全478件 (478件中 201-250件目)
天衣無縫に明るいいつもメロディーを口ずさんでいる本当はシャイである雷が落ちるときはある
2003年10月17日
コメント(1)
じっと廊下の方を見つめていたあなたボクの姿を認めるとにっこり子供のように笑いました教えて下さろうと一生懸命にお話しされる先輩の伝道者としての誇りだったのでしょう天国でまた教えて下さいね
2003年10月15日
コメント(0)
この世に存在しているものは、神様が造られた。 学生時代、深い山に入ったことがある。山と山の間の鞍部にお花畑を見つけた。人目に付くことのないこんな深い山に。 花は静かにこの場所で、自分を造られた神様の御栄光を輝かしているのだ。 うれしい。私たちの心の輝きも、幸福も、祝福も、神様の御栄光がますます輝き渡るために与えられていることが分かったから。
2003年10月12日
コメント(2)
朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩朝昼晩まだ100日分だ。わが妻がボクのために食事を作ってくれた回数を書き記そうと試みたんだが。25年×365日分は遙かに遠い。
2003年10月11日
コメント(4)
自然的な命は、「生から死」への道。聖書は「死から生へ」と教えている。キリスト様の十字架の死を「わが身の死と数える」キリスト様が死んだ時、ボクたちも一緒に死んだ。こんな自分とは一生離れられないと思っていたが、そうではなかった。こうして信者は自分を抹殺したい願いを止揚する。十字架を仰ぐ時、キリスト様の中に、自分の姿を合わせる。ボクは、キリスト様と一緒に死んでいるんだぁ。でも今、現実のボクは生きている。それはキリスト様の復活にあずかって、キリスト様と一緒に新しく生まれさせられたボクなんだ。もう、前のボクではないんだ!「一粒の麦が死ななければ、一粒のままである。しかし死ねば多くの実を結ぶ」この聖句は、キリスト様でもあり、ボクでもある。
2003年10月10日
コメント(0)
イエス・キリストという歴史上の人物を、今も生きているおかたとして、このかたの全人格に信頼を寄せ、自分の命の一切をこのかたにお託しして生きること。このかたを心にお迎えする(信仰)このかたとお話しする(祈り)このかたの生き方にならう(倫理)このかたの所に行く(自然なる死)
2003年10月09日
コメント(0)
静岡局が言っていた通り、今朝は冠雪の富士を見上げた。かなり麓までかぶる。朝日に黄金色に映えている。これが写真に写すお山だな。山麓の町々も冬の支度だ。
2003年10月07日
コメント(6)
野草会が主催する「山野草展」が来たので行ってみた。野草は、山野で見るものだとつくづく思った。自由にはびこり、そして滅びる。だれに見られるともなく、可憐に、堂々と咲いている。小さい器に入れて野草を売っていたのには驚いた。よほどお金に困っているのだろう。
2003年10月06日
コメント(0)
人間の欲望とは、限りがないと感じる。欲望に歯止めをかけるのは、理性だろう。しかし、頼みの綱の、理性さえ、欲望の前には、ひとたまりもなくその力を失ってしまう。だから欲望の前には、どんなものも力を失う。
2003年10月03日
コメント(0)
王監督の優勝インタビュー、素敵だった。一語一語かみしめるように、苦しみを乗り越えた選手たちをたたえ、ファンをたたえる。選手たちの少年のような笑顔。王さんは彼らのお父ちゃんみたい!喜びをどう表現したらよいかわからなかった観客席。
