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平成22年度も本日で終了。明日から新年度ですね。ウチの年度の〆は5月末なので世間に比べて比較的余裕があります。今日はあちこちで大変な賑わいだろうな~と思いつつ銀行へ行ったらガラガラ。役場へ行ってもまったく混雑なし。皆さんどこへ行ってしまったんでしょう?そういえば車で走行していてもスムーズ。なんだか気持ち悪いぐらいです。本年度(平成22年4月~23年3月)に限ればほとんど活動のない一年でしたね。バンドは休業で結婚式で演奏したぐらい。個人的にイベントのバンドサポートに入った程度で音楽的にはまったく動きはありませんでした。良かったことといえば野球とサッカーで応援チームが優勝したぐらいで特に印象のない一年でした。家族旅行にも行ってないし、営業的にもパッとしない…というか、サッパリな一年。リーマンショックの影響が出始めた2008年から3年越しでマイナスが続いています。果たしてそれまでの蓄えでどこまで持ち堪えることができるでしょうか。そして最後の最後で復興に何年もかかるであろう未曾有の大震災。今、この時でも未発見の何万もの行方不明者が、そして原発近くでは数百~千体規模の遺体が収容されずに放置されたままの状態。ここから直線でわずか600~800kmの距離にある場所でそのようなことになっているということが信じられません。節分を越えたら運気が上がる、と「大殺界」を売りとする占い師が本に書いてたのですが現時点ではそんな兆候もありません。それどころかその節分前には父が亡くなるし、今まで生きてきた人生の中でも最悪に近いような年度であったような気がします。果たして平成23年度は素敵な一年になるでしょうか。来年の今日はどんな日記を書いていることでしょうね。
2011年03月31日
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ACのCMに大和田伸也の息子が出てるそうですね。階段を上がるお年寄りをいたわるCMです。父親に似てるといえばそんな気もしますがどうなんでしょうね。ここのところしばらく家族のことを書いていません。聞けばどうもクラスメートの親にここを見られている可能性があるとか?どうやって探し出したんでしょうね~?そんなワケで各種親バカ自慢話は書けません((笑))とりあえず新年度から長男は中学3年生に、次男は小学6年生になります。長男は本格的に受験勉強に、次男は引き続き負かされることになった児童会の仕事が忙しくなりそうです。そういえば去年の今頃は淡路~姫路を旅行してたんですよね。今年は法要等、諸事情で家族旅行は取り止めになりました。次回はいつになりますか…。
2011年03月30日
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東京滞在中だった韓国からの留学生が帰国しました。なんでも入学式が一ヶ月延期になったそうで。そのまま滞在していてもやることがないので一時帰国したそうです。度重なる揺れと原発事故。現在の状況なら仕方ないかもしれませんね。次回は5月上旬の入学式に合わせて来日するそうです。福島の原発事故はかつてのチェルノブイリの事故が引き合いに出されることが多いですね。あの時は深夜放送の最中にも頻繁にニュース速報が入ってきていたような記憶があります。今もですが、放射能拡散と言われても今ひとつ実感がありませんでした。目に見えないものの存在。基本的な知識に加えて、当時のソ連の報道体勢からしてよくわからなかったんですよね。「メルトダウン」という聞き慣れない言葉が妙に恐怖心を煽っていたような覚えがあります。今は復旧の最中。でも日が経つに連れて状況が悪化しているような気がしますがどうなんでしょう?「直ちに影響が出るわけではない」と官房長官は言ってますが、逆に言えば「やがて影響が出てくる」とも受け取れてしまいます。本当のことを知りたいものです。
2011年03月29日
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震災後の映像を観てると3階建ての建物でも屋上まで波が押し寄せた箇所もあるみたいですね。我が町の海岸線は外海ではなく湾の内部なのでそれほどの波は来ないでしょうが、それでも低地では水浸しになる可能性が大きいです。水門が完成してからは一度もありませんが、昔は台風で街中が洪水で床上浸水するところもありました。とりあえず家族で話し合って、それぞれが外出時に震災が起きた場合の集合場所を決めました。我が町で高台と言えば長男が通っている中学校あたり。ウチは3階建てですが、屋上が中学校の1階部分と同じぐらいの高さです。高台と言ってもそれほどではありませんね。今は平穏無事な風景ですが、近々東海地方で発生するかもしれない大地震が襲ってきたら一変してしまうのでしょう。そうなるとウチも崩れてしまうかもしれません。この光景が変わらないよう願うばかりです。[屋上より東方を望む]
