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昨日は知り合いにカードリーデングをしてもらいに出掛けた。もともとは、そちら方面で活躍されていた人ではない。Rさんはペインターである。2年前に数ヶ月出入りしていた。楽しいお教室であった。ではあったが、なんでだったか忘れたが行けなくなった。私の気持ちの中で、そっちにいけなくなったのだと思う。当時はなんちゃってテニスにはまっていた。汗をかくのって気持ちいい~なのでRさんの家の敷居は高くなってしまった。途中でリタイヤ状態だったから。でも彼女はペインターでありながら、もともと不思議ちゃんだったらしいのだがある時をきっかけにドッカーンと開花しちゃったみたいだ。先週、なぜだか引き寄せられるように予約をいれてしまった。車で40分くらいの場所。10時半の予約で朝から気合いをいれた私。遅刻だけはすまい!!家の前に到着したのは10時20分。5分待ってチャイムをならした。「はーい。」懐かしいこえ。「こんにちは~。」ん?!なんだか・・・様子がおかしい?!目が点になってるぞ?「hossyさん!明日だよ、明日!」げっ!!まちがえた~~~あわわわわ・・・・「隣の部屋で待ってる?」「え・・・いいんですかぁ?」「いいよ・・・そのかわり。お昼までまってもらわなきゃならないけど・・・」「あ、だったら私、時間をつぶしてきます!すみません~。」はずかし~でもさすがに私のことをみぬいていた。「hossyさんだから、なんか、やらかしてくれると思ったけど~。」さすがです。はい。で午後からお邪魔したわけだが・・・「どうしたの・・・?なんか悩みあるの?」「うーん、悩みっていうか・・・ちょっと親のことなんかもあって・・・ 特に悩みと言うよりは何なのかなって気になって。」そう、割り切ったつもりでいる母との関係。カードをきって並べていく。そして・・・「おかあさんとはね・・・すごく深い絆よ。」「ほんとですかぁ・・・」「うん。hossyさんがいなかったら、おかあさん、とっくにこの世にいないわ。」キュンときた。私は何もしていない。でも私の存在だけで良かったってことなのか?「hossyさんはお父さんから慈愛を学んでおかあさんに実践することが今生のテーマだわね。」やっぱり・・・だいたい自分の思ったとおりだった。父のあの愛情深さはなんなのかと思っていた。なかなか気がつかなかった私に父は身をもって教えてくれたのだろう・・・そうならないと私にはわからなかった。それだけに気がついたときの自分の愚かさに嫌気がさした。ずっと母からの言葉で父を悪者だとおもいこんでいた。でも母も悪気があったわけではない。「おかあさんは、いろんなことでおびえてるね。」「そう。。。いつも何か心配してます。」「おびえはね、愛情でしかうめられないの。」そうか・・・母もまた、子どもの頃から寂しさを感じていた人なのだ。それがふさがらないまま、大きくなってしまったんだな・・・「時代を考えればしかたないかもしれないけどね。」今の父の状態は母にとっても気づきのチャンスなのだ。「父は肺ガンでいつ亡くなっても不思議ではないんです。私はつらくなる前に眠るように逝ってほしいと願っているんです。」「あ~ おかあさんが気になっていて逝けないのねぇ・・・」やっぱりか・・・口では気にしていないと言っていたのに・・・どこまで優しいんだ父は・・・私が母を悪く言っているうちは父は安心して逝けないんだ・・・母に愛をそそぐことで、父を楽にさせてあげれる。そのために父は病気になったのか。ありがとう・・・そして、もうひとつ確認したいことがあった。「あのですね・・・私、最近、どうしてもきになることがあるんです。」なになに?!と身を乗り出すRさん。「自分がどうしてありえないような幼少時代をすごしたかってことです。もしかして、私、そんな子ども達をどうにかしなきゃいけないような気がするんです。」「そうよ。あなたも私と同じよ。確かに こども って出てるわ。そうね。子ども相手に何かをすることだわね。。。」気のせいじゃなかった・・・ずっとテレビで貧しい子ども達なんかをみるのがつらかった。つらすぎてチャンネルをあわせられなかった。そして今、孤独を感じている子ども達を放っておけない気持ちになった。まさに私が歩いてきた道なのだ。何故、私が・・・そう思い続けていた。その体験、意味があったのだと改めて思った。「hossyさんは初めて会ったときから同じ仲間だと思っていたわ。」「すみません・・・途中でカリキュラム、すっぽかして敷居高い感じでしたけど・・・」「あ~ いいのよいいのよ。そんなの・・・」「でも、どうしてもここに来たかったんです。なぜだか・・・」きっと、ここに答えがあると自分でわかっていたのだと思う。そのあともRさんはこの先の私の身の振り方なんかを真剣に考えてくれた。「あのね、その近道はね・・・hossyさんが自分のおこさんに関わればでてくるわね。」うーむ。うちの天然ぼうずにか・・・・まあ、自分の子に関われないのに人の子に関われるわけではない。まずは我が家の親子関係から見直しだな。世の中に意味なきことはなし!本当にそう思った。母にも今までとは少しちがった態度で接することができるかも・・・そんな気がする。日を間違えたにもかかわらず快く対応してくださった。ありがたや~「間違えたことにも何か意味があるのかもね・・・」ん?!なんか、気になるお言葉。でも、行ってよかった~
2008年11月27日
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父が入院して徘徊して強制退院となって私の中で何かが変わった。少し前まで父との思い出に涙し、父の生い立ち、そして現在の生活を思いつらい人生だったなぁと思っていた。父が必要としているのはあの母であった。母にも慣れない介護(というほどやってはいないが)で精神的にもつらいかと思って手をさしのべた。いや、私が父をかわいく思うので家にちょくちょく顔をだしていた。あの母にまかせておいては父は悲惨な状態になる。ずっとそう思っていた。でも・・・父は別に快適な生活なんか望んではいなかったのだ。母がそばにいること・・・なーんだ。勝手に私が妄想していたとしか思えない。実家にも足が向かない。退院したときに食料も買ってきたようだし、しばらくはいいだろ・・・お?!火曜日だ!!昨日、朝に知り合いにメールした。「遊びにこない?」と。もともとは学校の役員をいっしょにしていた人。Iちゃん。Iちゃんは中1と小5の男の子2人をもつ。人当たりがよく、いつもあたえられた仕事に文句言わず働く人だった。家族でスポーツをしている姿をよくみかけた。そんな彼女は同居のお義母さんの病気で、遊びに行くのもままならない。日中、ひとりでおいてはおけないようだった。スーパーなんかでバッタリ会って立ち話を何度もした。その度に、この人はよくやってる・・・・どうしてこんな人がいるんだろうと思った。この人といつか、ゆっくり話したいって思った。父が入院した日。ばったりスーパーであった。父の病気のこと、私と姉の微妙だった関係なんかを話したことがあった。いつも聞いてくれる彼女には癒される。前に1回誘ったときには、たまたま行事があってだめだった。そのあと、父の具合が段々悪くなっていって連絡することができなかった。父の状態が良くなっているわけではないが誘ってみた。快い返事がすぐに返ってきた。「お義母さんをお風呂に置いて、その足でむかうね。2時間くらいなら大丈夫です。」あいかわらず、忙しい・・・・気を遣ってIちゃんはいただいた野菜だといってもってきた。そのほかにお菓子もたくさん。観葉植物はリボンをかけてあったので買ってきてくれたのだと嬉しかった。軽い気持ちできてほしかったのに・・・「私、お嫁に来てから人のおうちに呼ばれたこともなくて嬉しくてね。」ほんと、ありがとう。2時間、延々と話してわかったのだが・・・恐ろしいくらい共通点があった。私の母とIちゃんのお義母さんの性格、やることなすこと同じなのである。こんなとこまで?!というくらい同じ。「同じ人じゃないよねぇ?!」傍若無人で、自分の言うことには責任をもたない。でも人に言われたことには腹をたて、嫌いと思ったら口もきかない。自己中心的なところ。もうキリがない。「おんなじだ~。」初めてだ。こんなことで話しが合う人。大きな違いは・・・その人が義理の母であって、私にとっては実の母。「Iちゃんは縁を切ろうと思えば切れるんだよね?!私はだめ、もう血のつながりがあるもの。」「そーなんだけど、私に甲斐性がないからね・・・いるしかないんだよ。」いやいや・・・Iちゃんには、ものすごく大きな愛があるのを感じる。私は母のことをずっと受け入れたと思っていた。というか、これは仕方ないことだと思いこんでいた。そして、そんな母に人生をメチャクチャにされてきた父のことを不憫に思った。子どもの頃は母から父の悪口をさんざん聞かされ、父が悪いのかと思春期の頃は父が憎かった。でも大人になって、どっちもどっち?!もうかかわらない・・・そんな時間が長く過ぎた。この1年、かかわらないわけにはいかなくなった。