PR
Keyword Search
Comments
Calendar
Category
「文顯進様を支持する有志の会」は「ONE TRUTH有志の会」というブログを立ち上げ、郭錠煥氏のインタビュー映像(トゥルーレガシーTV)を掲載して各方面に拡散しています(2020年11月24日現在、7つの映像を掲載)。これらの映像における郭錠煥氏のみ言引用は不正確であり、み言の恣意的解釈が散見します。郭錠煥氏のインタビュー映像の内容は、2019年3月2日に出版された郭錠煥著『事必帰正』(日本語版)と類似するもので、真のお母様が真のお父様の意向に反して陰謀を企て、三男の顯進様を統一家の組織から追い出したという、いわゆる 「真のお母様陰謀論」 という虚偽に基づくものです。これはUCIを支持する人々が広めてきた金鍾奭著『統一教会の分裂』と軌を一にするものであり、〝虚偽のストーリー〟にほかなりません。
これはUCIを支持する人々が広めてきた金鍾奭著『統一教会の分裂』と軌を一にするものであり、〝虚偽のストーリー〟にほかなりません。教理研究院は、UCI、FPAを支持する人々のかたる〝虚偽の主張〟に対し、彼らによる真のお父様の〝み言改ざん〟を指摘しながら、真のお父様のみ言と「原理」に基づいて反論してきました。その集大成として、2019年8月10日に『虚偽に満ちた金鍾奭著「統一教会の分裂」――軌を一にする郭錠煥著「事必帰正」』(光言社)を出版しました(以下、『虚偽に満ちた』)。
郭錠煥氏の書籍は、真のお父様のみ言の根拠をほとんど示さず、自身の自叙伝のような体裁で書いているため、その〝虚偽性〟を見破るのは簡単なことではありません。しかし、『虚偽に満ちた』の巻末に掲載したUCI側の〝虚偽の主張〟と「原理とみ言」の比較対照一覧表【今回は「父子協助時代」に関する部分を文末に掲載】を見れば、金鍾奭著『統一教会の分裂』と郭錠煥著『事必帰正』の書籍の内容が、いかに〝虚偽の主張〟において軌を一にするものであり、かつ、お父様のみ言と食い違っているのかを理解することができます。郭錠煥氏が述べる〝虚偽の言説〟は、すでに『虚偽に満ちた』で論破されており、この書籍の内容こそが二つとない「一つの真実」です。
…(略)…
(三) 悪意のある〝み言削除〟および〝み言改竄〟
『母子摂理時代ではなく父子摂理時代なのです。 真の父母が出てくる前までは 、母親 たち は息子たちを育てながら迫害を受けてきましたが、神様を中心として、直接、 真の父母を中心として、息子と娘が生まれたために、これからは 母親がいなくてもかまいません 。母の時代は過ぎ去り、父子摂理時代へと越えていくのです。それゆえ、神様を中心として 真の父が現れ、真の父を中心として 真の母が現れ 、そこから生まれた息子と娘たちには、サタンは手をつけられないのです』 (注、これは『統一教会の分裂』が省略したみ言の部分)
真のお父様は、ここで 『母親』 という言葉と 『真の母』 という言葉とを、明確に使い分けておられます。お父様は、 『 真の父母が出てくる前までは 、 母親 たち は息子たちを育てながら迫害を受けてきました』 と複数形で語っておられ、ここで言う 『 母親がいなくてもかまいません 』 とは 『真の母』 を指して語っておられる言葉ではありません。事実、 『母の時代は過ぎ去り、父子摂理時代へと越えていくのです』 と語られた直後、 『それゆえ、神様を中心として 真の父が現れ、真の父を中心として 真の母が現れ ……』 と語っておられ、〝母親〟の代わりに〝真の母〟が現れたことを明確に述べておられます。したがって、 『母親がいなくてもかまいません』 とは、〝真の母〟を指して語られた言葉ではありません。……
<詳細はこちらから>
最初にそれを説かれたのは2000年前のイエス様でした。当時、神様はイエス様ただ一人を「独り子」と呼ばれました。そのイエス様を仲介として神様を知るようになったクリスチャンたちはというと、直接的な血統のつながりはないにしても、養子養女の位置だと言われています。
聖書を見れば
ローマ人への手紙/ 08章 15節~23節
