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韓国・ローカル世界(2018-10-29)http://www.localsegye.co.kr/news/newsview.php?ncode=1065606033698368韓日海底トンネル国際シンポジウム開かれる31日午後4時、釜山家庭連合ビル... 指導者と青年大学生など▲ 韓日トンネル研究会が去る9 月に 釜山海雲台ザベイ101 で開催された「韓日トンネルの建設に関する国際シンポジウム」の様子。ローカルの世界バクナムウク記者]韓日海底トンネルの建設推進のための北東アジアの平和の未来のための国際シンポジウムと結成式が開かれる。社団法人日韓トンネル研究会(共同代表イヨンフム・ソウイテク)は、世界平和統一家庭連合(以下家庭連合)第5地区(地区長バクヨウンベ)と一緒に来る31日午後4時、釜山家庭連合ビルで、嶺南圏地域の指導者と青年大学生400人余りが参加した中で、国際シンポジウムを開催すると29日明らかにした。今回のシンポジウムでは、日本側からは、日本同志社大学の의 아사이요 시즈미教授が「韓半島国際情勢と日韓トンネル」というテーマで、韓国側釜山市天宙平和連合バクソンヨル博士が「太平洋文明圏のプラットフォーム - 日韓トンネル」というテーマで発表をする。座長にはソセウク釜山づくり会会長とパネルには、崇実学校シンジャンチョル教授、釜山大学校主任研究員チェ治国博士が出る。今回のシンポジウムに続き、主催側は11月10日、慶北大学で青年学生の集まりと来月15日、日本の対馬日韓トンネル国際セミナーや海底トンネル現場訪問プログラムなどを進めている。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.30
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韓国[MBNニュース]http://mbn.mk.co.kr/pages/news/newsView.php?category=mbn00009&news_seq_no=3670728家庭連合、UN創立73周年迎え「2018新統一韓国希望前進大会」開催世界平和統一家庭連合(以降家庭連合)が今日(28日)午前UN創立73周年を迎え、「2018神統一韓国希望前進大会」を清心平和ワールドセンターで開催しました。「UN73、恵みを忘れない孝情大韓民国」というスローガンを掲げて開催されたこの日の大会には、韓鶴子総裁をはじめ、ムンヨナ天宙平和連合韓国会長など地方自治団体長と国会議員が祝電を送った。この日韓鶴子総裁は主題講演で「UN参戦16カ国の青年たちが善意の血を流して韓民族を入手したので、この感謝の気持ちを親の立場から韓国戦争勃発60周年にいた2010年16カ国参戦に感謝と尊敬を示した」としながら"真の家庭運動こそ過去・現在・未来の希望であり、救国(救國)・救世(救世)運動 」と明らかにした。このイベントには、国民儀礼、ファンボグン家庭連合2地区長の開会の祈りをはじめ、6.25参戦UN軍16カ国の恩に報いるするリトルエンジェルス祝賀公演、創設者韓鶴子総裁のテーマ講演などが行われました。一方、家庭連合は、2012年、文鮮明総裁聖和(死去)以降真の家庭運動と平和統一運動を続けています。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.28
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「2018 天運相続 孝情奉献式」(10月20日、韓国・清平)における真のお母様(韓鶴子総裁)のみ言をはじめ、「HJ未来フェスティバル2018 」(21日、名古屋市)、「777双祝福48周年記念祝賀会 」(20日、東京)、「6500家庭会『祝福30周年記念韓日合同集会』」(21日、韓国・清平)などを取り上げています。 ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.10.26
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韓国ニュースから。http://www.metroseoul.co.kr/news/newsview?newscd=20181024001362018新統一韓国希望前進大会開催- "UN 73、恵みを忘れない大韓民国" ▲2018新統一韓国希望前進大会ポスター/世界平和統一家庭連合解放後70年以上にわたり、分断と対立的に苦痛を経験してきた韓半島に2018年の劇的な変化が検出されている。新韓国家庭連合第2地区(試合・江原圏)は、来る28日(日)午前10時、韓半島の統一を祈願する「2018新統一韓国希望前進大会」を加平清心平和ワールドセンターで開催する。本大会には、韓国戦争UN参戦国大使、京畿・江原圏の指導者と愛国市民など約2万人が参加し、国際行事に進行される。 ファンボグン地区長は「UN創立73周年を記念し、韓国戦争に参戦したUN 16カ国に感謝して、大韓民国のために戦って、参加された退役軍人を追悼してほしいために大会を開催することになった」とし、「本大会を介してすべての参加者がその方たちの崇高な精神を覚えて、文鮮明・韓鶴子総裁の平和ビジョンを中心に新たな統一韓国と人類一家族の平和、世界の希望を明かすことを望む」という趣旨を明らかにした。 「UN 73、恵みを忘れない大韓民国!」というスローガンに開催される本大会には、創設者韓鶴子総裁をはじめ、ムンヨナ天宙平和連合韓国会長、ムンフンスク韓国文化財団理事長、イギソン神韓国家庭連合会長、ユンホジュン加え民主党国会議員、베쿠마 메르다싸エチオピア大使など韓国戦争UN軍参戦国の大使らが大挙参加する。1部行事でヒョジョン天宙祝福式が行われ、第2部の行事は青年学生210人で構成されたヒョジョン特攻隊の公演、ファンボグン地区長の開会の祈り、イギソン神韓国家庭連合会長の大会辞は、ユンホジュン国会議員の祝辞、UN参戦国を代表して베쿠마 메르다싸エチオピア大使の祝辞、アメリカ・日本の家庭の子供스토츠さやかちゃんのヒョジョンスピーチ、リトルエンジェルス芸術団の祝賀公演、韓鶴子総裁のテーマ講演と鮮鶴平和のメダル贈呈、すべての参加者が神統一韓国を希望し合唱で進行される。 文鮮明・韓鶴子総裁「UNの16カ国が流した血、無駄にすべきではない... 」UNは1945年に立ち上げており、10月24日に創設73周年になる日だ。UN軍は1950年に韓国戦争の時、初めて構成されて韓国に派遣された。16カ国で構成されたUN軍は大韓民国の自由と正義を守るために戦った多くの犠牲を払った。 2地区は、本イベントのための事前行事として「UN参戦勇士追悼式と戦跡碑ボランティア活動」、「2018韓半島の平和統一講演会」、「16カ国の大使館訪問広報活動」などを進めてきた。去る8月19日、東豆川逍遥山に位置し、ベルギーとルクセンブルク軍参戦記念碑とゴーヤ時ガナム町に位置し、ギリシャ軍参戦記念碑を見つける退役軍人の崇高な志を称え精神を追悼したことを皮切りに、今月24日まで京畿、江原、仁川地域の韓国戦争参戦UN 16カ国の参戦碑をすべて見つけて献花し、周囲の環境を整理するなど、ボランティア活動を行った。追悼式には、地域の指導者、有功者団体のメンバーは、当該国多文化家族、青年学生などが参加した。▲2018新統一韓国希望前進大会。ポスター/世界平和統一家庭連合先月11日、水原ラマダホテルで開催された「2018韓半島の平和統一講演会」はブルヒョンよう持ち帰る統一を備えるために開催されており、経済学博士であるチョ・ミョンチョル前国会議員(元統一教育院院長は、元金日成総合大学教授)が「韓半島の平和統一の展望と、私たちの姿勢」をテーマに講演した。イベントを通じて京畿・江原圏の主要な指導者250人の平和統一に向けた意志を一つに集めることができた。 また、2地区では文世界平和女性連合京畿・江原圏会長を中心に広報を構成して、16カ国の大使館を訪問した。広報チームは大使を直接会って、危機の大韓民国のために血を流して戦ってくれたことに感謝の意を伝え、韓半島の平和統一に積極的に協力してくれることを訴えた。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.25
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2018.10.25
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2018.10.22
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2018.10.21
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15:30、生中継終了しました。しばらくの時間こちらで録画を見ることができますのでお楽しみください。ときが立てば終了します。
2018.10.21
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『文 鮮明』 羊~芋、日~目 に変更されていることの理由は?家庭連合の滑稽さが改めて証明されてしまいました、果たして?文字というのには書体というのがあるのをご存知ない?羊が芋? ありました。http://m.90sheji.com/sucai/21603193.html日が目? ありました。http://ziti.cndesign.com/content/f02682ef-ee09-4de6-825b-a67100e0cda8.html 澤田治平氏、サヨウナラ 一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.20
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2018.10.20
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真の父母様宣布文サイト>新着ニュース2018.10.16 「『6マリヤ』『血分け』は存在しない―【第四弾】」を掲載しました。 反対派が長年にわたって家庭連合の教会員の脱会説得のために用いてきた、いわゆる「6マリヤ」「血分け」の批判が〝虚偽〟であることについて述べた太田朝久著『踏みにじられた信教の自由』(光言社、2008年7月1日)の「反論文」を紹介します。踏みにじられた信教の自由太田朝久 / 著四六判 / 384頁2008年7月1日 発行統一教会信者が突然失踪し、脱会。その後、人が変わったように反統一教会運動を行うようになる。いったい、その間に何があったのか。4000件以上に上る「脱会説得」の実態を、数々の資料と証言で明らかにした衝撃...宣布文サイトホームページからは、「反論文」の一部がPDF版で紹介されていました。間違った支流に走らないよう、ご確認ください。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.18
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支流人(サンク)・豆柴氏の記事私が結婚をしてやって真の父母の位置に上がるのだhttp://msksk118.hatenadiary.jp/entry/2018/10/17/125620翻訳には直訳、意訳というがある。私が結婚をしてやって真の父母の位置に上がるのだこの映像に以下が続く。For him to be a True Parents, I had to marry him.彼が真の父母となる為に私が結婚をしなければならなかった。実際は韓国語と英語訳が交互にされた。映像は編集したものだ。そのなかのこの部分だけは続けての映像。赤字を英訳したのが茶色、そして、英語訳を日本語にしたのが青字であった。お母様の言葉から英訳、日本語ではこうも違ってくるのはなぜ?「独生女」批判のための批判。この映像からも「真の父母」が語られていた。繰り返しになるが、「独生子」「独生女」が出会っての「子羊の婚宴」、そして、「真の父母」だ。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.17
