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2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回は、関白の藤原道隆(井浦新さん)の病によって引き起こされる事となった密かな後継者問題に、女院の藤原詮子(吉田羊さん)と今上の中宮・藤原定子(高畑充希さん)の双方が、これまた密かに裏工作に動いていた場面が見どころとなりました。詮子と定子は叔母と姪であり、今上の母と中宮。たとえ親戚であっても互いに隙もなく容赦もない戦いがあって、思わず見入ってしまいました。やることにぬかりない詮子は、3人の男兄弟よりも強く父・藤原兼家の血を受け継いだことをうかがわせます。また、いざとなったら大胆な定子は、父・道隆の力で実力以上の位を得ている兄・伊周よりも、祖父・兼家の血を受け継いだのだろうと感じさせます。入内したものの円融天皇に冷遇されて詮子は強くなり、詮子の産んだ今上に入内し詮子に何かとキツく言われて定子は強くなりました。優しいほんわかした温室のような後宮にいれば弱いままだっただろうけど、冷たい厳しい風を受けて、2人とも運命に鍛えられてしまったようです。2人とも特に権力欲があるわけじゃないけど、うかうかしていたら我が身がどうなるかわからない。だから最善と思う手を先に打っておく。どっちもだてに帝に入内したわけじゃない。男兄弟が思わず感心してしまうほど、賢く強く行動力のある女たちの戦いが面白い回でした。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 正暦5年(994)京の都では疫病が蔓延し、早急になんとかしなければと思った藤原道長(柄本佑さん)は、悲田院はもういっぱいだから別の救済小屋を建ててはと、兄で関白の藤原道隆(井浦新さん)に進言しました。しかし道隆は疫病の対策には関心はなく、それどころか道長ともう一人の弟の道兼が行動を共にしたその理由を疑っていました。道長は「疫病で都の民が死に絶えたらその害は自分たち貴族にも及ぶ」と道隆を説得するのですが、道隆は「掛かりは宮廷の修理に使う。救済小屋を建てたいなら道長の私費でやれ。」と言い、兄との話し合いは徒労に終わりました。帰宅した道長が妻の源倫子(黒木華さん)に救済小屋のことを話すと、倫子は何の迷いもなく自分の財を使えばいいと道長に言ってくれました。自分のことを信じて財も自由にさせてくれる倫子に、道長は素直に頭を下げました。とはいえ倫子には道長を疑うことがただ一つだけあり、それは悲田院に行った日に道長が一晩どこで過ごしてきたのかということでした。まひろ(倫子のかつての話相手で、夫・道長にとってはかつての思い人)の看病のためにまひろの家に居たと正直に言いにくかった道長は、その場では内裏に戻って仕事をしていたと倫子に言いました。倫子は道長の嘘をうすうす感づいていましたが、この時は追及しませんでした。道長の献身的な看病のおかげで疫病から回復したまひろ(吉高由里子さん)は、書を読んだりして静かに時を過ごしていました。ただあの晩のことは父・藤原為時(岸谷五朗さん)にとっても気になることであり、大納言(道長)とはどういう関係なのだと娘のまひろに問いました。まひろは特別な間柄ではないと言うも、父は道長がまひろを抱きかかえて家に入り、そして道長が一人で看病していたその姿に、道長のまひろへの愛を感じていました。為時はこれをご縁にまひろは道長の妾になってはどうかともちかけました。しかしまひろはそれを否定し、父の望み通りにならぬことを父に詫びました。一方、道長もまひろのその後の様子が気になっていたのですが、自分が動くことができないので、従者の百舌彦に命じてまひろの様子を見に行かせていました。道長は急ぎ救済小屋をつくることに奔走していましたが、疫病が蔓延する都には人手が集まらず、思いのほか苦労していました。それでも道長には、まひろの望む世をつくるべく「やらねばならぬ」という思いが心の底にあり、掛かりが増えてもよいと下級役人に急ぐよう命じていました。その頃、関白の道隆は病が進行して日々の疲れもひどくなっていて、家族の前ではみっともない姿を平気で見せるようになっていました。長男・藤原伊周(三浦翔平さん)はそんな父を労わりつつも、やはり目にはしたくない姿なので、気晴らしにお気に入りの光子(先の太政大臣・藤原為光の三女)のところに行こうとしていました。次男・藤原隆家(竜星涼さん)は、あんな父上の姿を見たくないと素直に言葉にし、兄と同じようにどこかへ出かけてしまいました。(何気ないこのシーンですが、後に伊周が起こす事件のことを知る人にとっては、ドラマの展開の期待にざわつくシーンでした。)道隆の病は日に日に悪くなっていき、ついには帝(一条天皇;塩野瑛久さん)の御前であっても倒れてしまいました。道隆は陰陽師の安倍晴明を呼び、自分の寿命を延ばす祈祷をするよう命じました。しかし間もなく道隆の寿命が来ると感じた晴明は、下級の須麻流に道隆のことを任せ、自分は道隆からもらった病の穢れを払っていました。年が明けた正暦6年(995)、疫病で傾く世の流れを止めるべく、道隆は帝に新しい年号を長徳とする改元をしてはどうかと進言しました。翌月には長徳元年(995)となったものの、関白・道隆が一方的に決めたこれは重臣たちには評判が悪く、藤原実資(秋山竜次さん)は「帝は関白のいうことを何でも聞いてしまう。帝ははなはだ未熟だ。」と不満を漏らしていました。源俊賢(本田大輔さん)は、帝は我々でお支えしようと実資の腹立ちをなだめるけれど、実資は「いくらお支えしても断を下すのは帝だ。」と心配が募っていて、その時のやりとりを実は帝は陰で聞いていたのでした。兄・道隆の病がかなり重いことを人づてに聞いた女院の藤原詮子(帝の生母;吉田羊さん)は弟の道長と次兄の藤原道兼(玉置玲央さん)を呼びました。詮子は、若い頃は優しかった長兄・道隆が権力をもった途端に世のことを思う政をせずに自分たちの栄耀栄華ばかり考えてきたことを批判しました。