2011年03月28日
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とうとう金八先生シリーズもファイナルですか。最初に観たのが高校生ぐらいだったのでもう30年以上経つんですね。今日の特別版は4時間もあったのでさすがに全部は観ることはできませんでしたが。初期の頃の出演者は私とほぼ同年代。子供どころか孫までいるような世代。議員さんになった方もいらっしゃいました。劇中の皆さんそれぞれに成長しましたね。加藤優の変貌ぶりには大いに驚かされましたが。実は「金八」というのは私の父方の祖父の名前なのです。しかも同じ教職でした。なのでこの番組が始まった頃は主演の武田鉄矢よりも祖父をイメージしておりました。祖父は昭和初期に教員になり、戦時中は家族を日本に残して満州へも単身赴任したことがあるそうです。父が子供の頃、満州から帰国した祖父が持ち帰った荷物の中に現地の子供達がお別れに描いてくれた絵がたくさん入っていたという話を聞いたことがあります。戦後は公職追放でしばらくは教壇に立つことはできませんでしたが、ほどなく復職して小学校の校長を務めました。今でもこの地域にはかつての教え子だった方が住んでいて、「あなたのおじいさんに教えてもらったんだよ」と言われたこともあります。厳しくとも優しく、授業が終わると日が暮れるまで校庭で一緒に遊んでくれたと。しかしながら私自身は怖いおじいさんというイメージしかありませんでした。いつでしたか、転んで泣いていたところへ現れて「男が泣くんじゃない」と叱られて余計に泣けたということもありました。たかだか4~5歳ぐらいの子供に「男が…」なんて普通は言わないでしょうね。祖父は私が小学生になる前ぐらいに亡くなりました。通夜の日だったでしょうか、少し年下の従兄弟が「おじいちゃんは寝てるの?」と祖母に訊いていたのを覚えています。私はその頃には亡くなったという認識はありましたが、従兄弟には敢えて「寝てるんだよ」と話しました。子供心に悲しませたくないという気持ちになったんでしょうか。今となってはどうにもなりませんが、生きている頃にもっと話ができていたらと思います。子供達にとってどんな先生だったのか、息子達にとってどんな父親だったのか。祖父の生き方、考え方を知りたかったです。「金八先生」はドラマながらいろいろと考えさせられたり物議を醸したりしましたね。でも、基本的には今の子供も30年前の子供も同じような気がします。周囲の環境は大きく変化しましたが人間はそんなに変わらないのではないかと。昔、悩んでいたことが今になって懐かしく思えることが多いです。当時は受け入れることができなかったことが長い年月を経てようやく理解できたり、嫌なことがあってもそれも自身の歴史の一部だったと考えるようになりました。余程の大きな衝撃も後年になってそれに目を背けることなく思い返すことができる日が来ることを信じて生きていきたいものです。
2011年03月27日
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本日はM&Dバンドの練習日。昨年10月初旬以来なので5ヵ月半ぶりになります。が、あいにく私は挨拶回り等、諸々の事情で不参加。2008年にバンド結成以来、一度も休まず皆勤だったのですが今日で途切れてしまいました。久々にスタジオで音合わせをしたかったですがこればかりは仕方ありませんね。みんなの出来具合はいかがだったんでしょうか。そんな私も完全にサボっているワケではありません。時間を見つけては課題曲の採譜作業をしております。かつて演奏したことがある曲ばかりですがこれを機会に整理しようと思ってます。そういえば公式サイトで省吾さんからのメッセージが届いていましたね。ツアー決行はあるべく本来の日常の姿に一日も早く戻そうとする省吾さんの決意の表れでしょう。なにかと大変かもしれませんが無事に初日を迎えられるよう願っています。
2011年03月26日
