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お勤めしている教会の祈祷会には、オンライン参加にしているが思うところあり、8月は教会に出かけていった。ヨハネの黙示録は、「7つの教会への手紙」を序とする。一つ一つの教会への、主イエスからのごく短い手紙は切実なものだ。世の終わりの入り口に立つ教会への、主イエスの最後のメッセージなのだ。わずかな祈祷会参加者に、順番に7通の手紙についてお話したが思わず身が入るものだった。思いがけなく、韓国在住の伝道師、のせさとし君も、7つの書簡からの説教をネットに載せていて参考にさせて頂いた。彼のものは、若さあふれる勢いを感じた。
2024年08月31日
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創立100年記念感謝礼拝を捧げた。今年は1月に聖別礼拝 講師・岡 摂也師2月に星野富弘アート展更に、韓国大学合唱団コンサートなどを開催した。今日の記念感謝礼拝はメインイベント会衆は、会堂一杯に約60名が集まった。ゲストの説教者は、イエス様の愛をお語りくださった。よかったなぁ。信徒の皆さんの信仰、思いが一つになって、礼拝に連なった妻も帰り道、「なごやかな教会ね」と感想を述べていた。ここから、100年記念イベントは後半に入る。9月8日、音楽伝道礼拝、講師・ベアンテ・ボーマン師11月27日 記念礼拝2 講師・平島 望師1月5日 聖別礼拝、講師・川崎 豊師 (最終イベント)
2024年06月30日
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教区講壇交換で、田舎の教会に行った。海のほとり年々、人口が減り続けているという。小さな教会が建ち、すぐ近くには教会の墓所がある。大通りから教会に入る路地は、あいにくの雨で冠水次の路地に移るとそこも冠水またその次も同じ「大雨時、冠水注意」と立て看板が置いてある。幾つかの路地をやり過ごすと、はいれる道があった。地方の小さな教会の礼拝も都会の教会の礼拝と同じ10数人の会衆だったが、讃美歌を歌う声が強い。いきいき、溌剌としている。礼拝を終えると皆さんとお食事、楽しい会話教区教会から来た初めての牧師が珍しかったかめいめいに、証詞を交えた自己紹介も心に触れた。ボクは手ぶらで来たが、帰りはお米や、特産品を頂き皆、玄関の外に出てきて、見えなくなるまで手を振ってくださった。こんなステキな優しい教会町の人がみんな集まれば良いのに・・・・
2024年06月28日
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明日の日曜日は、千葉・東京東教区講壇交換でボクがお勤めしている向島キリスト教会に九十九里みぎわ教会の小寺隆牧師が来られる。とても楽しみにしている。ボクは23日に、九十九里みぎわ教会を応援する。ボクには初めての教会で楽しみにしている。謝礼は無しで、交通費はそれぞれの教会から頂いてくるように取り決めをしている。
2024年06月15日
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主の御復活をお祝いします!お勤めしている教会のイースター礼拝も感謝でした。さすがにイースターレギュラーメンバーが勢揃い。お客様が見なかったことが、ちょっと寂しかったかな。メッセージを聴き賛美を献げ賛美に心 和しすっかり満たされました。イースターは春今年は遅い桜の開花ももう間もなくでしょう!
