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まだ梅雨明けしないでうっとおしい毎日。なにもかもメンドクサく感じちゃっていたのだが、今日は友だちと元上司に会いに出かけた。二人ともワシのユクスエを心配してくれていて、仕事の話をしてくれている。他にももう一人、「話をしといたから電話してみて」と紹介のメールを送ってくれた友達、元同僚も「二人でやるか」なんて言ってくれて、なんだかワシ感激なんである。まだ具体的なことは何も決まっていないけれど、ジンワリホッコリ嬉しいじゃありませんか。人が自分を思ってくれるって、こんなにパワーをもらえるんだね。重くのしかかっていた雲が切れてきたみたい。明日から実現に向けて行動するのみ!(何でこの写真選んだんだろ??シミランの海だけど、エンジンかかったってことか!)
Jul 31, 2007
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天気が悪いせいもあるけど、はっと気づいたら今日は一歩も外へ出ていなかった。ひきこもりってわけじゃないけど、健康的ではないはな。かねてから気になっていたセカンドライフのアカウントを取ってみた。マニュアルを読むのがめんどくさいので、とにかく名前をつけてログイン。訳わかんないけど、「飛行」っていうボタンがあったので飛んでみた。海の上を飛ぶ。もうそれだけでシアワセな感じ。インフォメーションエリアにいるオウムが「キスしてって言えばいいだけ」っていうから「会えて嬉しいよ。キスして」ってメッセージを送ったけどシランプリだった。何だよ とにかく何にも使い方を知らないんだから仕方ないか。これからちゃんと読んで、ちゃんと楽しめるようにするけど、もしウロウロしているPippi Tomorrowがいたら話しかけてくださいね!
Jul 30, 2007
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7月14日に日本へ帰ってきてから11日、やっとADSLが開通したけどすんなりブログを書けないワシがいる。プーケットでピッピの命の重さを感じていた毎日に比べ、ダラダラとメリハリのない時間が過ぎていく。実家にはミルと同じキャラのキョンコ(ペルシャ)とピッピの妹のラック(キジトラ)がいて寂しさを紛らわせてくれるし、両親も歳相応にいろいろあるが、普通の生活を送っている。もう少し明るい気持ちでいたいものだが、天気のせいなのか体調もスッキリしなくて、ドッと歳をとってしまった感じだ。先の見えない不安、それが一番大きいのだろう。市役所へ転入の手続きにいってちょっと朗報あり。年金についてだが、海外に住んでいた期間は年金を払った期間として数えられるということだ。ちなみに年金の受給資格は300ヶ月必要らしい。16年もタイに住んでいる妹なんか、ワシよりかけていなかったくせにすでに支払い期間をクリアしてしまっているのだ。ただ、掛け金は0円であるわけだから(任意で掛けることもできる)もらえる金額が少ないのは仕方ない。ワシの場合もプーケットへ行く前はあと11年とか言われていたけど、あと4年これから払えば資格ありとなる。年金番号を二つ持っていたので、このドサクサにまぎれて「すっごく払ってた!」って言い張ろうかと思ったけど、すでに統合済で適正に処理されていたのであった。友だちも心配してくれて、仕事の声をかけてくれたりする。さてどこまでいけるのか。ロウコツに鞭打ってもう一がん張りせねば。サバイバルするドっ!(と、形だけでも鼻息荒くしないとね)
Jul 25, 2007
