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いつかこの聖句を送ったことを覚えているかな?今,もう一度送ろうね。彼らは妹であるリベカとその乳母、アブラハムの僕とその従者たちを一緒に出立させることにし、リベカを祝福して言った。「わたしたちの妹よ あなたが幾千万の民となるように。 あなたの子孫が敵の門を勝ち取るように。」 創世記24:59~60
2016年12月16日
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郵便受けのそばにチラシが落ちていたので拾った。「恵みと真理六実キリスト教会」と書いてあった。チラシの中のメッセージをさっと読む。日本語と韓国語で書いてある。住所をパソコンの地図で調べる。歩いて10分ほどだとわかった。「ねぇ、こんな教会があったよ。 あした(金曜日)集会があるってよ。 行ってみよう。」妻は「そうね」行ってみると、なかなか立派な家の教会だった。奥様がびっくり顔で出てきた。ご主人も出てきた。ボクたちの外には来会者がなかった。韓国系の「純福音」の群れらしい。親教会がこの家を買ってくれたという。うらやましいと思った。韓国人夫妻は、日本語がたどたどしいので、気軽に話しかけられない、と言う。「大丈夫ですよ。思いは伝わるので積極的に伝道なさってくださいな。」はるばる日本に伝道に来てくださって頭が下がる思いだ。近所の老牧師夫妻が尋ねてきたというので向こうもすっかり打ち解けてお話が弾んでしまってなかなか集会が始まらない。「ボクたちメッセージを聴きに来たのですけれど」それから讃美と祈りと聖書とメッセージが始まる。
2016年12月10日
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きのうはわが家での礼拝の後、上大岡の新しい教会の応援に出ました。チャペルでのお説教は久しぶり神様の恵みに支えられてご用をしました。野田線→北総線→京成線→都営地下鉄→京急線こんなにたくさんの線を乗り継ぎました。行きの電車で尿意をもよおし間に合わないと感じて途中下車時間ぎりぎりになった。次は元旦礼拝の応援となります。
2016年11月28日
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ボクの属する小さな教団の集まりがあった紅葉映える里山のふもと早朝には雪も舞うそれぞれの地で教会を任されている牧師たちが40名ほど集まり聖書を読み合い黙想し、感想を述べ、互いの問題を語り合うにわか仕立ての小劇を演じ笑い転げるこの国では孤立しがちな牧師たち仲間が身を寄せ合うひとときがどんなに慰めに満ちたものかあっという間に終わりを迎えきっと決意を心に秘めてまた任地に向かう
2016年11月10日
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ボクたちの群の聖会「関東夏期聖会」が開かれました。第50回の記念大会です。今回はボクたちの群を導かれた2人の先輩の教師がおもにお話しました。本当は3人でしたが、お一人は先年天にお帰りになったのです。目に見えてお年をとられたお二人の教師しかし講壇に上がられると「火炎放射器」のように語られます。若々しさにボクたちはしばし見とれる。やがて端正なそのメッセージに心奪われ、友人の一人は泣いていたようです。ボクたちは一様に喜びと満足感に充たされて、そこを後にしました。
2016年07月21日
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毎年、「ドクダミ茶」を作ったので今年も花が咲いた頃、庭のドクダミを抜いて風呂場の浴槽で水洗い茎を縛って軒先に吊した。枯れてくると縛ったところが緩んでくる。強風の日、抜け落ちて下に散らばった。それを見ていて、はっと気づく。こんなことをしている暇はない。ボクには時間がない。第2弾を心積もりしていたが、もうやめた。生のコーヒー豆を買い、自家焙煎をしていた。もう3年ほどやっている。先日も皮を飛ばしながらカチャカチャやっていたらはっと気づいた。ボクには時間がない。この袋内のものが無くなったらもうやめよう。今週初め、40年聴き続けたアンプ、カセットデッキCDデッキ、ターンテーブル、スピーカーを廃棄した。さよなら、長い間ありがとね、と。バッハの受難曲やベートーベンの交響曲全集などのレコードが残ったが、燃えないゴミに出す。これからは聖書を中心に読書生涯の仕上げをしつつ天の御国へ吸い込まれて行きたいのだ。