2024年04月01日
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対応の難しいクライエント(来談者)と長い間かかわったカウンセラーがついに逃亡した、という話を聞いたことがある。牧師が魂と関わる中で疲弊して行くこともある。命を縮めることさえある。ある友人は、血糖値が高く入院すると血糖値が下がり退院して教会に帰ると途端に血糖値が上がると言っていた。忠実に教会に来て礼拝を守っている人が家では問題児でクリスチャンでない家族から「それでもクリスチャンか」と揶揄されている、などと聞くと牧師の悩みは深まる。心は頑張っても体の方に変調が表れてくる。
2024年03月11日
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トリエステ三重奏団の動画がYouTubeに出ていた。ベートーヴェンの「大公トリオ」の第1楽章だった。この清らかな音楽を楽しそうに弾いている。ピアノ、ヴァイオリン、チェロ思い思いの姿勢強弱を巧みに合わせ、旋律を受け渡し、受け取り、目配せして、体を揺すり一体となる。楽しくなってボクも体を揺する。ボクは思った。これってキリスト教の「三位一体」の姿ではないか?父、御子、みたまが互いに目配せして、救いの歴史を進めている。
2024年02月23日
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日本二十六聖人記念日 1597年2月5日、豊臣秀吉の命令によって、26人のクリスチャンが長崎で磔の刑に処された。1月8日、秀吉は京都、大阪にいた信徒たち24人をとらえ、長崎で磔刑にする判決を下した。1月9日24人は堺を出発、世話をするために付き添ったペトロ助四郎と、フランシスコ吉の2人が殉教者の列に加わった。長崎に到着した一行を見た責任者の寺沢半三郎は、わずか12歳だった少年ルドビコ茨木を見て「キリシタンの教えを棄てればお前の命を助けてやる」と持ちかけたが、「つかの間の命と永遠の命を取り替えることはできない」とルドビコは言った。キリストが処刑されたゴルゴタの丘に似ているという理由から、26人は西坂の丘の上で処刑されることを願った。長崎市内では混乱を避けるために外出禁止令が出されていたが、4000人を超える群衆が西坂の丘に集まってきた。パウロ三木は死を目前にして、十字架の上から群衆に向かって信仰の正しさを語った。ルドビコ茨木(12歳)は、「わたしの十字架はどれ?」とたずね、準備されていた自分の十字架のもとに走り寄り、十字架の上では縛られた体と指先を動かし、「パライソ(天国)、イエス、マリア」と言って喜びを表した。聖アントニオ(13歳)は、西坂の丘で涙を流し出迎えた両親に、微笑みながら「泣かないで、自分は天国に行くのだから」と慰めた。隣にいるペトロ・バプチスタ神父に「神父様、歌いましょう」と『感謝の賛歌』を歌う。パウロ三木は牢屋でも、京都で引きまわされたときでも、大坂から長崎までの長い道中でも毎日説教していた。西坂の十字架の上では「太閤様をはじめ処刑に関わったすべての人を赦します。願うのは彼とすべての日本人が一日も早くキリシタンになることです」と最後の説教をした。
2024年02月05日
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NishisatsumaChristianGatheringNCG聖書を読む会毎週土曜日午前10時半から1時間今日は妻と二人だけ今日は「マルタとマリア」の箇所気ぜわしく主を接待するマルタ主の足元で御言葉を聴くマリア対称的な姉妹両親は亡くなっているのだろうかもう一人、弟ラザロがいるはずだがここには出て来ない接待で心を取り乱したマルタは主に、妹に手伝うように言ってくださいな、と注文主イエスの口から有名な言葉が語られる「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」ルカ10:41-42胸のすくようなイエスらしいお言葉時を忘れて感想を述べ合った
2024年01月13日
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クリスマスイブの日曜日は「教徒の日」という言葉にふさわしかった。それぞれの持ち場でのご奉仕心の底で喜びを抱え。「信徒でないけれど参加して良いですか?」と新しい方が見えた。やはりクリスマスは知られているんだ。この路地の片隅にでもひっそりと100年も建っている教会だから。ゴスペルクワイアの友情出演もありここにも求道者が何人もいる。久しぶりの方も幾人か心を向けてこられた。ボクは知らないけど、知っている方達が喜び合っていた。これがクリスマスなんだ。
2023年12月27日
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戦争の知らせ戦争の知らせ破壊や死の知らせそのさなかにクリスマスは巡り来る心の痛みに抗うように顔を空に向けメリークリスマス天に栄光、と顔を地に向けメリークリスマス地に平和、と賛美は祈りに代わる神よお助けください、と
2023年12月25日
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短期でお勤めしている教会のクリスマス礼拝です。12月24日(日)午前10時10分「神は私たちと共におられる」マタイ1章 説教・岡聖志伝道師聖歌隊がクリスマスソングを歌います。礼拝の後、祝会(中高生3人が司会) プレゼント交換あり(500円相当)午後5時からキャンドルサービス「世界ではじめのクリスマス」ルカ2章 説教・山口牧師教会の聖歌隊のほか「Great Joy Gospel Choir」が友情出演会場・ウェスレアン・ホーリネス教団向島キリスト教会 墨田区東向島一丁目十七番一号 京成、東武曳舟駅下車徒歩10分ほどすべての主の教会と家庭集会のクリスマス礼拝に祝福がありますように。
