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現在をもってしても師観氏からはお父様が語られた「独生女」み言が一つとして出てこない。「師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事!!(その2)」の続き。前回は師観氏のコメントでは李相軒先生の「霊界の実相と地上生活」からの引用を用いては、祝福を受けたとしても天国どころか地獄へ行く、とまで書いていた。全体のごく一部分(P.37のみの記述)を引用してそれがあたかも全てであるかのような主張の展開は差し控えるべきと考える。と書いていたが、その実際の箇所(P.37)が以下。わずかこれだけをもって「聖酒式や祝福式が地獄行だ」と断言していた。甚だしい曲解である。私tomyu4509からはほかページで、 堕落性とは、神様が本来願われる原理軌道から脱線した心理状態を言います。……完全復帰とは、それほどやさしいものではありません。……堕落の血が流れているので、その血統を整理しなくてはいけないのです。すなわち、人間は、再び生まれなければなりません。……重生の価値基準を知らなければなりません。……その仲保者が真の御父母様であられます。……我々はサタンから堕落性を受けましたが、自分自らの努力によって堕落性を脱ぐということは、誤った考えです。真の御父母様から受けた祝福の価値を悟るようになるとき、はじめて堕落性を脱ぐことが可能になります。それゆえ、祝福の価値基準は、いろいろなみ旨を内包しています。真の父母の価値もまた、驚くべき事実です。そのことを、この国、霊界に来て初めて深く悟るようになるのです。と、霊界から見た祝福結婚による重生の価値と真の父母様の価値について紹介していたのだが。ところで、「霊界の実相と地上生活」が出版されたのは1998年であったが、2000年9月には何があっただろうか。「三時代転換四位基台入籍祝福式」が挙行されたときであった。父母様は上記のようなことも知っておられたので、サタンに讒訴されるような罪や慣習を背負ったままで「入籍」することは出来ない。よって、「告白文」を書くように指示され、過去に犯した罪を消しゴムで消すように整理してくださるのだと説明を受けた。このことをお忘れではないだろうか。したがって、祝福家庭のそれ以前の罪は霊界では記録が消されている、という話である。師観氏の1ページにも満たないそれは遠い過去のものとなった。師観氏のデマ記事に騙されることなかれ!!さて、今回の師観氏のブログ記事多様性の中の一致(UC内における宗教改革の必要性について)http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-366.htmlアボジが主催する様々な超宗教的会議がありましたが、God Conferenceは有名でした。原理講論によれば、すべての宗教は神から出て来たものであり、善を説くという。再臨主が来た時には、霊界の働きでそれぞれの宗教がそれを求めて一つになるという。事実、そのようなことも多少はありましたが大きなうねりにはなりませんでした。原理は内的真理も論理的、科学的、実証的にも解明されねばならないと説いていますので、宗教学者が集まりやすいのです。彼らは客観的、学問的観点から原理だけでなく、様々な宗教も例外はありますがほとんど和やかに論じていました。それは客観的に自分と自分の信仰を観ることが出来るもう1人の自分がいるからです。超宗教において、Unity in Diversityがキーワードになっていたかと思います。「多様性の中の一致」とでも和訳しておきましょう。一致点は善であり、人々を幸せにすることです。霊界では、内容(善)がない状態で天国に行くとそこは地獄よりも苦しいところだという(霊界の実相)。UC内部の分派(?)においても、お互いに裁き合うのではなく、「多様性の中の一致」を和気藹々と語れることが必要です。超宗教活動ではそれが出来るのですが、いざ自分達の内部のこととなると神山氏を除名したり、H1やH2の影響を警戒し、ピリピリして見張るというまるで昔の共産主義の社会のようです。ここで、師観氏は「超宗教」といっても宗教間はそれぞれに社交辞令でほどほどにといった関係以上には進まない、ということを言いたいのだろう。しかし、こんにちを見てみればお母様の「独生女」を置いて世界が静かな「うねり」となっていく気配を感じているはずだ。分派にしてもまた然り。これまでも「独生女批判理論」を駆使してその動きを阻止しようとしても、それを止めることが出来ない有様である。それに飲み込まれていくのも時間の問題である。お父様が語られた「独生女」を隠して語らずの批判理論に勝ち目(真理)はない。ところで、気になる「H1やH2」とは誰のことか?H1 = 孝進様H2 = 興進様であり、それに続く三男さんは「H3」、七男さんは「H4」ということになる。お間違えの無いようにだ。「H1=三男さん」とすることで、三男派は長子・孝進様を打ち消そうとしたものだったが、「H2=七男さん」とされていることにサンクチュアリは甘んじているということか。「長子は孝進様」は、父母様のみ言だ。それともう一つハッキリとしておかなければならないことは、神山氏ほかの除名処分についてだ。私個人の意見としてだが、これまでもそうであったからといって「赦しと愛によって罪が許される」時代がいつまでも続くものでもない。お父様もいずれは「法統治」時代が来ること予告されておられたように、その時がすでに来ているのではなかろうか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.30
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世界平和統一家庭連合の聖歌「丹心歌」です。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.28
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世界平和統一家庭連合の聖歌「愛の統一」です。久保木修己初代会長の作詞・作曲です。
2018.05.28
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今回も師観氏ブログ記事から。UCの聖酒式や祝福式が救いの絶対条件なのかhttp://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-365.html内村鑑三など上記無教会主義の教会では、洗礼や聖餐や侒手などの儀式、儀典は行いませんんでした。キリスト教会でも、洗礼や聖餐や侒手などの儀式、儀典は、信仰の重要な要素であるが、救いとの直接的な関係は無いと言っています。救いに絶対必要なのは、イエスによる十字架の贖罪、墓に埋葬されたこと、3日後に復活されたことの福音の3要素を信じることであり、洗礼は救いの絶対条件ではないといわれています。(中川健一牧師など) そこで我がUCでも、神を信じ、真の父母の重生を信じ受け入れる信仰だけでは救いは無いのか、聖酒式や祝福式が救いの絶対条件なのか、こういう重要且つ深刻な問題が出てきます。この点について貴殿の見解をお聞きしたいと思います。これに対する師観のコメント:1.答えはものすごく簡単です。貴兄が聖酒式や祝福式を受けたのなら、それは天国に入るためではなく地獄行きの儀式になります。何故なら神様自身が地獄にいるからです。そして神のいる所が天国なのです。まずは、内村鑑三の無教会主義を挙げての既成教会の洗礼や聖餐式が行われていないことを理由として、家庭連合の聖酒式や祝福式は「地獄行」、間違ったものであったと結論付けているようだ。ここで、ウィキペディアの「無教会主義」をよくよく読んでみれば一部にそういう人もいたが、無教会主義であってもこれら伝統的礼典を否定していたわけではなかったことが分かる。礼拝の中心を占めるものは聖書講義、聖書講話と呼ばれており、前後に讃美歌を歌い、祈りや黙祷をするなど、プロテスタントの礼拝形式を簡素化した形をとっていることが多い。洗礼(浸礼、バプテスマ)、聖餐式等の儀式は通常行わない。ただし、かならずしも洗礼反対、聖餐反対という意味ではない。その意味では、無教会主義は「反教会主義」ではない。内村鑑三といえば、日本で再臨運動を展開した人物として有名である。もしも、再臨主が来られたならどうすべきであったかは言うまでもない。ところが、そうはなっていなかった。前回同様に「無教会主義」者もまた既成教会のそれであり、「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」、つまりは家庭連合の祝福式を並べて比較すること自体が無理な相談であった。さらには、師観氏のコメントでは李相軒先生の「霊界の実相と地上生活」からの引用を用いては、祝福を受けたとしても天国どころか地獄へ行く、とまで書いていた。全体のごく一部分(P.37のみの記述)を引用してそれがあたかも全てであるかのような主張の展開は差し控えるべきと考える。私自身も聖酒式や祝福式が救いの「絶対条件」ではないことには同意するが、「必須条件」であると思うのである。さて、「霊界の実相と地上生活」を見れば、「第三章 原理から見た霊界の暮らし」(P.61~)についても書かれており、その中には「堕落性と重生」ということで、霊界から見た祝福結婚による重生の価値と真の父母様の価値についても書かれていた。 堕落性とは、神様が本来願われる原理軌道から脱線した心理状態を言います。……完全復帰とは、それほどやさしいものではありません。……堕落の血が流れているので、その血統を整理しなくてはいけないのです。すなわち、人間は、再び生まれなければなりません。……重生の価値基準を知らなければなりません。……その仲保者が真の御父母様であられます。……我々はサタンから堕落性を受けましたが、自分自らの努力によって堕落性を脱ぐということは、誤った考えです。真の御父母様から受けた祝福の価値を悟るようになるとき、はじめて堕落性を脱ぐことが可能になります。それゆえ、祝福の価値基準は、いろいろなみ旨を内包しています。真の父母の価値もまた、驚くべき事実です。そのことを、この国、霊界に来て初めて深く悟るようになるのです。このように師観氏は、間違った情報によって混乱を引き起こそうとしておられるのではないか。かつての統一教会の反対牧師らがそうであったように、既成教会のそれと重ねることで家庭連合が「異端」であるかのような悪イメージを植え付けようとしている。読者の皆様には、上記記事もまた悪意に満ちた引用をもっての家庭連合批判でしかないことが理解できたことと信じる。ところで、師観氏自身はこのようにしては、今後どのような方向をめざしているのか。羅針盤を失くした海にいつ沈むとも分からない漂流船であり、そのような船に誰が乗船しようと思うだろうか。かつて、久保木修己(オサミ)初代会長は羅針盤を持った「宇宙船『地球号』」を語っておられたが、師観(オサミ)氏は久保木修己会長のようにはなることは出来ないようだ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.28
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師観のブログ記事(2018-05-25)記事から。独生女に対する最近の議論(2000年のキリスト教史がUCの中で、圧縮されて展開されている)http://katsuwatanabe.blog.fc2.com/blog-entry-364.html貞操を守っていることが変わり者扱いされているのです。お陰で、今頃 純潔を唱えると白い目で見られる有様です。・これはサタンの戦法といえるでしょう。神から来た真理は”取って食べてはいけないのです”が、サタンはその真逆を言うのです。そして、それを人々に定着させ、一般化していくのです。そして、それを未だ受け入れていない人々を変人扱いにするのです。・家庭連合も「独生女」や「女性メシア」を大上段に振りかざし、「独生子」と「男性メシア」は相対的に強調されなくなっていくのです。やがて、これが信徒の間に定着し、一般化していくとどうなるでしょうか。”あなた、未だ ”「独生女」や「女性メシア」”論を受け入れていないのですか?ということになって行くでしょう。TMは八大教本から原理講論を除くことを主張しましたが金栄輝先生がそれを守った話は有名です。 原理講論には「独生女」や「女性メシア」論は出てきませんので、取り除きたかったのでしょう。・組織信仰とは恐ろしいものです。組織の言うことが絶対化され、個々人の良心がなおざりにされていくのです。451年のカルケドン会議では、キリストとは「真に神であって真に人間である」と宣言されキリストは神性と人性の両性を持つ存在でした。然るに、いつの間にか、神性だけが強調され、人性は忘れさられ ”独神性”になって行くのです。「独生女」が「独占女」になって行くのなら2000年のキリスト教史がUCの中で、圧縮されて展開されているのでしょう。注:「独生女」や「女性メシア」を大上段に振りかざし、「独生子」と「男性メシア」は相対的に強調されなくなっていくことは問題ですが、それが即free sexを定着させるサタンの戦法と同じだと言っている訳ではありません。内容は随分違いますが、原理と真逆のことを言って、それが広がり定着していくという構造は全く同じなのです。だから、注意しなければいけないのです。師観氏のこれはフリーセックスと「独生女」を同じに見ての批判記事だが、そうまでしてもお母様を貶めたいのだろうか?まずもって、「お母様が八大教材教本から原理講論を除くと主張した」は、私には初耳だがどこからの情報か?意外と匿名者投稿のPカフェ情報ではないかと思うのだが。また、「独生女」は原理にはない間違いであるといった主張は何処から出てきたものなのかだ。「独生女理論」「独生女論」などといっては、その裏返しが「独生女批判理論」であったことはこれまでも私tomy4509が証明してきたものであった。「独生女」の言葉そのものを最初に語られたのは、お父様だ。そのみ言全体の中で「独生女」は約180回あるとのこと。「独生女批判理論」からはお父様の語られたそれが一つとして聞かれない。師観氏の文中にも「八大教材教本」が出てきたが、その中の黒・天聖経にも「独生女」が書かれていた。お母様の「独生女発言」だけをもってして、師観氏は家庭連合はお父様を忘れ去ろうとしているというが、お父様の「独生女」を語らない師観氏らこそがお父様をどこかに置き去りにされておられるのではなかと言いたい。また、451年のカルケドン会議がどうだというのだ。家庭連合をこれまでのキリスト教の枠で測ろう(謀ろう=騙そう)とでもいうのか。「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」だ。さて、サタンが恐れるものが「真の父母」である。2000年前のイエス様の時はサタンの三大試練にもあった。「独生子(独り子)」であっても十字架に架かればそれまでだった。血統を連結することが出来なかった。本来ならイエス様は結婚していれば、十字架に架かることはなかったという。ために「再び来る」と言われたのだ。そして、何をするといったのか。「子羊の婚宴」だ。1960年がそれだった。分派の(祝福家庭の)方々はそれをも忘れては「自己の位置を離れ」ているようだ。1)神と同じ立場に立てない2)自己の位置を離れる3)主管性を転倒する4)犯罪行為を繁殖するなかでもサタンが最も恐れるのは、「独生女」であることは言うまでもない。イエス様がニコデモに語られたのがそれだ。堕落人間であっても、再びその胎に入って生み変えられなければならないと言われた。「聖霊」を迎えなければ「独生子」のイエス様一人では何もできない。原理講論(「重生論」)にも書かれた内容である。その実体の聖霊がこんにちの「お母様」であることは言うまでもない。こんにち、「独生女」の出現によってそれが可能となったという話だ。私たちはこれを信じて祝福を受けてきたのではなかったか。お父様ひとりでは不可能な事だった。また、「原理本体論」もまた絶対『性』、堕落のないアダム・エバについてかたられたものであった。「天宙父母実体み言宣布大会」は!!師観氏、お父様の「独生女」も語らずのデマ記事だ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.26
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前回は、ヘーゲルの弁証法について説明しました。ヘーゲルの弁証法は、正、反、合という三段階で物事は発展する、そして神に近づいていく、という理論でした。マルクスはこの理論を利用しました。しかしマルクスが作ったのは神の存在しない世界を実現するための理論でした。そしてその理論の中心は暴力の正当化でした。今回は、マルクスが考え出した「唯物弁証法」がどのようなものなのかについて、具体的に見ていきましょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.25
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韓国ニュース(2018-05-24)から。http://news.mk.co.kr/newsRead.php?year=2018&no=330211夢はかなう - 板門店で浮いた世紀の列車の旅板門店宣言直後に実施した世論調査の中、南北の平和の時代が開かれる何をしてたいかは、項目があった。若者たちは、平壌旅行、そして列車を利用した、世界旅行を、中年以上は不動産投資を挙げた。この調査の結果だけを考えてみると、大韓民国の未来は非常に明るい。一方、極端レールツーリスト(列車の旅主義)は、これまでの心の中に抱いていた世界の列車の旅の主要都市を取り上げにもはや躊躇していない。今日の旅行の夢はそこで開始された。▶レールリストが唱えるユーラシア鉄道路線 韓国は島である。三方を海と一面はすごく四壁である。遊牧民の立場では、このような最悪の立地もない。一体国の外に出に飛行機以外の方法がないのだ。ところが、北朝鮮との国境のみ開放ば、韓国は世界の旅行者のバケットリストに上がっても残るのバケットリストの終わり時王になるのは明らかである。韓国人が電車に乗って外に出ることもぴりっとが、世界の人々が集まるようにもこれ以上の終着駅がまたあるか?これは夢ではない。板門店の自由往来が行われれば、世界の鉄道は銀河鉄道だけ長くできるようになるだろう。釜山から出発した列車は、ソウルと平壌を経て南浦を撮ってシベリア鉄道に沿って、ロシア全域と欧州のすべての都市、そしてパリとロンドンを結ぶ地下トンネルを通過して、ロンドンを経て、リバプールまで到達することができる。南浦に行かず新義州で行く場合鴨緑江を渡っ丹東に入ると、細かい中国大陸の列車を利用して、中国全土のシルクロードを走ってイランとトルコを経てヨーロッパに進入することができる。それだけだろうか。パリから南へ走るTGVはバルセロナ、マドリード、そしてジブラルタルまでつながる可能性があります。 夢見るレールツーリストはソウル駅を世界の列車の旅の中心に設定する。そしてもう一つ、釜山駅を過ぎ海底トンネルを開けて対馬を経て九州に入って、日本列島の中心、大阪と東京をさかのぼって札幌まで続く大長征を構想したりする。もう少しオーバーすれば、鉄道は札幌で停止することができない。千島列島を足で接続し、ロシアの最東端ナウカーンハイで米国アラスカ州ウェールズまで続いたならば、その列車は、米国を縦横無尽し、南米を突き抜けて極点までつながる可能性があります。アラスカまで鉄道が続く日がいつあるか計るすることさえ難しいことだが、すぐに実現可能な区間は、やはり既に鉄道が開設されているリヴァプール、釜山区間になるだろう。次に、この長い長い鉄道の極点は、釜山-リバプールになるだろう。ああ!考えただけでも足ふわふわ浮いている感じがしない。 (中略--詳細記事を原文で見る。)▶釜山-九州海底トンネルは夢なのか? 列車の旅主義者たちは、釜山 - 対馬 - 九州、巨済 - 対馬 - 九州や木浦 - 済州 - 対馬 - 九州を結ぶ海底トンネルが生じた場合、列車に乗って日本列島を縦断することができるという夢をクゴンた。海底トンネルを出た列車は新幹線で接続されて、大阪 - 東京に続き、日本最北端札幌まで走るだろう。韓日海底トンネルが取り上げられたのは1981年には、当時の統一教会と文鮮明司教によってであった。日本の海底トンネル研究会の調査によると、韓日海底トンネルは、一度工法、論理上のインストールが可能である。もちろん火山地帯を通るという理由で、韓国ではすでに難色を示したりもした。費用は100兆ウォン、工事期間は20年という具体的な数値まで出てきた韓日海底トンネルは、しばらくの間、水面下で沈んだが、李明博政権時に再浮上したりした。現時点ではるかに遠い話だが、情勢の変化に応じて再取り上げていなという方もない。札幌で千島列島を経て、ロシア極東ナウカーンハイと米国ウェールズを結ぶ路線は、現在としては夢物語でしか見ることができない。もし永久凍土の地にレールが敷かれ、その上に列車がツンドラの地アラスカを通っカナダのバンクーバーに到着して、米国の国境線を越えてシアトルを経由、アメリカ全土に広がって、その列車が再び南米の尾まで続いたならば... 。ああ、そんな日が果たして来ることができはあるか?列車の旅主義者に夢想は自由だ。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.24
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韓国・日曜新聞(2018-05-22)http://ilyo.co.kr/?ac=article_view&entry_id=298215#close_kova「2018新韓国家庭連合嶺南圏希望前進決意大会」、27日ベクスコで開催昨年5月に釜山べクスコで開かれた2017希望前進決意大会当時の景色。[釜山=日曜新聞]バクヨウンチョン記者=最近の南北首脳会談に続き、北米サミットが推進されているなど、韓半島情勢に新たな変化の波が起きている中、「健康な家庭を作って韓半島の平和を実現しよう」は、イベントが用意されて関心を集めてている。 世界平和統一家庭連合新韓国家庭連合嶺南地域(地区長バクヨウンベ・以下家庭連合)は、「幸せな家庭!健康な社会!平和な世界へ!」というキャッチフレーズを掲げて朝鮮半島の統一と幸せな家庭を願う「2018新韓国家庭連合嶺南圏希望の前進大会」を27日午前10時釜山第2展示場で開催する。 この日の行事には、オ・ゴドン加え、民主党釜山市長候補、ソビョンス自由韓国党釜山市長市長候補、イソングォン正しいミレダン釜山市長候補、民主党転載することができ(釜山北区江西甲)、韓国党ユジェジュン(釜山水営区)議員、ライオンズクラブ国際協会ファンジョンギュ(355- A地区)ガバナー、平和大使協議会主沸騰会長、韓民族一斉運動本部キム・ジョンシク総裁をはじめとする嶺南圏地域住民と青年・学生など約1万人が参加する。 韓鶴子世界平和統一家庭連合総裁が基調講演を、ああ候補と立って候補などが祝辞を持つ。大会社新韓国家庭連合イギソン会長が務める。 韓総裁はこの日のテーマの講演を通じて、世界の平和と南北統一のためには、最初に、神の真の愛を中心に幸せな家庭を作成する力説する。 した総裁は、南北統一をする上でも韓国人や北朝鮮の同胞も、自分たちよりも、相手を自分の家族のように愛さなければならないというメッセージを伝える。特に韓総裁は「2000年前の十字架に掛かって死んだキリストの血と引き換えに誕生した、キリスト教とキリスト教を国教と採択、米国など主要先進国が、今日「隣人を自分の体のように愛しなさい」と言われた本来の真の愛の精神を失って捨て自国の利益を優先とする利己主義に流れている」とし「このような自国優先主義と仮定利己、個人利己主義では決して真の愛があふれる社会、国家、世界を構築することができない」と訴える予定である。韓総裁は続いて便利だけを追求するあまりの物質主義、環境破壊にも警告する。 彼は「外的に産業革命以来の近代文明、高度に発達した科学は人間に便利さと物質的、肉体的快楽を与えたが、いくつか問題点も表示された。環境破壊の問題も深刻である。すぐに中国を見てください。中国で発生した発がん性成分の汚染物質が混ざった微細粉塵が頻繁に北東アジアの空を覆って呼吸が困難状況ではないか」とし「この状態で継続行っている途中は、人間の生命はもちろん、私たちが住んでいるこの地球の未来を保証することができない時点に来ているのも事実である」と強調しする方針だ。 韓総裁は「このような韓半島の平和の構築、南北統一と複数世界の問題を解決するには、人間の力だけでは限界に達したと言いたい」とし「本来は宇宙の主人である創造主の神を理解し、その力を借りるは知恵を発揮し「幸せな家庭健康な社会の平和な世界」を作ろう」と力説する計画だ。 この日の行事は、本行事に先立ち、1部ヒョジョン天宙祝福結婚式をはじめ、2部のテーマ講演、3部の文化公演の順に進行される。 特にこの日嶺南圏文化青年学生300人で構成された「希望パフォーマンスチーム」は、歌と一緒にする変動を祝うプログラムに披露する。 鮮鶴児童合唱団も「幸せの国で」、「美しい国」の歌をプレゼントする。 一方、この日の行事参加者らは「奇跡のような空摂理の新しい春を迎え、天の祝福で健康的な家庭を作って韓半島の統一と国民和合の架け橋の役割をしよう」という決議文も採用する。 i 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.23