2016年06月14日
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花もそうだひっそりと咲いているがだれかが見つけて喜ぶ何もできないけれど人を幸せにしているあなたもその花のように生きることを目指そうよ
2016年05月29日
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明日は「聖霊降臨日」主イエスの教会が具体的にスタートした記念日。この主の教会は相談や計画ではなくて、天的な働きによってダイナミックに生み出され、スタートしたのだ。この日はもっと祝われてよいのに、イースターの陰に隠れてしまっている感がある。洗礼式を行う一番ふさわしい日という人もある。聖霊について、どれだけ知っているのだろう。恥ずかしいことに、夢中になって人に説明できるほどには知っていいない。これほど慕わしい神様(聖霊)に関してこんなことではだめだだめだ。どうぞ、どなたか教えてください。季節は初夏それなのにボクの心はいまだ冷え切っています。
2016年05月14日
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キリストは無残残酷きわまる刑死から足かけ3日で起き上がった。それをキリストの復活という。長い間の準備があったにしてもキリスト教は、そこから明確にスタートした。ふにゃふにゃだった弟子たちは爆発的な力に満ちて伝道を始める。初めの弟子たちの共通の合い言葉は「わたしたちは復活の証人」パウロは、「復活がなかったらわたしたちの宣教は無意味だ」と言い切っている。キリストの復活は、キリスト教の原点で、拠り所だったのだ。2000年の時代を飛んでボクたち現代のクリスチャンは「ボクたちはキリスト復活の証人」と堂々と言えないのが現実だ。(えっボクだけ?)自分の信仰を吟味、検証しなくてはなるまい。
2016年03月30日
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隣町の養護老人ホームから、バス、電車を乗り継いで礼拝に集う母。6月になると88歳になる。ホームの部屋は2人で、相棒はある宗教の信仰者だそうだ。「寒い間は集まりを休むと連絡してあるわ」同部屋のその人は言ったそうだ。My母は驚いたという。集まりは命がけで守るのは、多くのクリスチャンのポリシーだから。母は体調をいくぶん崩しているので帰りは車で送るからと言うとそれも断って満足顔で帰って行った。
2016年03月07日
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今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。「いと高きところには栄光、神にあれ、 地には平和、御心に適う人にあれ。」 ルカによる福音書2章11~14キリスト誕生の知らせのとき、天使の軍楽隊が賛美を奏でた。平和の主のお誕生に、どうして軍隊が登場するのか、ボクには長い間謎だった。きよらかな天使のコーラスならよかった。いやいやこれが現実なのだろう。サタンとの戦いは気を許せるいとま無し。信者も覚悟しなければならない。ボクたちは愛による戦いを求められている。主の降誕の際の天の大軍はやがての日のサタンとの最終戦争のために備えられたものと思う。そして主の誕生はその勝利のための布石と考える。ようこそ主イエスよマルチン・ルターの歌に合わせて 心のふしどの ちりをば払いぬ 愛するイエス君 静かにいねませ 賛美歌101 5節
2015年12月25日
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バイクで叔父の家に行く。お一人で留守番は寂しいらしくいろいろお話しくださった。「神はいないよ」会話始めにそういわれた。カウンターパンチ奥様を失ったりして苦節の人生神はおられることをいったいどうやってわかっていただけるかな?ノックダウン寸前
2015年11月18日
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神学生と約束の日駅まで歩いて迎える。車でお迎えと伝えていたが、歩いた方がこの地域がわかるだろうと変更。礼拝する部屋に通して会話。はじめに「召命」について尋ねられる。昔日に思いをはせ、献身の場に立った日を思い出しその時に語られた聖句を思い出し与えられた個人的な召命を請われるままに話す。そう、教団としての召しもあるんだ、そのことも話そうね。日本キリスト教団から離れたこと新しい教団を生み出したことも神の召しに拠っていると。最後に、わが家庭集会について尋ねられる。この集いがどうして生まれたか今日までどのように歩んだかこれからどのように進むことを願っているか神のみに知られることではあるが。
