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今日は、南極日記ではなくてドイツ日記です。今週、ドイツのハノーバー近くのとある町に滞在しています。ライオンがシンボルの町です。ここで学会が開かれていて、参加しています。ドイツの滞在は3回目ですがドイツ人は日本人に親日感情があってとてもいい感じです。パンやソーセージ、ハム、チーズもとてもおいしくて太りそうな感じです。建物や町並み、風景もヨーロッパ(ドイツ)らしいところがいっぱいあって、とてもすてきです。特にガーデニングがすばらしい。ドイツ人の繊細さが出ているような気がします。今日でドイツを離れますが、また来てみたい国の一つです。PEN
Mar 30, 2006
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南極とホビー南極に越冬する前は、南極に行ったら人とは違う遊びをしようと考えます。ある人はラジコンカーを昭和基地に持ち込んで楽しんだり、正月には、手作りの凧揚げをする人もいます。けん玉は、けん玉協会が寄贈してくれているので楽しむことができます。スケート靴を持ってきていて昭和基地のお隣の西オングル島の小さな湖でする人もいます。私は、アマチュア無線を少し楽しみました。昭和基地から電波を発信するとパイルアップといって沢山の人が読んでくれます。他にもいろいろな楽しみ方があって、露天風呂を作って入るとか、現地で考えて楽しいことをするといった具合です。PEN@出張中のドイツより
Mar 28, 2006
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今日の話題は、「南極とバーベキュー」です。 夏と言えばバーベキューですね。実は南極観測隊は大のバーベキュー好きです。何かにつけバーベキューをします。 観測隊員として決定すると大変の隊員は国立極地研究所につめることになります。その隊員室開きは、勿論バーベキュー。 昭和基地に行ったらバーベキュー。ソフトボール大会や氷山削ってそうめん流し大会にもそれだけでは寒いのでバーベキュー。 食材のお肉は超高級和牛だったりします。しかし、野菜がないのがたまにきずです。PEN
Mar 24, 2006
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今日の話題は、「南極と睡眠」です。 南極は、高緯度に位置します。昭和基地で南緯69度です。よって、夏は、太陽の沈まない白夜(びゃくや)、冬は逆にお日様の出てこない極夜(きょくや)になってしまいます。 人間は、基本的に太陽の日出没にあわせて生活をしているわけですから体内時計のリズムが取りにくくなります。おまけに、夏の時期の作業は寒い夜の時間帯に雪上車で氷上輸送をしたりしますから、お日様はあるとはいえ深夜勤務があります。 極夜の冬は、昼間の12時から3時ぐらいまで薄暗くなるだけです。オーロラのよく見える時期ですのでオーロラの観測者は、徹夜で勤務して昼に寝ています。自分で時間を決めて睡眠を取らないと不規則な生活になってしまいます。この真冬の頃は、基地に閉じこもりっきりになりますのでストレスが溜まる隊員もいるようです。 私の場合は、衛星受信が朝の5時頃にありましたので、早寝早起きの健全な生活をしていました(笑)。それと、寝酒を飲むのが週間になっていました。自動的に眠れますからね!(爆笑)PEN
Mar 22, 2006
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今日の話題は、「南極とマージャン」です。 最近の南極観測隊員はあまりマージャンをしなくなったそうですが、私が参加した頃は、娯楽といえばマージャンでした。 昭和基地ではギャンブルはご法度ですので、月間・年間トータルをしたり役満賞なるものを作って楽しんでいました。私も四暗刻(スーアンコウ)という役満をあがったことがあります。 1年間マージャンをしていると個性が知れてしまって、私などは下手のよこずきですから顔に出てしまって、下から数えるぐらいの順位でした。 マージャンの他にもビリヤードは人気です。4つだまで競い合っていました。その他にはおはじきのようなキャロムというゲームもありました。これは、船上で楽しむことが多かったです。ダーツもありましたがあまり頻繁にはしませんでした。将棋・囲碁は時折楽しむ人がいます。 マージャンなどのゲームは、すぐに人が集まるので南極向きですね!PEN
Mar 21, 2006
