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数年ぶりにATOKを買いました。今回は大辞林や四季報なども付いているプレミアムパックを選んでみましたが、今のところ便利かどうか判断が付きません。何しろ高機能すぎて使いこなせていないのが現状です。「おととい」や「あさって」と入力するとちゃんと日付に変換してくれたり、「せいては」と入力すると「急いては事をし損じる」と候補が出たりと、これだけで感動しています。大辞林の辞書や四季報などとも連携していて、たまに変換候補ウィンドウに連想される企業名、画像やイラストなども表示されるのでこちらもまたビックリです。昔はEGブリッジやWXとかマックにもいろいろIM(FEPとも呼んでいた記憶がありますが…)ありましたが、最近はATOKしか見かけなくなりました。
2011/07/27
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震災当日の夜はマンションの下へクルマを路駐し、車中泊をしました。カーラジオからは沿岸部を津波が襲い、壊滅的な被害が出ていること、海岸沿いに遺体が2~300体浮いていることを夜通し繰り返し伝えていました。NHKラジオのアナウンサーは原稿を読み上げながら泣いていたように思います。夜も更けてくると、停電で信号も街灯も消えた真っ暗な街に自衛隊のジープやクレーン車、大型のトラックが何台も往来し始め、上空にはヘリコプターが何機も飛び回っていました。去年見た映画「クローバーフィールド」のような感じでした。私の住んでいる地区に電気が復旧したのは次の日、14日の夜でした。電気をつけっぱなしで避難した方も多かったのと地震で電気回路がショートしたのか、あちこちから「火事だー!」の声が聞こえ始め、消防車が街中駆け回り始めました。上の写真は私の住んでいるマンションの真向かいにあるマンション、下は仙台の繁華街一番町の火事。どれも大事には至りませんでしたが、同時多発の火事で一時は仙台中が焼け野原になるのでは…と覚悟しました。震災から3週間(以上だったかも知れません)ぐらいはコンビニやスーパーはほとんど閉店していて、たまに開いている店には行列ができていました。そしてやっと店に入れても下の写真のように商品棚には何も無く、調味料や男性化粧品がわずかに残っている程度でした。食料は備蓄が少しあったのと、震災数日前に友人が届けてくれた自家製パンがあったのでなんとかそれでしのぎました。水道も震災以来断水していましたが、近くの公園は水道もトイレも使えたので大丈夫でした。一番困ったのは携帯もネットも繋がらなかったのと、パソコンの調子が悪くなり、ついには起動しなくなったことでした。今まで何度かパソコン不調に陥りましたが、こんな表示になってしまったのは初めてです。震災の時は使用しておらず閉じていたのですが、上から本や物がどっさり落ちてきた時の衝撃が原因でしょう。事情をアップルコールセンターに伝えると「無償修理させていただきます」とのこと。「ありがとうございます!助かります!」と伝えると「がんばって下さい!」と激励されました。サポートセンターのオペレーターさんからこんな言葉をかけられるのも初めてでした。津波に襲われた沿岸部はまだのようですが、震災から4ヶ月以上経ち、街中は大分落ち着きました。
2011/07/19
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東日本大震災から4ヶ月が経ちました。もう4ヶ月なのか、まだ4ヶ月なのか何ともいえない微妙な感じです。津波が襲った沿岸部はまだ復興の真っ最中のようですが、仙台市市街地は大分整備が進んできたようです。あの日、地震が起きた午後三時頃は事務所でいつも通りパソコンの前で仕事をしていました。寒くなってきたのでストーブを点けようとしたら、灯油が入っていなかったので灯油缶を持ってきて給油していると、急に部屋が揺れ始めました。まぁ大したことないだろ、とそのまま給油をしているといきなりすごい揺れが襲ってきて、そのまま私とストーブと灯油缶が一緒に倒れました。幸いストーブには点火していなかったのですが、部屋中に石油(灯油缶ほぼ1缶分)がこぼれ、私は体半分が石油まみれになり、その上に本棚からいろいろなものが落ちてきて、最後には本棚そのものが落ちてきました。確実にこのマンションは倒壊するだろうと本気で思いました。揺れがようやくおさまると窓の外から女性の悲鳴やクルマのクラクション、誰かの名前を叫ぶ人、防災ベルのけたたましい音が聞こえてきました。停電したようなので階段で下まで降りると(事務所は8階です)、同じマンションの住人や近所の方などが呆然と立ちすくんでいました。気がつくととっぷりと日が暮れていました。余震の続く中やっとのおもいで携帯と財布とクルマの鍵だけを取りに戻り、実家や兄の家などに連絡を取ろうとしましたが携帯も公衆電話も全く通じず、視界に入る道路は全て渋滞していました。私はどういうわけか仙台駅に行ってみれば何か情報が得られるかもと思い、自転車で駅に向かいました。写真は震災当日の仙台駅です。街は停電で真っ暗になり、所々に自家発電か非常用の灯りが見えるのみでした。仙台駅も停電らしく真っ暗で立ち入り禁止の張り紙があり、駅前は閉め出された利用客でごったがえしていました。写真中央の明るいライトはテレビ局のもので、なにか生中継していたようです。ヘルメットをかぶったレポーターとテレビカメラが見えました。ちょっと角度が違いますが、これが普段の仙台駅。明るいですね(駅wikiから借りました)。停電の仙台駅を撮っていた(多分夜7時頃)時、私は三陸沿岸部が津波で壊滅的な被害を受けていることをまだ知りませんでした。続きは後日アップします。
2011/07/11
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