2015年10月26日
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食事が摂れなくなったらそのままにしてほしい流動食はごめんだ呼吸が苦しくなっても黙って見ていてほしい呼吸器を装着しないでほしいそれよりも元気で生き使命のために働いた時代を思い出してほしいあなたがたを愛して楽しく育てた時代を思い出してほしい手をつないで幼稚園に行った日や自転車の前や後ろに乗って隣町に出かけた日のことを思い出してほしい最愛の主の御元にいよいよ近づいて御国のその門に立つ待ち望んだその喜びの日が来つつあることを一緒に喜んでほしい
2015年10月11日
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先週、金曜日の朝、家を出て日曜日の夜に帰りました。神学生の引率ですが神学生はすでに前日から出ています。東北も猛暑でした。塩釜ともしびチャペルでトラクト配布中高生会子供会そしてピアノコンサートを前座とする礼拝牧師夫妻はボクより少し年齢が上ですが背水の陣で伝道をしている印象でした。そして、「水を得た魚」のようにうれしそうでした。そう! 牧師はこれでなくちゃ!ボクがトラクト配布に加わったのは数年ぶりです。なつかしく新鮮な思いでご奉仕しました。日曜礼拝の後は岩沼に行き、ボクたちの教団が運営するボランティアセンターで特別なコンサート礼拝を持ちました。ナムエンと言うお名前のゴスペルシンガーがソロで歌う、とても心に響きました。オンヌリ教会の青年たちが30名ほどご奉仕に訪れていました。賛美あり、証しあり。この日はセンター始まって以来の、70名を超す人々が集まったということです。ボクにも10分ほどのメッセージをするように頼まれ韓国語通訳付きでお話ししました。そして学生たちを残し、その日のうちに帰りました。
2015年08月12日
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去る礼拝は、母が次男夫婦(ボクの弟)をエスコートした。次男夫婦が母をホームまで迎えに行き一緒に西佐津間家庭集会に来たのだから次男夫婦がエスコートしたというのかな?でも母が誘ったのだからやはり・・・・いやまてよお客さんが2人加わり、楽しかった。明日の礼拝はどなたが加わるかな? http://nisisatuma.jimdo.com/
2015年07月11日
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家庭集会案内のポスターをわが家に掲げているが、経年劣化で無残になったので新しいものを作る。PDFで作り、メモリにいれ、コンビニで印刷。ホームセンターでラミネート加工し両面テープで、家の門と脇の塀に貼る。ワクワクしてきた。
2015年06月29日
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「クリスチャン弦楽四重奏団」だれか作らないかな?立派なパトロンがあること。小さな教会でも快く演奏すること。そして一流であること。そんな夢を心に描いた。
2015年06月22日
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聖霊降臨日の礼拝を終えた。家庭集会のレギュラー5人がそろったこと何にも代えがたい。養護老人ホームにさっさと入居してしまった母もただ一つの生き甲斐として、元気で礼拝にやってくるのも感謝なこと。何か若返ったようにさえ感じさせる母。ボクたちは早いもので、この地に住まいもう丸4年を過ごした。5年目も、1ヶ月を過ごそうとしている。5月は息子を亡くした月。1年を迎え、月初めの好日、嫁と彼女の両親と待ち合わせ、墓参りと食事をした。この1年間泣き濡れていた嫁も少しずつ落ち着いてきた様子。ボクの生活はこの1年は多忙となりそうだ。命の続く限り、求められる限り惜しまずに答えていきたいと願っている。最後まで誠実に生きる姿を妻子には示し続けたい。何事にも老いを口実にはすまい。86歳の母が目標だぞボクはまだ66歳だ!