2023年12月23日
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高齢の牧師が亡くなって、残された信徒たちは、亡き牧師の説教原稿を朗読して、礼拝を守ったという。一人また一人と信徒が去り、残ったのは四人。そのお一人からお話を聞き、胸が痛くなった。教会を守る信徒の思いが伝わってくる。牧者が去ったり亡くなったりして、わずかな信徒だけで礼拝を守っている教会の話をほかにも聞く。YouTubeや、CGNTVなどを取り入れ、牧師の居ない礼拝を過ごしている。僕が属している群も、年度初めに2つの教会が統合されたり、活動を止めたりしている。長い間過ごしてきた自分の教会を失い、近隣の教会に身を寄せる信徒たちの心細さを思う。神よ憐れんでください。あなたを愛する者たちが心痛めています。どうか試練の群を救い上げてください。
2023年11月20日
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中国では、聖書が書き換えられているという共産主義者が聖書を、キリスト教を支配しようとしている (CGNニュースより)
2023年09月30日
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以前、めまいの発作で起き上がれなかったことがあった年に一度くらいは、そういうことが起こる妻が寝床に来て、「どうしたの?」と訊くから「めまいが来たよ」お祈りしましょう! と妻が祈り始め祈りが終わると、めまいが消えていた。今週も、疲れからか甘い物食べ過ぎからか下痢を起こしてトイレに4回も飛び込む夕食を食べず寝た妻が来て、祈ってくれたこれで止まるかも、下痢がほんとうに止まった
2023年09月22日
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敬老の日の教区聖会を終えた新しい教区長の決断午前と、午後、最後に分団で分かち合い半数以上は知った人たちで和気藹々外光がふんだんに注がれる明るいチャペルに明るい賛美の歌声が響く2回の集いで、延べ90人が集い会堂のベンチがほぼ埋まったこの光景は初めての体験そうだ、毎週がこんな礼拝となるように夢を見たのだ
2023年09月20日
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今日は教区の聖会に行く午前と午後と二回ありボクは教区長のご指名で前半の司会をする説教は湯澤宣道自分がお勤めしている教会で湯澤牧師が立てられてボクが司会をするこれって夢の実現だな湯澤牧師は神学校の一級先輩で真面目一徹の素敵な方だったいっときは相い離れたが遅れてきたアルタバンのように湯澤牧師は追いついてきた主のためにご用意して出発した持ちものは途中で置いてきたようだようし、楽しくやろうぜ旅路の終わりも間もなくだから!
2023年09月18日
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「新天地」を名乗る女性から、携帯電話に着信教会のホームページにボクの携帯番号を載せているので調べたのだろう「話を聞いてほしい」というものだったがていねいにお断りした「わたしたちもイエス様を愛しています」とも言っていたネットで調べてみたらこのグループには教祖がいて、再臨のキリストと名乗っているという「再臨のキリスト」とは、統一教会系のリーダーの多くが同じように名乗っている正気なのだろうか?あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴があるのですか。」イエスはお答えになった。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名乗る者が大勢現れ、『わたしがメシアだ』と言って、多くの人を惑わすだろう。戦争の騒ぎや戦争のうわさを聞くだろうが、慌てないように気をつけなさい。マタイによる福音書24章3~6(新共同訳聖書)
2023年05月13日
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先年、友人の教会で説教をした。家内は健康上の理由で、外の集会には出かけないが、ここだけは例外だ。30年以上もお互い行き来しているので、責任を感じているのだ。ところでその集会に、シンヒョンソクという元老牧師が応援に来てくださった。お名前を存じ上げず初対面。集会を終えて、歓談が始まると分厚い本を取り出してプレゼントしてくださった。「牧師所感」というタイトル「立派なご本ですね」などと会話しているとさらにもう1冊、またもう1冊なんと3冊もくださった。どうもこの牧師はただ者ではないな、と感じる。いただいたご本は、しばらく飾っていたけれど、せっかく戴いたのだからと、読み始めた。「牧師所感」という副題のないシンプルな題名文章とその内容も、飾り気もなく直球、ダイレクトすがすがしい話題は、伝道・牧会上の証しから、教育、政治、文学、芸術、日韓、国際問題多岐にわたっている生年が1933年だから、今年90歳になられて現役牧師なんとスケールの大きなかたなんだろう!
