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第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言

二〇〇二年四月十三日(陰曆三月一日):韓国・京畿道九里市水澤洞 中央修練院

 今年の第四十三回「真の父母の日」の「敬礼式」と「記念礼拝」は、韓国・京畿道九里市の中央修練院で行われました。 「記念礼拝」では、み言に先立って訓読会が行われ、郭錠換会長が、一九六六年三月二十二日、第七回「(真の)父母の日」のみ言「望みの父母の日」を訓読しました。
 続いて真のお父様が壇上に立たれ、二時間余りにわたってみ言を語られました。
 これは、そのみ言を翻訳し、整理したものです。なお、編集上の都合により、一部割愛しました。 (文責・編集部)

    Family 2002.6月号


 いつでも、お父様です。人が再び生まれるためには、 母親のおなかの中にある子宮を中心として、そこから家が造られていきます。そうして、それが開かれて、出産のときの産みの苦しみを通して、息子、娘が生まれてこなければならないのです。

 それで、全世界の終わりの日においては、母親の立場にある夫人たちが、天の王子と王女を宿して安産することを喜びと思い、困難なことを『最高の幸福の門が開かれることである。」と思うのです。

 ですから、天の前に丁重に平伏して敬礼をささげることができる第一人者、また、祝福の代を受け継ぐことができる第一人者はだれなのかというと、赤ん坊を抱いた母親であったということを知らなければなりません。分かりますか?(「はい。」)

 女性となったことを、権威として誇ることのできる最終着点において、旗を掲げて愛の勝利を賛美するこ とのできる人も、父親ではなく、母親と子供たちであったのです。アーメン。(「アーメン。」)

 そのことだけをはっきりと知れば、きょうの祝福を中心とした祝賀の意味は、満点、満々点で終わるのです。「アー・・・・・・?」(「アーメン。」)

 目がア!  鼻がア!  口がア!  耳がア!  手がア、 ア、ア、ア、ア、ア、アーメン!  言ってみてくださ い。(「ア、ア、ア、ア、ア、アーメン!」)そうなれば、"もう閉会してもよい。”ということです。

 やめましょうか?  見たくない先生の顔と、見たくない先生の姿を見て、それでも、"そのことを貴重に考えよう。”という心が大切です。そのような心が切実で、お父様も、我知らずに飛び出していってしまうような姿勢になっているのかどうかが問題です。

 そうして、そのような姿勢になって、一つになることができる場が、自動的、自然的に成し遂げられるのかということが、神様の尋ねられることであり、真の父母が希望的に質問することなのです。それに対する答えは、皆さんが・・・・・・。

 神様の御前に、真のご父母様の前に尋ねられるすべてのことが、自分において結実したので、この結実をささげることによって、質問の答えと摂理史の終着的結実を刈り入れる幸福な母、息子、父母の立場になるのです。アー、アー、アー、アー、アー、アー、アー メン。(「アーメン。」)(拍手)

 先生は、帰ります。(皆さんに)何かを上げようと思うのですが、ポケットに入っているものが、一つもありませんね。(笑い)

 わたしも、昔、話したことがあるのですが、おじいさんの還暦の日や誕生日になると、こんなことがあります。おじいさんのたばこ入れのきんちゃく袋を開けてみると、そこに”はしばみの実”があるのです。はしばみ(榛)の実です。それは、おいしいものです。



 その実が、どれくらいの間、いったい何年の間、(そのおじいさんのたばこ入れの)中にあったのか分からないのですが、長い間、きんちゃく袋の中にあって、つるつるに光っているのです。それを、一粒、二粒と数えて、兄弟でじゃんけんをして、だれが勝ったかで、それをもらって喜んでいたのです。今、それ以上のプレゼントが一つでもあればよいのですが、ありません。

 きょう、皆さんは、そのようなプレゼントはもらうことができませんが、真の父母のみ旨を知り、真の父母の価値を知ったならば、どのようにしなければならないでしょうか?  プレゼントをもらう代わりに、反対に、プレゼントを用意しなければならないのではないでしょうか?

 右側からプレゼントを上げるために、左側からふろしき包みを、おしりの後ろに回して……、そのように、 真のご父母様に贈るプレゼントを用意して、ささげてみたことがありますか、ありませんか?  何ですか?

 後ろの方は、居眠りしていますね! (「居眠りしていません。」)何ですか?  居眠りしている者がいれば、 横腹をつついて知らせなさい。(笑い)このようになれば、居眠りする人は皆、いなくなります。分かりますか?