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2018.10.17
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【悔い改めと訂正】まずは、天の前に深い悔い改めの報告をさせていただきます。前回記事で真の父母様の御尊影を「踏み絵に」などと恐れ多いことを書いてしまったことを深く悔い改め、ここに報告させていただきます。同時に、皆様におかれましてもこれを訂正させていただきます。さて、前回は真の父母様のヘリコプター事故後の「お父様の祝祷」を掲載したが、それに絡んで当時の四男さんのメッセージ「父母様の血の代価で与えられた祝福」(同・ファミリー2008/10月号)から数ページだが紹介したい(P.24~26)。ヘリコプター事故後の7月24日午前5時の訓読会でのメッセージだ。四男さんはお父様のみ言を借りながら、もしも、イエス様が結婚していたなら十字架で死ななかっただろうと話され、また、良いヘリコプターがありながらなぜさらに高価なシコルスキーのヘリコプターを購入されたかについて、お父様はこの時を知っておられて準備されたものだったと。ところで、1983年12月、真の父母様の韓国での勝共大会の最中に次男の興進様が交通事故に遭われ1984年1月2日に聖和された。興進様は生命をかけても父母様をガードしようとされておられたし、また、まわりの兄弟たちにもそのような指導をされておられた。2008年3月17日に聖和された長男・孝進様も「お父様のために死のう」と決意しながら生きておられたと証され、このヘリコプター事故の時に孝進様自らの血の代価で父母様を守られたと。お父様はヘリコプター事故を前に、同年4月6日にハワイ・キングガーデンでお母様を中心にしてのカインアベルの儀式をされた。ねこどしさんが記事でUPしていたように「お母様を中心としてカインアベルがどうなりましたか?」は、マルスム選集589巻227쪽.2008.5.16.<神様の精子の旅行の道と天宙安着>”お母様を中心としてカインアベルがどうなりましたか? 先生の息子娘たちが問題です。國進と顯進とです。…エデンの園の門前から追い出したお父様を主人と侍って、女性が間違っていた歴史的な血統をひっくり返して変えなければいけません。カインアベルが分かれて血統の争いにより、数多くの犠牲があった事を葬ってしまわなければなりません。…この三人が、神様とお父様を中心として、一つになるのです。真の父母様を中心として真の血統、真の愛、真の生命圏を代表した夫として、来て、敬拝して、こうして一つになった、その時からお母様が先生の前に立つことが出来るのです。”は、私tomy4509も大変気になるところで、現在支流人のねこどしさんが挙げていたマルスム選集589巻を調べてみた。といっても韓国語が分からない私ゆえ、ねこどしさんのコメント欄に以下の一文の翻訳をお願いしたのだが、その後は音沙汰無し。また、支流人cocoaさんもまた原文をコメント欄に載せただけで翻訳までは蹴られてしまった。돈도 앞으로 그래요. 지금까지는 국진이가 받아서 자기 마음대로 쓴다고 하고, 현진이도 미국에 예치해 놓은 모든 전부를, 시코르스키에갈 돈 몇 천만 달러를 지불했다고 해놓고 자기가 써먹으려고 생각해요. 선생님의 계획을 따버려 가지고 자기 계획에 선생님을 집어넣으려고 해요. 그거 어디 가겠어요? 둬두어야 되겠어요, 시정해야 되겠어요?그럴 수 있는 위험성이 많기 때문에 이제는 통일교회 모든 전부를어떻게 하는 거예요? 효율이!「예.」통일교회 창시자인 부모 이름 중심삼고, 절대부모를 중심삼고 돌아와 가지고 바쳤다가 다시 찾아 써야된다는 거예요. 그냥 쓰면 사탄의 종자예요.돈을 마음대로 부모님으로부터 어때요? 내가 사인할 수 없어요. 어머니가 사인해서 효율이가 지불해 가지고 돈을 세밀히 해야 돼요. 비법적인 것은, 회사면 회사에 있어서도 가인 아벨이 다 있기 때문에 자기들이 아벨의 자리에 있더라도 잘못하게 되면 째까닥 보고 당하게 돼있어요. 속일 수 없게 돼 있어요. 가인 아벨 문제예요. 하루 생활이 드러나는 거예요.どなたか翻訳できる方はおられますか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.16
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お約束通り「黒・天聖経」に絡む過去記事からの紹介。約1年ほど前にブログに載せたものだ。さて、「お父様に原罪あり、お母様は無原罪」で生まれてきたとのお母様の発言に対して少なからずの食口は動揺した。支流の方々もそれに便乗してか、「独生女理論だ」「独生女論だ」だなどといっては家庭連合への不信を煽ったりもして、それぞれの支流が正統だと錯覚した大先輩のなかには家庭連合に背を向けられた方もおられた。私の家庭教会でも「独生女理論」だといってはお母様批判を繰り返していた教会長があり、在任期間2年間にわたってその教育を受けてきた。そして、私がその一人であった。お父様が語られていた元祖「独生女論」も語らず、原理講論に記載された「善の父母」(「独生子」「独生女」)も理解出来ずのそれだった。現在、私のブログを読み続けておられる読者の方々はお母様のそれを信じることが出来るであろう。お父様の元祖「独生女論」、原理講論でもモーセ路程のヨシュアと同じような立場として再臨主が来られる、しかもお一人ではなくお二方(「独生子」「独生女」)で。お父様はもちろん再臨主(独生子)として来られた方だが、お母様(独生女)に対しては洗礼ヨハネ的使命をもになっておられたのでは、というのが私の意見であった。2000年前の洗礼ヨハネの時は彼自身の使命を悟ることが出来ずにいたが、お父様はそれを全うされていかれたのではなかったか。ところで、天一国・天聖経は黒・天聖経を改ざんしたものだなどと騒ぎ立てた支流人はその黒・天聖経に書かれていた「独生女」は受け入れるものと思ったが、その「踏み絵」を踏んでまでもしてお母様批判を続けていかれた。前能登家庭教会教会長のその方も私がブログを書いていたことを知り関心を持ってチェックしていたようだ。私が上記画像を最初にブログに挙げたのはApr 29, 2015であった。彼が能登家庭教会に就任して2か月くらいしてで、そのあとも幾度かブログ記事に載せたものを彼は見なかったはずがない。ところが、支流人であることの「声明文」(2017.02.21付)を出されて教会長を辞任された。それに付き従った能登の教会員も数名いたことは確かだ。また、ブログ村でもこれを知りつつもわずか4個の「独生女」、それがどうしたのといった態度で無視を宣言した記事もあった。『では、「真の父母」はどうか?』と、最近の記事で私から問うていた。「独生子」「独生女」が出会っての「子羊の婚宴」、そして、「真の父母」である。支流人には黒・天聖経に記載された数千個の「真の父母」だが、「独生女」が踏み絵だとした支流人に、私から今度は「踏み絵」として差し出してみた。もしもこの「真の父母」までも蹴飛ばされるとすれば、黒・天聖経までも抹消しようとしているのがその方々(陰に隠れた共産主義者ら)だ。ねこどしさんのブログ記事「徳野会長の講話<真のお母様に関して>」から。ズバリ言えば、この分派の問題はトップがご子女様だからと言って、ご父母様と一体とならないご子女様に付いて行ってはいけない。この明確な価値観がなきゃいけないんですね。明確な信仰観です。それはご子女様だと言ってもご子女様がご父母様と一体となってない事が明らかである場合は、ご子女様といっても付いて行ってはいけない。だからご子女様のことをとやかく批判する必要はないんだけれども、何が間違って何が正しいかの判断力は、皆さんハッキリ持たないといけないんですね。この判断力の部分で日本の食口は弱い部分があるんです。……だから、何が間違っているか正しいかの判断力は最低持っていただきたい。分派の最大の特徴は、お父様とお母様を分けて考えるという事です。お父様はこうだった。そのやり方とお母様は違う。お父様のみ言葉とお母様のみ言葉は違う。お父様の伝統をお母様は受け継いでいない。更には破壊している。自分の時代を作ろうとしている。もっと嫌な言い方をすれば、お父様の王座にお母様が、もうまるで就いて、まるで女王の様な立場に立っている。もうあらゆる批判を、残念ながらUCIもサンクチュアリもしています。悲しいかなそのトップが実の息子様であるという事は、お母様から見たらどんなに心が痛いか解らないのです。だから、この事になるとお母様は本当に、もうその心情の痛みというのは想像を絶するものです。で、改めて申し上げますけれども、お父様とお母様を分けて考える事は、信仰のABCから見てこれはもう、基本がわかってないと言わざるを得ない。何故かといえば、イエス様がどんなに偉大でも、何故十字架にかかったのか、それは地上で祝福を受けることができなかった。四位基台を築くことができなかった。聖書の言葉で言うならば、子羊の婚宴を挙げることが出来なかったが故に、イエス様は真の父母になれたんでしょうか?なれなかったんでしょうか?なれました?なれません?(なれません)なれませんでした。イエス様はメシアではありますけれども、また独り子ではありますけれども、真の父母になれなかった。それは一点、神様を中心としたいわゆる結婚が出来なかったからです。だから、どんなにお父様という方が偉大であっても、お父様は、この真のお母様という方と出会えなければ、またこのお母様を立てることが出来なかったならば、お父様といえども、十字架の道を行かざるを得なかったに違いない訳です。つまり真の父母になれないという可能性があったわけですね。真の父母になれなければ統一教会に祝福というものは始まりません。祝福というのは、真の子女として私達が真の父母によって産みかえられる訳ですから、その産みかえられる儀式である祝福というもの自体が存在しない訳です。存在しないという事は、祝福家庭が始まらなかったという事です。人類歴史に祝福家庭という単語が登場しなかった。だから今、お父様とお母様を分けて考えて、お母様を批判したりお父様を批判してる様なUCIや、あるいはサンクチュアリは、何が根本的に解ってないかというと、祝福というものは、真の父母様によって頂いたのに、その祝福の一番の原点として、生みの親である、お父様とお母様のどっちかを批判するという事は、自分たちの祝福家庭としての生命の出発点を批判するという事。それは一種の霊的な自殺行為です。自殺行為。よろしいですか?今目を閉じてはいけませんよ。今目を閉じる人は自殺行為です。(笑い)今目を閉じた人はもうそのまま自殺。霊的自殺。シッカリと目を開けて、それが自殺行為だという事をよく理解して頂きたいと思います。はい、理解できた方はアージュ(アージュ)、アージュ(アージュ)これが解っていれば、お父様とお母様を分けて考える事自体が、もう根本的にナンセンスなんです。意味わかりますね。その二人大丈夫?今起きてるね。……2008年7月19日、真の父母様等のヘリコプター事故を思い起こしていただきたい。お父様お一人であったならばイエス様の二の舞を踏んだであろう。ところが、「真の父母」として立たれた故にそうはならなかった。むしろ、ヘリコプター事故後はイエス様の十字架のときと違った「地上再臨完結時代」を宣布されておられた。ダンベリー収監、モスクワ訪問、北朝鮮訪問もまた生命の危険のなか「真の父母」として超えてこれたものだ。「お父様に原罪あり、お母様は無原罪」で生まれてきた、の話に戻そう。最近の記事「お父様が無原罪である証明 珍解答その2--エリコ城陥落する」からは『真の父母様生涯路程 1』(2000.2.10:初版発行)からの一文を取り上げてみたが、黒・天聖経からもまたそれを確認することが出来た、というのが1年前のことだ。支流人は黒・天聖経を毎日訓読されておられるわけだから、「真の父母」はもちろんのこと以下のそれにも目を止めてみられてはどうか。八大教材教本・天聖経「祝福家庭」>第一章 真の父母と祝福 >二、真の父母と重生と血統転換3.三日行事 ― 実体復帰式 …… 三日行事をするとき、夫婦はどんな立場に立たなければならないかといえば、夫婦とは夫と妻ですが、妻がお母さんの立場に立たなければなりません。お母さんになって、夫を愛によって生んであげなければなりません。結局は、再臨主までエバ(お母様)が生んであげなければなりません。主が来る時まで、再臨主までは三時代を経ますが、アダム、イエス、再臨主の三代を経て出てくるには、誰が生んであげるかといえば、女性が生んであげなければなりません。……嘘つき・原理本体論講師の話も吹っ飛んだ。サンク、『お母様は「佳約式」で「原罪清算」した』だ?「黒・天聖経にこうありました。間違っていました。」と訂正をされるべきだ。サンクの六マリヤ発言、これもまたどこからのものか。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.15