2015年05月24日
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横浜市港南区にボクたちの群の教会が建ちました。今日献堂式。天候は曇りでしたがみんなの心は晴れやか。笑顔がこぼれる。みんなの力を一つに合わせることがどんなに力強いかわかります。上大岡の駅から至近。ボクたちの全教会の中でもまれにみる恵まれた立地。威圧感が無く両隣と調和したたたずまいが気に入りました。亡くなった息子が近くに住んでいたことがあります。彼の長男が重病だったとき(まもなく亡くなりましたが)彼は上大岡聖書教会という教会をたずね祈って頂いたことがあります。そんな思い出の町にボクたちの教会が生まれました。感謝です。一人の篤志家の信徒さんが教団に土地をお献げくださったことが発端でした。ここから新しい伝道に励みましょう。きっと神様が実を結ばせてくださるでしょう。
2015年05月09日
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天候不順な中でも一週間はあっというまに巡り明日は日曜日礼拝説教の準備も終わった弟は明日も用事があるようでメンバーが一人欠けるので寂しいな母はこの月初めにあれよあれよと言う間に柏市の養護老人ホームに移ってしまったそれでもバス、電車を乗り継いで一人で一所懸命にやってくる87歳の母きよらかで恵まれた礼拝を持てますように・・・
2015年04月18日
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お世話になったかたを訪ねました。妻は久々に電車に乗ります。(4年ぶりと言っています)思い切って行動すると、すべてがうまくいくのです。比較的すいていて、行きも帰りも座れました。ご主人を亡くされたばかりの奥様ボクたちも去年息子を亡くしていて心が響き合った気がします。おからだに痛みを持っている奥様妻も病中です。ここでも心を響かせ、お互いに手を取り合っていました。帰り道「お元気になられた」と喜ぶ妻。そうだね、あなたも元気になっているように見えるよ。
2015年04月14日
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イースターおめでとう!クリスチャンの生は、キリスト様の死と生(復活)の上に。キリスト様の死と生(復活)がエネルギーであり動き進む。キリスト様の死と生(復活)を衣服として着る。キリスト様の死と生(復活)をベッドにしてその上に眠る。安らかで誇らしいイースターの礼拝歌っていても読んでいても話していても祈っていてもこみ上げるものあり
2015年04月05日
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神学院は今日が入学式編入、聴講を含めて6人新しい学長の就任式もありました群の指導者として、当初から今日までコツコツと 黙々とまっすぐに歩まれた方新しい学長の説教を聴くそのお話の自然な筋道はバッハの音楽の流れのようだと思いました昨日から、行き帰りの車中で受難曲を聴き続けていたので
2015年04月03日
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静かに受難週に備える。明日の礼拝説教は、主イエスの「十字架上の7つの御言葉」を一つづつ、全部お話しようと先日まで思っていた。一つの御言葉で5分間、7つだから35分、そんなふうに考えて。でも大して意味がないなぁ、と気づく。7つ全部を語ったという自己満足だけが残りそうだ。録音していた以前の説教を聞き直すことは意味がある。変に力んで話している自分の姿に気づくから。怖いことは、話している時は得意げであり、いっぱしの説教者でもあるかのように思っていることだ。ほんとうに信徒に迷惑をかけたと思っている。20年も30年もそんな愚かな説教者に、黙って付き合ってくれた信徒こそ、聖人たちと思える。十字架のメッセージは、シンプルに、静かに、短く語るが良い。主よ、お助けください。愚かな説教者を。
2015年03月28日
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教団総会の中日が終了補教師准允式正教師按手礼これが圧巻だろう若くても立派な牧師、伝道師が誕生その初々しさは例えようもないボクたち初老にはあまりにもまぶしい同時に自分にもそんな時代があった、と懐かしむ涙腺が壊れたように緩んだ
2015年03月18日