それゆえに、兄弟たちよ。わたしたちは、果すべき責任を負っている者であるが、肉に従って生きる責任を肉に対して負っているのではない。なぜなら、もし、肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬ外はないからである。しかし、霊によってからだの働きを殺すなら、あなたがたは生きるであろう。 すべて神の御霊に導かれている者は、すなわち、神の子である。あなたがたは再び恐れをいだかせる奴隷の霊を受けたのではなく、子たる身分を授ける霊を受けたのである。その霊によって、わたしたちは「アバ、父よ」と呼ぶのである。御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。もし子であれば、相続人でもある。神の相続人であって、キリストと栄光を共にするために苦難をも共にしている以上、キリストと共同の相続人なのである。
わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。なぜなら、被造物が虚無に服したのは、自分の意志によるのではなく、服従させたかたによるのであり、かつ、被造物自身にも、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由に入る望みが残されているからである。実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている。 それだけではなく、御霊の最初の実を持っているわたしたち自身も、心の内でうめきながら、子たる身分を授けられること、すなわち、からだのあがなわれることを待ち望んでいる。
また、
へブル人第 11 章1節~40節 過去の義人聖人らの信仰(願い)が必ずやクリスチャンたちによって成就されることへの確信も書き記したりもしていました。
さて、信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。昔の人たちは、この信仰のゆえに賞賛された。信仰によって、わたしたちは、この世界が神の言葉で造られたのであり、したがって、見えるものは現れているものから出てきたのでないことを、悟るのである。信仰によって、 アベルはカインよりもまさったいけにえを神にささげ、信仰によって義なる者と認められた。神が、彼の供え物をよしとされたからである。彼は死んだが、信仰によって今もなお語っている。信仰によって、エノクは死を見ないように天に移された。神がお移しになったので、彼は見えなくなった。彼が移される前に、神に喜ばれた者と、あかしされていたからである。信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自分を求める者に報いて下さることとを、必ず信じるはずだからである。
…(略)…
さて、これらの人々はみな、信仰によってあかしされたが、約束のものは受けなかった。神はわたしたちのために、さらに良いものをあらかじめ備えて下さっているので、わたしたちをほかにしては彼らが全うされることはない。
真の心情革命と真の解放・釈放時代開門
「二〇〇四世界文化体育大典」祝賀晩餐会でのみ言│2004年7月26日、ソウル リトルエンジェルス芸術会館
皆様。この時代は、人類歴史や摂理史的な次元から見るとき、実に途方もない意味をもっています。先天時代を締めくくり、後天時代を開いてくださった天は、一日を千年のような思いで、忙しく摂理を成し遂げていらっしゃいます。このような天の心情を悟り、きょう、皆様の立っている位置が摂理的にいかなる位置なのかをはっきりと知らなければならないという意味で「真の心情革命と真の解放・釈放時代開門」と題してお話ししようと思います。
六千年の摂理史の秘密
皆様。神様は、私たち堕落した人間にとって、師の中の師であり、父母の中の父母であり、王の中の王の位置にいらっしゃいます。その理由として、神様は、全知全能であられ、遍在していらっしゃり、真の愛の根であると同時に、絶対性、唯一性、不変性、永遠性をその属性としてもっていらっしゃるからです。今日の堕落人間の願いは、神様の真の息子に出会うことです。神様の息子には、個人的な息子、家庭的な息子、氏族的な息子、民族的な息子、そして国家的な息子がいます。それらをすべて取り戻さなければならないのですが、そうしようとすれば、人類はどれほど多くの苦労の路程を経なければならないでしょうか。
