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「人間は愛のために生まれてきた」

(修練会、第二日目の朝)1995年1月18日


 さあ、交通整理です。寒いですか? 日本よりも、ずーっと寒いでしょう。では、きのうの続きです。きのうの最後は、何と(黒板に)書いてありましたか? (「真の自分を探しましょう!!!」です)。きのうの続きですから、ノートに書いてあるでしょう。心身紛争の根源についての話をしていたのですが、まだ終わっていないのですね。

 生命の出発は、父母の愛の本場からです。ですから、私たちが心身紛争になったのは、父母の愛の紛争の内容が介在していたためであり、その結果として、そうならざるを得ないのです。そうなった場合に、自分の生涯において心が体を引っ張りだこにしますか、体が心を引っ張りだこにしますか? これが問題です。どちらが強いですか? (体です)。肉身というものが、今まで良心というものを引っ張りだこにしてきたのです。もし良心が強かったならば、神様に帰るのは問題ないのです。

 良心は本然の創造の原則によって、力は作用によって、作用は相対関係によってなされるのです。それで、人間の良心というものは、昔も今も未来も変わらない方向を、善なる高い素晴らしいことを願っているのです。きょうよりはあすと、あすはもっとよくなることを願っているのです。高く高く、広く広く、というようにです。そういう良心作用があるのです。

 このような良心作用があるということは、主体・客体関係の原則から見て、どこかに主体と客体がなければならないのです。良心を 司 る主体がなければならないのです。そういうような動機の作用をなし得る主体があるとするならば、それは神様でも何でもいいのです。

 そのように見た時、人間の良心の主体となるものがあって、北極と南極が方向を一致させて、永遠にその方向に動くように、良心も北極と南極みたいに引き付け合う作用で、誰もが同じ作用で引き合っているということを考えてみた場合に、そのような主体となるものがなければならないというのです。

 そのような意味において、主体となるものは神様でも何でもいいのであり、あることには間違いないというのです。良心作用を持たないと言うような人はいないのです。ですから、その良心作用は、きょうよりもあすは落ちていくことを絶対に願いません。きょうよりはあすというように、一つずつ高まっていくことを願っているのです。そうですか? (はい)。

 日本人も、西洋人も、みんなどこに行って聞いてみても、「そうです」と言うのです。ですから、人間は根本からつながっているということを否定できません。しかし、そうなれば肉身が良心を引っ張りだこにするのです。問題はそこにあるのです。もしも肉身が弱かったとすれば、人間は修養も修練も必要がないのです。自然にその方向に向くようになっているのです。磁石のようになって、その方向に向いた場合には、引き合ってだんだん近くなって一体圏内に入った場合には、もう誰が止めても「シューッ!」となるのです。



 それでは、うれしくさせるものとは一体何でしょうか? 金でもなければ知識でもないし、権力でもないのです。女と男が愛する時に「知識だ」と、知識を見て愛するのではないのです。金だ、権力だと、この世で一番重要視する三大要件など、何の関係もないのです。では、何を求めて、どうして一つになろうとするのでしょうか? みんな、愛というものです。

 (人間は)愛を決着させなければならないのです。人間は愛という素晴らしいもので、一つになることができるのです。その愛なるものと一体になるには、愛なるものの動機がなければ駄目なのです。愛なる動機によって、愛なる幸福によって、そのようにまとめられて一つになるのです。それも自分たち二人きりの夫婦関係ではなくて、歴史を通してそうなってきたと言えば、みんな人間として愛を求めていかざるを得ないという結論は当然のことです。愛のために、女も男も一つになるのです。ですから、何のために人間は生まれたかというと、愛のために生まれたということが結論になるのです。本当ですか? 何のために生まれてきましたか? (愛のためです)。

 みんな顔もそれぞれに違っているのですが、目的はみんな愛のためです。愛は絶対的に必要だからです。分かりましたか? (はい)。絶対の反対は何ですか? 相対などと言うのですが、愛は絶対的に必要であり、男にとって絶対的に必要なものが愛だとすれば、その愛をつなぐものは愛自体ではないのです。自分にも愛はあるのです。愛はみんなが持っているのです。自分にも生命があり、その血統を持っているのです。しかし、そのように生命とか愛とか血統を持っていたとしても、それだけではつながらないのです。それを一つに結ぶには、自分一人ではできません。相対者が絶対に必要なのです。何が絶対に必要ですか? (相対者です)。


  すべての存在は愛を求めて相対のために生まれてきた

 それでは、男に対して、絶対希望の真理や目的は何でしょうか? それは何ですか? (女です)。女なのです。女がいなければ、愛も何もないのです。それで、女は引っ込んでいるのです。男は出っ張っているのです。引っ込んでいるものと出っ張っているものを合わせないと、何の用も足さないのです。愛も何も、相対も必要ではないのです。本当ですか? (はい)。朝から「教祖様は凹凸のことばかり真剣になって語っている。いやー、これは何やら専門的な王者である」と思ったら大間違いです。それは、なりゆきの結果そうならざるを得ないのです。それは認めますね。(はい)。

 そうすると、男は何のために生まれたのかと言えば、女ではないのです。凸のものを持って凹のものに合わせるためです。そうでしょう? 愛のために生まれた男が愛を得るには、凹凸が一つにならなければならないのです。女は絶対的に凸を必要とし、男は絶対的に凹を必要とするのです。そうなっているのです。理論的にも、そうでしょう? 気持ち悪いという顔をして見つめなくてもいいのです。また、内心で喜びながらそんなこと言ったら駄目です。それで、男は何のために生まれたかということになるのです。これは、哲学の入門です。人間は何のために生まれたのか分からないのです。それが問題なのです。

 それで、人間と言えば男と女です。男は女に、女は男にかけるのですが、「自分はなぜ生まれたのか」と言えば分かるようになります。自分は何のために生まれたのですか? 男は何のために生まれたのですか? 自分のために生まれたと言えますか? 「男は自分のために生まれたのではない」と、否定しなさい。そうなると、誰のために生まれたのですか? (女のためです)。

 自分を存在ならしめた者は、自分という概念では絶対にないのです。宇宙すべてが、自分が存在するようになった原因は、相対のものが動機となっているということを、思ったこともないのですね。だから、馬鹿なのです。それが原則なのに、その原則も知らないで、「自分は自分のために生まれた」。それはないのです。こういう意味において、すべての存在が愛を求めている以上、それは相対のために生まれたのです。自分のためではなく、相対のために生まれたという結論を公式化させることができるのです。自分という存在は、相対のために生まれたし、生まれた目的は相対のためであるという結論を否定することはできません。それを否定できる男がいますか? みんな黙っているのだから、いないということです。いないことにしましょう、いないようになっているのです。もう、いてもいなくても、いないようになっているのです。

 すべて為に生まれたのです。我々人間は誰しも五官を持っていますが、目は目のために生まれたと言う者は馬鹿です。鼻は鼻のために、鼻が鼻をかぐために生まれてきたと言うのは、おかしなことです。話にもなりません。口が口のために話している。おかしなことです。耳が耳のために聞いている。そんな馬鹿なことはないのです。手は手のために触っている。そんな馬鹿なことはありません。五官すべては自分のためには存在していないということを、はっきりと結論づけることになりました。全部がそうです。それらは、自分のために生まれなかったことが悪いのではないのです。愛のためだからです。自分を尊重するところには、愛は根を下ろしません。大変なことになりました。

 若い者は、「私は美男子だから、女なんか引っ張りだこにするのだ。何人でもいいです」。そうはいきません! 何人ですか? (一人です)。なぜ一人ですか? それが問題です。なぜ一人ですか? 愛は絶対であることを願うからです。本当ですか? (はい)。絶対の反対は何ですか? 無絶対、非絶対、不絶対ですか? ですから、愛をたたえるのであれば永遠無限の愛を、絶対唯一の愛を、存在する者はみんな願わざるを得ないようになっているのです。

 すずめも、春になって、相対的関係を得て巣を作り出した場合には、絶対に離れません。絶対に離れないのです。その期間は共々に保護し、共々につながって、一つになって子供のために活動するのです。それで、巣を作るのも不思議です。アメリカのすずめも韓国のすずめも、日本のすずめも巣の作り方はみんな同じです。「いやー、誰が教えてやったのですか?」。それは不思議なのです。会ったこともない、見たこともないのに、教えられたこともないのに、同じ巣を作っているのです。実に不思議なことです。自分に適用するように、自分に便利な方式で自分の住まいを作っていますが、いろいろ種類が違っているように、みんなそれぞれに自分に合うような住まいを作っているのです。