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明日は帰国の日。荷物の整理がほとんど終わりお昼も過ぎたのでピッピを探しに行った。最初に隣の空き地を探そうかと思ったが、あの草深い中にピッピがいるはずがない。散歩の時もまずモートンの家に行こうとしていた。だから向かいの彼の家を訪ねた。家の裏を見せてくれないかというと彼は快くもちろんと答えてくれた。ワシは家の左側、妹は裏を見に行った。そしてすぐに「ピッピがいた!」と妹が叫んだ。家の中央にある室外機の下だろうか、小さな屋根がついていて雨も風もしのげる場所だった。そこへ手足を伸ばして横になっていた。それだけ見れば気持ちよく昼寝をしていた、そんな感じだ。妹は最初死んでいると思ったらしいが、「ピッピ」と呼ぶと小さな声で答えたらしい。桜色が自慢だったピッピの唇は黄色くなり、肉球も黄変していた。タオルに来るんで抱きかかえ、モートンにお礼を言って家に戻った。ピッピが安心して眠れるところがどこなのか、ワシにはもうわからなかったけれど、以前よく寝ていた電子レンジの下がいいという妹に従ってピッピを寝かせた。ティッシュに水を含ませて乾ききった唇をぬらしてあげるとピッピは目を覚まして一度体の向きを変えた。そっとしておこうということで、ワシは荷物を出しに出かけた。そして郵便局で送り状を書いているときに妹から電話があり、ピッピが死んだことを知った。昨日の朝はちょっと雨が降ったけれど、その後今日の昼間まで本当にいい天気で、久々に青空と白い雲を見た。ピッピの外出を神様がプレゼントしてくれたような天気だった。まぶしい光の中、庭のレモングラスの陰でピッピがよく寝ていたところへ埋めてあげることにした。普段めったに外に出ない母猫のミルが出てきて、土を掘っているワシらを座ってみていた。そして、普段絶対に行かない犬のケージの近くへ行き、母猫が子猫を呼ぶ声で何度か鳴いた。そこはワシのベッドの上にいるピッピの一番近くだった。その時、ワシはピッピがいつものように大きく伸びをして白い雲に駆け上がって行ったような気がした。ミルもそんなピッピに声をかけたのかもしれない。ピッピは欲望に忠実な猫だから、青い空と白い雲に行けるとわかったらさっさと遊びに行ってしまったのだ。未練なんて微塵もない。10才を超えているのに子猫のような毛と無邪気さを残していたピッピ、会えないのは寂しいけれど、ピッピはもう次のところで楽しくやっている。「遊んでおいで」と送り出した気持ちだ。3月に腎臓病が発覚してから4ヶ月。ワシがとったピッピへの治療について後悔する部分もある。でも長生きさせるだけがピッピの幸せではないと、それがいつも心にあった。体に悪いとは思っても、ご飯を食べさせたい一心で何度も鶏のササミやマグロのお刺身を買いにセントラルやジャンクセイロンへ通った。ピッピには沼や草の茂みに入らされてとても怖い思いをしたけれど、今はピッピとワシの大切な思い出になった。沼の浮き草の上でピッピはワシだけを見つめていた。ツルに巻きついた時、ピッピはワシに助けを求めた。ピッピは家が嫌で出て行ったのではない。家の延長にある快適な場所へ行っただけ。だからワシらがすぐ探し出せたのだ。だから家で最期を迎えてくれたのだ。今回、ピッピのことで改めて友だちの暖かさを感じた。妹やワシ、そしてピッピを見守ってくれた皆さん、本当にありがとう。プーケットの思い出をまた一つ増やすことができました。皆さんの友情にピッピともども心から感謝します。ありがとう。http://phuket-gobutama.blogspot.com/2007/07/blog-post_13.html#links(ピッピが駆け上っていった青空)
Jul 12, 2007
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昨日の夜、「明日お天気だったら、ご飯を食べて外に出してあげる」とピッピに約束した。15分程度散歩に出たからと猫が満足するはずがない。ピッピは快適な場所でリラックスしたいのだろう。ここ数日、昼間になっても瞳がまん丸なままになってしまった。獣医さんが言うにはストレスだという。次は何をされるのかと思うとノンビリできなくなってしまったのかもしれない。あまり眠りもせずに起きていれば外に出たがるピッピを見ていると、約束せざるを得なかった。天気だったら、これは賭けだった。そして今日、早朝に雨こそ降ったものの久しぶりに青空がのぞいた。風は強かったけど、ピッピがいくのは風下のほうなので、家で防がれている。ハチャメチャおばさんにもらった缶詰以降ほとんど食べていないので、妹と無理やり食べさせる。だから家が嫌なのだろうが、もうピッピに余分なエネルギーはないのだ。