そして詮子は、順として道兼が次の関白になるべき、出過ぎ者の伊周が道隆の後を継いで関白になるのは嫌だと言い、道兼もまた、父と兄に冷遇されてきたけど妹に助けてもらうとはと、浮き沈みの激しかった運命の不思議を感じつつ、道長にも礼を言っていました。栓子は中宮・定子に夢中の帝(息子)に会うのは嫌だから周囲の公卿たちを取り込んでおく、公卿たちは伊周を嫌っているから自分が一押しすれば上手くいくだろう、と言いました、道長も道兼も、詮子の情報収集力や分析力や行動力に感嘆していました。一方、中宮の藤原定子(高畑充希さん)も父・道隆の容態を案じつつも万一の事態に備えて、兄・伊周を守るために動いていました。内々に先例を調べさせ、父が存命のうちに兄に内覧の許しを帝からもらう、20年ぶりでも何でもやってしまえばいい、とまで言いました。伊周は妹・定子の先を読んで行動する頭の良さや肝の据わった強さに感嘆し、内覧になってしまえば関白になったも同じだから兄妹で共に力を尽くそう、と言う定子の言葉を頼もしく思っていました。“2人の妹”が裏で密かに火花を散らしているそんな頃、病が重くて自分の先はもうないと感じた道隆は弟の道兼を呼び出していました。道隆は道兼に、自分の亡き後は妻と伊周・隆家を支えてやってほしい、酷なことはしないでくれと全力で懇願します。でも兄の公私にわたるこれまでの諸々の事を思うと、道兼は兄にどこか虫の良さを感じて、兄を複雑な思いで見ていました。ある日のこと、先日の石山詣での出来事でずっと音信不通になっていた友人のさわ(野村麻純さん)が、まひろの家にひょっこりとやってきました。まひろは少し戸惑いながらもさわを温かく迎え、さわの近況を訊ねました。さわは疫病で兄弟を亡くしたことで急に人生のはかなさを感じ、またまひろも助かったけど自身も疫病にかかったことを伝えました。するとさわはまひろの手を取って再会を心から喜んで、石山詣での帰りの事と、その後はまひろからの文をいちいち返したことを詫びて許しを乞いました。たださわは、まひろからの文をもらうたびにその文を手本に文字を書き写すという事をしていて、思いがけない行動にまひろは驚きました。さわが帰った後、まひろは文字が持つ不思議な力をどこかで感じていました。自分の寿命がもう近いと感じた道隆は参内して息子の伊周を内大臣にするよう帝に懇願しましたが、先日の実資ら公卿の自分への不満を聞いてしまった帝は、道隆に即答することせず、なおもしつこく食い下がる道隆を下がらせました。帝が期待通りに動かなくて不安になった道隆はよろける体で娘の中宮・定子のところに行ったのですが、道隆のただならぬ様子を見た清少納言(ファーストサマーウイカさん)は直ちに女房たちに御簾を下げさせ中を隠しました。道隆は定子に早く皇子を産めと何かにとりつかれたように連呼し、その様子に定子はどこか悲しみや哀れみを感じていました。そして結局、帝は伊周に関白の病の間だけという条件で内覧を許しました。都に蔓延する疫病はついに公卿たちにも広がりだし、疫病にかかることを恐れて屋敷から出たくないと言う公卿もいました。実資はこの疫病の広がりは全て関白の横暴のせいだ言い、道長は兄・道隆と甥・伊周への批判を複雑な思いで聞いていました。正常な判断もできないようになりよろけながら陣定に出てきた道隆は、伊周を関白にしたい執念で帝の御簾を勝手に上げて中に入り込み、帝に宣旨を迫るという無礼を働いたため、皆に力づくで引きずり出されました。その後、道隆はもう起き上がれなくなって、妻の高階貴子(板谷由夏さん)の看病を受けながら伊周の行く末を案じていました。いよいよ最期の時がきた道隆は、貴子と出会った若かりし頃がふと思い出され、『忘れじの 行く末までは 難ければ 今日を限りの 命ともがな』と貴子に心を決めたときのあの歌を詠み、長徳元年4月10日、藤原道隆は43歳でこの世を去りました。
April 30, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は、人はその人の生まれ持った性格や能力に育った環境が加わると、ある価値観を持った人になってしまうのだな、と思って観ていました。栄華を極める中関白家で、身びいきの父・藤原道隆(井浦新さん)が、周囲の気持ちに配慮することなく、まだ若いのに位を強引なまでにグイグイと押し上げてしまった嫡男の藤原伊周(三浦翔平さん)。学問・芸事・武術など何をやらせても人より秀でていて、もちろんこれは本人が幼い頃より勉強や稽古に励んだからなのですが、それでもできてしまう伊周です。加えて見た目も麗しいし、父が高位を授けてくれます。苦労知らずの伊周は、万能感にあふれていますね。これは伊周が育った環境が、父も母・高階貴子(板谷由夏さん)も優秀で、金持ちだから生活のために働くことを考える必要もなく、優秀で自分たちは他者より優位に立つのが当然、という家だからでしょう。伊周が若さの勢いもあるけど万能感に少々生意気さを感じてしまうのは、その前の話で藤原道兼(玉置玲央さん)の人生が描かれたからだと思います。道兼が努力しても報われない人生とか、父の裏切りで一度はどん底に落ちた人生を見せてくれたので、人の心の痛みをまだ知らない、父・道隆からの優遇を当然のように受けて進むだけの伊周が軽く見えるのです。同時に余計な見栄とかを捨てて自分らしく生きるようになった道兼が肩の力が抜けた感じで、「汚れ仕事」と言っても政務者としてだけど下々への思いやりを感じられるようになったのがいいですね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 正暦5年(994)、中宮・藤原定子(高畑充希さん)のいる登華殿は帝(一条天皇;塩野瑛久さん)のお渡りが多く、若い公達たちも集って華やかさを増していました。定子の兄で中関白家の藤原伊周(三浦翔平さん)は、帝との親密さを殊更に周囲に見せつける形となりました。藤原行成(渡辺大知さん)や藤原斉信(金田哲さん)はそれぞれに帝や中宮に気の利いた贈り物を献上し、若い二人は感激して快く受け取っていました。