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今日で8月も終わりですね。異様なまでに暑い日が連日続いた今年の夏でしたが、名古屋にある 東山動植物園 では今年も夜の動物園の“ナイトZOO” が開催されました。私は昨年これに行っているので今年はどうしようかと考えていたら、ちょうどタダ券が手に入りました。しかもお盆休みの後半は奇跡的に気温の低い日が続き、雨の心配もなくて行動しやすかったので、これはもう行くしかない!と、最終日の19日に行ってきました。ナイトZOOが目的なので夕暮れ時に東山に行ったのですが、園内はやはり大混雑でした。私と同じように「今日は涼しいから行こうか」という人はきっと多かったでしょうね。ライオン舎では、ガラス張りになっているところからライオンさんを目の前で見ることができますが、この日も行列で20分ほどの待ち時間でした。なので今回は遠くから柵なしで見る場所で軽く見ました。トラ舎でも、ガラス張りのところから目の前で見られます。記念写真が撮りやすいよう、ちゃんと台の上で寝ていてくれるサービス精神あふれるスマトラトラさんでした。こちら側からはトラさんの背中を見ることができます。ちょうどこちらを振り向いてくれました。(「見返り美人」状態です)クマ舎では、マレーグマさんが落ち着きなく四六時中動き回っていました。たぶん退屈でたまらないのでしょうね。木登りが得意なマレーグマさんは、ひょいひょいと木に登ってました。サービス精神旺盛で?時折り人間のほうを向いてポーズをとってくれました。キリン舎はスペースが広いのですが、人気でたくさんの人が集まります。ちょうどアミメキリンさんの夕方のお食事タイムでした。お食事のカゴはこうなっています。これならキリンさんが首を伸ばしたままラクに食べられますね。キリン舎の後、ホッキョクグマ舎は大混雑でパス、それからコアラ舎を見て、池は回らずにアシカさんがいる方へ階段を下りてきました。動物の周りはどこもかしこも人であふれていました。階段の横には記念撮影できるよう、イルミネーションがあります。画面左手のタワーは東山スカイタワーで、タワーの下にカバさんがいるので、その後はタワー方面に移動しました。
August 31, 2018
2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第32回の部分的な感想です。今回のテーマは『薩長同盟』。主演の西郷吉之助を演じる鈴木亮平さんがご自身のSNSで「脚本、俳優、演出が一つとなり、持ち得る力を本番の一瞬に叩き込んだ渾身の回」と言えるだけの、本当に迫力の素晴らしい回でした。役者なら当たり前でしょうが、この『西郷どん』に出演される方々は自分の役の背景や人物を勉強して考えて、全力で役に挑んでおられるように感じます。それはメインキャストの方々だけでなく、役名のつかないセリフもない脇役であっても、本当にその時代を生きた人であるかのように思えます。だから今回のラストで桂小五郎が涙を浮かべて「負けじゃ」と言い、それを見て涙ぐむ坂本龍馬を画面で見たとき、玉山鉄二さんや小栗 旬さんが演じる気持ちに惹きこまれて、本当に感動でした。またその前に海江田武次が悔しさをにじませながら自分も桂に頭を下げた高橋光臣さんの演技にもグッときました。そして吉之助が龍馬からの預かり物の1枚の写真と、伊藤俊輔から聞いた話に同盟成立のための打開策を見出した、という展開も面白かったです。そのドラマで出てきた写真は本格的に作った小道具だとか。 ⇒ ⇒ コチラ 時折り史実的なことや演出に??となりつつも、すべての役者さんやスタッフさんが真剣に一丸となって作っている大河ドラマは、やはり面白いものです。慶応元年(1865)8月、諸外国が幕府に兵庫などの開港を幕府に迫っていました。そんな中、一橋慶喜はフランスの公使ロッシュを招いてもてなし、軍艦で兵庫に乗り入れるよう密かに頼んでいました。それに応じてイギリス、フランス、オランダの連合艦隊が兵庫の沖に現れ、京の人々は異国に襲撃されると恐れ、逃げまどって大混乱に陥ってました。慶喜の狙いはこの機に乗じて天子様より長州征伐の勅命を受けることでした。京の芸妓・おゆうを妾にしている大久保一蔵(瑛太さん)は、藩の者も知らないこの家で長州征伐を止める策を一人で練っていました。西郷吉之助(鈴木亮平さん)あまりにも驚いたその書きつけの内容は・・「非義の勅命(二度めの長州征伐)は勅命に非ず」というものでした。そんな書きつけを広めたら一蔵が天子様も幕府も敵に回すことになると吉之助は心配して反対しますが、ならば自分一人でもやると一蔵の決意は固いものでした。一蔵の覚悟に吉之助も再び覚悟を決め、連名で署名しました。この書きつけは、諸藩の藩士から公家の間にまで広まっていきました。もちろん一橋慶喜や桂小五郎らのところにも。そして中村半次郎(大野拓朗さん)ら薩摩の若い藩士たちは、吉之助や一蔵の考えや行動に感銘を受け、彼らもまた盛り上がっていました。一蔵の狙いは当たり、諸藩は(第二次)長州征伐に対して慎重になりました。しかし幕府を敵に回した以上、このままでは長州も薩摩も生き残れないので、吉之助はなんとかして長州の桂小五郎に会わなければと考えます。そこで長崎に行って亀山社中の坂本龍馬を訪ねました。坂本龍馬(小栗 旬さん)は吉之助の真の狙い(桂に会うこと)を見抜いています。しかし吉之助の、薩摩が外国から軍艦や武器を買ってそれを長州に売ることと、その許可はすでに薩摩の国父・島津久光からとりつけてあること、逆に薩摩は長州から米を買いたいという提案を、龍馬は面白いと思いました。そして仲介を引き受けた龍馬は吉之助に「シェイクハンド」を求めました。吉之助との話の後、龍馬は急ぎ中岡慎太郎とともに長州の桂を訪ねました。龍馬は中庭に長州藩士たちを集め、現在西洋人が使っているミニエー銃を皆の目の前で撃って見せ、現在幕府軍や他の藩も使っているゲベール銃とは比較にならない威力であることを見せつけました。藩を相手に商売する坂本龍馬さん、ノリノリで実演販売しています。そして目の前でその威力を見た長州藩士たちは皆、ミニエー銃に興味津々に。実演の後、龍馬は早速、桂小五郎(玉山鉄二さん)との話し合いに入ります。龍馬は桂を説得しますが、薩摩を相手の取引を桂はかたくなに拒否します。長州の者は皆すでに死を覚悟していると退席していく桂に、(つまらん意地を張る)おまんのせいで日本が滅びてしまうと龍馬は怒りの言葉をぶつけました。桂を追って退席する伊藤俊輔に龍馬は、長崎のグラバーから預かったというエゲレスに留学中の長州藩士たちの文と写真を伊藤に手渡しました。一方、中庭では藩士たちがミニエー銃を手に取り、これがあれば幕府に勝てるかもと、討ち死に覚悟だったけど勝利と生への希望が湧き始めていました。