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今日、区長さんが震災義援金のお願いに訪ねてまいりました。我が町でも震災発生直後から義援金集めをしていますが戸別訪問はエエんですかね?しかも町長名で。別に寄付は構わないのですがこういったものは自発的にやるもんじゃないでしょうか?好意と受け止めたいんですが時期的にいろいろと勘繰ってしまいます。実は来月には県議選と町議選があります。この時期にはウチにも何人か町議の候補者が御挨拶に来られます。4年ぶりの御対面ってヤツで((笑))その時に渡されるのがパンフレット。その中には後援会への入会用紙が入っています。ウチも商売柄、頼まれれば無下に断ることができないので名前を記入するんですけどね。もう何人もの候補者の後援会に入ってます。入ったところで何も見返りはありませんが。そういえば以前、候補者の一人に半ば嫌味も込めて「給料ばかりもらって何もせずに議場にいるだけならウチの招き猫人形でも置いといたらエエですよ」と話したことがありました。その方はちゃっかり演説の中でそのフレーズを使ってました。少しはお役に立てたみたいで((笑))思い返せば昔は父もよくそんなことを言ってました。某町議を「役立たずの糞袋」とか「棺桶に両足突っ込んでるようなクソジジイ」などと。そうは言っても決して悪口ではなくジョークのように話してたんですけどね。子供心によくそんなことを言うなぁ、と思ってましたがDNAはしっかり受け継いでいるようです。「議長!」と呼んでるみたいですね。
2011年03月25日
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今日、初めて「AC」の新しいCMを観ました。サッカー選手とベテランアイドルグループ(?)からのメッセージ。急遽作成したにしては良いですね。まあ、これはこれでまた苦情を言う輩が出てくるんでしょうなぁ。そういえば関東方面を中心にミネラルウォーターが売り切れ続出だそうですね。ガソリンの給油も相当な待ち時間だとか?ウチにお泊りいただいているお客様によれば他にも品切れ商品続出で大変だと伺いました。当地ではそんなことがまったくないだけに不思議に思いますがきっと不便を強いられているんでしょう。輪番停電や頻繁に発生する揺れに加えていつ収束するかわからない原発事故で不安になってしまうのでしょうね。一日も早く皆さんの気持ちが落ち着けるよう願っています。
2011年03月24日
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震災後から「AC」のCMが多く流れていますね。時には同じ種類のCMが何度も繰り返されたり。各企業がCMを自粛しているために穴埋め的な扱いで流されているそうです。最近は抗議があってか、最後の「エ~シ~♪」の音が消されていることが多いようです。抗議するというのもなんだかよくわからないですが、私自身、飽きてしまったのは事実。でも内容的には良いとは思うんですけどね。中には「震災とは関係ない内容ではないか」と文句を言う方もいらっしゃるようですが、震災が起きたことを想定して作ってる訳ではないですからね。というか、本当にTV局に抗議をしたり文句の電話をする人がいるんですかね?それが事実ならば世の中には暇で仕方ない人もいるんだな~と感心&羨ましく思います。そういえば、この間はCMの内容を揶揄する書き込みを見つけたことがあります。「遊ぼう」と言ったら「馬鹿と言われた」とか。くだらんですな。あるいは子宮頸がんの啓発CMに出ている親子に苦情が行ってるとか?まったくワケがわからんですな。私のお気に入りはアニメで流れる「♪こんにちは(こんにちワン)、ありがとう(ありがとウサギ)」のCM。今では全てのフレーズを覚えてしまいました。誰が作ったか知らないですが最高です。明日は子供達が終業式なので帰ってきたら実践してみましょうか、あの振り付けを…。そんな中でまったく揶揄されないのがオシムさんが出ている脳卒中の啓発CM。きっと話している言葉がわからないから触れることができないのでしょう。面白いですね。
2011年03月23日
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今日、FCからメールマガジンが届きました。予定通り来月からツアーを始めるそうです。やはり公式サイトトップページの「4.16」はツアー決行の決意表明だったんですね。実は私もツアースタートの静岡・エコパアリーナに参加が決まっていました。が、周知の通り先月に父が亡くなり、これからの諸々の状況を考慮して参加を取り止めることにしました。せっかくツアー開催告知が発表されたのに残念です。そうなると今ツアーで参加ができそうなのは名古屋公演のみ。震災でライブどころではない省吾ファンにとってはそれでも贅沢な話ですけどね。まずは6月開催の名古屋・ガイシホールに集中します。チケットを手配してくれた浜友さんには大変申し訳なく思っています。代わりに参加してくれる浜友さんは私の分まで楽しんできて下さい。ツアースタートまであと3週間余り。無事に初日開催されることを心より願っています。
2011年03月22日