定子は公達たちに、末永く帝の良き友であるようにと言葉をかけました。登華殿に皆が集まったこの日は雪が積もっていて、さて帝と何をして遊ぼうかとなった時、定子は少納言(ききょう;ファーストサマーウイカさん)に「香炉峰の雪はいかがであろうか。」と問いかけました。定子の意図を瞬時に理解したききょうは女房たちに御簾を上げるよう言い、そして帝と定子に廊下まで出てくるように促しました。これの意味がわからない者のために藤原公任(町田啓太さん)が、これは白楽天の詩で『香炉峰の雪は簾をかかげてみる』ということだと解説をし、定子はききょうを「見事であった」とほめました。それから定子は皆に雪遊びをしようと提案し、定子は嬉しそうに裸足で雪が積もる庭に下りていきました。帝や他の者たちも定子に続き、若い皆は無邪気に雪遊びを楽しんでいました。中宮・定子の登華殿に対しては経費のことなどで、定子の叔父ではあるけど中宮大夫の藤原道長(柄本佑さん)には思うところがいろいろありました。道長は定子に進言したかったのですが、登華殿は帝もいていつも賑やかで楽しそうなので、道長も皆の気分を壊すことは言いにくいままでした。ただ帝の母である女院の藤原詮子だけは、時折り登華殿を訪ねては皆に気遣うことなく苦言を呈していました。すると伊周が女院に対し「これが帝が望んでいる新しき後宮の姿」と堂々と意見を述べて女院に理解を求め、伊周の父で関白の藤原道隆は満足そうでした。この時の光景を見ていた藤原道綱(上地雄輔さん)は弟の道長に興奮気味に話し、そのついでに先日の石山寺であった出来事も話しました。まひろのことはもう忘れたつもりだった道長だけど、兄・道綱がまひろに手を出しかけたと知り、道長の心中は穏やかではありませんでした。ところで、この頃は御所内の後涼殿と弘徽殿で火事が相次ぎ、次はどこかと関白・藤原道隆(井浦新さん)の妻の高階貴子(板谷由夏さん)は不安がっていました。さらに貴子は、この家への妬みが帝や中宮(定子は道隆と貴子の子)に向かっているのかと心配になりました。その話を聞いて次男の藤原隆家(竜星涼さん)は、犯人は女院か?と軽口を言い、妬まれて結構と笑っていました。道隆が「女院(道隆の妹)が我が子の帝に危害を加えるとは思えない」と言うと隆家はならば父上を恨む者だと言い、兄の伊周が隆家をたしなめました。でも道隆は「光が強ければ影は濃くなる。恨みの数だけこの家は輝いているのだ。私たちが動揺すれば相手の思う壺。動じないのが肝心だ。」と笑っていました。中関白家は栄華を誇っていたこの時、都では疫病が広がっていて、公卿たちは早く疫病の対策をすべきと関白・道隆に何度も提言していました。しかし道隆はそれを無視し続けていて、陰陽師の安倍晴明は疫神が通る(疫病が蔓延する)と予言し、果たしてその通りになりました。帝も疫病と民のことを案じていましたが、道隆は帝にそのようなことは考えずに国家安寧のために早く皇子を、というばかりでした。そんな中、道隆は伊周を内大臣にし、伊周は叔父の藤原道兼(玉置玲央さん)に挨拶をしていました。道兼は伊周に政務者として疫病のことを問うと伊周は、疫病は貧しい者にうつる病だから自分たちは心配ない、と気にもとめていない様子でした。伊周の姿勢に道兼が苦言を呈すると、道兼の昔を知っている伊周は道兼にそれをにおわせるように反論し、道兼の忠告を聞こうとしませんでした。ある日、まひろ(吉高由里子さん)の家にかつて文字を教えていたたねが突然やってきて、両親が悲田院に行ったきり帰ってこないと窮状を訴えていました。従者の乙丸は悲田院に行くのは危ないとまひろを止めましたが、まひろはたねと一緒に行ってしまいました。悲田院には疫病にかかった者たちが苦しそうにしてそこらじゅうに横たわり、息絶えた者はすぐに運び出さなけれないけない有様でした。たねの両親も息絶え、やがてたねも命を落としました。まひろは見ず知らずだけど病に苦しむ者たちを放ってはおけず、悲田院に泊まりこんで、懸命に病人たちの世話をしていました。疫病の対策を急がねばと考える道長は兄の道隆に相談しましたが、道隆は疫病は自然に収まると言うばかりで、それでも道長は関白の兄から帝に奏上してほしいと訴えましたが、道隆は聞き入れるつもりはありませんでした。それどころか帝と中宮を狙った相次ぐ放火のほうが一大事、道隆は中宮大夫だがどうするつもりだ、役目不行き届きだ、と言って道長を下がらせました。道長は退室した廊下で次兄の道兼と会い、道隆が声をかけると道長は、道隆と話しても無駄なので様子を見に悲田院に行く言うと言いました。すると道兼は「都の様子は俺が見てくる。汚れ仕事は俺の役目だ。」と言って、すぐに外に出ていってしまいました。「汚れ仕事」という道兼の言葉には昔のような妙な含みはなく、政務者の一人として民のことを考えている姿勢がありました。兄・道兼を追って道長も悲田院に着くと、そこには惨状が広がっていました。庭には多数の死人が横たわり、薬師たちも何人か疫病にかかって倒れ、今動ける者は看病にてんてこ舞いでした。道兼が薬師の派遣を内裏に申し出ようと言うと、これまで何度も自分たちが申し出ていたけど何もしてもらえないと言われ、道兼は言葉を失いました。(昔の道兼なら下の者から「あんた」呼ばわりされたら怒ったと思います。でもどん底に落ちてから無理をせず生きることを知った道兼は、自分のことよりも苦しむ民草のことを考えるようになったと思います。)やがてまひろも疫病になって倒れかけたときに、悲田院に来ていた道長と出会い、意識のないまひろを道長が家まで送ってくれました。まひろの家に着くと道長はまひろを抱きかかえて家に入り、まひろの部屋まで乙丸に案内させました。父・藤原為時(岸谷五朗さん)が慌てて枕元に駆けつけると道長は、自分が看病するからと言って為時といと(信川清順さん)を下がらせました。道長が大納言と知る為時は、どうして道長がまひろのためにここまでと思いつつ、道長の命なのでまひろの看病を道長に任せて下がり、いともまひろが石山詣での土産にくれたお守りに病気の快復を祈っていました。