2003年09月30日
コメント(2)
ジンバブエからの祈りのリクエスト「働き人が全力投球できるようにするためには、250台の自転車が必要です」一緒に祈りを合わせていて「250台の戦車が必要・・・・」と聞こえて、びっくりしてしまった。「違いますよ、自転車です!」耳が・・・・
2003年09月29日
コメント(1)
心のスペアーって無いのかな、と思うことがある。無いんだな。でも心って不思議なもの。千変万化するもの。悲しい人と一緒にいると、悲しくなり、うれしい人と一緒にいると、うれしくなる。心はまるで、良質の紙粘土だ。どんな形にもなる。そして、心はいつも、共に生きる人をさがしている。ここまで書いて、気づいたものがある。妻の心が、ボクの心のスペアーかも。
2003年09月28日
コメント(0)
「あらこんなにたまっている」部屋に入ってきた妻は、めくりそこなった頁に気づいて、切り取った。その様子を見ていたボクは、思った。もったいない。今日が、めくる前のその日付だったら、ボクの人生があと数日分プラスされていたはずだ。
2003年09月27日
コメント(0)
「神の愛によって自分を守り、永遠の命へ導いてくださる、私たちの主イエス・キリストの憐れみを待ち望みなさい」ユダ21 今朝のお勤めの中で、この聖句を読んだ感想を楽天日記に書き記そう、と思った。ところが何を書こうとしていたかもう忘れている。その場でメモをしておくべきだった。でも、聖句だけは覚えていたからいいか。
2003年09月26日
コメント(2)
蓼科高原の集まりには毎年行っている。今回は国道20号線の富士見あたりだっただろうか。国道沿いに大きなスーパーが出来ていて、休みがてらそこに入った。妻が感動。野菜が新鮮で安いと。「値段、うちの方の3分の2から半分ね」トマトが真っ赤。セロリが太く良く育っている。こんなの毎日食べているのかな、最高の幸せだろう。
2003年09月25日
コメント(0)
静岡県三島市から長野県蓼科高原へ行く道は、数ルートあります。富士市から芝川に出、富士川に沿って北に向かうルート。御殿場市から富士五湖道路、中央道大月ジャンクションから西へ。富士五湖の河口湖から御坂峠を越えるルート。富士五湖の精進湖(しょうじこ)から甲府市に出るルート。富士山の西側を巻いて、本栖湖から峠越え、下部温泉に下りて韮崎をめざすルート。こうして書いているだけで、大自然の懐の豊かさを感じる。今回は往路も復路も「富士川道」を選んだ。この道は唯一、峠越えがないルートなのです。伊豆から信州までの車の旅は変化に富んでいます。信州の大自然には圧倒されるほかはありません。富士川道(国道52)の終わり頃、行く手に山塊が見え始めます。「八ヶ岳だよ」と妻に教示。しかしさらに西側に本物の八ヶ岳の勇姿が。じゃああれは何だろう。大菩薩嶺か、または奥秩父の西端のみずがき山かも。行きは6時間、帰りは5時間半。疲れました。この時期、蓼科高原でクリスチャンの集まりを持ちます。
2003年09月23日
コメント(1)
朝方は日が照っていた。これで雨になるのかな、と思っていたら、午後から雨が降り出し、本降りに。久々の雨足が地を打ち付けている。気温の急降下。季節の変わり目は、突然にやってくる。ボクたちが生きているように、自然界も確かに生きている。雨にも風にも息づかいがある。顔と顔を合わせるように季節に近づけば、感じる。お休み。虫や家畜たちと共に、ボクも季節に包まれて眠るよ!