しかし薩賊の手を借りるくらいならと強く主張する者もいて、やはり討ち死にだと皆は半ば無理やりに自分に言い聞かせてました。慶応2年(1866)1月早々、京の薩摩藩定宿の鍵屋に桂小五郎と伊藤俊輔が密かに訪れ、坂本龍馬を仲立ちに薩摩と長州の密談が行われました。しかし桂が提示した内容はあまりにも長州が優位なもので、薩摩側がすぐに承服きるものではなく、吉之助は明日返事をすると約束して桂と別れました。この返事をどうするのかを吉之助と一蔵は、家老の小松帯刀(町田啓太さん)と桂 久武(井戸田潤さん)に相談しますが、同意できないと言われます。しかし桂小五郎の思いや立場を理解できる吉之助は、長州は薩摩と共に歩もうとしている、その思いを踏みにじるのは恥知らずである、と意見しました。その夜、吉之助のもとへ長州の伊藤俊輔が一人で密かに訪ねてきました。伊藤は先日、坂本龍馬から預かったエゲレスにいる長州人たちの写真を吉之助に見せ、その写真を見た吉之助は伊藤に、明日これを話し合いの場に持ってきてほしい、薩摩と長州は必ず手を結ぶ、と伊藤に伝えました。そして翌日、小松帯刀の屋敷で話し合いが行われましたが、双方とも相手が先に頭を下げるまで何も言わないと決めていて、無言のまま時間が流れていました。するとそこへ薩摩にいるはずの海江田武次(高橋光臣さん)や大山格之助(北村有起哉さん)たちが突然現れ、長州を敵とみなす海江田たちが薩長同盟を声高に反対するので、このまま話し合いが決裂かと思われました。しかしそのとき吉之助が海江田らを「いいかげんにせんかぁーっ!」と一喝して黙らせ、長州と手を結ぶのは日本を守るためだと説得します。それでも納得しない薩摩藩士たちを見て桂小五郎は、やはり薩長同盟は無理だと退室しようとしたとき、自分たちにも同盟はできると吉之助が桂を引き留め・・吉之助は伊藤俊輔にあの写真を出してもらい、皆に見てもらいました。そこにはエゲレスに留学している薩摩藩士と長州藩士が一緒に写っていたのでした。なぜこんなことが?と事情がわからない皆は不思議がりました。エゲレスに留学した藩士たちは、最初は互いに反目し合っていました。しかし遠い異国で暮らしていくうちに互いに打ち解けあい、日本の行く末について語り合い、そして困ったときには互いに助け合うようになっていたのです。吉之助は皆に「薩摩・長州ではなく自分たちは日本という一つの国の民」であると。龍馬もここで「薩摩も長州も異国と戦って異国の恐ろしさをよく知っている。遠い異国で手を取りあっている若者たちを見習って手を組もう。それが日本を救う道だ。」とそこにいる皆と特に桂に呼びかけました。そして吉之助が桂に両手をついて頭を下げ、一蔵もそれに倣い、続いて家老の小松と桂久武、以下そこにいる薩摩藩士は皆、両手をついて桂に頭を下げました。長州側の気持ちを汲んで先に頭を下げてくれた薩摩藩士たちに桂は「こりゃあ我らの負けじゃな。」と感涙して答えました。そして龍馬が吉之助に桂とのシェイクハンドを促すと、桂は自分から手を差し出し、「西郷君、よろしゅう頼む!」力強く言い、二人はがっちりシェイクハンドしました。その隣では龍馬と一蔵もシェイクハンドで、藩の垣根を越えて自分たちが日本を守るという皆の志が一つになった瞬間でした。(感動)そして慶応2年(1866)1月21日、薩長同盟の密約が締結されました。「今日より薩長両藩は共に力を合わせ、日本のために真心をもって尽くしていこう」という1条をさらに付け加えて。
August 28, 2018
今年の暑過ぎる夏のせいなのか、それともふつうに寿命だったのか、8月14日の昼間に私とニャンズの部屋(A)のエアコンが故障してから10日余りの今日、やーっと新しいエアコンが入りました。(機械はあっても工事の人がいなかったため)夏真っ盛りなのにエアコン無しで生活することとなり、数日間は気温が低めの奇跡のような日があったものの、それ以外は8月らしい暑い日々でした。暑さに弱い私は一日の大半を、エアコンが働く1階のリビングか隣りの部屋(B)に逃げて生活していました。リビングや部屋(B)にはこんな感じで、PCを持って移動してました。いつものこたつテーブルはニャンズが使っているので、私は段ボール箱を代用して台にしていました。でも居場所が変わることを望まないニャンズはどんなに暑くてもこの部屋(A)で過ごすしかなく、暑さに耐えて生活していました。そのせいか、今朝の工事のときにパニクって逃げようとした小太郎を抱っこしたら、夏バテしたのか痩せて軽くなっていました。 みんにゃ、ゴメンよ・・。( TДT) 逆にこういうときに、人間と一緒にどこでもいてくれるワンコ組はまったく問題ないものでした。最近すっかりおばあちゃんになり、暑さにも弱くなったチビ子嬢は、私が家にいる間はずっと私の傍(つまりエアコンのある部屋)にいました。話はそれますが、チビ子嬢はワンコの本能なのか必ず夜中に起きて1階の玄関に行きたがります。ただ夜中に一度起きてしまうと、その後すぐにまた眠ることができないと、私は昼間の仕事等が大変です。なので最近は、私が夜中に起きなくてもいいよう夜寝るときには彼女を1階に降ろしてました。しかし一昨日の台風の夜、2階にいたら階段からガタンガタンと音がしたのでまさかと思ったら、チビ子嬢がヨボヨボの足腰で階段を上がっていました。(歳とって足腰が弱り、階段を踏み外して落ちたことがあるので、私はすぐに彼女を迎えにいきました)たぶん玄関にいて暴風で家の外から異様な音が聞こえてきて恐かったのでしょう。1歩1歩必死になって私がいる2階に上がってこようとする姿は、どこか愛おしいものがありました。そのまま彼女と朝まで一緒に寝て、台風が去った昨夜はもう大丈夫かと思ったら、今度は蒸し暑さにガマンできなかったようで、また玄関から2階に上がってきました。彼女のために部屋(B)で夜中にエアコンをまたつけて、朝までずっとかけっぱなしでした。今夜も同じように蒸し暑いので同じ展開になりそうです。(お願いです。夜中に寝させてください!)そして今朝ようやく、ニャンズの部屋(A)に待望の新しいエアコンが入りました。11日間、なぜこの部屋が急に暑くなり私が隣りの部屋にいってたのか、みんにゃにはわからないことでしょう。でも部屋も前のように涼しくなり、私もずっと一緒にいるようになりました。みんにゃ気持ちよさそうに、安心してぐっすり寝ています。明日も暑くなるし、今年はまだまだ暑い日が続きそうです。でもこれで一安心。昼間出かけるときはタイマーをセットしていけばOKです。夜寝るときも、私にはみんにゃがいるこの空間がいちばん安心できるので、やれやれであります。ビビリにゃんこの康太郎くん(右、茶トラ)とリリーちゃん(左、白)は、工事の間ずっとこの狭い箱の中で身を寄せあって隠れていました。工事の人が帰ったので安心して、リリーちゃんが移動しました。工事の人がいなかったら部屋が涼しくならないのだけど、みんにゃにはわからないよね。