 それで日本人は、日本人式の家を造るのですが、壁には竹張りをするのです。日本は竹が多いのです。日本の家は木材で造ってあるから、四階でもって揺すれば、動くのです。先生は、その形式を知っているので、風が吹いた場合にも、四階以上は気持ちがいいのです。



 それはそれとして、肉身が問題になりました。存在も解決しました。女はなぜ生まれたのかというと? (男のためです)。男は? (女のためです)。男と女は何で生まれたのですか? (愛のためです)。それでは、愛をなぜ必要とするのですか? それは、愛の主体者を占領するためです。愛の主体は誰かというと、神様です。これは大変なことです。これが宇宙の根源です。存在するすべての理想的根底になっているということです。いくら考えても、さらに考えても、先生以上に考える者はいないのです。今から始めてもです。先生は頭が大きいから、脳みそもたくさん入っているのです。


  半品なる者も愛によって完品になる

 では、結婚は何のためにしますか? 男一人、女一人では半品なのです。気持ちが悪いのです。この美男子のおじさんも半品です。いくら威張っていても、あなたもそうなのです。「これだけよくも言うな、文先生が若かったら、自分の兄さんにすればいいや」と、関心を持っているのです。不思議なことをよく言うなと、そんな人相をしないでください。若い者は駄目です。無礼も、それが千を超えれば失礼になります。百礼の姿勢を保つ男は、どこへいっても歓迎されるのです。

 男は半品ですか、完品ですか? (半品です)。男一人では、完全なる者ですか、半分の者ですか? (半分の者です)。本当ですか? それが分かりましたか? (はい)。大きいことを言ってはなりません! 原則がそうなっているのです。原則に従わない者は落第生です。落第生は永遠に葬ってしまうのです。

 半品なる者が完品になるには、誰が完品にしてあげるのですか! 自分ですか? (相対者です)。相対ですよ! あなたは気持ち悪いですか、そうでもないですか? 完成させてもらうということは、自分がいくら努力してもできないことです。永遠に努力して、永遠に寝ずに休まずに働きかけても、完品には絶対なりません。完品にさせる者は、男においては女です。そこで、一体何が完品にさせるかということです。女と男が一つになって何ですか? 何の喜びもないのです。「こんなことは何だ」と言えば、みんなごたごたになってしまうのです。それは、愛によってのみ可能です。愛によって完品になるということは、理論的に否定できません。そうではないと思う者は手を挙げてください。先生が質問をします。みんな、そうですか? (はい)。

 「そうです」という言葉ですが、せっかく韓国に来たのだから韓国語を一つ覚えていきなさい。「そう」といえば、「牛」ということです。(笑い)なぜ牛を紹介するかというと、牛は奉仕と犠牲を表すのです。牛には、捨てるものは一つもないのです。糞も、砂漠では薪として大変貴いものなのです。それを知っていましたか? 糞も必要とするのです。砂漠には木などないのです。それ(糞)しかないので、乾かしておけば、御飯も炊けるし、生活の方便にもなるので、それは貴いものです。



 そうなった場合に、それを完成させるものが愛というものです。では、愛は自分より劣るものですか、優る者ですか? (優るものです)。そうなると、愛に従っていけばいいのですか、愛を引っ張っていけばいいのですか? これは真剣なことです。あなたたちは愛を引っ張っていくのですか、愛に引っ張られていくのですか? もし引っ張っていったら、自分勝手にするだけです。それは簡単なことでもありますが、大変なことなのです。平和の希望が、そこにつながっているからです。

 絶対なる愛に引っ張られていくところに、絶対完成が可能になるのです。男もそうです。これは、理論的にも否定できないことです。半品が完品になるのは、男でもなければ女でもないし、凹凸そのものでもないのです。それを、そのようにされた主体なる愛があるのです。それは、理論的にも否定できません。

 そうですか、そうではないですか? この者たち! 愛を自分のもののようにしてきた者は、悪い者ですか、良い者ですか? (悪い者です)。知っていることは知っているのですね。だから、あすからは、きのうまで知っていたすべてを転覆していくのです。愛を引っ張りだこにしようとする者は、愛の泥棒です。泥棒というのは、自分の物ではないのに、自分の物のように使おうとすることです。それを泥棒というのです。愛の泥棒になりたいですか、なりたくないですか? (なりたくないです)。

 今までは、愛の泥棒をやってきたのですか、やってこなかったのですか? (やってきました)。率直は正直に通じます。許されます。裁判長の前に判決を待つ者が従順率直だった場合には、情けの具合でもって刑量を半分にも、三分の二にも、無罪にも変更できるのです。「いやー、かわいそうに思えるこの死刑囚は、駄目であっても同情すべき余地は十分にある」と思って、もし裁判官が「無罪である」と言い出したとすれば、無罪になるでしょうか、ならないでしょうか? (なります)。それと同じことで、率直は正直に通じるという話は理にかなうということです。

  すべてが愛を中心とする

 さて、今からは愛に絶対引かれていきたいですか、絶対思いのままに愛を引っ張っていきたいですか? そうなれば、男は女にプロポーズして、自分に惹かれさせる行動をするのがいいですか、黙っていても、向こうから惹かれてくるのがいいですか? (惹かれてくるほうです)。

 君たち、電車の中はいつも朝夕は満員でしょう。先生も学生時代は大変だったから、今でも大変でしょうね。特に暑い時は、死ぬことも殺すこともできないのだから大変です。そこで女の子と男の子の尻が触れ合った場合には、女の子の尻に手を当てたいですか、当てたくないですか? (笑い)おじいさんもそうだったのですか? もし、そうでないと言う人は男ではないのですね。それは例外の者です。その時は、たった一つ条件が必要です。「すみません」という言葉です。「すみません」と言う者は、勝手にすることができないのです。それが事実です。前提条件が「すみません」です。男というものは、女の子の尻に関心を持たざるを得ないのが自然的現象です。だから「すみません」と言うのです。だからといって、悪いことをやっては駄目です。

 そういうことを考えながら、自分の相対者を求めて、自分の奥さんにしましたか? 勝手に脅迫して、金の条件、知識の条件、権力の条件をもって夫婦になったのであれば問題になります。自分の良心は、自分のやってきたことを知らないはずはありません。完全に知っているのです。自分のやってきたことを知らないような良心はないのです。そうですね? 皆さん、良心をだましてきたのですか、だませなかったのですか? (だませなかったです)。そのようにして、いよいよ困難なる根底が極められていくのです。

 人間はなぜ生まれてきたのか、分かりましたか? (はい)。男はなぜ生まれてきたのですか? (女のためです)。女はなぜ生まれてきたのですか? (男のためです)。それでは、男と女が生まれてきた目的は何ですか? (愛のためです)。愛をつくるにはどうすればいいかというと、決死的に生命をかけて凹凸を合わせなければならないのです。絶対的に愛にとらわれていかなければならないのです。それは罪でしょうか? 罪ではないのです。為に向かい合うのです。自分のためではないのです。相対のために向き合うことは、絶対の宇宙の保護圏、存在圏万歳ということになるのです。分かりましたか? (はい)。

 それには、「男性生殖器を守れ」と言うのです。(こういう話も)男同士だからいいのです。生殖器は誰でもみんな持っているのです。隠すことはありません。話さなくても、みんな知っているのです。あなたたちも、みんなそうでしょう? 相手が女だったら喜ぶのですが、朝から晩まで男同士でデートするとすれば、気持ちが悪くなるのです。しかしデートする相手が女であれば、たとえブスさんでも気持ちが悪くないと言うのです。それが気持ち悪いとなれば、大変なことです。

 自分のお母さんが全部、美人だという結論はつけられません。最も醜いブスさんだとすれば、どうなりますか? 「嫌な顔したお母さんだ」と朝から晩まで、幼児から青年までも嫌だと言うのですか? どう思いますか? 「お母さんの顔がああだから、私は嫌だ」と言うのですか? 「あんな顔を持ったお母さんのお乳は飲まない」と言うのですか? 「御飯を炊いてくれるのも嫌だ」と言うのですか? (言いません!) 顔が問題ではありません! お母さんには顔より素晴らしい愛というものがあるのです。愛によってすべてがオーケーです。万事がオーケーです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。

 統一教会のメンバーは、こういう理論的な立場に立っているので堂々たるものです。恥ずかしいことはないのです。先生も神様も、その基準に立った場合には攻撃するのです。主体的な立場で、客体が主体になるようなことを堂々とやっても恥ずかしくないのです。天下無敵で、恐れるところはないのです。ですから、天下一品になるのです。

