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そのときは、棺の中に横たわっているわが子を見ているだけだった。安らかに寝ているようにも見えた。「父さん、さあ俺を呼び覚ましてくれよ。命に返してくれよ」もしかしたら、そんなふうに横たわっていたのかもしれない。ラザロを呼び覚ましたイエスのように命に帰るように、命令しなければならなかったのかもしれない。天に帰り彼に会えたならそのことをまず謝らなくては。イエスが、「あなたの兄弟は復活する」と言われると、マルタは、「終わりの日の復活の時に復活することは存じております」と言った。イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。生きていてわたしを信じる者はだれも、決して死ぬことはない。このことを信じるか。」マルタは言った。「はい、主よ、あなたが世に来られるはずの神の子、メシアであるとわたしは信じております。」こう言ってから、「ラザロ、出て来なさい」と大声で叫ばれた。すると、死んでいた人が、手と足を布で巻かれたまま出て来た。ヨハネによる福音書11章より
2018年07月06日
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夜が明ける前、音楽を聴いた。トイレに起きて後、寝付かれなくなったので。モーツアルトの25番のピアノ協奏曲この上機嫌な最終楽章を聴いていたら、3年前急死した息子を思い出した。わが子も、こんな上機嫌だったんだ。手伝いを頼むと、いやな顔一つせず来てくれた。この性格はどちらの親にも似つかわしくない。老人性ウツが去来する今のボクにはいっそう似つかわしくない。
2017年12月19日
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息子の3周年を迎えた。「あなたに電話が来たのは何時頃?」「ちょうど、今の時間くらいね」息子は死ぬ日の午後、母親にいつになく長電話をしたのだ夜になって、心臓のこむら返りを起こしてそのまま死んだ妻がどんなに息子を愛していたかを思うその名を呼ぶ時、安らかな歌うような調子があったあの日以来、妻は一度も取り乱すことなく静かに天を見つめているただ慕わしい天とその主(あるじ)なる神を
2017年05月08日
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電車の中から綿飴のように浮かぶ雲を見た神様に息子はあの雲の向こうにいるのでしょうかあの雲の中にいるのでしょうかと訊ねると私と一緒にいるよと聞こえた気がした
2016年08月24日
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2011年5月1日、千葉県鎌ケ谷市のこの地での最初の礼拝引越前、信徒さんの計らいで30年間ため込んだ膨大な荷物を整理「全部置いていって、空身で行ってください。残りのものは私たちが整理します。必要なものは、すべて新しく買いそろえてください」そんなふうに言われ、処分した荷物は実に大型トラック3往復と記憶している。4月26日荷物を運ぶ今は亡き息子が静岡からレンタカーを借りてきて最低必要な荷物を積み、そのまま二人で千葉に走る。途中、コンビニで地図を買い、地図を見ながら走り、千葉の新しい住まいで荷を下ろし、すぐに三島にとんぼ返り。教会に帰りボクを下ろして、息子は静岡市に帰る。息子から無事に帰宅のメールがはいる。「無事に帰った。35年間ご苦労様でした」と書いてあった。一人で教会に一晩泊まり、翌日最後の祈祷会、当月の会計を会計役員と集計し終え、後任者の到着を待つ。後任者が到着すると、簡単な引き継ぎをして、バイバイ。あの日から丸5年を過ごした。頼んだことは何でも気持ちよくやってくれた息子は足早に天国に登っていった。「兄ちゃんずるい」弟が言った。その弟は、兄ちゃんの代わりとなって今、頼んだことは何でもやってくれる。兄ちゃんとよく似ている。
2016年04月30日
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息子の召天1年記念日。1年前のこの夜、彼は急ぎ足で旅立った。妻子の前で。その夕は、彼は「手巻き寿司」で、家族3人食卓を囲んだという。今日、ボクたちも3人で「手巻き寿司」を食べた。妻が一人で賛美を歌うという。「主が私の手を取ってくださいます」息子がギターで伴奏。今度はアカペラで3人で静かに歌う。この歌の通りに生きてきたボクたち。お祈りをしたい、と妻は言う。妻は祈り、ボクも続く。彼のことを色々語り合う。それぞれの評価もある。「天国」があるから良い、と3人一致。遺影
2015年05月08日
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この地上ではどこをさがしても君には会えないでも天に昇ればそこで君が待ってるその時が来てもイエスさまを差し置いて一番に君をさがさないように気をつけようね口には出さないけれどみんなが君に会いたくてむずむずしているよでもボクたちはそれぞれの使命の地を忘れないもう少しあとわずかそんな気持ちで今日も励もうと思う
2015年04月17日