August 25, 2018
第100回全国高校野球選手権(夏の甲子園大会)で準優勝となった秋田県代表の金足農業高校。公立の農業高校で秋田県内では野球の強豪校です。でも甲子園大会ではダークホース的な存在だっただけに、決勝まで勝ち進んだ快進撃には地元の秋田のみならず、世間で大きな話題となりました。でもやはり、地元・秋田県での応援は、特に決勝戦の日には「皆さん、ここまでやるのか!」と思うほど熱の入ったものでした。例えば秋田県内の(一部の?)公立高校では、この日は本来なら始業式で、その後で実力テストや整容指導があったはずでした。でも「県民一丸となって応援する」ということで、前日に一斉メールで始業式が延期になったり、あるいは午後の試合前には予定を切り上げるという措置が。一方、働く方々はというと、こちらもスゴイものでした。TV前で真剣に応援したいから店が臨時休業、あるいは「ご用の方は決勝戦終了後に」と。社員の少ない会社では社長の一存で決勝戦が始まる前にこの日は仕事はオシマイ⇒休憩室で全員TV観戦へ。あるいは、決勝はどうしても現地で応援したい、という社員が各所で出て、そういうことならと上司が有給を快諾した会社もチラホラ。要するにみんな試合のことが気になって、気もそぞろで仕事どころじゃない、ってことでしょう。でもそうでしょうね。この金足農業野球部の生徒たちはみんな、秋田市と隣の市から学校に来ている地元の子たちばかりです。“ #地産地消 ” なんて言われちゃってるぐらいです。地元の英雄たちの戦いぶりを、やっぱ観たいですから。この快進撃でツイッターでは、 #平成最後の百姓一揆 とまで言われました。決勝戦の日の朝は、秋田から甲子園まで応援に行きたい!人のために、JALからは伊丹行きの臨時便が出ました。でも正直なところ、誰もが予想しなかった金足農業高校の決勝進出でした。なのでふと気がつけば・・・ベンチ入りの選手たち(1日4,000円補助があるけど)、応援に回る野球部員たちや吹奏楽の人たちの滞在費が全然足りない!( “金不足農業” なんて言われてました)そこで寄付金を募ったところ、口座には連日寄付金が振り込まれ、学校の事務局には地元の人々が寄付をしに長蛇の列ができました。(皆さん、 #年貢 を納めてきたと満足気でした。そして結果、約1億9千万円の寄付金が集まりました。)世間の注目を集めると、こんな言葉も出てきました。ピッチャーの吉田輝星君が時折り見せる “侍ポーズ” に対し高野連が禁止令を出すと、ネットでは「刀狩り」と言い、でも決勝で侍ポーズをしたら「ええじゃないか」と。(歴史好きにはウレシイ発想です)あと準々決勝で選手たちが甲子園で戦っているときに、秋田の学校では試合の終盤から1匹の母豚が産気づき、子豚が9匹生まれるまでの間にナント、9回裏の2ランスクイズが決まって金農が逆転勝ちをしました。めでたい。勝利を呼んだ “子豚ナイン” の誕生でした。ノッてるときは豚さんまでノッてるのですね。ただそんな金足農業高校も、さすがに決勝では大阪桐蔭高校には敵いませんでした。でも準優勝なら、もう十分です。準優勝の盾と選手たちの胸に輝く銀メダルが、限りなく誇らしいではありませんか。試合を終えた秋田への帰路。伊丹空港では搭乗前にJALから「感動をありがとう!」の横断幕がありました。そして機内では機長が「金足農業の選手が搭乗しています」と紹介してくれ、「昨日までの戦いのひたむきさ、頑張り、郷土愛の深さに感動いたしました」と機内アナウンスまでしてくれました。飛行機が秋田に到着すればCAからも「たくさんの元気と感動をありがとうございました」とあいさつがありました。秋田空港では1000人以上の人々のお出迎えでした。もちろん「秋田県立金足農業高校 感動をありがとう!」という横断幕が用意されて。学校には全国の農業高校から祝電が届き、他にも感動したとの電話や手紙が続々ときています。こうして振り返ると、この選手たちは本当にスゴイことをやってのけたのですね。感動を今一度味わいたい方は、どうぞこちらを。 ⇒ ⇒ #金足農業 甲子園も終わり、選手たちも他の生徒たちも、いつもの時間に戻ります。何事にも素直な気持ちでひたむきに前に進む若者たちが、日本の農業を、日本の未来を作っていってくれると思うと、頼もしい限りです。余談ですが、大阪桐蔭の西谷監督が見るアングルによっては「西郷どん」とも。
August 23, 2018
2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第31回の部分的な感想です。今回のいちばんの見せ場は、大久保一蔵(瑛太さん)がラストで西郷吉之助(鈴木亮平さん)に言う『天が味方せんときは、おいが味方してやる』でしょうか。この部分、言葉としてはすごく感動なのですが、ドラマを1回目に見たときは、ちょっと違和感でした。というのも、一蔵からの文によって吉之助が当初の予定を変えて京に行き、桂をすっぽかしたのでしたから。なので「この人に言われても…なあ」という思いでした。でも2回目に見直したら、吉之助に対して「こっちに来てほしい」話はほぼ同時に入ったものなので、これはもう一蔵が、吉之助の先約を知ってて無理に予定を変えさせたとかではなく、どうしようもないことだったのだと。さらには薩摩と敵対している長州と手を組もうとしているなんて今までに聞いたこともない大山や海江田にとって、いくら吉之助の頼みでもさすがに無理があったのかと。(でも、その場しのぎでだました海江田は不誠実だと思う)ただ一蔵が吉之助の桂との約束を知らなかったとはいえ、吉之助がやろうとしていたこと(薩長同盟)が台無しになった原因が自分にもあるような気がして、これをどうしたらいいのかという表情も見受けられました。通信機器や交通機関が発達している現代なら、他の人に頼めない重要案件が2つ同時に重なったとしても、もう少しマシな対処がそれなりにできるでしょう。でもあの時代だったら、連絡もなくただ待っていた方は怒り傷つき、やむなくその状況を作ってしまった方はひたすら詫びるしかない、そんなふうに思えました。半年ぶりに家に帰ってくる吉之助を、西郷家では今か今かと待っていました。悪天候で吉之助の乗る船に何かあったのではと不安がる糸(黒木華さん)を、西郷家の食客の川口雪蓬(石橋蓮司さん)は大丈夫だと安心させます。そうこうしているうちに、吉之助がようやく帰宅しました。吉之助は、海軍操練所が取りつぶしになり自身は脱藩した身で土佐に帰れない坂本龍馬(小栗 旬さん)を家に連れてきました。龍馬が来た、祝いじゃという口実で雪蓬は早速、酒席を提案します。