私は母が小さな私を置き去りにしたことを恨んでいたのかもしれない。働くしかないと母は判断した。でも、それは小さな私には耐え難い孤独だった。母の前で、寂しさをみせてはいけない。「明日から働きにいく・・・」そう言った母の前で私は「うん。」5歳の子がぐっとこらえて返事をした。涙をみせてはいけないのを自分でもかんじた。感情を押し殺した。昨日までいっしょに過ごした母が明日からは家にいないという。子どもにとっては寂しい瞬間だった。そして私はひとりで過ごすようになった。そこからすでに、私の中で何かがおこっていたのだろう。時々、ポツポツ人には話していたが、Iちゃんにはすべてを話せた。Iちゃんもこれまで、こんなに赤裸々に話せたことはないと言ってくれた。とにかくうちの母とIちゃんの義母は似ている。「同じ病名がつきそうだね。」本当に・・・Iちゃんのお義母さんは躁鬱病の薬をのんでいるとか・・・うちも、そんな感じがする。生まれてからずっと、そんな感じだと思う。おそろしくネガティブで思いこみのはげしさ、人の話を受け入れない。話してもわからない。この人は病気病気・・・・Iちゃんはいつもそう言って自分をおさえていたらしい。私は昔なら罵声だな・・・実の親となるとかっとなる。もう、そんな時期はおわった。共通点としては子ども達のタイプまで同じ。病気をもっていることまでかぶる。もう他人とは思えない。多分、前も(前世も)一緒なんだろうね・・・そういう結果にいきついた。Iちゃんが帰って夜になってふと思った。何かがちがう。。。胸の中の穴がふさがっている・・・?!そんな気がした。感情が全面にでない。とても穏やかな感じ。Iちゃんに嬉しくてメールした。嬉しかったこと。今のすっきり感。これからのことなんかを書き連ねた。長いよな・・・自分でも感じるくらいのメール。しばらくしてIちゃんの返事。げっ!!私以上に長いやン。まったく同感だとかかれてあった。なんか、やっていけそう。少し前は投げやりになったのかと自分でも不安になったが・・・いやいや・・・父の入院、父の徘徊、Iちゃんとの時間どれが欠けていてもだめだった。母のことで苛立ちがあったが、父には深い愛があって母のことを憎んではいないことがわかった。父がいいなら、私がどうこう思う必要もない。本当に母を許せたのかもしれない。すべて自分がつくりだしていたまぼろしのようなものだったのかもしれない。自分の中で整理がついた。これでいいんだ・・・今日は朝から気分がいい。本当にみえない力に生かされている気がしてならない。さて、今日はスピ系のお知り合いに会う予定。なんと言われるか、ちょっと楽しみ。では行ってきます~
2008年11月26日
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バイト先の喫茶に遊びにくる青年がいる。N君としよう。26歳。独身。人なつっこい。「hossyさ~ん、誰か紹介してくださいよ~。」数年前に彼女と別れてそれ以来彼女が出来ないらしい。見た目は高校生でも通じる。イケメンにはほど遠いが悪くはない。ただ、あまり物事を考えずに話すので時々私の顔が険しくなる。「どんな人が好きなの?」「おれ?!おれ、好みないっすよ。」ほんとかい・・・だったら彼女なんかすぐにできるだろうが・・・「じゃ、私はどう?」「あ・・・hossyさんは人妻じゃないですか~。」「人妻じゃなかったら、いいの~?」きみきみ・・・お顔、ひきつってますぜ~「hossyさんと、おれ、いくつちがうんですかねぇ?」そんなことを聞くのが何とも失礼。「親子とまではいかないよ。まあ、がんばって中学生の頃に生んでおけば可能か・・・」ありえない話しでもないのかもね・・・「友達の友達とかいるっしょ?私に言わなくてもねぇ・・・主婦しか紹介できないよ。いい?」「いやぁ・・・それはちょっと。」青年をからかうのは楽しい。 ← 悪魔そんな感じで1年過ぎた。あいかわらず、友達の結婚式で2次会を仕切っていたりするものの出会いはないらしい。紹介者、いないわけではない。26歳独身、助産師の私の姪っ子。まだ彼氏というのがいた試しがない。最近、私の姉と義兄があせっている。べつにあせらなくてもいいやん~ってわたし的には思うのだが・・・「あんたでも、その歳には結婚してたでしょ?!」失敬な・・・私だって遅かったさ・・・姪っ子は休みの日は泥のように眠っているというはなし。どこにも出掛けない。数年前までは友達と海外旅行や国内旅行なんかを計画して楽しく過ごしていた。しかし、お友達は結婚してしまったらしい。あれ?!誰かとかぶるなぁ・・・そう言えばN君も友達が結婚して最近ますます暇こいてる。手近なところでいくか・・・「あのさ・・・いないこともないんだけど・・・どんなんでもいい?」と姉にもちかける。「ああ~、この際、免疫をつけるためにはどんなんでもいいよ。友達でもいいから~。」相当あせってますか?同級生になるんだよねぇ・・・前にも1回計画したんだけど、あの時は年下で姪っ子が抵抗あったのか数回のメールで終わった。N君は打たれ強い感じ。姪っ子は無精で無口で気がつかない子。ぼ~っとしている。「どんなんでもいいんだよね?!」N君に確認。「あ~、おれ、でかいのはちょっと嫌なんですが・・・」「な~に~?!うちの姪っこは仕事のストレスで、今はちょっとでかいけど!それが何だって?!痩せれば悪くないから、あなたがエアロビでも教えて痩せさせてよ!」顔はちっこいが最近二重あごになっているという姉の話。膝が痛いというくらい太ったらしい。(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!N君、エアロビのインストラクターもできるらしい。その姿でも見れば私ももっと尊敬できるかも・・・・ってことで、やつらの休みを聞いてあわせることにした。(≧∇≦)「3人で会いたい?」という私のメールを無視しやがったな。Nめ!!さっそくメールしたと報告があった。姪っ子はものぐさ、無精、メールの返事なんて忘れた頃にやってくる。その返事がきたという報告はない。 ← 普通しないだろううーん、楽しい。ワクワクするね。今となっては、こんなことが楽しくなってしまった。昔いたなぁ・・・お見合いおばさん。まさか自分がそうなるとはね・・・多分、N君、後悔することになるだろう。やりにく~って・・・頼んだ相手が悪かったね。楽しませていただくわっ
2008年11月25日
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父、熱がでて入院して今日で4日目。肺ガンの父。熱はそこが原因だろうと言われた。毎日、朝ご飯、昼ご飯、夕飯の時に顔を出していた私。バイトの日は朝と晩だけ。薬の管理を自分でできないので、それを飲ませたくて行っていた。「暖かくていいでしょ?」と私が聞くと「そうだなぁ・・・」しばらくすると「もうそろそろ退院やと思うが・・・」と父。でたっ!!とうとうきたか・・・木曜日の夕方に入院した。母は金曜、土曜の朝にだけ顔をだした。ったく・・・そして今日、朝に顔を出したときにもいなかった。それでも、来て病院内にいるのかなぁ・・・そういう気もした。「婆ちゃん、来た?」と父に聞く。「来てない・・・ような・・・」認知症の父の答えだからなんとも言えない。「ここはどこの寮かなぁ・・・」と父。「ここは病院よ!」「病気でもないのに、ここにおる資格がない・・・・」と父。立派な病気ですから!!!Σ( ̄□ ̄汗…)あ~、忘れるってすばらしい!「今日辺り退院だと思う・・・」「あら~、木曜日に検査するって言ってたよ。」「え~?!」なんでかなと首をかしげる父。脳に癌が転移してるかしらべるんだって・・・朝ご飯を食べ終わって薬をのませてバイトにむかった私。そしてバイト中に電話が入った。主治医からだった。「あ、お父さんのことですが・・・ご飯もよく食べられることだし、家にも帰りたそうなので退院されたらどうでしょう?」「・・・・」言葉が出ない私。実家は冬場は寒いし、雪も降る。出来れば暖かい病院で過ごさせたいと思っていた。食事も栄養を考えてあるし・・・・母だとそうはいかない。私が乗り気でないのが分かったようで医師はすかさず付け足した。「実はお父さん、何度も部屋からぬけだして徘徊されてるんです。」え?!そうなん?!「この前は1階にいたそうです。看護師が探したんですよ・・・そういうことが何度もあったらしいのです。」そうか・・・静かにしていると思っていた。私がなだめると、いつも納得したような顔をしていたのに・・・帰りたかったか・・・・「分かりました。申し訳ありませんでした。明日にでも退院させていただきます。」またいつ熱がでるかもしれない父を連れてかえるのか・・・夕方、バイトが終わって父の顔を見にいく。「おう!明日、退院らしい。」それはあっている・・・そのあと看護師さんが来られた。「聞かれましたか?退院のこと・・・」「はい。先生から、お電話いただきました。」「実はお父さん、家に帰りたかったようで夜中に外に出て行かれたんです。」うそっ!