ほんのちょっとだけど腎臓病用の缶詰を食べ、お水も飲ませた。しばらく壁とドアの間でジッとしていたけど、やがてまた外へ行きたがった。雨も降らないだろう。約束だ。ワシが帰るのは明後日の夕方。多分もうピッピに会えないだろう。妹は悲観的過ぎるというけれど、そんな気がして仕方ない。だから、ピッピと写真を撮った。ワシとピッピで2枚、妹とピッピで2枚。その写真を見てワシはピッピに申し訳ないと思った。ピッピの上体が傾いている。妹はそんなピッピを優しく包み込んでいた。ピッピのためといろいろやったが、いつの間にか自己満足だけになっていたのかもしれない。写真はそんなワシを映し出していた。キッチンのほうからピッピを外へ出した。帰って来るんだよ、帰ってこれなくなったら知らせるんだよ、絶対に迎えに行ってあげるから、そう言い聞かせた。ピッピはまずおしっこをして、隣りの空き地へ入る隙間のほうへ歩いていった。20センチくらいの高さがあり、すぐには上れずその前で座り、ワシと妹を見つめた。「行っておいで」というと空き地へ入っていった。多分モートンの家か、その隣の空き家の軒先にいると思う。夕方呼んでみたけれど、今日は答えなかった。雨も降らないからゆっくりと眠っているのだろう。帰り支度とピッピのことで、ここ数日本当にきつかった。今だってため息ばかりついていると妹に言われる。いつも眠くて仕方ないのは逃避行動か。「あ~面白かった」といってこの世とおさらばする、それがワシの人生訓。だったらピッピにも同じことを許してあげよう。寂しいけれど、いつかまたどこかで、きっと会えるから。
Jul 11, 2007
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今日、ドタバタおばちゃんさんならぬハチャメチャおばさんと3月に日本へ帰ったMさんからすごい励ましをいただいた。ハチャメチャおばさんはパトンから山を越えてわざわざ7歳以上の猫用の缶詰を届けてくれたのだ。ハチャメチャおばさんはずいぶん多くの家猫・外猫を世話していて、貴重な缶詰である。そしてさらに貴重な開店前の時間を使ってきてくれたのだ。それにそれに、ピッピの水彩画まで描いてくれたのだ。ハチャメチャおばさんの暖かい心が通じたのだろう、今朝、腎臓病用の缶詰を3口くらい食べただけのピッピが、ハグハグとおいしそうに食べたのには本当に驚いた。ピッピともども心からありがとうを言います。Mさんからは19日からプーケットへ来るので必要なものを日本から買っていくよというメールをいただいた。お言葉に甘えて、缶詰をお願いした。Mさん、メールホントありがとう。なんかワシ、皆さんの暖かい心にホント打たれました。思えばワシはすっかり諦めていて、ピッピに知らないうちに「お前はもうダメだ」光線を浴びせていたのかもしれない。そうして心配して自分をクタクタにして、帰ってこないピッピに恨み言を言って。自分がたちの悪い悲観主義的だってこと、今回思い知らされた。ピッピ、ごめんね。プーケットにいていろいろな別れがあって、そのたびに「カウントダウンはしない、カウントアップする」といい続けてきたワシだった。ピッピだってそしてワシにとってのプーケットだって同じことだ。ピッピ、あと5日間、気張らずに行こうな。
Jul 8, 2007
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ピッピはもう3日、何も食べていない。なのに外に出たがり、今朝ドアを開けるとさっさと出かけてしまった。そして、戻ってこない。夜の8時になって探しに出たところ、お向かいのモートンが「家にいるよ」と教えに来てくれた。ピッピはモートンの家のプールサイドのテーブルの下にいた。魚をあげたけど食べなかったという。さわろうとすると怒ったらしい。ピッピはどこまでも欲望に忠実な猫なのだとつくづく思う。点滴も薬も嫌、快適なところにいたい、そういっているように思う。家にいるピッピを見ると少しでもよくなるようにと手を尽くそうとしてしまうが、それが苦痛なのであろう。夜遅くになっても出口はないかと探している。そんなに家が嫌なのかと思うと情けなく、悲しい。せめて家にいることが快適であるようにもう延命治療はやめようかと思う。苦痛ばかりで少し長く生きてピッピが幸せだとは思えない。諦めが早すぎる?無責任?一人ぼっちで最期をむかえさせたくないと思うのは、独りよがりなのだろうか…。