ですから、天は、国家的基準に立っている息子圏を代表したメシヤを送られるのです。このメシヤを探し出す日が、正にメシヤ降臨の日なのです。神様の個人、家庭、氏族、民族、国家的な息子まで、すべてを探し出す立場に立つからです。堕落の後裔である私たちは、サタンの讒訴圏を抜け出た神様の息子に出会わなければならず、その次には、神様が愛することのできる父母を中心として形成された家庭を取り戻さなければなりません。その基台の上に立ってこそ、私たちは神様の愛を探し出すことができるのであり、究極的には、神様と直接出会うことができるのです。
このように、神様の愛を中心として愛の関係を結ぶことができるのは、ただ完成したアダム、すなわち真の父だけです。しかし、父一人だけでは父母になることはできません。真の相対を探さなければならないのです。その相対は、真の女性でなければなりません。絶対的基準の女性でなければなりません。世界的基準で女性を代表しているのが新婦格であるキリスト教です。なぜなら、キリスト教の中心思想は再臨主、メシヤを迎える新婦の思想だからです。
しかし、真の父母は、ただ一人の男性と、ただ一人の女性によって成立するのです。男性も絶対的に一人であり、女性も絶対的に一人です。二人ということはあり得ません。このように、唯一の男性と唯一の女性が出会って真の父母となるのです。真の父母は、神様の創造理想を中心とした真の理想的夫婦です。ですから真の父母は、個人から世界、天宙までの統一的中心となり、個人、家庭、氏族、民族、国家、世界的なすべての次元で接ぎ木できるのです。
人類が復帰を目標と定めて神様に向かって進んでいくに当たって、必然的な条件が何かというと、父母の門を通過しなければならないということです。なぜなら、真の父母の門を通過しなければ、心情を連結させることができないからです。今日の世界は、心情的に、民族と民族が通じず、宗教と宗教が通じず、家庭と家庭が互いに通じない世界になってしまいました。このように、前後左右が完全に塞がっている垣根を壊し、互いに通じるようにするためには、まず神様の心情と関係を結ばせてあげなければなりません。果たして、誰がそのような使命を果たすことができるのでしょうか。天の真の仲保者として来られる真の父母様以外にはいないという結論が出るのです。したがって、失ってしまった真の父母を探し出すことは、神様の願いであることはもちろん、人類の夢だったのです。
皆様。人類始祖アダムとエバは、神様が本当に願う真の人類の先祖、すなわち人類の真の父母にならなければなりませんでした。その真の父母の血族として、私たち人類は生まれなければならなかったのです。このように、歴史の出発から始まるべきだった人類の真の父母、その真の父母は、神様の栄光の実体として、また人類の前には永遠の勝利の実体として現れなければなりませんでした。アダムとエバの失敗は、正にここにあったのです。これが、今までの悲しい歴史を綴ってきた怨恨の土台になったことを、私たちはよく知っています。
堕落によって人類は、天の法度から離れ、自らの実体を失ってしまい、神様の心情を蹂躙した邪悪な群れとなってしまいました。したがって人間は、神様のみ言により、再び自らの実体を取り戻し、真の心情の世界を取り戻す復帰の路程をたどってきているのです。堕落により、万物よりも劣る立場に落ち、神様と自由に向き合うことができない悲しい立場に落ちるようになったのです。
このような人間は、自分で自分を回復できないので、神様は、人間を悟らせながら再創造の役事をしてこられたのです。僕の僕の位置から僕の位置を経て、養子と庶子の位置を経て、直系の息子の位置を経たのち、真の夫婦の位置まで進んで、最終的には、勝利的な主管権を備えて真の父母の位置まで復帰してこられたのです。六千年の摂理史の背後には、このような途方もない秘密が隠されていたという事実を、皆様ははっきりと知らなければなりません。
天の召命の前に悲壮な覚悟で立つべき時
神様が御覧になるとき、この世は堕落した世の中なので、孝子も、愛国者も、聖人、聖子もいませんでした。かわいそうな人類を救おうとしても、堕落圏以下ではどうすることもできません。なぜならば、堕落とは無関係の神様であられるからです。ですから、神様は、堕落していないアダムとエバ以上の立場、すなわち完成した、後のアダムとして来られるメシヤが、神様の家庭を築き、真の父母になるその日だけを待ち続けてこられたのです。