見識があって助かるけど呑ん兵衛な雪蓬さぁがいたら、酒代がかかるだろうな。西郷家の雨漏りが気になる龍馬は、宴会の前に屋根の補修を提案します。雨が多い土佐の郷士出身の龍馬には、雨漏り補修は手慣れた作業です。雨漏りの話から西郷吉之助(鈴木亮平さん)は、自分は日本国の雨漏りを直したいと、龍馬は異国と存分に商いをしたいと、互いに夢を語り合いました。後日、鶴丸城での重臣会議の折に吉之助は、第二次長州征伐では薩摩藩は幕府の命に従わぬほうが良いと藩主・茂久と国父・久光に進言しました。これで吉之助はまた久光の怒りを買ったのかと場は一瞬緊張しましたが、久光の口からは意外にも「薩摩藩は幕府を見限ることにした」と。実はこれの前に大久保一蔵(瑛太さん)が島津久光(青木崇高さん)に、「幕府はやがて自滅する、そのときは薩摩が天下に号令するとき、これはかの斉彬公にもできなかったこと」と進言し、根回しをしていたのでした。この話の後で吉之助は、藩主親子に坂本龍馬を紹介しました。龍馬は土佐の脱藩者とはいえ、勝海舟の海軍塾で塾頭を務め、航海術に長け軍艦も操れる龍馬は薩摩にとって役に立つ男と、吉之助はアピールします。さらに龍馬は「船を一隻貸してもらえたら長崎に行って、異国の進んだ軍艦や大砲や銃をどんどん買ってくる、自分はただの商人だから自由に動ける」と自ら藩主親子にアピールし、さすがの久光も考えてしまいました。会議の後で、吉之助と一蔵と龍馬は3人で話し合いました。一蔵は薩摩と長州との関係にあくまでも慎重ですが、吉之助はこの流れならもう薩摩は長州と手を組むしかないと主張します。そんなとき長州との仲立ちを買って出てくれた龍馬に吉之助は、もしうまく話がついたら自分はすぐに長州に行くと決意を伝え、龍馬に頼みこみました。その翌朝の夜明け頃、吉之助の考えをすぐにでも実現させようと、龍馬は早速西郷家を発とうとし、糸がそれに気づきました。旅立ちの見送りに糸が吉之助を呼びにいこうとすると、「西郷さんにはこれからますます働いてもらわないかんから」と、龍馬はそのまま出立していきました。ひと月後、一蔵は長州征伐を止めるべく京に上り、岩倉邸を訪れました。(岩倉からくり屋敷に入るときの一蔵どん、笑えましたわー)一蔵は岩倉具視(笑福亭鶴瓶さん)から近衛・二条・九条・中川宮に対して、幕府にこのまま長州征伐をさせないようにという内容の書状を預かりました。一蔵はすぐさま公家衆のところに書状を届けに廻りました。一蔵は岩倉から、中川宮(なだぎ武さん)には気をつけよと言われていたものの、逆に中川宮がこの件を快諾したので、違和感なくそのまま宮邸を後にしました。薩長同盟を成立させるために薩摩を発った坂本龍馬は下関の白石邸に入り、この同盟の鍵を握る桂小五郎(玉山鉄二さん)と会いました。幕府との戦いに備えて長州藩が喉から手が出るほど欲しい外国製の優れた武器を、「薩摩の手を借りれば武器が手に入る」と龍馬は持ちかけます。薩摩を憎む桂はそれはできないと断りますが龍馬は、このままでは長州は幕府に滅ぼされる、西郷さんは憎むなと桂に伝えました。龍馬の働きが功を奏し、吉之助は桂と会う運びになりました。すぐにでも長州に来てほしいという龍馬の言葉に応え、吉之助がまさに薩摩を発とうとしていたそのとき、今度は京にいる一蔵からの急使が。「将軍が上洛した、このまま長州征伐になるかもしれない、急ぎ京に来て力を貸してほしい」と一蔵からの文にありました。長州の桂との会談と、京にいる一蔵からの長州征伐を止める応援要請。重要案件が2つ同時に重なってしまった吉之助は、まずは京に向かうことを決め、桂には文を書き、それを下関に届けて自分の代わりに桂と話をしてきてほしいと、大山格之助(北村有起哉さん)と海江田俊斎(高橋光臣さん)に頼みました。朝敵の長州には行けないと大山は断りましたが、海江田が引き受けました。第14代将軍・徳川家茂が京に到着したけど、長州征伐の勅命はすぐに出ず、しばらく待つことになりました。一安心した吉之助と一蔵ですが、一橋慶喜(禁裏御守衛総督:松田翔太さん)と廊下ですれ違った折に、先日一蔵が中川宮に渡した文を渡されました。曲者の中川宮は味方のフリして、実は裏で慶喜とつながっていたのでした。吉之助と一蔵が鍵屋(薩摩藩の京の宿)に戻ったとき、部屋で坂本龍馬が苛立ちながらずっと吉之助を待っていました。吉之助は結果的に約束をたがえてしまったことを龍馬に詫びましたが、海江田が持っていくといった文すら届いていなくて、完全なすっぽかしになってました。薩摩藩を頼みの綱としていた桂を非礼の形で裏切ってしまった吉之助は、桂になんとか会わせてほしいと龍馬に頼みこみます。しかし龍馬からは「おまんは信用も義理も人情も、何もかも失のうたぜよ」と冷たい言葉が返ってきただけでした。狼狽して涙ぐむ吉之助と、その吉之助を複雑な表情で見ていた一蔵がいました。一方薩摩では、その場で調子のいいことを言って吉之助を裏切った海江田を、年長の大山が激しく叱っていました。(私は一視聴者として胸がスッとしました。大山サン、ありがとう)京でのことも重要案件だったとはいえ、桂とのことを軽く考えていたことを今さらながら申し訳なく思い、天に甘えていたと自分を反省する吉之助。そんな吉之助に(長州と組んで幕府を倒すという吉之助の強い思いのために)『天が味方せんときは、おいが味方してやる。チェストォ~~!!』と、一蔵は力強くエールを送りました。やっぱり一蔵は、誰よりも吉之助の味方でした。気を取り直した吉之助は一蔵の「気張れ」の言葉に涙ながら笑顔で応え、今一度自分にも『チェストォ~~!!』と叫びました。
August 21, 2018
先週半ばから、この夏の恐ろしい猛暑がうそのような、気温が低めの夏になっています。特に一昨日からは昼間は32℃くらいまでで、なにより明け方の最低気温が22℃くらいまで下がって、久々に熱帯夜から解放されています。実は我が家のニャンズの部屋のエアコンが先週の火曜(14日)の昼間に故障してしまいました。10年前に買った機械で、この夏の酷暑(毎日12時間くらい稼働)でダメになってしまったようです。こんな恐ろしい暑さの中、エアコン無しではニャンズも私もあまりにも厳しいものです。今年は猛暑+諸事情で、修理しても買い替えても2週間ほどかかるし、今ドキの家電でよくある「修理して~~かかるなら、いっそ買い替え」ってやつで、翌日に急ぎ新規で買いました。エアコン工事が25日なのでそれまでどうやって暑さに耐えようかと考えていたら、天の助けでしょうか。ここしばらくは気温が低めで助かってます。たとえ数日間でも有り難いことです。7月半ばから約1ヶ月続いた恐ろしい酷暑の真っ最中にエアコンが故障しなくて本当によかった~。さて、ご紹介する画像は、以前お出かけしたときに見て素晴らしいと思ったものです。