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昨日ケアホームに行ったら「人手不足なので、4月から回数増やしていただけますか」「大丈夫です」と答えた。一晩泊まって、バイクですいすい帰ってきた。妻が首を長くして待っていた。妻が元気になってきたのでボクが働けるようになるのだ。
2015年03月16日
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東北の震災から、満4年を迎えた。何かをしようと思い立ち「復興支援超教派一致祈祷会」に出かけた。毎月11の日に淀橋教会で開かれている。48回目だそうだ。頭が下がる。(ボクは2度目の出席と記憶する。)用意された椅子は一杯だった。4年を過ごして、復興はいくぶんか進んだが、東北の皆さんの心は沈みがち、との現地報告があり。それでも新しく教会が建ち、洗礼を受ける人々も起こされているそうだ。来月も行き、皆さんと祈りたいと思ったが、帰りは夜11時になるので迷うところだ。
2015年03月11日
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聖書学校卒業後、ボスのアシスタントを2年間務めた。よく叱られたけれど、小さなことを見つけ出して評価して下さるかただった。「結婚しても居てくれよ」そう言ってくださっていたがボクたちは結婚後は他の土地に遣わされた。お金は掛けないが盛大な結婚式はもちろんボスの教会で。心をつくしてお祝いしてくださった。あの時のことを思うと今でも心が熱くなる。このボスに出会えて幸せだった。去年は息子の急死を知らせに伺うと自分のことのように落胆してくださった。冷徹さと人なつこさが同居する。それで悲しい誤解を生んだこともあった。牧師とはそういうものだけど。ボクたち家族は、ボスがお子さん達を育てた家に今住んでいる。ボスがボクの妻や子を心配してくださってのこと。ボスの奥様が立った台所にボクたちは立つ。もったいないな、と思いながら。ボスがイエス様に呼ばれて天の御国にお帰りになる前にちょっと寄り道してこの家に来て下さる気がしている。だから今晩は玄関の鍵を開けて寝ようと思う。
2015年02月23日
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妻の脳外科の診察で病院に行きました。このところ大きな発作から守られ体重も増加し表情にも、行動も生気を帯びてきました。そんなふうに主治医に報告できました。皆さんお祈りをありがとうございます。
2015年02月18日
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今日は神学生と一緒に『パンセ』を読みました。十分ではありませんでしたが、楽しかったです。時間を下さった学校に感謝です。ところで、今日は神学校は入学試験の日でした。聴講を含めて、6人が受験したと聞いて、ビックリ!うわぁ、そんなに献身者が増えるのか!
2015年02月17日
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朝方、懐かしいメロディーが心に浮かぶ。心の中で繰り返していると、讃美歌の1節と気づく。さっそく今朝の家庭礼拝でリクエストした。 きよき岸辺にやがて着きて あまつ御国についに昇らん その日数えて玉のみかどに 友もうからもわれを待つらん やがて会いなん めでにしものと やがて会いなん
2015年01月26日
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夜が明けると、上役人たちは護衛の者を遣わして、「あの者たちを釈放せよ」と看守長に言わせた。そこで看守長はこの言葉をパウロに伝えて、「上役人が、あなた方を釈放するようにと、使いをよこしました。さぁ、外に出て安心して旅を続けてください」と言った。(使徒行録16:36)パウロの第2回伝道旅行中、ヨーロッパに渡り最初の伝道の地、フィリピでの出来事です。パウロたちは捕らえられ獄に入れられましたが、釈放された時の場面です。この聖書の箇所を読んだボクの心に灯がともりました。イスラム国に捕らえられている後藤健二さんに、かく成るべし、と。機会があるたびにお祈りしています。一人で祈る時。妻と祈る時。礼拝の中の祈りで。
2015年01月25日
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ボクたちの家庭礼拝では、説教の前に自由な証の時を持ちます。母、妻という順番ができています。今日の母の証です。新年から「創世記」を読み始め、読み終わったと。旧約聖書を全部読み終わるまで生きていられれば、感謝ですと。今年6月で87歳を迎える母です。