そのような家庭の上に、初めて真の孝子が現れるのです。そのような家庭を基台として立てられた国家基盤の上に、真の愛国者も現れるのです。その基盤が世界的に広がれば真の聖人、そして天宙的次元では聖子が輩出されるのです。そのような真の家庭の基盤の上に、初めて天の代身者が現れ、相続者が生まれるのです。
本来、「父子」という言葉は、本然の父と息子、娘を意味します。そのような父子が築いた家庭が集まって国を建設します。 万民は、平和の世界を願っています。しかし、その平和の世界は、今日の先進国が追求しているそのような世俗的な方法や、そのような次元の文化を通して築かれるのではありません。真の父母を通して伝えられる真の愛の文化を中心としなければ方法はありません。
皆様。「真の父母」という言葉は、神様の創造が始まる以前から神様の心の世界にあった言葉です。神様の創造によって関係を結んだすべての理想は、真の父母を中心とする真の愛の理想を表題として出発したので、「真の父母」という言葉は、創造以前から神様が願われた希望の言葉だったことを知らなければなりません。
真の父母を探し立てるまで、神様の摂理路程において数えきれないほどの多くの人々が犠牲になってきたという事実も、皆様は知らなければなりません。神様は、摂理の路程において、その時々に適切な宗教を立てて摂理してこられました。したがって、 宗教の中には、天使級の宗教、カイン的な宗教、アベル的な宗教、養子的な宗教、庶子的な宗教、養父母的な宗教、真の母格の宗教、そして真の父格の宗教があります。
キリスト教の歴史を見れば、アベル格の新教とカイン格の旧教が、神様の摂理全体のみ旨に合わせ、世界の各地域における様々な文化圏を中心として人類救援のために努力してきたすべての宗教圏を統合し、一つの国、一つの世界、すなわち一つの平和世界を建設しなければなりませんでした。あらゆる宗教の中の主流宗教がキリスト教だったからです。
皆様。今や人類は、歴史上、あとにも先にもない真の解放、釈放の時である後天時代を迎えました。太初にアダムとエバの失敗によって偽りと罪悪の血に染まった堕落のエデンの園を果敢に脱出し、天の召命に対して悲壮な覚悟で立ち上がらなければならない時が来ました。真の父母の八十余年という生涯の生の姿が、いきいきと皆様を導いています。真の愛の生の姿とは果たしてどのような生なのかということを、はっきりと示してくれています。与えてはまた与え、赦してはまた赦してあげる真の父母様の怨讐に対する愛の標本的生涯の前で、誰が弁明できるというのでしょうか。
ただ絶対信仰、絶対愛、絶対服従の道だけが皆様の宿命的人生になることを、はっきりと悟らなければなりません。蕩減革命、良心革命、心情革命の三大革命を皆様の日常生活の中で実践して完遂し、真の解放と釈放の時代を開門する、天の特攻隊となることを覚悟して立ち上がる人は、両手を挙げて天のみ前にその決意を誓いましょう。
つまりは、「父子」とは本然の父(神様)と息子、娘(真の父母様)を意味し、神様を中心とした父母が築いた家庭(家庭的四位基台)が集まって氏族圏、国家圏、世界圏を形成するようになっていたということです。その最初の真の父母様はそのモデル家庭(原器)であるとのみ言もあります。このように、神様の愛を中心として愛の関係を結ぶことができるのは、ただ完成したアダム、すなわち真の父だけです。しかし、父一人だけでは父母になることはできません。真の相対を探さなければならないのです。その相対は、真の女性でなければなりません。絶対的基準の女性でなければなりません。世界的基準で女性を代表しているのが新婦格であるキリスト教です。なぜなら、キリスト教の中心思想は再臨主、メシヤを迎える新婦の思想だからです。 ……
本来、「父子」という言葉は、本然の父と息子、娘を意味します。そのような父子が築いた家庭が集まって国を建設します。
一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う 奇知の外の凡人
が徒然なるがままに書く日記です。
↓↓ にほんブログ村
ランキング参加中。応援クリックお願いします。↓↓
偏向報道・旧統一教会敷地内の麻薬密売疑… 2023.09.04
UCI裁判ーー結論は米国・修正憲法第1条「… 2023.07.04
郭グループ・ブロガーの方々へ‐‐「批判の… 2023.07.02 コメント(2)