「私たちもあせって探して、みつからなくて捜索願いをだそうかと思ったくらいでした。」「すみません・・・」「でね、お父さん、バス停で座っておられたみたいです。」相当迷惑だったみたいだ。驚いたのは、そんなにしてまで帰りたかったのかということだ。私にはそこまで言わなかった。いつも聞き分けが良かった。でも本当は帰りたかったんだね・・・父が突然口を開いた。「婆はこの世にいないんだろう・・・?」「いるよっ!!家にいるよ、多分!」「婆がいなくなって、わしはここに預けられたんだろ・・・?」ちがうって~~っ!!Σ( ̄□ ̄汗…)今日一日、母がこなかっただけで母が死んでしまったと思い、ずっとどうしようかと思っていたらしい。否定すると安心したような顔をして言った。「よかった・・・生きてるのか・・・ これで安心して寝られる。」父はずっと心配していたらしい。母のこなかった一日、父には一週間くらいに思えたのかもしれない。ウトウト寝て、目が覚める度に一日が終わっているような気がしているのかも・・・時間がわからない。心細かったようだ。「あんなに怒りん坊の婆ちゃんがいいの?」「うん。」「あんなに寒いところに帰るの?」「おうおう・・・帰る。婆、おるんやろ?」私がどんなに父の心配をしていても、父には母の姿がみえないことが悲しいらしい。母はそれほど、あなたのことを思ってはいないよ・・・思っていても父には言えない。母は自分がかわいい人だ。このところ、母は物忘れもはげしくて前にも増して自分のことでいっぱいになっている。帰っても病院みたいな快適な暮らしはできないんだよ。。。私ではだめなのだ。そう思った瞬間、涙が頬を伝わった。なんなんだ・・・これって・・・私が父を想う気持ちは父にとってさほどでもないのか・・・もう2人で出来るだけがんばってもらおうと思った。私は無理なく私の生活をしようと思った。私が行くと母は私に甘える。それだけ愛されているんだもの。最後くらい、しっかり父の面倒をみてもらおうじゃないの。また父は私にメッセージをくれたのだろうか・・・お前はお前の道を行きなさい少し、冷静になれた。長年つれそった夫婦だもの。それでいいのかもしれない。私は一歩はなれてながめることにする。母よ・・・あなたがこの話を聞いて、どれだけ心を動かしてくれるか期待してしまう。でもいつも母には裏切られた。今度こそ、頼むよ。そう願わずにはいられない私だった。
2008年11月23日
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2日前、床ずれのできた父に防止用のマットを設置してもらった。「寝心地はどう~?」と聞くと「おう、いいよ。」と答える父。これで床ずれがひどくならなければ良いが・・・私はその日、買い物をしてきて父の好物ののり巻きを買ってきていた。「ご飯、食べた?」「いや、まだ・・・」認知症の父には聞いても無駄だ!Σ( ̄□ ̄汗…)「本当に食べてないんだよ。」と母。え?!もう3時ですよ・・・母はきっと、他人が家に来るってことで掃除して雪かきまでして・・・ご飯を父にあげてなかったのだろう・・・朝ご飯も遅かったらしいが。お客さんがきたので食べそびれたのか・・・父に食べさせていると、なんだか父の様子がおかしい。はしをもつ右手が小刻みに震えだした。「寒いならふとんに入ろうか?」布団にはいるが一向におさまる気配なし。これはおかしい・・・往診の先生に電話した。運悪く、その日は往診の休みの日。「診てはいただけないでしょうか?」「うちはお休みだしねぇ・・・検査とかできないので救急車よんでもらえないかな。」救急車・・・仕方ない。「せんせいは来てくれるのか?」と父。ガタガタ震えている。「お休みだから救急車だね。」父がそんなことを言うのはめずらしい。よほどつらかったのだと思う。初めて救急車を呼ぶ。息子が大型電器店で発作をおこして倒れたときには店の人がいつの間にか呼んでたもんな。「どうされました?」「えっと・・・77歳の私の父ですが、ご飯を食べたあとからガタガタ震えだしまして・・」とは言ったものの、今までの病気の経緯も言わなければならんか?どこから話せばいいやら・・・あせってはいないのだが、どう言うべきなのか悩んだ。「病気をもっていて○○病院にかかっていたのですが△△医院に往診をしてもらうように最近手続きしたんですけど・・・」「△△病院には連絡しましたか?」「はい・・・救急車を呼んでくださいってことでした。」なんとかむかってくれることになった。「もしかして雪・・・ありますか?」「はい。けっこう積もってます。」もしやタイヤ交換から?!(≧∇≦)電話を切って父の方をみると・・・あれ?!震え、おさまってる?少し良くなったようだ。やばい!いや、おさまるのはいいが・・・あとで何で呼んだの?!なんて責められたりしないか?うっわ~また大きく震えだした。その間、母に入院の準備をするように促した。母はおろおろするばかり。なんでか自分の着替えを用意している。「爺ちゃんのものを準備して!!」母は自分も寝泊まりするつもりでいたのだと思うが・・・前回の入院では帰りたがる父の見張り番だった。今回も入院となれば父は帰るというだろう。なんだか頭が痛い。でも、実家は寒すぎる。病人には過酷である。救急車、おっそ~本当にこういう時は時間が長く感じられる。サイレンの音がした!あれ、とまった・・・?!でも外にはきてない。どっかで道をきいているのかもしれない。きたきた!!「患者さんの意識はありますかっ!!」「あります。」「何か大きい病気はしてますか?」「えっと、肺ガンです。それと糖尿病です。」「ご飯は食べられましたかっ?」「あ~、食べおわると同時に具合がわるくなったんです。」「では低血糖ではありませんねぇ・・・」「熱は?」体温計のない家だと言えなかった・・・「計ってません・・・」「じゃ、いいですよ、計りますから。」37度代・・・熱があがっているようだった。悪寒か・・・・病院について先生から説明をうける。肺からくる熱だろうとのこと。「今後、どうされますか?」と先生。いつもの担当医師ではない。「このまま薬で熱を下げることが出来ます。でも、また上がって同じようなことがあるでしょう。その度に救急車で来ていただいてもかまいません。」うんうん・・・「でも、なんども入ったり出たり・・・そういうのが大変だと思うなら入院もありです。」うんうん・・・「でもこの方、熱が下がったら帰りそうな感じですねぇ・・」すでに点滴しはじめたら元気になってベッドから降りようとしている。まぁね・・・前の時もそうだった。そこにじっとしてくれないだろうな。悩むところ・・・「ここは暖かいなぁ・・・」と父。「そうだね。爺ちゃん、暖かくていいやろ?ちょっと入院しようか?熱が下がるまで。」「うん。。。しばらく泊まろうかなぁ・・・」え?!まじで?!よほど実家が寒くてつらかったのだろう。このところ、おしっこもあまり行かなくなって完全おむつだもんね。この際、介護疲れの母を解放してやらないと・・・「病院にお断りされるまでおいていただいてよろしいでしょうか?」先生、苦笑。「じゃ、そういうことでいいですか。」「おねがいします。」今日で2日目。ご飯もひとりで食べられる。暴れるわけでもない。なんともおとなしい。ただひとつ心配なのは認知症がすすむこと。歩かなくなれば、そうなる。でも、実家の寒い中で母も大変なのがわかる。私としては父に病院にいてもらう方が近くてたすかるのだが・・・これも身勝手だと思う。母の付き添いもいらない。「ひとりで寂しくない?」「そんなことはない。おまえたち、気をつけて帰れや・・・」まだ、私たちの心配をしてくれるのか?!そして母が帰ったあとで私に言った。「婆は寒いところでかわいそうだなぁ・・・」と。母は父のことで余裕もなかった。むしろ、今、喜んでいると思うが・・・「婆ちゃんは、自分ひとりだったら何とでもなるから気にしなくて良いよ。」と私。どことなく寂しそうな父。その点、母は自分の時間ができたとばかりに出掛けている。それもいいとする。母にはこれから、ひとりの生活をしてもらってひとりの寂しさや、父のありがたみを感じてもらいたいのだ。なんでも自分だけでやってきたと思ってもらいたくはない。「明日、婆、くるやろう・・・」と父。「来なくても、私が朝晩来るから・・・安心して。婆ちゃんも、来られない日もあるかもね。」「そうだな。。。そんなこともあるかもなぁ。」このところ、父の会話は本当にまともである。今度は脳の検査がある。転移していたとしても不思議ではない。まともなことを言う父。それって本人はつらくないか・・・分からなくなっている方が本人には幸せなのでは?!できるだけ父と話したいと思う。忘れていることも多いけど。母が孤独に耐えられるか・・・その様子で今後、父亡き後の生活が決まってくるであろう。どうなることやら・・・
2008年11月22日