 哲学入門において、人間はなぜ生まれてきたのか分からなかったのです。自分はなぜ生まれてきたのか? それが分からなかったのです。金、金、金ですか。学校、学校ですか。勉強、勉強、勉強ですか。それから何ですか? 権力ですか。出世、出世、出世ですか。それをやったとして、何をするのですか? 自分では完成されません。愛を中心として完成するのです。人間は、男女のことだけではないのです。すべて愛を中心としているのです。分かりますか? 「この者!」と言っても失礼ではないのですね。みんな先生の孫みたいな年齢だからです。分かりましたね? (はい)。

 ですから男は、女を完成させてあげる必要があるのです。女は男のために生まれてきたからです。めちゃくちゃにしては駄目です。自分のために生まれてきたのだから、女が半品になっているのを完品にしてあげなければならないのです。傷ついた完品ではなく、完全なる完品にしてあげるのです。朝、夕、生涯をかけて喜ぶような、自分を「完品の完品だ」とたたえるような女につくりあげることによって、男自体も共に完品になるのです。気持ちが悪いですか、気持ちがいいですか? (気持ちがいいです)。

 朝は寒くて気持ちが悪かったのですが、先生の話を聞くことによって気持ちがよくなり、蕩減復帰になりました。だから寒気が残るのではなく、うれしい気持ちが今から始まるというのです。そうですね? (はい)。では笑顔を見せてください。「キムチ、キムチ」と。笑顔で「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ」と、やってみてください。「ハッ、ハッ、ハッ」と、子供みたいにです。

 すずめも朝になれば、陽気になるのです。朝日が昇ってくると、どんなに夜が寒かったとしても「朝日だ! チュ、チュ、チュ、チュ。チュ、チュ、チュ」と連呼するのです。みんな若いすずめも「チュ、チュ、チュ」。老いたすずめも、「チュ、チュ、チュ」と。あすは死にそうなおじいさん、おばあさんすずめも「チュ、チュ、チュ、チュ。チュ、チュ、チュ」と、歌いながら死んでいくのです。

 そのようにみるとき、きょう気持ちのいい笑顔をした者は、あすは日本で一生の道を残すのです。日本の地に行って、その生涯に悲哀がないように、喜びあふれるように生きていかなければならないことを決心したいですか、したくないですか? (したいです)。したい者は手を挙げてください。(はい!)。

 ワー、ワー、気持ちが悪いや。何だ、こんなにいいことを教えてしまって、先生はみんな取られてしまって大変です。みんな教えてやって、何もなくなってしまったら、また勉強しないといけないので大変です。だから「大変だ!」と言うのです。

 みんな指導者という者は、そういう面において困ることがあるのです。みんな教えてやった場合には、後はどうすればいいのか、方便では続かないのです。みんな分かるのです。「いやー、昔はこんなに立派な先生だったのに、今はもう底が見えて大変だ。自分たちの主体にはなり得ない人だ。うーん」と、嫌がるのです。だから、「大変だ!」と言うのです。

 これで、完成品になる道が分かりましたね。ですから、男は女を完成させてあげなければならないのです。女は男を共に完成させるそのものが何かというと、愛という仲介物です。中心になって紹介するものです。分かりますか? (はい)。それは、自分のものではないのです。それは相対的なものであり、それは完成させるものです。理論的には分かりましたね? (はい)。後で文句を言っては駄目です。「そういったことを決意したのだけれど、知ったことは知ったのだけれど、仕方なくこうなりました」。そんなことは通じません。それは、人間ではないのです。自分自体を持つようになれば、存在を否定したのだから、宇宙圏、無力圏に追い出されるようになるのです。死亡になるから、無用になるから落ち葉にならなければならないのです。

 そういうことが分かることによって、脱線がありそうですか、なさそうですか? それがはっきりと分かることによって、夫婦共に脱線がありそうですか、なさそうですか? (なさそうです)。なさそうですか、ないですか? (ないです)。そうですか? 君たちは、なさそうという道をとりますか、なったという道をとりますか? (なった道です)。いやー、美しい顔です。要は、なったという心配をすればいいですか、しなければいいですか? 入学試験には合格しそうか、そうでもないか、分からないのです。なったとすれば、心配はありません。

 夫婦一体になって、理想的な愛の主体になって、永遠の理想に向かって進んでいくに違いないという自信を持った場合には、生涯に憂うことはないのです。心配になることはないのです。もう既に合格しているからです。それで、合格証明書はどこでもらうかというと、それは夫婦関係の本場で、愛の本場でもらうのです。夫婦が凹凸で一つに完全になったか、完全にならなかったかということによって、証明書をもらうか、もらわないかということです。永遠の基準においての証明書を、自分が書いて判子を押すのですか? それでは泥棒です。詐欺師です。(笑い)おー、笑わないでください! 真剣なことです。これは、笑うべきことではないのです。真剣なことです。


  全体のために生きるところから天国が生まれる

 いやー、よくも文先生はそこまですべてを開発して、要点をきれいに整理してくださった、誰でも否定できない一方きりの道を行かざるを得ない自信圏を授けてくださったということは、感謝ですか、不感謝ですか? (感謝です)。

 自分なりに男として考えることがあるでしょうが、それでは駄目です。自分で決めても通じません。奥さんが決めてくれる以外は駄目です。分かりますか? (はい)。証明書は自分が書いて、その保証書は奥さんが書くのです。自分は見物するのです。そうか、そうではないか判決をもらうのです。それを聞いた場合に、「ワー、私は以前からそういうふうに思って、そういう道を通って合格です。もうそれ以上、先生は言わなくてもよろしゅうございます」と言えますか、言えないですか? あなたはどうですか? (言えません)。あなたはどうですか? (言えます)。「言えます」と言うのだから、分かっていないのです。はっきり聞いていてください。分かりましたね? (はい)。

 自分を中心として悩む者は、馬鹿と言うのです。相対のために悩めば、それは善なることであり、いいということになるのです。どこへ行ってもです。みんな完成された者は、自分と離れていかないのです。自分が主体の立場に自然と定まれば、良いものが周辺を囲んで、垣根みたいに自分を保護してくれる環境をつくることができるのです。自分を主張した場合には、穴ばかりが深くなるのです。大部分の人が自然的に埋められてしまうのです。

 このように考えれば、心配することはないのです。朝から晩まで一日中、全体のために生きた場合には、そこから天国というものが生まれます。本当ですか? 考えてみてください。そこでは奉仕して、犠牲になる者が中心者になります。これは鉄則です。

 ある家族に十人の食口がいたとすれば、おじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、姉さん、兄さん、お嫁さんたちが十人いて、その中で一番年の若い孫娘がいたとして、年は十六歳くらいで何も世の中の体験はないのだけれど、おじいさん、おばあさんに奉仕し、犠牲になり、お母さんや姉さんにも、そうした場合には、おじいさん、おばあさんも自分の秘密の相談相手にするのです。

 「いやー、誰にも知らせていない私のものをあなたに保管してもらいたいのです」と言ってくるのです。そうでしょうか、間違いなくそうでしょうか? (はい)。違いますか、違わないですか? (違わないです)。これは大変なことです。歴史が否認しても、それを零にすることはできないのです。おじいさん、おばあさんも、その秘密を娘に、お母さん、お父さんも、その秘密を娘に保管させたいのです。兄さん、姉さんも、みんなそうなのです。悪いことばかりではなく、いいこともみんなそうなのです。隠しておきたい貴い自分の宝物があった場合には、「あなたが保管してください」と言うのです。

 三年くらい保管してあげて、自分よりもっとよく保管していた場合には、「いやー、自分のもののように思ってもいいですよ」と言うのです。それで三年、四年と保管して、欲を捨ててどんなに困難な時でも、それを売って使おうなどとも思わず、大切に保管した場合には、「ワー、主人になる者は、私みたいな者ではなくて、あなたのように奉仕して犠牲になる者です」と言うのです。

 そうなった場合には、良心の命令によって、「自分のものと思うな、その資格はない。幼子のような娘のものとして定めたほうが損にはならない。この世の中の貴いものは全部、何も知らない幼子のような娘にやったほうが、貴いもののために尽くした最高の基準が立つ」と、そういう理論が成立するのです。だから、自動的に奉仕して犠牲になる者が中心になるのが鉄則であるという結論が提議されても、不満者は一人もいなくなるのです。

 愛国者という者は、国のために奉仕して、奉仕して、奉仕して、自分の生命までも惜しくないと、生命を捨てて、また生命を捨てて、復活しても一回だけではなく、二回、三回以上続けて、奉仕して犠牲になるという場合に、その人が愛国者の王者になるのです。