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今日の話題は、「南極と家族」です。 昔は南極観測というと探検をイメージしていましたが、現在では基地の設備も日本国内並になってきました。今は、探検の時代は過ぎてしまって観測の時代です。 衣食住には不自由しませんし、娯楽もずいぶん増えました。インターネットもつながりメールもできますしIP電話もあります。 何も不自由なことはありません。しかし、家族とは別れ離れで約16ヶ月分かれて暮らすことになります。 1年以上離れて暮らしますと子供は成長しますし、お父さんがいない生活に家族はなれてしまっています。また、恋人と長く離れると「さよなら」してしまうこともあります。 南極に行ってお金が貯まるでしょう?などと言われる方がいますが、初期の越冬隊に対しての手当はたくさんありましたが、今は、食費や経費などであまりお金は残りません。 それよりも、家族と別れて、家族が大変な思いをする方がずっと重かったりします。恋人と別れちゃう人もいるわけですから切実です!PEN
Mar 20, 2006
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今日の話題は、「南極とカラオケ」です。 南極観測隊員の娯楽の一つとして「カラオケ」がある。私が越冬した頃は、レーザディスクだったと記憶しています。 さすがに最新の曲はないわけですが、歌える曲を探して楽しんでいたと思います。越冬隊員も40人もいれば、かなり上手な人もいます。 時にはカラオケ大会などを開催して楽しんだりもします。賞はおもしろおかしく歌う人がもらっていました。東北弁で「帰って来いよ」とか、顔に似合わない人が「愛の水中花」を歌ったりが受けていました。 こうして、南極の夜長はカラオケで何曲も楽しまれたのでありました!PEN
Mar 17, 2006
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今日の話題は、「南極と遠足」です。 昭和基地の中にずっといると少々気が滅入ってきます。そうした時は、遠足に出かけることがあります。プランを立てて日曜日にお出かけします。 単独行動は原則禁止ですから団体さんで出かけます。遠足と言うからにはすべて徒歩で基地のある東オングル島やお隣の西オングル島に出かけます。 東オングル島は、アンテナのジャングルになっていますが西オングル島の方は、風光明媚で自然がいっぱいです。池もありますし、風化した岩がごろごろあります。池は凍ってスケートリンクのようです。透明度が高いので吸い込まれそうな感じです。岩は、飛んできた砂埃で削られ穴だらけになり蜂の巣のような感じになっています。 海も凍っていますので歩けます。そこには、10m~数十mの氷山があります。近くに行くとその大きさに感動します。そうして、遠足から帰ってくると人間の小ささを感じることがあります。PEN
Mar 15, 2006
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今日の話題は、「南極と桃缶」です。 南極昭和基地には、2種類の非常食がおいてあります。1つ目は、食堂近くの食料庫が火事で消失して使えなくなったときに、離れた非常食用倉庫から次の隊が来て補給されるまでの非常食です。主に米などの主食、インスタントコーヒー、缶詰、Etc...です。 2つ目は、ブリザードで外出禁止になり離れた建物から食堂棟まで行けなくなったときに使う食料です。これは、各棟毎に大きめの段ボールに一箱用意されています。 1つ目の非常食に手を出すと大変なことになりますし封鎖してありますからさすがに手を出すようなことはありません。しかし、2つ目の非常食は時折お腹がすくと手を出してしまいます。 この非常食は、その棟の責任者が管理することになっていますから、手をつけても特におとがめなしなのです。少なくなったら調理隊員に頼めば補給できます。ですから深夜勤務の時などの食料等に使ったリします。 中身は、隊によっても少々違うと思います。インスタントラーメン、惣菜や果物の缶詰、ビスケット、乾パン、ドライフルーツ、飲み物等だったと思います。特にこの中の桃缶は私の好物でしたので、沢山頂きました。寒いところでは甘くてとてもおいしいのです。体が要求します(弁解)。PEN
Mar 14, 2006