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真の父母様「神忠清に任命!」第3地区決意大会、ワールドセンターで盛況裡に開催 「2018 忠清圏孝情、真の家庭希望決意大会」が天暦9 月6 日に(陽暦10.14)天地人真の父母様を迎えてムンヨナUPF 韓国会長、ムンフンスクユニバーサル文化財団理事長、イギソン神韓国家庭連合会長、チョンウォンヂュ総裁秘書室長、ユン・ヨンホ世界本部事務総長、ソンインヨウン第3 地区長、キムボプヒェ僧侶、천일국세계순회사、한국천의원 장로、神韓国家庭連合地区長、摂理機関長をはじめ、忠清圏各界の指導者・平和大使・市民、第3 地区牧師・公職者・祝福家庭・家族など2 万人が参加した中「神統一韓国!参加艇が希望である」というテーマで、清心平和ワールドセンターで開催された。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.14
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黒・天聖経からはもう一点過去記事から紹介しなければならないことがあるが、次回にまわすことにする。「独生子」「独生女」はそれぞれ創造理想を完成した男性・女性ということだが、支流人は、お母様「独生女」は神格化しお父様の「独生子」をさげすんでいるなどといっては非難している。ところが、「真の父母」と語られるとき、そこには「独生子」「独生女」が同参したものだはこれまでの私tomy4509からの主張である。原理講論で「創造理想を完成した人間の価値」から「独生子」「独生女」の価値について検証してみたい。第七章 キ リ ス ト 論 第一節 創造目的を完成した人間の価値第二節 創造目的を完成した人間とイエス第三節 堕落人間とイエス詳しい内容は上記リンク先からも原理講論を読むことが出来るのでそちらで確認をお願いしたい。以下にその一部を掲載する。(二) 創造目的の完成から見た人間とイエス 我々は、既に本章第一節で、完成した人間の価値がどんなものであるかを説明した。そこで、我々は、ここにおいて、完成した人間とイエスとは、いかなる差異があるかという点を考察してみることにしよう。これまで述べたことによって分かるように、完成した人間は、創造目的から見れば、神が完全であられるように完全になって(マタイ五・48)、神のような神性をもつはずの価値的な存在である。神が永遠なるお方であるので、その実体対象として創造された人間も、やはり、完成すれば、永遠なるものとして存在せざるを得ない。その上、完成した人間は、唯一無二の存在であり、全被造世界の主人であるがゆえに、彼なしには、天宙の存在価値も、完全になることはできないのである。したがって、人間は、天宙的な価値の存在である。イエスは、正に、このような価値をもっておられる方である。しかし、イエスがもっておられる価値がいくら大きいといっても、既に列挙したように、創造理想を完成した男性がもっている価値以上のものをもつことはできない。このようにイエスは、あくまでも創造目的を完成した人間として来られた方であることを、我々は否定できないのである。原理は、これまで多くの信徒たちが信じてきたように、イエスを神であると信じる信仰に対しては異議がない。なぜなら、完成した人間が神と一体であるということは事実だからである。また原理が、イエスに対して、彼は創造目的を完成した一人の人間であると主張したとしても、彼の価値を決して少しも下げるものではない。ただ、創造原理は、完成された創造本然の人間の価値を、イエスの価値と同等の立場に引きあげるだけである。我々は、既に、イエスはどこまでも、創造目的を完成した一人の人間であることを論じた。……第三節 堕落人間とイエス 堕落した人間は、創造目的を完成した人間としての価値を備えていないので、自分より低級に創造された天使を仰ぎ見る程度の卑しい立場に落ちてしまった。しかし、イエスは創造目的を完成した人間としての価値をみな備えておられるので、天使をはじめ、すべての被造世界を主管する資格をもっておられたのである(コリントⅠ一五・27)。また、堕落人間には原罪があるので、サタンの侵入できる条件がそのまま残っている。しかし、イエスには原罪がないので、サタンが侵入できる何らの条件もないのである。また、堕落人間は、神のみ旨とその心情を知ることができない。たとえ知ったとしても、それはごく部分的なものにすぎない。しかしイエスは、神のみ旨を完全に知っておられるとともに、その心情をも完全に体恤した立場において生活しておられるのである。 したがって、人間は堕落した状態にとどまっている限り、何らの価値もない存在であるが、真の父母としてのイエスによって重生され、原罪を脱いで善の子女になれば、イエスのように創造目的を完成した人間に復帰されるのである。それはちょうど、我々人間社会の父子の間において、父と子としての順位があるだけで、その本然の価値には少しの差異もないのと同じである。ゆえに、キリストは教会のかしらとなり(エペソ一・22)、我々は彼の体となり、また肢体となる(コリントⅠ一二・27)。したがって、イエスは本神殿であり、我々は彼の分神殿となるのである。そして、イエスはぶどうの木であり、我々は彼の枝である(ヨハネ一五・5)。また、野のオリーブである我々は、もとのオリーブなるイエスに接がれることによって、オリーブとなることができるのである(ロマ一一・17)。ゆえに、イエスは私たちを友達と呼ばれ(ヨハネ一五・14)、また、彼(イエス)が現れるとき、私たちも彼に似るものとなることを知っている(ヨハネⅠ三・2)という聖句もある。そして、聖書は、復活するのは「最初はキリスト、次に、主の来臨に際してキリストに属する者たち」であることをも明らかにしている(コリントⅠ一五・23)のである。以上の内容は、イエス様(独生子)が神様自身であられるのかほか、キリスト教の問題点を原理の観点から紐解いたものであった。これはまた「独生女」についても同様のことがいえる。創造理想を完成した人間は聖書にもあるように「神の宮」になることから神様ともいえるが、「創造理想を完成した一人の人間」であり「創造理想を完成した男性がもっている価値以上のものをもつことはできない。」と原理では主張おり、「独生子」「独生女」も価値からみて同等といえよう。コリント人への第一の手紙/ 03章 16節~17節あなたがたは神の宮であって、神の御霊が自分のうちに宿っていることを知らないのか。もし人が、神の宮を破壊するなら、神はその人を滅ぼすであろう。なぜなら、神の宮は聖なるものであり、そして、あなたがたはその宮なのだからである。この「独生子」「独生女」が『子羊の婚宴』でもって「永遠に唯一なる真の父母」であることは「黒・天聖経」の記述にもあることだ。支流人はこれを否定できない。この真の父母によって重生され原罪を脱いで善の子女となれば、「イエス様のような創造目的を完成した人間に復帰」され同等の価値を持つようになるとも。ここで注目すべきことは、「それはちょうど、我々人間社会の父子の間において、父と子としての順位があるだけで、その本然の価値には少しの差異もないのと同じ」である。こんにちの真の家庭においても然り、真の父母様の子女様方だからといって「父(母)の順位、兄弟姉妹の順位」が逆転することはない。同時にお父様は「お母さんから産まれた」としても、もう一度「真のお母様」を通して重生されなければならない、とも語っておられた。さてさて……(?)このように「独生子」同様に「独生女」もまた、「神」とも言えるが「創造理想を完成した女性」であるということは、原理講論から計り知ることができる。ところで、原理講論の別箇所からの「独生子」「独生女」の価値も考察してみたい。cocoaさんがブログ村で紹介しているニセ宗教学者の新刊(即・廃刊→古本屋行き)を受け入れるとするならば、お父様の「独生子」も否定する立場に立つ矛盾点が浮かんでくる。cocoaさんは記事でパイオニアカフェ情報から「●統一教会の多くの学者たちの反応が期待されます。」と紹介していたが、その本自体が議論にもならないことはいうまでもない。原理講論・創造原理「第四節 創造本然の価値」から。(一) 創造本然の価値の決定とその価値の基準創造本然の価値はいかにして決定されるのだろうか。ある対象がもっている価値は、その対象が存在する目的と、それに対する人間主体の欲求との相対的関係によって決定されるというのが、我々の今まで考えてきた一般的な価値観であった。しかし、ある個性体の創造本然の価値は、それ自体の内に絶対的なものとして内在するものでなく、その個性体が、神の創造理想を中心として、ある対象として存在する目的と、それに対する人間主体の創造本然の価値追求欲が相対的関係を結ぶことによって決定される。したがって、ある対象が創造本然の価値をもつためには、それが人間主体との授受作用により合性一体化して、神の第三対象になり、創造本然の四位基台をつくらなければならない。では、創造本然の価値の基準はどこにあるのだろうか。創造本然の価値は、ある対象と人間主体とが、神を中心として、創造本然の四位基台を完成するときに決定されるが、この四位基台の中心が絶対者であられる神であるから、この価値の基準も絶対者なる神である。それゆえに、絶対者であられる神を基準として、これに対して相対的に決定されるある対象の創造本然の価値もまた絶対的でないはずがない。この一文は神様を中心として人間主体と被造万物の四位基台の完成によって創造本然の価値が決定されるというものだ。冒頭では「独生子」「独生女」は創造理想を完成した男性・女性としてのそれぞれ価値についてだが、家庭的四位基台でもってその本然の価値決定も適用される。すなわち、「独生子」と叫んでみたところで「独生女」がいなければ、絶対者であられる神を基準として絶対的価値を持つことが出来ないということだ。お母様の「独生女」発言は、裏を返せばお父様は「独生子」にも通じるといえる。その「独生女」否定こそがナンセンス。黒・天聖経の数千個の「真の父母」記述を否定したとすれば、黒・天聖経そのものの存在も吹っ飛んでしまう結果となる。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.13
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「神韓国第4地区 希望前進決意大会」(10月7日、韓国・清平)における真のお母様(韓鶴子総裁)のみ言をはじめ、「STFオープンキャンパス」(10月6・7日、茨城・土浦)、北大阪教区「孝情ファミリー書写会」(8日)、東埼玉教区「ファミリー大運動会」(7日)などを取り上げています。 ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.10.13