 怪我も一つよりは二つ、もっとあれば、さらに愛国者になれるのです。そういう者が十人いた場合に、目玉を取られていない人の中では、一つでも目玉を取られた人のほうが一番の愛国者になるのです。目玉を二つ取られた人がいれば、その人のほうが一番です。目玉を二つ取られて、鼻が潰れた場合には鼻の潰れたほうの者が一番です。さらに口が半分なくなった人がいれば、そのほうが一番です。傷が多ければ多いほど、中心者になっていくのです。それは奉仕と犠牲を象徴するからです。

 こういう理論は、歴史を中心として正統であると認めてあげなければなりません。このことは、誰でも実感的に承認できる内容の話です。そうですか? そうではないですか? (そうです)。君たちも中心者になりたいですか、なりたくないですか? (なりたいです)。犠牲と奉仕者にはなりたくないのですね?(なりたいです)。「最高の者になる前に、犠牲的奉仕者になれ」と言うのです。その環境圏に五〇〇〇名がいたら、五〇〇〇名全体の犠牲的奉仕者になれば、主体にならざるを得ないのです。中心者になるのです。間違いないですか? (はい)。

 文先生は朝からよくしゃべって、そういうことを認定させられて気持ちが悪くても、仕方がないというのです。それは原理公則であり、原理原則だからです。原理原則は万年 覆 すことができないのです。それに相応しないと、相対的価値とか存在の位置を得ることはできないのです。それは絶対的に、認めなければならないのです。絶対的に認めますか? (はい)。

 このごろの若い者は、「人のために尽くすなんて、そんな馬鹿なことをする道理はどこにあるのか? 人のために尽くす時間があったら、自分のために尽くせ」と言うのですが、そうやった場合には、二十人の友達がいても、一年以内には半分が去っていきます。二、三年たった後には、二十人どころではなく、みんな影も形もなく消えていきます。分かりましたか? (はい)。「ブー、ブー、ブー」と、そうなりますか、ならないですか? 間違いなくそうなるのです。

 しかし、二十人の友達を中心として一つになって、最も奉仕して、自分の友達を連れてきても奉仕して、自分の子供を連れてきても奉仕するようになったら、その人を中心として高まっていきますか、固まっていきますか、散っていきますか? (固まっていきます)。その人は中心者になり、もっともっと高い中心者になるのです。これは既に証明された話です。否定することなど、永遠にできないことです。それでは、この題目を中心として、奉仕、犠牲になる者は絶対に中心者になるということを証明しますか、しませんか? (します)。では両手両足を挙げて誓いますか? (はい)。


  中心者の三大要目

 人間たるものは何代続いても、そのような心を持つのが自然の原則であり、自然の法則です。ですから、その自然の法則に従うような良心は、そのようになさざるを得ないというのです。悪い者は宇宙が処分してしまうのです。みんな、残りたいですか、死にたいですか? (残りたいです)。残っても、屑みたいに残りたいですか、中心者として残りたいですか? (中心者としてです)。いやー、私は君たちに勧めます。屑みたいな者として残りなさい。そうすれば滅亡するのでしょうか、復興するのでしょうか? (滅亡します)。中心者になった場合には、復興しようなどと思わなくても自動的に高まっていくのです。

 さて、この現代の青年たちはどうなるのでしょうか? みんな自分のため、個人主義で自分のためにだけ働いているのですから大変なことになります。その者は、中心の主体圏を持つことができないから、どこへ行っても成功しないという、はっきりした結論になります。

 それでは、二十歳以下の若者は手を挙げてください。いないのですか? 二十五歳以下は手を挙げてください? (はい)。君たちは先生の言うとおりに生きるのです。自分を中心として生きるようなことをしていては駄目です。奉仕して、犠牲になった場合には、学問がなくても、知識がなくても、金がなくても、権力がなくても、その部落の中心者の立場に立って指導することができるのです。自分が動くとおりに歩調を合わせるのです。分かりましたか? (はい)。間違いないですね? (はい)。

 中心者になった場合には、三大要目がついてくるのです。それで統一教会の中心者は誰ですか? (お父様です)。文先生だとしても、文先生はあなたたちに教えるだけであって、文先生が何もしないとすれば、悪い先生ですか、良い先生ですか? (良い先生です)。率直に言ってください。悪い先生であれば、先生でも何でもないのです。それは秋になって、落ち葉となり肥料として集められて流れていくだけです。肥料になるのです。枝にはなれません。分かりましたか? 全部が枝として全存在の木に奉仕して、犠牲になって、いいものを全体に送れば、それが枝になるのです。

 「為に生まれてきた」という、為の哲学が分かるようになりましたか? (はい)。それで鉱物世界から植物世界まで、花が咲く時に、その花は色とりどりになりたいという思いはなかったのです。なぜ色をつけるようになったのでしょうか? 青い葉っぱばかりではないのです。青い花を見たことがありますか? そんなことを考えて、関心をもって探したこともないのですね。青い花を見たことのある者は手を挙げてください? (はい)。何が青い花ですか? (カーネーションです)。カーネーションが青いですか? 本当の青い花を見たことはないのですね。先生はたった一度だけ見たことがあります。青い花がどこにあるのか探してみたのです。それは、本当の青ではないのです。ぼやけた青です。本当の青はないということなのです。ないのです。

 自然は、みんな分かるようになっているのです。何ですか? (トラジがあります)。トラジが何で青ですか? あれは紫なのです。(笑い) だから、自然はみんな知っているのです。「いやー、青い花は必要ない」ということを公式として、みんな知っているから自分なりに変わった色の装いをして、ちゃーんと誇っているのです。「蝶よ、飛んで来い」と言わなくても、蝶は飛んで来ざるを得ないのです。そこで、為に生きていれば、蝶が愛の相対や蜜を願えば、そこにたどって来ざるを得ないのです。それが分からないといけないのです。

 そのように、花も美しく、だんだらな色をしているし、その香りも豊かで、いろいろの香りを持っているのです。それで、花を見てやって来ることのできないものは、香りで探してくるのです。このようにして、すべて為に生きる内容を中心にした場合には、訪ねてくる者がたくさん増えていくようになっているのです。分かりましたか? (はい)。

 全体のために、為になるような内容をたくさん持っていたとすれば、人々が寄ってくるのは当然のことです。文先生の話は、為になる内容がたくさんあるので日本人も、黄色人も、白人も、それから黒人も、みんなやってくるのです。老いも若きも、今にも死にそうな者もやってくるのです。

 先生の話を聞いていて、気持ちの悪いことがありますか、ないですか? (ないです)。帰ってから不平を言う者はいませんか? (いません)。顔立ちも素晴らしい美男子のタイプをしていても、先生の口は素晴らしいほどに、悪いことばかりを言いました。凹凸のことをたくさん言いました。ですから皆さんが淫行のチャンピオンみたいに思っているとしたら大変です。男性生殖器も、男のために生まれてきたのではありません。では、誰のためですか? (女のためです)。その女のものは何と言うのですか? (笑い) あー、先生は分からないのです。その名前が何か分からないから、日本人に聞く以外にないのですが、女に聞けば逃げていくので、仕方がなく、男に聞かなければならないのです。たくさんの男たちに、信頼できる男たちに聞くのです。女のそのものは何と言うのですか? (至聖所です)。

 そのものが悪いと思ったら、大変なことになります。宇宙すべてを総括しているお母様、お父様みたいなものです。それが本源なのです。大元です。アダムの本来の結婚式は誰の結婚式でしたか? (神様です)。「いやー、そんなことを言い出したのは歴史始まって以来のことであり、文先生は悪辣なる者だ」と、たたえるにふさわしい宣言です。神様が堕落したアダムと一つになって、人間のお父さんの立場に立つのです。それはめちゃくちゃな話ではないのです。きちんと理論に合っているのです。それを説明するには、時間がないのです。きょう教える教科書以外のことだからです。この時間に、その教科書の話をした場合には、本来の教科書の内容を教えることができないから、やめてしまうのが礼儀なのです。

 それを知りたいですか? (はい)。では、この次にも、またこういう集会に来ますか? (はい)。来たいですか? (はい)。


  神様を完成させるのは、相対の愛を持つ者である

 今まで自分を主張してきたことは、失敗の生涯です。そういう結論になりました。「今からの勝利の生涯はいずこにありや」と言った場合には、自分を主張するのではなく、自分を叩いて奉仕して、犠牲にして、全体を高めたたえる生活です。それは、勝利の生活になりそうですか、なりますか? (なります)。間違いないですね? (はい)。本当ですか? (はい)。先生もあなたたちの後ろについて行きながら、バットを持って監督して、尻も叩きますよ。(はい)。そうしてもいいですか? (はい)。いやー、みんなはいいことを約束しました。分かりましたか? (はい)。