2003年09月20日
コメント(3)
昔、奥秩父を歩いたとき、雨に煙る唐松林の中を通り、その美しさにうっとりしたがやはり雑木林が好き思い思いに枝を伸ばしている雑木林には樹液が香るボクは虫のように甘ずっぱい液をすする冬になれば葉を落とす落ち葉の絨毯(じゅうたん)を踏みたい世界一の絨毯を踏みたい雑木林に寄りかかり延ばされた枝にぶら下がるボクは毎日遊んでいる宇宙一やさしい雑木林の中で
2003年09月19日
コメント(1)
もうパセリは3分の1を残すのみ。お陰で、アゲハの幼虫はは大きく成長。いやいやもっと大きくなるはずだ。いちおう棒を立てておいた。それにしても芋虫の時から美しいね。
2003年09月15日
コメント(3)
見つけた!スゴイよ。かなり離れているパセリの鉢植えの方に・・・・うぅ、せっかく買ったパセリが。娘に念を押された「パセリ無くなるよ」「いい、また買ってくる」(やせ我慢)
2003年09月14日
コメント(2)
もういない。神様の御手にお委ねしよう。 (9/9日記参照してください)
2003年09月12日
コメント(0)
愛さなければならない人々は、多くはいない。愛さなければならない人々を置き去りにし、愛さなくても良い人、愛してはいけない人に、こだわり始めるとき、人生の危機を迎える。
2003年09月11日
コメント(4)
今度は、アシタバの小さな鉢植えが丸坊主になっているのに気づいた。てっぺんに、紛れもない「アゲハチョウ」の幼虫が止まっている。大きさから言うと、まだ子供だ。あの美しいまだら模様は、すでに一人前なのだが。君のご飯はもう無いぜ。君のお母さんが君を産み落とした場所が、ちょっと狭かったんだ。ボクには、君の新しい住まいを見つけてあげる時間はない。
2003年09月09日
コメント(1)
「朝顔の葉が無くなったと思ったら、芋虫がいた~」玄関の掃除をしていた妻と娘が大声をあげている。見ると大きな芋虫が葉を食っている最中だった。さらに上を見上げると、もう1匹いた。「アゲハだよ。取らなくていいよ。朝顔もじき終わりだから。」「でも、ほんとにアゲハだろうね」娘は昆虫図鑑を探し出してきて、照合する。「スズメガだった」「じゃあ、取ってしまえ」(ボク)「スズメガなら殺すのかぁ」(娘)2日後・・・・・「あの蛾の幼虫どうした?」(ボク)「じきサナギになりそうだから、そのままにしておいた」(妻)
2003年09月08日
コメント(1)
日曜日午前の礼拝、そして午後の役員会が終わる。「じゃあ、またね!」信者さんたちは思い思いに帰途につく。最後のかたがお帰りになったのは、四時近く。夕礼拝までの空き時間に、寝室に休みに行った。あれ! 妻がすでに寝ころんでいた。「失礼します」と、枕を並べた。自然に会話が生まれる。今日までの四半世紀にわたる牧師として、説教者としての振りかえりが始まる。そこで思いがけない妻の言葉が・・・・。いたわりと慰めに満ちた妻の言葉が、ボクの耳元に。外柔内剛の妻だと、ずっと思っていた!そして夜の礼拝。青年が二人、中学生が一人、ボクたち夫婦、五人。愉しい集まりを持った。
2003年09月07日
コメント(3)
晴れの日がいい遙かな山の端をじっと見つめているか青いカンバスに白い絵の具をこすったような空を見つめれば穏やかな心になれる
2003年09月06日
コメント(3)
月曜日は牧師のお休みの日残暑が厳しいので、水浴に行くことに。車で約30分、沼津の島郷海岸へ到着。海に入っているのはボク一人。足が立つか立たないかの所まで歩いていって、あとは海水に身を委ねて浮いている。疲れるから泳がない。(泳げない?)伊豆半島の左肩が、大瀬崎まで前方に広がっている。駿河湾の西側も見渡せる。砂浜に一人座っていると、暑さも忘れる。夏季限定の、世界一の露天風呂。最高。
2003年09月01日