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韓国ニュースから。http://news.kmib.co.kr/article/view.asp?arcid=0923948263&code=23111412&cp=du[寄稿]韓半島分断期は異端に対処する機会はありますか危機か南北と米朝首脳会談を通じて南北の和解ムードが造成されている。しかし、横行する異端者の活動を見ると、肯定的にのみ見ることができない状況である。南北交流の活性化は、すぐに北朝鮮と中国東北3省を拠点とする韓国の異端の影響力拡大につながる可能性があるからだ。異端対処の観点から韓半島の平和定着は「北朝鮮宣教の機会」であると同時に「異端問題による危機」の開始することができる。まず、1992年に文鮮明と金日成の出会いの後、統一教会は北朝鮮進出の広幅歩みを続けている。文鮮明の故郷である平安北道定住生家に「定住平和公園」が立てられ、ここを訪れる統一教会信徒の巡礼が続いている。平壌の中心には、北朝鮮で最大の黒字を上げた統一教所有「普通鋼ホテル」があり、向かいには「統一教会平壌家庭教会」がある「世界平和センター」がある。2013年末には統一教が70%の株式を確保していた「平和自動車」を北朝鮮に無償譲渡し、その対価として、北朝鮮全域を網羅する販売網を許可受けたニュースもある。個性を中心とした韓国企業の対北朝鮮事業は制限的で不安定だが、統一教の対北朝鮮事業は揺らぐことなく安定的に行われている。さらに、毎年、文鮮明の誕生日には、白昼ソウルのど真ん中の最高級ホテルで金日成、金正日、金正恩が送信さ山参と豊山犬などの贈り物が統一教会に渡された。統一教会の対北朝鮮進出は治外法権地域で本格化している。第二に、南北の平和局面の組成は、中国東北3省で活動している韓国の異端の北朝鮮進出を容易にする見通しだ。吉林省と遼寧省、黒龍江省など東北3省の朝鮮族同胞が集中的に居住する地域であり、中国異端が多数勃興した地域である。現在ここには新天地、神の教会、救援派をはじめとする多くの韓国異端が攻撃的な布教活動を行っており、朝鮮族信徒を通じて、中国全域に広がっている。韓国の異端の無分別な布教活動のために危機感を感じた中国政府は、韓国の宣教師たちを定期的に追放しているという。第三に、国内に居住する北朝鮮離脱住民と朝鮮族同胞に対する異端のアクセスも注視する必要がある。韓国で不確実で不安定な時期を送っている人々に、異端者は拒絶するのは難しい救いの手を与え近寄っている。南北交流が本格化した後、これらの故郷に戻って家族と知人を対象に布教活動をするようになれば、北朝鮮と東北3省で韓国異端の影響力はさらに大きくなるだろう。国内居住多文化民族と朝鮮族同胞のための戦略的な次元での宣教が進行なければならない。南北のと東北3省をつなぐ「シルクロード」が「異端ルート」がされている危機の瞬間が今後のではないか懸念される。何よりも、韓国の教会の連合的異端取り組みが惜しい。異端は、組織的かつ体系的に北朝鮮に進出しているが、韓国の教会は、競争的なロマンチックで統一問題にアプローチしている。北朝鮮宣教は示す式統一運動を超え異端対処活動と並行して、緻密で戦略的に展開されなければならない。韓国教会の四分五裂された連合の動きは異端対処電線の混乱で、その限界をそのまま表わしている。「キリストのための連合」ではなく「私利私欲のため野合」を行って教権掌握と静電気除去の手段として異端の問題を悪用する効果的な異端対処は、エージェントだけだ。北東アジアの異端に対処するための韓国の教会の連合的対策が切実だ。1世紀前復興の炎が起きた「東方のエルサレム」平壌で韓国教会が再び福音を持って探していく日、すでにそこに安定的に定着している異端者と避けられない神聖な戦いを開始する暴風前夜に韓国教会は立っている。タクジ日(釜山ジャンシンデ教授・現代宗教理事長)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.21
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『お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」』を5回に分けて掲載した(以下)。お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その1)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その2)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その3)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その4)お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その5)お父様がこれから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。 ……今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。 ……そういう事にならないよう、お前たち二人はいつでも、お母さん、お父さんに仕えるようにしなさい。兄さんを神のような立場に立てて仕えるならば、神様も真の父母を愛するように皆さんを愛してくれます。全員がこうしなければならないのです。 ……その父母に対して、たとえ一言でも不従順をして痛い胸に針を刺すことは、自分が千遍死んだとしてもなしえないという、そのような血族であることを誓うお前たちにならなくてはなりません。と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたものです。最近の三男派ブロガーからは、三男さんが「長子だ。後継者だ。」と主張する記事が少なくなってきたようだが、1985年8月のお父様のみ言を読まれてどのような感想を持たれただろうか?ずいぶん過去のみ言だから関係ない、と考えられるのか。さて、黄マーカーは、tomy4509の身勝手な引用だらだが、まず第一に「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです。長男が受け継ぐのが原則です。」は、お母様が今年3月に米国で儒教の伝統文化を挙げながら「聖和された孝進様であっても長男であり、継代はそのお孫さんへと受け継がれていく」と語られていたのと通じるものであったことはすでに書いていた。また、真の父母はほかにはないが「祭司」として、とのことだ。レビ族は祭司の立場で「契約の箱」を担ぐ職にあった。以下の申命記を読めば祭司は嗣業を持たず、もっぱら兄妹のために祭事を執り行うことでその食をも得ていた。申命記/ 18章 01節~レビびとである祭司すなわちレビの全部族はイスラエルのうちに、分も嗣業も持たない。彼らは主にささげられる火祭の物と、その他のささげ物とを食べなければならない。彼らはその兄弟のうちに嗣業を持たない。かつて彼らに約束されたとおり主が彼らの嗣業である。祭司が民から受ける分は次のとおりである。すなわち犠牲をささげる者は、牛でも、羊でも、その肩と、両方のほおと、胃とを祭司に与えなければならない。……余談だが、分派の方々はこの嗣業を持たない現代のレビ族「祭司」に対しての批判をもしているようだが、聖書からは考えられないことである。話を戻そう。お父様も「祭司長」ということを語られており、その祭司長がどうあるべきかについてもあった。それに対して、長子だと叫んでいた三男さんはお父様の言われるところの長子・「祭司長」であるか、という疑問がわいてくる。tomy4509からの回答はいうまでもないことだが、三男派の方々へは新たな「まるバツクイズ」とでもしておこうか。お父様は孝進様だけでなく、兄妹たちにも「(父母様が神様にしたように)父母様に仕えなさい」であり、兄妹間でも仕えあいなさいということだった。モーセの律法を連想させるようなものだ。孝進様はそれを上手くできただろうか、というとそうではなかったと孝進様聖和後にお父様も語っておられた。<続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.20
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今日から教区の壮年交流会が某所予定されている。2日目のスケジュール予定ではVIPの講話もあるとの情報だが。私は家庭の都合もありで1日目だけの参加。スポーツと交流が中心。13:40から施設利用についてのスタッフの方からの説明。その後に教区壮年交流会の開会式。教区長が忙しいスケジュールを縫ってあいさつされた。そのなかで、ここ(石川教区)だけの非公式情報も話されていたが……。スポーツでの交流はソフトバレー。4チームに分かれての総当たり戦。私のチームは2位だった。食事を挟んでのちは、世界日報の方を招いての「43ともクラブ」の紹介を受けての地域交流への応用について学び、実体験を通じての壮年の交流会となった。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.19
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仕事の帰り際、駐車場で普段はあまり話をしない方が近寄って来て小冊子を手渡された。聞けば、真光系の宗教。ところが、その表紙を指しながら「宗教ではない」との説明。では、これも『超宗教か?』なるほど、表紙を見れば「宗教」ではない。『崇教(スウキョウ)』だ。一本取られた気持ち。それでも嬉しかったことは、その号崇(数)が「667」であったことだ。何かの吉兆を予感するものだったのでありがたかった。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.19
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前回は、弁証法の意味について解説しました。弁証法を簡単に説明すると、「開かれた心で対話をすることで、真理に至ろうとする方法」のことです。この弁証法を完成させたといわれている人物が、ヘーゲル(1770~1831)というドイツの哲学者です。マルクスはこのヘーゲルの理論を利用しました。今回は、ヘーゲルの弁証法について解説します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.18
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今日は、原理講論を開いてtomy4509が目にした箇所の引用をみてみたい。モーセ路程のP.363から。http://ffwpu.family/library/divineprinciple/moses/moses2第二の奇跡は、神の命令によって、モーセが最初に手を 懐 に入れたときには、その手がらい病にかかっていた。しかし、神の命令によって、再びその手を 懐 に入れたときには、らい病にかかっていたその手が完全に快復して元の肉のようになっていたのである(出エ四・6、7)。この奇跡は、将来イエスが後のアダムとして来られ、後のエバの神性である聖霊(前編第七章第四節(一))を送られることによって、贖罪の摂理をされるということを、象徴的に見せてくださったのであった。最初に手を懐に入れて、不治のらい病にかかったということは、最初に天使長がエバを 懐 に抱くことによって、人間が救われ難い立場に堕落してしまったということを意味したのである。そして、その手を再び 懐 に入れたとき、病気が完全に治ってしまったということは、人類の父性の神であられるイエスが来られて、人類の母性の神であられる聖霊(前編第七章第四節(一))を復帰し、めんどりがそのひなを翼の下に集めるように(マタイ二三・37)、全人類を、再びその 懐 に抱くことによって重生せしめ、完全復帰するということを表示されたのであった。このように、原理講論の随所に「お宝」が埋もれていた。それを掘り当てていったときに初めて、この「原理講論」の主人を発見することができるようになっていたのではなかろうか?!以下は『ファミリー 2009年1月号』から。因みに、原理講論の「前編第七章第四節(一)」葉といえば、これまでもtomy4509がブログで取り上げてきた「(原罪のない)善の父母」が記された箇所である。http://ffwpu.family/library/divineprinciple/christology#7-4(一) 重 生 論① 重生の使命から見たイエスと聖霊 イエスは、自分を訪ねてきたユダヤ人の官吏ニコデモに、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできないと言われた(ヨハネ三・3)。重生とは二度生まれるという意味である。では、人間はなぜ新たに生まれなければならないのであろうか。我々はここで、堕落人間が重生しなければならない理由について調べてみることにしよう。アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。しかし、彼らは堕落して人類の悪の父母となったので、悪の子女を生み殖やして、地上地獄をつくることになったのである。したがって、イエスが、ニコデモに言われたみ言どおり、堕落した人間は原罪がない子女として新たに生まれ直さなければ、神の国を見ることができないのである。我々を生んでくださるのは、父母でなければならない。それでは、堕落した我々を原罪がない子女として生んで、神の国に入らせてくださる善の父母は、いったいどなたなのであろうか。原罪のある悪の父母が、原罪のない善の子女を生むことはできない。したがって、この善の父母が、堕落人間たちの中にいるはずはない。それゆえに、善の父母は、天から降臨されなければならないのであるが、そのために来られた方こそがイエスであった。彼は堕落した子女を、原罪のない善の子女として新しく生み直し、地上天国をつくるその目的のために真の父として来られた方であった。ゆえに、ペテロⅠ一章3節に、「イエス・キリストを死人の中からよみがえらせ、それにより、わたしたちを新たに生れさせて生ける望みをいだかせ」というみ言がある。イエスは、アダムによって成し遂げられなかった真の父としての使命を全うするために来られたので、聖書では、彼を後のアダムといい(コリントⅠ一五・45)、永遠の父といったのである(イザヤ九・6)。また、神は、預言者エリヤを再び送り、彼の力で堕落した人間の心を、父母として降臨されるイエスの方へ向けさせることによって、彼らをその子女となさしめると言われた(マラキ四・6)。そして、イエスが再臨されるときも、父の栄光のうちに来られる(マタイ一六・27)と言われたのである。ところで、父は一人でどうして子女を生むことができるだろうか。堕落した子女を、善の子女として、新たに生み直してくださるためには、真の父と共に、真の母がいなければならない。罪悪の子女たちを新たに生んでくださるために、真の母として来られた方が、まさしく聖霊である。ゆえに、イエスはニコデモに、聖霊によって新たに生まれなければ、神の国に入ることができない(ヨハネ三・5)と言われたのである。このように、聖霊は真の母として、また後のエバとして来られた方であるので、聖霊を女性神であると啓示を受ける人が多い。すなわち聖霊は女性神であられるので、聖霊を受けなくては、イエスの前に新婦として立つことができない。また、聖霊は慰労と感動の働きをなさるのであり(コリントⅠ一二・3)、エバが犯した罪を蕩減復帰されるので、罪の悔い改めの業をしなければならないのである。さらに、イエスは男性であられるので、天(陽)において、また、聖霊は女性であられるので、地(陰)において、業(役事)をなさるのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.17
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3月の米国でのお母様のみ言葉から、今、三男派は「道標」を見失い迷走を始めているようだ。一つはヨンギ氏(マキの夫)のブログ記事(以下)。真の子女様の摂理的観点の違いに対する分析(柳慶明)https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12376202827.html最近サンクチュアリィ教会は相当の焦りを感じている様子。「家庭連合の研究」君あんた方が連合に何の用がありますか?真の母を取り変えたのに、お得意の期限付き祝福の不足分を補給するために?といった具合にサンクチュアリの批判。その一方では、同じ三男派で在りながらサンクチュアリ情報を取り入れての家庭連合批判のkimuchiのブログ記事。『家庭連合ブログ入門編~韓鶴子氏は文鮮明師に反逆』https://kimuchi.muragon.com/entry/477.html(澤田地平氏の審判回避プロジェクト一部引用)(仮称)最近の世界平和家庭連合とは?(中略)③家庭連合の中心教義 文鮮明師の教えが家庭連合の教義であることは述べました。その教義の中心は文鮮明師がイエスキリストの再臨であり、メシヤであるということです。イエスキリストの再臨であり、メシヤであるということは文鮮明先生は無原罪の神様の独り子であるということです。すなわち家庭連合の教義の中心であり最重要の教えが、文鮮明先生は無原罪のメシヤであるということです。そして、この教えを受け入れるものが家庭連合の信徒です。ほか、三男派のブログをみれば、組織批判の過去記事をぶり返しては、家庭連合を何とかして貶めようとするもの(重箱の隅)が目立つ。以前にはやれ「長子だ。」「後継者だ。」といった発言も多く見かけたが、その声も鳴くなってきた。「祝福権委譲がなかった三男さん」に魅力を感じなくなってきた、「三男さんは長子にはなれない」といったことが、ブログ村でもかなり浸透してきた結果だと自称ルポライターtomy4509は分析している。もちろんのことながら、「ヨンギ氏も、家庭連合に何の用がありますか?」では、と言いたいところでもあるさて、kimuchi氏のそれ(サンクチュアリ情報)にしても同様のことだ。家庭連合の中心教義は上記に引用した通りだが、「韓鶴子氏の無原罪誕生発言」、「韓鶴子氏の文鮮明師有原罪誕生発言」これらお母様の発言があっても何一つとして原理と矛盾していない、というのがtomy4509の意見である。原理講論から見ても、アダム、ノア家庭と「サタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は偶像商であるテラから、その長子アブラハムを連れだしたのである。」とある。同じく、第一アダム--第二アダム(イエス様)とサタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は(堕落圏から)再臨主を連れ出したのである。」も有り得る話だ。また、新しく中心人物として立つためには、過去の中心人物の失敗までも蕩減しなければならないという原則がある。イエス様の十字架によってサタンに奪われた肉身を奪い返して来なければ再臨主として立つことが出来ない、ということだ。「論語読みの論語知らず」という言葉もあるが、お母様発言を批判される方々、特には大先輩家庭ともなればなおさらのこと。聖書では「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」があり、以下の原理講論の教訓もしっかりと心にとめていかねばならないだろう。因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。初臨のイエス様が無原罪だから、再臨主も「無原罪」といった因習的観念を捨てるべきである。ところで、皆さんの中でお父様が「完全蕩減」と語られたみ言を聞かれた方もあろう。堕落人間が必然的に歩まなけらばならない路程を勝利されたなか、原罪清算の道を切り開いて行かれたということだ。それによって、お父様と一つとなればそれを相続することが出来るということなのだが。ところが、ただ一点の問題は「血統」である。サタンの血統を受け継いだ全人類が、どうして、「神の血統」につながることが出来るかだ。2000年前のイエス様はニコデモに「もう一度生まれ変わらなければ」と言われた。ために、イエス様はもう一度来ると約束されたのであった。何のために?「子羊の婚宴」をするためにだ。「(無原罪の)善の父母」、「真の父母」としての出発が1960年の「子羊の婚宴」、第三アダム(再臨主)が「独生女」を探し出してのそれであった。原理に背く三男派・七男派の方々、もう一度原理に立ち返られることを祈るばかりである。(アジュー)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.16