まひろの従者の乙丸(矢部太郎さん)と道長の従者の百舌彦(本多力さん)は久しぶりの再会となったのですが、互いの主人が突然このような状態になってしまったため、二人とも眠れぬ夜を明かしました。(ところで、ここでふと疑問が。石山詣でのときも乙丸は廊下で座って寝ていて、これは旅先や今回のような非常時の警護だから、という理由だったのでしょうか。ふだんの生活でも主人のために座って寝るとなると、かなり体がキツイかと。)病でうなされるまひろを看病しながら道長は、なぜ悲田院にいたとか、あの時に言っていた「生まれてきた意味」を見つけたのかとまひろに語りかけ、そしてまひろに「逝くな、戻ってこい!」と強く呼びかけました。道長の必死の看病の甲斐あって、翌朝まひろの容態は落ち着きました。為時は道長に夜通しの看病の礼を厚く述べ、道長には大納言としての政務があるから帰るよう促しました。まひろのことが気がかりだけど為時のいう事ももっともなので、道長はまひろが気がつかぬまま妻・倫子が待つ屋敷に帰宅しました。明け方に戻ってきた夫・道長の様子で何かおかしいと倫子は感じ、妾の明子でもない女人の存在が道長の心にあると直感しました。
April 23, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。この回では私は前半は、父に裏切られてからすっかりやさぐれてしまい、自堕落な日々を過ごす藤原道兼(玉置玲央さん)と、傷ついた兄・道兼を気遣いつつ自分なりに受け止めてやる藤原道長(柄本佑さん)のやり取りに心が引かれました。元・上司が突然訪ねてきて家に居座ってしまい、それが振る舞いが立派ならまだ客として迎えてもいいけど、この家に居られると迷惑レベルなみっともない品の無さ。これでは公任さんもたまったものではありません。そんな兄・道兼を、道長は受け止めて優しく諭しました。少年の頃は道兼が機嫌の悪いときは暴力だって振るわれた道長だけど、彼が幼い頃から持っている寛大で柔らかい心で、自暴自棄の泥沼にいる兄を引き上げました。ドラマの中の道兼と同じような経験をしたことがある方は、道兼の思いに共感し、さらには自分のときに道長のような人に出会えて救われた、あるいは道長のような人に出会えたらよかったのに、いや、自分は時間が薬となってじきに立ち直れた、などの思いを持ったのではと想像しました。そして後半は、まひろ(吉高由里子さん)とさわ(野村麻純さん)の石山詣でがあり、これは当時の風習を知るのに興味深いシーンでした。さらにこの石山詣でには、本家の石山寺の方が用語などをいくつかポストしてくれていて、とても参考になりました。石山寺*公式のポスト ⇒ ⇒ こちら 石山寺へのアクセスは「京都から(中略)歩いても4時間半~5時間で来られます」だとか。 ⇒ こちら これなら当時の都の人々が石山寺を詣でてみようか、と考えるのもうなずけますね。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永祚2年(990)、父・藤原兼家が隠居する間際に藤原家の後継者を兄の道隆にされ、これまで父のためにあらゆることをやってきた藤原道兼(玉置玲央さん)は我慢の限界を超え、さらには妻子も自分の元から去ってしまい、自暴自棄になって荒れた生活を送る道兼は藤原公任の屋敷に転がり込んで居座っていました。困った公任は道兼の弟の藤原道長(柄本佑さん)に相談、道長はすぐに兄・道兼を迎えに公任の屋敷に行きました。他人の家に居座って行儀の悪い振る舞いをする道兼でしたが、亡き父・兼家を思うが故に父にさんざん振り回されてきた兄を理解する道長は、兄を優しく諭しました。それでも長兄・道隆に持っていかれた摂政の地位にこだわり世を恨む道兼を道長は、「兄はもう父の操り人形ではない。己の意思で好きにすればいい。兄にはこの世で幸せになって欲しい。まだこれから。自分が支えるから生まれ変わって生き抜いて欲しい。父はもういない。」と思いのたけを伝えました。父と兄・道隆は自分を冷たく見捨てたけど、この弟だけは自分をわかってくれていたことを知り、道兼はただ泣き崩れていました。正暦4年(993)、摂政・道隆は立ち直った道兼を内大臣に、嫡男の伊周を末弟の道長と並ぶ権代納言に、公任と妾腹の弟・道綱を参議としました。道隆は他にも自分と昵懇の66人の者の位を上げ、あまりに露骨な身びいきに他の公卿たちは口々に不満を言っていました。さて、まひろ(吉高由里子さん)の家では父・藤原為時(岸谷五朗さん)が未だに官職を得られず、苦しい生活が続いていました。そんな中、まひろの弟の藤原惟規(高杉真宙さん)がひょっこりと家に帰ってきて、大学寮での試験で疑文章生の試験に合格したと家族に報告しました。まひろの家では久々の明るい話題に皆の喜びの声があがり、惟規の乳母だったいと(信川清順さん)は、この日のために隠しておいたというとっておきの酒を出して、まひろの従者の乙丸も同席して皆で惟規の合格を祝いました。摂政となった道隆は公卿たちの反発も構わずに娘の藤原定子(高畑充希さん)を一条天皇(帝)の中宮にしましたが、道隆も定子も宮中での評判は良くないもので、道隆の妻の高階貴子(板谷由夏さん)にもその声は聞こえていました。貴子は娘の定子に「中宮の勤め」として帝の皇子を産むことだけでなく、帝だけを大切にしていてはいけない、昼間は後宮の長としてここに集う全ての者の心をひきつけて輝かなければならない、と心得を伝えていました。貴子は定子のために、以前の漢詩の会や和歌の会で見知ったききょう(ファーストサマーウイカさん)を定子の話相手として女房とすることにしました。ききょうはその喜びをまひろにすぐに報告し、まひろも気持ちよくききょうを祝いましたが、一方では先がまだ何も決まらない自分を憂いていました。参内して定子の前に出たききょうは、定子の匂いたつような美しさと品格に言葉を失ってただ見惚れていました。そして定子から「清 少納言」の名を賜り、この上なき誉の喜びと共に定子に一身を賭して仕えることを誓いました。定子のいる登華殿は帝と若い公卿たちが交流する華やかな場となりました。