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当ブログ記事「【再掲載】再臨主の位置--原理講論から整理を!!」読まれた方はお分かりのことと思うが、イエス路程を継承的に歩んだモーセ路程のヨシュアがそれだった。ブログ村の過去記事を読めば、お父様は失敗者であり、象徴的路程アブラハムのヤコブ路程だ、あるいは、ヨシュアだとかでどなたかがそれだと書かれていたものがあった。イエス様の第三次世界的カナン復帰路程の「再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程」を継承されたのが、まさに、文鮮明総裁(真のお父様)であったことを考えれば、そのヨシュア的人物が二人(親子二代続きで)などといったことは原理講論には書かれていない。よって、やれ「長子だ!」、「二代王」だと騒いでいる支流も見かけるが原理講論の記述からは到底考えられないことである。「 原理講論にみる「真の父母」とは?」からは特に、しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。から見ても、「創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっている」とあり、その延長はない。ヤコブのハラン苦役のように考えられる支流の方も、イサク献祭の祭壇に横たわるイサク(俎板の鯉)もままならない人物がヤコブになることなど出来ない相談、というのが私からの意見である。さて、「独生女」は原理講論には記載はないが、「真の父母」--「独生子」と「独生女」が出会っての「子羊の婚宴」-- といえば「独生女」も同参していたことはいうまでもない。前回は「原理講論にみる「真の父母」とは?」を取り上げてみたが、天一国経典・天聖経を編纂するときは、支流人が八大教材教本「天聖経」を改ざんしたものだ、と騒いでいた。その「黒・天聖経」にもまた「真の父母」の単語がいくつも並んでおり、真の神様(414個)真の父母(835個)真の愛(76個)真の家庭(29個)地上生活と霊界(123個)人間の生と霊魂の世界(123個)礼節と儀式(71個)罪と蕩減復帰(62個)祝福家庭(211個)成約人への道(168個)宇宙の根本(66個)環太平洋摂理(20個)真の神様の祖国光復(97個)真の孝の生活(13個)天一国主人の生活(351個)真の家庭と家庭盟誓(227個)と「真の父母」の一文を一つ一つ挙げていたら……。支流人の方々、この「真の父母」にも「独生子」「独生女」が同参していることを理解しておられるだろうか?もしも、「独生女」だけを否定したとしても、そこには「真の父母」もない。家庭連合は「天一国経典・天聖経」を編纂したからといって「黒・天聖経」を改ざんしたりはしていない。むしろ、「独生女」を否定することで「真の父母」までも黒・天聖経から抹消(黒塗り)されているのが、「改ざんだ!」といっては騒いでおらてた方々ではなかったか。黒・天聖経にもしっかりと「独生女」の記載があったことは、当ブログでは過去記事で何度も紹介してきた次第である。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.12
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原理講論も注意して読めば、こんにちのお母様の「独生女」も原理講論と矛盾していないことがハッキリと理解できる。この原理講論が出版されて50年以上になるが、私たちはこれを読み続けてきたのではなかったか!!お母様がの「独生女」を信じることが出来ないとすれば、この原理講論そのものを否定するようなものだ。「創造原理」だ、「堕落論」だ、「復帰原理」だ、個々に見れば「何々原理」「何々論」、と学問っぽいが本来は再臨主(真の父母)を証ししたものであることを、私たちは忘れてはならないと思う。宗教でもある程度の教義は文字でも読むことが出来るが、「奥義」ともなれば別ということもある。私たちの信仰路程を振り返っていただきたい。原理講義を聞いたのちに「主の路程」、主に(「オモニ」ではなく)お父様の生涯路程だったはずだ。これがこんにちのお母様「独生女」への反発(既成概念にとらわれて)を引き起こしている要因ともなっているようだが。原理講論はまた「終末に際して我々がとるべき態度」と題しての警告文も記載していた。(二) 終末に際して我々がとるべき態度復帰摂理歴史の流れを見ると、古いものが終わろうとするとき、新しいものが始まるということを、我々は発見することができる。したがって、古いものの終わる点が、すなわち新しいものの始まる点ともなるのである。それゆえに、古い歴史の終末期が、すなわち新しい歴史の創始期ということになるのである。そして、このような時期は同じ点から出発して、各々その目的を異にし、世界的な実を結ぶようになった善と悪との二つの主権が、互いに交差する時期となるのである。ゆえにこの時代に処した人間たちは、内的には理念と思想の欠乏によって、不安と恐怖と混沌の中に落ちこむようになり、外的には武器による軋轢と闘争の中で戦慄するようになる。したがって、終末においては国と国とが敵対し、民族と民族とが相争い、家族たちが互いに闘いあうであろう(マタイ二四・4〜9)と聖書に記録されているとおり、あらゆる悲惨な現象が実際に現れるに違いない。終末において、このような惨状が起こるのは、悪主権を清算して善主権を立てようとすれば、どうしても起こらざるを得ない必然的な現象であるからで、神はこのような惨状の中で、新しい時代をつくるために、善主権の中心を必ず立てられるのである。ノア、アブラハム、モーセ、そしてイエスのような人々は、みなそのような新しい時代の中心として立てられた人々であった。それゆえに、このような歴史的な転換期において、神が願うところの新しい歴史の賛同者となるためには、神が立てられた新しい歴史の中心がどこにあるかということを、探しださなければならないのである。このような新しい時代の摂理は、古い時代を完全に清算した基台の上で始まるのではなく、古い時代の終末期の環境の中で芽生えて成長するのであるから、その時代に対しては、あくまでも対立的なものとして現れる。したがって、この摂理は古い時代の因習に陥っている人々には、なかなか納得ができないのである。新しい時代の摂理を担当してきた聖賢たちが、みなその時代の犠牲者となってしまった理由は、まさしくここにあったのである。その実例として、いまだ旧約時代の終末期であったときに、新約時代の新しい摂理の中心として来られたイエスは、旧約律法主義者たちにとっては、理解することのできない異端者の姿をもって現れたので、ついにユダヤ人たちの排斥を受けて殺害されてしまったのである。イエスが、「新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである」(ルカ五・38)と言われた理由もまたここにあったのである。今や、イエスが再び新約時代の終末期において、新しい天と新しい地のために、新しい摂理の中心として来られ、新しい時代の建設のために(黙二一・1〜7)新しい真理を下さるであろう。それゆえに、イエスが初臨のときに、ユダヤ人たちからベルゼブル(悪霊のかしら)の乗り移った人間として、排斥されたように(マタイ一二・24)、再臨のときにおいても、必ずや再びキリスト教信徒たちの排斥を受けるに相違ないのである。ゆえに、イエスは将来再臨なされば、自分が多くの苦難を受け、その時代の人々から見捨てられるであろうと預言されたのである(ルカ一七・25)。したがって、歴史の転換期において、古い時代の環境にそのまま執着し、平安を維持しようとする人々は、古い時代と共に審判を受けてしまうのである。堕落した人間は神霊に対する感性が非常に鈍いために、大抵は真理面に重きをおいて復帰摂理路程を歩んでいくようになる。したがって、このような人間たちは、古い時代の真理観に執着しているがゆえに、復帰摂理が新しい摂理の時代へと転換していても、彼らはこの新しい時代の摂理にたやすく感応してついてくることが難しいのである。旧約聖書に執着していたユダヤ人たちが、イエスに従って新約時代の摂理に応じることができなかったという史実は、これを立証してくれる良い例だといわなければならない。しかし、祈りをもって神霊的なものを感得し得る信徒たちは、新しい時代の摂理を、心霊的に知ることができるので、古い時代の真理面においては、相克的な立場に立ちながらも、神霊によって新しい時代の摂理に応じることができるのである。それゆえに、イエスに従った弟子たちの中には、旧約聖書に執着していた人物は一人もおらず、もっぱら心に感応してくる神霊に従った人々だけであった。祈りを多くささげる人、あるいは良心的な人たちが、終末において甚だしい精神的な焦燥感を免れることができない理由は、彼らが、漠然たるものであるにせよ、神霊を感得して、心では新しい時代の摂理に従おうとしているにもかかわらず、体をこの方面に導いてくれる新しい真理に接することができないからである。それゆえに、神霊的にこのような状態に処している信徒たちが、彼らを新しい時代の摂理へと導くことができる新しい真理を聞くようになれば、神霊と真理が、同時に彼らの心霊と知能を開発させて、新しい時代に対する神の摂理的な要求を完全に認識することができるので、彼らは言葉に尽くせない喜びをもってそれに応じることができるのである。したがって、終末に処している現代人は、何よりもまず、謙遜な心をもって行う祈りを通じて、神霊的なものを感得し得るよう努力しなければならないのである。つぎには、因習的な観念にとらわれず、我々は我々の体を神霊に呼応させることによって、新しい時代の摂理へと導いてくれる新しい真理を探し求めなければならない。そして探しだしたその真理が、果たして自分の体の内で神霊と一つになり、真の天的な喜びを、心霊の深いところから感ずるようにしてくれるかどうかを確認しなければならないのである。このようにすることによってのみ、終末の信徒たちは、真の救いの道をたどっていくことができるのである。「旧約聖書」や「新約聖書」などがそうであったように、こんにち「原理講論」でも同じようなことがいえるのではないか、ということだ。お父様がが「独生女」を語り始められたのは1959年10月、「子羊の婚宴」の半年前のこと。原理講論が出版されたのはまたそのあとだ。原理講論には「独生女」を見ることが出来ないとしても、「真の父母」がどういうものなのかを見ることが出来た。「独生女批判」をされている方々は、もう一度「真の父母」を基点として原理講論の再読をお薦めする次第である。 ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.10.11
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PeaceTVホームページ>お知らせ一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.10