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文鮮明先生御言選集 19850823 - 祝福子女に語られたみ言葉祝福子女に語られたみ言葉1985年8月23日イ―スト・ガ―デン(金曜日 午前八時)―朝の食卓で祝福家庭の子女たちに― 難しい仕事を避ける人になってはいけません。それを成してのみ大きくなれるのであります。良いことには必ず難しいことがあり。百を越えてこそ初めて百以上を受けることができるのであります。 現在の立場において発展しようとすれば現在のもの以上を投入して、以上の立場にいかなければなりません。困難さを正面で挑戦して、かき分けていかなければなりません。信仰生活も同じであり、世界の困難さを一人で引き受けて越えていくという信念でいかなければなりません。 我々教会は、他の教会と異なってこの全ての世界の問題、価値観の没落、共産主義、人文主義思想などを解決しながら進んできたのであります。当然あることを私が越えるというように考えなければなりません。入れる力と投入程度によって消化度も異なってくるし、達成率も異なってきます。努力しないで成功することは、本当ではありません。自分が血みどろの努力をして越えた時、それが喜びであります。人は常に闘争、挑戦をして越えていくのであります。私が歴史を学ぶことも、それを学んで、それ以上の努力をして、元返しておくためであります。お父様も私たちのような年に、数多くの悲惨なる背景と闘争、挑戦の歴史がありました。表面に見える実績と功績は良いのでありますが、その背後の困難さと努力は甚だしかったのです。人は経験が多ければ、常に比較して選定することができます。思いだけあるといって結果となるのではなく、行動が結果を生み出します。勉強して、その勉強した以上実践を通して現さなければなりません。考えよりも行動(実践)が、行動より成功が重要であります。成功というのは、全ての面に於いて優れたことを言います。一つだけ特別に優れることではなく、どのような学科でも全般的に優秀なのであります。 全ての人々が全部、成功したがっていますが、成功する人は少ないのです。我々の考えが普通の人たちの考えと似通っているならば、普通の人以上にはなりません。普通の人しかなれません。目的が高ければ高いほど力も要ります。目的に比例する全ての逆境をかき分けて、その道に山があればトンネルを掘り、川があれば橋を架けなければならないので、簡単ではありません。平地だけ願ったとしても、平坦のみではありえないし、そのようであれば大きくはなれません。友だちであろうが、多くの人々を導いてこなければなりません。 経済力と全ての力を投入して大学を卒業した後には何をすべきか。家庭を持ったならば国を得る、国を立派にする家庭とならなければなりません。出世の舞台は家ではありません。社会に出ていってどのような影響を与えるかが問題であります。導いていくということは、下っていくことではなく、上っていくことなのであります。一段高く行くのであり、平地を行くのではなく、会社であれば会社という、所属している団体で困難を引き受ける人にならなければならないし、ただ回りの気配だけを伺いながら生きようとする人はそこに留まってしまいます。立派な人になるためには、一生の間押し寄せてくる全ての骨のおれることに、勝たなければなりません。最も尊いことは、少しやって止めてしまうことではなく、最後までやることであります。十人が始めて一人しか残らないとしても、それを成し遂げるのであります。十人の友を皆捜し出すというような人にならなければなりません。十年をいく人ではなく、私は一生行くと言わなければなりません。有名な人は頭が良い人でもなく運が良い人でもなく、最後まで継続する人であります。先生はアメリカを回す最も早く良い道が監獄であること知ったので、環境自体は私を歓迎しなかったが、そのままに進んで行き、もっと進めば道が変わってきました。環境自体が悪い時は、その悪い環境が反対することは当然である故、原則である故、悪く思わないで下さい。反対を受けながらも、その誰も成すことのできない実績を持って進んでいく時、最高に反対していた人が返ることができます。 真言をすることができる人にならなければ成りません。一日二日良いといって、喜ばないで下さい。一日よりも一年が、一年よりも十年が、良い人にならなければなりません。言葉では容易ですが普通の生活では難しいのです。誰でも一日二日、一年程度は良くすることができますが、十年、二十年良くなるというのは難しいことであります。 決心をすれば、それに誰が早く着手したかが問題です。全てのことが入力よりも出力が小さいです。投入した分位出てくるのではなく、そこには必ず抵抗要素があるために、百を入れれば七十及至八十だけが出てきます。故に私が投入した分より、もっと出てくることを願えば矛盾出あります。継続的な力が必要であり、長期的な比率の長期的な投入が絶対必要であります。短期的であれば比率も低くなり、自然に消えてしまいます。 歴史は秤と同じように動きます。 先生は一生の間休まず、自らが成すことがあまりにも膨大であるために、時間が必要であり、それで寝る時間、食べる時間を犠牲にしながら、深刻に投入しました。困難さがあってこそ価値が賦与され輝かしくなります。白金は量よりも質において内面において、完全に一つとなって不変を見せます。何でも、変わらない人が尊いのであります。人においても言葉と行動が変われば使えません。自分がやったことに責任を持たなければならないでしょう。神様もそういう人が好きです。御自身が永遠絶対であられるために、自分を犠牲にさせながらまで、不変なのであります。先生も幼い時、人の前に出ることを嫌がりました。成すことが多いのにいちいち世話をやいてついて歩くかと思ったためであります。一生安楽な日がなかったのであります。いつもお金も思いのままに使わず、良い事、人のためになる立場においては大きく沢山使われ、御自分のためには人が理解できない程にお金を使われなかったのであります。 人と違った立場において、人と違った行動をするから、全てが注視する。全ての事に精誠を込めなければなりません。平安な環境を訪ねていってはいけません。いまやキリスト教文明であるカインが、東洋文明を代表したお父様の統一教を認識して従ってくる。これが偶然ではなくて、精誠を込めた中において天運がついて来るのであります。丁度うってみるとそれがアメンオサをうったことなのであります。(アメンオサというのは、国が秘密のうちに遣わして良き治めをしているかどうかを調べて歩く人のこと。密者)。無責任な中において得ようとする人、良くなろうとする人は泥棒ないし強盗であります。常に責任があります。孝進様もお父様が行かれた道以上の努力で行こうとする時、全ての天運と恵みがくるのであり、その場においてただ楽で良いことのみを願えば、統一教会を売る泥棒や強盗となります。私の父母が苦労した以上やってみようと思わなければなりません。 苦労しなければ他の立場において、多くの努力と苦労、精誠を込めた人が恵みを奪っていきます。私が停止しても天運は続けていくのであり、たゆまず継続してついて行って責任を果たさなければなりません。エジプトに来なさいということは、エジプトの理想が、その苦労以上あるという意味であるために、それを否定せず進んでいってこそ滅びないのであります。お父様が私達をもっと苦労させて下さろうとする。それを担当していこうとする決意のない人は見向きもしません。奨学金を与えながら、これからどれ程責任を果たすかどうか、果たして残るかを御覧になります。 始まった苦労が、皆三六〇度回っていく時まで他の次元に越えていく時まで継続されなければなりません。そうでなければ苦労したということをいうことができず、いままでの苦労が泡になります。孝進様もお父様が行かれた以上の道を自証して行く孝進になる時にのみ従いなさい。価値決定というのは成功した後において決定されるのではなく周囲において認められてこそ初めて、侍られる立場に入る時に現れるのであります。最後まで峠を越えてこそ価値認定を受けることができます。一生を通して、走らなければなりません。大学を卒業したとして、良い成績で卒業したとしても、それに比例する実績がなければなりません。(万人が認めることができる)。良いことを教えてあげたならば、試験をしてみなければなりません。まず、正しく決心をなす時までは開拓をしなければなりません。先生を人々が尊敬するのは、人々ができなかったことをやったためであります。お父様も三十八度線を越えながら、私が必ず共産主義を動かしてみようと、決心をしてこられました。変わらない人は歴史的な人物に成ります。簡単であります。今日をおいて喜ばず、明日のための所望をもつことのできる人になりなさい。我々は宇宙をおいているために、後孫に歴史に功績を残す人になってこそ、歴史が後孫がそれに従うのであります。 過程にある私(我)は、動機と結果が一つになった私とならなければなりません。 先生は運動も出来ないことはないし、何でも全力投入されます。一旦成したとすれば、それのために生まれた人のようです。そういう時、全ての考えを集中しながら、時間を短縮させます。(例え・ツナ釣り)。ただ魚を釣るという考えではなく、魚を相手に無限なる研究と全般的な考えをされます。何が好きか。エサも一番良いものをあげるなどなど……。 お父様と一つとなって、枝と幹とになろうとする統一教会の役軍をみつめておられます。ただ自分の他の考えを持って、ああでもない、こうでもないとついて行く人はただ流される人であります。言葉なくても、全体を主管する人になりなさい。誰かが知ってくれないといって寂しがらず、後孫と天の前に同々たる人にならなければなりません。神様と地が知ってくれます。平凡にいきるな! 子供を可愛いという母親は多いのでありますが、子供のためになろうという母親はおりません。可愛がることは動物もなします。しかし、精誠を捧げる父母とならなければなりません。無条件に愛することが、いいことではありません。子供は愛したことは全て忘れますが、精誠を込めたことだけが残るために忘れないのであります。我々(子供)は無関心であるが、父母は常に関心をおいてみつめます。統一教会も、統一教会が好きである人のみならず、為になる人になりなさい。 共産主義を収拾しなければならない責任が我々二世たちにあります。(お父様が霊界に行かれれば)人知れぬ涙を沢山流さなければなりません。いまは西洋文明と東洋文明の順位が交叉する時であるために、総動員であります。東洋文明が上に立つ時期であるために、統一教会の人々は、みな一線に追放させます。幹部からあの一番底に入れてみると、真実の如何が明らかになります。何故ならば、ただぼんやりとついて来て気配だけを伺って来る群れは皆落ちてしまうためです。もっと勉強しなければならないし、もっと苦労しなければなりません。 何故父母よりもっと苦労しなければならないか分りましたか。金持ちの家の子供たちが滅びる理由は、皆父母たちの恵みを享けて何にもしようとしないためであります。お父様はいまや世界の平均化のため、もっと良いものをつくるため後進国家に行かれます。万民が歓迎するとしても、お父様が良い暮しをすれば滅びるために、アメリカを離れようとします。もっと発展し、高くなるために自体内において、追い込むのであります。何故、宴会の家で最後は常に賞賛が行き交うことよりも、喧嘩が容易いかということは、これからもっとやってみようとするためであります。絶対に留まろうとなさらないでしょう。家に何か良いものができても保管して人に与えます。自分は常に着ていたもの、使っていたものを、着たり使ったりします。何故かと言えば、それが楽です。新しいものであれば、私は常にそこに合わせなければいけないから、服のために僕になるようであるから、嫌です。環境を追放させて、もっと良く、善なるように作らなければいけません。周囲を気にするような人になってはいけません。堂々と、いまから良くしなければいけません。修練会の時よりもっと深刻に臨みなさい。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.15
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まずは、確認から。ヨンギ氏=マキチャンネル=マキの夫さて、本論。以下はブログ「マキの夫」の最近の記事。宣布文発表までの過程 判断の基準 真かそうでないか?https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12375589929.html6月1日金孝律補佐官父母様宣布文の下書きをした。彼は下書きをチョソンイル氏の方に文国進/文亨進会長宛てに報告して、真の父母様の署名を受けようと、ヤンチャンシク会長を麗水に向わせたが、彼は手ぶらで帰って来た。金孝律補佐官が作成した英語公文書の下書きをここに公開する。これは宣教本部で兄弟二人のために英語で翻訳したものだ。ファイル名に(世界宣教本部)と明らかに記されていた。(以下略)ヨンギ氏の別ブログ「マキチャンネル」で挙げた書類写真(画像)の一部をテキスト文にしただけでさほどの違いはない。それがデマ記事であることを自称ルポライターtomy4509が過去記事で立証したはずだが、性懲りもなく同じことをくれ返されるところを見ると、ただただ家庭連合を批判したいだけ、ほかに何があるというのだろう。以下tomy4509のヨンギ氏記事反論の記事群。リブログ「宣布文発表までの過程 書類写真」ーーヨンギ氏、デマ記事です!!ヨンギ氏、「最大の罪は神への反逆である」-- ねつ造の氾濫(反乱)は?!【資料】異端者・爆破者宣布文事件の真実 (『gildongのブログ』から)リブログ「間違った野心の結果」ーー三男派は蚊帳の外?リブログ”怨讐を愛せよと教えられた我々”リブログ”諸君は矛盾に満ちている” -- 矛盾しておられるのは?リブログ「良心を監視しろ」-- 「ヨンギ氏の良心」を監視しようリブログ「ヨンギ氏の嘘を許すな!」さらに、14日付の「マキの夫」記事をみれば、どこかの一文の引用を持ち出してきては、「宣布文」を何としても墓に葬りさろうとしているようだが。宣布文の真と偽、善と悪を見分ける基準は単純です,https://ameblo.jp/13579watashi/entry-12375987372.html神様のみ旨を真の父母様だけが分かるのではなく、既に私たちも知っています。私たちはどういうことが原理的か否か、神様のみ旨に整列されているか否かを判断することができる能力を皆が持っています。私たちが真の父母様がなさることを以前には分からなかったかも知れないが今は何故どのように摂理を導いて行かれるかを知ることができ、必ず知ることができなければなりません。成人になった子供が、年老いた父親がなさることが分からないとしたら、話しになりません。もし私たちがお父様がなさることが分からないと言うなら、天一国はこの地に成し遂げることができません。数十年をお父様と共にした子女たちも分からないのに、世の中の人々に分かるはずがありません。それでは世の中の人々が同参することができません。それでは天一国は射程外に消えて行きます。全ての宣言文、全ての宣布文、全ての発表文、全ての指示文、全ての決議文、これが真となる為には誰がどのように書いたのか、お父様の裁可があったのかが重要ではなく、原理的で神様のみ旨と方向性が合っているかなのです。そうでなければ、たとえ真の父母様が発表されたように見えたとしても、その宣言文や宣布文は間違ったものであり、今問題になっている宣布文が原理的であり、神様のみ旨と一致しますか、そうであれば、その宣言文は真となることができます。今問題になっている宣布文が原理的でなく、神様のみ旨と一致しないとしたら、その宣布文は真となれません。『真』のお父様から出たとはなりません。結論は、「真の父母様宣布文」が神様から出ているかどうかがその真偽の判断基準だと言いたいのだろが。では、「数十年をお父様と共にした子女たちも分からないのに、世の中の人々に分かるはずがありません。」とも書かれていたが、果たして、誰が「神様からのものだ」と判断できるのかだ。今回「お父様のみ言「孝進君が長男、孝進君の後孫たちが継代を受け継いでいくのです」(その3)」でもお父様は明確に語られていた。今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。(出典:1985年8月16日) であった。三男さんのUCI問題は、まさにこれに反する行動であり、宣布文の父母様のUCI返還命令はこの「真の家庭の伝統」に基づいてだった。誰が間違っていたか。子女様といえども例外はないということだ。ましてや、長男(祭司長)でない「三男さん」だ!!国民が捧げる祭物の精誠、祭司長でもない三男さんが自分勝手にしても良いという法は何処にもないはずだ。ビデオ「盗賊認定」が物語るところのそれだ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.15
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お父様がこれから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。 ……今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。 ……そういう事にならないよう、お前たち二人はいつでも、お母さん、お父さんに仕えるようにしなさい。兄さんを神のような立場に立てて仕えるならば、神様も真の父母を愛するように皆さんを愛してくれます。全員がこうしなければならないのです。 ……その父母に対して、たとえ一言でも不従順をして痛い胸に針を刺すことは、自分が千遍死んだとしてもなしえないという、そのような血族であることを誓うお前たちにならなくてはなりません。と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたものです。また、水色マーカーはtomy4509の独断と偏見によってのものであることを付記しておきます。文鮮明先生御言選集 19850816 - 一勝日におけるみ言葉 5父母様の悲しみと涙 しかし、私には生活方途が定められています。そのような生活をしながら、四十年の間に、監獄に六回も出入りしました。監獄での生活期間は、延べ五年以上になります。天下に悪口を言われたとしても、歴史以来私以上に悪口を言われた人はいません。粟の俵を持って来ても数えることのできないほどに悪口を言われたのです。血のような汗をどれだけ流したかというのです。今のお前たちは父母の膝元で育って、七歳、八歳、十歳、二十代を迎えました。皆さんが今まで育つ間に見た父母は、過去にあったお父さん、お母さんでないのです。その背後には、言うに言えない多くの事情が秘められています。それらの事情をお前たちが知ったならば、悲痛に耐えられないでしょう。それをお前たちに言わないで、早く霊界に行こうとしているのです。 お前たちが知れば、復讐心が起こるのです。しかし、復讐心が起きるといけません。“我々のお父さんをこのように苦労させ、苦しめたその何某の血族たちに復讐しなくてはならない!”と、復讐心が出るようになると、お前たちの家庭が、統一家の直系の子女が皆壊れる位置に入って行かなくてはならないのです。分かりますか? そうであるために、口をつむったままお父さんは行こうとしているのです。それで私は記録をせず、自叙伝を書こうとしないのです。それは悪いことではありません。それを記録するようになれば、その記録を知らないで、今後、彼らの息子・娘たちが統一教会に入って来た時、どれほどの支障を受けることになるか。目をにらんだりして、「あの時、お前の父親はこういうことに反対したんだろう。お前たちはその息子・娘であり、後孫ではないか。お前の家族全員が皆こういうことをしたのだ」と言われたなら、どれほど悲惨な話でしょうか。サタンが侵入することのできる条件を私をして立てないために、秘密に抱いて生きて行こうと私は考えています。それをお母さんは知らなくてはならないんだよ。後について来る人たちのために、お前たちのためにそうするのです。それは偉大な愛です。 これからも、お前たちに必要なものは話してあげるつもりです。その背後にどれだけ涙を流したか、涙の染み付いたどれほど悲痛な事実があったかということをです。 寒い風が吹いてくれば、その風に向かってどれだけ悲しい心を訴えたことでしょうか。風に聞いてみると、痛哭に耐えない多くの歴史的事情がここにあるというのです。波打つ水の流れには、父母様のこみ入った事情が本当に多く刻まれています。寂しい時は、川辺の泥水を掴んで独りでつぶやいたものです。千遍万遍そうしたというのです。飛んで行く鳥たちを見ながらもそうしたというのです。夜空に輝く星を眺めて、とめどもない涙を幾らでも流したというのです。 私の悲しみと涙は、この世の、愛する自分の愛人を失った、その人の事情に比較できるものではなく、我が子を失った親の憤りの胸の痛み以上の涙を流したのです。それが即ち、歴史の中にあった悲しみであり、涙であったのです。そうであるために、この宇宙を支配するサタンがその涙の前には屈服せざるを得ないというのです。 こういうことはきょう初めて話すことです。履物を履(は)き、顔を上げたまま、この家庭に出入りすることができないほどの事情が父母様の前にあるということを、皆さんは知らなくてはなりません。 真の父母の道 その父母に対して、たとえ一言でも不従順をして痛い胸に針を刺すことは、自分が千遍死んだとしてもなしえないという、そのような血族であることを誓うお前たちにならなくてはなりません。 ああ、譽進、分かるだろうね。涙を流したことのある私であるから、お前たちが涙を流す姿を見ると、私は耐え難いのです。私の涙が思い出されるのだよ。お母様にもあるのですが、譽進にもそのような傾向があるんだね。それは私の一生が涙で綴られていたからです。勿論、譽進は自分が悲しいから泣いているのでしょうが、御旨のために涙を流しながら生んだ最初の娘であるために、涙が多いというのです。しかし、その涙はお父さんの流した涙を受け継いだとしても、お父さんは自己のためには涙を流さなかったということを知らなくてはならないのです。涙を見ると、世界と天と地のために、祖国光復と世界光復のために流した涙を連想するのです。そういうことを考える時、いつでもお母さんに、「涙を流したので良くしてあげなさい」と私は話しているのです。 この家庭には、このようなお前たちの知らない伝統が残されているのです。お父さんには親友もいませんでした。数多い統一教会の男女がついてきたけれども、彼らの前に、私の胸を開いて話すことのできる同志がいませんでした。真の父母の道というのは寂しい道です。世界にどれほどの人がいたとしても、神様と自分以外には相関することのできない道なのです。 この複雑多端な復帰の道をさかのぼって行く過程で、どれほど耐え難く、悔しい事実が多かったことでしょう。しかし、その内情を誰にも訴えることのできないような歩みをなしてきたということを、お前たちは知らなくてはなりません。そのような中から、家門の伝統を立てなくてはならない立場にいるために、この世の人はうれしければ、「うれしい!」と歓声を上げ、あるいは、「幸せです」と言ったとしても、お前たちはそう言ってはなりません。 天と地の直系の子女たちは、神様の恨みと人類の恨みを、我々の指を通して、我々が行く歩みの道を通して、解決しなければならない使命を負っていることを知らなければなりません。皆さんは死にたくても勝手に死ねないというのです。それを知って、これからお前たち十二人の息子・娘が完全に一つになってください。 ここで孝進が位置を定め、譽進が位置を定めたならば、あとの子たちは後から皆付いて行くのです。だから、下の兄弟たちがお前たちによって福を受けるのだね。これから先はもう、父母様のお前たちの自慢だけしかやることがないようにしなければならないのです。これからの父母様の仕事と言えば、十二人の息子・娘をおいて、自慢することです。この支派についても自慢し、あの支派についても自慢をするのです。お前たち、婿になる人であったとしても、婿ではありません。共に継体(けいたい)を受け継ぐために入って来たものなのです。一人一人が一支派長にならなくてはならないのです。万一私が死んだとしても、昔の人々のように財産の奪い合いをしたり、互いに嫉妬をするようなことをしてはいけないというのです。 祖国創建に向かって それを今からは、新しい伝統として立て直さなくてはならないのです。そして一つにならなくてはなりません。お前たちが一つにならずしては、統一家の後孫が一つにならないというのです。先にお前たちが一つにならなくてはならないのです。 手本とならなくてはならないのです。鏡はどの鏡もありのまま写します。千個万個の鏡があったとしても、千個万個の鏡が正しければ、千個万個が正しい像で現れるのです。本来神様は、そのような鏡と同じ本性を人間に作ってくれました。その本性は実に純粋なものです。いい加減に作ったものではありません。あらゆるものを皆正しい明鏡(めいきょう)のように写すことのできるものです。個々の物から宇宙に至るまで、霊界にいる霊人たちもそうであり、地上にいる人間の胸なども全部皆照らすようになっているのに、残念ながら、今はそれがてきる環境になっていません。二重的生活をしながらでは、それは難しいのです。ですから、そのことを知って一つにならなければなりません。お前たちが一つになれば、祝福家庭も一つになります。 今回、皆一つになりましたか? (「はい。」)一つになることはやさしくないでしょう。一つになった後に、またばらばらに分かれて、いろいろな事をするのですよ。 さあ、きょう話した事をお前たち明確に知らなくてはなりません。父母様は今までの歴史過程でカイン・アベルを中心にした長子復帰の基準を立てるため、世界蕩減路程を歩んで来ました。今ここに、その目的を成就し、すべてを準備された中で、真の父母様の家庭を中心にして、長子、次子権限を世界的基準において連結させることのできるこの祝福の言葉を、父母様がどれほど期待したでしょうか? また、人類がどれほど期待したでしょうか? 祝福の言葉によって、きょうからの三年間を中心にして祖国創建に向かって歩み始めることができます。これがうまくいかないと、国全体が一つにならないのです。世界が一つになることができません。 ここから今出発することによって、祖国創建の瑞光(ずいこう)が輝き始めるというのです。これからは、その新しい時の訪れを尋ねて、人々が来るのです。周囲を見まわしながら聞きに来るのです。外部の様子が、お父様の言った通りの環境になって行くと言って、皆聞きに来るのです。 よって、きょうからの三年間を中心にして祖国創建に向かって歩み始めることができます。