帝が大人になり藤原道隆(井浦新さん)は摂政から関白へと役職が変わったけど、道隆の独裁は相変わらず続いていて、中宮・定子の登華殿には定子の衣装や調度品、さらには付き従う女房の衣装まで公金で莫大な費用を費やしたりしていて、それは弟の道長の目にも余るものでした。黙っていられなくなった道長が道隆に進言すると、道隆は取り合わないどころか、身内なら面倒なことは言わないと思ったから道長を中宮大夫にしたと言いました。そして道隆は嫡男の伊周や若い貴族たちがやっている「弓競べ」の見物に道長を誘い、弓の稽古場に行きました。稽古場では道隆自慢の嫡男の伊周が次々と的の中央を射抜ていき、見物をする姫君たちも思わず歓声をあげていました。父と一緒に来た道長を見た藤原伊周(三浦翔平さん)は道長を弓競べに誘いました。あまり気乗りしない道長でしたが、結局は受けて立つことにしました。とはいえやはり気乗りしないので適当に相手をして道長は帰ろうとしたのですが、伊周がまだ2本矢が残っている、最後のこの2本はそれぞれに願掛けをして射ようと言い、まず伊周が「我が家より帝がでる」と唱えて矢を射りました。するとその矢は的の端に当たり、次に道長が同じことを唱えて射るとその矢は的のほぼ中央に当たりました。伊周は残り1本の矢で「我、関白となる」と唱えて射るとその矢は的を大きく外し、道長が同じことを唱えて射ようとすると、道隆は慌ててそれをやめさせました。道長は道隆にまた改めて話をと言って、稽古場から去っていきました。(参考:願掛けをしてから矢を射るのは「うけい」と言うそうです。 こちら )その夜、道長のもとに舅の源雅信(益岡徹さん)が危篤との報が入り、道長は嫡妻・源倫子(黒木華さん)のいる土御門邸に急ぎました。雅信は絶え絶えの息で、もう自分が道長の後盾になってやれないから道長の出世はこれまでかと語りました。でも妻の藤原穆子(石野真子さん)は、権代納言の婿殿なら素晴らしいことと言い、娘の倫子も道長と一緒になれて幸せだと父に言いました。藤原氏全盛の世に16年の長きにわたって左大臣を務めた源雅信は、愛する家族に見守られながら74年の生涯を閉じました。さて、まひろの方ですがある日さわ(野村麻純さん)が、今の自分は家に居づらい、気晴らしに近江の石山寺に旅に出るからまひろも一緒にどうか、と誘ってきました。行きたいけど旅の掛かりが気になるまひろは父・為時に相談し、父はそのくらいは何とかなろうと快くまひろを旅に送り出してくれました。まひろとさわはそれぞれの従者を連れて出立し、従者たちは自分が仕える姫様が久しぶりに明るい笑顔で楽しんでいるのを微笑ましく見守っていました。さて石山寺で願掛けをしようと張りきっていたさわですが、夜遅くに延々と続く誦経がすぐに飽きてしまい、つい文句を言っていたら近くにいた藤原寧子(財前直見さん)に𠮟られてしまいました。でもその後で寧子は二人をおしゃべりに誘い、寧子が「蜻蛉日記」の作者と知ったまひろは嬉しくて、目を輝かせながら本の感想を寧子に伝えていました。まひろの素直な感想に寧子も「心と体は裏腹」と自分の思いを述べました。そう言われてまひろは道長とのことを思い出してふと切なさがよぎったのですが、「自分は日記を書くことで己の悲しみを救った。兼家との日々を日記に書き記して公にすることで妾の痛みを癒した。」と言う寧子の言葉が心に残りました。さらに寧子は「命を燃やす恋でも妾は辛い。高望みせず嫡妻にしてくれる心優しき殿御を選びなされ。」と若い二人に助言してくれました。(まひろとさわがつけている赤い帯は「掛け帯」だそうです。 こちら )寧子とまひろとさわが話をしていたら藤原道綱(寧子と兼家の間の子;上地雄輔さん)が後からやってきて話に加わりました。「蜻蛉日記」にも登場する道綱と会うことができ、光栄に思ったまひろは嬉しくてたまらない様子で道綱に挨拶をしました。そんなまひろを可愛く思った道綱は、皆が寝静まった夜更けにこっそりとまひろとさわが寝ている部屋に忍び込んできました。まひろは寝つけなくて庭に出て月夜を眺めていたため、部屋にはさわが一人。さわは道綱なら妾になってもいいと思ったのか道綱の誘いに応じるつもりだったのですが、道綱が望んだのはまひろの方で、道綱の下手な言い訳でさわは余計に深く傷ついてしまいました。(ここで現代の石山寺さんからのお叱りポストが。 ⇒ こちら )翌朝の帰り道、昨夜のことがあったさわはずっと落ち込んでいました。まひろが声をかけるとさわは、自分は才気も殿御を引き付ける魅力もなく、家にも居場所がないからもう死んでしまいたい!と叫んで川のほうに走り出しました。まひろと2人の従者がさわを追いかけていくとさわは川原で突然立ち止まりました。4人がそこで見たものは、川の中や川原に累々と横たわる死体で、それはこの頃都の近辺で流行り始めた疫病によるものでした。(当時もしこのように死体が川の中にもあったら、汚染された水が下流にどんどん広がって疫病が蔓延したと思われます。)
April 17, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。1月にドラマがスタートしてから己の野望のために周囲をグイグイと動かして、ついには望むものを手に入れた藤原兼家(段田安則さん)がこの回で退場となりました。特に父・兼家にいいように利用されてきた藤原道兼(玉置玲央さん)が、後継者選びで兄・藤原道隆(井浦新さん)が選ばれて、それだけでも十分ショックなのに、十数年前の失態を盾に父から突き放されたときは、道兼が可哀そうと思った視聴者が多かったのではないでしょうか。ただ見方を変えると、これは兼家の主義というか、後継者を道隆とするからには道兼を追い払っておかなければならない、兄弟で手を取り合ってなんて綺麗ごとは考えない、これは跡を継ぐ道隆の権力を盤石なものにするための、父としての最後の大仕事、のようにも思えました。父の愛が欲しくて、命じられるがまま汚れ役をやってきた、栄誉が欲しくて娘を入内させようと妻子に無理強いをした、そして自分に愛想づかしをして妻子は去り、全てが報われないままに道兼の10年という時間が流れました。