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原理講論に「独生女」が記載されていないからといって、それを全く否定することは出来ない。「独生子」「独生女」が出会っての「子羊の婚宴」・そして、「真の父母」がこの地上に出現したからだ。「真の父母」といえば、そこには「独生子」「独生女」が含まれたそ存在(完成した四位基台)だからである。原理講論には「真の父母」がいくつあるのか気になってきたので調べてみた。創造原理 人間において、その心の命令が中枢神経を通じて、その四肢五体に伝達されることにより、その人体が一つの目的を指向して動じ静ずるように、天国においては、神の命令が人類の真の父母を通して、すべての子女たちに伝達されることにより、みな一つの目的に向かって動じ静ずるようになるのである。堕落論しかしながら、隠されているこの罪の根はいかなる人間も知ることができないもので、ただ人間の根として、また、真の父母として降臨されるイエスのみがこれを知り、清算することができるのである。人類歴史の終末論キリスト論で述べるように、イエスと聖霊はアダムとエバの代わりに、人類を重生させてくださる真の父母として来られたのである。それゆえに、日と月はイエスと聖霊を象徴しているのであり、星は子女に該当するキリスト教徒たちを象徴しているのである。キリスト論特にイエスは人類を新たに生み直してくださる真の父母として来られる方であるから、その点から見ても、人間として降臨なさらなければならないのである。したがって、人間は堕落した状態にとどまっている限り、何らの価値もない存在であるが、真の父母としてのイエスによって重生され、原罪を脱いで善の子女になれば、イエスのように創造目的を完成した人間に復帰されるのである。アダムとエバが創造理想を完成して、人類の真の父母となったならば、彼らから生まれた子女たちは原罪がない善の子女となり、地上天国をつくったであろう。アダムが創造理想を完成した男性、すなわち生命の木となり、エバが創造理想を完成した女性、すなわち善悪を知る木となって、人類の真の父母となったならば、そのときに、神の三大祝福が完成され、地上天国は成就されたはずであった。父母の愛がなくては、新たな命が生まれることはできない。それゆえ、我々がコリントⅠ一二章3節に記録されているみ言のように、聖霊の感動によって、イエスを救い主として信じるようになれば、霊的な真の父であるイエスと、霊的な真の母である聖霊との授受作用によって生ずる霊的な真の父母の愛を受けるようになる。元来、神がアダムとエバを創造された目的は、彼らを人類の真の父母に立て、合性一体化させて、神を中心とした四位基台をつくり、三位一体をなさしめるところにあった。もし、彼らが堕落しないで完成し、神を中心として、真の父母としての三位一体をつくり、善の子女を生み殖やしたならば、彼らの子孫も、やはり、神を中心とする善の夫婦となって、各々三位一体をなしたはずである。それゆえ、神はイエスと聖霊を、後のアダムと後のエバとして立て、人類の真の父母として立たしめることにより、堕落人間を重生させて、彼らもまた、神を中心とする三位一体をなすようにしなければならないのである。しかし、イエスと聖霊とは、神を中心とする霊的な三位一体をつくることによって、霊的真の父母の使命を果たしただけで終わった。したがって、イエスと聖霊は霊的重生の使命だけをなさっているので、信徒たちも、やはり、霊的な三位一体としてのみ復帰され、いまだ、霊的子女の立場にとどまっているのである。ゆえに、イエスは自ら神を中心とする実体的な三位一体をつくり、霊肉共に真の父母となることによって、堕落人間を霊肉共に重生させ、彼らによって原罪を清算させて、神を中心とする実体的な三位一体をつくらせるために再臨されるのである。後編・緒論ところで、この原罪は、人間が、その真の父母として来られるメシヤによって重生されるのでなければ、取り除くことはできないのである。メシヤは人類の真の父母として来られなければならない。彼が人類の真の父母として来られなければならない理由は、堕落した父母から生まれた人類を重生させ、その原罪を贖ってくださらなければならないからである(前編第七章第四節(一)①)。モーセとイエスを中心とする復帰摂理以上のような三つの権能を行われたのは、イスラエル民族の前に、将来イエスと聖霊とが、人類の真の父母として来られ、全人類を子女として復帰し、サタンに奪われた創造本然の四位基台を復帰することができる、象徴的な蕩減条件を立て得るようにされるためであった。イエスは、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的な復活「四十日サタン分立基台」を造成なさることにより、霊的な真の父母の立場でもって霊的な「信仰基台」を復帰すると同時に、また、霊的な子女の立場でもって「堕落性を脱ぐための世界的な蕩減条件」を立てるための、霊的なアベルの位置をも確立されたのである。そこでイエスは、この基台の上で、霊的な洗礼ヨハネ使命者の立場から、霊的なメシヤの立場を確立し、聖霊を復帰することによって、霊的な真の父母となり、重生の摂理をされるようになったのである。しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.10
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「独生女理論」「独生女論」などといっての「独生女批判理論」はエリコ城陥落のように、このブログ村「家庭連合」から姿を消し去ろうとしている。お父様が語られた元祖「独生女論」、また、原理講論を見てもお母様の「独生女発言」と矛盾するところを見出すことができなかった。また、お父様が元祖「独生女論」を語っておられたほどにお母様が「独生女」であることを証したものであり、旧約時代にはメシヤを証しするためにまずはエリヤ再臨が待ち望まれていた(マラキ書)。イエス様が再臨するときには「独生女」と出会って「子羊の婚宴」をしなければならないと約束されて行かれたが、その「新婦」を紹介(証し)されたものだ。イエス様の再臨と同時に、「独生女」に対しては洗礼ヨハネ的使命を担っておられたのではないかと思われる。2000年前のイエス様の「独り子(独生子)」、キリスト教の歴史がそうであったように、こんにちの「独生女」もただただ信仰によるもの以外の何物でもない。家庭連合はそれを信じる宗教法人であるということだ。もしも、お母様の「独生女」を信じることが出来ないというのであれば、それもまた個々人の信仰によるものであって、本流とは別の道(支流)を行かれているだけのこと。天の父母様、真の父母様はその支流が本流に早く合流することを願われている。また、このお父様の元祖「独生女論」も信じられない、となればだ……ブログ村には「家庭連合 批判告発」のカテゴリーも準備されている。ブログ村は異常なほどに、一つの宗教団体・家庭連合に対しては選択肢を準備してくれている。「サンク」もあれば「FPA」、「批判告発」も入れれば六カテゴリーだ。異常とも思える親切ぶりに「呆れてしまいました」の意見書を9月に送信したりもしていたが、今後はどう対応していただけるのか? ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.10.09
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「 お父様が無原罪である証明 珍解答」、『真の父母様生涯路程 1』記載のそれは、実は1年ほど前にすでに当ブログで紹介していたものだった。ここで、『再臨主の位置--原理講論から整理を!!』を再掲載する理由は、再臨主の位置が初臨のイエス様の使命を継承したものであって初臨の時のイエス様と同様に来るような錯覚で、もしやお父様を見られ、また、お母様「独生女」を既成概念でもって受け入れられない方々に改めて原理講論に書かれた再臨主の位置を確認していただくためのものである。モーセからヨシュアがそうであったように、ヨシュアも中心人物としてモーセの後を継承するうえで何らかの蕩減条件があった。再臨主はそのヨシュアに匹敵する。まったくの初めからではなかったことをだ。【以下に再掲載】第三節 イエスを中心とする復帰摂理(一) 第一次世界的カナン復帰路程 (1) 信 仰 基 台(2) 実 体 基 台(3) 第一次世界的カナン復帰路程の失敗(二) 第二次世界的カナン復帰路程 (1) 信 仰 基 台 ① イエスが洗礼ヨハネの使命を代理する ② イエスの荒野四十日の断食祈祷と三大試練 ③ 四十日断食と三大試練とをもってサタンを分立した結果(2) 実 体 基 台(3) 第二次世界的カナン復帰路程の失敗(三) 第三次世界的カナン復帰路程 (1) イエスを中心とする霊的カナン復帰路程 ① 霊的な信仰基台 ② 霊的な実体基台 ③ メシヤのための霊的な基台 ④ 霊的カナン復帰(2) 再臨主を中心とする実体的カナン復帰路程第三次世界的カナン復帰路程が、第三次民族的カナン復帰路程と同じく、実体路程をもって出発することができず、霊的路程として出発するようになった理由については、既に前節で述べたとおりである。「メシヤのための霊的な基台」の上で、霊的メシヤとしておられるイエスを信じ、彼に従うことをもって出発した第三次世界的カナン復帰の霊的摂理は、二〇〇〇年の悠久なる歴史路程を経て、今日、世界的にその霊的版図を広めるようになった。それゆえ、あたかもモーセの霊的カナン復帰路程を、ヨシュアが代わって実体路程として歩み、民族的カナン復帰を完遂したのと同じく、イエスは、今までの霊的カナン復帰路程を、再臨されてから実体路程として歩まれ、世界的カナン復帰を完遂されることによって、地上天国をつくらなければならないのである。このように再臨主は、初臨のときに実体をもって成就されようとした地上天国を、そのごとくにつくらなければならないので、あくまでも実体の人間として、地上に生まれなければならないのである(後編第六章第二節(二)参照)。しかし、再臨主は、初臨のときの復帰摂理路程を蕩減復帰しなければならないので、あたかも彼の初臨のとき、ユダヤ民族の不信によって、霊的復帰路程の苦難の路程を歩まれたように、再臨のときにおいても、もし第二イスラエルであるキリスト教信徒たちが不信に陥るならば、その霊的な苦難の路程を、再び実体をもって蕩減復帰されなければならないのである。イエスが「しかし、彼(イエス)はまず多くの苦しみを受け、またこの時代の人々に捨てられねばならない」(ルカ一七・25)と言われた理由は、とりもなおさず、ここにあるのである。それゆえに、イエスは初臨のときに、彼のために召命された第一イスラエル選民を捨てられ、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立て、新しい霊的な摂理路程を歩むほかはなかったのと同様に、再臨のときにも、キリスト教信徒たちが不信に陥るならば、彼らを捨てて新しく第三イスラエルを立て、実体的な摂理路程を成就していくほかはない。さらにまた、イエスは再臨のときも初臨のときと同じく、彼の道を直くするために洗礼ヨハネの使命(ヨハネ一・23)を担ってくるはずの先駆者たちが、その使命を全うし得ないときには、再臨主御自身が、再び洗礼ヨハネの立場で、第三次世界的カナン復帰摂理のための「信仰基台」を実体的に造成しなければならないので、苦難の道を歩まれなければならないようになるのである。しかし、再臨主はいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、初臨のときのように、復帰摂理の目的を完遂できないで、亡くなられるということはない。その理由は、神が人類の真の父母を立てることによって(前編第七章第四節(一)①)、創造目的を完遂なさろうとする摂理は、アダムからイエスを経て再臨主に至るまで三度を数え、この三度目である再臨のときには、必ず、その摂理が成就されるようになっているからであり、その上、後編第四章第七節に論述されているように、イエス以後二〇〇〇年間の霊的な復帰摂理によって、彼が働き得る社会を造成するために、民主主義時代をつくっておかれたからである。イエスは、初臨のときには、ユダヤ教の反逆者であると見なされて亡くなられたのであったが、彼が再臨なさる民主主義社会においては、たとえ、彼が異端者として追われることがあるとしても、それによって死の立場にまで追いこまれるようなことはないのである。それゆえに、再臨主がいくら険しい苦難の道を歩まれるといっても、彼が立てられる実体的な「信仰基台」の上で、彼を絶対的に信じ、彼に従い、彼に侍る信徒たちが集まって、第三次世界的カナン復帰の実体路程のための「堕落性を脱ぐための蕩減条件」を立て、「実体基台」を造成することによって「メシヤのための実体的な基台」をつくるようになることは確かである。