2023年05月01日
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音楽礼拝を終えた礼拝とイベントの合体ってありえるだろうかと心配したが良かったと思う第一部が音楽礼拝で第二部がミニコンサートという企画午前中で済ませる第一部の礼拝で取り上げた曲は手にしている讃美歌集にあるものばかりであとはハレルヤコーラスを聖歌隊が歌った第二部はミニコンサートで「芥川也寸志メモリアルオーケストラ・ニッポニカ」のメンバー二人が、芥川也寸志の曲と他の二曲、計三曲を解説入りで演奏してくださったこれも心に触れたのは、演奏家の皆さんのお人柄によるのかもニッポニカの皆さんがボクたちの中に入り一緒に昼の食事してくださったことがうれしかった!
2023年04月24日
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新年度最初の礼拝を守った説教はボクの担当十字架上の七つの御言葉から三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」という意味である。マタイ福音書よりもうこの箇所からお話しすることもないだろうと生涯の総決算のようにお話した。それから大学入学を控えた人の洗礼式それから聖餐式御国にいるような楽しい1日だった。
2023年04月03日
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アメリカ、アズベリー大学では、2月8日から約2週間にわたり、賛美と祈りの集会が続けられたという。キャンパス内では、色々な場所で礼拝が持たれ、遠方からも人々集まり、夜中の12時を過ぎても続けられていたと。特別なだれかが導いたのではないそうだ。人為的で無いところがすごいな。クリスチャンたちの礼拝や賛美の心が突然高まるって、すごいな。そういう経験は、いつ、どこからでも起こりうる。だから、期待して、わくわくして待っていたい!
2023年03月13日
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外国暮らしの娘とその家族が通う教会は「無教派」の教会という。教派を問わないのか、教派そのものを否定するのか。どちらにしても「ホーリネス」の水の中で生まれ育ったボクには驚きでかつ新鮮この春も始まった「ケズイック・コンベンション」も無教派が旗印。韓国オンヌリ教会から始まった「CGNーTV」も教派色をださない。無教派は、新しい時代を告げているのか。これから歩む道なのか。娘家族の通う教会のウェブサイトに、礼拝とその前後の動画が置いてあった。娘の姿、孫たちの姿を発見し、ほっと安心。
2023年02月08日
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説教の担当は伝道師シンプルで論旨明確な説教に接し満足する聖餐式のある日なので、説教のあとはボクが立つ23人分のパンとぶどう液を準備したが二人分しか残らなかった司式をしていて皆さんのあふれる神への思いが身に迫ってきた
2023年02月05日
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今日はボクの説教担当日だった一生懸命にお話ししたが幾つになっても苦手意識がある原稿から離れられないのだノートを持たないと不用意な言葉が口から飛び出してくるのを恐れているネットでほかの先生方の説教を良く聴くが原稿から目を離して、縦横無尽に話しておられてすごいな~と目を見張るボクの恩師は(この教会で永年働かれたかただが)説教ノートを持ちながらノートに囚われずに、熱く語る人だった話す方が充実すれば、聴く方も楽しい実際、日曜礼拝でお話を聴くことが楽しみだった
2023年01月29日
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CGNーTVを見ていると、若い牧師たちがヨハネの黙示録のお話をしている優れた聖書講解を書いたカルバンはヨハネの黙示録だけは書かなかった書けなかったのか?いな、書かなかったのだ御言葉に対する、カルバンの謙虚さ黙示録の解釈に至るさまざまなアプローチがあるがカルバンは、彼の聖書講解において、この書を封印した
2023年01月24日
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イブ礼拝は、クリスマスの前夜祭だとずっと思い、語ってきた。クリスマス・イブの夕方から、前夜祭ではなく正真正銘のクリスマスがスタートするのだと知ったのは最近のこと。認識不足を恥じる。クリスマスの夜は、デッケンズの小説「クリスマスカロル」の、あの劇的な夜だ。多くの教会で、イブの礼拝が行われている。ボクも夫婦で、教会のクリスマスの夕べの礼拝にオンライン参加した。夫婦でクリスマスの夜を過ごす無上の喜び。それは牧師の喜びではなく、信徒の喜び。