ただ自暴自棄になっても、父の悪行をバラして一族全てが滅びることをしなかったのは、まだマシだったでしょうか。現代でも、自分のための努力じゃなく、誰かの愛を求めて、誰かに認めてもらいたくて、誰かを振り向かせたくて、必要以上に頑張ってしまったけど報われなかった人には、道兼の姿が心に刺さったと思います。まあそれでも、いかなる理由であれ、努力して手に入れたものは後で役にたつ、という『塞翁が馬』でもありますが。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永祚2年(990)父・藤原為時が無職になって4年、いよいよ生活に困ったまひろ(吉高由里子さん)は以前から交流のあった左大臣家の源倫子にこの家での仕事を紹介してもらえたのですが、ここはかつてまひろが愛した藤原道長が婿となっている家なので、まひろは丁重に断り帰ろうとしました。その時に帰宅した道長と廊下ですれ違うこととなり、まひろはとっさに顔を伏せて礼をとり、道長もそのまま通り過ぎていきました。道長本人がいて、まひろの耳に入る「北の方」や「お父上」の呼称、倫子たち家族の光景は、まひろにはいたたまれないものでした。しかし道長のほうも、思いがけない再会となったまひろに心が揺れ動いていて、妻の倫子や娘の彰子のことにも心ここにあらずでした。ところで病が重く死期を悟った摂政の藤原兼家(段田安則さん)は嫡妻を母にもつ藤原道隆(井浦新さん)と藤原道兼(玉置玲央さん)と藤原道長(柄本佑さん)を呼び、後継者のことや今後のことを伝えました。兼家が絶大な権力を持つために、父・兼家の命のまま兄弟の誰よりも働いたと自負する道兼は自分が必ず父の後継者となると信じていましたが、兼家が指名したのは兄の道隆で、道兼は唖然としました。父はさらに「人殺し(道兼は十数年前にまひろの母を自ら殺害した)に一族の長は務まらん。大それた望みを抱くな。」とまで道兼に言い、下がれと命じました。父のあまりの言葉に我慢ならなくなった道兼は、父こそ権力を持つために先先帝や先帝に対して人に言えないことをやってきたのだと暴露し、「とっとと死ね!」と暴言を吐いて退出していきました。兼家は道隆と道長に「今より父はいない者として生きよ」と命じ、従者に支えられながら力なく歩いて去っていきました。一方、まひろの家では相変わらず困窮が続き、藤原為時(岸谷五朗さん)に仕えるいと(信川清順さん)が思いつめたように為時の前に来て暇願いを言いました。とはいえいとは身寄りもなく、疫病で夫と生まれたばかりの子を亡くした後にこの家に来て、嫡男の惟規の乳母となって惟規を我が子のように慈しんで育ててくれた、為時にとっても大事な存在です。良くも悪くも純粋で優し過ぎて殿としては頼りない為時だけど、「この家はお前の家である。ここにおれ。」ーー為時の優しさにいとはただ泣き崩れていました。さて、兼家には妾の藤原寧子(財前直見さん)と庶子の藤原道綱(上地雄輔さん)が別宅にいるのですが、寧子は病床の兼家の耳元で「道綱」の名を連呼し、後継者の道隆にも道綱をよろしくと、ささやき続けていました。道綱は母を窘めますが、でもそれぐらいしておかないと兼家は道綱のことを忘れてしまうかもと、心配でたまらなかったのでした。すると兼家が目をあけ、寧子を見て微笑みながら絶え絶えの声で『嘆きつつ ひとり寝る夜の 明くる間は いかに久しき ものとかは知る』と、寧子が『蜻蛉日記』に記した和歌を詠んだのでした。「輝かしき日々であった。」ーー兼家は寧子と過ごした時間を懐かしんでいました。しかし兼家を恨む源明子の執念は凄まじく、道長の妾となって道長の子(兼家の孫)を宿す今になっても、兼家を密かに呪詛するのをやめませんでした。その念ゆえか、ある夜中に兼家は何かに導かれるように庭に出て、そのまま絶命してしまいました。父・兼家のことが気にかかって夜明けに庭に出た道長は橋のたもとで父が倒れているのを発見、しかし父はすでに息絶えていました。冷たくなりかけた父の遺骸を道長は愛おしそうに抱き寄せ、涙ながらに「父上」と幾度か呼びましたが、その声は兼家にはもう届かないものでした。兼家の死から3日後、藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)がまひろの家に来て兼家の訃報を伝えました。兼家によって職を解かれた為時でしたが兼家に仕えて窮状を救ってもらった時もあり、為時はその死を悼んでいました。また宣孝は、自分が筑前守として国司になり間もなく下向すると伝えました。為時は兼家の死と親しくしている宣孝の下向で一抹の寂しさを感じ、一人静かに涙していました。兼家を呪詛してその願望を成就した源明子(瀧内公美さん)ですが、その無理が祟ったのか道長との子を流産してしまいました。(これは呪詛返しとかじゃなく、単に安静にしていけなきゃいけない時期に夜中に起きて心身に過大なストレスをかけたせいだと思います。)明子を見舞い優しい言葉をかけていたわる道長でしたが、明子のそばにずっといるわけではなく、また参ると言ってすぐに退出していきました。兼家の喪に服して都全体が静まりかえっている中、亡き父・兼家に裏切られて激しく傷つき自暴自棄になっている道兼は、屋敷の中で昼間から酒をあおり遊女まで呼んで一人遊興にふけっていました。そんな夫の姿を見るに堪えなくなった妻の藤原繁子(山田キヌヲさん)は道兼に離縁を申し出て、道兼がいずれ入内させるつもりでいた娘の尊子も連れて繁子は道兼の元を去っていきました。妻子が去った後の道兼の自堕落ぶりはますます酷くなり、また太政大臣だった亡き父・藤原頼忠に言われて道兼の方についていた藤原公任も当てが外れたと、これからは道隆に真剣に取り入らねばと考えを変えました。摂政となった道隆は、まだ17歳の嫡男の藤原伊周(三浦翔平さん)を一足飛びに蔵人頭に任命するなど、他の公卿たちの意向など全く気にせず次々と己が権力をふるっていきました。