 男と女が共に完璧な完成品になるには、愛がなければなりません。生理自体、構造自体を中心として、先生の論法を否定することは絶対にできますか? (できません)。おじさんもそう思いますか? (はい)。いやー、えらいことが起こりました。大変なことです。これが分かったら、一家を率いていく父親として恥ずかしくないのです。先祖に向けても、全世界に向けても、後孫に向けても、一つも恥ずかしくないのです。神様の前に堂々たる者になるのです。天国の王子様になる道に間違いないのです。間違いないのです。みんな、一つ言ってみてください。(間違いないです)。本当に間違いないですか? (間違いないです)。だから死んでも実行するのです。(はい)。

 先生がそう言えと言うので言ったとしたら、それは大変なことです。為に生きる者は、先生に責任をかぶせるのではなく、自分で責任をもってやっていくところに独自の所有権が決定されるのです。先生に責任をかぶせた場合には、所有権を半分に分けて、先生にあげなければならないのです。分かりましたか? (はい)。

 神様は絶対に、相対のために存在するというのです。そのような神様が主体だとすれば、あなたたちは、その主体の前に、絶対なる相対者になりたいのなら、生まれる動機からその生涯を終えて死ぬまで、永遠にその公式にも当てはめてしまうことです。そうなれば、その者は神様が収穫して、宝座の横に連れていって飾り物にすることができるというのです。大変なことが分かりました。いやー、先生はそれを教えてやったので、寂しくなってしまいました。先生が持っている内容を共に千万人が持つことを喜ぶのが神様ですから、そのようになった場合には、先生にはすべてがなくなっても神様と共に抱き合って、喜び踊るようなことになれば、それですべてが終わるのです。すべてが成るのです。すべてが完成するのです。神様が自分のものになるのです。

 共産党は今まで「自分のものは自分のもの。あなたのものも自分のもの」と言ったのです。そこには相対的観念がないし、為に生きる何もないのですが、統一教会では「自分のものは家族のもの」です。これは、家族に投入するからです。「家族のものは氏族のもの」です。氏族のものは? (民族のものです)。民族のものは? (国家のものです)。国家のものは? (世界のものです)。世界のものは?(天宙のものです)。天宙のものは? (神様のものです)。そして、神様のものは、私のものになるのです。なぜかというと、 自分がそうすることによって、絶対的な神のひとり子の相対者として立つからです。神様を完成させるのは、何者でもないのです。国でもなく、宇宙でもなく、天宙でもなく、相対の愛を持った者であるというのですから、私に違いないのです。ですから、「神様のすべては私のもの」と言っても、理論に外れるようなことはないのです。理論的に合っていますか、合わないですか? (合っています)。

 ですから、あなたたちは思想家になり、思想的な人間になりたいとは思いませんか? 思想といえば、個人の思想、家庭的思想があるのですが、氏族、民族、国家というようになった場合には、思想がみんなめちゃくちゃではいけないのです。方向一致をさせて、個人の思想は家族の思想として、家族の思想は国家、世界、天宙、神様に通じる思想となった場合には、生涯なし得たすべてが零になることはないのです。すべてが生きているのです。過去にやったこと、個人レベルでやったことが、世界レベルに上がったとしても、みんな世界のどこかで生きるのです。

 天宙のために生きて神様と一つになった場合には、神様と共に生きるのです。ですから、神様の愛と人間の最高に願う愛が一つになった場合、全天宙が愛のために生まれているので、すべてが自分と神様と一つになった基準を中心として、回ればその方向に、触れればその方向に歩調を合わせて一つの宇宙になるという結論は、理論的に矛盾していないのです。だから、神様のものは自分のものになるので、その方向に直行して動くのです。地域的ではないのです。

 統一教会はそういう思想を持っているのです。恐ろしい思想です。神様のものが自分のものになるまで働きかけるのです。奉仕して、犠牲にしていく者が、その中心者にならざるを得ないというのが理論的な結論です。方便的な結論ではありません。何の結論ですか? (理論的な結論です)。理論的に正々堂々たるものであり、万民すべてが公認し、宇宙すべてが服従しなければならないし、神様絶対圏の立場に属することができるものです。それで、あなたたちの良心も、それに向けて走っているのだけれど、どのようにすれば、そこに到着できるかということが分からなかったのです。

 自分を中心として、欲張って走ればできると思ってきたのは間違いです。相対圏のために投入することによってできるのです。相対でなさないかぎり、上がることができないのです。相対理想圏で一つにならなければ、中心の穂先は大きくなることがないのです。東西南北が平均をとって、枝が平均的に大きくなるので、穂先が真っすぐになるようにです。幹のほうだけでは、これが曲がってしまうのです。

 神様は人間の根っこの根っこであり、幹です。人間は穂先なのです。それで真っすぐにならなければならないのです。真っすぐになるところに、木としての存在の絶対的意義があるのであって、それが曲がりに曲がっていたら大変です。曲がりに曲がった幹は枝よりも長いので、それは駄目なのです。枝と幹は相対関係で一つにならなければならないのです。曲がりに曲がった場合には、枝より長いので主体の資格はないというのです。ですから、すべては真っすぐに存在するのです。

 この前、先生はアラスカでびっくりすることがありました。アラスカの木は、斜傾に立っているのですが、九十度には間違いないのです。その半分が潮の波によって砕かれてしまっても、崖に乗っかって立っている木は枝を張るところがないので、みんな向こうに張っていって、幹は並行になっているのです。逆で、まるっきり反対です。それは誰が教えてやったのでしょうか? 生まれながらに存在し得る動機がそうなっているのです。木がそんなに真っすぐになるように、万物の霊長は、それ以上に真っすぐにならなければならないという結論になるのですが、あなたたちはそのように真っすぐになっていますか? (いません)。良心が正しいという話はよく聞くでしょう? 良心が正しいという話は、横たわって平行線になったことを言うのではないのです。真っすぐなことをいうのです。ですから、動物の世界で立って歩くのは、人間以外にいないのです。

 男は胸を張って、下を向くべきですか、上を向くべきですか? (上を向くべきです)。本当ですか? 高尚なる理想を持って、高い所へ向かっていくのが男の本分です。女はどうですか? 女は胸を張って上を向くべきですか、下を向くべきですか? いやいや、やっても仕方がないのです。子供を孕んだ場合、こうならざるを得ないのです。(先生が上体をかがまれる)子供に教えてあげる時は、このように、腹の中から教えてあげるのです。万物を尊重することに謙遜で、すべてを高めていくような姿勢をとって教育しているお母さんであることを知らないのです。もしも日本の学校教育の教科書を先生が指導していたならば、日本は滅びないし、大東亜戦争でめちゃくちゃにはならなかったのです。分かりましたか? (はい)。

 男は肩が広いし、女は尻が大きいのです。電車なんかで、女が三人座ったら大変です。その中に男が座れば、四角い箱みたいにぴったりしてクッションがいいのです。男は骨なのです。女は肉が多いからクッションがいいのです。ですから生まれる時、骨はお父さんから肉はお母さんから受け継ぐのです。主体・客体の観念がそうなっているのです。それは、宇宙の原則に従った存在の姿勢であり、実相なのです。それらをみんな分かることによって、正しい人間になれることは間違いないのです。

 ここに来たのは、正しい人間になるために来たのですか、めちゃくちゃな人間になるために来たのですか? (正しい人間になるためです)。今は正しい人間になるような教育の時間ですか、不正な人間になる教育の時間ですか? (正しい人間になる教育の時間です)。本当ですか? それでは、感謝していますか? それでは、感謝して、「ありがとうございます」と言ってみてください。 (ありがとうございます!)。本当に言いましたね。(はい)。日本に帰って、「先生がやらせた。先生が言えと言ったので、そう言った」と言うような、そのような駄目な人間ではないのですね。分かりましたか? (はい)。これ以上、もう言わなくてもよくなりました。

  結婚は共に完成するためである

 結婚はなぜするかというと、男は女を完成させるためであり、女は男を完成するためです。では、何をもってするのですか? (愛をもってです)。愛をもって絶対的になすには、絶対的に凹凸を一つにさせなければならないのです。それでは、旦那さんが男として女に近寄るのは何のためですか? それは凹凸を合わせるために近寄るのではなく、完成なる愛を成立させるためだということを思って行動しないと、大変なことになってしまうのです。分かりましたか? (はい)。前後が逆さまになったら、悪い者になるのです。

 手にも、表裏があるのです。神様から見た場合には、これを先に見せますか、(先生が手の甲を上にされる)こういうふうに見せますか? (手のひらを上にされる)神様に手を出す時、こう出しますか、こう出しますか? (先生が先に手の甲を上にされ、次に手のひらを上にされる)なぜかというと、神様は内のほうにいるからです。内のほうです。手を握れば内のほうです。こう考えると、子供の時は、こういうふうに握りますか、こういうふうに握りますか? (先生が両手で、まず親指を中に入れてこぶしをつくり、次に親指を外に出してこぶしをつくる)この中にお医者さんはいますか? 親指を外に出しますか、中に入れますか? お医者さん、どうですか? (中に入れます)。あなたは実験してみたのですか? (――)それでは偽のお医者さんですよ。(笑い)

