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あきても @ Re:こんなとこにポツンと一軒家(06/02) New! この場所は過酷な場所ですね 孤独死が気に…
moto,jc @ Re:こんなとこにポツンと一軒家(06/02) New! おはようございます 人間付き合いの鬱陶…
danmama313 @ Re:こんなとこにポツンと一軒家(06/02) New! ポツンと一軒家、よく観ます。テレビ東京…
Nov 21, 2019
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カテゴリ: カテゴリ未分類
終戦の翌年の1946年(昭和21年)、焼け跡となった新宿に「風月堂」が開店しました。

あちらの正式名称は「月堂」です。

まだ夕闇せまる路地裏でGIから洋モクを買う男たちや、自分の身を販いで、チョコレートや缶詰を買い求める女たちが見かけられたころ。
新宿の焼け跡の土地を買った横山五郎は物資の乏しい中、お兄さんの工場からケーキを調達し、最初に出したコーヒーは、進駐軍の使い捨てたコーヒーの出しガラを煮だしたものでした。
夫婦で七輪を扇いで汁粉も作り、夏はアイスキャンディーも出しました。
何もない時代です。
そんな粗末なものでも、人々はつかの間のくつろぎを求めてそのお店に足しげく通うようになりました。

1949年(昭和24年)大規模な改装をほどこしました。
そこには白い円柱、浮き彫りのある漆喰の壁が自慢の風月堂「ベル・エポック」の誕生です。
その頃の横山五郎は濃紺のGI帽をかぶり、自らカウンターで忙しく立ち働いてたと云います。

疲れてホールに出てきたときは、カウンターの姿とは一変してりゅうとした英国製の背広をはおり、後ろ手を組み、いんぎんでどことなくキザでどうにもとっつきにくいオヤジだったとか。
しかし、客商売で後ろ手はいけませんなぁ。

横山五郎はまた、近代絵画のコレクターで、梅原龍三郎、林武、岡鹿之助、小出樽重、三岸節子らの作品を集めていました。
ベル・エポックの壁にそれら自慢の絵画を飾り、また昭和27年には風月堂第1回コンサートを開催してます。
このコンサートは大変な反響を呼びました。
1955年(昭和30年)、2度目の大規模改装を実施します。
こんどは当時としては前衛とも云える内装で、客席数も90席から130席に増やしました。
若者たちの文化的広場を作りたいと思った横山五郎の風月堂は、2,000枚と云う膨大なレコード枚数を保有し、NHKも借用にくるほどだったとか。

こうして風月堂の黄金時代は幕開けました。
近代日本を代表する美術評論家、瀧口修造をはじめ、詩人の白石かずこ や谷川俊太郎、俳優では天本英世、三國連太郎、岸田今日子、唐十郎、作曲家の三枝成章、映画監督の若松孝二、劇作家の寺山修司、さらに若き日の安藤忠雄までが風月堂に足しげく通うようになります。
まさに風月堂は若き文化人の一大拠点となっていったのです。
しかしそんな風月堂もしだいに変貌していきます。
1964年の東京オリンピックでは、外国人観光客向けガイドブックでも「日本のグリニッジ・ヴィレッジ」と紹介されました。





やがてクラシック音楽一辺倒だった風月堂にジャズが流れるようになり、60年代後半の全共闘運動時代には、新左翼の活動家や学生が出入りするようになりました。
そのため公安警察が常時監視するような事態に。

70年前後から週刊誌 にも取り上げられ、全国から若者達が押し寄せ、コーヒー1杯で何時間も店にたむろするように。
作家の山崎朋子が店のウエイトレスをしていたのはこの頃です。

ベ平連活動家の拠点となり、ベトナム戦争従軍米兵の脱走兵を匿ってたこともたびたび。
さらにフーテンも出入りするようになり、芸術的な雰囲気は薄れ、アングラ、反戦運動、新左翼の拠点として溜まり場になり下がりました。
常時、アメリカ、フランス、ドイツなどのヒッピーが30~40人出入りしており、マリファナやLSDが売られているという噂まで立ちました。


かつての芸術喫茶は大きく変貌を余儀なくされ、常連の客足も遠のきました。
ヒッピーやフーテンの溜まり場となってしまったそんな店に横山五郎の息子さんは嫌気がさし、1973年、戦後の新宿文化を象徴した名曲喫茶「風月堂」は閉店。
約27年の歴史に幕を閉じたのです。







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Last updated  Nov 21, 2019 06:05:23 AM
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