 プレゼントをもらうのが、良いですか?  それとも、 プレゼントをもらえるように、真のご父母様の後ろに積み上げておくのが良いですか?(「積み上げておくのが良いです。」)

 「私は、積み上げておくのが良い。」という人は、手を挙げてください。どうして、このように反応が遅いのですか? 通訳を置くような偽者ばかりが集まりましたね。しばらくしてから……。

 後ろの方は、何の話か分からずに、今も、手も挙げていません。(笑い) 手を挙げた人だけを残して、全員、追い出さなければなりませんね。今から、早く挙げてください。「早く挙げなさい。」と言うので、プレゼン トをくれると思って……。それは、“プレゼントをもらおう。”と思っているということです。

 これ(掲示してある真のお父様のお写真)は、だれの顔であるか分かりませんが、年を取りましたね。さ あ、写真の顔と本体の顔と、どちらが、より年を取っていますか?" ”写真である。”と思う人は、手を挙げてください。(笑い)この人たちは、詐欺性が濃厚ですね。あれは、いつ写したのですか?

 (あの先生の写真は、)六〇年代に写したものですが、今、八十三歳のおじいさんの顔のほうが、もっと老いて、年を取っているというのが事実であるにもかかわらず、そのような事実を否定する人は、時代錯誤の落第者であるということを知らなければなりません。ノー メン。(「ノーメン。」)

 「事実のとおりに言いなさい。」と言って、「ノーメン。」と言ったので、これは、教えてあげた先生の責任ですね。「ノーメン。」と言ったので、今度は、本当に 「アーメン。」と言ってみてください。(「アーメン!」)

Family 2002.6 09



▲Family 2002.6 10




 「人(사람)」という発音が、(「やつ〔놈]」という発音に比べて)あまりにも大変でも、それを、あえて 「人」と言うのが、愛(사랑)するということです。 (笑い) 

 天上世界では、何ですか?  何の「やつ」ですか?  これは、「父母の親戚に当たるやつである。」と言うことができますか? 「人(사람)、愛(사랑)。」一度、言ってみてください。(「人、愛。」)

 「私は、『やつ』ではなく、愛する『人』である。『やつ』ではなく、『人』である。」と、言ってみてください。(「人である。」)「人」です。それを自覚しなければなりません。

 自分の目も、日本の目ではなく、米国の目でもなく、神様の直系の息子、娘の目なので、韓国の目です。韓国(한국)というのは、"恨(한) めしい目にもなりますが、二つとない”一つ(한)しかない目”という ことにもなります。鼻も一つしかなく、一つの鼻、一 つの耳、一つの口、一つの首、一つの手、一つの体です。一つしかないということになるのです。

 また、蕩減復帰の中間にあるので、後で恨を解いていく恨の名を持った目であり、「やつ」から「人」を経て、「アーメン」と言えばよいのです。解放されるのです。いわゆる、文総裁が、真の父が「アーメン」と言えば、解放の眷族になることができるかもしれないので、「『アーメン』と言いなさい。」と言うのです。(「アーメン!」) 



 よく聞いてください。今、何時になりましたか? (「〔午前〕十一時三十五分です。」)十一時三十五分ならば、十時から始めたので、何時間になりますか? 一時間三十五分たったのならば、きょうは何の記念礼拝ですか? 記念礼拝が、なぜこのように長いのですか?(笑い)

 礼拝するうえで、世の中の歴史的記録を破るためには、何時間、話せばよいですか?  また、真の父母を好み、あまりにも喜んで話し始めれば、そうして、本当に悪いことも本当に良いことも、すべて話し、それを聞いて涙をぽろぽろ流せば、何時間、継続しなければならないでしょうか?  答えてください。十分間ですか? 五分間、一分間、それとも話をしないで……。

 皆さん。高貴な人が亡くなれば、殯所(出棺のとき まで棺を安置する所)に行って、「アイゴー、アイゴー、 アイゴー。」と言って泣くでしょう? 言ってみてくだ さい。アイゴー、アイゴー、アイゴー。(「アイゴー、 アイゴー、アイゴー。」)

 そのとき、振り返って出て来るときに、「アイゴー。」ではなく「良い、良い、良い。」と言って、「良い。」という言葉が、「アイゴー。」という言葉よりも三倍になれば、地上地獄から天国に開門、解放が展開するのです。「ノーメン」ですか、「アーメン」ですか? 'KNOW'。「すべてのことを知って実践する王子のお出ましだ。」と言ってこそ、天地が歓迎する のです。

 昼夜、栄光の息子の祝賀が四方を取り囲み、天上世界まで天使たちが昇天し、神様の御前に、朝のあいさつを初めてすることができる時になったので、“感謝のあいさつをささげよう。”という決心を持って、すべての人が、ここに参席したと信じてあげます。