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本日、無事に四十九日法要が終了しました。これで晴れて父は仏壇に入り御先祖様の一員に。先月1日から今日まで、所在無く彷徨っていた魂はようやく安住の場所に落ち着きました。今日は朝から雨模様。亡くなった日、通夜、告別式、そして毎週の法要は必ず好天。告別式の日などは2月の厳寒期にもかかわらず暖かい日でした。なのに最後の最後で雨か…。…と、思いきや親戚が集まる頃には雨が止み、墓へ移動して読経が始まる時には晴れ間さえ見え、法要が終了するまで降ることはありませんでした。生前は自称・雨男だった父が最後に来ていたずら心を働かせたのでしょうか。雨と思わせて晴れ。お蔭で傘の忘れ物が多発しました。最後まで洒落っ気とジョークと悪戯で惑わされましたね。そんなこともあって喪主挨拶は完全アドリブでしたがスムーズにできました。告別式の時はかしこまり過ぎてほとんど例文のようでしたが今回は自分の言葉で話すことが出来ました。これが最後の父への感謝。そんな訳で一ヵ月半以上に渡った法要はこれで一区切りです。明日からは一家の長として頑張ってまいります。父さん、ありがとう。僕達を育ててくれてありがとう。父さんの子供でよかったよ。ずっと大変な思いをしただろうけどこれからはゆっくり休めるね。父さんの想いは子供達に伝えていくよ。どうか見守っていてね。父さんにとって僕はどうだったかな。不甲斐ないと思うこともあっただろうね。不肖の息子でごめん。父さんを越えることはできないかもしれないけど僕なりに頑張るよ。本当にありがとう、そしてお疲れさん。また会えるといいな。もし会えたら、その時は小さかった頃のように抱きしめてほしいよ。いつかまた。
2011年03月21日
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今日、久しぶりにBASSを手に取りました。3ヵ月後のイベントの課題曲が決まってから相当経ちますが諸々の事情でまったく手付かず。バンドメンバー・丼ちゃんの結婚披露宴以来なので5ヶ月ぶりです。そろそろ勘を取り戻さないとマズいですからね。課題曲は過去に演奏したものばかりなので特に不都合もなくこなせました。バラード関連は少々怪しかったですが。全体的には問題はないですが、某曲のBASSの見せ場的なフレーズ(謎)をなんとかせねばなりません。ボーカルを際立たせるフレーズなのでミスをしたら全てが台無しになることは必至。感動させられるか失笑されるか。それよりもイベントはできるんでしょうかね…。明日は一連の法要の締めの四十九日法要です。禅宗(曹洞宗)的にはこれが終わると現世に留まっている魂が墓に入って正式に御先祖様の一員になります。今までは現世を彷徨っていつでも身近にいたと思えていたのがこれで本当のお別れに。寂しいですが一区切りにせねばなりません。それと同時に私は正式に本家の跡取りに。要するに一族の長となります。一族の代表なので親戚筋の諸々の行事、冠婚葬祭には必ず顔を出さなければなりません。今まで以上に責任を負うことになるので発言や行動に気をつけねばいけませんね。明日は朝から昼過ぎまで自宅と寺、墓で法要の後はお食事会。今の時点で喪主挨拶は全然考えておりません。アドリブでなんとかなるでしょうか…。
2011年03月20日
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セントラルリーグの開幕が少しずれて29日(火)になったそうで。個人的には野球なんぞやってる場合ではないと思う気持ちの方が強いです。Jリーグでは早々に3月中の開催中止を決めましたが野球は足並みが揃わずセントラルだけが予定通り開催。…だったのが政府から叱られて再検討。結局、4日だけ遅れて開幕というなんともワケのわからない結論になりました。野球で元気を、何でも自粛というのは如何なものか…はわからないでもないですが心情的に賛同できる人がどれほどいるのか。一部選手も意見しているように経営者の思い上がりのような気がします。かと言って野球選手は試合が仕事。複雑な思いを胸に秘めて最大限の力を発揮していただきたいです。省吾さんの公式サイトのトップページでは大きく「4.16」の文字。初日・エコパ開催の決意でしょうか。ショーは続けなければならない、Show must go on…。正直なところ少しばかり複雑な気分ですが、省吾さんが強い意思を持って決行されるのであれば全面的に支持します。そういえば宮城の会場は遺体安置所に、最終日の会場は避難場所に。会場もそうですが大きな電力消費を伴うことに理解が得られるかどうか。いや、もしかしたら電力消費はさほどでもないかもしれませんがその時の周囲の状況が許すかそうか。昭和から平成にかけての自粛ムードの時とは場合が違いますが同じような雰囲気を感じます。ギリギリまで判断を待つことになるかもしれませんね…。