Jul 7, 2007
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ピッピ2回目の朝帰り・・・いや朝帰りではないな、ワシが探しに行って見つけたのだから。昨日の朝早く、窓越しに外を見ては鳴いていたのでご飯を食べさせた後外に出してあげた。残り少ない日々をピッピの好きなようにさせよう、それが一番だということにしたのだ。しかし、朝5時半に出て行ってきり夕方になっても戻らず、夜になっても戻らず。まったく気配すらしない。向かいのモートンも見ていないという。おまけに昨日の夜は雨が降った。降り続くことはなかったけれど突風が吹き、かなり激しい雨が10分くらい続いた。ワシはもう生きた心地がしなかった。合羽を着て懐中電灯片手に出かけたが、やはりいる気配はない。ちゃんと雨宿りしているだろうか、どこかで動けなくなってずぶ濡れになってはいないだろうか、そう思うとワシはご飯も咽を通らなかった。明け方二度ピッピが帰ってきた夢を見た。一度は夢の中で夢であることに気づいた。2度目の夢の時は「今度は本当に帰ってきた!」と喜んだが、結局夢だった。目が覚めて思った、今回は駄目かもしれない、もう生きてピッピに会うことはないかもしれない、そう思うとどうしても体に力が入らなかった。でも、ワシが諦めてしまったら終わりなのだ。ピッピはあまり頭のいい猫ではない。母猫のミルはとてもクレバーで慎重な猫だが、ピッピは欲望先行型で後先を考えないから帰ってこれなくなることが何度かあった。病院の裏の沼に飛び込んだ時だってそう。あの日の真っ黒な沼に浮いた草の上で少しずつ沈んでいくピッピを思い出した。ピッピのために帰国を延ばしているのだから、ワシにできることは何でもしよう、そう思い直してもう一度探し始めた。道で会う人は「猫を探しているのか?」とワシに聞いた。50m足らずの路地を何度もピッピの名前を呼びながらウロウロしてるのだから当然といえば当然だ。みな、見たら教えてあげるとはいってくれたけど、見た人はいない。2時にパトンへ出かける用事があり、いつもなら必ず寄り道してくるのに今日はさっさと帰ってきた。そしてもう一度ピッピの名前を呼びながら同じ道を探し始めた。家の周りは犬を飼っている家が多いので、そう遠くへ行くとは思えないからだ。と、ワシの呼びかけにピッピが答えた!聞き違いではない、二度答えた!隣りの空き地なのだが、高い塀が作られていて中に入れないように鍵がかけられている。その空き地の隅にある木の下からピッピの声が聞こえたのだ。ピッピが自分で帰ってくるように家のキッチンのほうに回って呼んだけれど反応がない。もう一度道のほうへ回ってピッピを呼ぶとまたちゃんと答えた。空き地は広くないけれど草ぼうぼうである。とにかくワシは何が嫌いって毛虫とかムカデとか足がまったくないか9本以上あるもの、これを見るとこのプーケットでも本当に寒さを感じるのだ。そういう虫が必ずいる草むらに家の塀を乗り越えて入らなければならない。ワシはもう一度沼からピッピを救出した時のことを思い出した。草があまり生えてないところを通れば、あの沼よりはましである。それにとにかくワシが行かないことにはピッピを救えないのだ。ピッピを呼ぶ、ピッピが答える。ピッピは塀の住み近くにうずくまっていた。やっぱり草のツルが胴に巻きついて動けなくなっていたのだ。やけに埃っぽかったから雨宿りはしたのかもしれない。とにかくピッピに会えた!ワシの一番怖いことを突きつけるピッピの救出だけど、とにかくワシはピッピを救った。あの嫌~な脱力感が一瞬にしてまた消えた。輸液をしようとピッピの背中に針を刺すと、痩せすぎていてすぐに貫通してしまう。だいぶ慣れたワシでさえそうなのだ。大好きなお刺身も今日は食べなかった。腎臓病用の缶詰をほんの少し舐めただけ。後どのくらい生きられるのだろう。ワシはまた外に出たがるピッピを出すことができるだろうか。ピッピの帰りを待っている間ずっと考えていた。