お出かけしたときに何が一番ウレシイかというと、私の場合はお手洗いが清潔で綺麗なことです。街中のビルにしろ高速道路のSA・PAや道の駅にしろ、新しくできる設備では、たいていが綺麗な心地よい空間で機能的なお手洗いです。以前、愛知県の新城市方面に出たときに私好みの素敵なお手洗いと、そこに勤める人の移動する人への心遣いを感じる飾りに出会いました。新東名高速道路の新城ICから国道151号に出たところにある道の駅『もっくる新城』のお手洗いです。木のぬくもりと柔らかさを感じて、思わず記念撮影です。中に入ってこれまたびっくり。新城市の自然の風景が壁紙になっていました。個室の中まで癒しの空間を作るなんて、素敵な発想です。新東名高速道路の長篠設楽原PAのお手洗いにて。お手洗い全体ももちろん綺麗なのですが、このような心遣いが。千代紙って、1つのデザインでも綺麗だけど、こうして組み合わさるとまた違った美しさがあるのですね。休憩スペースの窓のところには、心が和むこのようなメッセージが。作って置いてくれた人、ありがとうございます。オマケ画像。最近はすっかりおばあちゃんになって家で寝てばかりだけど、チビ子嬢は若い頃、私のお出かけのお供をたくさんしてくれました。帰路につくときはよくこうして一緒にアイスクリームを食べてました。
August 19, 2018
先月の終わりに名古屋駅前にある高島屋で、フィギュアスケートの第一人者で超人気の羽生君の展示会があって、せっかくの名古屋開催なので炎天下の中、久しぶりに名古屋駅に行ってきました。※そのときの日記がコチラ ↓ ↓ 『羽生結弦展』に行ってきました! 今までは高島屋に行くときは建物に直結するタワーズ一般駐車場に入れてました。しかしこのときは、かなり久しぶりに高島屋に行ったので駐車場の入口がわからず、隣のJPタワー名古屋駐車場のほうに車を入れてしまいました。連絡通路を通って高島屋に行くのですが、かつて松坂屋の名古屋駅店があった場所が解体され建て直されて、今ではタカシマヤゲートタワーモールとなっていました。建物が新しくなると本当に綺麗になりますね~。そしてその通路で目に飛び込んできたのが、地元名古屋市緑区の有松地区で生産される伝統工芸品の有松絞りでした。こんな感じで通路の中央にかなり長い反物が展示されていました。上の画像の反対側には違う生地が展示されていました。説明はこのようになっていました。(画像をクリックすると少し大きくなります)10本以上ある長い反物をピンと張って支える支柱と照明です。ゲートタワーモールの吹き抜け部にはこのように吊るされていました。全体の長さはこうなってます。『羽生結弦展』1回目のときはスマホだけだったので、2回目に行ったときはこの有松絞りが撮りたくてデジイチ持参でいきました。本当はこれは縦長に撮っているのですが、PCに移したときに90度回転していて、でもこれも面白かったのでそのままUPしました。有松絞りは着物か小物ぐらいでしか見たことがなかったので、広げた反物が建物の装飾になるというのは初めてでした。ただ私がこの場所を通ったのは7月末のみなので、この有松絞りの展示があのときの一時的なものか、まだやっているのかはわかりません。
August 17, 2018
2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第30回の部分的な感想です。幕末で西郷隆盛や大久保利通らとともに“維新の十傑”とされる公家の岩倉具視。この岩倉公を『西郷どん』では笑福亭鶴瓶さんが演じます。TVのバラエティー番組で見かける鶴瓶さんが岩倉公を演じるといったいどうなるのか?と思ってましたが、このドラマでは意外にまとまるものだと思いました。というか、違和感なくとけこんでしまうのが鶴瓶さんの演技力なのでしょうか。そして今回でやっぱり思ったのが瑛太さん演じる一蔵どん。鈴木亮平さん演じる吉之助が強い思いを一蔵に訴えると、それが無理なとき一蔵は一瞬困惑した表情を浮かべます。でも後で必ず吉之助のために一蔵は何か行動をする、というパターンが出来上がっているようです。おまけにラストでは吉之助が博打で負けた分をわざわざ、岩倉のところに話しがてら払いに行くし。(こういう行動をするのって、ふつうは本妻ですよね?)このドラマでは、主人公・西郷吉之助のことを一番強く思い、なんだかんだと言いつつ行動するお人はどうやら一蔵どんで決まり!だと実感いたしました。倒幕に向けていよいよ動き出した西郷吉之助(鈴木亮平さん)は、朝廷と一橋慶喜を切り離すために京の公家・近衛家を頼りました。しかし近衛家は吉之助から金子を受け取るだけで協力する気はゼロ。ただこのとき吉之助は、岩倉具視という公家の存在を知ることができました。その岩倉具視(笑福亭鶴瓶さん)は洛外の岩倉村の粗末な家に住んでいました。なにやら政に関する意見書を何通もしたためています。吉之助は近衛家で岩倉具視が書いた文を見て心を動かされました。孝明天皇の側近であった岩倉具視は、皇女・和宮の降嫁(徳川第14代将軍・家茂との婚礼、文久2年(1862)2月)にも大きく関わっていました。しかしその後、尊王攘夷派の公家が台頭してくると、岩倉は朝廷を幕府に売った大罪人と糾弾され、朝廷から追放されたのでした。岩倉が書いた書状を見て、さらに岩倉に関する話を聞いた吉之助は、是非とも岩倉具視という人物に会ってみたくなりました。大久保一蔵(瑛太さん)に頼んで、吉之助は岩倉に会いに行きました。吉之助クンから頼まれると少々の無理ならなんとかしてしまう一蔵クンでした。岩倉具視の屋敷の庭は、曲者除けの仕掛けだらけになっていました。この屋敷に何度か通う一蔵でさえ知らないカラクリで二人はこんなことに。(スタジオのセットでこんな大掛かりなものを楽しめるとは)岩倉は吉之助の経歴や身辺を事細かに調べて帳面に記してありました。岩倉曰く「公家には公家の裏の手づるがあるんやで。」ただし岩倉と政治の話をするときは有料で、一蔵はこれまでに何度も金だけ巻き上げられて、でも一向に話ができないままでした。岩倉は吉之助の他にも、自分の気になる人物の情報を事細かに集めてました。一蔵のこともしっかり調べられていて、何か弱みを握られているようです。(もしかして、吉之助クンのためならつい動いてしまうことでしょうか)岩倉は生活費の足しにするために、屋敷を賭博場として貸していました。賭博などやったことがない二人でしたが、岩倉から「運試し」と言われて吉之助が言葉に乗ってしまい、結局はボロ負け(借金)となりました。ところがその日の賭博にはナント、禁門の変の後に幕府からお尋ね者となって逃亡を続ける桂小五郎(玉山鉄二さん)が来ていました。吉之助がそれに気づき、逃げる桂を捕まえて今後の話をすることにしました。吉之助は桂に「間もなく長州征伐が始まるだろう。