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2日前、朝起きると外は真っ白。げっ!この辺りでこれだけあるってことは・・・山間部にある実家はそうとうだな・・・その日は福祉の方が来られる予定。プラス父のための床ずれ防止のマットを業者さんがもってくるということで2組のお客さんが来る予定だった。となると・・・母は朝から掃除しているだろう・・・見栄っ張りだからね~これではヘルパーさんを頼んだとしてもヘルパーさんが来る前の掃除をしそうだ。家に向かう途中、雪の量がだんだん多くなるのを感じる。やっぱ、秘境だわ・・・(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!途中で笑えないくらいになった。家の前にどう考えても車が停まれる感じではない。着いて家にも入らずせっせと雪かき。15センチくらいだから、その辺りではまだまだ序の口。前日にタイヤ交換をしてきてよかった・・・ちょうど約束していた福祉の方(女性)来られたので一緒に家に入る。「こんにちは~。」母の声がしない。見ると母がコタツからでてうずくまっている。「どうしたん?!」と私。「あし・・・あしがかたくなって痛い・・・」そして痛いと悲鳴に近い泣き方。おいおい~「おかあさん?大丈夫ですか?こむら返りですね?」ずっとうずくまっている。母は答えもせずに呻いていた。大げさな人だからね~お客さん来ているというのに、そっちのけ。こら~相当痛いらしい。はいはい・・・どれどれ・・・・どうかしているうちに今度は床ずれ防止用のマットをもってくる業者さんまで来た。男性だった。「すみません~、どうぞ、おはいりください~。」おじさんがマットをもって入った来た。「すみません・・・エアーを入れたのですがよろしいですか?」「ええ~、お願いします。ちょっと、こっちは手がはなせなくなってしまって・・・あちらに父がおりますので、よろしくお願いします。」父はひとりでは起き上がれない。雪が降って寒くなるので布団から出すのも大変。福祉の方(女性)が父の世話をしてくれていた。申し訳ない感じ。まったく母はタイミングが悪いっていうか・・・よくもまあ、同じ時間帯にぶつかったものだ。うずくまっている母の様子をみると、介護でかなり疲れている様子だ。おむつ替えだけでも慣れないので、母には大仕事。おまけに今日は朝から少し雪かきしたらしい。全然、そんな様子はなかったような気がした。多分、そのあとまた積もったのだろう。このままだと、この人、父の介護どころではない。じゃ、ヒーリングでもするか・・・母のふくらはぎにさわる。「いたーーーーい!!」ますます痛いのか?では、もう少し・・・痛がる。まずいのか?そのまま続ける。深い呼吸をしていて手を添えていたところ5分くらいしたころ・・・「あ~痛かった。」ケロッとして立ち上がる母。マジ?!まあ、放っておいても治った頃だろうと言われればそうなのだが・・・「いつもは夜になるんだけど、昼になったのは初めてだ・・・」慣れないことはしなさんなって・・・そのあと父の様子を見にいった母。「あらっ。お母さん、治ったの?」「うん、うちの子、なおせるのよ。」「へ~、娘さん、マッサージ上手なんですね~。」マッサージではないんですけどね(≧∇≦)全然、さすってもないから。痛いところに手を当てるのは誰でも反射的にする。それと同じだ。人は本能的にそうして治している。母の場合は私が手をおくと楽になるのを何度も体験している。だから今さら驚かない。最初は「なんで、そんなことができるんだ?」そう言っていたが今では、効果があるという気持ちが良くさせているのだと思う。快適なベッドになり、父は喜んでいた。手続き完了してお二人とも帰っていった。マットをもってきてくださったのは個人の業者さん。女性の方はもともとベッドを手配してくれた人。不要になった前のマットを、ちょうどその女性の方がもっていくことになった。本当は同じところで借りたかったのだが、今はないということでケアマネージャーさんが紹介してくれたのだ。男性の方は最初、福祉の方を家族だと思われたようで、サインをその方に求めていた。笑える~と笑えたのもそこまで。そのあと、まさかの出来事を知る由もなかった。それはまたあとで・・・
2008年11月22日
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最近はずっと父のことを綴っている。いつも私は介護でいっぱいというわけではない。ちょうど1年前にとあるヒーリングにはまった。私にも人を癒せるんだろうか・・・・?!ちょっと半信半疑で始まった。看病疲れの母に週に1回くらいのペースでやっている。うちの母はつねに具合の悪い人なので分かりやすい。尿もれがひどくて病院に通っていたがよくならなかったのが今では嘘のように良くなったという。疑い深い母だが、ひとたび信じるとこういう人は自分が治るという気持ちだけでも良くなっていくように思う。人間って実は単純。前に父を持ち上げたときに肋骨を痛めて全治1ヶ月だと言われたらしい。すぐに私に言えばいいのに、我慢していたらしい。それまで歩くのも父とどっちが病人かわからないほど情けない姿だったのが楽になったらしい。途中で痛みが動いていって消えたようだった。なんという分かりやすい人!根が単純なのだろうか・・・意外に目に見えないような力を信じている人だからかもしれない。むしろ人間を信じられないっていう悲しい人なのよね・・・だんなもうすうす妖しげな事にはまっている奥さんに気がついている。鼻で笑っているが否定をするわけでもなく、そのことは感謝。引っ越し前にどうしても行きたい!と思うワークショップがあった。そのヒーリングはたまたま本屋さんで手にして興味をもった。それまでのヒーリングに不満があるというわけではないのだが・・・でも人には言いいにくいってのはあった。ネットで検索すると日本にはあまりインストラクターがいない。連絡をとって、そのワークショップの時期を確認したところ・・・引っ越しとぶつかる!まともに・・・こっちから行くと電車で3時間。しかも一泊しないといかん。縁がなかったなぁ・・・そう思いながら、いつか機会があれば行ってみようという気持ちになった。それが、なんと幸か不幸か家の引き渡しが遅れることになった。あまり良いことではないが、私にはきた!!そんな感じだった。10月の終わりに2日にわたって参加。夫は、特に何かをきくわけでもなく切符もホテルも手配してくれた。私、そういうの苦手だと知ってるので・・・こういうとき、地方に住んでいるとなにかとお金がかかる。仕方ない。で、伝授してもらったわけだが・・・・あいかわらず母や父にヒーリングするくらいの日々。昼から暇している人など私の知り合いにはいない。。。皆、ばりばり働いている。働いていなくても暇な人はいないものだ。いきなりヒーリングさせてって・・・あやしいよね。私には特別なものがみえるわけでもない。単なる話し好きなおばさん。そのワークショップに行ったとき受講されている人とセッションしあったときに言われた。「あなた、今、オーラがとげとげしてるわ。」と・・・ほう、みえるんですかぁ~?目をとじると、よーく感じられる方だったようだ。オーラってその時その時ですごくかわるとは聞いていた。多分、自分、そういう場の経験がなかった。で、緊張もあったりした。だからか・・・?!「大丈夫よ!今は自分ひとりで背負っていて大変だけど、安心して・・」なんだか・・・すごい人?!なんでもお見通し?!「昔、トルコにいたわね?!」と言われ・・・「ト、トルコ?!」それだけしか聞けなかった。あ~、気になる。トルコの知識と言えば・・・トルコアイス?! ← 無知どっかの前世で私はトルコにいたってことらしい。そこで私は何をしていたんだ~?一番気になるパターン(≧∇≦)そう言えば、前にイギリスに住んでたときに会話もろくに通じなかったが・・・トルコ人の女の子とやたら波長があった。笑いのツボが同じで周りの白人に奇妙がられた。ん~あるかも。今も気になって仕方ない。お願い。私の夢の中でその答えがでてきて~なんて思っていても夢、憶えてませんから・・・・そして昨日、学校つながりのRちゃんとランチして・・・家に連れ込むことに成功! ← あやしいちょっとお茶して・・・「実は・・・ってことで実験台になって~。」とお願い。「いいよ~。」いいの?!☆+゚ヽ(^◇^◎)/ひゃっほぉ~「じゃ、悪いけど上着脱いでもらっていい?」と私。おいおい、Rちゃん、どこまで脱ぐんですか~ (≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!どこぞのエステとちがいますって!!身体がポカポカしてきたと言われて、嬉しい感じ。だが・・・途中で子どもを迎えに行くということで尻切れトンボのようになってしまった。いかんよ~時間たっぷりあったのに話しばっかで肝心のセッションできなかった・・・また次回。自分的には、まだよく分かってないってのは分かる(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!数をこなさないとダメっしょ。それと自分磨きだね。しっかり地に足をつけないと・・・来週、知り合いにこれまたすごい人がいるのでアドバイスもらいにいこうと思った。完璧、スピ系のお人。何気なく本を手にしたり、何度も同じようなことが耳から目から入ってくるってすべて仕組まれているんだよね?!ほら、これこれって合図。お告げのようなもの?!でも、ずっと私、無視してましたけど・・・これでもか!これでもか!ってきちゃったので進むしかない。自分がなぜ孤独なこども時代を過ごしてきた意味がわかったような気がした。私のような思いをこどもにさせないため?!昨日Rちゃんと話していてそう感じた。Rちゃんの子は登校拒否で学校に行けなくなった。でもこどもを変えるのではない。こどもは悪くない。こどもをとりまく環境が悪いのだと思う。まずは、その家の中を変えること。特に家族。Rちゃんの話は前からずっと自分のことのようにひっかかっていた。Rちゃんは、こどもが学校にいけないという事実を受け止めた。まずは現実を受け入れる。だけど、お爺ちゃん、お婆ちゃんにはどうしても受け入れられない事実らしい。そこだな?!ってわたし的には思うのだが・・・Rちゃんの義母さんは子育てに挫折したこともなかったらしいので。Rちゃんより、Rちゃんのお義母さんと話してみたい衝動にかられる私。こりゃ~ 病気かも・・・!Σ( ̄□ ̄汗…)