2022年12月24日
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いのちのことば社の協力を得て「塩狩峠」映画会を持った。「塩狩峠」は30年ぶりくらいで鑑賞した。この歳になって、この映画の良さに納得!キリスト教が水増しなく語られているが一般向けにもきっちりと仕上がっている。バランスが良いのだ。映像は古いが物語の背景は北海道を走る蒸気機関車立派な鉄道映画になっている。万人に奨められる映画だ!教会は初めてというご近所の方々が、数名来てくださった。
2022年11月27日
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教会の早天祈祷会は、週に4日6時半から持っている。ボクはZoomでの参加。四人が現在のメンバー。朝起きるのが辛かったが早天祈祷会が始まって張りが出来たとメンバーの一人が証しした。ボクはZoom参加なので自分の顔がPC画面に映る。始める前、疲れた顔終わってから見る顔はどことなく喜びがにじんでいる。
2022年11月08日
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CGN-TVから、淀橋教会アガペー礼拝に、時々入っている妻が礼拝の務めから帰ったボクにたずねる、淀橋教会で説教していた先生のお名前を知りたい、と。淀橋教会のサイトを開き、ゲスト説教者を調べる。鎌野先生!妻の心に触れた鎌野先生の説教を、ボクも聴いた。主イエスの山上の説教から明るく、ユーモアを交え、のびのびと語っておられる。開けっぴろげに語られるのは、大阪調か?ソフトな語り口はすてきだな。
2022年10月30日
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日曜礼拝は1時間半なのに午後に持たれた役員会は3時間かかってしまった。クリスマスの準備等、重なったこともあるが。話が滞ったら声をかけてと書記に伝えてあるが書記は発言もし、記録も執り、それどころではないようだ。あまり発言なさらない役員はじっと3時間座っていたことになる。月曜日からはフルタイムで労働する人もあり。アジェンダは前日に配布してあるからもっとスピーディーに進めても良いのかも。
2022年10月24日
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教会には、澄んだ声で歌う人たちが多い。広々とした会堂内で、神に向かって心を込めて歌い続けてきた結果なのだろう。もしかしたら、だれでもそうなるように神様が人に声帯を与えたのかも知れない。
2022年10月17日
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約45年間、礼拝や祈祷会で聖書を解き明かしてきた。若い頃は、聖書のどんな箇所からも、お説教が出来なければならない、と力んできた。難解な箇所に挑戦し、その結果無理な、独りよがりな解釈をしてきたと思う。今は、難解な箇所はやり過ごす。特に旧約聖書は、安易に取り上げると解釈を誤ったままお話しすることになる。ほかの先生方の説教を参考にしながら注意深くお話ししなければならない。信徒さんから質問されても「すみませんね、ボクにもわからないのです。 天国に行ったら、イエス様に直接おたずね下さいね。 なんだったら、ボクがおたずねして あなたにお教えしましょうか?」
2022年10月14日
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鼻水でマスクが濡れてくるので礼拝に行かず、ZOOMで参加することにした。礼拝のズームってどんなふうに聞こえてくるのかと思っていたが思っていたよりもクリアで良かった。いつもながら、うちの伝道師の説教は端正だ。
2022年10月10日
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昨日は私どもの群の聖会の日だった。台風は、九州にあり、こちらを伺っている時間開会の時間の午後が待ち遠しかった。総武線が都内に入った頃、突然の雨、みるみる土砂降り、それでも駅に降り立つと雨はほとんど止んでいた。コンビニでサンドイッチを買い、とりあえず神学院に行って食事をとる。会場の教会まで歩くときには、本降りになっていた。教会に着くと、中継機材を準備しているジロー先生学生たちがさんびの練習をしていた。時間が近づくと、雨降りのさなか、恵みを求める人々が次々に来場。「終わる頃、豪雨だったら困るね」というと、受付の女性がニコニコして「終わるころには雨が上がります」集まりが始まり、あいさつ、証詞、賛美、説教説教が始まると、天候のことなどすっかり忘れてお話に聴き入る。すべてが順調に終わったのが午後4時半いつの間にか、雨もすっかり上がっていた。ここで聴けます ↓「恵葉聖会2022・聖会メッセージ」https://youtu.be/TyUpBo7F3_s