コメント(3)
お金もうけを考えないようにしましょう。人助けを考えましょう。小さなアクシデントは、笑い飛ばしましょう。メールはちょこちょこ出して先方を安心させましょう。包装は、おかしいくらいに丁寧に。とにかく楽しむことです。あなたの人生と同じです。
2003年08月30日
コメント(4)
死刑判決を受けたT被告について、彼は最後まで人間らしくふるまうことを拒否したのだと言う論評を読んだ。彼は人間である片鱗さえ見せることを拒む。たくさんの命を抹殺した彼が、自分の命に対しても同じようにすることは、同じ延長線上にある。失われた命は、もうこの地上では救えないのなら、最後に残ったT被告の命を慈しむ。そして安らかな顔で、刑場に立つ彼を見たい。
2003年08月29日
コメント(1)
ボクの身の回りを囲んでいるもの。妻、子供たち、親、兄弟勤めている教会、信者さんたち、ペット、近所の人、愛用のパソコン、カメラやオーディオ。ボクの心を守ってくれる存在やモノ。神様のたまものであることは確かだ。でも、与えられたものがあまりも輝いていると、与え主である方を忘れる。でもそんな豊かな生活をしているボクにも、やがて一つづつ手放さなければならない日が来る。その時を、すがすがしく想像したい所だが、そんな時、いったいボクはどんな思いがけない行動に出るのか、それは未知の世界。
2003年08月26日
コメント(2)
タイトルで威かしてごめんなさい。これは聖書の言葉なんです。「キリストのゆえに、わたしはすべてを失いましたが、それらを塵あくたと見なしています」(フィリピ3:8)キリストの伝道者となった結果、自分の名誉名声は全部失いましたが、全然後悔していない、と言う意味です。使徒パウロの言葉。ボクの場合は元々、路傍の石ころだったし、名誉名声など、一つもありません。地方都市の小さな教会の名もない牧師です。それで良かったんだ、と思いました。人から賞賛されることは良くないこと。ましてそれを求めるのは、道を外れること。
2003年08月24日
コメント(3)
人の評価をする時、気を付けなければならないことは、「人は成長する」ことです。思いの外、人は成長しています。(していないように見えても)ですから、同じ評価をずっと持ち続けると、誤ります。ボクなりに人の評価はしないように心がけています。しかし気が付くと、していますね。それに、好き嫌いが、ちゃっかり反映している。評価せずにはいられないものなら、あきらめて、出来ることなら、同じ人でも、会う度に評価を変えたいと思うのです。
2003年08月22日
コメント(6)
アパート暮らしを始めている娘の所へ、「どんな所に住んでいるか全然知らないなんて変だね」と妻と話し合い、夫婦で訪ねて行った。車で30分ぐらい走り、このあたりかな、と目算を付けて携帯に電話する。良かった、居た。今日は仕事が入っていない。「近くまで来ているよ」というと、始めはどうにも嫌がっていたが、やがて迎えてくれた。潔い性格は母親譲り。初めてのワンルームアパート! ちょっときれい。何もかも驚き。ちょうど昼になったので、母娘で手短に食事を作り、3人で戴く。それから、長居しないように、帰り支度。突然行って、やっぱり悪かったかな。きっと、心の準備をしてから、正式に親を招待しようと思っていたんだね。
2003年08月18日
コメント(0)
あしたは日曜日、教会やってます。足を踏み込んだら最後、もう出られない、って? あはは、そんなことありません。自由です。物見遊山な気持ちでお出かけ下さいな。ここの教会合わないと思ったら、あちらの教会へ。十字架が立っていれば教会です、お出かけ下さいね。だいたい日曜日は朝10時~11時の間に始まっています。お昼までには終わるでしょう。良い牧師さん、良い信者さんと出会えますように!