ワシは傍においておきたくて、ピッピを家の中に閉じ込めるだろう。それが今のピッピにとって幸せなのかどうか。ミルのような猫ならきっと戻ってくるだろうけど、ピッピはそれができない猫なのだ。もうあんな心配をするのは嫌だ、それが一番正直な気持ちなのだ。今のワシにはピッピに何をしてあげればいいのかわからない。点滴をしたり薬を与えたり、ピッピが嫌なことばっかりやっている。無理やりでもご飯を食べさせろと言われるけれど、食べることが大好きだったピッピにそれが嫌いになるようなことをさせたくないのだ。たとえそれで1ヶ月命を延ばすことができるとしても、どれだけの意味があるのだろう。なんだかとても悲しい気がするのだ。。
Jul 5, 2007
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今日もピッピは朝から出かけている。そして今日も隣のモートンが、家に隣接した空き地にいることを教えてくれた。3時から出かける用事があったので、家に入れておきたかったのだが、帰ってきそうにない。雨も降らなさそうなので、そのままにして出かけた。出かけた先はエレファント・トレッキング!妹のクライアントがカリムからカトゥーに引越し、2時間コースでパトンの見える山の上まで行くというので、妹の取材がてらワシも同行することになった。細腕繁盛記Rさんも一緒。彼女も別件の取材だった。我が家から直線距離にしたら1キロあるかないかってところだが、幹線道路からちょっと入っただけで、こんなにレインフォレストが残っているとは(まぁ、家の周りもレインフォレストだらけだけど)。3人一緒にオス象に乗ってマイペンライということで、いざ出発したのだが・・・ちょっと歩くと立ち止まってしまうのである。象使い君の言うことには、今日はこのオス象、下痢でマイサバイなんだそうだ。おまけにワシらの前に一仕事したばかりで、ちょこっとアブナム(シャワー)しただけで、ワシらを乗せる羽目になったわけだ。3人合わせて約170キロ!それに象使い君が乗り、椅子を載せ、さすがのオス象も嫌気がさしたようなのだ。歩いては停まり、歩いては草を食べ、これじゃ2時間コースが一体何時になるのかわからない。なんだかワシは象にとてもすまない気持ちになった。業を煮やした象使い君はもう1匹連れてくるように携帯電話で連絡した。20歳のメス象がやってくることになった。やってくるのはいいんだけど、どうやって乗り換えるんだ!?最初に乗る時は高さ3mほどのプラットフォームがあるのだが、ジャングルの中にそんなものあるはずない。すると象使い君二人は象たちを近づけ、さぁ乗り換えろという。ヒェ~。ボートからボートへ乗り換えるより怖いゾウ。とにかくなんとか乗り換え、若いメス象にワシとRさんが乗ることになった。するとオス象はみちがえった様に妹一人を乗せてさっさか山を登るのであった。若いメス象はというと・・・時々鼻を振ってシャーっと水(鼻水?)を吹きかける。暑いからやるらしいんだが、なんかわざとワシにかけているんじゃないかっていう感じだった。それでもワシは「ごめんね、ごめんね、頑張ってくれ~」と謝ったり励ましたり。象使い君はもう一度決断を下し、Rさんがオスに戻ることになった。ワシは今日ほどおのれのダイエットの必要性を感じたことはない。。ワシを除く二人はタイ語話せるし、インスペクションということもあって象使い君たちもリラックスしていたのであろう。途中、椅子を直すからと象の首のところに移動させられた。ワシ一人になってもまだイヤイヤするメス象から降りてドリアン拾いにもいってたな。象は道端というか、下は崖というところに生えている草を食べに歩き出しちゃって、マジあせった~。昔シャロンでエレファント・トレッキングをやったことあるけれど、もっと平たんな道だった。ここはレインフォレストの中の道を行く、いわば本格的エレファント・トレッキング。野生のドリアンやバナナがあちこちに生えている。山の上から見るパトンは違う町のように見えた。普通はないであろう象の乗換えや直乗りも面白かった。象の丸い頭、意外と柔らかくてすごく暖かいのだ。トレッキング終了後、バナナのチップを弾んだ。象たちは、吸い込むような勢いで一気に平らげたのであった。カリム・エレファント改め、プアン・チャン(象のお友だちの意):パトンからプーケットタウン方向へ丘を下り300mほど先を左折。ゴーカートの隣りだが、プーケットタウンへ向かって左側のゴーカート。(写真:おぉわが妹も一人で象に乗っておったか。なかなかすごい絵ではないか)