2011年03月19日
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あの震災からもう一週間なんですね。発生時は私はちょうど昼寝から起きたところ。建物全体がゆっくりとした振幅で揺れ、瞬時に地震と思って身構えました。揺れは1~2分ほど続いたでしょうか。いつもの地震と違って大きくも静かな揺れがかえって不気味に思えたものです。すぐに震度を確認しようとTVをつけたところ、既に大津波警報発令で大騒ぎになっている場面が飛び込んでまいりました。震源地は東北の太平洋沖、最高震度は7の表示。まさか遠く離れた東北地方の揺れが愛知県まで到達しているとは。それからはTVとラジオから片時も離れず、状況を見守っていました。その日のうちに津波が襲来している映像も流れてきました。時間が経つに連れて尋常ではない状況が次々と映し出され、ただ唖然とするばかり。震源地近くの知人のことが頭をよぎりましたがどうにもできません。携帯へメールをしようかとも考えましたが、状況が把握できないし、万一非常に厳しい状況下にあれば迷惑になるだけと思いとどまりました。TVでもやっていましたが、メールを受け取っても返信している場合ではなかったと言う方がいらっしゃいました。心配してくれるのは有り難いが控えて欲しいと。自分がそのような状況下に置かれたらきっと同じように思うでしょうね。一昔前に比べて通信手段が格段に向上した分、焦る気持ちも一層増幅しているような気がします。我が町では昨日は中学校、今日は小学校で卒業式でした。いずれも式の前には震災で亡くなった方々へ黙祷が捧げられたそうです。今回卒業を迎えた子供達にとっては一生忘れることができない卒業式。被災地では卒業式どころではなかったでしょう。今回は発生した場所が違うというだけで平穏無事な地域もいつ災害に見舞われるかわかりません。東南海地震が発生するのは必至。その時は私の住む知多半島は津波に洗われてしまうかもしれません。同じような事態になった時、どのように対処できるでしょうか。物質的な準備と共に心の準備もしておかねばなりません。
2011年03月18日
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今日の午前中、車の給油に行ったらこんな張り紙が。給油のために車が殺到した場合のことを考えての措置でしょうか。その割には普段と変わらない状態でしたが。スーパーの棚を見てもいつもと変わらず品物は豊富にあるし、今のところ都会で発生しているらしい「買いだめ」は起こっていないようです。しかしながら野菜や魚類の価格は上昇傾向。連鎖的に他の物品も値上がりするかもしれません。今夜、韓国から留学準備のために東京に滞在している娘さんと電話で話しました。今は高田馬場というところに住んでいるそうですが、頻繁に起こる地震と原発事故のニュースに不安な日々を過ごしているようです。とりあえず様子を見て、状況次第ではウチへ移動してくるということになりました。なるべくそうならないよう、事態が改善の方向に進むといいのですが…。
2011年03月17日
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今日もまた韓国から電話がありました。原発に続いて静岡で地震があったというニュースを観たそうです。どうも韓国のTVではヒステリックに近いぐらいの報道をしているみたいですね。今にも日本が壊滅して、それこそ「日本沈没」のような状態になってしまうのではないかと。仁川空港で帰国した息子を母親が泣きながら迎えているというような報道もあったそうです。そんな場面を見たら心配になりますよね。電話をかけてきた方も娘さんからの連絡ではどうにも判断が出来ないらしく、こちらへ情報を求めてきたという次第。明日以降の原発の消火作業の状況如何によってはウチへ避難してくるそうです。神経質に見えるかもしれませんが親心からすると当然でしょうね。先ほども茨城を震源にした地震があったようなので、もしかしたら本当に避難してくるかもしれません。日本にいる限りは逃げ隠れできる場所はないんですけどね。そういえば、長男がこんな本を引っ張り出してきました。今から4年前、小学5年生の時に買った本です。表紙には今回の大地震のマグニチュードと同じ「M9」の文字。対象地域は西日本ですがこのような規模の地震が起きることを想定していたのでしょうか。内容を読み進めてみると宮城県の項で連動地震のことが書かれてありました。既に4年前、いや、それ以前から研究はされていたんですね。起きてしまった今となってはどうにもなりませんが。この本の中で最も気になったのは大地震の年表。2007年の時点で東海地域では1945年以降にマグニチュード7以上の地震は発生していないとのこと。他の地域に比べて異様に長い空白期間が不気味です…。