2003年08月16日
コメント(2)
三島から宇都宮まで、鈍行であしかけ5時間の旅をした。高校時代に耽読した筑摩文学全集の「芥川編」を鞄に。手垢が懐かしいかった。電車に揺られながら、巻末の評伝を拾い読み。文学者の「死」の前後の様子が記されているところで釘付け。彼の死への希求は強烈で、そこに憑かれたようにばく進する。もう周囲はただおろおろするばかりだ。前夜に伯母に「短冊」を託す。そこには彼の自画像が走り描きされている。それは正視できない、世にも恐ろしい自画像だ。そして予告通り、薬をあおる。ボクはその「短冊」を見て思う。「死」をどんなに正当化、美化しようとしても、出来ない、と。彼は、本能的な「生」を「動物的」と卑しんでいる。違う。ボクは、本能的な「生」は、神が命あるものに備えた、光に向かう命の習性だとだと思う。生きることが神のみこころなのだ。理屈ではないのだ。
2003年08月13日
コメント(0)
教会の青年会の夏の修養会、最後は富士裾野の「忠ちゃん牧場」に行く予定を立てていました。なんとなく「暑いよね」「道が混んだらやだね」。みんな年取った青年のせいか、だんだん否定的に。「戸外で伸び伸びしよう~っ」と言う人はいなかった。それで、ビデオ鑑賞会に変更。楽天広場の映画通「純日記」のサイトに行って、お勧め映画を一つ一つ読んであげた。6月8日の日記で紹介されていた「ジョンQ」を読んだら、「それがよさそう」そこで、「ジョンQ」の鑑賞会となった。はらはら、どきどき、そして最後の大団円へ。ヒューマンタッチの娯楽映画だった。今日は暑く、道も混んでいたので、「忠ちゃん」に行かなかったのは正解だったかも。
2003年08月11日
コメント(3)
台風10号の接近で今頃大荒れかと思いきや、ほとんど無風で、雨も、ぽつぽつだ。「リアルタイム天気図」サイトに行ってみたら、三島市の上空の雨量がぽっかりと空いていた。おかげで朝の祈り会には、一人のお嬢さんがいつものようにバイクで来られて、家内と3人でお祈りに励めた。隣の森からは、今とばかりに鳴きまくっているセミの大合唱。セミ君たち、気を付けろよ。もうじきこのあたりも大荒れになって来るのだ。
2003年08月09日
コメント(1)
昨日まで、キャンプに行っていました。中高生の生徒さんたちと一緒に、ゴスペルを歌ったり、聖書のお話を聴いたり、お祈りをしたりしました。やっぱり遊ぶときが一番楽しそうだった。早朝3時半に起きて、日の出を見に行きました。曇っていましたが、山頂の夜明けは、美しい。小さな虫たちが、物珍しそうに、ボクたちの所に寄ってきます。あっはは、ちん入してきてごめんよ。君たちの占有地だったんだね。さえずる鳥たちも、「カナカナカナ」と鳴いているセミたちにも。でも、気持ちがいい~ これは朝毎のドラマだったんだ。世界はこんなに美しい。
2003年08月08日
コメント(0)
見ず知らずの家を訪問して、伝道をするのは、今まではしてこなかった。ほかの宗教のかたがやっているので(ものみの塔!)、間違えられたくなかったという臆病な考えが・・・・今週は、2人の牧師さんたちが、ボクの教会をご訪問下さり、「あなたの教会の周りを訪問伝道させてください。よかったらここの牧師さんもご一緒に」と言ってくださった。それで一緒に教会の周りの家を回った。たまたま2人の信者さんが来ていたので、2組に分かれて回った。ほとんどの人が、わが教会のことを知っていたためか、対応は好意的だった。信者さんたちも喜んで帰ってきて、「とても良い伝道が出来ましたよ」クリスチャンのかたが読んでくださっていたら伺いたいです。皆さんの教会では訪問伝道をやっていますか?
2003年08月02日
コメント(5)
待っていた。本物の夏が帰ってきた。この「もわっ」という気温、けだるい日差し。これが夏なんだ。夏よ、お帰り。きみも確かにボクの一部なんだ。
2003年08月01日
コメント(0)
先週でしたか、NHKテレビで見ました。北海道の湿原に生える「ヤチシンコ」と呼ばれる木。やせた土壌のために、一生花を咲かせることが出来ない。それでも、広大な湿原に静かに生き続ける。一生花を咲かせられなくても、生き続ける。そうだ、ボクたちも、たとえ人生にきれいな花を咲かせられなくても、生き続けることこそ、大切なんだ。「生きること」って、それほど大切なんだ。
2003年07月29日
コメント(0)
季節の中で生きている。春は春の喜び、夏は夏の喜びの中を。同じように、信徒は聖書を読む。毎日、多くても、少なくても、聖書を読み続ける人だ。読み終われば、また最初から読み始める。「春夏秋冬の聖書通読」と呼ぼう。信徒はそのような生涯を送る人だ。ボクもそのようにして、今朝はイザヤ書40~41章を読んだ。もっとたくさん読みたかったけれど、どうしてもたくさんは読めない。聖書の言葉を通して、これはどんな意味かと考え込み、そこでとどまってしまう。あるいは自分の心が映し出されて、それ以上進まなくなってしまう。
2003年07月28日
コメント(2)
夜の礼拝にはだれも来なかった。時間が少し遅れて、妻と2人で賛美を歌う。お祈りをする。それから2人で交互に聖書を読み合った。またお祈りをして「主の祈り」をして、終わり。いつもは1時間の集会だが、30分で終わってしまった。終わってから妻が、「あらまだこんな時間?」とうれしそうに言った。9時からNHKで放映する南極の特集番組を見ようっと。ではさようなら!