Jul 2, 2007
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ピッピが今日も朝から外に出たがっている。ちょっと心配だけど、行き先がわかったので朝の5時半から外へ出してあげた。しかし、夕方の5時になっても帰ってこない。またもやお向かいの家の前へ探しに行く。お向かいの家では今日パーティーをやっていた。門に風船をくっつけて可愛いんである。で、ワシがまた「ピッピ~」と探していると、彼が出てきてくれた。今回はちゃんと名前を聞いたぞ。モートンというのだ。モートンは友だちのジェフェリーと元妻のオンを紹介してくれた。で、ピッピはモートンのガーデンパーティーにお邪魔していたらしい。プールサイドに2時間ほどいて、1時間くらい前に帰って行ったと。「猫の名前はなんていうの?」「ピッピです」「家の娘が、ちょうど見ていた漫画にピッピっていう猫が出ていたからか、君の猫にピッピって呼びかけてたよ」なんかちょっと嬉しいよね、ピッピの名前をもう覚えてくれた。「いいお隣さんができて嬉しいな」「ボクも」。ワシはもうすぐ帰ってしまうが、妹は残るわけで、家の周りはとにかく田舎なので近所付き合いはそれなりに大切なんである。いい人で、ホントよかった。ジェフェリーもおいでとピッピに声をかけたのだけど、ピッピはジッと見ただけだったらしい。「シャイなんだね」といわれたが、本当はピッピは人好き、特に男好きである。特に特に男のクッサ~い足の匂いが大好きで、ついスリスリしてしまうのだ。でも今は、マイサバイで足の匂いどころではないのだろう。それでも、きれいに掃除の行き届いたプールサイドは涼しくて、ごちゃごちゃせまっくるしい我が家よりずっと気に入ったと見え、ワシのベッドサイドの窓からみえるモートンの家をジッと見つめ、時々鳴いたりしているのである。昨日ちょっと上げてもらったモートンの家は広々としていて風通しもよくて、雑草なんか生えていなくて、快適な家だった。ピッピでなくても住みたくなる家である。ちなみに同じタイプの隣の家は700万バーツで売り出されているが、まだ買い手はついていない。モートンは自国にプーケットの写真を撮って送るという仕事をしているらしい。イギリス人かなぁ、いずれにしろ外貨を稼げるというのはプーケットで暮らすのにすごく楽なはずだ。とにかくプーケットのローカル採用は予想以上にキビシイ給料設定がほとんどというのが現実なのである。それにしても、快適な住環境について改めて考えさせられた。1年住み慣れた我が家より1日過ごした隣家がいいとピッピがいっている。猫は一番快適な場所を知っているというものなぁ。ワシはプーケットへ骨を埋める気持ちは毛頭ないという理由で、住環境をかなりないがしろにしてきたと思う。たとえ限られた期間であっても快適に暮らすということをもっと真剣に考えるべきだったと今さら後悔している。我が家の周りはカトゥーの一集落であるが、悠々自適な年金ライフを過ごしている外国人が増えつつある。雨季と乾季しかないけれど、一年中Tシャツと短パンで過ごせて、自国に比べたら安く家が買えたり借りられたりできる。年金生活ができるのであれば、老後にプーケットへ住むのもいいだろうなと思ったりする。まぁ、ワシの場合“悠々自適な年金暮らし”はないのだが。ピッピも精神的のノンビリできたせいか小康状態にある。昨日は点滴も投薬もなし、今日は点滴だけで、ビタミンも抗生物質もあげていない。ご飯はお刺身さえ食べなかったが、今日は塩無添加煮干をガシガシ食べた。食べられるのなら何でもいい。少しでもハッピーだったらそれでいい。それがピッピのクオリティ・オブ・ライフなのだから。(写真:我が家の犬小屋の草刈りをするごぶたま)
Jul 1, 2007
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