これがうまくいかないと、国全体が一つにならないのです。世界が一つになることができません。 ここから今出発することによって、祖国創建の瑞光が輝き始めるというのです。これからは、その新しい時が熟してくるのです。外的に皆熟してきているのです。 お前たちだけが、長子、次子を中心とする闘争観念をなくして完全に一つになる日には、お前たちを通して、統一家を中心にした地上天国の理念が実現されていくのです。 これを作っておいて、家庭教会の出発をしなければならないのです。家庭教会は、これを作ってからでないと出発できません。家庭教会は天国の基地であり、天国の定着地であるということは教えてあげましたが、この式が終わらなければそれができないのです。それできょう、お前たちの基台を作ることを確実に知らなければなりません。(み言葉が一段落して、聖水が準備されている様子。) 神の国の民族編成 こうすることによって、先生から今、直系の十二子女たちを中心にした基盤を作ることができるのです。分かりますか? この水がそのような意味を持っているのです。人間の体の大部分は水でできていますが、それはサタン世界の水であり、天の水が補充されていないものです。 今、お前たちの行く道は一つしかありません。お前たちは祝福家庭ですが、既成家庭は祝福家庭の息子・娘を立てなければならないのです。カナン復帰に二世を立てたように、祝福家庭のお前たちが直接行くのでなく、息子・娘を立てて、付いて行かなくてはならないのです。二世が先に入って行かなくてはならないのです。その二世を誰が先に迎えるかというと、先生の子供たちがカイン的な立場でお前たちの息子・娘を迎えてから入って行くのです。今がそういう時なのです。それで、統一教会の祝福家庭は全員この伝授の式に参加しなくてはなりません。それを全部公文で知らせなさい。公文を出さなくてはならないのです。 先生が出所する二十日の日は、世界中が同じ時間を記念するようにしなさい。時間は国によって違うが、十九日の最後の時が終わり、零時を一分だけ過ぎれば、先生が出て来ます。だから、その時間を中心にして、全世界の統一教会の祝福を受けた信者たちは、記念の式に参加しなければなりません。祝福を受けていない人は参加してはいけません。また、祝福を受けた家庭であっても、その間、犯罪をなしたとか、良心の呵責のある人はいけないのです。本来は、祝福家庭には争いがあり得ないのです。家庭が不仲であるとか、夫婦喧嘩したとかいう人もいけないのです。御旨の前に完全に一つとなることのできる、このような覚悟をした人以外はだめです。そうしなければ連結できません。天の支派をつくるための部族編成なのです。この道を通過せずしては、皆さんの国籍が生じません。国籍に加入する道がないのです。きょうの時を迎え、今こそサタンが手をつけることのできない、天の国の部族民族編成が成るのです。一二〇国家以上の、六千双を中心にして、全祝福家庭による世界統一家の支派編成、民族編成の段階に入って行くのです。 それ故に、キリスト教だけが一つになれば、民族、国家、世界へと一気に連結することのできる基盤ができたために、アメリカにおいて先生の出所を初めに迎えるのは牧師たちなのです。出てくるその日に牧師たちに会うことによって、このようなカインが生きることのできる道を作らなくてはならないために、その準備として、統一教会の祝福家庭たちのこの仕事をしておかなければならないのです。彼らの心は統一教会と先生に付いて行こうとする時は、心が平安であり、既成教会の話に耳を傾ける時は心が安らかでないというのです。ああ、自分の行く道はどういう道なのかを心が知るというんだね。方向性が確定されるというのです。 そのような準備が今皆終わっています。これが言葉だけでなく、現実に、カイン・アベルを中心に蕩減基盤が形成されたために、きょうこのような式をしているという事実を知らなくてはならないのです。 さあ、ではここに来て立ちなさい。祈祷することにしましょう。そのために祈祷しなければならないのです。(孝進様、顕進様、國進様を中心に、子女様方が立ち上がって一列に並び、一つになって手をつなぐ。また、御父母様も手をつながれる。) 祈祷 愛するお父様、あなたの創造の聖業が、あなたの本心が願っておられた所望として、実体を通して永遠なる愛の理想を立てようとなされた、その所願の心であることを、いま一度回想するものであります。 お父様は、御自身の希望とする喜びを、アダムとエバによって成就するその日を期待されましたが、あるべきその日がなくなって、所望の日は漆黒のごとき暗黒に転じてしまいました。思わぬ不祥事によって、神が願う愛の中心を、この地上に探すことができなくなり、代わって、サタンが愛の中心となって、人類の先祖になることにより、死亡の血統を連結させる地獄行きの群れを作ってしまった。この怨痛にして無念なる事実を私どもは知っております。 これを正すために、お父様におかれましては、再創造の歴史の過程を経て、万物世界を犠牲にし、天使世界を犠牲にし、更にあなたが選ばれた養子圏を犠牲にし、多くの女性を犠牲にして、エバ圏を通過し、多くの男性たちの先知者に血を流させて歴史を引き継いで来られました。 その礎に立って、今日イスラエルの国を中心としたユダヤ教と、キリスト教と、統一教会を連結させることのできる歴史的世界版図圏を描くに至ったのであります。文化圏が異なる宗教圏を立て、文化の背景を収拾して来られたこれまでのあなたの御苦労は、歴史を経た、一つの伝統的なあなたの摂理を継いできたキリスト教を中心にして、収拾しなくてはならない歴史的使命があり、第二次世界大戦直後を中心にして、宗教世界版図圏と統一版図圏と共に、人類全体が一つの統一圏を成し、天と地を連結させることのできる統一の理想を出発を見なくてはならなかったのです。 再臨役事を達成する基台として、この地上にキリスト教と自由世界の協助を見ることができなかったために、悲惨な脱落の道に落ちて、地獄行きの列車と共に落ちるような立場に立たされました。四十年という血のにじむ闘争の期間は、真の父母の名をもった息子・娘を中心とする再臨の歴史の時でありました。数多くの歴史的事情が紆余曲折する中で、血で償いながら、どんなにか痛恨と悲憤に耐えたことでありましょう。あなたは愛の心で抱かれていたがために、いかなる悲しみと苦しみにあっても、汚れたぼろ着を覆いながら、被(かぶ)せてはまたこれを被せて、人に見せまいとしてきたのです。このようなことをしているうちに、統一教会は言うに言われぬ非難を浴びる悽惨(凄惨)な教会となりました。 正当な本体を現すことのできない、そのような環境的な羞恥を覆ってくださるために、あなたの言葉なき苦労がいかなるものであったかを私は知っております。私が背負ったこの世のあらゆるぼろ着を脱がせるために、あなたは血のにじむような闘争の歴史を展開して、個人から家庭、氏族、民族、国家、世界へと勝利の版図を拡大されました。二十世紀の後半に入り、一九八五年八月十五日を期して、四十の峠を越えながら、今もって監獄から解放されない事情を残したまま迎えたきょう十六日は、新しく訪れた四十一年を越える出発の日であり、新しきこの二十年代を中心とする決定的な闘争の行路を経て、この世界を整理しなければならない新たなる使命が私たちの前に残されていることを知っております。 今までのお父様の歩みが、長子を復帰するためのアダムとしての蕩減の歩みであったことを私たちは知っています。しかし、統一教会の教徒たちは、個人に始まる家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙に至るまでの蕩減を果たし得ないため、父母様御自身が、個人的アベルの立場から、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙的アベルの立場まで上がって行かなくてはなりませんでした。数多くの反対する教会と、反対する民族の前に折れることなく、最後まで彼らを抱き続けてまいりました。たとえ死の境地に行ったとしても、彼らを救うまでは手放すことができないと身もだえするアベルの訴えの前に、サタンも己を恥じて、天の前から退かざるを得なくなりました。 今や、キリスト教は統一教会の運動に連結するようになりましたが、連結に関わる多くの事情を振り返ります時、統一教会においては、劉協会長が逝き、喜進君が逝き、興進君が逝きました。三代のこの息子・娘を犠牲にした血の祭壇でありましたが、この孝進君を立てて、お父様の歴史的使命に連結できたことを感謝申し上げます。この時代性を迎えることができたのも、獄中期間に協助してくださったあなたの経綸の賜物であることを深く悟って止みません。 キリスト教会が闘いの場に立つことによって、もはやサタンは我々の家庭に攻め入ることができなくなったのであり、孝進君が父母様と一つになることのできる恩賜圏の上に立つことができましたことを真実感謝申し上げます。 この息子を通して、お父様、第二世たちを連結することのできる一次修練会及び二次修練会は、国家的次元、否、世界的次元の若者をCARP大会に連結せしめるという驚くべき勝利をもたらしました。この勝利を持ち帰って、来たる新しい四十年を越えて、新しく出発することのできる初日の朝、勝利の基盤の上に、父母様の血と肉と共に、子女十二支派の血と肉を連結させ、十二子女の血と肉と共に、十二部族たちと世界万民を連結させて、後世に誇ることのできる儀式を執り行えますことをお父様、感謝申し上げます。 お父様よ! (「お父様!」微かに聞こえていた周囲のすすり泣きが次第に大きくなる。)神様を中心にして、真の父母様を中心にして、(祈りのお声がはっきり涙声となって聞こえる。子女様たち御一同の泣き声も更に高まって行く。)天の直系の血統の因縁を備えることができるこの時を中心として、(大きく泣きじゃくられる。)この驚くべき事実。 お父様! (我を忘れて泣かれる。泣き声の渦が巻く。)この日が来るのをどれほど、お父様、待たれたことでしょう! (涙声が叫ぶような高く上擦(うわず)る声に急変する。)この日が来るのをどれほど、歴史上の先知先烈たちと、イエス様に仕えた弟子たちが待望したでありましょうか。(お声が言葉にならず、苦しそう。) この息子が千遍万遍死に瀕したとしても、この日を迎えずしては、死ぬことのできない天命があるため、再び起きては闘い続けてまいりました。(言葉にならない祈りの声) お父様! 死なずしてこの日まで生きて、闘うことのできる気力を残してくださったことを、お父様! ありがとうございます。(鳴咽(おえつ)され、息が苦しそうに震える。) お父様! 今、興進君が!(思わず肩を震わせて)背負った十字架がまだ残されていますので、聖進君と一つとなって、お父様の! 怨讐たちの群れを屈服させようとする時、代表者としてこれを責任をもって消化しなくてはならない責任があります。お父様! このすべてにおけるお父様の御旨の中で(高く、小刻みに震える声で必死に祈られる。)善きことを始められたのはあなたでございました。また、善きことを継承させたのもあなたであり、天の仕事の基盤を作られたのもあなたであり、善きことを勝利の場に立てられたあなたでありますので、このすべてのことをあなたがまた責任持たれて、これからの収拾すべき道を分別してくださることをお願い申し上げます。(こらえようとされながらもこらえられず、泣きながら祈られる。) 統一家においては、絶対に争いがあってはならないために、あなたがこの防碑を建ててくださって、この日の記念の意義を深めてください。私どもは、聖水式を通して万民を結束させることを盟誓し、不変なる血族としてみ前に備えますので、これらの群れをあなたの民として、天国を築いて行くための出発をいたしますので、受けてくださいますことをお願い申し上げます。 きょう、この日を立てることによって、私は今二十日のこの出獄において、天の前に面目を立てることができますので、この日をみ前に捧げますから受けてください。そして、霊界にいる数多くの人たちと、地に通じるすべての教界を指導している霊人たちを結束され、地上世界に発表して、一つの方向が決定づけられるきょうこの時間となれるよう、許諾してくださいますことを懇切に望み願い申し上げます。(祈りの声がやや静かになっていく。周囲のすすり泣く声が大きく感じられる。) 今、孝進君と顕階君と國進君に、十二家庭を代表した三家庭の息子としての責任を負うことを命じることにより、孝進君には兄弟を一つにするための重要な責任を果たすことを命じました。残る九人の兄弟たちをも一つにして、統一家の伝統的家庭を正しく立て、その因縁を祝福された教会の後世たちにそっくり渡し、拡張することのできる恥じなき長子とならしめてくださり、系代を受け継ぐことができるよう祝福してください。 今このような出発をしたので、世界万民の行くべき方向の太陽が、家庭的、氏族的民族圏を連結させ、登れるようになりましたので、方向を備えて、あわせて、興進君がイエス様と共に一二〇カ国の王権と、すべての忠臣、烈女、孝子たちを結束させ、霊界と地上を直結させる時を迎えましたので、この群れたちとひとときも早く結束することができますよう、祝福してくださいますことを懇切に望み、お願い申し上げます。 統一家の解怨成就の一つの日を記念しながら、この日の新しき出発のこの記念をあなたが喜んでお受けくださいますことを感謝しながら、真の父母の名をもって祝願申し上げます。アーメン、アーメン、アーメン。(「アーメン、アーメン、アーメン」) さあ、きょう父母様が話したことをよろしく頼んだよ。さあ、孝進、万歳をしよう。父母様と、我々の家族に対する万歳をしよう! (「はい。」孝進様が万歳三唱の指揮をとられる。) 「真の父母様と、真の父母の家庭の勝利万歳を三唱します! 真の父母様! 万歳! 万歳! 万歳!」(万歳!万歳!万歳!」大きな拍手が鳴り響く。) 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.15
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お父様がこれから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。 ……今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。 ……そういう事にならないよう、お前たち二人はいつでも、お母さん、お父さんに仕えるようにしなさい。兄さんを神のような立場に立てて仕えるならば、神様も真の父母を愛するように皆さんを愛してくれます。全員がこうしなければならないのです。と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたものです。また、水色マーカーはtomy4509の独断と偏見によってのものであることを付記しておきます。文鮮明先生御言選集 19850816 - 一勝日におけるみ言葉 4一切の蕩減を清算し、希望の出発の時 このように、私一人だけでも、ゴリアテに挑むダビデのように、アメリカを相手に闘いながら現在に至っているのです。もう十三カ月になりました。十三の数はアメリカで最も悪い数でしょう? 十三カ月間に何をしたのか。闘ったのです。十三カ月間で闘いを終らせなくてはならないのです。日数で言えば、約四百日近い期間にそのための闘いをしてきたのです。また、監獄でのこの闘いを通して、監獄からでも、天上までの道をつなぐ仕事をしたのです。これによって、地上地獄から天上地獄へのハイウェイを作るのです。先生が今ハイウェイプロジェクトをするのは全部意味があるのです。それで、今つなごうとしているのです。 以上のように、先生として、あるいは父母様として立てることのできる条件を、今度の監獄の場ですべて成しました。お前たちに話をしたように、今すべて動いているのです。なぜならば、私でしかできない仕事であるからです。こういう日が訪れてくるのです。私がみんな成して、苦労の四十年は終りました。新しい四十年に向かって行くその日からは、我々の世界にならなくてはならないのです。 一九九〇年になれば、私の年が七十歳になります。二〇〇〇年が八十歳になる年です。これはモーセの路程です。二〇〇〇年までに準備作業をすべて成しておくのです。そしてお前たちの時代には、天国が建設できるようにしてあげなくてはなりません。だから、どれだけ忙しいかというのです。それには世界的蕩減条件が要求されるのです。このような蕩減条件を立てるのに、韓国でできるでしょうか。世界を象徴するアメリカ圏に入ってこそ、世界的蕩減条件を立てることができるのです。このような蕩減条件を前にして、お前たちは後代の前にひっかからないようにしなければなりません。 そのために私は監獄に行ったのです。イエス様は十字架で亡くなられましたが、十字架上は監獄に相当します。先生が監獄に入るということは、十字架上で死んだことになります。そして、死んで復活するまでの間も、イエス様同様すべてを失ってしまったのです。イエス様は父母を失い、兄弟を失い、氏族、民族、国家、世界、及び教会までも皆失ってしまったのです。しかし、それをお父様が蕩減復帰して、皆取り戻したのです。子女を探さなくてはならないのです。全部取り戻さなくてはならなかったのです。多くの教会が先生と一つになったのです。それによって、統一教会に対して批判的であった人たちが考え方を変え、「我々が間違っていた」と悔い改めるようになったのです。 それで、蕩減圏を中心にして見るならば、本然の創造理想圏としてのカイン・アベル圏の伝統的基盤を打ち立てて、この恨み多い復帰摂理の最後を飾ったということは驚くべきことなのです。これをもってキリスト教文化圏を中心にして、支払うべきものはすべて清算したために、恨み多き四十年の歳月に、父母様が別れを告げることができるのです。 思えば、僕の僕の道から始まって、養子の道、庶子の道、息子の道、そしてエバの復帰をしなくてはなりませんでした。エバの復帰、即ち、お母さん復帰の道を皆通過し、更にお父さん復帰の道を通過してから、今度は子女たちが家庭的に歩むことのできる道を開拓して来たのです。 このように、すべての蕩減の解怨を成し終え、希望の新しい出発をすることのできる、一九四五年から四十年を越えた一九八五年八月十六日、四十一年目の初日の朝を迎えました。韓国と別れ、日本と別れてから、アメリカにいるお父さんの所に戻ってきた息子を中心にして祈祷するというこの時が、歴史的時間であるということを知らなくてはならないのです。 三人の息子が一つに 私は孝進に尋ねるが、これからはお父さんの代わりに、この統一家のいかなる食口にも負けないように、中心的長子の責任を果たして行かなければなりません。その誇りある位置に立って、サタン世界を神に戻すための勝利の旗を掲げることを父母様の前に誓うだろうね。 これからお前たち三人は、興進の分まで仕事を引き受けなくてはなりません。弟である興進の代りとなって働きなさい。興進のためにするのです。それで、興進が願っているのはお前たちが一つになることです。今、お前たちが一つになれば、三人が一つになることになります。三人のうち、姉さんは女性だから他家の人と思ったら間違いです。この基盤を一緒に作らないならば、姉さんもなにもありません。三人が共に倒れるのです。 お前たちも責任を果たさない場合は、大変な事が起きるというのです。お前たち二人がしっかりと一つになれば、弟とぴったり一つになれば、兄さんもお前の話を聞かなくてはならないのです。二人が一つになってしたことであれば、正しい時はその話に従って行かなくてはなりません。また、兄さんがどんなに一人であっても、その話が正しい時はお前たちは反対してはいけないです。これを間違える日には、我々の家庭が亡びるのです。間違いが災いとなって襲って来る時、我々は億千万の人たちを道連れに地獄へと落ちて行くのです。 そういう事にならないよう、お前たち二人はいつでも、お母さん、お父さんに仕えるようにしなさい。兄さんを神のような立場に立てて仕えるならば、神様も真の父母を愛するように皆さんを愛してくれます。全員がこうしなければならないのです。 お前たち三人だけでもそのようにするならば、その次には姉さんたちや、その義兄たちも自然に一つになるに違いありません。 それで、きょうは祝福された譽進、孝進、興進の三家庭を連結させるのです。家庭は息子が代表者となりますから、アジュマ(註・ここでは兄の妻をさしている)たちは下の兄弟たちの前に、代表者の妻としての教育をしなければなりません。姉さんもですよ。そのような行ないを通して我々の家庭を立てて行くのです。三人の息子だけが一つになれば、弟たちや妹の夫たちも皆付いて行きます。三人の息子はそのような重大な責任を持っているのです。 皆さんの守るべきことは、皆さんだけでなく、後々の後孫たちも守らなくてはなりません。真なる家庭のあり方を伝えるのです。我々の家庭に残された息子・娘は全部で十二人です。やがて祝福された十二組の家庭ができれば二十四人で、十二支派を責任持たなくてはならないのです。お前たちが十二支派の責任者とならなくてはならないのです。いずれ、世界的支派を編成しなくてはならないのですが、お前たちが内的に一つになることで外的支派が編成されるのです。 お前たちの家庭は、もうこれからは喧嘩してはいけないというのです。今までは知らないで争ったけれども、喧嘩したらいけないんだよ。そのために伝統が必要なのです。十二歳以前は喧嘩しても構いません。また二十歳になる前は、間違ったことをしても許してもらえることができます。 父母様の身代わりとなって さあ、そのような原則の下に、ここで我々の十二家庭が完全に一つになった時、祝福家庭たちを分けて、イスラエル支派編成をするのです。誰の支派、誰の支派とこれから先、この名前が皆出て来るのです。各支派は国家と世界の勝利の版図がなくしては、名前を付けることができないのです。私は無意味に名前を付けないのです。 ですから、そのことを知って内的に固く固く結ばれなければならないのであり、統一教会全体の祝福家庭を固く固く結ばなければならないのです。もうそのようになれば、父母様を背負い、父母様のしていた仕事を代わりに担って行く皆さんとなって、「どうぞ父母様は休んでください」と言えるようにならなければなりません。 このように、すべてのことがはかどるならば、神は世界中の祝福を集めて、お前たちの前に持って来てくださるようになるのです。それが可能な理由に、今までの外的世界が次第に崩れて行くからです。世界が統一教会の伝統と、統一教会の勢力と、統一教会のその調和に対しては注目するようになります。だから一つにならなければなりません。もし、全体が一つになれないで、自分の家庭や息子・娘のことばかりを中心とするような行為をしたならば、せっかく積み上げた物が全部崩壊してしまうというのです。それは大変なことになるというのです。 王宮の史実を見てみると、多くの宮中秘話が隠されているのを知ります。宮中には宮女たちや後宮たちがいて、全部皆それぞれ別の紐につながって、こそこそと密談に明け暮れした結果、破綻が起きたのです。しかし、そのようなことが我々にはあり得ないのです。一つの絆に固く結ばれて、「これは秘密にしなければならない」と言えば、絶対に口外すべきではありません。お前たちは十二歳になったならば、自分の首が落ちても秘密を守らなくてはならない。絶対外部に漏らしてはいけないというのです。これは統一教会の信者たちにも忠告すべきことです。先生が、このことは秘密にしなくてはならないと注意したにもかかわらず、守ることができないことによって、複雑な問題を起しています。 三代の一体化 お前たち、万一全体に被害になるような問題があるとすれば、必ず報告をするのです。父母様の前に、「こういうことはどうすればいいでしょうか?」と相談をしなければなりません。「いけない。保留です。」と言えば、保留になりますよ。自由に行動してはならないのです。三代が一つにならなくてはならないのです。三代が一つになるのに、孫を中心にして決定するというのではありません。祖父からお父さん、孫までを経て決定が下されるというのです。 それは何かというと、神様がおじいさんの位置で、アダム・エバを中心にして孫を見ることにより、縦的歴史が展開するのです。平面世界が展開するのです。お前たちもそうです。今、ここで息子・娘を持つことができなければ、地上に平面基盤がないため、彼(か)の国へ行って孤独な生活をするのです。 家庭天国から種族を引っ掛けなければ、天国種族圏にも同席することができないため、支派の中に入ることができず、保留になるというのです。それで、仕方なく彼の国で新しい手続きをするのですよ。