2008年11月20日
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朝、母から電話。父が昨晩から食欲がないという・・・で、今日は週1回のディサービスでお風呂に入る日。朝から起きないらしい。いつもいやなので、1回は「行きたくない・・・」そう言うらしい。しかし今日は本当に起きなかったらしい。食べないことで母は心配している。うーん、そうか・・・いよいよ起き上がれなくなったか。ってことで朝からかかりつけの病院に電話して紹介状をかいてもらうことになった。まったく食べられないとなると今日、往診してもらいたい。往診してくれる病院に電話したら今日すぐにでも診てくれるという。本当は紹介状が必要なのだが、今の場合は仕方ないってことらしい。紹介状はすぐにといかないだろうから、いつでも良いよってことになった。とりあえず、午前中に私だけでも診療所に来てくださいとのこと。今日はのんびり過ごすつもりだったが、そうもいかなくなった。支度をしていると、今かかっているところから電話があった。「先生がすぐに紹介状を書いてくれるそうで、娘さんだけでお越しください。」ってことだった。ラッキー!ってことで、あまり待たずして快く先生は紹介状を書いてくださった。あまり愛想のない先生だったけど、良い先生だったなぁ。私が手術しないと判断したときは驚いていたけどね・・・診療所にさっそく、もって出向いた。「今日の午後にでもうかがいましょうか?」「ええ・・・でも私は母からの電話を受けただけで実際に父を見ていないのでその必要があるか自信ありません・・・今から実家に行って様子をみてきますので、もし調子が悪そうだったらお願いします。」「わかりました。またお電話ください。」こういう往診をしてくれる病院には助かる。で、食欲のない父のために好物ののり巻きを買っていった。「だるいの~?」と聞くと「だるーい・・・」そりゃ~そうだよね。病気だもん。「のりまき、食べる?」「おう、食べようかな・・・」えっ?!食欲あるの?でも身体が受け付けないとか・・・・?!なんだかんだと半分食べた。やっぱり・・・ディサービスに行きたくなかったのだね?!一週間に一回しか入浴していないのに・・・・母の唯一のお出かけディがなくなった。さて・・・どうするかな。そうだ!!「ここの家のお風呂は深くて入るの大変だから、うちにきて入る?」少し広いし、もしかしたら母と一緒に入れてあげられるかも・・・「うちのお父さんが爺ちゃん連れてきて、お風呂でもいれてあげなよって言ってくれてたの。そんで、ソファーベッドも爺ちゃんのために用意してくれたんだよ!」父は涙を流して喜んだ。フロは嫌いだけど、その気持ちが嬉しかったようだ。「じゃ、行こうかな・・・」本当に家のソファーでは父が横になるには狭かった。長く座っていられない父のために夫が折りたたみのソファーベッドを買ってくれたのだ。文句も言わずに・・・ありがたい。そして30分かけて家に到着。寒くなったのでエアコンで部屋を暖かくしてお風呂の準備。母も一緒に裸になって入った。垢がものすごい。軽い父だが、段差がまったくダメで一苦労。2人がかりでも大変。今以上に動けなくなったらとてもじゃないが無理だ。服を脱がせてから着せるまで1時間かかった。そのあと横になっていた父。30ぷんくらいしたら・・「もう行くか・・・」えらい、早いな~。ゆっくりすればいいのに。。。やはり落ち着かないのか・・・寝心地が良くなかったのかもしれない。前から1回お風呂にいれてあげたいと思っていたので良かった。そして実家にむかっている途中で携帯電話が鳴った。「××病院ですが・・・紹介状の用意ができましたので、いつでもとりにきてください。」内科の紹介状だ。みんな忙しい中、その日のうちに書いてくださったのだ。本当に感謝だ。みんな、私の味方になってくれているような気がした。本当に忙しいのに・・・内科の待合いなんていつもいっぱいだし。父も喜んでくれた。母は前からお風呂に入れて、背中をゴシゴシ洗ってあげたいと思っていたのだそうだ。母もなんだか随分、介護になれてきたみたいだ。コツをつかんだのかな。腹をくくったのか・・・?!これから雪も降る。山奥なので道中が心配ではあるが、何とかなるだろう。父は昔からラッキーなところがある。今年は雪が少ないかもしれない。痛みのないこともラッキー。明日はケアマネージャーさんと会う予定。今後の話しをするのに良いタイミングだ。さて・・・今度は母を自由にさせるのに私が母と交代しなくては・・・母のストレスもとらないとなぁ。しかし今日、病院に行って思ったのは・・・やっぱり独特の空気。あんまり行きたくはない。みんなそうだと思うけど。世の中、老々介護も多い。なんだか、せつなくなる。外に助けを求めるべきだよね。ほんと、介護って大変。ひとりで背負うものではないって思う。ひとりでがんばっている人も少なくないのだろうなぁ・・・ボランティアのポイント制度みたなことをきいたことがある。自分がしたボランティアの分を自分の家族や自分が将来受けられるって言うような・・・何で聞いたのか憶えていない。それっていいなぁって思った。こっちは田舎でそんな制度はないと思うが・・・あれ?!ちがったかな・・・私の勘違いだろうか・・・実際の話か将来的な話しか、自分も分からなくなってるや。自分、やばいかも・・・((( ̄□ ̄;ガーン)
2008年11月17日
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土曜日の晩、眠くて仕方なかった。夫は9時半に帰る予定だった。子ども達はごはんを食べて寝てしまった。家や外構工事もなんとか終了。そろそろ友達を呼ばないと・・・と言っても夫がいるところに呼んでも落ち着かないだろう・・・結局友人達は土日が休み。私は週末にバイト。そうなると、なかなか会えない。学校の役員をしていて仲良くなったお母さん達とも話す機会がない。みんな、それぞれ悩みもある。夫があと30分で帰ってくると言うときにひらめいた。夫の食事中に友達がきていたら夫はいやだろう・・・ならば夫が食べ終わってからお茶でも誘おう!ってことで友達に連絡。「何してる?」「今、何もしてない~。だんなは寝てるし・・・」ふむふむ・・・「今からちょっと歩きながら話さない?なかなか休みもあわないしね。」「いいね~、いいよ、すぐ出るよ!」家の中間地点で待ち合わせ。歩いて3分くらい?!しかし暗い!畑の中の道はまっ暗!こんな夜中に万が一、若いこと間違われて襲われたら大変だ!襲った人が後悔だ(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!懐中電灯もないし、まあ、ちょっとの我慢だと思って歩いた。「hossy~!」暗闇から声が聞こえる。Kちゃんだ。Kちゃんは偶然にも歳が同じ。Kちゃんのダンナさんは2歳上で中学が同じだったので知っていた。なのでローカルな話題で盛り上がった。Kちゃんはチャキチャキしてあねご肌だが・・・・実は気にしいなとこがある。悩みもなさそうでけっこうある。ダンナさんが大好きなことが伝わってくるかわいい人だ。舅、姑と同居してフルに働き、いつも忙しくしている。見た目もかわいいのに、彼女は車で1時間離れた場所の田んぼを作っているのを手伝う。町に移り住んだのだが農業は完全にやめてはいない。だんなさんが親が元気なうちは辞めないと言っているらしい。えらい息子だ。嫁は大変だが・・・歩きながら話していると、これがけっこう楽しい。でも光るシールをつけないと車にひかれてしまうかも?!ちょっと迷惑なおばさんたちだ。どこを歩くかコースも決めてはいなかったが足が学校の方にむかった。その近所に、もうひとり共通の友達がいる。彼女は今、不登校の娘をもっていて同居のお義母さんには、かな~り不信感を抱いている。Rちゃんとしよう。Rちゃんは仕事バリバリ。一週間に数回、踊りの先生をしている。公民館で子ども達に只同然で教えている。