2011年03月16日
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先程、静岡東部で震度6強の揺れがありました。こちらの地域もその影響で震度3を計測。揺れている時間は東北の地震よりは短かったですが怖いですね。このあともこのような連鎖的な地震が続くのでしょうか?今日の午後、以前ウチに宿泊されたことがある韓国の方から電話がありました。なんでも、娘さんが留学準備のために2週間前から東京に滞在されているとのこと。東北の地震発生時も心配されたそうですが、今回は原子力発電所の事故ということでウチへ避難させてくれるようお願いされました。避難とは大袈裟な…とは思いましたが、向こうから見たら日本は外国ですから心配になる気持ちはわかります。とりあえず原発の現在の状況や東京との距離、風向きなどを説明して、万一の時は受け入れると約束しました。現況で避難するような状態になったら一大事。原発のシステム的なことはわかりませんが、なんとかこれ以上の被害が出ないよう願うばかりです。
2011年03月15日
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昼に携帯にメールがありました。冒頭に「拡散」の文字。てっきり原発の放射能拡散が始まったかと思いきや「節電のお願い」でした。要するに「拡散」はメールの内容を他にも広げてくれという訳ですね。なんでも東京電力管内で電力不足になるので、それを補うために関西電力と中部電力管内から送電するために節電に協力してもらいたいとのこと。技術的には可能かもしれませんがそんなニュースは出ていません。チェーンメールのこともあるので電力会社のサイトを見たらやはりそのようなお願いはしていないそうで。以前も特定の血液が足らないということで献血の呼びかけメールをいただきました。結局、それも虚偽ということがわかって送ってきた方から陳謝のメールが届きましたが。今回は節電をして欲しいという主旨としては理解できますが偽メールには違いないですね。混乱をしていると何が正しく、何が誤った情報なのか見極めが難しくなります。人は不可抗力に直面した時、気持ちが高揚して判断を見誤って行動してしまうことはよくあること。一歩下がって冷静に対処できるようにしたいものです。
2011年03月14日
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本日は「六七日」法要の日。今回は寺で執り行われました。法要の後は墓所へ移動して「精入れ」の儀式。荒天の場合は延期でしたが雲ひとつない上天気。無事、御先祖様に新しい墓に入っていただくことが出来ました。振り返れば父が亡くなった日も通夜、告別式の時も好天に恵まれました。父は生前は自称・雨男だったのに面白いものですね。子孫に迷惑をかけないための最後の気遣いかもしれません。来週は大詰めの四十九日法要。この法要が終われば父も晴れて墓に入って御先祖様の仲間入り。最後まで好天にしてもらえるか最後にしてやらかしてくれるか。私も喪主として最後のお勤めをしてまいります。TV画面に映し出される津波の被害は甚大なものになっていますね。町が丸ごと流されてしまうという、外国ではよく聞くような話がこの日本で起こるとは想像もしていませんでした。時間の経過につれ、亡くなった方の数が増えていくのは心が痛みます。一人でも多く救出され、一人でも多くの身元が判明するよう願います。【追記】本日よりネットでラジオ番組を聴く事が出来る「radiko」が震災緊急対応として全国に対象拡大しました。東京の局では震災情報を流し続けています。http://radiko.jp/
2011年03月13日
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未曾有の震災に言葉もありません。ただただ、お見舞い申し上げるとしか表現できません。現時点で東北在住の知人・友人の無事は確認できました。取引先の状況を知る術はありませんが大事無いよう願うのみ。何も出来ずにTVニュースを観続けるしかないのがもどかしいです。
2011年03月12日