母方の系統を通してでも食い込んでいかなければならないのです。そんなくやしいことがどこにあるのか。それでイスラエルの歴史では、後継者がいない場合、どんな妾を迎えようが、どんなことをしてでも、後継者を立てて行かなければなりませんでした。そうした後継者を絶やさないためのすべての努力は、ある一時を迎えるための準備に他ならなかったのです。 しかし、たとえそうであっても、複雑にからみ合った過去の諸問題を、先生の時代に至って全部整備してしまわなければなりません。きれいさっぱりと清算してから、正しい伝統を立てなければならないのです。それが皆終ったのです。 人の前に出るときも三人が一つになるのです。分かるでしょう? お前たち三人が一つにさえなってくれれば、お父さんはどこに行っても安心なのです。お前たちが一つになっている限り、お父さんはどんなにサタン世界を歩き回ったとしても安全であると見るのです。神の姿になった気持で歩けるのです。神様が守ってくださるのです。神様が保護し給うので、父母様に対して、誰か手をつけようとしたらどうしますか。万一、そのような行動があれば、それが事故となって現れたり、惨事が繰り返し起きたりするのです。 天国の王法 何事も天が指導しておられます。だから、お前たちは神様に侍る生活をするのです。全体の生活は私は公開しなかったけれども、神様がいつも見ておられるので、礼法に沿った生活をしなくてはなりません。 そうであるために、お父さんは刑務所で暮らさなくてはならない時、服を脱ぐことができなかったのです。人々は暑いからと言って体を丸出しにするが、私は肌を見せることができなかったのです。してはならない掟が多いのです。守るべき法度が多いのです。サタン世界の者がお前たちを見て、“なんと美しい女だろう。なんとかして一度抱いてみたい”という考えを持ったならば、その者は天の前に不貞罪を犯したことになるのです。だから成に出て行くなというのです。それで、王宮では周りを囲って住むのです。 不貞は思いだけでも、神様は絶対に許されないのです。私はこの世のことを理解するけれども、神様は絶対それを許さないのです。 霊界では、地上で独身生活をしていた男女の霊人たちが先生を待っています。彼らの数は数え切れないほどおり、数千年も先生が現れるのを待ち続けています。そういう彼らの前に立つためにも、私は法に適(かな)った行動で生活をしています。そうであるために、統一教会の誰も先生を誘引することができないのです。勝手な道を行くことができないというのです。お母様もそうであるというのです。知らない方が一番気楽です。知らない人を打ってはいけません。知らない場合は許されるからです。知らないのが一番です。 私が知っているすべてのものを知ったならば、出る所にも出られなくなります。「今出掛けなさい」と言っても、出られないはずです。手続きが実に多いのです。手続きを知っていたとしても、不注意に越えることはできません。たくさんの制約があるため、私の行く道は自分の意思通りに行ける道ではありません。完全に式通りになっているのです。先生はそういう式を知っていますが、他の人々は知りません。 そのように、神様の法度が、これから立てるべき法度が、この世を正しめて、険悪なこの世をきれいに整理するのに、天の法はどんぶり勘定でできているのでないということをお前たち知らなくてはなりません。分かりますか? (「はい。」) では、これから未来に向かって守るべき法は何でしょうか。お前たちが通過しなくてはならない、残された法は天国の王法です。お前たちに天国の王法は、未だ教えてあげられなかったのですが、この教えを受けたならば、いい加減な生活をすることはできなくなるのです。 だから、今までのお父さんの生活がどれほど粘り強かったかということです。本当に強靭なお父さんです。監獄での生活をしながらも、その原則を守り通しました。それも、私一人で守りました。自分一人しかいないものとして考えました。監獄に数百人の人がいても一人でいると考えるのです。まるで、エデンの園のアダムのようです。 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.14
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お父様がこれから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。 ……今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたものです。また、水色マーカーはtomy4509の独断と偏見によってのものであることを付記しておきます。文鮮明先生御言選集 19850816 - 一勝日におけるみ言葉 3聖水の伝授 それで、きょう私が祈祷し、聖水の儀式を行なうことにしました。この聖水には重要な意味があります。聖酒が問題になっていたと同じく、この聖水がこれから問題になるのです。ここで三兄弟を中心にした、十二兄弟による十二支派に統一教会の家庭を全部連結させる祝福をします。これは私が祈祷することで家庭が連結されるのです。今後、孝進はお父さんの代わりにいろいろな事をしなければならないけれども、すべての命令はお父さんからの指示を受けて行動するのです。決して自己の自由行動があってはならないというのです。祭司長に自己の自由な行動などあり得ないのです。国民が捧げる祭物の精誠の基盤の上に立ち、公的な行為を経てから、神の御旨の伝授を受けます。発電所から電線を通して需要のある所に送電し、電気の明りをつけてあげるのと同じ役割をするのです。中間の役割をしなくてはなりません。 その役割を果たす上で、父母の為にし、兄弟の為にし、統一家の為にし、統一世界の為にし、天地の為にする、このような伝統から外(そ)れてはならないのです。 それで今、私が祈祷することによって、どういうことが起こるかというと、ヤコブがイスラエルという名を受けてから四千年経った今、初めて世界圏版図を蕩減したことになります。そして四日後に、四数を立てて解放されるということ、それらの一つ一つが皆歴史的です。 さらに、この祝福をしてあげることによって、天側において世界的な蕩減基盤の上に立つことになるため、アメリカや全世界で、統一教会のレバレンド・ムーンを悪く言う人がいなくなるでしょう。法的に見ても、私が悪いのではないのです。そのように悪く言われるようになったのはいつからなのか。統一教会が始まった時からであり、レバレンド・ムーンがアメリカに来た時からでもあります。それを皆蕩減したのです。 CARP運動の第一線に このような環境を、三年後の八八年までに一新しなければなりません。八八年は四十三年を迎える年です。四十三年が終わるまでに、祝福を受けた皆さんは、孝進を中心にして完全に一つにならなければなりません。そのための一環として、祝福家庭の皆さんたちは、CARPに今加入しなければなりません。長子として、CARP運動の第一線に立たなくてはなりません。そこで、孝進君が今CARPの世界的責任者になっていますが、これはサタン世界のカイン圏を、天の側のカイン圏、長子圏へと継承させるための準備であるということを知らなくてはなりません。 まず、先生の家庭のお前たちもCARPの二世となります。二世を統合するために、いつ、どこでも先頭に立つのです。祝福家庭は何もしなくて良いという特別意識など許しません。それを覚悟して、先頭に立ちなさい。我らの時代です。我らの時代に、父母と皆さんの家庭が立てた、その伝統をそっくりそのまま、後継者となる二世たちが受け継ぎ、新しい天国の家庭建設に向かって、天国の血族として、天国の子女として出発しなければならないということを確実に知らなくてはなりません。CARP運動はそのための活動です。だから、全員他のことは止めるのです。CARP運動をしない人に対して、先生は絶対に関係を持たないつもりです。 お前たちと父母様とが一対一に一つになっているなら、すぐにでも相続権を受けることができるのです。お前たちの息子・娘を父母様のようにつくるという心を持たなくてはなりません。自分の息子・娘として考えてはならないのです。苦労させてでも、お前たちの息子・娘までのこの三代が完全に一つになるよう仕向けなくてはなりません。それで、食卓に向かい会った時も、寝ても覚めても、すべて父母様に対しての教育をしなければなりません。 父母はというと、孝進を日本に送った後、息子が大会を開いたと言っては誇りとするというのです。又、お前たちが開拓伝道をすると言っては誇りとしながら、常に心を一つに通わせるのです。今は、お前たち二世によって統一家が地上に定着したあと、今度はお前たち各自が各家門の先祖となるのです。十二人の息子全員が支派長になるのです。支派長として立てなくてはならない伝統があるということです。分かりますか、何の話か。(「はい。」)これをしっかりと知らなくてはなりません。 解放前の摂理 さあ、祝福の話を続けましょう。先生はカインとアベル基盤を築かずしては、父母として復帰される基盤を持つことができません。即ち、カインとアベルの二人の息子を生んだままの父母では、天の側に立つことができないのです。父母は、カインとアベルを、神の長孫・次孫として登場することのできるそのような息子・娘を持った時に、初めて堕落しないアダム・エバの位置を受け継ぐことができるのです。これが原理です。 それでは、原理がこのようになっているとしたら、お前たち二世がしっかりと一つになって、先生を中心にして一つになろうとする日には、歴史が回っていくのです。歴史が回るのです。そこで孝進、お前はこれからいろいろと準備しなければなりません。今のようなお前なら問題なくできるでしょう。問題なくやらなければなりません。お姉さんも交えて全体が協助し合わなくてはならない時です。今ここに、そのような時機が熟したということを皆分かったに違いありません。世界的な蕩減路程の中で、先生は今まで何をしたかというと、息子の役を果たしてきたのです。 そして、アメリカの国とキリスト教がカイン圏とアベル圏の立場で一つになっていたならば、父母様が父母様の立場で登場するのです。それで、その時に世界的な家庭を作らなければなりませんでした。しかし、先生はキリスト教に反対され、キリスト教の基盤を失ったのです。そのため、それに代わるキリスト教の歴史を再び立て直すため、私が個人として、ヤコブの時代から始まって二千年という歴史を蕩減して来たのです。それは、国家的なイエス様が再臨されたにもかかわらず、イエス様に代わるメシヤとしての失敗の償いでありました。その失敗を、韓国を中心にして全部蕩減したために、韓国の民族の中からお母様を選ぶことになったのです。 我々の家庭はお父様一人ではなかったのです。神様の御旨と御計画があったために、一人の女性と巡り合うことになったのです。彼女は神霊集団の代表的な女性でした。その集団は、解放の三年前から作られたもので、彼女は重要な役事を引き受けていたのです。その時、神霊集団と先生が一つになり、その次に、投獄されていた牧師たちと一つとなることによって、韓国全体を一つに方向づけなくてはならない時でした。 ところが、教界の牧師たちや、監獄に入っている牧師たちには有識者たちが少なかったのです。アメリカに留学をして英語などを話すことのできる有識者たちは殆ど神社参拝をするなど、日本を支持する反逆者たちとなってしまったのです。そして、神霊集団は、このような人々と手を結んでしまったというのてす。その結果、先生は反対されることになったのです。 それ以前に、監獄に入っていたそのような牧師たちが先生を中心にして完全に一つになっていたとすれば、そのようなことは皆収拾することができたというのです。しかし私と一つになるべき人々は、結局は人間世界の事件に巻き込まれてしまいました。彼らの多くは主が肉身を着て韓国に降臨されることを信じ、その日が来ることをどれほど待っていたことでしょうか。それを人間的にみて、皆駄目にしたというのです。それらの(涙声で)備えられていたものが全部人間の過ちによって崩れてしまったのです。 このような波乱万丈の道を歩みながら、今まで四十年間、先生は多くの支援を施して来ました。まず第一に、韓国の解放以来、韓国の言葉が世界的な言葉となることができるように支援して来たのです。万一、アメリカが世界の中心となっていた場合には、又、アメリカの女性を得たとすれば、アメリカ語が世界語になっていたはずです。それは、アメリカがキリスト教文化圏だったからです。 このように多数の可能性が織りなす中で、先生が苦労しながら、お前たちのお母様を韓国人の中から得たのです。お母様が韓国の女性ですから、韓国の国を再び取り戻し、かつ救ってあげることのできる、そのような恵沢圏内に立てることができたというのです。これは実に驚くべきことなのです。 錦衣還郷の時 それで、私は錦衣還郷(きんいかんきょう:註・功成り名を遂げて故郷に帰ること)の時を迎えました。先生がどのように錦衣還郷するのか、これが新たに直面している問題です。それは他でもありません。世界を舞台に、キリスト教を中心とする民主世界に対し、蕩減条件をもって、彼らが自然屈服することがてきる基盤を築き、自己の直系である統一家の子女たちを中心にして、カイン・アベルの長子圏を復帰してから、天が初めて神の形として認めることのできる世界的出現を錦の御(み)旗として、故郷に持ち帰らなくてはならないということなのです。先日、先生が帰ると話してあげたでしょう? それにはこのような意味があるのです。 しかし、韓国に帰るとすれば、韓国が反対することは分かり切っているというのです。だから、杜門(ともん:註・門を閉じる)不出、じっとしていなくてはならないのです。どのようにして事を収拾して行くかという問題が、今後に先生がしなくてはならない難事なのです。 過去民主世界、特にアメリカさえ反対しなかったならば、既に南北統一が成就され、、新しい世界が出発したはずでした。三十八度線もきれいに取り除かれていたに違いありません。 そのように、民主世界はくり返し期待された務めを果し得ませんでしたが、新たな目的達成に連結させようと、代表国であるアメリカを中心に数多くの教会の牧師たちとつながりを持って来ました。かつてイスラエル民族が北朝のイスラエル十支派と、南朝ユダの二支派に別れていたのと同じく、今まですべての世界が別れていました。しかし、今回、この孝進君を中心として、韓国と日本の二つの国が協助したことが、これを越えることのできる基盤を築いたのです。 アメリカ人の大部分は我々が好きではありません。しかし、これを一つにならなくてはならないのです。そのために、アメリカでの好かれない環境において、キリスト教を中心にして七千名が召されたのです。 かつてバアルとアシラの木像を偶像崇拝した北朝イスラエルは、サタン圏に引っ張られていきました。この偶像が神の命によって売り払われ、または全滅させられていくのですが、その理由はイスラエル圏内にサタンを置いておくことができなかったからであります。それはイスラエルの国にやがて来るメシヤ来臨の時に備えて、十二支派の圏内にはサタンが侵犯しないで、イスラエルの国が天の側に完全に帰還できるようにするためのものでした。そして、それに先立ち、エリヤ再臨がのべ伝えられるようになりました。 そのエリヤは洗礼ヨハネでしたが、洗礼ヨハネには、その時代のユダヤ教とユダヤの国を完全に一つにして、ローマに対して対抗することのできるイスラエル圏、アラブ圏、十二支派を糾合する基盤を築かなくてはならない責任がありました。しかし、洗礼ヨハネの責任が果たされなかったために、再びサタンの侵入を許すことになり、残された責任分担として、今日統一教会にまで連結されてきたのです。これも先生が闘って来た内容の一つです。 世界的なヨセフとして この全体史から見れば、先生の歴史はヨセフの歴史とちょうど同じなのです。ヨセフの兄弟は十二人で、兄さんたちが十人います。この兄さんたちに売られ、異国の地に住みながら新たな基盤を作り上げました。先生は、アメリカという異国の土地に来て、ヨセフと同じ路程を歩んでいます。後に十一人の兄弟たちがヨセフに屈服し、親と国王までが屈服したように、先生も人々を屈服させることのできる基盤を築いてから帰らなくてはならないというのです。今そのための闘いをしているのです。 ヨセフのように闘わなくてはならないのです。ヨセフは物質的祝福を与えられ、人々に恵みました。先生はこの物質的祝福を受けてから、アメリカや東洋の人々に与えようとしています。そのような新たな局面を迎えるために、この四十年の峠を越えて行くのです。問題はこれからです。日本もそうです。このようなありとあらゆる歴史的内容の関わりがあるために、(八月)八日になるその前までに数千名の牧師たちに神の御旨を伝え、皆終わったのでした。蕩減条件として精誠の後にそうしなければならなかったのです。異邦の地に来て一人でそのようにするということはたやすかったでしょうか。 立場を変え、異国に住む移住民となって考えてみてください。韓国では中国人のことを“チャンコロ”と言います。昔から中国人は大国の人とされたはずです。その大国の人もこを離れれば、“チャンコロ”とか“トェノム”(註・中国人に対する卑称)と言ってさげすまれます。 それに比較すれば、アメリカにいるレバレンド・ムーンは、韓国にいる中国人よりも下の扱いを受けました。名も無く、姓名すら無い人間がアメリカを上げたり、下げたりして、騒ぎまくったり、攻めたりするので、良いはずがありません。皆、目標に向かってありったけの誠意を出せというのです。 神様は、神の愛が殺人と流血に一変されてしまった人類歴史の恨みを解くために、レバレンド・ムーン一人を捕え、吊し上げにして殺し、供え物にしようとされました。歴史上に展開したすべての怨恨を、ことごとくレバレンド・ムーン一人の蕩減として背負わせたのです。しかし、私は復活した後、逆に打って行くのです。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.14
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お父様がこれから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたものです。また、水色マーカーはtomy4509の独断と偏見によってのものであることを付記しておきます。今回は第2回目ですが、上述のお父様のみ言がここにありました。ご確認ください。文鮮明先生御言選集 19850816 - 一勝日におけるみ言葉 2歴史的意義をもった祝福子女修練会 では、いつこれを始めるのでしょうか? 四十年が過ぎたきょうこの時間にこのような内容を話すのは、孝進君が韓国に行くことによって、三十六家庭を始めとする祝福家庭全体が一カ所に集めて一つにしたからです。この時参加しなかった人たちは、歴史的に慨嘆する時が来るに違いありません。このことを思うと、一つになって集まるその時間がどれほど重要な時間であろうかと言うのです。一次、二次修練会がどれほど重要であったかということです。 ここでは、この世界のような自己出世という観念が認められません。“自分は学校のために云々”などの口実は条件として通用しないのです。そういう彼らは、長子圏、次子圏に上って来ることができないために、生まれていないのと同じです。そのような者たちが仕事の采配を揮うとか、第二、第三の目的を立てて追求するなどできない話です。それらはすべてサタン世界の因縁によってもたらされるものであるから、サタンの因縁に帰着してしまうのです。このことを確実に知らなくてはなりません。過ぎてしまったから言いますが、一次、二次に参加しなかった人は歴史的に問題になります。このように重要な期間であったのです。 それで、今回も天がすべて役事する中で、可能な限りのすべての祝福家庭が皆参席したという消息を聞きました。天は哀れみの心を抱いて、初期の時代から先生について因縁を持って来たその人たちを、天がどこまでも貴重にみるために、皆その後孫までもその因縁に結んであげようとされたのです。その間、たしかに事故もありましたが、事故に遭った人が問題ではないというのです。もし、その事故が今回の摂理によって発生した事故であるとすれば、事故当事者は祝福された一人です。 世界的蕩減期間を越えて この期間、即ち先生がダンベリーから移って迎える四十日と四十三日までの間は、世界的に蕩減の期間であるため、不祥事が多発するのです。例えば、日本での旅客機墜落事故や、あの船会社の事件などもそのようにみることができます。全部複雑な問題が起きるのです。そのため、こういう期間は、できるだけ子供たちを外に出さないようにとお母さんに言っています。 私が一九八三年に韓国で大会を開いた時も、同じような時でした。韓国とアメリカとの世界的基盤を築いたその因縁を、国家的基盤に連結させることのできる重大な時機でした。その時、子供たちを集めて、「絶対に出歩いてはいけない」と言い聞かせました。言うことを聞かないで自由行動をしたならば、我々の家庭が蕩減するというのです。そのような立場で興進君が霊界に逝ったのですが、万一、興進君が逝かなかったならば、国家的次元で問題が起こったはずです。その時を前後して、韓国はKAL機事件、ラングーン事件に会いました。全部、その転換時期であるため、外的に内的に蕩減する時だというのです。 そういうことを知っているために、先生は父親として、「あるべくならお前たち、このような期間には出歩いてはいけない」と言ったのです。私はお母様から、ある用事のことで出かけようとしきりに誘われましたが、私は「この二十日が過ぎてから」と言ったのです。このような摂理的内容を知っていたから、私はそのようにしたのです。 このような時は、統一家にとって精誠を尽くさなくてはならない、とても貴重な時です。しかも、四十年を越えて迎えるこの時に、先生を中心にした世界史的カインの長子圏を立てなければなりません。かつてのカインは、サタンが讒訴することのできるカインですが、今、ここで神と一つになることのできる長子圏を立てなくてはならないというのです。長子圏は先生の家庭で立てなくてはならないというのです。先生の家庭には聖進兄さんがおり、喜進君がおり、孝進君がいます。その中で三代目の息子にあたるのが孝進君です。孝進君にとって、聖進君は兄さんにあたりますが、聖進君が生まれた時は、摂理を成功させることができませんでした。 次に生まれた喜進さんは、伝道に行く途中で汽車によって客死したのです。これに関連して、韓国統一教会の劉協会長が亡くなりました。劉協会長の三位基台では金元弼が一の立場であり、二番目が劉協会長なのです。二番目がいつも問題だというのです。これらの因縁が外的に蕩減されなかったために、私の家庭に潜入して来ました。それが完全に蕩減されなかったために、直系の父母様から生まれた二番目の息子興進様が逝ったのです。そうすることによって、この位置にいる喜進も連結し、劉協会長も連結し、イエス様も連結して、天上世界と地上世界が連結することのできる橋を高めているのです。 そのような理由で、私がお母様に言ってきたことは、私たちの家庭が受けなければならないすべての蕩減は、皆通過しなくてはならないというのです。そのような意味で、悲しいことがあったにしても、絶対に天を怨んではいけないというのです。天を怨むのではなく、我々が責任を果たせなかったことを反省して、自らの不足を責め、悲しい出来事を甘受しなくてはならないのです。 私がいつもお母さんに言っているように、私が天の前に間違っているならば、その代価は子女を通して受けるのです。それは天理がそのようになっているからです。子女を通して蕩減しなくてはなりません。万一、間違ったことをしたならば、その子女が必ず悔い改めて倍価の努力をしなければならない立場になるのです。その間違ったことを知りながら、過ぎた日の父母様に与えたすべての心の痛みとか、食口たちに被害を与えた過去のすべてを反省して、深く悔い改めなくてはなりません。 長子の使命 このような観点から、もし孝進君にそのような過ぎ去った日々があるとすれば、それによって天の前に帰って、過去を完全に切ってしまい、アベルのような立場て忠臣・孝子となる彼らの前に立って悔い改めた後に、そのアベルのような孝子や忠臣以上に努力するというような立場に立つならば、そこから初めて、今まで述べてきた長子圏の出現が孝進君を通して成るようになるのです。 聖婚式を挙げた真の父母の息子が、本来の長子の座に立つことができるということです。そのような観点から、伝授式が行われなければならないのです。 しかし、そのすべての責任は私が負うのです。四十の峠を越える、第二次大戦以前に、私は家庭的出発をすることができなかったのです。