とにかく忙しい。Rちゃんは私よりも3歳くらい下のはず。歳はなんだか聞いても忘れてしまう。この春、長女(小4)が突然学校に行けなくなったらしいのだ。あとから聞いて驚いた。そんなそぶりを見せなかったから。その出来事でRちゃんはお義母さんに不信感をもつことになる。Rちゃんの実母はRちゃんが結婚する前に亡くなった。嫁ぎ先は実家から歩いて2分。それも働いている会社にある人に見初められた。それがだんなさんの実父。だんなさんはRちゃんよりも3歳年下。一人っ子のだんなさんのところに嫁いだ。お義母さんは若い。いつも忙しくしているRちゃんの代わりに家事を一手に引き受けている。なんとも羨ましいような話しにも聞こえる。でもRちゃんには、舅姑にたいしてものすごく不信感があるらしい。それはちらっと聞いていた。お義父さんは会社で自分の悪口を言いふらしていた。なんで?!普通は言わないよね。思っていたとしても・・・お義母さんは、そんなお義父さんとの間にはいってくれて本当のお母さんのようにRちゃんは思っていた。こどもが学校に行けなくなって家族で学校に呼ばれたときに不信感の原因があった。「母親が悪いんです!家にいないから。」耳を疑ったRちゃん。何かが音をたてるように崩れていったそうだ。そりゃそうだな・・・もしかしたら子どもさんからすれば、お母さんが2人いたのかもね。そしてお義母さんが自分の母の悪口なんかを、何気なくいっているのを聞いたのかもしれない。板挟みになっていたのではなかろーか・・・Kちゃんも私と同様、Rちゃんの心配をしていた。家を通りかかろうとしたらRちゃんの車がきた。そこで家の前で立ち話が始まった。こういうことが、お義母さんが見ればおもしろくないであろう・・・でも話す時間がもてないしね。「だんなは、いっそ、この家を出ようかとまで言っているんだよ~。」ええ~っ!転校?!「でも、私たちは楽になるけど子どもがまた1からだもんね。やっぱり出来ないよ・・・」学校の先生いわく・・・お義母さんの過干渉ではないか?!まあ、忙しいRちゃんを見て子どもが不憫になったのだろうけど・・・何から何まで手をかける人のようだ。まだ58歳。バリバリだねぇ・・・「あんた達、どうしたの?ウオーキング?」「いや・・・そんな立派なものではないよ・・・」私なんてサンダルだし~ウオーキングをなめるなよって感じ。20分立ち話をしてKちゃんと帰り道を歩く。そこに夫からメール。夫にはごはんを食べておいてとメールして家を出た私だった。友達がくるかも・・ともメールしておいた。「どこにいるの?友達、つれておいで。」と・・・いいのか~?!ちょっと夫には悪い気もしたが、そう言ってもらえて正直嬉しい。もう夜しかないもんなぁ・・・夫は特に愛想をするわけでもないが、仕事をしながら時々会話に入る。和室は閉め切ってあるので寒いのでついつい同じ部屋になる。夫や私の部屋はあっても、子ども達がすでに寝ているので行くわけにもいかず・・・いまだ4人で寝ている。長男が病気をもっているので、まだひとりで寝かせられない。狭い!どでかい2人に挟まれて寝ている私もつらい。家を建てて前よりも広くなったはずがなんだか不自由。1時間くらい友達はものすごい勢いで話してすっきりした顔で帰っていった。良かった。ちょっとグチャグチャの家だったが喜んでもらえたようだ。今度は3人で軽い宴会でもするか・・・居酒屋に行くよりもいいかもね。しかし、うち、ちゃぶ台もなくて・・・アイロン台にお茶だした!Σ( ̄□ ̄汗…) ← ありえない買えばいいんだけどね・・・前のは足がぐらついてて捨てちゃったんだけど後悔。実家からもらってくるか・・・十分だよね。そろそろしめないと、生活やばいかも・・・今さら遅いって感じ。ちょっとバブリーな気持ちになっていて今頃、大丈夫なのかという気持ちになってきた。気づくのおそっ!(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!やっぱり笑えないわ・・・
2008年11月17日
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頭が痛い。お金がなくて頭が痛い・・・というのとは違う(違ってないか(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!)本当にズキンズキンする。普段めったに頭痛がないのでつらい。さっき実家に行って、また泣き笑いしてきた。寝ている父のベッドの側で私と母が思い出話をしていた。笑って泣いて・・・父は隣の部屋で遊んでいる子ども達の声を聞き、心地よさそうにしている。私たちの会話より、そっちに癒されているようだ。喜んでくれれば何よりだ。今朝も早くに姉が土曜日恒例の差し入れにやってきたらしい。いつもチラッと父を見て、声をかけて去っていくらしい。何年もわだかまりがあって、こうやってまた家に来るようになったのが不思議だった。母は気味が悪いといまだに言う。姉がふらっとやってきた前の日に母は夢をみたらしい。姉が蒼白い顔をして枕元に立っていたのだと・・・小さな着物を着た男の子もそばにいた。亡くなった親戚の人が2人いて、朝起きて気持ち悪いな~と思ったらその日に姉が何年ぶりかにやってきた。夢のあと、母は姉が具合がわるいのではないか?!と心配したらしい。男の子は姉の流産した子かもしれない。姉はどんな顔をして家に入ったのだろう・・・それから欠かさず一週間に一回食べ物をもってくる。そして今日は父のおむつの交換もしてくれたと母は上機嫌だった。すんごい進歩。父はこのところおむつにお世話になっている。かなり脚が弱ってきた。そんな父が嬉しいと言っては涙を流す。子どもが・・・孫が・・・自分に会いにきてくれると喜び、そして申し訳ないと言う。バラバラだった家族がこうやって集まるようになったのは父のおかげだ。何も申し訳なく思う必要はない。むしろ感謝だね。母もなんだか甲斐甲斐しく父の世話をしている。いつもようにピリピリした感じがなかった。少し空気がかわった?!いつもと同じ薄暗い部屋だが、何かがちがって感じた。帰ってきて今とっても頭が痛い。泣きすぎ?!って・・・よーく考えたら・・・昨日学校の役員の忘年会があった。はやすぎるって・・・めずらしく遅くまで呑んでおりましたので二日酔い・・・?!ふざけるなって言われそうだな。久々に呑むとそうなんだろうか・・・・朝は平気だったのに・・・あったま、いて~っ!! ← 自業自得
2008年11月15日
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今日は長男(小6)の2カ月に1回の診察の日だった。はじめててんかん発作がおきたのが1年前。あの時は驚いた。学校から電話をもらってかけつけたとき、ちょうど3階から1階の保健室に担架で運ばれてきた。あの光景は今も目に焼き付いている。いつもの行きつけの病院では診察できないと言われ、紹介状を書いてもらった。そして今のK医師に診てもらうようになった。なかなか薬があわず、その後も倒れたり発疹がでたり・・・薬を飲む前には出先で倒れて救急車に乗ったこともあったなぁ・・・ようやく落ち着いたか?!そう思ったときにK医師の移動があった。信頼している先生なので近いところなら診てもらいと思っていた。結局月に1回だけ、今の病院にくることになったのでひとまずほっとした。そうか・・・あれから1年。早いなぁ・・・その間、引っ越すことを決めて物件探しに燃え、父が倒れ、気がつけば家を建てることになっていた。なぜ、この展開?!万が一の時に親も泊めてあげられない環境ということがひっかかっていた。自分たちと荷物でいっぱいの部屋ではいかんだろう・・・父が倒れてから何かが変わりだしていった。わからんもんだ・・・長男、名前を呼ばれて診察室に入る。何やらK医師、えらく驚いている。「おまえ、なんか、えらくでかくならんかったか?」そうとう驚いている様子。確かに・・・私、追い越されましたから・・・K医師はとても小柄。座っているので入ってきた息子がさぞかし大きく見えたのだろう。「言い方悪く言うと・・・・ おまえ、おっさんだぞ!!」言ってくれるな~あんたこそ、とっちゃんぼうやじゃないか~「しかし、どうして急にそんなに大きくなったんだ?」「あの~、DNAだと思います・・・」と私。最近、だんなにそっくりだと、どこにいっても言われる。ここまで似なくても・・・と思うくらい。だんなから生まれたと言っても過言ではない。「ん?!1年前より10キロもふえたんか~!!」薬を増やそうかどうしようかと先生、悩んでいた。「2カ月後におもちを食べて太ったところで血液検査をして、それから決めよう。」身長よりも体重の伸びの方が気になる。ほ~んと、メタボな小学生で困る。先生も随分馴れ馴れしくなったものだ。親近感あっていいかもしれないが・・・あと最低2年はおつきあいせねばならない。父のことですっかり息子の病気のことは普段考えなくなっていた。考えるなってことかな。考えても仕方ないし。しかし、ほんと月日の経つのが早い。春がくれば中学生。また出費だ!!こわっ!