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今朝の中日スポーツ一面に6月ライブの告知が出てました♪中日新聞にはよく出ますが、過去に中日スポーツに省吾さんのライブ告知が掲載された記憶はありません。先日、中日新聞に掲載された告知とは違うのでしょうか?前回は3月9日から14日まで。今回は3月11日から16日まで。URLの最後の数字も違いますがどうなんでしょう。今回は「先行」となっているので通常発売の時も出るかもしれません。いずれにしても私自身は6月12日の分は確保してあるので大丈夫なんですけどね。できれば前日にも参加したいのですが翌週のイベント出演もあるし出かけるには難しいところ。土下座で許されることもないでしょうね…。それはそうと、メインの記事の坂上二郎さんの訃報は残念でしたね。年齢が76歳ということで私の父と同年。コント55号も面白かったですが、私としては歌手としての坂上さんが印象深いです。「学校の先生」は子供心に泣ける曲でした。昭和の時代の思い出が少しづつなくなっていくのは寂しいです。
2011年03月11日
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花粉症がグレードアップして風邪をひいてしまったようです。昨夜は鼻詰まりでほとんど寝られず。今日は朝から病院へ行きました。面白いことに病院での診断は『わからない』。インフルエンザではないけど風邪なのか花粉症の重症化かわからないので様子を見ましょうだと…。様子を見てる間に治ってしまうんじゃないか?((笑))実際に昼寝をしたら多少は楽になったし。結局、判断が出来ないということで薬は貰えず。その代わりに高血圧の診断をしてもらうために血液検査をしてまいりました。一週間後に結果が出るそうです。朝食、昼食も食べられず、夕刻にやっと菓子パンをいただきました。同時に熱と咳も出てきたんでこれは風邪ですね…。
2011年03月10日
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本日の中日新聞朝刊TV欄に載ってました♪今回は6月分の先行発売。今日から14日まで受付です。9月分は夏休み前ぐらいに掲載でしょうか?来月のエコパ行けるかな…。
2011年03月09日
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「早っ!」と郵便受けを見て思わずつぶやいてしまいました。そうです、ウチに会報が届いたんですよね~。今までは最後の方に届くのがほぼ慣例となっていましたが今回は比較的早かったように思います。詳細は書けませんがまたまた読みどころ満載。そっか~、アノ方の息子さん…いやいや、これも書けません((謎))本当にツアーが楽しみです。(以下、会報写真)一日でも早く省吾さんにお会いしたいものです
2011年03月08日
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秘密のDVD作成中です。というかほとんど完成してますが。実はこれ、M&Dバンドの次回課題曲の映像を集めたディスクです。長いこと省吾さんの映像は御無沙汰なので勘を取り戻すために作りました。近々バンドの練習がありますが私は諸事情で不参加。楽器自体、昨年の丼ちゃんの結婚式以来触ってないんですよね。果たして間に合うか、そして思い出せるか覚えきれるか。結末は6月19日12:00に☆
2011年03月07日
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本日は「五七日」法要の日。自宅で執り行われました。例の「正座椅子」の効果はまったくなし…と思ってましたが工夫次第では意外と使えることがわかりました。これで残り2回の法要はなんとか乗り切れそうです((笑))来週は新しい墓の「精入れ」をします。天候不順の場合は延期になるそうなのでなんとか晴れて欲しいものです。
2011年03月06日
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全客室の地デジ配線工事が終了しました。そしてついでにオプション工事でBSアンテナも。これで衛星放送も視聴可能…のハズでしたが…。計測の結果、北館は全室OKでしたが南館の一部、合計7部屋分はBSの視聴が出来ないことが判明。原因は壁の中の配線ケーブルが現在の基準より細く、また昭和53年建設という古い建物ということでケーブル自体が経年劣化しているからだそうです。ブースターを入れてもまったく改善されないので諦めるしかないようで…。映らない部屋だけ専用配線を引く手もありますが、そうなると費用が相当かかるようなのでそれも出来ず。今後、余程大もうけするか宝くじでも当たらなければ難しいですね。世の中、簡単にはいきませんな~…。
2011年03月05日