2022年09月20日
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キリスト教において礼拝とは何か?「聖書の御言葉が正しく語られるところ」上手に語るたどたどしく語るそれとは無関係に正しく語られれば平安がそこにとどまる
2022年09月12日
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『中田重治とホーリネス信仰の形成』芦田道夫著神学校の退修会のテキストに選ばれたので初めて読んだ。今まで読んでいなかったこと、うかつだった。書名は何年も前から知っていたのにボクは「中田重治」というお名前に拒否反応をしていた。ボクたちの信仰のルーツはウェスレーだと考えてこの10年来、ずっとウェスレーの説教を読み続けてきた。しかし正しくルーツをたどるなら、メソジスト→中田重治→ホーリネスと歴史が流れている。そして今日がある。
2022年09月08日
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明け方、宮澤賢治の詩「永訣の朝」が頭に浮かんだ。高校の国語の教科書に載っていて、何度も読み返した、心に迫ってくるあの詩だ。日本の近代詩群の中に屹立する兄妹愛のうた。「永訣」について、思い巡らす。キリスト教には「永訣」(永遠の別れ)はない。「永訣」ではなく「永生」 おまへがたべる このふたわんのゆきに わたくしはいま こころからいのる どうか これが兜率(とそつ)の天の食(じき)に変わって やがては おまへとみんなとに 聖い資糧をもたらすことを わたくしのすべてのさいはひをかけて ねがふこの最終連に宮澤賢治の死生観があらわれている。賢治にとって「永訣」は今生の死の代名詞であり彼も「永生」を心に描いていることがうかがえる。
2022年08月17日
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湯河原で「関東夏期聖会」が持たれて、オンラインで参加した。昨日午後から、今日の午後まで、6回のメッセージ。説教者は、若手から老練まで揃い、壮観だった!机上で組み立てたお話でなく、一様に苦労なさって今日があり実存しつつ、渾身から語るお話に胸を打たれた。感極まり、しばしば、お話を止めなければならなかった説教者も。
2022年07月27日
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先週は、急激な暑さで危険を感じた週だった。土曜礼拝の後は、養護老人ホームの母のところに場所を移し小礼拝をしていたが、あまりの暑さのため休止した。無理して出かけると、次の日の日曜礼拝に出かけられなくなると思った。土曜日午後は、ゆったりと説教の準備ができた。昨日、日曜日も暑い日が続いた。礼拝に来られた方が、扇風機の前で汗を拭いている。猛暑に抗うように礼拝に来る!信徒はすごいなぁと改めて思う。命がけで礼拝出席をするのがキリスト信徒なら礼拝説教も命がけで・・・・あぁ、だめ、だめ神の助けを求めるしかない。
2022年07月04日
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ボクは好奇心の塊なので反キリスト書籍を見つけると読みたくなる。高校の図書館にあった「キリスト教暴露」ドルバック著ニーチェの「キリスト教は邪教です」など考えさせらることも多かった。今回は、今西正次郎著の上掲書今まで読んだ中で最も支離滅裂。神は妬み深く、狭量で、大量虐殺の元祖だとか神とイエスは対立し合い、互いに敵視しているとかイエスとマグダラのマリアは夫婦で、ヨハネ福音書に出てくる「愛された弟子」とは、イエスとマグダラのマリアの子だった、とかずいぶん聖書をたんねんに読んでいるようだがキリスト教を、クリスチャンを、教会を、キリスト教の歴史をひたすらにおとしめようと、外国の大使館勤めの公務の傍ら、研究を重ねた「神無き孤独な書斎」の人だったようだ。もう~うんざりして途中で放り出したくなったが、我慢して最後まで読んだ。時間を無駄にした感がある。読む人の目と心の置き所が違うと、天と地の開き以上の断絶が起こる。こういう論調が、20年以上も前に書かれていたことに驚く。あらためて気づく。聖書はクリスチャンのものだ!!