2008年11月13日
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昨日、父と会話した。母に言わせれば・・・「変なことばかり言っている。」というけど・・・私に言わせれば母の方が断然おかしいって思う。父はあの余裕のない母と会話しても最後には、怒られておしまいってのがわかっているのだと思う。最近では家の中を歩くのを見ていても危なっかしい。でも頭はしっかりしているように思う。ピリピリしている母に介護されている父はどんな気持ちだろう。母は洗濯をしていた。「婆さんは?」と父が私に聞く。「洗濯をしているみたい。」「桃太郎・・・」「え?!あ~、お婆さんはどこで洗濯したっけ?」と私。「川で・・・」「そうだったねぇ~、お爺さんはどこ行ってたっけか?」「山・・・芝刈りに・・・」爺ちゃん、自分のことを思い出しちゃったか?自分は山が好きだったものね。。。そのうち母が隣の部屋でテレビをみだした。昨日、畑で仕事をして疲れたと、ブーブー言っていた。誰もしろとは言ってないのだが・・・あいかわらず、だ。こんな人と父は何十年もいたのかぁ・・・「爺ちゃん、お疲れさんだったねぇ・・・ よく、あの婆ちゃんのお守りをしてくれた。 私もできないよ・・・ 爺ちゃんは誰にもできない大仕事をひきうけちゃったね。 本当にえらかったよ・・・」父の頭をなでながら言った。ほっほという感じで父は笑っていた。しばらくして口を開いた。「今、隣の部屋で・・・ こんなことを言ったら・・・・ 大変なことになるぞ・・・」父が言った。驚いた!まともじゃないか!「あの父親は良い人だった・・・」私の祖父のことだ。私が2歳くらいの時に山火事で突然亡くなった。私には祖父の記憶がない。「どう良い人だった?」と私。「賢い・・・頭の良い人だった・・・」「そうらしいね。婆ちゃんとは、えらい違いね!」また、ほっほと笑う父。「紙一重って言うから・・・」私がそう言うと父は言った。「凶器だ・・・」言うね~~~!確かに母はキレたら凶器のようなものだ。父は病気なのに母を怒らせまいとしてるんだなぁ・・・時々お客さんが来ているときに口走ることがある。なんだか頭はかなりすっきりしているみたいだ。脚がだるいとうったえる。もう外には自分で出られないくらい弱った脚。細い。私の腕よりも細い腿。この脚でいっぱい歩いてきたんだよな・・・「そうだ。おまえ・・・」父が何やら言いかけた。「帰るときに白菜を畑から持って行きなさい・・・」と父。え?!「いつ畑に行ったの?」「・・・昨日かな・・・?」母に白菜を植えてあるか確認した。「あるよ。」「爺ちゃん、最近畑に来た?」「来ない来ない!」だよね・・・?!けっこう急な坂道なのだ。父の脚では無理だ。母が父の側にいないときには大抵、畑にいる。だから父が畑にくればわかるはず・・・だよね?!もしや・・・幽体離脱しちゃったか~?!もう父は行きたいところに行ってるのではなかろうか・・・なんだか、そんな気がしてならない。考え過ぎかな・・・
2008年11月13日
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昨日、エアコンのとりつけに来てもらった。外構工事が終わらないと室外機の置き場所が決まらないのでこんな時期になった。これで寒くなってもドンとこい~とは言え、寒いのは少しでも遅いことを祈る。午前10時に工事の人が来られて終わったのが午後2時。実家に行こうかと思っていたが電話をしても母が出ない。午前中にかけたときにも出なかった。畑かな?!午後にもするが出ない。まさか・・・畑で倒れてるってことはないよね?!それとも父の看病に嫌気がさしてどっかに行ったか?これまでは病人を置いてちょこちょこ買い出しに行っていた。最近、父も支えなしでは歩けなくなっているのでそうもいかなくなった。もし、母が外で倒れたとしても父には電話をかける行為などできない。そんなことは忘れてしまっている。外はもう薄暗い。どうしたものかと思い叔母に電話してみた。この人達、毎日のように電話してるようだ。「あ、叔母ちゃん、私hossyよ。いつもありがとう。 今日、うちの婆ちゃんと電話した?」「いや~。今日は出掛けててしてないよ。」「そっか~、何度も電話してるんだけど出ないから心配になってね。」「そりゃあ~、畑だろ。」「病院ってことはないよね?!」「昨日、インフルエンザの予防接種と整形外科に行ったみたいだよ。」そうか・・・昨日は爺さんのディサービスの日だから自由の身だった。やっぱり畑か・・・「hossy、父ちゃんはどうだい?何も話せないんかい?」と叔母。「いやぁ~話しかければちゃんと答えてくれるよ。」「そうなんか?!お前の母ちゃん、そうは言ってないぞ。なーんも話さないから自分の頭がおかしくなるって言ってたよ。」「ちがうって~。 爺ちゃんが話しかけても、婆ちゃんが聞いてあげないの!自分の耳がきこえないのに聞こうともしないでいるよ。」そうなのだ。母のほうがおかしい。耳も父の方が聞こえている。会話のやりとりだってぼけている父の方がまともだと思うこともある。とにかく母は余裕のないひと。人の気持ちを思いやる事なんてない。なんでも吐き捨てるように言う。けんかを売っているのか?!知らない人はそう思うにちがいない。長い人生、この人に誰も聡そうとしなかったのか・・・・いや、母が聞く耳もたなかったのだと思う。言っても無駄まさにドンピシャリ!本当に人を信じない。人は皆泥棒だと思っているのか・・・自分ひとりで生きてきたと思っている。家族やその兄弟くらいしかあいてにされていないではないか・・・みんな離れていても気がつかない。叔母の愚痴は延々と続いた。自分もこんなことを言われたとか・・・・他の兄弟となんで姉はああなのかといつもその話題になるらしい。結局夕方に電話したら畑にいたとのこと。ホッとした。叔母との会話でいきついたのは・・・父がかわいそうだということだった。長年、父はよくあの母といたと思う。母にすれば父の文句は山ほどあるらしい。でも、あんな性格の母と何十年も過ごせた父には尊敬してしまう。父はとにかく情の深い人。母がトラブルを起こす中、誠意をもって人に接してきた。父が人に優しくすればするほど母はおもしろくない。そして暴れる。父は母をフォローしながら今まできた。だけど気がつかない。むしろ身体の弱くなった父を重荷に思って、父亡き後の幸せな生活を夢見ている。言い過ぎかもしれないが、母の言動ではそうとられても仕方ない。父は不自由な身体になって母を必要としている。でも本当は母を守っているのではないかと思う。母は父がいなくなると完全に村で孤立すると思う。長年、あちこちでトラブルをおこしてきた母に対して手をさしのべてくれる人がいるであろうか・・・もしかしたら・・・父が気になっているのは母かもしれない。母をひとりにしておけないのが父の心残りなのかもしれない。父は慈悲深い。「じいちゃん・・・あんなんやけど堪忍してね。あんなモノの言い方しかできないけど、こらえてね。」時々私が母の厳しい言葉のあとに、こっそり言う。「昔から、ああだから・・・」父もずっと母には悩まされていたのだ。母はやきもちやきで、父の仕事も壊していった。父は外にでることをあきらめ、その後は農業一本となった。それなのに父はそのことをひっぱらない。お酒を呑んで私に1回愚痴った。それくらいである。父は母をずっと支えてきた。それに気がついていない母。多分、私が言っても「お前にはわからん!お前は嫁に行って苦労してないから!」そう言うのだ。姉は苦労している自分の気持ちがわかると言いたいらしい。でもね・・・そういう道にしているのは自分ですから・・・血のつながりがなければ本当に一緒にいたくない。しかし私は母を選んでしまった。いや、もしかしたら父を選んだのではないか?!大きい愛で母を支えてきたこの父を今となって尊敬してならない。母がかわらない以上、父は安心して旅立てないような気がしてきた。なぜ分からないのかと情けなくなる。そして悲しく、可哀想な人でしかないと思うのだ。心の底から父に感謝してほしいと思う。せめて父が旅立つまえに・・・そして自分がこの世を去る前に、自分がしてきた事に対して愚かなことだったと気がついて欲しいものだ。そんな母をずっとながめてきた父。大変な修行をしたと思う。父のような人になれたら・・・弱いモノを助けた父。母のお守りをしなければならなかったのか。。。今から実家にむかう。母の苦虫を噛んだような顔をみるたびに心が重くなる。重病の父の方が健康的にみえてしまう。かわいそうな人。そうとしか今は思えない。父もそう思っているのだろう。子どもの頃からなんだか家にはいたくなかった。いや、日中はそうでもなかった。母が帰ってくると空気がかわった。ある意味、すごい人だ。修行するにはもってこいの人物。おかげで学ばせてもらった。他人なら相手にしない。身内だから、逃げられないように私に仕向けられた課題としか思えない。ほんと、生きるって修行だわ・・・