2015年01月18日
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ボクが生まれ育った教会の付属幼稚園が創立60年を迎えその記念感謝礼拝に行ってきました。今日までどんなに祈られてきたかと思うと何を差し置いても行かなければと思いました。高校生の頃、教会に飛び込んだので幼稚園とは直接関わりませんでしたが卒園生たちが次々と教会学校の生徒となりその担当の一人となりました。子供たちと園庭で遊んだり山登りをしたり楽しい思い出は尽きません。その園長はボクの牧師代わりであり心のねじれていた高校生の相談に乗ってくださり遅くなれば夕食に招いて下さり話が終わるとリードオルガンでバッハを弾いて聴かせて下さいました。幼児教育が専門の自由思想家然としているかたでしたが信仰にも心熱く教会の仲間と一緒に立石や四ツ木の駅や街角で声を張り上げて路傍伝道もした昔日。改めて心をこめて老いた園長ご夫妻にお礼とお祝いを申し上げてきました。「ボクたち、しあわせ一杯でしたよね!!」
2015年01月10日
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日本中の、世界中の主の教会の明日の新年礼拝に祝福がありますように!すべてのキリスト教会にすべてのクリスチャンに前進の年となりますように
2015年01月03日
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去る日曜日の「親族クリスマス感謝会」には18人の親族が集まって集いを持った。快く足をお運び下さる皆さんに感謝でいっぱいだった。今年、長男を亡くしたボクたち今年、夫を亡くした妻の姉今年は止めようかと一度は考えたが喪中でもクリスマスの喜びは輝いているはずだしどんな時にも伝道に励まなければならない、と決意。姉さんも一度はお断りになったが妻の励ましでお出かけ下さった。弟の妻の兄弟が全員ご夫婦で来て下さった。その兄さんが「キリスト教のクリスマスを経験してみたい」と電話でお話しくださり。叔父の息子さん2人。ボクにとっては従兄弟来て下さりありがとう!みんなありがとう!どうぞイエス様を信じて下さい!そして明日はクリスマス礼拝全国のイエス様の教会に祝福あふれよ!
2014年12月20日
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待降節の始まりの礼拝厳かに始めたかったのですがプログラムなどのプリントが遅くなり始まりが遅れてしまいました。それでも一つの文句も言わず謙遜な礼拝者たちは歓談しながら礼拝の始まりを待ちます。旧約聖書・ヨブも「あがない主」を待ち焦がれていますね?今日はヨブ記からクリスマス待望の心をお話したのです。さぁクリスマスの準備です。何よりも霊性の整えと、伝道の心をと願います。ボクたち地上での最後のクリスマスだったとしても構わないのです。
2014年11月30日
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キリスト教会の暦です。キリストの誕生を準備する期間を「待降節」Adventと呼びます。キリスト教会の暦は「待降節」からスタートします。今夜はアドヴェント・イヴと言うわけ。世の人より1ヶ月早い「おおつもごり」懐かしきこの年終わってほしくないけれどこの5月までは、愛する息子がまだこの世に在った。突然の知らせを受けた衝撃的なあの日から息子の死を一日も忘れたことはない。よくも乗り越えてきたものだ。家族で励まし合いながら悲しみに耐えたこの年。いやおうなく神様は歳の頁を繰ってくださる。主よありがとうございます。忘れてもいいですね!忘れなくてもいいですね!明日待降節第一日曜日とにかくまず礼拝を守る愛する人々と。
2014年11月29日
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「クリスマス親族食事会」今年はどうしようかと思案した。息子を天に送ってまだ半年なのでやめようかと思った。いやいやそのことで、ご降誕の恵みを伝える伝道の心を萎えさせては、イエス様に申し訳ない。「クリスマスのお祝い」ではなくて「クリスマスの感謝会」ということで開くこととした。心温まる一日を主に願おう。
2014年11月24日