2003年07月27日
コメント(2)
仕事でブラジルを行き来される方が、時々、コーヒーを買ってきてくださる。濃いブラウンほとんど黒色に近く粒子がわからないほど細かく挽いてある。スプーンで粉をサーバーに取り、湯を注いでも玉になり、しばらく沈んで行かないのである。それでも湯が沈み始めるとすぐに下から黒っぽいコーヒーが出てくる。口に含むと苦みがきつい。それでもブラックで飲む。適量を誤って、苦過ぎてしまうと、湯で薄めねばならない。その方が言うには、これがブラジル人が飲むコーヒーだそうだ。日本への輸出用はマイルドなのを別に作っていると。このコーヒーを飲みにいらっしゃい。
2003年07月26日
コメント(2)
泊まり込みの集会に行ってきました。仲間の牧師たちが入れ替わり立ち替わり、聖書のお話(説教)を聴かせてくださいます。その前後に賛美歌を歌う時間や、お祈りがあります。数えてみたら15人の牧師さんが、お話しされました。自分の経験談を織り交ぜながら、とつとつと、あるいは流れるように話す人、さまざまで楽しかった。「今日まで、神様を信じてきて良かったんだ。 生きていて良かったんだ。」と聞き手を励ませるメッセージを語りたいです。
2003年07月25日
コメント(1)
愛することにおいて 過つことのないように赦すことにおいて 過つことのないように従うことにおいて 過つことのないように
2003年07月24日
コメント(0)
一太郎(ワープロソフト)一筋なんです。「一太郎」の前身と言われている(名前思い出せない)ものから。それは、NECのPCー100と言われていたマシンに添付されていました。98(キュウハチ)が出始めた頃です。5インチ2Dの大きなフロッピ2枚で運用できました。当時は画期的な熟語変換で、ユーザー辞書がいくらでも作れることに、感動しました。DOS版V4、V5、ダッシュ、ウインドウズになってV5、V6、Lite、Lite2、V8、V9、V10と使っています。V7は不評だったので使いませんでした。今は、LiteとV10を使い分けています。V4の頃と、ほとんど変わっていないと言うのが印象です。(汗)一太郎は、Dos版のV5あたりが一番かっこよかったかな。
2003年07月19日
コメント(0)
朝の祈りでこんな聖句に出合った。「飽きずに励んでいれば、時が来て、実を刈り取ることになります。」 ガラテヤ6:9「飽きずに励む」と「時が来て実を刈り取る」の2つの言葉が、ボクの心にぴったり納まった。それから、ボクの心に納まっていたもう一つの聖句が思い出された。それは「ときが巡り来れば実を結ぶ」という詩編の一句。だから今日も一生懸命に励もう。
2003年07月18日
コメント(2)
夏の風サラサラ・・・・ああ快い梅雨の終わりをためらうように日射しはおだやか草木のそばにたたずんで光に、一緒に包まれていよう季節は夏
2003年07月17日
コメント(1)
おーい、わが子たちよ。お前たちが真剣で、適当に遊んだり、悩んだり、親に心配かけたりしているのを、そばで見ていると、うれしくて胸が熱くなるよ。
2003年07月09日
コメント(2)
全478件 (478件中 201-250件目)