そのときには薩摩は長州と手を組みたい。幕府は潰さねばならない。」と自分の考えを伝えました。一方、京で我が物顔で振る舞う一橋慶喜(松田翔太さん)を江戸に戻そうと、将軍の使者として江戸から二人の老中がやってきました。しかし慶喜は天子様の信任を盾に、将軍からの命令を無視しました。博打で負けた借金のカタで、吉之助は岩倉の屋敷のお庭方を命じられました。荒れ果てた埃だらけの屋敷を掃除しているとき、吉之助は奥の部屋で岩倉が大事に保管していると思われる宮中の装束や、有力公家や諸藩の大名に宛てた大量の文を見つけました。吉之助は気になって、つい中を見てみると・・・岩倉の文には、吉之助がこれぞ我が理想と思う内容が書かれていました。何故このようなすごい考えをここに眠らせておくのか--倒幕のために岩倉をなんとしても動かしたい吉之助の思いがいっそう強まりました。これは夢物語だと言う岩倉に吉之助は、この文を天子様に見せて御心を動かせば、自分も島流しで思ったけどあきらめてはならない、と訴えます。しかし岩倉は、自分も二人の息子たちもいまだ都から遠ざけられたままであり天子様から戻るお許しが出ない、一生このままでもう終わりだと。吉之助の説得もむなしく、ヤケになった岩倉は書いた文を投げ捨てました。岩倉が投げ捨てた文を、吉之助は薩摩藩邸に持ち帰りました。この文をどうしたものかと悩む吉之助に一蔵は、(岩倉を動かすことは)もうあきらめろと言います。しかし吉之助は・・・あの屋敷には大切に保管されている宮中装束(衣冠や烏帽子など)がある、あれはいつか自分が都に戻るという気持ちの現れ、この素晴らしい文を思いの通じる誰かに是非読んで欲しい、吉之助は一蔵にそう訴えました。後日、岩倉の屋敷に吉之助が大勢の薩摩藩士たちを連れてやってきました。そして吉之助が「こん御方が岩倉具視様じゃ」と紹介すると、藩士たちは一斉にひざまずいて岩倉に礼をとりました。これは何事かと思ったら、岩倉が書いた文を吉之助が配下の藩士たちに見せ、内容に感服した皆が岩倉に是非会いたいと押しかけてきたのでした。皆は岩倉を「先生」と呼び、これからのこの国のあり方の教えを乞います。しかし現状では、岩倉は天子様から遠ざけられていてどうにもならないので、その文の内容は嘘だと皆に言います。そんなとき、吉之助が岩倉の息子の周丸(福山康平さん)を連れてきました。岩倉の二人の息子たちは一足先に天子様よりお許しを賜っていたのです。「岩倉は達者であるか。朕は決してそなたを忘れてはおらぬぞ。」天子様よりのお言葉を周丸が父・岩倉に伝えたら、この先のお許しを待つ希望が持てた岩倉は、みるみると気力が甦りました。そして御所がある方に向かって、天子様への思いのたけを叫びました。薩摩藩士たちに自分の話を聞かせてやる気になった岩倉は木戸銭を請求しつつ、でも自分に尽くしておけば必ずいいことがある、必ず天子様のお側に戻る、自分に付いてまいれ!と宣言します。倒幕への思いを胸に、薩摩藩士と岩倉具視が一つになった瞬間でした。
August 14, 2018
半年ほど前のことですが、ふと思い立って海部郡の蟹江町にある尾張温泉に行ってきました。そのときの画像です。ここに行った目的は温泉よりも、温泉の建物の近くにある 大相撲ストリート に行きたかったからです。今から20数年前の、大相撲で若乃花と貴乃花の若貴兄弟が超人気だった頃、毎年7月に名古屋場所があるときは、当時の二子山部屋はこの尾張温泉を宿舎にしていました。その縁もあってこの尾張温泉通りの歩道には、当時の二子山部屋の力士と現在はこの近くの龍照院を宿舎にする高砂部屋の力士の足型が埋め込まれています。私が大相撲を見るようになったのは、この若貴兄弟がきっかけでした。せっかく近く(家から車で1時間半くらい)に記念のものがあるので、ちょっと行ってきました。尾張温泉の駐車場に車を停めて(後から温泉に入るので)、足型がある通りの大相撲ストリートに来てみました。温泉が出るところには、最近は足湯が増えてきてウレシイです。この「足湯かにえの郷」を利用する方は、尾張温泉の建物をぐるりと回った西側駐車場を利用することができます。足を温泉につけているだけで、なぜか疲れがとれて体調がよくなるのですよね。お出かけの際は、素足になれる用意をしてタオルを持ってGO!です。では、大相撲ストリートで記念撮影の開始です。まずは第65代横綱・貴乃花(現在は親方)のです。そして第66代横綱・若乃花(現在はタレントの花田虎上さん)です。この方の相撲は華麗な技があって、見るのが楽しみでした。当時の二子山部屋で若貴の次にいたのが大関・貴ノ浪でした。(3年前の6月に急逝)現役時代、私はファンだったし、奥様が名古屋の方で葬儀が名古屋で行われたので、私も見送らせていただきました。 ⇒ コチラ そして第68代横綱・朝青龍(現在は実業家)です。こちらは高砂部屋です。尾張温泉の建物の前には釣り堀がありました。この日は真冬で風も強かったので、皆さんテントの中でお魚を待っていました。尾張温泉の西側駐車場になぜか神社がありました。施設の駐車場にあるので、ついでと言っては神様に失礼ですが、私の他にも参拝していく人がかなりありました。こちらのお手水は温泉です。お湯が気持ちよくて手を何度も洗って、手が気持ちよくなりました。
August 11, 2018
こちら名古屋からお隣の岐阜県平野部にかけて、今年はありえないほど猛暑が続いています。ただ暑いだけならまだいいのですが、この1ヶ月以上、とにかく雨が降らないのです。農業をやっている方が案の定、畑の土がカラカラだと言っていたし、雨水が頼りの街路樹は葉に元気がなくて、もうぎりぎりのところで生きている感じです。背の低い植え込みの木は枯れてしまったのもあります。神様、お願いですから雨水で生きる動植物たちのために「程よい雨」を降らせて~。 ”○j乙 お願いします(ただ今月初めに山形県寒河江市で行われた“雨乞い”の4日後のようなことは、どうぞご勘弁くださいませ)さて、最近の私ですが、画像を保存する古いポータブルHDDに入っている画像を、新しいポータブルHDDに大事な画像から優先的にせっせとコピーしています。というのも昔の画像を見たくて古いHDDを接続すると「ドライブに問題が~」みたいなメッセージが毎回出るようになったためです。もう二度と撮れない昔の貴重な画像が見られなくなってしまったら、悲しいですからね。1台目はかろうじてコピー後に機能停止になりました。今2台目の大量の画像を、機械に「お願いだから止まらないで」と祈りながらコピーを続けてます。でもその甲斐あって、我が家のメンバーの可愛い画像がたくさん救出できました。うわ~~。 今も可愛いけど、あの頃はこんなにも可愛かったのね。ということで、まずはリリーちゃんをご紹介します。嗚呼、親ばか也。