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下記は「ゴスペルな日々」(ロン@ゴスペル)3月26日からの引用「三浦綾子の言葉 私はよく思うことがある。 もし自分の命があと一年とわかったとしたら、 人はどんな生き方をするだろうか、と。」亡き息子の思いに浸っていてせめてあと1年長く生きていてほしかったなどと考える。しかし、本当はもっと短かったのかも知れないが神様がここまで伸ばしてくれたのかも、とも気づくのだ。ほんとうに、そうなのかも知れない。ほんとうに、ほんとうに、そうなのかも知れない。「突然死」した彼の亡くなった日の行動を知るとやはり神様の準備があったと思えてくる。あと1年しか残されていないと、本人が知らなくてもきっと神様からの準備がそれなりになされていたのだ。それは無意識だからこそ、美しいのだ。すべてを神様のみに手に
2015年03月31日
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息子が死んだという実感がいまだわかなくて困る。棺の中に横たわっていた、葬式を執り行った、骨を拾った、全部が一連の夢のようで、夢から覚めて、「父さん、母さん」今でもそんなふうに顔を出すような気がする。でもそろそろ1年記念の相談をしなければ。
2015年03月21日
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その鮮やかさに瞠目する。「老いた」「病んだ」「悩んだ」「迷った」「苦しんだ」そんな日々の営みと、はっきりと区別されている。存在するか、しないか厳然と突き放すもの。追いかけることもできず追いすがることもできない。だんだんと死ぬと言うこともない。先ほど、わははと笑い先ほど、楽しく語り合い人に頼られる存在感も毅然と断ち切る突然の死思い出だけが湯気のように立ち上る。そんなふうにわが子は死んでいった。
2015年02月14日
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「わたしたちもまた、このようにおびただしい証人の群れに囲まれている以上、すべての重荷や絡みつく罪をかなぐり捨てて、自分に定められている競走を忍耐強く走り抜こうではありませんか」ヘブライ人への手紙12章1節(新共同訳聖書)大きな競技場を周回して走るような人生は、国体やオリンピックではなく、ボクたちの日常だ。たくさんの観客はボクたちを応援している。おびただしい証人の群れが身を乗り出して応援してくれる。時に応援歌の壮大な斉唱のようになる。ついにゴールインすると観客席から、次々に降りてきてそれぞれの競技者を迎える。そのおびただしい証人の群れの中に息子の顔があるとボクは信じている。見慣れた顔つき、幾分上気して「父さん、母さん」と駆け寄ってくる。そうだ、きっとそうに違いない。
2014年11月06日
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妻と娘に笑顔で手を振ったというキミはボクには、手招きしてほしいそしてキミのところの様子を聞かせてほしい父さん、こっち、こっちそう、母さんもねとボクたちをイエス様の所までエスコートをしてねその日を思い心躍らせる
2014年11月01日
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嫁からの電話「夢を見ました わたしと娘が車で走り ふと外を見ると 夫が 笑いながらバイバイと手を振っていました」そうだったの?その笑顔ならボクも知っているじゃぁ一緒に言おうあ・り・が・と・うそれからねぇ夢でいいからボクの所にも来てくれよ
2014年10月31日
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ボクの66回目の誕生日は愛する息子、孫の納骨の日。良い天候に恵まれ箱根山麓を三島側から登る。教会の人たちと一緒に。ボクは一番好きな息子の写真と孫の写真を持参した。あなたは確か去年の今頃期せずして家族でそこを訪れ草取りなどをしていたというそんなあなたが、そのなきがらをそこに置くことになろうとは。きっと神様のご計画のうちにあったことだ。そのように何もかも準備されてあなたは天の人となったのだ。幼な子のなきがらは、あなたの壺に入れあなたがたの骨は一つに混じり合ったよ。あなたはきっと喜んでくれるね。きっと愛する主と共に見下ろしていたね。
2014年09月27日
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臨死体験をテーマにしたテレビ番組を見た。「死ぬ時に安らかな思いをするようにできている」動物実験でも確かめられるとは驚いた。自分の体を抜けて上から見ている。お花畑を歩く。光輝く中に偉大な存在と会う。生還者は証言している。脳のある部分がそういう経験を司るという。至れり尽くせりではないか。で、結論経験の意味づけはその人の信念にゆだねるほかはないというものだった。
2014年09月16日
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34歳10ヶ月での心臓突然死だれよりも元気はつらつだったキミ原発放射能禍だったかそうでなかったかそんなことはボクにとってはどうでもいいキミは帰ってこないのだから
2014年09月10日