 万物は自分の姿が何たるものかを表示することによって、自然世界で堂々たる姿勢をとることができるのです。これは、神様の二性性相のことをいうのです。(先生が親指を立ててこぶしをつくる)統一教会は、よくもこのことを発表したものです。神様は、「ナンバーワン」と言って、こうするのです。ナンバーワンはこうやるのですか(先生が小指を立て)、ナンバーワンはこうやるのですか(親指を立てる)。これは何を表示するかというと、(親指が)神様の相対となって、(ほかの四本の指が)一つになるということです。これが二性性相です。それ(親指)を中心として三掛ける四(先生が四本の指を示される)イコール十二。十二か国で、宇宙の回転の中心として位置しているのです。こういうことを話すと限りがないのです、時間がありません。分かりましたか? (はい)。

 ですから、水中時代から子供だに神様を持っているのです。そういう伝統を忘れて、神様を何ですか!「神様は死んでしまった」と。お父さんが横に座っているのを知らないで、「死んでしまった」と言う言葉以上の親不孝はないのです。神様が間違いなくいたとするならば、その方がお父さんであったとするならば、それを知らなくて、また知らないふりをして、親孝行者になれますか? (なれません)。親不孝なる者は、親の所に立ち寄ることができません。ですから反発して、遠い所の地獄に行かざるを得ないのです。理論的に、みんなそういう結論になるのです。

 それでは、絶対に凹凸をぴったり一つにしたいですか? 隙間をあけて、がたがた一つになりたいですか? (ぴったりです)。ああ、笑ってはなりません。真剣なる結論として答えなければなりません。今まで、がたがたと不真剣にやってきた者は、今からは、がたがたしてはいけないのです。絶対真剣の立場で、絶対一つになるようになっているのですから、絶対男、絶対女は、絶対凹凸が一つにならざるを得ないのです。なぜかというと、絶対なる愛を占領するためには仕方がないのです。そうやって、何をするかというと、愛を共に占領するのです。それは二人の愛なのです。絶対愛なのです。

 愛は誰がつくったのかというと、神様がつくった絶対なる相対圏の愛なのです。その絶対愛に一つになったのだから、絶対一体になれるのです。ですから、あなたたちの良心を愛だとすれば、夫婦が肉体となり、心身一体です。心を主体として、絶対に二人が一つになれば、夫婦一体人格です。それが完成人格なのです。

 それを見た時、神様は初めて「いやー、自分を主体として、相対のモデルの凹凸が一つになったならば、一つになった人間は愛完成体になる」と。そうなった場合には、誰が必要かというと、人間が必要ではなく神様が必要なのです。愛の元が神様だからです。しかし、神様には相対圏がないのです。神様自体も為に生きるような立場なのです。いくら自分が絶対に高いとしても、どんなに人間が低いとしても、絶対なる愛の相対としては、何億万倍も無限大の相対を願うようになるのです。ですから神様自体も、絶対に為に生きる立場の愛を注入してくるのです。神様自体も相対のために愛を注入することによって、為に生きる理想の哲学の根底が、人間も完成し、神様も完成する道が、理論的に可能であって、それ以外には神様完成、人間完成の愛の理想絶対圏は生まれてきません。

 結婚は共に完成するためであり、その完成は愛と一つになることです。その愛と一つになり、心身一体、夫婦一体になったとすれば、神様の元の観念の愛が夫婦共々に実るので、その実った実体を神様は相対として求めざるを得ないのです。それ以外には存在しないのです。万物の霊長たる人間以外にはないというのです。

 そうなった場合には、神様がそこにプロポーズしてくるのです。誰がプロポーズしてくるのですか? (神様です)。精誠を尽くしていれば、主人は必ず立派なものとして取り入れて、自分のもとに迎えてくれるのです。だから、愛の目的は神様を完成させるとともに、神様を占領するためだという結論になりました。これは否定できません。

 結婚の道は、荘厳厳粛な道です。今まで世の中は、男と女がたくさんの問題を起こしてきた過ちの本体だった者が、厳粛に為に生きる思想でもって一つになることによって、すべての問題が隠れて消化されていくようになるのです。この世の中は、自分のために生きるという観念に固着されたために、問題がたくさんに起こってきたのです。もともと為に生きるという思想、為に生きるという全体感覚、作用自体もそのように活動するということを知った場合に、その世界は、問題の世界になりますか、喜びの世界になりますか? (喜びの世界です)。「天国は、喜びの世界である」という天国概念を植え込んでも、不平を言う者はありません。そのとおりにつながるのです。地上でそのとおりにつながるのだから、「地上天国の出発だ」と言っても、それは無理な結論ではないのです。正当な結論として受け入れざるを得ません。そうですね? (はい)。

 「そう」は、韓国語で何と言いましたか? (牛です)。牛は奉仕と犠牲の王様ですね。それに従っていけば天下を治める貴い者になると言うのですから、「そう」を覚えておきなさい。帰っても「そう」「そう」です。日本は一日中「そうだ」「そうだ」と言うのですが、それはパンを作るソーダではありません。韓国の犠牲的な標題なるものを簡単に言ったものが「そう」だと思って、自分を固めていけば利口な男になるに違いありません。(はい)。分かりましたか? (はい)。奉仕とは何ですか? (犠牲です)。

  サタンも絶対愛の神様には絶対服従する

 それでは、それをもう少し、一歩突き詰めて神様に立ち入って示した場合に、神様とは一体どういう方かというと、宇宙の出発になる動機の方です。それは否定できません。そうだとすれば、神様を中心としてみた場合に、注入する考えを持った方でしょうか、投入される方でしょうか? 投入は自分をなげうって、引き出して投入するのであり、注入は引っ張りだこにするのです。引っ張りだこにした場合には、永遠に神様は一人ぼっちになるような結論になるのです。相対も何も生まれてきません。相対であったものも、みんなぺちゃんこになります。分かりますか? (はい)。ですから、絶対なる神様がいて相対圏を願うのであれば、自分を裂いて投入する道を行かなければならないという、理論的結論になります。

 宇宙の中心の創造主が神様だとすれば、投入によって始まったと思いますか、注入を考えたと思いますか? (投入です)。間違いなく投入から出発し、宇宙の創造、宇宙の発生が始まったということは理論的にも否定できません。ですから、投入をすることにおいても、自分のための投入ではないのです。これは、神様の特権の存在圏を決定するものであり、相対のために投入するのです。自分のためではないのです。

 ですから、億万倍の価値を神様が願うとすれば、百倍にも相対が優ることを願うとすれば、一〇〇を投入しても、一〇〇を投入したことを記憶していたならば、さらに一〇〇〇を投入することができるでしょうか? (できません)。一〇〇を投入したので、胸から鼻まできてしまうのですが、一〇〇〇であれば半分で済んでしまう、ということになるのです。ですから、愛というものは無限に補給し、満たす力があるというのです。これは仮想的な理論のようであったものが、実際的な理論として現れたのです。分かりますか? 真に、為に投入した場合、真の愛に投入して、忘れてしまって、また投入したいという思いのするところに、無限の力、無限の補給量が現れてくるのです。

 例を挙げれば、低気圧が真空圏以上低気圧になったらどうなりますか? 世界の雲が横になっていきますか? 上で固まって、穴を埋めるために垂直にざーっと降りてきますか? 結論は、垂直爆発みたいになって、穴を埋めるようになるというのです。横になったら大変です。行ったり来たりすれば、副作用が起こるのです。ですから夫婦が愛し合う時も、垂直の道が絶好だというのです。それは、台風どころではないのです。天下が引っくり返るのです。

 今まで何千万年も絶対なる無限の愛を持った神様なので、創世以後、投入して、投入して、堕落した人間の歴史を正すために投入、投入、投入して、忘れて、また投入、投入、投入を今でも続けている方だから、その前は悪魔も、天下すべての者も、朝になったら「おはようございます」と言うのです。絶対服従するのです。サタンも、神様には絶対服従するのです。神様のこの原則に合わない自分を中心とした者は、堕落した形の者だからサタンも「これは私のものです」と言うのです。神も「それはそうだ」と、そのように悪の世界と善の世界を分かれていくのです。その方式を取らざるを得ないのです。神様がサタンに優るには、それしかないのです。喧嘩をするわけにはいかないのです。