今から8年前、とある公園で保護されていたニャンのうち1匹を世話人の方に了承を得て連れて帰りました。チビ子嬢と一緒に迎えに行きました。我が家に着いてしばらくは、警戒して棚の下に隠れていました。でもおなかが空いたのにガマンができず、自分から外に出てきました。茶トラ兄弟の小太郎と康太郎は、見たことない生き物(チビニャン)にどうしていいのかわからず、遠巻きに見ていました。小太郎がまずリリーちゃんを受け入れてくれました。優しいお兄ちゃんにリリーちゃんも甘えています。少し後で康太郎(右の子)も、この妹を受け入れてくれました。チビニャンの頃、リリーちゃんの楽しみは“ティッシュ掘り掘り”でした。このティッシュはもちろん後で使いました。リリーちゃんはおもちゃで遊ぶとき、お気に入りを引っ張り出すためにカゴごとひっくり返して探していました。ジャンプして飛びつくとき、スピードも高さもスゴイものでした。美ニャンな子だけど、私は思わず「猿っ!」って言ってました。猫はふつう水を嫌うけど、リリーちゃんは水が平気な子のようです。リリーちゃんのチャームポイント。全身真っ白な身体と、このピンク色の肉球です。(大人になった今は、足裏もかなり固くなって汚れました)リリーちゃんはお目目の左右の色が違うオッドアイの子です。ピンク色のお鼻も可愛いですね~。
August 9, 2018
2018年NHK大河ドラマ 『西郷どん』 。第29回の部分的な感想です。今回は歴史的な出来事はお休みで、鈴木亮平さん演じる西郷吉之助が黒木華さん演じる糸と三度目の結婚をするというお話でした。ホームドラマ的な回になるだろうと、私はそれほど期待してなかったのですが、それなりにいい回でした。なにより糸の父・岩山直温を演じる塩野谷正幸さんがラストの場面で魅せてくれました。吉之助が京に出立してしまうという大事なときに、糸に子守を言いつけにきた気の強い嫁を「自分の子だろ」と叱り飛ばした場面は、胸がスッとしましたね。そして吉之助を追いかけようか迷う糸に、後悔しないよう娘の背中を押してあげた場面は感動でした。大河ドラマでの父親役で私が印象深かったのは『篤姫』と『花燃ゆ』で主人公の父を演じた長塚京三さんでしたが、この塩野谷正幸さんの父親役も素晴らしいものでした。いい演技って、本当にドラマが盛り上がるものなのですね。禁門の変と第一次長州征伐の後、西郷吉之助(鈴木亮平さん)は1年ぶりに薩摩に戻ってきましたが、その活躍ぶりは薩摩中に広まっていました。今や殿のお側役にまで大出世した吉之助の元には、かつての上司も含め、藩士たちが次から次へと挨拶に馳せ参じていました。吉之助は藩主・島津茂久(長田成哉さん)と国父・島津久光(青木崇高さん)に挨拶を済ませ、藩主・茂久からは温かい言葉を賜りました。しかし吉之助を嫌う久光からは面倒臭そうに一言「大義であった」と。それでも吉之助は久光にうやうやしく礼を述べました。城を出た後、吉之助は大久保一蔵(瑛太さん)を「聞いて欲しいことがある」と川へ誘い、自分の胸の内を明かしました。「徳川家を守ることしか考えていない幕府を倒す、力を貸してくれ」という、吉之助の大胆過ぎる考えに、一蔵はそれは危険だと反対しました。一蔵の協力が得られないなら一人でやると、吉之助は一蔵に言います。その後、吉之助は川に入って子供たちと一緒に鰻取りをします。その姿を幼馴染の糸が通りがかって見ていましたが、一蔵が見かけた糸はなぜか下女のように扱われ大荷物を持たされていました。その夜、吉之助の帰りを祝って郷中仲間が集まり酒の席が設けられました。吉之助の活躍の話に酒席は大いに盛り上がりました。吉之助がいない間に弟の吉二郎(渡部豪太さん)は 園(柏木由紀さん)を妻に迎えていて、まもなく子が産まれる喜びに湧きました。ところが話は急に、吉之助の嫁取り話になってしまいました。女手のない西郷家のためにも、今や薩摩の看板男・西郷吉之助としても、是非とも嫁を早く迎えて欲しいと皆から言われてしまいました。吉之助本人はまったく気が進まない中、周りの皆は吉之助の嫁探しをすべく、勝手にお見合い相手の募集までしてしまいました。しかしちょうどそこへ、沖永良部島に流されてて赦免された川口雪蓬(石橋蓮司さん)が、西郷家にやってきました。(沖永良部の島妻がやってきた!?)薩摩に戻ったものの行くあてもない雪蓬は、最初から西郷家を頼る気マンマンで、吉之助の言葉に甘え、好きなだけここに居ることにしました。ただ雪蓬が来たことでやはり女手が要る、跡取りができないとご先祖様に申し訳ない、という理由で皆は吉之助に一日も早く嫁取りをするよう頼みました。翌日、吉之助は国父の久光に呼び出されて登城すると、久光は怒り心頭でした。その理由は、諸藩の負担が大きいからと久光が3年前に幕府に掛け合って取りやめさせた参勤交代を幕府が再開すると言い出した、吉之助が長州征伐で活躍したせいだ、ということでした。久光の怒りに対して吉之助は土下座して涙ながらにただ平謝りするだけでした。吉之助の態度がおかしいと思った一蔵が後で話を聞くと、吉之助は「間もなく次の長州征伐が始まる、そのとき薩摩は(倒幕のために)長州の味方をする、そのためにまず国父様を自分の味方にしたい」という考えを述べました。吉之助はもう一度、一蔵に協力を仰ぎますが、一蔵は断ります。熱すぎる二人の友情のシーンですが、たしかにこれでは傍から見て二人の関係を誤解する人が出てきそうな気も。(吉之助の正妻はやっぱり一蔵か?)後日、岩山直温(塩野谷正幸さん)が吉之助の出世祝いのために娘の糸(黒木華さん)を連れて、鯛と酒を持って西郷家にやってきました。吉之助は幼馴染の糸との再会を懐かしみます。出世祝い、昔語りと話が進むうちに、糸が離縁されて今は岩山家に戻っていることを知り、一同は少し気まずくなります。でも兄さぁ(吉之助)だって嫁に逃げられている、糸さぁは気心も知れている、・・etc、二人はお似合いだと、周囲は何かと二人をくっつけようとします。しかし糸は、自分は西郷家の嫁にふさわしくないと断り、帰っていきました。その夜ずっと吉之助は、島に残した妻子のことを考えつつも糸とのことを考え、翌日、岩山家を訪れて糸に求婚しました。志のために自分はいつか命を落とすかもしれない、それでも糸どんが自分を理解してくれたら心強い、吉之助は糸にそう思いを告げました。糸はそのときは断ったものの、ずっと吉之助のことが気にかかってました。そしていよいよ吉之助が京へ出立する日に、父の直温が糸のところに来ました。かつて自分が決めた縁談でお前には辛い思いをさせ、すまないことをした、今度の相手はお前が決めればよい、と。父娘で大事な話をしているときに長男嫁のトキが糸に子守を言いつけに来て、堪忍袋の緒が切れた父・直温はトキを一喝して黙らせました。そして娘・糸に「もう二度と(吉之助さぁと)会えんかもしれんど」と、娘が後悔しないよう強く説きました。(娘の幸せを願う父の気持ちがひしひしと伝わる、塩野谷さんの名演です)自分の気持ちに素直に従うことにした糸は、父に一礼して家を飛び出し、吉之助の後を追ってひたすら駆け、なんとか橋の上で会えました。今度は糸が吉之助に思いのたけを伝えます。「死んだらやっせん、あの家でお帰りを待っている、西郷吉之助の妻として新しい国を一緒に見たい」と。互いに思いが通じ合った瞬間でした。吉之助は(今は妻となった)糸に「行ってくる」と言って出立しました。糸の「チェストー!気張れー!」のエールに吉之助はこの顔で応えます。愛加那のときとは違った、志に向かって生きる、どこか内から湧きあがる男の自信を感じる、ニクイ素敵な笑顔です。