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教師ゼミから帰ると妻が待っていた。「証しがあるわ。今、聞いてくれる?」座って妻の言葉を待つ。ゼミに出る前に、月曜日にした勉強会のテキスト、笹尾鉄三郎の説教のコピーを「あなたも読んだら?」と渡しておいたのだ。さっそく3度も読んだという。そのメッセージに深く教えられ自分の姿が映し出され神様の御前に取り扱いを受けたという。涙ながらに、神様の恵みを妻は語りボクにお祈りを求めた。ボクは妻の手を握り、感謝の祈りをした。
2014年11月13日
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淀橋教会創立110周年記念講演会に行ってきました。講師は金ソンド牧師で、韓国メソジスト教会の重鎮です。20年も前でしょうか、ボクたち訪韓団は金ソンド師とその教会を訪ねました。開拓時代から、今日の光琳教会を建てあげた奥様のお話も聞けました。その時のことを思い出しました。素朴だけれど熱く確信をみなぎらせながらお話しなさいます。時々日本語を交えながら。これからの教会は1,ビジョンを持つ2,祈る教会であること3,伝道のプログラムを立案すること4,霊感にあふれる礼拝を持つこと5,関係を大切にすること6,宗教の多元化時代に、キリスト教の独一性を語ること7,愛と希望を与える続ける教会など、講演内容をプログラムに走り書きをしました。まさに正攻法で伝道と教会形成に励む教会の姿が元老牧師により、心熱く語られたと思います。日本に対する愛があふれておられる金ソンド牧師でした。
2014年10月25日
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コロサイの信徒への手紙4:16「この手紙があなたがたのところで読まれたら、ラオディキアの教会でも読まれるように、取り計らってください。また、ラオディキアから回って来る手紙を、あなたがたも読んでください。」「ラオディキアから回って来る手紙」だって?「ラオディキアの信徒への手紙」があったのだ!あぁ読みたい読みたい。きっとどこかの修道院の書庫に眠っているはず。その手紙が、生きているうちに見いだされ、読めますように。と祈ったら、そばで一緒に祈っていた妻が笑った。
2014年10月21日
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療養中の家族と一緒に生きること神様からの召しとしてまた特権として求められる資質はやさしくあることただそれだけ
2014年09月29日
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教会の勤めから解かれて4年目。あの時でボクの人生は一区切り。ボクの人生を終える代わりに息子が地上の人生を早々と閉じてしまった。そこに、いったいどんな意味があるのだろう?今なお生きているとはありがたいこと。次の歩みへ遅いスタート。シンプルでまっすぐな道を歩みたい。どこまで道は続いているのか。
2014年08月29日
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「わたしはいよいよ人生の最も厳しい時期にさしかかっています。」ある本を読んでいたらこう記してあった。「厳しい」を「楽しい」に置き換えたらいいのに。
2014年07月09日
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「片隅で点し続けた灯~小林寿一師の生涯から」イザヤ書42章1~7 太平洋戦争開戦の翌年1942年6月26日の早朝、ホーリネス系の教会、牧師への全国一斉検挙があり。その後の拘束を含め59名の牧師が捕まる。罪名は「国体に反する教説」(再臨への信仰)と「天皇への不敬」(天皇も人間であり罪人か)。 過去、日本政府は、隣国朝鮮半島の人びとに大きな苦しみを与えて来た。傲慢にも日本の国に併合し、日本語、日本の名前を強制、神社参拝の強制。それを断ったキリスト教徒や牧師を投獄し、拷問し、死に至らしめた。 隣の国の人びとをそのように扱った政府は、また本国のキリスト教にも迫害の手を伸ばした。 私の前任の地、三島西キリスト教会の当時の牧師・小林寿一師も、6月26日の早朝、捕えられ、腰縄をつけられ、編み笠をかぶらせられ三島警察署の留置所まで歩かされた。 静岡刑務所に送られ、1943年8月20日の仮釈放までとどめ置かれた。戦争に負けて終わると「免訴」。牧師が帰ってくると、教会の土地・建物は売却され、住むところも無かった。 