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夜、門柱にへばりついているクワガタを見つけた。おまえこんな所にいるの?妻を呼びに行く。懐中電灯で照らして、「あらほんと!」亡き息子の話となる。おまえを保護してくれる人はもう居ないよ。子供の頃「虫夫くん」と呼ばれていたその人は。近所の山にクワガタやカブトを取りに行った昔日を遙けく思う。
2014年08月30日
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自分の気持ちと家族のために、慈夫の死について、その意味を聖書から考えました。「西佐津間家庭集会」のホームページにアップロードしましたので、よろしかったら分かち合ってください。20分ほどのメッセージです。 http://nisisatuma.jimdo.com/
2014年08月25日
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タイトルの箇所から礼拝説教をした。何度お話しても、この聖句が頭から離れず、3週続けて同じ箇所からお話しした。キリスト教は「愛の宗教」であることが印象深く語られている。パウロはよく愛について語る。ここでは、神の愛が、キリストを通してボクたちから離れない、と語る。神の愛からボクたちを引き離すものは何もない、と語る。信仰はこれだけだ。これが信仰の本質だ。今日は3ヶ月ほど前に地上の生を終えた、ボクの息子を通して神様の愛を語った。自分の心を整理しながら準備をした。それは一緒に礼拝をしている家族への証でもある。「わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。」(32節)「だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。」(35節)「わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。」(38~39節)新共同訳聖書
2014年08月24日
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死んだような気がしない日には骨になり、灰になり、粉になった彼を思い出す。面影は残像に過ぎないが。幼稚園から手をつないで帰った日。遊びに行った帰り、泣き止まなかった日。(もっと遊びたくて)一緒にカブトムシを捕りに行った日。マウンテンバイクを買いに行った日。頼もしかった青年時代。危急の時には顔を出してくれた。手も惜しまず出してくれて。何度も助けられた。でも青年時代のその向こうから天に梯子をかけて登っていった。まるで老いに向かう両親に道を備えるように。夜空に向かって「生まれてくれてありがとう」「生まれてくれてありがとう」今日はずっと話しかけて歩いた。
2014年07月26日
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静岡に住んでいた兄のバイクが主人を失ったので弟は形見にいただいて来た。内の駐車場に同じバイクが2台並んだ。兄の方が良い部品を使っているようなので自分のは売却して兄のバイクを乗るのだという。今日は午後から、2台のバイクを走らせてショートツーリングをした。彼が先頭でボクが後ろに付く。兄のバイクに乗るその弟は満足そうに走らせる。まるで亡くなった子が走らせているように、得意げに、ビッグシングルの快い排気音を響かせ。
2014年07月12日
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「わたしを信じる者は死んでも生きる。」(聖書)死ぬとは何かと改めて考える。わが子は確かに死んだのだ。ほほえみながら棺に横たわっていたのだ。花に埋められていたのだ。周りでは友人たちが泣いていたのだ。ボクたちは棺に寄り添って火葬場に行ったのだ。その体は焼かれてみんなで骨を拾ったのだ。そして葬儀を執り行ったのだ。心落ち着いてくると、死んだ実感は消え日ごとに彼は生きているとの感が深まりゆく。話さえできそうにも近く感じる。「ねぇ慈夫、あのねぇ・・・・」彼は本当に死んだ。しかし彼は生きている。
2014年06月27日
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長男は死んだが、その娘・わが孫が生きている。やがて彼女は長じて結婚し子を産み育てるかも知れない。死んだわが子はもういないがその命が繋がれる。繋がれる命の中にわが子は生きるのだ。
2014年06月11日
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わが子は天国に行った。物心がつく前からボクたち夫婦は彼に天国のことを話して聞かせ天国の歌を一緒に歌った。どんなに幸せなところかをまるで見てきたように語り聞かせたものだった。 神様の御国には 心配が何もなく 喜びがあふれてる さぁいこうイエス様は天国や神の国について幾度も幾度も語っておられる牧師が語る天国はイエス様の受け売りだけれどイエス様は天国から来られた方だからイエス様がお語りになる天国は真実そのものに間違いない。キミの去り方は鮮やかでこちらの部屋からあちらの部屋に移るような感じで じゃぁね、バイバイそんなふうに天国に急いで昇っていった。後ろも振り返らず。 神様の御国でも キミたちと会えるかな イエス様を信じれば 皆ゆける地上では少しの悲しみとたくさんの喜び天国では喜びだけが満ちている
2014年06月02日