 ですから、感謝の中で、朝食も食べず、昼食までも食べずに、敬礼を百回ささげれば、どれほど良いでしょうか?  それで、倒れる前に感謝の踊りを踊り、感謝の歌を歌い、それから倒れて、永遠に天国に入って行き、神様の愛の懐で再び成長して、地上に送られ、本当の神様の代わりの代役者になるのです。

 それは、本当に「アーメン」なので、天と地に代わって、 敷物を広げて座って、「アーメン」、「解放的アー、アー メン。」と、言ってみてください。(「アーメン!」)(笑い)ついて来なければならないでしょう?  アー。 (「アー。」)メーン。(「メーン!」)

 地獄に行ってから、復活して天上世界の玉座の前に立ち、神様が寄り添われて、「おお、よしよし。私の愛よ。」と言われるのです。そうして、東西南北の中心である中央に立ち、五番目の手を挙げ、足を挙げ、四肢五体が、「おお、よしよし。私の愛。愛、愛、愛、愛。」 そして五回目の「愛、アーメーン。」と言うのです。 (「アーメン。」)

​​ 「ア」は“ナンバーワン”であり、「メン」は……。 ナンバーワン・メンの息子、娘は、神様の胸の中に抱かれることを願うのです。 それが、この祝福を継承してあげる「真の父母の日」であるようです。 アーメン。(「アーメン!」)神様も、「そうである。」と、おっしゃっているそうです。​​

 さあ、その結論的み言を言ってみてください。神様の息子、娘として、最も誇ることができる三つの内容があるのですが、その一つ目は、何ですか? 答えて みてください。だれが、当てるのですか? 一つ目が 分かりませんか?(「血統です。」)何ですか?

 血統は、何ですか? 血統は、先に飛び出してくるのですか?(「真の愛です。」)何の愛ですか?(「真の 愛です。」)

 真の愛とは、何ですか? 真の愛とは、どのような愛ですか?  真の愛は、真の愛でしょう?  (笑い)神 様も、「真の愛」と言われますか?  神様は、「愛」と 言われますか?  尋ねているではないですか?

 神様は、「わたしの愛は、真の愛である。」と言われ、「真の愛を受けなさい。真の愛のお乳を飲みなさい。真の愛のご飯を食べなさい。真の愛よ、美しい。真の愛よ、美しい。おお、よしよし。私の愛よ。」と言われて、おしりをとんとんしてくださるのです。

 人間たちは、真の愛を捜し求めますが、神様は、どのようになられますか? (「愛です。」)どのような愛でしょうか? ぐるぐると回り、「おお、よしよし。」と……・。「おお、よしよし。」は、天に上がっていくこともでき、下りていくこともでき、「おお、よしよし。」 と、どこにでも旅行することができるのです。その愛のために……。

 真の愛というものは、方向性を強調するのです。そうではないでしょうか?  真の愛です。男性と女性の真の愛です。真の愛は、どのようになりますか? 父母の真の愛と、男性と女性の真の愛とでは、どちらが、 "真"という方向性を、より強調しますか? 男性と女性を中心とした愛の方向性が、より強調されるのです。

 父母の愛は、ぐるぐると回り、「おお、よしよし。私の愛。寝ても私の愛、起きても私の愛。」です。二十四時間、時間を超越して、一代を超えても変化のない愛を「神様の愛」と言うのです。神様の愛になれば、良いのです。

 しかし、堕落したわたしたちは、真の愛を強行しなければ、混乱した世界において、分別することができる表題を立てることができません。ですから、統一教会においては、真の父母が、真の愛を強調して教えてあげたのです。何ですか? (「アーメン。」)ありがとう。願うとおりに、語ったとおりに成されますように。アーメン。

 それでは、真の愛をやってみましたか?  真の愛は、 真っ赤ですか、真っ黒ですか、黄色ですか? それとも、虹の七色のうち、どの色でしたか?  何色、どの色ですか?(「勝利の色です。」)勝利の色ですか、何 の色ですか? それも、よく分からないでしょう?