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久々に役立たずな品を購入してしまいました…。100円ショップでみつけた正座用の椅子です。価格は倍でしたが。出来上がりはこんな感じ。実は私は正座が苦手。得意という人はあまり聞きませんが。法事では喪主ということで必ず正座。これが唯一の悩みなんですよね。毎回、足が痺れて終了後は動けません。縦横は10cm×20cmぐらい。このスペースに座って正座による足の痛み&痺れを防止します。よーし、明後日の法事はこれで大丈夫…普通の体型の方なら…。私が座っても腿が太いのでまったく効果なし。それどころか「メキメキ」と音を立てている始末。このまま本番で使っていて途中で壊れてぶっ倒れたら厳粛な法事の席は台無しですね…。
2011年03月04日
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今日は桃の節句。嫁さんと二人で2年ぶりに知多市の梅林公園へ行ってまいりました。ここの地名は「佐布里池(そうりいけ)」。休日のこの時期は駐車場に車列が出来るぐらい大混雑しますが今日は平日だったのでガラガラ。ほぼ満開の梅を堪能してまいりました。併設の野菜売り場。安いのはいいけど領収書が出ないのはいかがなものかと((笑))屋外ステージ。無性に上がりたくなります((笑))「LET SUMMER ROCK 2011」でもやりましょうか。それにしても寒かったですね~。強風で前のめりにならないと歩けない箇所もありました。花粉症が辛いですね…。
2011年03月03日
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元・中日監督の与那嶺要さんが亡くなりました。私が野球を観始めたのが昭和49年から。ちょうど次男と同じ小学5年生でした。それまではチームの存在は知っていましたがさほどの興味はありませんでした。それを一気に目覚めさせてくれたのが昭和49年の優勝シーン。グラウンドになだれ込む人達、神輿が場内を練り歩く場面に感動したものです。なので私にとって中日の監督で最初に浮かぶのは星野でも落合でもなく与那嶺さん。たどたどしい日本語のインタビューが懐かしいです。また一人、思い出の人が亡くなってしまいました…。
2011年03月02日
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早いもので、父が亡くなって今日で一ヶ月です。2月は日数が少ないとはいえ、もう一ヶ月経つんですよね。一ヶ月前の今頃は知らせを聞いて病院に向かっていた頃。何を考えながら車を走らせていたのかほとんど記憶にありませんが、道路沿いのオレンジの街路灯が妙に明るく輝いていたことだけは覚えています。葬儀が終わり、毎週日曜日は法要。その間に名義変更や銀行口座の停止など、徐々にですが手続きをしています。父の生きてきた痕跡が少しづつなくなっていくのは寂しいですね。一番大変な相続関係だけは資料が出揃っていないのでまだ先になりそうです。ウチは商売用の建物が父名義なので相続税が相当な額になりそうな見込み。目玉の飛び出るような額にならなければいいんですけどね。そういえば、ここ数日の間、祖母の調子が良くないです。長年一緒に暮らしていた父が亡くなったことで気力がなくなったようで、今はほとんど寝たきりに近い状態になってしまいました。 意識はあるようですが、さすがに101歳ともなると痴呆の症状が出てきて、同居している母や私の妹夫婦は世話が大変なようです。 食事もあまり進まないようですし、この状態が続けばもしかしたら年内にまた葬儀をせねばならないかもしれません。 実は祖母は母の親で、父は婿養子に入ったんですよね。 詳しく書けば長くなってしまうので割愛しますが、ウチの家系は代々子供が出来ず、祖母と母も実の親子ではないのです。 祖父(昭和38年没)と祖母の間にも長い間子供が出来ず、家系を絶やしてはいけないと、祖母の親戚から母が養女としてもらわれてきました。 祖母もその前の代で養女として遠縁から来たので、私との血のつながりは極めて薄い…というか、実質ほとんどないです。 それでも私にとっては祖母以外の何者でもありません。祖母にとっては私は初孫。子供の頃は温かくも厳しく躾けられました。これから気候が良くなって体の調子が戻ってくれればいいのですが。母も養女、そして父も養子という家でしたが、二人の間には私を始め3人の子供が出来、その3人もそれぞれ伴侶を得て子供が合計7人生まれました。 代々子供が出来なかった家系にこれだけ大勢の子孫を残せたことで父と母は御先祖様から表彰されそうですね。
2011年03月01日
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