しかし、第二次大戦後の四十年が過ぎた以後において、家庭でなく、自分の息子・娘を通して世界的な出現をさせることのできる基盤を連結させることによって、過去四十年の期間は失った期間でなく、探し求めた天の期間として、立てることのできる重要な時点、重要な過程であると見るのです。それは私が探したものであるから、私が孝進君のような年齢で出発した当時、世界的な舞台に出現できなかったために、自己の一代にできなかったことを、代身者としての第二世を世界的舞台に立たせる基盤に連結させることができるのです。 それは何かと言うと、長子は父の代身として、仕事の責任を負わなくてはならないからです。又、難しい事は、統一家において原理が教えるすべての課題を、自ら進んで責任を負うことなのです。 父母というのは子供のことを考えてから、自分を考えるのです。これが原則です。先に子供を愛してから、自分を愛するのです。夫婦の間で、子供を愛する妻を持つ夫は天に感謝しなければなりません。子供を愛する妻は天の側に立つことができるからです。又、子供を愛する夫を持った妻は、天の夫として侍らなくてはならないというのです。子供を愛することのできない父母は、天の側の父母として侍られる立場に立てないと見るのです。そのような意味で、孝進君を誰よりも愛するのはお母様なのです。もちろん、先生も愛しています。が、先生は愛するという話をしません。 サタンは私の家庭の長子を引っ張って行こうと、あらゆる手段を講じていました。これを止めるために興進君が蕩減しました。孝進の身代りとなって、興進君が急死したのです。興進はアベルの位置において犠牲になりました。それは、イエス様の犠牲と同じ意義があります。イエス様が犠牲になられたのは、兄さんの立場に立つ全人類を救うためでした。即ち、長子であるカインを救うために犠牲になったのです。 興進君の犠牲により、我々の家庭は完全な蕩減条件を立てることができました。これを契機に孝進君は一大変化をしなければなりません。興進が父母に精誠をこめて尽くしたように、孝進も父母に尽くさなければならないのであり、身代りとなった興進の分も合わせて、二倍の努力をすることを決意しなければなりません。このような衝撃的な事件に見舞われた私たちの家庭に対して、世間一般の目から見れば、身内を失った不幸な出来事と思われがちですが、御旨の面から見るならば、このことにより、新しい家庭的復活圏が繰り広げられていくのです。 統一家の伝統 そこで皆さんに急に集まっていただいたのは、きょうが八月十六日、四十年の峠を越えて初めて迎えるこの日の式を行うためです。 今までの歴史は、兄が弟を殺して血のいけにえにし、弟から奪取し、犠牲にさせることの繰り返しでした。しかし、今からは、これが反対になるのです。今まで、神の側の息子の位置に立てられたアベルが犠牲になってきましたが、その目的は長子圏復帰のためでした。従って、神側の長子として生まれ変わるための歩みは、天の側の長子圏のその伝統を、死と血の歴史でもって作り上げてきたのです。この伝統が、正に統一家の伝統であることを良く知っておかなければなりません。 これから、先生以後に、孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。しかし、長男がすべてにおいて不足のため、伝統を受け継ぐことができない場合は、兄弟たちを集めた公的会議の場で話し合わなければなりません。兄自身が自己の不足を認め、「家庭の伝統を立てることができないために、誰かが私の代わりに立って欲しい」と願い出るべきです。そのような要請があれば、公的会議または家庭会を開き、全員が祈祷した後に選定されなければなりません。 では、どのような人を選定すべきでしょうか。より犠牲になってきた人、よりアベル的伝統歴史を受け継いだ人。命令だけするのではなく、命令を受ける人に福を与えるための道を行く人でなければなりません。今まで、サタン世界のカインは命令して、搾取して殺そうとしてきました。これからのカインは、天の側の長子の座に立つのですから、今までとは反対になります。アベル伝統の歴史を受け継いだために、全体のためにより犠牲になろうとする人でなければならないし、誰よりももっと苦労しようとする人でなければならないのです。先生もその原則に従い、そのような伝統を立てるために一生を捧げて来ました。数多くの宗教者、数多くのキリスト者、数多くの歴史的な聖人たちがいますが、その中において、サタン世界を復帰するために、誰よりも犠牲になろうとし、誰よりも為に生きようとして来たのです。 統一教会に三十六家庭が定められてから、三十年歴史を迎えようとしていますが、私は今以って彼らの為に生きているのです。これが伝統です。 この伝統は、先生の子女たちは勿論のこと、食口たちも守らなくてはなりません。このように兄さんの位置に立つということは、いかに難しいことかを良く心得ておかねばなりません。すべての困難は彼と共に相談しなければならないのです。長子は全体の困難に責任を背負い、神の代りに伝統を受け継いだ責任を果たすために、できる限りの精誠を尽くさなければならないのです。 できないという話は言えないようになっているのです。難題を抱えた時、「そうか、後で考えることにしよう。研究してみよう」と、こういう言葉は良いが、頭から、「それはできない」と言ってはならないと言うのです。目的さえ善であれば、「しなければならない」と言い、自己の持っている力を活用して兄弟たちを動員し、目的達成のための陣頭指揮を取るのです。どの後継者もそのようであるならば、統一家の伝統は永遠に継承されるのです。これから生まれてくる我らの後代の長子、後孫は絶対に、自己中心に生きる今日のこの世の権力者の真似をしてはならないというのです。 中心というのは、すべてのことに責任を持つ位置にあります。中心の位置に立つ者は、すべてを与えることのできる人でなければならないのです。中心とは責任を負い、与えるばかりでなく、保護してあげることを知らなくてはなりません。このような伝統的歴史が、復帰摂理過程で綴られてきました。堕落以後、アベルがカインに殺されて死んだのは、神のために、次にはカインのためでした。 心情の極限に立って このことは、特に孝進君がよく知っておかなくてはなりません。今回、韓国と日本を連結させて帰ってきましたが、これは実に驚くべきことです。これからは、韓国と日本で誠を尽くした以上の基準で、アメリカにいるすべての食口たちが孝進君を尊重しなければなりません。 孝進と言えば、昔の孝進を誰も知っていますが、今の孝進は知らないのです。ここ二、三カ月にわたって起きたいきさつは知らないのです。CARPの責任者となって本を出したり、日本で活躍したことを知らないでしょう? しかし、この事実というのは、孝進の一生において革命的なことなのです。加えてこの事実は、世界史的デビューへの看板を掲げたことに等しいのです。 ここで、良かったか悪かったかの評価を受けるのです。幸いにして、素晴らしい評価の言葉が韓国の代表から、韓国の家庭から、韓国の食口たちから伝わってきました。それに加えて、更に日本でも同じような評価をしてくれています。そればかりでなく、祝福を受けた二世たちの歓待と称讃を受けることによって、両親を含め、私の家庭の誰よりも勝(すぐ)れている立場の証を立てることができました。全員が一つになっても、それと取り替えることのできない代表者となって帰って来ることを期待していましたが、孝進は立派にその責任を果たしました。 天の御旨の中で繰り広げられた今回の修練会に対して、神様が見つめる観点はどういうものだつたでしょうか。始め修練会の責任者として立てられた時、「原稿を準備しないで行って、祈祷しなさい。精誠ここめて祈祷するように」と言いました。弱き者であるから、羊のようなイエス様と同じ立場で、何も知らない孝進が今ダビデのようにゴリアテの前に出て、ありったけの力を出して神を信じて、石投げを持って立つのであるから、それはどれほど苦しかったことでしょう。そのような心情の場に置かれたというのです。 孝進が神にすがり父母にすがって摂理の第一線に立つというその心情を持ったならば、神は無条件に協助するようになっているのです。だから、この事が普通の事でなかったのです。先生のこの監獄生活の全過程で、四十年を越える前後を中心にして、このようなすべてのことが偶然の一致のような結果をもたらしたということは、内的な面で神が数理的な計画を進めてこられたその基盤の上で始められたということを、孝進が知らなくてはならないのです。そのお陰で、今回有終の美を飾って帰って来たというのです。 私が一番うれしいと思うのは、韓国の皆さんが孝進の送別会をしてくれた後、飛行場には見送りに行かないことにしたにもかかわらず、二世たちが全員出て来て金浦飛行場に集まり、たいへんにぎやかな見送りをして周囲を驚かせたということです。指示はしなかったけれども、自ら進んで動いた、この事により、二世たちをして天の福を受けることのできる条件ができたことを皆さんに言っておきます。<その3に続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.13
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お父様がこれから、先生以後に、(長男の)孝進の後孫たちがそうするとき、代々に亘って受け継いでいくのです。誰が継代を受け継ぐかという問題ですが、もちろん、長男が受け継ぐのが原則です。と語られたみ言葉がありました。真のお母様が今年3月の米国でのスピーチと相通じるものであり、お父様の意思を受け継いでのものであることを立証したものです。5回に分けて紹介していきます。このみ言は『祝福(1985年 冬季号 第四十七号)』に「一勝日におけるみ言葉」として掲載されたもので、そちらでの確認も出来ます。1985年8月16日、20日のお父様のダンベリー解放を前にしての儀式の時に語られたもので、全世界の食口たちが教会に集まってされたもので、私も教会で「生水」を飲んだ儀式の記憶があります。また、水色マーカーはtomy4509の独断と偏見によってのものであることを付記しておきます。一勝日におけるみ言葉1985年8月16日イースト・ガーデン 以下のみ言葉は、一勝日の重要な儀式が行なわれた際、文孝進様を中心とした子女様、韓国の先輩家庭、及び世界の代表的教会指導者たちの前で語られた内容です。 父母復帰のための条件 きょうは八月十六日、この日は韓国が解放されてから四十年を越え、四十一年目を迎える日です。復帰摂理から見るならば、先生が四十年の間に四千年歴史を蕩減したことになります。 この、ヤコブからイエスまでの時代と、イエス様から今までの時代を合わせた四千年歴史を再蕩減するために、今まで父母様が苦労して来たということを知らなければなりません。この四十年間というのは、第二次大戦直後から今日までの期間を言います。当時、韓国において、キリスト教会が統一教会を受け入れて一つになっていたなら、世界はその時から一つになっていったはずです。 いつも問題となるのが、カイン・アベルの問題なのですが、カインが兄さんとして先に生まれたにもかかわらず、この兄さんがサタン側に立ったため、弟であるアベルが神側に立って、歴史路程を通して転換するための闘いをして来ました。アベルがカインを復帰しなくては、父母を迎えることができない、父母が地上に現れることができないというのです。それで、アベルがカインを復帰するためには、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界、天宙へと八段階の過程を経ながら蕩減していかなければなりません。 このような摂理の目的を成すために、キリスト教が霊的ではあるが、アベル的な立場で血を流しながら、生命を捧げる犠牲の道を歩むことにより、その代価として、カインの立場であるサタン世界を屈服させてきました。 このようなサタン屈服の最高の頂点がいつの時であったのかというと、第二次大戦の時なのです。第二次大戦の直後を中心として、アベル圏としてのキリスト教が、カイン世界のすべてを、アベル圏の世界として皆掌握することのできる時であったというのです。それは、キリスト教文化圏が始めて全世界を主管することのできる特権を与えられた天賦の時だったのです。それを機会にアメリカが中心となって、一つのキリスト教文化圏の世界を作るべきであったのですが、惜しくもアメリカとキリスト教は天の御旨を知らなかったのです。どのようにすれば、この世界を一つに収拾し、神が願う天国に転換して、越えて行くことができるかをキリスト教自体が知らなかったというのであります。 それは、天の御旨の中で送られる再臨主のみがご存知だったのです。アメリカとキリスト教自体がカイン・アベルの関係にあり、このキリスト教とアメリカが完全に一つになることによって、父母様が復帰できるようになっているのです。原理のみ言葉からしても、アベルを通してカインが復帰された後に、アダム・エバが復帰されるのであって、アダム・エバが先に復帰されることはありえないというのです。 だから、あくまでも天の摂理は、父母の位置に立つアダム・エバが現れる以前に、逆になってしまったカイン・アベルの順序を復帰しなくてはなりません。そうでないと、いつまでもサタン側に長子が残っているということになります。本来、神の創造理想から見るならば、長子は天の側に立っており、もちろん次子も又天の側に立っていなくてはなりませんが、堕落の結果、長子圏がサタン側になり、次子圏が神側になってしまったのです。 長子権復帰基盤の形成 カインとアベルの立場を本来の立場に復帰するため、神はヤコブとエサウを通して役事されたことが聖書に記されています。エサウとヤコブの問題を中心にして見るとき、ヤコブはお母さんの協助を受けてから、お母さんと一つになって、パンとレンズ豆のあつものを与え、長子の嗣業を買い取ることで、長子権を奪う役事をしたのです。聖書の歴史の中に、どうしてこのような話が記されているのか、今まで誰も知らなかったというのです。 それで、統一教会が現れることによって、原理観によってこれが明確になったというのです。即ち、父母を迎えるためには、次子の長子権復帰が必要であることを聖書は教えています。そして、今日に至っては、全世界的基準で復帰しなければ、父母様が父母様として登場することができないというのです。なぜかというと、堕落した父母はカインとアベルを生みました。サタン側の長子を生んだのであり、また、堕落したサタンの圏内にいるアベルを生んだからです。 堕落圏を越えることによって、長子を天の側の長子として立たせ、次子も天の側の次子圏を成すことによって、堕落しない本然の世界に立つことができたとすれば、本来のアダムの創造理想になるのです。神が絶対的な存在である限り、その理想も絶対的に残されているために、これを再び蕩減復帰して、これを探し求めるための歴史過程を経てから、いつの日かこれを越えなくてはならないのです。 それでは、全世界的に見る時に、先生自身の立場はどうなるかと言うと、この全世界がカイン圏におり、先生はアベル圏にいます。また、キリスト教を中心にして見るならば、キリスト教がカイン圏にあり、統一教会がアベル圏にいるというのです。アベル圏である統一教会に対してキリスト教は先に生まれたのですね。統一教会が、先に生まれたキリスト教から長子権を引き継がずしては、この世界的な父母を迎えることができないのであり、世界的なアベルを歓迎することができないというのです。 それでは、来たるべき再臨主と人類全体を見る場合、すべての人類は先に生まれたというのです。いわば、サタン側に立っているのですが、来たるべき主様は天の側に立ち、アベル的立場で現れてから、これを再び元に戻さなくてはならないのです。 アメリカとキリスト教が、カイン・アベルの基準において完全に一つになり、キリスト教を中心としてアメリカを動かすことがてきる立場に立てれば、この自由世界圏を中心として長子権復帰基盤が形成されるというのです。そしてまた、次子の立場であるキリスト教を中心として、長子であるアメリカという国家が従順に屈服することにより、初めて次子圏にあるキリスト教が世界的民主世界圏を屈服させたことになり、長子圏の位置に上って行くというのです。 このようになってこそ、世界的父母様を迎えるのですが、本来の堕落しない立場では、誰が先に迎えなくてはならないかと言うと、長子であるカインが先に迎えなくてはならないのです。堕落していない長子が先に父母様を迎え、次子たちが続いて迎えなくてはならないというのが原理観なのです。 長子圏蕩減のための闘い しかし、この第二次大戦直後に、キリスト教と統一教会が一つになれないことによって、世界的教団基盤において一つになることができなかったために、世界的教団がサタン側に立つようになりました。このことによって、アベル圏である統一教会に対して、カイン圏キリスト教が完全にサタン側に回ってしまったことになります。 本来、これらはすべて来たるべき主様を中心に準備しておかれたものでした。それ故、統一教会だけを迎え入れ、一つになったならば、その時にカイン・アベル圏を中心にして、アメリカは自然に吸収されていたのです。これが完全に一つになったならば、天の側の長子と次子の原理的基準に立脚した場において、初めて世界的基準で父母様を迎え、一つの世界を創建するための出発がなくてはならないというのが原理観なのです。 しかし、キリスト教が統一教会に反対したため、キリスト教文化圏を中心とするすべての国と、アメリカに属するすべての国までが、統一教会に反対するようになりました。そこには数多くの宗教、数多くの人類が全部加担して、今日まで統一教会を中心にして先生に反対して来たというのです。 この反対される中で何をしたかと言うと、長子圏を蕩減してきたのです。それには、四千年歴史を二十年間で蕩減しなくてはならない内容がありました。予定としては、一九六〇年から一九八一年までが決められた期間でしたが、これを四年間短縮して、一九七六年までに蕩減条件を立てて来たというのです。そして、今はその延長線上にあります。 当時、アメリカを中心として日韓が一つになったならば、復帰されたカイン・アベル圏を中心にした世界的基盤を築くはずでした。しかし、ニクソンの失脚に伴い、これらが一つになれず、指導者たちは非運の道を歩むことになりました。 これを再び蕩減復帰するための、一九七二年から十二年間にわたるアメリカでの闘争過程において、長子圏としての使命を果たさなくてはならない教界とアメリカに反対され、先生は今まで追われ追われて監獄にまで行くようになったのです。それが今継続しているのです。 今、八月二十日まで四日を残して、四十年目の解放の記念式を執り行い、四日後に先生が解放されるということは意義があるのです。四十四数。これはサタン数の完全数です。そのような数を中心にして、蕩減復帰の道を今なお歩んでいるというのです。 本然のカイン・アベル観 今、我々統一家を中心としてみるときに、統一家のアベルが誰かというと、先生の息子なのです。統一教会自体から見るならば、祝福を受けた家庭、または祝福を受けた人が、祝福を受けていない統一教会の会員たちの前ではアベルです。それで順理的に一つになるようになっているのです。同じ原理を学び、同じ父母に侍ることができるという事実が驚くべきことなのです。もし、父母がいないとしたら争いが起きます。しかし、今、祝福を受けた子女たちが、あの祝福を受けた人々がアベルの位置にいるのに、カイン側に立った統一教会員たちは反対しないのです。順応するというのです。それが違うというのです。 では、統一教会と先生の家庭とを見るときには誰がアベルですか? それは先生の息子、直系の子女が統一教会の祝福を受けた家庭の前にアベルの位置にいるのです。 このような観点から、統一教会では祝福を受けていない信者たちは、祝福を受けた人たちに対し無条件に順応し、付いて行かなければならないのであり、そこには異議を唱える余地がありません。そうでなければ、エデンの園の堕落した蕩減内容の基準が順理的に解決されないというのです。それと同じく、統一教会員であれば、祝福家庭であるなしに拘らず、父母様を中心にした直系の子女の前には従わなければならないというのです。 それはなぜかと言うと、カイン・アベル問題をここで清算しなくてはならないからです。そのため、先生は監獄に入る前に、この孝進君に一つの仕事を命じました。問題は何かというと、今、統一教会の先生の家庭を中心として見ると、誰が神の御旨をすべて成し遂げるかということです。先生の年齢ははや六十五歳なのです。これから先、先生一代で、ある伝統的基準は立てることはできますが、全世界を完全に復帰するのは難しいのです。そのために、二世、三世まで連結させてから解放しなければならないという、このような歴史的摂理観が残っているのです。 神、アダム・エバ、カインは三代です。三代を中心にして四位基台が繰り広げられるのです。三段階、これを展開させると四位基台になります。三段階には祖父、父、子女がいます。だから、一家にいつも三代が一緒に住むのが原則なのです。これが家庭基盤の基台になるというのです。このように、統一家を中心としてみるときに、先生を父母様として侍るとするならば、今度は先生の息子がアベルの位置ですが、ここから長子の位置に回ると長子圏が始まるのです。真の父母様を中心とした位置で長子圏が生まれるのであって、父母様がいなくては、長子圏が設定できません。今まではアベル圏であったものを延期させてカイン圏を復帰し、メシヤを迎えることのできる歴史的所望の道を歩んできたのです。 しかし、今、再臨理想を成した父母様が現れることによって蕩減復帰を成したために、今度は天の側の父母様の息子・娘たちが、長子・次子復帰基準を備えなければならないというのです。 地上天国実現出発の基準 ところが、この世界がアダムの息子として生まれた外的世界であるために、これを横的にどのように連結するかが問題になります。先生の家庭の息子たちをカイン圏として、兄さんとして見るならば、この世で未だ復帰されていない人たちはアベル圏として見るのです。アベル圏は唯順応だけすれば良いのです。 過去のように蕩減復帰という名詞があるのでなく、これからは信じて従ってさえ来れば良いのです。長子たちが設定されたので、長子たちの行く道を付いてさえ行くならば、統一教会の祝福を受けた家庭はもちろんのこと、その二世全体がアベル圏として自動的に設定されるのです。その話は何かというと、蕩減復帰が必要ない時代に入って行くということなのです。 ここに、順理的基準が初めて立ったのです。歴史的なカイン・アベルの過程を中心にして、個人蕩減や家庭蕩減や、氏族、民族、国家、世界、天宙史的なすべての蕩減を終えて、その上の位置に立てられた父母様の勝利の基盤を通して、今度は横的な面において、父母様の息子・娘たちが長子圏となり、統一教会の二世たちが次子圏となって、長子圏と次子圏を横的に展開する時代を迎えなくては、地上天国実現出発が不可能だというのです。分かりますか? 原理がそうなっています。 地上天国についてどんなに語ったとしても、長子圏と次子圏が、神を中心に勝利した父母の基準と、その血統的因縁を通して関係を結ばずしては、地上天国顕現が原理観的立場からみて不可能だというのです。それをしっかりと知らなくてはならないのです。 それならば、このようなことをいつ決定するのでしょうか? 今日、統一教会の歴史において、このような決定をいつなしたかということが重要なことです。これを決定せずしては、サタンを根本的に追い払うことができないというのです。それで、先生はこの御旨を進めるため、入監以前に孝進君を立てて、二世たちを一つにする運動を展開させたのです。先生の長男としての立場で責任を持たせたのです。従って、祝福を受けた家庭は一つになって付いて行かなくてはなりません。 そこには反対する異議があり得ないのです。“私のが良い”とか、“アメリカ式が良い”などという意見が出てもならないのです。もっとも、アメリカ式では運動を成功させることができません。いずれにせよ、何式であろうと、父母様が提唱するその式に従うことによって天国の道を行けるのであって、アメリカとか韓国の今までの伝統的な習慣性を通しては、天国への道は成すことができないというのです。 あくまでも、父母様を中心にして一つになった基準の長子圏、次子圏が横的に設定されない限り、天国実現の出発が不可能です。これを確実に知らなければなりません。<続く>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓ 真の父母様を中心としてのアベル・カインが以下でもありましたが。結果はどうでしたか?