 "勝利”という色ですが、その色は、何色でしょうか?  夜にも標的になるのは、黒い色ですか、何色ですか? (「白です。」)白です。白いものは、夜でも標的になることができます。

 ですから、白い色に近ければ、小さな蛍の光であっても、真っ暗な天下の環境において、標的の中心として、ぴかっと光るそれ自体が、視覚を集約させることができるのです。

 それゆえに、勝利を表象し、全体の総合的な価値に代わって分別することができ、区別された標的として立てることができるものが何かというと、白い色だというのです。言ってみてください。白い色。(「白い色。」) 白い色。(「白い色。」)

 世の中に「白衣民族」という民族が、(韓民族の)ほかにいますか? (「いません。」)白衣民族です。 韓国人は、なぜ白い服を好むのでしょうか?? 白衣、白い服を着ている人は、体が白いので、白い体が黒い色に触れると、その本然の価値が喪失されてしまうの で、服までも白い色なのです。そうです。内外……。

 皆さん。韓民族は、“白白民族”です。そうでしょう? 白衣民族であり、白衣民族の中で、最も道義的 な民族です。

 「人倫道徳」というときには、家庭を中心とする愛の土台を連結させて、人倫というものが、必ずあるのです。人倫というものは、"人の車”、“人の車輪”です。巡回する車輪が、回るのです。人倫というものは、家庭を中心として連結されるのです。

 人倫の道徳というものは、兄が弟の立場になり、弟が兄になり、おじいさんが孫の立場に立ち、孫がおじいさんの立場に、また、姻戚の八親等、三代の子孫たちまで、何代たっても喜ぶことができるようになるときに成立するのです。 

 「道徳」の「道」は、「首」という字を、下から「しんにょう」で支えたものですが、それは、「おじいさんの頭、お父さんの頭、お母さんの頭、お姉さんの頭、弟妹の頭というように、誰もがすべて、『道』の中で頭の位置に立つことができるのが、真の愛を持った一族であったのだ。」ということです。これは、「人倫道徳」という言葉について語ったものです。分かりますか?(「はい。」)

 人倫とは何か、分かりますか? 家庭がなければ……。 人倫道徳というものは、家庭で訓練された平等の価値を「道徳」と言うのです。

 「徳」という字は、どのような徳ですか? 「徳」と いう字(の偏の「ぎょうにんべん」)は、“ふたり(二人)”(を意味 するの)であり……。「徳」という字が、そうです。「徳」という字は、何かというと、(その旁を見てみると、「十」と「四」と「心」から成っています。)「十」という字は、“宇宙”を象徴しますが……。

 それは、わたしたちの原理から見れば、天上と地上のことをいうのです。そこに四位基台(を表す「四」)で天と地が願う四つの群れが、一つの「心」になっているのが、「徳」という字です。わかりますか?

 ふたり(「ぎょうにんべん」)が、天地の環境の中で「十字」、そして天と地の「心」ですが、それは、四位基台を完成した一つの心であり、おじいさんの心も、父母の心も、 妻の心も、子女の心……。

 六人の先祖を中心として二つに分ければ、十二の群れです。心と体を中心として、十二の群れです。このすべてのものが一つになることができる、そのような 存在を「徳」というのです。「徳」とは何かと言うと、「徳とは何か、徳とは?」と問われて、答えられる人は いません。分かりますか?

 "ふたりが、天と地を中心として四位基台を完成して、 一体圏の心を成すことができる。” という、そのような人格の基準となり、そのような環境的生活をする人が、徳となる人です。それは、徳の主体となり、徳の世界で暮らすことができる平和の王子、王女のことをいうのです。アーメン。(「アーメン。」)



<2/3に続く>




一休さんのような機知(トンチ)ではありません。
奇知=人とは異なる知恵
すなわち神様の知恵
世界平和を願う奇知の外の凡人が徒然なるがままに書く日記です。
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ここで、ご父母様がつくってくださった貴いプレゼントが何かというと、「天一国」です。言ってみてください。(「「天一国』。」)「天一国」とは何かというと、「二」という字と、「人」という字を合わせれば、「天」になります。「二人」ではありません、「天」です。

 ですから、ふたり(二人)が一つになっている国を「天一国」と言うのです。皆さんの心と体、それが”ふたり(二人)”です。”心の人”と“体の人”、この“ふたり(二人)が、一つになっていないというときには、「地一国」です。(笑い)それは、天国ではなく、地獄に行くのです。「天一国」は、天上の最も優れた国です。ところが、その反対になっているのです。

 「天一国」という言葉は、そのような意味になるので、すべての宇宙は、必ず主体と対象関係で結ばれるようになっているのであって、独りで存在するものは ありません。いくら何億万ボルトの強いプラスが生じたとしても、マイナスが生じなければ、なくなるマイナスとなり、プラスになるということです。

 したがって、いくら人間が優秀であっても、なくなっ てしまうのです。先生がいくら優秀でも、お母様という存在がいなくなれば、先生一代で終わるのです。お母様がいくら優秀でも、先生がいなければ、一代ですべてなくなるのです。そうではないですか?


Family 2002.6 16





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