また道隆は帝(一条天皇、妹の藤原詮子の子;柊木陽太くん)に娘の藤原定子(高畑充希さん)を入内させ、定子も両親の期待通りに帝と仲睦まじくしているので、道隆の権勢はますます揺るぎないものになっていきました。道隆の嫡妻の高階貴子(板谷由夏さん)は、伊周の位が上がったのだからそれにふさわしい姫に婿入りさせたいと考えていました。そこで貴子は姫を見定めるために和歌の会を開くことにし、そのときに5年前の漢詩の会で呼んだまひろとききょうも呼ぶことにしました。和歌の会では、まひろとききょう(ファーストサマーウイカさん)は5年ぶりに再会することとなり、2人は共に会での役割を果たしました。後日ききょうはまひろの家を訪れ、その折に、あの和歌の会はつまらなかった、集った姫たちはより良き婿を取ることしか考えていない、志もなく己を磨かず日々をただ暮らしているだけの自分にとって一番嫌いな人たちだった、などと本音をまひろにぶつけていました。(ただね、志があって意思が強くて難しいことを考える女は扱いにくいから、伊周の妻には和歌の会に集ったような姫たちを望むと思います。)でもききょうは愚痴だけでなく、自分はいずれ宮中に女房として出仕して世の中を広く知りたい、そのためには夫と子供と離れてもいい、己のために生きることが他の人の役に立つような生き方がしたい、と将来の展望を語りました。ききょうに志はあるのかと問われたまひろは、貧しくて文字を知らないが故に不幸になる人を減らしたい、1人でも2人でも、と答えました。自分の志を確認したまひろでしたが、その文字を教えているたねが急に来なくなり、まひろは気になってたねの家を訪ねてみました。するとたねは父に叱られながら農作業をしていて、まひろが声をかけると父のたつじから「文字は要らない。余計なことをするな。」と文句を言われました。一方で道長は、面倒だからと罪人を密かに殺めている検非違使庁を改革しようと、何度も却下されながらも改革案を出していました。道長は身分の低い者にもちゃんとした裁きをと望んでいるのですが、摂政で兄の道隆は、権中納言の道長は下々のことを考えなくてよいと一喝しました。そして帝に入内させた娘の定子を中宮にすると言い、円融院の遵子を皇后にして定子を中宮にすると言いました。道長が前例がないと反論すると「公卿たちを説得せよ。これは命令だ。」と強く言い、多くの公卿が反対しても道隆は帝に「定子を中宮にする」と言わせました。たとえ高い志があっても己に権力がなければ何も成し遂げられないのだと、この時に道長は思い知るのでした。
April 9, 2024
2024年NHK大河ドラマ 『光る君へ』 の感想です。このドラマは主人公は後に紫式部となる吉高由里子さんですが、吉高さんがまだ「まひろ」のうちは、メインは 藤原兼家(段田安則さん)と3人の息子たちの動きだと思って視聴しています。長男・藤原道隆(井浦新さん)と次男・藤原道兼(玉置玲央さん)の本人同士、そして妻子を含めた家族同士の対比に興味が湧いてきます。内面は冷徹だろうけど人当たりの良い道隆と、実務的な力はあるのに人気のない道兼。与えられた地位と家族の皆がそれぞれに持つ高い能力で、いつも自信にあふれて明るい道隆一家。働きの割には父からの評価が低くて悔しくて、兄より上に立とうと躍起になるものの、元からの卑屈な性格もあって妻子にプレッシャーをかけてしまい、どこか暗くなってしまう道兼一家。でもそんな兄たちをよそに、仕事の面ではブレずに己の考えに忠実であろうとして、会議の場でも上役に臆せず意見が言える藤原道長(柄本佑さん)がいて、この先のことを想像できる面白い設定だなと思っています。(もっとも私的な心の中はブレまくりにようですが)でもドラマの終盤で、老いて呆けたと思った兼家が道長に対して、しっかりした態度で父としての考えを伝えました。道長の甘さを指摘し、この先に道長が守るべきものとその理由をちゃんと説明しました。そしてさらに「その考えを引き継げる者だけがわしの後継だと思え。」ーー兄たちと違い道長は自分が父の後継者になりたいなんて一言も言ってないのだけど、兼家は道長に強くそう言いました。これは晴明から「答えは自分の心の中に既にあり、それが正しい。」と兼家が言われたことの、兼家が心の奥で直感して涙して得たことの答えなのでしょうか。こちらでは様々な意見がでていて参考になります。 ⇒ ⇒ #光る君へ 永祚2年(990)正月、一条天皇は摂政の藤原兼家の加冠により元服し、兼家は政権の頂点に、そして息子たちを瞬く間に昇進させて政権の中枢に置きました。兼家の長男の藤原道隆(井浦新さん)の中関白家には、学問・音楽・武芸など何をやっても他者より秀でた嫡男の藤原伊周(三浦翔平さん)と、優秀な息子が可愛くて仕方がない道隆の妻・高階貴子(板谷由夏さん)、伊周の弟の藤原隆家、そして間もなく一条天皇に入内する娘の藤原定子(高畑充希さん)がいました。明るく聡明な定子は入内した後には、元服したとはいえまだ幼い帝(一条天皇)と打ち解けるよう工夫をこらし、帝の心を掴もうと努力してしました。一方、一条天皇を即位させるために父・兼家の命ずるままに兄弟の中では誰よりも働いたと自負する藤原道兼(玉置玲央さん)でしたが、兄・道隆よりも下にいることが常に不満でした。道兼はその苛立ちを娘の藤原尊子(愛由ちゃん)をいずれ帝に入内させることにかけていて、尊子が定子よりも先に皇子を産めばとまで考えていました。道兼の妻・藤原繁子(山田キヌヲさん)はそんな夫に、自身の栄達も大事だけど尊子の幸せも考えてほしいと訴え、また尊子も父が自分に向ける強すぎる期待に恐れを感じて返事もできませんでした。まひろ(吉高由里子さん)が市場に買い物に出たある日のこと、男の怒号と女が言い争う声が聞こえてきたのでその場に行ってみると、3人の子供が縄で縛られ連れていかれるところでした。人買いの男が示す証文には確かに子供一人を布1反で売ると書いてあり、文字が読めずに人買いの嘘を信じてしまった貧しい女は、3人の我が子を人買いに渡さざるを得なくなりました。「文字が読めたらこんな不幸は起こらない。文字を教えたい。一人でも二人でも。」