2008年11月12日
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家が建って1ヶ月半。引っ越して早1ヶ月。お隣さんは何と同じハウスメーカー。うちが建て始めて1ヶ月後に同じ道を辿った。やはり同じハウスメーカーとあっては気になる。お隣さんもかなり気にしていたらしく「隣の人とは外壁がかぶらないようにしたい。」営業担当にそう言ってうちの外壁とかぶらないようにしたらしい。気に入ったものならいいんじゃないの?建て売り住宅と思われるのがいやなのだと・・・心配しなくてもうちは箱みたいな家でデザイン性がない。そこのハウスメーカーで建てた家は見てすぐに分かる。安さで有名なところで何となくパターン化されているんだろうと思う。ちょっと変わったことをしようと思うとオプションで高くなってしまうので本当にすっきりしている。ついているものも拒否したので更にすっきり。ニッチもいらないと言ったし・・・ちょっと豪華にみえるベランダは面積が増えることになるというのでつけなかったし。四角いおうちになってしまった。そこが狙いだったのだが・・・お隣さんがかぶると心配していたらしいが、出来上がりは全然ちがうものになった。が・・・・うちはハウスメーカーももたついたところがあった。引き渡しの時点では未完成なところが2カ所。それが完全になるのに2週間もかかった。ありえん~入居してから外構工事を頼んだ我々。予定では一週間が・・・未だに終わっていない。1ヶ月である。外の仕事は天候に左右される。おまけに今、ものすごく忙しいらしく職人さんが手薄状態。しかも車で40分くらいかかるところにお願いした。どこに頼んで良いのかわからずネットでみかけてお願いした。もうすぐ出来上がりそうではある。そしてお隣さん。昨日ご挨拶に来られた。引っ越しは日曜日に完了。外構工事はもう終わったようだうちがおまぬけなんだね。。。若夫婦、4歳の女の子ひとり。「子どもがさわがしくするかもしれないのでよろしくおねがいします~。」うちは野郎2人だから気になりません~長男がひょっこり顔を出す。「あ、K(長男)、お隣さんよ。」「あ、こんにちは・・・」「いっしょに遊んであげてね。」とお隣のお母様。あんなオヤジがはいっているような息子(小6)と何をして遊ぶの?マジ発言?!ご近所夫婦は見た目にも若い。子どもも小さいし・・・うちらは長老だわ今日はエアコンを設置に来る。外構工事が終わってから、工事にはいるという話しでこんなに遅くなると思っても見なかった。蓄熱暖房だけでも今は何とか過ごせるがこの先はきつい。何かと人の出入りがあると思うと拘束されるような感じでげんなり。仕方ないけど・・・小さい家ではあるが何となく自分は落ち着けるような安心感がでてきた。夫が賃貸志向で自分もそれでいいと思っていた。でも今回は思い切った決断をして良かったような気がする。多分、どちらでも良しとしていた部分はあったとは思うが・・・お金もなかったのによくもまぁ・・・多少のトラブルはあったが致命的なものでもなかったし、良かったと思う。おしゃれな家にもあこがれるが、身の丈にあったのがいい。うちはとにかく予算オーバーしないようにしたので・・・おしゃれ感はないが頑丈な感じはする。柱が多く、設計上融通のきかない部分も多かったが良しとする。落ち着けるのがいい。細かいことを言えばきりがない。金利が一番低くて年齢的にもギリギリ(いや、遅いかも・・・)勢いで買ってしまった。結婚と同じかもね~
2008年11月11日
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父の肺ガンが判明して半年が過ぎた。何年も癌と暮らしていたんだなぁとしみじみ思う。闘うわけでもなく・・・日々の生活を淡々と過ごし・・・自然の中で・・・腫瘍はかなり大きいらしく、もう痛みがあっても不思議ではないとのこと。癌の痛みはないという。77年、通院などしたことがない。たばこを吸いながら咳をしていたっけか・・・ずっと昔から。何かしらあるとは思っていた。頑なに病院には行かないと言っていた。歳をとって体力が落ち、頑固さも少しなくなり、帯状疱疹がひきがねになって入院生活。そこから糖尿病、肺ガンと一気に病人のレッテルをはられた。父の生活は一変してしまった。癌に関しては手術もすることなく、観察のみでここまできた。もう待合いで座って待てなくなってきている父。往診を頼もうかと思う。近くの小さな診療所に。と言っても車で20分くらいのところ。先日、内科の主治医との会話。 私「先生、そろそろ体力にも限界があるので往診をお願いしようかと思っています。」主治医「 私は往診はできませんが・・・わかりました。そっちの方向に考えますか。」 私「 寒くなってますます体力がおちてきて・・・」主治医「・・・この冬、こえられなかもしれませんね・・・」 私「私は夏もこえられないと思っていました・・・」主治医「僕もですよ!」 え?! そうだったん?結局、父は採血のあと、そのままベッドで1時間待たせてもらっていた。わざわざ先生がそちらまで診察にきてくださった。腕はさておいて、先生には感謝している。肺ガンの手術を受けないと判断した私に、「それでいいのか?」そういう人が多かった。今までの父の生き様を考えると手術という行為が不自然なような気がしてならなかった。まして確実に成功するとは言えない。私には年齢的にも体力的に無理だとしか思えなかった。でも何もしない行為はありえないんだろうか・・・・?!手を尽くさないのは冷たいのか?!そういう葛藤もあった。でも内科のその先生は退院の際に言ってくれた。「手術しないんですってね。僕もそれでいいと思います。」と・・・その言葉で私の少し残っていたゆらぎがなくなった。あれから父はベッドの上で季節を感じている。雨音や風の音。暑さ、寒さ・・・夏が終わり、秋も終わろうとしている。北陸の冬は厳しい。元気な人だって冬は気が滅入る。私に出来ることは私や子ども達が元気な姿をみせてあげることくらいだ。父にはもうやり残したことはないはず・・・そう言えば先日、父が母に言ったそうだ。「お前、長い間、介抱してくれてありがとう・・」母にはあまり感謝の言葉を言わないのでえっ?!と思ったらしい。「今までのお礼に、明日、畑を耕してやるぞ。」と父。いつもならそこで「そんなこと、できるわけないやろ!」と母も答えそうなのに・・・「そりゃ~うれしいわ。ありがとう。」そう答えたのだと・・・母にしてはめずらしい。記憶力がない父なのに、その次の日に私が行くと言ったのだ。「靴下をはこうかな・・・」「なんで?」「昨日、ばあさんと約束したんや。畑を耕すって・・・」おぼえてるんだ・・・そういうことは。ちょっと泣ける。ちょっと前のことも憶えてないのに・・・そのあとで「婆さんと結婚した・・・」「そうやね。ずーっと昔やね。何年たったやろ?!」「・・・・」「52年かな?」と私。昔のことはおぼえているものだよね?!「結婚したとき、初めて婆ちゃんを見てどう思った?」父と母の時代は顔も知らずに嫁いだというのはめずらしくないという。今まで父には聞いたこともなかったが意外な答えがかえってくるのか?!期待してしまった。「・・・わすれた。」そうか・・・そんなもんか・・・母は意外に父が格好良かったと思っていたらしくケアマネージャーさんなんかに自慢げに写真をみせているのに・・・・ふふ・・・なんだか父らしい。でも今となっては婆さんの居所を気にしている。何十年経ってなくてはならない存在となったか・・・毎日、ケンカをしない日がなかった。子どもとしてはうんざりだったが・・・私が思いっきりネガティブ志向になったのはそのせいだと思う。今になってケンカできたときが良かったのだと母は気づいたらしい。エネルギーがないとケンカもできない。母にそれがわかっただけでもいいのかな・・・父がいるときには父の存在のありがたさがわかっていない。母はそういう人。これから嫌でもわかるだろう。さて・・・いろいろ手続きしなくちゃ。新居もようやく落ち着いてきた。あとはローン返済のみ。33年。ながい・・・・その頃、私は今の母の歳となる。生きていればの話しだが・・・あっという間かもね。考えたくない~
2008年11月10日
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