捕らえれたホーリネス教会の牧師たちの中に、小出朋治師のように獄中死なさったかたもあり。しかしその苦難により信仰を無くした牧師は無かったという。信徒たちもまた、敵国宗教の信者と言われながらも、堪え忍び、弾圧を免れた周りの教会の礼拝に出席しながら、牧師が帰ってくるのを待ちわびていた。 三島の教会の信徒の中に、製紙会社の社長夫人がおられ、住まいを失った牧師とその家族のために、会社の住み込みの守衛の職を世話した。そこで守衛を続けながら約10年の間は、信徒の家を回りながら、家庭集会を続け、教会復興に備えていた。時が満ちて退職した牧師は、その退職金で教会を建てるために30坪の土地を買う。 牧師と僅かな人数の信徒、応援者とで復興した小さな教会、マッチ箱のような教会とか、牛小屋に似ているとか言われていた。 苦難を共にした牧師夫人が天に帰られると、牧師は若い夫人伝道師を補助者としてホーリネスの群に求め、そこに遣わされたのが寺田紀和子。2年後結婚して山口紀和子と改姓。二人はまだ20代。「見よ、わたしの僕、わたしが支える者を。わたしが選び、喜び迎える者を。彼の上にわたしの霊は置かれ、彼は国々の裁きを導き出す。」イザヤ書42章1節 反キリスト教の時代の大嵐の中にも信仰を守り通す力は、神様の僕とされていること。神様に支えられていること。神に選ばれていること。小さな者であっても神様に喜び迎えられている確信。神様が選ばれ、神様が支えられて私たちを礼拝者とされているなら、神様の証でもある。「彼は叫ばず、呼ばわらず、声を巷に響かせない。傷ついた葦を折ることなく、暗くなってゆく灯心を消すことなく、 裁きを導き出して、確かなものとする。」同、2~3節 小林牧師は説教の時は堂々とお話なさるが、講壇から降りると口数が少なく、謙虚であり、目立たない人。 戦時中捕らえられた時、牧師に関する悪い評判を集めに、特高警察が、近所を訪ね回ったという。しかし「牧師を悪く言う人は一人もいなかった」と刑事が小林先生に話したという。 三島の地での42年間の現役牧師としての生涯を全うなさった師のその歩みは、真の牧者キリスト様に従う小さな牧者の姿であったと証言できる。 小林先生が天にお帰りになる前の日にたまたま入院先の病院をお訪ねした。まだ若かった伝道者夫婦に言われた言葉。「しっかりやりなさい」「戦いはこれからだ」「家族を大切に」 私たち夫婦も又、先輩の牧師のお言葉を心に、その同じ場所で38年の小さな牧者の道を辿ることができた。
2014年06月30日
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時に妻の感情が乱れることがあるがそれは長年の糖尿病による神経障害によると理解している。そんなに長くつきあってきた(正確にはわからぬ)病であるが糖尿病特有の合併症がほかに起きていないことは奇跡的なことと思う。妻の感情の乱れは長くは続かず。ただちに反省、そしてその前にも勝る注意深さ、優しさに立ち戻る。不意の嵐も直ちに去ってすがすがしい光が差し込んでくるのだ。
2014年06月24日
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父は今から20年前、病床で洗礼を受けて後1ヶ月して安らかに亡くなりました。ボクが父の長男として、長い間怠っていたこと父の記念会を催すこと。心にとげのように刺さっていたそのことを昨日催しました。兄弟に声をかけたところ、快くほかの親族に声をかけたところ、みな快く集まりました。「長い間、待っていたよ」そう言われて。ごめんなさい、20年も待たせてしまって。長生きして良かった。あなた方も長生きして待っていて下ったのですね。「お父さん、お父さん」と呼べば20年の空白も瞬く間に消え去り父がここに、ボクのそばにいるような思い。
2014年06月16日
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イースター親族食事会を持ちました。クリスマス親族食事会に続いて。イースターはいいかな? と思っていたら妻が、「イースターも食事会をいたしましょう」というので妻の思いを遮るわけには行くまい、と。クリスマスとは少し顔ぶれも異なり楽しい食事会となりました。ボクの親、息子、兄弟、叔父合わせて10人以上がご参集。新築間もない、気持ちの良い自治会館をお借りしました。イースターおめでとうございます!
2014年04月25日
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