ーーそう考えたまひろは従者の乙丸(矢部太郎さん)に頼んで、人が大勢集まる場所で文字が読める嬉しさを伝える芝居を始めました。行きかう人のほとんどはまひろと乙丸の芝居を怪訝そうに見ているだけでした。でも、たね(竹澤咲子ちゃん)という少女だけは文字に興味を持ち、嬉しそうにまひろから文字を教わっていました。いつしかたねはまひろの家に来てもっと文字を教わるようになり、喜んで教えるまひろと一生懸命に学ぶたねの姿を、乙丸は温かく見守っていました。ただまひろの父・藤原為時が職を失って4年がたち生活はますます苦しいのに、まひろが一文にもならないことをやって喜んでいるので、為時に仕えるいとは苦々しく思っていました。この頃の朝廷では、尾張国郡司百姓等解文をはじめ地方の人々が国司の横暴を訴える上訴が相次いでいました。左大臣の源雅信(益岡徹さん)は国司たちがこのように勝手に重税を民に課しているのかと気にしていましたが、内大臣の藤原道隆は、これらの訴状をいちいち取り上げていてはきりがない、そこら中の民が都に来て訴えるようになる、全て却下すべきと意見し、他の高官たちも道隆に賛同しました。しかし道隆の弟の藤原道長(柄本佑さん)は、遠方より都まで出てきて上訴する民には切実な思いがある、民なくば我々貴族の暮らしもない、と反論しました。その道長の政への姿勢を藤原実資は感心して見守っていました。雅信は摂政の藤原兼家(段田安則さん)に意見を求めましたが、兼家は議題から離れたおかしなことを言いだして、その場の一同を唖然とさせました。父・兼家の老いと呆けが誰の目にも明らかになってきて、次男の道兼は父に早く自分を後継者にしてもらわなければと焦っていました。長男の道隆も、父はこの夏には世を去るだろう、その時には次は自分が摂政にと読んでいて、妻の高階貴子にも心づもりをしておくように言いました。一方、亡き父・太政大臣の藤原頼忠から、道隆ではなく道兼につくよう言われている藤原公任(町田啓太さん)は、道兼に取り入っていました。道兼は公任に、蔵人頭の立場を利用して父・兼家の様子を逐一自分に知らせるよう命じ、自分が父の後継者になった際には公任の出世を約束しました。さて、思いを寄せる道長を婿に迎えることができた左大臣・雅信の一の姫・源倫子(黒木華さん)は道長との間に一の姫の彰子をもうけていました。御所の勤めから戻った道長が物憂げな顔をしているのでどうしたのかと倫子が尋ねると、道長は父・兼家の様子がおかしいことを話しました。でも倫子は、それは兼家の老いであろう、自分の父・雅信もすっかり老いたがそんな父も愛おしい、ここまで一生懸命に働いてきたのだ、と語りました。そう聞いた道長は、父も長い闘いを生き抜いてきた、(孫の一人の)帝が即位して(もう一人の孫の)定子が入内したから気が抜けたのかも、と考えました。「お優しくしてあげてください。」ーー道長は倫子の言葉を受け入れました。さて、まひろの家には親戚の藤原宣孝(佐々木蔵之介さん)が来ていて、この格好で御嶽詣でをしてきたと、土産話で盛り上がっていました。そして宣孝はまひろにまた縁談を持ってきたのですが、まひろは今は結婚など考えていない、収入にはならないけど子供に読み書きを教えていてやりがいを感じて楽しいと答え、宣孝はそんなまひろを興味深く見ていました。一方でまひろの父・藤原為時(岸谷五朗さん)には、摂政・兼家の加減が悪い、兼家が生きているうちは為時は官職を得られないがもしかしたら近いうちに、と情報を提供して宣孝は去っていきました。この頃、道長の妾である源明子(瀧内公美さん)が道長の子を宿していて、でもめでたいことなのに笑顔のない明子を、道長は優しく受け止めていました。その明子が突然、父・兼家の見舞いに行きたいと言い出し、道長は明子を父の元に連れていきました。兼家は明子にとって父・源高明を陰謀で失脚させた(安和の変)仇なのですが、兼家は明子のことも明子の父とのことも全くわからない状態でした。父の復讐を固く誓う明子は兼家の機嫌をとって扇子を手に入れ、扇子を使って兼家の呪詛をはじめました。兄の源俊賢は(兼家の孫を身ごもっている)明子をたしなめましたが、明子は復讐をやり遂げる決意でした。明子の呪詛のせいか兼家は夢でうなされるようになり、時には幻覚も見るようになって自分の先が長くないと感じたのか、陰陽師の安倍晴明を呼び出しました。兼家は自分の寿命があとどれくらいか、自分の後継者は誰なのかと問いました。しかし晴明はどちらもはっきりと答えは言わずに、答えは兼家の心の中に既にありそれが正しいとだけ言い、兼家はなぜか涙しました。父の病状を案じて道長が声をかけた時、兼家は道長に語りました。「民をおもねるようなことだけはするな。お前が守るべきは家の存続だ。人は皆死ねば土に還る。栄光も誉れも死ぬが家は生き続けるのだ。家のために成すことが政だ。その考えを引き継げる者だけがわしの後継だと思え。」老いた父がしっかりとした口調で、全身全霊を注いで自分に伝えたかのような言葉を、道長は深く胸に刻みました。ところでまひろですが、この頃には本当に生活に困っていて、その事を学びの会の時に聞きつけた倫子が自分の家で働かないかとまひろを誘いました。しかし倫子の屋敷は(倫子はまだ知らないけど)まひろがかつて愛した道長が婿として住む家です。まひろは倫子の心遣いを嬉しく思いつつも、倫子の申し出を断りました。ただこの折に倫子が道長の文箱から気になるものを見つけたと言ってまひろに漢詩の文を見せたのですが、それは4年前にまひろが道長に送ったものでした。漢詩は男が使うものだけどこれはどうも女文字、もしかしたら明子女王が?と倫子は考えを巡らせてしまい、さらには4年前に初めて道長と結ばれた折にも自分とは文のやり取りもなかったと、倫子は寂しげでした。しかしまひろにとっても、4年前に別れたあの直後に道長はここに来たことと、道長の子が目の前にいて倫子が道長の話をしたがるのは辛いものでした。まひろが倫子に断って帰ろうとした時、廊下で道長と再会し……。
April 2, 2024
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