 サタンは投入したら、絶対忘れることができないのです。一回奪ってもさらに強要して、「また出せ」と言うのです。そうしますか、そうしませんか? (しません)。そういう公式を使っているサタンは、無限投入の神様の前には頭を上げることができないのです。しかし、「人間世界において無限に投入できない者は、神様の所には行かれない者であり、私に属しているので地獄に連れていきます」と言ってくると、神様も、「それはそうだ」と言わざるを得ないのです。その反対に、無限に投入して忘れるようなことをした場合には、全世界のサタンすべてが後退してしまうのです。そして、命令一下、天下平等になるのです。素晴らしいことが分かりました。

 宇宙の始めは注入ですか、投入ですか? (投入です)。あなたたちが生涯やってきた行動は注入ですか、投入ですか? (投入です。注入です)。はっきりと言ってください。注入ですか、投入ですか? 引っ張りだこにして、自分と妻や子供のためには、国家などはどうでもいいと、国家財産の略奪というか、横領というか、そのような罪を犯してきたということは間違いないのですね。

 先生は汗を流して、こんなに一生懸命に話をしても何の収穫があるでしょうか? 先生を殺そうとした日本の地には、先生を怨讐として見ている日本の地には、本当に収穫し得る者がありそうですか、なさそうですか? (あります)。本当ですか? (はい)。


  神様の願いは世界万民の救済である

 文先生は不思議は男です。西洋人にも「この野郎! 何を言ってるのか。こんなに悪いことをしたではないか。何だ! こんなことをしただろう」と、どんな外国人でも一発でやってしまうのです。

 ですから、統一教会に入って、文先生によって結婚した家庭は立派な後孫が生まれてくるのです。四柱推命で研究してみてください。統一教会の国際結婚の子供たちで、自分の父母よりも劣る顔をした者は一人もいないのです。そうでない者があったとすれば、先生の言うとおりになっていないから、下のほうに潜って地獄に落ちていくのです。みんな立派になるようになっているのです。だから、みんな先生が責任を持ってあげるのです。

 それでは、未婚者は手を挙げてみてください。未婚者です? 結婚は誰にしてもらいたいですか? (お父様です)。文先生ですか? (はい)。「文」と言えば、韓国では顔が腫れてしまったという話です。中身がないという話です。世の中では、そう見ているけれど、実際は秘密の中身をみんな掴んでいるというのです。このことを知れば、無事通行です。

 日本人は、小さいのです。東洋でも小さいほうです。韓国人と比べてみても小さいのです。小さい者は、大きい西洋人の群れの中で生き残ることができないのです。最後には踏みにじられて、圧死させられてしまうのです。そういう危険性があるのです。しかし、文先生は東洋人だから、同情する一念があるのです。同情するという条件がつくと大変ですから、先々日本人を苦労させるのです。そして、何をするかというと、今世界では一年に二千万人が死んでいるのです。一日に六万人近くが死んでいるのです。それが、もしも自分の親や自分の兄弟だったらどうしますか? 泣きずりますか、黙っていますか? (泣きずります)。泣きずらなければならないのです。

 神様の目から見ると、「私の子供である」と、神様は泣きずっているというのです。その子女たる者は、原理を知る者は、泣きずる神様を慰めなければならないのです。「自分が餓死するようなことがあっても、何千万人を神様の代わりに解放してあげます」と言って、一心不乱に走るところにおいてこそ、神様が後について援助するような道が生まれてくるのです。

 それで先生は、救済のために船を造って一六〇か国に送ろうとしているのです。なぜかというと、世界にはたくさんの農産物がたまっているのです。アメリカでは、夜になると、こっそり麦などを太平洋に流しているのです。そういうこともみんな調査しました。船があったら、それを運ぶことができるのです。ですから船を造って、食糧、材木、農産物を積んで、世界万民解放のために役立てたとすれば、アメリカは天上でも高められるし、万民にも崇められることは間違いないのです。

 それから、それをどこに置くかというと、大きい港は大きな川の縁にあるのです。それはなぜかというと、未開地には道路がないからです。アフリカの大陸を横断するにも、縦横無尽に連絡する道はないのです。たった一つ、それは川しかないのです。また川のほとりには、みんなが住んでいるのです。

 それで、みんながそのように船をたくさん造って、農産物などを配るのです。先生の造った船は、立派な船です。十年間先生が乗ってみて、欠けているところをみんな補充したので釣り船としても世界一なのです。みんなに認められているのです。ワンホープです。みんなレバレンド・ムーンの船です。その船は沈まないのです。先生が考案して、世界で初めて沈まない船を造りました。

 そうなるというと、悪辣な者が、「文先生は特許考案も出していないから」と言って、自分たちが造ったのだと特許申請を出して、泥棒する者も出てくるのです。それで文先生は、「やるのだったらやりなさい。たくさん造って売った場合には、動員は文先生がします。沈まない船の先祖は文先生です」と言うのです。それで、「横取って造った船は、文先生の万民救済のためのものです。その船で死にかかった人、餓死する二千万人を救うために動員していいですか、悪いですか?」と聞けば、悪いと言う者はいないのです。悪いと言うことはできないのです。それで、「思うとおりにしてください」ということになるのです。

 そうなったら、その船を使って、川を通って村々をみんな回るのです。一尺、一フィートあれば、どこへでも行くようになるのです。それしか交通機関はないのです。一六〇国家も一八〇国家も摂理的には同じです。みんなの願いは一六〇の家を復帰するか、一八〇の家を復帰するかということです。蕩減原則によれば、みんな一六〇軒です。仕方ないのです。一八〇国家と一六〇軒をイコールとして、二十か国を減らして今、世界に本部をつくっているのです。それで、四そうずつとして六四〇の船が、スピードもよく、美男子みたいに、美人みたいに進んでいくのです。それは、トレーラーも運搬可能であり、大陸横断は問題ありません。大洋を船でもって運んで、どこへでも行けるのです。

 そうした場合に、農産物もどんな奥地までも分配してあげて、三か月間は必ず食べられるようにしてあげるのです。そういう運動を世界的にやろうと、今、出発しているのです。話だけではないのです。いろんな面で、先生は世界的にも有名なのです。


  日本と世界の行く道

 ですから、いかにして餓死する人々を救済するかというのです。それができなければ真の父母の名前を持っていても、霊界に行って先祖をはじめとしてすべての霊人たちに讒訴されるのです。「地上で一体何をしていましたか!」と。だから日本を教育することが問題ではありません。彼らよりもかわいそうな者はないのです。神様の心情の中心、愛の中心の父の立場に立ったとするならば、その民族を神様は一番心配するのです。

 空気でいえば、穴が開いて今にも死にそうな完全低気圧圏になったのに、高気圧圏がびくともしなければ、その自然界は腐ってしまうのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。もしも真空圏が起こった場合には、日本の空気も「よう!出発」。アメリカの空気も「よう!出発」と、特別の命令網が世界的につくられて、そのようにまとめて総動員命令をするのです。日本は、そういうことを考えたことがありますか? 低気圧のほうが、「もっと低気圧の穴を大きくさせて、取ってこい、取ってこい」と言えば、滅びる現象ですか、栄える現象ですか? (滅びる現象です)。滅びるのです。ですから、今の日本が世界的に祝福されていることを考えてみてください。

 戦後、日本とドイツは焼け野原になっていました。何もなかったのです。それを文先生が、英米仏の連合国家が勝利したことによって、エバ国家とカイン・アベルの国家を立てたのです。アダムの家庭において、エバが失敗して、カイン・アベルが紛争して、エバは真の旦那さんと神様をさておいて、サタンによって地獄へ連れていかれたのです。それを蕩減復帰するのは、その反対の公式のとおりに上がってこなければなりません。落ちた反対の道を上がってくるのです。

 ですから世界的に、アダム家庭で失われたエバ国と、エバの膝の上のカインの国とアベルの国を一つにして、地獄へ行った道をまるっきり反対に回り道をしてきたのです。それが新婦宗教のキリスト教です。新郎を求めて六〇〇〇年の歴史をさまよってきた中心の宗教です。そのようなキリスト教文化圏で全世界を統一したことが、歴史上において一度だけあったのです。それが、日独伊対英米仏の戦争です。そこで相対的に紛争させないと、サタンが讒訴するのです。

 それで誰が先に打ったのかというと、負けたほうが先に打ってきたのです。第一次大戦も、負けたドイツが先に打ってきたのです。第二次大戦も、ドイツと日本が先に打ってきたのです。第三次大戦も、思想戦を中心として先にソビエトが自由世界アメリカを打ってきたのです。そして、打った者が負けるのです。負けるにしても、三分の二までは、いつも勝っているのです。なぜかというと蘇生、長成基準まではサタンが主管できるからです。三分の二までは勝つのですが、そこでぺちゃんこになって墜落するのです。