2018.05.13
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5月5日、清平でのヒョジョン多文化祭の一場面をUPF(韓国)ホームページで紹介していた。http://upf.or.kr/main/boardnews/boardcontent.html?&no=6020&code=MENU0101&page=1&listnum=10【ヒョジョン多文化祭】統一の道!平和の道!ピースロード2018広報ブース開いて2018ヒョジョン多文化祭りが5月5日に清心平和ワールドセンター前屋外の芝生で韓国文化平和連合主催で、米国、日本の、英国、フィリピンの、タイの、モンゴル、マレーシア、ウクライナ、キルギスなどで訪れた多文化家庭一般市民が参加した中開催された。この日UPF・南北統一運動国民連合は「統一の道!平和の道!ピースロード2018」をスローガンに挑戦!統一ゴールデンベル、ピースロード風船、タトゥーステッカー、SNSバナー記念撮影など、様々な広報を通じて、各国の大使と国会議員、多文化家庭、留学生、一般市民にピースロードプロジェクトを説明しみんな参加していくことを要請した。 より多くのフォトはUPF(韓国)ホームページにて(こちら)。映像は → こちらをクリック一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.13
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イエス様は喩え話をもって多くの教訓も残しておられた。その一つが「新しいぶどう酒は新しい革袋へ」がある。イエス様の「独り子(独生子)」に対してのお父様の造語「独生女」がその新しいぶどう酒であった。クリスチャンたちは「真の父母」(独生子と独生女)を受け入れることが出来ず、統一教会を異端としてきた。こんにちの分派の方々にしても過去の因習に囚われて「独生女」どころか「独生子」のみ言までも否定する立場で追いやっているのではなかろうか。そして、彼らはその自らの姿も見ることが出来ない盲目となってしまっているようだ。イエス様の話にはその「盲目な人たち」(律法学者、パリサイ人)への忠告もある。1:マタイによる福音書/ 23章 16節盲目な案内者たちよ。あなたがたは、わざわいである。あなたがたは言う、『神殿をさして誓うなら、そのままでよいが、神殿の黄金をさして誓うなら、果す責任がある』と。 2:マタイによる福音書/ 23章 17節愚かな盲目な人たちよ。黄金と、黄金を神聖にする神殿と、どちらが大事なのか。 3:マタイによる福音書/ 23章 19節盲目な人たちよ。供え物と供え物を神聖にする祭壇とどちらが大事なのか。 4:マタイによる福音書/ 23章 24節盲目な案内者たちよ。あなたがたは、ぶよはこしているが、らくだはのみこんでいる。 5:マタイによる福音書/ 23章 26節盲目なパリサイ人よ。まず、杯の内側をきよめるがよい。そうすれば、外側も清くなるであろう。いつも私のとなりにさんも書いていたが、現代の篩い(ふるい)が「独生女」と見ることも出来る。http://uc-itsumokamisama.seesaa.net/article/459315482.html昨今の状況はある意味、ふるいにかけられているのかもしれないですね。すなわち、真の父母様を絶対信仰する者を選ぶためです。私の5%の判断、それが問われているこの時だと思います。マタイ25章からも、 そこで天国は、十人のおとめがそれぞれあかりを手にして、花婿を迎えに出て行くのに似ている。 その中の五人は思慮が浅く、五人は思慮深い者であった。 思慮の浅い者たちは、あかりは持っていたが、油を用意していなかった。 しかし、思慮深い者たちは、自分たちのあかりと一緒に、入れものの中に油を用意していた。 花婿の来るのがおくれたので、彼らはみな居眠りをして、寝てしまった。 夜中に、『さあ、花婿だ、迎えに出なさい』と呼ぶ声がした。 そのとき、おとめたちはみな起きて、それぞれあかりを整えた。 ところが、思慮の浅い女たちが、思慮深い女たちに言った、『あなたがたの油をわたしたちにわけてください。わたしたちのあかりが消えかかっていますから』。 すると、思慮深い女たちは答えて言った、『わたしたちとあなたがたとに足りるだけは、多分ないでしょう。店に行って、あなたがたの分をお買いになる方がよいでしょう』。 彼らが買いに出ているうちに、花婿が着いた。そこで、用意のできていた女たちは、花婿と一緒に婚宴のへやにはいり、そして戸がしめられた。 そのあとで、ほかのおとめたちもきて、『ご主人様、ご主人様、どうぞ、あけてください』と言った。 しかし彼は答えて、『はっきり言うが、わたしはあなたがたを知らない』と言った。 だから、目をさましていなさい。その日その時が、あなたがたにはわからないからである。 原理講論には、「終末にに際して我々が撮るべき態度」と題してP.174~からは: 堕落した人間は神霊に対する感性が非常に鈍いために、大抵は真理面に重きをおいて復帰摂理路程を歩んでいくようになる。したがって、このような人間たちは、古い時代の真理観に執着しているがゆえに、復帰摂理が新しい摂理の時代へと転換していても、彼らはこの新しい時代の摂理にたやすく感応してついてくることが難しいのである。旧約聖書に執着していたユダヤ人たちが、イエスに従って新約時代の摂理に応じることができなかったという史実は、これを立証してくれる良い例だといわなければならない。しかし、祈りをもって神霊的なものを感得し得る信徒たちは、新しい時代の摂理を、心霊的に知ることができるので、古い時代の真理面においては、相克的な立場に立ちながらも、神霊によって新しい時代の摂理に応じることができるのである。それゆえに、イエスに従った弟子たちの中には、旧約聖書に執着していた人物は一人もおらず、もっぱら心に感応してくる神霊に従った人々だけであった。祈りを多くささげる人、あるいは良心的な人たちが、終末において甚だしい精神的な焦燥感を免れることができない理由は、彼らが、漠然たるものであるにせよ、神霊を感得して、心では新しい時代の摂理に従おうとしているにもかかわらず、体をこの方面に導いてくれる新しい真理に接することができないからである。それゆえに、神霊的にこのような状態に処している信徒たちが、彼らを新しい時代の摂理へと導くことができる新しい真理を聞くようになれば、神霊と真理が、同時に彼らの心霊と知能を開発させて、新しい時代に対する神の摂理的な要求を完全に認識することができるので、彼らは言葉に尽くせない喜びをもってそれに応じることができるのである。したがって、終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである。3月、米国でのお母様のみ言でもって家庭連合の今後の方向性がハッキリしてきた。三男派ブロガーが「三男さんが長子だ、後継者だ。」と騒いでみたことろで、最早、家庭連合はどこ吹く風である。それどころか、家庭連合へのあれこれは「批判告発」の何物でもない。三男さん擁立といった道標を見失った三男派ブロガーの方々に聞きたいのだが、サンクチュアリ教会を宣伝するブログ『「家庭連合」の研究」』が今も「独生女批判理論」をブログ村でばら撒いている。皆様はこれに同調しつつサンクチュアリに飲み込まれる運命を辿るのか? あるいは?cocoaさんのパイオニアカフェからの転載がtomy4509のいう「重箱の隅」ではないという。であればそれらは「サイドメニュー」ぐらいに見られているということだ。そうなると、UCI問題は「真の父母様宣布文」まで出されて返還を求めたのだから、それは「メインディッシュ」。cocoaさん、コスモスさんの女性陣は先頭を争って「UCI返還キャンペーン」をされていかれることでしょう。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.12
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前回の『キリスト教の正統信仰は「独生女」待望の歴史?! 』の続き。前回の最後はお父様の最初のみ言「独生女」について、ビデオ映像(金振法院長)と父母様宣布文サイトでも紹介されていたものを取り上げた。私のブログ記事でも以下で取り上げていた。お父様が「独生女」を最初に語られたみ言さて、最も最初であるお父様の「独生女」発言は、数百巻ある『御言葉選集』の第7巻にそれを発見することが出来た。ビデオ映像(金振法院長)からの引用:「神様の独り子イエス様がこの地の上に来られて、もし亡くなっていなければ、イエス様が独り子だと語ったので、神様は彼のために独り娘も送られたでしょう。神様の2000年の(キリスト教)歴史は、新婦を求めるための歴史です」このようにお父様は、キリスト教2000年の歴史は新婦(独生女)を求めるための歴史だったと語られていた。また、原理講論のP.315~P.321からもアブラハムの家庭を中心とする復帰摂理において、「信仰基台」を復帰すべき中心人物は、正にアブラハムであった。…… ノアがサタンに奪われた第二の条件は、信仰の祖の立場と、アベルの身代わりであったハムの立場であった。ゆえに、アブラハムは信仰の祖とハムの立場を蕩減復帰しなければ、ノアの立場に立つことができなかったのである。したがって、アブラハムがノアの代わりに信仰の祖の立場に立つためには、ノアが信仰と忠誠を尽くして、箱舟をつくったのと同様に、アブラハムも、信仰と忠誠を尽くして、「象徴献祭」をささげなければならなかった。また、神が一番愛するアベルの身代わりであったハム(彼らはみな次子として「実体献祭」の中心であった)を、サタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は偶像商であるテラから、その長子アブラハムを連れだしたのである(ヨシュア二四・2、3)。(2) 信仰基台を復帰するための条件物 ① アブラハムの象徴献祭 神は、アブラハムに鳩と羊と雌牛とを供え物としてささげるように命ぜられたが、これらは、とりもなおさず、アブラハムが「信仰基台」を復帰するための条件物であったのである(創一五・9)。あたかもノアが「象徴献祭」として、箱舟をつくってささげようとしたとき、その献祭のための信仰を立てたように、アブラハムも、この「象徴献祭」をするためには、そのための信仰を立てなければならなかった。……それでは、アブラハムが象徴献祭としてささげた鳩と羊と雌牛とは、果たして何を象徴したのだろうか。この三つの象徴的な供え物は、三段階の成長過程を通じて完成する天宙を象徴するのである。すなわち、まずそのうち、鳩は蘇生を象徴したものである。…… つぎに、羊は長成を象徴するのである。…… つぎに、雌牛は完成を象徴するものである。士師記一四章18節を見れば、サムソンがなぞの問題を出したとき、ペリシテびとたちは、サムソンの妻を誘ってサムソンをだまさせ、その内容を探りだすことによって、その問題を解いたことがあるが、そのとき、サムソンは、「わたしの若い雌牛で耕さなかったなら、わたしのなぞは解けなかった」と言った。このように、サムソンは、妻を雌牛に比喩したのである。イエスは、全人類の新郎として来られたので、彼が再臨なさるまでの信徒たちは、来られる新郎の前に新婦とならなければならない。しかし、新婦なる信徒たちが再臨される新郎イエスと小羊の宴を終えたのちには、新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。ゆえに、雌牛は、とりもなおさず、完成を象徴するのである。多くの霊通者たちが、現代は牛の時代であると、啓示を受ける理由は、正にここにあるのである。三色原理講論からもピンクではなく水色マーカー部分に書かれたもので見落としてしまいがちだが、再臨期における預言として極めて重要なことが書かれていた。すなわち、アダム、ノア家庭と「サタンに奪われたので、蕩減復帰の原則によって、神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。ゆえに、神は偶像商であるテラから、その長子アブラハムを連れだしたのである。」同様にして、第一アダム、第二アダム(イエス様)の失敗によって第三アダム(再臨主)においても、「神もその代わりに、サタンが一番愛する立場にいる存在を奪ってこなければならなかった。」との蕩減復帰の原則もあり、ということになる。ここからも「お父様は堕落圏から」といったとしても、原理と矛盾する何物も発見することは出来ない。さらには、カトリックでは神父といえども「新婦」ともいわれているが、イエスの再臨期に女性はもちろんのこと、「新婦ではなく妻となり、夫であるイエスと共に、天国生活をするようになるのである。それゆえに、イエス再臨以後の完成成約時代は、妻の時代、すなわち、雌牛の時代であることを知らなければならない。」2000年前、イスラエル民族が待ち望んでいたのは救世主・メシヤであったことはいうまでもないことだが、それ以上にはマラキ書の予言にある「エリヤの再臨」であった。イエス様はその「エリヤは洗礼ヨハネだ」と語ったのだが、当時の律法学者らはそれを受け入れることが出来なかった。こんにちのキリスト教もイエス様の再臨を切に待ち望んきた。律法学者らがそうであったように、クリスチャンたちも日々空を仰いでいたのだ。「また来る」と約束されたイエス様再臨の目的はハッキリしていた。「子羊の婚宴」を為さるために。イエス様をメシヤと信じたなら、エリヤ・洗礼ヨハネも信じただろうに。分派の方々は、お父様を再臨主と信じておられるのだろうか?もしもそうであれば、お父様の語るところの「独生女」をも信じることができるだろう。キリスト教の正統信仰は「独生女」待望の歴史?! であった。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.12
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「唯物弁証法」を簡単に説明すると、「あらゆる存在には対立する存在があって、それらが闘争することによって物事が発展する」という理論です。唯物弁証法の「唯物」は、「神や心という存在はなく、心だと思っているものも脳の作用にすぎない」という考え方です。それでは「弁証法」とは何でしょうか。今回は、「弁証法」について、哲学思想史をひもときながら解説します。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.11
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8日付で「真の父母様宣布文サイト」に新着NEWSがUPされていた。2018.5.8 「誤った真の父母観」を教育する〝非原理集団〟サンクチュアリ教会 ― み言:「堕落していないエバを探し出して、小羊の宴会をしなければなりません」を掲載しました。2018.5.8 〝言葉の揚げ足取り〟の批判に終始する澤田地平氏― 神様は人類の「縦的な真の父母」であられるを掲載しました。サンクチュアリの宣伝ブログ『「家庭連合」の研究』(以下)でもお父様のみ言引用をしての批判をしていたが、太田朝久講師よ、いい加減にしなさい!-正統信仰と記憶- http://www.kateirengou.jp/entry/2018/05/09/160909父母様宣布文サイトからは『(2)お母様は「原罪を持って誕生された」というみ言は存在しない ― サンクチュアリ教会側の〝み言の誤訳〟に基づいた勝手な主張』ということだ。そもそもの話、「独生女論」などと今もって取り上げているブログ『「家庭連合」の研究』そのものが「独生女批判理論」であることはいうまでもない。これまでも私tomy4509が主張してきたように、原理講論には再臨主は「「(原罪のない)善の父母」との記述があり、「独生女」を最初に語られたのはお父様であった(「お父様が「独生女」を最初に語られたみ言」参照)ということを隠してのそれは批判のための批判のなにものでもない。また、金振春教授の独生女論文は門外不出になり徹底的に隠蔽されました。などとあたかも「臭い物に蓋をする」かのような表現だが、果たして?PeaceTVにビデオ映像(金振法院長)があるので、そちらでも確認できるはずだが。https://player.vimeo.com/video/184639966今回、父母様宣布文サイトでも、このみ言は、1959年10月11日(日)、韓国の旧本部教会においてお父様が語られたものであり、マルスム選集7巻の303ページに掲載されています。このみ言は、「独り娘」について語られたみ言のうちで、記録に残っている最初のみ言です。 お父様は、「イエス様がひとり子(独生子)だと語ったので、神様は彼のためにひとり娘(独生女)も送られたでしょう」と語られました。しかしながら、「真の娘の姿がないので、(イエス様は)神様のみ旨を成し遂げることができませんでした」と語られ、それゆえに今日までの2000年のキリスト教の歴史は、「新婦(独生女)を求めるための歴史」であったと述べておられます。お母様が「キリスト教の背景から独り娘を探して立てなければなりません」と語られたように、お父様も聖婚される以前から、「独り娘」に関する教育をして来られているのです。とある。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.10
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1974年5月7日、「希望の日」講演会。以下映像。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.07
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http://mbn.mk.co.kr/pages/news/newsView.php?category=mbn00009&news_seq_no=35243792018清平ヒョジョン国際つつじまつり開催↑2018ヒョジョン多文化平和祭りの景色「2018清平ヒョジョン国際つつじまつり」が「子どもの日」を前後した5月4日から6日までは、京畿道加平清心平和ワールドセンター、HJウォン(天苑)で開かれた。世界平和統一家庭連合(以下家庭連合)が"国境と人種、性別、文化、宗教など、すべての障壁を超越して、真の愛の文化を花咲かせる心情文化世界の定着を希望」という趣旨で、このお祭りを開催しており、海外参加者3000人、青年学生5000人など、世界70カ国で延べ3万人捜す。アメリカ、日本、イギリス、フィリピン、タイ、モンゴル、マレーシア、ウクライナ、キルギスなどで訪れた多文化家庭一般市民は、2年ごとに開かれる文化平和祭りも一緒に参加して、春を満喫した。韓鶴子総裁は言葉を介して「摂理の春、一年を始める春の季節は未来に希望的な結実をゴヅオヤする農家にとって忙しい季節」と、「摂理の春を迎えた皆さんは、過去、現在、未来の3時代の本来創造神堕落せずに達成しようとしていた日に向けて責任を果たしてもらいたい」と激励した。国境や文化を超えて、平和を志向する「2018ヒョジョン多文化平和祭り」が5月5日(土)午前10時から加平郡清心平和ワールドセンター前庭で多文化家族と留学生、一般市民が一緒に中に開催された。韓国文化平和連合が進行した平和祭りは韓国文化平和連合24の支部、71個のメンバー団体、各国大使館、NGO団体、多文化関連団体1万5千人が席を一緒にして文化的多様性を尊重して、本当に和合きっかけを作る祭りの場となった。「ヒョジョン付き合い世界ハンマダン」というテーマで開かれた多文化平和祭は、農楽風物公演、模範国際が正常賞、奨学金授与式、各国の公演などが行われた。フィリピンの伝統的なダンス、ナンタ公演、モンゴルとタイのダンス、アフリカの伝統的な踊りなど各国の文化を楽しむことができる多文化特別公演が見る人々の心を楽しませた。付帯行事体験と多文化平和体験ブース、多文化ツツジフォトゾーンなどの思い出を残すことができる桁とバザーと企業の後援などで募金した奨学金伝達イベントも行われた。「家庭の月」の5月のイベントで子供の日のクイズイベント、家族の写真誇るイベント、家族ユンノリ大会、餅作り、VR(バーチャルリアリティ)体験、水プレイゾーンなどの国を越えて家の価値を実感するようにするのに一助した。ジョン・テイク韓国外交協会名誉会長は祝辞で「家100社のうち2社は、多文化家庭の大韓民国はより幅広く文化的多様性を認め、共生・共栄・ボールのをベースにした多文化社会共同体意識を拡大しよう」と激励した。ソン・ビョンホ韓国文化平和連合会長は歓迎の辞で「韓国内の多文化的なことができ、現在225だけ越えて5年後には、「多文化的な300万時代」がされるが、これはグローバル時代大韓民国の新(新)成長動力になるだろう」と強調しした。インドで今回のイベントに参加したブバネスワルカリ他のインド国会議員は祝辞で「アジアで初めてノーベル文学賞を受賞した、インドの詩人ラビンドラナート・タゴールが「アジアの黄金時代に韓国はアジアの灯り」としたが、韓国は繁栄と発展を遂げた偉大な国家を建設することにより、この預言を実現した」と韓国の発展を賞賛した。この日の「ヒョジョン文化祭」も行われた。家庭連合の共同創始者である文鮮明・韓鶴子総裁の長男文孝進会長がこの世を去ってから10周年をたたえ「第10回文孝進ミュージックフェスティバル」という副題で開かれた。「勝利できますように!祈ってください!愛てください!」というタイトルのミュージカル形式の特別公演であり、韓国を代表する有名な歌手とリトルエンジェルス、文孝進バンドなどが出演した。また、「天運継承ヒョジョン還元献呈起源式」と「ヒョジョン一心のど自慢」も開催された。[MBNオンラインニュースチーム]一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.06
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パシセラ氏ブログ記事から。全ては独生女論というアジェンダのゆえにhttps://ameblo.jp/pacificera/entry-12373535037.html私がこの10年の中で一番驚いたのは、独生女論が表沙汰になった後、独生女論を守り、ついていった人たちがたくさんいたことでした。最近の「「天の摂理において、2000年のキリスト教歴史を見るとき、再臨主よりもっと重要なのは、イエス様が2000年前に誕生したように、サタンと関係の無い天の血統を持って来た独生女が誕生したことです。」という、3月16日のお話が端的に物語っているように、独生女論を信じることは、文先生に対する裏切りになります。それは自分で避けたつもりになっても、避けることができません。……三男派パシセラ氏もまた、どうしても存在しない「独生女論」をもってお母様を貶めたいようですね。前記事「お父様が「独生女」を最初に語られたみ言 」を見られても「独生女論を信じることは、文先生に対する裏切りになります。」などと言えるだろうか? 最初に「独生女」を語られたのはお父様、しかも、お母様と御聖婚される前の1959年10月のみ言だ。その「独生女」を信じないことの方がお父様への裏切り行為である。お父様のみ言の中で「独生女」は180回ほど出てくるとのことだ。パシセラ氏の語るところの「独生女論」は、実は、その裏返しで「独生女批判理論」の何物でもないということだ。私tomy4509は、2015年4月から「独生女理論」なるお母様を貶めるための造語を聞いてい来た。そして、2017年2月には「独生女考(22)-- 『独生女理論』は存在しない。ーーデマねつ造である!!」(以下)と明言していた。元々『独生女理論』などというもの自体は、存在しない。デマである。もしも『独生女理論』というものがあるとすれば、『独生子理論』もあって然るべきである。どなたかその『独生子理論』とかを見られた方がいるか?それがあったとすれば、その理論に基づき「クローン・独生子」が次々と聖誕して…この世は既に平和世界が構築されていただろう。私の話が理解できますか?分派が真のお母様の「独生女」発言を非難・批判するために流したものだ。私の周りにも、どこかの大学教授が書いたとかいう「独生女理論」があると言ってはそれに踊らされているお方もいる。「バカか!」と言っては失礼にあたるが……その以前に真のお父様・文鮮明総裁が「独生女」の言葉を過去百数十回も語っておられるということだ。概ね、この「独生女理論」「独生女論」はこのバカというには失礼に当たる方の周辺からネットに広まってきたものであり存在しないものであった。もしも、あるとすれば「独生子理論」もあって然るべきというのが私からの意見だ。また、その「独生女理論」ともいうべきものがあるとすれば、そのイエス様の「独生子」に対しての造語ともいうべき「独生女」を最初に語られたお父様がその元祖「独生女理論」の発案者である。分派のいうところの「独生女批判理論」は、お母様の「独生女」発言だけでなく、お父様の元祖「独生女理論」にも向けられているというべきを知るべきである。お父様への裏切り行為「パシセラ氏、お前もか?!」【関連記事】リブログ “最後の発悪”を連発する三男派”の間違い!!パシセラ氏、「独生女理論」があれば「独生子理論」もあって然るべきだが?!リブログ:お父様のみ言「独生女」とパシセラ氏の「独生女批判」、どちらが?パシセラ氏よ、原理は西洋思想だけではない!!パシセラ氏よ、「神様の主権と血統」が抜けているのは貴方だ!![PeaceTV]”ラスベガスでの韓総裁のスピーチ”から(その1)[PeaceTV]”ラスベガスでの韓総裁のスピーチ”から(その2)一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.05