第三次民族的カナン復帰路程において、モーセのときには、磐石を中心とする「出発のための摂理」をするようになっていたのであるが、ヨシュアのときには、磐石よりももっと内的なそのわき水を中心とする「出発のための摂理」をされたのであった。これと同じく、イエスも初臨のときには奇跡をもって「出発のための摂理」をされたが、再臨のときには、それが内的なものとなった、み言を中心として「出発のための摂理」をされるのである。なぜなら、既に前編第三章第三節(二)において論及したように、み言をもって創造された人間が(ヨハネ一・3)、堕落によってみ言の目的を成就することができなかったのであるから、神はこの目的を再び完遂なさるためには、「み言」の外的な条件を立てて復帰摂理をなさり、摂理歴史の終末に至って、「み言」の実体であられるイエス(ヨハネ一・14)を再び送られて、「み言」を中心とする救いの摂理をなさらなければならないからである。神の創造目的を、心情の因縁を中心として見るならば、神は、霊的な父母として、人間を実体の子女として創造されたのである。そして、最初に神の二性性相の形象的な実体対象として創造されたアダムとエバは、神の第一の実体対象として、人類の父母となるのである。それゆえに、彼らが夫婦となって子女を生み殖やし、父母の愛と夫婦の愛、そして子女の愛を表し、父母の心情と夫婦の心情、そして子女の心情によって結ばれる家庭をつくるようになっていたのであるが、これがすなわち三対象目的をなした四位基台であったのである(前編第一章第二節(三)参照)。このように、神は天の血統を継承した直系の子女によって、地上天国をつくろうと計画されたのであった。しかし、既に堕落論において詳しく述べたように、人間始祖が天使長と血縁関係を結ぶことによって、すべての人類はサタンの血統を継承して、みな悪魔の子女となってしまったのである(マタイ三・7、マタイ二三・33、ヨハネ八・44)。それゆえ、人間始祖は神と血縁関係を断ちきられた立場に陥ってしまったのであるが、これがすなわち堕落である(前編第二章参照)。それゆえに、神の復帰摂理の目的は、このように神との血統関係が断たれてしまった堕落人間を復帰して、神の直系の血統的子女を立てようとするところにあるのである。我々は、このような神の復帰摂理の秘密を聖書から探してみることにしよう。先に論じたように、堕落して殺戮行為をほしいままにしたアダム家庭は、神との関係を断たれてしまったのである。しかし、ノアのときに至って、その二番目の息子であり、アベルの立場におかれていたハムの、その失敗によって、神と直接的な関係を結ぶところにまでは行かれなかったが、それでもノアが忠誠を尽くした基台があったので、僕の僕(創九・25)としての立場に立つことができ、神と間接的な関係を結ぶことができたのである。これがすなわち、旧約前の時代における神と人間との関係であった。信仰の父であるアブラハムのときに至り、彼は、「メシヤのための家庭的な基台」をつくって、神の選民を立てたので、彼らは初めて神の僕の立場に復帰することができた(レビ二五・55)。これがすなわち、旧約時代における神と人間との関係であった。イエスが来られてのち、洗礼ヨハネの立場でもって立てられた、その「信仰基台」の上に立っていた弟子たちは、初めて、旧約時代の僕の立場から、養子の立場にまで復帰されたのである。彼らが神の直系の血統的子女となるためには、イエスに絶対的に服従して「実体基台」をつくることにより、「メシヤのための基台」を造成し、その基台の上に立っているイエスに、霊肉併せて接がれることによって(ロマ一一・17)、彼と一体とならなければならなかったのである。イエスは、原罪のない、神の血統を受けた直系のひとり子として来られ、堕落したすべての人類を彼に接がせて一体となることにより、彼らが原罪を脱いで神の直系の血統的子女として復帰することができるように摂理しようとしてこられたのである。イエスと聖霊とが、人類の真の父母として、このように堕落人間を接がせ、原罪を脱がしめることにより、神との創造本然の血統的因縁を結ばしめる摂理を、重生というのである(前編第七章第四節参照)。それゆえに、イエスは、野生のオリーブである堕落人間を接がせるために、善いオリーブとして来られた方であるということを、我々は知らなければならない。しかし、弟子たちまでが不信に陥ったために、イエスは、洗礼ヨハネの立場から、一段上がってメシヤの立場に立つことができないままに、十字架で亡くなられたのである。それゆえ、復活したイエスが、霊的洗礼ヨハネの立場から、復活四十日のサタン分立期間をもって霊的な「信仰基台」を立てられたのち、悔い改めて戻ってきた弟子たちの信仰と忠節とによって、霊的な「実体基台」が立てられた結果、そこで初めて「メシヤのための霊的な基台」が造成されたのである。そしてついにこの霊的な基台の上に霊的メシヤとして立たれるようになったイエスに、霊的に接がれることによって、初めて信徒たちは、霊的な子女としてのみ立つようになったのであるが、これがすなわち、イエス以後今日に至るまでの霊的復帰摂理による神と堕落人間との関係であった。それゆえに、イエス以後の霊的復帰摂理は、あたかも神が霊界を先に創造されたように、そのようなかたちの霊的世界を、先に復帰していかれるのであるから、我々堕落人間はまだ、霊的にのみしか、神の対象として立つことができないのである。したがって、いくら信仰の篤いキリスト教信徒でも肉的に継承されてきた原罪を清算することができないままでいるので、サタンの血統を離脱できなかったという点においては、旧約時代の信徒たちと何ら異なるところがないのである(前編第四章第一節(四))。このように、キリスト教信徒たちは、神と血統を異にする子女であるので、神の前では養子とならざるを得ないのである。かつてパウロが、聖霊の最初の実をもっている私たち自身も、嘆いて養子とせられんことを待ち望んでいると言った理由も、実はここにあったのである(ロマ八・23)。それゆえに、イエスは、すべての人類を、神の血統を受けた直系の子女として復帰するために、再臨されなくてはならないのである。したがって、彼は初臨のときと同じように、肉身をもって地上に誕生され、初臨のときの路程を再び歩まれることによって、それを蕩減復帰されなければならない。それゆえに、先に既に論じたように、再臨のイエスは、み言を中心とする「出発のための摂理」によって、「メシヤのための基台」を実体的に造成し、その基台の上で、すべての人類を霊肉併せて接がせることにより、彼らが原罪を脱いで、神の血統を受けた直系の子女として復帰できるようにしなければならないのである。それゆえに、イエスは初臨のときに「メシヤのための家庭的な基台」の中心人物であったヤコブの立場を蕩減復帰なさるために、三人の弟子を中心として十二弟子を立てられることによって、家庭的な基台を立てられたのであり、また、七十人の門徒を立てられることによって、その基台を氏族的な基台にまで広めようとされたように、彼は、再臨される場合においても、その「メシヤのための基台」を、実体的に家庭的なものから出発して、順次、氏族的、民族的、国家的、世界的、天宙的なものとして復帰され、その基台の上に、天国を成就するところまで行かなければならないのである。神は、将来、イエスが誕生されて、天国建設の目的をいちはやく成就させるために、第一イスラエル選民を立てることによってその土台を準備されたのであったが、彼らがそれに逆らったので、キリスト教信徒たちを第二イスラエルとして立てられたように、もしも、再臨イエスの天国建設の理想のために第二イスラエルとして立たせられたキリスト教信徒たちが、またもや彼に背くならば、神はやむを得ず、その第二イスラエル選民をも捨てて新しく、第三イスラエル選民を選ばれるほか、致し方はないのである。それゆえに、終末に処しているキリスト教信徒たちは、イエスの初臨当時のユダヤ民族と同じく、最も幸福な環境の中におりながらも、また一方においては、最も不幸な立場に陥るかもしれない運命の岐路に立たされているとも考えられるのである。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ 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2018.10.08
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cocoaさんから「天正宮、お母様のお話 (2018.10.4) 一部翻訳」が掲載されていた。天正宮・お母様のお話 2018年10月4日 (一部翻訳)https://ameblo.jp/tldo5223/entry-12409954984.html 機関、企業、団体局長以上、地区長と教区長、アカデミー幹部:約 150人《 元老牧会者たちに問いたい。現在、この国は主人を知らない!どうすればいいのか?私たちが教えてあげなければならない。国家的次元で真の父母が顕現しなければならない。不足なのは、ひとつになれないからだ。堕落もそう。だから悔い改めなければならない。わかった?皆さんが、2世3世の手本にならなければならない。ベルベディアから春の便りを一番最初に知らせるのが水仙だった。まず最初に土地を突き出て黄色の花を咲かせるじゃない?独生女が行く道がそう。水仙を愛するようになった。天正宮でも水仙をたくさん表現した。ユリより強いのが水仙よ。だから、愛する元老牧会者の前に 黄色い服を 今日着たかった。真の母と 最後を一緒にしたという条件を 皆さんに立ててあげたい。 》 ユリより強いのが水仙よ・・かぁ~。また、58年待った独生女 ? !https://ameblo.jp/tldo5223/entry-12410071416.html* 天正宮、お母様のお話 (2018.10.4) 一部翻訳《 環境を失ったメシアイエス様の本質を知らなかった。最後十字架上に誰もいなかった。イエス様は楽園に行かれた。イエス内面の心を弟子が知らなかった。キリスト教は、2000年一緒の事情の中でどこが終着点なのか知らなかった。天は宗教が一つになることを願うのよ。一つになる終着点がなければならない。巨大な水流は大海に流れて行く。天の循環法則を拒否する宗団は未来がない。一つにならなければならない。知っている人が教えなければならない。世の中の前に独生女、理解させるのに6年かかった。独生女は、神が定めるもので、来られる再臨のメシヤが定めるものではない。私が、58年待ったのよ。私でなければ、この世に真の父母の顕現はない。私に会えなければ、再臨メシヤは真の父母になることはできない。私が今日、黄色の服を着て出て来た。現実的に人類の前に、独生女が明らかにならなければならない。私が南北が一つになるきっかけをつくる。この国は、独生女誕生のために、2000年以上準備した国だ。アン・シソン映画を見た。ヤン・マンチュン将軍と一つになった城の民を見なさい。命をかけた人たちじゃない。自ら決意して一つになった。だから勝利があった。 》昨晩(6日夜)にcocoaさんの上記二記事にコメントを入れたが現在のところ「無視」の腹を決め込んでいるようだ。私の手元には하나가 돼서 한 목표를 향해서 나아가자조국광복 신통일한국을 위한 지도자 특별집회 말씀천일국 6년 천력 8월 25일(양 2018.10.4), 천정궁 と題したお母様のみ言の原文(韓国語)がある。これを見る限りでは、cocoaさんのそれ「一部翻訳」は語られた順番も(意図して)バラバラに、また、歪曲された翻訳となっているようだ。翻訳も「極道の女を地で行きそうな雰囲気」を醸し出すようにだ。お母様の「独生女」批判、家庭連合批判をされる方々の手法を踏襲してのそれか? あるいは、他所からの転載か。いずれにしてもお母様が語られたそれとはニュアンスを大きく異にする。これまでは「独生子」だけを知っていたが、「独生女」は分からなかった。それを知らせるのにお父様聖和後6年かかった。支流が主流に合流しなければ未来がない。韓国で人気上映中の「アンシソン」の映画の話を交えながら一つになることを願われていた。元老院といえども、認知症の老婆が登場したりもしていたように。水仙の花の話にしても然り。お父様はユリとバラを好まれたようにお母様は水仙が好きだ、くらいのもの。ユリと水仙が闘っているような印象を与えようとしているようだ。お母様は春に凍土を割って芽を出す強靭な水仙が好きだ、と。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.07