2022年05月31日
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ボクが今お手伝いしている教会の規則の変更が必要になり、昨年はそれにあたった。年間の予算と決算は教会総会の承認を必要とする。会計年度が4月~3月の場合、総会の日をいつにするか迷った。総会を3月に設定すると、新年度予算は決められるが決算はまだ出ていない。総会を4月にすると、決算は承認できるが、予算が執行できない。決算承認は次年度の総会に回しても良いですかと監督官庁に問い合わせると好ましくないという返事。それで定期総会は3月に開き予算を決め5月には決算承認のための臨時総会を開くことにした。多くの教会は、3月決算は「仮決算」として承認を得ているのだろうがそれは好ましくないということだ。本来なら、予算決定と、決算承認と、総会は2回開かなければならない。
2022年05月13日
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小坂忠さんが、昨日の午前中に亡くなった。全身にがんが回っているとは聞いていたがCGNテレビで時々お見かけする忠さんはお元気そうだった。お若い頃は、沼津の「出会いのコンサート」に岩淵さんとデュエットを組んで毎年のように来て下さった。メッセンジャーは親友のアーサー個人的な面識はないが近寄りやすいお兄さんという言う感じお兄さんかと思っていたらボクと同い年だった!「感謝と喜びを」ボクが歌った忠さんの曲はこれ一つで繰返し繰返し歌ってきた。「感謝と喜びを」心からの感謝と主に救われた喜びをを込めて今日の家庭集会でも歌うことにします。
2022年04月30日
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イースターおめでとうございます。信徒さんたちを中心に、教会に集まりました。やはりイースターは礼拝がふさわしい。イースターの喜びを分かち合うためボクがとりつぐイースターの最後のメッセージと思って心を込めてお話しした。復活の主イエスとご一緒に天の御国をめざすために。ボクの心の中は喜びが爆発していた。
2022年04月18日
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伝道師と待ち合わせて信徒の訪問いつもは玄関先で失礼していたので今日もその予定で行ったら中に通されてお話クリスチャン同士の会話は心と心がふれ合う。聖書を読み、お祈りして辞し帰りがけにわが家に寄る。妻もよろこぶ。喜びと平安が余韻
2022年04月12日
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今年最後の集まり「祈祷会」を終えて、ほっとして帰る。メッセージを終えると、参加者が祈りの課題を出し合って祈り合う。祈り合うってとても楽しい。クリスチャンの特権だな。こんどは元旦礼拝でね!!
2021年12月30日
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ヨブ記って、ステレオタイプ的に色分けして解釈することを、許さない書ではないかな。読みつつ何度も立ち止まり、発見したり考え込んだりする。ヨブ記は始めと終わりだけ読めば良いと言う人、思わず笑ってしまう。あんこを入れ忘れたどら焼き!ヨブのことを聞きつけ、心配して駆けつけた3人の友の友情にほだされる。しかも1週間もの間、ヨブの変わり果てた姿を見て、ヨブと一緒に無言で地面に座っていたのだ。希に見る友の愛情、忍耐を感じる。「わたしの生まれた日は消えうせよ。」絶望の言葉が、ヨブの口から飛び出す。延々と続く対話が始まるのだ。思うにヨブは典型的な義人なのだろう。それは復活の主イエスにお会いする前のパウロのような義人だったと思われる。旧約聖書は、言葉の宗教だから、御言葉を中心に厳格に生きて来た人。しかし神の御言葉は知っていても、神様に触れたことはなかった。ウェスレアン的に(手前味噌に)言うならば、「聖霊の証し」を持たずまた無縁だった。神様を信じていたけれども、神様に触れたことがなかった。ヨブ記では、最後に神様が登場してくる。神様は延々と独演なさるのだが、御声に触れていて、ヨブの心はみるみる溶かされていく。今までも神様を信じていて、固く固く信じて、懸命に従おうとしていたが、実は神様には触れていない。いまは違う、神様の御声が聞こえてくる、心の奥底にまで、深く強く、御声が直に響いてくる。
2021年12月21日
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礼拝が終わり教会の青年が食事に出ようとしたので「どこに行くのかな?」と問うと「ええちょっと、最近出来た面白い食堂が」というので「連れて行ってぇ」二人で出かけた小さな食堂彼は2度目という注文の品が来たので、彼と食前の感謝の祈りを始めると女性オーナー(?)が寄ってきて、一緒に頭を垂れているなんと、クリスチャンなのでした!
2021年11月14日
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「2021関東夏期聖会」が行われた。2年続いてのYouTubeネット聖会だ。ボクは初めの3回、PCの前に座った。何人視聴しているか数字が出ている。1回目(昨日午後) 11人2回目(昨日午後) 35人3回目(今朝早く) 25人ずいぶん少ないな~YouTubeに保存されるので、いつでも説教を聴くことができるという気易さが、この数字なのだろう。何だかなぁ。ボクが聴いたこの3つの説教はみな満足できるものだった。4回目、5回目は今日の午後、お勤め始めた教会の祈祷会と重なって聴くことができなかった。さていつ聴こうかな?
2021年07月22日
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主はなにごとにもこだわらない主はなにごとにもとわられない
2021年07月06日
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