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今日の話題は、「南極とオーロラの発生原理」です。 ペンギンさんの南極情報の掲示板に宿題のためオーロラについて教えて欲しいという質問がありました。掲示板に書きましたのでここでも紹介させていただきます。 オーロラは、太陽活動と密接な関係にあります。太陽活動が活発になると太陽から荷電微粒子という電気をおびたゴミのようなものが沢山飛んできます。その粒子は、太陽から風邪のように強くなったり弱くなったりして降り注いできます。 いっぽうで地球には磁場があります。磁場の影響で地球に降りそそいだ粒子は直接地球にぶつかるのではなく磁力線に沿って地球の裏側にたまります。それが、時々、地球の磁場に沿って降り注がれます。そして地球の北極と南極に来ます。 粒子の持つ電子が、地球の80kmから200kmぐらいの薄いプラズマ状態(電器をおびている)の大気の分子にぶつかると薄緑色やピンクのオーロラが発生します。その色は、窒素や酸素の分子によって異なります。 小学生には難しかったかな…。PEN
Mar 13, 2006
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今日の話題は、「南極と寒さ」です。 今日もペンギンさんの南極情報の掲示板からの質問・解答をお届けします。質問: 「エンデュアランス号大漂流」を読みました。どうして南極は南なのに寒いんですか。教えてください。小学校4年生解答: 地球儀があるとよくわかりますよ。なければ、世界地図がありますか? 世界中で一番暑いところはどこでしょう? 答えは、1921年7月8日、バスラ〔イラク〕で記録した58.8℃です。つまり、赤道に近いところで、お日様が毎日真上に近いところに見える地域になります。 さて、世界中で一番寒いところはどこでしょう?1983年7月21日、南極のヴォストーク基地〔ロシア〕で記録した-89.2℃です。南極が一番寒いのです。それは、お日様があまり高いところまで上らないからです。冬は真っ暗です。 地球は、赤道をはさんで北半球と南半球にわかれています。ですから、赤道から遠いところ、すなわち極に近いところのほうが寒いのです。 南極は、南の文字が入っていて、日本から見ると暑い国の方にえますが、暑い赤道を越えると次第に涼しく、寒くなって行きます。そして南極に到着します。 南極は、南極大陸という名前の通り陸なので気温がさがっていき世界一寒いところができます。 PEN
Mar 11, 2006
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今日の話題は、「南極と影」です。 南極昭和基地は高緯度ですからお日様の天頂角が低く、外にいて気がつくと私の後ろに長い影ができています。子供の頃冬に影が長くなって不思議な思いをしませんでしたか? 夏は、「白夜:びゃくや」の季節です。お日様は沈まず360度の方位に見えます。南中時には最大の天頂角になりますが、あまり高くはなりません。夜中はお日様が水平線を沈まず、転がるように見えます。これを「沈まぬ太陽」と呼んだりもします。 逆に冬場は、お日様が全く出てこない「極夜:きょくや」になります。お日様の出始めの頃は、地平線を転がるように見えることから「転がる太陽」と呼んだりもします。 このように、低い仰角のところに太陽は見えますので、何となくお日様は身近な存在の様に見えます。子供の頃の不思議が極に近い所に行くと実感できます。PEN
Mar 10, 2006
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今日の話題は、「南極と隊長」です。 南極観測隊には、観測隊と言うぐらいですから隊長がおります。隊長は、隊の責任者です。船で言えば船長のような権限があります。法律的には船長ほど大きな権限はありませんが、ともかく事故などが起こったときの対応などは隊長の責任の範囲で処置します。 隊長の通常の業務は、観測隊として南極観測を維持し滞りなく観測活動ができるよう監督することです。時には、防衛庁の運用する観測船との調整、文部科学省との調整、越冬中の様々な報告や国立極地研究所からの指示や依頼に対応をする必要性があります。 越冬中は、観測部門や設営部門の活動状況を把握し、観測計画を遂行するため、打ち合わせや、議論なども行います。時には、観測部門と設営部門の仲介役になったり、生活を潤わせるための調整をしたりもします。 このような中で、どうしても各隊次毎に隊長の性格や立場・行動により、隊長に近い考えを持つ人、そうでない人に分かれたりもします。派閥のようなものが越冬中盤あたりからできます。時には2分割、3分割などになることもあります。そうは言っても隊員は基本的に仲間意識は強いので、それぞれの隊次毎はうまく生活しているようです。PEN