 ソビエトも、世界を完全に丸のみにしたような立場までいったのですが、文先生によってぺちゃんこになってしまったのです。ソビエトでは有名な話です。文先生が「共産主義思想帝国滅亡」を宣言したのです。「五年以内に間違いなく滅亡する」と言った時、カプランという「冷戦二極」を唱えた世界的な政治学者がいたのです。その有名なシカゴ大学のカプラン教授も今では先生の弟子みたいなものですが、彼は、自分は天下一品の政治学の大物であり、文先生などぺちゃんこのものだと考えていたのです。しかし先生とつきあってみると、文先生がぺちゃんこでなく彼がぺちゃんこであることが分かったのです。先生がやることに対して「こんなことを世界的にやるなどと、そんなことはとてもできません。アメリカのワシントン・タイムズもできません。ワールド・アンド・アイもみんな成功しません」と言っていたのですが、みんな成功してしまったので、彼は完全に手を上げてしまったのです。それで、今や先生の話は絶対に聞くようになっているのです。それは有名な話です。

 先生は、その時ちょうど、ダンベリーの獄中にいました。彼は面会に来て、「ソ連帝国滅亡という題目は、それでもいいとして、その前に英語で、かもしれないという言葉を入れてください」と言うので、「そんな馬鹿なことを言ってはいけない。五年以内にそのようになる。滅亡する。今がチャンスだから、そう言いなさい。ソビエト研究の世界学者が集まって、三分の一が怒ってもいいから、そう言いなさい」と言って、世界的な大会を行って宣言したら、そのとおりになってしまったのです。

 それで今や、言論界すべてを統合した結論が何かというと、「不思議なことが世の中に起こっている」というのです。ソビエトの滅亡ということは、いかに知識を誇る日本も、アメリカも、イギリスも、ドイツも、フランスも、誰一人言い当てることができなかったのです。しかし、たった一人の宗教家であり、迫害の王者であり、人間扱いされないような文先生が、まさしくそれを的中させたのです。それは、予言ばかりではないのです。それに対処して世界的組織、国際勝共連合を中心にして世界的に教育したのです。共産主義の世界に蔓延した網をみんな解いてしまって教育したのです。それでソビエトも滅びたのです。

 それで、ソビエトでの言論人大会を終えて帰ろうとした時に、文部大臣が、緊急に「先生に五分でもいいからお会いしたい」と、出発の十五分前に言ってきたのです。それで、文部大臣がやって来て、先生に挨拶して、次のようなことを言ったのです。「ソビエトでは、文先生の思想を八年前からKGB全体で研究してきました。その結果、ソビエト滅亡の後は、文先生の思想しか頼れるものがないということが上層部の考えるところになりました。ですから、今まで文先生がソビエトに対してきた帝国滅亡の悪辣な怨讐という思いはさておいて、どうかソビエトの思想空白の時において、これを埋める使命を果たせる方は、いかなる哲学界、いかなる宗教界においても、文先生以外にはいないので、お願いいたします」と言うのです。それで、最高の者たちがみんな会議で言うことは、「文先生が願うのであれば、ソビエト再建はみんな先生にお任せします」と。分かりましたか? (はい)。それで、文部大臣から「ソビエトを救済したのは文先生です」という感謝の手紙も来ているのです。こんなことは初めて聞くことですね。

 日本は第二次大戦に負けたので大変な弁償をしなければならなくなった時、蒋介石総統がそれに反対したのです。蒋介石とは、理想の不変のイエス様をいうのです。「蒋」とは、高ぶるのではなく保護することです。天使長の代表国家です。日本はエバ国の島国です。堕落の時、天使長がエバを殺したのですが、今度はアジアの天使長の蒋介石が日本を保護するのです。そしてその背後には、文先生がいたのです。誰もそれを知らないのですね。しかし、歴史は明らかに記録されているのです。


  日本民族は神様に向かって祈らなければならない

 このように見た時に、日本は文先生に反対するのですか、絶対奉仕すべきですか? (奉仕です)。アダム国とエバ国を象徴する立場に立った文先生を、日本は拒否をしているのです。旦那さんが奥さんの部屋に入ることを禁止する家は破壊状態にあるのです。日本は、このままでは滅びるのです。日本列島がそうなのです。神様がイギリスの経過を追って針を回せば、一夜で日本列島は太平洋に潜り込んでしまうのです。今や地震の傾向がだんだんと大きくなる方向だと聞いているでしょう。このままでは、どうなるのですか?

 日本民族は富士山に向かうのではなく、神様に向かって祈らなければなりません。日本列島を救済できる方は神様しかいないのです。神様の声に従うようにしなければなりません。そして、絶対なる道があった場合には、その目的のために使う道があったならば、喜んで国家を超えていくというように、問題をはっきりさせて全国民一体一心になって祈り、悔い改めをしなければならない時だと思います。

 統一教会の文先生を、神様が絶対に愛するとすれば、神様が絶対に愛する文先生に反対すると、絶対に悔いることになるのです。文先生に反対するような国は、良くなりません。アメリカも、すべてがめちゃくちゃになって、仕方なく文先生に頼ってきて、先生の背後につくようになりました。

 日本は今や、分からざるを得ないようにと、病人に注射をしないといけない立場です。アメリカも注射をしているのです。韓国もそうです。先生は堂々たるものです。先生の世話になっていない者はいないのです。それがばれるのを恐れて、逆に文先生を外国の政治家に反対させるような者は、根っこから抜き取られてしまうのです。

 先生は戦わないのです。包囲して自然屈伏させるのです。日本も、世界も、先生に包囲されているのです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。中では、がやがや言うのですが、大きな網に包まれた魚は行く所がないのです。自分たちで、ぶっかけ合いながら死んでいく道しかないのです。文先生はその反対に、怨讐を愛するという主題があるから、網の中を生きるパイプでつないでいるのです。それで、真っ暗なパイプの中を仕方なく通っていって、「ワー!」と飛び出した場合には、海に入る道があるということを分からないのです。今、統一教会は、そのことをやっているのです。

 それで皆さんは日本海を越えて、韓国まで来たのです。済州島が第一修練所であり、ここは第二修練所です。済州島という名前は何かというと、言葉の響きからいえば、「再び修練する道場」という意味です。済州島の修練所で日本の五万名を修練しました。そこは二八〇〇名までで、三〇〇〇名は入らないのですが、五〇〇〇名入れなければ昨年までに終わらなかったのです。このことで先生は、何十年も前から講堂をつくりながら、この修練を考えていたのです。その計画のとおりにつくったので、何十万人が使っても崩れないのです。

 そのようにつくったのです。柱が二十九本ありましたが、「それをみんな切ってしまうように」と言ったのです。切ってしまうには、クレーンを使っても大変です。機械を上げれば「ワー、ぺちゃんこになる!」と言うのです。「ぺちゃんこになるかどうかやってみなさい」。結果は誰にも分からないのです。分かる人は、先生しかいないのです。こういう考えをしてきたのです。今や時が来たのですが、造るのも大変でした。一年か二年かかるところを、三十八日で完了してしまいました。それが文先生式です。

 日本でも、何もないようだけれども、「ワー、全国大会だ」となれば、五万や七万人どころではないのです。満員にするのは問題ありません。全国のいくら大きい講堂であっても満員です。韓国でもそうです。運動場をみんな借りても、先生が三日前に連絡すれば、見えない組織の力が、それぞれの根っこに隠れている力がいっぺんに働いて、何千万人を教育できます。

 日本でもそうです。旦那さんがいくら反対しても、絶対に文先生の後をついて行きたいと言う女たちがたくさんいます。そういう体験をした男たちがたくさん集まっているのですね。それは、先生が命令するからではないのです。君たちの先祖が命令するからです。そういう組織体制は一つしかないのです。永遠にないのです。

 文先生がここに来たのも、先生が願ったのではなく、神様から送られて、追い出されて来たのです。来なければ国が大変になり、世界の宗教がめちゃくちゃになるということを知っているから、泣きずりながらも来ざるを得ないのです。そのような路程を経て来てみれば、一番悪いと言われる教祖様に、統一教会の先生になりました。なぜ一番悪いのですか? 世界的に迫害されているからです。そうですか、そうではないですか? (そうです)。

 いろんな話をしましたが、次はもっと素晴らしい話をしてあげましょう。それでは、元気よく歌でも一曲歌いましょう! (みんなで「幸せって何だろう」を合唱する)



一休さんのような機知(トンチ)ではありません。

奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵

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Last updated  2022.07.05 21:31:27
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