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お父様が「独生女」を最初に語られたみ言が1959年10月11日であったというビデオ映像があったので、そのみ言葉を探してみた。ビデオ映像(金振法院長)はこちら、34:00~頃からを視聴。さて、最も最初であるお父様の「独生女」発言は、数百巻ある『御言葉選集』の第7巻にそれを発見することが出来た。예수님이 죽지 않았다면여러분, 생각하여 보십시오. 하나님의 독생자 예수님이 이 땅 위에 오셔서 만일 죽지 않았으면 어떻게 되었겠어요? 예수가 독생자라 하였으니 하나님은 그 앞에 독생녀도 보내셨을 것입니다. 전도서 7장 28절에 ``내 마음에 찾아도 아직 얻지 못한 것이 이것이라, 일천 남자 중에서 하나를 얻었거니와 일천 여인 중에서는 하나도 얻지 못하였느니라''고 하셨습니다. 하나님의 2천년 역사는 신부 찾는 역사입니다. 신부 찾는 역사예요. 그걸 부인하겠어요? 신부 찾는 역사입니다.예수는 참다운 아들의 모습으로 나타났지만, 참다운 딸의 모습이 없으니 하나님의 뜻을 못 이룬 것입니다. 그렇기 때문에 2천년 역사는 딸 찾는 역사입니다. 우리 통일교회가 앞으로 싸우게 되는 것도 이 문제 때문입니다. 성신은 하나님의 딸로서 오셨습니다.에덴동산에서 하나님이 아담 해와를 세워 놓고 축복해 주신 것은 아담 해와만을 사랑하기 위해서가 아닙니다. 그 후손까지도 사랑하기 위한 것입니다. 그런데 그럴 수 있는 후손이 있어요? 예수가 사랑할 수 있는 아들 딸이 있었습니까? 만일 예수가 `이는 영원무궁토록 사랑할 나의 아들 딸이요, 나의 직계로다'할 수 있는 아들 딸이 있었다면, 이 세상은 벌써 하나님의 나라가 되었을 것입니다.예수는 하나님의 아들로서 하나님의 역사적인 심정, 시대적인 심정, 미래적인 심정을 대신하여 죽어 가신 것입니다. 다시 오시는 주님은 그 뜻을 계승하여 땅 위에서 실천하기 위하여 오실 것입니다. 그 분이 오실 때 지상에 있는 수많은 성도들은 어떻게 해야 될 것인가? 예수가 하나님 앞에 아들 되었던 것과 마찬가지로 여러분은 오시는 주님 앞에 참다운 아들 딸이 되어야 합니다. 그래야 될 게 아니예요?イエスが死んでいない場合皆さん、考えてみてください。神のひとり子イエス様がこの地上に来られ、もし死ななかったらどうなっている?イエスがひとりとしたので、神はその前に独生女も送られています。伝道の書7章28節に 『わたしはなおこれを求めたけれども、得なかった。わたしは千人のうちにひとりの男子を得たけれども、そのすべてのうちに、ひとりの女子をも得なかった。 』となりました。神の2千年の歴史は、花嫁を見つけるの歴史です。花嫁探し歴史だ。それ夫人申し上げ?花嫁探し歴史です。イエスは真の息子の姿に示したが、真の娘の姿がないので、神の意志をしない遂げています。そのため、2千年の歴史は、娘を見つけるの歴史です。私たち統一教会が今後戦うことも、この問題からです。聖霊は、神の娘として来られました。それでは、神は解怨の日はどのような日であるか 子羊の婚宴としました。千人の中に選ばれた男に、主が現れたら、彼のひとりの花嫁はどこにあるのだろうか?聖霊が来て2千年の間、地上にしなければならないことは花嫁を準備したものです。エデンの園で神がアダムとエバを立てて祝福してくださったのは、アダムとエバだけを愛するためにはありません。その子孫までも愛するためのものです。ところがそんなことができるの子孫がありますか?イエスが愛することができる人の息子、娘がいましたか もしイエスが `これは永遠に愛する私の息子の娘であり、私の直系ロダ」することができる息子、娘があった場合は、この世界はすでに神の国になったことです。イエスは神の子として神の歴史的な心情、時代的な心情は、将来的な心情を代わりにして死んで道になります。再び来られる主は、その意味を継承して地上で実践するために来られます。その方が来られるとき、地上にいる多くの聖徒たちはどのようにすべきだろうか?イエスが神の前に息子されたのと同様に、あなたは、アクセス主の前に真の息子、娘が必要です。ようになるものではない?「独生女理論」や「独生女論」といった言葉はお母様批判のために作られた造語の何物でもなかったということは、既にブログ村・カテゴリー「家庭連合」では常識となっている。ただあるのは「独生女批判理論」がネットを駆け巡っているだけだ。最近のブログ村を見てもブログ『「家庭連合」の研究』が独生女論批判(韓氏オモニの踏絵にNOを!http://www.kateirengou.jp/entry/2018/04/25/054914「独生女論」の現在座標(近藤局長の珍回答で分かった事)http://www.kateirengou.jp/entry/2018/05/02/094656などと在りもしない「独生女論」を持ち出してはサンクチュアリを宣伝しているようだ。内容を見れば、なりふり構わずの「家庭連合」批判ブログであることはいうまでもない。三男派の講師ソン・デオ博士の名前も出てきては、三男派の手柄(?)がサンクチュアリにすり替えられていたソン・デオ博士といえば、私からは統一原理とはまったく畑違いの「栄養学の博士」を引っ張ってきての講義であったと原理に対しての理解の無さを指摘したりもしていた。【関連記事】kimuchi氏、「入門編『独生女』の発症」の間違いについて訂正を!!訂正します。PeaceTVビデオからの確認で、お父様の最初の「独生女」のみ言は、1959.10.11(聖婚6ヶ月前)という情報がありましたので、ここに訂正させていただきます。「異端者・爆破者宣布」された三男派が「家庭連合が分派/異端」とは?「異端者・爆破者宣布」された三男派キムチ氏が「家庭連合が分派/異端」とは? --No.2ほか「お父様は(原罪あり)堕落圏から」といっても、原理講論とは矛盾するところがないことは当ブログの過去記事でも紹介していた。一方、分派の方々にはお父様が語られた「独生女」発言を一言も出さないでのお母様の「独生女」発言批判は片手落ちではないか、との疑問も投げかけていた。ブログ『「家庭連合」の研究』のとうごまとヨナ さんもまた、お父様の「独生女」発言を語ろうとはしないのだろうか?上記紹介ビデオにはその続きがある。真のお母様を否定/非難することでその問題点を浮き彫りにしていた(以下映像から)。全ての価値が崩壊してしまうという話だ。分派子女様方や祝福家庭も、自らの価値を喪失してしまう結果となる。まさに共産主義の発悪ともいうべき、サタン自身の居場所である霊界までも否定してまで天の摂理を妨害しようとしたのと同じである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.05
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毎日宗教新聞(2018-04-29)続き。http://www.dailywrn.com/sub_read.html?uid=12000 韓総裁基調講演-人類が平和世界で生きれる道 존경하는 내외귀빈, 세계 도처에서 이 한 날을 위해서 참석해 주신 종교지도자, 평화대사, 특별히 러시아에서 30시간이라는 긴 여정으로 이곳에 참석하게 된 평화대사와 가정연합의 식구 여러분, 환영합니다. 또한 신(神)아프리카대륙을 대표하는 종단장, 지도자들이 신유럽대륙을 위해서 와 주셨습니다. 감사합니다.◆어떻게 하면 평화롭고 행복한 세계에서 살 수 있을까오늘날 우리는 어떻게 하면 평화롭고 행복한 세계에서 살 수 있을까를 고심하고 있습니다. 그러나 주변에서 일어나고 있는 일들은 우리의 미래를 염려하게 만들고 있습니다. 특별히 유럽대륙은 하늘이 준비한 대륙으로 보고 있습니다. 예수 그리스도께서는 십자가로 돌아가실 때 ‘다시 오마!’ 하셨습니다. 다시 오실 메시아를 기다리며 성령의 역사로 부활된 사도들에 의해서 기독교가 출발되었습니다. 기독교인들은 초창기에 말할 수 없는 핍박을 받았습니다. 기독교가 로마에 공인되면서 이탈리아반도를 중심으로 유럽대륙을 거쳐 섬나라 영국에까지 전파되었습니다. 그리고 영국을 중심한 나라들이 그리스도의 이름으로 세계로 나아가 대서양문명권 시대를 열었습니다. 그러나 그리스도의 본질을 몰랐던 그들은 이기주의에 빠져 자국의 이익을 우선으로 해서 본래 의도와는 다르게 되었습니다. 결국 참사랑을 주는 운동이 아닌 빼앗아오는 문화로 끝나게 됐습니다. 유럽은 외적으로 산업혁명을 일으켜 근대 문명을 이루었는데, 과학의 발달로 인해서 인간에게 편리함을 주었습니다. 그러나 평형을 유지할 수 없는 많은 문제점이 나타나게 되었습니다. 이 상태로 계속 가다가는 인간의 생명은 물론이요 우리가 살고 있는 지구의 미래도 보장할 수 없고, 염려할 수밖에 없는 시점에 있는 것도 사실입니다. 인간의 힘으로는 어떻게 할 수 없는 한계에 도달했습니다. 인간은 우주의 주인이신 창조주 하나님이 어떤 분인가를 알아야 합니다. 그래야만 모든 문제들이 해결될 수 있습니다. 태초에 하나님께서 천지만물을 창조하실 때 당신의 형상을 따라 창조하셨습니다. 광물계에는 플러스와 마이너스, 식물계에는 암술과 수술, 동물계에는 암컷과 수컷을 지으셨습니다. 마지막으로 인간세계에는 성경에서 말하는 것처럼 아담과 해와, 남자와 여자를 창조하셨습니다. 특히 인간에게는 성장기간이라는 시간을 주셨습니다. 그 기간에 인간은 절대적으로 창조주 하나님과 일체를 이루는 생활을 했어야 했습니다. 그러나 도중에 다 성장하기 전에 욕심이 생겼습니다. 그것으로 오늘날 하나님과는 관계없는 타락한 인류를 낳게 되었습니다. 하늘은 타락한 인류를 그냥 버려둘 수가 없었습니다. 전지전능하신 하나님께서는 실패가 있을 수 없으십니다. 인간에게 책임을 주셨기 때문에 인간 가운데서 하나님의 뜻을 받들 수 있고 조상이 될 수 있는 사람이 나오지 않고는 하나님의 창조목적은 이루어질 수 없습니다. 그래서 하늘은 한스럽고 어려운 탕감복귀섭리를 하실 수밖에 없으셨습니다. 이스라엘 민족을 선민으로 택하시어 개인에서부터 종족·민족·국가 기반이 이루어지기를 바라셨습니다. 그것이 얼마나 힘들었으면 4천 년이나 걸렸다는 것입니다. 4천 년이라는 기나긴 세월을 통해서 보내준다고 하신 메시아 예수 그리스도를 보내주셨습니다. 그렇게 고대하던 메시아가 오셨는데, 그분을 탄생시킨 마리아와 유대교, 이스라엘 민족이 책임을 못 했습니다. 4천 년이라는 기나긴 세월을 통해서 섭리의 뜻을 받들어 하나님의 창조목적을 이루어드려야 할 중심인물이 오셨는데, 그분을 도와주는 환경권이 되어 있지 못하여 결국은 십자가로 돌아가실 수밖에 없었습니다. 예수님께서 돌아가시면서 ‘다시 오마!’ 하셨습니다. 그로 인해 기독교문화권이 탄생하게 됩니다. 기독교를 믿는 사람들에게는 책임이 있습니다. 그냥 무작정 구름 타고 오시는 메시아를 기다리기만 해서는 안 됩니다. 그 메시아가 오셔서 무슨 일을 하시겠는가를 알아서 준비해야 합니다. 메시아는 독생자로 오셨기 때문에 다시 와서는 어린양잔치를 한다고 하셨습니다. 그렇다면 기독교문화권은 다시 오시는 메시아의 상대가 될 수 있는 독생녀를 탄생시켜야 합니다. 그러나 기독교문화권이 시작되었던 유럽대륙은 그런 준비를 하지 못했습니다. 하나님의 섭리역사 가운데 한번 들어서 책임을 주었는데 그 책임을 못 한 사람이나 민족에 대해서는 다시 들어서 쓰지 않으십니다. 왜냐하면 그들에게는 탕감이 남아 있기 때문입니다. ▲ 지난 4월29일 오스트리아 빈에서 열린 가정연합 유럽평화 전진대회에서 한학자 총재(가운데)와 문선진 가정연합 세계회장(왼쪽 네 번째)이 축복합동결혼 가정의 3세들과 함께 기념촬영을 하고 있다.◆세계를 구하는 메시아의 책임을 다하는 유럽이 돼야 하늘은 독생녀를 탄생시킬 수 있는 민족을 선택하셨습니다. 그리하여 1943년 동방의 대한반도에서 독생녀가 탄생했습니다. 이 사건이 섭리역사의 진실입니다. 한국은 1945년에 해방됐습니다. 해방과 더불어 남북이 민주주의와 공산주의로 갈라졌습니다. 당시 독실하고 신령한 기독교 집단은 평양을 중심으로 재림메시아가 온다고 믿었습니다. 그래서 3대에 걸쳐 독실한 신앙을 하는 기독교 집안이었던 내 가족은 남하할 생각을 못 했습니다. 하늘은 6천 년 만에 탄생시킨 내가 성장기간이라는 시간이 필요한 것을 아시는지라 내가 남하할 수 있도록 역사하셨습니다. 1950년 6·25동란이 일어났습니다. 그때 남한은 북한을 상대할 힘이 없었습니다. 하늘은 나에게 성장하는 시간이 필요하기 때문에 16개국으로 구성된 유엔군을 동원하여 주셨습니다. 그리하여 오늘날 민주주의국가 남한이 있게 된 것입니다. 이 한 면을 보더라도 하늘이 얼마나 당신의 창조목적을 이루어줄 수 있는 승리한 인간이 탄생되기를 바라셨고, 인류의 조상으로서 타락한 인류를 다시 낳아주는 축복행사를 통해서 하늘이 “내 아들이다, 딸이다.” 하고 품을 수 있는 그 한날을 얼마나 안타깝게 기다리셨다는 것을 알 수 있습니다. 이러한 역사적인 사실을 여러분은 알아야 합니다. 이미 구약시대는 과거가 됐습니다. 신약시대 또한 과거가 됐습니다. ‘다시 오마!’ 하신 메시아는 재림하셔서 1960년 독생녀를 만나 참부모 자리에 오르셨습니다. 기독교 기반이 그 환경권이 되었어야 했는데, 아직도 기독교 기반은 이해를 못 하고 있습니다. 그러나 섭리는 발전합니다. 지상에 참부모가 뿌리를 내렸기 때문입니다. 그래서 하늘이 뿌리를 내릴 수 있는 축복가정들이 많이 탄생되었습니다. 이 유럽대륙만 해도 50년의 역사가 있습니다. 그동안 기독교문화권에서 몰이해한 사람들에 의해서 많은 어려움을 겪었습니다. 더구나 기독교권에서 나온 공산주의에 의해 어려움이 많았습니다. 특히 유럽의 초대 식구들은 공산주의 치하에서 고통을 겪고 있는 나라들의 사람들을 해방해 주기 위해서 ‘나비작전’이라는 지하활동을 통해 선교활동을 했습니다. 많은 희생자를 낸 것도 사실입니다. 그러나 섭리를 알고 하늘의 사정을 아는 그들은 변치 않는 절대신앙으로 이 길을 걸어 나왔습니다. 나는 오늘 여러분에게 말하고 싶습니다. 과거 유럽의 기독교섭리는 그리스도의 본질을 모르는 자리에서 실패했습니다. 그러나 이제는 참부모에 의해서 창조주 하나님이 우리의 하늘부모님인 줄 알게 되었습니다. 자식이 그리워 찾아 나오시며 6천 년의 기나긴 세월 동안 한 많은 눈물과 고통의 시간을 지내신 하늘부모님입니다. 그 하늘부모님 앞에 참부모에 의해서 축복자녀로 탄생된 여러분이 책임을 해야 될 때가 왔습니다.구원은 여러분 자신만을 위한 구원이 아닙니다. 여러분 각자가 여러분의 종족을 구원해 주어야 합니다. 그래서 축복가정은 종족메시아의 책임을 하라고 말했습니다. 이들은 세계 각지에서 최선을 다하여 종족메시아의 책임을 다하고 있습니다. 종족의 메시아만이 아니라 국가의 메시아, 세계의 메시아가 되는 그런 책임을 다하는 하늘부모님 앞에 효자·효녀·충신이 될 수 있는 길을 가야 합니다. 참부모에 의해서 참사랑을 나눌 태평양문명권 시대를 열어 효정의 심정문화혁명의 기치를 들고 위하여 사는 참사랑으로 전 인류를 품는 그러한 축복가정, 우리 2세와 3세가 전 세계적으로 펼쳐 나아가고 있다는 것을 알기 바랍니다. 그 길만이 인류가 평화세계에서 살 수 있는 길입니다. 75억이나 되는 인류가 참부모와 동시대권에 살고 있었음에도 불구하고 참부모를 알지 못하고 그대로 영계에 간다면 그들의 한이 얼마나 크겠습니까! 과거 여러분의 조상들이 비록 책임은 못 했지만 그리스도의 이름으로 세계로 향했듯이, 이제는 참부모의 이름으로 종족의 메시아, 국가의 메시아로서 세계를 구하는 메시아의 책임을 다하는 유럽의 자랑스러운 여러분이 되기를 바라면서 오늘 다시 한 번 당부하며 말씀을 마치고자 합니다. 감사합니다. 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.04
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毎日宗教新聞(2018-05-03)韓鶴子総裁「平和は私から... 人類の春なす欧州なること 」家庭連合、オーストリアのウィーンで欧州の平和前進大会... 英・獨・伊など60カ国1万人が集まって4・27南北首脳会談で、韓半島の平和の気運がはっきりと現れるた4月の終わり。ヨーロッパを代表する都市の一つであるオーストリアのウィーンでは、人類の平和を祈願する大規模なイベントが開かれた。欧州各国の政財界、宗教指導者と市民が殺到した中、個人それぞれが平和の主役であることを確認する場であった。世界平和統一家庭連合(以下家庭連合)は、4月29日午後3時(現地時間)、ウィーンの会場シュタットハレで「平和は私から始まる「(Peace Starts with Me)というテーマで、欧州の平和前進大会(VIENNA 2018)を開いたと30日明らかにした。オーストリアほか、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、スイス、スペインなど主要60カ国の元首相、前・現職大臣と国会議員、宗教指導者、学者、企業家など1万人が集まった。今回のイベントは、文鮮明(文鮮明)総裁聖和(聖和・死去)した後、韓鶴子(韓鶴子)総裁の第二の公式欧州の平和大会だった。▲韓鶴子世界平和統一家庭連合総裁が4月29日、オーストリアのウィーンの会場シュタットハレで「平和は私から始まる」というテーマで開かれた欧州の平和の前進大会で基調講演をしている。 ◆「世界を救う誇り、ヨーロッパになるように 」韓鶴子総裁は基調講演で、「ヨーロッパ大陸は特に空が準備した大陸である。欧州の近代文明が科学の発達をもたらした」と規定した。しかし、「多くの問題も現れ、人間の生命と地球の未来を保証することはできず、人間の力の限界に達した」と診断した。韓総裁はまた、「家庭連合は、ヨーロッパ大陸に50年の歴史がある。欧州招待家族は共産主義治下で苦痛を経験している人々を解放するために「蝶作戦」という地下活動を通じて宣教活動をした」と述べた。続いて「過去のヨーロッパは、キリストの本質を知らない利己主義文化を作って失敗したが、今は創造主の神が私たちの天の父母様であることが分かった」とし「過去の先祖が、キリストの名で世界に向かったように、今は世界を救う誇り、ヨーロッパになることを要請する」と平和の方向性を提示した。ヴェルナー・ファスラベント前、オーストリア国防長官は、基調講演の概要で「一度破壊された心に平和の種を植えた10年以上かかる。平和な世界をつくるために努力してきた韓鶴子総裁を天を代表して歓迎する」と述べた。マイケルバルコム家庭連合欧州総会場は挨拶で、「平和は私から始めて、その数が10人、100人、1万人になると平和がより大きくなるだろう」と「人間の力で今後の春を防ぐことができないように天が待ってきた平和は防ぐことができず、あなたがその平和の主役」と参加者を激励した。欧州の平和前進大会は韓総裁の基調講演のほか、祝福合同結婚を受けて生まれた3歳の花束贈呈などが行われた。グラミー受賞者であるヨランダ・アダムス公演、福音聖歌隊ロングフィールド(Longfield)ゴスペル公演など「Peace Begins with Me Because ... 」映像上映が加わった。 ◆宗教間の調和と次世代指導者養成なども具体化宗教間の調和と次世代平和指導者養成などを目的とする行事も開かれた。4月28日には国会議員、起業家、音楽家などが参加した中で、世界の平和青年学生連合欧州創立式が開催された。文善進家庭連合世界会長の基調講演とロバートキトゥル青年学生連合世界会長の挨拶に続き、任命状授与式が行われた。29日には、世界の平和の宗教連合(IAPD)欧州創立式がパークホテルシェーンブルンで宗教指導者400人余りが集まって開催された。フェリックスウンゴヨーロッパの芸術科学アカデミー会長は「隣人と共有する人間性が重要である」とし「人類史の中心は宗教であり、超宗教活動が精神的な足となって平和を維持しながら、生命を尊重しなければならない」と強調した。シンドンイク州、オーストリア韓国大使が特別招待され、過去27日板門店平和の家で開かれた南北首脳会談の意味を説明したりした。シン大使は、南北交流の重要性と離散家族の再会の準備、平昌五輪の統一旗立場などを紹介した。また、経済的、軍事的協議との完全な非核化の目標の意義を強調しながら、韓半島の平和のために持続的な関心と祈りを要請した。30日午後2時には、ナチスドイツの強制収容所の中で最も悪名高かったマウスアップデートハウゼン強制収容所で犠牲者解怨式を行った。ここでは、政治犯やユダヤ人の処刑と拷問、逮捕、12万人から32万人が犠牲になった場所だ。 世界平和統一家庭連合と欧州の特別な縁19の聖地定めミッション開始... ベルリンの壁撤去行進まで世界平和統一家庭連合と欧州の縁は特別で、深い。家庭連合の欧州宣教は創始者である文鮮明総裁が1965年にイギリス、ドイツ、フランスなど欧州16カ国に19の聖地を制定して始まった。文鮮明・韓鶴子総裁は1969年3月28日ドイツのエッセンでで欧州8組の合同結婚式を挙行した。1960年に韓国で3組でスタートした合同結婚式は、その年にアメリカ、ヨーロッパ、日本で行われ、世界的に普及し始めた。1985年にスイスのジュネーブコンチネンタルホテルで開かれた世界平和教授協議会(PWPA)国際会議では、ソ連の崩壊が予告された。当時は、このような宣言を信じることが困難な状況であったが、4年後の1989年にソ連が実際崩壊し、大きな話題となった。1987年には大学の原理研究会(CARP)が、ドイツ・ベルリンの壁の前で2000人余りが参加した中、世界の平和とベルリンの壁撤去のための平和行進を行った。これはベルリンの壁のインストール後に、国際的な平和行進の中で最も大規模な集会だった.2017年から韓総裁は、米国、日本、アフリカ、セネガルなどで1万人を超える平和大会を進めてきた。家庭連合は文総裁誕生100周年になる2020年までに「愛と許しそして一つになる」という希望と生命のメッセージを伝播する計画だ。韓総裁基調講演-人類が平和世界で生きれる道 尊敬する内外の貴賓、世界のいたるところで、この日のために参加してくださった宗教指導者、平和大使、特にロシアで30時間という長い旅に、ここに参加することにした平和大使と家庭連合の家族の皆さん、歓迎します。また、神アフリカ大陸を代表する種団長、指導者が神ヨーロッパ大陸のために来てくださいました。ありがとうございます。<続きを原文で読む>一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.04
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これからママさん、子供と那谷寺へ。▲入り口付近▲展望台から▲受付横のフォト。那谷寺--開創千三百年苔の緑もきれいなところ。散策で回っても1時間くらい?秋は紅葉がキレイなところ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.05.03
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