Mar 8, 2006
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今日の話題は、「南極と行動パターン」です。 南極観測隊員として越冬していますと、他の人の行動パターンが次第に解ってきます。「今頃、気象隊員のAさんは夜勤明けで寝ている。」とか、「機械隊員は3時の休憩を取っている頃かな?」と想像がつきます。 もちろん、自分の行動パターンも読まれているわけで、「PENさんは8時頃から毎晩バーにいけば必ずいる」とか、わかってしまいます。他人の行動はお見通し!てな訳です。 「同じ釜で飯を食う」ということは、こういった行動パターンやその人の考え方、性格なども読み取られてしまって、隠すことはできませんね。 他人に見られてもあまり気にしないタイプの方が観測隊員には向いているかもしれません。ちなみに、南極観測隊員の血液型の割合は、B型が多いそうです。私もそうだったりして…。PEN
Mar 7, 2006
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今日の話題は、「南極と映画鑑賞」です。 以前は南極の娯楽といえば「映画」と相場は決まっていました。隊員は週に1度食堂に集まって映画を鑑賞していました。ただし、今は、個室でビデオがみれる時代ですのでちょと様子が違ってきているそうです。 映画といっても昭和30~40年代のTVドラマの16mmフィルムやレンタルした映画です。越冬隊でちょっと古い人は、「赤い鈴蘭」と言えば共通語になるぐらいみられていたTVドラマがあります。今も見ているでしょうか? レンタルした映画は、寅さんなどの和物が多かったように思います。映画を上映するときは、映画係が準備します。事前に今日の映画は「赤い鈴蘭(10)、寅さん」などと南極新聞などで宣伝をします。 また、映画の時は、ソフトクリームと決まっていて食べながら鑑賞する習慣がありました。 今年の夏は「皇帝ペンギン」という映画が、上映されますね!是非ご覧ください!(私は映画会社のものではありませんが…)PEN
Mar 5, 2006
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今日の話題は、「南極とヨーロッパ旅行」です。 20数年前までは、南極観測隊はアフリカのモーリシャスに寄港して飛行機でフランスを経由して日本に帰国していました。 この帰国経路は、越冬隊員をなるべく早く帰国させるためと南極越冬ご苦労様を兼ねていたと思います。ヨーロッパ内はビザが必要なくスイスやスペインなどに立ち寄ることができました。 また、モーリシャスにゆっくり滞在しても良かったですし、ヨーロッパを歴訪しても、最終的に帰国前日までにフランスのホテル日航deパリに集合すれば良いことになっていました。 そうして、翌日、日焼けした越冬隊員は一緒の飛行機で帰国していました。これは、越冬隊だけで夏だけ行って帰る夏隊は船で日本に帰国していました。 最近は、オーストラリアのシドニーから越冬隊・夏隊も一緒に帰国しています。PEN
Mar 2, 2006
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今日の話題は、「南極と看板」です。 今、ふと昭和基地の事を想像してみると、看板が好きな人たちだったな…と思います。 昭和基地の中で一番大きいものは一九(いちきゅう)広場にある昭和基地の看板です。これは昭和基地のシンボルです。 そのほか、各棟の入り口には、「オングル中央病院」、「昭和基地郵便局」、「第一三居住棟」とか、バーには、毎年違う名前の看板がつきます。各棟にはそれぞれ木彫りで立派なものや、達筆で書かれたものなどがあります。(私が越冬したときの名前ですので、現在の建物の名前と少し違います) 昭和基地以外の基地にも看板は必ずありますし、内陸旅行から帰ってくると、「お帰りなさいの看板」が南極大陸沿岸近くにあります。 観測隊は、毎年変わることから各隊次の団結は強く、その年に作られた建物には、JARE-33のような隊の数字が良く用いられます。昭和基地の看板のある一九広場は19次隊が作った広場です。また、個人的にも私がここに来たのだぞと言わんばかりに、看板の裏には名前が彫ってあります。 日本から14000kmも離れているのですから自分が残したものは、誰かに見てもらいたいですし、日本の南極活動の歴史に刻みたい心理が働くのでしょうか?。PEN
Mar 1, 2006
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