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9月24日夜に韓国・清平で行われた「秋夕節特別晩餐会」における真のお母様(韓鶴子総裁)のみ言をはじめ、「日本家庭連合創立59周年記念式典」(10月2日)や2018年度「6000双家庭会」総会(9月29日)、第2回「公職者短期海外宣教プログラム」などを取り上げています。礼拝などでご視聴ください。 ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.10.06
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お父様が無原罪であるということを証明するのは簡単なことである。キリスト教を基盤とした民族(選民)、またその中でも信仰の篤い家系に生まれて然るべきであり、それを「照明」すればよい。ヨーロッパのどこか、あるいは、南北アメリカのキリスト教国家……。ところが、北韓という話だ。また、『真の父母様生涯路程 1』(2000.2.10:初版発行)を見ればモルム村の徳興長老教会入教 先生は北朝鮮にある、地方の篤実な儒教の家庭で生まれました。十歳余りの時、全家族がキリスト教に改宗しました。先生は改宗と共に深い感銘を受けました。先生は、この新しい信仰に愛着をもって、以前に誰かを愛したことより、もっとイエス様を愛しました。 先生が幼くして教会に通った時は、礼拝時間に遅れれば、顔を上げることができませんでした。数日間悔い改めなくては、顔を上げることができずに歩くほどでした。それが今も記憶の中から消えません。遅い時間に行けば、多くの人が礼拝を捧げるのに失礼になるのではないかと思い、いつも礼拝が始まる前に、先に行ってプラスになるようにしました。(P.107)……一 召命を前後した蕩減役事祝福後に受ける蕩減 先生自身を中心として見る時、また、今まで先生の家庭が生活してきたのをずーっと振り返ってみるならば、神様は、ある時には祝福をしてくださるけれども、残忍で、無慈悲であられるというのです。 先生の家庭は、曽祖父の時に神様の祝福を受けました。しかし、祖父の時になって蕩減を受けました。祝福を受けたのちには、必ず蕩減を受けるようになるというのです。必ず蕩減の役事が起こるのです。イスラエル民族も祝福を受けたのちには、必ず蕩減を受けました。十ほどの祝福を受ければ、必ずその程度の蕩減を受けなければならないというのです。あるものを維持して、その種を残すためには、蕩減を受けなければなりません。しかも、家庭のための種でなく、氏族のための種を残そうとするならば、その家庭に祝福した以上の試練を、サタンが浴びせるのです。言い換えれば、十の祝福を与えるためには、二十あるいは百の試練を与えなければならないのです。必ず蕩減を受けなければなりません。 それゆえ、先生が神様の召命を受けるまで、先生の家庭に相当な混乱が起きました。一家の財産を使い果たしてしまい、人命の被害もありました。それだけでなく、私の側にいる人々に、混乱が起きたりもしました。当事者である私から始まって、全部打たれたというのです。 そのように祝福を受ければ、神様がその家庭を絶望的な状態に至るまでサタン世界に差し出すのです。そうすると、サタン世界が激しく打つのです。例えば、先生がこのみ旨を探し出してくる時まで、その背後には三代に該当する蕩減の因縁が関係されていました。祖父の代で蕩減を受け、父の代でも蕩減を受け、私の代では兄まで蕩減を受けました。おじいさんの代においても悲しいことが起きなければならず、父の代においても悲しいことが起きなければならなかったのです。これを経ていかなければ、蕩減にならないのです。 これは、私自身を滅ぼそうとする摂理でしょうか。いいえ。これは完全な勝利の基点を願う、神様の愛であることを私は知りました。堕落した血統を受けて生まれた、歴史的な摂理をおいて見る時にも、これは不可避な事実でないはずがないというのです。いついかなる時、サタンがその先祖を通して、家庭を通して、兄弟を通して、自分を通して入るか分からないのです。それゆえ、それを清算できる内容をもって、天の側を代表して出ていくことのできる背後をもつことなしには、蕩減の場に出ることができません。その当事者が知っていようがいまいが、蕩減の因縁は来るのです。(P.112~)……十六歳(数え年)の復活節の朝 先生は数えの十六歳の時に、非常な経験をしました。復活節の朝、長時間の涙ながらの祈祷の果てに、イエス・キリストが先生に現れて、多くの啓示と教示を下さいました。イエス様は、奥深く驚くべきことに対して、多くのみ言を語ってくださいました。「苦痛を受けている人類のゆえに、神様が悲しんでいらっしゃる」とおっしゃいました。そして先生に、「地上での神様の役事に対する、特別な役割をしてほしい」と要求されました。 先生が、幼い時体験したこの経験を、言葉で皆さんにみな表現するというのは、大変難しいことです。一言で言って、霊的な世界が突然本人の前に広がり、先生は自由に、その霊的な世界にいる聖者たちと思う存分通信できるようになりました。北朝鮮の地、静かな山中で、先生は何度もイエス・キリストと直接対話をしました。その時に啓示された真理の内容が、今の「統一原理」の核心になるのです。 それが啓示の始まりでした。その特別な出会いがあった時から今まで、私は生きていらっしゃる神様と、イエス様を含めた霊界のすべての聖賢たちと、絶えず対話をしてきました。その内容は、言葉ではすべてを表現することはできません。 ところで、皆さんが霊的にイエス様を見た時、イエス様が笑いながら、「ああ、いい!」と言いますか。そのようなイエス様を見ましたか。そのようなイエス様に会ったことがありますか。先生も会ったことがありません。いつも深刻で沈うつな姿で現れます。そうするしかないのです。天をよく知っているためにそうなのです。先生もそうなのです。(P.121~)「地方の篤実な儒教の家庭に生誕」「祖父--父--お父様、と三代続きの蕩減」、そして、「16歳でイエス様と出会っての召命」と。以上、お父様が「無原罪」でお生まれになったという証明(?)がされた。一方、お母様も北韓。そして、三代続きの「一人娘」の家系で祖母、お母さん(大母様)とキリスト教の篤い信仰をされて統一教会へ入教された。お母様は堕落圏から? このように「独生女理論」とか「独生女論」といってはお父様の元祖「独生女論」も語らず、お母様発言を批判するのが「独生女批判理論」である。一階に梯子をかけて「二階だ!」という思い込みの間違いにいつ、気付かれるのか?お父様の家庭は最初儒教でキリスト教とはまったく関係がないなかでお生まれになった。無原罪? 果たして?また、16歳についてのお父様のみ言も最近の私の記事でUPしていた(お父様が何故「16歳のときに」なのか?)。祝福家庭皆様方、三男さん・七男さんの影に身を隠しながらデマ・ニセ情報を流しては混乱を引き起こしている「共産主義者ら」に、いつまで翻弄されていかれるのか。流れてきた情報を鵜呑みにせず、御自身の目で確かめられてから判断されては如何が。「独生女批判理論」崩壊、エリコ城陥落だ。澤田治平氏、お疲れ様でした。ところで、私tomy4509がお父様のこのことを書いたからといってそのお父様の価値を決して下げるものではないことはすでに過去記事でも整理していたので、お間違えの無いよう必ず確認願いたい。『「独生女」批判の終焉(黒・天聖経から)』再臨主の位置--原理講論から整理を!!私は、原理講論には「真の父母」は書かれていないと言及したことがあるが、原理講論の後編「イエス様路程」だけを見ても5個の「真の父母」が発見されたことを追記しておく。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.05
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現在のブログ村「家庭連合」を見れば、共産主義者らが闊歩しているようだ。「独生女批判理論」はもとより、「家庭連合」への誹謗中傷、「真の父母不要論」まで。「神は死んだ」「神はいない」とも言っているようだ。真の父母様が「勝共運動」を掲げて共産主義と戦い世界を「冷戦」に導いた偉業は何処へいってしまったのか?世界基督教「統一」神霊協会、世界平和「統一」家庭連合。共産主義者らはこの「統一」ということが嫌いのようである。よって、様々なデマ宣伝やニセ情報でもって混乱させようとする。個人的意見だが、UCI裁判の本質は何かといえば2000年前のイエス様の三大試練と重なって見えてくる。日本食口であれば、より実感がわくものと思うが、本来は神様 -- 人間 -- 万物であったが、堕落によって神様 -- 万物 -- 人間と、人間は万物より劣る位置に下がってしまった。それ故、旧約以前や旧約時代は万物を祭物(清い供え物)として人間が神様との関係を持つようになった。さらにはモーセ時代には神様から十戒のみ言葉を授かるようになり、そのみ言葉を中心として神様との関係を持った。神様 -- み言葉 -- 人間新約時代になるとイエス様が登場する。では、イエス様の三大試練とは何か。「もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい」(マタイ四・3)「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛びおりてごらんなさい」(マタイ四・6)「もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょう」(マタイ四・9)イエス様は石(み言葉)がパン(肉の糧)より重要だとしたものであり、こんにちの「石が真の父母様」であるとするならば、GPF(UCI)がパンに相当する。その選択肢が問われたのではなかったか?私がこのブログを始める前後をしてサッカー「ピースカップ」をネットで追っかけていた。ところが、ある時突然にそのピースカップのホームページに大きな変化があった。これまでは郭錠煥氏が財団理事長を務めていたのが七男さんに交代したというものだ。統一教会人としてはごく当たり前のこととしてとらえるものだが、私個人としては(霊的に)何か違和感を感じていた。「郭グループ」という言葉が出てきたのはそれからしばらくしてだ。この理事長交代はどのような経緯で成されたものだったか。親からの相続(継承)ということを考えれば、真の父母様からが自然だ。ところが、この交代は義父からのものであった。サタンが「私を拝めば……」ワシントンタイムズ売却問題。お父様は「奇跡的に共産主義者から取り返した」と語られた。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.05
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2018.10.04