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今日は叔母を訪ねてきました。叔母は1年半前に息子さんを亡くしています。当時ボクは声をかけることが出来ませんでした。何を言っても口先だけの慰めになることを恐れました。ボクも息子を亡くしたので決意して出かけていきました。お互いに息子のことを話しました。ボクは慰められ、叔母も喜んでくださいました。
2014年05月31日
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突然の心臓の異常に襲われ数秒~数十秒で意識を消失し全身を痙攣させ、血の気が失せていくその一部始終を見守っていた彼の妻と幼い娘ありがとうねあなたがたは、どんなに驚き、つらかっただろう。けれどもあなたがたの目の前で天に駆け上っていくなんて息子は本望だったに違いない。元気に任せて無理を重ね突っ走り続けた結果だったのかも知れないと思う。中途半端に蘇生しなくて良かったねとボクたちは話し合っているまっすぐに天国に前進する方が彼の生き方にふさわしいよ意見が一致しているボクと、ボクの妻そして彼の弟
2014年05月30日
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妻は8時から9時までの間に就寝する今まではボクがPCに向かっている横からバイバイ、じゃぁまたねと一人で休みに行っていた息子を天に送って以来妻が行くとボクも後から行くようになった妻が寝る支度をする側に居る電気を消すまで一緒に居る昨晩も今晩も30分ほど会話をした亡くなった子を含めてわが子たちの話題が中心夫婦でわが子たちの自慢をするのだから人にはとうてい聞かせられない
2014年05月27日
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月日は矢のように過ぎていく、とは昔のことわざ。からだのスリ傷も切り傷も月日がたつと癒えてくる。心の痛みも。月日は何よりの薬。渦の中にもがいていても体が宙に浮いてきてだんだん高く上がってその渦を上から眺めるようになる。長男 30歳半ばで、神様の御元へ行き長女 外国に帰り行き末子だけがボクたち夫婦と一緒にいて心配りも世話もしてくれる。それは涙がでるほど嬉しいが彼の大好きな祖母(ボクの母)は80歳も半ば彼はやがて祖母とも別れなければならないだろう。ボクやボクの妻とも別れなければならないだろう。そして一人となる。だから今を大切にして生きる。それが最善だ。それ以上のものはない。
2014年05月21日
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側にいない子供たちへは空に向かって名前を呼ぶことにしている空はつながっているから届けられる気がしてずっとそうしていたさっき生きているわが子と一緒に亡くなったわが子の名を空に向かって呼んだ違和感はない死んだ気がしない空の向こう天の果てで生きているのかそこにキリスト様がいるとするとこちらよりずっとよいまるでバラの香が匂うような所かも神は死んだ者の神ではなく生きている者の神だから
2014年05月15日
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息子の逝去の知らせは夜に届けられた。ボクがその日のブログ日記を書いていた頃倒れたようだ。「よしおくんが・・・」と彼の家内の父さんからの電話わけも呑み込めず「交通事故ですか? 死んだのですか?」と問う。父さんにも事情が良くわからずとにかく搬送されたとの報告。そんなことが起こるのかと自問自答。しかし、最悪の事態を予想。そして数分後には死亡の通告。妻は既に寝床にある。妻への知らせは明日に延ばそうかと思う。それはダメだ。一刻も早く伝えなければ。でも妻は難聴なので、大きな声を出さなければならない。「よしおが・・・・」「えっ来たの?」年に1度はバイクを駆って夜中にやってきていたのだ。昼間に「そろそろ行こうか?」と妻に電話したばかりなのでボクの言葉をそう聞いたのだ。それからかつてない残酷な瞬間を迎えなければならなかった。
2014年05月12日
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朝起きて妻の顔を見ると目を腫らしている。幼い頃から天国のことをいつも話して聞かせイエス様がおられるすばらしい所を目指して生きているんだよ、と語っていたからそこに先駆けて登っていった愛する息子を喜べるはずなのに悲しいはずがないのに彼の名を口にするたびに涙があふれてくる。今朝友だちが電話をくれて電話口で祈ってくれた。涙をこらえてもこらえきれない。
2014年05月11日
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3人兄弟が集まると、まるでお祭り。特にキミが加わるとバラ色。わっはっは いやー きゃーそんなキミは木曜日の夜天に登っていった。まてよキミは星の王子様だったかな?だってキミの死に方は王子様が地球を去る姿とまったく同じ。だからああしてキミが来た国に帰ったのかもしれない。きっと そうに違いない。思い出は心の宝箱に時々は出してみるありがとうよボクたちの子供として産まれくれて。
2014年05月10日
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