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美術講話の企画書を制作、午後、クリニックに届ける。
日差しは温かかったが風が強く、山際を通ると木々の細枝がたくさん折れ落ちていた。
BSジャパンで、バッハの作品とされている曲が、後妻になったアンナ・マグダレーナの作曲ではないかという説を検証するドキュメンタリーを見た。女性が芸術的才能を抑圧されていた時代に、アンナ・マグダレーナは優れた作曲をしたにもかかわらず、バッハの曲として後世に伝わったのではないか、というのである。
その検証過程をここに述べるつもりはない。が、大変興味深い番組だった。しかし、『トッカータとフーガ、ニ短調』を弟子の作曲とし、『無伴奏チェロ組曲』がアンナの作曲だと陳説していたが、私はバッハに肩入れするつもりではなく、はたして曲想までバッハの多くの真性の曲となんら違和感ないほど似て来るものだろうかと疑問に思った。
つまり私が言いたいことはこうだ。
優れた作曲者にはそれぞれ他と区別できる明らかな曲想の違いがある。バッハとヘンデル、あるいはハイドンやモーツァルトの曲とを聞き分けられない人はいないだろう。それらは言語で説明することは難しくても、あきらかに心象ないし、あえて言えば思想が異なるのである。とくにバッハの場合は、なんと言ったらよいだろう-----センチメンタルに汚染されていず、あきれるほど原理的な音列でありながら、その純粋音列がそっくりそのまま高度な音楽性・宗教性を帯びてくる。バッハは、たぶん、モーツァルトやベートーベンや ショパン チャイコフスキー のような感情表現に意をそそぐなどということは、ほとんど無かったのではあるまいか。
そのようにバッハの曲を感じるとき、『トッカータとフーガ、ニ短調』や『無伴奏チェロ組曲』がバッハの曲ではないと言い切ることに、私は疑問があるのだ。くだんのドキュメンタリーが諸々の証拠なることを提示したにもかかわらず、私は、それらの曲とバッハのいわば真性の曲とに一貫した曲想を感じる。その曲想の一貫性をどう説明するのか? この新たな説は、応えていない。
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