだろう・・・そうなると、もしかしたら安い建て売り住宅のほうがお得かも?!ってとこから、結局現在に至ったわけである。うーん。今も不思議な感じである。夫の賃貸志向はどこにいってしまったのか・・・?!結婚してから10数年、ずっと念仏を唱えるように言っていたのに・・・公務課のYさん。「Aさんは9月5日でhossyさんとこのお仕事はおわりますので・・・」「えっ!そんなに早いんですか?」と私。「あのぉ~、大工さんをそんなにひきとめないでください。Aさんも忙しいので・・・」「Aさん、寂しいですね~!そんなに早いお別れなんですかぁ?」「はぁ・・・」Aさん、もう次の仕事に心がいってるな?!まぁ、いいんだけど。Aさんはこのハウスメーカーさんに登録している。もしかしたら他とも契約しているのかもしれない。とにかくここ数週間、ひとりでコツコツ仕事をしてくださった。日によっては瓦職人さんも来ていたりして賑やかな日もあったがひとりの日も多かった。このくそ暑い夏に本当によくやってくれた。「エアコンがついていたらいいですね~。」「夏の暑い日は別料金だったらいいですねぇ。あ、私は払えませんけど・・・」なんてたわいもない私の話をニコニコしながら(半分聞き流し)汗まみれでがんばってくれた。私の父が大工であったこともあってAさんの姿を父と重ねて見ていることが多かった。父もこうやって仕事をしてたんだろうなぁ・・・そう思うと、何かを差し入れしてあげたくなる。Aさんの仕事を監視しているわけではないが1日でもその仕事をみていたい。それをやると苦情がでそうなので1日1回の顔出しにとどめているが・・・本当に感謝である。どうか落ちないでくださいよ。そう祈っている。「明日は健康診断で私、お休みいただきます。」とAさん。「どうぞどうぞ・・・よ~く、診てもらってきてくださいね。」と私。「うちの仕事が終わるまでは元気でいてくださいね!」「え~っ!」やっぱり、どうしても失礼発言がでてしまう。いやいや・・・ずっと元気でいてくださいよ。なんだか出来上がったら寂しい気持になるのでは?!最近、そんな気がしている。その過程が楽しいのかもしれない。そんなはずではなかったんだけどね・・・心のどこかでずっと自分の家といえるものが欲しかったのかもしれない。本当は大工であった父が元気なうちに建てればよかったのだろうが・・・皮肉なモノである。父が病に倒れてこうなるとは・・・いや、父がそうなったからこそ今があるのかもしれない。父も楽しみにしてくれている。Aさんのお父さんは早くに亡くなられていると言っていた。「今のうちに親孝行してあげてくださいよ。」そんな言葉をかけてくれた。本当だ。説得力あるわ・・・親がいるうちにしか出来ないものね。私への大切なメッセージはいろんなところからでてくる。そうします。ありがとう。
2008年08月14日
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姉の実家訪問は奇跡のようだった。あれが最後になっても私にはこれで思い残すことはない。そんな気持ちでいた。子どもの頃からの不満を心の中に抱いていた姉。歳を重ねる毎に不満がふくれあがり・・・大爆発!!自分でも収拾がつかなかったと思う。顔を見るのもいや!!親と思いたくもない!どんだけ、つらい目にあっちゃってたわけ・・・?!姉の立場で考えてみる。一応、歩み寄ってくれたわけだから・・・妹とは差別され、長女として厳しく育てられた。我慢を強いられ、自分の行きたい道は両親によってすべて却下された。結果的には、妹を跡取りにするために自分は家を追い出された。自分は本当の家族ではない。嫁ぎ先でも夫は実の母の味方である。子どもは思うように育ってくれない。反抗期である。妹はおそばせながら婿をとった。妹の子と私の子ではかわいがり方がちがう。。。やっぱり妹のほうがかわいいんだ。自分は他人の家で我慢している。なのに妹は、のほほんと自由気ままに暮らしている。何で、自分ばかりこんなつらい目にあわなくてはないらないのか!!そんな感じ?!いや・・・もっと深いのかもしれない。私が思っていた以上に姉の心は歪んでいたに違いない。こちら側の意見としては9歳も違えば、親も丸くなってからの次女の誕生。孫のような感じかもね。姉が親の反対をおしきって短大に進学したことで、お婿さん候補が(親が勝手に望んでいた)「自分より学歴があるといや・・・」それを理由に断る。