August 6, 2018
先月の終わりから今日まで中国の南京で開催されていたバドミントン世界選手権で、日本選手たちが素晴らしい成績を収めました。 それがナント!男子シングルスで 桃田賢斗選手が金メダル女子ダブルスで 永原和可那選手と松本麻佑選手のペアが金メダル男子ダブルスで 園田啓悟選手と嘉村健士選手のペアが銀メダル女子ダブルスで 福島由紀選手と廣田彩花選手のペアが銀メダル男子シングルスでの金メダルは日本人初のことであり、女子ダブルスでの金メダルは1977年以来41年ぶりのことで、さらに決勝で日本勢同士で戦うのはオリンピック及び世界選手権を通じて初めてのことであります。(つまり日本勢が金・銀を独占)いや~、もうスゴイのなんのって。私は以前バドミントンは、アジア全体で強い選手がいくらでもいるから、日本はそれほど強くないと思っていました。それが北京五輪の頃に女子ダブルスでの小椋久美子さんと潮田玲子さんの「オグシオ」ペアがけっこういい戦績を収めていることを知り、それ以降ちょくちょくと日本勢の活躍を聞くようになりました。そしてとうとうリオ五輪では、高橋礼華選手と松友美佐紀選手のペアが金メダル獲得の快挙があり、そのときからやっと、日本勢が強くなった実感がわきました。男子のほうも数年前から徐々にニュースで名を聞くようになりましたが、一昨年の4月には残念な不祥事が。でも今回の世界選手権で金メダルの桃田選手は、事件で無期限出場停止処分を受けている間に肉体を鍛え、精神的にも強くなり、見事なまでのカムバックでした。汚名返上には十分でしょう。バドミントンは私も高校時代にやっていた(但し強くないチームの補欠)のでわかるのですが、見た目ほど簡単じゃないスポーツです。あの軽いシャトル(羽)でもスマッシュが身体に当たるとアザになるし、手首・腕・脚の力もいるし、反射的に動き続ける体力もいります。もちろんスマッシュや小技等でポイントが取れると気持ちいいものでありますが。今回の世界選手権で日本勢がこんなに素晴らしいプレーをしていたなら、これはTVで見たいものです。で、新聞をチェックしたらBS朝日で夜10時から夜中の3時まで放送していました。なので今、早速録画してきました。明日以降、じっくりと観戦することにします。スポーツの世界では、昔は日本人がぱっとしなかった分野でも、最近は強くなって世界と戦えるものが増えました。フィギュアスケート、体操、そして今バドミントン。他には陸上短距離、水泳、レスリング・・でしょうか。2年後の東京五輪ではどんな活躍があるか、楽しみです。バドミントンのシャトルにいちばん近いイメージで白のチューリップを。岐阜県海津市にある 木曽三川公園センター の春の風景です。
August 5, 2018
先月初めの大雨以来、日本列島はずっと晴天続きで、さらに連日恐ろしいほどの高温が続いています。昨日8月3日は、名古屋はとうとう観測史上初の最高気温40℃超えをしてしまいました。この地方では一番暑くなるはずの岐阜県の多治見市を、ナント抜いてしまったではないですか。昨日の私は母の通院があったため名古屋市内にいて、午後からは仕事があったので名古屋の北にある小牧市に向かっていました。カンカン照りの昼過ぎ、名古屋高速の日陰となる車線を走ったときには、日差しがないだけで暑さが和らいだように感じました。暑いとき、外出の際に心配なのが我が家のペット連。寒いときは自主的に毛布にもぐっているから心配ないけど、暑い日はそうもいかないのでいつもはタイマーでエアコンを入れてます。(1時間後にOFF、3時間後にON、みたいに)でもさすがに昨日は、この気温では途中で切ることはできないと思い、つけっぱなしにしました。ただし設定温度は29℃。ふつうなら暑く感じる温度ですが、この部屋は狭くてエアコンがよく効くし、外気温との差が10℃あれば十分に涼しいだろうと思ったのです。帰宅したとき、十分に冷えてました。さて、この恐ろしい猛暑の原因は、日本列島の上空約5千メートルにある太平洋高気圧の強烈なパワーに加え、上空約1万5千メートルにチベット高気圧が張り出しちゃってて、日本列島にダブルで高気圧がかぶさっていることです。こちら名古屋では、7月の後半から39℃超えがすでに3回あり、8月に入ってから昨日一昨日と39℃超え、そしてまだ数日はこんな気温が続く予報です。ただね、暑いだけならまだいいのだけど、困ったのは先月初めの大雨以来約1ヶ月間、ほとんど雨が降っていないことなのです。雨水しかもらえない街路樹がカラカラに乾いています。中にはすでに葉が枯れてしまった可哀想な木も。農業をされている方は大丈夫なのか?と思ったら、やはり雨が降らないことに困っている話を聞きました。我が家の庭程度でも、水遣りをするとバケツに10数杯運ばなければなりません。だから田畑の水は大量に必要です。なので雨が一発降ると、それで田畑が潤うのです。先日の台風で雨を期待したものの、この地方では通り雨でほんのお湿り程度。台風はよりによって豪雨被災地を通過していきました。お天道様のことはうまくいかないものだと感じます。この強烈パワーの猛暑は、この地方では来週の月曜まで続くと予報が出ています。雨もまだ降らないし、厳しい気候が続きますね~。でも考えてみたら、あの豪雨災害から早1ヶ月たとうとしてるのに、被災地ではまだ町も生活も元に戻せなくて、自衛隊の方々の災害派遣も一向に終わらりません。まだまだ片付けボランティアの方々を必要とする場所があちらこちらにあります。暑い中、外で必死に働く方々のためにも、そちらのほうにはこの猛暑エネルギーは行ってほしくない。ふつうに暮らしているこちらが暑いのを引き受けよう。・・・なんて思うと、少しは気分的に変わるかなとも。(外での仕事じゃない自分がエラそうに言って、申し訳ありません)まもなく1歳になるマロン君。猛暑だろうがなんだろうが、お外でRUNして遊ぶのが大好きです。
August 4, 2018
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