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とうごま氏の記事「独生女は救済の不要物・直ちに廃棄せよ」からサンクが主張するところの「独生女批判理論」が掲載されていた。頭を15度傾ければ、あれ~~「文亨進二代王は救済の不要物・直ちに廃棄せよ」との論理を並べ立てているようでもある。ちょうど、サタンが自らの存在位置(霊界)までも否定する「共産主義」の最後の発悪ともいうべきものに似ている。同様にこのサンクの「独生女批判理論」から見えてくることは、自らの首を絞めているようなものだ。以下に一部引用。全ての統一食口に問いたい。原理講論に、独生女(二代王)という言葉があるだろうか。原理で説かれていない独生女(二代王)がどうして人類を救済できるのか。聖書に独生女(二代王)という女性メシアが説かれているだろうか。聖書にない独生女(二代王)がユダヤ・キリスト教が求めてきた救世主になれるだろうか。 摂理は、前時代の基盤のうえに築かれる。旧約、新約、成約、三時代の神の救済摂理は強く結びつく。旧約時代に求めたメシア、新約時代に求めたメシア、成約時代に求めるメシアは、個体は違っても救済摂理上同一体である。韓氏オモニ(二代王)の独生女(二代王)論はユダヤ・キリスト教の救済摂理に痕跡もない。こんなものは人類を救済できない。独生女(二代王)という偽メシアはサタンの贋作であり、神の敵である。独生女(二代王)論など救済の不要物である。独生女はアボニムの造語であり聖書にはない。(二代王も聖書にはない)アボニムは68年前、聖婚前後を中心に180回この単語を使った。長く使われず、我々は独生女という単語を忘れた。しかし、聖書的用語で、新約・成約聖徒が共有する独生子は1500回使われた。180回と1500回、これを比較すれば、独生女の位置は明確である。(数の論理で判断できることか? お父様が語られた元祖「独生女論」を無視したものだ。)独生子の妻であるから独生女の位置がある。(逆も真なりという言葉もある。独生女の夫であるから独生子、原理で言うペアシステム。否定することは出来ない。)独生子があらわれ、堕落人間の中から一人の女性を復帰する、それが独生女である。(原理講論では「罪のない父母」と書かれていた。原理講論のどこに「堕落人間の中から」と書かれていたか? 復帰原理では「メシヤを迎えるための基台」までである。「子羊の婚宴」以降の記述は講論には記載されていない。よって、「独生女」の記述がないのは当然。)これが我々(二代王)の正統信仰である。韓氏オモニ(二代王)は、復帰摂理上根拠のない独生女(二代王)を上位に、神が復帰摂理で切に求めた独生子(独生女)を下位に置いた。神のみ言と真逆を言い誘惑した蛇の手法である。 さて、とうごま氏にお伺いする。旧約聖書のどこに「神の独り子」などと書かれていたか。新約聖書に「独生女」がないからといってそれを否定する根拠が見当たらない。また、原理講論にも「独生女」がないなどといってみたところで当時それを書き入れることができなかった事情があった。クリスチャン(一般)向けに書かれたものであり、内部中心でもなく、真の家庭も復帰摂理途上にあった故。ところでまた、とうごま氏にお伺いするが、ブログ記事文中で独生女論は、現実世界を導く、原理、統一思想、聖書などの真理の体系にまったく基礎を置かない、霊的観点でつくり上げた神学である。メシア・アボニムの正統信仰と、韓氏オモニの独生女論は、絶対に調和できない。独生女論が正しければ、アボニムは、60年もの間、人々にウソを教えていた偽り者になる。神は人類始祖に「取って食べてはならない」と教えた。しかし悪魔は、真逆の「取って食べよ」と騙したのである。メシア・アボニムの教えと真逆のことを言い、食口に正統信仰を棄てさせ、地獄に引き入れる独生女論は、きわめて霊的なサタンの神学なのである。がある。二代王を称される方は「六大マリヤ」についても発言されていたようだが、彼は「お父様は人々にウソを教えていた偽り者」と説教されていたのか。私個人の素朴な疑問としてだが。前回記事「リブログ「八大教材が遺言」は絶対譲れない--【追記あり】」でも書いていたが、「独生子」「独生女」のみ言の数の論理は通用しない。お父様の元祖「独生女論」との比較であり、数の論理を適用されるのであれば、「独生子」「独生女」が出会っての「子羊の婚宴」、そして、「真の父母」の出現である。サンクの「独生女批判理論」で言えば、「真の父母」もまた聖書や原理講論にもその記載がない。「真の父母は救済の不要物・直ちに廃棄せよ」とも論じておられるようだ。八大教材教本ほかにも「真の父母様」の記述は数知れずある。真の父母様の教えの根幹をなすものであり、お二人の「子羊の婚宴」があってこそのものだ。「独生女」否定は「真の父母様」否定。『実体み言』、その実体を否定することは、み言もまたこの世から抹消することとなる。皆さま、これを理解できるか?一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.04
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http://www.localsegye.co.kr/news/newsview.php?ncode=1065592491453339檀紀4351年建国超宗教式典で盛大に開かれ3日慶北青島檀君神殿でデジョンの天理教、世界平和統一家庭連合など<中 略>3部超宗教祝福の儀式は、義ユンジョン韓国宗教協議会事務総長の司会でソンジュンフイ教授(私たちの文化宣揚)、イウォンオ教務長(天理教)、バクヨウンベ地区長(世界平和統一家庭連合)のジプリェに行われた。家庭連合バクヨウンベ地区長の挙式辞を介して「デジョン、の天理教、家庭連合の3つの宗団が一つになった中で、真の家庭祝福式を挙行することにより、南北統一と世界平和のための新しい時代を開いていく重要な契機となった」とし「今後、各終端が力を集め、平和な世界を作っていく先導的な役割をしていこう」と付け加えた。 ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.10.03
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サマリヤ人がパリサイ人になりましたか‼️「八大教材が遺言」は絶対譲れないhttp://homechurch.blog.fc2.com/blog-entry-647.html体制擁護派は、八大教材にも「独生女」が何度も語られていると主張しますが、欺瞞です。オモニ自ら「不十分だった」と、不満を表明しておられるからです。残念なことに、聖和後オモニが八大教材を訓読されるという話を聞いたことがありません。これまで私は「独生女神学」を聞かなかったフリ、頭が悪くて理解できないフリをするつもりでした。今後それが通用せず、積極的に踏み絵が始まるのであれば、私は躊躇なく八大教材を選ぶでしょう。詳細(追記)はのちほど。【追記】サマリヤ人さんの記事から見えてくることは、お母様の「独生女批判論」でもってお母様や家庭連合を誹謗中傷されている方々はお父様が語られた元祖「独生女論」には一切耳を貸そうとされない。頑(かたく)なな姿勢を崩そうとはされない。まるで、エジプトのパロ王そのものだ。少し理論的(論理的)に考えてみれば分かる話なのだが。1959年10月にお父様が歴史始まって以来初めて「独生女」を語られた。お父様が語られたその「独生女」とはどなたのこと?1960年3月、御聖婚式。「子羊の婚宴」ということだが、「独生子」と「独生女」が出会ってのそれではなかったか。お父様のみ言には「独生子」が千数百個、「独生女」は180個とはるかに少ない。では、お父様が「独生子」を語られるときは誰のことを語られていたかである。「私は独生子である。」と千数百回もイエス様当時のようなみ言を言われただろうか。大概は独り子・イエス様のことではなかったかと思う。ところが、「独生女」はどうだ? イエス様の霊的な相対「聖霊」についてか?このように、お父様の語られた「独生女」はお母様以外の誰でもなかったということになる。皆様はこれを信られるか?!2000年前の「洗礼ヨハネ」を思い起こしていただきたい。マタイ伝11章7~14節彼らが帰ってしまうと、イエスはヨハネのことを群衆に語りはじめられた、「あなたがたは、何を見に荒野に出てきたのか。風に揺らぐ葦であるか。では、何を見に出てきたのか。柔らかい着物をまとった人か。柔らかい着物をまとった人々なら、王の家にいる。では、なんのために出てきたのか。預言者を見るためか。そうだ、あなたがたに言うが、預言者以上の者である。 『見よ、わたしは使をあなたの先につかわし、 あなたの前に、道を整えさせるであろう』と書いてあるのは、この人のことである。あなたがたによく言っておく。女の産んだ者の中で、バプテスマのヨハネより大きい人物は起らなかった。しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい。バプテスマのヨハネの時から今に至るまで、天国は激しく襲われている。そして激しく襲う者たちがそれを奪い取っている。すべての預言者と律法とが預言したのは、ヨハネの時までである。そして、もしあなたがたが受けいれることを望めば、この人こそは、きたるべきエリヤなのである。私たちが「メシヤ論」で学んだことは、洗礼ヨハネはエリヤの使命者を悟ることもなく牢獄で処刑されたということだ。また、本来出会うべき「独生女」もなくイエス様も十字架の道を行かざるを得なかった。これが2000年前の話である。こんにちまた、これと同じようなことが「独生女」を巡って成されているとは思われないか。2000年前の洗礼ヨハネを見たイスラエルは「彼こそがメシヤではないか?」といわせるほどに信奉があった。ところが、その彼がイエス様の言われた「エリヤ」を否定してしまった。文総裁・お父様はもちろんイエス様の使命を継承された再臨主であることは言うまでもないが、同時にまた、「独生女」に対しては洗礼ヨハネ的使命を担って来られたのではないか、と当ブログの過去記事で書いたことがある。2000年前のヨハネとは違い、お母様を「独生女」として紹介し、また、それを受け入れての「子羊の婚宴」、「真の父母」となられたのだ。『「八大教材が遺言」は絶対譲れない』と言われるサマリヤ人さん(パリサイ人さん)にお伺いしたい。「独生子」「独生女」だけでなく数限りなく書かれている「真の父母」とお父様が語られるとき再臨主の第三アダム「独生子」だけでなく、お母様の「独生女」も共に語っておられるということではないか?もしも、その八大教材教本から「独生女」を抜いたとしよう。そこには何が残るというのかお教え願いたい。八大教材教本というからには、何かの学問を教える「教材教本」ということだが、私の意見としては「真の父母様学」とでもしておこうか。さて、お母様の「独生女」を批判される方々のブログを見れば「踏み絵」も出てくる。もしも万が一、批判されてその「踏み絵」を踏まれたとするならば踏まれたそれをよくよくご覧になってはいかがが。「お母様」お一人ではなく御尊影「真の父母様」であったことを。付けたしだが、『八大教材でけが遺言』だとはいわれていなかった。『原理本体論』然り、『実体み言宣布大会』のそれも遺言に匹敵するものだと語られていた。一休さんのような機知(トンチ)ではありません。奇知=人とは異なる知恵すなわち神様の知恵世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。↓↓ にほんブログ村ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
2018.10.02
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言語は韓国語です。 ハワイアン・クィーンコーヒー農園のコナコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー1kg/【全国送料無料】お得な1kgまとめ買いは10%割引/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒーハワイコナ・エクストラファンシー200g/自家焙煎コーヒー豆 ストレートコーヒー豆 高級コーヒー スペシャルティコーヒー
2018.10.01
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