それが本当の理由ではないと思うが、親はそれを鵜呑みにしてしまった。相手の親がうちなどと結婚することは問題外!と判断したのかもしれない。相手方にすれば何の魅力もない話しであろう。お馬鹿な妹のほうが跡取りとしてはふさわしい?!ある日突然私は跡取り娘となった。私だって迷惑なはなしであった。生まれてからずっと「お前はいつかお嫁にいくんだよ。」そう言われて育てられた。高校進学だって勝手に親と先生が結託してきめてしまった。普通科は進学する可能性が高いからと言って勝手に商業科に。私もそこで従ってしまったから、ここで文句を言ってもはじまらないけど。姉は私が中1の時に親の決めた家に嫁いだ。家の中ではずっと他人と思っていた姉。お嫁に行ってかわいがられていたようで、しばらくは居心地がよかったようだ。実家の親の不甲斐なさに肩身の狭いことはあったという。義父はかわいがってはくれたが、厳しい人で腹にもつことができず姉はそこでも我慢していたのだと思う。夫だけが頼り。最初は味方だったけど、義父がなくなってすっかり母親につくようになった。ちょうど、そんな時私がのほほんと海外暮らし。帰ってきたら親は小さい孫にメロメロ。「お~跡継ぎ、跡継ぎ。」自分に厳しかった父のその姿は昔の父とはまるで別人だ。なんで私ばっかり!!!で、ドッカーン!!初めての内孫だしね・・・そもそも外孫、全然なついてくれなかったから親もショックだったんだけど姉にはわかっていないと思う。70近くなってできた内孫にメロメロになっても仕方ないと思う。現在のその姿は全部自分が犠牲になったその上に成り立っている。なのに誰も私に感謝している人なんていない。こいつら、みんな自分勝手だ!!そういう気持ちだったんだろうなぁ・・・姉は我慢と孤独の中で壊れていった。そんな状態から実家に顔を出してくれた。あの時、私の気持ちも軽くなった。自分ではそれほど気にしてはいないつもりだったが・・・姉の訪問の出来事を聞いて、すっと気持ちが軽くなった。思っていた以上に私も気にしていたんだよなぁ・・・大げんかして絶交したのが6年前。母の入院がきっかけで私とのやりとりが復活したのが3年前。その後は会話にも気をつかう。もちろん、親の話はタブー。親の悪口になれば私もその一味となるわけだ。そんな状態が私にとって心地よいものではなかった。また姉を怒らせるのではないかと気をつかった。そして今年の3月に父が入院。それからプッツリ音信不通だった。1回の訪問でも奇跡だと思っていた。でも、その次の週も姉は自分の娘と30分だけ実家に行ってくれたらしい。「どうしても週末はバイトが休めない。実家には夕方に行く。」そうメールしたらご飯をもって行ってくれたらしい。「気持ちが悪い・・・」と母が言う。母はものすごく罵倒されていたからねぇ・・・その後、姉と電話で話す機会があった。「爺さん、手が痛いって言ってたからねぇ。」「婆さんは嫁にいかなくてもいい!なんて○○(姪っ子)に言うんだよねぇ。」などと普通に話していた。こんなに人は変われるのか?!別人。やっぱり憎む相手が弱ったその姿をみて憎しみも半減したんだろうか・・・憐れんだのかもしれない。どんなに私がその日を望んでいたか・・・今はありがたい気持ちでいっぱいである。もしかしたら姉の実家訪問はこれで途絶えるかもしれない。それはそれでいい。それによって姉の心が軽くなっていれば何よりも嬉しく思う。人を恨んではいけない。そんな状態では絶体に幸せはこないと思う。親を許すことによって、きっと姉の心は救われていくのだと信じている。最近の父は暑いながらも元気でいる。姉から・・・孫達から・・・父はエネルギーをもらっているのだと思う。嬉しいと思う気持ちが父を元気にさせてくれた。この夏は忘れられない夏になった。バラバラだった家族がひとつになろうとしている。失ってわかることもある。父の健康が犠牲だったが、それによって得たものは大きかった。父よ、ありがとう。病気に感謝。人生、捨てたもんじゃないね・・・そう思えるようになった自分になれたことも嬉しい。心の持ちようだね。ハタから見れば何もかわってはいないけど・・・幸せは自分の中にある。誰だって幸せになれる。そう思いたいものである。
2008年08月06日
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